少年悔悟録『シャーデンフロイデ』(作者 華房圓
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#UDCアース  #エマール・シグモンド 


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#エマール・シグモンド


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●とある博士のローマン・ホリデー
 ――カウンセリングルームは、一種の玩具箱である。
 清潔な白い部屋のなか、黒々とした艶めきを放っているのは、白衣を纏った青年の長い御髪だけ。うつくしく整った貌に冷たい笑みを咲かせながら、彼は部屋の片隅に置かれた講演台へ背を預けていた。其の切れ長の双眸が見降ろす先には、パイプ椅子に座らされた学生服姿の少年たちが居る。
 年の頃は、中学生くらいだろうか。彼らはみな揃いも揃って、何処か思い詰めたような表情をしていた。未だ幼さが残る貌に差す鬱々とした影は、未完成な彼らの容貌をうつくしく彩っている。そう、ひとの憂鬱は何より甘く、うつくしい。
 陶酔を振り払うように、青年は懐に仕舞った煙草を一本取り出して、その先端へライターで火をつけた。医者にあるまじき行動だ。然し、此のちいさな箱庭の支配者は他ならぬ彼である。ゆえに、誰も何も咎めない。

 先生、先生、先生、先生――……。

 その代わり、少年たちは次々に挙手をして青年を呼び始めた。喝采のように降り注ぐ其の聲は、畏敬と不安と、焦燥に溢れている。
 片手で少年たちのさざめきを制し、青年――蓋匣・薔薇(カロウド・ソウビ)博士は「ふぅ」と肺から白い煙を吐き出した。何人かの少年が、エテニルピリジンの馨に厭そうな貌をする。嗚呼、最近の子どもと来たら、行儀が良すぎてくだらない。
「先ずは君、悩みを言って御覧」
 きちんと制服を着こなし、眼鏡を掛けた少年へ適当に指を差す。すると、彼は思い詰めたように頭を抱えながら、淡々と胸の内を吐き連ね始めた。
「毎日同じ電車に乗り合わせる、他校の女子に戀をしました」
 彼曰く、名も聲も知らぬ少女にこころを囚われて以来、勉学に身が入らず成績は下落の一途を辿っているのだと云う。この戀を昇華させるには如何すれば良いのかと、そんなことを問われた博士は、ふ、と彼の悩みを鼻で笑い飛ばした。
「錯覚か、現実逃避だ」
 冷たい眼差しで少年を見降ろしながら、息継ぎするようにもう一服。肺が白く染まる前、紫煙交じりの吐息と共にふわり吐き出すのは、ナイフの如く鋭い言の葉。
「大人はそんな感傷を、戀とは呼ばないのだよ」
 硝子のように繊細で余りにもちっぽけな少年の自尊心は、その一言だけでいとも容易く崩れて往く。耳まで赤く染めて俯く彼へ一瞥を呉れて唇を歪めたのち、博士が次に視線を呉れるのは、襟をだらしなく弛めた気の強そうな少年の相貌だ。
「其処の君……。嗚呼、ボタンは総て締め給えよ、みっとも無い」
「むしゃくしゃするんだよ――」
 少年は襟を正すこともせぬ儘に、ぽつり。胸中で蜷局を巻く、黒い衝動について語り始めた。彼は、直ぐに手が出る気性なのだという。子どもの時分からそうだった訳ではない。中学に上がってから徐々に、喧嘩早くなってしまったのだ。悪口を言った言わないの喧嘩で同級生と殴り合うことは日常茶飯事、涯は未だ小学生の弟にすら手を挙げてしまった。泣いている弟を見て深く後悔をしたのだと、彼は語る。嗚呼、どうして自分はこうなんだろう――。頭を抱えてそう苦悩する少年の頭上へ影を落とした博士は、煙草を挟んだゆびさきを左右に揺らしながら、ぞっとするような冷笑を溢す。
「其れは、君が獣だからだ」
 凡そカウンセラーらしくない思いもよらぬ回答に、少年が頭を上げた。博士は涼しい貌で、煙草を吸っている。まるで、何事もなかったように。突然「ふ」と白い吐息を貌へ吹きかけられて、少年は苦し気に咳き込んだ。博士は其の様を見降ろしながら、よく通る聲で悠々と持論を紡いで往く。
「普通の人間はね、自分の感情を抑えられるものだ。もっとも、注意を一度で聴けない君は、サル以下かも知れないけれどね」
 いいからさっさと、襟を摘め給え――。
 首を刎ねるようなジェスチャーを繰り出すように、す、と博士の骨ばったゆびさきが動いた刹那。少年の思考は瞬時に赤く染まり、彼の胸ぐらを掴むように腕が伸びた。しかし其れは、虚しく宙を掴むのみ。暴力沙汰は不味いと慌てた他の少年たちによって、気の強い少年の躰は床の上に忽ち抑えつけられてしまったのだ。
 眼前で起こった騒動など全く意に介さずに、博士は邪魔な煙草を口に咥え、少年が纏う学生服の袖を捲る。健康的に日焼けした腕が露わになれば、懐から注射器を取り出してその先端をぷすりと一刺し。元気よく藻掻いて居た少年は、そう間を置かず大人しくなった。別に毒を打って殺した訳ではない。未だ息はある、残念で仕方ないが。

「嗚呼、君たちは病んで居る」

 だからみんな、この世からさっさとおさらばしなさい。
 そんな科白は流石に大人として宜しく無いので、肺に流れ込む紫煙と一緒に呑み込んで。蓋匣博士は、たいそう優し気な貌で哂った。

 ――ゆえに、“治療”が必要だ。

●少年たちの憂鬱
「UDCアースで事件だよ、諸君」
 集った面々を前に、神埜・常盤(宵色ガイヤルド・f04783)はおっとりと双眸を弛ませた。彼の手には、一冊の薄いパンフレットが握られている。『蓋匣メンタルクリニック』と目立つように綴られた其れを揺らしながら、ぐるり、面々を見回す常盤。
「都心で心療内科を営む『蓋匣・薔薇』博士は、“治療”という名目で思春期の少年たちを監禁しているらしい。邪神復活の贄にする為にね」
 しかし、この凶行には彼自身の嗜好も大いに関係していた。神妙な貌をしながら言葉を重ねる常盤いわく――蓋匣博士は、或る邪神の信奉者である。そして、“シャーデンフロイデ”の魅力に憑かれた狂人だ。
 彼は『カウンセリング』と称して、思春期の悩める少年たちのこころを鋭く抉り、彼らが傷付き嘆く様を嘲って楽しんでいる。
「思春期って難しいよねェ。皆も心当たりは無いかい?」
 僕はあるよ、なんて。苦笑交じりに肩を竦めながら、胡乱な男は鷹揚に言葉を編んで往く。無性に心が波立つのも、破壊衝動や破滅願望に襲われるのも、他人や異性の眼差しが気になるのも――総て、大人になる過程においては誰もが、大なり小なり経験することだ。つまり、正常なのは少年たちで。病んでいるのは、他ならぬ博士の方。何とも皮肉な噺である。
「君達には潜入の為、博士のカウンセリングを受けて貰いたいんだが……」
 構わないかな、と聊か申し訳なさそうに皆へ問う常盤である。博士は専ら少年の自尊心ばかりを傷つけているが、それはあくまでアンバランスな彼らが扱いやすい為。もしも自身の“カウンセリング”に良い反応を示してくれる患者が居るならば、老若男女を問わず彼は関心を寄せるだろう。幸いなことに、監禁された少年たちは未だ生きている。彼らを邪神の糧とさせぬ為にも、どうか力を貸して欲しい。
「それじゃァ、気を付けて」
 血彩のグリモアが、男の掌中でぐるんぐるんと回転し始める。軈て視界が眩い光に包まれたなら、転送の合図。猟兵たちが向かう先は、邪神が蠢く狂気の世界――UDCアース。


華房圓
 OPをご覧くださり有り難う御座います。
 こんにちは、華房圓です。
 今回はUDCアースにて、心情シナリオをお届けします。

●一章〈冒険〉
 博士による「カウンセリング」を受けて頂きます。
 心に秘めたコンプレックスや、癒えないトラウマについて相談しましょう。
 博士は優しく慰めてくれたり、逆に冷たい言葉で突き放したりして、あなたの反応を確かめます。
 悲しんだり、怒ったり、喜んでみたり、何か反応を返してあげて下さい。もちろん、演技で構いません。
 劣等感や苦悩、過去の痛みなど、皆さまの心情を沢山お聞かせください。

 優しい慰めの言葉を掛けて欲しい方は『1』を。
 OPのような鋭い言葉を求める方は『2』を。
 それぞれプレイングの冒頭にご記載ください。

(※『2』を選ばれた場合)
 どんな言葉で心を突き刺されたいか、プレイングに「詳細」をご記載ください。
 それに従って、博士はPC様の心を苛みます。
 なお、頂いた記述から逸脱した科白等で、PC様を苛むことは有りません。

●二章〈冒険〉
 あなたは怪しげな点滴を打たれ、病室へと案内されます。
 其処は青薔薇が咲き乱れ、作り物の満月が昇る、一種の箱庭でした。
 点滴が染み渡れば最期、あなたは箱庭を飾る屍の一つとされるでしょう。
 そうなる前に、夜を映した箱庭をあなたの思う儘に彩ってください。
 傷付いた心が少しでも癒されたなら、きっと道は開けるでしょう。

●三章〈ボス戦〉
 不完全に復活した邪神との戦闘です。
 一章と二章で感じたフラストレーションを、思い切りぶつけるのも良いでしょう。

●『蓋匣・薔薇(カロウド・ソウビ)』
 30代半ばの男性。
 シャーデンフロイデの誘惑に憑りつかれ、路を踏み外した精神科医。
 魅入られた邪神との共鳴は深く、もう手遅れな状態です。
 ハーバリウムと人の不幸を、何よりも愛しています。

●その他
 「人の不幸は蜜の味」をテーマに、サイコホラーなイメージで運営します。
 OPの通り、露悪的な要素を含むシナリオです。
 後味が悪く成る可能性も有りますので、ご了承ください。

 プレイング募集期間は断章投稿後、MS個人頁やタグ等でお知らせします。
 グループ参加は「2名様まで」とさせてください。

 アドリブの可否について、記号表記を導入しています。
 宜しければMS個人ページをご確認のうえ、字数削減にお役立てください。
 それでは、宜しくお願いします。
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第1章 冒険 『消える子供たち』

POW多くの人から聞き込みをする
SPD行方不明になった現場周辺を調べる
WIZ行方不明になる条件を考察する
👑11 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●或る少年のケース
 カウンセリングルームは、蓋匣・薔薇博士にとって或る種の「箱庭」である。
 此処では彼の思い通りにならぬものなど、何一つ無かった。博士がひと度口を開けば、少年たちは皆彼を注視する。そうして、餌を強請る雛の如く『先生』と彼を呼び続けるのだ。あの縋るような眼差しを見下ろす度、博士は自身が此の箱庭の支配者であることを理解し、少年たちが箱庭の可愛い玩具であることを再確認するのだ。
 思春期の不安定な少年たちの「こころ」を動かすのは、余りにも容易い。
 例えば今、丸い机を挟んで向かい合う此の少年――彼のこころに消えない疵を刻み付けることだって出来る。

「先生」

 上目で見上げてくる、縋るような眼差し。線の細い、何処か幼げな印象の少年だ。随分と気弱に見えるのは、少し垂れた眸の所為か。或いは、ちいさな唇が小刻みに震えている所為か。
「僕は、可笑しいんでしょうか」
 机の下でぎゅっと拳を握り締める少年に、博士は言葉を返さない。ただ、彼が悩みを打ち明けるのを、蛇の如き陰湿さで待ち兼ねているばかり。
「……ほんの出来心なんです」
 沈黙に耐え兼ねた少年は、ぽつり、ぽつり。裡に抱え込んだ苦悩を溢すように、言葉を唇から編み始めた。
 少年には、3人の姉が居るのだと云う。幼い頃から姦しい娘たちに囲まれて育ってきた彼は、少しばかり男らしさに欠けるきらいがあった。当世風に表すならば「ニュートラル」と云った所か。
 寧ろ華やかな繻子を纏い、貌に白粉を叩いて、世にもうつくしい蝶へと変身して行く姉たちへ、憧れを抱いてすら居た。然し「学校」という世界の中で、彼のような存在は異物である。少年もそれは分かって居たから、自身の願望に蓋をして慎ましい学生生活を送っていたのだ。
 とはいえ、願望は抑えれば抑える程に膨れ上がるもの。彼は或る時、彼女への贈り物を撰ぶ振りをして、小遣いで賄える程度の口紅を買ったのだと云う。そして自宅に帰り、金色に艶めくキャップを開けた所で。彼は、はたと我に返った。まるで血を想わせるような口紅の鮮やかさが、そうさせたのだ。
 男なのにこんなこと可笑しい。直さなければならない。少年は己の歪なこころを矯正する為、蓋匣博士の許へ駈けこんだのだった。
「僕はただ、綺麗なものが好きなだけで……」
 其処まで話したところで、喉を詰まらせ俯く少年。博士は無言の儘、がたりと席を立った。そして、彼の隣へ歩み寄るや否や、唐突に手を差し伸べてみせる。
「今も、持っているんだろう」
 総て見透かしたような言葉に、少年は思わず貌を上げた。ぱちぱちと瞬いた後、躊躇うように彼は視線を泳がせる。それでも博士は、手を退ける素振りすら見せない。軈て観念したのか、少年はしぶしぶと云った様子で、胸ポケットから金縁のキャップを被せた口紅を取り出し、博士の大人らしい大きな掌に載せた。
 蓋匣博士は良い大人であるから、躊躇う事無く其のキャップを開け、観察するように露わに成った紅を眺め遣る。そして空いた方の手で、少年の顎を乱暴にぐっと掴んだ。突然のことに、そして顔に食い込む指の痛みに眸を瞠る少年。されど博士は気にも留めずに彼の口へと紅を寄せ、彼の選んだ彩を唇に塗りたくる。当たり前だが、その動作に優しさや気遣いは欠片も滲まない。
 軈て無造作に己の掌から彼を開放すれば、蓋匣博士は憧れを叶えた少年の貌を覗き込んだ。嗚呼、と感嘆のような、嘆息のような息を吐く。

「――やっぱり、似合ってないね」

 気持ち悪いよ。突き放すようにそう云えば、少年はわっと泣き聲をあげて机に突っ伏した。そんな彼を見下ろす博士の口許には、歪んだ笑みが刻まれていた。たった一言、二言で、想った通りに少年のこころを打ち砕く。嗚呼、矢張り此処は「箱庭」で「玩具箱」なのだ。
 誰かの不幸を嘲い、傷付き嘆く様を愉しみ、こころを満たす為の――。
 博士は慣れた調子で、慟哭する少年の頸へ注射針を刺した。そして大人しくなった少年に背を向けて、ハーバリウムを並べた棚へと歩み寄る。そのなかのひとつ――蒼い薔薇を閉じ込めた丸い硝子のポットを抱き上げれば、愛おし気に其の輪郭を撫ぜた。

 毎晩、不思議な夢を見る。
 此れとそっくりなハーバリウムの頭をした、身綺麗な紳士と白い部屋で語り合う夢だ。話す内容は勿論、此の「箱庭」のことである。それはカウンセリングのようでもあり、研究報告のようでもあった。だが、不思議と悪い気はしない。
 あの理知的な聲は、灰色の脳髄に心地よく染み渡って何時までも聴いて居られる。それに何より、蓋匣博士は“ハーバリウム”というものを愛しているのだ。

●猟兵たちのケース
 其の日、蓋匣メンタルクリニックは何時にも増して盛況であった。
 いつもとは毛色の違う患者ばかりだが、博士のほうは大して気に留めないだろう。“玩具”は新しい方が良いし、幾つあっても構わないのだから。
 UDC組織の尽力もあり、予約は総て「猟兵」たちで埋まっている。今日がきっと、蓋匣博士にとって最後のカウンセリングになるだろう。
 こころの裡に鬱屈を、苦悩を、或いは葛藤を抱きながら、猟兵たちは此の悪趣味な任務に挑むのだ。少年たちを、世界を、救う為に。

「次の方、どうぞ――」


*診察の手引き*
・プレイング冒頭に『1』or『2』の記載をお願いします。
・『2』を選択する場合
 ⇒どんな言葉で心を突き刺されたいか「詳細」をご記載ください。
 ⇒記号や詳細の記載が無い場合は、採用を見送らせて頂くこともあります。
・ペア参加の場合は、ふたり一緒にカウンセリングを受けることに成ります。

*補足*
・カウンセリングのシーンをメインに描写します。
・リプレイは「個別」のお届けとなる予定です。
・本章のPOW、SPD、WIZはあくまで一例です。
 ⇒ご自由な発想でお楽しみください。
・アドリブOKな方はプレイングに「◎」を、記載頂けると嬉しいです。
・皆様の心情をたくさん聞かせていただけると幸いです。

*受付期間*
 8月31日(火)8時31分 ~ 9月3日(金)23時59分
冴木・蜜
◎2
先生

私は人を救いたかったのです
今も思っています
捨てられない

でも
私はこのねがいを強く持ち過ぎて
友人を壊してしまった

私はこのねがいを持ち続けていいのでしょうか



抉る言葉はなんとなく分かる

人の心が分かるフリをしたって無駄
足掻いたって人にはなれない
理解できたと勘違いして絶望して
愚かで無駄だ、なんて

だからお前には誰も救えない
彼と同じことを仰るのでしょう

識っている
理解っている

どんなに上手く皮を被っても
私の根底は人外だ
私は死毒
薬にもなれぬほどに致命的な毒
だから真に生命に寄り添えない

……、わかっていても
やはり
どうしようもなく寂しくて苦しい

身体が崩れる

ああ、でも
これもヒトの孤独とは違う のか


●Case : f15222
 清潔な白い壁に囲まれたカウンセリングルームは、仄かに煙草の匂いがした。几帳面に棚へと並べられたハーバリウムたちは、この部屋唯一の彩と云っても差し支えないだろう。中央に置かれた丸い机を挟んで、冴木・蜜は蓋匣博士と向かい合う。
 黙って此方を見据える博士の眸は、何処か冷たい。まるで、獲物を観察する蛇のような印象すら受ける。そして実際、彼がひどく冷酷な人間であることを、蜜は既に知っていた。

「先生」

 眼鏡の奥の双眸を伏せながら、青年はぽつり、博士に聲を掛ける。彼に縋った少年たちがきっと、そうしたように。胸に渦巻く焦燥と悔悟の念を滲ませながら。
「私は、人を救いたかったのです」
 開口一番、青年の唇から溢されたのは、人の身に余る程の大層な希い。蓋匣博士は思案するように視線を転がした後、僅かに頸を傾けた。
「どうして?」
「理由なんて――ただ、救いたい。それだけでした」
 そう、と。小聲で相槌を返した博士は、手にしたカルテにさらさらと文字を躍らせて往く。静かな部屋に反響する乾いた音を聴き流しながら、蜜は胸中に燻ぶる想いを再び零す。
「そして今も、救いたいと思っています」
「誰かの役に立つことは、自己肯定にも繋がる」
 蜜の出方を伺っているのだろう、カルテをトントンとボールペンの先端で叩きながら、当たり障りのないことを宣う博士。
「だから、そう悪いことでも無いよ。けれども、そうだね。仮に君へ病名を付けるなら、軽い“メサイア・コンプレックス”と云った所かな」
「でも――」
 何も知らない癖に精神科医らしい解説を呉れる博士に、蜜はゆっくり頸を振って見せた。そう、彼は何も知らないのだ。蜜が背負う罪の重さも、抱く希いの切実さも。蜜は机の下で、ぐっと、拳を握り締める。
「私は、友人を壊してしまった」
「……どうして?」
 博士の鋭い眼差しが、蜜の貌を射抜く。其れが大層心地悪くて、青年はただでさえ伏し目がちな眸を泳がせた。
「ねがいを、強く持ち過ぎて」
 端的に、唯それだけを語る。
 切欠はひとつの薬だった。ひとを救うための其れは、友の手によりひとを殺す為の“毒”になってしまった。ぐずぐずと蕩けて往く“ひとだったもの”の姿は、今もなお瞼に焼き付いて居る。
「それでも、捨てられないのです」
 博士の眸を、直視できなかった。きっと、咎めるような眼差しをして居るだろうから。吐き気を堪えるように袖で口許を抑えながら、蜜はぽつりと苦悩を紡ぐ。
「私は、このねがいを持ち続けていいのでしょうか」
 沈黙が暫し、場を支配した。視線を上げることも出来ず、蜜はただ箱庭の支配者のことばを待つ。

「――無駄だと思うよ」

 しんとした部屋のなか、博士の聲だけが冷たく響く。何処かで聴いたような科白に、蜜は思わず貌を上げた。嗚呼、やはり、咎めるような眼差しが此方を見ている。
「そもそも、君はひとの心が分かっていない。ただ、分かるフリをしているだけだ」
 違うのかな、と頸を傾ぐ男の姿が、あろうことか友と重なった。
 蜜が人外――ブラックタールという種であることを知っていた友も、確かそんなことを言っていた。“お前はどう足掻いたって『ひと』にはなれない”とも……。
「それなのに、他人を、友人を理解できたのだと、そう勘違いして仕舞ったんだろう。それで勝手に絶望するなんて……」
 虚を突かれて茫とする蜜のこころへ、博士は更に鋭い言葉を突き刺して行く。弧を描いた彼の口許は如何にも愉し気で、自分はいま玩具にされているのだと、蜜はぼんやりと悟った。
「君は、とても愚かだね。そんな君のやることは総て、無駄だよ」
 それなのに、冷笑と共に供される言葉は妙に懐かしくて、胸が騒ついて仕方が無い。確信めいた予感が、蜜のなかに色付いて居た。
 彼もまた『友』と同じことを言うのだろう。

「だから、君には誰も救えない」

 そんなこと、疾うに識っている。
 純粋だった筈の希いが惨劇を引き起こしたあの日から、理解っていた。
 喉奥からタールがせり上がって来る感触に、蜜は背を曲げて軽く咳き込む。たらり、口端から垂れるのは、凡そひとの体液とは程遠い漆黒の液体だ。
 そう、どんなに上手く皮を被ったところで、人外であることは――“蜜の根底”は変わらない。
 蜜は、ひとを蕩かせる死毒。
 薬にもなれぬほど、余りにも致命的な毒。
 ゆえにこそ、真に「生命」には寄り添えないのだ。生きているものと彼は、相性が悪すぎる。嗚呼、そんなことなど、疾うに分かって居るのに。
 ――……どうしようもなく寂しくて、苦しい。
 ぐらり。
 喘ぐように胸を抑えた彼の視界が、ふと傾いた。下半身を見れば、脚許が溶けている。バランスを崩した蜜は、為す術もなく椅子から転げ落ち、床へと倒れ込む。
「顔色が悪いね、君には“治療”が必要だ。暫く療養して行きなさい」
 そんな蜜の傍らに膝を付いた博士は“医者らしい”科白を宣い、彼を気遣う素振りを見せる。もっとも、それは表面上のものだ。彼が取りだした注射器から、怪しげな液体が跳ねる様を視界の端に捉えながら、青年は「嗚呼」と息を吐いた。
 ――これも、ヒトの孤独とは違う……のか。
 べちゃり。
 床に跳ねるタールの水音にまたしても、己は“ひと”ではないのだと思い知らされる。人の世において、蜜は何処までも“仲間外れ”なのだ。途方もない程の孤独に揺れる紫の眸は、何処か虚ろに注射針のきらめきを眺めていた。
成功 🔵🔵🔴

シャト・フランチェスカ
◎2

先生、と
僕も呼ばれるよ
つまらない物書きだからね

皮肉な話だ
僕は他ならぬ『僕』に至りたくて
何万文字と連ねているのに
得たものは『先生』という抽象的な単語
ペンネーム越しの存在なんて
ある日消えてしまっても誰も気づかない
星の消滅と同じだ
誰も彼も光年ほど遠くにいる

だれも僕のことなんか見ちゃいない
どうせきみだって僕を忘れる

▼苦悩まで在り来りな作家のことなど、誰も覚えているわけがない
君がしているのは言葉の浪費だよ
『先生』

ぎり、と歯を食いしばる
羞恥と憤怒は全て芝居とは言えない

言葉で人を突き刺すのは最低だ
言い逃れが出来る
心を壊すのは卑怯だ
死んだことすら傍から見えない

お前みたいな『脇役』に
殺される僕はもっと愚かだ


●Caase : f24181
 此の清潔な白い部屋が、蓋匣博士の「箱庭」なのだと云う。
 棚に並べられた綺麗なハーバリウムたちにちらり、視線を呉れたのち。シャト・フランチェスカは丸い机越しに、件の博士と向かい合う。蓋匣博士は、愛想があまり宜しくないようだ。観察するような彼の眼差しは、無遠慮で不快だった。

「先生」

 何処か醒めた聲で、彼を呼ぶ。
 箱庭の支配者への畏怖も、秘めたる悩みへの焦燥も、いまのシャトには欠片も無かった。一方の博士は少しばかり首を傾げ、彼女の花唇が紡ぐ二の句を待って居る。
「先生と、僕もそう呼ばれるよ」
 おや、と博士が静かに瞬いた。表情のない貌に漸く、ほんの僅かな感情が滲む。意外だとか、驚愕だとか、きっと其の類のものだろう。
「教鞭でも取っているのかな」
「まさか、つまらない物書きさ」
 パイプ椅子に背を預けながら、シャトは戯れるように肩を竦めてみせた。そうして彼と視線を合わさぬようにしつつ、ふ、と己の肩書を鼻で笑う。
「――皮肉な話だ」
「どうやら君は、現状に不満があるようだね」
 彼女が溢した自嘲の意図を察したのか、博士はボールペンをノックしながらシャトへ問いを編む。此処までは、ごく普通のカウンセリングだ。
「そもそも君は“書くこと”で何を表現したいのだろう」
「そんなの、『僕』自身さ」
 どす黒いこころを裡に隠し、涼しい貌で質問を重ねる博士と、シャトは漸く視線を絡ませる。余裕を表すように悠然と微笑んで見せるものの、其の桜彩の眸は全く笑って居ない。
「僕は他ならぬ『僕』に至りたくて、何万文字と連ねている」
「成程、自己表現か。作家は皆、そうかも知れないね」
 未だシャトのファイリングを行っている途中なのだろう。博士は一応、彼女のことばに同意を示して見せる。この辺でそろそろ興味を惹いておこうか。紫陽花の乙女は、ちいさく頸を揺らした。
「それなのに――」
 得たものは『先生』という抽象的な単語ひとつ。
 読者のこころのなかに、本物の“シャト・フランチェスカ”は居ない。ただ彼女の偶像だけが、陽炎の如く遺されるだけ。それが酷く虚しいのだと、乙女は語った。 
「ペンネーム越しの存在なんて、ある日消えてしまっても誰も気づかない」
「……それは、君のファンも?」
 博士の的外れな問い掛けに、シャトは無言で首肯して見せた。ファンだろうと、読者だろうと、評論家だろうと関係ない。彼女は作家としての自身ではなく、私人としての“シャト”を見て欲しいのだ。
「星の消滅と同じだ。誰も彼も、光年ほど遠くにいる」
 消えて仕舞った星の名を、いったい誰が覚えているだろう。せいぜい残るのは、綺麗だとか、きらきらだとか、そんな抽象的な情報ばかり。其れではシャトは満たされない。
 此の名を、此の躰を、此の生き方を、誰かに視て欲しい。
 そして叶うことなら、「シャト・フランチェスカ」は未来永劫“ひとり”だけだと、誰もに認められたい。けれども、現実はそう上手く巡っていないのだ。
「だれも、僕のことなんか見ちゃいない」
 頁を見つめる読者たちの眼差しは、彼女が編んだ物語だけを見ている。其れを綴った作者の背景なんて、きっと彼らはどうでもいい。それが、堪らなく悔しい。
「どうせ、きみだって僕を忘れる」
 確りと見つめ合って語る言葉に、懇願も哀願も滲ませない。上辺の同情なんて虚しいだけだ。それに、シャトはきっと何処かで諦めている。
「――だろうね」
 冷めた聲が、白い部屋の空気を凍らせた。
 頭から冷水を掛けられたような心地で、シャトは博士を凝視する。されど今度は彼の方が、彼女を決して観ようとはしないのだ。嗚呼、弄ばれている。
「私の患者は多かれ少なかれ、皆そういう悩みを抱えているよ」
 博士はカルテに筆を走らせながら、つらつらと言葉を編んで往く。その態度は、咋に投げやりなものだった。
「苦悩まで在り来りな作家のことなど、誰も覚えているわけがないだろう」
 ガシャン、と机にカルテを放り投げたところで、漸く博士はシャトの方を見た。醒めたような眸と、視線が再び絡み合う。と思ったら不意に、博士の唇が弧を描いた。

「君がしているのは言葉の浪費だよ、『先生』」

 煽るような科白を脳が認識した途端、躰がかぁっと熱くなる。
 醒めた此の躰のなかを、ぐるぐると血潮が巡っているのだ。ぎり、と歯を食い縛る様は、きっと芝居には見えなかっただろう。実際、羞恥と憤怒を覚えなくも無かったから。
 言葉と真摯に向き合う物書きであるからこそ、シャトは分かる。
 言葉で人を突き刺すのは、最低なことだ。こころは幾ら刺しても血が出ないから、やっていない、知らないと言い逃れが出来る。そもそも、こころを壊すのは卑怯である。死んだことすら、傍からは見えないのだから。
「君には治療が必要だ。鎮静剤を打ってあげよう、少し頭を冷やし給え」
 かた、と椅子を揺らして立ち上がり、シャトの許へ歩み寄る蓋匣博士。彼の手には、注射器が握られている。どうして鎮静剤を、と疑問を紡ごうとしたところで漸く、口の中に拡がる鉄の味に気が付いた。どうやら、唇まで噛み締めてしまったらしい。花唇から滴る赫を拭うこともせず、シャトはただ気怠げに、腕へと躙り寄る鋭い針を眺めていた。
 嗚呼、言葉でひとのこころを殺す此の男は、救いようの無い愚か者だけれど。

 ――お前みたいな『脇役』に殺される僕は、もっと愚かだ。
成功 🔵🔵🔴

小千谷・紅子
◎2
先生、とは博識な方らしい
問うこと、何か、何か…
長く思順し、紡ぐ

こころ、とは
何なのでせうか

届かぬ思いは拾わねば
涙は拭って差し上げなければ
そうするべきだと知っています
けれど、足りないと
無責任なのだ、と
その行動の理由は、こころでなければならないのだと
私は、分からない
ですが、その言葉は胸を苦しくさせます
どうしたら、良いのでしょう


何よりの病巣は
それは未だ悩み未満の些細な疑問
気付きの芽は育てるも詰むも自由
その芽はきっと破滅的なものを齎す
ー空虚だよ
分からないなら植物と同じ
文字通りの人でなし
存ぜぬは罪
よく思い出してご覧

頭が、痛い
傘から焦った声がする

心配しながら、愉しそうな顔
それが、先生のこころ、ですか


●Case : f27646
 カウンセリングルームなる部屋は、清潔ではあるけれど、何処か寒々しかった。或いは、丸い机越しに向かい合う青年――蓋匣博士の纏う冷たい雰囲気が、小千谷・紅子にそう感じさせるのかも知れない。
 少女が入室してからと云うもの、博士は一向に此方を見向きもしない。それどころか懐から取り出した煙草を咥え、流れる様な動作で火をつけ始める始末。所詮は子どもだと思って、彼女のことを甘く見ているのだ。蓋匣博士はゆったりと紫煙を肺に流し込み、「ふう」と深く息を吐く。ふわりと漂うエテニルピリジンの馨が苦しくて、少女は「けほ」と軽く咳き込んだ。博士と云えば矢張り、気にする素振りも無い。徹頭徹尾、彼はひとの痛みに無頓着なのだ。
 ――問うことを、何か、何か……。
 紅子は紅子で、長い思案に沈んでいる。本来の彼女は、少女たちの秘め事を聞き届ける桜の精。乙女たちに悩みを打ち明けられ、願いを託されることは数あれど。自身がそう云う感情を誰かに傾けること等、殆どないのである。

「先生」

 嫋やかな聲が、彼を呼ぶ。博士は煙草を咥えた儘、少女の花唇が次の言葉を紡ぐ時を待ち兼ねていた。苦い紫煙の馨に眉を下げ、紅子はかくりとあえかな頸を傾けてみせる。
「こころ――とは、何なのでせうか」
「随分と抽象的なことを訊くのだね」
 カルテをトントンとボールペンの背で叩きながら、蓋匣博士は醒めた眼差しを彼女へ呉れた。少女は首を傾げた儘、幼げなかんばせに困ったような彩を浮かべている。
「私には、それが分からないのです」
 少女の長い睫が、桜彩の双眸に影を落とす。愛らしいその頰が憂鬱に染まる様は、蓋匣博士の関心をいたく惹きつけた。突き刺すような眼差しを華奢な其の身で受け止めて、紅子はぽつぽつと胸の裡に渦巻く想いを編んで往く。
「届かぬ思いは拾わねば、涙は拭って差し上げなければ――……。“そうするべき”だと、私は知っています」
「それで充分だと思うがね」
 博士から返って来るのは、突き放すような投げやりな科白。されど少女は、儚げにふるりと白い頸を振って見せた。
「けれど、其れだけでは足りないと。こころの伴わぬ行動は、無責任なのだ、と」
「嗚呼、誰かにそう言われたのか」
 まるで彼女の思考を読んだように、蓋匣博士はそう相槌を打つ。少女は肯定の代わりに俯いて、ぎゅ、と両手でスカートを握り締めた。
「誰かを癒す理由は、“こころ”でなければならないのだと――」
「一理あるかも知れないね」
 彼女に一瞥を呉れたのち、つらつらとカルテに文字を走らせる博士。何を書いて居るのかは分からないが、ボールペンが奏でる乾いた音が、何故だか妙に耳に障った。残響を掻き消すように、少女は言葉を紡ぎ続ける。
「私は、それが分からない。ですが、その言葉は胸を苦しくさせます」
 紅子が横目でちらりと視線を遣るのは、パイプ椅子に立て掛けた白い日傘。降り注ぐ苦難を払い除けてくれる彼は、いま、此処にいない。喚ぶことすら能わない。ゆえにこそ、答えを求めるべき相手はただ独り。
「どうしたら、良いのでしょう」
 眼前で明らかに己を値踏みしている、狂気に堕ちた此の博士だけだ。紅子は縋るように蓋匣博士を仰ぎ、箱庭の支配者が下す“天啓”を静に待った。
「何よりの病巣は――」
 気怠げに煙草を咥えた博士は、勿体付けたように深く息を吸う。そして紫煙で肺を汚しきったあと、甘い聲で毒にしかならぬ言葉を紡ぐのだ。あの厭な、エテニルピリジンの馨を漂わせながら。
「思い悩む其の感傷だよ、君」
「感傷、ですか」
 少女の大きな眸が、ぱちりと瞬く。静かに首肯する博士は、カウンセリング開始直後とは打って変わった調子で、此方をじぃと見つめて居た。蛙を睨む蛇のように。
「それは未だ、悩み未満の些細な“疑問”に過ぎない。気付きの芽は、育てるも詰むも自由だけれどね」
 博士の双眸がじろりと、少女の波打つ栗彩の御髪を、古風なセーラー服に包まれた華奢な躰を、そして品良く揃えた爪先までも凝視する。観察と云うよりも、もはや品定めと称すべきか。
「断言しても良い。その芽はきっと、破滅的なものを齎すだろう」
 まるで預言めいた科白を溢し、博士はまた一服。一筋の煙がゆらり、天井へ立ち昇って往く。その様が厭に不吉で、少女は彼から目を離せないでいる。
「――君は、空虚なんだよ」
 軈て苦い紫煙交じりに落とされたのは、そんな言葉。途端、紅子は全身から血の気が喪せて行くのを感じた。魂が抜けて行きそうな感覚に襲われて、堪らず黒いスカートの上から、己の膝にぎりりと爪を立てる。
「こころが分からないなら、それは植物と同じ。文字通りの人でなしさ。君も心当たりは有るだろう」
 存ぜぬは罪だと、蓋匣博士はいたく愉し気にそう謳った。興が乗ったのか其の儘ガタリと椅子から立ち上がれば、机の上へと身を乗り出して、少女の耳許へ貌を寄せる。酷く優し気な聲が、紅子の鼓膜を震わせる。

「――ほら、ようく思い出してご覧」

 刹那、少女の脳裏で何かが弾けた。浮かんでは消える取り留めも無い光景は、一体、「誰」が目にしたものなのだろう。
 嗚呼、頭が、痛い。
 知らない筈の記憶に呑まれかけ、頭を抱えて机に突っ伏す紅子。心臓が早鐘のように喧しく脈動して、息が苦しい。
 パイプ椅子に立てかけた傘が、カタカタと揺れて居る。背後から聴こえる焦ったような聲は、博士のものでは無くて。もっと別の、懐かしい誰かの……。
「辛そうだね、鎮痛剤を打ってあげよう。一晩ゆっくり休むと良い」
 そんな聲を掻き消すように響く博士の科白は、言葉だけなぞったなら何とも“医者”らしいものである。されど、紅子は気付いていた。心配するような素振りとは裏腹に、青年の口許が酷く愉しそうに歪んでいることに。
 ――それが、先生のこころ、ですか。
 嗚呼、やっぱり分からない。こころの裡で独り嘆息する少女の双眸は、細い腕に突き刺さろうとする針の煌めきを、何処か虚ろに捉えていた。
成功 🔵🔵🔴

比良坂・彷
2◎△
“此度は蓋匣博士のお気に召すままに”

先生、私の自我は何処にあるのでしょうか?
幼少時に新興宗教の教祖にされました

信者へ向けて
相手の心を察し欲している言葉を掛け
性格から陥りそうな躓きを伝える
どうともとれる物言いで『羅針盤』と仰々しく

確かに私は共感が得意です
何故なら『私』という器は虚っぽで相手の心を流し込み放題ですから
染まるんです、相手に。欲望も好みも性質も、全て
“あなたの幸せが私の幸せ”と
私自身は欲望も希望も持ちません

大人となり教祖はお役御免
私はどう生きればいいでしょう

>抉り
フルアドリブ希望、何でもOK
無理なら「思い上がり」辺りで

>嘆き
嗚呼、誰も私を救ってくれない
誰も私を“支配”してくれない


●Case : f32708
 清潔な筈の白い部屋に一歩足を踏み入れた刹那、最初に比良坂・彷が感じたのは、鼻腔を擽る嗅ぎ慣れた馨であった。丸い机の上には、灰皿がひとつ。其の中で無造作に転がる吸い殻からは、一筋の紫煙が薄らと立ち昇っていた。なるほど、蓋匣博士もお仲間――煙草呑み――らしい。こころの裡では軽い親近感を抱きながら、彷は神妙な面持ちでパイプ椅子を引き、姿勢を正して行儀よく着席する。
 “蓋匣博士のお気に召すままに”。其れが、今日の合言葉。机を挟んだ先、冷たい眼差しで此方を見下ろす彼を、精々心地好くさせてやるとしよう。

「先生」

 縋るような聲を、紡ぐ。
 常の不敵な表情は湧き上がる憂いに隠し、長い睫を伏せながら、彷は如何にも苦悩するような調子で、ひとつの問いを編んでみせた。
「私の自我は、何処にあるのでしょうか?」
「……その答えを出すには先ず、君のことを知らないとね」
 話してご覧。そう優しい聲彩で囁く博士へ従順に肯いた彷は、静かに己の数奇な半生について語り始めた。尤も、さる華族の妾腹であること、生まれて半年も経たぬうちに翼を得たこと等は、ややこしいので伏せておく。語るべきは、以降の軌跡。
「幼少時に、新興宗教の教祖にされました」
 博士にとって其れは、余りにも意外な告白だったのだろう。冷たい双眸に僅か、好奇の彩が燈った。カルテに病症を綴るボールペンの音が、ふと止まる。
「教祖に御目に掛ったのは初めてだ。なにか、不思議な才能でも?」
 そう問い掛ける博士に向けて、彷はゆるりと頭を振った。其の拍子に左耳の上に咲く彼岸花が、ふわり、毒のように甘い馨を漂わせ、カウンセリングルームに満ち溢れる煙たくて憂鬱な空気を塗り替えて往く。
「相手の心を察し、欲している言葉を信者へ掛け。性格から陥りそうな躓きを伝えるだけです。どうともとれる物言いで『羅針盤』と仰々しく」
「成程、私の仕事も同じだよ。君も人の心が読めるのかな」
 この仕事に飽きたら教祖になるのも良いかも知れない――。口許に仄暗い微笑みを浮かべながらそう宣う博士の真意は、嘘か真か。既に彼は箱庭の支配者なのだから、到底冗談とは思えないけれど。彼のそれを戯れと受け止めた彷は曖昧に微笑んで、ことばを続けて往く。
「確かに私は、共感が得意です。何故なら『私』という器は虚っぽで、相手の心を流し込み放題なのですから」
 刹那、博士の眸が獲物を見つけた捕食者のように煌めいた。止まっていた手は再び動き始め、カルテに彼の経歴と其の空ろな気性を刻んでいる。
 関心は得られた。
 博士の目にいまの彷はきっと、か弱い仔羊として映っている筈だ。他人の為に生贄とされる、さぞ従順な存在に――。
「染まるんです、相手に。欲望も好みも性質も、全て、“あなたの幸せが私の幸せ”と」
 駄目押しとばかリに、自身の気性を悠然と説いて見せる。教祖として培った「他人に話を聴かせる才能」も、意外と役に立つものだ。
 此の口から零れ落ちることばは嘘ばかり、されど人には其れが真に聴こえるらしい。本人としてはそんな欺瞞、面白くも何ともないが。
「では、君自身の幸せは一体何処に在るのだろう」
「そんなもの……私自身は欲望も希望も持ちません」
 蓋匣博士の問い掛けに、彷は再び頭を振ってみせた。当然、嘘である。本当は、生きていること其れ自体が空しくて、死にたくて仕方が無い。聞き分けの良い無垢な青年を演じる彷は、内心では舌を出しつつ問いを重ねて往く。
「大人となり“教祖”はお役御免となりました。ねえ、先生」
 いのちを皿に乗せ死神の前へ差し出しても、生き永らえてしまう者の痛みが。死にたくとも“死ねない”生きる屍の苦しみが、あなたに分かりますか。
「私は、どう生きればいいでしょう」
 つらつらと呼吸をするように連ねた嘘は、しんと静まり返った部屋に重たく響いた。憂いを帯びた赤い眸だけは、自棄に真実味を帯びていたけれど。

「思い上がりも良い所だよ、君」

 世を儚み自身の行く末を憂うような独白。その余韻を掻き消したのは、蓋匣博士の冷たい聲だった。彷は何も語らず、ただ沈黙を返すのみ。
「君は結局、求められた役割を果たせなかった。形だけの共感は誰も救えず、真のない言葉は誰の心も動かせない。当たり前のことさ」
 博士はこころからの悪意で少年たちを揺り動かしてきたのだろう。ゆえにこそ、実感の籠った科白で彷のこころすら責め立てようとしているのだ。
「君は不要となったから、教団から棄てられた。つまりは、そういうことだろう?」
 整った口許に冷笑を浮かべながら、博士は知ったような口を利く。ふと、其の眼差しだけが労わるように優しく弛んだ。
「可哀想だね、20年も無駄にして」
 されど、唇から紡がれる科白は氷のように冷たい。
 それをただの「音」としか認識できない彷と、優しい貌で悪意を謳う博士。果たして、本当に壊れているのは何方やら。彷は「嗚呼」と嘆息し、机に貌を伏せる。
「誰も私を救ってくれない――」
 肩を震わせ涙ながらに溢すのは、そんな科白。視界が塞がって居ても、博士の醒めた眼差しが震える躰を冷たく貫いているのは分かった。彼を喜ばせる為にもう一声が必要だ。
「嗚呼、誰も私を“支配”してくれない」
「駄目だよ」
 そう嘆息したところで漸く、博士の筋ばった手が肩に触れる。それは彼の腕を撫ぜ、軈て辿り着いた袖口を優しく捲りあげた。
「君は自立する必要が有る。暫く入院していきなさい。治療してあげよう」
 いまさら、死にたがりが治るものか。
 そう内心で悪態を付きながら、彷は黙って腕に触れる注射の針を受け止めた。思考が段々とぼやけて往くのを感じて、眼を閉じる。
 嗚呼、此れが毒では無いことが惜しい――。
成功 🔵🔵🔴

シキ・ジルモント

※カウンセリング/『2』
※詳細/慰めは一切無く、間違いなく他者を害する存在だと断言
『いくら取り繕っても獣は人にはなれない』『化け物だ』『いつか必ず周囲の者を傷付ける』

カウンセリングという物を受けた事は無いし必要性も感じないが、これも仕事だ
相談内容は…全くの嘘を言って怪しまれても拙い
制御できない人狼の凶暴化への危惧を、人狼の特性という部分は伏せて話す

どうしようもなく暴れたくなる時がある
制御のできない衝動だ、自分が何をするか分からず恐ろしいと訴えてみる

相手の言葉に逆上してみせるのは演技
…しかし言われたくない、突き刺さる言葉であるのも事実
化け物、か…そう呼ばれるのは久々だ
自覚があっても、少々堪える


●Case : f09107
 カウンセリングルームというものは、心安らぐ場所である筈だ。されど、妙に居心地が悪い。真白な壁に包まれた此の部屋は「清潔」ではあるけれど、それがかえって無機質さを強調している。おまけに、部屋の中には煙草の匂いが立ち込めていた。人狼の嗅覚が無くとも分かる。目の前の灰皿には、燃え尽きたばかりの吸い殻が落ちているのだから。
 常識では考えられないような光景を前に、シキ・ジルモントは溜息を吐いた。彼は「カウンセリング」という物を受けたことは無い。そもそも、誠実で真面目な気性である彼は、こころの裡に歪み等も抱えていない。ゆえにこそ、カウンセリングを受ける必要性も感じないのだが。これもまた、仕事のうちである。
 とはいえ、目の前に居る此の蓋匣博士が、嘘の悩み相談で納得するとも思えない。果たして何を語るべきか、思案すれば再び口から勝手に溜息が漏れた。
 今の自分は、さぞ憂鬱な貌をしているのだろう。眼前の博士もまさか、此の場への嫌悪から溜息を繰り返しているとは思うまい。
 立派な体躯のシキを前にしても物怖じすることなく、それどころか値踏みをする様な眼差しで、黙って此方を眺め遣る博士。彼の関心を惹く為にも、此処は本当のことを話すしか無いだろう。

「先生」

 落ち着いた聲が、静まり返った部屋に良く響いた。
 博士は相槌ひとつ打つこともなく、全く微動だにもせず、ただシキが紡ぐ二の句を待ち兼ねている。
「偶に、どうしようもなく暴れたくなる」
「……何か、厭なことでも」
 ストレスが原因ではないか、と。カルテに何かを綴りながら、ちらり、博士はシキへと一瞥を呉れる。曲がりなりにも医者なのに、患者への共感など欠片も無い、そんな冷たい眸と目が合って、シキは拳を固く握り締めた。今まで積んで来た経験が、この男は異常だと警鐘を鳴らしている。警戒心は内に秘めた儘、青年はあり来たりな博士の言葉に頭を振って見せた。
「唐突に湧き上がる、制御のできない衝動だ」
「破壊衝動か。思春期の患者にはよくあることだが、君のような大人だと珍しいね」
 ボールペンの先端でカルテをトントンとノックしながら、思案に耽る蓋匣博士。此のまま普通のカウンセリングで終わらぬよう、彼の興味を更に惹きつける必要があるだろう。シキは頭を抱え込み、聲を態と震わせる。
「恐ろしいんだ。此の侭だと一体何をしでかすか……」
 半分は、本当である。人狼病に罹患している彼は、満月を見ると忽ち凶暴になって仕舞う。それは決して理性では制御できぬ狂気。ゆえにシキは、何れ自身がひとを傷つけてしまう可能性を危惧していた。だからこそ、満月の日は人目に付かぬ場所に隠れ、朝陽が昇るまで衝動と独り戦っている。

「君は、獣なんだよ」

 カルテをかた、と机に置いた博士は徐にそう言い放つ。なんの感情も滲まぬ其の聲が、まるで雑談の延長のようにそんなことを告げたものだから、シキは先ず耳を疑った。
「獣は所詮、獣。いくら取り繕っても人にはなれない」
 続く言葉も矢張り、淡々としている。内容からして、先程のあの科白は聴き間違いでは無いらしい。シキが続いて疑うのは、眼前に居る此の博士の人格だ。別に今更、何を言われようが彼の芯はブレないけれど。こころの柔らかい所を踏みつけるような真似を平然と行える彼の方が、シキには“人らしくない”ように想える。
「いつ爆発するかも分からない衝動を抱え続ける君は、傍から見ると化け物だ」
 そんな彼の内心など知る由もなく、博士は咎めるような眼差しで青年を射抜く。そうして、低い聲で暗示めいたことばを紡ぐのだ。まるで呪いをかけるように。
「いつか必ず、君は周囲の者を傷付けるよ」
「……ッ!」
 その瞬間、シキはパイプ椅子を蹴って立ち上がる。勢いのままに博士の胸ぐらを掴んでみせる姿は明かに逆上したものだが、これも総て演技である。
 自身より立派な体躯の青年に凄まれても尚、涼しい貌を保った儘の博士を見降ろすシキのこころは、憂鬱へと染まって往く。何を言われるかは、薄々想像がついていたけれど。「化け物」とだけは、言われたくなかった。
 硝子のようにこころの柔らかな場所に突き刺さり、たらたらと血を流させる其のことばは、猟兵となって以来久しく聞いて居なかったもの。
 博士の胸ぐらを掴む拳を弛めれば、彼の骨ばった掌がシキの腕へと伸びて来る。其の手に優しく導かれる侭に腕を降ろせば、博士は「ふ」と冷たく微笑んだ。
「君には“治療”が必要だ。今日から入院して貰おう。先ずは、鎮静剤を」
 導いた方の手でシキの腕を抑え、もう片方の手で注射器を取り出して、博士はひどく穏やかな聲でそう語った。
 潜入の為に此処に来たのだ。シキは勿論、抵抗せずに其れを受け入れる。代わりに思いを馳せるのは、先程かけられた心無いことばについて。
 いつか誰かを衝動の侭に傷つけるかも知れないことを想えば、化物と言われても仕方ないとは思う。「化け物」の自覚があるが故、シキは戦場においても真の姿をさらすことを好まなかった。だからこそ、其処を突かれるのは……。
 ――少々、堪えるな。
 彼の荒治療で人狼病が治るのなら、どんなに良かったか。腕に突き刺さる針の感触と、其処から伝わる微かな痛みを感じながら、青年は今日何度目かも知れぬ溜息を溢した。時期に此の憂鬱も、鎮静剤とやらが覆い隠してくれるのだろうか。
成功 🔵🔵🔴

琴平・琴子
◎2
王子様に、なりたかったんです
今でもなろうと思えばなれるんじゃないかと思ってます

なろうと思ってなれるものじゃない
女の子の恰好で、見た目は王子らしくもない
可愛らしい恰好は王子よりお姫様の方がお似合いですって?
…ええ、知っていますとも

本当は可愛らしいお姫様になりたかったのかも
もしくはお様がいれば王子様になれるかもと思っていたのかも

どちらにも、何者にも成れない中途半端者ですか
ああそんな言葉に私は確かにお似合いかも

そうやってわざと傷つけて悲しませてくる人を私は知ってる
だけど私はそれで悲しんだりせず目を逸らす
だってそうやって喜ぶのを知っているから

ねえお医者様
私貴方の事嫌いです
冷たく言い放って目を伏せる


●Case : f27172
 カウンセリングルームという単語を聴いた時、最初に想像したのは学校にあるような「保健室」だった。その想像は、半分は正しい。この部屋のなかは清潔で無機質だ。通って居た学校の保健室も、此処まででは無いけれど、それなりに綺麗にして居たような気がする。
 けれども、想像の半分は間違っていた。この部屋は厭に煙草臭いのだ。琴平・琴子は机の上に置かれた灰皿に、冷めた視線を送る。この蓋匣博士はそもそも、医者として間違っている。ほら、今もまた新たな一本に火を付けようとしているし――。

「先生」

 よく通る、大人びた聲が響いた。
 博士の鼓膜を確かに震わせた筈の其れは、それでも彼の動きを止めるには足りず。敢え無く着火した煙草の先端から細い煙が立ち込めて、忽ちエテニルピリジンの馨に部屋の空気が汚される。琴子は眉を顰めながら、ぽつりと苦悩を語り始めた。
「お医者様。私は王子様に、なりたかったんです」
「……お姫様じゃなくて?」
 聞き返す聲と共に、ふわり、漂った紫煙が少女の髪に掛かった。「けほ」と咳き込みながら、少女はこくりと肯いて見せる。明らかに見縊られている此の現状は、腹立たしいけれど。いまは未だ、堪えなければ成らない。
「今でもなろうと思えば、なれるんじゃないかと思ってます」
「本当に、君は王子様になりたいのかね」
 そう問いを重ねる聲は、酷く醒めている。怪訝そうに見降ろしてくる其の貌は、威圧的な教師のようで、琴子の不快感を増幅させた。
「……本当は、可愛らしいお姫様になりたかったのかも」
 膝に置いた掌でスカートをぎゅ、と握り締めながら。それでも平静を装って、琴子は淡々と答えを紡いで往く。「もしくは」と二の句を発する聲は、靜かな室内に凛と響いた。
「王様がいれば、王子様になれると思っていたのかも」
 憂うように眸を伏せながら、淡々とそう語る琴子。一方の博士は、煙草を口に咥えた儘、彼女の噺に耳を傾けていた。暫し、重たくて煙たい沈黙が流れる。

「なろうと思ってなれるものじゃないよ」

 軈て低く響いたのは、博士が紡いだ残酷な答え。思わず真貌で彼を仰いだ琴子が観たのは、此方を見下ろす冷たい眸だった。
「女の子の恰好で、王子らしくもない。お姫様の方がお似合いだと思うがね」
「……ええ、知っていますとも」
 煙を吹かしながらそう語る彼の聲からは、明らかな“悪意”を感じる。大人から向けられる悪意は、子どもから向けられる其れよりも、重くて痛い。自分に縋りついて来る子供たちに、こんな酷い言葉をぶつけるなんて。彼は医者としてだけではなく、ひととしても間違っている。間違っているのに――。
「どちらにも、何者にも成れない君は、半端者だね」
 楽し気に歪む唇から紡がれる科白は総て、こころの柔らかな部分を、刺されたくない“痛い部分”を的確に突いているのだ。「ああ」と、知らず知らずの内に少女は吐息を漏らした。
 ――未だ何者にも成れてない私には、お似合いの言葉かも……。
 だから何も言い返せずに、きゅっと唇を噛み締める。嘗て通って居た学校で孤立した時のことを想いだして、胸が騒ついて仕方が無い。
 蓋匣博士は、あの同級生たちと同じだ。
 そうやって本人が気にしていることや、いま目の前にある現実を曲解して、わざと傷つけるような台詞を口にして、ひとを悲しませている。
 きっと彼はどうしようもなく幼稚なのだろう。だから、泣いたり悲しんだりしたら、たいそう喜ぶに違いない。琴子はそれを分かったうえで、彼からそっと目を逸らす。喩え演技だろうと何だろうと、目の前にいる医者を喜ばせたくはなかった。
「ねえ、お医者様」
 軽蔑の念を隠すこともなく、琴子は静かに口を開く。云うべき言葉は、既に決まっていた。蛙を睨む蛇のような双眸をじぃと見つめ返す様は、何処までも気丈なもの。
「私、貴方のこと嫌いです」
 たったそれだけの科白を冷たく言い放てば、少女は静かに双眸を伏せた。博士の目的は、ひとのこころが不幸に揺れる様を見る所。ゆえに、その科白もまた彼の関心を惹き付けるトリガーとなる。
「君は少し冷静になるべきだね。その心のズレを治療してあげよう」
 ふと、彼女の頭上に影が射す。何事かと貌を上げた琴子が観たのは、ぞっとする程に冷たい眸をした蓋匣博士の姿だった。少女の細腕に、注射器の針が刺さる――。
成功 🔵🔵🔴

唐桃・リコ
◎2
…なんでこんなとこで相談する事になったんだ?

オレの事好きなヤツが
オレの隣から逃げていこうとすんだ
逃げんなって何度も伝えて、
好きだって言ってるのに、なんで?

教えてくれるもんなら
教えてくれよ『先生』


は?知らねえ
見ないフリをしてる事があるとか
あいつが、自分のせいでオレがオレを失う事に傷ついてるとか…
何にも分かんねえ
うるせえ、考えないようにしてんじゃねえ!
オレはオレの物を守りたいから力が欲しい
強い力が手にしてアイツを守れるなら、その方が良いじゃん
……?あ?自己犠牲が気持ちいいか?本当は失うのが怖いんじゃねえか?
うっせえ!

でもなんだよ、どうして
いつもの喪失感を思い出して、
アイツに会いたくて仕方ねえ


●Case : f29570
 カウンセリングルームは、想像以上に煙たかった。厭そうな貌を隠すことなく、唐桃・リコは軽く咳き込み、漂う紫煙を追い払う。机の上に置かれた灰皿には、煙草の吸殻がふたつ。そして眼前の博士は、また新たな一本に火をつけている。凡そまともな医療機関で受ける対応では無い。一瞬、なんで自分はこんな所に居るのだろうかと、我に返りそうになる。そう、確か自分は『カウンセリング』を受けに来たのだ。どうせ碌でもないものだろう。この蓋匣博士も、彼が行う問診も――。

「先生」

 少し擦れたような聲が、靜かな室内に響く。博士は無言で紫煙を吐き出しながら、痩せた少年の貌を値踏みするような眼差しで眺めて居た。
「なあ、教えられるもんなら、教えてくれよ」
 付き纏う紫煙の厭な馨にも成れ、少年の挑むような眼差しが、博士の貌を見つめ返す。返事は矢張り、無い。仕方が無いから、リコはぽつぽつと苦悩を語り始めた。
「オレの事好きなヤツが、オレの隣から逃げていこうとすんだ」
「……君は、その子を引き留めているのかね」
 漸く博士から明確な問いが返って来る。少年はこくりと肯きをひとつ寄越して、疑問を更に連ねて往く。
「逃げんなって何度も伝えて、好きだって言ってるのに、なんで?」
 心の底から不思議そうな問い掛けに、蓋匣博士は暫く沈黙した。ただいたずらに時間が流れ、彼が指に挟んだ煙草はじりじりと其の長さを縮めて往く。

「君は、見ないフリをしてるんじゃないか」

 軈て静かな聲で紡がれた科白は、ある意味で確信を突くものであった。
 リコの赫い双眸が、ぱちりと瞬く。一瞬、脳が彼のことばを受け止め切れず、口からは戸惑う聲がぽつりと漏れる。
「は?」
 少年の反応に、博士は小さく溜息を吐いた。彼は再び一服しながら、面倒そうに言葉を重ねて往く。煙草が唇から離れれば、紫煙がふわりと部屋に漂った。
「その子が離れて往く理由、本当は知っているんだろう」
「知らねえ……!」
 本当は、こころの何処かで気付いているような、そんな気がする。
 『アイツ』はきっと、傷ついている。リコが『リコ』を構成する記憶を少しずつ失うことに。そしてその理由が“自分の為”であることに――。
 一瞬脳裏に過ったそんな思考に、少年は頭を振るのを止め、両の掌で力なく貌を覆った。先程まで確りと掴めていた理論は、何時の間にやら飛散して、なにかを取り零したような感覚だけが残っている。
「何にも、分かんねえ……」
 そうぽつりと零した少年に、「ああ」と博士は納得したような貌。心理学者である彼にとっては、見覚えのあるケースなのだ。
「君は、考えないようにしているんだね」
「うるせえ!」
 どん、と握り締めた拳で机を叩く。その衝撃で灰皿が数センチほど飛び上がり、カラカラと音を立てた。少し零れた灰が、磨かれた机を汚している。
「それでアイツを護れるなら、その方が良いじゃん」
 散ばる灰を力なく見降ろしながら、少年は胸の裡を再びぽつりと零す。リコは彼の物を守りたいが故に、強大な力を欲している。そう、総ては『アイツ』の為に。
「気持ち良いかい、自己犠牲は」
「……あ?」
 博士の口から再び紡がれた冷たい科白は、矢張り直ぐには理解できなかった。今度は口許に冷笑を浮かべながら、博士は「ふう」と紫煙を吐き出す。揶揄するような科白と共に。
「本当は怖いんだろう、喪うことが。だから君は総て承知の上で、無茶をする」
「うっせえ!」
 激昂した少年は再び机をどん、と殴りつける。灰皿が数センチほど横に動き、衝撃でまた灰が舞った。苛立たし気に拳を震わせ、貌を伏せる少年の脳裏には、ただ混乱ばかりがぐるぐると循環していた。
 ――なんだよ、どうして……。
 ただ眼前の医者と話していただけなのに、いつもの喪失感を思い出して、胸が苦しい。こころが、寂しい。
「可哀想に、鎮静剤を打ってあげよう。君もまた、病んでいる」
 治療が必要だ、なんて嘯きながら博士は少年の傍らへと歩み寄る。取り出したる注射器は、俯く彼の細い頸筋へ。ちくり、鋭い痛みに襲われる中、リコはひとり孤独に大事なひとへ思いを馳せて居た。
 ――アイツに会いたくて仕方ねえ……。
 別に助けて欲しいなんて、そんなことは想わないけれど。このままだと『アイツ』が自分の中からいなく成って仕舞うような、そんな気がした。湧き上がる焦燥感は軈て、鎮静剤が齎す偽りの平静に塗潰されて行く。
成功 🔵🔵🔴

杜鬼・カイト
◎2
オレは出来損ないの失敗作なんだって、創造(つく)られた時にそう言われた
いつか壊れる紛いモノ
不幸を撒き散らすだけの呪われたモノ
だからいらないんだってさ
そっちの都合で勝手にオレを創ったくせに、いらないなんて笑っちゃうよね

でも実際、オレを愛してくれた人は…オレのせいで死んじゃった
オレがいなければ、あの人はまだ笑っていられたかもしれないのに

こんなオレでも必要としてくれる人
ずっとそばにいてくれる人
そんな人いるんだろうか…

「わざわざニセモノを好むものなどいない」
「故に、君は誰からも必要とされない。これまでも、これからも」

はは、過去も否定すんの?
そんなのオレが一番よく知ってる
わざわざ言うなよ…うるさいな


●Case : f12063
 カウンセリングルームに、心地好い風が流れ込んで来る。それでもまだ、煙草の匂いは残っていた。敬愛する兄も喫煙者なので、特段気になる訳じゃ無いが。机に置かれた灰皿といい、其処に遺された幾つもの吸い殻といい、凡そカウンセリングルームには似つかわしく無いものだ。このクリニックは碌な場所では無さそうである。
 杜鬼・カイトは、冷めた眼差しで未だ煙を靡かせる吸い殻を一瞥し、それから蓋匣博士へと視線を寄越す。目が合っても微笑むこともなく、ただ観察するような眼差しを返す博士に向けて、青年は物怖じせずに聲を掛ける。

「先生」

 落ち着いた聲が、博士を呼んだ。博士は答えず、どうぞ、とばかリに無言で頸を傾ける。促されたのだと察したカイトは、他人事のような気安さで半生を語り始めた。
「オレは出来損ないの失敗作なんだって」
「……酷いね。誰がそんなことを言ったんだい」
 散々ひとを傷つけている自分のことを棚に上げて、表面上の同情と問いかけを寄越す博士。カイトは特に気分を害した様子もなく、明るい調子で答えを編む。
「創造られた時にそう言われた」
「ふうん、生みの親に」
 正確に云うと、彼に親は居ない。
 ヤドリガミたるカイトにとって、親とは即ち「創造主」である。此の世にカタチを得た時から、青年はこう言われていたのだ。
 お前はいつか壊れる紛いモノ。不幸を撒き散らすだけの呪われたモノ――。
「だから、いらないんだってさ」
 カイトはまるで他人事のように「笑っちゃうよね」と、双眸を弛ませた。博士はそんな彼の表情を、獲物を前にした捕食者のような眼差しで見つめて居る。そんなことなど気にも留めず、青年は言葉を編み続ける。
「そっちの都合で勝手にオレを創ったくせに、いらないなんて」
「人間は皆、身勝手なものさ。けれども、君には同情するよ」
 自身へ理解を示そうとする博士へ「でも」と、カイトは頸を振って見せる。ほんの少し眉を下げて、哀しそうな顔を作りながら。
「実際、オレを愛してくれた人は……オレのせいで死んじゃった」
 博士は相槌を打つのを止め、沈黙する。掛けるべき科白を探して居るかのように。彼が何か言う前に、青年は更にことばを重ねて往く。
「オレがいなければ、あの人はまだ、笑っていられたかもしれないのにね」
 過日を懐かしむように、カイトは僅か視線を伏せた。自分すら映せない曇った鏡であろうとも、あの人の笑顔だけは今もなお鮮明に脳裏に映し出すことが出来る。きっとそれは彼にとって、僅かな救いでもある。
「こんなオレでも必要としてくれて、ずっとそばにいてくれる人。そんな人、いるんだろうか……」
 独白のように紡がれた言葉は、静かな部屋のなかで重く響いた。開け放った窓から流れ込んで来る涼しい風は、そして嫋やかに揺れるカーテンは、場違いな程に爽やかで、沈黙の気まずさを引き立てていた。

「――いないよ」

 漸く口を開いた蓋匣博士から飛び出した科白は、余りにも軽薄なものだった。青年の双眸から、不意に光が消える。ただ穏やかに弛んだ口許だけが、癖で浮かべた笑みの容を覚えていた。
「わざわざニセモノを好むものなどいないよ」
 カイトとは対照的に、蓋匣博士は真貌でそう語る。ともすれば、彼の考え方を諭すように。まさに患者へ指導する“医者”らしく。
「故に、君は誰からも必要とされない。これまでも、これからもね」
「……はは、過去も否定すんの?」
 乾いた笑いが、口から零れた。だらしなくパイプ椅子に凭れ掛かり、天上を仰ぎ見る。曇り果てたこの身が、誰からも必要とされないなんて。そんなこと、自分が一番よく知っているのだ。それなのにこの男は、わざわざ其れを指摘することで、カイトが傷付く様を見て楽しんでいる。
「君は考えを改めるべきだね。暫く“入院”していくといい」
 うっそりと微笑む蓋匣博士の手許には、薬液がたっぷりと入った注射器が握られていた。注射針の妖しい煌めきを視界の端に捉えながら、青年はぽつりと吐き棄てる。
「うるさいな――」
 大事な想い出がいつも何処か苦いのも、寂しいこころが満たされないのも、凡て自分の所為だと知っている。だからこそ余計な御託は聴きたくなくて、カイトは耳を塞いだ。幾ら曇って居ようとも、こころまでは土足で汚されたくなかった。
成功 🔵🔵🔴

シホ・エーデルワイス
◎△#2

シャーデンフロイデ…
その名は…前世の私と私の異世界同位体達を死へ至らしめた天敵にして
真の宿敵

三千世界全ての社会を営む人に遍く存在し
目立つ人を迫害し最悪死へ追い遣る悪しき感情

今の私も『預言書』で
依頼<“Memento mori”なぞ知ったことかよ>2章の
シャーデンフロイデによる死を予言されています
私は…その予言を覆したい


先生
私は学友に虐められています

何故共に過ごしてきた仲間でも
周囲と異なる意見を述べただけで
真偽を確かめようとせず
排除しようとするのでしょうか?


詳細
シャーデンフロイデは
不当な利益を得る悪人から社会を守る為に必要
つまり
君は社会にとっての悪

と正論な感じで誹謗中傷され
呼吸困難を演技


●Case : f03442
 清潔な白い部屋のなか、シャーデンフロイデの甘美なる魅力に憑かれた狂人と、ふたりきりで向かい合う。シホ・エーデルワイスにとって、『シャーデンフロイデ』というものは鬼門であった。其れは前世の彼女と、彼女の異世界同位体たちを死へ至らしめた天敵であり、真の宿敵であるが故に。
 誰かの失敗を願い、誰かの不幸を喜ぶという感情は、三千世界からは切り離せぬもの。其れは社会を営む人々に遍く存在しているのだ。そうして其の感情は何時か必ず暴走し、目立つ人を迫害するだけでなく、最悪死へと追い遣ってしまう。
 いまのシホだって、『預言書』で其の悪しき感情による「死」を予言された身。群衆たちに貼り付けにされ、串刺しにされるなんて、あの幻の一回だけで充分である。
 ――私は……その予言を覆したい。
 自身の未来を書き換える為に、シホはいま、強大なる敵と机を挟んで向かい合う。それにしても、煙たい。灰皿に棄てられた吸い殻たちはすっかり燃え尽きてしまっているが、眼前の蓋匣博士はあろうことか患者の前で煙草を吸っているのだ。エテニルピリジンの馨に咳き込みそうになった所を如何にか堪え、シホは静かに花唇を震わせる。

「先生」

 楚々とした聲が、博士を呼ぶ。
 然し悠々と煙草を吹かす彼は、ちらり、少女に一瞥を呉れたのみ。彼の反応などもはや気にせず、シホは淡々と苦悩を打ち明けて往く。尤も、其れは演技であるけれど。
「私は学友に虐められています」
「そう」
 如何にも興味なさげな、釣れない反応だ。一瞬だけ煙草から口を離した博士は、溜息のような返事を寄こしたのち、また一服。シホは碧彩の眸でそんな博士の貌をじっと見つめる傍らで、彼の興味を惹くようなことばを思案し、花唇から紡いで往く。
「何故共に過ごしてきた仲間でも、排除しようとするのでしょうか?」
「……君は何をしたんだい」
 恐らく、博士は苛められる方にこそ原因が有ると思っているのだろう。こちらが悪い前提で話している。そんな彼の偏見に反論することなく、シホは淡々と疑問を口にする。いかにも悲しそうに、長い睫を伏せながら。
「周囲と異なる意見を述べただけです。それなのに、誰もその真偽を確かめようともせず……」
 最後まで言い切れず言葉を詰まらせた所で、ちらり、博士の反応を伺う。彼と云えば何やら思案する様子で、煙草を吹かしていた。数分ほど沈黙が続いた所で、「ふう」と彼は長く息を吐く。

「君は学校という社会にとって、“悪”なのだよ」

 耳を疑うような言葉に、シホはゆっくりと瞬いた。反論が返って来ないのを良いことに、博士は畳み掛けるように言葉を編み続ける。口許を如何にも愉し気に弛ませながら、朗々と。
「異物を排除しようとする結束は、社会を守る為に必要なものだ」
「苛めを結束と仰るんですか、先生は」
 敢えて声を震わせながら、彼の意図を探る。当然ながら、博士に彼女を気遣う様子はない。何せ彼の目的は、ひとのこころを戯れに壊すことなのだから。
「不当な利益を得る悪人がいれば、社会から排除するだろう。それと同じさ」
 薄く嗤いながらそんなことを宣う博士に、対峙すべき「宿敵」の悪辣さと強大さを思い知らされる。「ひゅ」と喉の奥から吐息が漏れて、シホはあえかな掌で口許を覆い隠した。
「……君もまた、病んでいるね。鎮静剤を打ってあげよう、暫く休んで行くと良い」
 かたかたと指先が震え、はあはあと息が荒くなる。当然、此の過呼吸は演技であるけれど。いつか自分を殺めるかも知れぬ「シャーデンフロイデ」の底知れぬ闇に、こころの底から躰の芯が冷えて行くような、そんな恐ろしさを感じずには居られない。少女の頸筋にじわじわと躙り寄る注射針は、蛍光灯の明々とした光に照らされて、不気味な輝きを放っていた。
成功 🔵🔵🔴

花菱・真紀
◎2
先生、俺の姉は俺を庇って亡くなりました。
俺があいつに騙されなければ起こらなかったことです。俺が愚かで呑気でだから姉は死んだ…

『あぁ、そうだともお前が愚かだから姉は死んだのだ』

あぁ、そうやって誰かに言葉にして向けられることのなんと心地よいことか。
お前のせいじゃないって言葉なんかよりも欲しかった言葉。
別人格を作ってまで逃避した現実を本当は誰よりも望んでいた。

優しい有祈は俺を守る為に生まれた。

俺があいつのように賢しかったのなら俺があいつみたいに狡猾だっなら…あいつみたいに…紡みたいだったなら。

ごとりと心の奥で何かが動く感覚。


●Case : f06119
 カウンセリングルームとは名ばかりの、狂気に堕ちた博士の箱庭は、煙草の匂いに満ちていた。花菱・真紀は軽く咳き込みながら、蓋匣博士の向かいの席へ着く。清潔な白い部屋、棚には数多のうつくしいハーバリウム。一見すると、居心地の良さそうな空間にも思えるが。博士が燻らせる紫煙のエテニルピリジンの馨が、総てを台無しにして居た。博士はカルテに視線を落とした侭、此方を観ようともしない。
 彼の関心を惹く為には、不幸な身の上を語るほかないだろう。だとしたら、吐露すべき悩みはもう、決まっている。

「先生」

 憂鬱そうな聲が、静かな部屋のなか響き渡る。
 黒淵眼鏡の奥で潤む少年の眸と、底冷えするような冷たい博士の眸が、一瞬だけ交差して、――直ぐに逸れた。真紀は気にすることなく、裡に秘めたる苦悩を紡いで往く。
「俺の姉は俺を庇って亡くなりました」
「……どうして、そんなことに」
 煙草の煙を吐き出しながら、蓋匣博士はそんなことを問い掛ける。真紀は記憶を辿るように視線を泳がせ、その傍らで膝に乗せた拳を握り締める。僅かに震えて居るのは、今もなお消えることは無い後悔と憤りの念が蘇ったから。
「俺があいつに騙されなければ起こらなかったことです」
 あの日UDCの犠牲にされるべきだったのは、あの巧みな話術に嵌められた真紀であった。けれども、実際に犠牲に成ったのは関係のない『姉』の方。
「俺が呑気だったから姉は死んだんだ……」
 あの時もっと警戒して居れば、或いは、彼女を護れる力があれば、姉は死ななくて済んだのだろう。けれども、そうならなかった。受け止めたくない厳しい現実だけが、此処に在る。

「――そうだね」

 悔いるように俯く真紀へ、ふと肯定の言葉が降り注ぐ。
 はっと貌を上げれば、此方を冷たく見下ろす博士と目が合った。まるで咎めるような眼差しから、何故だか視線を逸らせない。
「君は“騙された”と云ったね。そんな風に愚かだから、お姉さんは犠牲になったんだろう」
 嗚呼、紫煙と共に吐き出される残酷な言葉の、なんと心地好いことか。
 本当はずっと、誰かにちゃんと責められたかったのだ。「お前のせいじゃない」なんて慰めは辛くなるだけ。博士は真紀のこころを苛むつもりで意地悪を云ったのだろうが、彼にとっては其の言葉こそ求めて居たもの。
 一度は姉が死んだことすら忘れていた。そうして『有祈』と云う別人格を作ってまで現実から逃避したのに。真紀は逃れられぬ現実を突き付けられることを、本当は誰よりも望んでいたのだ。
 ――……優しい有祈は俺を守る為に生まれた。
 そしてそんな彼を、真紀は自分のなかに縛り付けてしまった。もしも、自身があいつのように賢しかったのなら。あいつみたいに狡猾だったなら。あいつみたいに――『紡』みたいだったなら。姉は死なず、有祈も生まれることは無かったのだろう。生きていると後悔ばかりが増えて行って、苦しくて仕方が無い。
「君もまた、病んでいる。此処で治療を受けて貰うよ」
 いいね、と。念を押すように囁く蓋匣博士の手には、薬液が入った注射器が握られている。真紀はこころ此処に在らずと云った様子で、妖し気に煌めく注射針が己の腕に躙りよる様を眺めていた。
 ごとり――。
 心の奥でふと、音を立てて動いたものは何だったのだろうか。其の正体はきっと、少年だけが知っている。
成功 🔵🔵🔴

ルーシー・ブルーベル
【月光】◎2

先生は之を欠いたら死んでしまう
という人をご存じ?

ルーシーもある
欠いたらダメなもの
一族、家族の血
食べないと本当に死ぬの
当主の役割から逃れられない様
いつか神様に食べられる為
作り替えられたの

ルーシーは自由に歩いて
いきたいところで生きてはいけないの?

先生は言う

命を啜り生かして貰って
自由に生きたいなど我儘、不義理
自分のでは無い命
飼われている事に感謝して死ね

そんなの
解ってるけれど

(好きで『こう』なったんじゃない)

子供じみた反論をする代わり
ゆぇパパの手を強く握る

パパのお話
怒りで身体が沸騰しそう
胸が痛い
まやかし?ちがうわ!
わたしのパパはあなただけだよ
絶対壊させはしない

先程よりも黙するのに力を要した


朧・ユェー
【月光】2

コンプレックス?
この顔が嫌いだ

父親似ですね
いいや、ソックリそのままの顔
僕が産まれた瞬間に決まった

沢山の子供を産ませて実験する男
どれくらい生きてるのか知らない
永遠の力、永遠の若さ、永遠の命
人では無いモノでも終わりが来る事もある
だからこそ新しい器を求めた
自分のソックリな器

先生は告げる

君は誰?
誰のモノ?
朧ユェーはまやかしに過ぎない

わかってる
大事な物を壊し俺が壊れるのを待っている

小さな手を握る
前を向きでも震えている手
この子はどんな風に今まで生きていたのだろうか
こんな小さな身体で生きる為に
嗚呼、この子を死なせはしない
大丈夫、大丈夫だと小さく呟いて


●Case : f11656 & f06712
 清潔な白い壁に囲まれたカウンセリングルームは、少し煙たかった。緊張した面持ちのルーシー・ブルーベルと、彼女の保護者である朧・ユェーは、丸い机越しに蓋匣博士と向かい合う。ユェーの眸が少女の横貌を気遣わしげに、ちらりと伺ったのは、灰を汚す紫煙の残り香を案じてか。或いは、此れから『カウンセリング』に挑む彼女のこころを案じてか。
 保護者同伴である為か、蓋匣博士も今回ばかりは大人しい。彼はカルテに向き合いながら、ふたりの情報を検めている。余り心地よく無い沈黙のなか、最初に口を開いたのはルーシーであった。

「先生」

 鈴音の如き可憐な聲が、煙たい空気を震わせる。
 蓋匣博士はカルテから貌を上げ、眼帯に彩られた少女のかんばせをまじまじと見つめた。獲物を睨む捕食者の如き冷たい眸に、背筋がぞくりと震える。其れでも気丈に背を正したルーシーは、かくりとあどけない調子で頸を傾けた。
「先生は“之を欠いたら死んでしまう”という人をご存じ?」
「それは、概念の噺?」
 そう問い返す博士に、もっと直接的な噺だと、少女はゆるりと頸を振る。蛍光灯に照らされて煌めくツインテールが、ふわり、跳ねるように揺れた。蒼い隻眼でじっと彼を見つめ、彼女は静かに花唇を震わせる。
「ルーシーはある」
 其れは一族――家族の“血”である。其れを欠いたら最期、彼女の生きる術は断たれてしまう。吸血鬼のようで忌まわしいけれど。
「それを食べないと、本当に死ぬの」
「……珍しい体質なんだね」
 彼女のことばを肯定も否定もせず、博士はただ淡々と相槌を打つ。UDCアースは、吸血鬼や神と云った存在と縁遠い現代社会である。彼が半信半疑なのも無理は無いだろう。けれども実際、ルーシーは一族に縛られているのだ。物理的にも、精神的にも。
 彼女が家族の血なしに生きれぬのは、当主の役割から逃さぬ為。そして、其処までして彼女を一族に縛り付けておくのは、いつか『神様』に食べさせる為。
 憂き世に生まれ落ちて以来、そう作り替えられた存在。それがルーシー・ブルーベルの真である。
「だから、お家から離れられないの」
「……君は独り立ちをしたいのかい」
 少女は肯定も否定もせず、ただ真直ぐな眸で博士の冷たい貌を射抜いた。そうしてずっと裡に抱いていた純粋な疑問を、花唇からぽつりと零す。
「ルーシーは自由に歩いて、いきたいところで生きてはいけないの?」
 一族の為、家族の為なんかじゃ無くて、自分の為に生きてみたい。もっと普通の女の子になって、好きな時に好きな所へ行ってみたい。

「それは、我儘だよ」

 然し博士の口から返された答えは、非情な現実を突きつけるようなもの。ルーシーは膝の上に置いたあえかな掌で、スカートをぎゅっと握り締める。
「その嫌いな家族に生かして貰っているんだろう、君は」
 そう、彼らの血を啜ることでルーシーは生き延びてきたのだ。だからこそ、大事なひとや友人たちと縁を結べたし、得難い絆や想いでを作ることが出来た。それは、他ならぬ事実。少女も其れを分かって居るから、反論は紡げない。
「それなのに自由に生きたいなんて、不義理にも程があるよ」
 彼女が言い返せないのを良いことに、博士はつらつらと正論を重ねて往く。逃げ場を与えぬ正論は時に暴力にもなるのだと、ルーシーはこころの隅でぼんやり悟った。
「君の命は、君自身のものでは無い。ただ飼われている事に感謝して死ねばいい」
 保護者の前であるからだろうか、表情だけは真剣に、まるで諭すような口ぶりでそう宣う蓋匣博士。されど、其の幼い躰に業と深い事情を抱くルーシーは、彼の説教に納得できるわけがない。
 ――好きで『こう』なったんじゃない!
 喉に聲が張り付いて、何の音も溢せない。子供じみた反論を胸中で叫びながら、ぎゅっと、机の下でユェーの手を強く握った。精神的に追い詰められたルーシーを見かねて、ユェーも口を開く。今度は、自身がカウンセリングを受ける番だ。

「先生」

 憂鬱を孕んだ聲が、静かに反響した。
「僕はこの顔が嫌いなんです」
「……整っているように想いますが」
 容姿をコンプレックスに受診する患者は多い。されど眼前の青年は人並み外れた美しい容姿をしていたから、博士は不思議そうに頸を傾けた。青年はゆるりと頸を振って、苦悩を吐き出して往く。それは、生まれ落ちたその時から背負った業。
「父親似――いいや、ソックリそのままの顔なんです」
「嗚呼、成る程ね。お父様は、御嫌いですか」
 理由を伝えた途端、博士が納得したような貌をする。カルテに文字を刻むボールペンの乾いた音色を聴き流しながら、ユェーは重々しげに首肯して見せた。
「彼は女性に沢山の子供を産ませていました。一体何人の兄妹が、無事に大人に成れたのやら……」
 そう不穏を滲ませるユェーの半生に、博士の眸が煌めいた。無事に彼の関心を惹き付けられたようである。実際、青年の半生は数奇に満ちていた。
 ユェーの父は、生まれた子どもで人体実験を繰り返す男であった。
 そうまでして彼が求めて居たのは、在り来りなものばかり。永遠の力、永遠の若さ、永遠の命――。
 ひとならざるモノでも、終わりが来ることもある。故にこそ、彼の父は新しい器を求めたのだ。自分にソックリな器を。
「僕は初めから父の“器”として生を受けたんです」
 お蔭で父から棄てられた母には、狂愛を向けられる始末。此の貌に生まれついて良かったことなんて、きっと無かった。

「ならば、朧ユェーという存在は『まやかし』に過ぎない」

 彼の苦悩に耳を傾けた博士は暫く間を置いたのち、そんなことを宣った。想わぬ科白にユェーは眸を瞠り、ルーシーの愛らしい頬に、かぁっと朱彩が差す。自身のことは幾ら悪く言われても耐えられる。けれど、父と慕う彼を侮辱されることは赦せなかった。
 ――ちがうわ!
 思わず唇から零れ落ちそうになった叫びを、ぐっと呑み込んで堪える。き、と博士を隻眼で睨めつけるけれど、彼の方は何処吹く風だ。椅子に悠然と凭れながらも、至極穏やかな調子でユェーのこころを苛む言葉をまたひとつ、紡いで往く。
「さて、そうなると『君』は誰だろうね」
 果たして自身の躰は、誰のモノなのか――。
 その疑問に思いを馳せたのは、今日が初めてでは無かった。けれども、面と向かって言葉にされると、改めてこころが重くなる。
 此れが、博士の狙いであることは分かって居る。彼はユェーのアイデンティティを傷つけ、彼のこころを壊そうとしているのだ。
 余り喜ばせるようなことはしたくないが、博士のことばに“動揺してみせる"のが今回の任務の趣旨。
 だからこそユェーは力なく俯いて、肩を震わせる。或いは本当に、震えて居たのかも知れない。「パパ」と小聲で囁くルーシーのあえかな掌が、自身の掌をぎゅっと握り締めてくれたから。
「……わたしのパパは、あなただけだよ」
 彼の眸を見つめながらそう語る彼女の手を、そっと握り返す。ルーシーだって、先程の遣り取りできっと傷付いた筈だ。それなのに、此の小さな掌で彼女は自身を支えようとしてくれている。
 ――この子はどんな風に、今まで生きていたのだろうか。
 憂き世を生きぬく為、この小さな躰で何をして来たのだろうか。彼女が歩んで来た苦難に思いを馳せるほど、少女を護りたいと云う想いが強く成って行く。嗚呼、この子のことは絶対に。
 ――死なせはしない。
 喩え此の先に何が待って居ても、其の身を縛るもの総てを棄てて彼女が外の世界へ旅立ったとしても。きっと大丈夫だと伝えるように、彼もまた繋ぐ掌に力を籠めた。
「パパは“まやかし”なんかじゃない!」
 結ぶ手の温もりに力を与えられたように、ルーシーが口を開く。喩え彼が生まれた理由が、誰かの器に成る為であったとしても。ユェーと共に過ごしたかけがえのない時間は、夢幻なんかじゃ無かった。今も伝わる此の温もりが、それを証明してくれている。
 蓋匣博士は自身を睨め付けてくるルーシーを、楽し気に見下ろして居た。口を引き結ぶ気丈な子も悪くは無いが、反抗する子のこころを折る方が彼は好きなのである。
「君たちもまた、病んでいる。大丈夫、すぐに“治療”をしてあげよう」
 注射器を片手に椅子から立ち上がる博士の姿を見つめながら、ふたりは繋ぐ掌に、ぎゅっと力を籠め直した。
 ふたりならきっと、大丈夫――。
成功 🔵🔵🔵🔵🔴🔴

岩元・雫
【偃月】
◎1

――おれはさ
正直、此の国の医者に相談する事なんて無いんだよね
被害者に許りカウンセリングを強いる様な、此様な国

でも今、其様なのは如何だって良いの
や、良くは無いのかも知れないけれど
もっと大事な事が在る

ねえまどか
聲すらも、今は掛けて遣れないあんた
そっと背を擦るだけの意味は、伝わるかな

おれ達は、此処に居るよ
あんたが何を想って居ても


彼女を庇う様に問い掛ける
先生、おれの話も聞いて下さいな
嘗て――生前の、『俺』の噺を、訥々と
其れを一番否定して居るのはおれだから、今更、何を否定されても構わないと
然う、思って

なのに、返って来るのは肯定の音
嗚呼――本当に、上手なのね
『壊し方』を、解ってる


百鳥・円
【偃月】
◎2

蓋匣せんせい、わたしね
欠片(じぶん)に執着が無かったんです
わたしは――わたしたちは
本体(おかあさま)から分かたれたもの

百分の一
元を正せば一つだから
何時消えてしまっても構わなかった
だから“大切”を作らないようにしていた

しずくくん
これが、わたしたちなんです

おかしな話でしょう?
そんな部品が生きたいと望んでしまいました
本来ならばあってはならないのでしょうね

理解しているのだろう、と
その生命は“君”のものでは無いのだと
突き刺すような言葉に自嘲の笑みが浮かぶ

理解っています
それが……ほんとうならば、正しいかたちだと

重く低く響く声に、透き通る声が重なる
“裏切るの? おねえさま”

妹たちの声が脳裏に響く


●Case : f31282 & f10932
 カウンセリングルームの清潔な「白」は、自棄に無機質だ。蓋匣博士が燻らせる紫煙は、鎖された箱庭の空気を悪戯に汚していた。
 百鳥・円はかんばせに何の感情も浮かべずに、岩元・雫は不快そうに眉を顰めながらパイプ椅子に着席していた。
 漂って来る紫煙をゆびさきで払いながら、雫は溜息をひとつ。正直、此の国の医者に相談することなんて何も無い。少年は加害者ばかりが庇われる此の国の在り方に、不信を抱いているのだ。
 とはいえ、此れも仕事である。転送された以上は、形だけでもカウンセリングを受けてやらなければなるまい。それに、今は其様なこと如何だって良いのだ。もっと、大事なことが在るのだから。ちら、と横目で隣に座る円を見遣る。彼女は相変わらず、表情のない貌で凛と前を向いて居た。

「蓋匣せんせい」

 少女の鈴音が、静寂を引き裂くようにまろぶ。
 煙草を吹かす博士の冷たい眼差しが、彼女の色違いの眸とかちあった。期待できない返事なんて待たず、円は言葉を重ねて往く。
「わたしね、欠片(じぶん)に執着が無かったんです」
「……どうして?」
 博士は特にこころ動かされぬ様子で、淡々と理由を問い掛ける。其れに答える円もまた、淡々としていた。
「わたしは――わたしたちは、本体(おかあさま)から分かたれたものですから」
「どうやら君は、独特な価値観を持っているようだね」
 肯定も否定もせず、ただ静かに相槌を打つ蓋匣博士。其の傍らで、まるで値踏みするような眼差しを円へ注いでいる。
 博士は其れを『例え話』のように認識していたけれど、勿論、円にとっては比喩に非ず。実際、彼女は砕けた“こころ”の百分の一つなのだから。
「元を正せば一つだから、何時消えてしまっても構わなかった」
 そもそも、本体のこころが砕けなければ彼女と云う『個』は生まれなかったし、意識を持つことも無かった。生まれる筈の命ではなかったのだから、どうせ消えた所で元の状態に戻るだけ。ゆえにこそ、生への執着など湧く筈も無く――。
「だから“大切”を作らないようにしていた」
 もしもそんな物を作ったら最後、きっと情が湧いて仕舞う。いつ消えても可笑しくない命なら、悲しむ者は少ない方が良い。その方が、円だって寂しく無いから。
「――これが、わたしたちなんです」
 静かな聲でそう語りながら、円は色違いの眸で少年を見遣る。空虚な自身のこころの片鱗に触れた今、彼は何を想うのだろうか。変わらぬ彼の表情から視線を逸らし、少女は再び博士を見据えた。
「そんな“部品”が、生きたいと、そう望んでしまいました」
 淡々と、けれども噛み締めるように一言ずつ、『円』自身が抱く想いを口にして往く。「おかしな話でしょう」と頸を傾ける彼女のかんばせには、僅か惑うような彩が滲んで居た。
「本来ならば、あってはならないことなのでしょうね」
 きっと其れは、赦されないことだ。ただの欠片が、本体をさしおいて、続く生を願うことなんて――。

「……そうだね」

 果たして、蓋匣博士から返って来たのは、冷たい同意の言葉だった。円は花唇を引き結び、続く冷淡な科白へ耳を傾ける。
「君は疾うに理解しているのだろう。その生命は“君”のものでは無いのだと」
 こころの柔らかな部分を的確に貫くような言葉に、ふ、と。少女は自嘲するような笑みを浮かべた。彼が振り翳す其れが正論であることなど、理解っている。
 本体から分かたれた、ただの一欠片など――こんな命など、矢張り祝福されないのだということも。それが、ほんとうならば、正しいかたちであるということも。
 重々しく響く博士の聲に、聞き覚えのある鈴音が重なった。透き通る其れは、脳裏にからころと反響して、博士の言葉以上に円のこころを苛んで往く。
『裏切るの、おねえさま――』
 そんな妹たちの聲が鼓膜にこびり付き、獣の耳を想わず塞いだ。あえかに震える彼女の背を、少年の掌が労わるようにそうっと撫ぜる。
 ――ねえ、まどか。
 いまは聲すら、掛けて遣れないけれど。斯うして隣で寄り添う意味は、伝わるだろうか。円が何を想って居ようとも、関係ない。
 ――おれ達は、此処に居るよ。
 そんな科白は聲には出さず、ただ胸中でぽつりと溢して。雫は醒めた眼差しで、彼女を楽し気に眺め遣る蓋匣博士と向かい合う。

「先生」

 少女を庇うような、凛とした聲が響いた。
 蓋匣博士は円から視線を逸らし、少年のうつくしいかんばせへと視線を注ぐ。意を決したように、雫は唇を震わせた。
「おれの話も聞いて下さいな」
「……なんだね」
 淡々とした聲に促されて訥々と語るのは、嘗て――生前の、『静久』の噺。地上では終ぞ上手く呼吸が出来なかった彼が、終生抱いていた苦悩の噺。
 今でこそセイレーンのような尾鰭を持つ彼だけれど、元はただのニンゲンだった。軈て帰り道から逸れた彼は海を越え、このような容に成って仕舞ったのだけれど。
 そう、静久は自らの意思で海に還り、底で息絶え、雫に成った。
 静久の魂と分かたれて、遺された骸の継ぎ接ぎと成った自分を、一番否定して居るのは雫自身。だから今更、何を否定されても構わない――然う、思っていたのに。
「大変だったね。君は、なにも悪く無いよ」
 蓋匣博士は打って変わって、酷く優しい聲彩で彼のことを庇う。端正な貌に、いっそ慈愛の彩すら浮かべてみせながら。そんな彼を仰ぐ雫は「嗚呼」と、憂う様に溜息を吐いた。こころが、絶望の彩に染まって往く。
 ――本当に、上手なのね
 彼が雫を庇ったのは、優しさからではない。その方が、少年が傷付くと悟ってそうして見せたのだ。蓋匣博士は思春期のこころの『壊し方』を、ようく解っていた。
「嗚呼、君たちは病んでいる」
 ゆえに治療が必要だ、と。たいそう楽し気に笑う博士の聲を、少年と少女は何処か遠い心地で聴いて居た。妖しく光る注射針の煌めきが、ふたりの白肌に迫る――。
成功 🔵🔵🔵🔵🔴🔴

百目鬼・那由多
2◎

これはまた随分なご趣味で
ま、良いでしょう
彼の望み通りの無垢な駒鳥を演じて差し上げますよ
気弱な少年という体で問診票には虚偽の記載を
ふふ、僕の容姿は大抵の方には幼く映るようですので

小さく挨拶し悩みを吐露
僕の家は父の都合で転校が多かったんです
内気な僕はうまく友人を作れず酷い嫌がらせを受けた事もありました
そのうち他人がとても恐ろしくなってしまって…!
先生どうか助けて下さいと縋るように
(返答は欠陥品、もう君は壊れてしまっているんだよ等)
そんな…それじゃあ僕はどうしたら…!
肩を震わせながら涙を零す

なぁんて全て嘘ですけど
そう。真実なんて一つもないはずなのに
…欠陥、壊れている、ですか

嗚呼、本当に反吐が出る


●Case : f11056
 カウンセリングルームに、紫煙の馨が立ち込める。此の箱庭の支配者たる蓋匣博士は、未成年の前でだけ煙草を吹かすようだ。恐らく、威圧感を演出する為に。ということはつまり、百目鬼・那由多はどうやら博士の目には「少年」に視えているらしい。問診票に嘘の記載を連ねた甲斐もあった。他人にとって此の身は、実年齢よりも幾何か幼く見えるようなのだ。此処で活かさぬ術はない。
 蓋匣博士といえば、彼が入室したきり只管に煙草を吹かしている。灰皿にはかなりの数の吸い殻が散らばっていた。ヘビースモーカーも極まれり、というべきか。そんなことを思考して居れば「ふ」と、彼が紫煙を肺から零す。空気に滲むエテニルピリジンの馨に、那由多は「けほ」と軽く咽る。今のは絶対に、態とだ。
 ――また随分なご趣味で……。
 話の通り、蓋匣博士は悪戯にひとを害すことが好きらしい。思わず呆れかけるものの、直ぐに己の『設定』を想いだし、那由多は儚げに背を丸めた。
 ――……ま、良いでしょう。
 今ばかりは彼の望み通り、『無垢な駒鳥』を演じてあげよう。羅刹の青年は背を丸めた儘、ぽつり、唇から音を編む。

「先生」

 震える聲が、紫煙に溶けて往く。
 蓋匣博士の冷たい眸が、ぎろり、と青年のかんばせに一瞥を呉れた。那由多は如何にも気弱そうに、びくりと肩を跳ねさせる。
「こ、こんにちは。あの、僕、悩みがあって……」
「……言って御覧」
 気のない素振りでは有るが、どうやら話だけは聴く心算があるらしい。青年は促される侭、裡に抱く悩みを語り始めた。
「僕の家は、父の都合で転校が多かったんです。内気な僕はうまく友人を作れず、酷い嫌がらせを受けた事もありました」
「嗚呼、君のように内気だと、新しい環境に馴染むのは難しいだろうね」
 彼のおどおどした振舞をみた博士は、さもありなんと首肯して、カルテにつらつらとボールペンを走らせて往く。
「そのうち他人がとても恐ろしくなってしまって……!」
 焦燥感を煽るような音に背を押され、那由多は机に突っ伏し頭を抱えた。そうして、縋るような眸で此の箱庭の支配者を仰ぐ。
「先生、どうか助けて下さい」
 博士の嗜虐心を擽るように、鬼灯彩の眸を涙で潤ませ、聲まで震わせて。完璧な演技を披露した青年は、紫煙を味わう博士の返答をただ待ち兼ねる。

「――君は、欠陥品だ」

 白い煙と共に吐き出された科白は、余りにも冷たいものだった。凡そ医者の口から出て来るべきではない言葉に、那由多は瞠目して見せる。
「その、おどおどとした態度……もう既に、君は壊れてしまっているんだよ」
「そんな……」
 まるで出来の悪い子供を諭すように、優しい聲彩で残酷な言葉を告げる博士。青年は絶望の表情を愛らしいかんばせに浮かべ、わなわなと肩を震わせる。はらり、彼の白い頰にふと、透明な雫が伝った。
「それじゃあ僕は、どうしたら……!」
 一度溢れた雫は止められず、止め処なく彼の頬を濡らして行く。取り乱すように白い髪を振り乱せば、涙がほろりと宙を舞い、ぽたりと机に零れ落ちた。其れを僅かに冷めた眼差しで見降ろしながら、那由多は内心で舌を出す。
 ――なぁんて、全て嘘ですよ。
 そう、彼が博士に語った身の上噺は総て嘘八百。真実なんて只の一つもない、筈なのに。こころに罅を入れられたような、落ち着かない心地になるのは何故だろう。
 ――……欠陥品、壊れている、ですか。
 博士から言われた言葉が脳裏から離れず、青年は自然と頭を抱える。どうしようもなく、不快だ。そんな彼の肩に、蓋匣博士の大きな掌が優しく振れた。
「大丈夫、私が君を治療してあげよう。さあ、これで落ち着いて――」
 ふと視界の端に映ったのは、口端を楽し気に弛ませた博士の姿と、注射針の無機質な煌めきだった。こんな壊れた男に、凪いだこころを乱されたなんて。
 嗚呼、本当に反吐が出る。
成功 🔵🔵🔴

ニトロ・カルヴァディアス
◎1

他人に話をしたところで何か変わるとは思えないんだけど
…馬鹿だね

ねえ。…先生、花を見て綺麗だと思う?
音楽を聴いて心が弾んだ事がある?
人は皆言うよ。芸術は美しいって
それに人は感情が昂ると涙ってやつが流れるんだってさ
俺にはそれがない
花なんかどれも同じにしか見えない
種類があるとは思えない
音楽はノイズにしか聴こえない
頭が割れるように響いて気が狂いそうになる
感動なんてそんなもの無縁だ
これってさぁ、俺がおかしいの
ねえ、教えてよ

そんなのは嘘だ
『父さん』そう言いかけたものは声にならなくて
…博士。俺を造った人の優しさも全部嘘だった
だったらそんな言葉いらない欲しくない
だって本物以外は無価値なんだからさぁ…!


●Case : f27205
 カウンセリングルームとは本来、悩めるひとのこころを癒し、迷えるひとを導く健全な場所なのだと云う。けれども、ニトロ・カルヴァディアスには、何がどうしてそうなるのかが分からない。
 ――他人に話をしたところで、何か変わるとは思えないんだけど。
 馬鹿だね、と。抱いた感想は内心にて、人知れず零す。それで救われる人は、決して少なくはない。けれども、ニトロには誰かにこころを打ち明けるような、自ら進んで無防備になるひとの気持ちが分からなかった。
 机を挟んで向かい合う蓋匣博士といえば、ニトロが未成年であることを良いことに、煙草を悠然と吹かしている。其の様にも特にこころ動かされることなく、少年は光のない眸で博士を観た。

「……先生」

 沈んだ聲が、静かに響く。
 博士はちらりとニトロへ一瞥を呉れ、彼の口が二の句を告ぐ時を待ち兼ねていた。少年は淡々と彼に向けて問いを編んで往く。
「ねえ、花を見て綺麗だと思う? 音楽を聴いて心が弾んだ事は?」
「……花は好きだよ、ハーバリウムが私の趣味だ。音楽も人並みに楽しめるが」
 それが何か、とでも言いたげな博士の眼差しを受けて。ニトロは矢張り淡々と、問い掛けの意図を語って往く。
「人は皆言うよ、『芸術は美しい』って。それに人は、感情が昂ると涙ってやつが流れるんだってさ」
「実際、芸術は美しいと思うよ。それに感情と生理反応は連動しているからね、何も可笑しいことじゃ無いが」
 長い髪を揺らして頸を傾ける博士、彼には少年の意図するところが掴めていないらしい。ニトロは暫し沈黙し、軈て重々し気に口を開いた。
「――俺には、それがない」
 少年の病的に白いかんばせに、影が差す。光のない紫の眸は、じぃ、と博士の貌を見つめて居た。まるで、幼い子どものように。
「花なんかどれも同じにしか見えない。種類があるとは思えない」
「あそこに並んでいる、ハーバリウムの花を観ても?」
 博士が指さす方へとニトロは視線を向ける。棚に整然と並べられたハーバリウムたちは、確かに色とりどりの花を秘めていたけれど。彼には違いが分からない。博士の問いに首肯した後、ニトロは更に思いの丈を打ち明けて往く。
「音楽はノイズにしか聴こえない。頭が割れるように響いて、気が狂いそうになる」
「まあ、体調によってはそういう時もあるけどね」
 カルテに彼の病状を記しながら、そう相槌を打つ蓋匣博士。そのペン先の軽やかな動きを視線で追い掛けながら、少年は最後にこう付け加えた。
「感動なんて、そんなものには無縁だ」
 博士の冷たい眸が、ゆっくりと瞬く。何処か醒めた調子の少年に、シンパシーを感じたのか。或いは、そんな彼を壊す方法を考えているのか。
「これってさぁ、俺がおかしいの」
 ねえ、教えてよ――。博士の意図など気にも留めず、強請るようにそう紡ぐ。博士が煙草へ口吻ければ、暫しの沈黙が拡がった。

「正常だよ、君は」

 軈て紫煙と共に零された科白は、存外に穏当なもの。博士は少年の眸を見返しながら、ひどく優しい聲彩で言葉を重ねて往く。
「芸術を厭う気性もまた、君の個性だ。その感性を大切にすると良い」
 先ほどまで醒めていた筈の双眸には、慈しむような彩さえ浮かんで居る。それを見た刹那、ニトロのこころはぐらりと揺れた。
「……嘘だ」
 ぽつり、唇から否定の言葉が漏れる。実際、彼は嘘を吐いているのだろう。けれども、彼のこころを揺らすのは眼前の男の欺瞞に衝撃を受けたからではない。

 『父さん』

 そう言いかけた言葉は、終ぞ音には成らなかった。
 優しい言葉を掛けられると、如何しても“博士”のことを想いだして仕舞う。博士――彼を造った人の優しさだって、全部嘘だったから。
「そんな言葉いらない、欲しくない」
 ぞっとする程に整った真貌で、ぽつりと拒絶の言葉を吐く。優しくされた所で、嬉しくも何ともない。だって、
「本物以外は全部、無価値なんだからさぁ……!」
 湧き上がる苛立ちの儘、ニトロはダンッと机を拳で叩いた。机上に置かれた灰皿が、からからと音を立てて灰を溢す。薄い唇の震えは、何時まで経っても止まらない。
「……君も、病んでいるようだね。少し、落ち着きなさい」
 諭すような聲と共に、注射器を取り出す博士。その鋭い先端が自身の細い腕に躙り寄る様を、少年は醒めた眸で見つめて居た。
 幾ら思いを吐露しようと、やっぱり何も、変わらない。
成功 🔵🔵🔴

四王天・燦
◎2

快感に溺れた薬物中毒者みたいだ
悩みを整理する機会、ついでに遊んでやるよ

相談です
恋人に他の人を差し置いて、もっとアタシに構って欲しいと思っている
この酷い独占欲にどう向き合えば分からないんだ

玩具のように思っているだの言われて狼狽、殺して己の物にしろと言われると憤慨するぜ
演技だけど、前者はちと黒歴史を思い出し背中で苦笑いさ

何故好きなのかを問われると窮してみる
『アタシが不完全だから補助が欲しいだけ』なんて言われたら激怒…内心で褒めつつね、ああ正解だ
互いにないものがあるから支え合えるんだ

好きに偽りなし
独占欲も好きの証左として受け入れて律しよう

心の再確認のお礼だ
筋書き通り薬を投与されてやる
にがーい!?


●Case : f04448
 真白な壁に包まれたカウンセリングルームは白く、表面上は清潔な印象を感じさせる。されど、其処に立ち込める空気は重く、聊か煙たかった。机上に置かれた灰皿と、其処に散らばる吸い殻に、四王天・燦は人知れず眉を顰める。話に聞いていた通り、彼は碌な医者では無いらしい。
 ――……快感に溺れた、薬物中毒者みたいだ。
 ひとの脳は、誹謗中傷を行うことで快楽を感じるように出来ていると云う言説もある。シャーデンフロイデに仄暗い喜びを見出した男に内心呆れながら、燦は改めて眼前に座る蓋匣博士へと向き直った。土足でこころの裡に踏み入られるのは気に入らないが、悩みを整理する良い機会でもある。仕事のついでに遊んでやろう。

「先生」

 凛とした聲が、静寂の部屋に響き渡る。
 蓋匣博士の冷たい眸が、燦のかんばせを凝視した。観察するような視線を諸共せず、娘は悩みを打ち明けて往く。
「恋人のことで相談です」
「……というと?」
 カルテにボールペンの先端をコツコツと打ち付けながら、続きを促す蓋匣博士。その神経質な調べを聴き流しながら、燦は僅か視線を伏せ、こころの裡に眠る昏い感情を曝け出す。
「他の人を差し置いて、もっとアタシに構って欲しいと思ってる。この酷い独占欲にどう向き合えばいいか、自分でも分からないんだ」
 其処まで語って見せたなら、はあ、と重たげな溜息ひとつ。果たして、博士はどんな回答を寄越してくれるのだろうか。張りつめたような空気が、部屋のなかに暫し流れた。

「君にとって恋人は、『玩具』なんだろう」

 どくり、と不覚にも心臓が跳ねた。いまの彼女はそうでないけれど、そういう『黒歴史』と無縁な訳でもない。
「そ、んなこと……」
 とんだ藪蛇だ、なんて。内心で苦く笑いながらも瞠目し、狼狽したように視線を泳がせる燦。彼女の演技に気をよくしたのか、博士は更に冷えた聲で非情な言葉を紡いで往く。
「そもそも、そんなに独占したいなら。監禁なり殺すなりして、傍に置いておけば良い噺だ」
「なっ……そんなこと出来るわけ無いだろ!」
 憤慨したようにバン、と机を叩く。衝撃で灰皿が揺れ、灰が少し机上に零れた。博士は其れを咎めることもせず、軽く頸を傾けながら彼女に向けて問いを編む。
「君はどうして、その人のことが好きなんだね」
「それは……」
 じぃ、と観察するような眼差しで射抜かれて、答えに窮する燦。勿論、好きな所は山ほどあるけれど。この流れなら、沈黙するのが自然だろう。
「当ててあげようか」
 ふ、と蓋匣博士が徐に唇を弛ませる。そうして、優しい聲彩で囁くのは、ある意味で確信を突いたような科白。
「不完全な自分を補助してくれる存在が欲しいだけだよ、君は」
「……ッ!」
 その刹那、燦は椅子を蹴って乱暴に立ち上がる。博士の胸ぐらを思い切り掴めば、怒りの籠った眸で其の冷たい貌を射抜く。傍から見ると、自身の恋心を否定されて激怒している娘のように見えるだろう。されど、燦は内心で舌を巻いて居た。
 ――ああ、正解だ。
 ふたりが支え合えるのは、互いにないものを持って居るからこそ。欠けたところを補い合うことは、別に悪いことでは無い。少年たちを的確に傷つけて来ただけあって、博士のプロファイリングの腕は本物らしい。
 他人からどういわれようと、彼女を「好き」だと思う気持ちには偽りなど無い。この『独占欲』すらも好意の証左であると肝に銘じ、自分の一部だと受け入れて律するとしよう。昏い感情に支配されれば最後、眼前の博士のように成り兼ねぬ。
「君は病んでいる、入院と治療が必要だね。さあ、鎮静剤を打ってあげよう」
 彼女の拳を振り解き、その腕へと注射器を添わせる蓋匣博士。組み敷くのは容易いが、燦は抵抗せずに鋭い針を受け入れた。ちくり、鋭い痛みが走る。
 ――心を再確認させてくれたお礼だ。
 筋書き通り、捕えられてやろう。血液のなかに溶け、口の中にせり上がって来る薬液の苦さを堪えながら、燦は密やかに口端を吊り上げた。
成功 🔵🔵🔴

アウレリア・ウィスタリア
◎#2

ボクの話を聞いてくれますか?
ボク、私は幼い頃に虐待を受けていました
地下室に閉じ込められていました
身体中が傷だらけでした

だから暗い場所が怖い
狭い場所が怖い
大人が怖い

先生、私は恐怖を克服したい
出来ますか?

仮面を着けているのは何故か?
人と向き合って話すのが嫌だから

虐待を受けたのは何故か?
彼らにとって私が悪魔だったから

抵抗しなかったのは何故か?
そんな勇気が私にはなかったから

助けを求めなかったのは何故か?
絶望に染まった心ではそんな希望を持てなかったから

『恐怖に打ち勝つことはできない』
『部屋の隅に縮こまり恐怖に怯えているのかお似合いだ』

えぇ、私はそうして生きていた
だからボクが生まれた
私を守るために


●Case : f00068
 整然とした真白な部屋のなかで、幾つもの吸い殻が散らばる灰皿は、何とも言えない異彩を放っていた。アウレリア・ウィスタリアは、丸い机を挟んで対峙する蓋匣博士が燻らせる紫煙を、仮面越しに茫と眺めている。博士の方は、一向に口を開く気はない。ならば、此方から話しかける他ないだろう。

「先生」

 静かな聲が、部屋のなかに反響する。
 博士の冷たい眸がちらり、少女の貌を盗み見た。彼の気のない素振りを観ても淡々と、アウレリアは言葉を編んで往く。
「ボクの話を聞いてくれますか?」
「……なにかな」
 紫煙と共に吐き出された言葉に促され、少女は静かに其の半生を語り始めた。ボク、と口を開き掛け、そうじゃなかったと小さく頸を振る。
「私は、幼い頃に虐待を受けていました」
 博士の眸に僅か、興味の彩が燈る。仮面越しに其れを感じ取りながら、アウレリアは淡々とした調子で言葉を重ねて往く。
「地下室に閉じ込められていて、身体中が傷だらけでした」
 だから、彼女は暗い場所が怖い。狭い場所だって恐ろしい。なにより、自分を閉じ込めた「大人」という存在そのものが怖い。そう訥々と語った後、アウレリアは静かな瞳で博士を見つめた。
「先生、私は恐怖を克服したい」
 出来ますか、と問いを重ねれば、博士は何やら思案する様子で沈黙する。少女は彼を急かすことなく、ただパイプ椅子に背を預けた儘、返事が紡がれる時を待っていた。
「君はどうして、仮面を着けているのかな」
「人と向き合って話すのが、嫌だから」
 代わりに問い掛けが返って来ても、アウレリアは気にせず従順に答えを寄越す。博士はそれをカルテにつらつらと書き留めて、次なる問いを編んで往く。
「虐待を受けたのは、どうして」
「……彼らにとって私は、悪魔だったから」
 総ては、背に生えた白黒の翼の所為。それが無ければ、彼女は悪魔と罵られることもなく、故郷で平和に暮らせていたのだ。迫害により刻まれた疵は尚、アウレリアのこころと躰に色濃く遺っている。
「抵抗しなかったのは何故」
「そんな勇気、私にはなかったから」
「どうして、助けを求めなかった」
「絶望に染まった心では、そんな希望を持てなかった」
 それこそ問診のような遣り取りを、淡々と交わすふたり。其処には何の感情も無い。ただ純粋な疑問と興味と、無関心が有るだけだ。カルテにボールペンを走らせる音が、無機質に響き渡る。

「――君は、恐怖に打ち勝つことはできない」

 暫くして博士の口から紡がれた結論は、余りにも冷淡なものだった。アウレリアは仮面の奥で、琥珀の眸をゆるりと瞬かせる。哀しさも悔しさも、怒りすら湧いてこない。限界まで傷付いたこころはもう、何も感じないのだ。
「部屋の隅に縮こまって、ずっと何かに怯えている方がお似合いだよ」
 嘲るような冷笑を浮かべながら、そんなことを宣う博士。すると少女は憂うように、長い睫を伏せた。改めて言われなくても、分かって居る。
 ――えぇ、私はそうして生きていた。
 自身を保つためにあらゆる苦痛を切り離したアウレリアを、博士は臆病者と嗤うのだ。その悪意を跳ね除ける気力なんて、彼女には無い。あらゆる苦難が降り注ぐ憂き世において、傷付いた彼女が“ひとり”で生きていくのは困難を極めるのだ。
 ――だから、『ボク』が生まれた。
 総ては『私』を守るため。苦難に立ち向かう勇気を、生きる気力を、いつか彼女が持てるように。
「君の心は病んでいる。私が治してあげよう、暫く入院して行くと良い」
 沈黙した少女にそう語り掛ける穏やかな聲とは裏腹に、楽し気に口許を弛ませる博士。彼の片手に握られた注射針の妖しい煌めきを、琥珀の眸は爛々と見つめて居た。
成功 🔵🔵🔴

コノハ・ライゼ
◎1

面白いじゃねぇの
高みの見物気取ってンのを引き摺り下ろせないのは残念ダケド
演じ甲斐があるってモノね

髪は暗色に染め大人しい青年を演ずる
内に秘めた悲観と諦観に心が死んだように

長い間、悩み色々な手を尽くしたつもりです
ジェンダーレスの一つと言えば良いんでしょうか
それを理解して貰える事は……難しくて
嫌悪や否定なんてのはもう当たり前で
そうでなくても心の性別がとか、同性愛がとか……違う、そうじゃないんです
私は「どちらでもない」だけなのに
型に嵌めようとしてくる善意も、隠して生きるのも辛くて
理解されなくてもただ認めてほしいだけ、なのに

ああ、心がこんなにも軽くなるなんて
もう……あの真っ暗闇に戻るのは、嫌だ


●Case : f03130
 真白なカウンセリングルームは清潔感こそあるけれど、其処に漂う空気は重く、肺を汚す煙草の残り香が自棄に鼻についた。丸い机を挟んで蓋匣博士と向かい合うコノハ・ライゼは、整った貌に神妙な表情を貼り付けながら、内心ではこころを躍らせる。
 ――面白いじゃねぇの。
 眼前で難しい貌をしている蓋匣博士は、己の言葉でひとが絶望し激昂する様を見るのが何よりの楽しみらしい。そんな男の関心を一身に受け止められるなんて、演じ甲斐があるというもの。高みの見物を気取る博士を引き摺り下ろせぬことこそ、残念ではあるけれど。
 このカウンセリングの為に紫雲に染めた髪は、夜の彩へと染め直した。華奢なコノハが纏う印象はそれだけで、何処か儚げなものへと移り変わる。
 そうして眸を伏せ、如何にも悲観したような表情を作ったならば、諦観と云う病に侵されこころを喪った、大人しい青年の出来上がり。

「先生」

 鬱々とした聲が、紫煙の馨が残る部屋のなかに反響する。
 蓋匣博士は観察するような眼差しをコノハに向けながら、彼の唇から不幸な身の上噺が語られる其の時を待ち兼ねている。
「長い間思い悩み、自分なりに色々な手を尽くしたつもりです」
「……詳しく話して御覧」
 カルテと青年の貌を交互に眺めながら、続きを促す博士。此処からが腕の見せ所である。コノハは物悲し気に俯いて、ぽつぽつと裡に秘めた苦悩を語り始めた。
「私の悩みはこの“性"にあります。ジェンダーレスの一つ、と言えば良いんでしょうか」
 博士は彼の独白を聴きながら、カルテにペンを走らせて往く。カリカリ、カリカリ。焦燥感を掻き立てるようなボールペンの乾いた音が、鼓膜を厭に刺激した。
「それを理解して貰える事は……難しくて」
 耳に残る筆音を振り払うように頭を振りながら、青年は痩せた掌で貌を覆う。喩え視界が塞がって居ても、博士の眼差しが自身に集中していることは分かった。まるで冷たい氷にちくちくと刺されているような、居心地の悪さがある。
「今時珍しくはない噺だけれどね。それで、周囲の人たちは何て」
「嫌悪や否定なんてのはもう当たり前で。そうでなくても心の性別がとか、同性愛がとか……」
 俯いた侭で訥々と言葉を落とすコノハへ、「違うのかい」と頸を傾ける蓋匣博士。青年は其の問い掛けに激しく頭を振った、こころから否定するように。
「違う、そうじゃないんです。私は『どちらでもない』だけなのに」
「どちらでもない、か。本人からしてみれば、そうなのだろうね」
 無責任な肯定もこころを苛む否定もせず、ただ淡々と相槌を打つ蓋匣博士。恐らくは、こういう告白にも慣れているのだろう。コノハは僅かに貌を上げ、縋るような眸で博士を見つめた。
「型に嵌めようとしてくる善意も、本当の自分を隠して生きるのも辛くて……。理解されなくても良いんです。ただ、」
 認めてほしいだけ、なのに――。
 喉の奥から絞り出すように、苦し気な聲を紡いで、博士の反応を待つ。カルテに病状を綴るボールペンの音は、相変わらず何処か乾いて居て、厭に鼓膜へこびり付いた。

「……君は、君だよ」

 長い沈黙の後、カルテから貌を上げた蓋匣博士は酷く優しげにそう囁いた。コノハの空彩の眸が、驚愕に丸くなる。
「今まで辛かったね、大丈夫。それもまた君の個性だと、私だけは認めてあげよう」
 ゆるりと席を立ちあがった博士は、硬質な靴音を響かせながら青年の傍へ寄り添って、まるで労わるように彼の華奢な肩へと手を乗せた。
「ああ、有難う御座います。心がこんなにも軽くなるなんて」
 コノハは整った貌に畏敬の念を浮かべて、そんな博士を仰ぎ見る。そうして、嗚咽を耐えるように口許を掌で覆いながら、ぽつりと零すのは甘えたような聲。
「もう――……あの真っ暗闇に戻るのは、嫌だ」
 勿論、其れ等は総て演技である。誤魔化すこと――嘘が得意な彼は、見事博士を騙し果せたのだ。とはいえ、「アタシ」と「オレ」が混ざり合う一人称に、ジェンダーレスな装いがよく似合う華奢な体つき。そして、爪を染める鮮やかな紅など、ニュートラルな気性を秘めているのは事実かもしれない。
 尤も彼自身は、其れを苦に想ってはいない。虚ろな彼の躰はただ、『あの人』が好きだったモノの入物に過ぎないのだ。だから誰に何と言われようと、こうして出来上がった気性を手放す気には成らないし、此の儘ずっと空っぽの躰に抱きしめて居たいと思う。この気儘な言動こそ、あの人とコノハを結ぶ『繋』だから。
「大丈夫、助けてあげるよ。暫く入院していきなさい」
 博士が青年の細い腕を掴み、白肌に浮き出る青い血管へと注射器の針を立てる。ちくり、鋭い痛みに襲われながらコノハは小さく息を吐いた。助けなんて必要ない、余計なお世話だ。
 自分は、このままでいいのに――。
成功 🔵🔵🔴

未不二・蛟羽
2◎
本当は注射も病院も嫌
でも先生、は何でも知ってるっていうから

俺は…何なんっすかね
わからない、色んなこころがまだ、わからない

知らない感情はたくさんで
考えることはできても、俺の中は空っぽのままで
きらきらで、周りも自分も一杯にしたいのに

胸のさむさが、離れない

(…多分本当は解ってて、ずっと見ない振りをしていた
だから、先生の言葉に違う以外の言い訳が出てこなくて)


簡単なこと、ここに居るのは獣だから
人の心など理解できない化け物なのだから

だって現に
これだけ酷い言葉に貫かれても獣は涙一つ流せない
それが何より人でなしである証拠

その胸の隙間を埋めるのは
同類の肉しかなかっただろう
右腕の包帯の下、【№322】を差し


●Case : f04322
 未だ紫煙の馨が立ち込める、真白なカウンセリングルーム。其処は病院らしく清潔で、故にこそ無機質でもあった。パイプ椅子に腰かける未不二・蛟羽は、居心地が悪そうに背を丸める。
 本当は、注射も病院も嫌いだ。
 けれど、『先生』という存在は何でも知っているのだと云うから。ひとつ確かめたいことがあって、此処に来たのだ。黙った侭カルテに視線を落とす博士に向き合い、青年は静かに口を開いた。

「先生」

 僅かな焦燥を孕んだ聲が、無機質な部屋のなかに響く。
 博士の冷たい眼差しが、青年の人懐こい貌を捉えた。蛇に睨まれた蛙はきっとこんな気分なのだろうなと、蛟羽は思考の隅でぼんやり思う。自身が腰から提げる蛇頭の尾は、もう少し可愛げがあるのだけれど。
「俺は……何なんっすかね」
「何、とは」
 気まずそうに問いを編めば、淡々と聞き返される。医者というのは皆こう、取っ付き難いものなのだろうか。脳裏で問いかけの意図を纏めようとするけれど、何だか落ち着かなくて、叱られた子どものように下を向く。
「――わからない」
 青年には未だ、色んなこころが、わからない。
 彼の『始まり』は唐突だった。名前以外の総てを失くして、気付けばそこに居た。此の躰には想い出なんて詰まって居なくて、その所為かひとらしい感情とも縁遠く、其の代わりに獣性が華奢な躰を突き動かしている。
「知らない感情はたくさんで、考えることはできても、俺の中は空っぽのままで」
 どうしてなのか、不思議だ。
 世界はきらきらで溢れていて、周りも自分も其の煌めきで一杯にしたいのに。大好きな其れを、彼は自分の裡に詰め込むことが出来ないのだ。其の事実に突き当たる度、こころに木枯らしが吹いたような心地に襲われる。
「胸のさむさが、離れない」
 その感情の名前を知らない彼は、下を向いたまま己の躰を抱き締めた。そんなことをした所で、こころが温まること等ないと分かって居るのに。

「簡単なことだよ、君」

 朗々と響く低い聲に、蛟羽は思わず貌を上げた。矢張り「先生」という人種は頭が良いらしい。彼が拙い響きで編んだ問いに、すぐに答えを出してくれるのだから。淡い期待に、眼鏡の奥の眸が煌めく。
「ここに居るのは獣だからさ」
 そう宣いながら博士が指で示すのは、他ならぬ蛟羽だ。青年の心臓が、どくりと跳ねた。怯えたように、息を呑む。何か言い返したいのに、上手く言葉が出て来ない。
「君はつまり、人の心など理解できない化け物なのだろう」
「違う……!」
 重ねられた追撃に、両手で貌を覆いながら青年は激しく頭を振る。なにか、他に言い返さなきゃ。けれども、言い訳が何も思いつかない。蛟羽はただ子供じみた拒絶を繰り返し、自身を護るように頭を両手で覆った。けれども博士は、其れを赦さない。
「ほら――」
 大きな掌が青年の腕をゆるりと解き、護られていたあどけない貌を顕にさせる。見開いた藍の眸、震える薄い唇、どれもこころが傷ついた者が見せる“正常”な反応だ。然しただひとつ、青年には足りないものが有る。
「これだけ酷い言葉に貫かれても、君は涙一つ流していない」
 それが何よりの証拠だよ、なんて。蛟羽を見降ろしながら博士はうっそりと哂った。そうして、耳許に貌を寄せて楽し気に謳う。
「――人でなし」
 青年の眸が、大きく見開かれる。
 もう、否定も出来なかった。本当はきっと、こころの何処かで分かって居たのだ。分かったうえで、ずっと“見ない振り”をしていた。其の事実を今、見ず知らずの男に突き付けられている。こころは分からないけれど、苦しくて息が出来ない。
「その胸の隙間を埋める為に、『それ』をしたのかい」
 博士の大人らしい骨ばったゆびさきが、青年の右腕に巻かれた包帯を指し示す。其処に秘められているのは「№322」の刻印――彼も知らぬ過去の名前。
 そう、この胸の空白を埋めるのは、同胞の肉だけ。ゆえに博士は、蛟羽を獣と呼ぶのだろう。呆然と項垂れる青年の腕を優しく掴みながら、蓋匣博士は静かに微笑む。
「君には入院が必要だ。私がちゃんと、治療してあげよう」
 本気を出せば、直ぐに振り解けた。けれども、そんな気は起きなくて、なすが儘に腕を差し出す。こころがこんなにも騒ついているのに、これがどんな感情なのか、分からない。ただ、酷く落ち着かない。揺れる藍彩の眸は、躙り寄る注射針の妖しい煌めきを、ただ茫と見つめて居た。
成功 🔵🔵🔴

スキアファール・イリャルギ
◎1

せんせい、私は
……私は生きていてもいいんでしょうか
私に生きる価値は在るのでしょうか

私は、人を狂わせ、傷つけ、殺し、欺いた化け物
それでも私は人間の形に縋り生きているんです
罪深い生き物です
噫、いえ
生き物と呼んでいいのかも分からない
悍ましい怪物だ

せんせい、せんせい――


――弱り果て泣き縋る演技を続けながら、心の中で思う
相手の言葉は薄っぺらいなと
ただ優しい声色で棘の無い言葉を選んで使ってるだけなんだ
心に寄り添う振りをして後に裏切るだけなんだ
……私を被験体にした奴らと同じ、なんだ

噫、ムカつく
おまえを"先生"なんて呼びたくもない
私の"先生"は、もっと――優しい人だ

……噫
点滴は、注射は……大嫌いだ


●Case : f23882
 カウンセリングルームは、四方清潔な白い壁に囲まれていた。其の閉塞感に研究室の息苦しさを思い起こし、スキアファール・イリャルギは憂鬱げに眸を伏せる。余り長居はしたくない場所だ。然し、丸い机越しに向かい合う蓋匣博士は、其れを赦してくれないだろう。分かって居るから、覚悟を決めるように双眸を鎖して、深く息を吸い込んだ。空気に溶け込んだ紫煙の残り馨が、厭に苦い。

「せんせい」

 陰鬱な聲が、重苦しい部屋の中に溶けて往く。
 博士の醒めたような眼差しが、青年の病的に白い貌を射抜いた。観察するように見つめられるのは、心地好く無い。まるで、被検体にでも成ったような気分になる。
「……私は、生きていてもいいんでしょうか」
 湧き上がる嫌悪感を抑えながら、スキアファールはぽつり、ぽつり。静寂に溢れる小さな世界へ問を落としてゆく。
「私に生きる価値は、在るのでしょうか」
「どうして、そう想うんだね」
 見るからに貌彩の悪い青年を前に、蓋匣博士は至極当然の疑問を口にした。彼の視線は、青年の躰を包む黒い包帯へと注目している。もしかしたら、自殺志願者だと想われただろうか。なにせ、彼は知らないのだ。何処か影のある此の青年が、其の身に怪奇を宿した『影人間』であることを――。
「私は、人を狂わせ、傷つけ、殺し、欺いた化け物です」
 博士から視線を逸らしながら、青年は懺悔するように訥々と、自身の生を肯定できない理由を紡いでゆく。此の身が既に異形の其れと化して居ることは、分かって居ても。
「それでも私は人間の形に縋り、生きているんです」
 ぐっ、と。膝に乗せた拳を強く握り締める。掌に爪が喰い込むほどに、強く。博士は慎重に言葉を選んでいるらしく、未だ何も言ってこない。ゆえに、青年の“懺悔”は尚も続く。
「私は罪深い生き物です……――噫、いえ」
 其処まで語ったところで、青年はふと頭を振った。其の身に数多の目や口、耳を宿し、影に潜んで生きて往く己はきっと。
「生き物と呼んでいいのかも分からない、悍ましい怪物だ」
 絞り出すような聲で、スキアファールはそう零す。はらり、黒い眸からふと、ひと筋の雫が落ちて頬を伝ってゆく。途端、堰を切ったように青年は啜り泣き、向かい合う彼の手をぎゅっと握り締めた。

 せんせい、せんせい――。

 まるで餌を強請る雛鳥のように、何度も博士の名を呼んで、助けてくれと追い縋る。彼の嗜虐心を、そして支配欲を擽るように。
 勿論、此れは総て演技である。
 本当のスキアファールは、己が人ならざる者――怪人であることを、ようく理解して居た。だから今更、そんなことでは悩まない。何より、彼には共に生きてくれる“ひかり"が居るのだから。

「君は、生きていて良いんだよ」

 博士の骨ばった手が、縋りつく彼の手を優しく握り返す。鼓膜を揺らす穏やかな聲に、しゃくりあげながらもスキアファールは貌を上げた。博士の口許こそ微笑んでいるが、其の眸は笑って居ない。
「大丈夫、君は“人間”だ。ちゃんと生きる権利はある」
 嗚、労わるように紡がれる甘い慰めの、何と薄っぺらいことか。其処に、彼の真心は無い。ただ優しい聲彩を作り、棘の無い――当たり障りのない言葉ばかりを撰んで、こころに寄り添ったふりをしているだけだ。
 ――どうせ、裏切るだけなんだ。
 此の身を『被験体』にした奴らと同じ、この男もまた人でなしに違いない。泥梨を身に宿した己からも軽蔑されるような、唾棄すべき大噓吐きなのだ。
「せんせい……」
「君には治療が必要だ。今日から入院して貰うよ、良いね?」
 はらはらと双眸から涙を溢しながら、従順に首肯するスキアファール。されど其の内心で青年は、博士の欺瞞に舌打ちを繰り返している。
 ――噫、ムカつく。
 本当は医者の風上にも置けないような、シャーデンフロイデに狂った此の男を“先生"なんて呼びたくもない。スキアファールの“先生"は、もっと、優しいひとだった。そんな先生と蓋匣博士を同じ土俵に並べるなんて、敬愛する先生に対する侮辱のように想えて、密やかに青年は唇を噛み締める。
「さあ、鎮静剤を打ってあげよう」
 包帯の隙間を縫うように刺された注射針が、ちくり、青年の細い腕を鋭く貫いた。怪しげな薬液が血液に溶け込んで往く様を見つめながら、青年は静かに息を吐く。
「……噫」
 厭な記憶が、ふと蘇った。
 被検体として扱われていた時、これを何本打ち込まれたことか。これからまた、自分は玩具にされるのだと察した青年は、ぎり、と奥歯を噛み締める。
 点滴は、注射は――大嫌いだ。
成功 🔵🔵🔴

ライラック・エアルオウルズ
◎2

僕はね、先生
幼い頃は病気がちで
寝台で過ごして居たから
窓の外から聞こえる声が
他の子が、羨ましかった

それもあって、ね
想像の友人が出来たとき
特別になれたと思えたんだ
でも、成長するにつれ
病弱な身体も快復して
漸く皆と足並みが揃って

そのとき、僕の『特別』は
突然『異質』と変わった

こわくて、
皆と同じでありたくて
貴方のよな先生の助言で
想像の友人を否定して
別れを告げる事にして

けれど、それから僕は
酷く虚ろになってしまった
そうだ、僕は間違えたんだ

《否、間違ってない》
《それが正常だ》
《その友は妄想に過ぎない》

そんな事を言わないでくれ
大切な友だった、なのに
間違えたんだ――ぼくは、

嗚咽で意味を成さずとも
そう、繰り返して


●Case : f01246
 清潔な白い部屋は、まるで病室を想起させる。未だ脳裏に彩濃く遺る憂鬱な記憶が、ライラック・エアルオウルズに深い溜息を吐かせた。微かに馨る紫煙の匂いが、肺にすら影を落とす。
 丸い机を挟んで向かいあう蓋匣博士は、此の箱庭の支配者に相応しい或る種の厳粛さを纏い、幻想作家の一挙一動を観察して居た。実に、居心地の悪いひと時だ。気まずそうに視線を逸らしながら、ライラックはそうっと口を開く。

「先生」

 重々しい聲が、窮屈なカウンセリングルームに響き渡った。
 蓋匣博士の冷たい眼差しが、視線を伏せる幻想作家の貌を射抜く。嗚呼、医者は苦手だ。もう子供でも無いのに威圧的な振舞に苦しくなって、何だか逃げ出したくなる。
「僕はね、幼い頃は病気がちで……」
 カリカリと、カルテに文字を綴るボールペンの音が、自棄に鼓膜にこびり付いた。焦燥感を悪戯に煽る厭な音だ。少し喉を詰まらせたライラックは、気を取り直すように首を振って、ぽつりぽつりと、苦悩を吐露してゆく。それが眼前の博士を喜ばせる為の玩具になると知りながら――。
「専ら寝台で過ごして居たから。窓の外から聞こえる声が、元気に駆け回れる他の子が、羨ましかった」
「……それはさぞ辛かったでしょうね」
 分かったような調子で、蓋匣博士はそう相槌を打ってくる。そんな彼に曖昧な微笑みを返して、幻想作家は更に半生を語り連ねる。
「そんな事情もあって、ね。想像の友人が出来たとき、『特別』になれたと思えたんだ」
「想像の友人、ですか」
 彼のことばに、いたく興味を惹かれたらしい。ペンを動かす博士のゆびが、ぴたりと静止する。冷たい眼差しには、僅かな好奇の彩が滲んで居た。ライラックは弱ったように眉を下げながら「でも」と前置きを紡ぐ。
「成長するにつれ、病弱な身体も快復して、漸く皆と足並みが揃って……」
 其処まで話した所で、「ああ」と小さく聲を漏らす蓋匣博士。専門家である彼にはきっと、先が読めたのだろう。同じようなケースは、何度も見てきた筈だから。
「そのとき、僕の『特別』は、――突然『異質』と変わった」
 そうでしょうね、と。心得たように肯く博士を横目に、幻想作家は気丈に両肘をついて、祈るかの如く指を組み合わせる。こそりと口許を隠すようにしながら紡いで往くのは、ひとつの悔悟。
「こわくて、皆と同じでありたくて……」
「それで、どうしたのですか」
 淡々とした聲が、聲を詰まらせたライラックに続きを促す。幻想作家は苦し気に、喉奥から言葉を溢れさせて往く。一言一言、噛み締めるように、ゆっくりと。
「貴方のよな先生の助言で、想像の友人を否定して、別れを告げる事にして」
「成程、今はすっかり完治したと」
 残酷な現実をさらり、彼に突き付ける蓋匣博士。何よりですと宣う博士に、幻想作家は頭を振る。良いことなんて、何も無かった。
「けれど、それから僕は、酷く虚ろになってしまった」
 幻想の友人は、いつだって傍にいてくれた。
 寝台に腰かけてふたり並んで喋って居れば、あっという間に日が暮れて。外から聴こえる子どもたちの聲なんて、もう気にならなくなってしまった。
 怖い夢を見た夜も願えばすぐに逢いに来てくれたし、毛布を被って笑い合っている内に気付けば船を漕いでしまって、ふわふわと胸が弾むような心地好い気分で朝を迎えられた。
 こんな最良の友が、果たして『現実』に存在するだろうか?
「――そうだ、僕は間違えたんだ」
 吐き出すようにそう零して、ライラックは組み合わせた手に額を寄せた。それは、数多の本が“教訓”として何度も優しく教えてくれたこと。ひとは喪って初めて、真に大切な者に気付くのだ。

「……否、間違っていない」

 残酷なまでに醒めた聲が、幻想作家の鼓膜を冷たく震わせる。
 博士の眸を見ることは、出来なかった。どんな貌をして居るのか、優に想像がついたから。
「それが正常だ。貴方も分かって居るから、手放したのだろう」
 蓋匣博士の口から飛び出すのは、残酷な正論ばかり。その正しさ故に、ライラックのこころはナイフで刺されたように傷付き、聲なき悲鳴をあげるのだ。
「その友は……イマジナリーフレンドは、都合の良い妄想に過ぎない」
「そんな事を、言わないでくれ」
 ぽつ、ぽつ。
 机上にちいさな雫が零れ落ちた。眸から溢れる其れを拭うこともせず、嗚咽交じりにライラックは頸を振る。博士が何と云おうと、それは大切な友だった。幼き日の彼の隣に、その友は確かに“居た”のだ。それなのに、他のひとには見えないというだけで、拒絶して仕舞った。
「間違えたんだ――ぼくは、」
 なんとか紡ごうとした言葉は、嗚咽に呑まれてその容を失くして行く。それでも彼は、意味をなさぬ呟きを繰り返し続けた。
「嗚呼、可哀想に。貴方は未だ、病んでいるのだ」
 震える幻想作家の肩に、蓋匣博士の掌が労わるように優しく触れる。親切そうなもの良いとは裏腹に、彼の口許はいたく愉し気に歪んで居た。
「また再発せぬように、徹底的な治療が必要だ。暫く入院してもらおう」
 構いませんね、と。上辺だけで確認を取ったのち、蓋匣博士は怪しげな薬液が入った注射器を、ライラックの頸筋へと寄せる。彼が投与した鎮静剤は時期に、此の重たい悔悟の念すらもこころの奥底に隠して仕舞うのだろう。
 虚ろに悔悟の科白を続ける彼は、涙に濡れた眸の端で、恍惚の微笑を浮かべる蓋匣薔薇博士の貌を捉えた。想像することで救われた彼のこころも知らず、ただ正論を押し付けて悦に浸っている、そんな彼の姿を。

 嗚呼、だから、医者は苦手なんだ――。
成功 🔵🔵🔴


第2章 冒険 『真夜中の冒険』

POW直感で進んでみる
SPD身軽さや器用さで効率良く進める
WIZ周囲の様子を注意して観察してみる
👑11 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●Sandplay Therapy
 怪しげな鎮静剤を投与されたのち、猟兵たちはそれぞれ病室へと案内されて行く。
 病人にされたうえ、入院を言い渡された猟兵たちの腕には、点滴が繋がれていた。白い床をガラガラと進む点滴台の走行音が、自棄に耳に障る。
 奥へ奥へと進む程、寒気が強く成って行くのは気の所為だろうか。或いは、此の怪しげな点滴の所為か。
 ぽたり、ぽたり。
 其の液体が血液に混ざって往く度に、ぼんやりとした心地になる。猟兵たちのこころは今、とても静かだ。まるで、凪いだ海のような――。

 軈て病室に辿り着いた頃には、どういう訳だか抵抗する気も無くなっていた。
 この点滴を腕から抜き去るのは、容易い。博士を痛めつけて、少年たちを開放させることだって、猟兵たちには朝飯前だ。
 されど血液に溶けて往く此の点滴が、猟兵たちから反抗の意思を奪うのだ。

 促される侭、ドアを開けて中に入る。
 そこで猟兵たちは一瞬、我が目を疑った。
 なにせ、夜が拡がって居たのだから――。

 夜彩に染められた四方の壁に、瞬く星。涯のある空の天辺では、造り物の白い満月が、ゆらゆらと心地好さげに揺れている。まるで花畑のように床で咲き乱れるのは、うつくしい蒼い薔薇の花。恐らくは造花なのだろう、甘美な芳香は感じない。
 此処もまた、ちいさな『箱庭』なのだ。
 そう察したところで、ドアが閉められた。僅かに射し込む蛍光灯の灯は消え去り、世界は黒と蒼に包まれる。

 闇に目が慣れて来た猟兵たちは軈て、部屋の隅に箱庭には似つかわしくない大きな『玩具箱』が置かれていることに気付くだろう。
 玩具箱の中では、愛らしい人形や、綺麗なオブジェ、積み木や組み立てブロック、他の花を模した造花など、箱庭を飾る為の様々な“素材”が眠っている。
 中には嘗て大切にしていたものや、想い出の品を見つけてしまった猟兵も居るかも知れない。此の点滴が、似たようなものをそう見せているのだろうか。或いは、魔術の類かもしれないが。いまは、そんなこと如何だって良い。

 箱庭療法、というものがある。
 箱庭に自由気儘にミニチュアを置いて、こころの裡を表現すると云う精神療法だ。いわば、自分のこころと向き合う為の訓練――と云った所か。
 カウンセリングは、きっと未だ終わって居ないのだ。

 窮地に立たされてなお、点滴を抜く気には成らなかった。血液に流れ込む薬液のお蔭で、こころはとても静かで、たいそう心地好いのだ。理性は「引き抜け」と警鐘を鳴らすけれども、こころが、気力が、其れに追いつかない。
 もしも、箱庭をこころの儘に彩って、カウンセリングで荒んだこころに、一抹の癒しでも与えられたなら。此の点滴を引き抜く勇気が、此処から抜け出す気力が、湧いて来るだろうか。
 閉じ込められた猟兵たちは静かに、玩具箱のなかへ腕を伸ばすのだった。

●経過報告
 灯の消えたカウンセリングルームで、蓋匣博士はひとり机に突っ伏していた。
 最後の患者を病室に案内した後、心地好い疲労感に襲われて、つい転寝をしてしまったらしい。気怠そうに貌を上げた博士は、眠りに落ちる前に愛でていたハーバリウムを茫と眺めやる。鎖された丸い世界で今日も、蒼い薔薇はうつくしく咲き誇っている。

「エマール……」

 先ほどもまた、あの夢を見た。
 夢の中で蓋匣博士は、ハーバリウムを頭とした異形の紳士と机を挟んで向かい合い、今日の『成果』について語り合っていた。いつもより聊か熱の篭った博士の報告に耳を傾けていた異形の紳士は、博士が話し終えるや否や、静かにこう語った。
『ワタシと君の実験は、失敗しました。然し或る意味では、成功とも云えますね』
 彼の意図するところが分からず頸を傾ける博士へ、異形の紳士は手を差し伸べる。其処には、研究者特有の敬意が在った。博士はさして疑問に思うことなく其の手を取り、握手を交わした。
『此の児戯に意義を与えるのは、他ならぬ君です。どうか、正解を撰べますように』
 ふたりの手が離れた瞬間、夢から醒めて今に至る。紳士の言葉は何時だって抽象的で、正しく理解できた試しがなかったが。今日だけは、違っていた。

「分かって居るよ、エマール」

 ハーバリウムの丸い輪郭を撫ぜれば、ゆるりと上体を起こす。
 自分がこれから何を遣るべきか、不思議と分かって居た。さあ、点滴を取りに行こう。彼らに打ったものとはまた違う、特別な薬液を此の身に受け入れる為に。
 楽しい王様ごっこも、そろそろ潮時らしい。彼が明言することは無かったが、自分はきっと何かしくじったのだ。
 だというのに、薬品保管庫へ向かう足取りは妙に軽い。これは、破滅ではない。新しい遊戯――或いは実験――の『始まり』なのだ。彼と別れの握手を交わした掌を見降ろしながら、蓋匣薔薇博士はうっそりと微笑んだ。

「全部、君にあげる」


*診療の手引き*
・夜の箱庭を、あなたなりに彩って下さい。
 楽しく心象風景を表現しましょう。
 →少しでもこころが癒されたら脱出できます。

・箱庭を彩る玩具は、断章で言及されたもの以外でもOKです。
 探せば絵本とか、ボールとか、ぬいぐるみとかも出て来る筈です。
 →PCさんの持ち物等の使用もOKです。
 →ゲーム内に実在する他PCさんを登場させるのは「NG」です。

・ペア参加の場合は、ふたり部屋の病室へと案内されます。
 →協力してひとつの箱庭を造り上げるのもOKです。

*補足*
・リプレイは「個別」のお届けとなる予定です。
・本章のPOW、SPD、WIZはあくまで一例です。
 ⇒ご自由な発想でお楽しみください。
・アドリブOKな方はプレイングに「◎」を、記載頂けると嬉しいです。
・皆様の心情をたくさん聞かせていただけると幸いです。

*受付期間*
 9月7日(火)8時31分 ~ 9月10日(金)23時59分
小千谷・紅子

酷く体と、瞼が重い
其れが甘く心地好い
…此の儘溶けてしまっても
構わないんじゃないか知ら
此の手は縋る為に作られたのでは無いもの

「ー許すものか」
君よ、その熱く鋭い眼差しよ
私の知らぬものを見通す貴方
ー罪、そう、それを知らねば
軽く首を締められ気を戻す

それは、いつかの依頼で喉や背を撫でた犬を象る人形
華やかな香り付きの便箋
少女達のお喋りのお供の紅茶
それはーそれは?
真赤なリボンを手に取り
どうして、離し難い
誰かの狂わしい慕情と、同じ程の後悔を感じて抱き締める

咲いたのは夜の桜
赤が映えて、私はあの時、何かのひかりを見た

曖昧で苦しく、不思議と胸に落ちる
抱えた記憶と共に在りたいと、今は確かに思う
嗚呼ー刺よ、零れないで


●少女の箱庭
 躰と瞼が、ひどく重たい。
 繋がれた点滴から滴る薬液――或る種の安定剤が、小千谷・紅子の思考を、そして其の“こころ”までも、甘い堕落に染めて往く。ふと気を抜けば最期、ふわふわとした心地好い感覚に、身もこころも委ねて仕舞いそう。
「……此の儘溶けてしまっても、構わないんじゃないか知ら」
 蒼い薔薇の海に独り身を横たえながら、紅子はそうっと花唇を震わせた。茫とした眼差しで、あえかな白い掌を眺め遣る。此の手は乙女の希いを叶える為にこそ在る。決して誰かに縋る為に作られたのでは無いから。此処で花と朽ちて往くのが運命なら、其れ迄のこと。

「――許すものか」

 直ぐ傍で、聴き覚えのある聲がする。
 少女の傍らに転がる白い日傘が、カタカタと独りでに揺れた。刹那、紅子の上に影が落ちる。口許を鳥の面で覆った将校風の青年が、少女を見下ろして居た。
 紅子は気怠げに視線を動かし、青年の姿を仰ぎ見る。彼の燃えるような赫い瞳は、少女の虚ろなこころまで射抜くよう。
 嗚呼、『傘の君』よ。その熱く鋭い眼差しよ。いつか此の胸の奥に鎖した、私も知らぬ「ひめごと」を、きっと貴方は見通しているのでしょう。
 傘に宿った悪魔は、あえかな少女の上に跨って、彼女の白い頸筋へと腕を伸ばす。軈て大きな掌が、折れそうな程に細い其処へ触れた。きゅ、と締められる感覚に、紅子は桜彩の眸を見開く。彼の貌が近い。鋭い眼差しが何かを言いたげに、こちらを見ている。血の気の喪せた紅子のかんばせを通して、彼女が裡に鎖したひめごとを。
 罪――その単語が白く染まり往く脳裏に過った刹那、頸から掌が離れる。肺が酸素を求め、心臓はとくとくと激しく波打っている。軽く咳き込みながら、紅子はゆるりと半身を起こした。
「そう、私はそれを知らねば……」
 未だぼんやりと残る眠気を頸を振って払い除け、少女は傍らに転がる白い日傘を手繰り寄せる。彼はもう、何も語らない。点滴を杖の代わりとして立ち上がれば、少女は一歩ずつ、確かな足取りで玩具箱のほうへと進んで往く。いつか鎖したこころと、向き合う為に。

 玩具箱の中には、見覚えのあるものが入っていた。辿った旅の軌跡を辿るように、紅子はそのひとつひとつを、大切そうに手に取って往く。
 いつか幽世で喉や背を撫でて遊んでやった、可愛い豆芝に似た人形。帝都の香屋で買い求めた、華やかな馨を匂わせる便箋。さる高等學校の少女たちに招かれたお茶会の席で供された、お喋りのお供の紅茶。それから――……。
「……これは?」
 白い掌に血のように映えるのは、真赤なリボンひとひら。猟兵として得た想い出のなかに、存在しない筈のもの。それなのに如何して、こんなに離し難いのだろう。
 掌からは誰かの狂わしい慕情と、同じ程に狂おしい悔悟の念が伝わって来る。それが大層いとおしくて、少女はぎゅっとリボンを胸に抱き締めた。
 いまはもう遠いあの日、見事に咲いたのは夜の桜。
 暝闇に赫が眩い程に映えていて。少女はあの時、確かに『ひかり』を見た。其れが何だったのかは、今もなお分からないけれど。
 胸に抱きしめた誰かの想いは、そして其処から想起された何時かの記憶は、何処か曖昧で、想いだせないのが苦しくて。けれども、不思議と胸に落ちた。
 何もかもが朧で、此のこころは未だ虚ろな侭であるけれど。それでも、抱えた記憶と共に在りたい。今はそう、確かに思っている。
「嗚呼――」
 此の身を、こころを貫く見えない刺よ、どうか零れないで。いつかの罪を、狂おしい程の情念を、決して忘れぬ為に。
 けれども、眼に見える此の棘は不要。
 点滴の針を抜けば、ぽたりと滴る赫が、蒼い薔薇を艶やかに染めて往く。ハンカチで疵を抑えながら、少女は己の軌跡が詰まった箱庭へ靜に背を向ける。
 安らかに眠ることなど、きっと赦されない。ゆえにこそ、此処で露と消える訳にはいかないから。紅子は扉に向かって一歩、脚を踏み出した。
大成功 🔵🔵🔵

比良坂・彷

期待してたのに
博士に己につく嘘を暴いてもらう事

20年現世は虚っぽ
だから宿世の記憶
白い羽の少年人形2体
瓜二つ
寄り添わせる
欺瞞だ『弟』は俺を畏れていた
弟人形の背を向ける
…じゃあ俺は?

虚ろから逃れたくて弟と同じを望んだ
愛ですらなかったかもしれない

同化を拒絶した弟が命じたように片羽千切りかけ止まる
弟は羽を斬ったら飛び降り死んだ
望んでくれたのが嬉しくて同じを捨ててでも叶えられるならって斬ったのに

異常者だ
もし今世で『弟』と再会できたとしても
でもやっぱ己(こんなもん)背負わせたくないや
だから匣庭にだけ望みを置いていこう
生涯で初めて心から泣き
震える手は人形を寄り添わせた
音楽の才持つ弟には譜面とピアノ
俺は煙草


●希いの箱庭
 ちいさな匣庭には、まるで此の世の物とは思えぬような――幻想的でうつくしい光景が広がっていた。灯ひとつ無い天に揺れるのは、白く煌めく丸い月。地を埋め尽くすのは、決して馨らぬ蒼い薔薇の海。
 けれども比良坂・彷といえば、其の光景に何の関心も示さずに、ただ玩具箱の中を漁っている。彼のこころのなかには、或る種の失望にも似た感情が渦巻いて居た。実の所、ほんの少しだけ期待していたのだ。博士に己の吐いた嘘を、暴いてもらうことを――。

 母の胎で生を受けてから、凡そ二十年。
 現世はまるで、夢のようであった。
 父の体裁から造られた出鱈目な宗教の祖として祀りあげられ、欺瞞に溢れた半生を送った所為で、此のこころは虚っぽだ。己の在り方も、紡ぐことばも、信者に寄せる共感も、総てが虚飾でしか無かったから、何時しか此の世の総てが出鱈目に想えて仕舞って。もはや夢や希望は愚か、心遺りひとつ有りはしない。
 ゆえに青年は、宿世にこそ想いを寄せる。彼にとっては己が己として存在出来た世界のほうが、現世よりも余程「真」なのである。

 こころの奥底に秘めた、記憶を辿る。
 玩具箱から取り出すのは、天使のような白い翼を持つ二体の少年人形。彼らの貌が瓜二つなのは、同じ銘の玩具である所為か。或いは、彼らもまた魂を分けた双子である所以か。
 そんな“ふたり”を仲睦まじく寄り添わせようとして、ふと、彷は手を止めた。光のない双眸は、片方の人形をじぃと凝視している。
 これは、欺瞞だ。
 宿世において『弟』は、己を畏れていたのに。その事実から逃れるように、ふたりを寄り添わせようとするなんて。薔薇の海を鬱陶し気に掻き分ければ、弟に見立てた人形の背を向けて、床へと座らせる。もう片方は――己の写し身は、如何しようか。

 ひとの業とは因果なもの。宿世でも矢張り、彷は虚ろを抱えていた。
 何時までも、何処までも付き纏う其れから逃れたい一心で、弟と『同じ』であることを望んだ。今思うと其れは、「愛」ですらなかったかもしれない。
 ――だから、弟は拒絶したのだ。
 もしも其れが、こころからの愛情から漏れた懇願だったのなら、彼は受け入れてくれたのだろうか。もしかしたら、そうだったのかも知れない。今更遅すぎる淡い希望に、ゆびさきが自然と動いた。ヤニに染まった翼へ無意識に触れたなら、其れを千切ろうと掴んで、引く。嘗て、弟に命じられたように。
 そう、彼が望むのなら幾らでも此の身を捧げよう。それが「愛」の証ならば――……否、違う。本当はそんなこと、弟は望んで居なかったのでは無いか。脳裏に過った疑問に、羽を掴む手が止まる。
 あの日、己が片方の羽を切り落とした刹那、弟は飛び降りて自ら命を絶ったのだ。同化することを、己を望んでくれたことが嬉しくて。『同じ』容を捨ててでも叶えられるなら其れで良いと、斬ったのに――。

 ガラガラと動く点滴台の無機質な響が、陶酔から思考を醒ます。
 此処は精神病院で、己は其の病室に閉じ込められている。同朋たちは囮と成ったのだろうが、己は違う。なにせ、本物の『異常者』なのだ。宿世からの業を引き継いだ、生まれついての……。
 もしも、今世で『弟』と再会できたなら、どんなにか素晴らしいだろう。彼の死について悔悟を抱かぬ訳でもないし、もう一度やり直したい気持ちもある。
 けれども、己のようなものを二度も背負わせたくはないと、そう想うのもまた兄心。きっともう、ふたりは廻り合わぬほうが良いのだろう。

 だから、此の匣庭にだけ、希を置いて往こう――。

 震える手で、背を向けた弟人形の向きを変える。弟は音楽の神に愛されていた。だから、ミニチュアのピアノの前に座らせて遣ろう。勿論、楽譜だって添えてある。そして――隣には、兄の人形を。
 宿世の業も因縁も嘘のように、いま、仲睦まじく寄り添うふたり。決して叶わぬ其の光景を眺めていれば、喉の奥から感情が熱を孕んで逆流してくる。刹那、鼻の奥につんとした痛みを感じて、彷は俯いた。
 ――ぽた、ぽた。
 落ちた雫が蒼い薔薇を濡らす。まるで朝露のように、うつくしく。こころから泣いたのは、きっと生涯で此れが初めてだ。
 最後に己に見立てた人形の傍へ煙草を添えたのち、彷は匣庭へと背を向けた。もう、此処に来ることは二度と無いだろう。青年は振り返ることもなく、虚ろな現実へと返って往く。ほんの少しの喜びと、拭いきれぬ寂しさを、胸の奥に抱えた儘――。
大成功 🔵🔵🔵

アウレリア・ウィスタリア

わたしにはなにもない
だってわたしはあくまだから

あくまはわるいこだから
とじこめられてあたりまえ
なぐられるのもけられるのもあたりまえ

……じゃないと、私は何で一人でこんなところに閉じ込められているの?

何も手につかない
何も見えない

そう思い込んでどれだけ時間が経っただろう
不意に目についたハーバリウム
その中にある青い花

それを目にして口が勝手に歌を奏でる

身体が勝手にそれを求める

魂が大切な想い出を求める

気付けば青い花を中心に人形が四体
父親、母親、兄、そして私

そうだ、青い花は
ネモフィラは私の家族の花
私は本当の家族との温もりを求めてたんだった

立ち止まっている訳にはいかない
進もう
ボクはそのためにここにきたのだから


●瑠璃の匣庭
 わたしには、なにもない。
 だってわたしは、あくまだから。
 ふらり、蒼い薔薇の海に蹲りながら、茫と霞掛かった意識のなかで、アウレリア・ウィスタリアはそんなことをもの想う。
 「悪魔」は悪い子だから、閉じ込められて当たり前。
 殴られたり、蹴られたりするのも、きっと仕方のないこと。
 じゃないと――こんな寂しい夜に独りきりで閉じ込められるなんて、納得できない。
 いのちのない、無機質な夜は寂しかった。
 想い出すのは「悪魔」と蔑まれ、幽閉された幼い日々のこと。苦痛を棄てて尚、あの苦しみからは逃れられないのだろうか。
 絶望に曇った眸は何も映さない。もう、立ち上がる気力もなかった。嗚呼、此のまま闇に溶けて往けたらどんなに楽か……。

 花の海に蹲ってから、どれだけの時間が経ったのだろう。
 ふと貌を上げたアウレリアは、部屋の隅に置かれた玩具箱に気付く。其処から少し貌を覗かせるのは、僅かに煌めく硝子の玩具。
 其れに何故だか惹きつけられた彼女は、点滴台を引き摺りながら、這うようにして玩具箱へと近寄って往く。
 果たして、あえかな煌めきを放つ硝子の正体は、ハーバリウムだった。そういえば博士のカウンセリングルームにも、似たようなものが飾られていた気がする。
 その中に咲き誇る青い花を視界に捉えた途端、唇が勝手に動きだした。そうして、何処か懐かしい『歌』を紡ぐ。
 それは幼き日に母が歌って聞かせてくれた、――あの調べ。
 彼女の意思とは裏腹に、身体が勝手に歌うことを求めていた。こころが、魂が、二度と帰らぬ“大切な想い出”を求め続けているのだ。
 花唇が旋律を紡ぐほどに、過去に囚われたこころは自然と前を向き、ゆびさきは玩具箱のなかを気儘に探る。無意識の内に手に取った“何か”を、少女は硝子のなかへそうっと放り込んで往く。
 軈て勇気を奮い立たせる歌がコーダを迎えた頃、アウレリアは仮面越しに改めてハーバリウムを観察した。
 四角い硝子に鎖された世界には、果たして何が秘められているのだろう。そして自身は、その世界にどんな彩を与えたのだろう。

 青い花を中心に、ちいさな人形が四体並んでいる。
 ひと目見た瞬間に分かった。
 これは、喪った家族の写し身だ。一番大きい人形が父親で、その次が母親で、その次が兄、そして一番小さい人形がアウレリア。
 よくよく見ると、飾られた青い花にも見覚えがある。そうだ、あの青い花は――ネモフィラは、本当の家族が持つ花だった。
 こころの底から彼女が求めて居たのは、迫害されるに足る理由でも、闇に溶けて消えて往くことでもない。ただ、本当の家族の温もりが欲しかった。それだけだ。

「――進もう」

 過去を振り払い未来を切り拓くために、アウレリアは此処に来たのである。
 遍くひとが未来に立ち向かうことを希った母の為にも、過去に囚われた儘では居られない。未来に背を向けた儘、立ち止まる訳にはいかないのだ。
 腕に刺さる点滴を引き抜けば、蒼い薔薇の海に鮮やかな赫が散った。其の光景に一瞥も呉れることなく、少女は出口へと歩んで往く。
 こころを奮い立てるように、あの懐かしい旋律を、何時までも口遊みながら――。
大成功 🔵🔵🔵

花菱・真紀

ぼんやりとした頭で箱庭を作る
女の子の人形…姉ちゃん
男の子の人形…俺
ビー玉にお花。
綺麗なものをたくさん並べる
…そこに狐と狼のオブジェ。
あれ?
一つ多い。
一つ増えた。
俺の中の…?
『誰』だ?

点滴の落ちる音さえ聞こえそうな静けさ。
歪む口元。
???
俺の中に
何かが…
誰かが…うまれた?

賢しくて狡猾な…

「ハハハッ、傑作だな…!まさか…真紀が俺を生むなんて…全くもって面白い。真紀はやっぱり最高のおもちゃだよ」

ッッッ!!!
(ゾクリと走った悪寒に思わず点滴を引き抜いて)


●ふたりの箱庭
 頭が、茫とする。
 きっと点滴から血管にゆるりと流し込まれている、此の安定剤の所為だろう。ふら付く足取で点滴を引き摺りながら、花菱・真紀は玩具箱の許へ近づいて行く。そして蒼い薔薇の海にぺたんと力なく座り込めば、箱の中を覗き込んだ。
 溢れんばかりの玩具が、其処に有った。
 ぼうっとした侭、無意識に手を伸ばすのは、男女の可愛いお人形。きっと女の子は姉で、男の子は自分だ。
 ふたりを仲睦まじく寄り添わせてみるけれど、其れだけじゃ少し物足りない。再び箱の中を漁った真紀が見つけたのは、暝闇にきらりと煌めくビー玉に、太陽の如き明るさで存在感を主張する、向日葵の造花ひとひら。
 彼が綺麗だと感じたそれらを人形と共に並べたなら、夜に鎖されたちいさな箱庭に、穏やかな温もりが燈ったよう。青年は暫しその光景に茫と見惚れていたけれど、ふと見覚えのない“異物”に気付き、ゆっくりと双眸を瞬かせた。
「……あれ?」
 ひとつ、多い。瞬きを溢した隙に、またひとつ増えた。
 狡賢そうな狐のオブジェが、そして怖い貌をした狼のオブジェが。男の子と女の子を狙っている。此の箱庭が真紀の精神状態を表しているのだとしたら、いま増えたのは『誰』なのだろうか。

 ――これは、俺の中の……。

 ぽと、ぽと。
 点滴の落ちる音だけが、静寂に包まれた箱庭に木霊した。
 目の前に広がる光景が不気味で堪らないのに、なぜか歪む口許。ちぐはぐなこころと躰に、疑問符ばかり湧き上がる。自分のなかに何かが、『誰か』が、生まれたような感覚があった。其れはきっと、此の狐のオブジェのように狡猾で。狼のオブジェのように、獰猛な貌をしているのだ。
「ハハハッ、傑作だな……!」
 歪んだ唇がふと、勝手気儘に音を編む。いたく愉し気な笑聲を部屋の中に反響させているのが自分だと気付くのに、暫し時間を要した。
「まさか……真紀が俺を生むなんて……全くもって面白い」
 嗚呼、此の口は何を語っているのだろう。
 いったい「誰」が「誰」を生んだって――?
「真紀はやっぱり、最高のおもちゃだよ」
 ニヤリ、唇が三日月を描けば背筋にぞくりと悪寒が走った。其処で漸く、青年のこころと躰が合致する。
「……ッ!」
 何かが纏わりつくような感覚から逃れたくて、点滴を思い切り引き抜いた。ぽつぽつ、雨のように滴る雫が、お日様のような向日葵を赤く汚してゆく。
 青年は箱庭に背を向けて、出口へと駆けだした。見えない誰かから逃れるように。
大成功 🔵🔵🔵

唐桃・リコ

頭がぼんやりする
考え、纏まらねえ
走り疲れた足を休めて
もう、考えたくねえ
寝ちまいたい

横になったまま、玩具に手を伸ばす
多分こんなモノで遊んだ事ねえ
記憶のはじまりは真っ白、そのあとは抜け落ちだらけ

桃色の、杏みたいな花
自分の中に杏が宿るまでの記憶は何にもなくて
これがはじまり

黄色の、菊みたいな花
これがオレの1番
1番大切なもの
オレが全部もらって、全部をあげた花
痛い、奪われるのが怖い
寒い、寂しい
誰にも持っていかれたくない

…ダメだ
アイツのところに、帰らなきゃ
自分にナイフを突き刺して
痛みで自分を奮い立たせて
点滴を引き抜く

アイツの事を一番オレが傷つけていたとしても
オレはこの宝物を手放せない


●秋草の箱庭
 ガラガラと無機質な音を立てる点滴台を引き摺りながら、青い薔薇の海を蹴散らして、漸く玩具箱の前へと辿り着いたと云うのに。
 ぼんやりと、思考が揺蕩っている。考えが、纏まらない。
 総てはきっと、この忌まわしい点滴の――鎮静剤の所為だ。ふらつく脚を休めるように、唐桃・リコは青薔薇の中にへたり込んだ。
 ひどく、疲れた。もう、何も考えたくない。
 重たい躰に導かれるように、そっと薔薇の海へ身を沈める。されど馨らぬ花々に囲まれたところで、ただ、虚しいだけである。
 もう上体を起こす元気も無くて、横になった侭、少年は玩具箱に手を掛けた。バランスを崩した其れはガラリと倒れ、中に入っていた飾りを派手に散らかした。手許に転がって来たブリキの兵隊に、リコはゆるりとゆびさきを伸ばす。普通の少年はきっと、こんな玩具が好きなんだろう。
 けれどもリコは、こんなモノで遊んだことなど無い。
 否、もしかしたら有るのかも知れないけれど。少なくとも彼は、それを覚えていない。なにせ記憶の『はじまり』は真っ白で、その後は穴ぼこだらけ。まるで虫食いのように、所々に抜け落ちた痕があるのだから。
 ふわり。
 彼の視界にふと舞い降りたのは、桃色の造花ひとひら。それには、少年も見覚えがあった。自分のなかに“居る”少女と同じ名前の花、――杏だ。
 そう、『杏』を裡に宿すまで、リコの記憶は空っぽだった。きっと彼女を宿してから、“唐桃・リコ"の物語は始まったのだ。
 少年はブリキの人形を手放して、自身と何時でも共にある花を拾い上げた。ガシャン、と人形が床に落ちる音すら、いまは何処か遠くで響く。夜に咲く杏の花弁は、暝闇のなかでも可憐な輪郭を顕にして、リコの目とこころを癒してくれた。

 どれだけ、杏の花に見惚れていたのだろう。
 随分と長い間、“彼女”と見つめ合っていたような気がする。何とはなしに視線を逸らせば、暝闇に光る金色のきらめきが、茫と視界に飛び込んで来た。
 見間違える筈も無い。あれは、――菊の花だ。
 それは、リコにとっての一番。なによりも大切で、自分に全部を呉れて、自分も全部をあげた、そんな花。
 始まりは杏と共に在ったけれど、歩んで来た道程には、いつも菊の彩が在った。
 居ても経っても居られなくなった少年は、這うようにして菊の花の許へ進んでゆき、軈て其の大輪を拾い上げる。そうして薔薇の海の外側で、杏と共に寄り添わせた。先程まで凪いでいたこころに、ふと、痛みが生まれる。
 奪われるのは、怖い。独りは寒くて、寂しい。誰にも、持っていかれたくない。
「……ダメだ」
 懐から取り出したナイフで、己の腕を撫ぜる。白い肌から滴る赫は、暝闇に成れた眸には余りにも眩くて。裂いた疵痕は、じくじくと熱を孕んでいた。
 痛い。けれども、それこそが生きている証。
 脳内から絶え間なく分泌され続けるアドレナリンのお蔭で、すっかり思考はクリアに成っていた。やるべきことは、分かっている。
 未だ血が滴る腕から、点滴を引き抜いた。
 青薔薇の海に、赫い小雨がぽつぽつと降り注ぐ。けれども、リコは薔薇になど関心がない。桃彩の眼差しが一瞥を呉れるのは、闇に在ろうともなお、輝かしく花弁を拡げる菊の造花。
 蓋匣博士が云った通り、大切な者のこころを最も傷つけているのは、きっと自分自身だ。けれども今更自覚したところで、もう遅い。手放すことなんて、とっくに出来なく成っているのだから。
 苦い想いを抱きながら、リコは名残惜し気に箱庭へ背を向けた。一歩ずつ、確りと脚を踏み出して、扉の方へ歩んで往く。

 アイツのところに、帰らなきゃ――。
大成功 🔵🔵🔵

朧・ユェー
【月光】◎

ここは何処だろうか?
病院?ベッドに寝かされているようだ
…ぽたんぽたん。
血液に混ざる感覚がわかる

ぼんやりと天井を見上げる
世界が夜彩に変わる
綺麗な夜空、だけど興味の無い
どれもどうでも良い…
何かを忘れてるような気がする

箱?
何もしたいと思わないのにその箱に手を伸ばす
向日葵……蒼いブルーベルの造形?苺?紅茶の食器など
嗚呼…これは
あの子は何処だ
ルーシーちゃん、僕の娘

そっと手を伸ばした小さな手がこちらを握る気がして
ここで寝ていてはいけない

僕の向日葵がルーシーちゃんの向日葵へと広がる
二つの箱庭が一つになる感覚になる
そちらも素敵な想い出ですね
えぇ、箱庭の中だけでは収まらないくらい
想い出を増やしましょう


ルーシー・ブルーベル
【月光】◎

心が凪いでいる
あれ程に願う気持ちも怒りも
不安も恐怖も寂しさも哀しみも今は無い
こんな心で居られればと思った事が
確かにあった

天井にお月様
…きれい、いいえ
もっと大きくて
きれいな月を識っている、ような

虚ろに見つめた箱庭に
目の前で彩がふえていく
そっと、指を伸ばして足していく
お月様と蒼い兎
黒い雛鳥にコーヒーカップ
そして、向日葵

ああ、そうだ
あのひとは何処?
ゆぇパパ、わたしのパパ

大きな温かい手を握り返す
わたしは此処に
パパの傍に

寝てられない
不安も怖さもいとしさも綯交ぜのこの世界で生きなくちゃ
だいすきなお月様に会えない

ふふ、パパとの想い出だもの
でも箱庭ではもう満たされないの
ええ、ええ!
これからも沢山、ね


●向日葵の箱庭
 こころが、凪いでいる。
 あの白いカウンセリングルームに居た時は、怒りと憤りの感情が波のように押し寄せて、ともすれば押し潰されそうだったのに――。
 いまは、何も感じない。
 狂おしい程に自由を希う気持ちも、夜の箱庭に閉じ込められる不安や恐怖だって、独りぼっちの寂しさすらも。総て、何処かに行ってしまった。
 こんな静かなこころで居られればと思ったことは、確かにあったけれど。実際にそう成ってみると、何と味気ないものか。
 一族の血に妖し気な薬液が混じって往くのを感じながら、ルーシー・ブルーベルは光の燈らぬ空を茫と仰ぐ。空は近く、天には造り物の白いお月様が揺れて居る。
「……きれい」
 ぽつり。
 花唇からふと零れ落ちた其の科白には、微かな違和があった。――これは、ちがう。もっと大きくて、もっときれいな月を、本当は識っている。
 少女の虚ろな眼差しの先には、玩具箱が在った。
 中を何気なく覗き込めば、何処か見覚えのあるオブジェが視界に入る。そうっと白い腕を伸ばして抱き上げるのは、金色に煌めくお月さま。まあるい其れを青い薔薇が敷き詰められた床に転がせば、まるで本物の海に月が揺れて居るよう。
 少女が次に見つけたのは、蒼いロップイヤーのぬいぐるみ。彼女が手作りしたものと似ているその子を片腕で抱きながら、その隣に寄り添っていた黒い羽の雛鳥も掬い上げる。揺れる月を囲むように、彼らも薔薇の海に座らせて――そこで、ふと思い立つ。これだけでは、物寂しいと。
 更に中を探ってみれば、ちいさなコーヒーカップの玩具が見つかった。ひとつ、ふたつ、ゆびさきで摘まみ上げて、兎と雛鳥の前に置いてやる。
 少女の手によって夜に鎖された箱庭に少しずつ、彩が増えて往く。少女の蒼い眸は、ほんの僅か微笑まし気に弛んで居た。けれども、まだ『何か』が足りていない。欠けたピースを埋めるように、玩具箱を覗き込んで。ルーシーは、そして――。

 ぽた、ぽた。
 夜に鎖された箱庭に、ささやかな水音が響き渡る。点滴パックから零れ落ちた薬剤が――異物が、血液に混ざって往くのを感じて、朧・ユェーはゆるりと瞼を開けた。
 此の病室に案内されて直ぐ、力尽きたのだろう。まるで海のように敷き詰められた青薔薇の上に、青年は横たわっていた。茫とした眼差しで、天を仰ぐ。
 其処には白くて丸い月が揺れる、綺麗な夜空が拡がって居た。
 けれども今は、そんなことなど如何でも良い。ただ気怠さばかりが裡に拡がり、此のまま意識を落として仕舞いたくなる。
 ふわふわとした感覚に導かれる侭、双眸を鎖す。されど、睡魔は襲ってこない。何か忘れているような違和だけが、彼の思考を現に留めていた。
 こころに掛かった靄を晴らそうと、青年は再び眸を開く。視線だけで周囲を観察すれば、夜の帳が落ちた薔薇の海に似合わぬ異物が視界に入った。
「……玩具、箱?」
 這うようにして其れへ近づき、手を伸ばす。あまり中身が入って居なかったのだろう。バランスを崩した其れはいとも容易くひっくり返り、薔薇の海に玩具を散ばらせた。
 目の前に転がって来たその内のひとつ――蒼い花弁を垂らす造花を見れば、茫と揺らいだ青年の眸に光が差す。この花の名を、ブルーベルという音の響きを、彼はようく知っている。気怠い躰に鞭打って半身を起こしたならば、散ばる玩具がよく見えた。甘い香りが漂って来そうな程に精巧な、愛らしい苺のオブジェ。それから、茶会の席で使うような、綺麗に磨かれたカトラリィ。

 ――そして、向日葵。

「嗚呼、これは……」
 いつか自身が、大事な子の髪に手ずから飾ってやった、夏に咲く大輪の花。
 其れに気付いた刹那、霞が掛かった思考が一気に晴れた。そして凪いだこころに押し寄せるのは、焦燥と恐怖。喪うことへの不安に煽られるまま頸を巡らせ、青年は娘の姿を探す。
「ルーシーちゃん」
 暝闇に、手を伸ばす。
 骨ばった掌に触れたのは、柔らかなゆびさきだった。
「ゆぇパパ、わたしのパパ」
 温かいゆびさきを、あえかな掌が優しく包み込む。
 何度も繋いだ手だから、貌を観なくても其れが誰の物かは分かっていた。
「わたしは此処に居るのよ。大好きな、パパの傍に――」
 安心させるように、ルーシーは青年に向けてことばを紡ぐ。
 そう、生きなければならないのだ。だいすきなお月様と何度も廻り合う為に。不安と怖さといとしさに溢れた、醜い此の世界を――。

「……素敵な光景ですね」
 ルーシーの手を借りて立ち上がった青年は、箱庭を彩る動物たちと月を見降ろして、ふわりと双眸を弛ませる。
「ふふ、パパとの想い出だもの」
「ならば、僕が見つけた玩具も仲間に入れてあげましょう」
 寄り添う雛と兎の前に、カトラリーと苺を置いて。月にブルーベルの花を寄り添わせたなら、ふたりの箱庭がひとつに合わさるよう。重ねて来た想い出を一所に詰め込んだ其の光景に、少女の眸はきらきらと煌めいた。
「とても素敵、でも……」
 ほんの少しだけ甘えるように、上目で父と慕う青年を仰ぎながら、少女は彼の傍らにそっと寄り添う。
「箱庭ではもう、満たされないの」
「僕も同じですよ。これからも、想い出を増やしていきましょう」

 箱庭の中だけでは、収まらないくらい――。
 
大成功 🔵🔵🔵🔵🔵🔵

冴木・蜜

ぼんやりと箱庭を眺める

何も考えたくなくて
途方もない孤独が苦しくて
見覚えのあるものを手当たり次第並べる

薬剤の空き瓶
色とりどりのカプセル
錠剤
アンプル
……薬学の、本

私は常に毒と在った
私は常に毒であった

触れるだけで蕩かす毒
生命とは相容れぬ毒

そんな私に薬になれる可能性をくれた人が居た
どうしようもない毒に
共に人を救おうと声を掛けてくれた友人が

そう
私は救いたかった
ずっと胸に抱き続けた私の夢
例え無駄だと罵られても
報われなくてもよかったんです

ああ、忘れていましたね

思考が醒めてきた
点滴に手をかける

私は毒だから
これくらいの薬剤どうということはないのだけれど

我を失ってしまった
精神の疵は恐ろしいものですね


●追憶の箱庭
 見渡す限り、青薔薇の海が拡がって居る。
 鎖された夜のなか、冴木・蜜は眼鏡越しに茫と箱庭を眺めていた。馨らぬ造花はうつくしいけれど、彼のこころを癒すに至らない。
 ただ、何も考えたくなかった。
 途方もない孤独だけが、こころの真中に居座っている。それも人間とは違う、『異形』の孤独だ。自分しかその感情を持ち得ないことが、苦しくて、寂しくて――。
 こころに這い寄る暝闇から逃れるように、蜜は玩具箱と向き合った。なかには子供が好きそうな玩具や、此の庭に相応しいオブジェの類が入っている。けれども彼が手を伸ばすのは、此の場においての異物ばかり。
 なにせそれは、彼の想い出の欠片なのだ。

 ラベルが剥がれた薬剤の空き瓶は、薔薇の海にぷかりと浮かべて。果たして何の薬だったか――色とりどりのカプセルと錠剤は、周囲にぱらぱらとばら撒いた。琥珀彩のアンプルは、薔薇の海を掻き分けて、倒れぬように床へ立てる。
 そうして、最後に彼の手許に残ったのは、一冊の薬学の本だけ。
 はらり、ひとの容を取り戻したゆびさきが、頁をめくる。紙の本特有の、懐かしい匂いがふと、彼の鼻腔を擽った。茫とした思考のなかで、記憶が逆流する。

 蜜は常に毒と在った。そして、彼は常に毒であった。
 ゆびさきひとつでも人に触れれば、それだけで生物は蕩ける。其の身は『生命』とは決して相容れぬ、毒なのである。
 然し、毒と薬は表裏一体。
 使い方次第では誰かの命を救い、誰かの痛みを和らげることが出来る。そして、毒である蜜にも嘗て、“薬になれる”可能性をくれた人が居た。
 凡そ生命という存在から祝福されぬ、どうしようもない毒に「共に人を救おう」なんて、聲を掛けてくれた友人が――。

「そう、私は救いたかった」

 誰かの生命を蕩かす毒では無く、数多の生命を救える薬でありたかった。
 喩え無駄だと罵られようと、ずっと胸に抱き続けていた、そんな夢。
 だからこそ、研究に打ち込んだ日々は何よりも輝いていて。救いの手を差し伸べてくれた友人は、かけがえのない存在だった。
「別に、報われなくてもよかったんです」
 けれども、希いを抱くこと位は赦されたかった。自分の毒も誰かを救えるのだと、そう信じられた日々が懐かしい。あの時たしかに、蜜は生命に祝福されていたのだ。

「――ああ、忘れていましたね」

 劇薬の頁で、ふと手が止まる。
 思考が漸く醒めてきた。それと同時に想い出す。自分もまた、劇薬なのだと云うことを。タールに薬液を流し込む点滴を引き抜いて、蜜はふらつく脚で立ち上がった。
「私は毒ですから、これくらい」
 そう、実際は何とも無いのだ。
 安定剤や鎮静剤を幾ら流し込まれた所で、強力な彼の毒が其れ等を打ち消して仕舞う。にもかかわらず、暫く正体を喪って仕舞うとは――。
「精神の疵は、恐ろしいものですね」
 こころと躰はそれほどまでに、密接に繋がっているのだ。
 その事実を再確認した青年は、あの日々に背を向けて、箱庭の外へと歩いて行く。
 本の頁は、開いた侭で。
大成功 🔵🔵🔵

六道・橘

前世の箱庭
輝かしき台座の上に猫のぬいぐるみ
毛並み良く撫で心地最高の誰からも好かれる子
周りにはキラキラビー玉
床には同色の貧相な猫

台座猫は貧相猫をだけを見る
貧相猫は目隠し
貧相猫に与えるようにビー玉を落とす
貧相猫は傷つくだけ「痛い心が痛いよ」って
台座の猫は悲しんでくれたに決まってる

優しくて優秀、でも魂に致命的な欠陥があった兄さん
全てを持ってるのに何故俺を欲しがるのかわからず怖くて拒絶した

兄さんはもっと怖かったのよね
恐怖の根元は俺にはわからない
でも
髪に咲く桜をふらせ目隠しを千切る
もし今世にあなたがいるのなら今度こそ救いに行くわ
だから泣かないで兄さん

二匹を寄り添わせる

あなたも転生してくれてると、いいな


●猫の箱庭
 気付けば、夜に鎖された箱庭にいた。
 青薔薇の海は暝闇のなかでも鮮やかで、頭上に煌めく白い月は造り物であろうとも――否、造り物であるからこそ、此の箱庭によく映えている。
 そのなかで髪に櫻を咲かせた娘、六道・橘(■害者・f22796)は黙々と、己のこころと向き合っていた。

 生が廻る前、嘗て誰かに殺されたことがある。
 誰かを殺したかったことも、ようく覚えている。
 けれども謎は残った侭、答えは未だ見つからない。迷宮入りした其れを解き明かす為、今世では影朧を斬る殺人鬼に成り果てた。――そう、橘は今世よりも前世に執着しているのだ。

 ゆえにこそ、彼女が箱庭に飾るのは前世の記憶。
 あえかなゆびさきが手に取ったのは、輝かしき台座ふたつ。そして、猫のぬいぐるみ二匹。
 ふわふわとした毛並みの愛らしい猫は、台座の上に乗せてやる。青薔薇に囲まれる其の様は、想像通り絵に成って居た。この子が誰からも愛されるのは明白だ。ちいさな頭を撫ぜたなら、掌に心地好い感触が伝わって来る。ご褒美とばかリに、周囲にぴかぴか光るビー玉を転がしてやった。猫がいたずらをしたあとのような、微笑ましい光景がそこに有る。
 ――問題は、もう一匹だ。
 青い薔薇で埋め尽くされた床に、台座上の猫と同じ彩を纏う貧相な猫を置いた。そうして、円らな眸をハンケチで覆い隠す。
 うつくしい猫は、台座の上から貧相な猫だけを見つめている。ぴかぴかのビー玉たちには、眼もくれない。目隠しをされた猫は、当然それに気づいていなかった。
 白いゆびさきで、転がるビー玉のひとつを拾い上げる。そして、貧相な猫の真上から、ぽとん、と落とす。
 それは分け与える様でもあり、悪戯にぶつけるようでもあった。
 意図の分からぬ貧相な猫は、ただ傷つくだけだ。ほぅら、『痛い、痛い』と甘えた聲で鳴いている。彼が『心が痛いよ』と泣く様を、台座の猫は何処か哀し気に見下ろして居た。
 そう、彼は悲しんでくれたに決まってるのだ――。

「兄さん」

 堪らず、花唇から音が漏れる。
 嘗て廻る前の世界では、血を分けた兄がいた。彼は優しくて優秀で、皆から愛されていた。けれども、眼には見えない所に、『魂』にこそ致命的な欠陥があったのだ。
 そんな兄から求められたことが、恐ろしかった。
 全てを持っているのに何故、貧相な自分を欲しがるのか。分らなくて、怖くて、愛情さえ信じられなくなって。彼のことを、拒絶して仕舞った。
「兄さんは、もっと怖かったのよね」
 転生した今なら『俺』にも分かる。恵まれていた彼もまた、何かに怯えていたのだということを。恐怖の根元が何だったのかは、分からないけれど――。
「泣かないで、兄さん」
 ふわり――。
 優く紡がれた聲と共に、乙女の御髪から桜が舞った。散った其れは目隠しを千切り、貧相な猫の視界を開かせる。いつまでも、目を背けてはいられない。
 もしも、宿世の縁が再び巡って、今世にあなたがいるのなら。

「今度こそ、救いに行くわ」

 台座に乗った猫を優しく抱き上げて、あえかな頭を撫ぜる。嗚呼、もっと早くに斯うしていれば、結末も何か変わっていただろうか。胸を刺す少しの悔悟を振り払い、娘は二匹をそうっと寄り添わせた。仲睦まじい其の様に、ふ、と双眸が緩む。
「あなたも転生してくれてると、いいな」
 ぽつり、ささやかな希いを溢して、橘は静かに立ち上がった。鎖された世界に今度こそ別れを告げて、広い世界へ旅立とう。
 あの人に、たったひとりの兄に、もう一度会う為に――。
大成功 🔵🔵🔵

シキ・ジルモント

造り物とはいえ満月を見ても何も思わないのは点滴の影響か
本当に人狼病が治ったのではないかと錯覚する程に心が静かだ

感情は凪いだまま、小さな子供がするように『玩具箱』をひっくり返す
散らかった箱庭を眺めて、目に付いた狼のミニチュアを空になった玩具箱で覆い隠す
恐ろしい『化け物』を人目に晒さぬよう閉じ込めて隠してしまう

狼を覆った箱の側に人形が転がっている
それを遠ざけようと…思い直して、箱へ寄り添うように座らせる

周囲を傷付ける化け物と自覚し、近付いては危険だと理解し、それでも他者と共に在りたいと願う
実に自分勝手で我儘だ
だがそれを認めてやれば少し目が覚めた心地になる
自分が自分である為に、成すべき事がある筈だ


●隔てる箱庭
 天には丸くて白い、造り物の満月が揺れて居た。
 じぃとそれを見上げるシキ・ジルモントのこころは、酷く落ち着いている。喩えフェイクであろうとも、満月というものは好もしくない。
 しかし、点滴によって体内に投与される薬剤の影響だろうか。満月を前にしても、全く何も感じないのだ。まるで、人狼病が治ったのではないかと、そう錯覚して仕舞いそうな程に――。

 目の前には、玩具箱がある。
 凪いだこころの儘、ちいさな子供がそうするように、青年は箱をまるごとひっくり返した。青薔薇で埋め尽くされた床に、玩具が散らばって往く。
 されどシキが手に取るのは、狼のミニチュアただひとつ。それを隅に置いたなら、躊躇うことなく空になった玩具箱で、その姿を覆い隠す。
 あれは、恐ろしい『化け物』だ。決して人目に晒してはならない。閉じ込めてしまおう。隠してしまおう。あの、昏い箱の中に。

 シキは暫く、散らかった箱庭と逆さにされた玩具箱を見下ろして居た。
 こころは静かだが、頭がぼんやりする。体の平衡感覚まで狂ったようで、何だかふらつく。
 少し休もうかと腰を降ろせば、視線が近くなったせいか、箱の傍に転がる人形の姿が視界に入った。こんな所に居たら危ないと、それを遠ざけようとして手を伸ばし――ふと思い留まる。

 あの狼は、シキ自身だ。
 だから、不用意にひとを寄せ付けてはならない。彼は自分が他者を傷つける「化け物」であることを、よく分かって居るのだから。特にこんな満月の夜は、近付いてはいけない。そんなこと、分かって居るのに。
 気付けば青年のゆびさきは、人形を箱に寄り添わせていた。
 ひとを害する危険を秘めていても、それでも、他者と共に在りたい。ひとと関わりたい。シキはこころの何処かで、そう希わずには居られないのだ。
「――自分勝手で、我儘だな」
 ふ、と薄い唇を弛ませて、自嘲めいた微笑を溢す。
 総て分かって居るうえで尚、希う気持ちは止められない。こころに湧き上がる、想いだって……。
 ならば、その感情を認めるしか無いのだろう。お蔭で漸く、目が覚めたような心地がする。鎮静剤の所為でぼやけていた思考も、すっかりクリアになった。
「俺には、為すべきことが有る筈だ」
 腕に繋がれた点滴を引き抜けば、ぽたぽたと鮮やかな雫が零れ落ち、青薔薇を赫く染めてゆく。腕から滴る鮮血を拭うこともなく、シキは箱庭に背を向けて、外の世界へ脚を踏み出した。
 不確定な未来よりも、目の前にある課題だけを見つめよう。そして、ひとを苛む理不尽に抗い続けよう。
 自分が自分である為に――。
大成功 🔵🔵🔵

琴平・琴子

――点滴、やだな
だってそれって、病気を治すものでしょう?
私、今は健康で…
喘息で、息が苦しくて
昔居た覚えが気がする

夜はいつだって怖い
闇に紛れて悪い事をしようとしている人がいる
だけど
みっつの人形を置いてみよう
王子様と
お姫様と
それから私

夜空に光る星を見る事はできなかった
あの時の私は幼くて、夜になると咳が止まらなかったから

此処の星はとても綺麗なんだよ
教えてくれた貴方は私に勉強を教えてくれた人
学ぶことは、楽しい事と教えてくれた院内学級の教育実習生でしたね
あのお姫様は気付いたら見えてた可愛い子

ね、今度は平気だから
あの星を、一緒に見に行って
本当の事をお話していい?

お姫様に、憧れてたの、って


●貴人の箱庭
 ぽた、ぽた。
 絶え間なく響き続ける水音は、血液に流れ込んで来る点滴の調べ。琴平・琴子は憂鬱そうに双眸を伏せ、点滴台から視線を逸らす。
 ――やだな。
 これは、病気を治す為にすることで。いま、健康な自分には必要ないものなのに。気分が晴れないのはきっと、幼い頃に入れられていた病棟を想いだすから。あの時は喘息を患って居て、発作で息が苦しくて、眠れなくて……。

 夜は、いつだって怖い。
 それは箱庭であろうと、同じこと。皆は気付かないけれど、闇に紛れて悪いことをしようとするひとがいるのだ。だけど、今はその姿も無い。
 少女は玩具箱に手を伸ばし、その中身を検める。箱庭を飾るに相応しい優美なオブジェや、子どもが喜びそうな玩具が沢山あったけれど。彼女の視線を最も惹き付けたのは、何処か既視感の在るみっつのお人形。

 ひとつは、爽やかな王子様。
 ひとつは、うつくしいかんばせのお姫様。
 それから、普通の女の子。これが、私――。

 箱庭に人形を並べた少女は、茫と夜に染まった世界を眺め遣る。思えば、幼い頃はこうして、夜空に光る星を見ることなんて出来なかった。あの時の琴子は喘息の所為で、夜になると咳が止まらなくて、ベッドから起き上がれなかったから。

『此処の星はとても綺麗なんだよ』

 いつかそう教えてくれた彼――“王子様”のことを、ふと思い出す。
 院内学級に教育実習生として参加していた彼は、琴子にも勉強を教えてくれていた。そう、学ぶことは楽しいということを、彼が教えてくれたのだ。そのお蔭で琴子は、同じ年頃の子たちに比べて博識である。
 それから、あのお姫様。彼女は気付いたら見えていた、可愛い子。幼い彼女の眸にも、ふたりはお似合いに見えていたっけ。
「ね、今度は平気だから」
 あの星を一緒に見に行って、本当の事をお話していい?
 仲睦まじく並べられた三体の人形を眺めながら、琴子はほんの僅か苦い微笑をかんばせに滲ませる。王子様として凛と戦場を駈ける彼女だけれど、矢張り、根は普通の女の子に違いないから。

「――お姫様に、憧れてたの」

 ぽつり、零れ落ちたひめごとは夜の闇に溶けて往く。
 点滴を細い腕から引き抜いたなら、早く外へ飛び出そう。昏い夜は好きじゃないし、それに。自分の扉も王子様たちも見つかっていない彼女には、立ち止まっている時間なんて、きっと無いのだから。
大成功 🔵🔵🔵

四王天・燦


答えに至ったつもりでも薬でぼんやり天井を眺めている
致死量の投薬に気づけない

口の中が不味い
恋人の作る油揚げボルシチで口直しがしたい
また我儘が脳裏を過っちゃった

愛とは何だろう?
互いを想い合う絆…そうありたいけどアタシは押し付けてないだろうか?
アタシは自己満足していないだろうか?

価値を理解せず玩具箱に入れられたぬいぐるみ『頼白』(アイテム)の視線が気になる…
慌てて我に返り抱きしめるよ
進行形で(肉体以上に精神的な)致命傷から救われている奇跡に気づくぜ

ありがと―
素直にありがとうと言えば良いだけの問題だったや

拾式の炎を浴びて毒を焼き祓う
今為すべきことは―
患者達の救助に向かうぜ
薔薇先生も一喝してやらんとね


●頼白の箱庭
 口の中が、苦い。
 ぽたぽたと落ちて往く点滴は血液に混じり合い、四王天・燦の思考を蕩けさせる。何が投与されているのかも、正直分かって居ない。茫と靄が掛かった思考では、至った心算の答えに向き合うことも叶わずに、ただ虚ろな眸で天を仰ぐばかり。
 ――……油揚げボルシチ食べたい。
 厭な味が残った侭の口内は聊か不愉快で、ふと、脳裏にそんな我儘が過る。幾らこころが凪いで居ようと、快適を求める本能は覆らないし、恋人の手作り料理を乞うて甘えるような、愛情が薄れる訳でもない。

 愛とは、なんだろう。
 茫とした頭で、燦はそんなことを物想う。例えばそれは、互いを想い合う絆。少なくとも、彼女はそうありたいと思って居るけれど。
 ――アタシは、押し付けてないだろうか?
 相手の事情を考えず押し付けるような、自己満足な愛情は、結局は相手を傷つけてしまう。それを知っているからこそ、燦は自身の裡側から湧いて来る想いが偶に恐ろしい。
 もしも此の感情が自己満足の賜物だったとして、ふたりは真に愛し合っていると云えるのだろうか。

 思案するように、眸を伏せる。
 ふと、無造作に置かれた玩具箱が視界に入った。中に入っていたのは、可愛い女の子の容をしたぬいぐるみ。その見慣れた姿に、燦は双眸を瞬かせる。彼女――『頼白』と名付けられた其れは、碧い眸で燦をじぃと見上げていた。
 これは、此処に放り込まれて良いようなものじゃない。
 燦は慌てて箱の中へと手を伸ばし、ぬいぐるみを抱き締める。この子は、特別な宝物だ。恋人がこころを籠めて作ってくれた、宝物なのだから。
「……現在進行形で、救われてるよな」
 お守りのようなそれは、軈て死を齎す薬液から燦の躰を護ってくれている。そして傷付いた彼女のこころすら、支えてくれているのだ。これを奇跡と云わずに、何と云おうか。
「ありがと―」
 腕に抱いたぬいぐるみの艶やかな銀絲を、優しく撫でる。きっと、これで良いのだ。難しく考えた所で、正しい愛情の在り方なんて分からない。
 ならば、素直に想ったことを、感謝の気持ちを伝えよう。そして沢山、彼女と言葉を交わそう。ふたりが同じ未来へと歩んで往けるように。

 内に秘めた決意は焔と化して、燦の躰を優しく包み込んで往く。浄化を齎す其れは、彼女の躰に流れ込んだ薬液を濯ぎ、箱庭の外へ飛び出す力を与えてくれる。
「さて、為すべきことをしようかね」
 腕に繋がれた点滴を外した彼女は、腕に確りと少女のぬいぐるみを抱いた儘、夜に鎖された箱庭へと背を向けた。
 患者たちを救いだし、蓋匣博士に一喝をくれてやる為に――。
大成功 🔵🔵🔵

シホ・エーデルワイス


好きな物だらけで完成した箱庭を目にし魅了され
花畑に寝転び星を見つめ

このまま眠りたい…

堕ちる直前
【音霊】の演奏で意識が戻る

玩具箱の中は友達からの贈り物

私はまだ終われない


社会を守る為に必要な物

先生の意見は
対価を供さず利益のみ得る人が社会に増える事を防ぐ点は間違っていないと思う

けど
私達は皆が利益を得る為に行動した
個人的な利益は得ず
寧ろ払ったのに…

異世界の私達から継承した知識を元に考察

目立つと周囲より社会的地位は上がり
その行動の公益性が理解されなければ
利益を得た様に見えるのね


社会の維持に必要なシャーデンフロイデとどう付き合えば良い?

…先生にもう一度会って
何故シャーデンフロイデに魅了されたのか聞きたい


●想い出の箱庭
 此処には、好きなものばかり。
 地面を覆い尽くす程の青薔薇は、まるで海のよう。夜を映す四方の壁には、ささやかに星が瞬いて居て。造り物の白い月はベッドメリーのように、天でゆらゆらと揺れて居る。
 シホ・エーデルワイスは、魅了されたように双眸を蕩かせて、花畑にそうっと身を横たえた。造花ゆえに馨こそしないけれど、とても心地いい。弱弱しく輝く星も、投薬をされた今は睡魔を誘うばかり。箱庭に満ちた夜を見つめているうちに、段々と瞼が重く成って来る。
 ――このまま、眠りたい……。
 誘惑に負けてしまえば最後、もう二度と醒めないかも知れないとは思わなかった。ふわふわとした浮遊感に身を委ね、微睡みに意識を堕とす――其の刹那。
「……?」
 直ぐ傍で、楽器の音がした。トランペットが軽快な旋律を奏で、太鼓は楽し気にリズムを打ち鳴らし、シンバルが目覚まし時計のように鳴り響く。
 余りの賑やかさに薄らと眸を開けたシホが目にしたのは、お子様幽霊合奏団の“音霊”たち。「がんばれ」「負けるな」と言いたげな彼らの温かい演奏に導かれて、彼女はゆっくりと身を起こす。
「……ありがとう」
 ふ、と双眸を弛ませて礼を紡いだのち、シホは玩具箱の方へと歩みを進め始めた。白い腕を伸ばして、その中を探る。見つかったのは、花簪に華の提灯、それから愛らしい赫いリボン――。
 それらは総て、大事な人たちから貰った贈物だ。大好きな彩で囲まれた箱庭のなか、かけがえのない宝物を抱き締めながら、シホはちいさく頭を振る。
「私はまだ、終われない」
 ここで彼女が帰らぬ人となれば、これをくれた皆が悲しむだろう。睡魔に負けて、優しい眠りに落ちている場合では無いのだ。思考に霞みをかける点滴を引き抜けば、青い薔薇の上に赤い雫がぽたりと落ちた。いまは此の痛みすら愛おしい。お蔭で思考がどんどんと廻り始めるのだから。

「シャーデンフロイデは、社会を守る為に必要な物……」

 蓋匣博士の言葉を、シホは静かに反芻する。
 彼の言葉は、或る意味では正しい。対価を供さずに利益のみを得る者が社会に増えぬよう、ひとは狡い者の失敗を希うのだから。古今東西に伝わる寓話などがいい例だろう。どうせすっぱい葡萄だと、そう悪態を付く狐だって、シャーデンフロイデのひとつの容なのだから。
 けれども、自分はそれに当てはまらないとシホは想う。
 異世界の彼女たちは、遍く人々が利益を得る為に行動をした。故にこそ、個人的な利益は得ず、寧ろ代償を支払ったくらいなのに――。

 どうして。

 そんな疑問を繰り返すのは、もう何度目だろう。
 総ての不幸は、ひとよりも目立って仕舞ったことだろうか。自分の社会的地位が上がることは、誰かの地位が下がることと同義。仮にその行動の公益性が誰にも理解されなければ、結局は独り善がりでしかないし――。
「不当な利益を得たように、見えたのかしら」
 ぽつり、考察にそう結論づける。
 上手くいっている者の不幸を望む気持ちが、ざまあみろと笑う気持ちが、シホには矢張り分からない。
 真面目で善良な彼女には、誰かが不幸に成ることでしか得られない『カタルシス』があることも、誰かの不幸を『エンターテイメント』にして仕舞える人間がいることも、感覚として理解できないのだ。
 ただ、彼らの思考をなぞることは出来た。彼らなりの正義感によって、それらが起こることも、何となく分かって居る。
 では、社会の維持に必要な『シャーデンフロイデ』と、果たしてどう付き合えば良いのか。それもまた、難しい命題だ。
 ひとの不幸を望むことで、自分を不幸な生き物にしている――。
 そんな自覚を本人たちがしないことには、何も変わらないのだから。さもないと、あの蓋匣博士のように、化け物に魅入られて人生を台無しにしてしまうことだってあるかも知れない。
「先生に、もう一度会いたい」
 大好きな箱庭へ背を向けて、シホは外の世界へと駆け出して行く。何故シャーデンフロイデに魅了されたのか、その理由を彼から聞きたかった。
大成功 🔵🔵🔵

未不二・蛟羽

頭の中で、先生の言葉だけが何度も繰り返され
化け物、人でなし

沢山の人形と煌めくオブジェを箱庭に目一杯詰め
星屑の様なガラス細工を一面に散りばめ、楽しげに踊る人々を造りだし
けれどそこに、『モンスター』の人形は入れられず、壊れるほどに強く握り

ここに入ってはいけない

でも、好き
この輝きが、誰かの笑顔が、きらきらする様が
ヒトじゃないから、そんなこころはないのかもしれないけれど

でもそうなりたいって思う時だけは、さむさを忘れられる

震える手でそっと、壊した人形の破片を真ん中へ

どうか
赦してください
人のフリを、願うことを

汚れるのも構わず爪と人形の破片で切った手で顔を覆う

頬に伝わる熱くて冷たいものは
一体なんだろう


●怪物の箱庭
 化け物、人でなし――。
 蓋匣博士に言われた科白が、未不二・蛟羽の脳内でぐるぐると廻っている。あの低い聲が脳裏で何度も反響し、その度に胸が苦しくなる。まるで今も未だ先生が其処に居て、耳許で只管に呪縛の言葉を繰り返されているような、そんな心地だ。
 リフレインする呪いを振り払うように、蛟羽は玩具箱へと向き合った。まるで子供の様に一心不乱に、脇目もふらず中身を漁る。
 腕いっぱいに抱えるのは、たくさんの人形たち。それから、星のように煌めく硝子のオブジェ。それらを夜に鎖された箱庭に満たして行けば、青薔薇に包まれた其処は人形たちの憩いの場となった。
 彼らは大きな円を作って、楽し気に踊って居る。人形たちの周囲には、きらきらした硝子細工が散らばっていて、まるで彼らの楽しさを現しているかのよう。
 とても、楽しくて幸せな光景だ。
 されど其れを見下ろす青年の貌は、何処か浮かない。ただ人間と動物の躰が入り混じった『モンスター』の人形を握り締めた儘、楽し気な人形たちの輪を見つめて居る。
 ――ここに入ってはいけない。
 自分をそう律する程に、人形を握り締める力は強く成る。軈て血管が浮き出る程に、壊れるほどに拳へ力を籠めたならば、ぽきり。あわれ、モンスターは真っ二つに壊れてしまった。蛟羽はそうっと掌を拡げて、無残な其の姿に視線を注ぐ。
 まるで未来の自分を暗示しているような、不吉な姿だ。けれども、一度抱いて仕舞った情景は、もはや誰にも止められない。

「……好き」

 ぽつり、と噛み締めるようにそう零す。
 どうしようもない程に、好きなのだ。
 ひとの営みが放つこの輝きが、誰かの笑顔が、ひとのこころがきらきらする様が。
 自身はひとならざる者ゆえ、そんなこころは無いのかも知れない。でも、そうなりたいと思う時だけ、寒さを忘れられるから。
 こんな自分でも、変われるんだって、そんな希望を抱いて仕舞うから。

 震えるゆびさきが、壊れた人形を摘まみ上げる。
 そして、もはや破片となった其れを、ひとの輪の真中へそうっと置いた。
 調和の取れていた其の光景は、一瞬にしてアンバランスなものとなる。だから、蛟羽は掌で貌を覆って視界を塞いだ。
 広がるのは闇では無く、さび付いた匂いの赫。
 力を籠め過ぎた所為か、爪と破片で掌が裂けてしまったらしい。けれども、構わない。いまさら汚れを気にした所で、何になると云うのか。

 どうか、赦してください。
 怪物であるのに、ひとのフリをすることを。
 こんな身の上でも、ひとと在りたいと願うことを。

 ふと、青年の頬を熱い何かが伝って行く。
 掌で其れを拭えば、孕んで居た熱は疾うに失せていて。代わりにひんやりとした感触が、伝わって来る。
 暖かくて冷たいこれは、この透明な雫は、一体なんだろう。
 未だひとに成れない青年は其れが何かも分からぬ儘、溢れる雫を何時までも拭っていた。最期の一滴が、乾いてしまうまで――。
大成功 🔵🔵🔵

岩元・雫
【偃月】◎

血の巡りが良いとは世辞にも云えない、此の躯に
たかが薬を通すだけで、斯様なに心が凪ぐなんて
秘やかに、自嘲と笑む

おれが今、抱える苦痛も、此れから往く道も
正しいのだと、思いたくて
嘗ての俺が『間違い』だったと――世界の全てから、
否定されて、終いたかったのに

夜空を呆と見上げて居れば、聞き慣れた声
起きてるよ、……まどか
何て事無い、おれが然うしたかっただけ
でも、――良かった

隣の手が箱庭を彩っていくのを、
きみの好きだという桜の色が覆って行くのを唯、眺めて
あんたの溢す言葉を掬って、静かに唯、頷いて

おれは、箱の中が嫌いだ
けれど其処に、大切な人達の『好き』が詰められるのなら
其れが、おれの『好き』なんだろう


百鳥・円
【偃月】◎

投薬されて落ち着いているなんて、笑っちゃう
本当に、彼の患者になってしまったみたい

悪態を溢す唇とは裏腹に
この手は細い管を引き抜けずに居る
ふふ、変なの

大きな箱の中に閉じ込められて
まるで、籠の中の鳥のようです
美しく佇み囀るだけの鳥
左様なものには、成れそうにないのですが

しずくくん、起きてます?
んふふ、問わずとも。でしたね
さっきは――ありがとうございました
心強かったですよ

空の箱を飾るのは花と宝石と
わたしたちが蒐集した数多の夢
百人百色
鮮やかな箱庭の出来上がりです

わたしね、花が好きなんです
薄紅の桜には思い入れがある
散る桜のうつくしさも
永遠の色彩も見たかったから

だから
あの世界に辿り着いたのでしょうね


●花の箱庭
 こころが、とても静かだ。
 投薬されて落ち着いているだなんて、これではまるで――。
「本当に、彼の患者になってしまったみたい」
 青薔薇の海に身を横たえる百鳥・円は、ふふり、と花唇を弛ませた。ゆるりと悪態を溢せども、あえかなゆびさきは動けないでいる。
 ただ、腕からあの細い点滴の管を抜けば良い。此処から抜け出すには其れだけで良いのに、そもそも逃げ出そうとする気が起きないのだ。
「……ふふ、変なの」
 少女は自嘲するように笑う。蕩けた紫水晶の眸が、茫と箱庭に拡がる夜を見回した。箱庭と云うには、此の病室は聊か大きい。こんな所に閉じ込められるなんて、まるで、籠の中の鳥のよう――。
 尤も、円はお喋りで快活だから、うつくしく其処に佇んで、囀るだけの鳥になんて凡そ成れそうにも無いし、成りたいとも思わないのだけれど。
 ぼんやりとそんなことを想いながら、静かに視線を巡らせる。一緒に連れて来られたあの子は、如何して居るだろうか。

 こころが、凪いでいる。
 お世辞にも血の巡りが良いとは言えない躰だ。ましてや、自身は既に死人であると云うのに――たかが薬液を通すだけで、斯様にこころが落ち着くなんて。
 岩元・雫もまた、薔薇の海に横たわった儘、秘やかに自嘲の笑みをかんばせに刻みつける。視界に拡がる青は、いつか身を沈めた海の色に似ていて。なんだか息が詰まるような心地。
 あのカウンセリングは、最悪だった。
 彼が今、こころの裡に抱える苦痛も。此れから、過去を割り切って進んで往く道も。総て正しいのだと、そう思いたかった。
 そして、嘗ての俺が『間違い』だったのだと、そう想えたらどんなに良かったか。蓋匣博士だけではなく、世界の全てから、「静久」のことなんて否定されて、終いたかったのに。
 茫と蕩けた眸にただ憂いだけを滲ませて、雫は作り物の夜空を仰ぐ。欺瞞に満ちた箱庭だけれど、無機質な病室よりも、此方のほうが居心地は良かった。

「しずくくん、起きてます?」
 聞き覚えの有る聲がして、少年は頸だけで其方を向く。視界に映るのは、共に診察を受けた少女の、いつもより少しだけ弱弱しい微笑み。
「起きてるよ、……まどか」
「んふふ。問わずとも、でしたね。さっきは――」
 続く言葉を察した雫は、皆まで言われる前に頸を振る。
 ふたりの間に、気負うような遣り取りは不要だろう。
「別に、おれが然うしたかっただけ」
 少年の返事に円はぱちぱちと双眸を瞬かせ、ふ、と花唇を弛ませた。
「心強かったですよ」
「――良かった」

 それからしばらくして、何方ともなくゆるりと立ち上がり、玩具箱を覗き込む。少女のあえかなゆびさきが掴むのは、彩の鮮やかな数多の造花。それから、きらきらと星のように煌めく宝石たち。
 これらは総て、『わたしたち』――分かたれる前の彼女が蒐集した、数多の甘き夢。百人いれば百の彩、其のどれもが見惚れる程にうつくしい。
 夜に鎖された箱庭は一瞬にして、鮮やかな花で満ち溢れた、鮮やかな宝石箱へと化して行く。
「わたしね、花が好きなんです」
 鏤めた造花を手に取りながら、円はぽつりと言の葉を編む。彼女の掌上で花開くのは、特別なひとひら――薄紅の桜。はらはらと舞い散る桜の雅やかなうつくしさも、永遠の色彩も見たかったから。
「だから、あの世界に辿り着いたのでしょうね」
 少女が掌を翻せば、はらり、青薔薇と艶花で満ちた海に沈んで往く、桜ひとひら。
 彼女のゆびさきが箱庭を彩る様を眺めていた雫はただ、そんな少女の噺に耳を傾けて、零れ落ちた言の葉を救う様に静かに頷いて見せる。

 ――おれは、箱の中が嫌いだ。
 窮屈で鎖された世界で生きることに、何の意味が有ると云うのか。嘗ての彼も其れを厭って、海の底へと身を沈めたのだ。だから鮮やかな彩に満ちた今も、多少の居心地の悪さは否めないけれど。
 此の箱庭に、大切な人達の『好き』が詰められるのなら。もう少しだけ、此の彩を眺めていても良い様な気がする。
 ――其れが、おれの『好き』なんだろう。
 少年は足許に転がる宝石を拾い上げ、そうっと目の前に翳す。彼女が語る誰かの夢の煌めきは、甘さとその鮮やかさで以て、雫のこころを照らしてくれるのだった。
 こころを曇らせる影が晴れるまで、彼女の『好き』を堪能したら、外の世界へと出て行こう。箱庭に縛り付けるような邪魔な管を、自身の意思で振り払って。
大成功 🔵🔵🔵🔵🔵🔵

コノハ・ライゼ


虚ろな目に夜空が映る
偽物であっても尚、心揺らす彩
手を伸ばせど掴めぬまま、暫し見つめ

空っぽな自分には似合わない
けれど「あの人」の好んだ彩――そう、あの人が望むなら
それはどこか本能的に、この身を彩る物を探す

しかし出てきたのは、ぽつんと皿に乗せられたおにぎり
脈絡の無さに、滑稽さに、目を瞠った後声上げて笑う
何コレ
ままごとでもしろって?
……、ああそうネ
続けて箱を探れば、黄金色のカトラリー

コレは思い出の食事
生きろと笑うあの人との繋がりの断片
生きてゆけばこの身はただの器じゃいられないけど
そうしてその意味を探せと言われたから

生きるには、食事が必要ヨネ
立ち上がり握った手の中、カトラリーだけが強い現実味を帯びて


●饗膳の箱庭
 夜が、満ちている。
 虚ろに開いた双眸に映るのは、昏い空。四方の壁に瞬く星の灯はささやかで。白い造り物の月は、ゆらゆらと心地好さげに揺れて居た。
 それは偽物であっても尚、こころを揺らす愛しい彩。
 コノハ・ライゼは、茫としたこころの儘に、夜空へ向かって手を伸ばす。此の天には涯があるけれど、其れでも矢張り、届かない。
 瞬く星も、白く輝くお月さまも、それらを閉じ込めた宝箱のような夜の帳も、空っぽな自分には似合わない。けれど『あの人』の好んだ彩は――……そう、あの人が其れを望むなら。あの彩を、纏わなきゃ。
 それは半ば、“本能”のようなものだった。青年は玩具箱の傍に膝を付き、中へ腕を突っ込んで、其の身を彩るものを探す。
 嗚呼、ガラガラと付き纏う点滴が、鬱陶しい。

 ――ぽつん。

 中身を探ること暫し。軈て出てきたのは、皿に乗せられた『おにぎり』ひとつ。あまりにも脈絡無く視界に入った其れに、青年は薄氷の目を瞠って。
「ふっ、ふふっ……」
 その滑稽さに、聲を上げて笑った。虚ろだった眸が気の抜けたように弛み、目尻に滲んだ雫を長いゆびさきが掬い上げる。
「何コレ、ままごとでもしろって?」
 冗談めかして零した科白は、それでもストンとその胸に落ちた。多分きっと、そう言われている。誰かの人生を儗るように生きるコノハは、或る意味で“ままごと”をして居る様なものだから。
「……ああ、そうネ」
 ならば、道具は未だある筈だ。更に奥まで腕を突っ込み、箱の中を探るコノハ。次に彼が見つけたのは、黄金彩に煌く豪奢なカトラリー。
 コレは、思い出の食事だ。
 記憶の中で「生きろ」と笑うあの人との繋がりの証――其の断片が、此処に在る。何物にも染まらない“素の自分”で生きてゆけば、この身はただの『器』じゃいられない。けれど、あの人はそれを望んで居るのだろうか。コノハが誰かの器として、虚ろに朽ちて往くことを――。
 いつか、ひととして生きるその意味を「探せ」と言われたから。
 あの人の想い出を抱いて、ひとのように生きて往こう。ままごとでも何でも、構わない。それが、あの人の望んだことならば。

「――生きるには、食事が必要ヨネ」

 点滴の管を細い腕から抜けば、しとしとと零れ落ちる鮮やかな赤が、敷き詰められた青薔薇の花弁を色付けた。其れに目をくれず、コノハは静かに立ち上がる。
 握り締めた掌のなか、カトラリーの固い触感だけが、妙に現実味を帯びていた。
 さあ、悪趣味な獲物を喰らいに行こう。
大成功 🔵🔵🔵

ニトロ・カルヴァディアス




偽物の空、偽物の星、偽物の月
多分この花も俺と同じ…偽物
人は本物である事に価値を見出す癖にどうしてこう無駄な物ばっかり造るんだろうね
ほんと迷惑

でもいいよ
なんだか今は気分が良いから

片隅の変な箱に手を伸ばす
中身は玩具と…?何これ、がらくたばっかり

え…これ、博士が昔読んでくれた本だ
博士の事を父さんと呼んでいた頃
俺が違う名前で呼ばれていた頃
本を読んで、頭を撫でて、笑ってくれた
でもあの優しさも全部…偽物

嫌だ、いらない、見たくない
黒い影を放ち月を壊す
花を、箱庭を闇に染める
俺にはこの方が…落ち着く

ざわざわと死霊と成った動物達の声が聞こえる
そう。傍に居てくれるのは真っ暗な闇と『みんな』だけ
俺は…独りじゃない


●影の箱庭
 夜に鎖された箱庭には、偽物ばかりが詰まっていた。
 四方の壁を覆う夜の闇も、瞬く星々も、天に揺れる白い月。それから、まるで海のように敷き詰められた青薔薇も、総て偽物だ。
 それをじっくりと観察したのち「俺と同じだ」と、ニトロ・カルヴァディアスは双眸を伏せる。ひとが考えることは、よく分からない。
 本物であることに価値を見出す癖に、無駄なフェイクばっかりを造っては傍に置いておきたがる。“偽物”の立場からしては、ほんとうに良い迷惑だ。

「――でも、いいよ」
 ほう、と少年は細やかな吐息を溢す。なんだか今は、気分が良い。腕に繋がれた此の点滴、其処から投与される安定剤のお蔭だろうか。ガラガラと点滴台を引き摺りながら、ニトロは暫し造り物の夜を歩く。
 軈て片隅で見つけたのは、見慣れない不思議な箱。
「何これ、玩具と……がらくたばっかり」
 興味を惹かれて漁ってみたものの、其処にあるのは子どもが好きそうなブリキの人形や、玩具のロボット、そして造詣だけはうつくしいオブジェばかり。詰まら無さそうに、其れ等を手に取り眺めていた少年は興が醒めたように、玩具を片付けようとして――ふと、ある物を視界に捉える。
「え、これ……」
 震える手で拾い上げるのは、一冊の本。其のタイトルに、ニトロは見覚えが在った。其れだけでは無い。本の表紙に残った微かな疵や、汚れの痕まで記憶の通り。
 これは、『博士』が昔読んでくれた本だ。
 あの時の自分はたしか、博士のことを『父さん』と呼んでいたのだっけ。まだ、ニトロが違う名前で呼ばれていた頃の――昔の噺だ。
 あの頃の博士は、優しかった。本を読み聞かせてくれたし、柔らかな黒い髪を撫でてくれた。それに、情の篭った笑顔だって向けてくれた。
 でも、それは総て嘘だったのだ。
 あの優しさも、ふたりが過ごした穏やかな時間も、頭を撫でてくれる掌の温かさも、総てが――偽物。

「嫌だ」
 蘇る記憶に、思わず本を取り落とした。重い音を立てながら地面に激突した其れを直視せぬ儘、耳を塞いでただ頭を振る。癇癪を起した子どものように。
「いらない、見たくない」
 少年の脚許から放たれるのは、黒い影。
 其れは天に揺れる月のオブジェを壊し、床を埋め尽くす青薔薇を、星が瞬く四方の壁を、慈悲深い闇に染めて往く。
 そして世界が昏き影に呑まれた頃、ニトロは恐る恐ると貌を上げた。視界には何も映らない。ただ、黒色ばかりが拡がって居る。
「……このほうが、落ち着く」
 漸く生きた心地で、ちいさな吐息を溢す。刹那、耳元でざわざわと聲がした。嗚呼、死霊と成り果てた動物たちの喋り聲だ。それに気付くや否や、ニトロの双眸が僅か安らいだように弛む。
「俺は……独りじゃない」
 そう、何もかもを覆い隠す真っ暗な闇と、『みんな』が傍にいてくれるから。
 腕から邪魔くさい点滴を引き抜けば、少年は闇を纏って歩き出す。偽物の夜にいま別れを告げて、今度こそ本物の宵闇に逢いに行こう――。
大成功 🔵🔵🔵

スキアファール・イリャルギ

点滴が落つる度に怪奇が蠢く
警鐘を鳴らしているのか
おまえに言われなくともわかってるよ

玩具箱に乱雑に置かれた襤褸の人形
まるで自分みたい

父さん、母さん
担当教官だった文さん
"先生"――桃原先生
他の人形を大切な人に例え
襤褸の人形の周囲に飾る

ポケットを探れば
女の子と猫の硝子飾り
……コローロ、ラトナ

泣きそうになる
どうしてみんなは"俺"を助けてくれるの

黄・赤・ピンク・紫――4色のラナンキュラスの造花の花冠も見つけた
身に付けていたヘッドフォンも飾ってみよう

あぁ、こんなにも
私の心は沢山のもので彩られている
嬉しくて歌が零れていく
この想いをみんなに聞かせたい

行かなくちゃ
生きなきゃ
偽物の月と夜に溺れている場合じゃない


●色彩の箱庭
 ぽた、ぽた。
 零れ落ちる点滴が血液と混ざり合う度に、其の身に宿した怪奇が蠢く。このままではお前は死ぬと、そう警鐘を鳴らしているのだ。スキアファール・イリャルギは、包帯越しに回帰を抑えつけながら、深い溜息を吐いた。
「わかってるよ、そんなことは」
 けれども、腕に繋がれた其れを外す気には到底ならず。ガラガラと点滴台を引き摺って、玩具箱の許へと歩み寄る。
 夜に鎖された此の箱庭でやることなんて、他にない。箱の中をがさごそと漁れば、見つかったのは数多のお人形――。

 襤褸の人形を、青薔薇の海に置く。
 所々に罅が入っていて、包帯を巻かれた其の様は、まるで自分のようだった。
 スキアファールが次に選んだのは、綺麗な身形の人形たち。彼らを抱き上げて、襤褸人形の周囲へ並べて往く。
 立派な身形の男性は、父さん。
 優しい貌をした女性は、母さん。
 担当教官の文さんに、白衣を纏うのは桃原先生。
 どれも、彼にとっては大切なひとばかり。仲間に囲まれた襤褸人形を見れば、なんだかこころが癒された。けれどもまだ、何か足りない。ふと、ポケットに違和を感じて其方も探ってみる。気づけば掌に、女の子と猫の硝子飾を握っていた。

「……コローロ、ラトナ」

 視界が、溢れかけた涙で滲む。
 どうしてみんな、“俺"を助けてくれるの。
 怪奇を宿してひとを辞め、影人間と化した、此の身を――。

 襤褸人形にコローロとラトナの写し身も寄り添わせれば、急に彩が恋しくなった。特にコローロ、色を操る彼女には此の暝闇は似合わない。青年にとって彼女は愛しいひとなのだから、なおのこと。
 再び玩具箱に腕を突っ込んで、装飾の類を探してみる。果たしてスキアファールが見つけたのは、四色のラナンキュラスで編まれた花冠だった。造花で造られた其れは、黄色から赤へピンクから紫へと穏やかに彩が移り変わる華やかなもの。それをコローロの頭に乗せて、襤褸人形には己が身に付けるヘッドフォンを飾って遣る。

 ――これで、完成だ。

 嗚呼、と青年は密やかに息を吐く。
 この箱庭の、なんと穏やかで温かなことか。影を其の身に宿そうと、其のこころは沢山のもので彩られているのだ。
 目の前に広がる其の光景が示してくれる事実がただ、嬉しくて。薄い唇からは、独りでに歌が零れて往く。叶うことなら、この想いを『みんな』に聴かせたい。

「……行かなくちゃ」
 そして、生きなきゃ。
 彼の帰りを待って居る人がいる。彼の生を望む人がいる。
 偽物の月と夜に溺れている場合じゃない。
 腕に繋がる点滴を引き抜いて、スタンドを蹴り倒す。ガシャンと大きな音を立てた其れを素通りして、青年は外の世界へと歩んで往く。
 ドアノブに手を掛ける前、一度だけ箱庭を振り返ったスキアファールの貌には、微かな笑みが綻んでいた。
大成功 🔵🔵🔵

百目鬼・那由多




内なる炎の声は今も喧しい程脳裏に響いているのに
ひどくぼうっとするのです
ええ、聞こえていますとも
けれどもう少しだけ待って

小さなそれを手に取る
幾十にも連なる鳥居
妹と演舞した神楽殿
父様母様と歩いた参道
あなたを祀る本殿
嗚呼これは僕とあなたの家

分かっています
これはあの日燃えてしまった筈のもの
この世のどこにも在りはしない夢幻
けれど全てが縋りつきたい程懐かしく愛おしい

響く声が大きくなる
それを奪ったものはなんだと
問われずとも忘れた事などあるものか

この身の欠陥ー、地獄と化した心臓から全身を巡る炎が身体を侵す薬液を、全てを燃やしてゆく

お待たせして申し訳ありません
ええ…、そうですね
僕はまだ闘い続けなければならない


●過日の箱庭
 頭がひどく、茫とする。
 微睡む意識を引き戻すように、脳裏で響く聲が喧しい。
「ええ、聞こえていますとも――」
 内なる炎の聲に応えるかの如く、百目鬼・那由多は小さく頸を振る。嗚呼、けれど。もう少しだけ、待っていて。

 目の前に置かれた玩具箱には、見覚えのあるものが放り込まれていた。小さなそれに、青年はそうっと手を伸ばす。これは、神社のジオラマキットだろうか。
 先ずは、鳥居。
 幾十にも連なる其れは、神聖なる社の風格を引き立てて居る。
 それから、雅なる趣に溢れた神楽殿。
 此処で妹と演舞をしたことは、ようく覚えている。
 そして、少し古風な石畳の参道。
 父様と母様に手を引かれて、一緒に歩いたあの日が懐かしい。
 最後に、『あなた』を祀る本殿。
 立派な構えの其れは、外から見ても神聖さと迫力に満ちている。

「嗚呼、これは――」

 “僕”と“あなた”の家だ。
 もう二度と戻らぬ筈のその光景に、青年は嘆息する。脳裏では相変わらず、喧しいあの聲が反響していた。ほんの少しでもいい、浸らせては呉れないものか。
「ええ、ええ、分かっています」
 何時までも聲は止まぬので、殊勝に頸を縦に振って相槌を打つ。
 そう、此の社はあの日燃えてしまった筈のもの。
 この世のどこにも在りはせぬ、ただの夢幻である。そんなこと、分かって居るのに。思わず縋りつきたくなる程に、総てが懐かしく、愛おしい。
 感傷に身を委ねた刹那、脳裏に響く聲が大きくなった。
『それを奪ったものはなんだ』
 嗚呼、問われずとも分かって居る。

 忘れたことなど、あるものか!

 拳をぐっと握り締めれば、その身の欠陥――地獄と化した心臓が激しく波打った。同時に、青年の全身を炎が巡り始める。地獄の焔はひとを死に至らしめる薬液を、そして其れが齎す陶酔を、全て燃やし尽くして行く。
 忽ち灰と化した点滴台を見降ろしながら、那由多は小さく息を吐く。過去を懐かしむことすら、内なる炎は赦して呉れないらしい。
「お待たせして申し訳ありません」
 脳裏には未だ、あの聲が響いている。青年は暫しその聲に耳を傾けたのち、静かに双眸を鎖した。まるで、覚悟を決めるように。
「ええ……。僕はまだ、闘い続けなければならない」
 ゆっくりと開いた眸に、もう迷いの彩はなかった。
 那由多はゆるりとした足取りで扉へと進み、ドアノブへと手を掛ける。そして一瞬だけ懐かしい生家を振り返ったあと、彼は外の世界へ飛び出した。
 ――もう、振り返らない。
大成功 🔵🔵🔵

ライラック・エアルオウルズ


微睡むような意識
そのなかとあれども
己にも見えない友の姿に
泪乾く皮膚が僅か痛む

けれど、裡の虚ろには
生温いものが満ちていて
そうか、侭とあるのなら
孰れ寂しさも失せるのか

でも、満ちた筈の裡が
ひどく、――かるい

からを密と埋めたくて
ゆるりと指先を伸ばす
絵本の上に寝台
それを照らす洋灯で
兎や鳥を其処に呼ぶ
何時かを倣う僕の庭

これでは、影に追い縋り
現に幻を重ねていると
再び批評されようが

探り続ける箱の底
見つけ出した万年筆
そう、今の僕は作家
見えない想像たちを
どんなやり方であれ
形にするのも役割だ

僕の犯した、間違い
白紙に戻せはしなくとも
修正塗れの原稿だって
愛してくれるひとがいる
故に、筆は止められない

それが僕の償いだから


●作家の箱庭
 浮かんでは、また沈む。
 微睡む意識は暫くの間、ずうっと其れを繰り返して居る。薄らと開いた瞼、ぼやける視界。そのなかであれど、視えない友の気配はすぐ傍に。己にはもう見えない其の姿に思いを馳せたなら、乾いた涙の痕がひりついたように痛んだ。
 ライラック・エアルオウルズのこころには何時も、ぽっかりと、子ども独り分の穴が空いていた。けれど今、その虚ろには生温いものが満ちている。
 或いは、腕に繋がれた管を通して、ぽたぽたと止め処なく流れ込んで来る薬液が、彼にそう想わせているのだろうか。
 ――そうか。
 茫とした思考のなか、彼の“大人の部分”がロジックを組み立てて往く。見えぬ友が居ないことが、彼にとって侭とあるのなら。孰れは、寂しさも失せるのか。
 先程まで泣きじゃくっていたことが嘘のように、こころは凪いでいる。
 喪失感は疾うに消え失せて、裡は満ちた筈なのに。それでも尚、彼のこころはひどく――軽い。
 なんだか余計に空っぽに成って仕舞ったような、そんな気がした。そんなからを密と埋める為、ライラックはずるりと玩具箱の許へ這いずり、その中へ腕を突っ込んでみる。
 ゆるりと伸ばしたゆびさきが探り当てたのは、一冊の絵本だった。いつか、彼が文を綴ったものだ。ぱらぱらと中身を検めるゆびさきが、ぴたりと止まる。
 紫花の双眸で見つめる先には、ドールハウスに飾るような、ささやかな寝台があった。拡げた絵本の上に、拾い上げた其れを置く。頁には丁度、子供部屋が描かれていた。ライラックは其処にカンテラを寄せて、寝台のある部屋を照らし出す。
 喩え造られた夜であろうと、照らせばきっと『君』は訪ねてくれる。そうだろう、……――?
 こころの裡で友の名を紡いだなら、絵本から飛び出して来る影の兎や、愛らしい小鳥。彼らは寝台の周りを楽し気に飛び回っては遊んで居た。
 それは何時かを倣う、彼だけの箱庭である。

 茫とした頭で其れを眺める幻想作家は、人知れず苦笑を溢す。これでは、再び酷評されて仕舞うだろう。影に追い縋り、現に幻を重ねていると――。
 ライラックは、満たされていた嘗ての光景から視線を逸らし、再び箱の底を探り始める。暫らくして漸く見つけだしたのは、手に良く馴染んだ万年筆。黒曜の芯と銀装飾のコントラストがうつくしい、愛用の。
 そう、今のライラックは作家である。
 決して眼には見えない想像たちに、容を与えることこそ彼の仕事。それが喩え、どんなやり方であろうとも。遊びのない人間に、逃避だと蔑まれようとも。
 書かなければ、作家では居られないのだ。

「僕の犯した、間違い。それを、白紙に戻せはしなくとも……」
 修正塗れの原稿だって、愛してくれるひとがいる。愛し、求めてくれるひとがいる以上、作家たる彼は筆を置くことなど出来ない。
 ――それが僕の、償いだから。
 故に、筆は止められない。綴り続けることで、救われるものもあるのだ。今宵も想像のなか、大切だった友と戯れて、夢幻のきれいごとを重ねて行こう。
 此の眸には映らない、君の気配を感じながら。
大成功 🔵🔵🔵

シャト・フランチェスカ


玩具箱を倒して
散らばった中身を検める
どれもこれも欲しくない
僕は正しく子供で在れないまま
惰性で辿り着いた大人
何が己の欲で、望みで、夢なのか読み解けない

此処は灰色
此処も、灰色

静かなのは嫌いだ
こころを見詰める羽目になる
穏やかなのは苦手だ
いつ破綻するか怖くなる
戦地に身を置いた方が楽なんだ

でも、全てどうでもよくなって――

星屑のように燿る硝子の万年筆
花宵の桜彩だけが鮮烈に
痛みではない何かが
確かに「僕」を繋ぎ留めている
帰らなくちゃ


誰かが好きだった花だ
次の春までは生きられず
若くして死んだ誰かの

僕が目覚めた瞬間から身に宿す
まるで呪い、或いは祝福
疎ましくも愛おしい

帰るんだ
美しい世界ではない
だからこそ、帰ろう


●桜の箱庭
 ガシャン。
 夜に鎖された箱庭の静寂を、無機質な音が引き裂いた。子どものように、玩具箱を払い除けてひっくり返したのだ。
 実際、内に秘めた“子ども”の一面が出て仕舞ったのかも知れない。そんなことを茫と思いながら、シャト・フランチェスカは屈んで散ばった中身を検める。
 どれも、これも、欲しくない。
 正しく子どもで在れない儘、惰性で辿り着いた大人。それが、シャトである。ゆえにこそ、何が己の欲で、望みで、夢なのか読み解けない。誰かに読み解いて貰う為の文章ばかり、綴っているのに――。

 此処は灰色。此処も、灰色。
 造り物の夜なんて子供だましで、馬鹿々々しくて、総てが色褪せて見える。
 何より厭なのは、此の静けさだ。ひとの聲だとか、頁を捲る音だとか、兎に角そういうノイズが恋しい。静けさのなかに置き去りにされたら、こころを見詰める羽目になる。だから、靜かなのは苦手だ。
 それから、穏やかなのも苦手だ。
 此の安定がいつ破綻するのかと、考えている内に怖くなる。血潮が舞い、金属が擦れ合う音ばかり反響するような、そんな戦地に身を置いた方が幾分か楽である。
 けれども、こころが凪いだ今となっては、凡てが如何でも良くなって――。

 からり。
 虚ろに伏せた双眸の端へ、転がってくる何かがあった。視線を動かして、其れを見る。星屑のように燿っていたのは、硝子の万年筆。暝闇のなかですら鮮烈な色彩を放つ、花宵に散る桜が自棄に瞼に焼き付いた。嗚呼、痛みではない何かが。確かに『僕』という存在を、憂き世に繋ぎ留めている。

「……帰らなくちゃ」
 点滴台に縋るようにしながら、シャトはゆるりと立ち上がる。多分、待って居てくれるひとが居るから。それに、置いて行くことなんて、したくないから。それでも襲い来る眠気にふと瞼を鎖せば、脳裏にふわりと桜が舞う。
 桜、ひとひら。
 近くて遠い所にいる誰かが、好きだった花だ。次の春まで生きられず、若くして死んだ誰かの――。
 想えば、目覚めた瞬間から此の身は呪われていた。
 或いは、祝福されていたのかも知れない。疎ましくも愛おしい、桜枝。此れは常に彼女の髪を彩っていて、決して分かたれることは出来ない。
 確かめる様に其れに触れたのち、乙女のあえかなゆびさきは、腕に刺さった点滴を引き抜いた。滴る血の雫が、床を埋め尽くす青薔薇を鮮烈な赤色へと染めて往く。
「――帰るんだ」
 此の世界は決して、美しいものではない。だからこそ、帰ろう。夜に鎖されたうつくしい箱庭へ背を向けて。
 決意を秘めて、出口へと歩んで往く。そんな彼女の掌中には、一本の万年筆が大切そうに握られていた。
大成功 🔵🔵🔵

杜鬼・カイト

のろのろとした動作で箱庭に玩具を放りこむ
箱庭が満たされるのに反比例して、心は一向に満たされない
虚ろだ。カラッポだ

いつのまにか手にしていた鏡をのぞきこむ
人の汚いところばかり映してきた鏡だ
……いや、一度だけ綺麗なものをみたっけ
でも、もう何も映らない。ぼやけてよく見えない
先の博士の言葉を思い出す
「確かに。こんな鏡…いらないよな」
誰だって本物が好きだ。オレだって……

乱雑に放りこんでいた玩具を箱庭から取り払う

鳥籠を一つ
中には一羽の鴉の置物
鍵はしっかりかけておく
どこにも逃げられないように
どこにも逃がさないように

ごめんね。この箱庭だけは
外の世界では絶対に、鳥籠に閉じ込めたりしないから


●鳥籠の箱庭
 体が重い。けれども、こころはカラッポだ。
 何処か虚ろな心地の儘、杜鬼・カイトはのろのろと、目の前にある玩具箱へ手を伸ばす。青薔薇に包まれた夜の箱庭に並べて往くのは、子ども――男の子が好むような造詣の玩具たち。ブリキの人形に、ロボットの玩具、ミニカーに、それから……。
 みるみる内に箱庭は、幼心を現したような彩で満たされて行くけれど。それと反比例するように、彼のこころは一向に満たされず、醒め切って往く。

 いつのまにか、掌中では鏡を握り締めて居た。虚ろな眼差しで、カイトは其れを覗き込む。ひとの業や汚い所ばかりを映してきた、哀れな鏡だ。
 ――……いや、一度だけ綺麗なものをみたっけ。
 けれどもそれは、遠い昔の噺。鏡はすっかり曇り切っていて、もう何も映さない。今の自分の貌を映そうとして見ても、ぼやけてよく見えないのだ。これでは、鏡の体すら為して居ない。
『わざわざ偽物を好むひとなど居ないよ』
 肩を落とす彼の脳内で、博士の言葉が延々とリフレインする。確かに、彼の云う通りかも知れない。鏡から目を逸らせば、独りでに大きなため息が漏れた。
「こんな鏡……いらないよな」
 結局は誰だって、本物が好きだ。勿論、カイトだって例外では無い。懐に鏡を仕舞えば、箱庭を満たしていた玩具を拾い上げ、片付けて往く。取りあえず並べてみたけれど、矢張り虚しくなるだけだった。
 ミニカーも、ロボットも、玩具の兵隊も、総て箱の中に片付けたなら。来た時と同じような、青薔薇に溢れた静かな夜に、小さな世界は包まれる。結局、カイトが箱庭に飾ったものは、ひとつだけ。
 濡れた羽を持つ鴉のオブジェを閉じ込めた、金彩の鳥籠だ。
 青薔薇の海の中心に、ぽつんと置かれた其れは、物悲しくもうつくしい佇まいで絵になった。勿論、鍵を掛けるのも忘れない。

 どこにも逃げられないように。
 そして、どこにも逃がさないように――。

 錠前をがちゃんと掛ければ、青年の裡に暝い喜びが波紋のように、ささやかに拡がって往く。カイトは愛おし気な眼差しで、閉じ込められた鴉を見つめた。
「――ごめんね」
 これは、現世では叶わぬこと。ならばせめて、この箱庭の中だけでも、秘めたる希いを叶えたい。手に入れたい、閉じ込めたい、ずっと傍に置いておきたい。総てはきっと、愛ゆえに。
「外の世界では絶対に、閉じ込めたりしないから」
 ぽつりと零すことばに、決意に似た想いを滲ませて。カイトは静かに立ち上がり、鳥籠へと背を向ける。気怠げに腕に繋がれた点滴の管を抜き放てば、スタンドを片手で倒して、出口へと向かって行く。
 軈てドアノブに手を掛けながら名残惜し気に振り返った彼の彩違いの眸には、鳥籠に世界を鎖された鴉の姿だけが映っていた。
大成功 🔵🔵🔵


第3章 ボス戦 『エマール・シグモンド』

POW ●それは自戒か、将又自壊か
【ハーバリウム内の花弁を増やす 】事で【高速思考処理モード】に変身し、スピードと反応速度が爆発的に増大する。ただし、解除するまで毎秒寿命を削る。
SPD ●実存は本質に先立つ
自身の装備武器を無数の【青バラの花弁 】の花びらに変え、自身からレベルm半径内の指定した全ての対象を攻撃する。
WIZ ●永劫回帰
【もう一人のエマール・シグモンド 】が現れ、協力してくれる。それは、自身からレベルの二乗m半径の範囲を移動できる。
👑11 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は💠鈴・月華です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●Alliance of the Roses
 薬液が齎す偽りの安定を振り切った猟兵たちは、病室――夜に鎖された箱庭――を抜け出して、院内を駆け抜ける。道中、他の病室も覗いてみる。案の定、中には少年たちが閉じ込められていた。彼らは眠らされているようだったが、あの点滴には繋がれていない。命には別条ないだろう。総てが終わった後にUDC組織が、彼らを保護してくれる筈だ。――となると、目指す場所はただひとつ。
 あの忌まわしい博士の箱庭『カウンセリングルーム』である。

 勢いよくドアを開く。其処には矢張り、蓋匣・薔薇博士の姿が在った。椅子に背を預けた儘、ゆるりと煙草を吹かす様は何処までも鷹揚であるけれど。整ったそのかんばせは蒼白く、死相が浮かんで居る。
「……どうやら私は、支配者の座から引き摺り下ろされて仕舞うようだ」
 猟兵たちをちらりと眺め遣り、静かに椅子から立ち上がる博士。一拍遅れてガラガラと音を立てるのは、――点滴台だ。
 パックの中に残るのは僅かな量であるけれど、ぽたり、ぽたり。滴り続けるそれは、猟兵たちに繋がれていたものとは異なるらしく、暗い部屋のなかで自棄に煌いて視えた。それが何の化学薬品で造られているのか、総ては博士のみぞ知る。
「感傷の中で綺麗に終わろうと思ったのに。少し早すぎだよ、君たち」
 ふ、と白い息を吐いたのち、博士は煙草を灰皿に押し付けた。エテニルピリジンの厭な馨は直ぐには消えず、ドアの方まで漂って来る始末。そんなことなど気にも留めず、博士は彼の神を呼ぶ。

「エマール、――エマ!」

 彼がそう吠えれば、苦い空気が厭に騒ついた。闇に紛れたなにかが直ぐ其処まで、這い寄ってきているような、そんな感覚に猟兵たちは襲われる。
「聞いているね? 此の箱庭は君に譲ろう、全部、全部君にあげるよ」
 蒼い貌に脂汗を浮かべながらも、博士は陶酔に笑う。そうして腕をまくり、己の血管を顕にすれば、其処へと注射器を突き立てた。
「今日から君が王様だ」
 おめでとう。そんな科白を遺して、蓋匣博士の躰は床へ崩れ落ちて往く。少年たちの絶望など、最早取るに足らぬもの。されど、上質な痛みを抱える猟兵たちには、箱庭から逃げられた。ならば、取り得る選択肢は唯ひとつ。其の身を「贄」とするほか有るまい。今度こそ、彼の期待に応えてみせよう。
 此のいのちを以て、うつくしき神を此処に――!

「たいへんよくできました」

 出来の悪い生徒を褒めるような、穏やかな聲が、ぽつりと落ちた。
 独りでに窓が開き、突風が吹き荒ぶ。刹那、部屋のなかへと流れ込んで来るのは、青い薔薇の花嵐。それはみるみる内にひとの容を取って往き、軈ては異形の神となる。
「ワタシはエマール・シグモンド。円環に背き、螺旋を求めるモノ」
 その邪神は、身形の良い紳士の容をしていた。しかし、その頭には“貌”がない。代わりに蒼い薔薇を閉じ込めた、うつくしいハーバリウムが乗せられている。紳士は猟兵たちに恭しく腰を折ったあと、倒れ伏す博士へと視線を向けた。
「君は実に良い助手であり、とても可愛い被検体でしたよ、ローズ」
 事切れた彼に其処まで語り掛けたところで、いえ、と異形の紳士は頭を振った。シルクハットを胸に抱けば僅かに頭を伏せて、親愛なる共犯者へ別れを告げる。
「ありがとう、ソウビ。そして、さようなら」
 ステッキでカツンと床を叩いたなら、何処からか青い薔薇の花弁が降り注ぎ。綺麗さっぱり、蓋匣博士の遺骸を何処かに攫って仕舞った。如何な因果か、シルクハットをかぶり直した紳士の頭――ハーバリウムのなかで、青い薔薇が花開く。
「君たちも、お見事でした」
 くるりと猟兵たちのほうへ向き直れば、異形の紳士はぱちぱちと手を叩き、まるで其の健闘を称えるように、ささやかな拍手を降らせた。
「その献身によって少年たちは贄とされず、ソウビは自らを贄とし破滅しました。さあ、これにて総てお開きです。どうぞ、其処のドアからお引き取りを――」
 揃えた指先で出口を示され、穏やかに帰宅を促された所で、誰も帰ろうとはしない。当たり前である。此処まで来た猟兵たちが、邪神を見過ごす筈も無いのだ。
 はて、と頭を傾けた異形の紳士は、直ぐに気を取り直しステッキを構え直した。エテニルピリジンの馨は風に溶け、変わりに薔薇の甘い芳香が部屋の中に満ちて往く。
「ならば、もう暫しお付き合いの程を。嗚呼、折角ですから感想でも伺いましょう」
 カウンセリングでこころの傷を抉られて。箱庭療法によって、裡に秘めた想いと向き合い、傷を癒す。それがこの病院で行われた、『診療』の一部始終。
 あらゆる疵がそうであるように、こころに刻まれた疵もまた、外気に晒してゆびで触れて、痛いところに向き合わなければ、決して癒されない。
 ゆえにこそ、博士と共鳴した邪神――エマール・シグモンドは、問い掛けるのだ。

「君たちは、救われましたか」


*補足*
・アドリブOKな方はプレイングに「◎」を記載頂けると嬉しいです。
・3章は戦闘パートなので、連携が発生することも有ります。
 ⇒ソロ希望の方は「△」をご記載ください。
・プレイングは戦闘よりでも、心情よりでも、何方でも大丈夫です。

*受付期間*
 9月14日(火)8時31分 ~ 9月17日(金)23時59分
*追記*
・オーバーロードの有無は採用率に影響しません。
・なおグループでご参加の際は、失効日を揃えて頂けますと幸いです。
花菱・真紀

治療?あの男が行って居たのは心をさらに抉るような所行にみえたけれど…?
確かに欲しかった言葉をもらった。
けれど身の内に潜んでいた新しい人格を引きずり出す事になってしまった…よりによってなんであいつなんかッ!!

…俺を生んだのは今でも俺が怖いと言う気持ちと俺と同じ思考を持てば俺に唆されことはないと言う思考。別人格と言うにはより本物に違い別人。
俺を恐れるあまり俺を作るなんてなんて愚かな真紀。そこがおもしろい。この体と心を使ってなにができるだろう。まぁ、しばらくは大人しくするつもりだけど。
とりあえずありがとう邪神様。
そして、さよなら
UC【匿名の悪意】
はは、ちょっとやってみたかったんだよね。これ。


●Switch
 現世に顕現した邪神は、其の身にうつくしき薔薇の花弁を纏いながら、悠然と問いの答えを待って居る。最初に口を開いたのは、眼鏡の奥の眸を怪訝そうに眇める花菱・真紀であった。
「……救われたかって?」
 裡から沸々と湧き上がってくる憤りと云う名の熱に、拳が震える。アレが診療だなんて、冗談にも程がある。
「あの男が行ってたのは、心をさらに抉るような所行だろ」
 確かに、真紀は欲しかった言葉を彼に貰った。けれども其れは、彼のこころの奥底にて鎖されていた『パンドラの匣』を開けることに成ったのだ。嗚呼、よりによって。

「――なんで、あいつなんかッ!!」

 かちり。
 脳内で、何かが噛み合う音がした。同時に、きつく握り締めて居た拳が緩む。そう、蓋匣博士によって開けられたのは『3人目』を閉ざして居た匣。
 今でも決して薄れはしない、彼を恐れる気持ち。
 そして、彼と同じ思考を持てばもう二度と、唆されることなどないと云う思考。
 そのふたつが、真紀のなかに『彼』を生んだのだ。それは最早、別人格というよりは殆ど『本物』に違い別人であった。彼は真紀の片鱗を持たないのだから。

「俺を恐れるあまり『俺』を作るなんて、愚かな真紀」
 けれども其処がおもしろい、なんて。ずれた眼鏡を上げながら、青年は不敵に笑う。狭い箱の中に閉じ込められて、いままでずっと退屈だった。さあ、この体と心を使って、次はどんな遊びができるだろうか。
「まぁ、しばらくは大人しくするつもりだけど……」
 内ポケットから携帯ゲーム機を取り出せば、碌に画面を見もせずに電源を入れる。眼鏡越しの視線は、ハーバリウムを飾る紳士に向けた儘。真紀の豹変にエマールは、おやおやと頸を傾けていた。
 憤懣から一転、斯くも楽し気に振舞って見せるとは――。
「とりあえず、ありがとう邪神様」
「君は――……」
「そして、」
 皆まで云おうとする邪神を遮るように、青年は口を開く。双眸に冷酷な彩を滲ませながら、至極淡々と。

「さよなら」

 刹那、ゲーム機の画面から飛び出すのは無数の悪意。誰が放ったかも分からぬ匿名の其れは、聞くに堪えぬ罵詈雑言で以て、邪神の神経を苛んで往く。
 クズ、底辺、社会のゴミ、お前なんてXXばいいのに――!
 まあるい硝子の頭を抑えながら悶える邪神。其の様を眺める青年は「はは」と、いたく愉快そうな笑聲を溢した。
「ちょっとやってみたかったんだよね、これ」
 悪戯な笑みを口端に浮かべた儘、青年は邪神の狂乱をただ見ていた。真紀のなかに居た時から、この技には惹かれていたのだ。
 自分は手を下さずに、誰かの悪意で他人が傷付く様を見る――それこそが、シャーデンフロイデ。
大成功 🔵🔵🔵

アウレリア・ウィスタリア

真の姿
父親はオラトリオ
母親は魅魔
そのハーフ

心の傷?
私の傷は既に克服済みでした
それに「本当の家族」は既に思い出していました
よくわからない薬のせいでまた忘れてしまうところでした

つまりここでの診療は無意味
既に経験した道筋を再び辿っただけ
だから私は救われていません
ただただ不快でした

この不快な気持ちをお前にぶつけよう

【空想音盤:苦痛】
身体に刻まれた傷は心の傷と同じもの
殴られ蹴られ打たれ焼きごてさえ押し当てられた傷
全身に刻まれた傷

私を癒す?
その傲慢さが不快
お前たちに私を癒せるわけがない
私を癒せるのは私の家族だけ
私が求めるのは本当の家族との再会だけ

お前はこの世界から消えろ

血糸を絡めて強化した鞭剣で引き裂く


●Pain
 ゆるりと仮面をずらしたなら、露わに成る白くてうつくしいかんばせ。窓から射し込む月光を受けて、鈍い煌めきを放つ黒曜の角。月夜に曝すは真の姿、オラトリオの父と魅魔である母から継いだ、黒と白の造詣。
「私の疵は既に、克服済みでした。それに『本当の家族』のことも、既に思い出していました」
 悪魔めいた黒い尻尾をゆらゆらと遊ばせながら、アウレリア・ウィスタリアは彩違いの双眸をつぅ――と細めて見せる。
「それなのにまた、忘れてしまうところでした」
 花唇から零すことばに滲ませるのは、ささやかな非難。
 あの思考を茫とさせる薬液は、希死観念を増幅させるばかり。運よくネモフィラを見つけられなければ、きっとあの箱庭を飾るオブジェのひとつに成って居ただろう。
「つまり、ここでの診療は無意味」
 アウレリアはただ、既に経験した道筋を再び辿っただけ。そのなかで再確認できた温もりもあったけれど、それは決して彼らが齎した恩寵ではない。
「私は、救われていません。ただただ、不快でした」
 故にこそ娘は凛と、彼の語る其れを救いと呼ぶことを拒むのだ。
「カウンセリングは不要でしたか、残念です」
「ええ、だから――」

 この不快な気持ちを、お前にぶつけよう。

 震える花唇がぽつりと音を紡いだ刹那、絹の如き滑らかな白肌に、無数の生傷が浮かび上がる。それは、幽閉されていた当時に拷問で受けた傷。殴られて、蹴られて、鞭で打たれて、挙句は焼きごてさえ押し当てられた――生々しい疵。
 忽ち全身を覆い尽くす其れは、アウレリアの半生の壮絶さを物語っていた。同時に、彼女がこころに負った傷の大きさも。
「成程、君の疵は箱庭療法でも癒えなかったようですね」
「私を癒そうなんて、その傲慢さが不快」
 貌のない邪神から鷹揚に紡がれる考察を、娘は冷たく一蹴する。拷問の記憶は未だ色濃く、魂にすら刻まれていて、どこもかしこも疵だらけ。そして彼女をこんな目に合わせたのは、異物を排除しようとするひとの醜さ――例えば、あの蓋匣博士が抱いていた昏い愉悦に他ならないのだから。
「お前たちに私を癒せるわけがない」
 アウレリアを癒せるのは、別たれた家族だけ。本当の家族と再会を果たして初めて、傷付いた彼女のこころは救われるのだ。

「お前はこの世界から消えろ」

 悪戯にひとの疵を晒して抉って愉しむような、そんな邪神は滅びて仕舞え。そうでなければ、此の不快感は消えやしない。
 鋭い眼差しでハーバリウムを射抜くアウレリア。ぽたぽたとゆびさきから滴るのは、鮮やか血の雫。それで絲を編んだなら、鞭剣へとくるりと巻き付けた。そうして、ステップを踏むように床を蹴る――。
「君が救われるならそのように。ですが、」
「……まだ、全員の感想を聞いておりませんので」
 一瞬、エマールのシルエットがブレた、と思った次の瞬間。異形の紳士が独り、増える。円環に背を向けた彼は生き延びる為に永劫回帰し、スケープゴートを生み出したのである。新たに生まれた邪神は前に出て、本体の盾と成る。

「――消えろ」

 されど、アウレリアは止まらない。
 獲物がいくら増えようと、やることは只ひとつ。惑わされる必要なんて無い。思い切り剣を振って、引き裂くだけだから。
 赤い軌跡を描いた切っ先は、盾と成った邪神を正面からするりと撫ぜる。刹那、彼の躰は真っ二つに分かたれて、床へごとりと崩れ落ちた。硝子が割れて、青い花弁が散る。
 彼の後ろに隠れていたエマールはステッキを構えて応戦を試みるが、既に遅い。
 黒白の翼が視界に揺れた瞬間にはもう、風に舞う花弁に紛れるが如く突き出された剣先が、仕立ての好い彼の纏いを引き裂いていた。
大成功 🔵🔵🔵

琴平・琴子


真の姿解放
学校という所属証明を身に纏った姿

貴方になんか救われてない
私が救われたのは、あの人と、あの子のおかげ
何時だって、夕暮れのあの時だってあの二人だけ

貴方には分からないでしょう
誰もが否定する中でそれでも良いと肯定してくれる優しさを
――それが時に残酷なものだとしても、人の話を聞いていないでただ頷いているだけだとしても
それに救われて、憧れてもいいものだと幼心は救われるものがあったのですから

髪の毛に隠していた琴ノ絃を引き抜き、辺りに張り巡らせて相手の動きを鈍らせます
その隙をついてUC発動
上辺だけ見ていては足元を掬われますよ
貴方が誰かを救う前に

足元から頭上へ向かう棘
その御味は如何?


●Uniform
 学校と云うものは、窮屈な箱庭だった。
 けれども、制服に身を包んでいるひと時は安心できる。それは「学校」という集団に所属していることの「証明」のようなものだったから。
 セピア彩のカーディガンに、同系色のベレー帽。そして紺のブレザーとスカートを纏った琴平・琴子は、凛とした眼差しで青薔薇が咲くハーバリウムを射抜く。
「――貴方になんか救われてない」
 夜に鎖された箱庭から抜け出せたのは、琴子のこころが救われたのは、『あの人』と、『あの子』のおかげだから。いつか出逢えた、“王子様”と“お姫様”の。
 そして彼らに救われたのは、今日が初めてではないのだ。何時だって、琴子は王子様とお姫様に救われていた。夕暮れのあの時だって――。
「貴方には分からないでしょう」
「ええ、詳しくお聞かせ願いたい所ですね」
 ハーバリウム頭の紳士は、淡々とした調子で琴子に噺の続きを強請る。琴子は翠の双眸を伏せて、訥々と答えを紡いで往く。
 世界中の誰もが否定するなか、「それでも良いのだ」と肯定してくれるような“優しさ”に彼女は救われたのだと云う。喩えそれが、時に残酷な結果を招くことを知っていても。
「成程、肯定してくれるなら嘘や欺瞞でも構わないと」
「いいんです、それで」
 少なくとも琴子にとっては、それでよかった。
 真に自身が語る言葉を理解してはくれなくても、ただ頷いて相槌を打ってくれるひとが居ると云う事実に、幼い心は確かに救われていたのだ。御伽噺に出て来るような存在に子供じみた憧れを抱いて仕舞うことすら、赦せるように成る位に。
「ローズのカウンセリングは、君にも効果が無かったようですね。……残念だ」
 ハーバリウムの中で、はらり、青い花弁が絢爛に舞う。来る、とこころの中で少女が構えた刹那、エマールの姿は既に視界から消えていた。
 ふと自身の真上に降りた影を目聡く察すれば、琴子はすぐさま地を蹴って飛びずさる。脚が再び地面と触れ合った瞬間、先程まで彼女が居た場所に深々と突き刺さる――紳士のステッキ。
「あのお医者様にも、きっと分からないでしょう」
 寂しいこどもの気持ちなんて――。
 本音を淡々と零しながらも髪に結い込んだ琴の絲をしゅるりと引き抜いて、真直ぐな眼差しで邪神を見つめる琴子。彼女は視界に映る彼の姿が消えた刹那、転がるように床を滑り、ステッキの突きを避けて往く。
「ワタシたちの“専門”は、ひとのココロを掘り下げることですので」
 涼しい調子でそんなことを宣うエマールのシルエットが、一瞬だけブレる。琴子は大きな双眸で、その様を見つめて居た。ステッキを構えた紳士が、脚を踏み出す。けれどもう、逃げない。

「……おや?」

 ぐらり、唐突にエマールの躰が傾いた。
 されど彼は床に倒れ込むこともなく、ステッキを振り上げた状態で動きを止めている。開け放った窓から射し込む月の光が、自棄に彼の周囲をきらきらと照らしていた。そう、これは――。
「蜘蛛の絲、ですか」
「そうやって上辺だけ見ているから、足元を掬われるのですよ」
 貴方が誰かを“救う”前に。
 ひとの疵を抉って愉しむような連中に、ひとが救える筈も無い。そんな真理を醒めた聲で、琴子が淡々と紡ぐ。刹那、紳士の影が歪に蠢いた。それは鋭い棘となって、彼の躰を足許から上体へと上って往く。
「ねえ、御味は如何?」
 軈て硝子の頭部へと突き刺さる、影の棘。彼女が張り巡らせた琴の絲は淡い月彩に煌きながら、苦し気に藻掻くエマールを戒め続けるのだった。
大成功 🔵🔵🔵

シャト・フランチェスカ


救い?
そう云ったの
博士はそれを視たのかもしれないね
散り際、他人に「おめでとう」だなんて
そんな語彙、僕には無いもの

共感もしよう
疵には向き合ってこそだ
時間では癒せないものもある
但し
きみたちには心が無かった
診療と称して若い心を愚弄した
其れが胸糞悪かった
聞こえの良い言葉を選ぶなよ

無貌の華
嗤ってるのかも判りやしない

蹉跌はね
邪神如きが与えて善いものじゃないよ
施してやったつもり?
何様だ、と憤るのが何故か想像できるかい
その程度で神を語る/騙るな

きっと此れは
「シャト・フランチェスカ」の怒りじゃないんだ
僕の裡
救われ損なった少女の

「僕」は
理解も救いも要らない
報われてしまったら
生きる執着を失くしてしまうだろうから


●Question
 異形の紳士は、一連のカウンセリングの“結果”について関心があるようだった。この病院に脚を踏み入れてから、ずっと実験体として扱われているような気がして、じわりと不快な感情が胸の裡に拡がって往く。
「救われたかって、そう云ったの」
 分かり切った問い掛けに、シャト・フランチェスカは醒めた貌。うつくしいかんばせから表情を消した侭、異形の頭で咲き誇る青い薔薇へと視線を注ぐ。
「たしかに、博士はそれを視たのかもしれないね」
 彼は今際の際、いのちを捧げた邪神に向けて「おめでとう」と、祝辞を溢して見せたのだ。シャトは作家であるけれど、そんな語彙など持ち得なかった。
 心酔する神へ捧げる科白としては余りにも陳腐であるし、そもそも登場人物を満足げに退場させたくない。彼らの幸福を望むことなんて、到底出来ないから――。
「とはいえ、共感もしよう」
 博士が行っていたカウンセリングは、決して的外れともいえないのだ。「疵」にはちゃんと向き合ってこそ。時間では癒せない類のものだってある。放って置けば治る訳じゃ無いのだ。
「聊か荒治療であることは否定しませんが、分かって頂けますか」
 淡々と宣う邪神を冷たく眺めながら、シャトは「但し」と否定の言葉を重ねる。本人たちは分かって居ないだろうが。彼らの治療には、一番必要なものが欠けていた。
「きみたちには心が無かった」
 彼らが「診療」と称して行っていたのは、結局ただの「苛め」に過ぎない。若いこころを愚弄しては嘲う、そんな行為が胸糞悪くて仕方なかった。
 未だにジュブナイルの感傷から抜け出せぬ乙女にとって、儚くて脆い思春期のこころは、余りにも身近なものであったから。

「――聞こえの良い言葉を選ぶなよ」

 有りっ丈の軽蔑を籠めて、そう吐き棄てる。
 刹那、彼女が腕に抱いた著作から情念の獣が飛び出した。赤赤と燃ゆる其れはエマールへ飛び掛かり、鋭い牙を其の躰に突き立てる。当の邪神は何も答えぬ儘、ただ獣を引き剥がそうとして居た。無貌ゆえ表情を持たぬ邪神は果たして、嗤って居るのか怒っているのか。ハーバリウムを模した頭のなかで、青い薔薇が散るばかり。
「施してやったつもり?」
「寧ろ、その逆でしょうか。ワタシが視たかったのは、這い上がる様です」
 更に問い詰められて、漸くエマールは口を開く。あくまで「試練」を与えたに過ぎないと、厭に落ち着いた聲で語る彼からは何の情も感じられ無かった。
「蹉跌はね、邪神如きが与えて善いものじゃないよ」
「いけませんか」
 片手で獣を抑えつけ、もう片手でシルクハットを抑えながら、かくりと頸を傾げる紳士。彼を見遣るシャトの眼差しが、更に冷えたものになる。言葉は通じているのに、話が通じない。それが乙女の不快感を何よりも引き立てた。
 いっそ自覚的に他人を弄んで居た博士の方が、幾分かマシである。
「何様だ、と憤るのが何故か想像できるかい」
「いいえ」
 エマールは間髪を入れず、ハーバリウムの頭を振る。ひらり、ひらり、青い薔薇がはかなげに花弁を散らした。其の様すら、何処か無機質で気味が悪い。
「ワタシたちはあくまで、診療を行っていましたので――」
「その程度で神を騙るな」
 終いまで聞かずに、シャトは拳と花唇を震わせる。
 彼の答えは、到底納得できるものでは無かった。ゆえにこそ、情念の獣はエマールに纏わりつき、其の身を啄み続けるのだ。
 異形の紳士がステッキを振れば、青い薔薇の花弁が戦場に舞い上がる。それでも矢張り、獣は情念で彼に食らい付いて居た。いったい虚ろなこころの何処から、こんな情念が湧いて来るのだろうか。なんだか自分でも不思議に思う。
 ――きっと此れは、『シャト・フランチェスカ』の怒りじゃないんだ。
 怒っているのは、彼女の裡に“居る”救われ損なった少女の方。
 だって『僕』の方と云えば、理解も救いも要らないもの。それに、万が一にも此の憂うこころが報われてしまったなら。
 ――生きる執着を、失くしてしまうだろうから。
 視界に吹き荒ぶ青い花弁を茫と眺めながら、シャトはハッピーエンドなど約されぬ己の運命に思いを馳せる。
 ゆえにこそ、彼女はこれからも物語のなかの『誰か』に不幸を与え続けるのだ。筆を折っても良いと想える、その時まで。
大成功 🔵🔵🔵

六道・橘
【此岸】
◎△
※前世の縁と気づいてないが気になる相手/スタンスは2章目

UC発動
彷への攻撃を叩き落とし一斬目

あら、あなたもいらっしゃったのね
内心の動揺隠し素知らぬふりで二

彼は少し似ている、前世の兄に
そつが無くて根回しがうまい外面と
かつての俺が気づけなかった虚ろさが

邪神の語りかけは相手せず斬を七まで重ねる
わたしは愚直だ
ただ斬ることしか出来ない
手負いの彼を護るように前のめりに征く

九斬目
斬りつけた先に動揺する
その自己犠牲に苛つきが沸く―彼へと己へと

あなたはそうやって自己犠牲でわたしを勝手に護ってばかり
迷惑よ
わたしのために死ぬなんて赦さない
(どうして、言えないのだろう「あなた自身を大切にして欲しい」って)


比良坂・彷
【此岸】
◎△
※同じ

まずはひとりで
煙草に火をつけ不機嫌顔
なんだよ先生
思い上がり仲間のあんたともっと遊びたかったのに
お気に召すままを演じたってネタばらし
あんたも死逃げかよ
俺こんなんばっかだわ

UC発動し鞄で殴り蹴飛ばす
互いの傷の深さは運任せ

あんたに話せば先生に伝わんのか
俺さぁむしろ
華族様娶って宗派を盤石にしろ
比良坂彷個人として人生を“歩かされる”のに困惑して死にたくなったの
器なら信者が入ってくるから虚ろから逃げられたし
支配してくれる…きっちゃん?!いつからいたの

橘の九斬目に割り入り斬られる
だって死んで欲しかねぇもん

きっと俺が支配して欲しい相手は彼女だ
使い捨ての信者と違って一生涯
…なんて、それも嘘だよ


●This Life
 ざり、と床に散らばる青い花弁を踏みつけながら、比良坂・彷は咥えた煙草に火を燈した。忽ち立ち込めた紫煙が、薔薇の甘やかな芳香を穢してゆく。整ったかんばせに浮かべるのは、玩具を取り上げられた子供が見せるような――拗ねた貌。
「なんだよ、先生」
 白煙を伴いながら、ぽつり。そう零した科白には、隠し切れぬ失望の彩が滲んで居た。ただただ、残念でならないのだ。蓋匣博士は碌な医者じゃ無かったし、人間としても壊れていたけれど。彼もまたひとを意の儘に操れると云う“思い上がり”を抱く仲間であった。
「あんたともっと遊びたかったのに――」
 涼しい貌で博士と向き合い、“お気に召すまま”を演じていただけだなんて、そうネタ晴らしをしたなら、さぞ愉快なことに成ったに違いあるまい。
「あんたも死逃げかよ」
 知らず知らずのうちに、深い溜息が漏れた。嗚呼、あの冷たげな眉がつり上がる様を、彩のない双眸に怒りが宿る様を、揶揄って遊びたかった。
 ――俺、こんなんばっかだわ。
 奇妙な親近感を抱いていた蓋匣博士も、宿世で己を拒絶した弟も。総て掌の隙間からさらさらと、砂のように零れ落ちて行ってしまう。現世を憂うが如く双眸を伏せたなら、不思議そうに語りかけて来る異形頭。
「ローズの診療が、お気に召しましたか」
 答えなど呉れてやらない。
 此の邪神は、彷の空白を埋めるようなものを持って居ないから。
 雀牌セットがずっしり詰まった鞄を握り締め、彷は駈ける。異形の紳士はやれやれと頭を振り、ステッキでトンと床を叩いた。優美な其れは忽ち薔薇の花弁へ溶けて、カウンセリングルームに青く吹き荒れる。
 まるで刃のような切れ味を誇る花弁が雨の如く降り注ごうと、それが口に咥えた煙草を切り裂こうとも、青年は止まらない。命知らずの狂気の前では、小手先程度の足止めなど無意味。彷が其の命を賭す度、運命の女神は何時だって彼に味方をするのである。嗚呼、何たる皮肉か。
「!」
 エマールの懐へ潜り込むまでのひと時、彷は全くの無傷であった。彼は予備動作も無しに鞄を振り上げ、仕立ての好い纏いの邪神を思い切り殴りつける。敵がバランスを崩した時にはもう既に、彷は片足を上げていた。流れる様に、靴の底で蹴りを入れる。強かに吹っ飛んだエマールは受け身も取れぬまま壁へと激突し、それに凭れ掛かる形でずるずると崩れ落ちた。
 そんな邪神の傍らに膝をつき、青年は「なあ」と囁き掛ける。覗き込んだ丸い硝子には、醒めた己の貌が薄らと映っていた。
「あんたに話せば先生に伝わんのか」
「どうでしょう、試したことは有りませんので」
「そ、俺さぁ――」
 衝撃に立ち上がれぬ儘、それでも律義に返事を寄こすエマール。ならば試してみるかとばかリに、彷もまた勝手気儘に口を開く。
「寧ろ比良坂彷個人としての人生を“歩かされる”のに困惑して、死にたくなったの」
 名門のしがらみとは、複雑怪奇。周囲の者が口を揃えて、華族様を娶れ、宗派を盤石にしろ、なんて云うものだから口煩くて仕方ない。籠の鳥のように窮屈であった。
「器なら信者が入ってくるから、虚ろから逃げられたし、誰かが支配してくれるし……」
 其処まで語った所でふと、沈黙していた邪神が「嗚呼」と納得したような聲を漏らした。彼もまた、失望混じりに斯う零す。
「君は救われなかったのですね」
 花弁の雨が止んだ。
 刹那、エマールの掌中で少しずつ象られていく、ステッキのシルエット。その柄を、ぐ、と握り締めるや否や、邪神は凶器を高らかに振り上げる。あ、と青年が思考した瞬間。何処からか飛んで来た鋭い斬撃が、ステッキを叩き落とした。
「――あら、あなたもいらっしゃったのね」
「きっちゃん?!」
 続いて聴こえてきた馴染みのある聲に、すぐさま振り返る彷。果たして視界に飛び込んで来たのは、六道・橘であった。彼女は涼しい貌の儘、殺戮刃物を振いエマールへと追い打ちの斬撃を飛ばしている。内心で揺らぐこころに蓋をして。
 思い返せば、彷は少し似ているのだ。前世で血を分けた、たったひとりの兄に。嘗て兄だったひとも、彼のようにそつが無くて、根回しを上手くやって果せる器用さがあった。そしてなにより、かつての橘ですら気付けなかった「虚ろさ」が――。
 魂にかたちがあるのなら、ふたりはきっと同じ欠け方をしているのだろう。
 そんなことを想いながら、橘は三、四、五、と次々に斬撃を放ち続ける。赤く輝き続ける彼女の眸は、思考とは裏腹に敵の姿だけを映していた。
 ――わたしは愚直だ。
 苛烈な斬撃から逃れるようにステッキを構える邪神へと、八つ目の疵を刻む。彷を幾ら守ろうとしても、結局はただ、斬ることしか出来ない。
 そして、最期の九斬目。殺戮刃物の切っ先は、迷うことなくエマールへ迫る。一度も味方を斬りつけなければ、寿命を削ることなど承知の上で。
「……ッ」
「なっ――」
 されど彼女の正面に身を晒したのは、邪神を押し退けた彷だった。昏い部屋のなか舞い散る赤い飛沫がやけに鮮やかで、橘は思わず息を呑む。
「何してんの!」
「だって、死んで欲しかねぇもん」
 へらりとした調子で返されて、橘はぎり、と奥歯を噛み締める。嗚呼、彼は何時もそう。平気な振りして我が身を差し出す「自己犠牲」の精神に、今夜は常以上に苛つきが沸き上がった。自分を試みない彼に、そして、彼を止められない自身に。
「……迷惑よ」
 双眸を伏せながら、橘は吐き棄てるようにそう零す。本当に伝えたいことは、もっと他にあるのに。
 ――どうして、言えないのだろう。
 “あなた自身を大切にして”。
 たったそれだけの科白すら、何故か伝えることが躊躇われた。照れや虚勢なんかじゃない。もっとこころの、記憶の、深い所が伝えることを拒んでいる。
「わたしのために死ぬなんて、赦さない」
 だから代わりに紡ぐのは、精いっぱいの憎まれ口。そんな彼女を見降ろす彷は、困ったように眉を下げて、静かに微笑を咲かせるばかり。
 薄々、分かって来た。きっと己が真に支配して欲しい相手は彼女――橘だ。使い捨ての信者と違って一生涯、彼女のこころで空の己を満たしてみたい。
「……なんて、それも嘘だよ」
 ぽつり、零した言葉は宵闇に溶けて往く。種明かしを逃した夜は、何時にも増してこころが虚しい。
大成功 🔵🔵🔵🔵🔵🔵

未不二・蛟羽

まだ熱い目元を擦り、鼻を啜りながらも敵を睨み
…アンタ、悪趣味っすね

UCにて【№322】と【笹鉄】を解放
手足を虎のそれへ、ワイヤーを八本の蜘蛛の肢へと変化させ
蜘蛛の肢で薙ぎ払い、高速で動く敵の逃げ道を奪って串刺し動きを止め、爪で引き裂くっす

難しいことはよく分からないけど
何となくで解ってる
自分の中にいる獣、そいつと幾ら向き合ったって救われない

誰かの輝きがないと、あのきらきらの為に手を伸ばさないと
そんな自分じゃないと、きっとこのさむさは消えない
それが矛盾でも

知りたくなかった
でも、いつかは知らなきゃいけなかった
この痛みも、熱さも

でも

そんなの、アンタに見られたくも、どうこう言われたくもなかったすよ!


●Awareness
 未だ、目許が熱を孕んで居る。
 いくら鼻を啜っても、紳士然とした邪神は其れを揶揄することもなく、未不二・蛟羽の答えを待ち兼ねていた。
「……アンタ、悪趣味っすね」
 眼鏡のレンズ越し、無貌の紳士を睨め付ける。ただ花が咲き誇る頭からは、何の感情も読み取れない。
「君たちの価値観においては、そうかも知れませんが」
 それがなにか――とでも言いたげに、シルクハットを抑えながら頸を傾けるエマール。邪神たる彼にとって、恐らくひとは替えの利く非検体でしかないのだろう。彼に心酔していた博士も、目の前で泣き腫らした貌を晒す蛟羽さえも。

「君のなかの怪物と、“向き合うこと”は出来たでしょう?」

 あの狂ったカウンセリングに、こころを癒す箱庭療法。どちらも診療とは凡そ呼べぬものだったけれど、エマールは本気で、一連の其れを診療だと思っているらしい。
 蛟羽も正直なところ、救い云々については分かって居ない。難しいことを考えるのは、未だ苦手だ。けれども、何となくでは解ってる。
 自分のなかに、凶暴な獣が眠っていること。
 そいつと幾ら向き合ったって、結局は救われないこと。
 誰かの輝きがないと――ひとが営みの中で零すあの“きらきら”の為に手を伸ばさないと。そんな自分じゃないと、きっと、この『さむさ』は消えないことも。
 そしてそれが、大きな矛盾を孕んで居ることさえ――。

「……知りたくなかった」
 現から逃れるように視線を伏せながら、青年はちいさく頭を振る。
 こころはそう言っているが、思考の何処かでは薄々気づいて居た。それは、モンスターでは無くひととして生きて往く為には、いつか知らなきゃいけなかったことだ。
 この痛みも熱さも、総て――。でも、

「アンタに見られたくも、どうこう言われたくもなかったすよ!」

 吠えた青年が、憤りの儘に己の腕へと爪を立てる。
 じわりと溢れた鮮血は、右腕の刻印へと伝い、軈てはゆびさきから滴り落ちて、赫いワイヤーと化した。其の瞬間、彼の得物が歓喜に震え動き始める。
 手足はみるみるうちに虎のそれと化し、血彩のワイヤーは八本の蜘蛛肢へと転じて往く。それは、武器本来が秘めていた異形のかたち。
「人の仔の秘めた部分を暴くのが、ローズの仕事でしたから」
 一方のエマールは、青年の憤りにも何処吹く風である。当たり前のようにそう答え、ゆらりと一歩を踏み出した。一瞬、紳士のシルエットがブレた――と、そう想った瞬間にはもう、彼は蛟羽へ肉薄していた。
「ッ、余計なお世話っす」
 されど、此方には長い蜘蛛の肢がある。そして其れは、近接戦でこそ本領を発揮するのだ。碌に狙いもつけずに蜘蛛肢を一斉に動かして、異形の紳士を薙ぎ払えば、ぐらりと彼の痩躯がバランスを崩す。体勢を立て直す前に、動きを止めるのだ。
 蜘蛛肢を胴体に寄せて、――貫く。
「か、はっ……」
 刺さった蜘蛛肢を引き抜こうと藻掻くエマールだが、暴食の性質を持つ得物から逃れられる筈も無い。虎の爪を振り上げて蛟羽は、仕立ての好い紳士服ごと邪神の躰を引き裂いた。
 丸いハーバリウムの中、はらはらと花が散る――。
大成功 🔵🔵🔵

冴木・蜜

私はやはり救いたいのだと
そう強く思えたのは有益でした
お陰で私は私で居られる

私は他の猟兵の皆様のサポートを
皆様の盾となり戦線を支えます

体内毒を濃縮
身体を液状化し
目立たなさを活かし物陰に潜伏

回避が難しい、或いは致命的な攻撃を
体を捻じ込み庇います
範囲が広ければ身体を広げ対応
花弁は融かしつつ
出来るだけ多くを引き受けます
液状化すれば多少の損傷は問題ありませんから

攻撃を受けたら
飛び散った血肉を利用し『融愛』
ハーバリウムの彼が増えるのなら都合が良い
貴方の薔薇の魔性すらも
私の死毒は蝕んでみせましょう

蓋匣博士は己を贄に捧げ
貴方が降り立った
彼の犠牲で成り立つ貴方に
私からも一つ問いたい

彼は、救われたのですか


四王天・燦
悪いカウンセリングではなかった
救われていることも確認できた

感謝してるよ
気にいらねーのは…アタシらに己と向き合わせておいて、テメエは箱庭の外と向き合わずに逃げたことだな

ハーバリウムに咲いた薔薇に向けて言葉を掛けるぜ
アンタみたいな性格・視点を持つプロファイラーがいても良いと思うよ、と
奇跡があるのなら還って来れますように

格好つけたけど丸腰です…
パイプ椅子にオーラ防御を纏わせ花弁を防ぎながら突撃だ
オブリビオンが薔薇の現在を持っていくなや

間合いに入れば村正の手刀で斬る
二回攻撃でもう一発!
貫手で顔面ブチ貫いてやる

防具もねーし結構ボロボロだけど…ぬいぐるみが護ってくれているのかね
にへらと心から笑うぜ

ありがと


●Positive
 顕現したハーバリウム頭の紳士は、診療の結果を知りたがっている。ほとんどの猟兵たちは彼らの「診療」を否定したが、中には其処に意義を見出した者も居た。
「私はやはり救いたいのだと、そう強く思えたのは有益でした」
「ああ、悪いカウンセリングではなかった」
 冴木・蜜と四王天・燦の“ふたり”である。
 己が抱く揺るぎない信念と改めて向き合った蜜。そして、己の裡に渦巻く昏い感情も受け入れた燦。彼らは診療を通じて、大切なものを再認識できたのだ。
「お陰で私は、私で居られる」
「救われていることも確認できたしね、感謝してるよ」
 ふたりの言葉に耳を傾けていたエマールは、相変わらず淡々と「それは何より」なんて相槌を打つ。無貌の彼には表情がない為、本気か否かは分かり兼ねたが。
「ローズ……いえ、ソウビもきっと喜んでいるでしょう」
「ただひとつ、気にいらねーことがある」
 蜜とエマールの視線が、燦に集う。
 一方の彼女といえば、ハーバリウムをじっと見つめて居た。丸い硝子に鎖された、うつくしい箱庭で、幾つもの青薔薇が咲き誇っている。あのなかのひとつが、蓋匣博士なのだろうか。
「アタシらに己と向き合わせておいて、テメエは箱庭の外と向き合わずに逃げたな」
 それはまるで、語り掛けるような調子だった。燦は其処に蓋匣博士が“居る”と、そう信じているのだ。
「……アンタみたいな視点を持つ、捻くれたプロファイラーがいても良いと思うよ」
 奇跡があるのなら還って来れますように――。
 こころを抉られて尚、燦は蓋匣博士の為に祈り、彼に奇跡が訪れることを希う。ハーバリウム頭の紳士の感情は、相変わらず読めない。ただ鎖された世界の中で、青い薔薇がはらはらと舞い散るばかり。
 エマールは何も語らず、燦の好きなようにさせている。或いは、口を挟まぬことこそ礼儀だと、そう想っているのかも知れない。贄と成った博士との意思疎通を図る燦を、蜜は静かな眼差しで見つめて居た。
 最終的にスケープゴートとされたのは、蓋匣博士ただ独り。彼の献身によって、紳士めいた此の邪神――エマール・シグモンドはいま、此処に立っている。
「彼の犠牲で成り立つ貴方に、私からも一つ問いたい」
「どうぞ、ワタシに応えられることならば」
 蜜は彼のなかに居るかも知れない博士ではなく、異形頭の邪神そのものと向かい合う。蜜も研究者であるからこそ、一連の診療を通して何か感じ入るものがあった。
 蓋匣博士の診療は、暴力以外の何物でもなかったけれど。こころの鎧を剥がした後に箱庭と向き合うという流れだけ汲めば、其れは間違いなく「治療」だったのだ。

「――彼は、救われたのですか」

 意趣返しのような問い掛けが、静かな部屋のなかに反響した。
 非道な男であったが、計画が頓挫し己の命を投げ打った蓋匣博士の散りざまには、憐れむ気持ちを覚えなくもない。なにより、蜜は“ひとを救いたい”とこころから希っているから、彼の末路が良い物か否かがやはり気になるのである。
「少なくとも、ソウビは満足して逝きました」
 相変わらず冷淡な聲を響かせながら、エマールはただ一言、そう語った。それが本ににとっての救いであるか否か、結局は彼の神ですら分からないのだ。
 彼が握りしめているステッキが、先端から青い花弁と化して溶けて往く。ふわり、舞い上がった其れは、ふたりの猟兵たちへと襲い掛かった。
「オブリビオンが薔薇の“現在”を持っていくなや」
「総ては彼が望んだことですよ」
 とっさにパイプ椅子を持ち上げた燦は、まるで盾のようにそれを構えながら、吹き荒ぶ花弁を避けて走る。
 蜜もまた体内毒を濃出区することで身体を液状化し、物陰から物陰へとずるずる這い進んで往く。床を這いずっている間は、花にも補足されずに済みそうだ。

「その顔面、ブチぬいてやる」
 先にエマールの許へ辿り着いたのは、燦だった。
 花弁の猛攻に生傷を増やしながらも彼の懐に潜り込めば、手刀の容に揃えたゆびさきに紫紺のオーラを纏わせて、その儚げな顔面を斬り付ける。
 返す刀で、もう一発――。
「ハーバリウムにはお手を触れないように」
「!」
 手刀を振り下ろした刹那、揃えた彼女のゆびさきはエマールが構えたステッキにより阻まれて仕舞った。全力で彼女を押し退けた異形の紳士は、戦場に再び花嵐を招いた。身を裂く青い花弁が、勢いよく燦の許へ去来する。

「――それは私が引き受けましょう」

 ふと、やわらかなタールが燦を庇うように広がり、吹き荒ぶ花嵐を受け止めた。
 辛うじて人型を取っている其れは、他ならぬ蜜であった。液体と化した彼に触れた花弁たちは、白い煙を上げながら跡形も無く溶けて往く。
「ふむ、此方もひとり増やしましょうか」
 1対2の勝負では不利と悟ったのか、もうひとりの自分を戦場に招くエマール。すぐさま現れた邪神は、手にしたステッキを容赦なく蜜の躰に振り下ろす。
 すると黒いタールの血がぐちゃり、周囲の床に飛び散った。それだけではない、新しく顕現したエマールにも返り血が掛かる始末。何とも痛々しい光景ではあるが、蜜にとっては此の方が都合が良かった。
「貴方の薔薇の魔性すら、私の死毒は蝕んでみせましょう」
 ひとたび触れる、ただそれだけで――『融愛』は発動する。凡てを溶かす彼の毒に、ひとたび触れれば腐敗はもう止まらない。
「……おや」
 どろり――。
 新しく顕現した邪神が、万物を侵す「毒薬」たる蜜の血により溶けて往く。徐々に其の体積を減らして行く邪神の影から姿を現すのは、もうひとりの自分を盾にしていた本物のエマールだ。彼の姿を視界に捉えた瞬間、蜜の躰がとろりと溶けた。露わに成るのは、此方へ飛び込んで来る燦の姿。
 刹那、邪神の貌に衝撃が襲い掛かる。
 燦が放った紫紺のオーラの手刀が、丸い硝子を斬り付けたのである。ぴき、と硝子に罅が入る音が響き渡り、異形の紳士は崩れ落ちて往く。
「あーあ、結構ボロボロだけど……」
 斬捨てた邪神に目をくれず、生傷の堪えない己の姿を改めて苦笑する燦。なんだかんだ、生きて帰れそうで良かった。
 ――……ぬいぐるみが、護ってくれているのかね。
 懐から“彼女”に似た少女のぬいぐるみを取り出せば、こころの底から笑い掛けた。きっと、総てこのお守りのお蔭だ。丸腰で戦えたのも、苦難の中こころを強く持てたのも、きっと。

「――ありがと」
大成功 🔵🔵🔵🔵🔵🔵

百鳥・円
【偃月】◎

どうでしょうねえ
たった一度きりで救われているなら……
とっくに解決し終えていますよ

解決出来ないから悩んで、足掻いて
知り得なかった道を見付けて、進んでいける
愛情も友情も……ひとの持つ感情は面白い
悪くない
もっと味わいたいと思うくらい

諦めて立ち止まり続けるのは辞めちゃいました
生きられるのなら
赦されるのならば――赦されなくとも
わたしは、わたしをいきたい

お陰様で再認しましたよ
妹に、母に祝福をされなくても
手離したくないと思う、わたしの貪欲さをね
気付けたなら、この場所とさよならしなきゃ

――さ、しずくくん。いけますか?
うつくしい世界から飛び立つ時です
名残惜しさは無いですけども
欠片も遺さずに、刻みますよ


岩元・雫
【偃月】◎
馬鹿ね
彼の程度で救われるなら、
俺は、おれ自身が救えたよ

死んで、無くして、全部捨てて――漸く
俺の命も、誰かと同じ重さで
おれの軽んじた俺は、誰かに取っては――
――俺が誰かを想ったくらい、重かったのかも知れないって
噫、気付かせて呉れて有難う
俺と同じ、馬鹿なニンゲンと、カミサマ

おれは、おれを大切にする為に、おれ以外を大事にしたい
死んだ此の身は、唯其れだけを晴らす為に
俺の未練を、殺す為に

さあ――往こうか、まどか
泡沫の夢は、何時か褪める
おれの夢が覚める、何時か迄
あんたの『不可能』だって殺してあげる
青い薔薇を絡め取ったら、祝と成して唄と捧ごう

真円を阻む愚者は要らない
描きたい路は、望む侭に在るべきだ


●attachment
 カウンセリングルームの床は最早、青い花弁で埋まっている。先程の箱庭を連想させる光景。ひとつだけ違うところは、部屋中が薔薇の甘い芳香に包まれていること。
「先程の彼らにとっては、ローズの診療も意義のあるものだったようですね」
 罅割れたハーバリウム頭の紳士――エマール・シグモンドは、シルクハットの一を整えながら、表情のない貌で猟兵たちを見遣る。
「ならば、一抹の期待を込めて伺いましょう。君たちは、救われましたか」
 邪神の零す問い掛けに、昏い部屋の中には暫しの沈黙が満ちる。彼にとってはただのフィードバックかも知れないが、猟兵たちにとってその答えは重いもの。
「どうでしょうねえ――」
 最初に花唇を震わせて答えを紡いで見せたのは、百鳥・円であった。柳の眉を困ったように下げながら、彼女は穏やかに言葉を重ねて往く。
「たった一度きりで救われているなら、とっくに解決し終えていますよ」
 こころの裡に秘めた悩みや迷いは、一度の対峙で総て消し去ること等出来ない。直ぐには解決出来ないものだから、悩んで、足掻いて。其の過程で知り得なかった道を見付けて、進んでいける。それは苦難の道であり、紛れも無く冒険の旅でも在った。
 それに愛情や、友情――ひとの持つ『感情』というものは面白い。実際に触れてみると、それらが孕む熱は悪くない心地だった。もっと味わいたいと、思って仕舞う程に。
 だから、生きることを諦めるのも、昏い部屋のなかで立ち止まり続けるのも、もう辞めた。もし生きられるのなら、赦されるのなら。――否、赦されなくとも。わたしは、わたしをいきたい。
「お陰様で再認しましたよ」
 喩え妹に、母に祝福されぬ“いのち”であろうとも、未練が湧いて仕舞ったから。もう、手離したくないと想う。そんな――。
「わたしの貪欲さを、ね」
 憂いを振り払ったような彼女のことばを最後まで聞き届け、岩元・雫も静かに口を開く。今度は彼が、答えを編む番。
「――馬鹿ね」
 彼女と同じように、雫も邪神の問いを否定する。憂いに翳る金の双眸を伏せながら、少年は苦い微笑を口許に滲ませた。
「彼の程度で救われるなら、俺は、おれ自身が救えたよ」
 一度は死んで、いのちを無くして、家族も友人も全部捨てて。――そこで漸く、自身の命も、誰かと同じ重さだと云うことを識った。『おれ』の軽んじた『俺』だって、誰かに取っては大層重いものだったのかも知れない。雫が誰かを想うのと同じ位に。
「噫、気付かせて呉れて有難う」
 カウンセリングを通じて、自身が求めて居るものに気付き。夢魔の少女の箱庭で「好き」を見出し癒される。その一連の診療で、得たものは確かに在った。
「俺と同じ馬鹿なニンゲンと、カミサマ」
 もっとも、雫は彼らのように悪戯にひとを傷つけたりはしない。
 彼は自分以外を尊重し、大事にすることを知っているし、実際“大事にしたい”と思っている。自分自身を大事にする為にも――。死んだ此の身は『俺』の未練を、殺す為にある。唯其れだけを晴らす為、悪霊と成って帰って来たのだから。
「なるほど、ローズの療法も決して無意味ではなかったようですね」
 一連のカウンセリングに、決して救われた訳では無かった。けれども、此のふたりもまた、蓋匣博士の診療に確かな意義を見出していた。
「ご協力に感謝します。それでは、御機嫌よう」
 答えが聞けて満足したのか、エマールはステッキを薔薇の花弁へと転じさせて戦場に花嵐を喚ぶ。視界が青く染まるなか、少年と少女は頷き合った。
「――さ、しずくくん」
「往こうか、まどか」
 泡沫の夢は、何時か褪めるもの。大事なことに気付けたなら、この場所とさよならしよう。今こそ黒と青に包まれた、うつくしい世界から飛び立つ時。尤も、名残惜しさなんて何処にも無いけれど。
「欠片も遺さずに、刻みますよ」
 宝石糖を口のなかで、ころりとまろばせて、円は花嵐のなか舞い上がる。黒き翼を羽搏かせ花を散らしながら、異形の紳士の許へ急降下。鋭い爪先を、襤褸となりかけた上品な纏いに突き刺し、其の身を虜とする。
 其処に、ふわり――。
 ふと漂って来るのは、無数のしゃぼんである。それは捕らわれたエマールの許にふよふよと漂い、ばちんと弾けた。その衝撃は苛烈な波と化し、邪神の躰に無数の疵を刻んで行く。
「あんたの『不可能』だって、殺してあげる」
 さあ、美しき薔薇を見事掠めたなら、祝と成して唄と捧ごう。
 ふわふわと漂うしゃぼんは降り注ぐ青い薔薇の花弁に触れて、ぱちん、ぱちんと弾けて往く。真円を阻む愚者など要らない。
 描きたい路は、きっと望む侭に在るべきだから――。
大成功 🔵🔵🔵🔵🔵🔵

ニトロ・カルヴァディアス




…うざ
あんたもあの男も散々こっちの神経逆撫でしといて何言ってるの
それにこんな世界に救いなんてある訳ない
あんた等なんかに救ってほしくもない

正直UDCとか邪神とか俺にはどうでもいいんだけどさぁ
あんたはイラつくから別
ねえ、さっさと消えてくれない?
それともその頭かち割られたいの

来て、【コーザ】
そいつのこと喰べちゃっていいよ
俺の影から姿を現したコーザを即座に相手の影へと転移させ背後から不意打ち狙いでけしかける

その後もコーザに撹乱や攻撃に協力してもらいながら俺は【呪詛】の籠った【オンブラ】を振るって戦うよ

その鬱陶しい花びらごとなぎ払ってあげる


●Discomfort
 薔薇の芳香に包まれた部屋の中。貌に罅を増やした異形の紳士が、身なりを整えている。仕立ての好い纏いもすっかり襤褸と成って仕舞った。ステッキを持ち直した彼は、ニトロ・カルヴァディアスの姿を視界に入れるや否や、こう問い掛ける。
「君はどうでしょう、救われましたか」
「……うざ」
 少年の醒めた眸が、ハーバリウムの貌を射抜く。絲を引いて居た癖に他人事を気取る其の態度が、自棄に気に障った。
「散々こっちの神経逆撫でしといて何言ってるの」
 吐き棄てるようにそう語るニトロの双眸には、不快感と嫌悪の情が滲んで居た。何より、彼は邪神の問いに潜んだ「前提」が気に食わないのだ。
「こんな世界に救いなんてある訳ないし、あんた等なんかに救ってほしくもない」
 贄を求める神など、碌なものではあるまい。ましてや、あんな男とつるんで居た神なんて――。
 正直のところ「UDC」とか「邪神」とか、如何でも良かった。彼の云う通り、此処から踵を返して出て行っても構わなかったのだが、この男はイラつくから別だ。
「ねえ、さっさと消えてくれない?」
 真貌の侭で頸を傾げるニトロの眸に、殺意が燈る。湧き上がる昏い感情に呼応するが如く、彼の影が蠢いた。ずぶずぶと貌を覗かせるのは、闇彩の大きな鎌。
「それとも、その頭かち割られたいの」
 柄を握り締めるや否や、少年は躊躇い無くそれをぶん回す。「おっと」と、頸が転がる寸での所で凶刃を躱した邪神は、危機感のない調子でぽつりと感想を漏らした。
「その様子を見るに、君は救えなかったようですね」
「来て、コーザ」
 もはや、相手をしてやる義理も無い。相槌を打つことすら不快である。邪神の聲を聴き流した少年は、己の影から死霊の獣――『コーザ』を招く。
「そいつのこと、喰べちゃっていいよ」
 まるで水面を跳ねる魚のように――軽やかに影から現れた獣に、ちらり。視線をくれた少年は、白いゆびさきで深いな紳士を指示してみせる。ぐるる、と喉を鳴らした獣は次の瞬間、煙の如く其の姿を消した。
「一体何を……――!」
 そんな疑問を溢した刹那、エマールは其の答えを身を以て知る。彼の影から消えた獣が飛び出したのだ。完璧に不意を突いたコーザは、背中からエマールに飛び掛かり、彼の肩に鋭い牙を突き立てる。
「やれやれ、少し躾が必要ですね」
 感情のない聲でそう零すエマールの手許で、彼が握りしめたステッキが薔薇の花弁へと転じて往く。軈て其れが花嵐と化せば、獣は素早く危険を察しエマールから距離を取る。其の瞬間、視界一面が青彩に包まれた。
「――邪魔」
 少年は闇を纏った大鎌で、視界を染める花弁を切り裂き、落として行く。路が開けばコーザは素早く敵の影に潜み、紳士の躰に牙を突き立て、また逃げる。
 何度それを繰り返しただろうか。
 だいぶ薄く成って来た花弁の天幕のなか、茫と男の影が視えた。大鎌を握りしめるゆびさきに、力が籠る。
「全部、薙ぎ払ってあげる」
 細い腕で強かに視界を染める青を薙いで見せたなら、宣言通り、異形の紳士の躰に横一文字の疵が咲いた。花嵐が去った戦場で、ニトロは鎌を振い続ける。
 異形の薔薇が、ぼとりと地に堕ちるまで。
大成功 🔵🔵🔵

百目鬼・那由多




やっとお会いできましたね
貴方こそがこの場所の真の長なのでしょう?

救済…はあ、そうですねえ
貴方がーいえ、貴方方がこの世から一匹残らず消えて下されば僕も救われるかもしれません
無理な相談でしたでしょうか?
あはは!それは残念

では最後に一つだけ
僕からのお願い聞いて頂けませんか
【そこから動かないで】下さい
約束ですよ

内心聞き入れて頂けるとは思っておりませんが動けばより苦しむ事になりますのでそれでも結構
どうぞご勝手に

それから暫しの時間稼ぎになれば上々
隙を見て【赫焉】に炎を纏わせ大剣化し間髪入れず斬り込みます

この世にオブリビオンが蔓延る限り僕に救済などあり得ない

お引き取り頂くのは貴方の方ですよ
さようなら
永久に


コノハ・ライゼ

救い、ねぇ
あのセンセが贄になる事で救われたってンなら
ホント面白くねぇコト

駆けながら【黒涌】で影狐生むわ
肉裂き出でるのも気にせず攻撃力重視で嗾ける
スピード上げられたら当てるの厳しいでしょうケド今はそれでイイ
状況見切り誘うよう走り回り撹乱
攻撃は致命傷を避け敢えて受け、激痛耐性で凌ぎ
足場に幾つもの血を流していく

さあ、どんなに早くてもコレなら追い付けるわ
カウンターの如く敵足下の血溜まりから影狐生み喰らいつかせ補食
2回攻撃で傷口抉りしっかりと生命力を頂いてくわねぇ
食い物にされる気分は如何

そうそ、感想だったわね
もとより痛みでなければ救いだって求めちゃいないカラ
その質問自体無意味で――教える事も無意味だわ


●Meaningless
 昏い部屋のなか、青い薔薇の花弁がひらひらと舞っては落ちる。床に敷かれた鮮やかな其れを踏み締めながら、百目鬼・那由多は手負いの邪神に視線を注ぐ。
「やっと、お会いできましたね」
 挨拶序にそう聲を掛けたなら、無貌の頭と視線が絡んだ――ような気がした。不敵な微笑を刻んだ儘、首を傾げて問い掛ける。
「貴方こそがこの場所の真の長なのでしょう?」
「買い被り過ぎですよ。ワタシはただ、ローズから此処を譲り受けたに過ぎない」
 裏で糸を引いて居た邪神といえば、何処までも他人事である。彼は蓋匣博士こそ、この研究の主査であると言い張っているのだ。もしかしたら、黒幕の自覚すら無いのかも知れない。
「箱庭を継いだ者として、ひとつ聴いておかなければ。君たちは、救われましたか」
「――救い、ねェ」
 問われた言葉をゆるりと反芻する、コノハ・ライゼの双眸がつぅと細くなる。蓋匣博士は、救いようの無い男であったけれど。
「あのセンセが贄になる事で救われたってンなら、ホント面白くねぇコト」
 重ねて零す科白は、何処か吐き棄てるように。其処に滲んだ不快を耳聡く拾いあげた那由多は、悪戯に青年の貌を覗き込んだ。
「おや、絆されてしまいました?」
「さあね、どうカシラ」
 戯れるような遣り取りを交わしたのち、那由多もまた「そうですねえ」と思案する素振りを見せる。穏やかな調子で紡ぐのは、幼げな貌に似合わぬ辛辣な科白。
「貴方が、――貴方方がこの世から一匹残らず消えて下されば、僕も救われるかもしれませんが」
「生憎ですが、それは無理な相談です」
「あはは、それは残念!」
 まるで冗句を笑い飛ばすように、明るい調子で相槌を打った少年は、徐に小指を一本立てて見せた。
「では、最後に一つだけ。僕からのお願い、聞いて頂けませんか」
「ワタシに出来ることならば、善処しましょう」
 哲学者気質のこの邪神は、なかなかに聞き訳が良いようだ。那由多はにこやかに微笑みながら、たったひとつの約を紡ぐ。
「“そこから動かないで”下さい」
 約束ですよ、なんて。そう戯れた刹那、傍らのコノハが駆け出した。鉱石めいたナイフを己の腕に突き立てたなら、その切れ味に肉は裂け、ぽとり滴る赤い雫。それは地に落ちる前、黒き狐へと姿を転じて軽やかに床へ着地した。そうして、間髪を入れずに地を蹴って、エマールへと飛び掛かる。
 勿論、黙ってそれを受け止めるような邪神ではない。当たり前のように躰を横へずらして襲撃を躱した刹那、ずきりと全身を走る激痛が彼を襲った。想わず床へと膝を付くエマール。然し、影狐はそんな彼を待っては呉れず、再び邪神に飛び掛かる。僅かな逡巡と共に転がって其れを避ければ、再び激痛に襲われて床の上で丸くなる。

「――あら、動いちゃダメじゃない」

 咎めるような科白を溢すコノハだが、其の表情はいたく愉し気だ。いっそ、耽溺の彩すら視えそうな程に。
「それも無理な相談です」
「僕は気にしませんよ、どうぞご勝手に」
 術を仕掛けた那由多のほうは、悠然とした様子でふたりの遣り取りを見守って居た。聞き入れて貰えるなんて、端から想っていない。喩え動き回ったとしても、悪戯に邪神が苦しむだけだ。それはそれで、何も問題ない。戦いやすくなるばかり。
「では、好きにさせていただきましょう」
 エマールが宣言すると同時。ハーバリウムのなかで咲き誇る薔薇が、ほろほろと、うつくしい花弁を堕として行く。同時に、起き上がった邪神が駆け出した。
「アタシも追うのは好きだカラ、別にいいケド」
 にやりと口端を上げたコノハが、その後を追う。敵は手負いと思えぬほどに速い。影狐を何度嗾けても、追撃が間に合わぬ始末。とはいえ、エマールは那由多の決めたルールを破っているのだ。痛みに耐えかねて彼の動きが鈍った瞬間、コノハは即座に距離を詰めてナイフを振う。
「そう思い通りにはいきませんよ」
 されど、反応速度が上がっているエマールはそれを間一髪で躱し、代わりにステッキで青年の腹を貫く。存外硬質な其れは、彼の肌を裂きシャツに血を滲ませた。反射的に疵を抑えるコノハを置いて、邪神は再び駆けて往く。青年もまた、血の跡を床に残しながら、エマールの背中を追う。
 さして広くもない部屋の中が血に染まるまで、そう時間は要しなかった。其れまで、苦痛に立ち止まっては、また逃げ出して。隙を突いて肉薄しては、反撃されて。それを繰り返すふたりだったが、転機は突然に訪れる。
「……なに」
 駆けるエマールの脚に、ふと食らい付く影があった。見れば、磨かれた靴が血だまりを踏んでいる。そして其処には、つい先程生み出されたばかりの影狐が――。
「さあ、追い付けたわ。いただきましょ」
 もう一匹の影狐が、動けぬエマールの肩口に食らい付く。ただでさえ疵の深い其処に鋭い牙を突き立てられ、邪神は聲も無く身もだえるばかり。影狐を通じて彼のいのちを吸収すれば、血の滴るコノハの傷口はみるみる内に塞がって往く。
「ねえ、食い物にされる気分は如何」
「貴重な経験ですが、余り宜しいものでは無いですね」
 瀕死の重傷を負おうとも淡々と返す邪神は、何処までも不気味であった。狐に喰らわれる彼を冷たい眼差しで眺めながら、青年はふと問われた言葉を思い出す。
「そうそ、感想だったわね」
 空っぽの器である彼にとって、安寧の救済は不要。寧ろそれは「痛み」でなければならない。優しい救済なんて、求めることも出来ないから。
「その質問自体無意味だし――……教える事も無意味だわ」
「ええ、全く無意味ですね」
 茫、と戦場に火が燈る。否、那由多が引き摺る大剣が、焔に包まれているのだ。影狐に囚われて動けぬエマールの懐へと、彼は飛び込んで往く。
「お引き取り頂くのは貴方の方ですよ。地獄の窯を開いて差し上げましょう」
 冷えた聲でそう囁いた那由多は、低い天へと掲げた剣を思い切り振り降ろした。この邪神は、本当に何も分かって居ない。そもそもこの世にオブリビオンが蔓延る限り、那由多に救済など訪れないと云うのに。
「さようなら」

 希わくば、永久に――。
大成功 🔵🔵🔵🔵🔵🔵

スキアファール・イリャルギ

嗚呼……病んでますね
結局"せんせい"――博士は
他人の不幸に酔いしれて
「自分は正しいのだ」と豪語したいだけだったんだ

でも分からなくはない
例えば私を被験体にした奴らが不幸にあったと知れば
私は"ざまあみろ"と思うのでしょうから

私も博士も病んでいたってことだ
でもおそらく"人間"としては正しいこと
博士は少し傾倒し過ぎたのでしょうが
あなたのせいなんですかね

……問いに答えましょうか
気付きましたよ
こんな莫迦げたカウンセリングを受けずとも
私の心はとっくに救われていたのだと

よくも大嫌いな注射と点滴をしやがって
得体の知れない物を流し込みやがって
あなたを代わりに殴らせてもらいます
バーバリウムでとても割れやすそうだ!


●Disgust
 其処にはもう、蓋匣薔薇の片鱗は何一つなかった。
 エテニルピリジンの匂いはもう、しない。代わりに甘ったるい薔薇の芳香が満ち溢れている。床には青い薔薇の花弁とガラスの破片と、血の跡が散乱するだけ。
 先程目の当たりにした光景が、もはや遠い昔のよう。蓋匣博士の最期を想いだし、スキアファール・イリャルギは深い溜息を吐いた。
「嗚呼、……病んでますね」
 他人の不幸を望むことも、誰かのこころを傷つけて面白がることも、嬉々として邪神の贄と成ることも。総て病んで居たが故の行動であるとしか思えない。そういう意味では、スキアファールの方が幾分か“人間”らしいのだろう。
 結局“せんせい"――蓋匣博士は、他人の不幸に酔い痴れて「自分は正しいのだ」と豪語したいだけだったのだ。
 ――でも、分からなくはない。
 ひとを恨みに思う気持ちは、きっと誰の中にもある。勿論、スキアファールにだって。例えばもし、自分を被験体にした奴らが不幸に見舞われたなら、“ざまあみろ"と思わない保証はない。それが、シャーデンフロイデだから。
 つまりは、スキアファールも博士も、等しく病んでいる。とはいえ、恐らくそれは"人間"としては正しい感情である。尤も、あの博士は少し傾倒し過ぎのきらいがあったが。
「総て、あなたのせいなんですかね」
「ソウビにはワタシと共鳴する“素質”があった、それだけですよ」
 不機嫌そうに細めた双眸で、襤褸襤褸になった異形の紳士を射抜く。けれどもハーバリウム頭の紳士、エマールは何処吹く風と云った様子。好奇心の赴く侭に、彼に向かって問いを編む。
「君はどうです、救われましたか」
「……気付きましたよ」
 スキアファールの答えは、あの箱庭を出た時から疾うに決まっていた。静かな聲で訥々と、邪神を喜ばせ得ぬ答えを紡いで往く。
「こんな莫迦げたカウンセリングを受けずとも、私の心はとっくに救われていた」
 家族が、恩師が、そして傍にいてくれるコローロとラトナの存在が、スキアファールを人間らしい怪奇で在らせてくれる。彼のこころが壊れなかったのは、優しい彼女たちが温かな親愛を注いで呉れたからに他ならない。

「――沈め」

 蓋匣博士とエマールの診療の効果を否定した青年は“影人間”らしく、己の影から五百本もの影手を招く。鮮やかな朱殷の蓮華が咲き乱れ、何処か痩せぎすの印象を受ける其れは、不気味に蠢きながらエマールの許へ這いずって往く。
「人を呑まんとする影手の群れですか、興味深い精神構造をして居ますね」
 鷹揚に観察しながらも、エマールは新たなる自分をその場に顕現させる。されど、いまさら彼がひとり増えた所で、夥しい数の影手の前ではどうにもなるまい。
「せんせいはもう居ませんからね、あなたを代わりに殴らせてもらいます」
 宣言と共に、影手がふたりのエマールへと襲い掛かる。そのどれもが、怒りと憤りの感情を纏っていた。
 よくも大嫌いな注射と点滴をしやがって。得体の知れない物を流し込みやがって。スキアファールの裡でどろどろと湧き上がる昏い感情に呼応するように、影手の攻撃は激しく成って行く。ステッキで何とか防ぐエマールたちだが、呑み込まれるのも時間の問題である。
「嗚呼、そのハーバリウムの頭――とても割れやすそうだ!」
 多少は胸の空くような心地には成った。“ざまあみろ”とは思えないのが、スキアファールが既に救われている所以であろう。
 遂に影手に覆われたエマールの頭が、ぱりん、と弾ける。衝撃で宙に舞い上がる其れは、窓から射し込む月光を反射して自棄にうつくしく見えた。
大成功 🔵🔵🔵

小千谷・紅子

救い、ですか
紅は、分からなくなりました
先生の言葉に添えられた“こころ”が、痛みを与えるものだったとしても
その痛みで、このこころの狂おしさを知る事が出来ました
先生は痛みを知ればこそ、救う事もきっと出来たのです
壊す、癒す、どちらも選べて尚、壊すことを選んだとしたら
この救われた思いは何でせう
もっとお聞きしたかった
先生を知る貴方、ご存知?

傷になるから癒えるなら
傷付くことは、救いなのか
結ばれぬ思いのように狂おしいお話

然れど痛みはただ胸に在り
今遍くが愛しく、恋しく
癒したい触れたいと、祈らずに居られない
ーその手で何か壊れるとしても?
嗚呼、やはり聞きたかったー

感傷が、病巣というのは
…本当なのかも知れませんね


●Healing
 青薔薇の花弁に覆われたカウンセリングルームは、昼間とは何処か違った様相に視えた。此処の支配者と成った邪神は、見目の通り紳士らしい所作で以て小千谷・紅子へ靜に語り掛ける。
「君はあの診療で、救われましたか」
「救い、ですか――」
 エマールの問いかけに、困惑したように俯く少女。この邪神は蓋匣博士と異なり、威圧されている感じが全くしない。けれども、博士よりも何処か冷たい気もする。
「紅は、分からなくなりました」
 暫しの沈黙を経た後、ぽつり、紅子は思った儘のことを語り始めた。あのカウンセリングのひと時は、未だ脳裏に鮮烈に焼き付いて居る。此の胸には未だ、抜けない棘が刺さっているよう。そう、あの先生の言葉に添えられた“こころ”は、紛れも無く他者へ痛みを与える為のものだった。けれども――。
「その痛みで、このこころの狂おしさを知る事が出来ました」
 少女は虚ろであるがこそ、本当の意味でこころの痛みを知ることは無かった。けれども、カウンセリングで初めてこころを抉られて、漸く彼女のなかで“情”のようなものが生まれたのだ。
 きっと此の先、あそこまで言われる機会はそう訪れないだろう。そういう点を踏まえると、あの診療は紅子にとって必要なものだったといえる。されど、ひとつ疑問が残るのも事実。
「先生は痛みを知ればこそ、救う事もきっと出来たのです。それでも敢えて、壊すことを選んだのだとしたら――」
 多分あの蓋匣先生は、誰のことも救う気なんて無かったのに。寧ろ傷つけ弄んで、その痛みごと邪神の糧にしようとしていたのに。

「この救われた思いは、何でせう」

 そう、紅子は期せずして“救われて”仕舞ったのだ。
 どうしてなのか、それが分からない。何かを掴めた気はして居るけれど、それに何と名を付けたらいいのか、それすらも分からない。
 嗚呼、もっとお聞きしたかった。そう憂う様に双眸を伏せる紅子は、ふと、眼前の邪神に問いを編む。
「先生を知る貴方、ご存知?」
「君は漸く“ひと”に成れたということですよ」
 余りにも抽象的な答えに、紅子はきょとりと瞬きを溢す。彼を糧としたエマールなら、もしかしたら――と思ってはいたけれど。哲学者たる彼の紡ぐことばは、何時だって曖昧だ。
 傷になるからこそ癒えるのなら、“傷付くこと”それ自体は果たして「救い」と呼べるのだろうか。まるで結ばれぬ思いのように、狂おしい噺。
 されど、こころに刺さった棘のような甘い痛みはただ、此の胸の裡に在る。いま、何故だか遍くが愛しくて、恋しくて。誰かを癒したい、誰かに触れたいと、そう祈らずには居られない。
 しかしながら、癒しと破壊は紙一重であるのだと云うことを、一連の診療を通して紅子は学んで仕舞った。そうなるともう、知らんぷりは出来ない。
 喩え、誰かの為に伸ばしたその手で、何かが壊れて仕舞うとしたら。今までのように迷うことなく、少女たちへ手を差し出せるだろうか。
 蓋匣先生ならそんな疑問にも、意地悪くも的確な答えを与えて呉れたかもしれない。けれども彼は居ないから、自分で答えを探すしかないのだ。
「嗚呼、やはり聞きたかった――」
 嘆くような響きでそんなことを溢し、紅子は約するゆびに針を突き立てた。
 ぷつり、と裂けた皮から赤い雫が滴り落ちる。もう片手で桜の枝に結わえたリボンを解いた少女は、静かに双眸を鎖し何処かへと祈りを捧げ始める。
 すると、戦場に鮮やかな花嵐が舞う。
 よくよく見るとそれは、炎を纏う櫻吹雪であった。鮮烈に吹き荒ぶ其れが、みるみる内にエマールの躰を包み込んで往く。炎に炙られ硝子の表面を溶かされる彼の姿を眺めながら、紅子は茫と先生に言われたことばを想いだして居た。

『何よりの病巣は、思い悩むその感傷だよ』

 あの時はまだ、余り好く分かって居なかったけれど。今はほんの少しだけ、納得できるような気がする。矢張り、“何か”が自分の裡で芽生えたのだろうか。
「――本当、なのかも知れませんね」
 ぽつり、少女が溢した呟きは、桜吹雪にふわりと攫われて。軈ては青い薔薇と共に、灰と化して朽ちて往く。
大成功 🔵🔵🔵

シホ・エーデルワイス
◎△

そうね…
私の場合
箱庭療法は癒されたけど
救われたとは言い難いでしょう


礼儀作法に読心術とコミュ力で注意して質問

エマールさん
蓋匣先生はどの様にシャーデンフロイへ魅了されたのでしょうか?

他人を蔑んで得る物は一時の快感ぐらいのはず
糧に繋がる様な物は得られ辛く
いずれ反撃されるのも最期の様子を見る限り知っていたはず

成人前からの狂人なら
この問いは無意味で
真面な答えが得られるとも思わないけど
聞くだけ聞きたい


攻撃は第六感と聞き耳で見切りダンスの様な動きで残像回避しつつ
聖銃の零距離カウンター射撃で貫通攻撃


戦後

医術と催眠術に『聖印』でUDC組織と一緒に少年達を救助活動しつつ
【潜霊】の『詩帆』に院内のパソコン等をハッキングし天敵の情報収集をしてもらう

…シャーデンフロイデに干渉するオブリビオンが実在する可能性は
高まったとみるべきかしら…

詩帆:シホ…私達は宿命の死に抗えるのかしら?

確かに今迄は難しかったと思う
けどシャーデンフロイデを知り制御できる人が増えれば

詩帆:未来は変えられる?

ええ
シャーデンフロイデを暴きます


●Develop
 視界に鮮やかな青が拡がって居る。けれども、先程の箱庭とは違う光景――。この部屋の中には、本物の薔薇の甘い香りが在る。そして、部屋の中央には襤褸襤褸に成った異形の紳士――エマール・シグモンドの姿も在った。
「冥途の土産に、と称しなければならないことが聊か残念ではありますが。きみにも伺っておきましょう。彼の診療に、救われましたか」
 静かな調子で編まれた問いに、シホ・エーデルワイス「そうね」と思案するように視線を左右へ遊ばせる。実際、あの箱庭のなかは大好きな彩に満ちていて、居心地が良かったけれど――。
「救われた、とは言い難いでしょう」
 箱庭で得た癒しと、彼女にとっての救いはまた別のもの。
 澄んだ碧眸で貌のない邪神を見つめながら、少女は努めて真摯に語り掛ける。この邪神は忌むべき敵に違いないが、教えを乞う時の礼儀くらいは心得ている。
「エマールさん、蓋匣先生はどの様に魅了されたのでしょうか?」
「ワタシにですか、それとも――」
「ええ、“シャーデンフロイデ”に」
 シホはただ、知りたかった。都心でクリニックを開けるほどに、社会的地位にも、金銭にも、才能にも恵まれた蓋匣薔薇博士が、“他人の不幸”を愛するようになったのか。
 他人を蔑んで得られる物なんて、どうせ一時の快感だ。他人と自分を比べ続ける限り、ひとは決して幸せには成れない。ただ終わりのない競争に身を投じるだけ。
 誰かの不幸を希み、苦悩を嗤った所で、糧に繋がる様な物など得られる筈もない。寧ろ魂が徐々に昏いものに侵され、汚れて行くのではないかとすら思える。
 それに、蓋匣博士だって。永遠にこんな遊びが続けられるとは思って居なかった筈だ。最期の様子を見る限り、彼が箱庭を去る日のことを考えなかったとは思えない。
 ――成人前からの狂人なら、この問いは無意味かも知れないけど。
 もしも、エマールが蓋匣博士を唆した張本人なら、何が彼を狂気に走らせたのか、その片鱗くらいは分かる筈だ。それを、シホは聴いて視たかった。
「例えば――目の前の他人を的確に傷つける方法を、自分だけが知っていたとして。きみは、それを実行しますか」
「そんなこと……」
 出来る訳がない、と云い掛けたシホの聲を、邪神が遮る。貌の代わりに取り付けられたハーバリウムのなか、青い薔薇だけが不気味に咲き誇っていた。
「ローズは、それをしましたよ」
 シホが息を呑む。邪神に魅入られただけあって、彼の性根は矢張り、常人の理解を超えていたようだ。同じ道徳の中で育ってきた人間とは、到底思えない。
「彼は他人の弱みをよく知っていて、だからこそ好奇心には勝てなかった」
「蓋匣先生はただの好奇心で、こんなことを」
 信じられないと云った様子で問い掛ける少女へ、邪神は小さく首肯する。まるで生徒を諭すように、何処までも優しい聲彩で異形の紳士はことばを重ねて往く。
「世の中には、崖を覗き込む人の手を引いてやる人間と、背中を押して突き落とす人間の、二種類がいるということです」
 腕を拡げて朗々と真相を語る様からは、凡そ他人への慈しみなど感じられ無い。何処まで理知的に視えようと、結局エマールは「こころ」まで異形なのだ。
「……わかりました」
 もはや、彼から聞くことはなにも無い。
 白銀に煌めく聖銃を懐から取り出した少女は、躊躇い無くエマールへ照準を合わせる。引鉄に手を掛けた瞬間、邪神の輪郭が僅かにブレた。
 碧い眸に映る彼の姿が、増える――。
「さあ、何方を狙いますか」
「迷っているとあなたの頸がなくなりますよ」
 ふたり同時に地を蹴って、シホの許へ駈けだす邪神たち。少女は後退りながら、銃口を左右へ動かし、冷静に照準を合わせる対象を吟味する。軈て彼女の背中が壁にぶつかった頃、ふたりのエマールのステッキが彼女の首根っこを捉えて……。
「さあ、踊りましょう」
 凛とした聲が、昏い部屋の中に反響する。刹那、彼らが追い詰めていた少女の姿が消える。カツン、と響く踵の音彩に彼らが振り返れば、くるり、スカートを翻して可憐に踊るシホの姿がそこに有った。続けざまに振われる杖を、三拍子のステップで擦り抜けて、新しく生まれたエマールの頭に銃口を押し当てて、一発。
「次はあなたの番」
 十字に硝子の頭を割られ、仰向けに倒れる邪神。彼から視線を逸らし、エマール本体へと少女は銃口を向けた。振われた杖が頭を打ち砕く前、素早く引鉄を引いた。
 銃声が、響く――。

「シャーデンフロイデに干渉するオブリビオン、ね」
 自身の手番を終え、少女はカウンセリングルームの扉をピシャリと閉めた。先程戦場に入って来た猟兵には、助太刀の必要も無いだろう。
 いつか自分を脅かすかもしれない存在に思いを馳せながら、少女は廊下を歩く。
「そういう存在が実在する可能性は、高まったとみるべきかしら……」
 もうすぐ組織の職員たちが到着する筈だ。少年たちを救出する手伝いをしなくては。けれどもその前に、院内のパソコンでも探らせて貰おう。
『私達は宿命の死に抗えるのかしら?』
 其の為に呼び出した助っ人――彼女の傍らを游ぐ幽霊『詩帆』が、心配そうにシホの貌を覗き込む。
「確かに今迄は難しかったと思う、でも」
 シャーデンフロイデの本質を知り、制御できる人が増えたなら。もしかしたら、奇跡が起こるかも知れない。
『未来は変えられる?』
「ええ、シャーデンフロイデを暴きます」
大成功 🔵🔵🔵

シキ・ジルモント
◎#
…治療が必要だったのはあんたの方だったんじゃないのか、『先生』
彼を止められなかったと悔いているが、まず目の前の邪神へ意識を向ける

救われたかと聞かれれば、確かに否定は出来ない
少々手荒ではあったものの、あの一連の『診療』で得られたものはある
今後、自分自身を知る為の切っ掛けになっていくのかもしれない
そういう意味では、俺は彼に救われたのだろうと考えている

それでも邪神を倒す事に関して躊躇は無い
「治療」も「実験」も「遊び」も、今日限りで終いだ

花弁の回避は難しい、正面から受ける
真の姿を解放し、ダメージを強引に耐える(月光に似た淡い光を纏う。犬歯が牙のように変化、瞳は夜の獣のように鋭く光る)
そのまま銃を構え、ユーベルコードで反撃
回避を考慮しない分、銃弾を邪神へ届かせる事だけに集中し、意識を注ぎ込む

負傷は考慮しない、多少無理をしてでも負けるわけにはいかない
人ではない姿を持ち、周りの者を傷付ける可能性を孕んでいても、許される限り人の側に居たいと希う
この我儘を押し通す為にも勝ち続けなければならないのだから


●Silver Barrett
 昼間に訪れたのが嘘のように、カウンセリングルームは様変わりしていた。激戦を物語るように部屋は荒らされ、ただ床を埋め尽くす様に散ばる青い薔薇の花弁だけが自棄に甘く、うつくしい。
 そのなかに佇む箱庭の真なる支配者――エマール・シグモンドの消耗は激しい。自分さえしくじらなければ、彼との決着は此処でつくことに成るだろうと、シキ・ジルモントは本能的に予感する。同時に込み上げてくるのは、シャーデンフロイデの魅力に憑かれ、涯は邪神に身を捧げた蓋匣薔薇への悔悟。
 ――治療が必要だったのは『あんた』の方だったんじゃないのか、先生。
 自ら命を絶った彼の姿を思い返せば、胸がちくりと締め付けられる。幾ら道を外した者といえど、彼は人間だったのだ。自死を止められたなら、どんなに良かったか。
「ワタシとソウビにとって、きみは最後の患者です。ゆえに問いましょう」
 存外に理知的な聲で語り掛けられて、邪神へと意識が向く。異形の頭に貌はなく、ただ青い薔薇が咲き乱れているばかり。感情の読めない其の様は、いっそ不気味ですらある。
「きみは、救われましたか」
「……否定は出来ない」
 暫く沈黙したのち、シキはぽつりと答えを編んだ。
 蓋匣博士のやり口が少々手荒であったことは否めないが、あの一連の『診療』で得られたものは確かにある。己がこころに秘めた希いと向き合い、真に恐れているものをしることが出来た。きっと此の病院で体験した出来事は、彼が自分自身を知る為の切欠となるだろう。それを考慮したならば――。
「ある意味では、俺は彼に救われたのだろう」
「成程、ソウビは腐っても医者だったということですか。ワタシも“花”が高い」
 生徒に想う所あるのかないのか、邪神は淡々とした聲で彼の答えに相槌を打つ。然しシキは真面目な貌を保った儘、ハンドガンのグリップを握り締めた。
「だが、それとこれとは話が別だな」
 喩え精神的に救われようとも、ひとりの人間を誑かし、数多の少年を苦しめ、世界を滅びに導く邪神を野放しにする訳にはいかない。
 蔑みに溢れた「治療」も、心を残酷に甚振る「実験」も、愉しい「遊び」も。

「――今日限りで、総て終いだ」

 青年が銃を構えた刹那。
 エマールが握るステッキが、瞬く間にうつくしき青の花弁へと其の姿を変えてゆく。開け放った窓から流れ込む夜風に吹かれて、舞い上がる青き花嵐。
 一瞬トリガーに力を籠めようとして、シキは腕を下げた。これらを総て撃ち落とすことは不可能である。ならば、――正面から受け止めるのみ。
 胸に覚悟を抱いた瞬間、彼の躰が月光の如き淡い光に包まれる。月の導きにより、犬歯は鋭き牙へと転じ、眸は宵闇に潜む獣の虹彩の如く爛々とした輝きを放った。
 これこそが、獣性を其の身に秘めたシキの真の姿である。
 己の身を庇うように腕を交差させた彼は、刃のように鋭き花嵐を鍛え抜いた其の躰で以て迎え入れる。肌に幾重も赤絲が刻まれようと、獣性を開放し身体能力を底上げした彼は、決して膝など付きはしない。其の身に幾ら疵が付こうと、最早如何でも良かった。
「よくもまあ、そこまで無茶をするものです」
「多少の無理は承知の上だ」
 呆れたような聲に貌をあげ、にぃと鋭い牙を覗かせ微笑む。痛みには大部、慣れて来た。花弁に何処を咲かれようとも、手許は狂わない。
 青く染まる視界の中、青年は再び銃を構えなおした。
「負けるわけには、いかないからな」
 照準を邪神に合わせ、トリガーにゆびを掛ける。手の甲や腕を花弁が鋭く撫ぜるので、堪えるようにグリップをきつく握り締めた。額に触れた花弁は薄い皮膚を裂き、たらりと鮮血が貌に垂れる。それでも、シキが意識を向けることはただひとつ。銃弾を獲物へ届かせることだけ。
 どぉん――。
 夜の静寂を引き裂くような銃声が響く。同時に、苛烈な花嵐が勢いを弱め、青い花弁は雪のようにはらはらと降り注いだ。
「……どうやら、ワタシも此処までのようですね」
 銃を構えた青年の向こう側で、ハーバリウムの前面硝子を打壊されたエマールが、静かに崩れ落ちて往く。先程まであんなにうつくしく咲き誇っていたのに、空気に触れた青薔薇は、急速に萎れて往く。床に激突する前、異形の紳士は嘆息ひとつ。
「反省会といきましょうか、ソウビ」
 二度と廻り逢えぬ彼へそう囁いたのを最後に、――ぱりんっ。青薔薇に染まった床に萎れた薔薇と、得体の知れぬ薬品をまき散らして、エマール・シグモンドは事切れた。
「俺は、勝ち続けなければならない」
 そんな彼の姿を見降ろしながら、シキはぽつりと決意を溢す。
 自分は人ではない「獣」の姿を持っている。それに、周りの者を傷付ける可能性だって。けれども許される限り、人の側で生きていたい。
 そんな我儘を貫き通す為にも、青年は此の先もずっと銃を取り続けるのだ。ささやかな希いをこころの裡に秘めた儘――。

●終幕
 蓋匣薔薇博士の死と、邪神「エマール・シグモンド」の撃破によって、「少年連続監禁事件」は幕を閉じた。
 病室に捕らえられていた彼らは、組織のエージェントたちと、有志の猟兵のたちの手で無事に救出された。こころに深い傷を負って仕舞った彼らだが、組織によって記憶処理を施され、正常な医師によるカウンセリングも受診することで、少しずつだが自分の悩みと健全に向き合えるようになり始めたのだと云う。
 死体が無かった為、蓋匣博士の死は表沙汰にはされなかった。組織はフロント企業を通じて彼の病院を買収し、「経営難による権利移譲」というカバーストーリーを敷いたうえで、万事を円く収めたようだ。
 ひとの悪意“シャーデンフロイデ”に打ち勝った猟兵たちは、善意と悪意と無関心の渦巻く世界で、今日も強く生きて往く。
 それぞれの信念や想いを、胸に抱きながら――。

≪終≫
大成功 🔵🔵🔵

最終結果:成功

完成日2021年09月23日
👑11 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵