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珈琲を並べて

#シルバーレイン #ノベル #猟兵達のクリスマス2025

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酒井森・興和





 窓の外を見れば、雪が降っている様子が見える。こういう時、人間は「ホワイトクリスマス」なんて言ったりするらしい。
 そんなことをぼんやりと考えつつ、酒井森・興和(朱纏・f37018)は去年の年賀状を整理していた。彼にとってはクリスマスより、年賀状のほうが馴染みのあるものだった。
(……おや)
 ふと目に留まった名前に、興和は思わず手を止める。それは興和に人の世のことを教え、慣れさせてくれた恩師のものだった。彼とは卒業式以来顔を合わせてはいないが、年賀状だけはずっとやり取りしている。
 彼の年賀状には毎回『顔を見せに来て下さい』と書かれている。きっと決まり文句なのだろうが、それでもこの文面を見れば温かな気持ちになる。
 それと同時に興和の内に湧いたのは、好奇心のような小さな感情。来年用の年賀状を投函する頃合いに、久々に銀誓館学園へ赴こう――そんな気持ちだった。

 その日も雪が降っていた。懐かしの校舎は淡い白色に包まれ、今も立派に佇んでいる。
 校門に向かう興和を迎えるのは初老の男性教員だ。記憶よりはひょろりとした印象を与えるが、顔も声も懐かしいもののままだ。
「やあ、十数年振りだね。酒井君」
「酒井森です。その冗談、好きですねえ谷坂先生」
 久しぶりだというのに、二人のやり取りはぎこちなさを感じさせない。興和は谷坂先生の元に歩み寄り、その姿をしっかりと見た。少し細くはなったけれど、先生は先生だ。
「君もすぐ坂谷と間違えたろう」
「あの頃は現代の言葉が解らなかったんだ、大目に見てください」
 照れるように頬をかく興和に対し、谷坂先生が向けるのは優しい眼差し。その眼差しも、興和がよく知っているものと変わってはいなかった。
「うん。しかし君は老けただけで余り変わらんなあ」
「それは先生も同じでしょう」
 興和はすっかり成長したし、谷坂先生も歳を重ねた。背格好は変わったかもしれないが、お互いが向け合う笑顔も、交わす言葉もきっと変わっていないのだ。

 挨拶を交わしつつ、二人が向かったのは用務員室だった。かつての谷坂先生は社会科担当だったが、今は非常勤講師となっているそうだ。
 谷坂先生は手際よく珈琲を淹れると、正面に腰掛けた興和へと手渡す。香ばしくて、なのに不思議と柔らかな香りは、在学中のさまざまな記憶を思い起こさせる。
 鋏角衆として常識教育を受けていた当初、興和は非常に反抗的な生徒だった。治療棟だけでなく銀誓館を抜け出すこともしょっちゅうで、かといってどこに行けばいいかも分からない。街で数日彷徨った挙げ句、衰弱した状態で保護されることもよくあった。
 そんなことを繰り返しても、谷坂先生は必ず迎えに来てくれた。生まれも時代も関係ない、一人の生徒として興和を扱い続けてくれた。
 先生はたくさん言葉をかけてくれたが、当時の興和にとってはよく分からないものだった。けれど一緒に淹れてくれた珈琲の味と香りは覚えている――今と同じだ、
 興和はいただきます、と声をかけてから、珈琲を一口啜る。甘めに味付けされた、けれど少し背伸びしたような味。先生も昔と変わらない様子で、興和を見守っている。
「珈琲も慣れると美味しいだろう?」
「……ええ」
 子どもの時は返せなかった言葉も、大人になった興和なら微笑みながら返すことができた。

 それから先生も腰掛けて、珈琲を飲みながら雑談を。卒業後何をしていたとか、近況がどうだ、といった話題だ。
 会話の最中、興和の目に留まったのは谷坂先生の左手だった。何かに噛まれたような、赤茶色の痕。これは――幼かった興和がつけたものだ。
 当時の興和にとって、人間、特に銀誓館の者は土蜘蛛族の仇としか思えなかった。だからこちらに向けられた谷坂先生の手だって、興和にとっては憎らしいものにしか見えなかった。だから、噛みついた。
 傷そのものはすぐに治療できたため、大事には至らなかった。けれど痕は消せなかったようで、先生もずっとそのままにしているようだ。
 傷の治療をしつつも谷坂先生は、興和に言葉をかけ続けていた。
「怖かったのだろう、仕方ない。でも酒井森君、私以外の先生や生徒に怪我を負わせたら、私は君を赦せないからね」
 まだ現代語が覚束なかった興和にとって、その言葉は意味が判らないものだった。でも、どうしても忘れられない。数カ月後に言葉を理解してからは、さらにその重さというか、大きなものが心に刻まれたような気がする。
 それから興和は無闇な反抗を止めた。『敵意に敵意で返さない人間を攻撃するのは良くない』。幼くても、そのくらいのことは理解できた気がしたから。
 こんなやり取りがあってからは、興和は谷坂先生の元によく行くようになった。学園側も良い傾向だと判断したのか、谷坂先生が興和の担当になるように取り計らったようだ。
 興和は何かと谷坂先生の所を訪れ、一緒に珈琲を飲むようになっていた。落ち込んだ時は励ますように、課題をクリアした時は喜びを分かち合うように、他にも言葉もいっぱい重ねて。
 そのおかげか、気づけば興和は現代語を理解するようになっていた。先生の言葉も、前よりずっと分かるようになっていたのだ。
 同じタイミングで学園側も動き出したようだ。歴史担当の教員が『鎌倉時代の言葉、発音、文字』の研究を手伝ってもらえないか、と頼んできたのだ。
 きっと谷坂先生が他の先生や学園側に依頼したのだろう。興和がもっと、他の人にも馴染めるようにと。
 当時誰かが言っていた。この時代の人間にとって、鎌倉時代の言葉というのは古くて解読すら難解なのだと。その気持ちは、現代語で苦労した興和にはよく分かるものだった。
 だから、その苦労を取り除く手伝いになれるのなら。興和は教員からの頼み事を了承し、共に鎌倉時代の言葉と向き合った。
 興和にも判らないことはあったけれど、それでも何か変化を齎したことは間違いないだろう。
 今日はこういう言葉を読んだとか、逆にこういうことを教えてもらったとか。そんなことを語る興和に対しても、谷坂先生はいつだって珈琲を用意してくれた。

 そうやって興和が谷坂先生の左手を見つめていると、先生も自分の左手に目を落とす。薬指には丁寧に手入れされた指輪が嵌められていた。そこから思い至ったのか、谷坂先生は話を切り出す。
「酒井君は結婚などはしたのかい? 同級生にはそろそろ子どもさんなどもいるだろう」
 思いがけない質問に、興和は少しだけ目を丸くした。けれどすぐに平常通りの様子に戻り、首を横に小さく振る。
「結婚はしてませんが娘を育ててますよ。山で見付けた蜘蛛童なので実の子、と言うのではないですが」
「おや。連れてきてくれたら良かったのに、残念だな」
「スマホに写真がありますよ。見ますか?」
「何、機械嫌いの酒井君が! それは興味深い」
 今度は谷坂先生が目を丸くする。もしかすると、今日の中でもっとも月日の経過を感じたのがこの瞬間かもしれない。
「っと、娘さんの写真は是非見せておくれ。……もしや大きな蜘蛛の?」
「いえ、今は土蜘蛛に成って」
 興和はスマホを取り出し、操作を始める。その様子はぎこちなく、写真を開くだけでも一苦労だ。外からでもその様子は分かるらしく、谷坂先生は温かく見守っている。
 ようやく開けた写真には、黒髪に赤い目の溌剌とした少女と灰色のロバが写っている。写真を眺め、谷坂先生は目を細めた。
「利発そうな子だ。この馬、いやロバかな。自然公園でも行ったのかね」
「僕のうさぎ馬のコニーですよ。非常食にと譲り受けたんですが、娘が食べるより飼いたいと言って」
「酒井君は肉が好きだな、今もそうか」
「魚と香辛料が苦手なだけですよ」
 思い返すのは、この学舎で飲み食いした色々なもの。その中には――もちろん手元のカップの中身も含まれている。
「……珈琲は?」
「意地が悪いなあ、先生。ちょっと苦手だけど、ここで先生と飲むなら美味しいと思うねえ」
 少し悪戯っぽく笑う先生に、興和が返す笑みもいつもよりあどけない。それこそ、親しみやすい先生と生徒のそれだ。
「はは。次は娘さんも一緒にいらっしゃい」
「うん。先生もお元気で」
 約束するように、興和はカップの中身を飲み干す。少し温くはなったけど、優しい味は前とやっぱり同じもの。
 おかわりは、また次に二人が会う時に。直接言葉にしなくても、その思いは伝わりあった。

 それから二年後。
 押しかけ女房になった娘を紹介する興和に対し、『年の差カップルだねえ』と冷やかすように谷坂先生が笑うのはまた別のお話だ。
 その時にも、きっと皆の前には――珈琲のカップが並べられている。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2026年01月31日


挿絵イラスト