王威とは平穏には遠く、されど風は示す
●嵐
風が吹き、雨雲を呼ぶ。
雨雲は大地を湿らせる。そしてまた水蒸気となって空へと戻るだろう。
湿った空気は風をまた呼び、空へと届ける。
雲となった水蒸気は、大気中の塵を集め、上昇していく過程で立ち上る竜のように体を巨大な積乱雲へと成長させていく。
嘗て、人はその様を竜が天に昇り、雨雲を呼んでくれるのだと信じていたのだという。
トラスト・レッドライダー(レプリカントのデスブリンガー・f43307)は、そうした話をどこかで聞いたような気がした。
視線の先には暗澹たる雲。
「一雨来る、か……」
小さく呟いた彼の顔色はあまりよろしいものではなかった。
明るくなかった、というのが正しいのかもしれない。
彼は考えていた。
考えなければならないというのが正しいのかもしれない。
先程から、正しいこと、正しいこと、とトラストの頭の中を何度も言葉が往復している。
正しいこと。
それをなさねばならない。
わかっている。
だが、現実の厳しさというものは、いつだって人間の正しさを歪めようとしてくるものだ。
「今はどうにかなっているが、やはり物資がいくらあっても……」
足りない、とトラストは心中で呟いた。
彼が率いるレジスタンス。
どうにか土地は借り受けることはできたのだが、それは拠点でしかない。
このクロムキャバリアという世界において、プラントは小国家の要であり、国力そのものである。
一基ないだけで、小国家のインフラが停止してしまう。
それほどまでにクロムキャバリアの人の営みはプラントに依存しているのだ。
だが、トラストたちが率いるレジスタンスにプラントはない。
そして、日に日に増えるレジスタンスの要員たち。
それ自体は己達の戴く理想というものが正しいことの証明であるように思えたが、それもまたあまりにも暴論であることをトラストは理解しいた。
社会において数とは正しさの担保でしかない。
そこに倫理は介在しない。
『そう思う』一定多数がいるから、それが正しさになる。
そういうものなのだ。
だが、その数を支えるのは、結局どこまで行っても原始的なものでしかないのだ。
そう、生きるためには物資がいる。
「とは言え、な……」
なければ奪えば良い。
クロムキャバリアにおいて、それは弱肉強食の理を端的に示すものだった。
プラントは遺失技術でできている。
新たに建造することができない。だから、奪い合いになるのだ。
その結果が、この戦乱の世である。
争い、奪い、殺し合う。
あまりにも不毛がすぎる。
通らすとは頭を振る。
強奪も略奪も、ましてや己達以外の小国家からの融資を募るのも論外である。
強奪と略奪は己たちが立ち上がった意味を否定するものであったし、他国からの融資は介入を許す要因になりえる。
となれば、トラストに取れる選択肢はあまりにも少なすぎた。
「何処かの地下遺跡からプラントを発掘するか……?」
それはあまりにも難しい選択肢だった。
このクロムキャバリアには地下帝国が存在している。
古代の末裔とも言われる地下に追いやられた者たち。
そのいくつかが猟兵たちの間で観測されていることは、猟兵としての力に覚醒したトラストも聞き及ぶ所であった。
であれば、確かに地下の遺跡に未だ手つかずのプラントがある可能性は高いと見るべきだった。
「しかし、当てずっぽうには、な……掘削機もいる。見当も付けずに掘り進めて、それで何もえられなかったのならば……ふぅ……悠長にしてはいられなかったとはいえ、勢いで行動した結果のツケ、か」
トラストはまた息を吐き出した。
巧遅は拙速に如かず、である。
彼にとって選択とは即座に選び取らねばならないものだった。
戦乱の世において、それはある意味必然であった。
そうでなければ生きられないし、生き残ることなどできはしないのだ。
「急いては事を仕損じる、か」
今はユーベルコードや傭兵活動で物資を得て誤魔化しが効く状況だ。
レジスタンスを後援してくれる市民からの物資提供も、ほそぼそとではあるが賄えている状況である。
が、いずれ限界は訪れる。
そうなれば、義勇でもって立ち上がった兵士たちは、暴徒に変わる。
そうなった時、誰もが己と同じ正しさを抱いてはいられないだろうな、ということもトラストは理解していた。
「手がないわけではない、が」
その一手は最終手段だろう。
困窮に困窮を重ね、二進も三進も行かなくなった時に選ぶしかない選択肢だ。得てして、そういう選択肢は選ばないことこそが最善の選択肢である。
猟兵の仲間とは、真に千差万別である。
法則性がまったく見えず、また理の外で生きるような者たちだっている。
エネルギー問題に関しては、仲間の猟兵の……あまり取りたくない選択肢を取れば解決することができる。
しなければならない状況になったのならば、決断しなければならないことは言うまでもない。
だが、トラストはきっとギリギリまで懊悩し続けるだろう。
「思考が行き詰まっているな」
目頭を抑える。
考えるべきことは多すぎる。
そして、解決しなければならない問題は山積しつづけている。
思わず目眩がする。
「……」
いや、違う。
これは目眩などではない、とトラストは目を見開く。
僅かな震動が体躯に伝わってくる。
最初は気のせいかと思っていたが、気の所為ではない。明らかに己の足元が揺れているのだ。
「地震、か?」
『やあ、はろーはろー、ご機嫌如何かな? あ、実はね』
「『クレイドル・ララバイ』か。何があった」
通信の先の妙に明るく馴れ馴れしい声にトラストは問い返した。
『クレイドル・ララバイ』の軽口やいつもの問答に答えている暇が無い事態であることはトラストにも瞬時に理解できていた。
だから、手早くと情報を求めたのだ。
『君が感じたであろう震動は、地震なんかじゃあないよ。あ、奏者の演奏のせいでもないってことを彼女の名誉のために伝えておくね?』
「能書きはいい。何があった」
『せっかちだな。もう奏者が対応に動いているよ。安心したまえよ』
「いや、だからこそだ」
トラストは、『クレイドル・ララバイ』の言うところの『奏者』の不安定さを危惧している。ともすれば、破壊の徒となってしまう危うさ。
今は天秤が釣り合っているからいい。
だが、その両秤の上に載せられているものが、何かの拍子にバランスを崩せばどうなるのか。
それがトラストには危ぶまれて仕方ないのだ。
「トラストさん、これ、地震じゃあないのか!?」
「それにしては、断続的っていうか……!?」
レジスタンスたちの動揺にトラストは今は彼らを沈めなければならないと判断する。
「客員は待機だ。これは地下から響いてきている。有事の際は、マニュアルにしたがってくれ。非戦闘員はすぐに下がらせろ。もう一度いう。警戒行動を取りつつ、待機だ!」
トラストの言葉に彼らは頷く。
どの道、己が赴かねばならない事態であることは察せられた。
『座標は必要かい?』
「無論だ。ただの地震ではないというのならば、なんだ、これは? 一体何が起こっている?」
トラストは言いようのない不安に駆られながら、『亡国の主』を駆って『クレイドル・ララバイ』の示した座標へと急行するのだった――。
●巨人
「でりゃあああああッッ!!」
それは咆哮であり、鬨の声であり、気合満ちる声であった。
朱鷺透・小枝子(亡国の戦塵・f29924)は『ディスポーザブル01』を駆り、対峙する巨大な人影を吹き飛ばしていた。
「がっふーッッ!!??」
吹き飛ばされた巨大な人影……キャバリアであろう影が地下の空洞にて盛大に転がり、地面と天井とを揺るがした。
「次!」
小枝子は、吹き飛ばした人影の奥から、また別の人影が迫るのを認め、即座に鋼鉄の拳……『ディスポーザブル01』のパワークローを鉄槌のように振り下ろして頭部を叩き伏せた。
「ぐあーッッ!!??」
大げさな、と思われるかもしれない。
キャバリアとキャバリアとの戦いにおいて、操縦者はコクピットに守られている限り痛みを覚えない。
いや、衝撃は身に伝わるかもしれないが、よほどの粗悪品なキャバリアでない限り、搭乗者を守るためのショックアブソーバーめいた機構が備わっているはずだ。
だが、小枝子の『ディスポーザブル01』のパワークローに叩きのめされた巨大な人影は、まるで我が身を打ち据えられたかのように悶絶するような声を上げていたのだ。
その時点で、小枝子もなんだかおかしいな、と感じなければならないところであったが、迫る敵影であるのならば、これを打ちのめすのはこれまで彼女がしてきた訓練の反復の結果であった。
反射的につい、手が、というやつである。
「……こいつらは一体なんなのでありましょうか?」
『どうやら、キャバリアではないことだけは確かだねぇ。だが、こんな青い肌の人間なんていたかな? あとついでに言うとキャバリアと同じ背丈の人間っていうのもさ』
『クレイドル・ララバイ』の言葉に小枝子は、頷いた。
「いるであります」
『いるの!?』
「主にグリードオーシャンと呼ばれる世界に。巨人と呼ばれる種族がいるであります。彼らも大体、これくらいの背丈でありました。肌は青かったかと言われたら、確証はありません、がっ!」
「次は俺だ、ぐあーーーッッ!?」
次々と襲いかかる巨大な人影……いや、青肌の巨人たちを『ディスポーザブル01』はパワークローで難なく撃退し続けている。
周囲には、同じように青肌の巨人たちが『ディスポーザブル01』を取り囲むように円陣を組んでいる。
完全に包囲されていると言っていいだろう。
逃げ場はない。
本来の戦闘であれば窮地だ。
囲まれ、一斉に攻撃でもされようものなら如何に頑強な装甲を持つ『ディスポーザブル01』であっても危うい。
なのに、青肌の巨人たちは取り囲むだけ取り囲み、一人ずつ愚直とも思える真正面戦闘を仕掛けてきていたのだ。
一人が殴り飛ばされれば、次、と言う具合である。
『包囲している意味あるのかな、これ。流石に私も困惑しているよ。何がしたいんだい、この巨人たちは』
「わかりません。ですが、向かってくるというのならば、ぶちのめすだけであります!!」
小枝子はむしろいつも通りであった。
窮地ではある。
窮地ではあるのだ。だが、どこかこれはクロムキャバリアにおける戦闘の緊張ではないように思えた。
小枝子は闘争心を燃やしている。
『クレイドル・ララバイ』にとっては、いつものオブリビオンとの戦いでは感じられない健全さめいた爽やかさを感じずにはいられなかった。
『うーん、事情を聞きたいんだけれど、奏者も連中もまるで聞く耳を持ってくれない感じなのがなぁ……どうしたものか。ねえ、奏者、一度彼らと話を……』
「次は俺だ! 俺が戦る!!」
「来い! どれだけ向かってきても、自分がぶちのめすであります!」
『あー……これは落ち着くまでどれだけ時間がかかるんだろう』
まるで会話ができない。
どちらも戦闘者としての血の滾りが最高潮に達している。
『もうしばらくかかるのかなぁ……奏者ってば、こうなったら中々話聞いてくれないからなぁ……』
「どりゃああー!!!」
小枝子の気合が迸る中、漸く座標を送ったトラストが『亡国の主』と共に到着する。
『もう、遅いよ。見てご覧よ、この有り様を』
「……これは。巨人?」
トラストは、小枝子の『ディスポーザブル01』と拳で打ち合う青肌の巨人たちの囲いを認め、訝しむ。
寸借があっていないように思えてならなかった。
だが、猟兵の中には……いや、他世界には巨人と呼ばれる種族がいることをトラストは知っていた。
だからこそ、何故この世界に、という思いがあった。
そして、何故、そんな巨人たちが小枝子を取り囲み、あまつさえは一対一の殴り合いに興じているのだろうか。
そう、興じている。
争っているというよりは、どこか一つの娯楽めいたやり取りをしているようにトラストには写ってしまったのだ。
「おぉ、新手か?」
囲いの中の巨人、その中でも一際豪奢な衣をまとった巨人が『亡国の主』に振り返った。
「良いな! あいつも強いが、お前も強そうだ!」
獰猛な笑みであった。
虎が獅子か。
そう思わせるような歯を見せて不敵な笑みを浮かべる、この巨人の一団をまとめ上げているであろう者をトラストは真正面から見据えた。
まだ対話の余地はあるのか、とトラストは構えた。
対話というのならば構える必要はない。
だが、眼の前の巨人の身から漲る覇気は、周囲の巨人とは段違いだった。
トラストの直感は正しい。
頭目とも言っていいが、それは正しい表現ではないだろうな、とさえトラストは感じていた。
ならず者のまとめ役に留まらない雰囲気。
言ってしまえば、王。
「……貴殿は?」
故にトラストは慎重になった。
構えは解かない。対話が可能であっても、どのように事が運ぶかわからなかったし、眼の前の巨人からは確かな戦意というものを感じていたからだ。
「うむ!」
そして、巨人の王と目される男は歯を見せて笑った。
「俺か! 俺こそは青土竜の王! トース・テフン(巨人の魔王・f43939)! 地上を征服しに来た!」
「もぐら……? 地上を征服、だと?」
それは一体、とトラストが問いかけ用とした瞬間だった。
「らぁああああああああああああ!!!!!」
「がぶらばぁーッッ!!!??」
トースと名乗る巨人の王と『亡国の主』の間に小枝子と吹き飛ばされた巨人が環r着込んできた。
土煙が上がる。
薄暗い地下にあって、トースの瞳は剣呑ながらギラギラとした獣の野生を感じさせる光を放ち、トラストを見据えていた。
この機に襲いかかられてもしかたないはずだった。
だが、トースはトラストが名乗るのを待っているようだった。待ちわびていると言ってもいい。
「俺は、トラスト・レッドライダー。征服とは如何なることかを聞いても良いか」
「応! 地下は征した!」
「何……?」
やはり地下帝国はあったのか、とトラストは眉根を寄せる。
やはり、己の決断はいつも一歩遅いということを証明されたような気分であった。
しかし、だからといって歩みを止めることなどできはしない。
トラストは故にもう一度問い直す。
「地下を制した王が、何故地上に出ようとしている。地上の人間たちへの復讐のためか?」
地下帝国の殆どは、地上への言いようのない復讐心を持ち、敵愾心でもって這い出してくるのだと聞いている。
彼らが操るキャバリアは、オブリビオンマシンでもあることが多々あった。
加えて、その装甲は有毒装甲と呼ばれ、地上に住まう人々にとっては有害な物質であると報告されている。
であれば、彼らがこのまま地上に出れば、危険極まりない。
ここで止めるしかない、とトラストは判断したが、次の瞬間、その判断が覆るようなことをトースは宣ったのだ。
「いいや! 地下に敵がいなくってな! 退屈が仕方なくなって、天を砕き、伝説の地上とやらを拝んでやろうと思ったが……」
初めて、トースが身をかがめるように背を折った。
膨れ上がる重圧にトラストは、否応なしに構えた。いや、構えさせられた。
「地上に出る前にこれほどの戦士と出会えるとは僥倖よ!」
「ゲハーーーー!!!!」
「るぅうううううあああああ!!!!」
「……良いタイミングで、さっきから邪魔が入るな、これは」
ふー、とトースは構えを解いて息を吐き出していた。
眼の前にはまた小枝子が巨人を殴り飛ばして蹴り飛ばしていた。
はたから見れば、じゃれつく獣の相手をしているようにしか見えない。
「やれやれ……部下共が敵とすら思われておらんとはな! まったく、情けないやら仕方ないやら。仕方ない! 俺が出るとしよう!」
トースはそんなことを言いながら、その言葉の全てがおためごかしであることを証明するように嬉々とした表情を浮かべていた。
「……次は、貴殿か?」
『ディスポーザブル01』の小枝子は、トースの重圧に漸く己が中にある闘争心の撃鉄を引くようだった。
周囲に満ちる剣呑さに、敵対していた巨人たちですら息を呑んだ。
今の今までの小枝子がやっていたことは、正しくじゃれつく獣を手で払うようなものだったのだ。
だからこそ、トースの持つ重圧に彼女の身に宿る闘争心、その導火線に火がつけられたのだと今まさに知ったのだ。
「ああ、オレは一味も二味も違うぜ? わかるだろう、お前も。名前を聞こうか、鋼鉄の戦士!」
トースは早く始めたくて仕方ないと言うように拳を打ち合わせて『ディスポーザブル01』と向き直っていた。
ひりつくような空気。
剣呑さを極めたような冷たい空気と熱気が入り交ざり、一触触発へと発展しようとした瞬間、トラストは両者の間に踏み出していた。
「待ってくれ」
「ああ?」
「……自分は、まだ戦えますが?」
小枝子からすれば、それは眼の前のトースとの戦いを邪魔された、という認識ではない。トラストのことであるから、自分が連戦で消耗しているのではないかと慮ってくれたんおだと思っていた。
だから、その認識は正しくないと訂正するつもりだった。
だが、トラストは違う。
小枝子は危うい。
頼もしいことに違いはないが、危ういところが多いのだ。その多い危うさが顔を覗かせようとしていた。
故にトラストは踏み出した。
「すまない。だが、俺と彼は会話の途中だ。順番、というのならば、彼との先約は俺にある、とは思えないか」
理知的な言葉だったが、筋は通っていると小枝子は思った。
であれば、と小枝子は体勢を変えた。
その中にあった危うさが潮が引くようにして鳴りを潜めたのをトラストは認識して、息を吐き出す。
そして、青肌の王へと向き直った。
トースは面白そうに笑んでいた。
「ほーう、まだ今も会話の途中、だと?」
「そうだ……だが、貴殿は言葉を交わすよりも、こちら、だろう?」
『亡国の主』の腕部を掲げて見せた。
その様子にトースは心底喜ばしいというように闊達に笑った。
笑い声がこだまするように地下に鳴り響き、巨人の兵士たちは、王の笑い声に色めき立つ。
「おお、王が笑っている!」
「良しッ、気に入った! 一騎打ちだ!! 者共!! 離れているが良い!!」
その言葉に囲っていた巨人たちが一様に身を翻す。
囲いはもうない。
トラストは小枝子に目配せする。
「そういうことだ。ここは俺に任せてくれ」
「……承知しました」
「一騎打ち……そういうことか……であれば、『変身』」
光り輝く赤いオーラが『亡国の主』より噴出し、トラストの身が融合を果たす。
生まれるは、赤き闘神(カーマイン・グラップラー)。
そう形容するしかないほどの威容へと成り果てたトラストは、踏み出した瞬間、青肌の巨人の王の拳が迫っていた。
速い。
そして、恐ろしく拳が重たいことを互いに打ち付けあった拳の硬さで知る。
ミシミシと互いの骨身が軋む。
到底、拳を打ち付け合っているとは思えない轟音。
それは万雷のごとく互いの殴打の応酬の中で響くものだった。
地下であればこそ、その音は反響し、周囲を音の暴風でもって包みこんでいくのだ。
加減などしなかった。できなかった。
もしも、加減をしていたのならば一方的に蹂躙されていたことだろう。
「ハハハッ! この神威! また殴り会えるとは僥倖だ!!」
「この暴力性……!!」
互いに一歩も譲らぬ応酬。
トースは闘争の喜悦に浸るように拳を放ち付ける。
圧倒的なパワー。
そして何より、タフネス。
トラストの膂力が押し負けるほどの速さでもって打ち出される拳は、野生の獣そのものだった。
だが、トラストは己が何であるのかを知っている。
己は獣ではない。
人だ。
人は獣に単純な力では敵わない。有史以来、それは理解されるところであった。
人間最大の武器は、理解すること。
そして、理解したことで己の体の合理を知ること。それによって編み上げられたのが、技である。
「ぬ……ッ!」
トースは理解していた。
己が膂力は確かにトラストを上回っている。
なのに、決めきれないのは何故か。いや、この至福の時間が長く続いて欲しいと願っていることは言うまでもない。
が、それは加減を意味しない。
それは戦士への非礼にほかならないからだ。
だからこそ、全力なのだ。
その全力の拳を持ってしてもトラストを倒しきれない。
何故か。
「フッハハハハハッッ!! いいぞ!! いいぞ!!」
振るう拳が受け流されている。
技巧をもって迫る拳をトラストは捌き、返す刃のように拳がトースの頬を切り裂いていた。
受け流すだけではない。
あっさりと己の頬に傷をつけたのだ。
高揚。
いつぶり以来であっただろうか。トースはますます喜色満面の笑みを浮かべる。
「お前も、もっと暴力を楽しめい!!!」
「そのつもりはない」
瞬間、トースの足が折り曲げられ、前蹴りの要領でトラストを吹き飛ばす。
地下の壁肉体がめり込み、土煙が立ち上る。
トラストの視界が染まる中、トースは地面を蹴り砕きながら砲弾のようにトラストへと迫っていた。
派手に吹き飛んだのは、トラストが威力を減じるために後方にあえて飛んで受けたためだ。
仕留めきれていないとトースは瞬時に判断していた。
迫る第二の蹴撃は、鋭き穂先。
つま先を尖らせるような槍の一撃めいた蹴撃がトラストに迫る。
「俺は、俺の理想のために戦う。力に酔うつもりは、無い!!!」
槍の如き蹴撃をトラストは己が腕部でもって円を描くように払い、踏み込む。
放たれた拳は弧を描くようにして軌道を変えてトースの顔面を打ち据える。
フック。
文字通り、弧を描くように放たれた拳がカウンターとして離れたストレートのトースの一撃を縫うようにして、その顔面へと叩き込まれていたのだ。
首がねじ曲がる。
決まった、とトラストは確信した。
トースの自重と拳の勢い。
それらを組み込んだ人の理合。
これによってこちらの拳の勢いは更に何倍にも膨れ上がり、トースが巨人の生身であるがゆえに、その脳を激しく揺らしたのだ。
だが、次の瞬間、トースの拳は嵐のようにトラストに迫る。
連打。
まるで一つ覚えだ。
だが、単純な物量。生物としての違い。
圧倒的な物量を前にしては、個は無意味。それを知らしめるような万雷の如き拳の連打がトラストに降り注ぎ、人の理合すらもかき消すような圧倒的な暴力でもって追い詰めるのだ。
「それを人は意地と呼ぶがな! だが、それもいいだろう!! ハハハハハハハ!!!」
「……!!!」
互いに打ち据え、身が砕けていく。
だが、それでも止まらない。
もっと、もっと、と笑うトース。
そこに暴力性は拭えずあり続けるが、しかして純粋なのだとトラストは知るだろう。
そして同時に彼は己が暴力を理性で持って握り、御している。
同時にトースも理解したのだ。
眼の前の男は、力を持ちながら力を我欲のために扱わぬ士であると。
故に互いの拳の重さは同一。
「……ハハハッ、楽しいな。楽しな、やはり戦いは……!」
「……俺は」
「言うな、我らの負けだ」
トースはゆらりと体を傾がせ、地面に寝転がる。
周囲からは巨人たちの咆哮がほとばしっていた。
己が王が敗北したのだ、落胆してもいいはずなのだ。だが、彼らは歓声を上げていた。
「いや、引き分けだろう。俺も、膝をついている」
「ん? ああ、いや、それはそうだ。だが、お前『たち』は、まだ戦えるだろう? あの鉄の戦士はまだピンピンしている。あいつらだけでは抑えきれんだろ? であれば、やはり我らの負けだ。オレは負けてないがな、ハハハハッ!!」
その言葉にトラストは息を吐き出す。
歓声は両者の健闘を讃えるものだったのだ。
「あの、これはどうしたものでしょうか?」
融合が解けた『亡国の主』とトラストを抱え起こしながら小枝子が聞く。
彼女はあまり状況を飲み込めていないようだった。
こちらの勝ちだとは言うけれど、何をどうすればいいのか。小枝子にできるのは、破壊だけだ。
この後のことなんてさっぱりなのだ。
見当もつかない。
「……そうだな。ともかく、戦いは終わったんだ。であれば……」
トラストは痛み分けだな、と呟いた。
彼らは暴力的な巨人たちであるが、それを律することができている。
それはひとえに、トースという王ありきなのだろうとトラストは理解していた。
であれば、だ。
生命を奪う必要はない。
「敗者である我らを如何にかするかよ、小さき人、そして鋼鉄の戦士たちよ!」
「……一つ、いや、二つ、いいか」
「勝者の特権というやつだ。なんなりと言え! それが勝者の義務ってやつだ!」
トースの言葉に、ますます気持ちの良い男だな、とトラストは感じ入るところであった。だが、そうも言っていられない。
まずは。
「賠償として……」
「ああ、ならばプラントだな! 妥当と言えば妥当だろ」
「いや、プラントを?!」
「ああ、今も昔も求めるものは変わらんよな! さあ、持っていけ!」
待て待て、とトラストは思った。
プラントを、そう簡単に、と思ったのだ。
一基なくなれば、それだけで彼らの国だって打撃を受けるだろう。物資とかで良かったのだと、思ったがトースは譲らなかった。
「二つも条件を出しているんだ。何をそんなしみったれたことを言っている! オレに恥をかかせるつもりか?」
「そんなつもりはない、が……」
「それで二つ目は!」
「……先ほど地上を征服すると言ったが、あれをやめて欲しい。地上への征服戦争を行わいというのであれば、このまま戻ってもらってもいい」
「そうか! じゃあ、そういうことだ! お前たち!」
トースは巨人の兵士達にそう告げ、彼らを国元に戻した。
だが、彼自身は当然のように小枝子達についてきたのだ。
「……良いのですか?」
「……良いも悪いも」
「ハハハハッ、地上はお前たちのような強者が、戦士が大勢いるのだろう? これはもう俄然行くしか無いよな!」
彼は笑っている。
地上にて相まみえる強者との戦いに思いを馳せているのだ。
その様子にトラストは頭を抱える。
一つの悩みが解決したと思ったら、新たな悩みの種が芽吹いたようなものだったのだ。
「プラントを獲得したこと、周辺の小国家に知られれば、小国家として認定され攻撃されるでしょう。物資に余裕はでましたが、地下帝国との交流……いつまでも隠しきれるものではないでしょう」
「……わかっているよ」
「いやはや、この力が猟兵なるものだとはな! うん、僥倖僥倖!」
「……いっそのこと、彼を王として戴いてはどうだろうか」
トラストは半ば本気だった。
だが、トースは首を横に振った。頑として認めない体勢だった。
「馬鹿なことを。お前はオレと引き分けて、しかも力を残していたんだ。なら、お前が王なのが筋ってもんだろうが。それに王は退屈だからな。あと面倒くさい!」
それが本音ではないか、とトラストは思いながら、一つの解決と、大きな悩みを得て、二人と共に地上に戻るのだった――。
成功
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