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花に鬼も、うららかなりや

#サムライエンパイア #ノベル

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蓮条・凪紗




「付き合てもろて、ありがとなぁ」
 蓮条・凪紗(魂喰の翡翠・f12887)が、焦げ茶の瞳を細めて、人懐っこい笑みを零した。
 片や、目を伏せ、うっそりと笑った黒蛇・宵蔭は、囁くように答える。
「いえいえ、他ならぬ凪紗さんのお誘いです」
「あ、ダンピールをお天道様の下、引き摺り出すん拙かったやろか」
「――死にやしませんよ、これでも人の子ですから」
 冗談を交わしながら、そぞろ歩く。
 風が少し強い日だった。ぬるい日差しに、ぴりっと肌を撫でる清涼感が心地良い。
 木々が葉を揺らす爽やかな音に耳を澄まし、凪紗は視線を上げる。
「盛りやなぁ」
 思わず、といったように言葉が零れる。
 秘める理由もないけれど。
 己が感情の機微を零せる相手であることに、宵蔭は気を良くして――素直に頷く。
「そうですねぇ、見事なものです」
 眼前に、薄紅がたなびき、ふわり揺れている。
 サムライエンパイアの、春である――。

 花見せえへん、と凪紗に誘われ、一も二もなく宵蔭は応じた。
 向かうはサムライエンパイア……流石に里帰りはと躊躇いながら、凪紗の脚の向かう儘に京の都を歩いていた。
 逍遙する二人の目を楽しませる花は、各所に溢れている。花盛りなれば、街全体がふわっと華やいでいる。
「流石は京都。少し歩けば、すぐに次の花見スポットです」
 宵蔭が揶揄めいたことを言うと、凪紗は笑う。
「まあ……未来の京都よりは控えめやない?」
 猟兵である以上、同軸に存在する、異なる時代の京都を行き来できる二人だ。
 サムライエンパイアのそれは、比較的自然な……今この季節にこそ一番美しい、という枝振りに庭師が整えたと解る姿だ。
 泰平の世だ。
 花見を楽しむ人々は多かれど、夜になれば人は減る。夜桜を楽しむなら、月の明るい夜に、皓皓と灯を燃やさねばならぬからだ。
 未来ならばピカピカに照らされる桜たちも、此所では白い花弁を淡く闇に浮き上がらせるばかり……。
 無論、名だたる寺や公家の家などは夜の宴も行うだろうが――。
 もっとも、凪紗とその連れは、そんな光源がなくとも、はっきりと見える。
 しかし……。
「やけど、今回は正の力もらおと思てな」
 月に桜も風情やけど、と凪紗は遠くを見るよう瞳を眇めた。
 お供しますよ、黒衣の男は肩を竦めて、笑った。

 果たして、少し賑やかな京の都をのんびり歩き、様々な桜で目を楽しませながら、辿り着いたのは川縁の出店。
 茶店が、花見客を見越して床几を並べたようだ。
 甘味から、抹茶、うどんや餅などの旅人向けの軽食に、当然のように酒……少々割高ではあるが、名店から引っ張ってきた本物である――とは店主の言だ。
「お祭りですねえ」
 宵蔭は呆れたが、ちろっと湯飲みから舐めた凪紗は、ちゃんと本物や、と破顔した。
「やっぱ、これやな」
 酒と甘味。
 花より団子ではなく、美しい光景を肴に味覚でも楽しむ――五感のすべてを満たしてこそ、真の花見だといえば、もっともらしい。
 鴨川を望む一角に陣取り、風に浚われた花弁が水面に落ちて流れていくのを見つめ、ほう、と凪紗は息を吐いた。
 酒も水も変わらぬ男が、酔いの息を吐くはずもない。
 美しい薄紅がそよぐさまに、穏やかに、気を抜いて酒を呑む凪紗の横顔に、ふっと宵蔭が息で笑う。
「ふふ、サムライエンパイアなど見飽きたと思っていましたが――凪紗さんの故郷は美しいところですね」
 言葉だけなら、まあまあ失礼かつ、陳腐だ。
 しかし宵蔭の生まれがダークセイヴァーなれば、凪紗も素直に「せやね」と認める。
 オブリビオン関連の様々な事件はあるものの、江戸が繁栄を誇り始めるうららかな時代とほぼ変わらぬ。町人は活気づき、街も洗練されていく。
 四季を全力で楽しむ人々は、皆のんびりとしていて穏やかだ。
 シンプルな草団子を一口、苦味と甘みの混じる口内を清酒で洗って、凪紗は静かな声音で問いかける。
「狭い狭い思うても――やっぱ世間は広いわ。そう思わん?」
 故郷を見て落ち着く、という感情も、様々なモノを見聞きしてきたからこそ。
 そして、見飽るなどとんでもない、という境地は、更に年月を重ねてこそ。
「自分の視野が広がって初めて気付くもんも多いってな」
 呟きに近い凪紗の言葉に、桜餅を食んでから、宵蔭は小さく頷く。
「そうですね……私だって暗い方が落ち着きますが、好きなわけではないんですよ。花を愛で、美食に舌鼓を打ち、友と呼んでくれる人と過ごす――その方が重要でして」
 ただ故郷に関して、そういう心境に至れるかはわかりませんねぇ、と赤の双眸を細めて笑う。
「今日と同じ事を私の故郷でしても楽しめるかといえば、否ですね。まあ、滅んでしまってますけど。というか自分でやったんですけど」
「剣呑やわぁ。知っとったけど」
 からっと笑って、凪紗は新たに運ばれてきた美しい切り子の杯を掲げる。
「けど、こうして酒飲めんのも、その過去ありき――やろ?」
「流石、次期神主」
「揶揄うのやめや。信心欠片もない男が」
 咎めるも笑って、何杯目とも忘れた酒を呷る。
 沈黙するも、目に映る光景は動き続けている。
 風が吹けば大きく桜が揺れて、ほろほろと落ちる花弁が風に乗って空を舞う。
 残された木々にしても澄ました貌で艶やかに咲く。
 そよぐ枝葉の音、鱗のように輝く川のせせらぎ。
 桜そのものは強い匂いを放たぬが、春の香というのだろうか、他の花々が振りまく仄かな芳香があった。
「こない愛想の良ぇ日は、なかなかないで」
 天候に恵まれたことに、茶店の客の誰かが笑った。
 酒が入っていてもいなくても、春は人を陽気にさせる――そんな“正の気”が巡る空間を、ゆっくり楽しむのは久方ぶりである。
 金色の前髪を揺らす風は心地良く、しみじみ思う。
 ――ほんに花見日和や。
 狩衣の襟元を通り過ぎていく風は、凪紗の肩に桜を運んだ。
「できすぎやろ」
 花弁を摘まんで眺める彼に、
「出来すぎというなら、杯に入るでしょう。信心が足りないのでは?」
 杯を傾けつつ、宵蔭が指摘する。
「何の信心や」
「なんでしょうねぇ、花の神?」
「――木花咲耶姫命かい」
 此所じゃあんまりやなと嘯き、
「女運恵まれんのはそのせいやろか」
「さぁ、そちら方面、神頼みはよくないのでは」
「……杯にひとひら落ちひんことで、そこまで言われなあかんの?」
 言い合い、くつくつと二人で笑う。
 ぽんと膝を叩いて、そろそろ行こか、と凪紗が促す。
 よっこいせと立ち上がるそ仕草には微塵も酔いはない――ずっと飲み続けていたというのに――羅刹の名に恥じぬ酒豪っぷりである。
「ま、ええ。いい店があるんや、そこでしっかり飯食お、酒も美味いんよ」
「まだ呑むんですか?」
 返す宵蔭も酔った様子は無いが、彼が眉宇をひそめたのもさもありなん。
「そりゃね、久々の帰郷や――懐かしい味、たっぷり堪能したいやろ?」
「はぁ。お供すると約束しましたからねぇ……鬼の霍乱がないとも限りませんし、付き合いましょう」
 ぐっと背筋を伸ばした凪紗は……そのまま腰を捻る姿勢で振り返って、ニヤっと笑う。
「桜酒もあんで。最初から花漬けてあるやつ」
「インスタント信心ですね」
 減らず口を叩く宵蔭は――しかし微笑んで、気易い者同士――再び逍遙する。
 袖を揺らし歩く二人の後ろに、小さな桜吹雪。
 旋風を描いた桜色は。

 片付けを待つ置き去りにされた切り子のなかに――するりとひとつ、滑り落ちた。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年04月20日


挿絵イラスト