Partenza~旅立ち前の一幕~
●
御鏡・幸四郎(菓子職人は推理する・f35892)のお店『創作菓子工房 CROWN』で買ったフィナンシェを置くと紅茶を注ぐ。
「兄様、相談があるのです」
ガラスポットで巡る金平糖を見つめる詩条・美春(兄様といっしょ・f35394)から気持ちが溢れ出る。
――クリスマスの嫉妬。
――1年通った専門学校を休学したが未だ悩んでいる。
「プランナーは明るい人が向きそうで、私は……こんな相談をされても幸四郎さんは困ってしまいますよね」
兄は壁に掛けた外套に目を向けた。
「! 丁度お茶菓子が切れてしまいましたし」
ギクシャクとしながらも、美春は春色のコートに指を伸ばす。
●
「もしもし櫻庵ですか。ああ、真希くん。ええ、急に出かけなければならなくなりまして。いつもすみません。いやこちらこそいつもお世話になっていますから……」
店内でほぼからっぽのショーケースに目を丸くしていたら、通話を終えた幸四郎が顔を出す。
「美春ちゃんごめんなさい、待ってもらって。お陰で最後まで話ができて助かりました」
「いえ。お出かけと……ごめんなさい、盗み聞きのつもりはなかったのですが……」
「美春ちゃんにはお伝えしようと思っていたんですよ。実はですね……」
――学生時代の大切な友人を探していて、行方の手がかりがつかめた。
片付けにいそしむ語りには熱が籠もる。どれほどに幸四郎が友人を心配し助力を望んでいるかがありありとわかる。
そんな幸四郎を前にすると自然と頬が緩む。サキュバスを伴った長い黒髪の貴種ヴァンパイアの彼は、美春も知っている人だ。
「そうだったのですね。良かったです。今度こそ幸四郎さんと逢えますように!」
「ありがとうございます。そういうわけで、明日からしばらく店を休みます」
クロスでテーブルを拭いていた美春は、兄を見てから「七ノ香姉様もご一緒に行かれるのですか?」と問うた。
「姉さんには留守中にたまに見に来てもらうようお願いしてあります。美春ちゃんも時々覗いてくれると嬉しいです」
美春の容に驚きが宿る。だが幸四郎の口調は気負いもなく至極自然であった。
嫁いだ姉に頼ることに葛藤し、ともすれば無理をしがちであった彼は、ここ数年は素直に姉と並び立ち戦っている。同じように兄様といっしょの美春は安堵していたのだが……。
(「やっぱり幸四郎さんは大人なのですね。ちゃんと自分で考えて決めてらっしゃる」)
無理をせず、だが姉からの自立をしっかりと進めている。
彼の青春時代は、姉への罪悪感を握り込むあまり依存に傾く危うさがあった。美春も兄への依存心は強いが、優しさと庇護に包まれている心地よさに自身は肯定的であった。
――それでも兄と姉の結婚を心から祝福しておくりだせた弟妹でもある。
(「そこからかなり時間が経ったのに、私は子供に逆戻りしてしまいました」)
大人は頼ってはいけないんだ。
辛いことがあっても歯を食いしばって我慢をしないといけないんだ。
(「けれど私は、自分ひとりでは立てなくて誰かに頼ろうとしてばかりで……」)
幸四郎さんにすぐに頼りたくなる。兄様の袖を探してしまう。
「美春ちゃん」
テーブルを拭く手が一瞬震えたのを、幸四郎は見逃さなかった。
大切に育てられた彼女は純粋で思い詰めがちな所があると気がついている。そこをフォローしていきたいなぁとも。
「いつも支えてくださりありがとうございます」
だから助言よりもこんな言葉を選んでみた。
「え? 私、何もできてないです」
「いいえ。今だってこうして私の話を聞いてくれてます。お陰で気持ちがますますクリアになりました。お店を1週間も閉めて出かけるのも大丈夫かなぁって、そんな不安が0なわけではないんですよ?」
けれど美春がテーブルを丁寧に拭いてくれているのを見て、帰国しても変らずに来てくれるだろうなと安心できた。自身が紡いだお店を慕ってくれる人がいるのだと――幸四郎は切りそろえた黒髪をさらりと零してそう告げる。自然と溢れた微笑みと共に。
「明日、マヨイガ結社経由で欧州に立ちます。急な決定でしたけれど、みんな快く手を貸してくれてます。さっきは材料の引き取りをお願いしたんですよ」
――ひとりでは、なにもできません。誰もがそうなんだと思います。
幸四郎の言葉に美春は息を飲む。胸に焦げ付いた『大人になる思い込み』が、すうっと流されていった。
「ふう……っ、これぐらいでいいかな。美春ちゃん、片付けを手伝ってくれてありがとうございます。ラストのお手伝いはこちらです」
戯けたように片目を閉じて、竹籠いっぱいの焼き菓子を手渡した。
「消費期限は1週間前後です。傷んでしまうよりもずっといい」
忙しなさを詫びて鍵を手にした幸四郎は、袖がつっと引かれて足を止める。
「私……幸四郎さんに相談にのっていただきたくて……」
美春はぐるぐると混乱する頭のままで話しだす。
「あ、ええっと……今は探しているお二人が最優先なのはわかっています。だから私も欧州で微力であれお手伝いはしたいのです。その合間に、いいえ、帰国してからでもいいです……幸四郎さんの力になりたくて。支えあい……の。私は支えてもらってばかりですし」
珍しく捲し立てるような話し方だ。幸四郎はふむと首を傾げ、タイミング良く籠を受け取った兄様を見た。
「兄様は七ノ香姉様といっしょです。ひとりでお留守番は寂しいので」
そこは迷いがない。
いつか彼女は言っていた「兄様の花嫁は七ノ香姉様だけです」と。
「……そうですね。義兄さんがついていてくれるならとっても安心です」
自分の道を歩み出した弟は、そう口にしてから姉のことを案じていた己に気づく。
「はい。私も兄様ひとりより嬉しいです」
幸四郎は袖をつかむ指を撫でると、店内に戻り座るようすすめる。
「実はまだミルクが残っていたんですよ」
チンッとレンジの音の後、甘くしたホットミルクを2つ置く。
「ごめんなさい、お忙しいのに」
「いえいえ。美春ちゃんがついてきてくれるなら心強いですよ。ありがとうございます」
今更恥ずかしさで赤面する美春は、甘いミルクで喉を潤してから「はい」っと小さく微笑んだ。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴