紫闇の紡ぐ歌が届く先
ひとりでは彷徨う指先もあなたとなら。
絡まり合う手は互いの温もりを伝え合う。
そうやって幾つもの夜と、数多の世界を越えていったふたりに訪れるバレンタイン。
いつもなら静かにロマンチックにと過ごすのだけれど、今年は少しだけ趣向を変えていた。
キリカ・リクサール(人間の戦場傭兵・f03333)が、黒城・魅夜(悪夢の滴・f03522)を連れて来たのはカラオケルームである。
いゆるカラオケデートというもの。
最近のカラオケ店は歌うだけではなく、ライブ配信や映画などを見ることも出来るという。
大きなモニターに、迫力のあるオーディオ機器。
それらを飾られた一室は、映画さながらの迫力と臨場感。
「フフ、どうかな魅夜。気に入って貰えたかな」
キリカがヴァイオリンのような高い声色で告げてウィンクをひとつ。
これだけの部屋となると相応の準備と予約が必要だろう。
機器もさることながら調度品もまた上品なもの。
ふかふかのソファの艶めいた色。壁にかけられた写真。
本来は必要のない花瓶も、バレンタインという今日の為に用意されたものなのだろう。
デートの日の為のカラオケの一室。
甘やかに、華やかに、そしてロマンティックにと光が溢れる。
「ふふふ。キリカさんが選んで用意してくれたのですから、気に入るに決まっているじゃありませんか」
魅夜は柔らかく微笑み、ほっと吐息を零した。
カラオケというものはあまりやったことのない魅夜。
歌うという事はダンピールであり、悪霊である彼女には慣れないものなのだろう。
夜の静寂に耳を傾け、その裡にと響く情念のざわめきを拾う。
けれど、今ばかりはと夜色の双眸を喜びに揺らしてキリカに言葉を贈る。
「キリカさんと一緒ならどこでも、なにをシテも楽しめるでしょう。それに……ふふ」
ソファへと座りながら魅夜は唇より紡いだ。
「個室で長い時間ふたりきり、というのは、何となく……」
そう、あくまで何となくだけれど。
誰もはいって来られないふたりきりの世界。
ふたりだけの領域で、キリカと魅夜の箱庭のようで。
「少しイケない気分にも浸れますものね」
――まるで夜の甘やかさを共に啜り合うかのよう。
くすくすと微笑む魅夜は、夜色の令嬢めいて楚々と美しい。
だが、何処か甘やかで危険な蜜の溢れる雰囲気も漂わせていた。
「それが今の魅夜の望むことなら、イケない事も構わないけれど」
キリカは音もなく魅夜の傍へと座る。
そのまま腕を伸ばして魅夜を抱き寄せ、その肢体の柔らかさと温もりを感じるのだ。
自分の身体も存分にと魅夜に与えながら。
呼吸すら混じり合う抱擁の間で言葉を滑らせる。
「それでも今はこのカラオケという時間を楽しみたいな。魅夜と一緒ならどこでも、なにでも楽しい。ああ、それは私もだとも。だからこそ……この思い出を一緒に抱きしめて欲しい」
キリカの紫の眸が優しく揺れる。
「今日は今日だけだ。けれど、明日も明後日も、未来永劫、魅夜は私と一緒にいてくれるのだろう? なら、思い出を鮮やかに綴りづけたい」
「まあ、キリカさんったら。情熱的ですね」
頬が触れあうような距離で、柔らかく微笑むふたり。
愛情と幸福を注がれた花であるかのように。
夜と闇の狭間で咲いた花は、斯くも美しいのだと世界に示すように。
「ふふ……さて」
そうして魅夜が視線を巡らせるカラオケルーム。
歌うだけではない。
ライブ配信やDVD鑑賞。本まで。
あらやるのもが楽しめるようになっている、いわば娯楽の為の要素を集めた一室だ。
大きなモニターに映し出された映画は、きっと部屋で見るのとは違う迫力があるだろう。
そしてふたりきりなのだから、映画館とも違う。
キリカと触れあって感じる映像と音は、きっと魅夜の心の底にまで響き渡る。
まずは落ち着くまでとキリカが選び、ライブ配信を見ていく。
「……ふむ、このアイドルの配信にしようか」
キリカが選んだアイドルは歌唱力がある少女のもの。
が、何より彼女自身が紡いだ歌詞が良い。
自らの思い、感情、それを必死にと歌い上げる姿はどうしても心に迫る。
数えきれない誰かに向けた歌ではなかった。
自分の心から解き放たれ、そして伝われと響く歌は甘美な音色として感情を沸き立たせる。
キリカが選ぶ歌手のだ。チープな、流行に乗っただけの存在である筈もなく、音響機材の効果もあって魅夜も鼓動をときめかせている。
「フフ……この画面に映るフリルが多めのアイドル衣装を見てると」
するりと視線を流すキリカ。
その先にいる魅夜にウィンクを見せて、優しく愛しげに告げる。
「この間のクリスマスに二人で着た衣装を思い出すね」
「ふふふ。やはり覚えていて貰えたんですね。私もそのことを思い出していました」
「特別な写真もあることだしね。もっとも、今に考えれば誰かの目が魅夜の美しい姿を捉えてしまった――この眼であの可愛らしい姿を独占出来ないと思うと、悔しさもあるけれども」
「ふふ。でも顔は笑っていらっしゃいますよ。それに、モデルとなって誰かのに視線にというのなら私も同じように嫉妬してしまいます」
それならと頬を触れあわせ、ふたりして瞼をゆるりと閉じた。
「互いの嫉妬も、独占欲も」
「合わせてしまえば、ただの愛情ということで」
今日はバレンイタインデー。
告白によって紡がれた恋人たちの甘くて優しい日なのだから。
触れてもいい。
撫でてもいい。
ただ互いを感じるだけで、幸せはそこにあった。
けれど、もしも記憶として抱けるのならと、魅夜の夜色の瞳が動く。
「でもやはり、カラオケに来たのですから歌って楽しむのが一番でしょう」
むしろ歌を重ねることがもっと素敵なロマンスになるはず。
そう思うからこそ、白魚のような指先がマイクをひとつと掴んで魅夜とキリカの間に惹き寄せられた。
「デュエットですね、ふふ。マイクも2本などいりません。この一方だけで十分」
「そうだね、魅夜と一緒のデュエットを断るなんてしないさ」
再び頬を寄せ合い、魅夜はもっと近くにとキリカの肩にそっと手を置く。
当然とキリカも優雅に微笑み、魅夜の肩に手を置いた。
まるで抱きしめあうような姿だった。
互いが零す吐息を、そして思いを抱く歌声を、ひとつのマイクへと重ねるような姿だった。
「気持ちを、感情を。ひとつに合わせて、ふたりでメロディを作り上げる……」
だからこそ、魅夜とキリカは互いの呼吸を、そして鼓動の旋律と音色を聞いていた。耳を澄まして、或いは柔らかな肌で感じて。
「なんだかとても素敵ですね」
うっとりと囁く魅夜は、まるで夢のようだと続ける。
「魂が共鳴したような感覚です」
「フフ、それは可笑しいね。私の魂は常の魅夜のものだ。魅夜の魂は、私のものじゃなかったのかな?」
「もう、キリカさんったら」
そんな当然のことをと笑うふたり。
「そうでありながら――重なり、繋がり、ひとつの音色を鳴らすかのような今が幸せなんです。そう、幸福の音色を奏でて、共鳴している」
それこそ夜を越える為に、ふたりで悪夢の音を討ち果たし。
夜闇の裡に、希望と幸せの風音を響かせるように。
唇より思いを、ひとつ、ひとつと零していく。
今までの過去を思い、これからの未来を願い。
そして今、この瞬間に愛しさを抱く気持ちを歌に乗せて、響かせて。
魅夜の気持ちに数値なんてつけられない。
だが、カラオケに採点というシステムがあるからこそ、歌い終わった事を知らせる画面と音を向けば……。
「……五十点?」
ぴくりと魅夜の眉がつり上がる。
今までの幸福さを忘れて、ついと負けず嫌いの心が騒ぐ。
「キリカさんと私の歌が?」
いいや、もしかしたら魅夜とキリカの感情にそんな点数がつけられてしまったのだと、自分たちの思いの美しさが分からないのかとムキになってしまうのだ。
(そうやってムキになる魅夜も可愛いものだけれど、ね)
くすりと笑いかけたのを堪えるキリカ。
「さて……点数だが……50点か…………」
キリカの声は硬質で、さながらヴァイイオリンのように高く澄んで、響き渡る。
がどうしても歌う時は機械的に歌ってしまうため、感情が乗らずに採点が低くなるのだ。
感情の込め方、というのも採点のひとつとなっているのが最近。
だが感情の込め方、というのも今の機械判断の基準にされているのだろうとキリカも肩を竦めていた。
「ふ、ふふふ……」
一方で明らかに感情を見せている魅夜。
鮮やかに沸き立つのは怒りというよりは挑戦心。
負けたくないという気持ちは、自らにも負けたくないということ。
そんな魅夜の姿が可愛らしいと感じるのだから、キリカが止める筈もない。
「カラオケマシンの分際で私に挑戦するとはいい度胸です」
負けず嫌いも此処に極まる。
自分が納得するまでやめない。終わらない。
魅夜はダンピールという夜姫の声をもっていても、悪霊であるせいで呪いの歌のようになってしまう。
リズムも音程も魅夜もキリカも取れている。
が、感情の面でまったくとれていないからの、半分の五十点。
ならと魅夜が得意な曲を次々にいれ、キリカも少女のように感情を顕わにした魅夜を愛しげに抱きしめながら歌い続ける。
このまま続いてもいい。
魅夜の願いが叶って、終わってもいい。
そんな不思議な思いにあるキリカと、絶対に負けたくない魅夜。
歌は美しく重なり合うが、機械にそれを判断することは出来ず……。
「また五十点か」
流石のキリカも眉をつり上げた。
何度やってもこの点数。
どうしてかこの点数から上にもいかないし、下にもならない。
もしや最低点数として五十点が用意されているというのならと、ふとキリカの胸にも思考が過ぎる。
可愛らしく怒る魅夜を抱き寄せながら、紫の双眸に真剣さを乗せた。
「やれやれ、それじゃあ機械に私達の歌の良さを教え込まなくてはね」
そうして歌い続け、時間が経つがふたりは気にしない。
最初の甘やかな雰囲気も何処にいったのか。
思いのままに歌い、そして終わらず、次へと繋がっていく紫闇のふたりの歌。
「延長、延長です!」
魅夜がぽちぽちと操作して、むっとディスプレイを睨む。
「百点を出すまで帰りませんよ!」
果たして、どんなオブリビオンを前にしてでもこんなにムキになった、少女のように怒る魅夜の姿はあったのか。
キリカはこれも思い出として抱き、くすくすと笑いながらも――自分もまたムキになり始めているのに気づき始めていた。
「なに、世界を救った事に比べれば100点を取る事なんか容易いさ」
そうだ、容易い。
一時間以上かけて五十点から変動していない事実を認めず、簡単だと言い切ってしまうキリカ。
そして、そんなキリカが傍にいるからこそ思いを色褪せさせることなく、祈るように、願うように。
そして戦うようにと魅夜はマイクを向ける。
「マシンよ、いかなるフォーミュラをも倒してきた私たち紫闇の力を思い知りなさい」
ただこれは感情を歌に乗せるということ。
機械が判定する基準触れることが出来ない、ふたりの個性。
機械的に、フラットで美しく歌うキリカ。
ダンピールの美声ながら、呪いの歌のようになってしまう魅夜。
これは定めであるかもしれない。
夜を越えるほどに歌っても、点数の変動はない。
いいや、これで一点だけでも変わればふたりは喜んだかもしれないけれど。
機械が五十点と判断し続けている。
でも、それはきっとキリカと魅夜は変わらないということを示しているのかもしれない。
幾ら繰り返しても、幾つの夜を越えても。
ふたりの関係は、歌は、心は変わらないのだと。
ふたりが触れあい、傍に居続ける限り。
「もう一回、もう一回です!」
それを機械が伝える術は、ないのだれど。
成功
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