耳あり尻尾アリ!狼少年とラミア少女のチュートリアル
これは有り得たかもしれない、例えばの話。
朝焼けの空に月が昇る様な、夢と現の狭間が見せた少年少女のお話である。
良し悪しに関わらず、この世界を生きている人の中でゴッドゲームオンラインの名前を知らない人間は居ない。
一体誰が作ったのか分からないこの遊戯は、もう一つの生きる世界といっても過言ではなかった。
退屈な日常を生きる人々にとっての現実を忘れさせてくれる一縷の望み。
その様な仮想の現実に、今日もまた新たなプレイヤーが生まれようとしていた。
「もうすぐチュートリアルも最後かな、ハロちゃん?」
「多分そろそろだと思いますロランさん」
子供の可愛げが残りながらも大人になりかけている少年の声が隣にいる少女に向ければ、落ち着いたもうすぐ大人になろうかという凛とした声が少年へ帰って来た。
神聖で荘厳な造りをした神殿の中を、二人の少年少女がひざまずき、これからの冒険に期待が抑えきれぬと顔を見合わせて神官風のNPCの言葉を待っていた。
少年の名はロラン・ヒュッテンブレナー(人狼の電脳魔術士・f04258)
少女の名はハロ・シエラ(ソード&ダガー・f13966)
此処はゲームのチュートリアルを受ける者が訪れる場所の一つ。
彼、彼女は今まさに新たな世界の門出を迎えようとしているのだ。
「新たな勇士よ」
静かに口を開く神官風のNPCの言葉に二人は立ち上がると、彼等の似姿に光が差す。
少年は腰に差した分厚い大剣を隠す様に深紅のマントを身に着け、全身には重厚な鈍く光る金属製鎧の纏っている。
一方、少女の方を見れば少年の方とは打って変わり、白を基調として荘厳で神聖な意匠の入った服や手袋をしており、服の上には銀色に光る胸当てを身に着けた軽装の剣士の姿をしていた。
「其方の門出を我等は祝福しよう」
この後の流れは既に聞いている。突如、神殿内に襲撃を掛けるモンスター達を相手に戦闘のやり方を教われば、晴れてこの世界のプレイヤーの仲間入り。
その後は何をしても自由だ。
思うが儘に、この世界を楽しめばいい。
一体これから何をしようか?そんな期待に胸を膨らませて――。
何かがおかしいと、少年は首を横に傾げる。
神官風のNPCが立ち尽くして、何時まで立っても続きの言葉が来ないのだ。
その事に少女も気が付いた様で不審がった目で辺りを見渡し始める。
「新たな……祝福しよう」
やがてもう一度。
針の戻った時計が同じ時間を刻む様に。
「祝福しよう、祝福しよう」
同じ電子的な言葉が出てくる度に何処かが致命的に歪んでゆく。
「どうしたのでしょう?メンテナンスと重なりました?」
そんな疑問を少女が口にすると。
「しゅくふくシュクフクフクシュク」
耳障りな言葉を発する神官の身体から、黒くモザイクがかった物があふれ出し神殿内を覆い尽くしてゆくではないか。
「何、コレ!?」
慌てて手で払いのけようとする少年。
だが払いのけた手にモザイクは絡みつき、どんどんと手から腕へと包み込むように増殖してゆく。
「この、離れろ!」
「ロランさん!!」
何だか分からないが目の前の少年が危機に陥ってるのは解る。
だからこそ少年を連れてこの場から離れようとして。
「ッ!?ヤダ!止めて!!」
モザイクは一気に地面を侵食して、少女の体は底なし沼に嵌ったかの様に、身体が沈み込んでいく。
「ハロちゃん!?」
慌てて手を伸ばして手を掴む。
だが黒いモザイクに覆われた手に感覚はなく、掴んだはずなのに物理的にすり抜けてしまい。
少年も、神殿内を覆い尽くしたモザイクの海に飲まれ、意識を失ってしまうのであった。
「……此処は?」
次に目が覚めた時は真っ暗闇の中。
何処にいるのか、此処が何処なのかも分からないが、少なくとも少年は自分が生きている事に安堵する。
(助かった?)
今思い返しても恐怖で手が震えてくる。
あれは一体何だったのか?と、頭を掻こうとして。
「ひゃん!?」
得体のしれない感覚が脳内を突き抜けて、今まで出した事の無いような声を上げてしまう。
今確かに頭の上で何かに触った。
その後、今まで味わった事のない脳の奥まで突き刺さったような感覚が突き抜けたのだ。
ゆっくりと手をもう一度頭の上へと持っていくと、間違いなく何かが手を触り、合わせて何とも言えない感覚が頭の上から骨の髄に突き刺さる。
「まさか……耳!?」
くすぐったい気持ちを抑え、そっと手で触ってみると形が解ってきた。
もさもさで、ふわふわとしていているそれは、動物の頭に生えている様な耳の様な触り心地。
その触られている感覚が自分の頭から伝わるのだ。
「なんで!?しかも、何か手も!」
あるはずの無い耳から伝わる感覚は、少年の手に異変が起こっている事も伝えている。
一体何が起こったのか解らず、頭の中が目まぐるしく動き、今にもどうにかなりそうになり。
「……さ、寒い」
聞き取れる筈がない程の小さな声に、辺りを見渡す。
見えるはずの無い闇のカーテンから、うっすらと誰かの見覚えのある姿が見えた。
「そうだ、ハロちゃん!」
自分に何が起こったのか分からないが、少女の声は助けを求めている。
それだけで、立ち上がるだけの勇気と力が身体の何処からか湧いて来た。
「待ってて、今」
ただ誤算があった。
先ず少年の身体に起こった変化は見た目だけではなかった事。
「痛っ!!」
飛び出した少年の身体は、体操選手が空中で離れ技を繰り出すかの様に宙に舞って何度も錐揉み回転。
受け身を取る暇もなく、気が付いた時には少女の声が聞こえていた方に脚を向けて、勢いよく地面にキスをして倒れこんでいた。
(何、今の?)
ただ走ったつもりなのに、脚にバネでも付いていたかの様な力で、気が付いた時には空中へと飛び出してバランスを崩していた。
(まさか身体の力が強くなって?)
だが、そうだと判れば話は別だと。
次は冷静に動けばいいだけだと、腕に力を籠めて。
もう一つの誤算が少年の足首を襲ったのだ。
目覚めた少女が最初に感じた事は、寒さだ。
体が氷で出来ているのではないかという程の寒さが全身を覆い尽くしていたのである。
何が起こったのかも分からない虚ろな頭は、ただ少女は暖かさを求めていた。
やがて自分の声に応える声が聞こえて来た。
それがとても嬉しかった。応えてくれたのが嬉しかった。その足音が私を助けてくれようとしているのが嬉しかった。
だから待ちきれなかったのだ。
少年がすぐそばまで察知した少女は、少年という暖かさに両手を伸ばし、その足首を捕まえて。
「……ロランさん」
暖かい脚に手が暖かくなるのを感じて、遂に理性が切れてしまい。
蛇が自らの巣穴に獲物を引き摺り込む様に引き寄せた。
「は、ハロちゃん!待って……力強っ!?」
ガリガリと爪が地面を削る音が聞こえてくる。
だが暖かさが今は欲しい。
欲しいのだから、力づくでも手に入れると。
少女は魔性の欲望に身を委ねたのであった。
しかして。少年の身体は今まさに、少女の異形の腕と身体に支えられる形でいぐるみの如く囚われていた。
「……暖かい」
少年に抱き着く形で暖を取り、戻ってきた理性が訴える恥ずかしさを隠そうと少年の頭に生えた方の獣の耳の後ろで、そっと囁く少女の声を聞きながら。
「どうして、こうなってるの?」
異形の身体の少年は、草原を走る獣が如く頭の中を巡らせていた。
先ず自らの体に起こった変化についただ。
獣の耳は狼の物で、転んだ時には気が付かなかったが、お尻の辺りからは尻尾も生えている。
腕は肘から手までが、人と狼が融合した人狼とでも言うべき手に変化しており、聴覚や嗅覚といった感覚も時間を立つ事に鋭くなっている。
目も周囲の闇を見通せる様に変化して、今は辺りをハッキリと見渡す事が出来る。
二人は今、重そうな金属製で出来た扉が一つ有る、禍々しい紫色をした小部屋らしき場所に居るのは間違い無い。
(あそこから外に出られそうだね)
……所で何故、先程までの慌てぶりが嘘のように静まり返り、冷静さを保っているのか?
彼だって男である。ぬいぐるみの様に抱き寄せられて、背中に柔らかい二つの物が押し当てられれば、余計な事を考えない様に冷静に物事を考える様にもなるだろう。
(考えない!後ろの物は考えない!!)
とはいえ身体は正直だ。
勝手に生えてきた狼の尻尾は少年の思いを代弁するかのように、ブンブンと動いてしまう。
その度に少女を意識してしまい、無理やり尻尾を下に伸ばすと、ひんやりとしていてプニプニしている物が尻尾の先端に触れた。
これは今の少女が持つ体の一部。
巨大な蛇の下半身に持つラミアの様だが、蛇の体の部分は弾力性が有り、触ると少し沈みこんで押し返されてしまう。
不思議な事に尾の先へ往くと、徐々に蛇の形が崩れと色を失い、やがて水の玉となって消えてしまっている。
(大きなスライムがハロちゃんの脚にくっついてるみたい)
少女の体が冷たかったのはそのせいか?はたまた蛇の体を持つが故に体温が調整できないのか、或いはその両方か。
推測は様々だが、少女の体は少年の熱を貰わなくとも徐々に暖かさを取り戻している。
此方も時間が経てば謎が解けずとも問題は解決するだろう。
(所で、さっきから、なんだか良い匂いが)
そしてなのだが。
少年が体の変化に慣れるにつれて、辺りに漂っている匂いに気が付いてしまう。
(こ、これって、もしかして……ハロちゃんの匂い!?)
等と至ってしまった考えは、何をしている訳でもないのに邪な物に感じてしまい。
なんとか追い払おうと頭を横に振ろうとする。
「ごめんなさい、ロランさん。やっぱり嫌ですよね」
それが理性を取り戻した少女にとっては拒絶にしか見えなくて、シュンと肩を落として項垂れてしまう。
「いや違うんだハロちゃん!そうじゃなくて」
「だって私。ロランさんを無理やり……抱き寄せたりして」
罪悪感から歯切れが悪い言葉を並べ、何時でも逃げて良いとばかりに腕の力を緩める少女。
「そんな事無いよ」
対して、意を決して振り向いた少年は、少女の言葉をきっぱりと切り捨てる。
「あの時のハロちゃん、とっても体が冷たかった。放っておいたら大変な事になってたかもしれない」
「でも」
「大丈夫だよ。ぼくは君を嫌いになんてなってないし、これからもそんな事は絶対に無いよ」
何処までも真っすぐな少年の瞳と真っすぐな言葉。
そんな少年の優しさが、嫌われたかもしれないと嘆く少女の心をゆっくりと温めてゆく。
「どうしてこんな事になったのかよく分からないけど、一緒に頑張って元の姿に戻ろう?」
ね?っと。首を横に傾けて語りかける少年に。
「……うんっ!」
自然と溢れてくる涙を隠すことなく。
少女は首を縦に頷くのであった。
「落ち着いた?」
「ぐす、はい。もう、大丈夫です。それで……私達に一体何が起こったのでしょうか?」
それからしばらくして。
涙が止まるまで落ち着いた少女は自分達に起こった現象に付いて考えていた。
「この姿……噂に聞く魔喰者って奴でしょうか?」
魔喰者。それはゴッドゲームオンラインに実装されている職業の一つだ。
モンスターを喰らう事でしか強くなることが出来ず、産廃職だとよく噂されている物である。
「何かの手違いでジョブを間違えたのでしょうか?戦う事は出来そうですけど、課金して揃えた装備が仕えないのは困りますよね」
「魔喰者……とは違う気がする。多分だけどバグか何かじゃないかな?」
その推測に少年は首を振る。
モザイク状の何かに襲われた際、確かに自分の中にある物を書き替えられたという感覚があった。
そんな事が出来るのは、このゲームを運営している組織か、はたまた彼等が見過ごしたバグのどちらかではないかと、少年は考えている。
その二つであれば、後者の方が可能性としては大きいだろう。
「まあ此処で考えていても性が無いし……此処を出てみよっか?」
ちょうど二人の前には重苦しいながらも扉がある。
此処を出れば解る事もあるかもしれない。と、少年が扉を開けようとして。
「あ、あれ?」
錆びついた嫌な音を立てるだけで扉は地面に固定されてるかの様に動かない。
まさかと思い引いてみるが今度はびくともしない。もう一度力を込めて押してみると、ほんの少し動いている気配はある。という事は、それだけこの扉は重量があるという事だろう。
「どうしよう?」
「ロランさん。二人で押してみませんか?私もこの姿になってから力が増してますし、何かのお役に立つかと!」
「確かに。じゃあ、ぼくの掛け声に合わせて一緒に押して!」
解りました。と、蛇の体を器用に操り、少女も扉に両手を当て少年の声を待つ。
「せーのっ」
全身の力を込めて、今度こそ扉を開こうと意気込む少年。
「ふんっ!」
そんな覚悟を他所に、少女が力を籠めると扉は呆気なく開いたのであった。
「やりましたロランさん!……ロランさん?」
「あ、ああうん。やったねハロちゃん!」
思わずポカンとしてしまった少年だったが、何はともあれ道が開けた事には違いないのだ。
(……やっぱりハロちゃん、腕力がぼくよりも強いよね)
少しばかり自尊心が傷ついたが、そんな事は目の前の光景の前には些細な事だった。
溢れんばかりの日の光。それに照らされた草木に覆われ、川が流れる大地。
鳥が囀りながら悠々と飛ぶ空は蒼く、此処が否応になく、少年少女が暮らしていた現実とは違う事を物語っている。
これからの冒険を期待させるには十分な物であった。
「わあぁ……」
ここがゲームの世界だとは信じられない。と、目の前の光景に心奪われる少年に。
「ロランさん」
少女が嬉しそうに声を掛ける。
「うん、どうかした?」
「えへへ、呼んでみただけです」
そう?と首を傾げる少年にくすくすと少女は笑いかける。
「こんな姿になって怖かったところもありましたけど、私の声に返事をしてくれる貴方は、間違いなくロランさんです」
思わず、少年の顔がハッとなった。
きっと顔や態度の何処かに現れていたのだろう。
こんな姿になってしまってこれからどうするのか?本当に元に戻れるのか等。
不安になっていた事を、少女は読み取っていたのだ。
「ハロちゃん」
「はい、どうしました?」
それがとても嬉しくて。だからこそ少年もまた同じ様に少女の名を呼んでみる。
「えへへ。何でも。呼んでみただけ」
嬉しそうに声を返す少女に、少年もお返しとばかりに笑顔で少女と同じ言葉を返してみる。
お互いに笑顔を見せる二人のチュートリアルは前途多難ではあったが、それでも彼等の絆が有れば、きっと何とかなるだろう。
この不可思議な体から元に戻る為。
そして新しい世界の、新しい冒険を求めて。
二人の新しいプレイヤーが、今まさにこのゲームに参加したのであった。
成功
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