魔穿鐵剣外伝 ~限克破刃~
かつて、|永海隠里《ながみのかくれざと》を襲った二度の災厄があった折、そのいずれもに参戦し、今なお永海の民から敬われ、感謝されている猟兵が十数人ほどいる。全ての猟兵の数からしてみれば僅少、ほんの一握りの数だ。
こたび、永海隠里に続く山道をゆっくりと往く身の丈六尺あまりの銀髪の男もまたその一人。名を|鸙野・灰二《ひばりの・かいじ》(宿り我身・f15821)という。腰に差した二刀は脇指と打刀。それぞれ『忘花』、『斬丸・絶』という銘のある、いずれも永海に所縁のある快作である。
さて、幾つかの結界を抜け、灰二が小高い地形に辿り着き、いよいよ永海隠里を望んだその時だ。
『懐かしい匂いがするなア』
「わかるのか」
『応とも。不思議なもんで、おれを打った親父殿の頃と同じ火の匂いがしやがる。忘れねえんだな、ひとってのは』
「……絶えぬ火か。きっと、ずっと燃え続けるンだろうな」
不意に灰二に語りかける声が一つ。灰二は緩く答える。余人がこの場にいたならば、灰二が一人で何事か呟いているように視えたことだろう。しかし灰二には確かに聞こえている。右腰に差した打刀の声が、だ。
修羅鋭刃『斬丸・絶』。
長きに渡る永海の歴史で未だ及ぶ者のない最優の鍛冶師、“七代永海”|永海・鐵剣《ながみ・てっけん》により打たれた斬魔鉄製打刀『斬丸』に、ともすればその七代永海を超える才を持つやもと噂される“十代永海”|永海・鋭春《ながみ・えいしゅん》が、『|返し斬魔含《かえしざんまぶくめ》』なる技法を施して更に強大な力を持たせたという刀だ。
通常、斬魔鉄の刀というのは、古霊刀・妖刀の小割れや霊力のある玉鋼を用いた鉄で造り込みを行い、妖の血を焼き入れに使い、刀の中に妖異の力を含ませ、軽く、鋭く、硬く、鈍らず、長切れするようにと作られるものだ。焼き入れに使う妖の血は、作り込んだ刀の格によって異なる。すなわち上物ならば高位の妖の血を使えようし、凡作ならば平凡な妖の血が使われる。
このとき、使う血の格、量を僅かでも違えば――足らずになまくらとなるか、過ぎて爆ぜ割れてしまうか。いずれにせよ使い物にならぬ刀が出来上がってしまう。斬魔鉄というのは標準的に見えて、永海の他の妖刀地金よりも難しい妖刀地金なのだ。これゆえ斬魔鉄を極めるものこそ、その代の鍛刀総代に最も近いと噂される。
さて、返し斬魔含とは――永海の歴史でもほんの数振りしか例のない超高等技能。本来ならば完成時点で限界量の血を含んでいるはずの斬魔鉄製の刀に、再度妖異の血による焼き入れを施すという狂気の技術だ。考案者はやはり永海・鐵剣。多数の事物を斬り、刀の『霊格』が数段上の位階となった際、空いた|許容量《キャパシティ》に更に妖異の血を継ぎ足す、という技術である。
むろん、霊格だの許容量だのが目に見えるわけがないし、器具で測定できるでもない。しかしそれを的確に嗅ぎ取り、神業のように限界量の血を再び込める。
失敗すれば刀は毀損し、もう二度と戻らない。七代永海の忘れ形見たる斬丸にそれを施すとは――『国宝でジャグリングするようなモンです』と彼の知己たる紙忍が言ったものだが――ともあれ、十代永海は美事、その返し斬魔含を成功させ、斬丸の銘に壱文字足すことに成功したのだ。すなわち、『斬丸・絶』と。
このことを経て、以前から度々灰二に念を伝え会話らしきことをしていた斬丸は、俄然意思を確固たるものにしたかのように、目覚めて話すことが増えた。気儘な一人旅に、たまの供行きが増えたというところだ。煩わしいでもなし、話しかけられれば灰二も無碍にはしない。
「里帰りした気分はどうだ?」
『誰と喋れるわけでもねえからなあ。鸙野よう、忘花のことが済むまでその辺であやかし狩りと洒落込まねえか』
「なンだ、随分薄情なことを言う。お前も研ぎ直してもらえ、折角だからな」
『面倒くせえなあ。斬ってる時間以外は大体ヒマだろう、おれたちゃあよ。お|前《めえ》とこうして喋るのはそこまで嫌いじゃあねえけどさ』
「まあ、そうだが――」
戦に生き、戦に死ぬ。それこそ刃の生き様なれば。灰二自身も、かつて桐箱に押し込められていた過去を持つ刀のヤドリガミだ。斬丸の言うことが文字の通り、身に染みて分かるのだが――けれども今回は少し外せぬ用がある。
「忘花を待ってやれ。女の化粧を待てない男は嫌われるぞ。矢来の受け売りだがな」
『ちぇっ、しょうがねぇな……』
斬丸は窘められた悪餓鬼のような調子で応じると、不服げにしながらも従うように黙り込んだ。
肩を叩くように斬丸の鍔を叩いてやり、灰二は大股に歩みを進める。
「代わりにいいところに連れて行ってやる。もしかしたら声が聞けるかもしれんぞ」
『……なんだそりゃ?』
灰二は思惑を話さぬまま、息がそよ風に溶けるほど僅かに笑う。
永海の里は、もうすぐそこだった。
* * *
「おお、久しいな! 鸙野どの。息災だったか」
「ああ。鋭春殿も変わりないようで何よりだ」
鎚音響く鍛冶場で灰二を迎えたのは他ならぬ十代永海――永海・鋭春であった。永海隠里がオブリビオンの標的となる未来は当分見えないとグリモア猟兵から話があったとおり、里の様子は平穏そのもの。安定した暮らしぶりをしているらしく、鋭春の血色もよい。
「今日は鋭春殿に折り入って相談があってな。聞いて呉れるか」
「他ならぬあんたの頼みだ。おれが首を横に振るわけもなかろう」
「なら、これだ」
小気味好い鋭春の返しに軽く笑い、どん、と刀台の上に灰二が置いたのは、斬魔鉄製脇指――「忘花」。
すんと一つ、鋭春が鼻を鳴らして目を細める。
「使い込み、時も経ッた。そろそろこいつも頃合いかと思ッてな」
「……なるほど。刀の身だと、同じ刀の状況が分かるようになるものなのか?」
「さてな。俺はそろそろか、と思ッただけだ。勘に過ぎん」
「はは、そうか。……もしそんな力が備わるのなら、おれも来世は|そのように《・・・・・》生まれてみたいと思ったんだがな」
軽い笑いを一つ挟み、やおら、鋭春は表情を引き締める。
「忘花にも返し斬魔含をご所望ということでよろしいか」
「流石は十代目。話が早え」
まさに以心伝心のやりとりだった。かつて斬丸を、そして己自身――真体『鸙野』を彼に預けた事のある灰二ならではのことといえよう。鋭春は忘花を抜き、その刃紋を見つめた。斬魔鉄、往時の極み。永海・|鉄観《てっかん》作の陰打――忘花。
刃を暫く検めてから、鋭春は頷く。
「あんたの勘はすばらしい。あらゆる刀に同じ事が出来るなら、是非ともこの里で刀の質の見極めを頼みたいところだが」
ばか真面目に鋭春は言う。灰二は肩を竦め、軽く返した。
「生憎、根無し無頼が性に合ッてる。|戦場《いくさば》の匂いがすぐに恋しくなッちまうだろう」
「――そうだろうな、そのような生き方でなければ、忘花もこうはなるまいさ」
鋭春は忘れてくれと提案を流し、忘花を鞘に収めた。
「返し斬魔含、承ろう。数日、時を貰う。その間は我が家の離れを貸そう。好きに過ごしてくれ。夜は雪見酒の一つもどうだ?」
「世話になる。……そうだな、一献付き合おうか。肴になるような話があるでもないが」
「何を言う。三千世界を旅するあんた達の話など、何を聞いても面白いに決まっている」
笑いながら言う鋭春に、灰二は目を細めた。
「そこまで言ッて呉れるなら、一席|打《ぶ》つか。……時に、鋭春殿」
「ん?」
「あんたが俺を懐かしんで呉れるのと同じように、斬丸にも懐かしむ相手がいるんだが」
灰二はとん、と|弟分《きりまる》の柄頭を叩いて、問うた。
「ひとつ、会わせて遣ッちゃ呉れないか」
* * *
永海の里のほぼ最奥、そそり立つ岩壁を背に、一つの倉がある。
厳重に施錠され、いかにも固く守られたその倉が開かれたのは、ほんの数分前のことだ。参ることは容易でも、中に入ることは妖だとても容易ではあるまい――鍵は里長、すなわち鋭春しか持っていない。
三重の鉄扉を越え、束の間の面会を邪魔せぬように外に退出した鋭春を背に、灰二は倉の最奥に進んだ。刀台に置かれたるは|二振《ふたり》の刀。両者、刃も露わ。神々しいばかりに冴え光る。
片方は、――これは恐らく、刃熊刀賊団刀狩の乱において姿を消したとされる、かの美狼の剣士が最後に携えたとされる刀。“九代永海”、永海・|鍛座《たんざ》、|終作《ついのさく》。月下戦吼『月喰・狼』。
そして――七代永海・筆頭八本刀、その最終作。|終刃《ついじん》『|薙神《ながみ》』。
四年を経てしかし、埃の匂いすらしない清冽な空気漂う倉の中、灰二の意識に声が響いた。
『……なんだよ。いいところだってえから、てっきり暴れられる場所かと思ったのによう』
いわずもがな、斬丸だ。
『こんなでっけえ|桐箱《・・》に祀られてたのか、兄弟。よくヒマじゃなかったなあ。おれならいまごろ気が狂ってるぜ』
確かに。
灰二は内心頷いた。自分が仮に動けぬ刀の身に戻ったとして、こんなところに閉じ込められて幾星霜などと、冗談ではない。刀とはいくさのためにあるものだ。その果てに折れたとして後悔はない。闇の中で折れずに過ごす百年と、戦の中で暴れて過ごす一月ならば、灰二は迷わず後者を選ぶだろう。
『……でもお前はそうでもねえんだな。おれたちゃ筆頭八本刀と呼ばれちゃいるが、現実、並んで一緒にいたことなんてほとんどねえ。色んなところに流れ着いて散らばって……八束のやつが集め直したから、七振りはひとところに集まったけどよ。その間もお前とは離ればなれだった。どんなやつかも分からねえし、口を利いた事もねえ。だから、お前が何を考えてんのか、よくはわかんねえけど……』
斬丸は過去を懐かしむ。八本刀最古の一振りである彼からすれば、薙神は年のいくばくか離れた弟か、或いは妹のようなものになるのだろうか。常ならぬ斬丸の長広舌は、あっけらかんとしていながら、けれども物の道理の分からぬ赤子に語るようでもあった。
『――そんでもお前が、この里の柱であることを誇りに思ってるのは、なんとなく分からァ』
刀台に置かれた薙神は、光源もなく錵を光に揺らめかせた。まるでそれが斬丸の呟きに応ずるかのようで、灰二は目を細める。
『|月喰《そいつ》がいんなら寂しかねえだろうがよ――次にもし帰ってくることがあったら、その時ゃ土産話を沢山持ってきてやらア。お前より随分先に生まれた兄貴分の話だぞ。よおく聞いて――その時までにゃ、気の利いた返しのひとつもできるようになっとけ。楽しみにしといてやるからよう』
――果たして、薙神が|そう《・・》成るときは来るのだろうか。それは分からない。斬丸は少なくとも最早我を持ち、遠からずヤドリガミと成る兆しがある。しかし他の八本刀がそうなったという話を、灰二は寡聞にして聞いたことがない。
けれども、どこか本当に楽しげに、ぶっきらぼうだが優しげに……語る斬丸を見て、柄にもなく灰二は『そうなるといい』と思った。言葉にはせずに、斬丸の言葉を遮らず、兄貴風を吹かして一人語るかれの言葉が尽きるのを待ってやる。
きっとそれでいい。それだけでいい。
『次は鸙野に頼らなくてもよ、もしかしたら自分の足で帰ってきたりするかもな! きしし、楽しみだ!』
「……そいつはいい。鋭春殿が存命の内に叶ったなら、里を挙げての祭りになるだろうさ」
斬丸は笑った。灰二も笑った。その時は一緒に来よう、という約束はしなかった。
生きていれば共にあろう。死んでいれば、一人で帰ろう。
明日にも戦で果てるやもしれぬ身に、重い誓いの鎖は不要。だから、灰二も、斬丸も、ただ共に笑った。
それで充分。
『――じゃあ、行こうぜ、鸙野。あんまり喋りすぎてうるせえ兄貴だと思われても嫌だしな!』
「もう充分喧しかったぞ。永海が口を利けても、挟む暇が無かッたんじゃないかッてくらいにはな」
『ひでえ! そんなこたァねえだろうよ――』
背を向け歩き出す灰二。
二者を見送るように、倉の中で、かそけき月光のように、薙神と月喰が薄く輝いていた。
* * *
鋭春に屋根を借り、里で過ごすこと数日。
綿密な下準備の上で施された返し斬魔含の儀が無事に終わったことを灰二が聞いたのは、里に来て四日後のことであった。
* * *
◆永海・鉄観作――“十代永海” 永海・鋭春改作
斬魔鉄 純打 返し斬魔含 |限克破刃《げんこくはじん》『忘花・|凜《りん》』◆
『雷花』の陰打ちに過ぎなかったであろう刃は、灰二と共に歩んできた数々の修羅場の中で鍛え上げられ、今ここに新たな姿を得た。
丈に変化なし。重量バランスも同様。姿は変わらぬものと見えたが――しかし赤く光る錵の中に、時折、灰二の瞳に見えるような緑の燐光が覗く。灰二のヤドリガミとしての性質に当てられてのものか、その由来については鋭春でさえ定かには説明できなかったが、返し斬魔含が果たされたことだけは確実であった。
試し斬りの藁束を音も無く断ち、かつて斬丸がしたような、凡作の束を切るという無茶を、これまた容易く乗り越えた。刃毀れの一つすらもなく、だ。
本来であれば、決してここに至らなかったであろう刃だ。陰打ちはどこまで行こうと陰打ち、真打ちのバックアップに過ぎない。しかしそれがこうなる機会を得たのは、間違いなくこの|修羅《いくさがみ》に握られたためだろう。
限界に克ち、打ち破った刃。字して、限克破刃『忘花・凜』。
『――これよりまた、あなたのお側に参ります』
* * *
鋭春より『忘花・凜』を手渡されたその日の深夜。永海の里より西、妖山。
災厄吹き溜まり、次々にあやかしが生まれ、それらの|物怪《もののけ》同士が殺し合う修羅の巷である。現在の永海隠里のあやかしの主な供給源にして、あやかし狩り達の狩り場でもあるそこに、灰二が踏み込んだのはかれこれ数時間前だ。
この山は常に揺らぐように形を変えており、まるで時空が歪んでいるかのように、有り得ぬ地形が連なっている。山道かと思えば海辺、かと思えば村の廃墟となったり、或いは墓地、かと思えば洞窟……抜け方を知らなければ、永遠にこの面妖な地形の中で迷うのだと、灰二は鋭春に警告を受けていた。
――さりとて大した問題は無かった。そもそも、斬丸と忘花を帯びている時点で、理性のある妖は寄ってこない。勝てるはずが無いからだ。災厄吹き溜まるこの山にさえ滅多にいないような大妖の血を呑んだその二振りが放つ霊的な威圧感は凄まじい。
それでも寄ってくる妖というのは、道ここに至るまで数知れず灰二が斬り捨ててきたような理性が無い雑魚か――或いは……
そいつは、小広く開けた、合戦場の痕めいた地形で仁王立ち。
まるで誰かを待っていたかのように、そこにいた。
「――久しいな。鸙野」
「……こんなところで会えるとは思わなんだな。どうした? 逝き先に迷ッたか」
「さて――どうしたやら。『骸の海』というのだったか――貴殿ら猟兵でさえもその最奥は知るまいて。混沌の底、消費された過去の残滓……あそこには失われた全てがある。某は……正確に言うのならば、貴公の知る|それ《・・》ではない。|あの日《・・・》、|あの夜《・・・》、鈨桜に逝き先を決められた|あの時《・・・》の再現体とでも言うか」
「小難しいことをよく喋る」
「くはは、某にも細かいことは、よくわからんのだ。ただ……」
ジャッ、と音を立てて両手に刀を抜いた。
灰二は、牙を剥くように笑う。見紛うはずなどあろうものか。
――あれなるは七代永海筆頭八本刀が壱と弐! |鋭刃『斬丸』《・・・・・・》、|瞬刃『風刎』《・・・・・・》!
「理屈などどうでもよい。我ら修羅と修羅の間には、剣の響きがあればよい。――某が貴公を鸙野と知り、貴公が某を『そう』呼ぶのなら! いざ、いざいざ、業禍剣乱と太刀廻ろうではないか!!」
「はッ」
灰二は息を漏らした。――奴の言うとおりだ。そうとも。理屈は要らない。
「おう。……あの時の俺とどれほど変わったか――いざ断ち合ッて、死合ッて確かめろ、|八束《・・》」
「かははッ!! 嬉しいな、嬉しいぞ、鸙野よ!!」
斯くして、かつて『八束』と名乗った八刀流の剣鬼は、己が有り様を灰二の言葉で補強した。彼がその名で呼ばわらねば、それは別のなにかとして規定されていたやも知れない。空に月。奇しくも五年と半の前、あの日に浮いた月の形によく似ている。
――知る者がここに来れば、恐らくこの妖山とは、骸の海にほど近く、世界の外へ流れ出た過去が逆流する吹き溜まりなのだ、と看破したやも知れぬ。一度は滅ぼされたはずの八束が、ある程度の連続性を持ってここに再度現れたこの事例は、彼らにとって格好の研究材料となったに違いない。
だが灰二には。そして斬丸には、そんなことは全くどうでもいいことだった。
ただ、間近に迫った望外の戦の昂揚が、裡より込み上げ燃えるのみ。
『おい、おいおいおい! 本当に――八束! 八束かよう!!』
「――|真逆《まさか》、その声」
「……お前のところにいるときは口を利かなかッたか? 最近は随分、よく喋るようになッたんだがな」
「斬丸――」
『そうだぜ、お前に何度も振るわれた! その斬丸だ!!』
どこか呆然としたような沈黙を破り、八束が笑う。
「……くっくく、斯様な僥倖が、堕ちたこの身にあろうとは」
刀を握ったまま面頬を直し、込み上げる歓喜の笑みを噛み殺して、八束は刀を歪なハの字に構え、無双の構えを取った。
「もっとも頼りにした貴様と、もっとも激しく打ち合った貴公と――もう一度、この世で斬り合えるとはな。……この戦、征せるならば、某には、他に何も――薙神でさえももう要らぬ」
高まる威圧感。灰二は心地よさげに目を細めると、右手に真体『鸙野・絶』を、左手に『斬丸・絶』を抜刀。
「そもそも、何故某は妖刀を求めたか――更なる技の高みに至り、いつか並ぶものなき天下無双の剣客となるためであったはずだ。あの夜の技比べは、それを思い出させてくれた。……ここで貴公に勝てたならば、そのまま永海の里に押し入るもまた一興だが」
「気弱だな、八束。殺してでも押し通る気概がなけりゃア、俺たちは斃せまいぞ」
「これはしたり!」
八束は笑って、地を踏み躙る。踏み込みの予備動作。灰二もまた、前傾姿勢を取る。
「言い直そう。貴公らを踏み越え、今度こそ! 薙神の刃に触れてみせよう!!」
「いい気迫だ。ならば」
「いざ」
「尋常に――」
「「『勝負ッ!!!』」」
ドンッ、と音がして、二者の姿が掻き消えた。彼らが居た場所の土が、地雷でも爆ぜたように巻き上がる。
達人でもなければその軌跡を容易には追えまい。地の爆ぜる音から刹那の後に、斬丸と斬丸が咬み合った。世界が罅割れたような剣戟が響く。
そのまま、息をもつかせぬ乱打戦が始まった。怖気の震うような刃の楽章は、余人の立ち入りを決して許さぬ密度で夜気を揺るがし続ける。
間近、灰二のいくさの歓喜に酔いしれる翠の眼光と、八束の鬼面のあわいに覗く赤い眼光とが絡み合ッた。
――鈍ッちゃいないようだな?
――無論!
速度は八束が上。風刎の加速能力で持ち前の速度を更にブーストし、手数で灰二を圧倒する。束の間防戦に回るも、灰二は機を見澄まし、斬丸・絶と己が真体に剛力をフルに乗せ、正面から打ち返した。打ち込みの剣圧で八束の動きを制限する狙いだ。
果たしてそれは奏功した。受け太刀に回った八束が大きく推され、地面を踵で抉りながら後退! すかさず灰二、それを追う!
「かああッ!!」
ずどうッ!! 八束が震脚、山一つ揺るがすような裂帛の一踏み!彼が体中に帯びた鞘より、五振りの刀が飛び出した。
「戦技、|七宝剣《しちほうけん》ッ!! 受けられるか、鸙野よ!!」
「!!」
飛び込んだ灰二を迎えたのは轟炎の刃だった。焔刃『煉獄』、一閃!! 鋒から伸びた焔の刃が二〇メートルは先の木立を一撃で焼断する。しかし灰二はその下を掻い潜り接近、鸙野による斬り上げを放つ!
――きんッ、
軽い――あまりに軽い手応え! 風刎による|受け流し《パリイング》! あの夜には無かった柔の剣! 流された刃を引き戻す前に次が来る! 穿鬼による連続刺突! 瞬刻、突きの密度は機関銃のそれを超えていた。二刀で弾くが間に合わぬ――突きの数は一瞬で九〇。防ぎ止めたはそのうち三〇。
ぶ、ばっ! 灰二は全身から噴血!
(鸙野ォ!)
(騒ぐな。致命傷は避けた。――見えてきたぞ。風刎の速度を以て、宙に放った永海の刀を、順繰りに使ッていやがる!)
「刃我――灰燼!!」
「いりャあァッ!!」
冷静な分析と同時に灰二はユーベルコードを発動した――しかし不発! 霊刃『妖斬』、凄烈なり。妖斬が集中させた闘気を『斬』って散らしたのだ。灰二は目を見開く。次の瞬間には氷刃『玉塵』が一閃、無数の針めいた氷柱で灰二の足を貫き、地面に縫い止め――灰二の打ち返しの鸙野を、嶽掻の一撃が遙か横手に弾き飛ばした。
「我が技の粋、ここに刻まん!! 七つの刃の露となれい、宿り我身よ!!」
「――」
灰二は、あの時と同じ満身創痍で――あの時と同じく鸙野を手放し――
しかして、右手で最後の柄を取る。抜刀。佳刃、『忘花・凜』。抜刀。
『お前ら。俺に、|揮《ふる》われて呉れ』
『当たり前だア!!』『――御心のままに』
――ッごおっ!!
「?!」
「おおッ!!」
灰二から凄まじい闘気が溢れた。風として感ぜられるほどの烈気。足を貫いたままの氷柱など、踏みしめ、地に下ろした根ごと踏み砕く。灰二は全力で踏み込んだ。
斬丸が唸る! 一合、嶽掻を破砕。三合、煉獄を粉砕。五合、穿鬼を撃砕!!
忘花が謳う! 二合、妖斬を鋭断、四合、玉塵を破断、六合、風刎を切断!!
「――」
――そうか。永海の刃は、貴公のわざは、これほどの高みに至ったのか。
いや、口惜しい。骸の海に、またの僥倖を祈りたい。しかし知っている。次など無いのだ。これが最後。
「オオ、おおオッ!!」
落ちてくる己の斬丸を取り、八束が最後の一刀を抜く。無銘の打刀と斬丸が、二刀同時、天雷の如くに打ち下ろされる。
――しかし斬丸・絶、それよりも疾い。灰二の左に握られて、奔る刃が風を斬る!!
『あばよ、八束――地獄で待ってろよ、いつか顔を見せにいくからよう!!』
斬丸・絶の一閃が、打刀と斬丸を真ッ二つに叩き折り――くるくる回るその破片が、放物線の頂点に至る前に。
視線の速さで|虚空《そら》穿ち、忘花・凜が、八束の身体を貫いた。――胸のほぼ中心を。
『剣涯撒手』。鸙野を封じることを代償に、仲間の――或いは自分の力を増すユーベルコード。此度は相手の動きを止めることすら、『縛り』として封じた。――言うなれば、剣涯撒手・我式。
小細工など無用。これぞ、灰二が――そして永海の刀剣が、力を一つとして生まれる最大火力。幻影とは言え永海の筆頭八本刀、内七本を叩き折った。打ち合い抑えるのみならず。――これを神業と言わず、何と呼ぶ?
「かはっ」
八束は血を吐く。萎えた手から毀れた刀が零れ落ちた。
「――御、美事」
「ああ」
「もっと、見て……いたかったが……これで、終いか……」
「七宝剣。しかと見澄ました。斬丸と俺が――そのわざを覚えておこう」
「っく、はは……|熟々《つくづく》……修羅道に落ちた、身に余る……言葉よ……」
――ぼうッ!
貫かれた身体の中央から弾けるように、八束は、今度こそ黒い塵となって散った。
忘花を伝う血が、涙のように流れ落ち――地に染みる前に、虚空に溶けて消え失せる。
「然らば」
納刀の音が深山に響く。忘花は無論のこと、斬丸さえ今は、言葉を挟まぬ。
感傷はない。けれど――感慨はあった。きっと、もう、二度とは太刀合えぬあの剣鬼に対しての。
傾いた月を見上げ、灰二は少しの間だけ、目を閉じた。
――もう一度歩き出すまでの間。いま、少しだけ。
成功
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