●とある豪雪地帯にて
吹雪く、吹雪く。
山間にこぢんまりと集う村落に人の気配はない。
交通の便が悪い村を嫌い若者らはバブル経済の景気も手伝い街に吸い取られていった。残された年寄りも土地に縋り付くのに限界もあり、ひとり、またひとりと山をおりていったのだ。
「廃村になって10年と言った所でしょうかねぇ。今やバブルも弾けて景気も下り坂なんですが」
暖炉の傍でロッキングチェアを揺らしそう結んだのは眼鏡の青年だ。考古学助教授の彼は|鮫井・縛愁《サメイ・バクシュウ》という。
「アハハ、地獄に仏だね。スノボやりに来て遭難はシャレになってないみたいなー。な、チセ」
「……え、うん。そうだね、トシキ」
トシキとチセは40代と20代の年の差カップルだ。しかし軽薄短小丸出しのトシキとは精神年齢は釣り合っている。海外ブランドのスキーウェアのペアルックと、某テレビ局のディレクターなのが彼の自慢だ。
テーブルには紙皿の食べかすが無造作に置かれている。色からしてレトルトカレーと丸わかりだ。
「は、人工調味料だらけのこんなもの、ブタの餌よりも粗末だわ」
赤い唇を侮蔑に歪めるオールド・ミスはタケコだ。
「|ほだかぁ《そうですか》? おら、すっごくおいしかったけんど」
頬にカレーをくっつけているおかっぱ少女は六歳前後。七五三かと言わんばかりに華やかな着物が似合ってる。
「大体ねぇ……」
レトルトのパッケージを持ちあげてタケコはツリ目を潜める。妙に削って尖らせた眉毛のメイクがまた神経質さを誇張する。
「人工調味料は病気の原因物質の塊なのよ! こんなものを客に食べさせるなんて」
「そうそう。白樺センセの言う通り。人調シンドロームっつって喉が痺れるんですよねぇえ」
調子イイ太鼓持ちを始める恋人へ、チセはふらりと凭れる。和服少女を見てからこちら顔色がすこぶる悪い。
「……喉が渇いたわ。それと寒気がするの」
「それはいけないね。ほらほら、学者先生とガキはどいてどいてー」
縛愁を追い払った椅子にチセを座らせて、トシキはバタ臭い太い眉が吊りあげキッチン目掛けてガナリ声。
「おーいっ、食後のコーヒーはまだかッ! 気が利かないな、早く出せよ!!」
横柄な態度だが使用人にはそれぐらいが丁度良いと思っているのだ。
しばらくシィンとした後に「はい、ただいまー」と、やる気のない青年の声がようやく応じた。
●ツッコミどころしかない
「……いい気なもんだぜまったく」
ワンルームマンションにありそうな狭いシンクに手をついて、涼風・穹(人間の探索者・f02404)は辟易を吐き出した。
見た目は合掌造りの古い民家だが、キッチンはワンルームマンションにありがちな手狭なしつらえ。床下収納にはレトルトカレーがわんさかと詰まれており、幸いにも米は炊けていた。
「何人いるんだっけ? あぁ、子どもにコーヒーは毒か。冷蔵庫にジュースがあったかねぇ」
冷蔵庫をあけてオレンジジュースを取りだしお次は棚を漁る。
「コーヒーコーヒーっと……あった。賞味期限は96.08.29……未開封なら大丈夫だろ」
さっき出したレトルトカレーも同じぐらいの賞味期限だったが、今のところ客人から腹痛等の訴えはない。
封を切り目分量で褐色粒をマグカップにオン、やかんが沸くのを待ちわびる。
「いや、良くねえよ」
|23年前《・・・》の賞味期限のインスタント瓶を見据え、穹は赤いバンダナを躙りしめる。頭痛が痛い。
「おかしいだろ。合掌造りの古民家にシステムキッチンって造りからして滅茶苦茶じゃねえかよ。そもそも廃村になって10年?? なのに電気もガスも来てるってどういうことだよ」
――もっと言うと、穹がこの地を訪れたのは2019年の夏だ。
●【登場人物】文庫本の最初にあるアレ、或いはオープニング
M都TVプロデューサー:中村トシキ
某社OL、トシキの恋人:山根チセ
文芸作家:白樺タケコ
O宮大学考古学助教授:は|鮫井縛愁《サメイ・バクシュウ》
少女:ヨウコ
アルバイト使用人:涼風・穹
●状況を整理しようと思ったら死んでいる
穹はいつの間にかここにいた。
自分が2019年現在、猟兵としてUDCアースに暮らしているのは憶えているが、何故このような雪山合掌造り古民家にて使用人に身を窶しているのかとんとわからない。
(「スマホもない。イェーガーカードは……出せるな」)
猟兵の力が消えていないのに胸を撫で下ろし、コーヒーを淹れようとシンクを見たら――。
「あれ? なんだよ。もう淹れたっけ?」
洗い桶の中で4つのティカップとコップがぷかぷかしている。飲み残しのコーヒーが融けだして、桶の中身は微妙に琥珀色。ゴミ箱には、オレンジジュースの空き箱が潰して捨てられている。ヨウコにはジュースを出したのだ。
「……?? 出したっけ? あれ……?」
コーヒー用の湯が沸くのを待ちながら状況整理をしていた筈なのだが、どうにも時間が飛んでいる。
首を捻っていたら何処からか悲鳴があがった!
「! どうした、一体?!」
突かれたように顔をあげて、穹はキッチンを飛び出す。
――駆けつけた先は、タケコの部屋である。
天井から首を括られて吊された女流作家の死体がぷらりぷらり。
「あー、どげんした?」
「ヨウコちゃん、見ちゃ駄目ですよ……」
そう目を塞ぐ後ろで、カップルが怯えて躰を振わせた。
……振わせていた、はず、なのだが。
また悲鳴がした。今度は男だ。
駆けつけたら、トシキが勝手口の前で同じく透明に近い糸で首を括っていた。
更に更に。
彼氏の死体を前に失神した筈のチセが、瞬きしたら消えていて、直後に悲鳴。駆けつけたらやっぱり首を括られ居間でぶーらぶら。
――なんだ、これは?
●最後の被害者
生き残り三人で相談しようかと移動していた最中に――今度はヨウコが消えた。つないだ手の感触が前触れなく消失したのだ!!
さすがに穹も落ち着いてはいられない。
「ヨウコちゃん、聞こえたら返事してくれー」
必死に呼びかけだした穹を見て縛愁は咎めるように眉を潜める。
「まさか手を離したんですか?」
「いや、ずっとつないでいたのに不意に消えたんだ」
「ああ、だからちゃんと情報を調べようと進言したのに。みんな部屋に閉じこもってしまうから……」
「へ?」
会話の流れが不自然だ。まるで“外れたストーリーを何とか想定通りに戻そうとする|GM《ゲームのマスター》の焦り”から投げ込まれた唐突さがある。
「ヨウコちゃーん、どこだーい?」
「聞こえたら返事をしてくれ」
……あてどなくヨウコを探しているにしても、どこをどう歩いたのかまったく記憶に残らないのも変だ。振り返ったとたんに「こんな道だったか?」と首を捻る羽目になる。
「……」
埒外の猟兵である己の認識が狂わされている時点で、邪神ないしはそれに類する某かが介入しているのは確実だ。
だが一方で、雨人が起こした廃病院での事件や、その他様々な事件で見た死体と、此度の被害者の扱いが明らかに違うことに穹は気づいている。
――。
この古民家の中で3人が他殺体となった。体感時間は一瞬だが、相応に時間経過しているらしい。
死体検分はできてない。穹の体感としては、息つく暇もなく3つの殺人が重なったせいだ。
これから調べよう、と言う時に「ヨウコに死体を見せたくない」との縛愁の申し出を受けて離れていたら、ヨウコが消えた。
(「なんだか作り物くさいな」)
推理ドラマなら途中を端折って殺人を連発の|描写《・・》もアリだが、これはリアルだ。なのに、時間の経過がなくて、壁時計の針はいつの間にか進んでいる。とんだご都合主義だ。
「それで、みんなが引きこもってる間、縛愁さんは調べたのか?」
事件が立て続けに起ったので|体感的には《・・・・・》時間はなかった筈だ。
「ああ、僕はこの屋敷の中で日記帳を見つけてね。そこには怖ろしい事が記されていたんだ」
だが、縛愁には調べる時間があったという――いつだよ?!
「ヨウコちゃんが消えてわかった、やっぱりあれは本当の事だったんだ!」
勿体つけた言い回しにため息が出そうになる。が、穹は神妙に眉を寄せ先を促した。
「ヨウコちゃんの名前だけど、漢字では羊子と書くんです。羊は生け贄にされる動物――あの子はね、産まれながらにこの村の繁栄の為に殺される運命の子だったんですよ……」
“生け贄として殺され、復讐のために化けて出た|羊子《ヨウコ》が三人を殺したのだ!”
その黒幕はひどくありきたりなフィクションだ。そう、TRPGのホラーシナリオに良くある奴だ。
極限状態に置かれたPCが恐慌に陥ろうが、PLはメタ視点でシナリオの解決に当たる。まぁプレイスタイルによってはPLの情緒もろともぶっ壊されるのを楽しむ向きもいるが。
「最後に死んだチセさんがやけに怯えていただろう?」
「そう……だったかなぁ」
すぐに死んだからよく憶えていない。
「そうだよ! 彼女は羊子を産んですぐに里から逃げた母親です!」
穹は相槌を打つに留まる。
(「隣でぺらぺらと話すこいつは雨人のように邪神の駒にされた奴なんだろうか」)
邪神の眷属に取り憑かれた友人が脳裏に浮かんだ。
ただ困ったことに、あの時に比べるとひりつくような死が遠い。未だ緊張感もなく、それでいいのかと自問自答を繰り返す。
●クライマックスシーンへようこそ
「ここに違いないです。涼風さん、覚悟はよろしいですか?」
ゴクリと唾を飲み込む音がわざとらしく聞こえる。
細い糸が無数に張り巡らされる物々しげな扉の奥からは カサリカサリ と細いなにかが擦れる音がする。
「縛愁さんは下がってくれ、俺が開ける」
腰にさした柄に触れ、盾になる。例えここまでが緊張感の全くない他殺死体の羅列だとしても、次もそうとは限らないのだ。
キィイ……っと耳障りな音で開いた刹那、白い糸の束が襲いかかってくる。
「ッ!」
素早く風牙を抜き切り捨てた。
「! やはりそうか……被害者達の首に掛かっていた糸と同じだ」
「触るな、危ない」
床に落ちた糸に触れようとする縛愁を制止。重ねて飛来する糸を斬り払うと部屋に踏み込む。目に飛び込んできたのは、膝を抱えたポーズで壁に張り付いている少女の姿だ!!
「……羊子ちゃん、無事か?!」
夢見心地と言った風情で瞼を持ちあげる少女の背後で黒くて毛だらけの足が蠢く、幾つも、幾つも。
「蜘蛛の化物か」
にわりにわり、みちみち、みちみち……。
羊子の背中に1匹の大蜘蛛がピタリと張り付き、時折足を引き攣らせては白い糸を吐く。今までの作り物めいた死者とは打って変わってこちらは“本物”だ。
(「……邪神の最下等の眷属か。俺ひとりでもなんとかはなりそうだが」)
斬り払う蜘蛛の糸の手応えから穹は敵の力量を測る。奢りは排除し、だが自身の力を過小評価もしない。冷静で正確な判断から導き出されたのは下記の通りだ。
この蜘蛛の攻撃に関する能力は、集団で襲いかかってくる雑魚と大差がない。
だが問題は――、
羊子の躰と癒着している点。
そして、23年前を模した異空間の発生に関与している可能性も看過できない。
(「予知がないから、単純に斬り伏せるりゃあ解決って判断もくだせないか……」)
指ぬき手袋には、先ほどまで握っていた羊子の手の温もりが残っている。
あの少女が果たしてどういった存在なのかはわからない。だが斬って捨てて良いと判断するほど穹は冷徹になれない。
「ああ!! あれはアトルク・ナクハァ! 伝説の蜘蛛の魔物が少女の無念に応えたのですよ!! イヒヒ」
一方で背後の縛愁の声は嬉々と裏返る。
(「一時的な発狂って奴かよ、厄介だぜ。勘弁してくれ」)
こちらも見捨てるわけにはいかないと、風刃を返し改めて若き考古学者を背に庇う。
「さぁ、さぁさぁ! 少女はナニを望むのかぁ? 言ってご覧、言ってご覧よ、憐れなる羊の子よ」
芝居がかった煽りに対し少女の唇が震えた。呼応して蜘蛛も足を垂れたので、穹も刀を下げて続きを待った。
「……おもちゃ、叩いて音が鳴る。お母さんと遊んだの……おもちゃ……」
「叩いて音が鳴るって……太鼓か?」
穹は部屋をザッと見回すが畳張りの床には目立つものは落ちていない。
「おもちゃ、お母さんといっしょにおうたを歌うのー!」
羊子の感情が高ぶると、背後の蜘蛛が夥しい糸を吐き出す。舌打ちし刀を振う穹は、背後で弾けたほくそ笑みに苛立ちが湧き上がる。
「ふふふッ」
「よく笑ってられるもんだな、縛愁さんよ」
蜘蛛の糸を巻き取った刀を握り警戒を緩めず振り返る。青びょうたんの学者は、唇を非対称に歪め穹を嘲笑っていた。
「だから情報収集や探索は大切だって言ったじゃないですかぁ。日記を読めば“ヨウコの怨念が起こした事件だ”とわかる。母親のNPCチセを締めあげればおもちゃのありかだって判明するんですよ。それがグッドエンドの唯一の道筋だっていうのに……」
「あんた、状況がわかって言ってるのか? 脅しじゃないぜ、あの糸に触れると死ぬんだぞ」
「でしょうね。調査もせずに、そもそもが指定した身分でもなく好き勝手するPCをぶち込む困ったちゃんなんざ死んでいいですよ」
長袖に品の良いループタイ。着込んだ厚手のジャケットを脱ぎ捨てて、縛愁はいきなり怒りだした。
「設定は夏だっての!! なんでスノボ?! 推理アニメで見た、遭難寸前に雪山の山荘に来たいとか!! GMの言うことを聞きやしねええぇ!」
カッカして熱くなったか腕まくりまでしだす。いいや、本当に暑くなってきた。穹も防寒上着を脱いで捨てる。
――縛愁の感情に呼応してロケーションの設定が変わる。|蜘蛛《アトルク・ナクハ》とやらが取り憑いているのは、実はヨウコではなく彼なのか?
(「PC、PL、GMときたもんだ。つまり他殺体になったのはPCか。チセはNPCとか言ってたなぁ……」)
TRPG。
穹もある程度は知っている。
GMが自作したシナリオ、ないしは有料無料問わず他作のシナリオをマスタリングし、PL達はシナリオで指定された身分のPCとなって様々な事件に立ち向かうのだ。
システムによりシナリオカラーは大幅に異なる。
ただ「リア充爆発しろっ!」と叫びたくなるイチャイチャするのが主目的なシステムなんかもある。GMや卓のPLが赦すなら、ホラーのシステムでそういうイチャラブをやることだってできる。自由度ひろがりんぐ、それがTRPGの良さなんだよ畜生。
(「よそう、俺の心が痛い。内なるRB団が覚醒したら今度こそ収拾がつかない。それより今は、|縛愁《GM》の機嫌を損ねないようにだな……」)
縛愁はGMで困ったPLに振り回されてネガティブを溜め込んだ。そこをつけ込まれたのだろう。他殺体に現実感がなかったのも、ゲームのPCと考えれば腑に落ちる。
……ああ「ゲームのPCでいて欲しい」のは多分に穹の希望的観測が含まれたものだ。犠牲者は0である方がいい。
「なぁ、縛愁さん。蜘蛛は俺が惹きつけておくから、羊子が望むおもちゃを調べてくれないか? グッドエンドルートを外れたからって、俺はまだ諦めたくはないんだ」
促すように入って来たドアを流し見たら――消えている。ハッと瞠目する穹を見て、縛愁は可笑しくて堪らないと言った風情で腹を抱えた。
「もうそのフェイズは終わったんだ。さぁさぁ! デスエンドの絶望を味わえぇ! キャラロストが嫌だぁ? 甘えたことを言うんじゃないよ。だったら最初からGMの提示を無視して勝手なことばっかするもんじゃあない!」
GM縛愁の言い分は一部寄り添える部分はある。もはやそこまで拗れたら、ゲームを打ち切り腹を割った話し合うしかないとも言うが。
だが、今回はそうも言ってられない。
邪神由来の異空間で、命を落とす危機がすぐ後ろにある。こんな所で強制的にバッドエンドに流し込まれるのはごめんだ。
なにより啜り泣く女の子をなんとかしてやりたい。あの子がもし巻き込まれた一般人ならば、無事に返してやらないと……!
(「叩いて音がなる玩具って太鼓だよなぁ……子どもサイズで、白い平らなの叩いて、周りがキツネ色。ガキの頃に家にあった……け?」)
曖昧だ。いやそれより太鼓と言えばゲームセンターで叩いてゾンビを倒すゲームを最近やったなぁと、思考がブレたら――ガンッ、と、つま先目掛けて何かが落ちる音が響く。
「痛ぇええええ!!!!」
ギャグ漫画みたいに飛び跳ねた穹の足元に転がっているのは、プラスティックのゲーム筐体をそのままはぎ取ってきたような珍妙な物体だ。そして、板にめり込んでいるのは紛うことなく“太鼓”である。
「なんだこれ……」
事件を解決したいという思いが極限まで詰められた結果、|贋作者《フェイカー》というUCが覚醒した記念的瞬間なのだが、本人すら無自覚なグダグダさである。
「まぁいいや。羊子ちゃん、ほーら、太鼓だぞー。叩くと音が鳴るんだぜ」
笑顔を貼り付けてバチを使ってどぉんどぉん! 叩くリズムに合わせて羊子の背後の蜘蛛がビクンッビクンッと痙攣している。
「♪きゃあ! ガクンッガクンッてする~」
子どもがたかいたかーいされる感覚なのだろう、羊子は手足を動かして全身ではしゃいだ。
「だろ?」
楽しそうなので、良し。
穹も調子付いて縁をカカッと叩いてリズムをとったら、パキンッと蜘蛛の背中が弾けて体液が出て滴ってきた。
この太鼓、なんと武器である。
「……確かにゲームでも音を鳴らせばゾンビや化物が爆散してたしなー」
ドンッ! カカカッ、ドドドン! ドン!
(後に穹は「このUCは武器の複製ができる。かつ、TRPGめいた特殊空間故にゲームセンターのゲームのルールも適用されたのではなかろうか」と分析している)
調子に乗って太鼓を叩いていたら、羊子の背中で蜘蛛がギチギチと苦しげに悶絶している。
「おっと、羊子ちゃん大丈夫か」
「んー?」
瞳をくりっとさせてから、羊子はことりと首を傾ける。
「お母さんと遊んだキンキン鳴るのとは違うけど、これもおもしょーい♪お兄ちゃん、もっと叩いてー。どぉん、どぉん!!」
「おう」
リズムに合わせて焼かれた海老のようにまるまる蜘蛛が、とうとう耐えきれずに壁から剥がれ落ちた。
「きゃん!」
「おっと!」
慌てて抱き留めた羊子を床に座らせる。
でもって、仕上げのドドンのドン! 音に合わせ蜘蛛もバチンバチンと弾け体積を失っていく。
「♪雪の夜はさ、べっぴんお宿でお出迎え~♪ホラホラ蜘蛛さのお化けダゾ~♪」
そこにゴキゲンで調子外れな羊子の歌声が重なる。はしゃぎ躰を揺らす童女の向こう側、瀕死の蜘蛛がジジジ……っと死にかけセミの如く断末魔の悲鳴をあげた。
――飛んだカオス空間だよ!
穹は、背後で怒りの圧が高まっているのを敢えて無視して羊子と遊び続ける。縛愁が設定した「グッドエンド」は、羊子の魂を慰め救う、だからまず成し遂げる。
ドンッ!
パキキッ! パリンッッ!!
下っ端であれ邪神の眷属である蜘蛛が、とうとう縦真っ二つに割れたかと思うと一気に霧散した。
「あー、おもしょかったぁ! お兄ちゃん、遊んでくれてありがとう。また遊ぼうね! やーくーそーくー」
「ああ、いつか、約束だ」
ちっちゃな指で指切りげんまん。そして、羊子はすぅううっと空間に融けるようにして姿を消した――。
●卓崩壊エレジー
――未だ特殊空間が消えぬ以上、縛愁が邪神絡みの支配下にあるのは明白だ。
「なんでイイ話的に解決してるんですかッ。GMの僕は認めません。こんなのシナリオにはありませんよ!」
「……そうだな。折角作ったシナリオを無茶苦茶にされるのはしんどいよな」
中にはポンポンアドリブで返せるGMもいはするが、それを最低条件にするとGMのなり手がいなくなる。
「楽しんでもらいたくて作ったのに……自由度がないとか文句ばっかりです……」
「流石に夏の廃村が舞台なのに、スノボやってて遭難したってのを押し通すPLはひでえわ」
穹の共感に眼鏡越しの瞳が涙に濡れる。
「そのくせあいつらは一度たりともGMを変わってもくれないんですよ」
穹はうんうんと相槌を打ち、ありったけの愚痴を吐かせることにした。
――聞けば聞くほど、PLが自分勝手なマンチキンで、押しに弱くアドリブ力のないGMである縛愁との相性が悪すぎた。
そう、縛愁は明らかにアドリブが苦手なタイプだ。
でなければ、合掌造りの建物の中がワンルームマンションのキッチンだったり、電気と水道が生きてたり、都合が悪く場所には行かせない処理が頻発するわけがない。
ただ、TRPGという遊びがネットを介して広がった今は、縛愁のように丁寧に仕立てられたシナリオをPCらしく演じきるプレイも市民権を得ている。
――でもここは1996年、22年前の夏だ。
(「ネットではTRPG冬の時代なぁんてあったそうだけど、俺は産まれてないからわからん」)
なんて浮かべたら心を読まれたように縛愁がそのことを口にしだす。
「結婚して子どもができたり、そうでなくても仕事で忙しくなったら、仲間で集るなんて無理ですもんねぇ。やっぱりTRPGは冬の時代から滅亡する運命なんでしょうね、残念ですけど……」
「それは、違う」
咄嗟にそう口にしてから、穹はしまったと俯いた。
――インターネットの高速化により、音声チャットでのセッションが可能になった。
――GMとPLは敵対するものではないのだと、プロのクリエイターがルールブックで啓蒙を重ねた。
――動画から入った勢が“演じること”に憧れ増えたので、色々な面で随分と敷居が下がった。
などなど。
2019年現在、TRPGは当時より盛り返したのだと言いたいが、相手は1996年の縛愁だから無理。
「妻はテレビマンと浮気、最近離婚しました。僕は幼い娘にどう接していいのかわからなくて……あぁ、TRPGはストレス解消で支えだったのに……」
成程、チセとトシキの設定はそういうことか。
「娘と遊べば良いんじゃないかなぁ、ダイスを転がすだけでも楽しいし」
穹は、縛愁の銀縁眼鏡のブリッジをつまみ、外す。
「|こんなもん《アーティファクト》を通したいじけた世界に閉じこもるなよ。あんたの心の支えを胸はって広めてくれよ。大丈夫、時代は変わってくもんだから」
穹の指先で邪神のアーティファクトが塵へと還る。と、同時に1996年の合掌造りの冬の古民家も、まるで最初からなかったように姿を消した――。
●2019年夏 とある田舎のゲームフェス
――はっ、と、穹は我に返る。
ミンミンゼミが忙しなく鳴いている。山間だから都内よりは遙かにマシとはいえ、じっとしていると汗ばんでくる。
前方の看板には『ミラクル★くるくる★ゲームフェス'18』との文字がご当地ゆるキャラと共に踊っている。
穹は、知合いのUDC職員が融通してくれたチケットで、ゲームフェスに遊びに来ていた。
インディーズ寄りの電源ゲームメーカーが地元で主催した、販促を兼ねたイベントである。
声優のライブや開発者のトークショウ、ゲームモチーフにしたリアイベ、TRPGやカードゲームの体験コーナーもある。さてどこに行こうかと考えていたら――|あんな事《・・・・》に巻き込まれたようだ。
(「みんなが無事だったらいいんだけど……」)
穹にとってはついさっき、けれど縛愁や他の人たちにとっては23年前。そもそもが何処までが現実だったのやら……。
「どうぞー」
ぴらり。
視界に現れたビラには『エンシェント・ゴシック』なるTRPGシステムのロゴが踊っている。イラストは白黒。ただし血だけ赤。おぞましい蜘蛛が中心な所からもガチモノホラーだとわかる。
“父・鮫井縛愁 と 娘・コヒツジちゃん の 2世代のクリエイターが贈る新作システム!”
「13時からシステムの体験卓をたてます。ダイスも筆記用具もこちらで用意しますので、お気軽に来て下さいね!」
――そう言って、ブースを示す女性には何処か見覚えがあった。
“♪雪の夜はさ、べっぴんお宿でお出迎え~♪ホラホラ蜘蛛さのお化けダゾ~♪”
ビラにある奇妙な節回しは穹の耳に残っている。
「その歌の伝承を調べる内に……です! シナリオは私が書いたんです、自信作ですよ」
クリエイターネーム“コヒツジちゃん”は、にーっこり。
「私達と遊びませんか?」
その誘いに穹の口角もあがった。
良かった。
縛愁も羊子ちゃんも、この2019年の世界にも生きていた。
父子は仲良く、いまもTRPGで遊んでいる。
……ああ、こんなに嬉しいことがあるかよ。
「ああ、是非」
遊ぶって、約束したもんな。
くしゃりと破顔して、穹は『エンシェント・ゴシック』のプレイ会場に歩を進めるのである――。
〆
成功
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