白月の武、黒夜の刃
澄み渡る秋風が、神社の境内を吹き抜ける。
神秘的な雰囲気の満ちるのは、神を祭る場だからか。
今は武芸を披露する為に在りつつも、厳かな気配がある。
吐息を零す。それだけで空気が揺れて、響く静寂があった。
揺れる花は彼岸花。
白に赤と揺れる花は美しい。
此方と彼方を繋ぐような、綾為すふたつの色彩。
見つめる月白・雪音(|月輪氷華《月影の獣|》・f29413)の姿もまた、神秘的な美しさがあった。
少女を思わせる美しき貌。
凍月を思わせる程に静かで、僅かな情動の色をも帯びはしない。
が、雪音を知るものはその懐に抱く柔らかな情と義を憶えている。
誰かの痛みに、悲しみに。そして終わりにと寄り添うもの。
雪を思わせる真白き姿は、儚さを憶える矮躯。
虎の耳と尾を持てど、激しさなど一切感じない。
ただ一点、深緋の双眸ばかりは果敢なる想いを示していた。
決して路を譲らず、己が信念を貫く武芸者の姿だ。
風雅なる貌なれど、誠心にて為る武を懐くのだった。
赤い眸が揺れる。
「……して、此度は」
雪音の視線と言葉が向けられるのは、またひとりの少女だ。
夜の如き艶やかな黒を纏う姿は、さながら雪音との対比のよう。
和の美しさと静けさを伴う白と黒。
「鈴模様は擬戦をと仰るのですね」
白雪の貌より言葉を受け取り、頷く夜帳の姿。
小さく、小さく。名の如き響きで声を紡ぐは静峰・鈴(夜帳の玲瓏・f31251)だ。
「ええ。幾つもの戦場を、あらゆる世界の敵を前にして、自らの武で思いを貫き通した雪音さん」
鈴の声は、とても小さい。
だが歌のように響き渡り、そこに含まれる思いを確かに届けている。
「その強さを知りたいと思うんです。だって、強くなければ自らの情を貫くこともできません」
「……左様で」
そういった声色もまた、雪音とは正反対だ。
あらゆる情動のない、冷たい静けさだから響く雪音。
小さな声色であっても、歌のように心に届く鈴。
白と黒の対比の如く、並べば互いの特徴がよく分かる。
すっ、と鈴の眼が細くなった。
「だって――敵となった者にも優しく触れるには、強くなければないのですから」
「…………」
雪音の表情は僅かにも揺れはしない。
が、心の底で多少の迷いに揺れたのは事実。
所詮は雪音の武とは、破壊の業だ。
振るわずに制するを善しとしつつ、世の理不尽を砕く為にと振るう殺しの技。
死神だ。最後の冷たき慈悲だ。
力に呑まれぬ精神こそがもっとも尊きものだと信じつつ、暴力でしか通らない不条理を進んでいる。
が、それを鈴に説く必要もないだろう。
彼女もまた予知を視るもの。数多の悲劇を察知した者であるかにこそ、自らもまた悲しみを拭う強さを求めるのかもしれない。
「……私に出来ることを伝える。それでよいのでしたら」
そう口にして、身構える雪音。
雪が舞うような柔らかさで身を整え、虎の耳と尾もふわりと揺らす。
体内で巡る力、気の流れ。その脈動の一切を表に出さない静謐なる武。
異能や武具を帯びず、爪牙さえ用いぬ徒手空拳。
されど、至りし武芸はあらゆる災厄を砕かんとするヒトの|祈り《つよさ》そのもの。
「ええ。私と雪音さんは違います。違うからこそ、また異なるものを知れる」
夜色の着物を纏う鈴が構えるは居合。
鈴が携える刀は神器の一振り。
神が為す超常の力と共にあり、刃と共に神秘を振るう遣い手。
ある意味では、これもまた雪音と異なるどころか、白と黒の対比と言える。
自らヒトの強さを研ぎ澄ました武こそ雪音の拳戦。
選ばれて託された神器の刀より、神秘の域へと至る鈴の刃。
どちらに優劣があるかではなく、どちらの道もあるのだ。ヒトの可能性とは、何とも夢のように広いものだと雪音の心の底で音が鳴る。
心地よい音だった。
あらゆる道は、自らの理想の為に在る。
それが誰かの為に、力なきものが無垢に笑う為にとあるのなら。
何と幸いなことだろう。
夢のように優しく、幸福で、そして途切れることのないもの。
ヒトである以上、いずれは朽ちる己であっても、道を異なるものが似た想いを以て進むというのなら。
「……ひとの夢とは、斯くも咲き誇り続けるものか」
誰かが散る時、また誰かが咲く。
故にヒトは終わらない。
いずれ雪音という存在は終わるだろう。
殺戮の為にある武は、必要性を喪って現実に溶けて消える。
だが、それまでに歩んだ道が、示した心の強さが、情の色彩が、また別のひとの心を咲かせることとなるのならば。
「後の夢が為に、恥じぬように」
雪音を見て、聞いて、最後に寄り添う者の背中を見て。
ああなりたいと願ってくれるものがいるのなら、何という幸いだろうか。
闇の救済者として砕け散った光だけではなく、過去の残滓へと悲憤を狂わせた、闇そのものを掬いあげたように。
何もかもが無意味に終わるものではないのだ。
全ては無常に散るものとて、散った事にさえ意味がある。
ヒトは生きるかにこそ、かつて生きた誰かと何かを継いで、その先へ。
雪音の優しさと強さは、決して刹那の徒花ではないのだと示すかのように。
「いざ、尋常に勝負を」
雪を纏うように、真白の残像を纏いて疾走する雪音。
未だ途切れない。まだ走り、戦える。
触れるもの、救うもの、終わらせるもの。
あらゆるモノに届く、ヒトの武の何たるを示そうとする凛烈なる白月の姿。
――ああ、故に美しいのです。
すっと鈴が眼を細めたのは、雪音の美しき心が浮かぶから。
対峙する相手の姿に心奪われるは未熟さだろうか。
だが、綺麗と思ったのは真実。自分の心に偽りを入れて、何が理想を叶えられるだろうか。
曇り無き心を刃とするのならば、まず雪音の美しさ魂を認めることから。
所詮は殺人の技といっても、それを手繰る雪音の色無き情は決して無慈悲なるものではない。
無常に斬りて散らせるものではなくも、その拳は血に濡れども心を掴む。
個を以て此処まで至る武心、そして、それはまだ先があるという輝かしさ。
「私は――未来というものを、よく分からないものですから」
鈴の唇から零れたのは本音。
だからこそ、対峙する事で自らの願いの色彩を見えるのではと、雪音の白き貌に、武に思うのだ。
「ただ、それでも……」
迫る雪音の速度はまさに脅威。
が、鈴は静かな微笑みさえ浮かべて、吐息をひとつ。
――脈動は、神なる刃より放たれる。
「っ!?」
雪音の魔性じみた野生の勘が警鐘を鳴らす。
鍔鳴りより早く生じた、自らの命に触れる気配より逃れるように、横手へと跳ぶ。
直後、雪音の残像を斬り裂いたのは鈴の居合一閃。
鈴の刃が鞘より抜き離れた直後、蒼い剣光が稲妻の如く走り抜けたのだ。
「……これは」
何が起きたのか。鈴が何を起こしたのか。
理解しない儘では、勝ち目もない。
闇雲に攻める猪武者はまたそれ相応の強さがあるが、心を研ぎ澄ましてこそが雪音の武。
故に空気に漂う鈴の一閃の残滓、その余韻を捉えようとする雪音。
居合と共に放たれたこれは、何であるのか。
「互いの真実を奪い合う。これもまた、武の神髄。ですよね?」
これはまさしく神の力。神罰に指向性を持たせ、斬撃へと転じた技だ。
あくまで方向性と切断力を持たせただけであるが故に、距離は不問の神の力。
神器の刃を遣う鈴にはまさしくという異能だが、それだけではないと魔性に至る程の獣の勘を以て雪音の深緋の双眸は鈴の剣の奥底を曝く。
居合の技、その冴えもまた先ほどの鈴の芸当とは思えない。
剣に生きて来た存在が、その生涯を費やしたかのような妙技と神速。
気の流れに肉体の動き、拍子の掴みづらさも鈴という物静かな少女の芸当から掛け離れている。
いいや、その技術という点だけであれば才覚とてあろう。
が、魔性と云うべき雪音の野生の勘を、更に見抜いて斬光を当てて見せる鈴の黒い双眸――その奥底で静かに輝く心眼。
まだ若い少女が辿り着くものではない。
「成る程。これは、歴代の神器の遣い手たちの技と力を、そのまま引き継いでいるのですか」
そう断じる雪音。
これもまた雪音の至った強さだ。
一芸熟達。故に、自らが出来ない領域もまた深く知る。
拳戦しか持たず、異能の一切を扱えない雪音だが、故にこそ相手が手繰る技の性質を見抜く眼を持つ。
また寸鉄を帯びず、武具を用いない雪音だが、あらゆる武器に通じる達人でもある。
居合に秀でいた鈴を前にして、如何に勝つという思考を巡らせる。
そうして、ふと呟くのは何という偶然かという吐息。
「これは、また。振るわずして勝つを善しとする私と、抜かずに勝つを善しとする居合の鈴様」
白と黒の対比の如く、似つつも本質を異なるもの。
だから鈴は雪音に模擬戦を挑んだのか。強さを知りたいといったのか。
今、鈴が振るう技はあくまで先代いちの神器遣いの技だ。己のものではない。
自らの強さと情が欲しい。
さながら、雪が色無きものであった神話の時代、ひとつの花に泣いた言葉のように。
「であれば、私は必ずや勝ちましょう。ええ……私は、お姉さんでありますので」
外見とすれば同じ年頃と見える雪音と鈴。
そして僅か数年の差であっても、確かに先に産まれ、先に戦場に立ち、歩き続けたのだから。
「……示して見せましょう。振るわず、抜かず、それで勝つといいながらも、戦場に立ってなお、凜然と不条理に立ち向かう武の姿を」
見たいというのなら是非はあるまい。
真白き迅雷と化して走る雪音に、柄を握る指をするりと滑らせる鈴。
居合一閃。無音なれど、神威を魂に響かせた。
黒き夜帳の刃が、蒼き剣光と為って奔る。
対する雪音が見せたのは高い跳躍。
斬光の届かない程に高く、しなやかに飛び上がった姿はまるで白き月の如く。
勢いを殺さずに雪音は空中で身を捻って転じ、鈴の背後へと至る。
「―――」
雪音が見せた見事な体術に、思わず意表を付かれた鈴が見せた動きの停滞。
いいや、それはやはり美しさに見惚れたのかもしれない。
月の如く空に浮かぶ雪音の動きに。
追撃があれば、逃げ場も防ぎようもない空へと跳ぶ獣――いいや、あらゆるモノが迫ろうとも、必ずや勝つと示す冷たくも果敢なる想いに。
だが、鈴の抜いた神刃は再び鞘へと戻っている。
鈴もまた身を転じ、雪音が着地した瞬間を狙って居合を放てばよいだけ。
雪音もまたそれを理解している。故に着地より早く、空中で身を捻って転じている。地に着くより早く、空中での廻し蹴りを放つのだ。
円転を描く白と黒。
美しき綾をなす雪と夜の姿。
余りにも静かに、ひとつの音もなく、互いの命へと辿り着く技。
鈴の放った神の刃は着地した雪音の首筋へと触れていた。
竜胆色をした、濡れたように艶やかな刀身。神秘を秘める刃というのには何とも相応しいだろう。
「迷いがない。それが雪音さんなのですね」
だが、鈴の居合は一瞬だけ遅れている。
首を狙ったのは両者共に。が、寸止めされた雪音の廻し蹴りが先に鈴へと届き、その威を示すように髪を靡かせたのだ。
「いえ、私に足りないのは……心ですか」
諦めたような、憧れるような。
そんなとても淡い微笑みを浮かべて、刃を引く鈴。
「左様かもしれませんね。驚かず、居合に拘らず、まだ攻防を続けていたのなら、まだ可能性はあったかと」
着地した雪音もまた身を引く。
先の攻防。空を飛んだ雪音に対し、鈴が居合で待ち構える事に執着せず、前か左右に飛べばまだ先はあった。
居合、打突、斬撃に刺突。
白と黒が巡り合い、絡み合い、幾つもの技を見せただろう。
「が、鈴様の選択は鈴様の選択です。――今はその選択が過ちであれ、いずれはその選択が正しいものとする。それが、ヒトの心が強くなることかと」
敵に情を向ける。想いを強さと為す。
それを求めるのなら。
「ひとつひとつの過ちを、されど否定などなされませんように。……それもまた、鈴様なのですから。それを積み重ねた事こそ、強さなのですから」
自らが求めるものを、自ら諦めることなく。
それがどれほどに過酷なものであったとしても。
求め続けることこそ、ヒトの強さなのだから。
少なくとも、雪音はそうして歩いてきた。
過ちも、強さも、情も、死も。
抱えてきたから、今の雪音の美しさがある。
「ええ。そうですね」
それを見つめたように、鈴は夜色を瞬かせる。
成功
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