あなたへと届く、優しき月灯りの花
恐ろしい闇が、路行く先を覆い隠していたのは昔の話。
今は月灯りに照らされる夜が、緩やかな風と共に過ぎていく。
もう悲しみと絶望ばかりを見つめなくていいのだ。
月灯りを帯びるような、白くて清らかな光の花たちが咲くように。
その月光の花が咲き誇る場所で、子供が自由に遊び回っている。
未来の光を見つけた子供たちが、小さな笑みと共に走り抜けていくのだ。
「まあ」
驚くような、嬉しさに弾むような。
そんな声をあげたのはヘルガ・リープフラウ(雪割草の聖歌姫・f03378)だ。
此処は常夜の世界。
子供といえども無邪気に走り回ることも少なかっただろう。
でも今は、月の光はひとびとを優しく照らし出す。
もう怯えて暮らさなくていいのだと。
大人の目の届かない、村の外を走り回る子供の声と姿に、ヘルガはゆっくりと微笑みを浮かべた。
ようやく訪れた平穏と幸福を祝うようにと、村人たちは柔らかな笑みを浮かべて夏の祭りが始まっている。
それはヘルガの聖者としての悲願だ。
悲しく、苦しい痛みのない日常。
本来なら誰しもが得られるそれを追い求め、暗い茨の路を歩き続けて来たのだから。
故郷を滅ぼされ、彷徨うように始まったヘルガの聖者としての巡礼の旅。
光の力を持つ歌姫、|奇跡の子《オラトリオ》として、苦しむ民衆を癒やし続けて来たが故に、身に染みるように彼らの悲痛さが分かっていた。
生きたいのだと。
幸せになりたいのだと。
ひとびとは無垢な願いを壊されながら、それでも手を伸ばしていた。
願えば願うほど、闇は果てのない悲しみをもたらしても。
彼らの手を取り、傷を癒やすヘルガもまた、自らの心を傷つけて来ていた。
闇色の茨の世界。
それがこのダークセイヴァー。
だが、それもかつての話。
今はもうこの世界の人々も救われている。
全てが終わった訳ではない。
けれど、この村はもうヘルガが過去に受けたような悲劇に襲われることはないのだ。
ようやく掴んだ幸せを過去の涙に呑まれないように、穏やかに笑い合う村人たち。
もう彼らの眼には悲しみも、苦しみもない。
幸せと、未来への希望とに溢れていた。
他の世界では当たり前である筈のひとびとの姿に、ヘルガの胸の奥が熱くなる。
嬉しそうに笑う、まだ幼い子供たち。
彼らは絶望と理不尽に心を傷つけられることなく、正しくて優しいひとへと育つのだろう。
そんな未来を思えば、ヘルガの胸の奥から更にゆっくりと溢れる想い。
これを無上の幸福と呼ぶのだろうと、そっと瞼を伏せた。
そうして風に乗るは、天使の歌声を持つ聖者の祈り。
美しい音色は月灯りのように常夜の世界へと響き渡る。
「ええ。決して、手放しません。忘れることもしません」
かつて感じた痛みも、苦しみも。
必ずや幸せな日常を紡ぐ為の、彩となる筈だとヘルガは頷きながら跪く。
一輪の光の花を摘むと、ヘルガが向かうのは村外れの墓地だった。
お祭りとは縁遠い静けさ。
だが、それでも此処に眠るひとびとにも光をもたらしたくて、ヘルガはそっと歩んでゆく。
いや、彼らの魂は『ここ』にはない。
無惨に殺されたひとびとは安らぎを得ることなく、『魂人』となって上層に転生し、今も闇の種族に踏み躙られ、苦しみ続けているのだから。
「でも」
祈ることに、きっと意味はある。
もしも、この花に込められた願いが、かの地にも届くのなら。
いずれはきっと、闇を払う光となってくれる筈。
「貴方が愛した人は、今もこの地上で強く生きています」
だって希望は繋がり、今こうして無邪気な笑みが溢れているのだから。
そんな子供が、かの地で苦しむことなどないように。
死してなお、踏み躙られる想いなどないように。
「だから、負けないで」
月灯りのように美しい声色で、ヘルガは祈りを紡ぐ。
「わたくしは必ず、貴方を、世界を救うから」
まだ、出会ったことのないあなた。
あるいは、擦れ違っただけのあなた。
いいえ、或いは名をよく知るあなた。
一切の隔たりなく、世界中の全てのあなたを。
「みんなを救います」
そう歌うように誓うヘルガの声に応えるように。
夜を渡る風が幾つもの花びらを墓地へと届ける。
月灯りのように優しく光る花びらは、ヘルガの言葉を聞いたようにと遙か高い空へと昇っていく。
それは天翔る白鳥の翼のようだった。
ヘルガの想いが形を得て、いと高き空へと昇っていく。
――どうか全ての人の心に、この生命の花が咲きますように。
咲き誇り、風に舞う。
月の優しい雫となって、ひとに触れる光の花びら。
その中心でヘルガは祈りを込めて、墓所へと花を捧げる。
花のように楚々と。
光のように美しく。
けれど、果たされるまで決して散ることのない聖者の祈りと共に。
静かに、静かに。
墓地へと響くヘルガの歌は鎮魂ではなくて子守歌。
祈りが織り成すひとときの優しい夢を願う、天使の歌声だった。
成功
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