「海に来たぞー!!」
「「「おおぉぉぉぉぉぉ~~~!」」」
サイキックハーツ世界の、とある海水浴場。燦々と輝く太陽の下、広大な青い海を前にして、旅行に来た高校生男女の集団が声を張り上げる。
「早く泳ごうぜ。もう暑くて仕方ねぇよ」
「更衣室は……あっちみたいね」
早速着替えるために、更衣室へと向かう一行。その中の一人の男子が、別の友人……中性的な美貌を持つ小柄な少年に声をかけた。
「へへっ、泳ぐのもいいけど……女子の水着も楽しみだよな?」
「ふぅん、そうなんだ?」
声をかけられた少年――布留部・由良(語り部・f43937)は、その言葉に軽く首を傾げた。あまり響いた様子のない態度に、男子の方は肩を組んで、顔を近づけて来る。
「なんだよ、高校生にもなったら、そういうのも楽しむべきだろ?」
「いやぁ、布留部はそういうの、あんま興味ねぇよな。相変わらずクールな奴だぜ」
別の男子がその会話に入ってきて、由良に視線を向け、肩を竦める。由良にとって彼らは、中学時代の地元の友人だ。
高校進学で都会に出て、夏休みの里帰りで久々に顔を合わせたが、誰もが相変わらずのようである。まあたかだか半年程度ではそう変わらないのも当然だが……それが、懐かしくも楽しい。
とはいえ女子の水着が楽しみと言う彼らの気持ちには、共感する事は特にない。
「クール、かな? 別に意識した事はないんだけどね」
「そういう所がクールなんだよなぁ、こいつと違って」
首を傾げて口にする由良に、また別の男子が声をかけて。最初に由良に声をかけた男子が、それに反論するように熱弁し。
「いや、俺だってクールだぜ。でも夏、海と来たら水着だろ!」
「何バカやってんの、あんた達。布留部、あんたもいちいち付き合ってたらキリないよ」
そして女子が呆れたように言いながら、男子の群れから由良の腕を引いて救出する。そのまま更衣室まで引っ張っていこうとするのを見れば、男子達が慌てた様子でそれを制止しようとする。
「いや、お前、そっちは女子の更衣室だろ!?」
「うん、そうだけど?」
そしてその男子に対して、由良は当然のように頷く。女子が不思議そうに首を傾げ、男子達は困惑し、そして――。
「……お、お前……ま、マジかよ!」
「何、知らなかったの、あんた達?」
水着に着替え終わって更衣室から出て来た由良の姿に、男子達が驚愕の声を漏らす。そう、由良は『中性的な少年』ではなく、正真正銘の少女である。
スポーティな水着姿で、形の良い胸の膨らみが目に眩しい。だからまあ当然、女子の水着が気になるはずもない。水着を着て鏡の前に立てば良いだけなのだし。
地元にいた頃は特に自分が女子である事をアピールしていなかったので、男子達にとっては完全な初耳だ。
「どうりで、ヤケに女子と仲が良いと思ったぜ……」
「別に隠してた訳じゃないんだけどね」
まあ女子の方は普通に知っていたので、むしろそんな男子達の反応の方に驚いた様子だが。由良当人はと言えば、自分の性別に対してあまり拘りがないので、どちらの反応に対しても全く気にした様子はない。
「いや、普通気づかない? なんかおかしいと思わなかった訳?」
「イケメンだからモテてるだけだと思ってたわ」
顔を見合わせ、ガヤガヤと騒ぐ男子達や、そんな姿に呆れたように声を上げる女子達。だが、何しろ真夏の炎天下に突っ立って騒いでいるのはとても暑いし、海を前にして関係ない事で時間を潰すのもなんだし、何より由良自身が全く気にしていないので、次第にどうでも良くなって来たようだ。
「まあ、女だろうと俺達友達だよな!」
「はいはい、鼻の下伸ばさずにそれを言えたら格好良かったわね」
男子の結論に対して女子が突っ込みを入れたりはするが、それもほどほどに、海へと向かう事になった。
まずはひとしきり泳ぎ、その後は泳ぎ続ける者や砂浜で遊び始める者がいたりと、海を楽しむ一行。
「相変わらず運動神経良いよね。まあ男子が勘違いするのもちょっと分かるわ」
「そうかな、あんまり意識した事はないけど」
由良は女子に混じってビーチバレーをしばらく楽しんだ後、少し休憩と言う名目で一旦離れていく。パラソルの下に敷かれたシートに腰を下ろし、一息つく――訳ではない。
「……やっぱりね」
そう呟きを零した由良の掌。その上にころんと転がるのは、小さな目玉だ。それは妖怪『百目』が持つ、無数の|眼《まなこ》が一つ。
――このサイキックハーツ世界では、『都市伝説』はただのオカルトではない。人々の噂話や未知を恐れる心がサイキックエナジーと融合したとき、都市伝説は実体となって世界に影響を及ぼす。
その都市伝説を『七不思議』として使役する現代の術士、『七不思議使い』。由良は、それである。普段男装しているのも、特定の性別に反応する都市伝説への対策のためだ。
今回の旅の目的も、その使命を果たす事。この近くに都市伝説が発生していると言う情報を予め掴んでいた彼女は、友人達との旅行先を決める会話をそれとなく誘導し、この海を訪れたのである。
「まあ、とは言っても旅行自体も楽しみたいからね、手早く片付けるとしようか」
言って立ち上がり、その場から密かに離れ由良。だが、彼女がその場から去ってもなお、シートの上には『彼女』がいる。
「布留部、せっかく海に来たのにいつまで休んでんだよ、泳ごうぜ!」
『ああ、そうだね、今行くよ』
――ドッペルゲンガー。普段は由良の影に潜み、有事には由良の身代わりとなる七不思議。完全にその姿を模した『由良』は男子達の声に答え、立ち上がって海へと向かう。
「それじゃあここは、任せるよ」
そして由良はその背を見送り小さく声をかけると、人気の少ない方へと消えていく。
「さて、ここか……」
海水浴場から、少し離れた岩場。そう呟いた由良の元へ、奥から百目の一つが飛んできた。百目には周囲の監視もさせているので、誰かに見つかる事はない。
何故か見えにくい所に避けて置かれた『立入禁止』の看板を元の位置に立て直した後、その指示を無視して奥へと進んでいく。
岩場の構造もあってか、海水浴場の喧騒はこちらには聞こえない。岩が|庇《ひさし》となって陽光も遮られているので、ひどく静かで、そして薄暗い。先ほどまでの賑やかさが、嘘のようで、どこか不気味だ。
――古来、人は海より生まれたと言う。ゆえにか人は海を惹かれ、そして海を恐れる。だから海にまつわる都市伝説には、様々な物がある。古い妖怪も、新しい噂も。
「まあ水辺にまつわる都市伝説って、だいたいは人を溺れさせるようとするんだけどね」
困った物だと肩を竦める由良。周囲には誰もいないが、それは決して独り言ではない。何故なら、聞かせる相手がいるからだ。
『助けて……お願い、動けないの……』
岩場の奥から聞こえる、澄んだ女性の声。そちらに目を向ければ、長い黒髪の美しい女性が一人。水着姿で、全身は海水でびっしょりと濡れている。
足を挫いて立てないようで、こちらに助けを求めて来ている。それが本当なら、すぐにでも助けるべきだろうが。
「この岩場では昔、人が溺れ死んだ事がある……らしいね。本当かは知らないけど」
そんな女性を見ながら、由良は調べた情報を口にした。実際に人が溺れ死んだかどうかは、特に重要ではない。悪霊と違って、死んだと言う『噂』があればそこに生まれ得るのが、都市伝説と言うものだ。
『お願い……助けて……ねぇ……』
「迂闊に近づくと、海に引きずり込まれて溺れてしまう、か。船幽霊の一種か……それともセイレーンとかの類に近いかな? まあどっちにしろ、付き合う気はないけど」
百目の偵察で、この女性――船幽霊がずっとここにいる事はすでに分かっている。そして、薄暗く見えにくいが、船幽霊と自分との間には岩場の裂け目があり、近づけばそこから足を踏み外して溺れてしまう、と言う事も。
『助けて、くれないの……?』
「おっと……これはタチの悪い奴か」
だが、そのからくりに気づいた由良をなんとしても溺れさせようと、船幽霊はこちらに手を伸ばしてきた。すると裂け目から海水が噴き出し、まるで生き物のように蠢いて由良を呑み込まんとする。
由良は猟兵だが、自身の戦闘力は高い方ではない。このまま海水に呑まれてしまえば、ひとたまりもないだろう……けれどそんな状況でも、彼女が慌てる事はなく。
「こんな事をしても、無意味だとは思わないかい?」
『!?』
その大量の海水の根本が突然、ざっくりと断ち切られた。ただの海水に戻り、あたり一面にぶちまけられる。
見れば大きな鋏が何かに操られるように宙に浮かび、枝を切り落とすように海水を切り裂いている。これもまた、由良が操る七不思議の力。
「この『口裂け女』の呪いの鋏は、あらゆる事象を断ち切る。君と海との繋がりもね」
『何、を、言って……!?』
船幽霊が驚き困惑する中で、鋏はさらにジャキン、ジャキンと刃を鳴らす。その度に見えない何かが断たれて、周囲の不気味な気配が消えていく。
「助けて欲しい、と言ったね。良いだろう、助けてあげるよ」
『……!』
船幽霊は『海に引きずり込んで溺れさせる』都市伝説だ。であれば、海との繋がりを断ち切れば、それはもう船幽霊とは呼べないだろう。
都市伝説が都市伝説としての存在意義を失えば、力を失っていくのが道理。
「あなたも別に、好きで人を溺れさせようとしている訳じゃないだろう?」
『わ、私は……』
生まれた時から、『溺死した女性の怨念』と言う存在を背負わさせた船幽霊。由良はその存在を否定する事で、都市伝説を調伏せんとする。
切断した船幽霊と海との繋がりを、由良自身と結び直す。それによって『都市伝説』と言う制御不能の暴走体に『七不思議』と言う形を与えていき。
「だからもう、そんな事をする必要はないよ」
『――ありがとう……』
望まぬ怨念を義務付けられていた船幽霊の感謝の言葉を聞きながら、己の中に、その力を取り込んでいく。
『ん……お腹が空いてきたな』
「うわ、もうこんな時間? 遊びすぎちゃったわね」
海水浴場でたっぷりと遊ぶと、『由良』は友人達にそう告げた。時刻はちょうど昼時。空腹を覚えるのも当然だろう。
「じゃあ、そろそろ何か食べましょうか」
「「「さんせ~い!!」」」
意見が一致し、海の家へと向かう一行。その最後尾を歩いていた『由良』がそっと集団から離れた事には、誰も気づかず。
「海の家つったらやっぱ焼きそばだよな! 布留部もそう思うだろ?」
「ああ、そうだね」
そしてその『由良』に代わって、何食わぬ顔で元の由良が合流した事も、誰も気づく事はない。平然とした顔で、男子の問いかけに応じていく。
ついさっきまで都市伝説の調伏をしていた事など、誰も想像する事は出来ないだろう。
「午後からはしっかりと遊ばないとね」
「なんだよ、もう昼を食べた後の事を考えてんのか? ま、楽しむのは良い事か!」
それとなく漏らした呟きに、男子が笑いながら応じて来る。
七不思議使いとしての仕事は終わった。ここからは、高校生として楽しむ番だ――。
成功
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