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比企氏の昔話~天下の文通~

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荒川・ひろ子
比企氏の昔話~白竜月見噺~の一応続編です!

あらすじ

時の天下人、徳川家康はかつて今川義元が饗応した比企政員のことを思い出し、探していた。
だが政員は既に亡くなっており、苦労の末にその孫比企義久を見つけ出す。
義久は家康によって出仕を求められるが、病(仮病)を理由に辞退した。

家康は諦めず再び出仕を求める手紙を送る。再び義久はやんごとなき理由を適当につけ、辞退する。
それでもめげずに家康は出仕を求める手紙を送りつける。この時双方頭にきており、手紙の内容は脅迫合戦のようになっていた。

3度目の手紙に家康はわざと刺客を放ったことを手紙に記載し、刺客には「手紙を読み動じるようであれば殺せ」と命じたが、義久は動じない。それどころか、3度目の返事からは一部別人が書いたであろうユニークでどこかオバさんくさい文章も入るようになった。
その後、怒りを超えて笑えるようになった家康と義久はだんだんと手紙にめり込んでいく。

次はどうやって自分を幕臣に取り立てようと可笑しく言いくるめる文章がくるのか。
次はどんな笑える理由で辞退しようとする文章がくるのか。

家康もおもしろおかしいアイデアで出仕を求め、それに応えるように義久はますます笑いとオバさん要素を盛り込み回避しようとする。
実際には一度も会ったこともない二人の間には、いつしか手紙を通じて奇妙な友情が芽生えてくるのだった。

しかし天下の時勢を読み取るとついに無視できなくなり、やむを得ず出仕。
家康の思いとは裏腹に、義久は徳川家臣団より今までの無礼を責め立てられ大阪城攻めに参陣を命じられる。
最後の義久の手紙には「今までのやりとりが楽しかった」
最後の家康の手紙には「必ず生きて帰って盃を酌み交わそうぞ」

最終的に義久は大阪城攻めの中、病で亡くなってしまう。
もう手紙の中でしか会えない友に嘆きつつ、家康は手紙を何度も読み返すのだった。



という手紙を介した喜劇をお願いします!
(手紙がメインです)

※義久の3度目以降からの手紙には荒川さんも失礼しちゃう手紙ね!と思い、オバさんくさいユニークな文章を付け足して書いている。

Q1 これのどこがバレンタインノベルなんですか?
A1 必ず生きて帰ってチョコレートを食べ交わそうぞ…



(あの男は今、どこで何をしているのだろう)

 応仁の乱から端を発した戦国乱世も、ようやく終わりを迎えようかという時代。
 時の天下人、徳川家康はある時、若き日に出会ったひとりの男の事を思い出していた。

 当時の家康は竹千代の名で、今川家の人質となっていた。
 そこで今川家当主・義元が開いた猿楽の席にて、饗応されていた男と会ったのだ。
 その男の名は、比企政員と言った。

 顔を合わせたのはその時きりだが、彼からは面白い話を沢山聞かせて貰った。
 特に彼の祖父、比企久榮が山内上杉氏と扇谷上杉氏の争いに巻き込まれ、広木大仏城の戦いで討死した際の壮絶な話には、思わず息を呑んだものだ。

(こんな昔の事を思い出すとは、儂も老いたということか)

 あれから幾十年の時が流れ、波乱の人生の末に天下の座へと登り詰めた家康。
 一方で、その後の政員と比企氏の行方はとんと耳に入ってこなかった。
 果たして今どうしているのか、家康は部下に命じ、政員の行方を探させることにした。

「比企政員、ですか。其の者でしたら既に亡くなったと聞いております」
「なんと……」

 だが、暫く後に家康のもとに届けられた報告は、悲しいものだった。
 竹千代(家康)と出会った当時、山内上杉氏の使者として今川氏に出向いていた比企政員であるが、その後の彼と比企氏が辿った運命は波乱の山であったという。

 山内上杉氏が小田原北条氏の勢いに押されて越後の上杉謙信のもとに逃げ込むと、比企氏は北条氏の配下に。
 豊臣秀吉による小田原攻めが始まると、前田軍との戦いに敗れ、当時は常陸国にいた元扇谷上杉氏の武将、太田資正のもとに逃れた。この時点で比企家の家督は政員から、息子の則員に継がれていたそうだ。

「それから長く流浪の日々を過ごしたようですが、現在は則員の子、義久が比企の地に戻っております」
「ほう。ということは、あの男の孫か……」

 会いたいと思った相手は既に亡くなっていたが、その血縁は辛くも戦国の世を生き延びていた。
 それを知った家康は、これもなにかの縁だろうと考え、義久に出仕を求めることにした。

 織田信長も豊臣秀吉もなき今、この日の本において並び立つ者のいない大大名となった徳川家。
 そのトップである家康から直々に出仕を求められて、断る者などいようはずがない。
 少なくとも家康はそう考えていたはずだ。だが、彼の元に返ってきたのは一通の書状だった。

『大御所様からのお呼び出し、誠に感激の至り。されど病の身にて、御前にてお会いする事は難しく』

 ようは病気ゆえに辞退する、との内容である。
 古今において変わらずそうだが、この手の書面で病を理由にする時は、ほぼ仮病だと相場が決まっている。

 なぜ義久が出仕を拒んたのかは分からぬ。
 わからぬが家康は諦めず、しばらくすると再び出仕を求める手紙を送った。

『病はもう癒えたであろう。すぐに出仕せよ』
『申し訳ありませぬ。やんごとなき理由にて、辞退させて頂きたく』

 が、これもまた義久は適当にそれらしい理由をつけて断る。
 それでもめげずに家康は出仕を求める手紙を送りつけ、義久は辞退の手紙を返し――その繰り返しである。

 この時は双方ともかなり頭にきていたらしく、手紙の内容は徐々に脅迫合戦のようになっていた。
 武士というのは面子にこだわる生き物である。プライドをくすぐられて我慢できるはずもない。

『そなたの元に刺客を放った。生命が惜しくば出仕し、これまでの無礼を謝罪せよ』

 3度目の手紙に家康は、わざと刺客を放ったことを記載した上で、刺客には「手紙を読み動じるようであれば殺せ」とまで命じた。この時点でもう出仕させるのが目的ではなくなっている。
 が、しばらくして戻ってきた刺客の手には、義久の首ではなく、新しい手紙があった。

「あの男、大御所様の手紙を読んでもまるで動じませんでした。それどころか、やれるものならやってみろと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべており……」

 あまつさえ家康が放った刺客を見つけだすと、捕らえて手紙の運び役として追い返したというわけだ。
 3度目の返事にはこれまでと同じ、白々しい辞退の理由に加えて、一部別人が書いたと思われる文章が入っていた。

『というかねえ、来いって言うならまずは自分から顔を見せるのが筋ってもんじゃないの? 天下人様だからってそんな調子じゃあ……』

 目上の相手に歯に衣着せぬ、ユニークでどこかオバさんくささを感じさせる文章。
 それを読んだ家康は、怒りを通り越して、思わず声を上げて笑ってしまった。

「ふ、ふはははははは! 面白い奴よ!」

 この座についてから、面と向かって自分に「否」を突きつけられる人間がどれだけ居ただろう。
 この豪胆さと強情さ、そして機転の良さは、頼れる家臣らとともに戦場を駆けた、若き時代を思い出す。

「決めたぞ。こやつは絶対に儂の幕臣にする」

 この件をきっかけに、家康はだんだんと手紙にのめり込んでいくようになった。
 そして恐らくは、義久のほうも同じ気持ちでいたのであろう。
 さもなくば、このようなやり取りが何度も続けられたはずがない。

『儂の屋敷ではそろそろ桜が満開になる。一度見に来ないか』
『申し訳ありません。自分は桜を見るとくしゃみが止まらなくなるのです』

 次はどうやって自分を幕臣に取り立てようと可笑しく言いくるめる文章がくるのか。
 次はどんな笑える理由で辞退しようとする文章がくるのか。

『故事にいわく、斯々然々で何々某々の理由により、今出仕すれば運気が開けるというぞ』
『はて、自分が読んだ書物には是々云々と……それはさておき、井戸端会議が忙しいので辞退致します』

 面白おかしいアイデアで出仕を求める家康。
 それに応えるようにますます笑いとオバさん要素を盛り込み回避しようとする義久。

 実際には一度も会ったこともない二人の間には、いつしか手紙を通じて奇妙な友情が芽生えはじめる。
 上下関係や家柄の差に厳しい時代、それは面を合わせぬ文通だからこそ、成立した関係と言ってもよいだろう。
 とっくのとうに、彼らにとって出仕だの辞退だのというのは、ただの建前に過ぎないものとなっていた。



「……これで何通目でしょうな、家康様」

 比企の地にて徳川家より届いた書状を広げるる、一人の男。
 もはや見慣れた筆跡と機転の効いた文面を見つめる、比企義久の口元には静かな笑みが浮かんでいた。

「最初に辞退の返事を送った時は、死を命じられるのも覚悟の上でしたが。このやり取りも自分の首も、こうも長く続くとは思いませんでした」

 時の天下人からすれば、こちらは片田舎の取るに足らない武家に過ぎぬだろう。
 それが、まさかこんな――自分の勝手な思い込みでなければ、友と呼べる間柄になろうとは。
 父や祖父に話しても、きっと驚くことだろう。よい冥土の土産ができたというものだ。

「なに? またあのタヌキから手紙が届いたの?」

 義久が文面を読み返していると、ひとりの少女がどこからともなく姿を現す。
 白い着物に、白い角。幼い風貌のわりにちゃきちゃきした、オバさんのような雰囲気を漂わせる娘だ。

「あいっかわらず偉そーな内容ねえ」

 少女は義久の横からずいと手紙を覗き込むと、眉にシワを寄せて渋い顔をする。
 彼女は義久の娘というわけではない。その素性はおろか、本当にヒトであるかも怪しいものだ。
 本人の言を信じるならば、彼女はこの地に祀られていた竜神、|白竜武天子汝佐羽内《はくりゅうむてんしじょさばない》の化身ということになる。

 かつて落城間際の広木大仏城に現れ、義久の先祖の最期を看取ったという伝説の白竜。
 ただ、出会い頭に「気軽に佐羽内さんって呼んでね」と言ってきた、本人の態度から神秘的な雰囲気や威厳などはまるでない。

 が、ある意味で彼女は義久の恩人と言えるかもしれない。
 彼のもとに届いた家康からの手紙――あの脅迫同然の3通目に、佐羽内は「失礼しちゃう手紙ね!」と怒って、義久が書いた返事に文章を付け足したのだ。
 まったくとんでもない事だが、結果的にそのユニークでオバさんくさい文章が家康の笑いを取り、文通が続く切っ掛けとなったのだから、世の中なにがうまく転がるか分からない。

「また返事を出すんでしょう? 手伝うわよ」
「いや。今回は一人で書く」

 それからもたびたび(頼まれなくても)手紙に追記を行ってきた佐羽内だが、今日の義久はそれを断った。
 家康からの手紙を丁寧に折りたたむ、その表情には憂いがあった。

「……他愛のないやり取りだったが、終わるとなると寂しいものだ」

 義久が比企の地にいる間も、外の世界では目まぐるしい変化があった。
 徳川家康が興した新政権は、その体制を盤石とし、日本全土を統べる「江戸幕府」の完成を間近としている。
 そして「戦国の世」の後始末とも言える、先の天下人である豊臣家との決戦も、迫っているとの噂があった。

 すでに日ノ本の実権を握っていた家康が、いよいよ名実ともに天下人になろうとしている。
 天下の時勢を読み取れば、ついに義久も彼の要請を無視できない段階になっていたのだ。

「とうとう、この返事を書く時が来たか」

 これ以上は個人の戯れでは済まされぬ。家康にも、義久にも、大きさは違えど背負うものがある。
 已むを得ず筆を取った義久は、ついに出仕の求めに応じる旨を、書にしたためるのであった――。



 ――こうして、家康のもとに出仕した義久を待っていたのは、徳川家臣団からの激しい叱責であった。

「今まで大御所様の呼びつけを無視しておいて、よくものうのうと」
「今さら来たところで許されるとでも思っているのか」
「日和見を決め込んでいたくせに、いざとなれば処分が怖くて慌てて飛んできたか」

 家康からの再三の出仕要請を辞退し続けた、義久の態度は家臣団にも伝わっていた。
 ただし、彼らは実際にやり取りされた手紙を読んだ訳ではないし、その内に秘められた両者の思いも知らぬ。
 家臣として当然の如く、主君への無礼に憤っているだけである。

 そして家康も、公の場において義久を擁護することはできなかった。
 こちらの求めを断ったのが事実である以上、甘い態度を見せれば他の者に示しがつかなくなる。
 天下に号令する立場となれば、常に相応の振る舞いを求められる。家康にそれが分からぬ筈はなかった。

「……ようやく顔を見れたな、義久よ」
「はっ」

 家康が声を掛けると、義久は深々と臣下の礼を取る。
 家臣団からの視線が突き刺さる。一挙手一投足を検められているのが分かる。
 ここで迂闊な真似をすれば、飛ぶ首はひとつでは済まぬ。

「重ね重ねのご無礼、申し訳御座いませぬ。平にお許しを」

 出てきたのは堅苦しい儀礼的な言葉。
 この男を相手にこんな物言いをするのは、それこそ初期の手紙以来ではないか。
 奇妙なことだ。ようやく近くで顔を合わせたのに、心は以前よりずっと遠くに感じる。

 それは家康も同じ気持ちだった。
 面白おかしくやり取りを交わした友が、自分の前で頭を垂れているのを見る気持ちは、とても言葉では表せぬ。
 されど「表をあげよ」と言うことはできぬ。「天下人・徳川家康」として相応しい姿を示さねばならぬ。

「そなたには大阪城攻めへの参陣を命じる。無礼を詫びるつもりがあるならば、戦働きで挽回してみせよ」

 今までの無礼を責め立てられた後、義久に罰が下される。
 それは徳川家――江戸幕府による天下取りの総仕上げへの参加。
 大阪に残された豊臣家を滅ぼす、最後の戦いが幕を開けようとしていた。

 双方の勢力差を見れば、豊臣に逆転の可能性は万に一つもない。
 大義名分さえ整ってしまえば、徳川の勝利は揺るぎないものだった。
 さりとて、それは無傷の勝利を意味しない。戦が起きれば人は死ぬのだ、どちらの側も。

 懲罰の意味合いを込めた参陣となれば、義久は必然的に激戦区へと送られることになるだろう。
 ひとたび戦いが始まれば、無事に生還できる保障はない。
 名のある武将が雑兵の放った矢や槍に斃れることもよくあるのが、戦国の世のならいだ。

「畏まりました」

 義久もこれを重々承知した上で、参陣を了承した。
 元より選択肢など無かったのはある。だが、彼は比企氏の、由緒正しき歴史を持つ武家の末裔である。
 戦場で功を挙げよと命じられ、臆病風に吹かれるようでは末代までの恥。あの世で先祖に笑われるだろう。

 静かに闘志を燃やす義久。
 彼の覚悟を悟り、目を伏せる家康。

 二人が顔を合わせるのは、これが最初で、最後の機会となった。



 後の世にいう「大阪の陣」が始まる前後、家康と義久は最後の手紙を送りあった。

 最後の義久の手紙には、「今までのやりとりが楽しかった」と。
 最後の家康の手紙には、「必ず生きて帰って盃を酌み交わそうぞ」と。

 主従としての邂逅を果たしたあの後も、二人の心に秘めた友情は変わらなかったことが、その内容から分かる。
 だが――ここで交わされた二人の約束が、果たされることはなかった。

「病……じゃと」
「はっ。比企義久殿、病死に御座います」

 次に家康のもとに届いたのは、大阪城攻めの最中、義久が病で亡くなったとの報せであった。
 その時、彼の脳裏にふっと浮かんだのは、あの男からの最初の返事の内容だった。

「……なんじゃ。今度は、仮病ではないのか」

 天下人たる者、人前で涙は見せられぬ。
 鷹揚とした振る舞いで家臣らを下がらせたのち、家康は私室に籠もり、隅に隠していた木箱を開けた。

 そこには、これまで義久から送られてきた手紙が、一通残らず、大事に仕舞われていた。
 家康はその手紙を、最初の一通目から順番に読み返す。一字一句、文字をなぞるように、丁寧に。

 感じるのは懐かしさではない。まるで、全てがついさっきの出来事のようだ。
 これを読んだ時の感情や、返しの手紙にしたためた文章まで、はっきりと思い出せる。
 何故ならば、そこには紛れもない友の「真の心」が記されているからだ。

「のう、義久……楽しかったのう」

 一度も見たこともないはずの笑顔が、脳裏に鮮明に思い浮かぶ。
 このくだらないやり取りに、何度笑わされたことか。何度吹き出したことか。
 実際に顔を突き合わせて、こんな話がしてみたいと、何度思ったことか。

「そなたと酒を飲むのを……儂は、楽しみにしておったのじゃぞ」

 もう手紙の中でしか会えない友に嘆きながら、家康は手紙を何度も読み返すのだった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年03月31日


挿絵イラスト