液晶画面ごしに流れる映像は、メンターゆきむらにとっては退屈極まりない不快な場面の連続であった。それもそのはずで、ゆきむらが、日陰者であるのなら、液晶画面の向こう、衆目を一身に浴びる男とは、神に愛された時代の寵児である。そんな男の戴冠式の一部始終を視聴するのは、ゆきむらにとっては耐えがたい苦痛であった。
熊の体毛を彷彿とさせる黒の長帽子を頭に乗せた近衛兵が、王宮の歩廊の両端に長蛇の列を敷いていた。身に纏う深紅の軍服は、まるで楽士服そのものであり、彼らが長い列を連ねる事で、王宮の大理石造りの長廊下は真紅の外套を纏った典雅な貴人の面持ちで、艶やかに広がって見えた。
数多の兵士に見守られる中、白砂の石廊下の果て、一人の男が玉座の前に跪いている。
男の名は、ラファエル。先日のリバプール要塞攻略戦で多大な戦果を挙げたことから、大将位へと叙任された若き軍司令官である。
ラファエルは、形の良い黄金の瞳を伏し目がちに細めながら、恭しげに肘を折り、王室の面々に拝礼を続けていた。色素の薄い金髪が、石柱の間を渡る微風に吹かれ、優雅に揺れていた。たまらず、ゆきむらはテレビの電源を切り、三級オカルト誌や食べかけのフィッシュアンドチップス、不気味な調度品が散在する卓上へとリモコンを放る。
「消しちゃうんですか、メンター?良いところだったのに…」
背後より無機質な声が聞かれた。ソファーの背もたれに深々と身を沈め、ゆきむらが後方へと肩越しに視線を遣れば、弟子カシエアの澄んだ黒真珠の三白眼と目があった。不満そうに、薄紅色の唇を尖らせる弟子に対して、ゆきむらは、鼻息荒く、首を左右にする。
「いいか、カエシアよく聞くんだぞ。ラファエルは、軍事的成功によって国家からウェリントンの性を下賜されて貴族院に名を連ねた。しかも奴は大将位を拝命することで、実質的に第三軍を私兵として扱える権能を手に入れたんだ。軍司令官が為政者としての権限も掌握する。こりゃ、事実上の軍閥だ。そんな独裁者の卵を称賛する番組を見るなんて民主主義の水を飲んで生きてきた俺には我慢ならなかったのさ」
我ながら、随分と辛辣で場当たり的な事を連呼していると自覚しつつつも、言葉はとめどなく溢れた。
しかし、そんなゆきむらの思いをよそに、カエシアは、ゆきむらの言葉に熱心に聞き入っている様だった。白磁の如く澄んだ頬が熱っぽく発赤して見えた。壊れた人形の様に飽きもせずに首を縦にするカエシアの純粋無垢な瞳を前にした時、ゆきむらは、たまらず言葉を詰まらせた。
カエシアの羨望の眼差しが、ゆきむらは苦手だった。
ゆきむらは、彼女の視線をやり過ごすようにぼさぼさの蓬髪を指で掻きむしると、とってつけたような微笑を湛え、話題を煙に巻く。
「学生には、ああいう番組は早い。今は青春してればいいんだよ。そうだ、カエシア、都市伝説の亡霊魚探索で廃校へ足を伸ばすんだろ? 学生のうちはそういう事に心血を注ぐ方が健全だ。頼まれていた引率、引き受けるから、お前は青春を楽しみな?」
ソファーからゆったりと身を起こし、よれよれのワイシャツの袖を払う。洋服掛けに被せてあった、黒のソフト・ハットを頭に乗せ、くたびれたベージュのトレンチコートを羽織る。これにて二流探偵ゆきむらの完成だ。
「でもメンター、良いのです? 今日は、その…。第三軍からの引き抜きの件で打ち合わせがあるって」
感情の起伏に乏しいカエシアが、形の良い黒真珠の瞳を瞠目がちに見開いた。
――第三軍からの勧誘の書簡。ゆきむら探偵事務所に送られてきたあの一通の書状は、ゆきむらに差し出されたものではなかった。ケルベロスの力を持たない、ましてや才能などとは縁遠い自分に、第三軍から声がかかるはずもない。
あれは――。
「あの中継みて嫌になっちまったよ。無視だよ、無視。それに、もしも噂の亡霊魚がデウスエクスだったら一大事だ。カエシア一人には荷が重い。まぁ、メンターの俺に任せろ」
口端をつり上げ、白い歯を光らせてみせる。はぐらかすようにカエシアの華奢な肩元に手を置いた。飄々と振舞えば、心奥で顔を覗かせた、弱々しい自らの影は鳴りを潜める。
カエシアが目を瞬かせるのが見えた。なだらかな曲線を描く、丸みのある華奢な肩元がいかにも嬉しそうに震えているのが分かる。カエシアを覗き込めば、艶のある赤みがかった唇が面映ゆげに収斂するのが見えた。カエシアが声を弾ませる。
「メ、メンターが来てくれるって、さっそくクラスの友達にケルラインで連絡しちゃいます…ね」
うわづった様にそう言うと、カエシアは、ゆきむらに一礼し踵を返した。彼女は温顔を綻ばせながら、トートバックからスマートフォンを取り出すと、巧みな指使いで液晶画面をタップする。上機嫌に過ぎるカエシアの挙止に若干の違和感を感じながらも、ゆきむらは、弟子カエシアと共に事務所を後にするのだった。
●
空のスクリーンに映し出されたゆきむら探偵事務所でのやりとりを心地よげに眺めていたエリザベスであったが、猟兵たちの視線に気づいてか、彼女は咄嗟に真剣な表情を取り繕う。手にした指揮棒で優雅に青空をなぞれば、指揮棒はスクリーンの上を優雅に遊泳し、スクリーンは砕け散る。余韻としてあふれ出した光の泡沫が、白梅の花弁を思わせる鮮やかさで優雅に空へと充溢していった。
エリザベスは説明を始める。
「来てくれてありがとう。ロンドンで事件の予兆を感じたの。原罪蛇メデューサの存在は、ご存じ?今回の事件はメデューサによるものみたい」
エリザベスは、顎元に指先を添えると、一同を見渡す。
「ゆきむらと名乗る探偵さんと弟子のカエシアちゃん。二人と、カエシアちゃんのサークルのお友達が今は使われなくなって久しい廃校へと七不思議の真相解明のために向かうみたいなんだ。でも、そこはメデューサの牙城で…無策で挑めば同行者の半分近くが命を落としてしまうみたい」
眉宇に困惑の色を滲ませながら、エリザベスが力無げに肩を落とす。翡翠の瞳は、何かを沈思するように床の一点を彷徨い、ややあってから一同へと注がれる。
「カエシアちゃんはケルベロスとして覚醒しているみたいで、実力はかなりのもの。何体ものデウスエクスを討伐して来た実績もあるみたい。でも旧校舎にはたくさんのデウスエクスが潜んでいて、さすがの彼女も一人ではすべての友人を守ることは出来ない。そこで猟兵の皆にはそもそもサークルメンバーが廃校へ来れないように手を打ってもらいたいの」
言いながらエリザベスは翡翠石が象嵌された指揮棒を振り上げる。虚空に亀裂が入ったかと思えば、空間はひび割れ、人一人が通行可能な大穴が開けた。穿たれた大穴の先、小高い丘の上、立ち枯れた糸杉の木立に囲まれる様な格好で、朽ち果てた校舎が物寂しげに控えているのが見えた。
「サークルメンバーは6人。彼らの足止めをお願いするね」
エリザベスは指揮棒を振るう。大穴の彼方、朧げに浮かぶだけだった廃校は精緻な輪郭をとりながら、くっきりと照らし出されていく。
「人手が足りずにサークルメンバーが現地に到着してしまった場合は、彼らを護衛する形で廃校を探索して貰ううと思うけれど猟兵の皆なら問題ないよね? 一応覚えておいてね」
翡翠石が益々、光量を増してゆく。
「まずはロンドン市へと急行しましょう。みんな、よろしくね?」
辻・遥華
オープニング文章をご覧頂きまして、ありがとうございます。辻遥華です。再び、ケルベロスDIVIDEよりシナリオを用意しました。七不思議を絡めた依頼になっています。各章につきまして、下記参照下さいませ。
●一章:廃校へと向かうカエシアの学友を上手く足止めします。様々な方法で廃校へと向かうのを断念させて下さい。
学友の特徴等は参加者様にご希望ありましたら、記載ください。そちらに合わせて登場人物を用意、設定します。生徒の人数は六名です。一人につき、一人のみ対応可能です。足止めに成功した人数により、2章の内容が変化します。
●二章:廃校内の探索になります。廃校内には、ゆきむら&カエシア、第一章で残ってしまった生徒が参加します。
校舎内に張り巡らされた罠を突破します。探索可能な部屋は断章でお伝えします。断章中に記載された部屋の中から、探索場所を選び、プレイング冒頭に記載下さい。
●三章:集団戦になります。第二章参加された方は、第二章で指定頂いた場所で。第三章より参加頂いた方は、プレイング冒頭に戦闘場所を記載下さい。詳細な場面描写については、断章でお伝えします。
※これまで辻の依頼にご参加頂きましたPL様の人数より、2〜6名程度の参加を人数を想定して依頼を作成しています。万が一、参加者が六名を超えてしまう場合は先着順に採用させて頂きます※
第1章 日常
『今日はここでお買い物』
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POW : 隅々まで見て回ろう
SPD : 効率的に行こう
WIZ : 気になる方へ行こう
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種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
●本題
ゲートを超え、小高い丘陵より眼下を臨めば、視界にはロンドン市街の優美な街並みが飛び込んで来る。
初春の空は、凍りついた様に青く澄み渡り、中天に坐した太陽は斜に陽射しを注ぎ、ロンドン市の街並みを眩耀の光でもって照らし出していた。
ガラス張りのビル群は、丈高く背を伸ばし、肌理の細かい乳白色の壁面をきらきらと輝かせながら、往来する人々を風雅に見下ろしていた。美術品とも見紛う様な、大理石を精緻に敷き詰めた小公園が町の区画と区画の切れ目で顔を覗かせていた。枯淡な感じのする寺院が鎮座し、レンガ造りの古風な大学群が、町の一角で堂々と威容をそびやかすのが見えた。
辻は人々でひしめき合っている。狭苦しい車道には、無数の自動車が長蛇の列をなして渋滞を作り、まるで牛の大群の様な緩慢さで中心地へと進んで行くのが見えた。
ロンドン市の中心街は殷賑を極め、人々の朗らかな歓声が街々から溢れて響いていた。しかし、活気に満ちたロンドン中心街より郊外へと視線を移せば、様相は一変する。
一九九八年のデウスエクス襲来以降、中心街では数度に渡る大規模な都市開発工事が行われたが、開発から取り残された郊外部分には原生林や自然公園、田園風景といった、かつての明光風靡な、長閑な景観が未だ色濃く残っていた。
ひときわ目を惹いたのは、小高い丘の上に立つ、古ぼけた廃校の存在であった。七不思議が流布された郊外の旧校舎であり、噂のメデューサ配下のデウスエクスの根城である。まずは、オカルトサークルのメンバーがこの場所に到着するのを妨げる必要がある。
既にグリモア猟兵より、手渡されたパンフレットには、写真付きでカエシアの学友の住所が記載されていた。彼ら、彼女らは家を出立したばかりであるという。猟兵達は、さっそく、彼らの住宅近くへと赴き、任務を開始するのだった。
●閑話:ともだち?―廃校に佇んで―
メンターゆきむらは、朽ち果てた木製ベンチに腰を下ろしながら、苔むした石壁をぼんやりと眺めていた。廃校は校舎としての体を辛うじて留めていたものの、その大部分を群生した蔦や蔓に覆われ、陰惨な面持ちで、そこに佇んでいる。
つぎはぎだらけの破風屋根は大きく傾き、石壁の所々は崩れ落ちていた。崩落した石壁の隙間から覗かれた校舎内は薄暗く、陰気に静まりかえっていた。
いかにも七不思議にはおあつらえ向きの場所だと、見える。
弟子カエシアは校門前に立ち、眼下へと視線を彷徨わせていた。黒真珠の三白眼が、学友たちの到着を待ちねってか、もどかしげに開閉しながら、丘の下を眺めていた。
カエシアは出会った頃と何も変わらずに今日も朗らかなままだ。そして、自分もまた、何も変われずにいた。
かつてと少しも変わらぬカエシアを眺めるうちに、ゆきむらの意識は自然、彼女との出会いの日の頃へと向かっていた。
DIVIDE第四軍のスカウトとしてカエシアの元を訪れたあの日、ゆきむらは初めて軍務に背いたのだった。もともと、ゆきむらは、DIVIDEへと勧誘するためにカエシアに近づいた。しかし、四年前、初等教育を終えたばかりのカエシアを目の当りにした時、彼女を軍の下に置く事にゆきむらは、二の足を踏んだのだ。カエシアは、あまりにも純粋に過ぎたからだ。
ゆきむらはヒューマニストで無ければ夢想家でも無い。デウスエクス襲来後の世界で、年端のいかない少年少女がケルベロスとして戦う場面をゆきむらは、何度も目の当たりにしてきた。
日本出身のゆきむらは、物心ついた頃よりケルベロスの存在が比較的身近にあり、若くして使命を帯びてデウスエクスと戦う者達にむしろ憧憬の念さえ抱いていた。
大学を卒業し、英国に渡ったのはただの人間に過ぎない自分の殻を破りたかったからだ。未開の地でDIVIDEに所属する事で、ケルベロスとは違う戦い方で、自分の存在意義を世に知らしめたいと願ったからだ。
だが最初の任務でゆきむらはしくじった。
カエシアのケルベロスとしての才幹は、ずば抜けて高かった。しかし、優しい彼女の性向は戦士のそれとあまりにもかけ離れていたのだ。
カエシアは力を有していた。それなのに彼女は、絶対的な力を使う事を逡巡し、その力でデウスエクスを傷つける事さえ躊躇った。ゆきむらにはカエシアをDIVIDEに勧誘することは出来なかった。
気づけばゆきむらは、カエシアの経過観察という名目でDIVIDE直轄英国第四軍より予算を捻出し、探偵事務所を開設し、宙ぶらりんなままにカエシアと二人、街の便利屋として活動を続け、今に至る。
だが、ゆきむらは只の庇護欲からカエシアの軍属を妨げ続けたのだろうか。ゆきむらは、弟子カエシアをまじまじと見つめる。
カエシアは、幼げな細面を喜色に綻ばせながら、背中で手を組み、軽やかに足を踏み鳴らしていた。微風に吹かれ、白のプリーツスカートの裳裾が、白砂の浜辺に打ち付ける透明な波の様にゆるやかに揺曳していた。乱れた黒髪を左手で押さえながら、カエシアは薄紅色の唇をわずかに開き、微笑を湛えていた。
学生生活の傍らでカエシアはゆきむらの探偵事務所に出入りしては、仮初の探偵業を手伝っていた。
カエシアは、場当たり的な言葉を巧みに操るばかりのゆきむらへと羨望の眼差しを常に向けていた。なんの力もない只の人間の自分のことを、才あるケルベロスの少女が慕うという特殊な状況にゆきむらは、居心地の良さを感じているだけなのではないだろうか。だとしたら、自分は無能なばかりか、救い難い偽善者である。
小さく嘆息してカエシアから旧校舎へと視線を移す。自分とカエシアの奇妙な関係性に思いを馳せながらも、ゆきむらは、再び廃校舎を眺める。校舎壁に滲みだした黒ずんだ染みを凝視しながら、ゆきむらは小さく嘆息を零すと、静かに弟子の学友の到着を待つのだった。
月隠・新月
◎
連携〇
なぜ怪現象が起こる場所に行くのか……。まあ、そうした探求心が人類を進歩させることも多い。無下にはできないか。
廃校探索に向かうとは好奇心旺盛と見えますが……少しおどかして帰るよう言えば聞き入れますかね。
生徒の背後に小石を落として音をたてたり(【念動力】)、召喚した【ブランクオベリスク】を操って生徒の視界の端を横切るように動かしたりして、生徒を足止めしつつ恐怖を煽りたいですね。……夏のホラー特集? で見た演出の真似事ですが、おそらくこういったものが怖いのでしょう。
一通りおどかしたら、生徒に直接帰るよう伝えましょう。
「警告です。家に帰りなさい。このまま進めば貴方の身が危険にさらされます」
ロンドン市に穏やかな昼の一時が訪れるや、昼時の柔らかな陽気に誘われるようにして、立ち並ぶ商業施設やオフィスビル、大学キャンパスから人々が一斉に姿を現した。
洒落たスーツに身を包んだ会社員や、どこかくたびれた制服をまとった学生たち、英国紳士を絵に描いた様な、きっちりとした背広姿の老紳士から、派手なドレス姿の婦女子まで、ありとあらゆる種類の人々が、足早に街中へと繰り出しては無軌道に市街に溢れかえってゆき、白砂の輝きを湛えた石畳を、黒い波濤で満たしていく。
昼の訪れと共に、ものの数分の内に狭苦しい歩道は足の踏み場もないほどの人々の雑踏でひしめきあっていく。まるで潮が満ちていく様に、決戦都市ロンドン市街に無数の人々の喧騒が溢れていった。車道を挟んで、通りの左右に敷かれた狭小な歩道の上を、黒い影絵のようになった無数の人々が、へしあい押し合いしながら、まるで、のたうち回る津波のように、大通りを往来していく。
ガラス張りの外壁に陽光の揺らめきを反映しながら、ビル群は、険阻な山稜のごとく市街の随所に鎮座し、歩道の進路を規定する。大小さまざまな通りは、立ち並ぶビル群の隙間を貫きながら、市街全体を網羅しているのである。山間を流れる小川の様に、歩道は蛇行や直進を繰り返し、時に側副路を作って路地裏へと伸びたかと思えば、別の通りから伸びてきた小路と合流して再び本流となり、街を還流していくのだった。人々は、波の飛沫の一粒、一粒となって、複雑に合流と分岐を繰り返す通りの上をひた進んで行く。
そんな人々の営みを、月隠・新月(獣の盟約・f41111)はビルの屋上より静かに見下ろしていた。
初春特有の柔らかな微風が、新月の漆黒の毛並みをはためかせていた。春風はゆったりとした絹糸の感触で新月の肌に絡みつき、漆黒のタテガミを優しく撫でながら吹き去ると、ビル群を渡る風となって、通りの一隅で轟轟と唸りをあげるのだった。
風の行方を視線で追えば、雑踏を極める昼下がりのロンドン市街の中、人波をかき分ける様にして足早に進んで行く一人の青年の姿が目についた。
かの青年こそが新月の標的である。
無数の人々でひしめき合う市街地の中においても、新月の銀白色の瞳が目標を逃すことは決して無く、絶えず理知の光を湛えながら、つかず離れずの距離で青年の挙止を伺い続けていたのだった。
青年は名前を、ユリンと言う。グリモア猟兵から渡された資料によれば、ユリン青年は廃校探索のオカルトサークルの一員であるという事らしい。
高層ビル群の屋上に身を潜めながら、新月は鵜の目鷹の目で地上を、そして青年を俯瞰する。
ユリン青年が小柄な体躯をよじりながら、雑踏の中を軽やかに走り抜けていくのが分かった。青年が歩を刻む度に、ほっそりとした肩元が機敏に上下し、三つ編みにした黒の長髪がどこか愉快げに空を泳ぐ。
青年が大通りの先へ先へと進む度に、新月もまた、高層ビル群の屋上から屋上へと飛び移り、人知れずユリンを追跡する。
ユリンは足取り軽やかに、巧みに人ごみをやり過ごしながら通りを数画ほど進む。そうして、道脇から伸びる小路に突如を身を潜らせたかと思えば、裏路地へと足を踏みこむのだった。
一瞬、通りからユリンが姿を消す。新月は、ユリン青年の軌跡を追い、路地裏を目指し、ビルの屋上を疾駆する。ビルからビルへと飛び移るたびに、心地よい浮遊感が新月の全身へと走り抜けた。全身で風を感じながら、新月は、路地裏に面したビルの屋上を進んで行く。。
それにしても、と新月は疾駆しながら内心で苦笑する。
年頃の少年少女の心理というものは、なんとも理解に苦しむものだ。ユリン青年は勿論だが、なぜオカルトサークルの面々はわざわざ怪現象が起こるとされる場所にすき好んで足を運ぶというのだろうか。無謀とも言える探求心こそが、人類の技術や思想、社会を今日の様に円熟させてきたという事実は否めないだろう。多大な利益を得るために、あえてリスクを取るという行動が容認される場合があるという事実を新月は十分に理解しているつもりである。しかしだからと言って、怪現象の探索などという、なんの益にもならないだろう事に熱狂する少年少女の朴訥ながらも浅慮な振る舞いは、心底、理解に苦しむ。
最も、損得を度外視した不可解な部分にこそ、人類は進歩の大部分を負ってきたのかもしれないとも思う反面で、やはり新月は、芯の部分からは納得できずにいた。
それでも尚、ただ一つ言えることがあるとすれば、新月はユリン青年を無下にするつもりは無いという事だ。
新月は、瞬く間に路地裏に面した高層ビルの縁へと到着した。目下へと視線を落とせば、路地裏の入り口付近にユリン青年の姿が見えた。
新月は小さく息を吸い込むと、前脚で二度、三度と足場を蹴り上げ、ビルの屋上から飛び降りる。勢いそのまま、垂直に聳え立つビルの壁面を踏みしめ、壁伝いに地上目指して、駆け下りていく。
垂直落下するよりも尚早く、前脚で壁面を蹴りぬけば、新月の体躯が重力に抗して壁の上を弾む様にして、滑走した。再び後ろ足で断崖の様に切り立つビルの壁面を踏み抜けば、弓なりに斜を描く優美な姿態が中空でしなやかに伸展する。新月の体躯が、するするとビルの壁面を疾走した。
一歩、一歩と小刻みに壁面を蹴り上げる事で、新月は落下することなく、軽業師よろしく、軽快に壁面を走り抜けていく。黒い一陣の疾風となった新月は、一息の間に地上近くまで肉薄し、そうして二息をつく頃には、路地裏の出口付近、ユリン青年の進路上の遥か先に軽やかに降り立つのだった。
裏路地は、左右に立ち並ぶビル群に日を遮られ、どこか陰気げにうすぼんやりと佇んでいた。足元の石床は舗装されずに久しいようで、湿り気を帯びながら所どこが黒ずんでいた。すえた匂いが立ち込め、時折吹く寒風が、まるで獣の鳴き声の様な風音を伴いながら通りを吹き抜けていく。
新月は、狭苦しい小路の端へと身を潜めると、目を細めた。通りの奥より鼻歌まじりに歩を進めるユリン青年の姿がはっきりと窺われた。
そばかすまじりで彩られた幼さを感じる小顔の中、どんぐりの様な円らな瞳が妙に際立って見えた。美童とは言えないが、顎元はすっきりとし、鼻梁も高く、口元も凛々しく、なるほど顔の造形は悪くはない。また、あくまで外見的な印象に過ぎないが、ユリン青年の顔立ちからは、世間知らずな純朴さや臆病さが滲みだしている様にも感じられた。
廃校探索に向かうとは好奇心旺盛と見えるが…、反面、実際に怪奇現象を引き起こし、少し忠告すれば、一も二も無く彼は従うのではないだろうかと、新月は見る。
折しも裏路地は、人気は無く、薄暗く淀み、怪奇現象にはおあつらえ向きの場所であると言えた。
過日、日下部家のテレビで観た、夏のホラー特集なる映像が新月の脳裏をかすめた。映像の内容を再現すれば、より効果的にユリン青年を怯えさせることが出来るだろう。人は目に見えるもの以上に、見えぬものを想像して恐怖するという。となれば、新月には恐怖を煽るための良い技がある。
新月は暗闇の中に身を置きつつも、自らの内奥で奇跡の力を奔騰させる。
一歩、一歩とドングリ目を輝かせながらユリン青年が、どこか上機嫌に裏道を出口へと向かい直進してくるのが見えた。彼が三歩、四歩と進み、裏道の半ばまで至ったところで、新月の中、奇跡の力の奔流は極限に至る。
すかさず新月はユーベルコード『ブランクオベリスク』を顕現させる。奇跡の力の放出と共に、こつんと一石の小石がユリン青年の後方で音を立てた。ユリン青年が足を止めて、後方へと振り向くのが見えた。間髪入れずに、新月は、顕現させた奇跡の力に形を与え、ユリン青年の視界の端すれすれを狙い、ブランクオベリスク―石柱―を滑らせた。
視界をわずかに掠めたナニカに気づいてか、ユリン青年の小顔から見る見る血の気がひいていく。ユリン青年は両肩を震わせながら、暫くの間、その場に立ちすくみ、瞳を前後左右にけたたましく動かしていた。
ただ不気味な静寂だけが裏路地には漂っていた。ユリン青年は数秒ほど視線を左右のビル壁へと這わせ、その後、前方の暗闇の中へと落とした。恐怖に口端を引きつらせながらも、ユリン青年が、なけなしの勇気を振り絞る様にして、右足を大股で振り上げるのが見える。
瞬間、新月は再びユーベルコード【ブランクオベリスク】によって生み出された石柱を操り、ユリン青年の目の前を高速で横切らせる。
「ひぃっ」
とうわづった声が裏路地に木霊した。ぺたりとユリン青年が尻もちをつくのが見えた。
新月の予想通り、ユリン青年は、この手の怪奇現象を苦手とするようだ。本質的には臆病な性向の持ち主なのだろう。なぜユリン青年がオカルトサークルに所属しているのか新月には到底理解できなかったが、彼の臆病さは好都合である。ユリン青年には悪いが、とことんまで恐怖して貰うとしよう――。
新月は更にオベリスクを一本また一本と薄闇の中に現出させると、それらを巧みに操り、暗がりの中を蠢かせた。ひゅっ、ひゅっと軽やかな風きり音と共に不定形の黒い塊が、路地裏を踊り狂う。
ひいっ、ひぃっ、とユリン青年の震える唇から絶えず、悲鳴が零れていた。
ユリン青年には、闇の中を高速で踊り回るオベリスクの全容を伺い知る術は無かった。ユリン青年の瞳には
あたかもオベリスクが、暗闇の中、不気味に蠢動する怪異の様に映ったのだろう。ユリン青年は、がちがちと奥歯を鳴らしながら、腰をついたまま弱々しく後ずさっていく。
新月は闇の中に身を蹲らせたまま、声音を落としてユリン青年へと追い打ちをかける。
「警告です。家に帰りなさい。このまま進めば貴方の身が危険にさらされるでしょう――。もう一度言います、これは警告です」
語尾をやや強調しつつ、新月がそう言い放てば、ユリン青年がびくんと身を硬直させながらその場に勢いよく飛び上がるのが見えた。彼は、立ち上がるや、裏路地の入口側へと背を向け、路地裏を脱兎のごとく駆け抜けていく。瞬く間にユリン青年は新月の視界の果てに消え去り、遥か彼方の小さな点となって路地裏を後にして、市街地の中へと溶け込んでいった。
ユリン青年は好奇心旺盛ながらも、新月の予想以上に怯懦であった。
それにしても恐ろしいのならば、わざわざ渦中に飛び込む必要もあるまいにと思う。しかし反面で、新月には、恐怖しながらも尚、そこに突き進まんとするユリン青年の姿がどこか愛らしくも感じられれた。
暫し黙考した後、新月は、静まり返った路地裏の中をゆったりと進んで行く。足止めは功を奏したと言えるだろうが、事件の元凶たるデウスエクスを討伐したわけでは無い。新月は徐々に歩調を速めながら、遠景の緑の中、ひっそりと身を蹲(うずく)る廃校を目指すのだった。
大成功
🔵🔵🔵
龍之宮・翡翠
◎
出来るだけ違和感なく予定を失念させるように努めるのが最善だと思う
転校生もしくは留学生を装って、接触を試みる事にする
春から正式に転入するので一足早く見学にきた、良ければ案内をしてもらえるだろうか……という体裁であれば違和感も然程ないだろう
案内に注力する間に、現場から離すことが出来れば、或いは予定の事を忘れてくれれば最良だな
出来ればお人好しで面倒見の良さそうな生徒に接触出来れば都合が良いんだが……
元々ケルベロスとして活動していたので、任務自体には慣れているが、コミュニケーションは余り得意ではない
そこを不安そうにしていると解釈されれば、やや不本意ではあるが都合は良いと判断して、そのように立ち回る
市街の北端に控える住宅街は、人々の喧騒やよどめきに沸くロンドン市街中央区とは無縁な様子で、枯淡な趣を湛えながら、丘陵地帯から森林地帯にかけて、悠然と横たわっていた。そこには、中心街で散見されたガラス張りのビル群や真新しいコンクリート造りの商業施設は、殆ど見受けられず、かわって煉瓦造りの古めかしい寺院や家屋などが軒を連ねていた。バロック式の荘厳とした建築物が、区画の随所に鎮座しており、それら建物と建物の間を縫うようにして、おとぎ話に出てくるような煉瓦づくりの小さな家屋が散見された。
足元の敷石は擦り切れていたが、それが、むしろ、この街の古風な出で立ちを強調している様にも感じられた。
道脇に林立する街路樹が、微風に吹かれ、葉裏を返しながら優雅に葉木を優雅に揺らすのが見えた。晴天の空のもと、中天に鎮座した日輪は、銀白の棘を大気に滲ませながら、鮮烈な陽ざしでもって地上を照らし出し、葉木を鮮やかな緑色に染め、市街の石畳を目眩むような白色に潤色していた。
吹き抜けていく風は、市内を超え、新緑が僅かに芽を覗かせつつある草原の緑をなびかせながら、郊外へと吹きすぎていく。水平線の先、深緑の葉群れをそびやかす原生林が広がり、視界の果てには銀白の衣装で粧した丘陵が連なって見えた。
ロンドン市北区は、昼の陽気の中で朗らかとそこに広がっていたのだった。
龍之宮・翡翠(未だ門に至らぬ龍・f40964)は、安閑としたロンドン市北区を、一人の青年に連れらるような格好で散策していた。
深くかぶった透明な鯉のパーカー越しに、斜に射しこむ陽光が翡翠の白磁の様に澄んだ頬に照り付けていた。翡翠は、緩やかに斜を描く、青緑色の瞳を伏し目がちに落としながら、街筋を進んでゆく。
なにも翡翠は物見遊山で北区へと足を踏み入れたわけでは無かった。翡翠の任務とは、さるオカルトサークルのメンバーがデウスエクスの根城となった丘上の廃校へと向かうのを阻止することである。
グリモア猟兵から手渡された資料には六名の生徒の名簿が付記されていた。翡翠は、その資料の中より、リーアンという青年と接触することを決めて、事実、今、彼と共に行動を共にしている。
「翡翠君だったよね…? 部活とかはもう決めているのかい?」
朗らかな声が耳朶に触れた。声の主を求め、ふと視線を右斜め四十五度に向ければ、明朗と澄んだ碧眼が、翡翠のもとへと向けられている事に気づいた。リーアン・ヴォルテールの人好きする青い瞳が深海の如き深い藍色の色彩を帯びながら、穏やかな光を放っていた。がっしりとした男らしい顎の上、形の良い唇が綻んでみえる。
「いいや…。まだ別に考えてないな」
翡翠はリーアンの瞳を覗き込みながら、口数少なくそう答えた。
白い歯を光らせながら、リーアンが饒舌気味に翡翠へと即答する。
「翡翠君は、きっと色んな部活から引っ張りだこだと思うよ。ははは、もしも運動に自信があるなら、俺の所属するラグビー部に、文科系のサークルに興味があるなら、一応席を置いているオカルトサークルに入部するのをオススメするよ」
快活とリーアンが言い放った。翡翠は、饒舌に語り続けるリーアンに相槌を打つ。翡翠は、良く言えば冷静沈着で、悪く言えば感情の起伏が少ない方だと自らの事を自覚していた。口数も決して多い方では無いと思う。
しかし、リーアンは屈託ない様子で、翡翠との会話を楽しんでいる様だった。彼は碧眼をきらきらと輝かせながら、再び翡翠に尋ねる。
「うちはあれでなかなかの進学校だからね。O大学へと進む学生も毎年五、六人はいるくらいさ。翡翠君は、勉学は?大学はどうするんだい?」
「まぁ、勉強はそこそこだ。進路は、さぁ、どうしようかな。どこかには行こうとは思うけどね」
翡翠は、リーアンの質問責めに、曖昧に受け答えする。対してリーアンは翡翠が質問に答えるも、未だ興味が尽きないと言った様子で絶え間なく話題を展開させた。
おしゃべり好きなリーアンとの会話に付き合いながらも、翡翠は当初の予定通り、廃校とは別方向にリーアンを誘致してゆく。
翡翠が、リーアンの廃校行きを断念させるために採用したのは、転校生を装い、面倒見の良いリーアンを廃校から引き離すというものだった。力業などを使えば、どうしても無理が出る。出来るだけ違和感なく予定を失念させるように努めるのが最善であるとの思いから、翡翠は自らの身分を、春からの転入生と偽り、リーアンに学校の案内を願い出たのだった。
翡翠の申し出に、リーアンは二つ返事で答えてみせた。リーアンは翡翠からの申し出を受けるや否や、胸ポケットから新型のスマートフォンを取り出した。骨ばった指先が、彼の大きな掌と比べれば幾分も小さく見える液晶画面の上を機敏に走り、瞬く間に文字群を紡いでいく。彼は、オカルトサークルの学友らにニ十分ほど遅刻する旨を伝えると、スマートフォンを胸ポケットにしまい、翡翠と共に住宅街から学校までの間を一巡りする事を決めたのだった。
リーアンは、隔意の無い様子で翡翠に対応していた。彼は、ゆったりとした黒のダッフルコートのポケットに右手を突っ込みながら、左手で区画に居並ぶ店の一軒、一軒を指差ししては、それらの店店がどんな店であるかという事を懇切に翡翠に説明していた。終始、リーアンは磊落とした態度で翡翠の隣を進んでいたのだった。
翡翠は確かにコミュニケーションの様なものは得意ではなかった。しかし反面で、翡翠が長年の間、ケルベロスとして培ってきた挙止は、翡翠の行動の端々に自然とにじみ出し、リーアンの行動を掌握することに大いに役立っていた。
歩調の取り方や、視線誘導による相手の注意の惹き方など、些細な振る舞いが巧みにリーアンの行動を拘束したのだ。事実、リーアンは気づいていないだろうが、既にオカルトサークルのメンバーと約束した時間は少し前に過ぎている。リーアンの胸ポケットからは絶えず、緑色の蛍光が零れていた。スマートフォンにはサークルメンバーからの連絡が絶え間なく流れているのだろう。しかしリーアンは翡翠との会話に惑溺しきっている様子で、胸ポケットにしまったスマートフォンの存在など完全に忘れ去っている様子である。
翡翠はリーアンの案内を受け、北区を巡り、中央街にほど近い新校舎キャンパス周辺まで既に歩を進める。
中空で白く輝いていた日輪は、既に西の空へと僅かに移動し、雲間へと身を隠していた。雲間の中、銀色の円盤となった太陽が、地上へと昼下がりの熱気まじりの陽光を注いでいた。
リーアンは僅かに頬に汗を滲ませながらも、彼の母校について熱弁を奮っていた。リーアンの人好きする視線が常に翡翠へと向けられていた。
口数少ない翡翠に対して、リーアンの母性本能がくすぐられたのだろうか。もしも、自分の寡黙さを不安の教唆として受け取られたのならば、やや不本意ではあるものの、しかし、それがリーアンの注意を廃校の探索から逸らす一助となったというのなら御の字というものだ。
中央街付近には、無数の人々が忙しなげに街中を闊歩する、繁華街特有の喧騒まみれの日常風景が広がっていた。壮麗さと長閑さとがほどよく混淆した北区の景観は既にそこには無かった。
水平線の彼方に広がる残雪まじりの丘陵は無く、かわって無機質なビル群が所狭しと市街の中に屹立して見えた。
「あそこがうちの高校さ。なかなか立派な学校だろう?」
足をぴたりと止めて、リーアンが前方へと視線が前方へと固定させ、指先を前方へと向ける。翡翠が、リーアンの視線を追い、前方へと視線を這わせれば、ビル群に挟まれる様にして、赤い煉瓦造りの真新しい校舎がどこか窮屈そうにその場をよじらせているのが見えた。
「あぁ、壮麗な外観だな」
言葉短くそう告げると、翡翠は目の前の新校舎から、水平線の彼方へと視線を遣った。小丘の上、件の廃校が茫洋と覗かれた。
既に郊外の廃校から十分な距離を引き離した。ここから郊外の廃校に到着するには徒歩では悠に一時間を超えるだろう。
隣立つリーアンは、未だに熱心に市街の説明に耽っている。そろそろ頃合いだろうか。
翡翠は、リーアンを横目に、息を殺し、足音を忍ばせながら後ずさる。すり足で一歩、一歩と進み、翡翠は瞬く間に人々の波の中へと身を紛らせるのだった。
目の前では、リーアンは校舎へと今だ視線を向けたままだった。碧眼がわずかに収斂し、そして斜め下方へと落とされるのを伺いつつ、翡翠は人々の雑踏の中を進んで行く。
「なぁ、翡翠君、あそこが――あれ?」
翡翠の鼓膜を、リーアンの調子はずれな声が揺らす。人の良さそうな蒼い瞳を丸く見開きながら、リーアンが視線を彷徨わせているのが見えた。翡翠は鯉のパーカーフードを目深に被ると、肩越しにリーアンに手を振り、風の様に中心街を後にした。
これでリーアンが廃校へと到着する芽は潰すことが出来ただろう。しかし、サークルメンバーは全部で六人存在するという。もしも人手が足りなければ、他の生徒がデウスエクスの毒牙にかかる可能性は高い。
剣の柄に手を添える。ひんやりとした感覚が掌を走り抜けていった。
戦場では最前線に進んで立ち、剣を振るってきた。任務を選ぶつもりは無いが、数多の決戦都市を渡り歩き、剣一つで多くのデウスエクスを屠ってきた翡翠としては、デウスエクスとの戦いは願ったり叶ったりというものだ。顎を上げて市街を遠望すれば、褐色の小丘が幾重にも折り重なって出来た丘陵地帯のもと、糸杉の木立に囲まれながら、廃校は身悶えする様に佇立していた。戦いの予感を肌で感じながら、翡翠は確固たる一歩を踏み出す。
大成功
🔵🔵🔵
仇死原・アンナ
◎、連携〇
足止めか…彼等には申し訳ないけど…
|神略者《デウスエクス》共から命を救う為ならばどんな事でもしよう…
さぁ行こう…私は…処刑人だ…!
【空から来る黒い亡霊】により大鴉の亡霊共を召喚
大鴉と視覚を共有し、学友達を看視しよう
学友の周囲や行く先々に大鴉達を配置させておき数の存在感で威圧し恐怖を与えよう
まだ進もうとするならば大鴉達を嗾け、嘴や足で頭部を狙い行動を妨害しよう
…すまないがここから先に行かす訳にはいかないんだ
…命惜しければ戻れ…さもなくばッ!
処刑人の仮面を被り殺気を放ちながら学友の前に姿を現して
この先に向かうならば命はないと警告し、廃校への探索を断念させよう
……すまない…貴方の為なんだ…
立ち枯れた木々の枝葉が風に吹かれ、獣の咆哮を上げている。木々が身をよじらせるたびに、剥き出しになった茶褐色の梢のもと、芽吹きつつある萌黄色の蕾が、節々で顔を覗かせるのが見えた。
澄み渡った青空のもと、太陽は真珠色の羊雲を頭上に戴冠しながら、中空の御座に堂々と居座っている。
中天より斜に射しこむ陽ざしは、梢の隙間から地上へと零れ、柔らかな金糸の木漏れ日となり、砂利道に淡い光の綾模様を刻みながら、木々が連なる林道に光の敷物を広げていた。
林道は晴れやかな初春の到来に色めき立っている。しかし、大気は未だ寒気を孕み、冷え冷えと冴えわたっていた。
仇死原・アンナ(処刑人、地獄の炎の花嫁、焔の騎士・f09978)は、林の奥、一本の糸杉の木陰に身を潜めながら、空を仰ぐ。
青空を背景にして、無数の大鴉が、群れをなしながら空を遊弋するのが見えた。大鴉は、アンナが身を潜める林道と、市街地の間を行き来しながら、鋭い視線でもって絶えず地上の中の一点を追跡していた。大鴉の視線の先、短く切りそろえた金髪を風に優雅になびかせながら、一心不乱に街の大通りを疾駆する青年の姿があった。
薄青と白、黒のトリコロールのジャージに身を包んだ青年は、市街地を爽やかに走り抜けていく。
青年は名をボニー・ラドクリフといった。
グリモア猟兵によれば、青年の年齢は十七歳、S学園の高等部に通う男子学生で、陸上部のエースであるとの事だった。青年は、オカルトサークルの部長であるクレア・ラヴィンスの半ば強引な勧誘により、オカルトサークルなる奇妙な文科系サークルにも一応籍を置く事となったらしい。この日も、ボニー青年は、オカルトサークルの部長であるクレアと、クレアのお気に入りであるカエシア・ジムゲオアの突然の呼び出しを受け、陸上部の朝の練習を切り上げるや、七不思議の究明を手伝うため、一路、郊外の廃校を目指し、走り出したのだ。
アンナの目的とは、この活発な陸上青年が、デウスエクスの牙城に身を窶(やつ)した丘の上の廃校へと向かうのを未然に阻止することである。
そのための方策を既にアンナは打っていた。
空を見れば、おびただしい数の黒鴉が林道周辺をぐるぐると旋回しながら飛び回っていた。
これら無数の大鴉こそが、アンナが有する奇跡の御業ユーベルコード【空から来る黒い亡霊】により召喚された大鴉の亡霊である。現在アンナは、無数の大鴉と視覚を共有することで、ボニー青年の挙止を逐一伺っていたのだった。
アンナは大樹のもとに背を預けながら小さく嘆息する。
ボニー青年達は、思春期ならではの純粋な好奇心からか、それとも自儘と聞くクレアのために泣く泣く、七不思議で噂される廃校への探索を決めたのだろうか。
どちらにせよよ、もしもデウスエクスが絡まない一件であるのならば、彼らの青春の一ページの一隅を飾るために、快く先へと通してあげたいともアンナは思う。
しかし、廃校には数多のデウスエクスが住み着き、彼らは手ぐすね引いて、来訪者達を待ち構えているという。『神略者』デウスエクス共によって、ボニー青年らの命が奪われるのを、黙って見過ごすような事はアンナには出来なかった。
青年達の命を救う為、悪いが青年達の青春の一幕に水を差させて貰うとしようか。場合によっては、アンナは多少荒っぽい手段に訴えるのも辞さない覚悟だ。
アンナは、忸怩たる思いで、木立から身を乗り出すと、林道の中間点ほどまで歩を進めると、再び木陰に身を潜ませて、ボニー青年の到着を待つ。
既に市街地を抜け、ボニー青年は、郊外へと続く田舎道を半ばほど踏破していた。陸上部、期待の新星の面目躍如といったところだろうか。彼は息も切らさずに、すでに林道間近まで迫っている。
アンナは、大空を舞う無数の大鴉と共有された視野情報のもと、子細にボニー青年の動静を伺いつつ、身構えた。
「さぁ…行こうか――私は…処刑人だ…」
誰に言うでも無く、アンナはひとりごちた。手にした、処刑人の仮面は、無機質な光を湛えながら、右手の中で蠢いて見えた。
ボニー青年が見る見る間に、林道の入り口へと迫ってくる。アンナの視界には小さな点に過ぎなかったボニー青年の影は、今や、不明瞭ながらも人型の輪郭をとり、林道入口にはっきりと浮かんで見えた。
ボニー青年の右足が、林道の入口部分に差し掛かった。彼の右足が、土の足場に堆積した腐葉土を踏みしめるのを合図に、アンナは指を鳴らす。突如、大鴉たちが群れをなしながら林道付近を飛び交った。百を悠に超える黒い大鴉たちの大群が、上空より勢いよく滑空する。鴉の群れは、林道付近の低空で滞空しながら群れを為し、黒い雲となって、林道へと射しこむ陽光を遮るのだった。束の間林道に訪れた暗澹とした薄闇を前に、ボニー青年がぴたりと足を止めた。
林道の入り口にて、ボニー青年はどこか訝しげに周辺の様子を伺っていた。ボニー青年の張り出した喉ぼとこが、飲みこんだ唾液によって大きく振動するのが見えた。茫然と立ちすくむボニー青年を遠目に伺いつつ、アンナは大鴉たちに再び指示を出す。
アンナは砂利道をブーツで踏み鳴らす。瞬間、滞空する大鴉たちは、黒く澱んだ広翼をはためかせながら、猛烈な勢いでボニー青年の周りを飛び交い始めた。
つんざく様な耳障りな不気味な鴉の鳴き声が一斉に鳴り響き、薄暗い林道に反響していった。鳴り響く大群の鴉の鳴き声に、ボニー青年が咄嗟に足を一歩、後方へと退くのが見えた。
たまゆるボニー青年の面差しが恐怖の色に青ざめた。しかし、ボニー青年は直ちに、その精悍な面差しを引き締めると、目を細め、上空を睨み据える。当初わずかに震えていたボニー青年の屈強な肩元がピタリと静止する。
次いで、青年のがっしりとした二の腕が持ち上げられたかと思えば、青年の両の掌が、彼の引きしまった頬部を左右から激しく打ち付けた。びりびりと甲高い叩打音が、鴉の鳴き声に混じり林道に鳴り響いた。ボニー青年の頬がわずかに発赤してみえた。頬の熱気がボニー青年の全身に波及したとでも言うのだろうか。青年の瞳からは見る間に恐怖の色が霧散していく。
再びボニー青年が一歩を踏み出した時、アンナは、溜まらず、内心で小さくため息を零した。
この一連の挙止から察するに、ボニー青年が豪放とした気質の持ち主であるだろうことが嫌という程に窺い知れた。彼は、自らの怯懦を叱責する様に頬を叩き、喝を入れたのだ。そして、彼は今、勇敢なる一歩を踏み出したのだ。彼の勇敢さは、本来ならば称賛したい特性であったが、だからこそ、ボニー青年を廃校へと行かせまいとするアンナには厄介極まりないものでもあった。
青年を傷つけるというのには心が痛んだが、彼の性質を考慮するに、荒っぽい手段も行使せざるを得ないだろう。
ため息まじりに、アンナは数羽の大鴉に命じると、鋭い嘴(くちばし)で、すらりと伸びた前脚で、ボニー青年を威嚇する様に命じた。勿論、命を取るようなことはさせない。可能な限り手加減して、青年を強襲するようにと強調して大鴉たちを送り出した。
二三羽の鴉が小さな群れをなしながら、ボニー青年目掛けて襲い掛かる。しかし、鋭い嘴が、前脚が、ボニー青年を掠めるも、青年はがっしりとした両手で頭上を覆い、鴉の攻撃をいなす。
ボニー青年の頭上では、数羽の大鴉がもつれあう様にしながら身をよじらせ、前脚をばたつかせ合いながら、ボニー青年を強襲していた。しかし、青年は必死に猛攻を掻い潜り、じりじりと前方へと歩を進めていく。
青年の勇敢な姿に半ば感嘆しつつも、アンナはいよいよ自分の出番が近い事を実感する。手にした仮面を、凛とした柔らかな相貌に重ねれば、無機質な仮面はアンナの表皮にぴったりと張り付き、その美貌と一体化して、アンナの顔面全体を覆い尽くすのだった。
アンナは木陰から林道へと身を乗り出すと、ボニー青年のもとへと向かい、歩を刻む。
俯きがちに視線を落とせば、小石と砂利とが敷き詰められた足元が遥か彼方まで伸びているのが見えた。ボニー青年の靴音が林道に響いていた。足音と共に青年の荒い呼吸が刻々とアンナに近づいて来るのが分かった。
アンナが再び視線を上げた時、アンナの視界には、鴉についばまれながらも、確固たる歩調で林道を半ばほど進み終えたボニー青年の姿が飛び込んで来た。
「…すまないがここから先に行かす訳にはいかないんだ」
声音を落としてアンナが言い放てば、ボニー青年が足を止めた。青年の金色の瞳がアンナへと向けられた。仮面姿のアンナを前にしてか、ボニー青年の瞳に恐怖の歪むのが見えた。アンナは声音を落とす。
「…命惜しければ戻れ…さもなくばッ!」
声を荒げ、ボニー青年へと警告する。
ボニー青年は沈黙したままだった。彼は、無言のまま、なにかを逡巡するように視線を虚空に彷徨わせていた。
静かな殺気を放ちながらアンナが一歩、ボニー青年へと詰め寄る。たまらず、ボニー青年が一歩、後方へと後ずさった。更にアンナが歩を進める。ボニー青年が更に後退する。
アンナが歩み寄るたびに、ボニー青年は見えない棒かなにかに押し出される様にして、じりじりと後方へ後方へと追いやれていく。
アンナが歩を進める度にボニー青年はじりじりと後ずさっていき、ついに林道の入り口部分まで引き下がるのだった。
彼は相も変わらず無言のまま、静かにアンナを見据えていた。しかし、林道の出口まで押し戻されるや、ついに心が折れたのか、弱々しく肩を落とした。
ボニー青年はなにかに勘づいたのだろうか。消沈気味にアンナを暫く眺めると、アンナへと一揖する。彼は深々とアンナに会釈すると、踵を返し、林道から背を背け、市街へと走り去っていくのだった。
果たしてアンナの意図が伝わったのだろうか。ボニー青年の心境は、いまいち判然としなかったものの、アンナは青年の廃校を行きを見事に阻止したのだった。
「……すまない…貴方の為なんだ…」
遠ざかっていくボニー青年の後ろ姿を眺めながらアンナはぼそりと呟いた。
もしも廃校に向かえば、この気持ちの良い青年が命を落とすかもしれない。青年を怯えさせてしまった事にはやや胸が痛んだが、しかし、アンナが悪役を買い、青年に多少のかすり傷を負わせることで、青年の命の危機を未然に防ぐ事が出来たとも考えれば、幾分も心が救われる気がした。
去っていくボニー青年を見送るとアンナは振り返る。
林道の先、小丘の上には古ぼけた廃校が聳え立っていた。事件の首謀者の根城がそこにある。アンナは事件の元凶たるデウスエクスを葬るため、林道を進んでいくのだった。
大成功
🔵🔵🔵
エミリィ・ジゼル
アドリブ〇
特務機関に決戦配備メディックを申請。
廃校周辺の路上封鎖を依頼すると共に、カバーストーリー『不発弾発見による道路封鎖』の流布を依頼。
あわせてユーベルコードを使ってかじできないさんズを街中に散会させ、保護対象の生徒が廃校に向かわないように追跡・監視します。
もしも保護対象が道路封鎖を超えて学校へ向かおうとした場合は警察官に扮して対象を職質し、軽挙妄動に対して説教を行い、廃校に向かわないように言い含めた上で解放します。
「思えば、一般生徒が相手なら殺界形成で無理やり全員追い払うのが一番手っ取り速かったですね。まあ、いいでしょう」
※登場する生徒の設定等はお任せします
ロンドン市街から廃校が聳える郊外へと向か合う経路は、合計で十一個存在する。
渋滞が日常茶飯事の自動車道が三つ存在し、砂利と石とを敷き詰めただけの舗装もままならない歩道が大小合わせて八つほど存在する。
もしも自動車道を選んだ場合、昼時から夕暮れ時にかけての渋滞は避けられず、運転手には、必然、市街から郊外へと長々と伸びる無数の車列に長時間付き合うだけの忍耐力が求められた。辛抱強くハンドルを握り、細心の注意と共に小刻みに車のブレーキを踏みながら、凡そ小半刻程の間、心を無にして運転に専念することさえできれば、運転手は問題なく郊外の廃校へと到着することが出来るだろう。
八つの歩道のいずれかから郊外へと向おうとすれば、時に林道が、時に曲がりくねった獣道が往く者の前に立ちはだかる。いずれの道にも一長一短はあるものの、どの道を取ろうとも、到着に半刻程の所有時間を有するというのは変わらない。差異と言えば、時折出没する野生動物との遭遇を良しとするか、沼沢の泥濘を選ぶのか、はたまた悪路の中途に古めかしい家屋を構える、頑固おやじのパルカス爺といった難敵の家前を通過するのか、そのいずれかを選択するかという程度のものだ。
いずれにしても、廃校の立地する郊外に向かう道は、合計で十一個存在するのみだ。つまり、この十一の経路を全て封鎖さえしてしまえば、廃校と市街とを繋ぐ全ての道は閉ざされるのである。
エミリィ・ジゼル(かじできないさん・f01678)の核心は、市街と郊外との交通路の封鎖にあった。
翡翠の瞳が、陽光を浴び、鮮やかな新緑の輝きで燃えていた。陽気さと柔和さが混淆した流麗たる双眸を、瞠目がちに見開きながら、エミリーはほっそりとした指先で口元のマイクをもてあそんだ。マイクとイヤホンとが一体化した、イヤホン型連絡器からは、DIVIDEの構成員よりの情報がノイズまじりに流れている。
「…ジゼル…殿。こちらDIVIDE直轄英第四軍、ウォール…です。さきほど…十一の…すべての道の封鎖が終了…しました」
じりじりとセミの鳴き声にも似た、耳鳴りの様な雑音ともに、耳に嵌めたイヤホンからは、DIVIDE構成員の報告が飛び込んで来た。
エミリィは廃校が鎮座する丘陵付近にて、大岩の一つに腰かけながら、DIVIDE構成員の連絡に耳を傾けていた。郊外という事もあり、電波状況は芳しくなかったが、連絡さえ取れれば些末な部分には目を瞑ろう。エミリィはウォールと名乗る男に即座に返答する。
「わかりました。ふぅむ、でしたら、このまま封鎖を続けて下さい…。もしも、封鎖を突破して、郊外へと向かう様な人がいたら、そちらの対処は私にお任せくださいね」
言いながら、エミリィは岩場から立ちあがる。視線を後方へと移し、丘の上に佇む古ぼけた廃校を一瞥すると、今度はグリモア猟兵より受け取った手元の冊子に視線を落とす。
ぱらぱらと冊子を捲るたびに、冊子の一項、一項が、いかにも心地よげに身を翻し、几帳面な筆跡で綴られた紙面を次から次と展開させた。エミリィは、半ばほど冊子を捲った所で、ぴたりと指を止める。そうして開かれた二十三項目の紙面に現れた少女の写真を凝視する。
写真の少女の名前は、クレア・ラヴィンス。紙面の情報によれば、S学園の高等部に通う女学生であるらしい。
写真の中、クレアは、、紺碧の瞳を自信ありげに吊り上げながら、菫色のふっくらとした唇を半開きにして笑っていた。やわらかな小顔のもと、目鼻口が均整をとりながら配置されている。なだらかに弧を描く肩元には、紅葉を思わせる鮮やかな赤の長髪がかかり、体のふくらみにそって大きく盛り上がっていた。写真の下にはクレアの天衣無縫な人となりが、彼女の破天荒なエピソードを交えて記載されていた。
エミリィの直感が、クレアならば封鎖を突破してでも廃校を目指すだろうと告げていた。
既に特務機関DIVIDEを通じて、廃校周辺の路上封鎖は終えた。不発弾発見という風説を流布させることで、道路封鎖に最もらしい信憑性も与えてある。
オカルトサークルの部員の大部分はこの処置により廃校行きを断念するだろう。だが、好奇心旺盛なオカルトサークル部長のクレアは、きっとあの手この手で封鎖の穴をつき、廃校へと向かうだろう。
この確信めいた予感がエミリィに、クレアの追跡をあらかじめ、決心させたのだった。
ユーベルコード『いともたやすく行われるえげつない増殖』とは、並行世界に存在する数多のエミリィをこの世界に一同に集める奇跡の御業である。
既にエミリィは、呼び出された数多の分身を、街中に潜ませ、クレアの動向を注意深く伺っていた。
そして、このエミリィの差配は功を奏したと言えるだろう。
じりじりとイヤホンが絶え間なく震えている。イヤホン越しには、柔らかな声が流れていた。陽気さを湛えた声は、エミリィ自身の声音とぴったりと合致している。それが召喚した、かじできないさんズのものであることは明らかだ。
「…ターゲット、北道から封鎖を超えて廃校に向かってます」
「わかりましたー。そうしたら私がクレアさんに直接会って、言って聞かせるとしますかね」
自らの分身と阿吽の呼吸でやり取りを終えると、エミリィは、岩場から立ち上がった。青のロングパンツに付着した土汚れを掌で払い、シックな濃紺のジャケットを整える。
既にエミリィは変装用の警官服に身を包んでいた。クレアを職務質問して上手く煙に巻き、自宅へと返す。そのために、エミリィがあしらえた一着である。
エミリィは、廃校を背にして、歩き出す。かじきないさんズの誘導に従って、北道を突き進む、クレアのもとへと急行するのだった。
蒼い針葉樹が群生する原生林を超えて、小高い丘を三つほど巡り、か細い街道を進んで行けば、遠景に人の姿が浮かんで見えた。道路封鎖によりがらんどうとなった田舎道を、一人の少女が、肩で風を切りながら歩いて来る。エミリィと少女の距離がますます近づいた。エミリィの柔らかな翡翠の瞳と、少女の藍玉の瞳とが対峙した。少女の輪郭がますます明瞭と浮き彫りなっていく。
エミリィがたおやかに二歩、三歩と歩を刻んだ。対面の少女も、やや歩調を落としながらも歩を進める。少女の紅玉の長髪が、澄んだ空のもとを優雅に揺曳する。黒のベリーショートのホットパンツから伸びたすらりとした右足が、軽やかに大地を踏みしめるのが見えた。一瞬、目の前の少女の美貌が、わずかにひきつった様に見えた。
エミリーは更に四歩、五歩と進み、六歩目を踏み出したところで、足を止める。既に少女、クレア・ラヴィンスはエミリーと目と鼻の先にある。エミリーはさっそく口火を切った。
「少し、お姉さんの職務質問に答えて頂けないでしょうか?」
丁重な口調でエミリィが尋ねれば、クレアがエミリィから顔を背けるのが見えた。そんなクレアの挙止など歯牙にもかけず、追い打ちをかける様に、エミリィは言葉を紡ぐ。
「まずはお名前を教えていただきますね?」
更に一歩と距離を詰めれば、クレアの視線が虚空を泳ぐ。薄桃色の弾力のある唇が、バツが悪そうに収斂していた。
「ク…クレアよ。クレア・ラヴィンス」
クレアは唇を尖らせながらにべもなく答えると、口を噤む。エミリィは相槌を打ちながら、小首をかしげてクレアを覗き込んだ。
「クレアさんですね?見たところ学生の様ですけれど、この辺りだとS学園の生徒さんでしょうか」
目じりに微笑を湛えながらエミリィは言った。やわらかで和やかなエミリィの言葉を受け、しかし、クレアは両肩を小さく震わせた。
「…べ、別に――、どこの高校でもいいでしょ…」
語気を弱めながら、クレアが言う。エミリィは頭を左右に振った。
「それが大問題なんです。クレアさんが、S学園の出身という事なら、今は使われなくなって久しい、丘の上の廃校へと向かっているのでは無いですか?だとしたら大、大、大問題なんです。廃校へと至る道々で先のロンドン市攻防戦における不発弾が発見されたのですから」
エミリィは柔和に眼を細めてクレアに目合図する。勝気なクレアの紺碧の瞳に動揺の色が浮かぶのがはっきりと窺われた。エミリィは続ける。
「クレアさん、あなたが何を目的に旧校舎に向かうのかは存じませんけど、日を改めてみては如何でしょうか? 短慮な行動は控えるよう、一、公僕を代表して伝えさせていただきます」
エミリィは、平素の安穏とした仮面を脱ぎ捨て、迫真の緊迫感を楚々とした面差しに滲ませる。そんなエミリィに威圧されてか、クレアが口ごもるのが見えた。それもそうだろう、エミリィの言葉は全てが正鵠を得ていた。クレアに反論の余地はない。クレアは、俯くと、どこかしどろもどろと言った様子で、視線を彷徨わせる。
エミリィは止めとばかりに、クレアを詰問する。
「ふふふ、火遊びばかりしていると、取り返しのつかない大火事を引き起こしてしまいますからね。年長者の助言よく覚えておいてくださいね?クレアさん、今、引き返せば、今回は大目にみます。親御さんに連絡とったりまでは私もしたくは無いので」
グリモア猟兵より手渡された資料によれば、クレアの母は市中病院に勤務する医師であり、父はDIVIDE直轄英国軍第一軍に所属する厳格な軍人であるという。一体、そんな両親からどうしてクレアの様な奔放な娘が誕生したのかは露として伺い知れなかったが、両親という言葉がクレアに与えた影響は思いの他、大きかった様だ。
クレアは、黒のローファーで砂利道を乱暴に踏み荒らしながら、地団太を踏んでいた。彼女は唇を尖らせたまま、エミリィから背を向けると、背中越しに声を荒げる。
「…わかりました。分かりましたよ、おまわりさん! 今日は諦めます」
「それが良いかと思いますよ」
微笑しながらエミリィは即座に首肯する。クレアは、無音のままに一歩、二歩と軽やかに大地を踏みしめながら、遠間へ遠ざかっていく。ただエミリィは黙ってクレアの動向を伺っていた。
クレアが、肩にかけたミニバックからスマートフォンを取り出すのが見えた。彼女は、歩きざまにスマートフォンを器用に操りながら、ますます歩速を速め、郊外を直進していくのだった。
――歩きスマホは危険ですよ。
との、喉まで出かかった言葉を辛うじて抑えつつ、エミリィは去り往くクレアの背中をしばらく眺めていた。
「思えば、一般生徒が相手なら殺界形成で無理やり全員追い払うのが一番手っ取り速かったですね」
既にクレアは林道のあたりまで差し掛かっていた。エミリィはひとりごちながらも、クレアが林道の中へと消えていくのを目で追っていた。
「まぁ、いいでしょう――」
とはいえ、オカルトサークルの部員の中で一番厄介な相手を、エミリィは、無事に帰宅の途上につかせることに成功した。これは大金星と言えるだろう。これにて、エミリィの役目は半ば程度、達成されたのだ。
クレアの姿が、完全に視界から消え去ったのを確認して、エミリィは踵を返す。
目的は、半ばは完遂した。しかし、残り半分は、未だ未解決なままに燻っている。エミリィが翡翠の瞳を細めれば、遠景の緑の中、寂れた廃校がぽつんと立つのが見えた。
全ての元凶はそこにあるのだ。春風の様な柔らかな笑みを口元に湛えながら、エミリィは根本的な事件解決のために、廃校へと向かい、歩を踏み出すのだった。
大成功
🔵🔵🔵
暗都・魎夜
◎
【心情】
国が変わっても、世界が変わっても、人間って言うのは変わらないな
俺だって、こうやっていられるのは師匠やら、学園作った理事長やら、いろんな人が頑張ってくれたおかげだ
今度は俺がそれをやる番ってことだよな
【行動】
カエシアって子の友達ってことは同じ中学生位か?
日本から来た観光客に「変装」して、道に迷った「演技」をする
「コミュ力」を発揮し、会話で時間稼ぎを行い、現場から遠く離れた場所へと誘導する
銀誓館名物、変装の術ってな
ゴースト事件の対処は、秘密にすること多かったし、この手の演技が出来て、能力者は一人前なのさ
俺はお礼を言って別れた後、バイクで一気に現場へ直行
悪く思うなよ
その優しさには感謝してるぜ
簡素な白のワイシャツの上に、革のジャケットをアウターとして羽織る。青みがかったスキニージーンズで両足をぎゅっと締め付け、頭の上に黒の帽子をかぶる。右手で旅行者用の大型のキャリーケースの取手をがっしりと握りしめ、ずるずると石畳の上を引きずりながら、いかにも手持ち無沙汰と言った様子で市内をぶらつけば、英国には不慣れな日本人観光客がそこに完成する。道ゆく人にアジア訛りの、たどたどしい英語で話しかけ、その度に頭を深々と下げて会釈する。
誰の目にも、暗都・魎夜(全てを壊し全てを繋ぐ・f35256)は、ただの日本人旅行客と映っただろう。それほどに魎夜の変装術は洗練されたものであった。
変装術は、魎夜にとっての十八番といえた。銀雨降る世界にて、ゴースト事件の対処は、秘密裏に行われることが大半であり、度重なるゴーストらとの戦いを経るうちに、自然、魎夜は変装術の妙諦というものを肌感覚で会得したのだった。昔取った杵柄を遺憾なく発揮しつつ、魎夜はオカルトサークルのメンバーの一人である、オスカー・キッシンジャーなる青年と接触するため、人々の雑踏に沸く市街を闊歩する。
グリモア猟兵から手渡された資料の内容は、魎夜の頭の中で網羅済みだ。カエシアを除いたオカルトサークルのメンバーは、部長のクレア、クレアに淡い恋心を抱く書紀のユリン青年、副部長のリーアンに、熱血漢のボニー、百合の花の様な銀髪が特徴のキャナルに、黒椿ともあだ名される、心根優しい美少年のオスカーの計六名からなる。
彼らの風貌体裁は勿論だが、資料に記載されていた彼らの特徴まで、資料の内容の全てが洩れなく魎夜の中で思い浮かばれた。
雑踏の中、土地勘のない異邦人を装いながら魎夜はオスカー青年を探す。
通りの両脇に連なる高層ビル群に見守られながら、魎夜は精緻に舗装された大通りを進んでいく。
日は未だ空高くあり、鮮やかに白光しながら、朗らかな春の陽射しを地上へと斜に注いでいた。陽光を浴びた、ガラス張りのビル群が、磨き上げられた鏡面に淡い光の縞模様を湛えている。陽光と、ビル群から照り付ける反射光とは、互いに混淆し、眩いばかりの銀白の輝きでもって、道行く人々を照らし出していた。
国が変わり、世界が変わっても、人の本質というものは変わることは無いのだと、しみじみと実感する。
魎夜は、人波をかき分けながらも、無数の人々でひしめきあうロンドン市街の景観を前に、過去へと思いを馳せていた。
魎夜には、師という精神的支柱とも言うべき存在があった。銀誓館学園を創立した理事長の存在があり、多くの大人たちが陰ながら、かつての魎夜を支えていた。
子供は無限の可能性を持つ。事実、魎夜は文字通り、無限の力をその身に秘めていた。
だが、少年らの持つ厖大な力は方向性を誤れば、時に大きな悲劇を引き起こす可能性もはらんでいた。ゆえに大人たちは子供の成長に指針を与えなければならない。魎夜が今日の様に健全に長じる事が出来たのは、一重に彼を支える大人達の存在があってからこそだった。
幾星霜を経て、魎夜は分別や常識を身に着け、人として円熟した。年齢も三十路に到達した今、今度は魎夜が子供らを支える番だ。
白光する市街の中、噂の黒椿、オスカー少年はたちどころに発見された。
艶のある黒髪を肩の長さで切りそろえたオスカー青年は、色素の薄い白雪の面差しをわずかに上気させながら、人波に揉まれ、通りを進んでいた。彼が歩を進めるびに、幼げな相貌とは不釣り合いな、筋肉質な長躯がゆらりゆらりと揺れていた。オスカー青年は、時折、足を止めては大荷物を持つ老人の手をひき、彼ら彼女らの荷物持ちを買って出ていた。また、泣きじゃくる子供がいればすぐに駆け寄り、子供達をあやす。自然、オスカー青年の足取りは緩慢となり、結局、彼は一区画ほども進めずに通りをゆったりと進んでいる。今も青年は、路上で調子を崩した老婆により添い、街角の小広場にて看護につとめていた。
おそらく、心根の優しい青年なのだろう。ただでさえ魎夜は、子供が戦いに巻き込まれ、犠牲者となることを嫌悪する。オスカー青年の様な気持ちの良い青年ならなおさらのことだ。
幸い、老婆は大事無いようで、今、オスカー青年と和やかになにやら話し込んでいる様だった。となれば、魎夜としては、今すぐにでもこの青年を廃校から遠ざけたい。
そんな思いを胸中に抱えながら、魎夜は、青年のもとまで駆け寄ると、口元を綻ばせ、鷹揚とした笑みを浮かべる。
「お取込み中、すまないね。日本から来たものなんだけど…道に迷っちまってな。少し話を聞いて貰えないかい?」
魎夜がそう言えば、オスカー青年の柔和な瞳が、魎夜を捉えた。上瞼に刻まれた柔らかな一本の曲線が青年が穏やかに眼を細めるに従い、濃くなっていく。
「もちろんですよ、どうしましたか?」
オスカー青年が言った。うっとりする様な二重瞼のもと、オスカー青年の形の良い蒼い瞳が、恍惚とした色彩を帯びていく。魎夜は持ち前の、気さくな笑みをその端正な面立ちに浮かべながらも、わずかに眉根を寄せ、思案顔で青年に尋ねる。
「日本から来たばかりで、どの道も同じに見えちまうんだ。お兄さん、悪いんだが…議事堂の場所を教えて貰えないかい?」
魎夜が言えば、打てば響く様にオスカー青年が答えた。
「えぇ、勿論、存じていますとも。おばあさんも、具合は問題無いようですし、よろしければ案内しますよ?」
魎夜は白い歯を零しながら、青年の言葉に首を縦に振る。
「助かるよ、兄さん」
あえてたどたどしいアジア訛りの英語で答え、魎夜はさっそくオスカー青年と共に市街へと繰り出すのだった。
人波に揉まれながら、魎夜はオスカー青年と共に議事堂へとゆったりとした歩調で進んで行く。魎夜は、やや不明瞭な英語を話しながらも、会話内容には、けれんみや諧謔を利かせてオスカー青年の興味を一身に集める事が出来る様に努めた。魎夜特有の気さくさを前面に出しながら、身振り手振りを交えながら、巧みな話術でオスカー青年を会話に引き込む。
そんな魎夜を前にして、オスカー青年は、時間を忘れて、魎夜との雑談に没入している様だった。彼は夢見る様な青い瞳を絶えず瞠目させながら、熱心に魎夜の言葉に聞き入っていた。
同時に魎夜は、会話しながらも、時に巧みに歩幅を落とし、時にあえて群衆の雑踏に巻き込まれて、議事堂への到着を遅滞させるのだった。
オスカー青年と言えば、終始、魎夜の話を嬉しそうに頷き、興味深く相槌を打つばかりで、時間を忘れて魎夜との会話に熱中している様だった。
日は中天から西空へと僅かに傾き、時刻は十四時をわずかに回る。通りを往く群衆の数は目減りし、大渋滞の車道の混雑も緩和されつつある。
魎夜とオスカー青年は、牛歩ながらも、ようやくのことで大理石で象られた、壮麗たる大議事堂の前に到着する。市街中央部の西端に位置するこの場所から郊外の廃校へと徒歩で向かうとなれば、早くても二刻弱の時間を要するだろう。おおよそ、四時間ほどの時間だ。
現在の交通事情から鑑みるに、バイクで郊外に向かえば凡そ数十分で廃校に到着が可能なはずだ。廃校到着後、返す刃でデウスエクラを討伐する事が出来れば、仮にオスカー青年が今から廃校へと向かったとて、彼の到着前に
未然に脅威を取り除くことが出来るはずだ。
「兄さん、案内ありがとうな」
魎夜は議事堂を一瞥すると、オスカー青年に視線を遣り、にっこりと微笑んだ。
右手をオスカー青年へと差し出して、青年の瞳を正面に見据える。オスカー青年が快活と微笑むのが見えた。青年の右の掌がするりと伸びて、魎夜の右手をぎゅっと握りしめる。
「こちらこそです。興味深いお話を色々とお聞きできて、感無量です。どうかイギリス旅行を楽しんでいってくださいね」
青年はそう言うと、深々と魎夜に一礼して、人込みの中へと溶け込んでいった。
「悪く思うなよ、兄ちゃん。あんたを守るためだ」
去り往く背中にぼそりと呟きながら、魎夜は指を鳴らす。魎夜の挙措に呼応する様に、キャリーケースは、一台の二輪車へと姿を変える。バイクにまたがり、グリップを捻れば、激しい駆動音がたなびいた。両手を最大限まで捻り、エンジンを吹かせれば、魎夜を乗せた二輪車は、朦々と黒煙を立ち上らせながら、物凄い勢いで車道を駆け抜けていく。
「その優しさには感謝してるぜ。また何時か会おうな」
目まぐるしく変化する視界のもと、まばらになった人ごみの中に、魎夜は確かにオスカー青年の姿を見た。バイクが通りを疾駆するに従い、見る間にオスカー青年の姿は遠ざかり、市街の中の小さな一点となっていったが、オスカー青年の穏やかな眼差しは未だ自らに背に注がれている様な気がした。
数分ほどで魎夜を乗せたバイクは、市街は超えて、郊外へと至る。はるか遠望に廃校の姿がぼんやりと浮かんだ時、魎夜の新たなる戦いは再び、幕を開けたのだった。
大成功
🔵🔵🔵
ハル・エーヴィヒカイト
アドリブ連携○
▼心情
友人同士集まって肝試し……いや、七不思議の真相解明が目的だったか?
なんにせよ本来なら微笑ましいことだが今回はあきらめてもらうしかないだろう
出来る限り|護衛対象《リスク》は減らしておきたいからね
▼説得
カエシアの友人の一人を説得か
さて、そういった技能を持っているわけではないので丁寧に話すしかないが
少なくともこの世界では猟兵、ケルベロスを隠す理由がない
ケルベロスの身分を明かした上で、七不思議の正体はデウスエクスであり危険であること、これからケルベロス・猟兵で状況の解決にあたることを伝えて帰ってもらうように説得しよう
それでも説得を聞き入れられない場合は仕方ない
UCを発動し、弱者では逃げ出さざるを得ない状況を作ろう
その後は廃校へと向かい、UCによる人払いを実行
廃校内を捜索するための道標にもなるかもしれないしね
店の四方に備え付けられた四角窓より、日差しが零れている。昼下がりの黄金の微光は、活況に沸くカフェテリアの木造の足場を優雅に揺曳し、光の水面を一面に広げていた。心地よい微風が開け放たれた窓より、店内へと吹き込み、柔らかな銀糸の感触で肌を撫でている。
広々とした店内には、四人掛けの円卓が随所に設置され、席を囲んで客達は、熱心に歓談に耽っている様だった。
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣聖・f40781)もまた、カフェテリアの一隅の席に腰かけて、紅茶を片手にキャナル女子に説得に当たっていた。
白いレース模様のテーブルクロスが、風にそよがれゆらゆらと揺れていた。まるで白波の様に揺蕩うテーブル掛けをぼんやりと眺めながら、ハルは卓上のティーカップに人差し指をかけて、口元まで運ぶ。
薔薇の風雅な芳香を彷彿とさせる甘やかなる花の香りが鼻腔を突き抜けていく。舌先に紅茶を含めば、薔薇ジャムのどこか気品あふれる甘味が広がっていった。内心で舌鼓を打ちながら、ハルは目前の少女へと再び視線を移すのだった。
四人掛けのテーブルにて、キャナル・アマルフィは丸椅子にゆったりと腰を沈めながらハルと対座する様な恰好で控えていた。キャナルは、肘掛けの上に両肘をつき、絡め両手の上に頬杖をつきながら、一心不乱にハルのことを見つめていた。
キャナルの、波模様を描く鮮やかな銀髪の横髪のもと、尖った耳介が外側へと、ピンと突き出しているのが見える。病的に白い頬はほの赤く染まり、形の良い銀色の瞳が宝玉の様に輝いて見えた。
ハルもまた、キャナルの瞳を直視する。そうして、何故、自分がキャナルと共に喫茶店にあるのかと自問自答すれば、不思議と数時間前の出来事が脳裏をかすめた。
遡る事数時間前、ハルは通りの一角で、オカルトサークルの一員であるキャナルの事を発見した。偶然にも目標を発見したハルは、僥倖とばかりにキャナルへと話しかけた。
ハルは折衝の妙を心得ていたり、人心掌握術に特段長けているわけでは無い。自分の特性を十分に心得ていたハルは、キャナルに自らの素性を正直に明かし、七不思議の裏にはデウスエクスが絡んでいる旨を真摯に説いた。
七不思議の解明という、少年少女ならではの微笑ましい冒険譚に水を差す事は、ハルには気がひける一時であったが、事がデウスエクスの介入したものともなれば話しは別だ。犠牲者は出したくない。そして、出来る限り護衛対象リスクは減らしておきたい。そんな思いもあり、ハルは、七不思議の真相について、キャナルに包み隠すこと無く全てを話したのだった。
街角で突然出会った男が、あれやこれやと話すのだ。多少の警戒心は抱かれるだろうと危惧したハルであったが
、ハルの懸念は杞憂に終わる。
ケルベロスである事、更には同族のシャドウエルフであることが作用したのか、キャナルは終始、真剣にハルの話を傾聴しながら、熱心に頷くばかりであった。そうして説明を全て聞き終えるや、キャナルは、喫茶店でのティータイムを条件に廃校行きを断念することをハルに約束するのだった。
喫茶店に入店するや、キャナルは、店の名物である薔薇ジャムのロシアンティーと、英国風スコーンを二人分、いかにも手慣れた挙止で店員に注文し、年季の入った折り畳み式の携帯電話を開いた。
彼女は直ちにオカルトサークルの友人達へと連絡を済ませると、にっこりとハルに微笑みかけた。
キャナルが言うには、オカルトサークルのメンバーの大半は既に廃校行きを断念したらしく、キャナルもすんなりと欠席が取れたと言うのだった。キャナルの仕草は軽やかであり、磊落としたものであった。
しかし、ハルに報告を済ませるや、まるで話す話題がつきてしまったかのようで、以降のキャナルは、どこかしどろもどろといった様子で、ハルと携帯電話の間で視線を慌ただしく行き来させながら、口を噤むばかりであった。
彼女は紅茶を嗜み、スコーンに軽く口をつけてはを繰り返すだけで、なにかを話そうとするたびに言い淀み、意を決して何かを言葉にしよとするたびに小さく肩を落としては、視線を力なく虚空に泳がせるばかりであった。
結果、キャナルは、なんらハルと会話することないままに、スコーンを半ばほどまで食べ終え、紅茶を空にした
。今も、彼女の歯形がついたスコーンは銀皿の上に置かれ、空になったティーカップがどこか寂しげに卓の端に寄せられていた。
無言のままにハルのことをまじまじと凝視しながらキャナルが口をぱくぱくとさせる。そんな状態がかれこれ十分ほど続いているのだ。
ハルは口数が多い方では無く、どちらかというと寡黙な性質である。恋人と時を過ごす時でさえ、会話せずに時間の経過を愉しむという事もままある。しかし、熱視線を注がれる傍らで、沈黙を続けられるというのは、どこか、もどかしいものがある。故にハルは、少女に先駆けて口火を切る。
「友人同士集まって肝試し……いや、七不思議の真相解明が目的だったかな? 事情が事情とは言え、途中で計画を頓挫させてしまい申し訳なかった」
ハルは掌でティーカップを転がしながら、そう言った。舌の上に余韻として残る薔薇の高貴な香りを楽しみながら、ハルはティーカップを卓上に置く。すかさず、キャナルが目の前で手を、慌ただしげに左右に振るのが見えた。
「気…気にしないでくださいっ! べ…べつに私達のオカルトサークルってそれほど熱心な部活では無いですし。き、今日はカエシアの彼氏自慢に乗っかる形で、部長のクレアさんが強引に廃校の探索を決めただけでしたからっ」
声を裏返しながら口早にキャナルが返答した。彼女は、慌てふためいた様子でそう言うと、残ったスコーンを再び口に運び、咀嚼する。半分ほど残っていたスコーンは瞬く間に銀皿の上から消え、キャナルの小さな口の中へと飲み込まれていった。大きく頬を膨らませながら、スコーンを嚥下すると、キャナルは息を荒げながら、店員にロシアンティーを再注文する。
再び、ハルが言う。
「とはいえ、君たちの青春の1ページを飾るであろう、大切なひと時の邪魔をしてしまったのは事実だからね。せめて、ケルベロスとして事件解決に全力で当たらせて貰うよ」
ハルは、はにかんだ様に微笑する。瞬間、キャナルが激しく小首を左右に振った。口をぱくぱくと開閉させながらキャナルが反駁する。
「本当に、気にしないでください! む、、むしろ…。私はハルさんの様な現役のケルベロスさんとお話出来る方が嬉しいくらいなんです...!」
キャナルはそう言うと、俯きがちに視線を落とした。ついで、ぼそりと口を開く。キャナルの弱々しい声が、まるで銀の鈴を鳴らすような響きを伴いながら、室内に広がっていく。
「私――、見ての通り、シャドウエルフなんです。でも、ケルベロスの力とか特殊な力なんて無くて…。だから、ハルさんの様な同族で、強い力を持った人のお話を伺えるだけで嬉しいん…です。あの…、聞いてみたいんです、ハルさんのお話を。…だめです?」
キャナルは視線を泳がせたまま、蠱惑げに膨らんだ唇を半開きにした。
「私の話を聞きたい…のかい?」
キャナルの言葉に、たまらずハルは眼を瞬かせた。半ば仰天しながらキャナルに問えば、ようやくキャナルは視線を卓上からあげ、上目づかいに、どこか面映ゆげにハルを覗き込む。
ハルは一瞬言葉を詰まらせた。はたして何を話すべきか、ハルには咄嗟に思い浮かぶ事が出来なかったのだ。目の前では、キャナルが熱視線をハルに注いでいるのが分かる。年頃の少女が喜ぶだろう話題を絶え間なく展開し続け、会話を弾ませ続ける自信は勿論ハルには無い。
本来ならば不得意な分野を今、ハルは任されている。自然、ハルの口元より、嘆息まじりの吐息が零れた。周囲を伺えば、高校生くらいの男女と思しきカップルが、屈託なく歓談する様が窺えた。なんの変哲もない日々の出来事で、面白可笑しく盛り上がれる彼らの器用さがどこか羨ましくハルには感じられた。
しかし、無いものを求めて仕方があるまい。
店客らを一瞥し、再び、キャナルへと視線を戻す。キャナルのピンと張りだした尖った耳が、いかにも興味津々といった様子で、小刻みに収斂するのが見えた。ハルは、ぽつりと口を開く。
「…。そうだな。あまり面白い話にはならないかもしれないが、君も私もシャドウエルフだ。となれば、集落の話や私がケルベロスとして戦う事になった理由を少し話させて貰おうかな」
ハルが口元に微笑を湛えれば、キャナルは喜々とした様子で相槌を打つ。
過去を追憶しながら、ハルは姉であるユキの事を、彼が育った集落での日々の事を、更にはケルベロスとして戦う過去から現在にかけての事を滔々と語ってゆく。話の内容を誇張するでもなく、大仰な演出を交えるでもなくハルは淡々と自分の身の上話を続けた。自分でも、面白みに欠ける冗長な話だとの自覚はあった。
しかし、反面、キャナルはと言えば、時に目を輝かせ、時に目じりに水晶の飛沫を湛えては、終始、押し黙って、ハルの話に真剣に耳を傾け続けていた。
「…こんなところかな? 少し退屈だったかもしれないが、最後まで聞いてくれてありがとう。こんな話しか出来なかったが、少しは満足して貰えただろうか?」
全てを包み隠さずに話終えたところで、ハルは笑みを深めた。キャナルが、目じりの端に浮かんだ涙の雫を拭うのが見えた。
「退屈なんて…そんな事全然ありません。ハルさんのお話を聞いて、やっぱりあらためてケルベロスってすごいなって実感できましたもの。私がオカルトサークルに在籍しているのだって、たぶん、ケルベロスの力を持っているカエシアに嫉妬と憧れを抱いているから。でもお話聞いて、やっぱり、私達一般人とケルベロスの方じゃ、生きている世界も、人生経験の深さも全然違うなって再認識することが出来ました。大満足です、ハルさん」
キャナルが視線を落とすのが見えた。諦観の色を湛えたキャナルの瞳が悲しげに揺れ動いている。ハルは即座に反論する。
「いや、好評を頂けたのにこんな事を言うのは興ざめかもしれないが、正直、力の有無や大小が我々の生や人生の深みを規定するのではないよ、キャナルさん。たしかに私は力に覚醒した。だが、この膨大な力を行使することが出来ようとも、出来ないことは数多存在する。力が無くても見識のある人物や、深い含蓄を身に着けた人間は多くいるのも事実さ。万事は力だけで解決するわけでは無い。いや、むしろ力だけで物事が規定されるなんて事は本来ならばあってはならないものだと私は思う。それに、力が無いゆえに邁進し、それが人としての魅力を増すということだってこの世の中には沢山あるんだ」
キャナルの銀色の瞳が不思議そうに見開かれた。ハルは、声音を抑えつつ、穏やかな口調で持論を展開していく。
「たしかに、私達は現在、デウスエクスと生存戦争を繰り広げている。デウスエクスから人を守るためには、力は欠かせない要素だろう。しかし、力のみによって平和が担保された例は稀なんだ」
ハルは、ゆったりとした口調で、しかし流れる様に言葉を紡いでいく。記憶の中には一人の少女の姿があった。異世界『ケルベロスブレイド』にて、常にハルの傍らにあった少女だ。赤門をくぐり、一応の史学の徒となった彼女は、絶えず大量の本を抱えては、ハルの隣で日夜、勉学に耽っていた。勉強や食事の合間、彼女が時折、口にする歴史観がどれほどに正しいものか、ハルにははっきりと分からなかった。しかし彼女の言葉を一言一句たがえること無く諳んじる事が出来る程度には、ハルは彼女の言説を好んでいた。
「いわゆる武断政治によって人心を掌握しようとした国家の多くは、短期政権に終わる例が多い。また、仮に生き永らえたとしても、他国との競争に遅れて没落するのが常だった」
ハルの目前、キャナルが首を縦にふるのが見えた。注がれるキャナルの真剣な眼差しを合図に、ハルは言葉を続けた。
「キャナルさん、君に私がどう見えているかはわからない。私は、確かに力を持っているのも事実だ。だが、この力だけでは解決できないものは数多、この世界に存在するんだ。私は、二人で食べた美味しいスコーンを作ることも出来なければ、ましてや、こんな硬い話ばかりをしてしまう位には不器用な男だ。ケルベロスの力があったって出来ない事は沢山だ。それに人としての魅力という意味でも、完全というわけでは無いんだよ」
ハルは口を僅かに開き、白い歯を光らせた。くすりとキャナルが、微笑むのが見えた。
「優しいのですね、ハルさんは?」
「そんな事は無いさ。だが、不器用さが私をそう取り繕ってくれるのなら、この短所も私の武器になるのかもしれないね。キャナルさん、欠点も強みと見れば、力や強さなんてものは曖昧なものになってくるだろう。そこにばかり価値を置くべきではないんだ」
片目を瞬かせて、冗談交じりに言い放てば、キャナルの微笑はますます深くなる。ハルもまた、キャナルに目礼し、ひじ掛けに手をついた。
「さて、それではこの辺りで私は失礼させて貰おう――。私は私の仕事に移らせて貰うよ?私はこの力で。君はまた君のやり方で…、今を生きていこうじゃないか?」
言いながら、ハルは席を立つと食べかけのスコーンを頬張り、店員を呼ぶ。そうして懐から取り出した10ポンド紙幣三枚を店員へと渡すと、ハルはキャナルへと別れを済ませ、喫茶店を辞するのだった。
店の外へと出た時、うだるような陽ざしがハルに照り付けた。古ぼけた寺院の石壁に取り付けられた大時計を伺えば、時計の針は十五時を示していた。既に大通りは、人もまばらで、いかにも閑散とした様子で、静まり返っている。
ハルは郊外へと足早に向かう。
奇跡の力ユーベルコードの一つ『閃花の境界』を顕現させれば、光の道標が郊外の廃校へと向かい、七本に分かれて突き進んでいくのが見えた。
おそらく、5本は仲間の猟兵達へと続いているのだろう。一本は、廃校に巣くうデウスエクスのもとへと続くものであり、最後の一本が噂のメンターゆきむらや、カエシアのもとに続いてるのだろう。
ハルは、白光する歩道の上へと足を踏み下ろした。奔騰していく力が、ハルに戦いの予兆を感じさせていた。
大成功
🔵🔵🔵
第2章 冒険
『崩壊が早すぎる』
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POW : 降りかかる瓦礫を跳ね除けて脱出する
SPD : 崩れ落ちる地形を駆け抜けて脱出する
WIZ : 最も安全な経路を導き出して脱出する
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種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
●閑話:ともだち?―繋いだ掌―
ふつうの女の子、いや普通の人間という定義はあまりにも抽象的に過ぎるとカエシアは思う。
普通という単語は、そう言わば、カエシアの前に薄っすらと広がる暗闇の様な、輪郭の無い、曖昧模糊としたものだとカエシアは以前より感じていた。一見、凡庸に見える人間もそれぞれが独創性を秘めている。だから、ふつうという曖昧な定義をカエシアは使いたく無かった。
だが、カエシアは世間一般で言われる、ふつうの女の子に憧憬を抱いていたのも事実である。
カエシアはケルベロスとしての力を有している。物心ついたころから、カエシアの中に蠢きこの力がカエシアは嫌いで仕方がなかった。
宇内を見渡せば、力を持つものの姿は嫌というほど、目に付いた。ケルベロスの力に限らず、力を持つ者は多くの場合で、公権力と結びつき、社会を混乱させる。時に暴力で、時に言葉で、彼らは弱者を排他した。弱者は弱者で、多くの場合、力ある者におもねる。弱者が振り上げた弾圧の拳は、権力者のそれより、はるかに容赦の無いもので、より弱い弱者へと向けられる。
社会というものが存在する限り、強者と弱者は常に生み出され、自己顕示と保守のために他者を傷つけていくのだろうか。
カエシアには力がある。だが、正直、世に跋扈する権力者の様に力を使いたくは無かった。だからといって弱者に身を貶め、他者に石を投げる事もしたく無かった。
かつて一度だけカエシアは、理不尽に対してケルベロスの力を正義という名目のために奮った事があったが、結局、いたずらに人を傷つけただけで、結局カエシアに向けられたへつらいや追従、恐怖混じりの視線だけだった。
金輪際、力など使わないと決めた矢先にカエシアはゆきむらと出会った。
陰気に佇む、黒ずんだ視界をぼやけた黄色の光芒が切り裂いていく。
カエシアが左方へと視線をやれば、ライト片手に校舎を進む、ゆきむらの姿が浮かんで見えた。光の余韻が、ゆきむらの堀の深い、整った面差しをうすぼんやりと照らしている。
薄闇の中に突き出た形の良い鼻頭を前に、カエシアは、突如、廃校探索に加われなくなったオカルトサークルの友人達にメンターゆきむらを紹介出来ない事を改めて歯がゆく思う。
メンターゆきむらは、変わったおとなだった。カエシアが見てきた社会の汚れと一線を画した、本当の意味で強いひとだった。
豊かな見識や、一般的な社会常識を備えながらもメンターの感性は瑞々しかった。少し捻くれたところはあるが、それは一重にゆきむらが大衆というものに付和雷同を嫌った故の証左でもあるとカエシアは些細な言動から感じとっていた。
いつも適切に状況を判断して、場を納める力に長けていた。目鼻立ちも整っており、体つきも程よく筋肉質で美麗だった。
頭の回転も早く、事実、カエシアが事務所の机から発見したゆきむらの履歴書によれば、彼は日本の最難関大の工学部出身という経歴を持つ。学歴がそのまま知性を現すわけでは無いが、優秀さを裏付ける一要素であることは間違いないだろう。
容姿端麗で、理知に長けている。そして、芯の部分で強者に妥協しない力を持っているのがメンターゆきむらだった。
カエシアは、ゆきむらが、もともとは自分をDIVIDEに勧誘するために派遣された特派員である事を知っていた。
だが、メンターゆきむらは、理由は判然としないがカエシアの勧誘を峻拒し、今はカエシアを誘い、探偵業を営む事を決めた。
探偵業といってもゆきむらが担当するのは、分限者からの犬探しの依頼や、教会の炊き出しの手伝い、市から要請された公園の手伝いなど、社会という大きな枠の中から見れば、とるに足りない些事ばかりだった。
だが、世界の片隅で生きながらも、ゆきむらの言動や挙止はカエシアを、そして依頼者に笑顔の花を咲かせたのだ。
カエシアにとって、メンターゆきむらと過ごす日々は輝きに満ちていた。
ゆきむらの隣にいると、胸が少しだけ疼いた。気づけば口元が綻んでいた。前屈み気味だった背はピンと伸び、以前ならば尻込みしてしまう様な洋服も、メンターの前でなら抵抗なく着られる様になった。
オカルトサークルの面々と知己を得て、そして、ただ辛いだけだったケルベロスの力とも向き合う事が出来る様になった。
メンターゆきむらは、ケルベロスの力を持たない自らの事を何故か恥じている様だった。メンターはなぜか、カエシアに自分がケルベロスだと嘯き、今は一時的に能力を失っているとまで言った。
メンターゆきむらは確かにケルベロスの力は持たない。だが、それに代わる多くの魅力を有したひとだ。なぜ、メンターがそんな些細な事を憂慮し、あまつさえ、虚言まで弄するのかカエシアには理解できなかった。
ゆきむらは、太陽の様な陽気な輝きと月明かりの理知の光でカエシアを照ら出した。力では無く、叡智の輝きでカエシアを啓蒙したのだ。
それだけで、カエシアは…。
「メンター…。この先、いるかもしれません。七不思議、空飛ぶ怪魚の気配を感じます」
手を差し出せば、メンターの大きな掌が、カエシアの小さな掌を握りしめた。繋いだ手のひらから、メンターの温もりが伝わってくる様だった。
この温もりがカエシアにとっての、唯一の心のよりどころであった。隣ではメンターが表情を引き締めるのが見えた。
この時間がいつまでも続けばよい。そう思いながらカエシアはユキムラと共に廃校の奥へと歩を進めていくのだった。
●本題
猟兵達が廃校に足を踏み入れた瞬間、玄関口が固く口を閉ざす。
薄暗い廃校の中、いよいよ猟兵達は敵デウスエクスが間近に迫るのを感じる。
校舎の中には、無数のデウスエクスの気配が蠢動していた。にも拘わらず、目前に広がるのは闇である。恐らく時空が歪んでいるのだろうか。校舎内は、無数に枝分かれして奥間へと続いている様だった。
奥へと進む度に、道は枝分かれしていく。猟兵はそれぞれが、音楽室に、図書室に、そしてプール跡へと進んで行く。恐らく、猟兵が進んだ場所にはなにか仕掛けがあるのだろう。その仕掛けを解くことで猟兵達はデウスエクスの根城へと到着することが出来るのだろう。一同は、各部屋の仕掛けを解くために各部屋へと急行するのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第二章では各教室へと猟兵の皆さんには赴いて貰います。それぞれが、探索する教室を冒頭に記載して、探索に関するプレイングを記載してください。各教室では不可思議な現象が起こっています。おそらくデウスエクスが関係していると思われるそれら怪奇現象を推理し、その攻略法を書くことでプレイングボーナスとします。
・図書室:夜な夜な、動き出す書棚が怪奇現象として知られています
・音楽室:ひとりでになりだすピアノが怪奇現象として知られています
・プール:本来なら使われなくなったプール跡に突如、翡翠色の液体が満タンまで張られることがあり、それが怪奇現象としてしられます。
・職員室:教頭席に浮かぶ謎の白い影が怪奇現象として知られています
・食堂:生徒を食べる謎の怪魚の存在が怪奇現象として知られています。
・生徒会室:生徒会室で突如、鳴り響く金切り声が怪奇現象として知られています
・生物室:ひとりでに動き出す人体模型や魚の標本が怪奇現象として知られています
エミリィ・ジゼル
アドリブ〇
音楽室
さて、ノリと勢いで音楽室にやってきましたが、ここの怪奇現象は『ひとりでになりだすピアノ』でしたっけ。
となると、どう考えてもピアノが怪しいですよね。早速、UCを使って確かめてみましょう。
使用するUCは【とじこめるメイドの術】。これでピアノが吸い込めるかを確認します。
抵抗なく吸い込めれば、ピアノには問題がないということ。
それ以外の原因を探します。
抵抗して吸い込めないなら、ピアノが推定デウスエクスです。
迷わずシャークチェーンソーでぶった斬ります。
正体がなんであれ、敵対するデウスエクスはぶっ潰す。
それがわたくしの、ケルベロスとしての矜持です。
薄靄のように立ち込める暗闇の中、エミリィ・ジゼル(かじできないさん・f01678)は、老朽化した木造の足場を一歩また一歩と軽やかに踏みしめていく。長廊下のもと、天井に吊るされた乏しい白色灯に照らし出されるようにして、板敷の足場が、奥へ奥へと続いているのが見える。歩を刻む度に、足元の床板は軋みをあげ、悲鳴にも似た重苦しい音を響かせた。歩を刻む度に、覚束ない視界のもと、長廊下の両脇からは白壁が迫り、目前の視界を圧迫する。ふと左右を見やれば、石壁の壁面には、まるで不気味な血跡の様になってしみ出した黒ずみが遥か彼方まで点々と続いているのが見えた。
周囲には窓などは無く、光射しこまぬ校舎内では、暗闇は黒墨の帷帳となって視界を覆い尽くし、一寸先を闇で閉ざしていた。それでも尚、エミリィの翡翠の瞳は、動揺することなく安閑とした光を湛えながら、柔らかな視線でもって闇夜を裂き、廊下の遥か先で口を閉ざした音楽室をはっきりと見据えていた。エミリィには恐怖は無かった。
現在、エミリィは、七不思議のひとつである、ひとりでになりだすピアノの正体を確かめるべく、直感と勢いで音楽室へと向かっていた。
一つ、エミリィには確信している事がある。それは事件の背後には、デウスエクスが関係しているという事だ。
廃校は、まるで幽霊の類に支配されたかの様に不気味な静寂と、得も言われぬ怪奇に満ちていたが、端々からデウスエクスの気配が感じられている。ことデウスエクスが絡むのなら、エミリィのケルベロスとしての卓越した技能が敵を薙ぎ払い、謎を解明するだろう。七不思議の謎を解くカギは、敵対するデウスエクスを完膚なきまでに駆逐する事にある。つまり、、いつもの仕事の延長上にある。
デウスエクスを潰す――、それがエミリィにとってのケルベロスとしての矜持である。敵がデウスエクスと思えば、なんら恐怖など抱くはずもない。
エミリィは足取り軽く、廊下の奥まで一気に進むと、角を左に折れる。
天井から吊り下げられた白色灯が、暗闇の中に淡い光の縞模様を描き出している。目前の薄闇の中を凝視すれば、光に照らし出されるようにして、固く口を閉ざした朽ちかけの木造扉が視界に飛び込んで来た。視線を上方へとずらせば、扉の上部には音楽室との標識が付されていた。
直ちに、音楽室の扉をあけ放ち、教室内へと足を踏みこんだ。瞬間、妙に底冷えする冷気がエミリィを貫いた。音楽教室の天井に設置された蛍光灯が青白く明滅しながら、黒く澱んだ室内をうすぼんやりと照らし出している。エミリィは室内をぐるりと見渡す。
四方の壁面を飾る、古い音楽家達の肖像画は埃をかぶり、照り付けるブルーライトに、きらきらと輝いていた。一歩を踏み出せば、床に敷かれたつぎはぎだらけの唐草模様の絨毯より、黄褐色の粉塵が濛々と立ち上がっていく。部屋奥には、使われなくなって久しい楽器類が、棚の中に雑多に詰め込まれている。カビの生えたカーテンが部屋奥で半開きになっており、開かれたカーテンのもと、黄ばんだ楽譜が山の様に堆積しているのが窺われた。
この音楽室には過去の残骸が残っているだけだった。
そんな音楽室の中、一つ、奇異な存在があるとすれば、それはやはり、部屋中央に堂々と鎮座する一台のグランドピアノの存在だろう。
エミリィは、ふぅむと小さく吐息をつきながら、部屋中央へと視線を固定する。
一台の大型の黒のグランドピアノが、表面に黒い光沢を滲ませながら、部屋中央に堂々と居座っているのが見える。鍵盤が、天井からの白色光を浴びて、ダイヤモンドの白さで輝いていた。グランドピアノには経年劣化した跡は見受けられず、新品同様の状態で、寂れた音楽室の中、昔日のままに原形を保っている。
「どう考えても、このピアノは怪しいですね。あからさますぎる気もしますが、まぁ調べ無い手はありませんね」
エミリィは菫色の唇を僅かに綻ばせながら、一人呟いた。同時に右手を振り上げると、ユーベルコード『とじこめるメイドの術』を発現させる。
体の中を激流となって荒ぶる奇跡の力に形を与えれば、エミリィの指先にテニスボール大の黒い球体が生み出される。球体は、表面より黒い帯を周囲へとたなびかせながら、周囲に立ち込めた暗闇よりも尚深い黒色を湛えつつ、エミリィの指先に留まっている。
『とじこめるメイドの術』とはブラックホールを生み出す、エミリィ独自のユーベルコードである。ブラックホールに触れた万物はエミリィが創造した亜空間へと吸い込まれ、刑期を終わらせるまで抑留されるという一風変わった、しかし非常に強力なユーベルコードだった。
エミリィの繊細な指先が、暗闇の中を銀色の光芒で一閃する。やわらかな指先に押し出されるようにして、小球体はエミリィの指先を離れ、空を優美に遊泳すると、グランドピアノへと差し掛かる。小球体がグランドピアノの表面を黒絹の指先でそっと撫でた。鏡面の様に怜悧に磨きあげられたグランドピアノの表面に黒点が滲んだ様に見えた。周囲は未だ森閑と静まり返っている。
しかし、穏やかに見えたグランドピアノと小球体の邂逅は、互いがこすれあったその瞬間に、一挙に変貌を遂げる。
小球体がぐにゃりと歪むのが見えた。当初、球状を保っていたブラックホールは、まるでアメーバなどの単細胞生物が他者を貪食するかのようにぐにゃりと姿を変えると、グランドピアノを扇状に包み込む。大蛇が大口を開き、なにかを飲み込む様に、ブラックホールがグランドピアノをその内部へと引きずり込む。瞬転、グランドピアノが、ガタガタとブラックホールに抗うがの如く震えだした。吸い込まんとするブラックホールと、なかんずく耐えようとするグランドピアノの角逐がエミリィの目前で繰り広げられていた。両者は互いに譲りあわず、激しい騒音を周囲へと振り撒きながら押し引きを続けていく。床が軋みを上げ、グランドピアノが歯ぎしりするような耳障りな音を上げていた。鍵盤が押しこまれ、不協和音が周囲へと轟いていく。
間違いなく黒だ――。
エミリィは、即断する。本来ならばブラックホールは、ありとあらゆる物質を容易に飲み込むはずだ。それに抵抗するという事は、グランドピアノはデウスエクスと関係あることは間違いない。
大きき息を吸い込むと同時に、エミリィはサメぐるみからシャークチェンソーを取り出した。絨毯に覆われた足場を踏み抜き、疾駆した。振り上げた両腕のもと、シャークチェンソーがけたたましく刃音を鳴らしながら、高速回転する刃を暗闇の中で狂暴そうに剥き出しにする。
躍る様に二歩目を踏み出し、足場を踏み抜くと、エミリィは、勢いそのままグランドピアノのもとへと滑り込む。エミリィが近間にて、グランドピアノを凝視すれば、鍵盤の上、なにか透明な陰影が歪に浮かびあがるのが見えた。目を細め、鍵盤の上を注視すれば、巨大な魚影を思わせる、透明な影が激しく動揺しながら、ブラックホールに吸い込まれるまいとのたうち回っているのが分かった。
エミリィは軽やかに大地を踏みしめて、勢いそのままシャークチェンソーを振り下ろす。鋭い刃は、鋭利な軌道を描きながら、魚影の尾側を一直線に襲い掛かった。激しく振動する刃先が魚影を捉えた。何かを切断する確かな手ごたえがエミリィの掌に走る。エミリィがチェンソーを振りぬけば、瞬間、銀粉が周囲に迸り、次いで、大型の魚影は尾から頭にかけて正中線で真っ二つに断裂されるのが見えた。断裂された魚影は、今際の喘鳴をあげるように、激しく身悶えしながら、一際大きく全身を進展させて、間もなく命の鼓動を止めるのだった。魚影は、銀色の光沢を魚鱗に湛えながら、怪魚の姿をとり、力なく大地に崩れ落ちていく。
瞬間、それまで、ブラックホールに激しく抵抗を続けていたグランドピアノが突如静止する。そうして大型のグランドピアノは、なんら抵抗も示さずにブラックホールの中へとずいずいと引き込まれてゆき、ついぞ、亜空間の塵芥となったのだった。
グランドピアノが小球に吸い込まれていくのを、エミリィは暫くの間、ぼんやりと眺めていた。しかし、そんなエミリィのもと、突如、遠間より、じりじりとした、重苦しく鳴り響く鐘の音色が聞かれた。音の鳴る方向へと視線を遣るべく、肩越しに後方を振り返れば、通ってきた廊下の中、突如、鬼火の様な蒼い燈火が廊下の両脇に灯されていくのが見えた。暗闇の中に点々と連なる青い焔の群れは、廊下をまっすぐに進み、渡り廊下から中庭へと瀬川のように流れていく。耳を済ませば、鐘の音は、やはり中庭より生じている事に気づく。
「鬼が出るか蛇が出るか…はたまた怪魚が現れるかは判然としませんけど――」
再び静まり返った音楽室の中、エミリィのおっとりとした、柔らかな声音が響いた。ヒールで軽く絨毯の上を踏みしめながら、エミリィは再び廊下へと舞い戻る。
「まぁ、良いでしょう。その安い挑発、乗って差し上げますよ」
エミリィは微笑しながら、青い鬼火が左右を飾る長廊下を中庭へと向かい、ひた進んで行く。
快活と軽妙さとがエミリィの本質である。しかしその性分は、デウスエクスを討伐するという信念を阻害するものでは決してなかったし、彼女の類まれなる才幹や一種独特に見える戦技を鈍麻させるものでも勿論、無かった。むしろ、エミリィの陽気さは、彼女の戦いにおいてさえ、エミリィを支える根幹となっていた。
軽やかに廊下を踏み進めながら、エミリィは中庭へと続く渡り廊下まで至った。鐘の音は、ますます勢いを強めていたが、エミリィがその柔らかな美貌に浮かべる笑みを曇らせることは決してなかった。
大成功
🔵🔵🔵
仇死原・アンナ
生物室
◎、連携〇
…校舎の中だ
だが…さながら迷宮の如く…
この中にあの二人が迷い込んでいる…ここで止まる訳には行くまいぞ…!
さぁ行くぞ…私は処刑人…!
切っ先に地獄の炎灯す霊剣を振るい、視界を確保し先へ進もう
せいぶつしつ…生物の標本がたくさんある…
……かつて生きていた物に霊魂が取り憑き動きだし人を襲うか…フフ…
私が生まれ落ちた常闇の世界で何度も見た光景だ…あの世界より簡素で呆気ないがな!!!
気配感知で人体模型や魚、動き出す標本の動きを察知して
霊剣を振るい斬り付け破魔の力で標本に憑く霊魂を浄化し除霊してやろう…!
…呆気ない…だが…吸血鬼共の忌々しい肉玩具よりはマシかな…
あんな悍ましいものに比べたら…
―――どれほどこのかわり映えの無い長廊下を進んで来ただろうか。
仇死原・アンナ(処刑人、地獄の炎の花嫁、焔の騎士・f09978)は、狭小な長廊下を進みながら、未だ歩廊が尽きる事なく暗闇の中を這う様に進み、遥か遠方まで延々と続いていくのを目の当りにして嘆息がちに内心で呟いた。
長廊下は左右と天井を石壁に囲まれた、窮屈な様相を呈しており、いくら進もうとも出口は見えないばかりか視界は閉ざされたままだった。かなりの距離を進んだはずだが、後方も前方にも闇が広がるばかりである。暗闇が、距離感は愚か時間感覚さえをも、アンナから奪っているのだ。ふぅと小さく息を吐き、アンナは左手の甲で髪をかき分けた。
ただ天井に等間隔で吊るされた白色の角灯だけが、乏しい光源となり、薄闇の中に一条の光を齎していた。この白色の燈火と共に、アンナは所持する霊剣の切っ先に灯った劫火の灯を利用して、辛うじて視界を確保しているのが現状である。
まるで迷宮に迷い込んだかの様な錯覚さえ覚える。本来ならば、入念な調査のもとに探索を行いたいというのがアンナの率直な思いであった。だが、この校舎にはカエシアとゆきむらの二人が迷い込んでいる。カエシアはケルベロスと言えども未だ幼く、ゆきむらに至ってはいくら元DIVIDE所属の軍人とは言え、一般人の域を出ない。二人のためにも、ここで足を止めるわけにはいかなかった。
アンナは、一歩、一歩と着実に、しかし足早に歩を刻みつつ、長廊下を進んで行く。優美な曲線を描くアンナの美脚が床を踏みしめる度に、板床が不気味に動揺する。歯ぎしりするような不快な重低音が絶えず足元から鳴り響いていた。額に滲んだ汗が、頬から首筋を伝い、そうして床板に滴り落ちていた。どこからともなく吹く風が、汗の雫が流れ落ちた頬を、粗野な感触でもって撫でながら過ぎ去っていた。
ざらついた風に違和感を感じ、アンナは咄嗟に後方を伺った。アンナを掠め後方へと吹きぬけて行った微風は、道の半ばほどまで走る抜けていったところで急激に左方向へとなびくと、石壁を這う様によじ登りながら、暗闇の中へと掻き消えていく。
風が消え去ると同時に、石壁の表面が歪に弯曲するのが見えた。壁面は、苦悶げに表情を歪める人の顔貌へと姿を変じると笑い声とも泣き声ともつかぬ奇声をあげ、不協和音で長廊下を激しく振動させた。
不快な叫び声に、アンナは僅かに表情を曇らせる。両手で耳を覆い、眉をひそめながらも、石壁を睨み据え、雑音をやり過ごす。しばしの後、石壁に浮かび上がった男は、音量を落としていく。ついで、音が鳴りやんだかと思えば壁面に浮かび上がった男の顔貌から目と鼻が削げ落ち、口が潰れてゆく。わずかな嗚咽が閉ざされた男の口元から零れ、すぐに消えた。静まり返った長廊下のもと、絶叫の余韻は、数度ほど石壁に空疎に響き渡った後、音も無く暗闇の中へと溶け込んでいくのだった。再び、不気味な静けさが長廊下に満ち満ちた時、石壁の正中には大きな亀裂が一筋走るのが見えた。ついで、正中線を挟んで左右より、石の取手が浮き彫りになって現れる。アンナが目を凝らせば、現れた石扉の壁面に、髑髏の紋様と共に生物室との文字が薄っすらと滲みだすのが見えた。
まったくもって悪辣な趣向だ。
そして、同時に仕掛け人は趣向を仕掛ける相手を間違えたとも言えるだろう。処刑人であるアンナに対してこの様な挑発を行うとはあまりにも浅慮に過ぎる。
自然とアンナの口元に微笑が零れていた。平素の安穏とした微笑の中、処刑執行人であるアンナの冷笑が僅かに滲みだしていた。
――安っぽい挑発だが乗ってやろう。
アンナは石の取手に掌を添える。石のざらりとした冷たい感触が手の中に広がっていくのが分かった。
「…私は処刑人――。さぁ、いくぞ?」
誰に言うでもなく、アンナは呟いた。両指に力を籠めれば、石扉は板敷と擦れ合いながら重々しい音をあげ、閉ざされた口を開くのだった。
アンナの視界に最初に飛び込んで来たのは、生物室奥のガラス張りの戸棚であった。ガラス製のビーカーを始め、バーナーなど実験器具が所狭しと散見された。
ついで左右に首を遣れば、教室内の左右の壁に貼りつく様に標本棚が並んでいる事に気づく。昆虫や、水生生物、爬虫類から、果ては小型の動物まで、多種多様な生物が死して尚、生前の余韻をもの言わぬその肉体に残しながら、部屋の四方でそっと息を殺し、アンナを鋭い視線で射貫いているのが分かった。
霊剣を前方に掲げて、アンナは生物室内をすり足で進んで行く。
暗闇の中、赤黒く目を光らせる小動物の標本がそこかしこに散見される。既に生気のない瞳は、しかし、獰猛な色を湛えながら生者であるアンナを嫉妬深げに嘱目している様に感じられた。
更に半歩ほど進み、左右を交互に伺えば、右手の壁にアゲハ蝶やイナゴといった昆虫や節足動物の陳列された標本棚が並んでいた。左手には暗闇に半身を潜ませた人体模型が不気味に立ちはだかっている。暗闇の中、人を模した人ならざる者は、虚ろな瞳を剥き出しにし、微動だにすることなく、アンナを直視していた。羨望と弑逆との感情の言わぬ漆黒の瞳のもとに歪に浮かび上がっているのが分かる。
屍と化した母より生まれ出で、処刑執行人として生を受けて来たアンナに彼らは、憧れるというのだろうか。自然、注がれる視線が、安穏としたアンナの仮面をそぎ落とし、処刑人としての素顔を露わにする。
アンナが部屋奥へと進む度に左右の標本の瞳が赤黒く濁ってゆくのが分かった。それまで、微動だにしなかった亡骸たちが、一斉に振動を始めるのが見えた。
「……かつて生きていた物に霊魂が取り憑き動きだし人を襲うか…フフ…」
アンナの口元から嘲笑とも微笑ともつかぬ笑いが零れた。アンナの優艶たる声音が闇の中へとかき消えていく中で、突如、周囲に蠢く怪異たちがアンナ目掛けて一斉に牙を剥く。
イナゴの群れが、節足を歪にばたつかせながら、一塊の黒雲となってアンナ目掛けて飛来する。右手からは赤い目をぎらつかせた数多の動物の標本が元来持つはずの無い、鋭い犬歯をぎらつかせながら、アンナへと向かい突進する。人体模型は、ガタガタと手足を震わせながら、耳をつんざくような悲鳴をあげつつ、アンナを襲来する。
三方から一斉に迫る怪異に、アンナは冷笑で答える。
「私が生まれ落ちた常闇の世界で何度も見た光景だ…あの世界より簡素で呆気ないがな!!!」
まずアンナは、飛来するイナゴを始めとした昆虫の群れに狙いを済ませた。刻々と自らに迫る昆虫の群れの飛翔経路はあまりにも単純にすぎる。容易にいなせると即座に判断する。決断するやアンナの行動は俊敏であった。
喉元をかみ昆虫の群れが、アンナへと猛然と迫る。黒い巨大な影がまさにアンナと交錯せんとしたその瞬間、アンナは側方へと僅かに身をよじる。瞬間、赤黒い物体がアンナの側方すれすれを駆け抜けて行くのが見えた。
身を翻しながら、アンナは側方すれすれを駆け抜けていくイナゴの大群目掛け、手にした霊剣を振り下ろす。破魔の力を帯びた刀身が、黒雲となったイナゴや昆虫らの群れに触れた瞬間、黒雲は霧散し、無数の昆虫の標本が地上へと力なく舞い落ちていくのが見えた。
アンナは再び、剣を構える。
右方から迫る小動物の群れを一刀のもとに薙ぎ払い、返す刃で左方より強襲する人体模型を逆袈裟切りに切り裂いた。一刀一刀は、標本を精確を襲い、彼らの霊魂を空へと解き放っていく。白刃が揺らめいた後、無数の小動物は地面の上に倒れ伏し、人体模型は、糸の切れた操り人形の様に前のめりに地面へと転倒した。
乾いた転倒音が周囲に響いている。全ての標本の鎮魂を終えた今、アンナの矛先が向かう先はただ一つである。
「命を弄ぶのは――お前か」
アンナの声が怒気を孕む。憤懣まじりのアンナの視線は、暗闇の中で透明な尾びれを揺曳させながら、鷹揚と宙を揺蕩う一体の魚影のもとへと注がれていた。暗闇の中、怪魚の銀色の鱗が鮮烈な光を湛えながら、ぎらぎらと輝いていた。巨大な怪魚の赤黒い瞳が、愉悦げにアンナを見つめている。
まったくもって癪に障る――。
意趣返しとでも言わんばかりに、アンナもまた怪魚を睨み据える。
今、全身で高騰していく奇跡の力は、アンナの双眸に集積し、殺気まじりの視線と共に怪魚を貫いている。アンナは今、殺気のみで怪魚を威圧していたのでは無い。見に宿した奇跡の力でもって怪魚を圧倒しているのだ。
アンナ固有のユーベルコード『恐怖与える殺意の瞳』は、射貫いたものを数分間の間、アンナの虜とする。アンナの両の眼より顕現された奇跡の力は、今、怪魚を呪詛の様に苛んでいた。酷逆な色を帯びた、怪魚の暗赤色の瞳が、見る見る間に余裕無げに動揺するの見えた。
「邪魔するなよ…殺すぞ……」
ぴくりと怪魚が静止するのが見えた。まるで静止画の様に凍りついた怪魚のもとへと、アンナは一息の間に迫ると、手にした霊剣を怪魚目掛けて勢いよく振り下ろす。
霊剣は風を切りながら怪魚に触れるや、、深々と怪魚の魚鱗を断ち、その肉体を切り裂いた。一瞬の間に怪魚は絶命し、霧散していく。
「…呆気ない…だが…吸血鬼共の忌々しい肉玩具よりはマシかな…」
霊剣を鞘に納め、アンナは生物室から踵を返すと小さく呟いた。
あんなおぞましいモノと比べたら、まるで児戯に等しい――。だが、しかし、処刑人として、命を弄ぶものをアンナは許すつもりは無い。
遠間より、鐘の音が重苦しげに響くのが聞こえる。ふと長廊下へと目を遣れば、狭小だった長廊下の道幅は開け、左右の石壁には青白い焔がくすぶっているのが見えた。青い焔が指し示す先に、全ての元凶が存在するのだろう。アンナはそう直感する。
「私は…私は、処刑人…だ」
目を細めて、アンナは闇の中の一点を凝視する。冷酷なる処刑人の仮面をかぶったアンナは、命を弄ぶもの共を決して許さない。今、断罪の刃が振り上げられた。
大成功
🔵🔵🔵
龍之宮・翡翠
◎
(扉が閉まると同時に空間も閉じられた事を察しつつ)建物ごと既に巣にしているということか
厄介だが先ずは七不思議のカラクリとやらの対処だな
(そう思いながら足を向けた先は、プール)
確か七不思議に絡むのは亡霊魚だったな
プールに液体を満たすということは、自分が棲み易い環境にでもしようとしているのか?
いや、常時満たされる訳では無いということは、休む為に簡易的にそうしているのか?
どちらにせよ、決定打になる情報が少なすぎる気がする
敵の気配を索敵と第六感を駆使しながら辿って、気配が一番強い場所を探ることにする
そうして見つけ出した地点を重点的に調査をして、鍵になる情報を探し出す
禍根は速やかに絶ち斬らなければ
校舎内へと足を踏みこんだ瞬間、龍之宮・翡翠(未だ門に至らぬ龍・f40964)を包み込んだのは質量感のある濃密な暗闇だった。後方で、重々しげに口を閉ざした石扉のもと、昼下がりの景観は消え去り、かわって校舎内は暗澹とした宵闇の中へと沈んでいく。
夜目を利かせるべく、鮮やかな色彩を放つ翡翠の瞳孔は穏やかに散瞳してゆき、ぼやけた視界の焦点を定めていく。再び、翡翠の前に現れたのは、不気味なまでの静寂が支配する、無機質な石壁に四方を囲まれた物寂しい空間であった。
空気が一変したことを翡翠は鋭敏に感じ取っていた。微風がざらざらとした肌触りで不快に頬を撫でているのが分かる。俯きがちに視線を落とせれば、暗闇の中、板床に絡みつく蔦が不気味に蠢くのが見えた。視線をあげ、周囲を見渡せば、暗闇の中、前面と左右の壁の中央に空洞が穿たれ、そこを通して小路が遠方の暗闇の中へと伸びているのが分かった。
翡翠が外観から一望した時、廃校はそれなりの大きさの敷地を有しながら丘の上に佇んでいるのが窺われた。だが、実際に翡翠が校舎内に足を踏み入れ、その内観を目の当りにした時、内部に広がる空間は、予想を超える広大さでもって翡翠に迫ってきたのだった。
ひとりでにしまった玄関口や、翡翠を貫く殺気まじりの空気、昼下がりの陽光の一条さえも降り注がぬ暗澹とした校内、迷宮の様に入り組んだ広大な校舎内と、既に廃校内は空間レベルでデウスエクスによって改築されている可能性が考えられる。既に翡翠は敵の腹の中にいるということだろう。自然、翡翠の中で警戒心が高まった。
翡翠は、剣の柄に手を添えると、形の良い青緑色の瞳を正面を向け、闇の中を注視する。現在、唯一の光源といえば、天井でほの白く輝く白色灯のか細い燈火だけである。乏しい光を頼りに翡翠は、視線を前後左右に動かし、子細に玄関口を伺った。ふと、正面の壁に、廃校内の地図が括り付けられていることに気づく。
ゆったりと歩を進めながら、正面壁の前に立ち、校内の見取り図を仰げば、変色したA4用紙の紙面に校内の構造が詳細に記載されているのが分かった。見取り図の中、翡翠が目的地と定めたプール跡は、赤丸で囲まれている。血のにじみ出した様な赤丸は、図書室、音楽室、職員室、食堂、さらには生徒会室と生物室をもまた、同様に囲っている。地図の内容にどの程度信頼が置けるかは今一つ判然としなかったが、しかし、今はこの地図をおいて他に道標となるものは存在しえ無い。
翡翠は地図の内容を迅速に脳裏に刻み込むと、脳裏に浮かぶ校舎内の見取り図に従い、さっそく歩み出すのだった。
辻を左方に折れて、しばらく道なりに薄暗い小径を進んで行く。天井からの白色光が板敷の足場に光の斑点を落としながらうすぼんやりと周囲を照らし出していた。反射光が、廊下の両脇に連なる石壁の黒ずんだ染みを妙にはっきりと浮かび上がらせていた。左右から迫る石壁の壁面は所々が欠損していたり、変色しており、長年手入れされずにいることが、そのみすぼらしい様相からなんとはなしに伺われた。劣化した壁面に浮かび上がる、血痕の様な黒ずみは、廊下の切れ間まで続いている様だった。
廊下には少なくともデウスエクスの気配は感じれない。だが反面で、研ぎ澄まされた翡翠の第六感は、長廊下の果て、黒ずみの終着点より、殺気の様なものをはっきりと感じ取っていた。玄関口の地図によれば、長廊下の先は中庭に続いているとのことであり、翡翠が目指したプール跡は、まさに中庭に所在しているはずだった。
――確か七不思議に絡むのは亡霊魚だったな。
翡翠は内心で、七不思議について思いを巡らせる。亡霊魚と、ひとりでに満ちていくプールの間にはなにかしらの因果関係があるのでは無いかと翡翠は見る。勿論、手に入っている情報はあまりにも断片的に過ぎ、現状から何かしらの結論を導き出すにはやや決めてに欠ける気がした。だが、翡翠にはプール跡が亡霊魚達と深く関係しているであろうという、確信めいた直感があった。
決戦都市での戦いは、常に命の取り合いの連続だった。命と命のやりとりの場において状況は常に不透明であり、戦う者は霧の中に揺蕩う戦場の中で、限られた時間と情報から常に最善手を取ることが求められた。翡翠は絶え間ない戦いの中で、常に取捨選択を迫られてきた。細部までを仔細に観察し、見事に最適解を選び続けることで翡翠は勝利を重ねてきたのだ。翡翠には戦場勘の様なものが培われているとの自負がある。その勘が、プール跡から違和感のようなものを感じとっていたのだ。
翡翠は歩みを速めていく。歩を刻む度に左右から迫る石壁は徐々に間隔を広げ、視界が開けていく。そうして遂に長廊下が尽きた先、翡翠は中庭へと足を踏みいれるのだった。
中庭は四方を校舎壁に囲まれるようにして出来た、正方形の開けた広場だった。四方の校舎から続く円蓋屋根が、陽光を遮えるようにして天井を覆っている。天窓の様なものは無く、遮られた陽射しのもと、暗闇の中で水の枯れたプール跡が中庭の真ん中に窪地の様に広がっているのが見えた。プール跡は中庭の敷地の大部分におよび、大理石で敷石された狭小な石の足場が、円形にプール跡を囲んでいる。
翡翠は、プールの縁を歩きながら、プール底を一瞥する。敵の存在は目視出来なかったが、なにか嫌な感覚が水の枯れたプールの底より感じられた。ついで、翡翠は、そのままプールの縁にそって外周を歩き出す。視線を忙しなく動かし、ますます意識を研ぎ澄ませれば、更に殺気の様なものが鋭い刃となり翡翠を苛んだ。数歩ほど歩を進めたところで、翡翠は募っていく違和感に足を止め、じっとプール槽を伺った。
構造上の明らかな欠落がまず第一に翡翠の目を惹いた。プールには蛇口などの水を引き入れる様な装置は存在しないにも関わらず、何故か排水溝だけが存在していたのだ。ついで、翡翠が奇妙に感じたのは、プール槽の壁面の異様なまでの清潔さにあった。プール槽周辺の石の足場は所々が風化し、敷石には欠損が目立っていた。対してプール槽は白色の光を湛えながら、妙に鮮やかに輝いてみえた。
更に翡翠が奇異に感じたのは鼻腔を刺激する、異臭にあった。プール底からわずかに漂う、湿気まじりのすえた匂いが、不快感を伴いながら翡翠に鼻腔に充満していた。
なにかがおかしい事に翡翠は気づく。
現在プール跡には、水一滴満たされておらず、時折水面となって現れるという未知の液体の存在は見受けられなかった。
翡翠は直感的に、謎の液体が七不思議と深く結びついているのだと推察していた。
プールに液体を満たすということで、亡霊魚たちは、自らにとって棲み易い環境をそこに生み出すのではないのだろうか。常に液体で満たされる訳では無いということは、デウスエクスらがプール跡に簡易的な休憩場所を作っているということなのだろうか。
歩きながらプール槽を観察するたびに様々な疑問が翡翠の脳裏をかすめた。そのたびに翡翠は一人、問答を続けながらちょうど、歩道を半周ほど周回し終えた。
…既に廃校内は亡霊魚達によって改築されているはずだ。仮に謎の液体が、亡霊魚を利するものであるのならば、なぜ、プール跡を常に液体で満たさないのか。出来ない理由があるのか、それともまた別の理由があるのか。では、果たして謎の液体とはなんなのだろうか。
翡翠は、脳裏で思考を突き詰めていく。明晰な翡翠の頭脳のもと、断片となったパズルの1ピース、1ピースが繋ぎ合わされていく。鋭敏な第六感は、肌を刺す殺気の出所を具に突き止めていた。
「いや、待てよ…」
翡翠は、一人呟くと、排水溝へと鋭い視線を遣った。
果たして、謎の液体とは本当に亡霊魚を利するものだなのだろうかとそう思った時、全ての謎が氷解した様な気がした。
もしやすれば…。
翡翠の視線の先、排水溝周辺で空気が陽炎の様に歪むのが見えた。更に翡翠が目を凝らせば、空気と同化する様に、透明な魚影が排水溝に蓋をするような格好で蠢動しているのが窺えた。この事件を引き起こしたであろう亡霊魚に間違いない。
では何故、敵は空のプールの中、排水溝に蓋をしているのだろうか。
疑問を抽出し、解答を導き出すべく思考を重ねる。瞬く間に、翡翠の中で真実が浮かび上がった。
「そういう事か――」
緑青色の瞳を瞠目させながら、翡翠は勢いよく石の足場を蹴りぬいた。目標目掛けて、舞うようにしてプール跡へと飛び込んだ。飛翔ざまに、鞘を払い、剣を振り上げる。勢いそのまま、着地と同時に、その手にした剣を排水溝に蓋をする透明な魚影へと振り下ろす。
鋭い一筋の剣戟は、鋭い銀閃となって魚影を一刀のもとに両断した。
掌を返し翡翠が鞘へと剣を納めれば、魚影は切断面にて左右へと滑る様にして離れていき、完全に左右に切断された状態で、乾いた落下音とともにプール底に横たわるのだった。既にグラビティの払底した怪魚の残骸は、暗闇の中へと靄の霧散していく。
怪魚という支えを失った排水溝より、必然、艶のある緑玉の液体が噴出する。エメラルドグリーンの液体は見る間にその水嵩を増してゆきながら、翡翠の踝まで水位をあげていく。翡翠は、プールサイドへと即座に舞い戻ると再び湖面へと視線を落とす。
原理は分からないが、満ちていく緑玉の水面には、天井を覆う円蓋屋根では無く、朽ち果てた体育館の光景が浮かび上がっていた。同時に、なんとも奇怪な事だが、水底より、海嘯にも似た、重苦しい鐘の音が鳴り響くのが聞こえた。
おそらく、このエメラルドグリーンの液体は、水底に浮かぶ体育館と此方とを繋ぐための通り口の様なものなのだろうと翡翠は推測する。そして、何か条件を満たすことで彼我は一つに繋がるのだろう。
ますます水位を上げている水面を凝視しながら、翡翠は再び考えを巡らせる。そうして、再び解決のために動き出すのだった。
大成功
🔵🔵🔵
月隠・新月
◎
連携〇
探索:プール
廃校内に一般人もいるようですが……ケルベロスが一緒なら、ひとまずは大丈夫ですかね。
敵に待ち伏せなどされないよう、【霧重無貌】で気配を消して動きましょう。
ここは……プールですかね。泳ぎの練習をする場所でしたか。
プールに唐突に張られる翡翠色の液体……成程、怪現象ですね。
まずは液体を調べましょう。朧の魔力で覆ったオルトロスチェインを液体に近づけ、生命力を奪えないか確かめましょう。奪えれば、この液体そのものが敵ということです。
奪えなければ、この怪現象を起こした輩がどこかにいるということ。液体のにおい等の気配を探って、大元のデウスエクスを見つけ出したいですね(【嗅覚】【気配感知】)
銀白色の瞳が闇夜の中で静かに揺蕩っていた。漆黒で塗りたくられた廃校内で、ぽつりと浮かんだ銀の宝玉は艶やかな光沢を闇の中に滲ませながら、眩耀の輝きで暗がりを照らし出している。
漆黒の体毛が覆う肢体は闇の中の一部と化していた。力強い意思の光を湛えた銀色の双眸だけが暗闇の中を颯爽と走り抜けていく。
月隠・新月(獣の盟約・f41111)は、螺旋の忍術を身につけた若きオルトロスである。今、新月は暗がりに閉ざされた廃校内へと身を潜ませていた。新月の周囲には淀んだ空気が重苦しく蔓延り、どこからともなく流れて来た暗闇が視界を閉ざしている。視界を照らし出す唯一の光源は、天井より吊り下げられた淡い灯火の輝きだけであり、狭苦しい廃校内の歩廊は大部分が闇の中で輪郭を曖昧にぼやけさせている。
一般に闇とは人間にとっては恐怖の象徴であった。だが、こと新月においては、闇はなにも不利益をもたらすだけの存在ではない。むしろ新月が使役する奇跡の技ユーベルコードを筆頭に、螺旋忍者の術技は、暗闇の中においてこそ真価を発揮するのだった。
ユーベルコード『霧重無貌』とは、まさに暗闇の中の隠密行動を容易くする秘技と言えた。
この奇跡の技は、朧の魔力と呼ばれる一枚の帳を生み出し、新月の全身を包み込むことで、新月を外部から完全に遮断する。朧の魔力の本質とは、つまりは、匂いと視覚情報の隠ぺいにある。帳は、新月とその武装をゆるやかな一枚の薄膜で包みこみ、新月を暗闇に溶け込ませた。現状、校舎内のいかなる者も新月を視認することは出来ないだろう。
校舎内からは数多のデウスエクスの気配が漂っていた。姿こそ見えないものの、石壁の奥や、床下、更に天井裏、ひいては大気の中にまでデウスエクスの濃厚な気配のが充溢していた。
新月の直感は、暗闇に包まれた廃校に何か違和感の様なものを感じとっていた。明言化する事は出来なかったが、今、新月達が探索を進めている廃校はまやかしとは言わないものの、虚妄に満ちている様に新月には感じられたのだ。
同時に七不思議の秘密を解明し、それを解決することでのみ、自らの疑問は解消されるのだろうとも新月は直感する。
新月は、急ぎ足で廃校の中を駆け進んでいく。開かれた瞳孔のもと、新月の鋭い視線は闇を切り裂き、長廊下の細部までをはっきりと新月の網膜に投影していた。新月の障害となる様なものはそこには存在しなかった。
長廊下を瞬く間に走り抜け、中庭へと躍り出る。中庭の石床を踏みしめた瞬間、新月の視界に、中庭中央に大きく広がる、エメラルドグリーンの水面を湛えたプール槽が飛び込んでくる。歩調を緩めて、新月が周囲を伺えば、中庭はちょうど、校舎の中央に巡らされている様な恰好で、東西南北四つの校舎から渡り廊下を通じて各校舎と連結されているのが分かった。各校舎の天井屋根が円蓋屋根として中庭まで続き、まるで僧帽の様になって上空に蓋をしているのが見えた。陽射し一つ射しこまない中庭の中、プールに張られた緑玉の水面が、一際、鮮やかに光輝いている。
ふと新月が水面から視線を中庭内へと彷徨わせれば、一人の青年の姿が見て取れた。
青年の青緑色の瞳は、水面に映るエメラルドグリーンよりもなお鮮やかな微光を湛えながら、小さく細められている。恐らく青年もまた猟兵の一人だろう。既に新月に先駆けて、このプール跡の仕掛けの解明に着手したのだろうことが窺われた。
新月は、漆黒の帳の中に身を隠したまま、目礼がちに青年へと会釈する。そうして、一人、青年への挨拶を済ませると、さっそく七不思議を解き明かすために行動を開始するのだった。
やはり新月が最初に怪しんだのは、水面を満たした緑色の液体だった。
新月が水面へと視線を落とせば、鏡面の様に研ぎ澄まされた淡い薄緑の水面には、古ぼけた体育館の姿が映し出されている事に気づく。四方の木の壁の大部分が崩れ落ちており、天井壁も穴だらけの老朽化した木造体育館が水面に揺蕩っている。すでに運動器材はほとんどが撤去され、存在するものと言えば、体育館の四隅に設置された錆だらけのバスケットゴールと、体育館正面の門柱にくくりつけられた大型の木時計くらいであった。
耳を澄ませば、水底より響く、厳かな鐘の音色が新月の耳朶に触れた。
新月は、流れるような挙止で水面へとオルトロスチェーンを近づける。朧の魔力で覆ったオルトロスチェインは、対象物の生命力を奪う。仮に、緑色の液体がデウスエクスであるのならば、オルトロスチェーンの作用により、液面は即座に蒸発するだろう。
新月の手甲より伸びた鉄鎖が、液面に触れる。緑色の液面が揺れ、波紋が一条、二条と刻まれていく。
だが、それでお終いだった。水面にはその後、明らかな変化が生じる事無く、水の波紋は水面の上で、優雅に寄せては返しを続けながらも徐々に勢いを弱めていくだけだった。
ふぅと新月は小さくため息をつく。水面には問題は無い。となれば、別のところに、七不思議を操る者が存在するのだろう。
新月は、決意を新たに周囲を見渡した。
勿論、敵影はおろか、長廊下で感じたデウスエクスの殺気の様なものさえも、中庭からは感じられなかった。いまだ訝しげに緑色の水面を睨み据える青年を除き、中庭には虫の気配さえも感じられなかったのだ。
風は凪ぎ、周囲には生暖かい空気が鬱滞していた。不気味な静寂の中で、鐘の音だけが物々しげに鳴り響いている。
はたと新月はある事に気づく。鐘の音は確かに聞こえるが、果たして鐘自体はどこに存在するのかと。仰望すれど、上空ではドーム状の円屋根が口を閉ざすばかりであり、四方を一望しても、鐘らしきものは勿論見受けられなかった。
続いて新月は再び視線を水面に戻す。ふと新月は水面に映る体育館の中、巨大な石の門柱にくくりつけられた大時計に明らかな異質性を見出すのだった。
水面に映し出された体育館の中、大時計だけが、水面の揺らぎとは無縁に確固たる輪郭でもってそこに佇んでいる。耳を澄ませば、じぃん、じぃんと、大時計より鐘の音が響いている事に気づく。
―試してみない手はありませんね―
ひとりごちながら、新月はふたたびオルトロスチェーンを水面に映った大時計へと伸ばすのだった。鉄鎖は、勢いよく伸長すると水底へと潜り込み、大時計めがけて水面をかき分けていく。激しく水面が振動し、体育館の全貌が歪に揺れ動く。捩じり曲がった体育館の中で、しかし大時計だけが原形を留めていた。
鉄鎖の先端が、水上に浮かぶだけの虚像に過ぎない大時計を貫いた。瞬間、手甲ごしになにかを撃ち抜く確かな感触が新月の前脚に広がっていく。大時計は、オルトロスチェーンに穿ち抜けられ、黒い木片を周囲に飛散させながら砕け散る。ぴたりと、鐘の音が鳴りやんだ。ついで、激しく波打つ水面はピタリと静止し、古びた体育館の姿が水面に克明に映し出されていくのが見えた。
新月が、視線を後方へと向け、廃校へと続く四つの渡り廊下へと移せば、長廊下に焔が灯るのが見えた。同時に、階上の教室より、なにかの光が淡く迸るのが見えた。
校内の輝きが増すたびに、水面の体育館もよりその輪郭を鮮明としていく。
ここに来て、新月は完全に理解する。
――今、水面に浮かぶ体育館こそが元来の廃校なのだろう。
今、新月達は、偽りの空間に閉じ込められているのだ。そう考えれば、あの長廊下の謎も、殺気ばかりが充満する空間の謎も説明できる。廃校の戸口をくぐった際に、新月達はデウスエクスの迷宮の中に知らぬ間に捉われたのだった。
恐らく、七不思議とは、招かれざる来訪者を異空間に閉じ込めるための錠前の役割を担っているのだろう。それぞれの猟兵が七不思議の謎を解くことで、この偽りの世界に張られた結界は揺らぎ、現実世界との境界は消え去るのだ。
水面に浮かび上がる体育館を覗き込めば、上階で迸った閃光に続き、体育館はますますその輪郭を鮮明とし、確かな質量感を持ちながら、あたかも実物そのもの浮かび上がって見えた。
あと、一つ、二つ、偽りの廃校の七不思議の謎を解けば、この水面を通して自分達は、本来の廃校跡へと帰還することが出来るだろう。
残りの七不思議を解決するべく、新月は踵を返し、校舎の一角へと視線を向けた。ふと視界に浮かび上がった廃校内を、よく見知った猟兵達の姿が見えた。彼らを前に新月は足を止める。
あの歴戦の猟兵達ならば、問題なく、七不思議を攻略するだろう。二人の猟兵が校舎の一角へと向かうのを眺めながら、新月は、この偽りの世界を自らが脱するのは間もなくの事であろうことを一人、予感するのだった。
大成功
🔵🔵🔵
暗都・魎夜
○
食堂
【心情】
話を聞く限り、カエシアって娘の境遇は割と同情するというか、共感できるというか
俺の世界でもそうだったが、異能力を持つ人間はそれだけで、色々と苦労するもんだ
俺は師匠や銀誓館学園に救われたわけなんだが、さてさて
【行動】
見たところ、『そういう生物』を送り込んでいるっぽいな
デウスエクスのいる星にはそういうのもいるだろう
シンプルにやらせてもらうぜ!
「闇にまぎれる」「暗視」で暗がりの中を移動
「索敵」「偵察」で魚の姿を確認し、「戦闘知識」で正体を分析
UCで魚を「捕縛」する
昔はこの手の怪談話は苦手でしょうがなかったが、実際に飛び込んでみるとどうにかなるもんだ
悪い思念がまぎれていたら「除霊」
闇の中、赤い焔がゆらりと揺れる。濃い暗闇の流れる北校舎の中、焔を彷彿とさせる鳶色の瞳が、強い意思の光を湛えながら、赤光の輝きに燃えていた。吹く風に、紅蓮の短髪がたなびいている。
暗都・魎夜(全てを壊し全てを繋ぐ・f35256)は、北校舎の暗闇の中を一人、食堂目指して、疾走していた。七不思議の解決のため、魎夜が目的地として定めた場所は食堂跡であった。
玄関口の校内の見取り図によれば食堂は、廃校における北校舎の二階に位置しているという事が分かった。地図の内容を確認するや、魎夜は直ちに行動に移る。
結果、魎夜は北校舎の一階部分を瞬く間に踏破し、二階へと続く螺旋階段を上り終え、食堂へと続く長廊下をひた走り、現在へと至る。
半ば腐敗した木造天井には、等間隔で白色灯が灯されており、石壁に囲まれた窮屈な小路をうすぼんやりと照らし出していた。小路は左右に蛇行しながら闇の奥へと続いている。常人ならば、このような暗所を全力で駆けていくことなど到底不可能であったろう。だが、魎夜の両の眼は、小路の細部に至るまでを仔細に捉えていたのだった。
魎夜は多彩な技を持つ。それは、一般的な戦闘技能に始まり、変装術や索敵術、偵察術など幅広い分野に及んでいた。
魎夜は、数多くの能力者・来訪者の血を取り込んだ一族の末裔として生を受けた。そして、銀誓館学園の生活の中で、天性の才を磨き上げ、多彩な術技を身に付けだのである。生まれ持っての素質と、数多くの経験との両者の要素があったからこそ、魎夜の万能の技は成立しうるのだ。
今、魎夜は暗視の力を発現させることで、薄暗い廃校内においても尚、真昼の明るさで視覚を保っている。また、魎夜の戦闘経験が、敵の気配が数多廃校内で蠢いている事を告げていた。故に、魎夜は、技の一つを発現させ、闇に上手く身を紛らせることで無数の視線から自らの身を隠したのだ。魎夜は自らに備わった力を制御することで、多種多様な技を自在に使い分けることを可能とした。
魎夜の足取りは軽やかであり、左右の石壁の間に等間隔で巡らされた教室群は、現れたかと思えば消え、疾駆する魎夜の後方へと瞬く間に遠ざかっていった。今、魎夜は闇に完全に一体化していた。校内に張り巡らされたデウスエクスの警戒網が魎夜を捉えられていない事は明らかだった。
結果、魎夜は、デウスエクスの妨害をなんら受けないままに長廊下の端まで走りぬけた。ふと足を止めて、魎夜が前方を見やれば、つきあたりの石壁には木造の扉があしらわれており、扉の上には食堂との表札が付されていた。
食堂に生息するという、生徒を貪る謎の怪魚の存在は、七不思議として巷で噂されているという。いわゆる、幽霊の類の仕業として流布されたこの手の風説の裏柄には、デウスエクスが関与しているのだろうと魎夜は見る。
デウスエクスの本星にもいわゆる妖や妖怪の類は存在するのだろう。あえて、七不思議という舞台を成立させるために、『そういう生物』を送り込んでいるのだろうか。
魎夜は小さく苦笑まじりに口端を歪めた。
昔日の魎夜は、この手の怪談話は苦手でしょうがなかった。しかし実際に飛び込んでみるとどうにかなるものだとも思う。
――いや…冷静に状況を俯瞰できるのも一重に年をとった証左とも言えるだろうか。
端正な口元に、曖昧な笑みを浮かべながら魎夜は、目の前の木扉に手を伸ばした。木の取手を握りしめ、手を捻れば、木造扉は軋みをあげながらも、何の抵抗もなく開かれ、古ぼけた食堂跡が魎夜の視界に飛び込んで来た。
天井からつるされた大型の照明が、明滅を繰り返しながらぎらつく白色光で、古ぼけた板敷の足場をほの白く照らし出していた。老朽化に伴い、床板の所々には欠損孔が生じ、這い出した蔦が床の上に群生しているのが見えた。食堂には、朽ちかけた木造の長机が横並びに数列しかれ、長机に向かい合う様な恰好で木椅子が並んでいる。食堂の左端には、調理室と思しき空間が広がり、調理器具や食器皿の類が、使われなくなって久しい流し台の上に山積するのが見えた。視線を右端にやれば、手洗い場やトイレ跡が窺われた。
食堂には過去の残滓が物寂しげに残存しているだけだった。しかし、既に朽ち果てたとはいえ、静まり返った一室には昔日の記憶がそこかしこから散見された。
この古ぼけた食堂跡を前にして、自然、魎夜には銀誓館学園の学生時代の記憶が去来した。脳裏に浮かび上がる旧友や恩師の姿に魎夜の口元が綻んだ。魎夜の青春時代は、あの駆け抜けてきたは銀誓館学園の日々に集約されていた。魎夜には、師があり、多くの友人や教師の存在があった。彼らとの出会いと別れの先に、今の魎夜がある。
では、あのカエシアというケルベロスの少女はどうだろうか。
話を聞く限り、カエシアの境遇は自分と重なる部分が多々あった。同情とも共感ともつかぬ感情を魎夜は少女に抱いていたのである。
いかなる世界においても異能力を持つ人間はそれだけで、他者よりも多くの苦労を引き受けなければならない。おそらくカエシアは力を持つ者の宿痾とも言うべき悲劇や、それに伴う不利益を肌感覚で感じとっているのだろう。
「さてさて――」
魎夜は一人呟くと、再び、食堂内を見渡した。少女が良い師や心の支柱とも言える人物と巡り合えること祈りつつも即座に戦闘態勢を取る。
「まぁ、まずは、俺は俺の仕事をこなさせてもらうがな」
魎夜の視界の端、流しの中でなにかが蠢くのが見えた。魎夜は即座に半身をとると、拳を流し台の方へと突き出した。目を細め、流し台の付近を細心の注意でもって凝視すれば、薄暗闇の中に、透明な魚影がうすぼんやりと浮かびあがるのが見えた。
「それで隠れているつもりか?」
唇を尖らせながら、魎夜は吐き捨てる様に言い放った。同時に、魎夜は床板を蹴りぬき、流し台へと向かい、勢いよく駆け出す。
魎夜の挑発に呼応するように、流し台のもと、蒼い焔はますます光量を強めていきながら、銀色の魚影を闇夜の中に顕現させる。皮膚のそぎ落とされた、筋肉や臓器も一切持たない、椎体骨からのみなる躯となった巨大な怪魚の姿がそこにあった。頸椎部から突出した、人体の頭蓋を彷彿とさせる白骨化した顔面のもと、眼窩に灯った蒼い焔が不気味に輝いている。
暗闇の大海を揺蕩う様に、計三匹の亡霊魚は、鋭い牙を剥き出しにしては、魎夜の前でキリキリと歯ぎしりを鳴らしている。この巨大な三匹の怪魚こそが、食堂の七不思議の正体なのだろう。
鼻を鳴らしながら、更に魎夜は怪魚の群れににじり寄る。三匹の怪魚は、微動だにすることなく、まるで凍り付いた様に滞空したままだった。
更に魎夜が距離を詰める。三匹の怪魚は、既に魎夜の拳の間合いにある。魎夜は、右足を踏み出し、石床を力強く踏みしめる。腰を捻り、体幹の筋群を収縮させて力を蓄えた。
尚も怪魚は身じろぎもせずにその場に停滞していた。いや、正確を期すのなら、怪魚たちはその場に拘束されていたのだ。
『土蜘蛛禁縛陣』は、魎夜固有のユーベルコードである。おおよそ、半径百五十メートル範囲内に強靭な蜘蛛糸を張りめぐらせ、その糸により触れた者から生気を奪うという技だ。
なにも魎夜は、食堂に足踏み入れてより漫然と過去の回想に耽っていたわけでは無かった。教室内にわずかに漂うデウスエクスの気配をもとに、教室内に不可視の蜘蛛糸を忍ばせたのである。
既に食堂内は、強靭な蜘蛛糸の支配下にある。そして今、怪魚の関節や体幹骨には、蜘蛛糸が幾重にも絡みつき、彼らの行動の自由を奪っているのだ。
魎夜は大きく息をつき、緊張させた筋力を一気に開放する。右足から体幹、右腕まで至るまでの全ての筋群は一斉に進展し、鞭の様にしなりをあげながらその全ての力を、魎夜の二の腕へ、そして拳へと伝搬させた。魎夜の鋭い右拳が音も無く、怪魚に突き刺さる。
雷鳴にも似た轟音が轟いたかと思えば、怪魚の体幹がくの字に折れ曲がる。椎骨は砕け散り、白い粉塵が暗闇の中に白砂の輝きで舞い上がった。怪魚の眼窩で燃え盛る蒼い焔が突如、消失した。一体となっていた椎骨は支えを失い、ばらばらに地面に落下していく。
乾いた落下音が鳴り響く中、魎夜は二の手で右手の怪魚の頭蓋を砕き、三の手で左手の怪魚を手刀で一刀両断する。魎夜の一撃、一撃が怪魚を撃ちぬく度に、怪魚の落ち窪んだ眼窩からは焔は消え果て、虚無が拡がってゆく。眼窩から焔が尽きるや、怪魚は、もはや魚影を保つ事能わず、ばらばらの体幹骨を地面にまき散らしながら、事切れていく。
瞬く間に怪魚を討伐し終えた魎夜のもと、開け放った食堂の外で蒼い焔が浮かび上がるのが見えた。視線を長廊下へと送れば、白色灯の光源にまじり、石壁に突如出現した燭台の炎が、長廊下をほの蒼く照らし出しているのが窺われた。
「これで七不思議は解決…ってことでいいんだろうかな」
ひとりごちて、踵を返す。
長廊下の両脇を飾る蒼い燈火は、北校舎の二階部から螺旋階段を通じて一階へ続き、そのまま中庭へと続いている様だった。
「…中庭か」
ぽつりと呟きながら魎夜は、食堂を辞去すると、長廊下へと舞い戻った。自然と焔からは嫌な感じはしない。また、再び足を踏み入れた長廊下からはデウスエクスの気配が幾分も薄らいでいるのが分かる。怪魚を討伐してより、廃校内の雰囲気が一変したのだ。そして魎夜は、七不思議の最後の仕掛けは中庭にあるのだとも直感する。
魎夜は再び暗闇の中を風の様に駆けていく。
「まぁ、シンプルにやらせて貰うぜ!」
口元を綻ばせながら、魎夜は鷹揚と言い放った。颯爽と長廊下を走りぬき、螺旋階段を駆け下りれば、中庭が魎夜の目と鼻の先に迫る。廃校での最後の戦いを前に、新たに決意を固めながら、魎夜は力強く床板を蹴りぬくのだった――。
大成功
🔵🔵🔵
ハル・エーヴィヒカイト
◎
連携○
▼心情
サークルメンバーの合流は防げたようだ
しかしあと一人、戦闘力を持たない人間がいるはずだ
カエシアがどの程度の戦力かわからないが、ゆきむらを確実に救うには合流を優先すべきだろう
▼探索
[心眼]と[気配感知]を用いてゆきむらとカエシアを探り合流を優先
察知できた場合はそちらに向かう
探れなかった場合は予知の内容から予想した食堂へ
二人と合流できたなら事情を伝え連携して動く
▼食堂
魚型のデウスエクスか、あるいはUCで操る使い魔のようなものと考えられる
襲ってくる怪魚をUCによる[範囲攻撃]で[カウンター]気味に殲滅しつつ、[気配感知]でデウスエクスの位置を探る
本体が別にいるようであればそちらを[心眼]で捉え速やかにUCで斬る
射出した刀剣は展開した[結界術]で自動回収
▼その他の地点へ向かう場合
[気配感知]でデウスエクスの気配を探り、[心眼]で捉えUCで撃破
怪奇現象は[破魔]と[霊的防護]を備えた刀剣同士を結んだ[結界術]で遮断
デウスエクス本体がいない霊障だった場合は黒陽の[破魔]の力で浄化しよう
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣聖・f40781)が旧校舎に足を踏み入れた瞬間、開かれた玄関口は固く口を閉ざす、暗闇が周囲に立ち込めてゆく。
夜目を利かせつつ、ただ唯一の光源である天井に灯る白色燈のもと、うすぼんやりと照らし出された長廊下の中を見渡せば、ハルはあらためて自分がデウスエクスの根城に足を踏み入れたことを再認識する。
肩ごしに玄関口を見やれば、既に扉は無い。再び周囲を見渡せば、下駄箱が左右に並列し連なりながら玄関口を左右から圧迫していた。今、ハルは校舎の中の玄関口、つまりは入口に立ったのだろう事を知る。そして、おそらくだが、カエシアやゆきむら、更には仲間の猟兵達も同じ条件下で廃校の中に幽閉されただろうことを推測した。
薄暗い視野の中、天井に灯った光源は宵空に浮かぶ星明りの輝きで校舎の奥へと続く小径を照らし出していた。
闇の中へと突き進んでいく小路を前に、ハルは直ちにどの道を進むかを決断した。ハルが優先したのは、一般人であるゆきむらの救出であった。カエシアという少女は、ケルベロスの力を有しているとの事だったが、果たして彼女がどれほどの戦力を有しているのかは、いまいち判然としない。故にハルは、ゆきむらおよびカエシアとより早く合流することで、一般人であるゆきむらを保護することを優先したのであった。
玄関口にて、ハルは赤髪の偉丈夫が北校舎へと進んで行くの遠目に目にしていた。壁際の校内の見取り図によれば、北校舎には、七不思議の一つとして噂される、人食い魚の住処である食堂が存在するとの事だ。
当初、ハルはカエシアらの気配を探知できなかった場合は、北校舎へと足を伸ばすつもりであったが、既に頼れる仲間が食堂の探索を担当するというのならば、ハルは安心してカエシア達の捜索に専念できる。結果、ハルは、自らが有する心眼と、研ぎ澄まされた危険感知能力を活かしつつ、校舎の中に僅かに漂うカエシアとゆきむらの気配を追い、西校舎へと向かい、さっそく玄関口を左に折れて、薄暗い小路の中をひた進んで行くのだった。
西校舎に足を踏み入れるや、刺す様な殺気がハルの両肩に重苦しくのしかかった。ハルが歩を進める度に、デウスエクスの殺気はますます濃くなり、鋭い矢となり、驟雨のごときで激しさでハルを苛んだ。
狭隘な長廊下の至る所でデウスエクスの息遣いが感じられ、鋭い視線が絶えずハルを貫いていた。しかし、ハルが明敏に感じ取ったデウスエクスの気配に反して、ハルの心眼を持ってしてもデウスエクスの姿は露とも視認する事はできない。
また同様の事が、カエシアとゆきむらに関しても言えた。ハルは二人の気配を西校舎内へと足を踏み入れた。そして二人の気配をハルは今もなおはっきりと感知出来ていた。
ハルが前方の暗闇を見据えれば、心眼は、西校舎の中をひた歩く二人の魔力の残滓を淡い光の粒子として認識し、長廊下の奥へと続く一条の光の道標として浮き彫りにしていた。
だがおかしなことに、カエシアらのものである光の痕跡を頼りに急ぎ足で西校舎を進み、とうとう二人の光源に追いついてもなお、二人の姿は闇の中に閉ざされたまま、目視できないのである。長廊下には、二人を反映した魔力の粒子が、淡い光の泡沫となって、暗闇の中に虚しく漂うばかりなのだ。
気配はある、魔力の痕跡もはっきりと察知できる。しかし、人影のみが存在しない。そんな不可解な事態が今、ハルの目の前で起こっていた。
まるで、カエシア達は不可視の分厚い膜かなにかにより、ハルとは別の空間に隔たれてしまっているようなそんな錯覚を覚える。カエシアとゆきむらを模した光点は、掌を重ね合わせながら、覚束ない足取りで廃校の奥へと進み、西校舎の最奥の螺旋階段まで至ると、階下へと下りていく。しかし、実際の二人の姿はやはり、確認できない。
ハルは、光源を追い、歩を進めていく。変わり映えしない、無機質な石壁は瞬く間に後方の暗闇の中へと消えていく。ちょうど、半ばほどまで歩廊を進んだところで、突如、左手の壁が小さく振動するのに気づき、ハルは直ちに足を止めた。
地鳴りの様な重低音が闇の中で、獰猛な獣の鳴き声の様に響いていた。ハルが視線を左手の壁へとやれば、石壁の表面が大きく陥没するのが見えた。
神経を研ぎ澄ませば、長廊下に漂う無数の敵の気配が、ハルへと襲い掛かる。
――敵か?
ハルは、剣に手を添えると姿勢を落とす。肘を後方に引き、剣の柄を握る右手に力を籠める。得意とする居合の構えをとり、ハルはそっと息を殺し、前方の石壁を睨み据える。
周囲にはデウスエクスの気配が不気味にひしめいているのが分かる。野放図に剣を振るっても、一体、二体に命中する程に空間を埋め尽くす敵が存在していることが窺われた。
敵ならばむしろ事は単純に済む。相手は闇の中に姿を隠していただけであり、となれば的確に敵の位置を割り出してゆき、一体一体と切り伏せてゆき、廃校内のデウスエクスを確実に殲滅すれば良い。
問題は、敵が『ハルと同じ空間』に存在していない場合だ。
この廃校に足を踏み入れてより、ハルは違和感の様なものを絶えず感じとっていた。漂う空気の質感や、広大すぎる長廊下の存在、いかに四方を石壁に囲まれているとは言え、光一筋射しこまない屋内など、廃校内の物理法則は捩じり曲がっており、更に言うならば、廃校は外界から隔絶されている様にハルには感じられたのだった。
あくまで仮説にすぎないが、もしやすればこの空間は、元来の廃校跡とは別の異空間なのではないだろうかとハルは憶測せずにはいられなかった。
ハルの目の前、石壁はますます激しく動揺し、礫や石片を周囲にまき散らしていく。突如、壁面の正中に、一本の溝が刻まれるのが見えた。溝はますます濃くなり、そうして亀裂となって石壁を左右に分かつ。石壁の上縁にlibraryの文字が刻印され、ついで、目の前の石壁は扉へと変じ、大きく口を開ける。
ハルが開かれた扉の奥、漂う暗闇の中へと視線を送れば、無数の書棚が、光源一つない図書室の中で蜃気楼の様におぼろげな輪郭で浮かび上がって見えた。
しかし、やはり長廊下にはただ渦の様に高まっていくデウスエクスの気配がそこかしこに充満しているだけで、敵の姿は見て取れなかった。
対して、図書室内は敵の気配はほとんど感じれないばかりか、空気自体が長廊下のそれと明らかに異なっている。
ハルは自らの懸念が現実のものとなりつつあることを感じずにはいれらなかった。恐らくだが、ハル達猟兵は、本来の旧校舎にではなく、デウスエクスが創造した異空間に閉じ込められたのだ。恐らく、ゆきむらやカエシアは本来の旧校舎を探索しているのだろう。となれば、隔てられた空間の中、闇雲に二人の後を追ったとしても、無為に時を過ごすだけなのは明白である。
ハルたちがこの異空間に張り巡らされた仕掛けを解き、本来の旧校舎に戻らぬ限り、二人との合流を果たすことは叶わないだろう。
今、ハルの前には七不思議の一つとして知られる図書室が口を開いている。
七不思議の噂とは、果たして何者に喧伝され、ロンドン市内で流布されているのだろうか。当初、ハルはこの事件の首謀者であるメドゥーサにより広められたものであろうと確信していたが、もしやすれば、実際の目撃談も七不思議を形成するのに寄与していた可能性もありえた。更に言うならば、七不思議はただの罠というだけでは無いやもしれない。むろん罠の側面はあるだろうが、この異空間を形成する一種の装置の様な役割を果たしている可能性すらあり得る。
「調べない手はあるまいな」
ハルは、一人零すと構えを解き、図書室の中へと足を踏み出した。
一歩を踏み出した瞬間、足元に堆積した黄ばんだ粉塵が濛々と舞い上がった。一瞬、目の前に立ち込める漆黒の中、砂埃が薄い黄色の帷帳となってハルの視界を遮った。左手で埃を払い、更に一歩と図書室内の奥へと足を踏みこめば、砂塵は霧散し、かわって黒い靄の様なものが足元より這い上がってくる。這い上がる薄闇は、冷たい石壁に四方を囲まれた図書館の中へと瞬く間に充溢していき、古書の類を隙間なく収納された書棚の中へと流れていく。明かりの様なものは勿論なく、広々とした図書室は暗がりの中に完全に沈み込んでいた。図書室は非常に広大であり、図書教室というよりは、むしろ図書館と形容した方が正鵠を得ているように感じられた。教室数個分を縦に並べたほどの敷地面積を誇る図書室の中、縦横無尽と立ち並ぶ木の書棚が、広々とした教室内を所狭しと埋め尽くしていた。
ハルは、書棚の一つ一つを仔細に観察しながら、図書室の奥へ奥へと歩を進めていく。
固い石床を踏みしめる度に、乾いた靴音が室内へと反響した。靴音を除き、室内は静まり返り、ひっそりと佇んでいる。ハルが周囲を見渡せども、敵影は認めらなかった。長廊下にて感じられた敵の気配も図書室からは殆ど感じられない。
ハルは黄金の双眸を細めると、鋭い眼差しでもって、わずかなデウスエクスの気配を追い、闇の一点を見据えた。神経を研ぎ澄まし、薄らいだ敵の気配へと意識を集中させれば、微小ながらも長廊下で感じたのと同様のデウスエクスの気配が、図書室の奥にて蠢動しているのが分かる。
幾列もの書棚をやり過ごし、ハルは半ばほど図書室を進み終えた。突き当りの壁際に接するようにして置かれた書棚が薄闇の中でぼんやりと浮かび上がるのを前に、ハルは歩を止めた。周囲に立ち込めた暗闇の中で、漆喰の様な艶のある黒色を湛えた書棚が奥間に控えているのが見えた。
突如、葉擦れの様な、葉木がざわめくのに似た音をハルは聞いた気がした。目を凝らせば、奥間にて、黒光りする書棚が石床を離れて低空に浮遊するのが見える。ハルは、剣の柄を握りしめ、再び居合の構えを取る。
突如、黒い書棚がガタガタと大きく身震いを始めた。次いで、黒書棚の動揺は周囲に陳列された書棚にも続々と伝播してゆき、図書室内は、一人でに動きだした無数の書棚により騒然と粟立ち始める。
しかし、ハルは周囲の騒音など歯牙にもかけず、目前の黒い書棚の一点へと視線を固定したままに臨戦態勢を整えた。
既にハルは敵の姿を捉えていたのだった。肉眼では、暗闇の中に完全に溶け込む、怪しげな魚影の姿を、ハルの心眼は具に捉えていたのだ。
人間の頭身ほどはあろう巨大な怪魚が、闇に身を溶け込ませながら尾びれをけたたましく振り回しているのが見える。尾びれが勢いよく虚空を往復するたびに、書棚がますます勢いよく振動していく。怪魚が身じろぐのに伴い、振動が打ち寄せる波の様になって、陳列された書棚を揺らす。滲みだした魚影からは、ハルが当初より感じていたデウスエクスの気配が迸っている。
おそらく目の前の怪魚こそが、七不思議の正体であり、校舎を支配するデウスエクスの一体なのだろう。怪魚がなんのために図書室に居座り、七不思議を引き起こしているのか、ハルは理由を完全に理解していたわけでは無かった。だが、現れた敵は倒す。平素と変わらずに、デウスエクスは処理すればよい。直感的にもそれが最適解だとハルは感じとっていた。
「我が心、満たせ世界――」
ハルの詠唱の声が暗闇の中へと、書棚の振動音に紛れて響きわたっていく。
敵がデウスエクスであり、そして敵を倒すことが活路を開くというのならば一切の手心を加えるつもりはない。
「踊って見せるがいい――!」
ハルの言の葉は、暗闇を照らし出す一条の光明のごとく、しなやかな響きを伴いながら石造りの一室へと反響する。目を見開き、剣を鞘に納めたまま、周囲に結界術を展開する。瞬間、周囲を揺蕩う深い闇の中を数条もの光芒が迸った。
光芒は、鋭い銀白の矢となり、音も無く正面の大型の書棚へと駆けていく。ハルの視線に従う様に、光芒となった剣は、初雪の様な銀白の飛沫を周囲に散らしながら闇を切り裂いていく。
光の刃となった数本の剣は、ハルが一息呼吸を終え、続いて半ばほど吸気を終える程度の刹那の間に、魚影へと一挙に押し寄せたのだった。
ユーベルコード『境界・剣濫舞踏』。
ハルの固有世界に宿した無数の刀剣群と、ハルの結界術を巧みに組み合わせることで再現された、このユーベルコードは数多の剣で敵を切り裂く、ハルのみが使用を許された秘剣の一つである。
暗闇の中、透明な魚影が微動するのが見えた。怪魚は、迫りくる剣の気配を辛うじて察知したのだろう。咄嗟に身をよじらせたのだ。
だが、魚影の反応は、一呼吸分ほど遅きに失したと言える。暗闇の中、左方へとわずかに傾いた魚影を一陣の閃光が貫いた。身を貫く痛みからか、魚影が激しく空中で身悶えするのが見えた。次いで、二本目の剣が怪魚の頭部を穿ちぬく。ゆみなりを描く怪魚の影が、歪に攣縮するのが見えた。しかし、激しい剣戟の応酬はここに終わったわけでは無かった。
魚影の下腹部より第三の太刀が、背部より第四の太刀が白刃を煌めかせる。
再び暗闇の中に銀白が眩く輝いた時、魚影の下腹部を抉る様に剣が突きさり、背部より鋭い剣の一閃が怪魚を切り裂いた。
計四本の剣により斬撃が、寸分たがわずに怪魚を切り裂いた。魚影はなすすべも無く、並み居る剣の舞により切り裂かれ、石床へと力なく落下すると、重苦しい衝突音をあげながら石床へと横たわる。
地鳴りの様な振動が、石床を通してハルの足元に走った。黒い書棚の足元へと目を遣れば、確かな輪郭をとった怪魚がそこに横たわっているのが見えた。生気のない瞳を大きく見開きながら、怪魚は物言わぬ躯と化していた。足元の揺れは瞬く間に収まり、周囲の書棚の振動もピタリと止んだ。同時に後方の長廊下で、なにかが青く瞬くのが分かった。
背中越しに、長廊下を伺えば、どこから現れたのか長廊下の両脇には、鬼火の様な篝火が青白く輝いているのが分かった。長廊下に灯った燈火は、盆祭りの燈籠の様に青ざめた光でに長廊下を不気味に照らし出していた。
「…風が変わったか?」
うすぼんやりと照らし出された長廊下を一瞥した時、ハルはデウスエクスの気配が既に消失している事に気づく。減退では無い。もはや、長廊下からは一切のデウスエクスの気配が消え果てていたのだ。更に言うのならば、立ち込めていた暗闇の中に感じられた重苦しい殺気も今は完全に霧散している。七不思議を解決したことで、明らかに廃校内の空気が一変したのだ。
連なる蒼い焔は、螺旋階段を通り、そのまま一階へと続いている様だった。ハルは振り返り、図書室を後にする。
そうして長廊下へと戻ると、蒼い焔に導かれる様にして歩を進めていく。螺旋階段を一階へと駆け下り、そうして、西校舎一階をひた進んでいく。
両脇に灯る蒼い焔は幻想的に揺らめきながら、暗闇を照らし出していた。西校舎から渡り廊下に出て、ハルはそのまま焔の終着点である中庭へと歩を進めた。
中庭全体を占有する様に、ため池の様な大型のプール槽が広がって見えた。ふとハルが周囲を伺えば、中庭には人影が五つほど認められた。顔ぶれから彼らが猟兵達であることが、何とはなしにハルにも理解できた。彼らに軽く会釈し、ハルは水が張られた大型プールへと視線を移す。
緑玉を湛えた水面に、古びた体育館の姿がはっきりと浮かびあがって見える。カエシアらの気配は今、水面の中の体育館より漂っているのだ。同時にハルは、この水面を通して体育館へと至ることが出来るだろう事を感じとっていた。
「…往くか」
言うや否やハルは、石の足場を蹴りあげてプールへと飛び込んだ。ふとハルの足先が緑玉の水面へと触れた時、水面は波紋を刻むでもなくハルを飲みこみ、浮かび上がった体育館の中へと誘(いざな)っていくのだった。
大成功
🔵🔵🔵
第3章 集団戦
『竜牙魚兵』
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POW : 死を齎す牙
【噛みつき】で攻撃する。また、攻撃が命中した敵の【生命反応】を覚え、同じ敵に攻撃する際の命中力と威力を増強する。
SPD : 死を齎す火
【口】から、物質を透過し敵に【ダメージ回復不能】の状態異常を与える【青い火の玉】を放つ。
WIZ : 死を齎す骸
【身体をすり抜ける青い炎をまとった髑髏】が命中した敵を一定確率で即死させる。即死率は、負傷や射程等で自身が不利な状況にある程上昇する。
イラスト:nitaka
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
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種別『集団戦』のルール
記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
●閑話:ともだち?―二人で一つ―
薄暗い木造の歩廊を進み、そうして、中庭から古びた体育館へとカエシアはゆきむらと共に足を踏み入れた。
体育館は、高窓から差し込む柔らかな日差しによりそれなりの明度を保っていた。黄ばんだ床板は所々がひび割れており、層を為して塵や埃が堆積していた。
カエシアが歩を進める度に、舞い上がる粉塵が陽ざしを浴びて薄黄色に輝きながら、視界にぼんやりと覆う。
先を往くメンターゆきむらは粉塵を左手で払いながら、カエシアの手を引き、体育館の奥へとゆったりとした歩調で進んでゆく。
繋いだ掌を通してメンターゆきむらの逞しさが伝わってくるようだった。カエシアに併せて歩を進めるゆきむらの優しさが革靴の鳴る、柔らかな靴音と共にカエシアの心に沁み込んでくるようだった。
露出した肩元がわずかに震え、心窩部に疼く様な絞扼感が走った。カエシアはメンターゆきむらの傍らに身を置くときに常に安寧という名の海の中で揺蕩う事が出来た。甘美なる波が、カエシアの足元から膝元へと打ち寄せて来る。手を繋げば、打ち寄せる波は、胸元まで水位をあげて、もどかしいまでの感触でカエシアを焦がすのだった。
恋とは違う…と思う。
だけれども信頼とも、恋慕ともつかない感情に対する答えをカエシアは説明づけることが出来なかった。
カエシアはメンターゆきむらを慕っていたが、その感情の源泉とは、果たして師弟関係からの憧憬から生まれたものなのか、それとも友人としての感情の錯覚が生み出したものなのか、はたまた、カエシアの未だ知らぬ男女の思慕の形なのか、カエシアには理解できずにいたのだ。
この得も言われぬ感情の高鳴りがカエシアの持つケルベロスとしての力を曇らせたのだ。体育館を半ばほどまで進んだ時、突如、入り口付近に漂った、数多のデウスエクスの気配に気づいた時、既に全ては後の祭りとなっていた。
「それにしても、完全に七不思議の噂は空振りみたいだなー。デウスエクスの気配なんて、全然、感じられやしないぜ、なぁ、カエシ――」
先を往くメンターゆきむらが途中で口を止めた。
剣呑としたカエシアの異変に気付いたのだろう。メンターゆきむらは、端正な顔立ちのもと、流麗に弧を描く上唇を引き締めるとカエシアの前に立った。
「大丈夫だ、カエシア――。俺に任せとけ。俺くらいのケルベロスになると、雑魚のデウスエクスの気配ってのはなかなか感じられなくてな。まぁ、五秒だよ、五秒」
背中越しにメンターゆきむらが言った。幅広な肩元は、今、カエシアの前に力強く聳えている。
初めて会った時と同じ、くたびれたベージュのトレンチコートを纏った背中を前にカエシアは、一瞬、動揺する。
メンターゆきむらは気づいていないだろうが、敵の数は一体二体では無い。仮にカエシアが全力を出し切っても全てを殲滅するのは不可能なほどのデウスエクスの気配が今、体育館には溢れかえっているのだった。
そして何より、カエシアは自分の力を使う事を恐れていた。
カエシアの追憶の中で、物言わぬ無数の瞳がカエシアを遠巻きに囲んでいた。――化け物、とでも言わんばかりの、蔑視する様な視線がカエシアを貫いていた。
メンターは、そんな視線からカエシアを守って来てくれた。いつもメンターの逞しい背中に隠れ簑に、カエシアは人々の好奇や蔑視、恐怖の視線をやり過ごしてきたのだ。
ゆきむらが、腰から吊り下げたホルスターに手を伸ばし、対デウスエクス用の拳銃へと手を伸ばすのが見えた。体育館の入り口周辺の虚空に蒼い焔が無数に浮かび上がっていくのが分かった。青焔は火勢を増しながら、ついぞ、魚影を取ったかと思えば、奇妙なる亡霊魚となってその場に顕現する。
半人半魚と形容するのが一番的を得ているだろう。弓なりを描く魚類の脊椎の先端に人間の頭蓋骨を彷彿とさせる頭部を取り付けた亡霊魚が、群れを為しながら、不気味に空を回遊しているのが見えた。
メンター一人で足止めなんて出来るはずがない…。
――嫌だ。メンターに死んでもらいたくない。
――それに。
気づけば、カエシアは駆け出していた。メンターユキムラの隣に並び立ち、右手を体育館の入り口へと向けていた。
――それに、何時までもメンターに守られるだけの少女であり続けたくは無い。二人で肩を並べて歩いていきたかった。カエシアは数年間に及び、メンターゆきむらの隣で、人としての生き方を学んできた。オカルトサークルの友人が出来て、自然と笑う事が出来るようになった。それならば、あと一歩、踏み出すだけだ。
「メンター、私も…戦います」
必死に言葉を紡ぐ。上目遣いに目を遣れば、メンターゆきむらが、表情を綻ばせるのが見えた。
「分かった、カエシア。まぁ、無理はするなよ? いざって時は絶対に逃げること。たまには大人を頼れよ」
メンターの黒々とした瞳はいつもと同じ、穏やかな光を湛えながら見開かれていた。かつてカエシアを化け物として拒絶した人々の瞳とはまるで性質を別とする優しげな瞳がそこにあった。
「メンターこそ、たまには…」
一歩を踏み出してカエシアはその身に宿したケルベロスの力を開放する。
「私の事を頼ってくださいね?」
軽やかにカエシアは言い放つ。ふと、天井より、緑玉の液体が体育館の床へと滴り落ちたのはまさにその時だった。
理由は分からないが、カエシアは、逆境においても尚、負ける気がしなかった。自分とメンターゆきむら...。そして、強力な力を有した者達が今、この場に集いつつあることをカエシアは感じとっていたのだった。
●本題
廃校の七不思議を解決した猟兵達は、中庭に一堂に会した。
中庭には、水を張ったプールが蓄えられており、水面に浮かぶ古びた体育館は確かな質感を持ちながら、猟兵達へと迫ってくるようだった。
体育館の中、カエシアとゆきむらの姿が見える。二人と対峙する様に、玉緑の水面の中を怪魚の群れが遊泳するのが見えた。
猟兵の一人が、水面へと足を沈ませれば、見る見る間に体育館の中へと吸い込まれていく。一人、また一人と猟兵は水面へと足を踏み入れれば、猟兵達は水面の中に浮かぶ体育館の中へと吸い込まれていく。
数多の怪魚と猟兵達の戦いが今、幕を開けようとしていた。
※第三章おける決戦配備は、体育館倉庫内での戦いとなり、使用が限定的になると予想されます。カエシア&ゆきむらは体育館倉庫内にいるので、上手く活かせば、戦力となるかもしれません。テイスト程度になってしまいますが、以下にポジションについて記載します。
1.Cs:ゆきむら&カエシア⇒ゆきむらの銃撃とカエシアのケルベロスの魔術で、猟兵の皆さんをサポートします。
2.Cr,Df,Jm,Sn,Md:通常通りです。
月隠・新月
◎
連携〇
決戦配備:Cs
我々を異空間に閉じ込めるとは、妙なデウスエクスだ。群れて力を増しているのか、特異な能力があるのか……
【降魔真拳】で敵を攻撃します。敵の攻撃には自動反撃しましょう。一般人(ゆきむらさん)が攻撃を受けないよう、近くの敵から倒したいですね。
敵の数が数です、殲滅効率を上げたいですね。
そこのケルベロスの……ジムゲオアさん、でしたか。俺が敵の弱点を解析します。弱点が判明し次第伝えますので、弱点を突いて攻撃するか、我々の攻撃に敵の弱点属性を付与するかして、援護をお願いできますか?
敵の力を奪うは降魔拳士の十八番、敵をいくらか喰らって力を解析すれば、おのずと弱点も知れるでしょう(【魔喰】)
仇死原・アンナ
◎、連携〇
骸骨魚…あんなに…ともかくあれを全て屠ればいいか…
あの二人を護る為にも…さぁ行くぞ…私は…処刑人だッ!
決戦配備はDf、隔壁展開し二人を敵群の攻撃から護ろう
鉄塊剣と宝石剣の二刀を抜き振るい敵群と戦おう
鉄塊剣と宝石剣をなぎ払い怪力と重量攻撃で敵群を蹴散らそう
敵の攻撃をジャンプとダッシュで館内を駆け抜け回避し、放つ火炎を魔力吸収し力と魔力を蓄え溜めよう
魚か…フフ…まさに雑魚と呼ぶべきか…
その程度の火炎で…私を倒せる訳がないだろうがッ!!!
鉄塊剣と宝石剣に地獄の炎纏わせ【火車八つ裂きの刑】を発動
地獄の炎纏う斬撃波と範囲攻撃で敵群を吹き飛ばし焼却してやろう…
一匹残さず焼き尽してやろうぞッ!!!
湖面に足先が触れた瞬間、柔らかな水面が流体の様にぐずり水面へと沈みこむ。翡翠色に輝く水面は砕ける事なく、飛沫を上げるでもなく、やおら月隠・新月(獣の盟約・f41111)を包み込こむと、水面に映る古びた体育館へと落ち込んでいく。
当初、新月の全身を包み込んだのは不可思議な浮遊感だった。まるで羽の様に軽快になった全身は、四囲を満たすエメラルドグリーンの液体に包まれ、まるで水滴の一部とでもなったかのように水の中へと浸透していった。
不快感はなんらない。肌を撫でる水の感触は滑らかで、水温も暖かい。水中にありながらも苦も無く呼吸でき、視界も良好である。
緑玉の水の中を新月がゆるやかに下ってゆけば、ついぞ新月の足先が水底付近に触れる。瞬間、プール槽内の液体がまるで沸騰でもしたかの様に震えだすのが分かった。
何事かと思い僅かに項垂れて足元を見やれば、新月の足元に大きな亀裂が一筋走るのが見えた。
新月が俯きがちに視線を落とし、大きな裂け目の中へと視線を凝らせば、大口を開けた穴倉の中、古ぼけた体育倉庫が広がっているのが分かった。
新月の前脚が足元の亀裂に触れる。
足裏に走る痺れの感覚が高まると同時に、亀裂はますます広がってゆき、気づけなば大きな穴倉となって新月を丸の身にする。
足先が亀裂を超えて足の半ばまでが大穴の中へと沈み込む。瞬間、新月と水との一体感は完全に失われ、新月の視界が大きく傾いた。ついで、新月の感じていた心地よい浮遊感は消え去り、肢体になにか重りのようなものが絡みついてくる。
気づけば宙を浮くような感覚は、どこまでも落ちていく様な落下感覚に変じ、水の柔らかな感触は、頬を突き抜ける鋭い風の感覚へと変わっていった。
既に足元には翡翠に輝く穏やかな水面は無く、周囲には穏やかな水面は存在しなかった。
気づけば新月は前のめりにつんのめる格好で空高く漂っていた。ふと、視線を下方へと落とせば、遥か眼下には、所々が腐敗し、崩れ落ちた木造の足場が広がっているのが分かった
目下では、薄手のワンピースに身を包んだカエシアと、やつれたベージュのコートを風にはためかせるメンターゆきむらの姿があった。ゆきむらは、ものものしい短銃を片手に、カエシアは指先に纏った青紫色の焔の渦を嵐として巻き上げながら、怪魚の群れと対峙していた。
すぐさまに新月は現状を把握する。
七不思議の謎を全て解き終えて、新月は水面を超え本来の体育倉庫へと舞い戻ったのだ。水面を通り抜け、ちょうど体育館の天井付近に現出した新月は、もはや異世界の法則の外にあり、今は物理法則に従い、落下運動の中途にある。
下方から突き上げて来る風が新月の漆黒の毛並みを激しくなびかせ、物凄い質量感を伴った風圧でもって持ち上げて来る。上空からは、重力という名の不可視の両腕が新月をのしかかってきた。
上空から圧迫する重力の両腕と、下方から突き上げて来る分厚い風の敷物とのせめぎ合いの中、新月の体は空を舞う木の葉の様に地上へと近づいてゆく。
落下軌道の中、新月は目下に広がる体育倉庫を一望しながら、怪魚の群れの位置や挙止を始め、保護対象であるゆきむら、カエシアの挙動さえも脳裏に焼き付けた。
果たして自分が何を為すべきかと、脳裏で忙しなく計算を弾き、最善の一手を模索する。
見る間に地上は近づいてゆく。同時に、最適解は確かな輪郭をとりながら、新月の中に浮かび上がっていく。
最も優先すべきは、一般人であるゆきむらを守ることであり、次いで求められるのは、効率的に敵を殲滅する事だ。
新月は、銀色の瞳を忙しなく上下左右に動かしながら地上を仔細に観察する。
カエシア・ジムゲオアの白く華奢な肩元からは、あふれ出した厖大な魔力の奔流が蒼い数条の稲妻となって迸り、まるで天使の広翼の様になってカエシアの背中から彼女を抱きかかえるようにして包んでいた。
カエシアの骨柄の全てを新月が知り得たわけではなかったが、グリモアの予知の中では彼女は戦いに関して躊躇いや戸惑いを示しているとの事であった。
しかし…、現在のカエシアが放出する魔力の総量は手加減などとは無縁なほどの厖大な量であることがはっきりと感じられた。
新月はカエシアをじっと見つめる。
上方へと穏やかに斜を描く、カエシアの黒真珠の三白眼が、眩いばかりの光彩を放ちながら見開かれていた。カエシア白磁の様に澄んだ相貌は、早朝の雪原が黎明の光を浴びて薔薇色の光を湛えながら薄っすらと色めきだってゆくように、仄かな朱色を湛えながら綻んでいる。
猫背気味だったカエシアの背は、若木の様に伸びやかに反らされ、焔を纏った人差し指は、迷いなく怪魚の群れへと向けられていた。
今、カエシアに迷いは無いのだと新月は見る。彼女は、メンターであるゆきむらと共に現状を打破すべく力を開放すると決めたのだろう。
それは思春期の少女特有の移ろいやすい心理状況がなせる技だろうか。いや、そもそもの人間の生存本能に従っての心変わりと言えるだろうか。
キッカケはイマイチ判然としないが、カエシアは意を決して戦う事を決めたのだろう。
雲の様に変転を極める、感情に率直すぎる少年少女の心の在り方というものが新月には理解できなかった。
仮に新月が彼らと同じような状況に追い込まれたとして、感情が理性を凌駕し、結果不合理な選択を取るような事はあり得ないだろうとも感じていた。
だがしかし、時に葛藤し、時に思い煩い、ころころと心のありようを変えていきながらも、未来へと向かい羽を伸ばし成長を遂げていく少年少女たちの朗らかな姿を見るのは悪い気はしなかった。
感傷的に過ぎた自らに対して新月は小さく苦笑する。
反面で、柄にもなく戦いの中で生まれた小さなゆとりの様な感情が新月に力を与えていたのも事実だ。カエシアを前にして僅かに芽生えた歓喜にも似た思いは、落下する新月の中で徐々に水嵩を増してゆきながら、新月の持つ奇跡の力を賦活化させていたのだ。
新月の前脚が木造床の上に降り立った。落下の衝撃はほぼなく、足裏には僅かな搔痒感が走っただけだった。ついで新月は、後ろ脚で体育館の朽ちかけた板敷を踏みしめる。床の軋む音が静寂に沈む体育館の中に、間延びした様に広がってゆき、すぐにかき消えた。
新月は、ゆきむらとカエシアの隣に降り立つとすぐさまにカエシアへと視線を送った。
突如、現れた新月の存在にどこか呆然とした様に目を見開くカエシアの姿がそこにあった。新月は一揖すると共に、カエシアへと申し出る。
「そこのケルベロスの……ジムゲオアさん、でしたか。俺もケルベロスです。突然の事で驚いてしまわれたかもしれませんが、共闘を提案します」
ぱちぱちとカエシアが二度、三度と目を瞬かせるのが見えた。新月は、構わずに続ける。
「今から俺が敵の弱点を解析します。弱点が判明し次第伝えますので、弱点を突いて攻撃するか、敵の弱点属性を付与するかして、援護をお願いできますか?」
新月は要所のみをかいつまんでカエシアに告げた。一瞬戸惑った様に瞳を見開くばかりのカエシアだったが、流石はケルベロスといったところか、すぐに事態を理解したようで、彼女は小首を縦に振ると、ゆきむらと共に一歩、後方へと後ずさった。
「わ、分かりました。えっと…私は、援護に徹します…」
緊張まじりのカエシアの声が後方より響いてきた。わずかに声音が震えているのは、初対面の新月に対する緊張感の現れからだろうか。デウスエクスを前にして、まったく動じなかった少女が、見ず知らずとはいえ友軍の新月を前に動揺するというのは何とも奇妙な話だ。
まったくもって、状況を鑑みれば緊張感を示す相手が違うだろうと思う。本当に少年少女のこの心理は理解できない。
ふと新月は、自らの口角が綻んでいるのに気づく。同時に新月は、理解不能であるという事が、好悪を必ずしも決定づけないのだと言う事を再認識する。いや、むしろ理解不能なカエシアが示した心理こそが、かつて人類の敵として戦った一部のデウスエクスの心を軟化させて、人類に味方させる存在へと変えたのかもしれない。
少なくとも、新月はカエシアの不器用さや移ろいやすさが、嫌いでは無かった。
口元に微笑を湛えたままに、新月は怪魚へと向けて一歩を踏み出した。
地上へと至るまでの間に、新月の中では、ユーベルコード発動のために必要な奇跡の力は既に十分量まで水位を上げていた。あとは新月が、発動を念じれば奇跡の力は容易く宇内に顕現するだろう。
新月は目前の怪魚の群れを観察する。
新月と敵とは、凡そ数間程度を隔てた程度の距離ある。この程度の距離は、戦いにおいては近距離に分類される。
いざ、戦闘が始まれば両者の間の間隙は、瞬く間に詰められ、用をなさなくなることは一目瞭然だ。新月の目の前では数多の、それこそ数百にも及ぶ怪魚の群れが、体育館入り口周辺の空を回遊しているのが見える。
群れを為すことで力を増しているのか、はたまたそれぞれの個体が特異な能力を有しているのだろうか。猟兵を異空間に閉じ込めた事から鑑みるに、怪魚らの能力はやや特殊なものであろうと新月は見る。能力も不明なばかりか、数でも勝る相手に先制を許すほど、新月は悠長では無い。
「降魔真拳――」
ぽつりと呟きながら、新月は床板を蹴り抜けた。言葉を発すると共に新月の内奥で高まっていた奇跡の力は、堤をきった濁流の様にあふれ出し、新月の全身を瞬く間に駆け巡り、両の前脚へと収束する。
疾駆ざまに両の前脚に破魔の力を顕現させれば、黒い光沢を湛えた手甲が炯々と輝きだすのが見えた。指先が熱気を帯びた様にジワリと疼く。
降魔鬼。強力な魔の眷属の魂を纏うことで、今、新月は強力な破魔の力を両の前脚に宿したのだ。蹴り出した新月の前脚が再び木造の足場を音も無く踏みしめる。一足のもと、新月と怪魚の距離は瞬く間に詰まったが、怪魚たちは高速で接近する新月の影も捉えることが出来なかったようで、未だ空を漂いながらもその視線を虚空に彷徨わせたままだった。
新月は大きく上体を倒して、再び、床板を蹴り上げた。蹴り上げた足場からは、疾駆する新月にやや遅れて、足音が轟音となって響き渡った。怪魚たちの視線が一斉に新月の踏み抜いた足場へと殺到する。だが、既に怪魚の視線の先に新月の姿は無い。
新月は、今や一条の黒い閃光と化して、怪魚の群れの中へと身を潜らせていたのだった。音が響くよりも尚早く怪魚へと強襲する新月を妨げる存在は、この場に存在はしなかった。
凍り付いた様に、中空に静止する怪魚の群れの中を、暗い雷光が縫うように切り裂いていく。雷光は黒い尾を左右へと乱暴に振り回しながら、群がる怪魚の中を払いのけ、群れの中に大穴を穿ちぬいた。
稲妻の通り道に一致する様に、白い粉塵が周囲に瞬いた。穿たれた大穴のもと、頭蓋と脊椎からのみなる怪魚は全身の骨をてんでばらばらに八方に飛散させながら力なく地面へと撃ち落されていく。
心地よい疾走感と共に、黒い雷光と化した新月は怪魚の群れの後方に降り立った。
一瞬の邂逅の最中、新月は両手を計五回撃ほど左右に振るい、周囲にひしめき怪魚の群れへと向けて斬撃を繰り出した。鋭い爪先は、寸分たがわずに四方を幕の様に埋め尽くした怪魚の群れを捉え、彼らの急所と思しき頭蓋を精確に切り裂いたのだ。
斬撃は五回。しかし、降魔鬼の力を宿した新月の拳は、実際に新月が振るった倍に当たる十の爪撃でもって怪魚らを襲った。
着地と同時に新月が後方へと視線を遣れば、予想通り、十匹ほどの怪魚が息絶え、地面に横たわるのが窺われた。とはいえ、未だ亡霊魚は数多存在しているのも事実だった。完全に新月の奇襲に遅れを取った怪魚たちがあったが、彼らの大多数は未だ存命であった。
怪魚達は中空で歪に蠢きながらも、群れの中に穿たれた大穴に群がると、肉芽組織が傷跡を防ぐ様に欠損孔を覆い、まるで何事も無かったかの様に再び、中空を揺蕩うのだった。
新月は後ろ足で、大地を二度、三度と軽やかに踏み鳴らしながら、怪魚らを観察する。怪魚を一つの集団として見た時、新月の一撃は微弱な損傷を怪魚らに与えたにすぎないだろう。しかし、新月は爪撃により怪魚の特性を把握した。
初撃にて、十体ほどの怪魚を切り伏せた際に、拳に宿った降魔の力は肌感覚で怪魚の弱点を新月に教唆したのだった。
新月は、四度、五度と足場を踏み鳴らすと、体勢を整える。雄たけびする様に声を張った。
「ジムゲオアさん、敵の弱点は炎です...! あなたの鹵獲術師としての魔術で援護を、いえ追撃をお願いします」
言うや否や、遠間にて、カエシアがまるで壊れた人形の様に何度も何度も相槌を打つのが見えた。カエシアは、たどたどしげに右手を横薙ぎし、魔術を放つ。
振り上げられたカエシアの右腕の軌道に一致する様にして、巨大な赤い炎が生み出される。炎は帯状になると、まるで波の様に空を走り抜け、怪魚の群れへと迫っていく。分厚い炎の帯は、怪魚に近づくにつれ、火勢を増していき、ついぞ、巨大な焔の津波と化すと、赤く爛れた炎の口を開き、怪魚に牙を突き立てる。
ぱちぱちと火の粉を上げながら、巨大な波濤が怪魚の群れの一角を包み込んだ。炎の波が周囲にあふれ出し、伸ばされた赤黒い大腕が次々に怪魚を焼き尽くしていく
「――見事な追撃です、ジムゲオアさん」
新月は後ろ足で六歩目を踏み鳴らすと、一気呵成に炎の海の中へと飛び込んだ。赤く染め上がった視界の中で、亡霊魚達が激しく身悶えしているのが見えた。新月は身に纏った破魔の力で、身悶えする亡霊魚達を一体、また一体と屠っていく。
鋭い爪撃が焔を切り裂き、亡霊魚を切り裂いていく。銀閃が煌めき、亡霊魚が力なく崩れ落ちていく。
息つく間もない、新月の連撃とカエシアの炎の魔術の協奏のもと、数十体にも及ぶ怪魚は事切れ、躯と化す。
炎が途切れ、新月が再び怪魚の群れより姿を現した時、既に怪魚たちは連携を保てぬほどの数個の小集団こまぎれに分断されていた。
急ごしらえの連携にしては緒戦は端緒についたと言えるだろう。
新月は、怪魚のもとを離れ、カエシアやゆきむらのもとへと舞い戻ると再び態勢を整えた。今や怪魚は恐慌状態にある。そして、新月の後方には一騎当千の猟兵達が控えていた。ならば、一旦は新月はカエシアらの護衛に回り、次なる攻撃は他の猟兵らに任せればよい。
新月は小さく吐息をつき、新月は上目遣いに新月に視線を送った。
「ジムゲオアさん、ゆきむらさん、一息つきましょう。小休止をとり、再び攻勢を仕掛けます」
「は、はい、わかりました――。えっと、オルトロスのお姉さん?」
肩で息をしながら、カエシアが白い吐息を零した。
新月は微笑がちに溜息をつく。資料によれば確か、カエシアは十六歳との事だった。となれば年齢は新月とカエシアとでは変わらぬはずであろう。
にも拘わらずお姉さんとは――。
新月は幼げなカエシアの表情をまじまじと眺めた。移ろいやすい少年少女は、お姉さんと呼ばれた自分にはやはり理解できない。
――しかしやはり人間は面白いと、新月は一人、苦笑まじりに結論付けるのだった。
●
水滴が足元で弾けた。翡翠の色を帯びた水沫は、天井から優雅に一滴、二滴と滴り落ち、体育館の木造床の上に砕けては、青あざの様な水の溜まりを広げていく。
天から注ぐ水の雫とともに、仇死原・アンナ(処刑人、地獄の炎の花嫁、焔の騎士・f09978)は古びた体育館へと舞い降りた。色褪せた木の床板を踏みしめれば、乾いた靴擦れ音が周囲に響く。水滴で湿った足場を除けば、体育館の板敷の大部分は堆積する埃の類により乾燥している様だった。
高所に当たる体育館の二階部分に備えられた高窓からは午後の重苦しい日差しが差し込み、体育館内に充満した塵や埃を濁った黄色に染めだしていた。
塵埃は空中を揺蕩いながら、一枚の薄汚れた垂幕となってアンナの前に帳を下ろし、おぼろげに視界をぼやけさせている。時折吹く熱風が、薄い塵埃の幕へと吹きつければ砂埃は緩やかな波紋を曳きながら、周囲へと流れていく。
熱波に煽られるようにして、砂埃と共に何かが焼ける様な異臭がアンナの鼻腔を突き抜けていく。
処刑人として多くの刑に立ち会ってきたアンナだからこそ気づく。鼻腔をかすめた異臭は人骨の燃える匂いと似通っているのだと。
眉宇に僅かな嫌悪の色を滲ませながら、アンナは左手で腰に差した宝石剣の鞘を払い、横一文字に薙ぐ。宝石剣の横閃に次いで、アンナは肩に背負った鉄塊剣を抜くと、下方へと振り下ろす。
瞬間、周囲に敷き詰められた塵埃の帷幕は切り裂かれ、塵芥が霧散する。明瞭と開かれた視界のもと、体育館を埋め尽くす無数の怪魚の姿がアンナへと飛び込んで来た。
デウスエクスらによって創造された偽りの旧校舎より脱出するのも束の間、舞い降りた体育館の先には、無数の怪魚が待ち構えていた。
既に仲間の猟兵によって戦いの口火は切られていたようで、体育館の入り口付近では、焔が真っ赤な舌を天井まで伸ばしながらパチパチと火の粉を爆ぜているのが見える。焔の周囲の足場には鋭い爪撃の後を骨片に刻んだ、白骨化した怪魚の椎骨や頭蓋骨が堆く堆積し小山を築いているのが見えた。
アンナは歩を刻む。
左右を伺えば、右手には護衛対象であるゆきむらとカエシアの姿があり、左手では友軍と思しきオルトロスの少女が前脚で大地を踏みしめながら呼吸を整えている姿が見て取れた。カエシア達から視線を再び前方へと戻す。
入口周辺の焔が徐々に火勢を弱めながら萎んでいくのが分かった。数十を超える怪魚の白骨体が床上に転がっていたが、それでも尚、残存する敵はかなりの数に上り、彼らは三々五々で、小集団を為しながら体育館を埋め尽くしている。
冷静に状況を俯瞰しながら、アンナは視線をゆっくりと体育館の左端へと移していく。
「骸骨魚…あんなに…。だけれど」
口ごもった様に、切れ切れで言の葉を紡ぎながらも、アンナは脳裏をけたたましく回転させる。果たして、如何にして戦うかを模索しながら、アンナは手にした両の剣を前方で構えて、視界の左端で蠢く怪魚の一団を鋭い視線で射貫いた。
「――ともかくあれを全て屠ればいいか…」
更に一歩を踏み出したアンナは僅かに姿勢を落とす。右手を下ろせば、しっかりとした重量感と共に鉄塊剣が鋭い切っ先を地面へと向ける。左手を円を描くよう上方へと掲げれば、眩い銀色の軌跡が一筋、虚空に滲んだ。
カエシアが強力な鹵獲術士であることは、敵を焼き尽くした焔より明らかだった。とはいえ、ゆきむらは一般人であるし、カエシア自体も未だ力の制御は完全では無いようで大きく疲弊しているのが分かる。
肩越しに視線を遣れば、カエシアの丸みのある華奢な肩元が激しく上下し、桃色の唇からは絶えず白い吐息が零れているのが分かった。
カエシアとオルトロスの少女の奇襲が功を奏したのもあり、骸骨魚達は現在、混乱の渦中にあり統制を失っている。しかし怪魚達の恐慌状態が沈静化すれば、彼らは圧倒的な数の利を生かして雲霞の如く攻め寄せてくるだろう事は必定である。
一旦後手に回れば、二人を守ることは難儀するだろう。となれば、ゆきむらやカエシアを守るためにも、アンナ達は攻めの手を緩めることなく、間断なく怪魚らへと攻勢を仕掛け続ける必要がある。
「あの二人を護る為にも…」
言い放つと同時にアンナは大きく息を吸った。吸い込んだ空気は、気道を駆け抜け、肺臓内へと充満するや張りめぐらされた血管網を介して全身へと運ばれていく。
両足に力を込めて板敷を力強く踏みしめた。右手にした鉄塊剣は、アンナに呼応する様に鮮やかな紅色を刀身に湛えると、血の様な光沢を滲ませた。
「さぁ行くぞ…私は…処刑人だッ!」
言い切るや、アンナは怪魚の一団を目指して壁伝いに疾駆する。
一歩、二歩と床板を踏み抜くたびに、怪魚とアンナとの距離が徐々に徐々にと詰まっていく。二度ほど呼吸する刹那の間に、アンナは半ばほど体育館を走り抜けた。怪魚とアンナとを隔てる間隙は一挙に縮まった。
怪魚の窪んだ眼窩には、眼球の代わり青い焔の眼が象嵌されていた。不気味に蠢く無数の瞳が、アンナへと殺気まじりの視線を一斉に注ぐ。もはや一塊の肉片さえも有さない骸骨魚の群れは、体を不気味に蠢かしながら、がちがちと口を開閉し、歯ぎしりの様な気味の悪い異音でアンナを威圧する。
溜まらず、嘲笑がアンナのふっくらとした唇から零れた。その程度で威嚇になるとでも思ったのだろうか。あまつさえ、歯ぎしり程度でアンナの腰がすくむとでも怪魚は考えたのだろうか。だとしたら処刑人アンナは随分と低く見られたものだ。不敵に鼻を鳴らしながら、更に一歩と足を踏み出すと、アンナは床板を思い切り蹴り上げて左方の側壁へと飛び退いた。
アンナの優艶たる肢体が、ゆるやかな放物線を描きながら、垂直にせり立つ側壁へと向かう。怪魚達の視線が、空を舞うアンナを追い、一様に側壁へと注がれた。優美な曲線を描くアンナの右足が中空を進展し、ロングブーツが壁面を踏み抜いた。
アンナの靴底はまるで側壁と一体化したかのようにその場より微動だにしない。ぴたりとアンナの体が垂直壁と直角に空中に静止する。今、アンナは自らの右足を支点にして、垂直壁と直角に自らの体を保持するに至ったのだった。右足で垂直壁を踏みしめながら、間髪入れずに左足で二歩目を踏みぬけば、アンナの体は落下を免れ、滞空したままに、せり立つ側壁の上を一歩前方へと滑り出した。
アンナは小刻みに右足、左足と足を踏み出していく。軽快な靴音が側壁に響きわたり、曲芸師よろしく、アンナは側壁の上を機敏に走り抜けていく。落下するよりも尚早く、機敏に壁の上を疾駆しながら、アンナは怪魚の群れへと更に詰め寄る。
怪魚達は、蒼い焔の眼球をけたたましく動かしながらも、その大部分は仰天がちに、なすすべなくアンナの動向を伺っていた。しかし大多数を他所に、数匹の怪魚は迫るアンナに危機を覚えてか、直ちに迎撃態勢に入る。ひしめく怪魚の群れを押しのけて、数匹の怪魚がアンナ目掛けて勢いよく空を泳ぎだすのが見えた。まるで鋭い矢の様に、一体、二体、三体、そして四体と、怪魚がアンナを猛追する。
自らに肉薄する怪魚らを前に、アンナは皮肉気に口端を歪めて笑う。
接近するアンナを前に、怪魚らは咄嗟に体を動かしたに過ぎない。彼らの挙止は緩慢で、攻撃の軌道はあまりに単調に過ぎた。いかに高速で迫ろうとも、アンナの目には彼らの動きが手に取る様に理解されたのだ。
アンナは、上下左右に体を振り、動きに緩急をつけると、縦横無尽に壁の上を駆けていく。一条、二条と矢の様な怪魚の牙がアンナへと迫る。
怪魚達は、泳ぐようにしてアンナの太腿や、肩元近くに肉薄するや、鋭い銀色の光芒を迸らせた。彼らの牙がアンナの柔肌を食まんと間近に迫る。しかし、彼らの牙をぎりぎりのところまで引きつけたところで、アンナは微妙に体動を変えた。瞬間、矢の様に迫った怪魚の牙が、アンナの太腿の間近を、アンナの肩元のわずか上空を、左方に傾けた左頬すれすれを、虚しく駆け抜けて行く。
怪魚達はアンナの影を捉えるばかりで、もはや行き場を失い、木造の側壁へと次々に衝突していく。結果、怪魚の鋭い牙は木造壁に深々と食い込み、怪魚はもはや身動きさえもままならぬといった有様で壁の装飾と化すのだった。単なる壁飾りとなった怪魚の小集団を尻目に、アンナは鋭い眼光でもって、怪魚の大群を射貫いた。
既にアンナの体内では奇跡の力の胎動は、極限まで高まっていた。それもそのはずで、アンナはカエシアが放った焔から迸る魔力の残滓を自らの中に吸収し、自らが元来持つ奇跡の力『火車八つ裂きの刑』を賦活させる触媒として活用したのだ。
「一匹残さず焼き尽してやろうぞッ!!!」
自らの内奥でふつふつと高まっていく奇跡の力の激流を前に、アンナは声を張りあげた。
思い切り側壁を蹴り上げて怪魚の大群の中へと身を躍らせるや、飛び込み様に剣を振り下ろす。瞬間、高まった奇跡の力は劫火となって、アンナの両の手にした剣から獄炎の炎となってあふれ出していく。
空を揺蕩う無数の怪魚の群れを炎の渦が飲みこんだ。肉や臓器が削げ落ちた白骨化した怪魚の骨片が真っ赤に爛れたかと思えば、頭蓋や椎骨は瞬く間に溶けだし、蒸発していく。
大部分の怪魚は立ち上る焔によって、もはや骨片の一欠片も残さずに焼灼されていく。
多くの骸骨魚が、力尽きてゆく中で、しかし焔の猛攻を掻い潜った数匹の怪魚は、アンナに一糸報いらんと、その鋭い牙をそびやかす。
アンナの右手より炎によって頭蓋骨を半ばほど溶けだされた怪魚が牙を光らせるのが、左方より体躯の大部分が焔に飲み込まれた怪魚が、半ば死に体となりながらも、物凄い勢いでアンナ目掛けて飛び掛かるのが見えた。
右手より迫る怪魚を、鉄塊剣で撃ち落とす。二の太刀として、もはや辛うじて原形を留めるだけの怪魚を左手の宝石剣で一刺しにする。剣先が怪魚を捉えた瞬間、焔が迸り、怪魚らは瞬く間に灰塵と帰してゆく。
「魚か…フフ…まさに雑魚と呼ぶべきか…」
アンナは口端を歪めながら、迫る怪魚らへと言い放つ。燃え盛る火炎の中、視界は赤一色に染まっていた。煉獄を思わせる赤々と染まる大気の中で処刑人アンナは剣を振るう。
舞とも見紛う様なアンナの剣戟は、焔に飲み込まれた怪魚らをまるで暴風の様に薙ぎ払っていく。怪魚達は、骨片の一欠片さえもこの世に残すこと許されず、アンナの激しい剣戟と生み出された劫火の中で朽ちてゆくのだった。
再び、炎が消失した時、黄紛舞いあがる体育館の一角にはもはや怪魚の姿は認められなかった。
黄金の輝きの中、処刑人は、紅色に染まる大剣を静かに振り上げた。その矛先が、別の怪魚の一団へと向けられた時、静寂は恐怖を纏いながら、怪魚らへと狂気の刃を突き立てるのだった。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
龍之宮・翡翠
◎
亡霊魚の正体はこいつらか!
二人と竜牙魚兵の間に滑り込んで、武器を構える
二人に誰何されれば
「特務機関DIVIDEのケルベロス。今それ以上の説明が要るか?」
とだけ応じる
「|決戦配備《ポジション》……ッ」
(下手な配備要請では建物に阻害される事を悟って舌打ちを漏らした後)
「攻撃するなら俺の攻撃と併せろ」
(敵に隙を与えないため見据え、二人とは目を合わさずに対峙する
その状態で二人に短くそう伝える事でキャスターで要請の代用とする)
「――お前達の好きにはさせない」
UCを発動
空を震わせる漣で怯ませて、斬りつける
攻撃をある程度食らうかもしれないが、寧ろ都合が良い
強化されるUCを繰り返し発動し敵の数を減らしていく
緑玉の雨滴が、アーチ状に天井に蓋をする円蓋屋根より滴り落ちていた。体育館の二階部分に設置された高窓より射しこむ昼下がりの濃密な光の筋が照り付ければ、緑玉の雨滴は斜光を反射し中空に淡い緑色光の綾模様を刻んでいく。
龍之宮・翡翠(未だ門に至らぬ龍・f40964)の青緑色の瞳は緑玉の雨の中で一際、鮮やかな緑色に輝きながら、鋭い視線を眼下へと落としていた。
廃校中庭に張られたプール跡に身を潜らせ、そうして本来の廃校跡へと舞い戻った翡翠は、今、体育館の二階部分にて空を揺蕩っていた。
吹き上げて来る微風が頬を穏やかに全身をなでれば、鯉の形状を模した外套は、透明な尾びれを風雅になびかせる。翡翠の頭上では、古びた木造屋根がアーチ状に天を覆っていた。剥き出しになった古ぼけた梁と虫食いだらけの柱とが覚束なげに支える木造の天井板には、緑玉の液体が滲みだし、泉の様に溢れ、一滴一滴が雨滴となって地上へと降り注いでる。
降りしきる緑玉の雨滴と共に翡翠は、空を滑空し、体育館の一階に降り立った。すらりと伸びた翡翠の右足が体育棟の古びた木造の足場を踏み締めた時、残響として響いたのは、床の軋む柔らかな音だった。
地上へと舞い降りるや、翡翠は直ちに周囲の状況を伺う。
視線を前後左右にやりながら即座に体育館内を一望すれば、翡翠の視界には否応なしに無数の怪魚の群れが目に飛び込んでくる。
怪魚は、血や肉を有さず、人間の頭部を思わせる頭蓋と魚類固有の脊椎のみを連ねた白骨のみの姿となりながらも、未だ生の軛(くびき)に縛られていた。青い焔を落ち窪んだ眼窩に灯しながら、鋭い牙を剥き出しにして、怪異が忙しなげに空を泳いでいた。
――亡霊魚の正体はこいつらか!
翡翠は、視線だけで館内の亡霊魚達を追いつつ、腰に指した剣の柄に手を添えた。
体育館内では戦いの傷跡が随所に散見された。
入口部分から体育館の左手にかけて、体育館の木造壁が大きく焼け落ち、炭化しているのが分かった。足元には、無数の骨片が横たわり、小さな山を築いているのが散見された。
翡翠は、小さく吐息をつきながら、体育館の隅々まで見渡し、仔細に状況を観察する。
体育館の入り口周辺を中心に、一集団につき数十匹に及ぶ怪魚の大群が、三々五々で体育館の中で群れを為して回遊しているのが分かった。そして、怪魚のそれぞれの集団と対峙する様にして、黒い外套に身を包んだ背の高い妙齢の貴婦人の姿があり、鮮やかな毛並みに身を包んだ漆黒の獣が、殺気まじりの視線で怪魚の集団を牽制している姿が窺われた。
館内に散乱する無数の白骨や、戦いの傷跡はこの二人の猟兵と怪魚との間で激しい戦いがあったことの証左であろう。納得がちに頷きながら、次いで翡翠は視線を左方へと動かした。
翡翠の視界に、ぼろぼろのトレンチコートに身を包んだ二十絡みの男と、華奢な肩元を完全に露出させた、薄着のワンピースを纏う少女の姿が目に付いた。
男は少女を守るような格好で、構えた短銃の銃口を怪魚の群れの一団へと向け、少女は半身を男に預けながら、白くなだらかな指先を怪魚へと伸ばしていた。予知によるところの、ゆきむらとカエシアの二人である。
二人は目の前の怪魚の群れに意識を集中させている。男の方は、明らかに体が強張っている様で指先が震えていたし、女はと言えば、持て余した力の制御に四苦八苦しているようで、息も絶え絶えに肩を前後させていた。
二人ともに明らかに戦いの素人であった。二人ともに意識が一点にのみ向かい、視野狭窄に近い状態にある。必然、二人は戦いの全体像にまで気が回らないのだ。だが、翡翠の青緑の瞳は、二人に迫る危機を決して見逃さなかった。
翡翠の左前方、ゆきむらやカエシアの死角ぎりぎりの左端で白靄の様なものが蠢いた。無数の魚影が、互いに押し合いへし合いしながら、カエシアらへと向かい体動するのを目の前にして、翡翠は、足元の板敷を蹴りぬいた。
素早く館内を疾駆していけば、翡翠は一息の間にカエシアやゆきむらの前に躍り出る。目の前では白光する怪魚の集団が、尾ひれをばたつかせ、空をかき分けながら、物凄い勢いでカエシア目掛けて迫ってくるのが見えた。更に一歩と翡翠は歩を刻み、カエシアと怪魚の群れとの間に割って入る。
翡翠が流れる様な挙止で鞘を払えば、斬霊刀の凍りついた様に青ざめた刀身がすらりと空を走った。
正眼で剣を構えつつ、続々と迫ってくる亡霊魚達を睨み据える。
「あ…あなたは? そ、それに…えっ、そちらにも敵?」
翡翠の後方から、少女の丸みのある声音が震えがちに響いた。
「――特務機関DIVIDEのケルベロス。今それ以上の説明が要るか?」
既に翡翠の間近まで、怪魚の一体が肉薄していた。翡翠は、少女の問いに対して、背中越しに言葉短く応えながらも、同時に剣を上段から振り下ろしていた。
斬霊刀の刀身に一致した鋭色の閃光が一陣、上方から下方へと駆け抜けて行く。銀色の閃光は、翡翠の額の先まで肉薄していた怪魚の頭蓋の中を突き進んでいく。
剣はなんら抵抗感なく、分厚い怪魚の頭蓋をなだらかに断ち切ると、再び銀閃を瞬かせながら切っ先を地面へと落とすのだった。頭蓋を一刀両断された怪魚がぐずりと、土人形の様に足床へと崩れ落ちていく。
下段で剣を構えながら、翡翠は更に一歩を踏み出した。
目の前からは、斜に降りつける驟雨の如く、無数の怪魚の群れが翡翠を、そして翡翠の背に守られるようにして立つカエシア、ゆきむらの両名を目指して押し寄せて来る。目視すれば、凡そ三十体程度の竜牙魚兵が、翡翠の目前の空間を所狭しと埋め尽くしていた。
「決戦配備ポジション……ッ」
喉まで出かかった言葉を翡翠は静かに飲みこんだ。
今、翡翠たちは屋内で戦っている。校舎外で待機するディバイド部隊の掩護は、遮蔽物に遮らえた館内では、十分な効力を発揮できぬ可能性は高い。むしろ場合によっては、援護攻撃が建物の崩落を齎し、翡翠たちを害する可能性さえあり得た。
再び、怪魚の鋭い牙が翡翠の間近に迫るのが見えた。冷静に攻撃の軌道を見切り、翡翠は逆袈裟に剣を振り上げた。軽やかな風切り音と共に鋭い斬撃が空を一閃する。剣の切っ先は、怪魚の頭蓋骨に深々とめり込み、頭蓋を切り裂いた。翡翠の掌に骨を切り裂く確かな感触が広がった。翡翠の視界で白砂が舞い上がり、怪魚の頭蓋に鋭い一筋の亀裂が入る。怪魚は、弱々しげに空を揺蕩いながら、辛うじて翡翠の滑らかな喉元まで迫るも、鋭い牙は虚空を彷徨うばかりであった。怪魚の顔面に刻まれた亀裂は空を駆けながらもますます広がり、一筋の裂け目となった。そうして出来た裂け目から怪魚の頭蓋は綺麗に左右に分かたれ、分断された二つの頭蓋は、翡翠を避けるようにして後方へと飛び散っていく。
瞬く間に二体の敵を切り伏せた翡翠であったが、しかし、怪魚の内の一部を切り伏せたにしか過ぎない。このまま一刀、一刀着実に剣を振るいながら敵の数を減じていくという戦法はあまりにも非現実に過ぎる。
ゆきむらやカエシアを守り、かつ怪魚を殲滅する。そのためにはユーベルコードの使用が必要不可欠だ。だが、ユーベルコードの発動のためには、技を練るための時間が足りない。頼みの綱のディバイドの決戦部隊といえば、地理的要因に阻まれて、十全に機能しないのが現状だ。
技を練るための刹那の間を、翡翠は渇望していたのだ。
小さく舌打ちしながら、翡翠は、ゆきむらやカエシアを尻目に二人に問う。
「攻撃するなら俺の攻撃と併せろ」
背中越しにカエシアらへと端的に言い放ち、再び翡翠は剣を正眼に構えた。
やや不愛想に聞こえたかもしれないが、翡翠には今、時間的余裕は無かったし、もともと人懐かったり、口数多い性分でも無い。
「わ…わかりました。足止めを、お、お手伝いします」
返ってきた少女の声は緊張で僅かにこわばっていた。だが、弱々しげな声音に反して、少女の対応は早かった。 突如、翡翠の目前で舞い上がった焔の柱が数条上がる。赤い炎の大腕を乱雑に振り回しながら、炎の柱は互いに腕を組み、まます火勢を強めて燃え盛り、怪魚らの突撃を防ぐ巨大な焔の壁となったのだった。
目の前では、立ち込める焔に飲み込まれる様にして、怪魚達が空中で身悶えするのが見えた。直撃した数匹は絶命し、残った怪魚らも激しい炎にあてられ、束の間、足を止めた。
怪魚らの猛攻に僅かに空白が生まれた生み出されたこの一瞬の隙をついて、翡翠はユーベルコード『漣波』を顕現させる。
『漣波』とは、手にした斬霊刀から、さざなみの様な斬撃波を発射し、敵を切り伏せていくという翡翠固有の秘剣とも言えた。
翡翠は、すかさずに剣を鞘に戻すと、上体を落として腰を捻る。いわゆる居合の体勢をとりながらも、体の中で奔騰していく奇跡の力の解放の瞬間を待った。
立ち込めた赤黒い炎の壁がゆっくりと萎んでいくのが見えた。大気を焼く朱色の帯は、にわかに色彩を失っていき、余喘を火の粉として周囲に散らしながら、まるで煙の様に空気の中に霧散していく。
炎が消褪するや、未だ健在な怪魚達が、再び体動を始める。彼らは蒼い焔の瞳を剥き出しにしながら、一気呵成に空を再び埋め尽くしていく。がちがちと不気味に歯を開閉させながら、亡霊魚の大群が翡翠目指して一斉に飛来を開始する。翡翠と怪魚の距離は瞬く間に縮まり、怪魚の先駆けが、まさに翡翠の剣七つほどの間合いまで迫った。
だが…。
「――お前達の好きにはさせない」
翡翠は吐き捨てる様に言い放った。
言うや否や、抜刀と共に、その身に蓄えた奇跡の力を開放する。
「空を疾走れ――漣波」
鋭い刀身が鞘を離れ、空を躍る。斬霊刀の切っ先が軽やかに空を走り抜ければ、翡翠を通して剣の刀身へと伝搬した奇跡の力は、波濤を彷彿とさせる衝撃波を空へと刻んだ。
空を泳ぐ数多の怪魚のもとへと翡翠の生み出したさざ波が押し寄せる。波の第一波は、先頭を行く怪魚のもとに音も無く迫りくると、大きくうねりをあげながら怪魚に打ち付けた。さざ波より迸る無数の飛沫は、一滴一滴が鋭い小さな光の刃となって、怪魚を八方から貫いていく。骨が砕ける重苦しい重低音と共に、怪魚の全身はひしゃがれ、潰され、骨粉と化していく。瞬く間に一体目の怪魚を無力化した翡翠であったが、未だ、飛翔する敵影は二十を超える。すぐさまに鞘に剣を戻すと、翡翠は呼吸を整えた。
再び剣七つほどの距離まで迫ってきた怪魚を前に、翡翠は抜刀術にて秘剣『漣波』を見舞う。生み出されたさざ波が、押し寄せる怪魚を飲みこみ、粉微塵に砕いた。さざ波型の衝撃波は、怪魚一体を飲みこむのでは飽き足らず、緩やかに空に広がっていきながらますます猛威を広げ、左右に居並ぶ数体の怪魚をも巻き込んでゆく。結果、計三体の怪魚が同時に押しつぶされ、空の藻屑と化した。
翡翠は、抜刀術の要領で目の前に迫る怪魚に一刀、また一刀と秘剣『漣波』を放っていく。
一刀を放つごとに、厖大な力を消耗する。しかし、むしろ、力の消耗は翡翠にとっては好都合だった。
漣波は、翡翠の消耗度に伴い、威力や速度、更には波数さえも増してゆく。ユーベルコードの連続使用は、確かに翡翠には大きな負担となって圧し掛かっていたが、故に、満身創痍の翡翠が放つ秘剣『漣波』は、今や巨大な津波となって居並ぶ怪魚らを圧殺していたのだ。
剣の切っ先が空を鮮やかになぞるたびに、津波と化した衝撃波が、宙を埋めつくしていた怪魚の群れを飲みこみ、打ち捨てていく。一薙ぎごとに、数多の怪魚は波にのまれ、もはや原形も保てぬほどの残骸となって地面に横たわる。
剣戟と共に白刃が煌めき、銀粉が舞う。怪魚の歯ぎしりが断末魔の様に響き渡り、無数の白骨が体育倉庫に積み上がっていく。数度のユーベルコードの発動を終えた時、翡翠の四囲を埋め尽くした怪魚の群れは、全て事切れ、物言わぬ亡骸となって堆い山を築いていた。
翡翠は肩を上下させながらも、額をしとどに濡らす汗の雫を掌で拭うと息を整える。対峙する敵の一団は倒したものの、未だ、体育棟には敵が数多残存している。翡翠は打ち据えた敵の残骸を超え、次なる敵のもとへと走りだした。
走り抜けざま、呆けた様に目を丸くするカエシアと目が合った。
別に気まずさを感じたわけでは無かったが、翡翠は何とはなしにフードを深くかぶる。そんな翡翠の挙措をカエシアは会釈ととったのだろう。ふと翡翠が視線をカエシアにやれば、彼女は、柔らかな口角をひくひくと収斂させながら不器用に笑い、去り行く翡翠に回復の魔術を施すのだった。
まるで小動物の類の様なカエシアの姿を横目にしながら、翡翠は全身から徐々に疲労感がひいていくのを感じていた。わずかに口元を綻ばせながら、カエシアに小さく会釈すると、翡翠は次なる敵を求めて体育館を駆けていく。
大成功
🔵🔵🔵
エミリィ・ジゼル
(話を聞いていた)
ふむ。たまにはシリアスに戦いますか
今回の目的を追加。デウスエクス討伐はもちろんとして、二人にケルベロスとしての戦いをお見せします
二人は怪我のないように下がっていてください
あとはケルベロスにお任せを
デウスエクスの攻撃を【第六感】で【見切り】、オペラグローブのビームシールドで【盾受け】しつつ、聖剣の【カウンター】でダメージを与えていきます
攻撃が二人に及ぶ場合は、身を挺して守ります
相手の動きが鈍くなったところでUC発動
グラビティ・チェインによる一撃で敵を滅します
たとえグラビティが使えずとも、デウスエクスから人々を守るのがケルベロスというもの
この戦いで、お二人に何かが伝われば幸いです
旧体育棟の各所で猟兵とデウスエクスによる激しい戦いの応酬がなされている。
校舎の一隅で炎が上がり、また別の場所では雷光が駆け巡った。空を駆けてゆくさざ波が、デウスエクスを飲みこみ、古びた木造壁へと打ちつけ、木片を砕いた。
数多のデウスエクスは、猟兵らとの戦いの中で一体また一体と打倒されていく。
エミリィ・ジゼル(かじできないさん・f01678)は、騒然と粟立つ戦場の中において、平素と変わらぬ飄逸とした挙止でもって佇でいた。エミリィの足取りは相も変わらず、軽やかであり、歩を刻むたびに鋭角を描く、ぴんと伸びた耳元が陽気に揺れた。
天井より舞い降りてより、エミリィはその身に蓄えた奇跡の力を高めつつ、ゆきむら、カエシア両名のやりとりを静かに眺めていた。その中でエミリィは決心した。
視線を前方に固定すれば、カエシア、ゆきむら両名の姿が視界に浮かぶ。彫りの深い、端正な面長のもと、ゆきむらは口元をひきしめながら、物々しい拳銃を構えている。ゆきむらと自らを称するこの男は、ケルベロスの力を有さない一般人だ。だが、ゆきむらは、カエシアの前では自分が大物のケルベロスだと嘯いているという。
ゆきむらが嘘をついたのは事実だったが、彼は力が無いにも関わらず、もたれかかるカエシアを支え、彼女を守る様にして怪魚達と相対していた。
エミリィの翡翠色の瞳が、ゆきむらを仰望がちに見上げれば、視線に気づいたのかゆきむらが目を瞬かせるのが見えた。桜色の唇に微笑の花弁を咲かせながら、エミリィは、ゆきむらへと目礼し、ついで、視線をカエシアへと移した。
薄手のワンピースに身を包んだカエシアは、肩で息をしながら、つぶらな三白眼を大きく見開いていた。黒真珠の様に儚げに輝くカエシアの瞳には、力強い意思の光が穏やか湖面に時折、現れる波の様に揺らめいていた。
カエシアは、ケルベロスの力を有している。それもかなり強力な力をだ。既にカエシアは二度ほど、強力な炎の魔術を発現させ、仲間の猟兵の戦いを有利に展開させる助けとなっていた。
片や将来有望なケルベロスと、片や力は無いとは言え善良な市民と、エミリィは二人の存在に好意を感じていたのだ。二人に会釈しながら、エミリィは内心で決意する。
――ふむ、たまには。
ゆきむら、カエシアの両名に目礼がちに頭を下げ、エミリィはくるりと踵を返す。
――たまにシリアスに戦いますか
エミリィは、内心で独りごつと、両手を覆うオペラグローブを肘元まで伸ばし、右手で聖剣を構えた。一歩と前方へと歩を進め、カエシア、ゆきむらの両名の前に立つと背中越しにふたりへと告げる。
「二人は怪我のないように下がっていてください。あとはケルベロスである、このわたくしめにお任せを」
カエシアのケルベロスとしての才能の萌芽は、彼女の放つ魔力の絶対量や、カエシアの些細な挙止の端々からはっきりと窺われた。ゆきむらもまた、ケルベロスでは無いものの、しかし意気込みは見事なものであり、朗らかな性向はまるで太陽の如き玄耀の輝きを帯びていた。
不器用である故に力を活かせずにいるカエシアと、人としては円熟しながらもケルベロスとしての力の欠如に後ろめたさを感じるゆきむらの両名にエミリィは指標を示したいと思ったのだ。
デウスエクス討伐はもちろんとして、ゆきむらには非ケルベロスとしての戦い方を、カエシアにはケルベロスとしての心構えを自らの戦いを持って示唆したいとエミリィは痛切に感じる。
「敵が来ますが――、全て私が撃ち落してみせましょう」
エミリィは言葉短めにそう言い放つと剣を振りあげた。既に友軍の猟兵達の大攻勢を受けて、戦況は膠着状態にあった。とはいえ、未だに百を超える怪魚の群れが体育棟の中には残存しており、数十よりなる怪魚の群れがエミリィの前に立ちはだかっている。
エミリィが軽やかに足を踏み出すたびに、古びた足場はぎぃぎぃと軋みを上げた。靴音と床ずれの音が響き、ついで、怪魚達の耳障りな歯ぎしりが混じった。
怪魚の群れの中で、一匹の巨大な骸骨魚が、エミリィ目掛けて飛来したのは、エミリィが二歩目を踏み出したまさにその瞬間だった。
エミリィは両の眼を見開いて、怪魚の動きを予想する。
既にバトルオリンピアにおいてはエル・ティグレの秘技を、先のリヴァプール要塞攻略戦では要塞指揮官の必殺の一撃を見切ったエミリィには、例え怪魚が動きに多少の変化をつけても尚、その軌道を読み切るのは容易な事であった。
じぐざぐに空を駆けながら、怪魚がエミリィへと迫る。
怪魚の鋭い牙がまさにエミリィの胸元へと突き立てられんとしたその瞬間、エミリィは左手で胸元を庇った。オペラグローブを纏ったエミリィの左腕が、怪魚とエミリィとの間を遮った。結果、怪魚の牙は、矛先を当初の目標であったエミリィの心窩部から優美な曲線を描く左手へと変じる。
大口を開いた怪魚の口元が閉じられ、鋭い牙がエミリィのオペラグローブに齧りついた。オペラグローブの表面が怪魚の牙によりわずかに陥没し、掻痒感がエミリィの二の腕に走った。
だがそれでお終いだった。怪魚は半ばまで口を閉じたもの、オペラグローブの表面にあふれ出した一層の薄い光の膜に牙の一撃を阻まれて、閉口できぬままに中空に静止していた。
怪魚の落ち窪んだ眼窩の中、青白い焔が、動揺した様に揺らめくのが見えた。
すかさずエミリィは、右手に掴んだ聖剣を一閃し、腕もとに食らいついた怪魚を打ち払った。聖剣の一撃は、怪魚の側頭部を抉り出し、そのまま横一文字に頭蓋を切断する。
怪魚は頭蓋骨の上半分を失い、ぐずりと下方へと崩れ落ちる。眼窩に灯った蒼い焔が消失し、ついで、全ての骨片は支えを失い、ばらばらに分離していく。鋭い怪魚の牙もまた、エミリィの左腕を離れて、するすると地面へと落下し、落下の衝撃と共にガラス細工の様に砕け散るのだった。
怪魚の一体を屠殺すると、エミリィは流れる様な挙止でもって体勢を整えた。目の前の怪魚の群れを正面に見据えつつ、わずかにほつれた左腕のオペラグローブを右の小指で直す。
怪魚を挑発する様にやや大仰に聖剣を右下方へと振りぬき、下段で剣を構える。肩幅で両足を開き、力強く床板を踏み締めると、ゆきむらとカエシアを守る様にして、怪魚との間に仁王立ちした。
エミリィは口端を朗らかに緩めて、微小を口元に湛えた。エミリィの柔和な笑みと、淡い銀色の光沢を湛えた剣先が怪魚の群れへと向けられれば、怪魚達が剥き出しになった歯をけたたましく鳴らし始める。
一匹、二匹、三匹と続々と群れの中から怪魚が躍り出る。
結果、計五匹の怪魚の小集団が、エミリィ目掛けて飛来する。怪魚達は長い脊椎の末端より刷毛の様になって広がる尾びれを勢いよく振り回しながら空を掻き分け、勢いよく空を泳ぎ、エミリィとの間隙を瞬く間に駆け抜けてきた。
計二体の怪魚が左右から挟み込む様にエミリィに迫り、更に全身を蒼い焔で纏った三体の怪魚が縦に連なりながら、鬼火の様になってエミリィを襲う。一触即発の空気の中にありながらも、エミリィの楚々たる美貌から笑みが絶えることはあり得はしなかった。
エミリィは一の太刀として、左手から迫る怪魚を聖剣で切り落とすと、間髪入れず、自らの下腹部に迫る怪魚の突進を半身を翻すことでやり過ごした。
ぐるりと回転するエミリィの視界のもと、下腹部すれすれを怪魚の一体が駆けていくのが見えた。すかさず逆袈裟切りで目前を走り去る怪魚を一刀のもとに切り捨てる。白刃が下方から上方へと瞬いたかと思えば、エミリィの掌には骨を断つ確かな感触が広がっていく。振り向きざま、舞でも舞う様に勢いよく剣を振り上げれば、下腹部すれすれを疾駆していた怪魚の頭蓋が粉微塵に砕け散り、白い粉塵が周囲に飛散するのが見えた。
攻防一体の一撃のもとにエミリィは瞬く間に二体の怪魚を無力化した。
残る怪魚は三体だ。蒼い焔となった三体の怪魚がそれぞれエミリィの眉間を、心窩部を、下腹部を目指し、一直線に空を駆けながら、猛烈な勢いでエミリィのもとへと迫り来る。
エミリィの桃色の唇から、白い吐息がわずかに零れた。呼気に続き、エミリィは息継ぎする様に空気を吸い込むと軽やかにステップを踏んで半歩ほど後方へと飛び退いた。飛び退き様、エミリィの両の腕が上方へと弧を描き、聖剣が上段に振り上げられた。
後方へとゆるやかに下がるエミリィと、前方へと勢いよく空を駆け抜けて来る怪魚の距離は瞬く間に縮まった。怪魚の鋭い牙先がエミリィの柔肌を目前に捉えていた。
怪魚らの攻撃を避ける事はエミリィには容易な事であった。だが、彼らの攻撃をやり過ごした場合、後方のカエシア達に被害が及ぶ可能性がある。更に言うなら、エミリィは人々を守るケルベロスの戦いぶりを、カエシアに肌感覚で伝えたかったし、力を有さないゆきむらに言葉にならない強い思いを伝えたかった。
両の手で聖剣の柄を力強く握りしめ、エミリィは目前まで迫った怪魚目掛けて大ぶりに剣を振り下ろす。
暴風にも似た激しい轟音が周囲にたなびいたかと思えば、エミリィが振り下ろした聖剣は縦に連なる怪魚の頭蓋を一つ、また一つと砕いていきながら、三体の怪魚をひとまとめに切り落とすのだった。
瞬く間に計五体の怪魚を切り伏せた。
エミリィはつま先で床板を一度、二度と蹴りながら肩越しに後方へと振り向いた。
「たとえグラビティが使えずとも、デウスエクスから人々を守るのがケルベロスというもの。更に申し上げますに、力だけではありません。他者を救うための方法は無限に存在するのだと私は考えます」
肩越しにエミリィがカエシア達に告げれば、カエシアが目を丸くしながら首肯するのが見えた。カエシアの隣では、背の高いゆきむらが、目頭を熱くしているのがはっきりと窺えた。
再び、エミリィは前方へと向きを変える。そうして、剣を振り上げた。
五体を倒しても尚、怪魚は無数に存在する。エミリィが対峙する相手に限っても、おおよそ二十を超える怪魚がそこには存在していていた。
呼吸を整えて、怪魚の迎撃に移らんとエミリィは剣の柄を握りしめる。
瞬間、今度は八方より、怪魚が一斉にエミリィへと飛び掛かる。わずかに姿勢を落として剣を振り上げる。怪魚の群れは阿吽の呼吸で空を駆けながら、絶妙な時間差を置きながらエミリィを襲う。
完全に敵の攻撃をいなすのは厳しいと、エミリィは即座に判断する。それでも尚も陽気さは失わない。真剣に戦いに臨む事が、エミリィの元来の天衣無縫さの妨げとなることは無かったし、エミリィの快活さと相克する事も無かったのだ。
一撃や二撃程度は甘んじて受け入れようと、間断なく押し寄せる怪魚達を前にエミリィはそう決心した。
一匹目の怪魚を聖剣で薙ぎ払い、二匹目の怪魚を返す刃で一刀に両断する。小刻みに足を鳴らしながら、舞う様に三撃目、四撃目を繰り出せば、聖剣は寸分たがわずに怪魚の頭蓋を三つ、四つと打ち砕いてゆく。
だが、今まさに五撃目を繰り出さんとするエミリィのもと、左右より同時に怪魚がその鋭い牙でエミリィを襲い来る。
今の体勢から反撃の体勢をとり、左右の怪魚を同時にいなすのは物理法則上、不可能だ。自らの中で高まっていく奇跡の力、ユーベルコードの高まりも満潮にはやや足りない。
エミリィは微笑のままに、剣の切っ先を左手の怪魚へと向けた。右の怪魚の攻撃は絶えぬく腹積もりである。
エミリィと怪魚とが瞬く間に交錯する。鋭い牙が右肩元でぎらつくのが見えた。引き延ばされた時間の中で、怪魚の鋭い牙が緩慢とエミリィの肩元に触れた。
瞬間、乾いた銃声がエミリィの後方で轟いた。白光する長い尾を曳きながら、一筋の閃光が、エミリィの右肩上方すれすれを掠め、怪魚もろともに遠景へと駆け抜けて行く。次いで、エミリィの左手より迫る怪魚の全身から赤い焔が迸り、白骨化した怪魚の全身が激しく燃え盛るのが間近に見えた。
肩越しに魔力の高鳴りを感じる。振り向くまでもなく、カエシアの魔術とゆきむらの銃撃がエミリィを援護したのだ。
エミリィはますます笑みを深めながら、ついぞ極限を超えて高められた奇跡の力を一気に迸らせる。
ケルベロスとしての戦いの本質とは、誰かを、何かをデウスエクスから守りたいという気持ちから生じるものだとエミリィは考える。そして、今、ゆきむらもカエシアはデウスエクスからエミリィを守るために動いたのだ。
エミリィの想いは二人に伝播した。となれば、後は――。
「わたくしの魂の一撃、とくとご覧あれ」
エミリィは手にした聖剣を床板に突き刺すとメイド服の裳裾を指先でつまみ、怪魚らへと軽やかに一揖する。
エミリィの挙止を合図にユーベルコード『ケルベロスブレイド』は現前したのだった。
淡い奇跡の光が周囲に迸ったかと思えば、グラビティチェインの力を有した一振りの剣がエミリィの目前に顕現する。番犬の刃の名を冠する剣は優雅に宙を揺蕩いながら、鋭い刃先を怪魚の一団へと向ける。
エミリィが視線で行く先を誘導すれば、剣は勢いよく空を駆けてゆき、鋭利な切っ先もって怪魚を一体、また一体と貫いていく。
じぐざぐに空を駆けてゆきながら、剣は怪魚を時に怪魚を正面から刺し貫き、時に逃げ惑う怪魚を背中から切り裂いた。剣に切り裂かれた怪魚は、ばたばた地上に落下してゆき、正真正銘、物言わぬ躯と化した。
瞬く間に怪魚達はその数を減じていき、濃密な敷物の様に空に漂っていた怪魚の群れはもはや体勢を取り繕う事も出来ぬほどにちりぢりとなり、二三体ほどの怪魚を残して、全滅するに至ったのだった。
エミリィが指先で怪魚を指し示せば、飛翔剣『ケルベロスブレイド』は、轟轟と唸りをあげながら残存した怪魚らをも瞬く間に切り裂いていく。
喘鳴にも似た歯ぎしりをあげながら、怪魚は冷たい床の上に崩れ落ちていく。ここにエミリィは怪魚の一群を全滅させ、ゆきむら、カエシアの両名を守り抜いたことを実感する。
エミリィは床にさした聖剣を抜き両手で構えると、再び館内の様子を伺う。未だ、数十の怪魚よりなる怪魚の軍団が、二三組ほど館内ではひしめいていたが、エミリィら猟兵らの活躍により、既に怪魚の六割近くの殲滅は完了している。そして、残った敵との距離も十分に開かれている。エミリィの蕾のような唇から安堵の吐息が零れた。
エミリィは踵を返して、カエシア、ゆきむら両名のもとへと振り返る。振り向き様、エミリィが二人に手を振れば、ゆきむらが固く握りしめた拳を嬉しげに振り上げ、ついで、緊張交じりにカエシアが頷くのが見えた。カエシアもゆきむらも、当初旧校舎へと足を踏み入れた時よりも、どこか晴れやかに輝いてみえた。
たまにはシリアスも悪くない――。
内心微笑まじりに一人呟きながら、エミリィは二人に目配せすると、聖剣を再び両手に二人のもとを辞去した。きっと、あの二人なら大丈夫だと、エミリィは思う。
去来した喜色の想いがますますエミリィの足取りを軽くしていた。あとは、全員で無事に…。自らに言い聞かせながら、エミリィは再び館内を駆けてゆく。
大成功
🔵🔵🔵
暗都・魎夜
◎
連携○
【心情】
ちょっとはみ出した力を持っちゃった奴に、そんなのどうってことないって教える
学園設立前からの先輩たちの想いだ
どこに行ったって俺のやることは変わらねえよ
【決戦配備】
キャスター:動きを止めた竜牙魚兵にトドメを刺してもらう
【戦闘】
「俺は通りすがりの能力者さ、覚えておきな! 行くぜ、イグニッション!」
この辺に死の気配が強いのはこいつらが原因ってことか
こんだけの数がうじゃうじゃしているんじゃあ、心得のあるやつでも無事で済むか怪しいところだぜ
「先制攻撃」で「捕縛」のUCを発動
動けなくなったところへ「斬撃波」を放ちとどめ
「サークルのメンバーは全員無事なはずだ。ひとまずここを切り抜けようぜ」
館内を焔の揺らめきが照らし出していた。
数多、空を漂う怪魚の群れは、時に焔に焼きだされ、時に鋭い爪で切り裂かれ、剣戟やさざ波型の衝撃波によって次々と打ち砕かれ、物言わぬ屍となって、体育棟の床上へと力なく横たわっていく。
目算では当初二百程存在していた怪魚は今や数十までその数を減らし、今や、二三の小集団となって集簇し、体育館の中を切れ切れに揺蕩う程に勢いを落としていた。
怪魚は、おそらくだが集簇することで真の力を発揮するのだろう。
当初、体育棟の中には死の気配が充溢していた。死の気配の出所は怪魚にあり、怪魚より溢れる死に対する恐怖の感情が凝縮されることで、あの異次元が生み出されたのだろう。
今や怪魚が数を減らすことで死の気配は随分と薄らいだことが肌感覚で理解でき、同時に、あの異次元が再び生み出されることは無いだろうことが確信できた。
暗都・魎夜(全てを壊し全てを繋ぐ・f35256)は両指を組み、ぽきぽきと骨を鳴らしながら、残存する怪魚の一群を一瞥する。人の頭蓋と魚の脊椎都から構成された怪魚らは、如何なる原理によるものかは判然としなかったが、彼らは白骨化しても尚、生の円環に捉われていた。
鋭い牙と身に纏った炎を扱う怪魚らは、勿論、気を抜けぬ厄介な敵ではある。だが既に半数以下まで数を減らした現状において、こと、猟兵という超常的な存在と戦うには、怪魚はいささか役不足とも言えた。
質の面では猟兵が怪魚を圧倒しているのは明らかで、数の利を失った今、怪魚はもはや、決して遅れを取る相手たりえないのも事実だと魎夜は分析していた。
故に魎夜の意識の半分は、今やケルベロスの少女、カエシアへと向けられていた。
視界の中、蓮の大輪を彷彿とさせる赤い焔の揺らめきは、ゆるやかに萎みつつあった。
赤い焔にあてられて、質感のある艶っぽい黒の長髪が、どこか心地よげに揺れるのが見えた。黒髪をたなびかせながら、カエシアは右手を怪魚らへと向けて伸ばしていた。白水晶の眼球の中、黒墨の小点が鮮やかな光彩を放っている。大きく露出した華奢な肩元が忙しなげに上下し、その度に小さく膨らんだ薄紅色の唇から白い吐息が、絶え間なく溢れ出していく。
カエシア・ジムゲオアなるケルベロスの少女は、今、彼女が有したケルベロスの力を使役し、デウスエクスと戦っていた。
魎夜はカエシアを複雑な思いで眺めていた。
子供が戦う事を魎夜は良しとしない。しかし、反面でカエシアの場合は話は別だとも思う。
彼女は力を持ちながらも、その力に葛藤していた。そして、カエシアが真の意味で自らと向き合うためには、カエシアは戦いの中で自らの力のありようを正面から見据え、そして力を自分の一部として受け入れる必要があるのだとも、魎夜は自らの体験談から、そう感じていたのだ。
姿形のまるで異なる少女と、十代の頃の自らが魎夜の中では何故か重なって見えていた。
魎夜もまた強力な力をその身に宿してこの世に生を受けた。幼いころに出会った師の存在が、魎夜に生きるための指標をおぼろげながらも示した。その後魎夜は、銀誓館学園に入学して、学園の先達、旧友といった多くの知己を得ておぼろげだった自分の生き方というものに少しづつ確かな輪郭を与えていった。
だが、銀誓館学園に入学して以降、全てが順風満帆に進んだわけでは無かった。
過去の魎夜は、進路に悩む事もあれば、銀誓館学園時代に紡がれた師弟関係に思い悩むこともあった。また、ゴーストである平清盛の邂逅の際、かの相国入道が語った「自分達は世界結界を良しとしない」との言葉に、心を揺さぶられて、結果、自らの存在と学園との間に隔たる齟齬の様なものに煩悶したこともあった。
思い悩み、躓く事もあった。しかし魎夜は決して立ち止まることなく、銀雨降りしきる世界の中で最後まで自分の身に備わった力と向き合い続けたのだ。
あの学園にはあまたの能力者が存在したが、多くの学生は、自らの中に同居する力と時に反目しながらも折り合いをつけ、自らに備わった異能を、自らの一部して受け入れていったのを魎夜はよく覚えている。
今ならば魎夜は断言できる。あくまで力とは個性の一部なのだ。異能の力とは万能たりえないし、かといって呪いでも無いのだ。
あの学園で魎夜が見て聞いて、感じたことを、力に悩む少女に伝えたいと思った。
銀誓館学園の教えとは、十年以上も前の、世界さえも別とする学園の教えである。だが、魎夜が学園で学んだ先達の想いの結晶は、今も決して色褪せる事無く悩める者の指標となりえるだろう。事実、魎夜が力について現在の様に俯瞰してみることが出来るのは、死の隣あわせの青春時代があったからであり、学園の教えがあったからだ。
銀誓館学園という学園で培われ、醸成されてきた信念は、時代を、そして世界を超えて、一般という枠から外れた者達の羅針盤となり得るのだ。
――ちょっとはみ出した力を持っちゃった奴に、そんなのどうってことないって教える。なぁに、どこに行ったって俺のやることは変わらねえよ。
魎夜は、内心で苦笑しながら、カエシアへと向かい歩を刻む。
頭に捲いた赤のバンダナを締めなおせば、暗がりに沈む体育館の中、高窓から差し込む微光が、まるで銀の光沢を帯びた雨粒の様に淡く輝くのが見えた。
降り注ぐ銀雨の中を、魎夜は鷹揚と進み、カエシア、ゆきむらの両名の隣でピタリと足を止めた。隣立つカエシアが思案顔で、小首をかしげるのが見えた。目じりの垂れた三白眼が、穏やかに見開かれながら、親しみにも似た視線を魎夜へと注いでいた。
直感的にカエシアは、魎夜が自分と同じ能力者であることを見抜いたのだろう。魎夜は微笑ながらにカエシアの
無言の問いに答えた。
「俺は通りすがりの能力者さ」
「能力者?」
魎夜が端的に言い放つや、矢継ぎ早にカエシアの喜色の声が響いた。
「ああそうだ…。君と同じな! まぁ、覚えてきな」
魎夜が瞬きがちに目配せすれば、カエシアが口元に手を添えて、くすりと笑った。魎夜は、一歩前に出ると、背中越しにカエシアへと続ける。
「少し俺に力を貸してくれやしないか。お嬢ちゃんの力が必要なんだ」
口ずさむように明朗と魎夜が言えば、斜め後ろでカエシアがゆっくりと首を縦に振るのが見えた。内省的な少女の眼差しの奥、一本芯の通った戦士としての意思の光が垣間見えた気がした。
降り注ぐ陽ざしが、魎夜を過去の追憶の中へと誘い、少女の眼差しが銀星館学園時代の空気をこの場に再現した。折しも、今、魎夜は体育館にある。過去を想うには、いかにもおあつらえ向きな場所だ。
「まずは、俺が敵の動きを止める。それに合わせて、魔術での支援を頼む」
魎夜はカエシアにそう告げると、目の前の怪魚の一団に人差し指を向けた。怪魚らを挑発する様に、二度、三度と指を折り、声高にカエシアに指示出しを続ける。
「狙うは目の前の怪魚の一団だ。なぁに数はざっとニ十体程度…いけるだろ?」
魎夜は首を後方へと傾けて、白い歯を光らせる。愛らしい愛玩動物の様にカエシアが何度も首を縦に振るのが見えた。
これまでカエシアは、能力者と接触する事が殆ど無かったのだろう。故に彼女は過剰に能力を恐れたのだ。
幸い、能力の波長とでもいうべきものが、カエシアと魎夜とでは類似している様だった。ならば、銀誓館学園で魎夜が培った力のありようを、今、肌感覚でカエシアに伝えれば良い。
「分かりました。お兄さんの攻撃に合わせますね」
カエシアは口に当てていた右手を群がる怪魚の一団へと伸ばすと、魎夜を模倣する様に人差し指を第一関節の半ばまで僅かに曲げた。挙止の端々にカエシアの生真面目さが垣間見えた。たまらず、魎夜は微笑んだ。
「オッケーだ。それじゃあ行くぜ…。」
右足を力強く踏み出せば、魎夜の右足が木造床へとずしりと沈み込む。
「イグニッション!」
右足に込めた力を一挙に開放し、そうして、勢いよく足場を蹴り出せば、魎夜の体が勢いよく旧校舎内を疾駆する。
響き渡る魎夜の靴音は、館内へと反響し、怪魚の一団へと伝播していった。怪魚達の瞳に灯った蒼い焔が、火勢を増してゆき、脊椎の末端で刷毛の様に広がる尾びれが激しく動揺するのが見えた。
魎夜が怪魚らへと距離を詰めるに従い、怪魚達の殺気は高まってゆく。怪魚の一体が目を怒らせ、牙を光らせながら、魎夜へと向かい泳ぐ様に空を駆けてくるのが見えた。
だが魎夜には、怪魚の息遣いが、その挙動が、まるで手に取る様に分かった。
走りざま、魎夜は背中に射した震鎧刀・月魎斬式を抜刀すると、流れる様な挙止で迫り来る怪魚に向けて横に一閃する。瞬転、宵空の様な銀青色を湛えた鋭い刀身が、鋭い衝撃波を放つ。波の様に空を駆けて行った衝撃波は、寸分たがわずに怪魚の頭蓋骨を撃ち抜くや、頭蓋から尾びれまで一刀のもとに両断する。骨片が周囲に飛散し、ついで、乾いた落下音と共に床上に散らばった。
魎夜は直ちに次の行動に移る。
体は銀誓館学園時代の全盛期にも負けず劣らず軽やかだった。そして、今の魎夜は、当時以上の判断力と奇跡の技ユーベルコードを有していた。
既に魎夜の中の奇跡の力は最高潮に達した。あとはこの力を開放するだけだ。
魎夜は更に半歩を踏み出した。瞬間、やや遅ればせながらも、仲間の一体を失った故か、目の前の怪魚の集団が、総毛だっていくのが分かった。怪魚達は、歯ぎしりしながら、白骨化した尾びれで激しく空を叩く。
怪魚らを前に魎夜は、挑発気味に口端をつりあげた。疾駆する足を止め、右手を怪魚の大群へと向ける。
「大人しくしていな!」
魎夜は声高に言い放つと、奇跡の御業を顕現させるのだった。
魎夜が声高に叫ぶや、奇跡の御業『土蜘蛛禁縛陣』によって生み出された蜘蛛糸が魎夜の右手より周囲へと迸っていく。ただ魎夜だけが目視しうる強靭な蜘蛛糸は魎夜の指先から館内全体へと瞬く間に張りめぐらされ、怪魚の一体一体へと絡みついていく。
蜘蛛糸は複雑に幾重にもなって怪魚の関節部に潜り込み、骨を深部から絡めとっていく。蜘蛛糸に絡めとられるや、怪魚の一団はピタリと動きを止める。筋が削げ落ち、靭帯さえも欠損した、いわば骨標本とも言うべき骨組織のみで全身を構成した怪魚と言えども、物理法則には従うより他なかった様だ。
まるで、傀儡子の操り人形の様に、怪魚の一団は魎夜の放った不可視の糸によって完全に体動を止めたのだ。
「今だ、カエシア!」
魎夜が言い放てば、後方より火球が生み出され、巨大な焔の渦が怪魚の群れへと向かい、空を駆けてゆく。
赤い尾をぎらつかせながら、火球は勢いよく怪魚を飲みこむと、一体また一体と怪魚を焼殺する。焔に煽られた魚影は微動だにせずに、灰へと化していくのが魎夜にも見えた。
魎夜もまた、カエシアの焔に続き、手にした剣を振るい、怪魚目掛けて衝撃波を繰り出した。
一刀、一刀と攻撃を繰り出しながら、怪魚達を衝撃波で打ち倒していく。
あえて魎夜は能力者の心構えや訓示の様なものを、カエシアに言葉で投げかける様な事はしなかった。かわって、自らに宿る力を遺憾なく発揮する事で、身をもってカエシアに能力者としての戦いを示して見せたのだ。
焔が怪魚を包みこみ、魎夜の斬撃波が次々に怪魚を切り伏せていく。火の粉が爆ぜ、骨紛が砕け、怪魚の残骸が次々に床上に山積していく。
空を彩る魚影は瞬く間に数を減らしていき、終ぞ、魎夜が放った七刀目の衝撃波と共に、滞空していた最後の怪魚も力なく息絶えるのだった。
最後の怪魚が力なく床に崩れ落ちていくのを確認し、魎夜はカエシアへと顔を向ける。再び魎夜が笑顔をカエシアへと浮かべれば、両ひざに手をつき、激しく肩を上下させていたカエシアが満足げに魎夜を見返すのが分かった。
「サークルのメンバーは全員無事なはずだ。あともうひと踏ん張りして、俺達の力で、ここを切り抜けようぜ」
「えぇ、わかり…ました」
魎夜の言葉にカエシアが答えた。やわらかな声音には疲労の翳りとともに自信にも似た響きが滲んで聞かれた。
今日という日もカエシアにとって遠い過去となる日が来る。この束の間の邂逅が、少女にとっての力と向き合う契機となることを一人願いながら、魎夜は前方へと視線を戻す。
四囲の高窓より降り注ぐ日差しからは既に銀色の光沢を失われ、重たい昼下がりの光は今や柔らかな黄金色を湛えながら床上に淡い光の水面を刻んでいた。
現在は過ぎ去り、過去となる。旧体育館は幾星霜を経て、大部分は朽ち果て、細部に昔日の面影をわずかに残すのみだった。
だが、過去の想いは未来へと連綿と繋がり続けるのだ。
銀色の雨の余韻は、魎夜の、そしてカエシアの内奥へと沁み込み、身の一部となったのだ。
「イグニッション!」
再び魎夜が叫ぶ。叫びと共に降り注ぐ陽ざしが、過去と今とを混淆させていく。
大成功
🔵🔵🔵
ハル・エーヴィヒカイト
◎
連携○
▼心情
メデューサ配下の兵隊か?
力はそれほどでもないが数が多い。侮らずに行こう
犠牲者はひとりも出しはしない
▼ポジション
キャスター
▼戦闘
カエシアには自身とゆきむらの防衛に専念してもらう。降りかかる火の粉は払いつつ深追いはしないように
今までがどうあれこの場において君は特別でもなんでもないのだから
青い火は物質を透過するから直接受けずにかわすように。盾になろうなどと思うな、最悪君を貫通して後ろの人間にもあたるからね
ゆきむらは……大人ならわかるだろう? 生き残ることがあなたの仕事だ
「散れ、雪月風花」
開幕からUCを発動。この狭い体育倉庫内だ、逃げ場は与えない
敵だけを斬り刻む空間を形成し、有利な状況を作り出して戦闘を開始する
そして無数の刀剣を内包した領域を展開する[結界術]
それらの刀剣を[念動力]で操り[乱れ撃ち]、自身も剣を振るって戦う
敵の口から放たれる青い火は[心眼]で[見切り]
[霊的防護]によって非物質の守りを得た刀剣結界によって二人に累が及ばないように[受け流し]つつ自身は回避する
崩れ落ちた体育棟の木造壁の隙間から、突如、猛烈な陽光が差し込んだ。濃密な光の束は、中天より斜に館内へと降り注ぐと、色褪せた板敷の足場に光の綾模様を刻んでいく。
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣聖・f40781)は一瞬、目を細めて斜光をやり過ごした。瞳孔は焦点を絞り、光量に合わせて大きさを調整していく。
散瞳したハルの眼に浮かぶ視界のもと、ぼやけた館内は徐々に輪郭を明瞭にし、はっきりと浮かび上がる。
当初、館内に充溢した怪魚の大群はもはやそこにはなかった。分厚い白い帷帳となって、体育館内を埋め尽くしていた怪魚は、もはや切れ切れに館内に散在するばかりである。足元に積み重なる怪魚の残骸とともに、崩落した木造壁の存在が随所で認められた。怪魚達の遺骸の前には、遺骸に対峙するように立つ猟兵達の姿が散見された。
一人、二人、三人…五人と、この五人の精鋭が、当初、数百存在した竜牙魚兵の大群をほぼ壊滅まで追い込んだのだ。
ハルが素早く館内を見回せば、集団としての体を為している怪魚の軍団は、もはや体育館中央を遊泳する凡そ、五十程度の怪魚の一群のみとなっており、この一団を除けば、残る怪魚達は点々と体育館に散らばるばかりである。三々五々で空を逃げ惑う怪魚に関しては、戦力という意味では、彼らはもはや猟兵にとっては脅威たりえない事は明らかだった。
集団を為すことで、怪魚達は阿吽の呼吸で連携を行う。強烈な牙や、彼らが扱う炎は数を増すことで対処が、相乗的に厄介となる。だが、当初の五分の一まで数を減らした今ならば、彼らの牙も焔はもはや十全の性能を発揮することは出来ないだろう。今、戦いの趨勢は、猟兵側に大きく傾いている。この流れに乗じない手は無い。
ハルは上方へと斜を描く、切れ長な黄金の双眸を見開くと、館内の中央で蠢く怪魚の一団に視線を固定した。眉根を寄せて敵を睨み据える。
体育館中央に蠢く怪魚の一団は唯一、集団での戦力を保持した敵の一群と言えるだろう。彼らを一網打尽にすることは、事実上の敵戦力の全滅を意味する。
怪魚達は、空中でひしめき合いながら、白骨化した全身をやおら動かしていた。白骨体にまとわりつく蒼い焔が、まるで鬼火の様になって空中に歪に浮かび上がっている。眼窩で揺らめく蒼い焔が、憤懣気味に剥き出しになっているのが見えた。
彼らの視線の先にはカエシア、ゆきむらの両名の姿がある。せめて一矢でも報いんとでも言うのだろうか。殺気に満ちた視線が体育館の隅に立つ、カエシア、ゆきむらの猟兵へと向けられていた。
猟兵は勿論だが、カエシア、ユキムラ含めてだれ一人とて犠牲者を出すつもりはハルには無かった。
鬼火は火勢を増し、ますます激しく火の粉を周囲にまき散らした。青白い炎を受けて、怪魚の鋭い犬歯が一斉に白光するのが見えた。
ハルは直ちにカエシア、ゆきむらの両名のもとへと向かった。二人の前に立ち、カエシアへと視線を向ければ、心なしか、カエシアの面立ちは、グリモア猟兵が展開したスクリーン上に映ったものと比べて大人びて見えた。
丸みのある瞳は瞠目し、白雪の様な頬が朱色に染まっている。彼女の疲労を物語る様に、華奢な肩元が上がっては下がってを繰り返していた。だが、人見知りで知られるはずのカエシアは、突如、現れたハルの視線を受けても尚、怯むでもなく、動揺するでもなく、決して視線を逸らすことなく、正面からハルを見返していた。ハルは、僅かに微笑する。
「私は、ハル。ハル・エーヴィヒカイトだ。戦闘中故に手短な挨拶となり申し訳ないが、敵に攻勢の兆候が見えた」
ハルは言葉短く、そう告げる。どうやら、カエシア自信も既に怪魚の軍団の動きに気づいていたようで、カエシアは力強く首を縦に振ると、背を伸ばして怪魚の一団へと手を向ける。
ハルは首を左右にする。
「いや、カエシア、攻撃は私に任せてくれ。君には、自身とゆきむらの防衛に専念してもらいたい。凡そ、敵は五十を超える大群だ。私が逃した敵だけを君は倒せばいい。くれぐれも深追いはしないように」
「お兄さん一人で戦うのですか?」
ハルが言うや、カエシアが尋ねた。
ハルは、微笑で返すと、鷹揚とした挙止でもって前方へと体勢を向けた。腰に差した剣に手を添えれば、ひやりとした感触が掌に走った。ハルは、背中越しにゆきむら、カエシアの両名へと続ける。
「カエシア、今までがどうあれこの場において君は特別でもなんでもないのだから。いや…。少し違うか。誰もが特別であり、誰もが平凡なんだ。それは、私にも君にも、もちろんゆきむらにも、皆に平等に言い当てはまる」
ハルは一旦、言葉を切ると、右指の一本、一本を伸ばし、剣の柄に絡みつけ、剣を力強く握りしめた。
「生きることがカエシア、君の仕事であり、ゆきむら、あなたの仕事だ。どちらもくれぐれも盾になろうなど思うな」
左手で鞘を支えながら、右の前腕をわずかに滑らせ、剣の鯉口を切る。わずかに覗かれた刀身のもと、放たれた銀光が、怪魚の一団を貫いた。
ハルは彼我の距離と相対速度から、ユーベルコード発動に備えて、抜刀の構えを取るべく、静かに腰を落とした。
「私は、事戦いに関しては恐らくは君よりも多くの経験を積み重ねてきた。ここは私に任せて、君たちは、君たちの戦いをしろ」
呼気と共に背後に控えるゆきむらへとハルは告げた。凛然とした艶のあるハルの声音は、しっとりとした響きを伴いながら、周囲へと木霊していく。
「この怪魚は、私が切り伏せる――」
丹田で呼吸し、呼吸の間隔を広げていく。全身に張り巡らされた血管網を介して、ハルの全身に新鮮な酸素が沁み込んでいく。瞬く間に意識は研ぎ澄まされ、目に映る景色が一変する。凝縮された時間のもと、ハルの視界に映る全てのものは、緩慢と動きを始めるのだった。
陽射しの一条一条が降り注ぐ様や、空気の流れさえも見て取れるようだった。怪魚らは今や、宙を漂う雲の類に過ぎず、半ば静止している様にさえハルには感じられた。
迫り来る怪魚の群れがのっそりと、のたうつのが見えた。白骨化した尾が左右にゆっくりと動き、その度に、怪魚がのそのそと空を前方へと這うように進んでくる。
先頭をゆく怪魚の下顎が下方へと落ち込み、血肉の削げ落ちた口腔内の奥で炎が揺らめくのが見えた。次いで数匹の怪魚が同時に開口するのが見えた。喉奥で垣間見えた炎は勢いを増し、質量感を持った火球となると、怪魚の口元から一斉に吐き出され、激しい火炎の弾丸となって、空を走り抜けて来る。
しかし、ハルには怪魚らの一挙手一投足は勿論だが、迫り来る火球の軌道さえももはや静止画をぱらぱらと捲る様に捉えられていた。目前の火球など、静止したハルの世界の中では、ゆるやかに空を揺蕩う泡沫に過ぎなかったのだ。
ハルが、抜刀の構えを取ったままに僅かに身を左右に捻れば、微動しながら空を進む火球は、まるでハルの身を避ける様にして後方へと過ぎ去ってゆく。
火球の全てを紙一重でやり過ごすと、ハルは間髪入れずに結界術を顕現させる。自らを、そしてカエシア、ゆきむらを包み込む、結界術を張りながら、ハルは一歩を踏みこんだ。
怪魚は分厚い白い幕となって、ハルの視界を埋め尽くしている。白骨化した体躯が、歪に蠢き、耳障りな骨音がハルの鼓膜を揺らしていた。
既に数を減らしたとは言え、未だに集団を形成する怪魚の軍団は侮れぬ強敵だ。故にハルは、自らが持つ最高の技で相対するつもりだった。
無数の剣だ、とハルは内心で結論づけた。
体を落として、大きく息を吸い込んだ。精神を統一させて、無数の剣を脳裏に描く。全身の血は、高騰していく奇跡の力によって沸騰した様に熱く滾っている。獄炎の熱波が内側よりハルの全身を苛んでいた。にも拘わらず、脳裏はますます研ぎ澄まされ、挙止は軽やかとなっていく。空間はますますに密度を濃くしてゆき、時間は流れをよりゆるやかに刻んでいく。
怪魚の挙止の端々までもが今やハルには完全に収攬されるようだった。
「我が心、我が魂、我が生命――花と散れ」
怪魚の一団がハルへと向かい空を駆けあがってくる。未だに両者の距離は隔たれており、邂逅の瞬間は程遠いであろうことが窺われた。ただ、ハルの声だけが、両者を隔てる虚空の中に響きわたっていく。
「――其は別れを告げる刃。絶刀・雪月風花」
腰を半ばほど後方へと捻り、鞘ごしに腰に差した剣を後方へと退く。右ひじで怪魚の大群を睨み据えながら、ハルは静かに吐息を吐く。
口元から白くたなびいていく吐息と共に、ハルは全身に溜めた力を一挙に開放する。体幹から上腕、そして指先までを一本の強靭なバネとして、前腕を滑らせた。鞘を払い、剣を抜刀する。刀身は白い冷たい華麗さで冴えわたり、一陣の閃光となって横一文字に空を駆ける。
剣の一閃と共に、剣の軌道に合わせて波が走り、虚空にて砕けた。砕けた飛沫はとめどなく周囲にあふれ出していき、無数の薄紅色の花弁となって館内へと広がると、爛漫の花吹雪でもって視界を埋め尽くしていく。
そう、ハルの体で高まった奇跡の力は、飛び交う無数の薄紅の花弁となって体育館内に顕現したのだ。
ハルは抜刀した剣の切っ先を、怪魚の大群へと向ける。
瞬間、薄紅色を湛えた花弁が一斉に怪魚へと向かい、空を駆け出していくのが見えた。桜の花弁は、ひとひらひとひらが、独自の意思を持ったように軽快に空を遊泳してゆきながら、怪魚の大群を繭の様に包み込む。
怪魚が体動を止め、眼窩の焔を不安げに歪めるのが見えた。
ハルは怪魚の群れを冷ややかに見やりながら、手にした剣を振り下ろす。冷酷な断罪者の刃は、無慈悲な風切り音を号令に、空を彩る無数の桜の花弁を焚きつける。
「散れ、雪月風花」
白雪を踏み締める様な、柔らかなハルの声音が響き渡った。艶っぽい重低音は、しっとりした声音に反して、冷たい響きを伴いながら、怪魚らに死を宣告したのだ。
桜の花びらの薄紅色は徐々に色を失い、青ざめた白色へと色を変えていく。桜の花弁は、白梅の純白の冷然さを湛えた、鋭い刃と化したのだ。剣の一刀一刀が、一斉に震えだし、ハルの号令一下、並み居る怪魚の群れへと驟雨となって降り注ぐ。
怪魚らは逃げ惑わんとするも花の檻に捉われ、抜け出す事叶わずに、互いに押し合いへし合いしながら、降り注ぐ無数の白刃に全身を切り刻まれてゆく。
桜花が埋め尽くす視界の中、おぼろげに浮かぶ魚影が、鋭い花びらに弄ばれ、空中で幾度も激しく身をよじらせながら、続々と地上へと崩れ落ちていくのが見えた。重苦しい落下音と軽やかな斬撃音の協奏が館内に響きわたってゆく。続々と魚影は数を減らしていき、雲霞は靄となり、ついぞ、花の舞の中で、完全に霧散するのだった。
「――さよならだ」
言いながらハルが剣を鞘に納めれば、桜の花弁は四囲に微光となって飛び散った。開かれた視界のもと、集簇していた怪魚の姿は既に無い。ハルが視線を落とせば、舞い散った桜は、薄紅の泡沫となって大気の中で揺らめきながら、足元に溢れる怪魚の亡骸を照らし出していく。既に横たわる怪魚達からは、命の鼓動の様なものは感じられなかった。
ハルが館内を見渡せば、三々五々で体育館に点在していた怪魚らも、猟兵らの追撃によりあらかた片付け終わったようであることが窺われた。
ハルは踵を返し、ゆきむら、そしてカエシアのもとへと歩を進めながら、二人を見比べる。
今や、戦いは終わりを迎えた。しかし、もしもカエシアが今後、ケルベロスとしての道を進んでゆくのならば、必然、彼女は再び戦いの渦中に身を置く事となるだろう。結果、如何なる顛末がカエシアに訪れるか、ハルには予想出来なかった。
ゆきむらは、今もなおカエシアを守る様にして銃を構えていた。カエシアはゆきむらの右手に手を回すようにしてもたれかかりながら、ぼんやりと館内を見渡している。二人は年の離れた兄妹の様にも見え、友人の様にも見えた。
はたとハルは二人が子弟関係にある事を思い出す。
思えば、ハルは自らの恋の馴れ初めは剣の師匠と弟子という関係から端を発した。当時のハルの恋人に対する心情は、兄妹に対する想いにも、弟子に対する思慕とも、はたまた友人に対する友情ともつかぬ様々な感情が混在したものであった。
ふと体育館の二階の一角で、古ぼけた大時計が秒針を刻むのが見えた。時計の長針が、十二時を指した時、館内に鐘の音が響き渡る。枯淡な響きを伴いながら、幾度も鳴り響く鐘のもと、ハルは敢えて何も告げる事無く、カエシアとゆきむらの元を辞去することを決めた。去り際に伺えたカエシアとゆきむらは、力強く輝いて見えており、何故か過去の自分達の姿と重なって見えたからだ。
秒針は、時計の盤面上を半ばほど回り終えたところで動きを止め、鐘の音は残響だけを周囲に木霊させながら鳴りやんだ。大時計は、ついぞここに最後の仕事を終えたのだ。
だが、今、ゆきむらとカエシアの時間は再び動き出したのだとハルは感じていた。
力に思い悩む事もあるだろうが、力をいや自らを受け入れる存在が傍らにあれば、人は自らと向かい合い、歩を進めることが出来る。自分がそうであったように。
二人の自信に満ちた、仲睦まじい姿を背中に受けながら、ハルは体育館を後にした。二人と再会する日がそう遠くないだろうことを直感的に感じながらも、ハルは戦いを終えて、帰路へとつく。
猟兵達は続々と体育館を後にする。
体育館の中、手を繋ぐゆきむらとカエシアの姿があった。二人はしばしの間、無言でその場に立っていたが、射しこむ陽ざしを前にどちらともなく歩を踏み出した。猟兵に続き、カエシアととゆきむらもまた体育館を後にする。再び、無人となった体育館の中で、時を止めた大時計が古ぼけた館内を見下ろしていた。過日の賑わいは既に館内からは消え果てていたが、今も尚、そこには過去の息遣いが随所から感じられた。今日という日をも過去として内在しながら、廃校は変わらずに明日もまた、丘の上で静かに息し続けるのだ。
大成功
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