愛の祝祭に、想いを込めて
皆がいることが楽しいというけれど。
数え切れない程の沢山の輝きが世界に溢れているけれど。
私は貴女だけを選んだのだ。
貴女には私だけを選んで欲しい。
ふたりきりという幸せの中で、ゆっくりと笑う。
貴女というひとつの色彩を眸に映しながら。
知らない誰かたちがの行き交う街を、貴女と共に歩き続ける。
●
「これはどうでしょうか?」
楽しげな黒城・魅夜(悪夢の滴・f03522)の声色は、まるで転がる鈴の音のよう。
ただ一緒に過ごすだけで幸せなのだ。
それがバレンタインという特別な日に、一緒にショッピングが出来るのなら。
勿論、この後はふたりでチョコを作ろうと約束している。
それを飾る為の食器、お揃いのカップやソーサーを探しているのだ。
魅夜は少しだけ甘えるような、優しい微笑みと共に自分の見つけた素敵な一品を差し出してみせる。
嬉しさのあまり、子供のような無邪気さ。
それでいて浮かべる微笑みや、見せる指の仕草は乙女そのもの。
ただ、魅夜の趣味は少しだけ個性的だった。
「うん、そうだね。もうちょっと探してみようか」
「? そうでしょうか。私はとても素敵だと思うんですけれど」
「もっと静かに、穏やかに。ふたりの時間を飾るなら、花の色彩を損なわないものがいいと、私は思うな」
苦笑しながら応じるのはキリカ・リクサール(人間の戦場傭兵・f03333)。
僅かにキリカの黒い瞳が揺れて泳ぐのも仕方のないこと。
魅夜の趣味はダークゴシック系列。
センスがやや派手で、先ほど示したカップも毒々しい黒や紫が踊るもの。
パティシェ服やエプロンなども見てきたが、魅夜がキリカに示すのはどれも似たセンスのものだ。
黒を主体として、銀や紫の蝶が舞う姿は決して悪くはない。
キリカの趣味ではなくても、大切な魅夜のセンスなのだ。否定はしない。けれど。
「魅夜の艶やかな黒髪に、美しい黒の瞳。そんな夜の色彩を、他のモノと重ねてしまうのは残念だ」
「上手ですね」
くすりと笑ってみせる魅夜に、キリカも緩やかに微笑んだ。
「本音さ。魅夜の気品のある黒を際立てるのは、こういう可憐なものではないかな」
そう言ってキリカが示した食器は、白磁の器に青に薄紫の模様の描かれたアンティークティーカップ。
風に揺れる花の姿は楚々として、上品な可愛らしさを見るものに覚えさせる。
「食器たちも魅夜と同じ色を競うことになるのは可哀想だし」
「……本当に上手なキリカさん。ああ、でも確かに可愛らしいかもしれません」
僅かに目を細めながら、キリカに進められたティーカップを見つめる魅夜。
大切なひとに勧められるというだけで嬉しい。
その上でアンティーク調のカップは、少しだけ魅夜のゴシック趣味に寄っている。
キリカが自分が好きだからと勧めたのではないのだ。
魅夜に喜んで欲しくて、勧めてくれた一品。
「でも、私に似合うでしょうか」
けれど、食器の可愛らしさに自分が相応しいのだろうかと魅夜は迷う。
少しの照れと、困惑。
それこそ清楚なお嬢様が手にするのが相応しそうな、繊細なアンティーク調のティーカップ。
何時も選ぶものとは違う。
こんな可愛らしいものが、自分に相応しいのだろうか。
「似合うさ」
迷う魅夜に、キリカは囁く。
「私の知る限り、可愛らしいお嬢様は魅夜なのだから。いいや、可愛らしくて、美しくて、一番素敵な乙女は、か」
「もう」
そう云われれば魅夜も迷いは消えるが、照れて頬が赤く染まる頬。
柔らかな幸せに染まったその美貌を、愛しそうにキリカは見つめた。
言葉が途切れた。
声にする必要はないのだと、ふたりの指がそっと触れあい、絡み合う。
●
そうしてショッピングを終え、ふたりはキリカの家へ。
キリカも魅夜もお揃いのパティシェ服に着替え、キッチンへと向かう。
食器や器具を用意したのも、バレンタインという日に一緒にチョコレートを作るため。
貴女の為だけに作ったチョコを、私の傍で食べて欲しい。
それは大切な想いを詰め込んだ、甘い愛そのものなのだから。
なら、ふたりの想いを、愛を、平等に注いで作ったらどうなるのだろう。
愛がふたつ溶け合ったのなら、それは幸せになると思う。
一緒にチョコレートへと愛を注ぎたかった。
キリカが言い出したのではない。
魅夜も言葉にはしていない。
けれど、声にして確かめずとも通じ合う思い。
「さて、始めようか」
「そうですね、キリカさん」
作るのは、ふたりの隙なビターテイストなチョコレート。
少しだけほろ苦くても、ふたりの優しさと思いを際立たせるもの。
むしろ、香り高いその苦さが、思い出へと残る特別な贈り物。
それとは別のホットチョコレートは、互いの思いを、情熱を示す為のものかもしれない。
ただ、少しだけ残念で難しいことに、魅夜は料理の経験がほとんどないのだ。
「え、えーと」
包丁を持って、素材となるチョコレートをまな板に起く魅夜。
だが、どのように刻めばいいのかと、何度か包丁をチョコに当てては離し、角度や向き、力加減を変えていく。
そんなに難しいことではないとキリカが微笑んでしまう位に、何処か辿々しい手つき。
「まずは包丁の扱いに気をつけながら、均一にチョコレートを刻んでいくのだ」
「わ、わかっていますっ」
そんなに気を張らないで欲しいというキリカの思いに気付きながら、頬を膨らませて応える魅夜。
難しく身構えられるより、楽しく過ごしたい。
そんなキリカの思いも魅夜は分かるけれど、これはキリカへと贈る特別な手作りチョコレート。
少しでもいいものにしたい。
少しでも喜んで欲しい。
記憶の中で鮮やかに在り続けて欲しい。
そう魅夜が思うのは我が儘だろうか。元々の気性である負けず嫌いのせいだろうか。
或いは、それだけ強い愛情のせいなのだろうか。
魅夜も分からない。分からないけれど、それでもキリカの為に頑張りたいと思うのだ。
とん、とん、とチョコレートを刻む魅了の包丁。
決してリズムはよくなく、やはり迷うように流れる音。
ピアノの演奏のようとは決して言いがたい。
けれど、大切な音だった。
ふたりで紡ぐ、音と想いだった。
「そう、その調子」
魅夜の後ろで、チョコを刻む彼女を支えるキリカ。
料理の得意なキリカも、辿々しい魅夜の動きを笑ったりはしない。
そこにある必死さや思いに気付いたから。
キリカにできることは支えたいと思うから。
ひとりではなく、ふたりで作るチョコレートだから意味はあるのだから。
「よ、よし。できました」
よく見れば均一さには欠けてしまうチョコレートの破片たち。
それでも魅夜にとっては頑張った、想いの断片たち。
例えそのカタチが拙くても、とても大切で愛しいものだとキリカには思えてしまう。
「頑張ったね、魅夜」
微笑んでみせるキリカは、導くようにとふたりで刻んだチョコレートを湯煎にかけたボールへと落としていく。
まるでふたりの想いを溶かして、ひとつにしていくように。
温度を一定に保つようにと気をかけながら、そわそわと心配するような魅夜へと優しげな視線を送る。
「味見でもしてみるかな?」
「え、いいんでしょうか?」
キリカの手元でかき混ぜられるチョコレート。
溶けはじめたその欠片たちに、更に少しばかりの洋酒が注がれていく。
甘く香り立つその匂いは、確かに食欲をそそるもの。
ただ魅夜としては、一緒にというのが大事だった。作るのも、食べるのも、一緒がいいと思ったのだ。
けれど、キリカは優しく、穏やかに口にする。
「味見をする魅夜の可愛らしい姿を、私が見たいからね」
「なんですか、それは。もうっ」
けれど、それがキリカの望みならと。
「……す、少しだけ、ですけれど。味見させてくださいね」
上手く出来たのか、少しだけ心配でもあったから。
キリカの指先ですくわれたチョコレートに、魅夜は唇を寄せる。
魅夜の舌が美しい指先を濡らす黒を舐め取れば、僅かな吐息が零れ落ちる。
花蜜より甘く、記憶よりも深く、互いの胸に脈打つ何か。
愛しさとは決して褪せることなく、今に続く想いなのだから。
「美味しいです」
そう囁くように告げた魅夜の微笑みに、キリカの黒い眸が嬉しそうに揺れる。
●
そうして、チョコレートを型へと注ぐふたり。
それまでは共同作業だけれど、贈り合うのだから最後のカタチだけは互いに自分に決めるのだ。
「さて、こういうのはどうかな」
キリカは優雅な薔薇の形へと作り上げていた。
製菓という芸術じみた技量もさることながら、しっかりと作り上げるキリカの想いこそが際立っているかもしれない。
黒い薔薇の花言葉は永遠の愛、決して滅びることのない愛、貴女は私のもの……。
何より、キリカにとって魅夜は愛すべき花だ。美しき夜花だ。
なら、チョコレートで作った黒薔薇は、キリカが胸の裡で想う魅夜そのもの。
「少し気取ってしまったか? 受け取ってくれると嬉しい」
そういいながら、ふたりで選んだお皿に黒薔薇のチョコレートをおいて渡すキリカ。
「いえ、嬉しい。嬉しい、ですけれど」
魅夜は嬉しさに頬を染めながらも、僅かに迷い、戸惑っている。
ただそれは、食べるのが勿体ないとか、こんなものを受け取っていいのだろうかと気後れしているのではなかった。
「なんだか負けた気になってしまうのが、何だか悔しいです……!」
やはり魅夜は負けず嫌い。
こんな素敵で美しいチョコレートを貰ったのに、自分は普通なとも言えてしまうハート型のチョコレートを贈るのが、少しだけ負けた気がしてしまうのだ。
「勝ち負けなんかないさ。魅夜のチョコレートも、可愛らしくて私は好きだよ」
「いいえっ。これは満足できるかどうかです。来年、来年こそはこの黒薔薇のチョコレートに負けないものをお渡しします」
だからと、魅夜の真っ直ぐな視線がキリカを捉える。
そう、今年はこんなものだけれど。
負けたような気持ちがしてしまうのだけれど。
「――来年のバレンタインも、私の傍にいて貰いますからね、キリカさん」
それは宣言。
魅夜の傍はキリカのもの。
そして、キリカの傍は絶対に誰にも渡さない。
来年も、その先も、ずっと、ずっと、未来の果てまで魅夜とキリカは傍にいるのだと。
迷いも衒いもなく向けられたその視線、その想い。魅夜の美しい黒の双眸に浮かぶ想いに、キリカの心が引き寄せられる。
真っ直ぐで、一途で、先へ先へと進むその姿。
まるで魂に漆黒の翼を持ち、それでキリカを包むような、確かな想いと愛情。
「でも、薔薇よりもハートである私の方が、こういう場合にはいいのかもしれません」
くすりと魅夜が微笑みながら、自らのハート型のチョコレートを一口サイズに切り分けていく。
「だって私の心を受け取って、貴女の身の裡の深くに一緒に。……なんて、ロマンチックな言葉を言えるんですからね」
そう云ってハート型のチョコレートを。
魅夜の心のひとひらを、あーんと差し出す魅夜。
今日はずっとリードしてきたと思っていたキリカだが、その姿に叶わないと思ってしまう。
愛情は勝ち負けではないとはいうけれど、深い慕情を見せる夜色の姿に、どうしても魂ごと引き寄せられてしまうのだ。
キリカは、何処にいても魅夜の傍へと引き寄せられる。
そして傍から離れることが罪のように感じて、その手を取り続ける。
薔薇ならば、花ならば何れ枯れ果てよう。
星とて何時しか輝きを失い、宙を転がり落ちてしまうのに。
この想いは、心は、決して消え去ることはないのだ。
「ああ、魅夜。……あーん」
そうしてキリカの口へと運ばれる、魅夜のチョコレート。
くすくすと微笑む魅夜に対して、キリカもひとつウィンクをしながらホットチョコレートへと手を伸ばし、ゆっくりと口に含む。
優しいひととき。
愛しい時間。
その熱を、甘さを、共に味わおうというようにキリカは魅夜へと身を寄せて、手に持ったホットチョコレート入りのカップを魅夜の口元へと近づける。
「ほら、魅夜。あーん、だ」
「少し違う気がしますが、これもいいのかもしれませんね」
互いの身体の柔らかさを、暖かさを感じながら。
いまはほんの少しだけビターな、だからこそ秘やかな甘さを覚えるチョコレートを口にする。
チョコのように肌に触れて熔けていくふたりきりの時間は優しく、愛しかった。
成功
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