|君の歌《オーバード》
●序して始まり休まれど:||
君は知っているか。
君は知るだろう。
問いかける言葉と確信めいた言葉に胸がざわめくのを感じた。
星は歌う。
瞳に星を映す。
誰かが口ずさむようであり、また同時に口笛のような旋律でもあった。
「……また遭ったな」
「そうみたいだね。結局のところ、これは私の長年に渡る孤独が生み出した幻影なのだろうかと思うのだけれど」
違う、と白銀の巨人はにべにもなく応える。
「思うんだが、アンタの歌はどこか辛気臭いな」
「馬鹿な! この私の歌が辛気臭い!? わけがわからないことをいね! 君!!」
「いや、だいぶ」
「君がそうであるように、私にだって理解者というものはいるんだよ。君は得難きを得たと思っているかもしれないが、それは誰しもにあるものだ。掛け替えのないものというのは、次の瞬間には換えの効くものに変わってしまうものだからね」
白銀の巨人は、赤と青の熾火に昌盛する。
だから、『クレイドル・ララバイ』は揺り籠の中で歌う。
荒れ野にある瓦礫に反響する歌声。
その歌声を聞いた白銀の巨人は、確かに笑いもしなければ怒りもしなかった。
変わらない表情のまま、それこそ、行きずりの一人であるように振る舞うようにして『クレイドル・ララバイ』の傍を歩いていく。
「行くのかい。目覚めるのではなく」
「そういうものだろう。星の海を往くことも。荒野を歩くことも。そう変わりはない。それこそ、空を往くことも」
「なら、往くがいいさ。その名の通り。『パッセンジャー』――」
●願いは祈りに
朱鷺透・小枝子(亡国の戦塵・f29924)はゆっくりと額に流れる汗を拭う。
呼気を整える。
心拍に異常はない。
己の体躯にこもる熱を逃すために血液が循環していくのを感じる。
正確には、感じているようなふりをしているだけなのかもしれないが。しかし、小枝子は己の鍛錬を行っていた『学園』の廃墟から地下格納庫の一角へと戻ってきていた。
己の体躯の全てが、そうした反復を是としている。
そうすることが当然であると言うように反応を寸分変わらず、反射する。
その意味を小枝子は知らないだろう。
悪霊に肉体的成長はない。
なぜなら、『そこ』で止まっているからだ。
だが、それを否定する者もいるだろう。例えば、常闇の世界に生きる、生まれ変わってもなお美しき地獄に囚われていた者のように。
それは詮無きことである。
一体誰がそれを決めたというのだろう。
無意識であれ、有意識であれ、小枝子は鍛錬という日課を為すことにこそ意味を見出している。昨日と変わらぬ今日があるのだとしても、今日とう日に断絶するかもしれないということを知っているからである。
「……これは」
この歌は、と鼻歌のような口笛のような歌に意識を向ける。
また己の『クレイドル・ララバイ』が歌っているのだと理解する。地下格納庫の一角から響いている。
整備用品や機材といった山の上に陣取るようにして『クレイドル・ララバイ』は歌っていた。
何故か耳に残る。
「……『クレイドル』、その歌は、どういう歌なんですか?」
その言葉に『クレイドル・ララバイ』は振り返るような所作でもって躁気味な声を上ずらせる。
『お? おおおっ!?』
「なんです」
『いや! 奏者自ら聞いてくるなんて珍しいね!』
「耳に残るのです。その歌は」
『よろしい! 非常によろしい!! 良い傾向だと言っても良い!! いやぁ! わかるとも!! この歌はなんだろう? この旋律に籠められた意味は? 何を思って何を考えていたのか、作者の意図を! 知りたい! という想いは時として光さえ越えていくと思わないかい!?』
小枝子は聞かなければよかった、と思ったかも知れない。
『クレイドル・ララバイ』の躁気味な声は歌声と違って、別な意味で頭にキンキン響いてしまうのだ。
まったくもってこれがなければいいのにと小枝子は思うだろう。
「自分はやはり」
『教授してあげようじゃあないか! さあ、奏者、私を手に取りたまえ! やはり何かを知る、ということは耳目だけで捉えるものではないのだよ!!』
小枝子は仕方無しに『クレイドル・ララバイ』を手に取る。
姿を自在に変える魔楽機は、いつもの鍵盤ハーモニカへと姿を変える。
『これは『オーバード』と言うんだ!!』
「おーばーど? ……夜明け?」
『曉の歌とも言うがね!! さあ、譜面は頭の中にあるだろう!』
「勝手に流し込む癖に」
『仕方ないだろう、譜面を私は知っているが、出力するものが此処には無いのだから! 私だってできれば上質な紙の譜面に起こして視覚的にも美しく、素晴らしい旋律を楽しんでもらいたいものさ!!』
それができないから、直接脳に送り込んでいるのだと『クレイドル・ララバイ』は憤慨する。
「わかりましたから。しかし、これは鍵盤ハーモニカでは無理では?」
『そうだね』
「いきなり冷静になるのはやめて頂きたい。落差がひどすぎるであります」
歌、というのだから歌うのだろう。
そこに旋律が加わるのであれば、一人では無理なのではないかと思ったのだ。だが、『クレイドル・ララバイ』は心配御無用と言わんばかりに己の魔楽機としての姿を変えていく。
エレクトリックバイオリンの姿へと変わる。
「いえ、これでも無理じゃあないでしょうか」
『ええい、注文が多いな。じゃあ、これだ! 古今東西、ギターというのは、奏でながら歌うことを許された楽器の一つだ! 指先から感情を発露させ、喉は魂を震わせて発するものさ!』
だから、と『クレイドル・ララバイ』は言う。
さあ、存分に奏で給え、と。
『夜明けとはすなわち、朝の歌ということでもあるし、また同時に明けてほしくはない夜の歌でもあるといえるだろう。わかるかい、奏者。君は恋い焦がれることがあったかい。なかったのならば、これからそうなるかもしれない。君の心に、この感情はないのかもしれない。虚のようにぽっかりと穴が空いているのかもしれない』
感情を注げど注げど滑り落ちていくだけに過ぎないのかも知れない。
けれど、『クレイドル・ララバイ』は続ける。
いいのだ。
たとえ、器に穴が空いていたって。注ぐ感情は枯れない。人の感情というのはそういうものだ。
仮に小枝子が悪霊であっても。
今は人でなかったのだとしても。
尽きることのない感情の発露というものを人は持っているのだ。
ならばこそ、彼は思う。
穴が空いた器だろうがなんだろうが、こぼれ落ちるより多く注げば満たされるというものだと。故にこの歌を唄えぬ者など居ないのだ。
「むつかしいことを言うでありますな、また。それで」
指が弾く弦の音が響き渡る。
満たされぬ愛。
それは誰が歌ったものであるのかを小枝子は知らない。知り得ないかもしれない。
往くのかという問いかけめいた旋律を小枝子は奏でる。
何処へ、と問いかける声めいた音。
それがこの旋律に籠められたものであるというのならば。
「これは別離の歌でありましょうか?」
『そうとも言えるし、そうと言えないかもしれない。生きているかもしれないし、生きていないかもしれない誰かを思う歌かもしれない』
「蓋を開けるまでわからないと言われているようでもあります。そして、この曲、非常に疲れるのでありますが」
だろうね、と『クレイドル・ララバイ』は頷く。
『ありもしないものを在るのだと言うことだからだよ。何者にもなれない者たちが、何者かになろうとすれば、それ相応の代価というものが必要になるのさ』
『クレイドル・ララバイ』の言葉に小枝子は霞む視界で見上げる。
【己の歌声】から、【赤と青の炎を纏う半身】で武装した【セラフィム】を召喚されている。
揺らめく赤と青の炎。
その威容を小枝子は見上げる。
一体召喚するだけで、彼女の精神が消耗されているのを感じるだろう。
体が重たい、と思う。
それは人の悪性と善性を持つという証明であった。
「『セラフィム』……! なぜ、あの機動兵器が此処に……! このユーベルコードは……!」
『なるほど? 奏者というフィルターを介在させると、こうなって現れるのか。面白いね!』
「どういうでありますか、『クレイドル』! これは……この『セラフィム』は!」
小枝子は知っている。
『セラフィム』という戦術兵器を。
だからこそ、『曉の歌』、『オーバード』がユーベルコード足り得るのかということが理解できない。
揺らめく炎の『セラフィム』は佇んでいる。
『私の中にある『曉の歌』、『オーバード』は紛れもなく、ただの歌さ。曲だったさ。けれどね、奏者。曲は曲さ。コードはコードさ。そこに在る、ということだけでしかないのさ。だから、奏でる者にとって、形が変わる』
「そういうこととは関係のないことでありましょう! 自分にだってわかるのであります、これは!」
『いいや、わかっていないさ。奏者。これは『曉の歌』だ。『オーバード』と呼ばれる歌だ。けれど、これは『君の歌』だ』
その言葉が嫌に力強いことに小枝子は気がついただろう。
断言するような言葉。
『想いは形になるだろう。君も知っている通り。人間にはそういう力がある。心の中に在るものに名前をつけることもあるだろうし、形として出力することだってできる。なら、ユーベルコードは、こうして別の形にだってなる』
「だから……!」
『誰かの思いが誰かを救うことだってあるってことさ』
「……それが自分にはわからないと言っているでありましょう!!」
その姿に『クレイドル・ララバイ』は、静かに頷くような気配を見せる。
『わからないのならば。知らないのならば。未知ならば、知っていけば良いのさ――』
●星の海
「君は知っているかい」
かつての奏者は言った。
暗闇に瞬く星々に手を伸ばして言ったのだ。
伸ばされた手の先には星の海があるのだと。けれど、この地上からはるか遠い世界と自分たちを隔てるものがある。そう、暴走衛生『殲禍炎剣』である。
空を支配する炎の滅び。
「いつか、人類はあの星の海を往く時が来るのだろう」
『見果てぬ夢というやつではないのかな。私には想像もできないことだが』
「そうかい? あれだけ多くの音楽を知ることができたのだ。なら、星の海に響く歌だってあるはずだ」
『大体、あの先にあるのは真空だっていうじゃあないか。音が響かない』
「君らしくないな。それはあまりにもロマンチシズムに反する言葉だ」
けれど、事実だと『クレイドル・ララバイ』は思う。
「あの先にあるのは未知そのものさ。なら、真空でだって聞こえる歌があるかもしれない。そういう生物だっているかもしれない」
『かもしれないばかりじゃあないか』
「だが、可能性に満ちている。いつか行ってみたいものだね」
還る星さえも失っても、新天地を目指すように。
無限に広がる大宇宙を征く夢を見る。
そこには、奏者たる彼が行ったように真空で歌う生物だっているかもしれない。その歌が聞こえるかもしれない。
|大宇宙《スペース》で|歌劇《オペラ》が繰り広げられる|世界《ワールド》だってあるかもしれない。
かもしれない、と『クレイドル・ララバイ』は苦笑いする。
己の中に蓄積されていたメモリーが見せる残像めいた映像。
いつかのだれかとの会話。
それを継ぎ接ぎに繋げたものだ。ある存在はくだらないと切り捨てたけれど、『クレイドル・ララバイ』はそれを捨てられない。
己の心の慰めなのだとしても。
確かに其処にあったのだ。そうしたいつかを願った日々が、記憶が。
なら、これもまた歌なのだろうと思う。
『曉の歌』が『オーバード』が夜明けの歌であり、朝の歌であり、夜よ明けるな、と願う歌だというのならば。
揺り籠は思う。
この微睡みにも似た夢は幸せな停滞であると。
そして。
「『クレイドル』! 今の演奏はよかったのではないでしょうか! このギターという形態も良い気がします!」
ゆめは醒めるものだ。
切り裂くような奏者の声が聞こえる。
其処が停滞だというのならば、『今』は此処にある。
『クレイドル・ララバイ』は、小枝子というフィルターを通して生まれた『|オーバード《君の歌》』に、静かに煌めきを見た――。
成功
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