●桃の寒天ゼリー
ふるりと揺れる薄桃色の寒天。
中に揺れるようにして桃の花弁が舞う。
それは色の異なる寒天を差し込むことによって表現された桃園の様子であった。共に桃狩りに行ったことをつい先日のことであっても懐かしむような気持ちになるのは、こうした人の手技の一つであったことだろう。
『若桐』の作った寒天ゼリーは見事な花弁舞う形をしていたが、宝貝人形『花雪』がつくったものは、初めてにしては上出来とは言え、やはり一歩『若桐』に及ばないものであった。
「だが、上手くできておる」
「うん、最初でこれだけできたのならば、才能があるって言ってもいいくらいだよ」
厳・範(老當益壮・f32809)と『若桐』二人にそう言われては、『花雪』も素直にうなずかざるを得ない。
いつだってそうだけれど、『花雪』は常に常在戦場ならぬ常在修行を座右の銘にしている所がある。
彼女は休憩時間こそ修行であるとは思っていないが、二人に食してもらう寒天ゼリーの出来栄えというのは、やはり気になることろであった。
評価を欲しているわけではなく、結果を欲しているのだ。
「でも、やっぱり……」
範や『若桐』にそう伝えられても、やっぱりどこか自身が持てない彼女に二頭のグリフォンは、むしろこちらの方がよいとばかりに口に運んでいる。
彼らはグリフォン故に人のように手を使うことができない。
逆に硬めの方が口で加えて飲み込むことができるから、ありがたいとさえおもっているようだった。
「おいしい」
「おいしいよ」
頷くようにして二頭が嚥下する様を見れば、いよいよ『花雪』も納得したようだった。
「ほら、あの子らもそう言っているよ。『花雪』も自分で食べてご覧よ」
「はい……」
匙で掬う寒天ゼリーが揺れている。
自分の手が震えているせいではないかと思ったが、どうやらそうではないらしい。口元に運べば桃の香りがしている。
あの日桃狩りで嗅いだ香りだ。
その漂う香りに誘われるようにして胡蝶もよってきている。
それがまるで太鼓判を押されたかのように『花雪』は寒天ゼリーを飲み込む。
つるりとした感覚が喉を伝っていく。
食道を優しく広げる感触。冷たいのは冷蔵箱に入れていたからだ。徐々に体の熱を奪いながら、寒天が胃に当たる器官に落ちていく。
さわやかな甘さ。
香りが広がる感覚。
そういうものを『花雪』は感じ取って微笑む。
「美味しいです……」
「でしょー! ボクが教えたんだから当然だよね!」
「ああ、美味い。だが……」
あ、と『若桐』は範の脇を小突くが遅かった。
「わしは『若桐』の作ったほうが好みではあるがな」
素直にそう言ってしまってから範も口が滑ったと理解したのだろう。どうしてそういうことうかな、と『若桐』は嬉しさ半分呆れ半分であった。
けれど、『花雪』はそれはそうでしょう、とキョトンとした顔をしていた。
だって、夫婦なのである。
ならば、味の好みを一番知るのは妻であろうし、夫はそうであるべきだと『花雪』は感じているようだった。
「お祖母様の味にいつか近づけるようにがんばりたいです」
「う、うん。そうだよね。何事も挑戦だよねー!」
なんだか『花雪』は一人で納得しているようだった。あわや『花雪』が傷ついてしまうかもしれないと思っていただけに、これは肝が冷える思いであった。
ほら、と小突かれた範も反省したようである。
「う、うむ。これからもよく『若桐』に教わるように」
「はい! もちろんです! あ、お祖母様、お店のお休みはいつまでになられるのですか?」
「お休みは明後日までだね。たまにはお店も休みにしないと。こうやって一家で揃って過ごす時間っていうのを大切にしたいからね」
彼女の言葉に範も頷く。
彼女達はいずれもが血の繋がらぬ者たちである。
連なる者もいない。
けれど、こうして集ったのだ。
家族、という名前を借りなければならないわけではない。けれど、そう言葉にすることによって得られるものだって確実にあるだろう。
だからこそ、彼らは家族に為るのだ。
「ふふ、夏の日はこうして過ごすのも悪くはないよね」
「ああ、こうも連日熱くてはかなわぬからな」
「本当ですね。でも、この暑さも修行になるからいいものです!」
むん、と力を込める顔をした『花雪』に二人は笑うしかない。
日々是修行。
そう言葉にしてしまえば、それまでなのだけれど。
だが、と範は思う。
このなんでもない日々こそかけがえのないものである。いつものように。明日もまた当然のように訪れる日々のなんと愛おしいことだろうか。
過ぎ去っていくしか無い今があるのだとしても、それを良き思い出であると言える今をこそ範は尊ぶ。
「桃の寒天ゼリー……これを食する度に今日という日を思い出すのであろうな」
それがどうしようもなく嬉しいのだと範は柔らかく微笑み、花弁もしたゼリーを夏の陽の光に透かして眩く見つめるのだった――。
成功
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