|悪霊《EviL》はさかしまに|生きる《LivE》
●残骸の浜辺
きっと名をつけるのならば、そんな名が付く浜辺だった。
朱鷺透・小枝子(亡国の戦塵・f29924)にとっては|故国《亡国》と呼ぶべき嘗ての小国家にほど近い海岸線。
砂浜が広がり、あちこちには破壊されたキャバリアの残骸が散見される。
人気はない。
戦いの激しさを物語るように人型であったものは、人型であったと辛うじて分かる程度の原型しか留めていなかったからだ。
潮風に、風雨に晒されて、徐々に朽ちていくしかない残骸。回収もされない。墓標としての役割すらない。
ただ、そこにある。
路傍の石と呼ぶしかない残骸達。
しかし、照りつける太陽と海の青さだけは、人の営みなど関係ないと波の音を奏でながら時と共に移ろっていく。
一つとして同じ形の波間はなく。
人の眼球は類まれなる者であったのならば、それが球体の集合であることを知ることもできるだろう。
波の飛沫が太陽光を反射して煌めく様は自然の美しさを知らしめるようでもあった。
「やはり!」
そんな中、波間を蹴って、手をかき回すようにしながら小枝子は波に抗うようにして泳ぐ。
海水の冷たさが、駆動することによって発生する熱を沈静化していく。
心地よい、と思うのと同時に疲労が体の中に広がる。
海水を掴むことはできない。
かくことしかできない。脚も、手も、己を前に進ませる推力。
「これは良いトレーニングになるであります! 力強い潮流! しかし、負けるわけには!!」
目印にしていた岩場を目指していた小枝子は渾身の力を込めて岩場に取り付く。
腕が震える。
筋肉の疲労が頂点に達しようとしていたのだ。取り付いた岩場に上がると小枝子の白を基調としたスイムウェアから海水が滴る。
黒で囲うようにして小枝子の体を包み込む水着は機能性を重視したものであったが、彼女の鍛え上げられた肉体を際立たせるものであった。
同時に彼女の太ももに備えられたマガジンストックと肩がけストラップに吊るされたヴァイオリンのようなユニークな形をした銃器も海水の雫を岩場に落とす。
照りつける太陽はすぐに岩場に落ちた海水を干上がらせる。
それほどに気温は高い。
息を吐きだし、整えながら遠くに見える浜辺を小枝子は見やり、すぐに己の携行した銃器を確認する。
「マガジンの喪失なし。携行火器の動作……問題なし」
一通りの確認を終えて、小枝子は己の心拍の低下を感じる。
吐き出す吐息は冷えた体の奥底から運動による血流の圧力を感じて熱を帯びる。
「思った以上に泳いだでありますな。目測ではもう少し短いと思っておりましたが、やはり潮流というのは侮れないであります。戦いの場が陸地ばかりとは限りませんし」
温泉国家『ビバ・テルメ』での巨神を巡る戦いにおいて、その戦場は湾内とは言え陸地ではなかった。
海中での戦いに特化したキャバリアの水中機動というのは侮れない。
戦うのはキャバリア同士なのだからパイロットが体を鍛えたところで、と思われるかも知れないが、キャバリアという戦術兵器は人型であることが多い。
ならば、パイロットが己の肉体の可動域や能力の限界を知ることでキャバリアを手足のように扱う時、そこに差が出る。
少なくとも小枝子が経験してきた訓練というのは、そうした差を埋めるものであった。
瞳を閉じる。
己の人口魔眼を一時休止させるためだった――。
●懐古
懐かしむ、というわけではないけれど。
しかし、自分のことを振り返った時、その多くは血と硝煙、爆風の熱波。破壊の音にまみれている記憶が多かったと思う。
猟兵に目覚める前の自分は、|兄弟姉妹《キョウダイ》と共に血反吐に塗れた訓練を送っていた。
懐かしい、と思う感情はやはり止めようのないものであった。
どうしたって懐かしいと思うのだ。
海に触れたからだろうか。
それとも、この波の音が回顧を促すのだろうか。
どちらにせよ、不思議な感覚だと小枝子は思う。人口魔眼を一時休止させているからか、余計に視覚以外の感覚が鋭敏になっている。
だから、この体に残る記憶が想起されるのかもしれない。
多くのことがあった。
辛酸を、辛苦を、そうした多くを得た。それ以外を得る機会などなかったし、仮に得る機会があったのだとして、そこに至る前に生命は散華する。
散華、と言う表現が自分の中から出てきたことが意外にも思えた。
あの頃の自分であったのならば、生命が散ることをそんなふうに思うこともデキなかったであろうから。
オブリビオンを滅ぼすためだけに存在していた|クローンアンサーヒューマン《消耗品》。
戦場で戦って死ぬことを名誉として、勝つことだけが何よりの誉れ。
そう教わった。
そうあるべきと言われてきたのだ。
そうでなければならないし、そうでないのならば欠陥品でしかない。選べることはない。
「|兄弟姉妹《キョウダイ》……」
本来ならば涙が零れそうな感情の揺れが感じられても、小枝子の瞳からは涙はこぼれない。
彼女自身がそれを認識していないからかもしれないし、そのような機能は不要と体が断じているからなのかもしれない。
「走れ!」
「戦え!」
「立ち向かえ!」
「手足がちぎれても、体が粉砕されても!」
「戦え!」
「戦え! 戦って! 戦って! 戦いの果てに死ね。死ぬのならば、戦って朽ちて死ね。それだけがお前たちの存在意義なのだから」
再生される言葉。
その多くに疑問を持つことはなかった。
今も疑問を持つことはない。己は猟兵である。そう自覚できる。己の国は滅びた。
死ぬまで戦い続けることを強いられたのではないのだから。
そうあるべきと言われて|生きて《戦って》きたのだ。
他の誰に否定されるのだとしても、己自身が肯定している。
「本当にそうだろうか。君は、君たちは、どうして他の生き方があるとは思わないのか。『戦いに際しては心に平和を』――そう思って戦火を前に立ち向かう生き方もあるんじゃあないのか」
ノイズが走る。
その言葉を己は『知らなかった』はずだ。
人口魔眼が起動する。
ノイズ混じりのそれは、燃える人口魔眼の熱と共に焼き切れ――。
●為すべきことを為す
為すこと知らぬというのならば、為すことを知ることもまた為すことの内である。
起動した人口魔眼が己が泳いできた岩場から浜辺を見据える。
体にはすでに目算と、泳いだことによる距離の算出が合致している。そして、肉体の熱が一定に戻ったことを示すように心拍が落ち土ている。
今のはなんだったのだろうか。
わからない。ノイズ混じりの映像と言葉は小枝子が、猟兵となる前に聞いた言葉であったような、そうではないような気がする。
「気がする、とはまた不確定な物言いであります。修正をしなければ。いや、でもしかし」
あれはなんだったのか。
懐かしさを感じさせる己の何かが引っ張り上げた記憶の奥底か。
思うは|兄弟姉妹《キョウダイ》たちのこと。
「過去の記憶でありましょう。なら、自分ができることはやはり、これしかないのであります」
日々の鍛錬。
夏の日だって変わらない。戦うことだけが己の存在意義。戦うということは敵であるオブリビオンを打倒すること。
倒して、壊して、倒して、壊して、勝つ。
それ以外に重要なことなど小枝子にはない。
だから、再び彼女は目の前に浮かぶコンソールホログラムに指先で触れる。
まだ水練の行程は終わっていないのだ。
一見すると小枝子の行動は過度な肉体いじめのようにも思えたことだろう。
トレーニングと呼ぶにはあまりにも過酷がすぎるからだ。呼び出した装備を小枝子は脚部と腰部に取り付ける。
メガスラスターとプラズマシューズ。
ゴーグルを下ろす。
「メガスラスターとプラズマシューズの同期を確認。推力上昇。内圧確認。圧縮開始。往くであります!」
岩場からプラズマシューズより発生された電離より大気が震える。熱せられ、膨れ上がった空気が小枝子の踏み出す挙動と共に一気に海面を割るようにして岩場を砕いて砂浜へと飛び込む。
一瞬だった。
彼女の踏み込みはプラズマシューズとメガスタスターによる加速で、遠泳の距離を一瞬で詰めるのだ。
「標的確認であります!」
手にしたユニークな形の携行火器を抱えるようにして小枝子は構え、その内包された弾薬を凄まじい勢いで標的に設定していたキャバリアの残骸へと叩き込む。
銃弾がキャバリアの装甲に激突し、弾頭がひしゃげるのを小枝子は冴え渡る人口魔眼の煌めきと共に確認する。
弾道の修正。
大気の状況は己がプラズマシューズで推力を得る度に変動していく。
それを計算し、加味していくことで集弾性を高めていくのだ。
「標的沈黙。マガジンバレルの交換。問題なし、と……」
海面の上に浮かんでいたプラズマシューズの機能をオフにすると小枝子は、そのまま海面へと降り立つ。
装備の持った熱が海水で冷やされ蒸発する。
海底、浅瀬であるが砂浜から続く底は小枝子の足を容易に取るだろう。ぐらつく体を小枝子は手を振ってどうにかバランスを取ろうとする。
「わ、おっ、と……わっ!?」
盛大な音を立てて小枝子は背中から海面に倒れ込む。
飛沫が舞う。
同時に小枝子は海中の中にあった。
見上げれば、海面が太陽光を乱反射して揺らめいているのが見える。
目を見開く。
美しいと感じる。ゆっくりと浮上していく体。
「このまま沈んでしまっても良いと思えるでありますな」
けれど、力を抜けば抜くほどに体は海面へと浮かび上がっていく。願いとは裏腹にままならない。
まるで己が、現世にあることを望む者がいるように背を圧されているような気がする。
浮力を得て、小枝子は海面に顔を出す。
息を吸い込もうとして海水が己の舌の上に触れる。
「しょっぱいであります」
それに、と小枝子は目を見開いて、青空に浮かぶ太陽の光に目を細める。
「意外に楽しいであります。楽しい。うん、自分は今楽しいと感じているであります」
誰に言うわけでもない。
ただ、そう思ったのだ。
己たちは戦いに生きて、戦いに死ぬ定めだったのだ。どんな言葉がかけられるのだとしても、それは変わらない。
変えられないものだ。
変えてはならないものであるとも感じる。
けれど、今自分が感じる楽しさというのは初めての経験であっただろう。
散っていった|兄弟姉妹《キョウダイ》は、『これ』を知らない。細められた瞳が見開く。人口魔眼が起動し、念動力と共に小枝子は海中から海面へと浮かび上がる。
溢れる念動力は大量の海水を手繰り、凝縮されていく。
メガスラスターの推力がプラズマシューズの生み出した熱波と共に海面を蹴る。今は自分ひとりだ。
嘗ては|兄弟姉妹《キョウダイ》がいた。
もしも、と思ってしまったのかもしれない。
もしも、この場に彼らがいたのならば、世に聞くビーチバレーという訓練でもなければ鍛錬でもない遊戯に興じたのかもしれない。
けれど、それはありえない未来だ。
あるわけのない未来だ。
あの言葉が、きっと己に幻視させたもの。
「だが、悪くはない。立ち止まるよりは余程良い。だから!」
念動力によって圧縮された水球。
それを小枝子は掴み、浜辺のキャバリアの残骸へとビーチバレーでいうのならばスパイクの要領で水球を叩きつける。
砂浜には盛大に開放された海水が雨のように降り注ぐ。
小枝子は降り注ぐ海水の雨を見上げて、息を吐き出す。
笑う、というにはあまりにも小さな吐息のようなものであったけれど。
「休憩終わり! 未だ鍛錬の行程は十分の一も終了しておりませんからね! さあ、日が暮れるまでには終わらせてみせましょう!」
小枝子は表情を切り替える。
今の自分には回顧も悔恨も必要ない。
見据えるは今。
夏の日差しが、小枝子の思いを肯定するように降り注いだ海水の雨を日照りでもって乾かせ、そして、また小枝子は乾いた砂浜を己に課したトレーニングでもって海水を盛大に巻き上げ、濡らす。
乾いても、乾いても。
濡らし、満たしても。
それでも己の中にある戦いに対する渇望は言えることなく。
その衝動に小枝子は従う。
それが亡国の戦塵たる悪霊猟兵たる小枝子の道なのだ。
例え、自覚なくとも。
己の在り方は己が決めたのだと示すように小枝子は膨大なトレーニングメニューを消化し、夏日を過ごすのだった――。
成功
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