Alpinia Zerumbet
●普段着
常から思っていたのだ。
何を、と問われたのならば若桐は答えるだろう。
「そんなの決まってんでしょー!『花雪』のことだよ!」
「一体全体どうしたことだ。何をそんなに……」
厳・範(老當益壮・f32809)と彼女は夫婦である。
ものすごい年の差の夫婦に見えるのは若桐がとても若い風体に見えるからだろう。見目も身内贔屓というのを差し引いても麗しい花のようであるように思える。
けれど、それは今回違うのだなと範は思い直した。
彼女の言葉を考える。
ここで安直に問い返そうものならば、きっと若桐は烈火の如く怒り狂うであろうことは容易に想像できてしまう。
「あの娘! せっかく素材が良いのだからー! 可愛く着飾らせて上げればいいじゃない!!」
ああ、そう云う。
範はたしかに、と思う。だが、考えて見ても欲しい。
己のような者が年若い女性、それも娘ほどの花雪のおしゃれに聡いと思えるだろうか。自分ができるのはせいぜい財布の紐を緩めることばかりである。
「だがな、そうは言ってもあの子は遠慮ばかりしているのだ。どうだと進めてみても首を縦に振ることをしない。わしにはお手上げだ」
「だからでしょー! 僕に任せ給えよ! こういうことは女親の約得でしょーがー!」
「それもそうであるな。いかんな。どうにも頭が固くなっているようだ」
「ふふん、でしょでしょー。それにほら、ちょうど市も開かれているからさ、そこへ行こう! ほら、花雪に伝えてきてよ! ね! ねー!」
「わかった。あいわかったとも」
まったく、と範は若桐の勢いに押されっぱなしである。
だが、これはよい機会であると範は思ったことだろう。
先程言ったように『花雪』は妙に遠慮していて、自分の要望を伝えようとはしない。そもそも、そうした願望を抱くこと自体が分不相応だとさえ思っている節がある。
ここに若桐の強引さをぶつければ、少しはそうした態度が柔らかくなるのではないかと期待していないのかと言われたら、きっと嘘になるライン。
●市場の散歩
宝貝人形である『花雪』は市場を歩く。
いつもと変わりない光景である。慣れたものだ。けれど、いつもと違うこともある。常ならば、若桐と二人であったり、またはニ頭のグリフォンである阳白と阴黒と共に訪れることが多い。
「荷物載せていいよ」
「お散歩楽しい。楽しいお散歩」
二頭の背に花雪は荷物を載せる。今日は若桐の研究や宝貝作成に必要なものなど日用雑貨に食料と多くの買い出しをしなければならない。
こういう時に二頭の力強さというのは頼もしい。
けれど、それ以上に花雪を緊張させていたのは、範の存在であった。
彼は普段の姿ではなく、人間としての……それこそ壮年めいた風体で共に市場を歩いている。
珍しいことだ。
「でも、お爺様もなんて珍しいですね?」
「家屋というのは呼吸するものである。朝風を入れて空気を変えるであろう。人もまた然り。そうすることで心の入れ替えをするのだ」
「な、なるほど……」
「もー! 今日はそういう堅苦しいのやめなってばー!」
範の言葉に若桐は不満そうに頬を膨らませている。
どうやら範も緊張しているようである。
いや、違うな、と若桐は思っていた。思っていた以上に花雪が自分のおしゃれや興味が引かれるものに目を向けないから焦っているのだ。
だが。
「でもまあ、やっぱり範がいると買い物しやすくていいなぁ」
「それはどうして……」
「いいのいいの。花雪もほら、あっち見てご覧よ! 綺麗だねぇ」
二人のあり方を傍から見ていると姉妹のようにも思えたことだろう。
範にとっては己の妻と孫である。
可愛くないわけがない。あれ、わしの家族、と頬が緩みそうになるが、しかし範は厳しい修行を修めてきた仙人である。
そう簡単に表情が崩れることなどないのである。
「顔こわー」
「いかつい」
二頭のグリフォンが範の表情を見て、ひそひそとささやきあう。
そう、それほどまでに範の顔はこわばっていた。
普段ならば、花雪と若桐二人連れ立っていても、まだ軟派な連中がよってくるのだ。そういう意味で買い物しやすいといえば、真であったのだが、今日は範のこわばった顔があるから殊更に悪い虫がよってこないのである。
「いて正解である、とは思うが……」
花雪にまで気を使われる始末であった。
これは改めなければならないなと範は心の中で反省する。
そんな彼を他所に若桐と花雪が共に露天商の元にしゃがみ込む。
「綺麗だねぇー。花雪はどれが好き?」
どれがいい? とは聞かない。
きっとそう聞けば花雪は遠慮して答えないだろう。ならば、聞き方を変えるべきなのだ。
どれだけ堅牢なる岩戸に修められた彼女のおしゃれ心があるのだとして、それを強引に開かせるのは違う。
強引に開こうとすれば、より一層固く閉ざされてしまうかもしれない。
そうなっては元も子もなくのだ。
「え……いえ、えっと」
言葉に詰まる花雪。
だが、若桐は目ざとかった。どれが好き? と言った時、花雪が目で追ったものがあった。
それは風に揺れる桃の葉の緑が揺れるような髪飾りであった。
「よしっ! 買おっか!」
「えっ!?」
「いや、これ。気に入ったんでしょ?」
「いえ、でも、その」
「いいのいいの。財布の紐はさ、範が緩めっぱなしだし。それに」
若桐は手を広げる。
「これだけ広い市場の中で目に止まったものなんだ。一期一会ってあるでしょ! 似合うだろうし買っちゃえ買っちゃえ!」
それでも花雪は釈然としていない様子だった。
それもそうである。彼女は常に修行している。
修行とはつらく険しいものでなくてはならないという固定観念が彼女の中にあったのだ。
だからか、と若桐は気がついていた。
自らを律することは戒めることではない。
己の中にある弱ささえも自在に手繰って初めて律するというのだ。だからこそ、己の希望を開放し、それがどれほどのものであるかを知るのもまた修行であるのだ。
「というわけ」
「でも」
「いいのだ。遠慮などしなくても」
範がいつのまに隣にやってきていて、金の入った袋を手渡される。
二頭のグリフォンも同意するように頷いている。
「……では、これを」
「じゃあ、こっちはおまけだ」
毎度あり、と露天商の主が笑み、桃の葉の髪飾りと対を為すように花弁の耳飾りを包んでくれる。それは頼んでいないと花雪が止めようとしたが、それを主は良いのだと制する。
目の前でこうしたやり取りを見せてもらうのもまた露天商の醍醐味であろう。だからだ、というように目配せしてみせる様は微笑ましいものであった。
「えへへ……」
花雪は市場からの帰りすがらずっとご機嫌だった。
手にした包の中でときおり揺れる髪飾りと耳飾り。
その二つをずっと見つめているのだ。
「見ているだけじゃあなくって、つけてごらんよー! つけてあげるからさー!」
若桐がそう言って花雪の髪と耳に飾りを付けてくれる。
「うん、似合ってるよー!」
「わー!」
「ほんとうだー!」
二匹も同意してくれる。そんな様子を範は背中で聞く。これでいいのだと。
「ありがとうございます、白と黒、お婆様……そして、お爺様」
礼を告げる花雪。
その姿を彼等は見ただろう。微笑ましい少女の姿を。
宝貝人形としてではない、ただの少女としての笑顔。
それを見やり、一行はさらに笑顔を深めるように家路を往くのであった――。
成功
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