Prunus persica
●拐引
どうしたものかと思うことばかりであった。
どうしてこうなったのかと思うばかりであった。
誰が、というのならば私こと『花雪』である。我が身のことを思い返す。
人ではない。
宝貝人形。
球体関節を持つ少女の形をした人ではないもの。
己の躯体が動くことはない。指の関節一つ動かすことができず、しかし、まんじりとせず。
確かに今の己の躯体は動かすことはできないが、ただそれだけだ。
意識はある。
「それにしても上手く行ったな」
「ああ、首尾よく逃げおおせれば、あの『若桐の作品』だ。きっと高値で取引されること間違いなしだ」
『花雪』は己を指さして笑うものたちを見る。
どうしてこうなったかと説明するのならば簡単だった。
彼女の『生命力吸収機能』を自在に制御するための装置を受け取り、作成者である若桐の元でメンテナンスを行っていた。
それが数日掛かりのことであったから、油断していたのかもしれない。
彼女の家はとても居心地がよいものだった。
若桐がそのように設えてくれていたからかもしれないし、彼女の気質もあってのことかもしれない。
彼女は若桐の留守を任されていたが、主の不在を狙った賊にまんまと捕らえられてしまったのだ。
ただの賊であるのならば彼女も後手に回ることはなかっただろう。
けれど、彼等は宝貝を停止させる類の道具を持っていた。いや、完全なものではない。一時的にショックを与えて機能を滞らせるものであろう。
そうでなければ、自分の意識も寸断されているはずだ。
「これはすごいな」
「どこで手に入れたんだよ、そんなものを」
「いやなに、酒場でな、親切な男がくれたんだよ。亜麻色の髪をした男だったかな」
「親切なやつもいたもんだな」
「相当にぼったくられたと思ったが、今回のヤマでお釣りが来る。良い取り引きだったよ」
そんな風に彼等が語っているのも今、花雪は理解している。
そう、このような状況になっても『花雪』はただ虜囚の身となっているばかりではなかった。
共に二頭のグリフォンが若桐の家へと遊びに来る姿が見えていた。
自分の不在には気づいてくれているはずだ。
今自分が出来ることを少しでもしなければならない。自らの機能を確認する。
躯体を動かすことはできない。
けれど、制御された『生命力吸収機能』は動かせる。
即座に彼等の生命を奪うことはできない。機能が十分に回復していないし、おそらく一人しか昏倒させることはできないだろう。
そうなっては、他の賊に自分を機能停止させた宝貝を使われてしまって終いだ。
だからこそ、彼女は助けが来た時に少しでも助力できるようにと賊たちの生命力を少しずつ、少しずつ、気が付かれぬように疲労させていこうとしているのだ。
「(少しでも……私ができることを……)」
全てが順調ではないかもしれない。
けれど、少しでも何かをしなければならない。誰かにすがってばかりではいけないのだ。
だからこそ、花雪は己の意志で力を、その加減を今まさに覚えようとしていたのだ。
「まあ、仮に若桐が俺達の所業に気がついても、『これ』さえあればな」
「違いない。宝貝を停止させる宝貝か。本当に様々だな」
「ああ、宝貝……というには、少し違う気もするが……――」
賊達の言葉は最後まで紡がれることはなかった。
そう、それは青天の霹靂とも言うべき凄まじき轟音――。
●雷鳴
それは本当に、青天の霹靂としか言いようのない光景であった。
花雪は見ただろう。
己を捕らえていた賊達の建物。
だが、それはもう建物という体裁を取り繕えなかった。自分たち以外全てを一瞬で浮き飛ばす雷撃の一撃。
「な、なななな、なんだ……!?」
賊たちは突如巻き起こった破壊に目を丸くするしかなかった。
彼等は知らなかったのだ。
自分たちが持っている宝貝を停止させる宝貝。それは宝貝ではなく、機械と呼ばれるものであり、限定的な機能しか持ち得ていないことを。
そして、誰の怒りを買ってしまったのかを。
「よくもうちの孫娘誘拐したな――!?」
それは雷撃の一撃よりも凄まじい轟雷めいた声であった。
「ピィ……」
その声の傍らには一頭のグリフォン『阳白』の姿があった。言うまでもない、花雪は動かぬ躯体、その眼球に映る人がけを知っている。
「(若桐さん……!)」
いや、というか、ものすごい形相である。
構えた宝貝からは雷が感情に呼応する様に明滅している。
「な、なんだと!? なんでこの宝貝を停止させる宝貝が機能していない!?」
「お、おい! 大丈夫なんだろうな!?」
「わからねぇよ! こんな、このっ、このっ! くそっ、うんともすんとも!」
まるで機能を発揮しない機械に苛立ち、賊の一人がそれを地面に叩きつけると、簡単にそれは砕けるようにして割れてしまう。
「ま、待てよ! なあ! あんたの宝貝なんだろ、これは、そんな雷撃を使えば、これだってどうなるか……――」
「それはものじゃあない!」
振るう一撃が奥を打ち据える。
凄まじい雷撃が賊の体を打ち据え、その肉体の隅から隅まで走り抜けていく。
殺してはいないだろうが、その凄まじさたるや目を覆いたくなるほどであったが、体が動かないので花雪は、うわぁとしか思えなかった。
「く、くそ! 逃げるぞ! 若桐だけだ、このまま」
「誰が一人って言った?」
グリフォンは数に数えていないのだろう。ともかく賊たちにとっての脅威は若桐だけだったのだ。
しかし、次の瞬間彼等の体が崩れるようにしてその場に倒れ伏していく。
「そういうことであるな」
桃の花吹雪と共に厳・範(老當益壮・f32809)が現われる。
黒麒麟たる姿でもって駆けつけたことから、殊更に急行してきたことが伺い知れるだろう。
範のユーベルコードは即座に賊たちを眠りに落とし、共にやってきた『阳黒』はあまりの速度に追いつけず、後から疲弊しながら到着する。
「まったくなんて奴等だろう!」
「最近、此処らを騒がせていた奴等みたいだな」
「まさか、僕のところも狙われるなんてなぁ……油断していたつもりも見くびっていたつもりもなかったんだけれど」
「防犯の宝貝は」
「停止させられてた」
二人のやり取りを聞きながら花雪はなんとも言い難い気持ちになっていた。
若桐はさっき自分のことを『孫娘』と呼んでいた。
聞き間違いではなかった。
抱えられた腕の優しさを彼女は知るだろう。賊たちが自分の体を運ぶときとは違う。
優しく人を扱うような力の入れ具合。
それがとてもむず痒くて、嬉しくて、涙の出る機能はなくても、涙が出そう、というのはこんな事を言うのだと彼女は思う。
「でもよかったよ! 孫娘が拐かされたなんて、こんな思いは二度としたくはないね!」
「まったくである。とはいえ、これは認識を改めねばならなないな」
範の言葉に若桐が頷く。
自らの領域を荒らすことのできるものがいる。
どのような存在かはわからないが、しかし、只者ではないだろうといことがわかる。
「あの……」
「うん? なんだい?」
「孫娘って……」
え、と若桐は範と顔を見合わせる。
互いに互いの関係性をすでにお互いが花雪に語っていたと思い込んでいた二人は、そろって顔を見合わせる。
どちらも語っていないのだ。
確認って大切、と二頭のグリフォンは揃って鳴き、範と若桐は自らたちも改めるところがあるのだと、互いに苦々しく笑うしか無いのであった――。
成功
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