Galanthus elwesⅡ
●換羽期
それは唐突な知らせだった。
宝貝人形である『花雪』にとっては望外の知らせであったし、また厳・範(老當益壮・f32809)にとっては予定のうちにあった知らせであったことだろう。
花雪にとって範の行動というのは予想できないものであった。
それが師弟というものであろうと彼女は納得していたが、些か多い気がする。
「若桐が来る」
「え、メンテナンスはまだ先の筈ですが……?」
「わしも近いうちに訪れるという知らせは聞いていたが、どうやら早まったようだ。今日訪れるとの報をもらったので、ぬしにも教えておこうと思ってな」
「それはありがたいです。お茶の準備をしなければなりませんね」
茶器を引っ張り出さなければならないと花雪は考える。
「ああ、お菓子も……取り置きがありましたか……」
「段取りも修行の内である。急な予定であるから、仕方のないことであるが……」
範の言葉を借りるのならば、日常の全てが修行である。
常に心にそういう気構えを持つことが、戦いの場においても、己を取り乱すことなく律することのできる心根を鍛えることであるというのだ。
それを花雪は尤もだと思ったので、実直に実行している。
とはいえ、まだまだおぼつかないところがあるのも事実。
「茶器の扱いには慣れてきたと思うのですが……まだ湯の加減が」
「宝貝人形であるのだから、温度の差を知る、というのは肌感覚というわけにもいくまい。少しずつでいいのだ」
「はい……」
そんな風にやり取りをしていると外でグリフォンの一頭『阳白』が鳴き、程なくして『阳黒』の鳴き声が重なる。
「来たよ!」
出迎えを、と花雪が思ったその時にはすでに戸が開け放たれていた。
「よ、ようこそいらっしゃいました……」
「はいはーい! 若桐さんだよー! お久しぶり! この間のメンテナンスぶりだねー! よしよしよーし!」
其処に居たのは『若桐』である。
花雪のメンテナンスをしてくれている宝貝の……研究家、でいいのだろうか。ともかく、彼女のメンテナンスを受けた花雪はすこぶる調子がよかったのだ。
己の知らない機能も教えてもらった。
あと距離感がすごい近い。頭を撫でてもらえるのは嬉しいのだが、少しむず痒く感じるのだ。
「あの、それで、本日はどのような……」
「そうそう。それはね……」
「この大きな袋はどうしたことだ。大仰にもほどがあるのではないか」
範の言葉に若桐は笑む。
「あの二匹……表に居る子ら……『阳白』と『阳黒』だっけ。今の時期は換毛、換羽期なんだろう?」
「もしや……」
「そのもしやさ! どうせ抜け落ちるのならば材料としてちょっと貰えないかなって!」
やはりか、と範は頭を抱える。
別に構わないとは思うのだが、どうしてそんなにいつも急なのだと。
「いいじゃなーい。こっちでは見かけないたいぷの生き物だしね。それに……ふふ、思いついたものがあるんだ。それができれば、実現できれば花雪ももう少し楽になると思うんだよね!」
花雪の肩を抱いて若桐が範の顔を覗き込む。
その表情は範が如何に花雪を大切に思っているのかを理解している顔だった。だからこそ、こちらの望みは断れないでしょうと言わんばかりの笑顔で若桐は見上げているのだ。
「……彼等が承知すれば、よいだろう」
「いいよー!」
「どうせ抜けるしー!」
二匹は表から顔をのぞかせている。
「ほら来た! よしよし、いい子たちだねー! 任せておいてよ、こう見えてブラッシングというものには心得があるってもんだからね! さあ、おいで!」
花雪は何がなんだかわからない。
けれど、若桐は自分のためにもなるのだと言った。
「あの、では、お茶を飲んでから……」
「それは後、後! まずはサクッとお仕事しちゃおうよ! 花雪も手伝ってー!」
元気な若桐に背中を押されるようにして花雪は彼女の作業を手伝うべく表へと連れ出される。
若桐の求めているのはグリフォンの毛と羽根である。
おそらく大空の世界の生物であることがうかがえるが、不思議な動物である。少なくとも若桐にとってはそうであった。
花雪は見慣れているからか、そうでもない。
「あー、きもちいー」
「じょうずー」
二頭の声が聞こえる。
「毛と羽根を分けて欲しいんだよね。こっちとこっちが『阳白』ので、そっちとそっちが『阳黒』のねー!」
「は、はい……い、痛いとなったら、言ってくださいね」
花雪がおっかなびっくりといった様子で二頭の羽根や毛を集めていく。
ふんわりしている。
それになんだか手触りがいい。二頭は感心している花雪に、どこか自信たっぷりな顔をしていた。
そんなふうにして分別が終わり、へとへとになりながらも二人は二頭の毛と羽根を分け終える。
気がつけば、もう夕刻を過ぎて夜になっていた。
日が落ちて、星が瞬いている。
「うん、これだけ集まったらいいかな!」
若桐がパンパンになった袋を抱えて、それじゃ、と挨拶をしようとした瞬間、範が彼女の方を掴む。
「泊まっていけ」
「えー、それは流石に悪いよ。こっちのお願いできているのに泊めてもらうのはさ」
「いいから」
範だけではなかった。
彼がユーベルコードで呼び出す生き物たちが総出で彼女の帰りを阻止している。どうしてそんなに、と思っていたが花雪は後で教えてもらうことになる。
彼女は夜間だと道に迷いまくってしまうのだという。
道標を作っていても、どうやってもとんでもない場所に歩き出てしまうのだ。
それが他者に迷惑をかけることにもなるので、範は引き止めているのだろう。他の生物たちも同様だ。
「それなら、まあ、仕方ないね! 折角だから花雪のお料理も堪能させてもらおうかな!」
「呑みすぎるなよ」
「いいじゃない! こういう時だもの!」
「まったく……」
「お料理頑張りますね!」
「料理も修行だからね! がんばろう!」
範と同じことを若桐は言うな、と花雪は思った。そういうところが二人は似通っているようにも思えたのだ。
でも、修行、というのは本当だと思った。
何事においても此れ修行という意識。これがある限り宝貝人形である己を見失うことはない。
「やー、この分だと朝餉も楽しみだなー!」
「飲む食うは構わぬが、ちゃんと睡眠を取るのだぞ」
「わかーってるってば! これはね、花雪の能力のためなんだから。調節が効く機能とか、ユーベルコードを使う時だけ、とか色々自在にできるようにしちゃうんだから!」
広げる設計図のようなものを若桐と範は覗き込む。
彼女が作ろうとしているのは花雪の生命力吸収機能を制御する装置である。
それにグリフォンの羽根と毛が必要であったのだろう。
「修行しているのも、そのためでしょうー? 道具に頼らないでできることは大切だけど、まずは補助が必要でしょ」
いずれ必要なくなるのだとしても。
赤子が独りでにいきなり立って歩くことができないように。
花雪の能力にもまずは補助が必要だと考えたのだ。
「ありがとうございます……わたしのためにこんな……」
「いいのいいの。材料はそちらからもらっているしねー!」
それに、と笑む。
範が大切に思っているものであるのならば、己にとっても大切なものなのだと。
だから、やらねばならぬことではなくやりたいことなのだと笑むのだ。
その笑顔に花雪は救われる。
「では、明日の朝餉は腕によりをかけて!」
とびっきりを、と彼女は若桐に笑むのだった――。
成功
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