Galanthus elwesii
●桃源郷
草木芽吹き、新緑の色を知る。
桃の花びらは、散る雪のようでもあった。
風にそよぐ色は雪とは異なるものであったが、美しいと思えるものであったことだろう。
球体関節を持つ宝貝人形『花雪』は、瞳にそれらを写しながら息を吐き出す。
隣に征く二頭のグリフォンのすっかりご機嫌な歩みをみやり、これから何処に連れて行かれるのだろうと内心は戦々恐々であった。
厳・範(老當益壮・f32809)の元で共に暮らす二頭の事はよく知っている。
自分を孫のように思ってくれているであろう範もまたよく知っている。
けれど、今まさに自分が連れられている桃源郷のことはよくわからない。訪ねてもいいだろうかと思ったのだが、どうにも自分が何か失敗をしたとしか思えず、聞き出せずにいた。
「どうした、疲れたか」
範の言葉に『花雪』は頭を振る。
そんなことはない。
つかれてない。
滅相もない。
無い無い尽くしである。とはいえ、不安は見て取れるものであるから範も気になる。
「やはり不調があるのか」
そう、『花雪』は宝貝人形であるが球体関節を持つ人形でもある。
人が己の体を己が意識しなくても律することができるように、彼女自身も自身の体を整備することができるのだ。
けれど、人間もそうであったように自分の不調というのは自分では気がつくことは難しく、無意識の外側にある事柄に対しては自身でも把握できていない。またそれを解消する術を持たないものである。
だから、というわけではないが範は気がついていたのだ。
「い、いえええええ、そんなことはないです!」
「案外、人というのは自らのことを良く知るようでいて、よく知らぬものだ。とりわけ、若さというものは周囲に目を配るばかりで自らに目を向けるということを怠るもの――……」
範の言葉が些か説教じみてきた頃合いであっただろうか。
目の前には大きな店構えと言ってもいい看板の掲げられた家。
その扉から一つの影が飛び出してきた時、思わず構えたのは『花雪』だけであった。
「やっはー! 範!! この子がそうかい? この子が話していた子かい? そうだね、そうだろうとも、そうだ!! 僕は|楊・若桐《ヤン・ルォトン》! 君がそうだね! ああ、いや言わずとも解っているよ! 解っているとも! ああ、任せ給えよ! 君の体の不調という不調を全部まるっと解決してみせよう! そう、つまりはメンテナンスとか全部全部任せてね――!!!」
怒涛のセリフであった。
薄紫色の髪に金色の瞳。快活闊達たる様子からはとても見目若く見える。
そして、長々としたセリフ周りはテンションの高さを知らしめるものであった。
また同時にその言葉に親愛の色を感じて『雪花』は、最初身を固くしていたが、害意悪意の類がないと知ることができたので、肩の力を抜く。いや、それ以上になんていうか、ものすごい勢いで体を触られている。
「その前に、一度仮眠してテンションを下げろ。若桐」
範の瞳がユーベルコードに輝くと、とたんに体を操っていた糸が切れたように若桐の体が崩れ落ちる。その肩を範が受け止め、抱えるのだ。
手慣れた様子であった。
二人の間柄がどのようなものであれ、そのやり取りはこれが初めてではないことを伺わせるには充分だった。
「まったく、また徹夜していたな……」
範は抱えた若桐が寝息を立てているのをみやり、息を吐き出す。
「あ、あの……」
「何、気にするな。『花雪』、お前の体の調律を頼もうと思ってな」
いや、それ以外にも色々気になるんですが、と『花雪』は思ったが、若桐が眠りから覚めるまでそれは難しいだろうな思うのだった――。
●調律
「でねでね! わかる? これ! この宝貝! いやー前々からこんなのがあったらいいいなーって思っていたりしたんだよね!」
「あの……」
「っと、そうだよね! 最初は基本の情報、データをとらないとね! それを目安にメンテナンスするからさ。あ、何か別の機能をつけたかったら遠慮なく言って! 気軽に相談できるのが良いところだと思うからさ! きっと付けたくなるよ、ロケットパンチ!」
「はっ、はい!」
雪花は目覚めた若桐の怒涛なる詰め寄り方にたじろいでいたが、範が己を任せると信頼した人なのだからと、こちらも全幅の信頼をおくつもりでいたのだ。
けれど、それ以上にぐいぐい来る。
「ふんふん、なるほどね。ちょっとお話しよっか」
「は、はい……?」
「かくかくしかじか! で終わらせられた世は事もなしってことなんだけど、そういうことじゃないよね。君の知らない君の力って言えば良いのかな」
彼女が語るには『花雪』には生命力吸収の力が宿っているのだという。
自身が理解していなかったことであるが、このままメンテナンスをしないで放って置けば、必ず暴走していたであろうことが伺えたのだという。
つまり、己がそうしたいと思ったわけでもなく他者の生命を奪っていた可能性があるということである。
その言葉に『花雪』は青ざめる。
それをなだめるように若桐が頬を撫でて心配ないよ、と笑むのだ。
「大丈夫。その機能はメンテナンスさえしっかりしていれば大丈夫。誰かを傷つけるものじゃあないよ。安心して」
その言葉に『花雪』は頷く。
「にしても、君もか……」
「え?」
「君も拾われたんだろう? そういうのに範は耳聡い人だからさ」
かく言う自分もそうだったのだと若桐は笑む。
確かあれは飢饉だっただろうかと、ぼかすのはそれが彼女にとってはもう遠き過去のことであるからだろう。
「僕のことはいいんだよ! それより君! 君のこと! 君の体はすごいよー! 宝貝人形だからってだけじゃあ説明つかないよね! うん、解っているとも、知りたいよね!」
「え、えっ、ええ」
「むふふん、大丈夫大丈夫。僕に任せておいてよ! 綺麗にしてあげるし、体も使いやすくしてあげるからさ!」
くねくねと若桐が花雪の体に指を這わす。
その後頭部をゴスンと範の手刀打ち据え、中断される。
「なーにすんのさー!」
「些か調子に乗りすぎだ。花雪が怯えている」
「えーそんなことなんてないよねー? ねー?」
「あ、あの……」
「いい、無理に庇わなくとも。こやつはいつも調子に乗りすぎるゆえ」
「あー! またそんなこといってー!」
範と若桐の様子に花雪は入り込めない。
離れているのに、それが心地よいと思っている二人の距離感は、物理的な距離ではないなにか別のものが介在しているように花雪は思えたことだろう。
だが、それを言葉にするのにはまだ花雪の情緒というものは育ち切っていなかったのかも知れない。
そのもやもやを抱えながら花雪は首を傾げる。
この気持ちがなんであるのかも。
どうしてそう思うのかも。
「わかるけれど、わからない……」
「どうした、雪花」
「いーのいーの! こういうのは乙女の秘密☆ってね! ねー?」
若桐は花雪を抱えて範から奪うようにして奥の調律室へと飛び込んでいく。
そのさまをみやり、範はため息をつくしかない。
けれど、これで、と一安心することができた。宝貝人形とは仙人をしても知り得ぬ箇所がある。
だからこそ、万が一が起こらなかったことに範は胸を撫で下ろす。
これで一安心、と思うのだが調律室から聞こえてくる若桐のはしゃいだ声と花雪の戸惑ったような声に頭痛を覚えるのだった――。
成功
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