――かつん。
靴音は高く響いた。
磨き上げられた石が敷き詰められた床は見るも無惨だが、人間が存在した痕跡でもある。
人の気配はどこにもない。此処は廃墟の工場だ。
シルバーレインの、いつしか廃棄されて誰からも忘れられた場所において、顕わるものは残留思念の吹き溜まり。この地に縛られたゴーストはいまやオブリビオンと化した。
本来の意味で訪れた生者を喰らう陰湿な要塞となり、|過去の残留物《ゴーストタウン》と成り果てた。建物自体が、穏便で平和な場所ではないとも言える。
入ったら最後、無事に出れないものもいるのだ。
所謂『迂闊に入ったら確率で出られなくなる施設』である。
霊的現象で閉ざされる為、力無きものは内側で殺されるだけが唯一の出口。
力あるものは、知恵を出して悠々と出ていく事ができるらしい。
人類殺害レベルが人を選ぶ嫌がらせ仕様であった。
「……ねえ、ところでそこでなにしてるの?」
存在感を消して、闇に潜むなにかがいることを灰神楽・綾(廃戦場の揚羽・f02235)に気がつく。相手に悪意がないことはわかっている。だが、なぜこのような廃墟で息をひそめているのかと、訪ねてみたくもなった。
「……別に?ただの昼寝だよ」
「昼寝にしては、他の子に物騒な子守唄をきかせてあげてるんだねえ」
明かりのない室内で、所々に焼き焦がした跡が見て取れる。
それから、巨大な獣が暴れたような深い爪痕。何かが"|散らされた《無くなった》"跡にも見えた。
戦いが合ったのは間違いないだろう。
「"歌"を所望されたからなァ……でもアンタもの好きなんだな、こーいうところになんか用?」
暗がりからフィッダ・ヨクセムが姿を見せる。その手に握るは歪んだバス停。
「いやねえ、物音が聞こえるって此処の管理人さんが言ってたから見に来ただけなんだ」
綾の手には、|Emperor《ハルバード》。
野生動物なら見逃すつもりだった。オブリビオンなら屠れば良いと考えていた。
見つけたものは、グリモア猟兵。仕事柄、やや顔見知りである。奇妙な事もあるものだ。
「成程。アンタは"此処に何が居たか"を報告する必要があるんだな?ハハ、丁度いいじャねえか」
ヤドリガミはニヤリと笑った。
「出られない施設は、内側の亡霊共が満足すれば出れるんだそうだ。こーいうのはな、相手がいる方が暴れられるモンだと思う。違うか?」
「模擬戦相手にご指名された、ってことでいいかな。手加減はどうする?」
「いらねえ、どうせだから派手にやろうぜ」
「男に二言はないからね、フィッダ」
誰もいない廃墟を荒らすは、人外魔境の化け物ではなく――。
いつの世も、ヒトの形をした者たちである。
掛ける足音は爆ぜる爆音を引き連れる。
振るうはバス停、器物を起点に逆巻く魔法は火炎の球を並べて射つ。
「俺様はなァ、遠距離も近距離も得意だぞ!」
降らせる雨は火炎の礫。
決してユーベルコードではないが、この世界生まれのバス停であり炎に馴染む魔法を好むヤドリガミは戦いの呼吸に笑って、勇んで仕掛けてくる。周囲の破戒は気にしない。
なにしろ、もとから"壊れていた"。誰もがこの工場施設を”壊れていた”と認識しているのだから、廃墟はどこまでいっても廃墟でしかない。
「へえ……陽動と、誘導を同時にってこと?」
――器用だねぇ。
目的が読めるモノを躱せない筈はない。
床を駆け、壁を足場に飛び上がった綾は先にユーベルコードを発動して、やり返す。
ふわあ、と室内を埋めるように舞い踊る赤く、紅い蝶の群れがフィッダの視界を鮮やかが焼いた。鮮明な赤から、鮮血のように黒みを宿す色味まで様々なPhantomの中で、綾は当然、笑みを崩さない。
「きみ、意外と赤く染まるのを怖がらないタイプだと思うんだよね」
――だから、紅に彩られても……。
バタフライ・ブロッサムが味気ない空間に色を染めて、その間に綾は攻め行動を隠す。
陽動とは、協力者の関係が上手く成立しているときに一番輝く。
故に忍ばせた手元の|ナイフ《Jack》の殺傷力は格段に上がる――当然、当たれば、だが。
「そうとも。俺様は|詠唱兵器《バス停》のヤドリガミだ、武器が戦いを嫌うモンかよ!」
オーラで出来た紅き蝶の群れは、痛みというものを与えない。
だが、生命力を吸い疲れさせるという点に置いて特化する。
物理特化戦術を得意とするフィッダには、あまりに不利な攻撃法であった。
|避《よ》ければ|避《さ》けられるメンタル疲労。
しかし避ければ今度はナイフの餌食。バス停が選んだのは――ナイフの中に飛び込んで、|戦い《スリル》を楽しむ戦闘狂の構え。鮮血のように赤黒い瞳の奥で瞳孔を細めて、この瞬間。この時間を楽しむように嗤った。
切り傷を作るのもお構いなし、腹に溜めた魔力を口から炎のブレスと変化させてぶちまける。
「だがなあ|バス停《心臓》だけが、俺様の武器じャねえんだよ綾!」
嗤うフィッダは、『冥府逝き』の道を示す。
「逝こうぜ、――果ての向こうまで」
二足で立つのを辞めて、手も足同様に地につける。
激しく燃え上がるその体は、いつしか体格が本来の二倍まで膨れ上がり斑模様を体表に現す|化け物《ハイエナ》へと変わっていく。踏みしめる大地ごと燃やす炎の獣が、牙を剥き、鋭い爪を向けて手加減無しに襲い掛かる!
黒い爪で脇腹を抉るように凪ぐ。武器を持たずして、存在が武器の獣だ。
「此処に太陽はない。今の俺様は!欠損だッて恐れねェ!」
致命傷なのは、太陽光のみ――防御力も跳ね上げた荒れ狂う獣は、呼吸するように嗤って。
挑発するように周囲へ炎の弾丸をばらまき続ける。
この場を狩り場と見立てて、敵を追い詰める――正しくハイエナが如し。
「……へえ、じゃあ此処から出られたら謝るってことで」
爆炎の嵐の中、綾は|大鎌《Duo》を携えて、構える。暴力をお供に添えて、赤と青の炎を吐く巨獣相手にすることは――当然、移動の手段を潰すこと。
「その脚が、踏みしめる着地点が。爆炎を起こすトリガーなんでしょ?」
では地面を、床を更に激しく壊したらどうなる?
「でもその前に、虞れ知らずの足を貰っちゃおうかな」
獣の移動場所を読み、紅い蝶の群れで逆に追い立てて、間合いに入り込む。
例え機敏に動けても、四足全てがあるから出来ることだ。では前脚は跳ね飛ばしてしまえ。
――そして刈り取るのだ。Duoによる、狙いすました切断の斬撃で。
刹那の|模擬戦《戦い》を楽しむフィッダは、前脚を犠牲にしても攻撃をやめる気はないだろう。
激しく舞う鮮血。がくん、と落ち込む獣の視点。
吹き飛ばされたのは前の片脚だ。ギリギリで庇って駆けれる手段を講じて逃げていた。
即座に炎の前脚を生成するくらいには、UCによる再生力が馬鹿にできない。
だが、綾の目的はそこではないのだ。
「チッ……!」
人間姿ではないために獣は、上手く身体を支え切れずに前のめりに前足を床に食い込ませて転がった。
「おすわりしてれば可愛いと思うよ?」
庇った筈の前脚を床に取られては引き抜こうとじたばたともがき、尻尾と後ろ足がバタついている。盛大に床を鋭利な爪痕を残し、周囲を燃え焦がして疾く疾くと暴れている。
動きが停まったと同時に、魔法で生成されていた炎の雨が止んだ。
嵐のように場を荒らすバス停が『停まった』なら、事象が止まる。
「君は武器なんだろうけど、相手を殺す一手が足りないね。例えばそう、"鋭さ"が」
獣相手に振り下ろす大鎌で、後ろ足を激しく損傷させる。痛みに強いらしい獣からくぐもった声が漏れたが、そこへ殺到させるのは当然――紅い蝶の群れ。
「君は鈍器の性質、それから援護の気風。決して"|牙と爪《刃物》"には至れないんじゃないかな」
「……何にでも成れる、ヒトはそーいうもんだ!!」
獣姿で吠えて、切り裂かれた脚の分を再生しながら綾の胴体に食らいつく姿は。
まるで負けを悟る狗。悔し紛れの反撃だ。
だが勝負が決した時点で、本気咬みではなかった。
「俺様はまず、ヒトじャねーんでこの戦術を取り続けるが」
「模擬戦にしては本気出しすぎじゃない?」
がらがらがらと周囲の瓦礫がホコリを舞い上げている。
管理人にはどう説明したものか。
「これくれェやれば、この空間は満足するだろうから普通に出れるだろうしそれに……」
「それに?」
「やべえモンが暴れてたから近づかない方がいい、とか耐震にも強度にも問題があるッて報告ができるだろ」
獣はしたり顔で笑っていた。派手に壊していたのは、そういう意図も含めてであったのだ。
きっと、普段の姿であったなら、屈託なく天才の発想、といいたげなくらいに満足気だろう。
「そうだねえ、建て替えの進言とかをするのが優しさなのかも」
建物があるから、此処に降り積もった残留思念は彷徨い続けるのだ。
全てを祓う事は出来ないだろう。
なにかの要因で過去は現在に降り注ぐように戻ってくるのだから。
「あ、……雨が降ってきたね~」
ぽつぽつと振り始めたと思ったら、一気に本降りへ。
雨宿りしてからこの場を後にすれば良い。此処は"バス停"が存在するから即席ながら、停留所。
少ぉしばかり休憩がてらに歓談の花を、雨が弱まるまで咲かせていようではないか。
成功
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