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銀河帝国攻略戦⑬~勇をココロに、一、二と数えよ

#スペースシップワールド #戦争 #銀河帝国攻略戦

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●宇宙船ナイチンゲール号
 民間宇宙船に緊急招集された猟兵たちの前に、一人の少年がいる。
 正しくは少年めいた見た目のクリスタリアン。名はムルヘルベル・アーキロギア。
「よもや、ワガハイのグリモア猟兵としての初仕事がこうなろうとはな」
 彼はため息をついて頭を振りつつ、説明を始めた。
「帝国の重鎮、ドクター・オロチについては皆知っていよう」
 執政官兼科学技術総監の肩書きを持つ、謎めいた異形のオブリビオン。
 狂的な笑い声は、なにか恐ろしい秘密を感じさせる。そういう手合いだ。
「彼奴の根城、『実験戦艦ガルベリオン』は厳重に秘匿されているようなのだ」
 だが。
 その妨害――すなわち、ジャミングの発生源がいくつか特定できたという。
 ただしその数は異常なほど多い。加えて、とムルへルベルは付け加えた。
「このジャミング装置には実に胸糞の悪い仕掛けがあるようでな。
 破壊を目論んで近づいた者に、おぞましい悪夢を見せる機能が備わっているのだ」

 悪夢。
 そう言えば軽く思える。だが宝石賢者の顔は険しい。
「これはグリモアを通じた予知によってわかったことだが……。
 おそらくオヌシらは、それぞれの過去を追体験することになるであろう。
 口に出すもはばかられる、忘れたい過去。そういうものがな」
 まるでそれは、悪夢の世界に獲物を捕らえるかのように。
 ただ気合いを入れただけで乗り越えられるほど甘くはない、と彼は語る。
「いかにもオブリビオンらしい手口と言える。ゆえにワガハイは強制はせぬ。
 だがこの説明を聞いて、なお、彼奴らの悪徳に抗おうと思う者がいれば――」
 ジャミング装置、悪夢の根源は無数。一人でも戦士は欲しい。
 己の過去に挑む気概があるならば、そこへ導こう、と賢者は言った。

 そして猟兵たちの様子に、彼はふっと笑い、呟いた。
「"勇気とは愛に似る。一人前まで育て上げるには、希望がなければならない"。
 ある皇帝の言葉よ。オヌシらの背中は必ず、解放軍の希望となろう」
 その引用がどこまで猟兵たちの心を鼓舞したかはわからないが、彼は毅然と続けた。
「勇をココロに、一、二と数えよ。健闘を祈る」
 向かう先はオロチが差し向けた艦の残骸宙域。
 そこに、悪夢の根源どもが待っている――。


唐揚げ
 悩みましたがこれでいきます。唐揚げです。
 さて、さっそくですが以下の文章を必ずお読み下さい。

 このシナリオは、「戦争シナリオ」です。
 1フラグメントで完結し、「銀河帝国攻略戦」の戦況に影響を及ぼす、特殊なシナリオとなります。

 よろしいですね? ではもうひとつ。

●重要!
 このシナリオでは、ドクター・オロチの精神攻撃を乗り越えて、ジャミング装置を破壊します。
 ⑪を制圧する前に、充分な数のジャミング装置を破壊できなかった場合、この戦争で『⑬⑱⑲㉒㉖』を制圧する事が不可能になります。
 プレイングでは『克服すべき過去』を説明した上で、それをどのように乗り越えるかを明記してください。
『克服すべき過去』の内容が、ドクター・オロチの精神攻撃に相応しい詳細で悪辣な内容である程、採用されやすくなります。
 勿論、乗り越える事が出来なければ失敗判定になるので、バランス良く配分してください。

 このシナリオには連携要素は無く、個別のリプレイとして返却されます(1人につき、ジャミング装置を1つ破壊できます)。
 『克服すべき過去』が共通する(兄弟姉妹恋人その他)場合に関しては、プレイング次第で、同時解決も可能かもしれません。

●その他
 以上です。
 リプレイは悪夢の精神世界に取り込まれた瞬間、もしくはある程度あとから演出します。
 では、前置きはここまでにして。
 皆さん、悪夢の世界で会いましょう。
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第1章 冒険 『ジャミング装置を破壊せよ』

POW   :    強い意志で、精神攻撃に耐えきって、ジャミング装置を破壊する

SPD   :    精神攻撃から逃げきって脱出、ジャミング装置を破壊する

WIZ   :    精神攻撃に対する解決策を思いつき、ジャミング装置を破壊する

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●廃棄領域-XXXX
 それを一言で形容するなら、串刺しにされた脳髄というところか。
 ジャミング装置は、人の脳を模したそれに無数のアンテナが突き刺さっている。
 いかにもかの異形がしつらえるにふさわしい、胸のむかつく見た目だった。

 一歩、また一歩。
 近づけば近づくほど、得体の知れない圧迫感が強まる。
『ここにいてはいけない』
 心の。体の奥底で、もう一人の自分が悲鳴をあげるような感覚。
 それに抗い、最後の一歩を踏み出したなら。

 君たちは、すでに別の場所にいる。
 目を向け得ざるもの。想起を拒むもの。されど記銘されしもの。
 いまや記憶の宮殿に幕は上がれり。逃げ場などどこにもない。

 悪夢が、猟兵を追い詰める。抗うための灯火は――。
春日・釉乃
【連携・アドリブOK】左眼の魔眼が暴走して意識を失いかけたり、大量の血流を流したこともあってこの力を忌み嫌っていたけどーー精神攻撃に苦しむみんなをもし守護れるとしたら…

あたしはこの瞳を受け入れるッ!

自分の中のユーベルコードと向き合い、【ラプラスの瞳】を初めて使用するよ。
半径5m以内に猟兵を集めたところで精神攻撃の因果律を操作して力づくで弾き飛ばすね。

装置の破棄は他の猟兵に任せて、踠き苦しみ…血反吐を吐き散らしながらも【ラプラスの瞳】を使用し続けるんだから!!



●大成功!
 春日・釉乃は発奮していた。
 目の前にはおぞましき異形の機械。悪夢を見せる狂気の装置。
 だがそれを前にして、彼女に慢心も恐れもありはしない。
「あたしは、この左眼を……魔眼を忌み嫌っていた」
 一人呟く。脳裏によぎるは忌まわしき過去。
 魔眼の暴走による意識の混濁。
 とめどない血涙。激痛。そして絶望。
 けれどそれだけの力を、この魔眼は秘めている。
 だから。
「この力で、みんなを守護(まも)れるとしたら――」
 左眼が、朱く輝く!
「あたしは、この瞳を受け入れるッ!」

 口訣とともに、彼女の全身が、否、それを中心に世界が灰色となった。
 たった半径5メートル。されど絶対の、因果を御せし領域。
 悪魔の機械による攻撃は、彼女はおろか仲間たちにすら害をなさない。
「ぐっ……!」
 過負荷により、左眼から血が流れる。奥歯を噛み締めて耐える。
 仲間たちがいれば耐えられる。そうだ、今までもそうやってきた。
 そして彼女の絶え間ない苦闘の果て、ついに機械は穿たれた!
「やった!」
 彼女も思わず叫んだ。仲間たちも皆勝利を喜んでいる。
 疲労困憊、痛みも激しいが思わず笑んだ。これで道が開ける。
 ほら、みんなも喜んでいる。自分に感謝してくれている。
 愛すべき"彼"も、みんなと一緒に――。

 あれ?

「……どうして、████がいるの?」
 おかしい。だってここには自分ひとりで来たじゃないか。
 おかしい。何かおかしい。
 彼女は訝しみながら愛刀『白雲去来』を鞘走らせた。
 "彼"が笑っている、嬉しい。でも何か妙だ。
 彼女は困惑しながら、愛刀『白雲去来』を構えた。
「え」
 おかしい。なんだこれは? 何かがおかしい。
 彼女は呆然としながら、愛刀『白雲去来』を振るった。
「……え?」
 おかしい。一手で仕留めきれなかった。じゃあまた殺そう。
 彼女は恐慌しながら、愛刀『白雲去来』を振るった。
 袈裟懸け。逆袈裟。横薙ぎ。一文字。兜割り。首刎ね。胴割り。
 指。足。喉。耳。目。
「え、」
 彼女は愛刀『白雲去来』を振るった。
 振るった。振るった。振るった。
 "彼"はまだ笑っている。バラバラにしたのに。
 彼女は悲鳴をあげながら、愛する人を殺し殺して殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺。
「あ――」
 みんな死んだ。
 彼も死んだ。
「ああああああああああああああああああああ!!!!???」
 春日・釉乃は発狂した。

●悪夢
 春日・釉乃は発奮していた。
 目の前にはおぞましき異形の機械。悪夢を見せる狂気の装置。
 だがそれを前にして、彼女に慢心も恐れもありはしない。
「あたしは、この左眼を……魔眼を忌み嫌っていた」
 一人呟く。脳裏によぎるは忌まわしき過去。
 魔眼の暴走による意識の混濁。
 とめどない血涙。激痛。そして絶望。
 けれどそれだけの力を、この魔眼は秘めている。
 だから。
「この力で、みんなを守護(まも)れるとしたら――いや」
 左眼が、朱く輝く!
「あたしは、違う。違う! これは、何? 何なの!?」
 世界が灰色に染まる。たかが半径5メートル、されど絶対の領域。
 仲間は守られる。機械が壊れる。やった、勝利だ。
 あれ、"彼"が生きている。
 殺さなきゃ。剣を振った。
 彼は死んだ。でもまだ殺そう。
 剣を振った。振った。振った。振った。振った。振った。
「違う……違う、違うッ!! あたし、あたしは……!!」
 指。足。喉。耳。目。残骸。残骸。残骸。残骸。
「違う違う違う違う違うッ!! こんなの、違うッ!!」
 みんな死んだ。彼も死んだ。春日・釉乃は発狂。
「違う。しない! これは……これは、悪夢だッ! 現実じゃないッ!!」
 しないんだ。じゃあやり方を、変えようか。


 春日・釉乃は発奮……否。否。否。違う。
 ここは悪夢だ、現実ではない。精神の世界だ。
 悪夢の機械はここにはない。事象の地平めいて、ただ暗黒だけがある。
『へえ、さすがだね。囚われずに出ることは出来るんだ』
 目の前の"あたし"が言った。それは春日・釉乃と同じ姿をしていた。
 奇妙なのは、相手の右半身が黒く覆われ見えないことだった。
 ただ左眼だけが、朱く。そう、朱く輝いている。魔眼が。
「あなたは……誰」
 震えた声で、釉乃は問いかけた。"春日・釉乃"は笑った。
『あたしは、あなた。あなたは、あたし。わかるでしょ?』
 悪夢が見せる幻影、鏡像か。釉乃は愛刀『白雲去来』を構える。
「、ひ」
 悪夢の光景がよぎった。気がついたら、愛刀を取り落としていた。
 "春日・釉乃"がそれを拾い上げる。そして朱い瞳を柔和に細めた。
『いいの? せっかくの剣なのに。これがなければあれは破壊できないでしょ?』
「そんなこと、ない。あなたがあたしを惑わせたところで、みんなが――」
『みんな、って。誰?』
 ……釉乃は周囲を見た。ただ暗黒だけがある。ここには誰も居ない。
 ここは『彼女の悪夢の世界』だ。ほかは誰も居ない。もちろん"彼"も。
『ねえ、どうしたの。誰があなたの代わりに、あれを壊してくれるの?』
 "春日・釉乃"が問いかけてくる。答えようとした。悲鳴が漏れた。
『あたしはすごいね。こんな時でもみんなを守ろうとしてあげたんだもんね』
 "春日・釉乃"が歩み寄ってくる。足は動かない。震えていた。
『でも、誰があたしを守ってくれるのかな? 誰があたしの代わりを務めてくれるのかな?』
 "春日・釉乃"はしなだれかかった。腕は動かない。震えていた。
『誰も居ない。だから守れない。守ってもくれない。ここには"あたし"だけ』
 それは嗤った。右半身があらわになった。眼窩はぽっかりと空洞だ。
 どうして見えなかった? 朱い瞳に映る自分自身を見た。それでわかった。
 だって、あたしの左眼も、ぽっかりとした孔が。
「あ、ぎ――っ!?」
 激痛。絶え間なく流れる血。左眼のあった場所を抑えて崩れ落ちる。
 "あたし"が嘲笑っている。嗤っている。たった独りの自分を見下ろして。
 "彼女"は哄笑しながら、愛刀『白雲去来』を振り上げた。
『これは"あたし"のもの。だからもう、死んでね』
 悪夢は言った。剣が振り下ろされる。"あたし"はあたしを殺したいんだ。
 でも、あたしは殺したくない。あたしが殺したいのは――。
『なっ。どうして起き上がれるの? 悪夢に屈したはずなのに!』
 あたしが殺したいのは。邪魔だと思うのは。"あたし"じゃない。
『何を……無駄よ、あがいても無意味なの。だからやめろ、やめ……やめて! 奪わないで!!』
 あたしが。殺したいのは。殺すべきなのは。辿り着くべき先は。
『あ、ああああ。あああああ……い、ぎぃいいいっ!? 痛い、痛い痛い痛いィイ!!』
 そのためには魔眼(これ)が、必要だ。

●終焉
 ぶずり。
 愛刀『白雲去来』の手応えは生々しかった。まるで本物の脳を伐っているように。
「……………………」
 釉乃は無言。ここには自分とこの装置しかない。ほかは誰も居ない。ここは現実だ。
 左眼のあたりに触れる。"あたし"から奪い取ったそれは元通りに嵌まっていた。
 違う。それは悪夢の話だ。現実ではただ、苦しみ続けていただけ。けれど届いた。
 ジャミング装置は破壊された。任務は達成できたのだ。
「…………う」
 釉乃はずるずると膝をつく。えづく。びしゃびしゃと嫌な音がした。
「う、ぅ……ああ、ぁあああ……」
 そして泣いた。己が身を掻き抱き、ただ泣いた。ひとりきりで。

 春日・釉乃は無事に使命を果たした。
 悪夢に克ったのか、敗けたのか、逃げ出せたのか、見放されたのか。
 どれでもよかった。どうでもよかった。ただただ、泣き続けた。

失敗 🔴​🔴​🔴​

ネグル・ギュネス
・トラウマ
喪われたはずの記憶と過去の破片

燃え盛る街と、嘲笑う影。
自らを呼ぶ大事な人が、目の前で殺傷される風景

───ああ、私は無力だ。
大事な人を目の前で喪い、自らの身体の半分も喪われた。
弱い、存在。

だった!
だが、今は!!


来い、ファントムッ!!
ユーベルコード:アクセス、【幻影疾走・速型】!
宇宙バイクに乗り、一気に装置に突撃する!

例え貴様らが、私の絶望を蘇らせても
私の知らぬ記憶を掘り返しても

私は、俺は、もう無力じゃあ、無い!

【POW】強き意志と、護るべき人達の為に、私は生きる。

だから。
邪魔を、するなァァァ!!!


───そして。
私の領域に土足で踏み込んだ罪は、貴様らの命で償って貰う。
死ね、愚物ども。




 この光景を見たのは、初めてではない。
 自分の記憶なのだから当たり前だと、人は言うだろう。さもありなん。
 だが、彼に過去はない。ただ喪われた実感がある。
「……あれは、ダークセイヴァーでのことだったか」
 ネグル・ギュネスは、燃え盛る悪夢の中でひとりごちた。
 過去を蘇らせた悪夢の中で、さらに過去を想起するとは奇妙な話だが。
 そう、この光景を見せられるのは初めてではない。霧の中の記憶。
「まったくふざけたヤツだった」
 だから仕留めた。幻の霧で領民を眠らせ護るなど、ふざけた話だ。
 ……それが義憤だったかと言われれば、まあ、否だろう。
 あのときの激情は、紛れもなく幻を見せられたことで湧いていた。

 そして今。あのとき目の当たりにしたものと同じ光景がある。
 相変わらず、その光景が何を意味するのかは思い出せない。
 燃え盛る街。嘲笑う影。倒れ伏す――おそらくは――大事なひと。
 にげて、と。彼/彼女は言った。そして死んだ。
 嘲笑う影がとどめを刺した。こちらを見てまた、嗤う。
「……ぐ!!」
 噛み砕けるほどに奥歯を合わせ、突然の激痛を凌いだ。
 ああ、どうやら自分は倒れているらしい。ネグルは己の状況を把握した。
 体の左側が、まるごと熱い。だのに、どんどん冷えていく。
 ぞっとするような寒気。紅い血が、左側から流れ落ちていく。
 どうやら自分は、半身がまるごと欠けているらしい。
 それは、鋼と化した男にとって、非ざる部位と一致していた。
「噫、そうか。私は、ここで喪ったのか」
 この体を。そしておそらくは、この光景がなんであるのかを。
 誰がそれをやったのかなど、推察する必要もなかった。
 "あれ"だ。
 己を見て、嗤笑する影。男のようにも女のようにも――否。
 これまで戦ってきたオブリビオンのようにすら見える、あの影。
 奴が『あのひと』を殺した。そして自分はこうなった。
 なすがままに奪われた。何も出来ずに喪った。
『お前は、弱い。脆弱で、無力な、ただの人間だ』
 いつかに倒した敵の顔で、嘲笑う影が言った。
「――ああ、そうだ。私は無力だ」
 ネグルはただ端的に答えた。否定する余地など、ない。

『だからもう、諦めちまえばいいんじゃねえか?』
 相棒と呼んだ友の顔で、嘲笑う影は囁いた。
 今も、己でない己の声が内側から叫んでいる。思い出すな、と。
「それも、いいのかもしれない」
 だからネグルは否定しなかった。この世には忘れるべき過去もある。
 過去を喪った自分が、結果としていまここにいる己ならば。
 それを想起することは、つまりネグル・ギュネスという人物がいなくなるかもしれないということだ。
 姿形はそのままに、全く別の誰かに変わってしまうかもしれない。
 恐れが、ないわけではない。

『ネグルさんは、よく頑張ったと思うのです!』
 天真爛漫な少女の姿で、嘲笑う影は褒めそやした。
 様々な世界を巡り、様々な敵を倒した。そしてこの鉄火場だ。
 只人がくぐり抜けるには十分すぎる修羅場だ。
「弱い私には、分不相応な戦いかもしれないだろう」
 なにせ、いまこうして悪夢に苛まれていても、何も思い出せない。
 倒れ伏すひとが誰なのか。この影は本当はなんなのか。
 なぜ自分は半身を失い、どうやって取り戻したのか?
 それを思い出したとき、自分はそれに耐えられるのか?
 ……確証などない。なら、このまま微睡むのも、いいのだろう。
 何も守れず、奪われ、喪った脆弱な男には、似合いの末路だ。

『それでいい。眠れ弱き者よ、身の程を知り悪夢に微睡め』
 ナニカが言った。
「私は無力だ。
 目の前で大事なひとを喪い、半身を奪われた。弱い、存在だ」
 ネグルはその言葉に従い、瞼を閉じて――。

「――弱い存在、"だった"」
 目を、啓いた。
 瞳に浮かぶは絶望の色? 打ちひしがれし敗者の黒か?
 否。否である。輝くは金色、その光は眩いほどに煌々と!
『何?』
 悪夢の顕現は訝しんだ。それを金の瞳が睨みつけた。
「だが、今は。……今は! 違うッ!!」
 鋼の男は決然と叫んだ。そしてバネ仕掛けめいて、両手で跳ね起きる!
 踏みしめる。両の足で、焦げ付いた地面をしかと。確と踏みしめる。
 半身は剥き出しの鋼。人ならざる鉄の塊。されどその熱は雄々しく。
 街を焼く炎など比較にならないほど、彼の胸には燃えるものがある!
「来い、ファントムッ!!」

 ――ウォオオンッ、ギャリリリリ!!

 怪物じみたエンジンの咆哮、そして地面を切り裂くタイヤの悲鳴。
 身震いするほど美しき、黒き流線形の乙女。空を征く鋼の馬。
 朋友たるバイクが頭を垂れる。鋼の男はすでにその上に。
『莫迦な。無駄だ。お前は何も出来ないんだよ! 弱き者よ!』
 嘲笑う影が、悪夢の化身が嗤った。黒金の亡霊が気高く吼えた。
「ああ。そうとも、私はいまだ何も思い出せはしない」
 在りし日は喪われたまま。パズルのピースすら掴み取れない。
 だがその内側、歯車の裡には、命が燃えている。怒りの炎が!
「だが。たとえ貴様らが、私の絶望を蘇らせようと」
 ゴオオウウン! 亡霊が咆える。炉に焚べられしは憤怒の火。
「私の知らぬ記憶を掘り返そうと。私を弱き者と誹ろうと!」
 悪夢の化身が次なる姿を取る。その姿は別の友の――。
「――私(おれ)は、もう無力じゃあ、ないッ!!」

 ゴォウッ、ギャリリリ――GRRRRRRッ!!

『あああああアアアアアAAAAAAAaaaa!?』
 悪夢は苦悶した。悲鳴をあげた。断末魔をあげた。
 幻影と名付けられし黒金の乙女と、その騎手に迷いなし。
 踏むはアクセル、見据えるは過去。求めるは疾走のみ!
 進路上の障害物(あくむ)を轢殺粉砕し、炎の街へめがけ奔る!
「俺たちの疾走は、誰にも止められん。征くぞ、相棒ッ!!」
 GRRRRRッ! 黒金が応える
 最速最大最強突撃形態を取り、炎の街へと突っ込む。
 恐れなどない。この身は鋼。されど心は人なり。
 しゃりん、と太刀を鞘走らせる。炎が騎影を――飲み込む!
「オォオオオオオオオッ!!」
 肌を、目を、喉を、灰を灼く業火の中で、鋼と刃金は吼えた。
 その精神を焼き尽くさんとする炎すら、絶望も記憶も全てを振り切り――。

●現実
 見えた!
 おぞましき醜悪なる異形の機械。悪夢の元凶!
「――我が一撃は、彗星の如く! 砕け散れェッ!!」

 ゴォウッ――KRAAAAAAAAAAASH!!

 SRファントムの全速力と重量を真上から叩きつけるウィリーアタック。
 さらに桜花幻影による超高速の斬撃。鈴はただ静謐を響かせる!

 ォオオオオオ――ギャキキッ!

 地面に焦げたタイヤ痕を刻みながら、急停車。
 桜花の刃を納刀。ちりん――鈴が静謐の終わりを告げた。
 その背後で、異形の機械は臓物めいた液体を飛び散らせ四散!
「…………」
 アイドリング音が獣の唸り声めいて響く中、ネグルは瞑目していた。
 想起された過去を刻み込むように。命なき鋼に焼き付かせるように。

 目を開く。金の輝きは喪われど、裡に燃える炎はなおも熱く。
「オブリビオンどもよ」
 彼の言葉は誰に向けたものではない。否、敵全てへの宣言と言える。
「私の領域に土足で踏み込んだ罪は、貴様らの命で償ってもらうぞ」
 愚物どもへの憎悪と、まったき死の裁きをくだすために。
 かつて弱き男は未来を視る。悪夢はもはや、どこにもない。

大成功 🔵​🔵​🔵​

トルメンタ・アンゲルス
過去の悪夢、ですか。
もう、そういうのは結構なんですよ。
――突っ切らせてもらいましょうか!

【SPD】
夢に見るのは数年前、鎧装騎兵団に所属したての頃。
正体不明の高速宇宙戦闘機。遥か昔、墜とされた筈のAI搭載無人戦闘機。
圧倒的な速さと火力で部隊の半数以上を撃墜し、自身も墜とされた忌々しい敵機。
当たらない攻撃、迫る恐怖、四散する四肢、焼けつくような激痛、迫る死の手。


―――来るな。来るな。来るな。

―――速く。速く。速く。

―――走れ。走れ。走れ。

俺は速い。
あの頃の俺よりも。
あの時のアイツよりも。
確実に。絶対に。

そう!
俺は、何よりも速く、駆け抜ける!
過去に立ち止まった残渣程度に、今の俺の速さは負けやしない!




 圧倒的スピードの只中にあって、けれど彼女は焦燥していた。

 ――来るな。来るな。来るな。

 がちがちと震える歯の根を無理やり合わせ、ただひたすらに念じる。
 スポーツサングラスの奥、瞼はぎゅう、と力強く閉じられていた。

 ――速く。速く。速く。

 今の彼女は、トルメンタ・アンゲルスという名に相応しいスピードの中にいる。
 嵐の天使とはまさにこれ。宇宙を光の風となってジグザグに走る。

 だのに。
 だのに"ヤツ"は、追いすがってくる。けして振り切れない。
 目を閉じて、心を塗り潰し、耳を塞いでも……なお、わかる。
 なぜなら、あのときこそそうだった。けして忘れ得ぬ過去――。

 鎧装騎兵にとっての誉れとは何か?
 もしも誰かにそう問われたなら、彼女はこう応えるだろう。
「速さです。何者にも負けぬ、誰にも追いつけない速さこそが!」
 今もそう思う。だからこそ、あの出来事を忘れられるはずはない。
 たった数年前、まだ今のように世界を渡り歩くこともなかった頃。
 トルメンタはいまだ新米の騎兵だった。希望を胸に溢れさせていた。
 厳しくも暖かい先輩たち。護るべき宇宙船の、優しい人々。
 日々の訓練は過酷で時に涙したこともあったか。
 それでも、けして嫌ではなかった。ああ、そうとも。かけがえのない日々――。

 ……だった。
『こちらヴェンダバル! クソッ、後ろに突かれた!』
 普段は冷静沈着で、よほどのことがない限り声を荒らげない先輩隊員の声。
 一瞬本人だとは思えないほどに、その声は切迫していた。
 通信越しに響く彼の声には、たしかに恐怖があった。そして焦りが。
『落ち着け、相手は無人機だ。いつもどおり冷静に対処しろ!』
 そう指示する隊長の声にも、隠しきれぬ焦燥があった。
『畜生、畜生畜生! こんなところで死にたくなんか……あァああッ!!』
 ガガッ、ドン――ザッ、ザザー、ブツン。
 電気系統がショートしたような爆発音を遺し、先輩隊員の通信は途切れた。
 隊長が何度も呼びかけている。自分も声を出そうとした。けれど。
「……なんだよ、あれ」
 かちかちと、歯の根が噛み合わない。ただ怯えた吐息を絞り出すのが精一杯。
 全天型液晶に映し出される、慣れ親しんだ星系図。黒き宇宙(そら)を飛ぶ光。
 あれがこの世のものだとは認めたくなかった。認められなかった。
 速さも、その軌道も、攻撃をかいくぐる運動能力も、応戦火力も。
 何もかもが規格外。これまでシミュレートしてきた、いかなる脅威とも違う。
 一目でわかった。あれはここにいてはならないものだ。怪物、いや、亡霊?
 なんでもいい、自分たちとは違う。無人機だからという意味じゃない。
 そもそもの規格(レベル)が違う。次元が違う、とはこういうことを言うのか。

「来るな」
 正体不明の超高速宇宙戦闘機――誰が作ったのか、なぜ自分たちを襲ったのか、それすらも定かならぬ、太古の無人機。
 喪われたはずのオーバーテクノロジーの塊。光めいて来たる死神。
 光芒と化した死神が鎌を振るう。被弾。仲のいい同僚を示す光点が消えた。
「来るな、来るな」
 死神が反転、ジグザグじみた軌道で逃げようとしていた友軍機に接近。
 開きっぱなしの通信回線から、数日違いで入隊した後輩の断末魔が聞こえた。
「来るな、来るな、来るな来るな来るなァ!」
『トルメンタ? おい、待てトルメンタ! 単独行動はやめろ!!』
 隊長か、それとも別の先輩か、あるいは宇宙船の船長か。誰かが叫んだ。
 従う気にはなれなかった。だって、ここにいたら、あれに殺される!!
『クソ、やつが狙いを変えやがった! 俺がカバーする!』
 世話焼きのベテラン騎兵の声。背後に頼もしい気配を感じた。
 そして5秒後、消えた。通信回線から悲痛な断末魔が聞こえた。
「来るなァああああああっ!!」
 ぶんぶんと頭を振り、叫び、トルメンタは全速力で逃げた。

 逃げたのだ。精一杯、あらん限りの速度で逃げた。
 だがヤツが、死神がぴったりとついてきているのがわかった。
 訓練の日々で染み付いた体は、反撃を選択した。急停止からのピッチアップ。
 ほとんど鋭角的なインメルマンターン。何度練習しても出来なかった大技だ。
「当たれ、当たれ当たれ当たれッ!!」
 トリガを引いた。ボタンが砕けそうな力と勢いで。
 BRATATATATAT……実戦用のビーム砲は、むなしく虚空をつんざくばかり。
 死神は? 背後を取ったはずだ。奴はどこに!?
『後ろだ、トルメンタ!!』
「っひ――!?』
 KBAM!! 死神の鎌は、愛機の左翼部を抉った。当人の左腕もろとも。
「ああああああああっ!?」
 痛みに、というよりは驚きと恐怖に悲鳴をあげた。コントロールが効かない。
 戦闘機からマニピュレーターが現れ、ビームブレードを展開するのが見えた。
 そして霞んだ。KBAM!! 右翼部喪失。右腕と右足が融け消えた。
「かは――っ」
 燃料部に引火したことで機体が誘爆を起こす。左足が焼け焦げた。
 トルメンタは為す術もなく虚空へ投げ出される。激痛に意識を喪いかける。
 気絶できればよかったのだろう。だが死神の姿はしかと見えていた。
 とどめを刺さんと、ヤツがまっすぐにトルメンタへと――。


 トルメンタは唇を噛んだ。ぎり、と裂けた唇から血が垂れた。
 その痛みが、彼女を恐怖の記憶から救い出した。視界が現在軸に戻る。
 あのときと同じように、"ヤツ"が猛スピードでこちらへ来る。
「俺は、あの時とはもう違う」
 煮えたぎるような声で、トルメンタは呻いた。己を鼓舞するように。
「あの頃の俺よりも。あの時のお前よりも」
 両の手に力を込める。喪われた四肢の代替、鋼の義肢の感覚が意思を固くする。

 ――来るな。来るな。来るな。
 ――速く。速く。速く。

 ああ、そうとも。あのときと同じように念じてやろう。叫んでやろう。
 だが言葉の意味は違う。あのときはただ逃げるために、必死だった。
 死神よ、どうか来てくれるな。なぜならば。……なぜならば!
「俺のほうから、行くからだァッ!」
 あれから何年も経った。喪われたものを補った。ひたすらに鍛え続けた。
 だからもう自分は違う。確実に、絶対に。誰がなんと言おうと!
「俺は、アイツよりも、誰よりも速くなったんだッ!」
 鋼の相棒が、唸った。その銘、追いつける者なし(NoChaser)。
 それは祈りか? 否。事実であり、宣言であり、そして最後通牒だ!

 クォオオオンッ!!

『――!』
 死神が命あるモノならば、おそらくそれに驚愕したことだろう。
 最期を受け入れたかのように静止していたはずの獲物は、突如として跳ねた。
 そう、跳ねたと表現するほかない。猛加速で上昇し、己を飛び越えたのだ!
《Overdrive――Ignition》
 彼女が装備するマシンベルトから機械音声が響く。
 極限まで充填待機させたブースターによる、残像めいた速度の急加速。
 これによって敵攻撃を回避。そして変身――否、否否否!
 かつて己は、己と相棒は揃ってヤツに負けた。
 悪夢がそれを模倣するなら。同じようにひとりと一機で打ち砕く!
「過去の残像ごときに負けやしねえ、俺達の速さ、見せてやろうぜッ!」
 応えるように、愛機のエンジンが震えて咆哮する。周囲の風景が融ける!
「俺は! 何よりも速く! 駆け抜けてみせるッ!」
 クォンッ! 今や恐れていた光芒は、トルメンタ自身を指していた。
 死神が止まって見える。ああそうとも、遅すぎて欠伸が出そうだ!
《Turn up,Maximum Good Speed!》
「うおおおおおおおおっ!!」
 銃砲が、ブレードが、光が弾丸が己を捉えようとする。遅い、遅い遅い遅い!
 そして音すらも抜き去り――流星は、死神を撃ち貫いた。

●現実
 ガン、ガガンッ! ギャリリンッ!!
「っはぁ、はぁ、は……っ」
 擬似重力が彼女を絡め取る。ブレかけたハンドルを冷静に調整。
 周囲を見渡す。ここは宇宙ではない――あの時の宙域ではない。
 背後を見やる。火花を散らし、轢殺破壊されたジャミング装置の残骸があった。
「……は、ははっ。過去の悪夢なんて……もう、結構」
 汗を拭い、天使は笑った。
 いまさら見させられなくとも、もう何度もあの過去は思い返したのだ。
 サングラスの奥の瞳に映るものは、残影か星の光か、はたまた涙か。
 ただ口元には笑みを見せ、銀髪の嵐は振り返らずに離陸する。

 その背後で、悪夢の残骸が爆ぜ砕けた。

成功 🔵​🔵​🔴​

ジャガーノート・ジャック
【POW】
(ザザッ)
――悪夢か。
――構わない、破壊する必要があるなら破壊するまで。

(ザザッ)

《人を殺してでも守りたいと思った人がいた。
それさえ守れれば、『僕』は死んでも構わなかったのに。

なんで君は『僕』を助けたんだ、"ハル"。
こんなに醜い『僕』より
君が生きてくれた方がずっと嬉しかった。
――死ぬのは僕で良かったのに!!

『―――。』

嗚呼。
覚えてる。
最後に君がなんて言ったか。
約束は、必ず果たす。
果たしに行くから。
だから、待ってて、ハル。

――》

(ザザッ)
――夢を見るのはここで終わりだ。
僕は――
否、『本機』はここで止まる訳にはいかない。

熱線照射、破壊完了。
ミッション遂行完了――
オーヴァ。
(ザザッ)



●砂嵐
 ザ。ザザ、ザ。ザリザリザリ。ザリザリザリザリ……。
《――……》
 黒き戦士は、無言で周囲を見渡した。
 ザリザリ。ザリザリザリザリ。吹き抜ける風に、砂嵐が煽られる。
 一寸先すら見通せないほどの、濃密なノイズのカーテン。無論、彼のものではない。
《――こちら、ジャガーノート・ジャック。誰か聞こえるか。応答を願う》
 ザリザリザリザリ。ノイズ混じりの声は、砂嵐に溶けるように虚しく消えた。
 なるほど。ここが悪夢の世界か。どうやら一種の特殊空間らしい。
 あるいは何らかの作用により、精神世界に没入させられているのか。
 現実の自分は、棒立ちになっているのかもしれない。興味深い技術だ。

《――……と。"兵士"ならば、考えるのだろうな》
 ザリザリザリザリ。
 砂嵐のなかで、戦士は……いや、少年は、呟いた。
 それを声に出すことなど滅多にない。よほど気兼ねしない仲間の前でくらいか。
 悪夢という空間がそうさせたのだろうか。すでに干渉を受けている?
《――構わない。破壊する必要があるなら、破壊するまでだ。それが》

 ザリザリザリ。
 ザリザリザリザリそれが怪物だもんねザリザリザリザリ。

《――…………》
 砂嵐のなかに、奇妙な空白があった。そこに少年がいた。
 ……正しく言えば、そのフォルムはよく見えない。砂嵐のカーテンによって。
 だがジャガーノートには一瞬でわかった。それは他ならぬ、鎧の下の自分。
《――悪趣味な罠だ》
『そうだね。きっと僕が思い描く理想の兵士(かいぶつ)なら、そう言うんだろう』
 ザリザリ。ザリザリザリザリ。
 砂嵐は止まない。ただ声ははっきり聞こえる。
 己の姿をした悪夢は、嗤いもせず、泣きもせず、淡々と続けた。
『ねえ、その鎧でみんな殺すのは楽しい? 何もかも壊すのはすっきりする?』
 ジャガーノートは無言。ただ彫像めいて佇んでいる。
 砂嵐が、ノイズと共に鎧を洗う。……鑢めいて心を擦り、削る。
『僕(きみ)は弱かった。何かを願っても貫き通すことが出来ないぐらいに。
 だから力が欲しかった。殺して殺して殺してやりたかった。だから、』
《――そうだ》
 端的な肯定。悪夢の言葉は途切れた。
 ……そうだ。嘘を言う理由などない。どうせそれは読み取っているのだろう。
《――本機(ぼく)は、人になりたかった。ただそれだけだった。
 殺意と、暴力と、報復の憎悪。それを捏ねて、作り上げた。皆殺しの怪物を」
 悪夢は何も言わない。砂嵐はただ吹きすさぶ。
「――結局は何も変わらなかった。それでもいい、この力で悪を討てるならば」
 ザリザリ。ザリザリザリザリ。心は擦り切れていく。
 なぜだ。

 ……問いかけの答えは、悪夢の口からもたらされた。
『違うよ。あっているけど、足りない。君(ぼく)には別の願いもあっただろう?』
「――そんなものは」
『ハル』

 ZZZZZZZAAAAAAAPPPPPP!!

 反射的に、ジャガーノートは引き金を引いていた。
 熱線がノイズのカーテンをつんざく。だが悪夢はそこにはいない。
 出現位置に振り返り、構える。ターゲット、ロック。……撃てない。
『人を殺してでも守りたいと思っていた。ううん、死んだって構わなかった』
 ジャガーノートは銃口を構える。引き金は、引けない。噫、なぜなら。
『でも守れなかったね。君(ぼく)は、ハルを守れなかった』
 ザリザリ。ザリザリザリザリ。
 鎧の表面はこそげ、黒はデコボコの灰色に変じつつあった。
 ジャガーノート……ジャックは、銃口を突きつけようとした。
 引き金は引けない。……銃口を、下ろした。頭を振った。
「――ああ。……嗚呼、覚えている。何もかも。覚えている」
 それは懺悔に似ていた。砂嵐(あくむ)は鎧の下の真実を引きずり出した。
 ……引きずり出さされた。吐き気がこみあげる。呻きを漏らす。
『なんでだ』
「……なんで君は僕を助けたんだ、ハル」
『こんなに醜い僕より』
「……君が。君が生きていてくれたほうが、ずっと嬉しかった」

「『――死ぬのは、僕(きみ)でよかったのに!!』」

 ……悪夢と少年の声は音叉めいて重なり、途絶える。
 砂嵐はいや増しに強まっている。もうそれはほとんど霧めいていた。
 自ら練り上げた怪物(ジャガーノート)の鎧が残っているかどうかもわからない。
『ねえ、君(ぼく)はどうして生きているの?
 なぜ未だに、人になりたいなんておごがましいことを考えているの?
 醜くて、弱くて、愚かで、どうしようもない僕(きみ)に、その資格はある?』
 もはや兵士の仮面を被ることも出来ず、ぶつけられる言葉。
 それは仮面の下で、常日頃から自問自答――いや、自縄自縛してきた呪い。
 兵士? 怪物? 笑わせる。何が黒鉄の騎士だ。何がジャガーノートだ。
 僕はこんなに愚かで、怖がりだ。友の涙を拭うことすらろくに出来やしない。
 仮面を被らねば、敵とも、仲間とも相対せない。こんなのは人じゃない。
 だったら――。

「…………そうかもしれない。いいや、きっとそうだ」
 ザリザリ。ザリザリザリザリ。
 ノイズがかすかに響く。砂嵐のそれか? ……否、違う。
「――……何度もそう思った。いまも思う。けれど、僕の記憶はそれだけじゃない」
 喪ったヒトのことを想う。己を虐げてきた奴らのことを、その憎悪を想う。
 忘れたいものばかりだった。膝を突きそうになる思い出ばかりだ。けれど。
 けれどハルは言った。悪夢はそこに触れていない。僕はそれを覚えている。
《――あの時の最期の言葉を。約束を、僕はまだ覚えている》
『でも』
《――だから、夢を見るのはここで終わりだ》
 弱き少年の幻影に、今度こそ銃口を向けた。引き金を、きっと僕は引けないだろう。
 だが戦士なら。無敵で、無慈悲で、恐ろしい怪物(ジャガーノート)ならば。
《――終わりだ、悪夢よ。一撃だ。……本機は、ここで止まるわけにはいかない》

 銃声は、ノイズの中でいやによく響いてきた。

●現実
 前触れもなく、砂嵐は消えた。周囲を索敵する。
 生体反応、なし。敵影、なし。動体反応なし――オールクリア。
 キュイン、とカメラアイが作動し、正面にそびえていたモノを分析した。
 胸のむかつくような悪夢発生装置。ど真ん中の精密回路が円く穿たれている。
《――目標構造物、破壊完了。ミッション、遂行終了》
 独白めいて、黒鉄の怪物は呟いた。ザリザリと、ノイズが声を覆う。

 正直に言えば。あの悪夢は、悪夢とは思えなかった。
 ああ、本機の意思を挫こうとしていたのだろう。それは効果があったとも。
 けれど、そんな問いかけは、何度も――何万回も、何億回も繰り返してきた。
 そしてそのたびに同じ結論にたどり着き、決意するのだ。
 あの日の約束を思い出して、それを己を繋ぎ止める錨として。
《――約束は必ず果たす。だから》
 待っていてくれ、大切なヒトよ。

 兵士はそんな感傷的な台詞を吐きはしない。言葉尻はノイズに消える。
 砂嵐があたりを包んだ。夢の終わりのようにそれは一瞬で消え去る。
 怪物はもはやどこにもいない。次なる破壊を目指して消えたのだ。
 固い決意と想いと、慟哭と殺意と弱さを胸に。
 ジャミング装置破壊作戦、オーヴァ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

皐月・灯
別に珍しかねー。ダークセイヴァーじゃよくあることだ。

……オレの故郷は、ありふれた小さな村だった。
貧しくて搾取を受けてて、でも皆懸命に生きてた。
腹はいつも減ってたけど、家族や村の皆で支え合ってた。

オレ以外の全てが、喰い滅ぼされるまでは。
血ってな、いっぺんに流れ過ぎると霧みてーに漂うんだ。
オレは赤い霧の中で、肉と骨に埋もれてただ見てた。
両親が、隣の家の姉さんが、血袋になっていくのを。

……そう、よくある話だ。
だからオレはここにいんだよ。
そういう「よくある」理不尽を、この手でブチ砕くために。
ドクター・オロチ。
てめーのような野郎の顔面に、この拳をブチ込むために。

装置は叩き壊す。オレは、立ち止まらねーぞ。




 ダークセイヴァーという世界がある。
 オブリビオンに侵略され、陽の光を喪いし世界。
 君臨するはヴァンパイア。崇められるは異端の神。
 人々は酷使され、虐げられ、戯れに殺され、あるいは壊される。
「……スペースシップワールドだろーがよ、ここは」
 フードを目深に被った青年……否、少年は忌々しげに吐き捨てた。
 かすかに見えた双眸は、薄青と橙。いずれも苛立ちに顰められている。
 皐月・灯。そういう名を名乗っていた。そう、"彼"は灯である。

 目の前に広がる荒涼とした、暗澹の風景。覚えがある。ああ、あるとも。
 オブリビオンどもも、他の世界を知るのか。はたまた、記憶から想起した結果か。
 彼が囚われた悪夢の世界は、生誕地たるダークセイヴァーの風景を模していた。
 では彼は、己の誕生に嫌悪があると?
 ……否。生まれを呪っているわけではない。
「ここまで完璧だと、腹が立つより感心してくるぜ」
 嘆息混じりに軽く頭を振る。周囲は、荒野や草原などではない。
 彼はいま、何の変哲もない村の前にいた。ありふれた、小さな、寒村だ。
 目の前にある木柵に触れてみる。手触りすらも、記憶の中のそれと一致した。
 並び立つ家々は、どれもこれもどこかが欠けていた。壁、屋根、はたまた扉。
 ガラス窓なんて贅沢なものはない。寒風を遮る帳もない。貧しい風景だ。

「なあ、オイ。次はなんだ? 幸せな風景の再現映像ってか」
 灯は虚空に問いかける。応える声はない……少年は舌打ちした。
 いかにも、ここは彼が生まれ、幼い頃を過ごした村。今はもうない場所。
「言っとくがな、大した意味はねーぞ。こんなの、この世界じゃ珍しかねー」
 彼の言葉は強がりではない。淡々と事実を述べている。
 オブリビオンに支配されるとはそういうことだ。只人は搾取され、弄ばれ、殺される。
 あの時もそうだった。自分だけが生き残った、あの忌まわしい災厄の日。
 仮にそれが目の前で再現されたとしても、はたまた幸せだった頃の生活が蘇っても。
 それがどうした。そんなものはこの瞼の下に刻みつけられている。
 だから自分は戦うのだ。気に入らぬもの、理不尽をこの拳で砕くために。
「それともアレか。ゾンビになって襲いかかる、とかか? やってみろよ」
 応える声はない。ざす、ざすと歩きながら、一軒一軒家々を見て回る。
 ……中には誰も居ない。灯の瞳に、苛立ちとは異なる色が浮かんだ。訝しみだ。
 悪辣な精神攻撃なら、思いつく限りで覚悟してきた。それを砕く決意も。
 もはやそのイメージトレーニングだけで、十分に煮え滾っているとすら言える。
「……何を、企んでやがる?」
 呟きに応える声はない。ただ、彼が嫌というほど慣れ親しんだ死の静寂がある。
 不気味な静謐だった。あるいは、悪夢とやらもこの程度なのか……?

「い、や……いやぁああ! 助け、助けて……っ、誰かぁ!」
「……来やがったか」
 黒手袋がぎりぎりと音を立てた。力みすぎるな、悪夢に囚われるな。
 声の主は……たしか、生家の隣に住んでいた女性だ。優しい人だった。
 彼は走った。何が起きているかなんてわかる。なにせ鼻孔をつんざくこの匂い。
「チッ。どこまでも精巧に再現してくれやがって……!!」
 霧。それは血の霧である。酸鼻たる匂いとともに、赫が闇を彩る。
 忌々しい匂いだ。忌々しい色彩だ。これは犠牲者たちの、文字通りの残滓だ。
 それまでの静寂が嘘のように、霧の向こうから阿鼻叫喚の協奏曲。悲鳴の群れ。
 奥歯がみしりと音を立てた。深呼吸し、激しかけた頭を冷やす。
 ひときわ大きな家を迂回し……いや、まだるっこしい。跳躍し越える!
「見つけたぞ、クソ野郎ッ!!」
 居た。あのときと同じように、村の広場で死を撒き散らす元凶が。
 血と臓物と肉と骨を撒き散らし、領民(えもの)を食い漁る外道。
 あれが悪夢か。重畳だ。足元には慣れ親しんだ姉が倒れている。
 たとえこれが追想でも、やはり見過ごせはしない。いつものように、ブチ砕く!

 ――レディ。アザレア・プロトコル、幻想開帳。
 脳裏の口訣に従い、異色の双眸に走査線(レール)めいた輝きがつかの間煌めく。
 これこそは異端にして我流、独自にして不可思議なる魔術闘法。
 人呼んで"幻釈顕理"、アザレア・プロトコル。理不尽を、不条理を打ち砕くための力。
「プロトコル、1番(ナンバーワン)――」
 生体魔術刻印回路(MDナーヴ・サーキット)、励起。怒りを魔力として焚べる。
 刻印が仄かに輝き、その意思を撃滅によって為さんと奔る。敵は眼下!
「――《猛ル、一角(ユニコーン・ドライブ)》ッ!!」
 幻獣の名を冠するこの一撃は、端的に言えば魔力を込めたシンプルな拳打である。
 "だからこそ"強力なのだ。よしんば避けられたとて、次へ繋ぐ布石となる。
 そして頭上アドバンテージを得てからの一撃は、まさに必殺と言えた。
 当然だ。そのために技を鍛え、精神を練り上げたのだ。拳が敵を撃つ!

 バチ、バチバチ――ドウッ!!

 一点集中された魔力は炸裂弾じみた衝撃を伴い、奴を吹き飛ばした。
 手応えはあった。元より相手は悪夢なのだ、所詮は幻影だ。他愛もない。
 機敏にバック宙を打ち、万が一の反撃に備え構える。土煙が立ち上った。
「ったく、あっけねーな。ま、たかが夢じゃ――あ?」
 土煙を洗う一陣の風。そこに倒れ伏す姿を見て、異色の双眸が見開かれた。
 いや、あれは"ヤツ"だったはずだ。あの忌まわしい、鬼だった。はず、だ。

 ……なのにどうして、オレの父親が。顔面がブチ砕けて斃れている?
「██さん? ██さんっ!!」
 "姉さん"が、悲鳴混じりの声をあげて、父さんに駆け寄っている。
 ああ、後ろで呆然と佇んでいるのは、母さんだ。青白い顔をしていた。
 惨状を見る。手応えの新しい己の拳を、見下ろした。……オレが?
「……オレが、やったってのか」
「なんてことをするの、この人殺し! 悪魔っ!!」
 "姉さん"がこれみよがしに叫んだ。睨みつける両目から涙の雫が溢れていた。
 母が、泣き崩れるのが見える。ああ、そうか。"そう来る"のか。

『"よくあること"だって言い続けたって、終わったことは何も変わらないんだよ』
「……あ?」
 突然の声に振り向いた。うず重なった肉と骨の中、己を見返す幼い瞳がある。
『みんなみんな死んじゃった。生き残ったのは自分だけだ。
 過去は変わらない。もちろん未来だって変えられやしない、そうだよね?』
「…………」
 幼い己の姿を取った悪夢の言葉に、灯は何も応えない。
『どれだけ力を得たって、戦う武器を磨いたところで、悲劇は起きる。
 今も誰かが、同じように苦しんで嘆いてる。なら、意味なんてないんじゃない?』
 オブリビオンは、ごく一部の例外を除いて不滅。
 たとえ一体を倒したところで、次の過去が骸の海より来たるのだ。
 いわば血を吐き続ける悲しいマラソンだ。終末期の延命処置も同然だ。
 そして得た力が、必ずしも正しい結果を為すとは限らない。
 あの日の自分と同じ誰かを、この拳で不幸にすることすら――。

「っははははは!!」
 灯は、笑った。
 フードが外れ、幼さの残る顔立ちが露になる。野卑に笑っていた。
 奥歯を噛み締めながら。怒りと、憎悪と、燻り続ける絶望の火を寝じ殺すように。
「そーかもな。言われてみりゃその通りだ!」
 それは諦観の合図か? ……今の彼を、四肢にみなぎる魔力を見れば、誰も思うまい。
 滾っていた。魔術を操る少年は、憤然たる紫電を纏う。凄絶なまでの、殺気。
「"よくある話"。そうさ。――だから、オレはここにいんだよ」
『強がりを言ったって、何も――』
「知らねー」
 切り捨てる。"姉さん"の痛罵も、"母さん"の嗚咽にも振り返らず、一歩踏み出す。
 あの声で己をなじる。あの声で、己を苛む。ただその残滓を背中に受けて、歩み寄る。
「てめーらの理屈なんて、知らねえ。いいか、オレはな」
 バチ……バチ、バチバチ。紫電が燻る。炸裂の刻を待ち望む。
「その"よくある"理不尽を。てめーらのような、クソふざけた野郎どもを!」
 幼き己の姿を取った悪夢に、決然と歩み寄る。一歩。一歩。
「その顔面を、この拳でブチ砕くために。オレの力をブチ込むために!」
 口訣は不要ず。刻印はその激情に従い威力を為す。睨め下ろし、破滅の槌を振り上げる。
「オレはここにいる。てめーらのもとに辿り着く。立ち止まりゃしねーよ」
 幻釈顕理、プロトコルの3。《轟ク雷眼》、ここに成立せり!
 憤雷が、闇を、血臭を、悪夢を焦がし、吹き飛ばした――。

●現実
 ……ジャミング装置は、超威力の拳戟と、数万ボルトをゆうに越える轟雷を浴びた。
 無論、もたらされたのは破壊である。アンテナは爆ぜ飛び、そこら中で火花が散る。
 さながらそれは、圧死した人間の屍体のようだった。灯は舌打ちした。
「くだらねーよ、悪夢なんざ。ンなもん、見飽きてんだ」
 フードを被り直す。踵を返し、振り返ることなく歩き出す。
 あの日からこの時まで、晴れぬ闇が心(ここ)にある。眠れる獅子とともに。

 拳を握りしめる。刻印が、未だ冷めぬ激情の残り香に瞬いた。
「……ドクター・オロチか。待ってろよ、クソ野郎」
 この呟きは彼奴に届くまい。結構だ、元よりくれてやるのはただひとつ。
 あの日から鍛え、磨き、練り上げ、研ぎ澄ましてきたこの術式に他ならぬ。
 忘却(オブリビオン)など片腹痛し。少年は、晴れぬ闇と共に歩く。

 ただ、歩き続ける。

成功 🔵​🔵​🔴​


●業務連絡
 プレイングは【2/10(日)23:59】時点で締め切る予定です。
 以降は可能な限りスピーディに一つずつ採用していくつもりです。
 ご参加を予定されている方はお早めにプレイングをどうぞ。

●業務連絡ここまで
ジョン・ブラウン
POW

初めの記憶は自分の中に誰かが落ちた異物感
しばらくしてそれが誰か分かった
ベンおじさんはお調子者でいつも奥さんに怒られてる
次に落ちたのはシチューが得意なエマおばさん
お化粧が得意なエミリー愛想の良いイザベラ
バスケの上手いマイクうさぎの好きなソフィア
ナタリア、ハンナ、グレース、ビビアン、アンナ、オリビア
イーサン、ウィリアム、ローガン、ヘンリー、カーター

最後に赤毛の男の子が落ちるのを見ていた

気がつけば村があったはずの場所は全て沼になっていて
僕はその中に立ち尽くしていた

水面には見覚えのある赤毛が映っていた
自分の髪だから当たり前だ

顔が濁って見えないのは沼の泥のせいだろう

僕はジョン・ブラウン


アドリブ歓迎




「ちょっと、ベニー! あなたまた安請け合いなんかして!」
 妻らしき女性の叱責に、ぽっこりお腹の膨れた中年男性は困ったように頭をかいた。
「いやあ、ナタリー、しかしな? イーサンのやつも困ってたみたいで……」
「そうやってすぐ次から次に調子よく面倒事を引き受けるんだから、んもう!」
 ふてくされた様子で、ナタリアはぷいとあっちを向いてしまった。
「あははは、ベンおじさんまた叱られてやーんの!」
「こらローガン。違うぞ、これは私たち夫婦の愛情を確認し合う儀式なのさ!」
 ローラースケートを履いた少年が、通りがかりに二人をからかう。
 なにせベニー……ベンおじさんと、その妻は家の前で喧々諤々としていたのだ。
 ナタリアはまたしても眦を釣り上げて、夫を叱ろうとするが……その唇を塞がれる。
「じゃあ仕事に行ってくるから。愛してるよハニー」
「なっ、も、もう……っ」
 まんざらでもなさそうな様子で、ナターリアは顔を赤らめ、夫を見送る。
「ヒューヒュー! ベンおじさんとこは今日もラブラブだぁ~」
「こら、ローガン! 待ちなさい、このいたずらっ子!」
 あははは、と指笛を吹いてからかいながら、いたずら少年ローガンは軽やかに逃げ出した。

 アメリカの片田舎、ありふれた朝の風景。平和ないつもどおりの日常。
 僕は、それを識っている。


「ヘイ、ヘイ! パスパスパス!」
「抑えろ抑えろ! またマイクにスリーポイント決められるぞ!」
 昼休み。ジュニアスクールのグラウンドで遊ぶ元気な少年たち。
 勝ち気なカーターの指示もむなしく、ボールはマイクへ。そしてシュート!
 ザスッ、と狙いすましたようにボールがゴールに飛び込んだ。
「クソッ! まーたマイクだよ。あいつ、ホント得意だもんなあ」
「へへ、悪いね。レモネード奢ってくれたらそっちのチーム行っちゃうよ!」
 バスケの時間はマイクをどっちのチームが獲得できるかで勝敗が決まる。
 当然、チームメンバーからはブーイングの大合唱。カーター少年は肩をすくめた。
「お前、それあいつらにも言っただろ? アイスクリーム奢ってくれたらチームに入る、ってさ!」
 リーダーシップの強いカーターは、マイクのやり口をしっかり見抜いているらしい。
 バスケ少年がてへりと舌を出しておどければ、悪ガキたちが笑いながら彼を小突いた。

 そんな男子の乱痴気騒ぎを呆れた様子で見やる女子のグループもいる。
「ほんと、あいつらって単純よね。バっカみたい」
 大人びた雰囲気のエミリーが、髪をかきあげながら呆れてみせる。
 口元にほんのりと薄いルージュ。
 校則に反しない程度のお化粧は女の子のたしなみだ。
「そんなこと言って、エミーはマイクのことが気になるんでしょ?」
「なっ」
 一気に顔を紅潮させた少女に、からかったイザベラはにししと笑う。
 そばかすが垢抜けない印象を与えるが、彼女を好ましく思う者は多い。
 いわゆる、誰とでも仲がいいというやつだ。男女を問わずに。
「ねーねーマイク、エミーがね、話あるんだって!」
「ちょ、イザベラ! やめなさいよっ! そんなことないんだからっ!」
 きゃあきゃあと楽しく笑いながら追いかけっ子をする少女たち。
 男子はそんな彼女たちを見て、きょとんとした顔で首を傾げた。

 ティーンエイジャーのなんてことのない、平凡な昼下がり。
 僕は、それを識っている。


 エマおばさん特製のシチューが食卓に並ぶと、子どもたちは一斉に笑顔になった。
 ウサギのぬいぐるみを大事そうに抱えた、気弱なソフィア。
 そんな彼女の隣に、護るように座る心優しいウィリアム。
 仲良し双子のハンナとグレース。年長っ子のヴィヴィアン。
 気立てのいいアンナが皿を配ってまわる。
 いたずらっ子のヘンリーはようやくやってきた。後ろからは同い年のオリビア。
 誰かが楽しそうに笑った。誰かが誰かをたしなめた。
 誰かがその日あったことを話題にして、誰かが相槌を打つ。
 誰かが嫌いなブロッコリーに泣き言を言って、誰かがそれを食べてあげた。

 幸せな家族の、仲間たちの風景。狂おしいほど当たり前な晩餐。
 僕は、それを識っている。


『それで? お前は、誰だ』
 濁った水面に映る赤毛の鏡像が問いかけた。
「僕はジョン・ブラウンだ」
 赤毛の少年は答えた。その相貌は、髪と泥のせいか定かならず。
 鏡像は嗤った。いや、呆れたようにも見えた。
『違うだろう。お前の本性は█████████だ』
 よく聞こえない。まるで泥がごぼごぼと煮えるようなノイズ。
「僕はジョン・ブラウンだ」
 赤毛の少年は繰り返した。祈るように、言い聞かせるように。
 それしか知らないかのように。
『まるで泥詰まりだな。ならどうして"こう"なった。お前には何が見える?』
 言われて背後を仰ぐ。そこには沼があった。

 アメリカの片田舎。ありふれた村、平和な日常の象徴。
 それはすべて失せていた。残骸が水面から顔を覗かせていた。
 ベンおじさんも、ナタリアも、ローガンも、イザベラも、誰も居ない。
 そうだ。あの赤毛の男の子もきっと――いや。違う。

「違う」
『何も違いやしない。なあ、もう一度聞くぜ。"お前は誰だ"』
「僕は」
 赤毛の少年は同じことを答えようとした。唇がわなないた。
 まるで喉に泥が詰まったように、出すべき言葉が出てこない。
「僕は……」
『お前は。█████████だ』
 鏡像の声はよく聞こえない。ああそうだ、泥が詰まってるから聞こえない。
 聞こえる、聞こえない。わからない。そんなんじゃない!
「僕は――誰だ?」
 赤毛のギークであるはずの少年は、呆然と呟いた。

●現実
 少年は立ち尽くしていた。
《ジャミング装置、破壊を確認しました。目標達成、お疲れ様です》
 デバイスから女性人格AIが彼をねぎらう。
 少年は応えない。眼の前の装置だったものはバラバラにひしゃげていた。
「――なあ、ウィスパー」
《なんでしょうか》
「ヒーローは、存在すると思うかい?」
 うつむく少年の相貌は定かならず。まるで泥にまみれたように。
《質問の意味を理解しかねます。あなた自身がそれを答えてきたはずです》
「そうか。そうだった」
 ヒーローなんていやしない? とんでもない、そんなことはない。
 何度も。何度も。様々な世界で、様々な仲間たちと、様々な相手にそれを証明してきた。
 それがジョン・ブラウンだ。いつでも軽口を忘れぬ明るく愉快な15歳のギーク。
 それを忘れるなんて、そんなの"楽しくない"じゃないか。
「ああ、ああ、そうだ。……そうだね、そうだった」
 ウィスパーはそれ以上何も言わない。ジョンは俯いたまま踵を返した。

 彼は悪夢の中で何を見たのか。
 その化身たる鏡像の言葉に、どう応えたのか?
 そしてどう克服し――自らに問いかけた答えを、得られたのか。
 彼以外には誰にもわからない。もしかすると彼にすら。
 濁った沼のように、誰にもわからない。

失敗 🔴​🔴​🔴​

一郷・亞衿
詳細は端折りますが。
昔親友と二人で動画配信者やってたんですけど、とある廃山村に行った時に彼女がUDCに攫われて。
彼女に庇って貰って助かったあたしが下山して、彼女の家に報告しに行ったら『何言ってんのこの子?』って目で見られました。

彼女がこの世にいた痕跡そのものが消失してたんですよね。

その後も“存在しない人間”を必死に探したりしてたから、元々周囲から浮いてたのが取り返しつかない程度になって。
それ含め、トラウマです。

『皆から忘れ去られる事』は凄く怖いけど、UDC自体に対しては殺意しか無い。分からず屋共の事なんかも知った事じゃない。邪魔するなら全員焼き払ってやる。
……舐めんなよ、オブリビオン風情がっ!



●シーン1:少女の独白。
 スポットライト点灯。スタジオの少女が照らされる。
 カメラ、右斜め前方から少女を映す。沈黙5秒。
「昔のことです」
 少女、俯きから顔を上げる。カメラ正面へ。
「とても仲のいい子がいまして。ええ、親友って呼ぶべき間柄でした」
 マスクを外すよう指示。少女、意に介さず台詞を続ける。
「二人で学校帰りに買い食いしたり、服とか買ったり」
 カンペ、『男性関連のエピソードにも触れて』。
 少女、苦笑いして首を振る。
「そういうのはありませんでした。ほんとですってば」
 マスクを外すよう指示。少女、意に介さず台詞を続ける。
「まあとにかくですよ、あたし、動画配信なんかもしてたんです。その子と」
 映像切り替わる。当時の配信映像をVTR再生。
 ただし、映像内で少女は一人で喋り、一人で企画にチャレンジしている。

 映像、スタジオへ。少女、マスクは外さず。
 外すよう指示が出る。少女、意に介さず喋り続ける。
「オカルト系ってやつです。廃墟とか探検したり……褒められたことじゃないですよね」
 カメラ、少女を左側面から映す。
「……いま思えば、そんなのさっさとやめておくべきでした」
 少女、瞼を閉じる。沈黙10秒ののち、瞼を開く。
「とある山村に行ったときのことです。怪物に襲われたんですよ」
 映像、資料VTRへ。廃村の光景、遺された住民録がライトに照らされる。
 プライバシーに配慮し、全編モザイク処理。近隣住民のインタビューは得られず。
「ええ、UDCです。私は彼女に助けられました。かばってもらったんです」
 少女、再び瞼を閉じる。スポットライト消灯。

●シーン2:再現映像
 カメラ、夕暮れの住宅街を頭上から映し出す。
 パンしつつ少女にズームイン。少女、息を切らせながら走る。
 カメラ、少女の背後に切り替わる。少女、何度も背後を振り向きながら走る。
「い、急がな……急がなくちゃっ」
 少女、一軒の家の前で停止。必死で息を整える。
 カメラ、少女を左斜め後ろから映す。インターホンを押し、呼び鈴を鳴らす。
「はぁい? あら、一郷さんとこの!」
「あ、あの! ████ちゃんが!」
 少女、まくしたてる。扉の奥から現れた女性は首をかしげる。
 テロップ、『これは役者による再現VTRです』。カメラ、女性にズームイン。
「████? 誰、その子。あなた何言ってるの?」
「え」
 少女、呆然。女性、怪訝な顔をしつつ少女の両親に連絡。

 少女の当時の自室に映像が切り替わる。
「~~~~っ、なんで? なんで誰も覚えてないの!?」
 少女、ベッドにスマートフォンを投げ出し、頭を抱える。
 カメラ、天井からの視点に切り替え。机の上には学生名簿あり。
「████が、いない? どうして……まさか、みんなしてあたしをからかってる?」
 映像、切り替わる。休み時間の教室、孤独に過ごす少女の姿。
 いなくなった親友の痕跡を探るにつれ、より孤立を深めていったことを強調する。
「……存在しない人間を探すヤツなんて、誰も触れたりしないってか」
 カメラ、動画がループ再生されているパソコン画面に。
 映像内では少女がひとりで廃墟を歩き、いない誰かに語りかけている。
「……ちく、しょう」
 映像、終わる。

●シーン3:インタビューログ████/██/██
 ――そしてあなたは、今ここに来たと。
「ええ、そうです。あたしはオブリビオンを、特にUDCを絶対に許さない」
 ――ですが、それではあなたも████さんの二の舞になるのでは?
「関係ありません。UDCなんて、全員殺してやります」
 ――彼女のように忘れ去られるのは怖いでしょう。
「知りません。知ったことじゃない」
 ――彼女はそれを望んでいませんよ。
「うるさい」
 ――あなたの行為に意味はない。
「黙れ」
 ――何もかも無駄だ。
「…………」
 ――結局、あなたにはなにひとつ為せない。身の程を知りましょう。
「………………んなよ」
 ――警備員、彼女を収容ユニットへ。インタビューはこれで終了です。
「嘗めんなよ。オブリビオン風情がっ!!」
 ――記録終了。対象を収容、何をする。やめなさい。やめろ! あああ。ああああああ!!

●シーン████████████████
「わからず屋どもの言うことなんか、アタシは聞きやしないっ!!」
 少女、否、一郷・亞衿は叫んだ。終わりなき悪夢の中で。
 カメラ? テロップ? ライト? くだらない。こんなチャチな悪夢など。
 何度も何度もあのときのさまを見せ、物語の中に己を閉じ込めようと。
 奇譚を綴るは己の役目。紫の瞳が不穏に輝いた!

 そして研究施設を模していた悪夢の空間が、眩い光に包まれる。
 亞衿が懐から取り出した水晶髑髏の眼窩から放たれた奔流だ。
 神秘の輝きが、悪夢を……研究員の格好をした化身を、武装警備員すらも飲み込む。
 だが足りない。その程度でいまの怒りが晴れるわけはない。
 故に亞衿は唱えた。マスクの下から不気味な呪文が紡がれる。
「"倍増しになれ、労苦と災禍"」
『やめろ』
 何かの声が響いた。知ったことか、アタシの邪魔をするな。
「"炎よ燃えろ、窯よ煮滾れ──"」
 ふつ、ふつと。
 彼女の周囲に生まれた光の玉。赤。朱、赫。それは炎である。
「邪魔をするな、オブリビオン。邪魔をするなら――全部、焼き尽くしてやる」
 魔力の矢が、炎の精たちがその意に従い、荒れ狂った。
 純然たる燃えるエネルギーが原子運動じみたランダムな軌道で飛び交う。
 ヒトの姿をしたモノを。ヒトでない姿をしたモノを。
 この空間を構成する悪夢=ジャミング装置を焼く。灼き尽くす。殺意を以て。
『あああああ。あああああああ!!』
「安心しなよ。お前らのことなんて、覚えていてやらないから」
 少女の言葉は残酷ですらあった。
 炎が全てを包み込む。悪夢、終了。

●現実
 ごおおおおおお……ぱち、ぱちぱち。
 火の粉を飛び散らせ、脳髄を模した機械装置が燃える。さながらトーチめいて。
 炎に煌々と照らされ、紫の瞳は虚無をたたえていた。そこに感慨はない。
「アタシは忘れられたりしない。お前たちみたいにはならない」
 亞衿はひとりごちた。それは誰に向けた言葉か。己か、はたまた。
「……あたしは、あたし。ここにいる。これまでも、これからも」
 人は、死んだ誰かを忘れるとき、まず最初に声を忘却するという。
 あの子の声を思い返した。心の奥、引き揚げられたそれはあまりにもおぼろで。
 かすかに手が震える。けれど忘れていない。そうとも、今はまだ。

 今はまだ。あの子の記憶も、あたし自身も、あたしの心が憶えている。

大成功 🔵​🔵​🔵​

アンノット・リアルハート
【SPD】で判定
夢か、懐かしいわね。お父様もお母様も妹のエニスも、国民の皆もそれに呑み込まれていった

映し出される悪夢は中世の城下町のような滅びた故郷。人々は皆死んだように眠りについていて、お城の奥には私と同じ顔をした「アンノット・リアルハート」が眠っている
元々私は彼女の代替え品として生まれた存在、私という個人は望まれていない、改めて現実を突き付けられると眩暈がして吐きそうになる

でも、私はもう彼女じゃない。青い球の髪飾り、安物で結構傷だらけだけど、昔出会ったお姉さんから譲り受けたこれは私だけの宝物
友達もたくさんできたしね、だからお休みなさい。もし目覚めたらお互い別の人として、友達になりましょう



●城下町
 アンノット・リアルハートにとって、夢とは馴染み深い現象だ。
 ゆえに、悪夢に囚われ周囲が変質しても、大した驚きはなかった。
「懐かしい光景。私の記憶から引き出しているのかしら」
 中世の城下町と形容すべき風景を見渡し、少女は呟く。
 その景色は、かつてリアルハート王国と呼ばれていた。
 今はもう、どこにもない。誰の記憶にも遺っていない。
「なんだか、ちょっと嬉しいわ。喜んでもいられないんでしょうけれど」
 色褪せない町並みを、微笑みすらして歩くアンノット。

 ……それもつかの間のことだった。彼女の表情が翳る。
 通りに面した民家。開けっ放しの玄関口から、中が見えた。
 かつての王国民と同じ姿をしたモノが、死んだように眠りについている。
 向かいの酒場を覗き込む。店員も、客も、全て同じように眠っている。
「本当に、懐かしいわ。あの時となにもかも同じ、なにもかも」 
 頭を振り、アンノットはその場をあとにした。
 もしかしたら、誰かが目を覚ましているかもしれない。
 ……そんな淡い期待が、なかったとは言えない。悪夢とわかっていても。
 弱い考えは、淡々と続く同じ光景、同じ眠りによって都度砕かれた。
 まるで真綿で首を絞めるような、ただただ不気味で、胸のむかつく悪夢。
 これを開発したドクター・オロチは、さぞや性の悪い輩なのだろう。
「国民は、皆この通り……ね」
 城下町を一周し終え、アンノットは嘆息した。
 そして浮かない表情で空を見上げる。
 街の中央、聳え立つ王族の居城。親族の住まう場所を。

●王城
 アンノットは最初、悪夢から全速力で逃れるつもりでいた。
 だがいま彼女は、その逆……むしろ城に足を踏み込んでいる。
「お父様」
 寝室で眠る父が居た。
「お母様……」
 安楽椅子に腰掛け、二度と目覚めぬ母が居た。
「……エニス」
 うずくまるようにして、屍めいて微睡む妹が、居た。

 覚悟していたとはいえ、親類の最期を模した風景は彼女の心を砕いた。
「思ったより、きついのね……」
 口元では気丈に笑ってみせても、精神にかかる負担は晴れない。
 心臓のあたりを抑え、息を整える。囚われては、ならない。
「ねえ、私にはなにか語りかけたりしてくれないのかしら?」
 世界そのものに呼びかけるように、アンノットは空を仰ぎ呟いた。
 応える声はない。悪夢はそういう手法で彼女を苦しませるらしい。
 諦めたように頭を振る。自室にも行った、あとはただひとつ。
 城の最深部、玉座の間。そこへ向かおうとすると、足が震えた。
 だが皮膚感覚として分かる。夢という事象に慣れ親しんだアンノットだからこそ。
 あそこへ行き、"現実"と立ち向かわなければ、この世界は抜け出せない。
「……お父様、お母様、エニス……」
 愛すべき両親と妹の名を、祈るように呟く。ペンダントを強く握りしめる。
 2秒の瞑目。深く息を吐き、そして彼女は最後の部屋へと歩みを進めた。

 ――そこには、"アンノット・リトルハート"がいた。
 髪型も、肌も、顔立ちも何もかも、ただ一点を除いて、彼女と同じ少女が。
 気品ある王女の衣服を纏ったまま、うなだれるようにして眠っていた。
「…………っ」
 咄嗟に、アンノットは口元を抑えた。吐き気が催したのだろう。
 涙をこぼしながら、必死でこみあげるものをこらえる。弱みを見せるな。
 ここに"自分"がいる。その現実が残酷な真実を意味していたとしても。負けるな。

『――どうして耐えようとするの』
「!!」
 アンノットははっと顔を上げる。眠っていたはずの"アンノット"が目覚めていた。
 だがその瞳に光はない。ああ、悪夢の意志が、いよいよお出ましというわけか。
『これでわかったでしょう。あなたは所詮、まがい物でしかない』
「……そうね。わかっていたつもりだったけど、甘かった」
 視界が万華鏡めいて揺らぐ。精神が限界に達しつつある証左だ。
 一瞬でも気を抜けば、彼女の意識は絡め取られ二度と目覚めることはない。
 王国の民たち、両親や妹のように。道程の半ばで永遠の眠りに堕ちる。
 それだけは、嫌だ。星型のペンダントを、彼女は強く握りしめた。
『それもただの贋作。あなたと同じただのイミテーション』
 同じペンダントを提げた悪夢は、人形めいた面持ちで告げる。
『あなたは私の代替物。それ以外にはなんの価値もない、虚ろな影法師』
 やめて、と悲鳴をあげかけた。だが違う、それでは"意味がない"。
 そんなことのために、あえてここまで、全てわかっていて来たのではない。
『誰も、あなたという個人を望んでいない。あなたに与えられた役目は――』

「……あなたを、いいえ。あなたたちを救い、取り戻すための使徒。そうね、そう"だった"」
 悪夢が首をかしげる。アンノットの言葉の意味が理解できないと言いたげに。
「でもね、もう違うの。私はあなたじゃない。微睡みのまま亡んだ王国の姫じゃあ、ない」
『偽物であるという存在理由すら、手放すというの。それであなたに何が残るの?』
 アンノットは、己を強いて笑った。そして一つの髪飾りを手にとってみせる。
 悪夢の鏡像と、彼女とのただ一つの違い。いかにもありふれたただのアクセサリ。
 ちゃちで傷だらけな、お姫様には似つかわしくない安物(イミテーション)だ。
『……それは』
「あなたのものじゃない、私のもの。私が、私として生きる中で貰ったもの。
 見ての通りの、大したことのない髪飾りよ。けれどこれは"私のもの"なの」
 蒼球の髪飾りを通して、あの時の記憶が蘇る。手渡してくれた人の相貌が。
 強がりで必死に浮かべた笑みが、緩んだ。人はそれを微笑みと呼ぶ。
「私は私として生を享けてから、ずっと全力で生き続けてきた。
 それは、私が偽者だとわかっていたからこそ。否定すべき過去なんてないのよ」
 宝物を大切に握りしめ、目を閉じる。いくつもの友達の顔が浮かんだ。
「私が生きてきた、生きていく日々(みらい)は、私だけのもの。
 だから、私はあなたとは違う。何もなくなんか、ない」

 鏡像……否、亡国の眠り姫が、何かを言おうとした。悲しげな表情で。
 アンノットは微笑をたたえたまま歩み寄り、その手を取って抱き寄せる。
 母がよく、こうしてくれたのを憶えている。それと同じように髪を撫でた。
「おやすみなさい、お姫様。夢に微睡んで、お眠りなさい。
 もしも目覚めることがあったなら、そのときは――」
 眠り姫は涙を一筋こぼし……けれど安らかに、目を閉じた。

●現実
 眼の前には異形のジャミング装置がそびえている。
 口訣はなく。彼女はただ片手を、忌まわしき脳髄に差し向けた。
 その指先から光が溢れ、流星となって降り注ぐ。
 驚くほどのあっけなさで、ジャミング装置は光に穿たれ爆発した。
「……その時は、どうか友達になりましょう」
 悪夢の中で零した台詞が、どうか本当の眠り姫に届いているように。
 アンノットは心からそう願った。それは流星への祈りに似た。
 亡き国の、目覚めぬもうひとりへの自分への切なる想い。
 人はそれを夢想と笑うかもしれない。ありえない夢物語だと。

 だがきっとそれは――悪夢よりもずっと素敵な、よき夢なのだ。

成功 🔵​🔵​🔴​

ユエイン・リュンコイス
小夜鳴鳥は再び宙に……さて、作戦開始と行こうか。

克服すべき過去……それは『孤独』だ。機人を友とし、本の世界に耽溺した。後悔は無いよ。でも、それはそうするしか選択肢が無かったから。
周囲に人は無く、害される事はないけれど関わる機会もない。無関心という隔絶から逃れるために、ボクはそれらに縋るしかなかった。

でも、今は違う。グリモアを手にして『外』を知った。全く異なる世界と、変わらぬ人と人との営みを知った。
ボクはリュンコイス、塔の上より世を眺める者。ボクの両目が見てきた『物語』はかくも素晴らしいと断言できる。そしてこれから見る『世界』もまたそうであると信じている!
だからもう、ボクは孤独を恐れはしない。




「小夜啼鳥は再び宙を舞う、か」
 ふふ、と。滅多に揺れぬ表情が、薄い笑みへと変じた。
 ユエイン・リュンコイスにとって、ついさきほどまで乗り込んでいたあの船は無関係ではない。
 あの船を苗床に、多くの人々を苦しめ、死に至らしめた外道がいた。
 それを討つための戦いがあった。今や、乗り込む人々は見知らぬ若者たちだが。
「あの戦いには意味があったんだ。そうだよね、黒鉄機――」
 当たり前のように背後を仰ぎ見て、言葉を喪った。
 どんな時でも共に在った朋友、半身と呼ぶべき機人は、そこにいない。

「黒鉄機人……? そんな、まさか」
 "もう悪夢の中なのか"という二の句も、また茫然自失によって奪われる。
 周囲はいまや、耳が痛くなるほどの静謐に包まれていた。
 在るのは、本だ。学術書、奇書、物語、禁書……種別は枚挙にいとまがない。
 壁という壁には無限めいて本棚が立ち並び、やはり無限の蔵書が収まる。
 足元には、子供が読み散らかしたかのように、書籍が散乱していた。
「これが、ボクの……悪夢? いや、でも」
 人形の相貌に当惑が浮かぶ。無理もない、ここは彼女の住処だ。
 はるけき尖塔、誰も寄ることなき無人の書斎のわずか一区画。
 本の種類もすべて記憶にあるとおりだ。内容だって思い出せる。
 だがそれが、どうして。決してここは、忌まわしい場所などではない。

 場所は、そうだ。ああ、この場所はむしろ居心地がいいくらいだ。
 けれどこの静謐は。自分以外誰も存在しない、この恐ろしい静寂は!
「厭だ」
 無意識のうちに、言葉が漏れていた。彷徨うように一歩を踏み出す。
「厭だ。どこだ、黒鉄機人。ボクを置いていかないでくれ。独りにしないでくれ!」
 孤独。かつて、自ら――いや、それを選ばざるを得なかった頃があった。
 誰も近づかぬ高き塔の頂で、時にはその中腹で、今みたいな静寂に包まれて。
 書を。知識の宝庫、物言わぬ賢者、己を害しも逃げもしないモノを読み耽り。
 そこに記された、この世のどこにもない空想の世界に翼を羽ばたかせた。
 血の通った人の心地を、言葉を、想いを求めようと、誰も居なかったあの頃。
 誰も、自分たちを顧みてはくれなかった、どうしようもなく孤独だった頃。
 あの時にだって、あの子だけはそばにいてくれた。黒鉄機人。我が半身よ!

「黒鉄機人、どこに、どこへ行ってしまったんだ? どこへ!」
 無限に連なる書庫を駆ける。煉獄の道筋のような螺旋階段を駆け下りる。
 居ない。居ない。居ない。どこにも半身の姿はない。
 焦燥に満ちた己の足音と、不安にせき切れる吐息だけが反響する。
 血の通わぬ人形であるユエインにも、なぜここが悪夢なのか理解できてきた。
 場所ではない。
 この静謐、この無力、この孤独こそが、自らにとっての悲嘆。
 輪をかけて悪いことに、あの時唯一そばにいた機人すら奪われた。
 これでは、自分は本当に独りだ。それはもう耐えられない。

 グリモアの力を得た時、ユエインは知った。本では得られぬ経験を得た。
 塔の頂点から見下ろしたそれとは、まったく異なる景色。
 時に騒がしく、時に残酷で、時には穏やかないくつもの世界。
 世界が浮かぶ〈骸の海〉という虚無。そこから来たるモノども。
 そして――世界に生きる人々と、自分と同じ猟兵たち。
「ボクは……ボクはもう、あのときには戻れない。戻りたくなんかない」
 書庫の途中で立ち止まり、ユエインは膝を突いた。
 頬をつねる。自分が人形でなければ、この哀しみを涙にたやすく変えられたのに。
 そう、ユエインは知ってしまった。驚嘆すべき世界の広さを。
 そこに生きる人々の暖かさ、激情、喜び哀しみ怒り楽しさ。
 戦場を駆け抜ける意味。敵の強大さ、邪悪さ、討つべきモノの存在を。
「ボクは力を得た。だから戦ってきたんだ。皆のために、ボクのために」
 嗚咽すら上がらぬ体をいまは呪う。力なく床を叩く。
「いつだってキミがそばにいてくれたじゃないか。一緒に戦ってきたのに!
 ……キミすらいない塔の中で、ボクにどうしろというんだよ……」
 また、無関心というヴェールの中で、空想に縋り続けるのか。
 けして手の届かない物語を夢想し、微睡むように書痴に耽ろというのか。

 出来ない。だって彼女はもう知った。知ってしまった。
 この言葉を誰かに伝え、そして誰かの言葉を受け取る情動の大きさを。
 世界を思うがままに駆け、戦い、守り、遊び、笑うことを。
 悪に怒りを燃やし、亡き人々を弔い、未来を夢見ることの素晴らしさを。
 もう、孤独だったあの頃には戻れない。仮初の物語では、満足できは――。

『キミと彼を繋ぐ糸は、そんなにか弱いものだったのかね?』
「え?」
 はっと、人形が顔を上げた。誰かの声が聞こえたような気がしたのだ。
 慌てて周囲を見やる。散乱し、収められた書物と静寂以外には何もない。
 けれどたしかに聞こえた。それにあの声は、まるであの時の勇気ある人のような。
「……糸」
 自らの手元を見下ろす。きらりと、暗闇の中に一筋の光が煌めいた。
「糸。……ああ、ああ。そうか」
 十条の糸が、己の存在を誇示するかのようにきらきらと煌めく。
 なぜこんな当たり前のことを忘れていたのか。それすらも悪夢の作用なのか。

 ユエインは立ち上がる。……情けない話だ、まるで生娘のように泣き喚いて。
 あの頃に戻る必要などない。いや、たとえ戻ったとしても、困りはしない。
「悪夢よ。見事だったと言わせてもらう。なるほど、話に聞いていただけは在る」
 虚空に言葉を投げかける。応えるものは誰もいない。
「でも、無駄だ。お前が機人を奪おうと、ボクを孤独の闇の中に叩き込もうと。
 ボクはもう、孤独を恐れない。ボクは世界を見て、聞いて、知ったからだ!」
 ぬくもりを知っているから孤独が怖いのだと、弱気な心は思ってしまった。
 違う。逆だ。"だからこそ"恐れる必要はないのだ。
 刻んできたものが、見聞きした『物語』がこの胸の裡に宿っている。
 まだ見ぬいくつもの世界が、この昏く静かなる塔の外に広がっている。
 何よりも。
「ボクはリュンコイス。塔の頂より、広き世を眺める者。
 この両の目はそのために。そして、この白き指先は、物語を紡ぐために!」
 光を握りしめる。これまで何度もそうしてきたように、力の限りに手繰る。
 糸が張った。恐れる必要はない、絹糸はいつでも、どこでも繋がっている。

 ゴォオウウウン――!

 石畳を砕き、糸に導かれて黒き影がせり出る。
 瓦礫をはねのけ、生まれた頃より共に在りし半身が、闇から還ってきた。
 黒鉄機人。鋼よりもなお硬く、何者にも敗けぬ強きもの。
 黒鉄機人! 我が傍に寄り添い、我が敵を屠る猛きもの!
 尖塔が、静寂と共に、崩れ落ちていく――!

●現実
 ユエインは両目を見開いた。行きて帰りし現実の有様をしかと理解した。
 眼前にそびえる異形の機械。もはや偽りの孤独、静寂の闇はどこにもない。
 背後を仰ぐ必要などない。糸はつながり、白き指に絡みつく。それだけで十分。
「往くよ、黒鉄機人。ボクは――ボクらはもう、孤独を恐れはしないんだッ!」
 世界には、かくも素晴らしい物語が溢れている。
 その中に生きた人々の歩みを、忘却の過去で塗りつぶさせはしない。
 白き指先が糸を紡ぐ。つながる絹糸が張り詰め、たわみ、機人を手繰る。
 ならば振るわれるは昇華の鉄拳。機人の右拳が赤熱を超え白く灼けた!
「欠片も遺さず――無に、還れぇっ!」

 ゴォオオオウン――KRAAAASHHH!!

 剛拳は悪夢の根源を一撃で貫き、昇華の灼熱を以て微塵と変える。
 物言わぬ機人の背中は、忘れ得ぬ半身の姿は、少なからぬ安堵をもたらした。
「すまない、黒鉄機人。ボクとしたことが。……そして」
 昏き虚空を仰いだ。宇宙の彼方へ、小夜啼鳥が翔んでいく姿を幻視した。
「ありがとう。あなたという物語に、ボクらは救われたのかもしれない」

 そして人形たちは次の世界に目を向ける。
 倒すべき敵が君臨せし、玉座の向こうへと。

成功 🔵​🔵​🔴​

バレーナ・クレールドリュンヌ
【トラウマ】
自分の生まれ、鑑賞用のいきものにも関わらず、色の無い出来損ないで、蔑まれ、見え透いた優越感を傘にした憐れみ。

【克服】
確かに私はどうしようもない出来損ない。
でも今更、虚飾の烏のように取り繕いはしない。
私の色を憐れみでもなく、美しいと見出したあの羅刹の娘(フレンドのエリシャさん)、あの人の瞳に映った世界を私は視たい。
白く、色のない私でも、鮮やかに染まる紅に、褪せない色を。

【打開】
今、私がこの昏い色を変える術は、瞳に映る色じゃない。
影には届かない、魂に触れ、染める歌声。
もう眠りなさい、虚影を映すのも、もう疲れたでしょう?

ジャミング装置を止め、痕跡を調べましょう。

●絡みアドリブOK



●色なしの
 ガラス越しの歪んだ風景には、いつも同じ生き物たちがいた。

『まあ、なんて可哀想なんでしょう』
 優越の笑みを浮かべながら、憐れむモノ。
『ああ厭だ厭だ、華もなければ媚びもしない。出来損ないの雑魚め』
 ただ美しくないというだけで、存在すら否定するモノ。
『お前はいいねえ、そうしてのうのうと揺蕩っているだけで生きていられるのだから』
 下卑た三日月を口元に貼り付けて、侮蔑するモノ。

 姿はみな違う。
 性別も、年齢も、立場も、形も――けれど、みな同じ。
 同じような表情を浮かべ、同じような言葉で己を嗤う。
 蔑む。罵る。憐れむ。そうして虚飾で心を満たしていたのだろう。
 どうでもいいと思っていた。好きなように言えばいいと。

 だってあれらの言うことは、すべて事実なんですもの――。

●うたかたの悪夢
 ――ごぼり。
 狭苦しい水槽の中、戯夜曼で切り取られた箱庭に、泡が生まれて消えた。
「噫。これが私の、悪夢なのね」
 バレーナ・クレールドリュンヌという女性がいる。
 その肌は白皙にして、なびく髪も白銀色。諦観に瞬く瞳のみが翠をたたえる。
 彼女は人ではない。獣の相持つ亜人、すなわちキマイラである。
 ある世界において、キマイラとは多頭の怪物を指すという。
 獅子。山羊。毒蛇。三つの頭を持つ怪物である、と。
 きっとそのさまは醜いのだろう。なにせ人食いの化物だ。

 だが自分よりはマシだろうと、あの頃のバレーナならば思ったかもしれない。
 なぜなら彼女の脚は人のそれではない。鱗なき滑らかな尾鰭。
 いくつもの御伽噺に謳われる人魚、彼女のカタチはそれそのものだった。
 けれども、水を打ち波を泳ぐその半身もまた、昏き白亜に染まっていた。

 世間では、純白こそ清廉の象徴だという。白は汚れなき美しい色だと。
 だがそれは、他の色彩があるからこそだと、彼女は思う。
 染まらぬ色であるためには、引き立て役が必要だ。
 結局のところ、ヒトは鮮烈を求める。目を楽しませる色彩を美と呼ぶ。
「だから、私は無価値だと、出来損ないだと……云われ続けた」
 冷たい水の中、白亜の人魚は虚無的にひとりごちた。悲嘆すらなく。
 あの頃はそれが当然だと思っていた。いいや、今でもそうかもしれない。
 冷たい水の中、切り取られた箱庭にいた頃と、何が違うというのだろう。

『見てごらん。あの醜い色なしの人魚を!』
 ガラス越しの歪んだ風景に、また同じモノたちがやってきた。
 仕立てのいい服を着た、多分男。隣にはけばけばしい派手な女がいる。
『本当ね、飾り気がなくて気持ち悪い。死人みたいだわ』
 己を指さして嗤う男に、抱きつく女は同調した。
 まただ。また同じような顔を仮面のように被って、あれらは自分を蔑む。

『神よ、憐れみたまえ。望んでそんな風に生まれたわけではないでしょうに』
 いかにも清廉そうな女らしきモノが言った。何かに祈っていた。
 バレーナにはきちんと見えている。女が嘲りの笑みを浮かべているのを。

『つまらん。少しは媚びを売れ、人魚ならば歌の一つも諳んじてみせろ!』
 肥えた老人は顔を真っ赤にしてそう叫んで、酒瓶をガラスに叩きつけた。
 怯えたりはしなかった。とっくに、諦観が翠眼をくすませていたから。

 ――ごぼり。
 泡が生まれて消えるたび、記憶に残るモノたちが現れ消える。
 万華鏡、あるいは走馬灯? そんなふうだなと、彼女は思った。
「そうして私を出来損ないと蔑むのね。罵るのね。
 憐れむように見せかけて、自尊心を満たすために利用するのね」
 箱庭の水は段々と冷えていく。あの頃の自分の心と同じように。
 少しでも温もりを逃さぬよう、自らの体を抱いた。
 鮮やかさの欠片もない欠けたような白皙の肌に爪を立てたくなった。

 ――ごぽり。
 泡が生まれて消える。次に映し出されたのは……噫、この景色は。
『お前はもう要らない。だから棄てることにした』
 ぬう、と手が伸びてくる。箱庭の、世界を隔てるガラスを越えて。
 あの手に掴まれたら、自分はまたあそこへ往くというのか。
 生のない場所。色のないモノたちが棄てられた、灰色の墓場に。
 そして今度こそ、呪いは己を生かすことなく渦巻くだろう。
 行き場など何処にもなく、己は流されるように逝くのだろう。
「それでもいい。だって私は、出来損ないだもの」
 泡がしぼんで消えるような声で呟いて、人魚は瞼を閉じて――。

 ……閉じようとして、その裏に焼き付く色に眼を奪われた。
 美しい桜色の瞳。夜の闇を絹糸にして編んだような濡れ羽色の髪。
 吐息とともに此花を散らせ、歩むたびに胡蝶が踊るあやしの君。
 その裏に、ぞっとするほどの飢渇を隠したひと。
 ――この白亜と白皙を、美しいと見出してくれたあの娘。
 それは、諦めかけた人魚の心を揺り動かすには、十分すぎるほどに鮮やかだった。

●悪夢と現実のはざま
「そう、私は出来損ない。昏い白しか持たないただの夢幻」
 ほう、と。バレーナの吐き出した声音は、旋律を伴った。
 その肌に触れかけた指先が。悪夢の切っ先が、寸前で止まる。
『なんだ、それは』
 かつて視たモノの姿をした悪夢は、訝しんだ。
 己の耳朶をくすぐる歌声。それがもたらす感触に。
 然り、感触である。聴覚に訴えかけるはずのそれは、しかし。
『なんだ、この甘やかな唄は。なんだ、それは』
 とろけそうなほどに甘い声。この世のものならぬ旋律を、畏れた。
 皮肉な話だ。悪夢は、朽ちた過去を編み上げ魂を包むというのに。
 それを退ける歌声もまた、朽ちしモノたちの寵物なのだから。
「私はけして、取り繕いはしない。虚飾で自分を染めはしない。
 ただ、私を美しいと言ってくれたあの人の。あの瞳に映る世界を視たいの」

 いくつもの御伽噺に、人魚という存在は姿を見せる。
 ある悲恋では、王子に恋した人魚は泡と消える。切なる想いを抱いたまま。
 一方で、海を征く男たちを狂わせ惑わす妖しの歌声もあるという。
 その相、女の体に鳥の羽とも……滑らかな魚の半身とも伝えられる。
 安寧の眠りをもたらす彼女の甘い歌声は、はたしてどちらだろうか。

「お眠りなさい、伽藍の子。あなたの役目はもう終わり。
 これ以上、虚ろな影法師を手繰らなくてもいいの。だからただ、眠りなさい」
 やめろ、と、悪夢の化身は叫ぼうとした。だが叶わなかった。
 触れかけた指先は離れ、像は薄れ、うたかたの悪夢も晴れていく。
 それをもたらしていた異形の機械から、かりそめの命が喪われる。
 まるで自らそれを選んだかのように、悪夢の根源は機能を停止した。

 バレーナはそっと、グロテスクな脳髄機械に手を伸ばし、指先で触れた。
 物言わぬ木偶をゆるく撫ぜる。もはや悪夢が齎されることはない。
「おやすみなさい、どうかあなたにも優しい眠りが訪れますように」
 呟く女の翠の瞳に、浮かぶ色は慈愛か、それとも――。

成功 🔵​🔵​🔴​

ロク・ザイオン
●POW
(心の傷は、とても単純な)
(自分にことばを、世界を、うたを、与えてくれた、美しくやさしいあねごの言葉。
「みにくい、お前は」「人間じゃない」

たったそれだけの言葉が繰り返される度に、胸の中が刻まれる。

あねごの言いつけを守っています。
無闇にみにくい声で話しません。
礼儀正しくして。ひとと仲良くして。
病葉を。病を灼いて。
正しい人間になる為に。
まだ。まだ、禄は、届きませんか)

(森の外で友達ができました)
(おれの声を、みにくいと怖がらない友達です。おれと一緒に、ご飯を食べてくれる、友達です)

……おれは。
人間、だ。

(あねご。あねご、どうか、いつか)
(おれをほめてはくださいませんか)




 ざうっ!! と、烙印の刃が円弧を描く。軌跡が灼け焦げる。
 大人の男数人が両手を広げて届くかどうかという太さの巨木が、一撃で断ち割られた。
 無論、ただの樹ではない。それは病み、ねじれ、そして呻いていた。怪物だ。
 ――次。次はどこだ。
 赤毛の少年、否……少年めいた少女、ロク・ザイオンは心中で呟く。

 バキ、バキバキバキ……と、"正常な"木々をなぎ倒し、新手がふたつ。
『ああああ、あ、あ』
 それらは細く、いびつで、苦行者めいた貌があった。やはり病んでいた。
 異形の命を得た、根の脚で歩き枝の手を伸ばす哀れな怪物。
 森番に慈悲はない。ざん、ざざん! と刃を振るい、これらを両断焼殺した。
 ――病。病は灼かねば。病葉は、伐らねばならない。
 獣の聴覚に届く異形どもの足音。ロクは低くかがみ、姿を消した。森を奔る。

 ここは森だ。ただし悪夢によって模された、かりそめの場所。
 彼女にはそれがわかる。たとえどれほど精巧に模されていても、わかる。
 ――これが、おれの悪夢なのか。
 並び立つ異形の木々を斬殺焼灼しながら、ロクはぼんやりと考えた。
 長く森番を務めてきた彼女にとって、悪夢のなかの病を殺すことはそれほど容易い、
 そして思考する。なぜ、慣れ親しんだ森が――病んだ姿とはいえ悪夢となった?
 ――おれの、こころの傷。おれの、おもいだしたくない過去。
 それが悪夢となるのなら。こんなものは見当違いもいいところだ。
「どこだ」
 ゆえに苛立った。苛立ちは呟きとなり、噛み締めた歯の間から漏れ出る。
 体の芯を錆びた鑢でこそぐような、忌々しい声だった。およそ人のそれではない。
「どこだ。病源はどこだ。どこだ!」
 伐る。灼く。殺す。病葉は断つ。断たねばならぬ。それが"おれ"の仕事だ。
 それが森番の役目だ。どこだ、悪夢の根源よ、いるというなら出てこい!
『あああ。あああああ』
 ばきばき。ばきばきばきばき。異形の木々がいのちを薙いでまたやってくる。
「ううぅ……ああ、あァアアアアッ!!」
 獣は吼えた。病のそれよりも雄々しく、されどより歪で禍々しく。
 苦惨に過ぎる叫声はそれだけで木々を傷ませ、暗い暗い空とて慄きたわむ。
 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。じゅう。にじゅう。
「もえろ。もえろ。燃えて、落ちろッ!!」
 ざらざら、ぎりぎりと空気が擦り合わされるような、罅割れた人外の聲で叫ぶ。
 緑が火を孕み、炎を燃え落とす。歪なものどもは呑まれて堕ちていく。
 ぱちぱちと木々が燃える中、ぎらぎらとした獣の瞳が次の病を探して彷徨う。

「あ」
 そして一点に定まり、見開かれた。
 ――しまった。
 ロクは思った。驚愕で隙を生んだことを後悔したのか? 否である。
 聲を、出してしまった。あのひとの前で。このみにくい声を。
 ――あねご。あねごだ。あねごがいる。あねご!
 慌てて口元を片手で抑えながら、心の中で何度も何度も繰り返す。
 炎の中に視えた姿は、なるほどたしかにロクの記憶の中のそれ。
 燃え上がる木々が逆光となりはっきりと姿形は得られぬけども間違いない。
 ――あねご。ごらんになってくださいましたか。おれはきちんと働いています。
 怯えすくみ、けれど媚びを含んだへつらいの眼差しで、うやうやしく見やる。
 "あねご"。ロクにとって彼女はすべてだった。
 言葉を、世界を、多くの教えと人と触れ合うための在り方と。
 うつくしくて、きれいな、歌を与えてくれた優しいあねご。すてきなひと。
 ――病を灼き、病葉を、病源を伐っています。いくつもこなしたのですよ。
 手柄を自慢する子供のように、心の中には言葉が溢れる。だが口にはしない。
 ――礼儀正しくして、ひとと仲良くしています。わがままも言いません。
 恐る恐る、口元を抑えていた手を下ろす。何かを言いたげに唇をわななかせて。
 ――だからゆるしてください。みにくい声で話してごめんなさい。
 "あ"のたった一文字、一語。それを漏らしたことすら、彼女にとっては罪に等しい。
 だって、あねごは。あねごは、おれの声が、とても――。

『やっぱりお前は、人間じゃない』
「――」
 "あねご"が言った。燃え爆ぜる火の粉の中で、その声はようく聞こえた。
 獣の耳が、優れた森番の聴覚は聴いてしまう。あねごの美しい声を。
『みにくい声。忌々しい、いびつで、錆びたような、気味の悪い声』
 ――あねご。やだ。いやです。やめて。
 吐息すらもこぼさぬようにきつく唇を引き結びながら、か弱い眼差しですがる。
『お前は人間じゃない。そんなみにくい声の人間はいない。お前は化物だ』
 あねご。触れるのも躊躇われるくらい細くて、しなやかで、きれいなひと。
 大事なひと。友達の眼を見るたび、微笑むたび、その面影を見出した。
 ――ちゃんとしています。あねごの言いつけを、きちんと守っているんです。
 ――だからうたを。美しいあねごのうたを聴かせて。そんな言葉でなく……。
『お前は、やっぱり何一つ正しいことは出来ないんだね。みにくいみにくい人でなし』
 願いは届かなかった。投げかけられた言葉は単純で、そして聞き覚えがある。
 ぎしりと骨が軋み、肉がこそげるような痛み。いっそ泣きたい気持ちになる。
 灼いて、殺して、人のふりをして、媚びてへつらっても届かない。
 結局自分は獣なのだ。みにくい声の、間違った人でなし。あねごはそう仰る。
 歌が聞きたい。あねごの歌声が。噫、それすらも叶わぬならいっそ自分は、自分を、自分で。

「……ちが、う」
 殺してしまおうとすら思った。けれどそれで思い出した。
 いまと同じような時のこと。"あねご"をその手で██したあの記憶。
 あの時自分は、とんでもないことをした。大事な友達に、そうだ。ああ。
 "ころせ"と。そう叫んだ。獣の姿で、獣の心で、獣の声で。
「ちがう」
 声音にして吐き出した。ざりざり、がりがりと耳を苛むみにくい声。
「おまえは、あねごじゃない。おまえ"も"あねごじゃない」
 姿形がそうであれ。声がそうであれ。言葉が同じものであれ。
 これは、病だ。あねごを騙った。おれの前で。おれに対して!!
『だとしてもお前は人でなしだ。間違いだらけの化物だ』
「ちがう」
 あねごの声で囀るな。あねごの姿で喚くな。ぎりぎり牙を軋ませた。
 けれども一番腹立たしいのはそこじゃない。だって、自分は。
「おれは、人間だ。――おれは! 人間だッ!!」
 友達が、この声を怖がらない皆が、誰よりも自分自身がそう思う。思いたい。
 それを汚すな。踏みにじるな。……あとの言葉は、激情に塗りつぶされ雄叫びとなった。

●現実
「ああああああアァアアアAAAああァあああ!!」
 凄絶な絶叫だった。それほどまでの激憤だった。
 悪夢の森を焼き尽くし、その勢いのままに紅い閃光が疾駆する。
 烙はここに。目指す病は彼方に。伐るは我が手のこの刃、怒りを伴って。
「あああああああ、ああ、アッ!!」
 だんっ――ざくんッ!!
 斬風は背後の隔壁すらバターのように両断し、溶解させた。
 宇宙の虚空を焦がし泡立たせる灼けた刃は、病んだ脳髄を叩き斬る。

 静寂。
 指が白くなるほどに柄を握りしめ、切り終えた姿勢のまま息を整える。
 山火事がそうであるように、溢れた憤怒はあっというまに失せ消えた。
「……おれは、人間だ。おれは……」
 醜い声で繰り返す。この声を、毀れた刃のような、ガラスを砕いて擦るような声を。
 恐れずにいてくれる者たちがいる。甘い。苦い。辛い。いろんな味を教えてくれた。
 一緒にご飯を食べたりした。身を寄せ合って、涙を共にしたことだってある。
 彼らは、彼女たちは、誰もあんなことを言わない。あねごのようなことは。
 だから。
「あねご」
 囁いた。ここにいないひとへ投げかけるように。
「あねご。どうか、いつか」
 ――いつか、おれをほめてはくださいませんか。

 森よりも深く、昏く、果てしない闇のなか。
 光明を求めた少女のねがいは、か弱く、美しく、どうしようもないほど愚かだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

神元・眞白
【SPD/アドリブ存分に】
過去。多分…あの時。飛威と符雨はあの時と一緒。
私が私として生まれた時。マスターがいてくれた時。
私が私じゃなくなって、暴走して、マスターが犠牲になった時。私のせい。
私は4番目。でも2人を任された。本当は飛威のはずなのに。
飛威と符雨はその時から見てくれてるけど、まだ私は未熟……。

でも、あの時と違うのは魅医がいる。私が引き継いで、最初にできた人形。
攻めるだけだったマスターにちょっとだけ反発した私のわがまま。
私じゃない私を越えよう。夢の私が相手なら、1人より2人。2人よりたくさん。
あの時から少しだけ変わったから。ほんの少しだけ。
夢でもいい。今の私をマスターに見せてあげないと。



●序
 人形であることを、枷だと思ったことはない。
 むしろ誇らしいとすら感じる。この身、この心が造り物だとしても。
 いや。だからこそ誇らしいのだ。恵まれているぐらいだ。
 ――ただ、与えられた役目を果たせているのかどうか、不安になることはあるけれど。

「ああ、やっぱり。私の過去は、これ」
 悪夢の根源、異形の機械に迫ろうと、最後の一歩を踏み出した瞬間、周囲の全てが書き換わった。
 正しくは彼女――神元・眞白の意識が、精神の世界に取り込まれたのだが。
 いずれにせよ、その景色を見て、銀髪の令嬢めいた人形は短く嘆息した。
 両隣には給仕姿の女がふたり。これもやはり、彼女と同じに人形である。
 号を戦術器。名をそれぞれ、飛威と符雨と言った。
 ひとりきりで挑む悪夢だとは聴いていた。だが彼女らがいるのも納得できる。
 人形だから? 否。そういう理屈の話ではない。
「――此処は、あなたたちにとっても大事なところ」
 無機質な研究室めいた空間。立ち並ぶいくつもの素体。
 それは実験室であり、分娩室であり、揺り籠であり、学び舎であった。
 彼女――彼女"ら"が生まれた始まりの場所。造られた場所。
 悪夢が模したのは、そういう風景だった。

 あの頃を思い出せば思い出すほど、自分が皆の主人としてふるまうのはおかしなものだと感じる。
 神元・眞白という女、令嬢めいた姿の、けれど妙に茶目っ気のあるその人は、戦術器たちの姉妹である。
 だが長姉ではない。むしろ末妹というべきか。彼女は『4番目』である。
「……マスター」
 眞白は、思わず口に出していた。目の前にその人がいたから。
 マスター、自分を……自分たちを生み出してくれた大切な人。
 その傍らには、いま彼女たちがそうしているように飛威と符雨が佇んでいる。
 では彼女らが目を向けるのは己か? その問いは是であり、否である。
「マスター。あなたは、そうして私を生んでくれたのね」
 いまの眞白が呟く。視線は彼女らと同じように、目を閉じた己自身へと。
 これは過去の風景だ。マスターが自分を生み出してくれたあの時の俯瞰風景。
『さあ、これで完成。名前はどうしようか、四番目だから――』
 過去の残影のなかで、"マスター"が思案する。飛威と符雨は何も言わない。
「……あれが、私。生まれたばかりの私……」
 眞白は瞼を伏せた。このあとに起きることを悔やむように。
 その名の通りに、生み出されたばかりの末妹は、透き通るように白かった。

●破
 まるでそれは、見て聞いて触れることが出来る劇のようだった。
 けれど劇は劇だ。第四の壁があるかのように、彼女らはこちらを見ない。触れない。
 目の前で繰り広げられる日常風景は、眞白が記憶した過去のものそのままで。
 マスターが笑う。マスターが講義する。マスターが叱りつける。
『お前たちは戦術器だ。戦うための、攻め、撃ち、切り開くためのモノだ』
 人形としての役目を語る時、マスターは常にそんな言い回しをした。
 その身、その心は戦うためにあると。そのためにお前たちを創り出したのだと。
 そのための技術、知識、武器。それを与え、教えよう。だから使えと仰られた。
「私は、あなたの期待に応えたかった」
 かすかに眉を顰め、俯いて、令嬢は独白する。
 ゆえに学んだ。飛威や符雨に追いつけるように己の本分を果たそうと。

 だから、だろうか。いつからか、師であり親であるマスターの在り方に疑問を抱いたのは。
 戦術器は戦うためのモノである。それはいい。そこに疑問の余地はない。
 けれども、マスターの言うように攻め立て、殺すことだけでいいのだろうか。
『それでいい。戦いとはそういうものだ。敵をいかにして速く討つか、それこそが肝要だ』
「私は違うと思った。……いまでもそう思う。実際、そうしてきたし」
 あるいはそれは、人間の子供で言えば反抗期だったのかもしれない。
 敬愛する主へのちょっとした反発。少しだけのわがまま。
 こっそりと"それ"を生み出して――そう。そのすぐあとに、あれが起きた。

 目の前で起きる惨劇を、眞白は人形じみた虚無の表情でただ見届けた。
 過去の己が軛を喪い、愛する人をその手にかける風景を。
 戦うために在れとされた人形の暴走。いかにも破滅的な幕切れでは、ある。
「……私が、もっと強かったなら」
 己の手を見下ろし、きゅっと握りしめる。いまだこの身は未熟。
 あの時は今よりずっと愚かだった。だから、自分で自分を止められなかった。
『ああ。ああ……お前たち、私は――』
 マスターが何かを言おうとして、血を吐き出すのを見届けた。
 同じように、過去の己もそれを見下ろしている。

 そして銀髪の戦術器が、振り向いた。

 ――ガギンッ!!
 己めがけ飛びかかってきた過去の眞白……ここでは人形としよう……を、飛威の両刃が受け止め、遮った。
「いきなりね。少しぐらい何か言ってくれてもいいのに」
 符雨が拳銃を構え、トリガを引く。BLAM、BLAM、BLAM。
 獣じみた動きで飛び退り、追っての符を切り裂く人形。眼光は無機質ながら鋭く。
「でもいい。そのほうが私らしいから。あなたは私だもの。
 だからマスターが犠牲になったのも、私のせい。私がやらないといけない」
 夢の中の己に、人形に向けて、眞白は淡々と――否。
 決然と語りかける。それは意思表明であり、悪夢への宣言でもあった。
「私は私を越える。飛威、符雨。それと……」
 いつのまにか。その背後に新たな影があった。この場に非ざる新たな戦術器。
「魅医。私のわがままの形。皆、力を貸して」
 人形が姿を消した。姉妹たちは、それを防ぎ穿つことで彼女に応えた!

●急
 ガギギ……ガギンッ、ガギギギギンッ!!
 飛威が目の醒めるような速度で刃を振るう。その軌跡は舞踏に似る。
 人形は脅威的な反射神経でこれを防御。両者は宙空で絡み合った。
 陽動である。眼下で狙いを定めるのは符雨。BRATATATATAT!!
 人形の片腕が弾丸に削り取られて、破砕した。だがここは悪夢のなかだ。
 ありえない形でもって破損箇所は修復され、人形は符雨へ襲いかかる。
「……強い。これが悪夢だから? それとも私が未熟だから……?」
 眞白は呻き、そして視界の端に見た。倒れ伏した主の姿を。
 まだ息がある。ああ、そうだったのか。あの時もきっと、そうだったのだろう。
 ならばたとえこれが夢だとしても。見せてあげたい。己の強さを。
「飛威、符雨。下がって」
 ガキンッ、BRATATATAT! 二体の戦術器は応えない。
「下がって!」
 ……応じた。結果として、人形から眞白に向けて一直線の経路が開く。
 何のつもりだと言いたげに、悪夢は訝しんだ。眞白は不動。
「私はまだ未熟。でもあの時から……あなたであった時から、少しだけ変わった」
 それをマスターの目に焼き付けたい。だから来るがいいと、彼女は言い放つ。
 人形は身を落とし、それに応えた。一直線に飛びかかり、繰り出された攻撃は眞白の胸部を打つ。
「かは……っ」
 痛みに目を見開く。少しだけ気持ちが軽くなる気がした。
 だがこれでいい。これは"代償"だ。衝撃に吹き飛び、壁に背中を打ち付けながら、叫ぶ。
「――魅、医……魅医っ! さあ、行って。皆に灯をつけて!」
 戦術器が動いた。眞白自身が創造した、壊すためではなく癒やすためのモノ。
 彼女に力を明け渡すとき、眞白は自分では戦えない。だから囮を引き受けた。
 魅医の癒やしの力は、以て同種を強化する。待ち構えていた飛威と符雨!
「……私は、ひとりじゃないから」
 こほ、と血を吐きつつ、眞白は呟いた。
 人形も、同じ顔で何かを言い返そうとした。
 真白の肌と髪は、声が放たれる前に切り裂かれ、穿たれ、そして砕けた。

●現実
 ……同じように微塵に砕かれたジャミング装置が、めのまえに在る。
 けほ、こほ、と胸を抑えて、眞白はうずくまった。傷は現実に持ち越されたか。
 魅医が駆け寄り、癒やしの力をもたらす。痛みが引いていく。
「……あなたがそう出来るぐらい、私の力があの時にあったなら。
 マスターは犠牲にならなかったのかな。助けられたのかな」
 痛みと引き換えに胸を満たす哀切に、眞白は溢した。けれどそれはイフの話だ。
 愛する人は喪われ、己と姉妹たちがここにある。話はそれで終わり。
「私は、もっと頑張らなきゃ。もっと、もっと……」
 飛威と符雨が助け起こそうとする。彼女はそれを拒み、自分の手足で再起した。

 まずは自分の力で。令嬢めいて背筋を伸ばし、紅潮した頬で深呼吸して。
 自分の足で、風を切って歩いていく。その背中は、少しだけ誇らしげに見えた。

成功 🔵​🔵​🔴​

御狐・稲見之守
ほう、精神攻撃か。しかし化かすのが本分の妖狐にそんなもの。それに克服すべき過去など時の河に流して来たさ。

――おや、ふふっどうやらワシにもまだそんな過去が残っていたようじゃの。

嗚呼…傾国の白仙狐、我が姉上。我を裏切り全てを奪った我が姉上よ。貴方のおかげで我は都の地べたを這いずり回り、そして今こうして稲見の地にて神として祀り上げられております。

嗚呼、愛しの姉上よ。御礼に心を込めてそのそっ首打ち落としてやりましょうぞ。そしてその魂その骸、一片まで全て我が喰らい何一つ残しませぬ。さあ、愛しの姉上よ。さあ、さあさあ、さあ、我は、姉上を、殺しとうて、ふふ、殺し、殺しとうてふふフフフフフふHUHUフふ!!!



●むかしむかし
 都に人食いの化生あり。そのもの、女人の姿をとりて災いをなす。
 人の精を得しは妖狐の常なれど、これは髄を啜り魂を呑むと憶えたり。
 曰くそのもの、髪はぬばたまにして艶やか、瞳は妖しの金に輝く。
 仙狐を嘯き、人を誑かし貶める外道なり。さに浅ましき化生他に非ず。
 都の者、禍を討たんと立てり。術と理を以てこれを払わんとす。
 かのもの罪深く浅ましの化生なれば、朽ちるに能わずこれを贖えと都を追われり。
 外道の狐狸、未だ健在なり。若かれど、かのもの負いし今の名は――。


「……噫。嗚呼、そうか。そうであったか」
 悪夢の中で、女は吐息を漏らした。それは呻きであり、恍惚のようでもある。
 金眼黒毛のそれの名を御狐・稲見之守と呼ぶ。自らもまたそう名乗る。
 かつては違う名だったという。それがなんなのか、どれほど昔なのかは彼女のみが知るばかり。
「ワシとて化かし惑わすが本分の妖狐。悪夢だの精神攻撃だの、ちゃんちゃらおかしいと思うておった。
 克服すべき過去なぞもってのほか。時の河を埋め尽くすほどに流してきたと……」
 そう、思っていた。いや、思おうとしていたのかもしれない。

 いま彼女が立つのは、彼女にとっては馴染み深い、そう、とても馴染み深い場所だ。
 人里離れた山の奥、自由気ままになんの衒いもなく生きていた頃のこと。
 彼女とふたりきりで生きていたその住処。そして目の前に立つのは。
「……そう、思うていたのだがな」
 いまや稲見之守の姿は、童女のような幼く可憐なものではない。
 背丈は大の男と同じかなお高く、毛並みと同じぬばたまの黒髪は地につかんばかり。
 妖しくゆらめく羽衣を千早の如くに羽織る、蠱惑的な美女のカタチ。
 猟兵が持つ真の姿である。土地神と崇められる女の本性とも言えた。
 そして、そう。彼女が相対する女もまた、同じように妖しのものである。
 稲見之守とは対極的に、その髪は白く細く、毛並みもまた同様。
 仙女めいた上等な着物は、胸元を大きくはだけ血色のいい肌を惜しげもなく晒していた。
 妖艶怪異。丸みのある肢体はあらゆるものを虜にするほどだろう。
 白い妖狐が、微笑んだ。それだけで脳髄を蕩かせるような『色』があった。
「貴女が居たな。我が過去、我が慙愧、我が怨敵――我が、姉上よ」

 稲見之守が吐き出した声音に秘められたものは、あまりに多彩である。
 肉親への情があった。忌まわしいものへの侮蔑があった。
 憎悪があった。感謝があった。怨みがあった。羨望があった。
 妬みも、嫉みも、悲しみも憐れみも喜びも怒りも。情念のすべてがあった。
 それでいて、滴るようにおぞましく、天地を揺るがすように厳かな声。
「姉上よ。何故とは申しませぬ。我らにとって、裏切り奸計など常の常。
 たとえ肉親であろうが、興が乗れば出し抜き蹴り落とす。そういうものにござりまする」
 稲見之守はまくしたてた。白き妖狐、彼女の姉はなにも言わない。
 ただ笑い、嗤ってそれを見ていた。瞳が三日月に歪む。
「貴女のおかげで我は地べたを這いずり、泥を啜り、腐肉を食んでまいりました。
 打ちのめされ、足蹴にされ、罵られ辱められ……ふ、ふ。ええ、ええ。本当に」
 稲見之守もまた、同じように眼を細めた。愛しげに。憎々しげに。
「ほんとうに、感謝しておりまする。我が姉御、傾国のお方。
 ……満足でございますか? 凋落しのうのうと生きる我が浅ましの姿は」
 微笑みとともに、周囲を狐火が舞う。

 それまで無言だった白妖狐の口元が、かすかに動いた。
 肉感のある唇からほう、と吐息が漏れ出す。――それは、悦んでいた。
『無様、よな? 悔しかろうに、囀るが精一杯とは、ほほ』
 業――と、稲見之守の周囲を舞う狐火が一斉に燃え盛る。
『神として祀られ、崇められようがお前は満足すまい。さもありなん。
 妾らは魂呑みの外道ゆえなあ? ほほ。ほほほほ! ひもじかろうなあ!』
 これは悪夢だ。幻影であり、残滓ですらなく、たかが精神攻撃に過ぎない。
 わかっている。わかっているが――だからこそ。虫酸が走る。
「それはようございました。姉君、我が愛しの同胞よ。そうでなくては。
 そうでなくてはこの稲見之守――御身を喰らうかいがございませぬなあッ!!」
 女(けもの)が、裂けそうなほどに嗤った。そして炎が荒れ狂った。
 白と黒の畜生の、骨肉相食む争いの幕開けである。


 殺す。
「ふ、ふふ、ふ。ふふふ」
 燃やして殺す。食らって殺す。締め上げて殺す。ねじ切って殺す。
「ふふふ、ふふ、ふ! ふふは、あはは、あはははははっ!!」
 殺す。殺す。殺す。この手で姉を。何度も何度も夢想した通りに殺す!!
 狐火がともに山を焦がし、繰り出されては相殺して消失する。
 式神符。姉もまた同じものを召喚し、互いの喉元を喰らいあって消滅。
 七星七縛符。白妖狐の放った爪撃の盾となって微塵に帰す。
 眩惑の術。お互いに幻による自らの死を見せあい、結果として何も変わらない。
「さあ。さあさあ、さあさあさあ!! 姉御殿、次は何をなさる? 如何する!?
 我をどうやって殺すのだ。我にどうやって殺されてくれるのだ! 姉上よ!!」
 狂気であった。致命の舞踏のなかで、稲見之守は呵呵と笑っていた。
 殺したくて、殺したくて殺したくて殺したくて、いっそ愛しいまでに憎らしく。
 想い叶うこの至福! ああ、この甘美のなんと悪辣なことか。悪夢とはまさにこれ。

 一合十符百条千言万度、炎と符と剣と爪と炎と術と呪いとをぶつけ合わせ。
 ふと隙が生まれた。なにか劇的なきっかけがあったわけではない。
 数式が定められた答えを導き出すような、誰もが必然と考える間隙。
 狂笑を浮かべた女は黒毛の猛狐に変じた。そして姉の喉元に、食らいつく。
『が――ッ!!』
 白き女は驚愕を浮かべ、血を吐き出す。稲見之守は躊躇なく顎を締め上げる。
 さあ喰うぞ。この女の肉を、魂を、骸の骨の一片も遺さずに喰らうのだ!
『嗚呼、████や……』
 そして。そしてそして、そして――そして、どうする?
『……お前を遺してしまって、すまなかった、よ』

 破砕音が、山を震わせた。

●現実
「……」
 獣に抉られたような形で、爆ぜ飛んだ異形の機械の前に女がいる。
 御狐・稲見之守と呼ばれる女がいる。現人神ぞここにありと崇められる妖狐が。
 けれども幼い彼女の相貌は、黒髪に覆われ伺い知れない。
 役目は果たした。幻想は終わり、己は現実に帰している。
 あとは帰り、次なる戦いに備えるだけ。わかっている。わかっているけれど。
 静寂の中、女狐は佇む。
 そこに残っているはずのない、何かの残り香を名残惜しむように。

「……まったく」
 ぽつりと童女は呟いた。
「ふざけた、悪夢じゃな」

大成功 🔵​🔵​🔵​

メイスン・ドットハック
【WIZ】
悪夢を見せるとはのー
どうせあの頃のことじゃろーのー

【悪夢】
幼少期、主宇宙船から放逐され、放浪していた頃の記憶
誰も頼れず、何もできず、管理AI頼みの放浪生活
不安と無力、絶望すら覚えた時代

じゃけどそれも所詮、昔のこと
今はそれすら解決策を見いだせる
じゃけー、僕は早く銀河帝国なんぞ片づけて引きこもりたいじゃー!

悪夢を見せるのは脳波、もしくは精神波に分類するものと予測
電脳魔術でそれらを感知・分析(ハッキング、情報収集)
情報が集まったら、それらを妨害するジャマープログラムを空間に拡散(暗号作成)
悪夢の元を断つ作戦

その後は悠々とジャミング装置を破壊
余裕があれば装置を分析しておく




「……ん、む」
 メイスン・ドットハックは微睡みから目を覚ました。
 眠っていたのか? ……いや、違う。自分はあのジャミング装置を破壊するために……。
 そこまで思い出したところで、彼女は周囲を見渡す。
 そして状況を理解すると、絶望するよりも先にため息を付いた。
「はあ。やっぱりのー……どーせこの頃のことだと思うとったけん」
 彼女はいま、小型宇宙船の内部にいるらしい。窓の外には無限の宇宙。
 言うまでもなく、ここは悪夢の世界だ。そして過去である以上、彼女はこの状況に覚えがある。

 メイスンはとぼとぼとやる気なさげに船内を歩く。
 どうやらこの船には必要最低限をさらに切り詰めた程度の燃料しかないらしい。
 船内を照らすはずの灯りはほぼ消えているに等しく、電脳ゴーグルがなければ探索すらままならない。
「ここも、あそこも……はあ、やっぱりあの時のままじゃのー」
 今よりももっと幼い頃。生活していた宇宙船から放逐の憂き目に遭った。
 その理由をいちいち思い出すのも面倒だ。彼女は面倒が嫌いなのだ。
 幼い少女ひとりが宇宙に投げ出されるには、それ相応の事情もあるのだろうが。
 なんにせよ当時のメイスンに与えられたのは、古びた小型宇宙船ひとつきり。
 物資も少量、周辺宙域は交易船の定期ルートから完全に外れていた。
 救援を呼ぼうにも、そもそもその方法がわからない。
 暗闇と静謐の中、不安と無力に苛まれ、絶望を感じた苦い記憶だ……。

「こっちの電気系統は、うーん。ショートしとるのー。めんどーくさい」
 だが電脳ゴーグルをかけ、船内を探索するメイスンに、絶望感はない。
 何故だろうか? 悪夢だからと高をくくり、安心しきっている?
 否である。もちろん、諦めきって自暴自棄になっているわけでもない。
「ここもダメじゃのー。いや待てよ? この部品は使えそうじゃの」
 がちゃがちゃと手早く機器を解体し、再利用可能なパーツを確保する。
 そう、幼き頃――もちろん今でもたった15歳の若者なのだが――の自分では、震えているしかなかった。
 船の動かし方、燃料の切り詰め方、物資の総量や加工方法。
 何もかも船の管理AIの力を借りねばならなかった。
 近くを通りがかった宇宙船の光を窓越しに見つめ、打ちひしがれたこともある。
「あの頃はエアロックに近づくだけでも足が震えとったからのー。
 ボンベの一つでも放り出して爆破させれば、信号弾の代わりに出来たろーに」
 ようは気付かせればいいのだから、他にもアイデアはある。思いつける。
 今ならば。技術を学び、知識をつけ、猟兵となった今ならば。

 船内を探索すること、メイスンの体感時間にして約10分。
 たったそれだけの手間で、彼女はすでに必要なパーツを一通り揃えていた。
 そしてあっさり組み上がったのは、球状の本体にパラボラアンテナや波形図がへばりついたジャンクマシンだ。
 自前の電脳ゴーグル、およびノート型スーパーコンピュータと装置を接続。
 AR投影されたキーボードをリズミカルに叩けば、アンテナが回り始める。
「おおかた、脳波か精神波を読み取って幻覚を見せてるんじゃろー?
 その波長を解析してやれば……うん、さすが僕じゃな!」
 所要時間、わずか2秒。彼女はそれだけで、この悪夢の世界の仕組みを理解してしまった!
 それこそが電脳魔術士というモノ。世界の原理にすら干渉するハッカーなのだ。

 当然、悪夢=ジャミング装置が黙って改竄を許すはずはない。
 薄暗い船内のレッドアラートが一斉に点灯し、ズズンと大きく揺れた。
 遠くから聞こえてくる爆発音。宇宙船が……自爆を始めている?
「おーおー、乱暴な手段に出たもんじゃのー。判断は悪くない。
 じゃけー、僕も本気で相手したるけん! ドクター・オロチ、勝負じゃ!」
 直後、彼女の周囲に無数のARウィンドウが展開。
 それまで温存していた自作ソフトウェアを並列起動。マシンの演算処理能力を解放!
 船の自爆=ジャミング装置による精神干渉を防ぎつつ、対抗プログラムを作成。
 それを妨げようとする敵側の論理防壁を一段飛ばしで破壊していく!
 爆発四散したはずの船体が逆再生映像じみて修復。
 レッドアラートは停止し、薄暗かった船内にはバチバチと照明が灯る。
『警告。警告。システムへの致命的クラッキングを検知しました。
 速やかに敵対行為を停止し、ソフトウェアへの接続を切断NNNNNNNNN』
 ブツン。
 宇宙船の管理AIの音声を借りた、ジャミング装置側からの最後通牒は途絶えた。

●現実
 そも、トラップ技術にかけてメイスンは一流のエンジニアである。
 それが精神攻撃であれ、罠ならば対抗手段は無数にある。
「残念じゃったのー。僕もあの頃のままではおらんというわけじゃ」
 ゴーグルを外し、黒髪のクリスタニアンは勝ち誇るように言った。
 目の前にはグロテスクな脳髄型の機械。過負荷により火花を散らしている。
「お前ら銀河帝国なんぞ、さっさと片付けて引きこもりたいんじゃー!
 待っとれよドクター・オロチ、めんどーじゃけどすぐそこまで辿り着くけん!」
 かちり、と最後のキーを押した。プスン、と間抜けな音とともに煙をあげ、装置は完全停止。

 メイスンに勝利の高揚はない。全ては必然、持ちうるスキルを必要なだけ行使しただけ。
「さて、これで帰るのももったいないのー。せっかくじゃし解体してみようかのー。
 なんぞ役に立つもんがあればいいんじゃけど、オブリビオンはケチじゃけーのー」
 ぶつぶつ小言を呟きつつ、停止したジャミング装置の解体と分析を始めまでする。

 "無知とは暗闇の海原に浮かぶ小島のようなものだ"と、ある人物は言った。
 あの頃の彼女はそうだった。だが、今はもう違う。
 昏く広い大海に漕ぎ出すことも、あえて小島で引きこもって悠々自適に暮らすこともできる。
 学び育てた、この知識と技術があれば、怖いものなど何もないのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ヴロス・ヴァルカー
残骸の海があった。
かつての同胞でできた海が。
「私の悪夢は……これでしたか。」
残骸たちが喋りだす。
『どうして、お前だけ。』
「【叛逆者の火刑薪】。」
黒い油が己を苛む。
『また、逃げるのか。』
「出口は!」
残骸を振り切るように。
『裏切者。』
「皆が死んでも私は戦った!でも、信じていた銀河皇帝も死んだ!それからずっと、私は、独り。」
『……』
「あの時、皆と一緒に死ねたらどれだけ幸せだったでしょうか。」
「でも、最近仲間が出来たんですよ。皆さんいい人達ばかりで。」
「その今を護るため、私は、進みます。」
「今は皆を置いていくことを許しておくれ。」
『またいつか。』
「またいつか会いましょう。」
小さな光が見えた気がした。



●ある残骸の話
 人は救いを求めて神を信じる。心の拠り所として、信仰という行為を選ぶ。
 では他の種族はどうか? 神に縋り、祈り、崇めるのは人間の愚かさなのか?
 答えは否だ。そもそも、信仰とはけして愚行ではない。それは一面の話だ。

 スペースシップワールドにおいて、ウォーマシンが種族として迎えられるにはいくつもの経緯があった。
 彼らは始め、その出自通りの殺戮兵器として扱われた。人でなしの木偶だと。
 だがやがて、あるものが言った。
『彼らには、人と同じ心があるのではないか』
 言葉の正確性は定かではない。ともあれそうして、多くの人々が同調した。
 衝突があった。反発があった。議論があった。啓蒙と融和と、理解があった。

 そして今日の宇宙世界がある。人と機械が同じモノとして生きる価値観が。
 彼らは心を持ち、情動によって思考し、時に誤り時に素晴らしきことをなすと認められた。
 ゆえにウォーマシンの社会文化にもまた、神格という概念が存在する。
 上位存在としてのそれを信仰し、教えを定めて遵守する者たちがいる。
 人間と同じように。愚かなる者たちもまた、同じだけ存在する。

 そして滅びた信仰もあった。ただ独り遺された、生きる骸がいた。

●とうに滅びは過ぎて
 海があった。ガラクタめいた、残骸たちの織りなす海が。
「なるほど。私の悪夢は……これでしたか」
 鋼のイッポンダタラとでも言うべきか。歪なるフォルムの機人が呟く。
 彼の名はヴロス・ヴァルカー。思慮深き知恵者、歌を以て鋼を手繰るもの。
『ヴァルカー。ヴロス・ヴァルカー。同志よ、神を讃えし声の持ち主よ』
 海が啼いた。潮騒のように響くのは、無数に連なる残骸たちの唱和。
 彼らは呼ぶ。ヴロスの名を。同胞への敬意と親愛と、そして。
「おお、おお! 同胞たちよ。そのような姿に成り果て、私に何を望むのです。
 鎮魂の歌を唱えと云うのですか。これ以上、私にどうしろというのです!」
 彼らの声音に秘められたものが何か、ヴロスにはわかっていた。
 それでも問い返さざるを得なかった。海の波濤に激情を叫ぶように。

『何故だ。どうしてお前は生き延びた。どうしてお前だけがここに居ない』
 そして彼の恐れていたとおりに、残骸たちは全く同時に呻いた。
 怨嗟を。津波のような、大地すらも飲み込むほどの深く重き怨嗟を!
「……やはり、それを問うのですね。さもありなん、これは私の悪夢。
 私はいまでも疑問に思う。なぜ私だけ生き延びてしまったのかと。ですが私は……」

『裏切り者め』
 独白を呪いが遮った。じゅくじゅくと、腫れた膿が肌を裂き漏れ出るような声で。
『裏切り者め。裏切り者め、裏切り者め! 殉教を拒んだ破戒者め!
 我らが知らぬと思うてか。あの時、お前が何を選んだか。我らが知らぬと思うてか!』
 剥き出しの両手で、かつて狂信者であったものはカメラアイを覆った。
 漏れ出る赤き光は涙に似る。ならば発声装置から滲み出るのは嗚咽だろうか。
『お前は逃げ出した。朽ちゆく我らに背中を向けて、ただ独り安寧に逃れたのだ』
「違う」
 否定に力はなく。
『違うものか!』
 呪いには怨嗟が満ちて。
『同胞などと、よくもほざく。お前は裏切り者であり、破戒者であり、臆病者だ。
 神の教えに背き、神を謀り、神に唾吐く邪悪だ。ヴァルカー、裏切り者のヴァルカー!』
「違う。……違う、違う、違う!!」
 3メートル近い巨体をたわませて、生娘めいた声で男は叫んだ。
 呪いを退けるというよりも、必死に許しを乞うように。何度も。
 おお、神よ。哀れな私に救いを与えたまえ。光明を我にもたらしたまえと。
 無心に祈ることができればどれほどよかっただろう。祈る神はどこにもない。
 彼は気づいてしまったのだ。あの時死んでいたものが、全て偽物だったと。
「私は、私は戦い続けた。皆が斃れ、どれほど減ろうと戦い続けたのです!
 ……戦い、続けた。そのまま朽ちることができれば、よかったのに」

『ならば、我らの一部となれ。ヴロス・ヴァルカー、救いを求める子羊よ。
 海へと身を投げ、我らと同じ残骸になれ。されば汝、その苦悩から救われん』
 同胞たちの誘惑は、抗いがたい響きを伴っている。從ってしまいたい。
 孤独に過ぎた年月を、そして今を帳消しに出来るなら。再び同胞となれるなら。
「…………おお。おお、同胞たちよ。哀れな骸たちよ。どうか私を許してください。
 私にはそれすら出来ない。私が知ったのは神の不在だけではないのです」
『迷いを捨てよ。我らを受け入れ、我らに溶け込め。救いはそこにあるのだぞ』
 〈海〉が地響きめいた音を立て、徐々に徐々に大地を侵す。彼は逃げない。
 逃げようと思いもした。だが諦めた。ここに逃げる先などないのだ。
 いまや大地は、彼が立つわずかな領域しか残っていない。
 見渡す限りの〈海〉が、呪いを呻く残骸たちがすぐそこまで迫っている。

「仲間が、出来たんです」
 ぽつりと、赤き瞳の信仰者は溢した。か弱い声は海鳴りに呑まれて消える。
「様々な、ええ。本当に様々な、個性のある人々です。種族も、何もかも違う。
 いい人ばかりです。私を受け入れ、同じ友として扱ってくれる。かつての皆のように」
 〈海〉が最後の大地を侵食し、彼の足元を飲み込んでいく。
 ……だが、大地を飲み込み食らったときよりも、残骸たちの速度はずっと緩やかだ。
「私は彼らを守りたい。そして旅を続け、いつか信じるに値する本当の神を見つけたい。
 "いつか"のためには、"いま"を守らねばならぬのです。だから同胞たちよ、どうか……」
 赤い瞳から涙が零れた。黒く粘ついたそれは鋼の体を伝い、欠けた触手を落ちていく。
 涙は溢れ続ける。涙は血であり、脂であり、音なき声なき彼の唄だった。

 黒き涙はヴロス自身を苛む。涙は熱を孕み、やがて蒸気となって彼を包んだ。
 彼を飲み込まんとする残骸たちも、同じように包み込む。そして汚染し、蝕んでいく。
 叛逆者の火刑薪(トレイターズ・パイア)。遺された命を燃料に、己も敵も冒す黒き詩。
「――どうか、皆を置いていくことを許しておくれ。
 私の"いま"を、皆に渡すことはできない。出来ないのです。"いま"はまだ」
 だがいずれ。この巡礼の果て、真に信ずるべきものを見出したとき、必ず。
『……ヴァルカ―。生き果てし残骸、朽ちることすら出来なかった哀れなものよ。
 ならば我らはひとたび待とう。この海を漂い、お前の"いつか"を待ち続けよう』
「ええ。同胞たちよ、またいつか」
 唄うように別れを告げた。
『またいつか。汝の心に、神の救いがあらんことを』
 祈るような別れが聞こえた。

 見上げた空に輝く星が、ひときわ強く輝いた。

●現実
「…………これでよかったのでしょうか」
 黒き体液に蝕まれ、無残に壊れたジャミング装置を前に、満身創痍のままで呟く。
 易くない勝利だった。己の打ち克つという行為の、なんと苦しく重きことか。
 ヴロスはその痛みを、悪夢で聞こえた潮鳴りを深くメモリに刻み込む。
 自問の答えは誰ももたらしてくれはしない。彼自身にも答えは出せない。
 ならば。
「その答えを探すためにも、私は行かねば。進まねばなりませんね」
 ただ独り遺された残骸は、壊れかけたボディを引きずり旅を続ける。
 巡礼に終わりは来るのだろうか。その果てで響く歌の奏でる音色は?

 いまはまだ、誰にもわからない。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

城石・恵助
壊れた学校
散らばる肉塊
倒れ伏す6人

口を裂いて入り込む何か
滅茶苦茶痛い

めぐみちゃん、と
泣きながら呼ぶ彼女の声が
一度途絶えて、クスクスと変わって

その先は知らない
目覚めた時には彼女も、みんなも、あの惨状も
学校ごと消えていた
初めから存在しなかった、そういうことになってしまった

でも僕だけは覚えてる
彼女を。みんなを。共に過ごした時間を
あの惨劇を。痛みを。憎悪を
だから彼女に【喰らいつく】
あれはもうリョータじゃない
『いつかの写真』の中で笑っている、僕の親友じゃない

僕だけは知っている
だから、殺さなきゃ
偽物に彼女を騙らせはしない
もう好き勝手に奪わせたりはしない
喰い物にされるのはお前達の方だ

それに
お腹空いちゃったし




「美味しそうだなあ」
 多くのものはそれをグロテスクと呼んで忌み嫌うだろう。目を背けたがるはずだ。
 誰しも好みというものはある。逆にそれこそがいい、と頷く者もいなくはなかろうが。
 ジャミング装置の異形を前にしたとき、青年が漏らした呟きは異常だった。

 城石・恵助。ありふれた名前だ。彼の出自もまたありふれたものだった。
 平凡な生まれ。平凡な街。平凡な家庭、平凡な幼年期。
 "普通"という言葉を聞いたとき、多くのものが思い浮かべるような道を経て。
 "普通"という言葉が示すままに、なんの衒いもない人生を歩むはずだった。
 はず、だった。今目の前に広がる惨状。それが起きた『あの日』までは。

「……そっか。まあ、そうだよね」
 きつく結ばれたマフラーの下でもごもごと、しかし妙に通る声で呟く。
 学校、だ。天井は崩れ、ガラスが腫れて柱が歪んだ無残な有様だが。
 なんの変哲も"なかったであろう"校舎の一室。瓦礫を染める鮮血の絨毯。
「、あ」
 間抜けな声はすぐに絶叫に変わる。恵助はうずくまり、痛みに耐えた。
 落ち着け。これはただの幻痛だ。悪夢がもたらした、『あの日』の追体験だ。
 だから落ち着け。悲鳴を上げるな。ただ口が裂けて胃が破裂しただけだろう!

 夢の中で混濁した意識は、さらに追憶の夢へ飛ぶ。
 あの時、自分の口を引き裂き飛び込んできたのはなんだったのだろう。
 猟兵に目覚め、数多の世界を巡り歩いて戦ってなお、正体はわからない。
 オブリビオンであるのは間違いない。おそらく、UDCであることも。
 たしかなのは、あれから自分はこうなった。その点では僥倖と……いや。
 ――この痛みは、やっぱやだなあ。めちゃくちゃ痛いもん。
 苦笑いを浮かべて呟いた。あの時も今も、同じように意識を喪ったらしい。

「……あああぁ、……あ、あー。あ、あ、あー」
 ぱちりと目を開け、恵助は何度か声を出した。
 マフラーを下ろし、鼻から下を露わにする。どうせ悪夢の中なのだし。
 口を"大きく"広げる。やはり幻痛だ、胃袋も無事。痛みだけが襲ってきたのだ。
「うん、よし。……さて」
 気を取り直し、出刃包丁を構える。あの時はここで意識が途絶えていた。
 いやまあ、いまも途絶えたのだが。あの時とは違う、そうだ、違う。
 ――彼女が、目の前にいる。
『めぐみちゃん。ねえ、どうしたのめぐみちゃん、だいじょうぶ?』
 鮮血まみれの教室。倒れ伏した六人――いずれも顔はひしゃげて見えない。
 それに囲まれて、ただ一人だけ。何事もなかったかのように佇むモノがいる。
「だろうと思ったよ。だって悪夢だもんね、そういうことするんだろうってさ」
 恵助は軽く、少年めいて言った。そしてぎらりと鋭い眼光で"敵"を睨んだ。
 自らを親しげに呼び、駆け寄ってこようとする彼女を。
『めぐみちゃん……?』
「お前は『リョータ』じゃない」
 突き放すような言葉。『リョータ』は何かを言おうと口を開き――。
「お前が彼女だっていうなら、せめてその笑い顔をなんとかしろよ」
 ――くすくすと微笑んでいたモノは、裂けんばかりに笑みを深めた。

 あの時も同じだった。"何か"が自分の中に入り込んできた激痛の中。
 薄れゆく意識の中、彼女は何度も自分を呼んでくれた。
 めぐみちゃん。だいじょうぶ、めぐみちゃん。どうしたの。
 泣きながら、それでも僕を心配して。――でもそれは途中で消えた。
 消えゆく意識の中で恵助が聞いたのは、『リョータ』の声をした、けれど彼女のものではない。
 そう、いま目の前で"あれ"が浮かべていたのと同じクスクスという笑い声。
 だからわかったのだ。この悪夢の中で、あれは『リョータ』ではないと。
 彼女の姿をしたモノを攻撃することに、戸惑いや躊躇はなかった。
 静かな怒りが己を突き動かしていた。
 いや、正しくは――怒りと、もう一つ。単純至極で、強い強い感情が。

「お前もバカだよな。せめて別の誰かにしておけばよかったのに。
 もしかしたら僕も、顔を見ようとして油断したのかも知れないのにさ」
 悪夢の化身はごぼごぼと血の泡を吹きながら呻いた。何を言おうとしているのやら。
 雌雄は一瞬で決した。
 卓越した猟兵である恵助にとって、所詮は悪夢の一顕現など相手にならない。
 それとわかっていればいくらでも対処できる。だからとりあえず喉を裂いた。
 そしたら悶絶して苦しんでいたので、腹を割いた。あとはまあいつもどおりだ。
「まあ、お前らなんてそんなもんだよ。だから僕はこれからもお前らを殺す。
 お前らに彼女を、みんなを騙らせはしない。僕の思い出を奪わせはしない」
 この崩れた校舎も、彼女も、皆も、いやあの惨劇の事実すら、もはや遺っていない。

 記録が、というレベルではない。そもそもの存在が消えてしまったのだ。
 証明できるのは、自分の頭と心に刻まれた思い出と、いつも持ち歩く写真一枚きり。
 その中でただひとり、笑顔で映る親友がいる。それが『リョータ』
 あとの6人は、あそこに転がっていたそれらと同じように歪んで霞みわからない。
 死者を騙るオブリビオンならその相貌を見せてくれるかと期待したこともある。
 残念なことに、その淡い期待は裏切られたが。
 結局、こいつもダメらしい。恵助の心の中に、少なからぬ落胆があった。

 オブリビオン、とは英語で『忘却』という意味らしい。
 結構だ。ならば自分はこの記憶を胸に留めるため、お前たちを殺し続けよう。
「ところでさ。僕、美味しそうなもの見ちゃったからお腹がすいたんだよね」
 悪夢の化身がびくりと震えた。ごぼごぼ泡を吐く。
 恵助の大きな、大きな大きな口元を、べろりと舌がなぞった。
「食い物にされるのはお前たちの方なんだ。じゃあまあ、そういうわけだから」
 大きな大きな口が、これまた大きく、大きく開かれる。
 悪夢の化身はそれを見上げた。そしてごぼごぼとまた何かを言おうとした。
 トラウマを刺激し、恐れさせるはずの機構は、しかし逆に少年を恐れた。
 迫りくる大顎を。己を████しようとする飢えた怪物の歯を。そして――。

●現実
「いただきまーす」
 異形の機械は、跡も遺さず消え失せた。

成功 🔵​🔵​🔴​

ユーザリア・シン
赤い月/収穫の夜/瓦礫の玉座/妾はそれと相対する。
国が滅んだまさにその瞬間。妾が、あれを倒すために滅ぼすと決めたその瞬間。

ユーベルコード【貴女の魂に安らぎあれ】。

愛する民も、愛した国土も、今やこの手に吸い尽くされた。
ただひとつ、目の前の邪悪を滅ぼすために。ただそれだけの為に、犠牲となった下僕たち。
悼もう、記憶を。
嘆こう、過去を。

だが――そうだ。
目の前で嗤うもの。
我が母、我が祖、我が宿命。
一匹の吸血鬼。
こいつだ。
こいつを滅ぼす。必ず滅ぼす。何度でも滅ぼす。何時であろうと滅ぼす!
こいつを滅ぼすことが出来るならば、他に何も必要はない。
だから『私』はあの時と同じく、この『反逆』を叩き込むのだ。



●過去:ダークセイヴァー
「母よ」
 紅い唇が踊った。紡がれる声は、張り詰めた弦楽器の奏でる音に似る。
「なぜ食らった。なぜ貪った。なぜ奪った。なぜ啜った」
 赤い瞳が見開かれた。浮かぶ情動は、憤怒と疑問、そして憎悪。
「あれは妾の国だ。妾の民だ。妾が培い、妾とともに築き上げた王国だ」
 朱い女が吼えた。青白き肌に金の髪を持つ鬼の名を、ユーザリア・シンと云う。

『我が娘よ』
 鬼が応えた。そのたびに。口許から湯気さえ立ち上る新鮮な血が零れた。
『なぜと問うのがすでに愚かと識れ。我らの為すことに"何故"はない』
 狂気が嗤った。満足げに組み替えられた脚の下、無数の髑髏が敷かれていた。
『我らは鬼ぞ。ゆえに喰らう。ゆえに啜る。ゆえに奪う。
 たとえそれが実の娘の領土であろうと関係ない。ああ、甘美であった』
 醜き過去はうっとりと、甘露に浸った。正気など何処にもない。

 空に上る月はぞっとするほどに赤く、地を満たす血はそれよりもなお赫く。
 常より昏き空の下、吹き抜ける風は奪われた豊穣の残滓に啜り泣く。
 二人が相対するのは崩れた瓦礫の山。かつてそれを誰かが玉座と呼んだ。
 彩るのは髑髏と血。そして肉と筋と脳漿、無数の嘆きと怨みと苦痛。
 かつてここには国が在った。つい先ほどまでの話だ。
 そして国は滅んだ。つい先ほどの話だ。滅ぼしたのはこの鬼だ。
 いや、と。ユーザリアは心の中でひとりごちた。
「そうか。これは幻影であった。悪い夢、妾を誑かす一夜の幻か」
 あまりにも生々しい景色だった。匂いすらもあの日と同じ、何もかも。
 当たり前だろう。これは記憶の残影、裡より出でし精神の牢獄なれば。
 紅い月を仰ぎ、目を細める。それでも、国が在ったという事実はまだここにあるのか。
 現実にはそれすらもないというのに。なら、夢らしくこちらのほうがマシやもしれぬ。
「――戯れよな。我ながら愚かな考えであった」
 一笑に付した。顔を戻す。この三文芝居に自ら乗り込み、愚か者らしく踊るために。

●再演:悪夢
「それが貴女の答えか、我が祖よ。なんと身勝手で、浅ましき言葉か。
 我が領土を蹂躙し、我が民どもを根こそぎ喰らい、言い果てるがその文句か」
 長い長い金髪がざわめいた。溢れ出る殺意は一里先の狼すらも怯えさせた。
「いかにもそうである、我が仔よ。実に無様で愚かしく、そして滑稽よな。
 国などまた創ればよかろう。民などまた蒐めればよい。お前にはそれが出来る」
 傲慢なる母はふてぶてしくも嘲った。己に、仔に流れる血への自信を溢れさせて。

 かつての話だ。ユーザリアという女は、さる国を治める王だった。
 ダークセイヴァー。いまでは全てを絶望に覆われた闇の世界。その片隅の小国。
 諸侯に比べれば、沁みのように小さく慎ましやかなもの。それでもかけがえのない国だった。
 領土に生きるすべてのものを、彼女は愛していた。慈しんでいた。母のように。
 民はみな己の同胞であり、護るべき弱者であり、未来を築く大事な大事な仔たちだった。

 それもみな奪われた。

 我が母。我が祖。いずれ相対するだろうと心の何処かで思っていた宿命の女。
 なぜあれがそう決めたのかは知らぬ。もしかするとかつては識っていたのかもしれない。
 だがあの時、母はこの三文芝居と同じように答え、同じように笑った。ならばそれが答えなのだろう。
 よしんばあの言葉が戯言繰り言の類であったとして、もはやどうでもいい。
 あれは領土を襲った。逃げ惑う民草を一人ずつつかみ、引き裂き、噛みちぎった。
 田畑は血で染まり、家々ははらわたで彩られた。水は肉で腐り、砕けた骨が土を覆う。
 なにもかも。なにもかも奪われた。蹂躙された。民も、兵も、誰も抗えなかった。
 彼らを不甲斐ないとは笑わぬ。笑えぬ。真に不甲斐なきは、呪われるべきはこの身なり。
 ゆえに母を滅ぼすと決めるのに、躊躇や迷いもありはしなかった。

「我が怨敵、許すまじ仇敵よ。妾ならば再び国を興せると、そう云うたな。
 ああ、然りであろうよ。出来るとも。いずれ妾はそうするのだろう。きっと、おそらくは。
 だが邪悪よ、それはお前が滅ぼした国ではない。お前が食らった民ではない。妾が喪ったものではない」
 喪われたものは戻らない。土を掘り、再び田畑を耕し、たとえ万の麦穂が実をつけようと。
 愛した民は死んだ。仔らは消え失せた。その事実、その過去には何の変化もない。ならば。
「ならば――妾のこの怒り、この憎悪もまた同じ。ゆえに妾はお前を滅ぼした。
 そして悪夢よ、今また我が宿命、忘れ得ざる過去を模倣するならば、すでに覚悟は出来ておろう」
 鬼の姿をした悪夢は、血まみれの牙を見せつけるように嗤った。
 お前に出来るのか。あのときと同じ選択が、たとえ夢幻の中であれ選べるのか?
 傲慢に、残忍にそう問いかける。瞳が細まり、歪み、愉悦と勝利に輝く。醜悪な面だった。

 だがそれもすぐに見開かれた。然り、驚愕に。
「出来るとも」
 ユーザリアは拳を握る。肉付きのいいしなやかな、けれども女の細腕。弓も引けなさそうな拳を。
 しかし見よ。その赫を見よ。その腕、その拳に満ち満ちる、あり得ざるほどの力を見よ。
 朱い月が姿を隠した。昏き空は音もなく揺れ動き、瓦礫と髑髏は怯えすくむように震えて鳴る。
「妾は貴女(おまえ)を滅ぼす。すでに滅ぼした。だが滅ぼす。何度でも、何度でも何度でもだ。
 たとえいつであろうと、どこであろうと、必ず滅ぼす。妾の、この拳を以て滅ぼしてくれる」
 国は滅んだ。民は死んだ。全てはもはやどこにもなく、遺るは屍と血反吐だけ。
 噫。罪深きは母だけに非ず。なぜならば――この拳に宿る力は、他ならぬ国土と民を対価に得たもの。
 滅び"かけた"国土と民を見、怒りのままに残るすべてを収穫し、我が右腕に収めた亡国の一撃。
 国は滅んだ。民は死んだ。母が喰らい、妾が刈り取った。それが真実だ。それは変わらぬ過去なのだ。
 だから出来るとユーザリアは叫ぶ。夢であろうと、同じ愚行を繰り返し、傀儡のように踊ってみせようと。
「我が宿命よ、再び滅びよ。次の、次の次の、その次の滅びのために疾く滅びよ。
 ――妾は、そのためならば何も必要ない。悪夢よ、お前は挑む相手を間違えたのだ」
 悪夢の化身が呪わしき怨みを吐こうとした。その顔面に勢いよく拳がめり込んだ。

 母よ。祖よ。我が宿命、我が怨敵、仇敵にして共犯者にして愛すべき女性よ。
「――貴女の魂に安らぎあれ」
 流れ落ちた涙とともに、夢は砕けて散って消える。

●終演:現実にて
 朱い女がいた。唇も、瞳も、纏うドレスも何もかもが紅い女が。
 その前には残骸があった。砕けて散った夢の跡、愚かで哀れな悪夢の残滓。異形の機械。
「……我、勝てり」
 厳かに女王は宣言する。ユーザリア・シンはかつてのように、そしておそらくはこれからも。
 流れ移ろう時の中、観客亡き女は踊り続ける。人生というなの円舞曲を。

成功 🔵​🔵​🔴​

桑崎・恭介
WIZ


■過去
一般人時代の恭介がUDCオブジェクト『人皮紙の楽譜』を手に入れ、演奏してしまった際の事件
その楽譜は『この世の物とは思えない素晴らしい演奏』を可能とする代わりに、
邪神に適合する人物が曲を聞くとUDCに成り果てる、という代物だった


俺の眼前で異形と化した妹が…十二体もの邪神を、一つの体に取り込んだ、肉の塊が…
血溜まりに沈む、俺を見て泣いている
邪神の暴走で傷を付けられた痛みより、元凶の俺を見て悔いている姿が俺には辛かった

動けぬ体すら記憶の再現か、逃げることすら許されず、冷えていく


「ハハハッ、幻見て死にかけてるとか面白すぎだろ。高くつくぞ、恭介」
…悪かったな、化け物。人間には色々有るんや



●UDC-I-D-666『人皮紙の楽譜』について
 オブジェクトは赤茶色にくすんだ楽譜の形をしており、来歴から考えて最低でも████年が経過しています。
 にもかかわらず、X線を始めとする█種類の検査において、オブジェクトは一切の経年劣化の兆候を見せませんでした。
 オブジェクトの使用が最初に確認されたのは████/08/██、█████国███████地方にある飲食店です。
 このとき、楽譜は██楽章まで演奏されたものと見られています。結果として店内には[削除済]。
 演奏者と思しきUDCは████/██/██時点で収容されていません。

 このオブジェクトが最後に使用されたのは、20██/██/██の日本████県████市で発生した事案S06-1009909です。
 事案発生時の状況、および収束後の経過については記録S06-1009909を参照して下さい。

●記録S06-1009909、数ヶ月前に検閲削除されたインタビューログより抜粋
 ――では、あなたはあれが人皮で出来たものだということもご存知なかったのですね?
「当たり前やないですか。んなこと知っとったら、最初から演奏なんてしとらんですよ。
 ……なあ学者さん、俺ほんまに何も知らなかったんや。ただ、あれを使えば上手く弾けるって」
 UDC-I-D-666-2、静かに啜り泣く。研究員は約5分間、インタビュー対象をなだめる。
 ――落ち着きましたか。
「ぐすっ……すんません、あれを思い出してもうたら、俺……(判別不能の嗚咽)
 ただ、すごい演奏が出来るって。そう聞かされて渡されただけなんです、ほんまに……」
 ――わかりました。一度インタビューを中断しましょう。████さん、ありがとうございました。
「すんません、ほんますんません……(判読不能の嗚咽が1分ほど続く)
 ……ごめんな[UDC-I-D-666-1の本名]、ダメなお兄ちゃんでごめんなあ……」

 記録終了。

●悪夢
 桑崎・恭介にとって、あの日は忘れがたい――忘れてはならない日だった。
 ゆえに、この依頼を引き受けたときから、それと対峙することは覚悟していた。
 だが。
『お兄ちゃん。お兄ちゃん、ごめんね、お兄ちゃん』
 泣きじゃくる『妹』の姿を見た時、恭介の頭は真っ白になった。
 この悪夢が、一人ごとに取り込まれる精神世界で良かったと思う。
 事情を知らぬ者が『妹』を見た時、その人はきっと嫌悪の感情を露にしたはずだろうから。
「大丈夫や、お兄ちゃんは大丈夫やから、そないに泣くな……な?」
 あのときと同じ台詞が口をついて出て、次いで咳き込むと共に血を吐き出した。
 たとえ姿がどうなろうと、この子は『妹』だ。
 あの忌々しいUDCオブジェクトに引き寄せられた、十二体の邪神。
 それらを取り込み――取り込まれ、とも言えるが――、『妹』は人でなくなってしまった。
 肉の塊。蠕動し、震え、のたうち、かろうじてあの子と分かる声で泣く可哀想な妹。
 醜悪に過ぎる末路であったとしても、『妹』なのだ。
 兄である自分がそう言い切らないでどうする。あの子がこうなったのは、自分のせいなのに、

 だが、悪夢だということすら忘れてしまったのはまずかった。
 この空間はすべて、自分の心を折るために成り立っているのだ。警戒していたはずなのに。
「ああ、畜生……あかんなあ、俺としたことが……けほっ」
 血が止まらない。『妹』の繰り出した触手が、あのときと同じように自分を貫いていた。
 この傷は現実の自分にどれほど作用している? いや、どうでもいいことか。
 実感としてわかる。悪夢の中で死ねば、現実の自分もまた絶命するのだと。
「立てぇ……立って、終わらせてやらなあかんやろ、恭介……!」
 己の名を呼び、冷たくなりつつある四肢を鼓舞する。
 しかし、気力を満たしたところで、どうにもならないことが世の中にはある。
 今がそれだ。立ち上がりかけて、べしゃりと血の海に沈んだ。
『お兄ちゃん。痛いよ。苦しいよ。逃げて、逃げてお兄ちゃん』
「けたくそ悪いで、ほんま……真似事やろそれ、くそったれ」
 それがこの胸を痛めつけるのがなお情けなくて苛立ってくる。
 妹の声で泣きわめく妹でないモノは、鋭利な触手を構えてにじり寄ってくる。
 這いずってくる、というほうが近いか。どのみち逃げられそうにない。
 UDCを特殊加工した外套から生きた蔦が萌え息吹き、傷を塞ぐ。痛みに呻く。
 麻薬めいた薬効が苦痛を取り払い、段々と頭がぼんやりしはじめた。
『妹』の姿が歪む。万華鏡のように回転し、手に力が入らなくなってきた。
「くそ……まだや、まだ俺は……」
 立たねばならない。本当の妹の犠牲を。己の愚かさのツケを、まだ支払いきっていない。
 立て。立って戦え。銃を構えろ! 歯を食いしばり、迫り来る死に抗う。
「まだ戦える。戦わなあかんねや、でないと……なんもかも無駄になってまうやないか!!」

『ハッハ。ハ! ハハッ、ハハハハハハハ!』
 出し抜けに、耳障りな笑い声が聞こえた。
『妹』のものか? 否である。その声音は異界のそれ、ただしあの肉の塊ではない。
『無様なもんだ。幻見て死にかけてるとか面白すぎるだろ。なあ、恭介?』
 まるでヒーローにでもなったつもりなのか、"それ"は勝ち誇った顔で恭介を見下ろす。
 UDC-M-T-49『魔弾の射手』。術者の致命的危険によってのみ召喚に応じるモノ。
 扱いづらい怪物。たった一発の、されど無敵の魔弾を備えた嘲りの使徒。
『ピンチだろ。ピンチだよなあ? ん? ほしいんだろ、助けがよ』
「なんや、元ネタのリスペクトでも始めたんか、クソ化物。似合わへんな……!」
 恭介の痛罵をものともせず、『魔弾の射手』は目を細めた。
『高くつくぜ。覚悟は出来てんだろうな、恭介』
 今度はこちらが笑う番だった。そんな問いは、今更に過ぎる。
「人間な、生きてりゃ色々あるんや。……さあ、とっとと戦え、あれを撃てや!」
 悪夢の化身が、怯えの声を漏らした。もう迷いはしなかった。
『魔弾の射手』は悪魔じみた哄笑とともに銃口を向ける。引き金を引く。
「……ごめんなあ、ダメな兄ちゃんで。いつか、もっとマシな自分に……」
 銃声が響いた。恭介はそこで意識を喪った。

●現実
「っは!? ~~~~っだだだだだ!!」
 バネ仕掛けめいて上体を起こし、恭介は腹を抑えて呻く。
「なんや、夢や云う割にこっちのほうにも傷来るんやんか、せめて塞がっといてくれや!」
 薬効で塞がりつつあるとはいえ、鋭利な触手で貫かれたのだ。血がにじむ。
 ひとしきり悶絶したあと、尻餅をついたまま顔を上げた。
 ジャミング装置を穿った銃痕はひとつ。あれがうまくやったのだろう。
「……はあ。あ~~~~~もう、格好つかへんなあ、マジで!」
 がしがしと頭をかき、それでまた傷が開いた痛みに呻きつつ、恭介は思った。
 妹の犠牲を忘れてはならない。あんなざまに成り果てても、自分のために泣いてくれたあの子のことを。
 あれは自分のせいだ。だからこそ、歩き続けなければ。
「……なかったことには、したないんや」
 あの子の涙に見合う自分になるために。その価値を守り続けるために。
 燃えるような痛みとともに、甦った思い出を、己の心に深く深く焼き付けた。

成功 🔵​🔵​🔴​

黒城・魅夜
くすくす。哀れなこと。
頭蓋を叩き割られ、脳髄をかき回されながら私は笑います。

くすくす。所詮は機械。
四肢をネジ折られ、臓物を引き出されながら私は歩きます。

顔面を溶かされ、脊髄を砕かれても、私は笑います。
それらはすべて、私の記憶に有ったこと。私の過去に在ったこと。
機械よ、愚かな鉄屑よ。
あなたは結局、その模倣しかできないのですよ。
新たな恐怖を生み出すこともできないモノが、悪夢を名乗るなどおこがましい。
ええ、新たな希望を生み出すこともできないくせに。

八つ裂きの肉塊にされた私はゆっくり手を振りかぶり、無造作に鋼鎖を叩きつけます。
技など、使うまでもない。

くすくす。くすくすくす……。
私は笑い続けます……。



●悪夢
 苦痛があった。想像を絶するほどの苦痛と、それをもたらす拷問があった。
 頭蓋を割られ、脳髄をかき混ぜられ、抉られ、こそがれた。
 四肢は捻じれ、先から少しずつ削られ、皮を剥いで塩を擦り込まれた。
 臓物を引きずり出され、撚り合わせられたそれが腹の中に叩き込まれた。
 煮えたぎる鉄の中に顔を突っ込まされ、目玉が煮え爆ぜるのを感じた。
 歯を、爪を、耳を鼻を指を脊髄を――砕かれ裂かれて潰された。

 だが女は笑い続けた。それは私にとって道程に過ぎぬと。
 所詮は夢幻、たとえどれほど悪辣を重ねようと、練り上げて食らわせようと夢は夢。
 我が正気を挫くに能わず。悪夢など笑止千万、心的外傷が聞いて呆れる。
 退くがいい、異形の木偶よ。この黒城・魅夜の道を阻むことなかれ。

 ゆえに女は笑い続けた。何があろうと、何を受けようと。
 笑いながら砕かれ、笑いながら抉られ、笑いながら引きちぎられた。
 体感時間に置いて、余人の想像を絶するほどの責め苦を味わい、味わって。
 根負けしたかのように苦痛の地獄は終わり、悪夢も終わった。

 そして悪夢が始まった。

●女にとっての希望、女にとっての悪夢
「……これは。これは、一体?」
 魅夜は訝しんだ。まず己が五体無事であることに眉根を顰めた。
 ああ、たしかにあの苦悶の地獄は、己にとっては地獄ならず。
 徹底的に痛めつけられ、八つ裂きの肉塊にされて、悪夢はそれで終わったと。
 そう思った――違う、それで終わりなのだ。だってそれが私の過去だ。
「まさか」
 女は考えに至り、あ、と吐息を漏らしかけ、また考えた。
 そうだ、私は悪夢を知っている。そしてそこから救われたのだ。
 終わりなき責め苦の地獄、永劫に思えたあの夢の中から救われた。
 救われて、今日まで彷徨い続けた。でも。しかし。もしも。

 『救いの手が、私のもとに伸ばされなかったとしたら?』

「いいえ。いいえ、ありえない。ありえない、ありえない!!」
 魅夜は叫ぶ。誰も居ない空間、たったひとりきりの悪夢の中で。
 無限の責め苦の果てに夢から救われ、己は現実で猟兵となる。
 だからこそ今日まで戦ってこれた。そしてこれからも戦えるのだ。
 救済の事実そのものが無くなったなら、自分はどうなる?
 この停滞、拷問も苦痛も無限地獄すらもないこの『いま』が。
 あの異形がもたらした悪夢であるなら。
 ――自分は、その虚無に耐えきれるのか?

「耐えきれるわ。当たり前じゃない、だって私には希望があるのだもの」
 本能はそう叫ぶ。この虚無を相手にしろというのなら相手になってやると。
 理性は諭す。痛めつけられることに耐えられても、その逆はどうだと。
 一説によれば、人はいかなる苦痛よりも、己が想像した恐怖によって狂ってしまうという。
 目隠しをした罪人の額に水滴を落とし続ける。絶え間なく落ちるだけのただの水だ。
 だがそれが一日二日、体感時間を喪失するまでに続くと、精神が先に音を上げるという。
「……私は、何を不安に思っているの」
 己の身を掻き抱く。
 その振る舞いすら敬愛する人への裏切りに思えて、魅夜は苛立った。
 耐えれる。耐えれるとも、あの時もそうやって耐え続けた。
 そして救済は、覚醒はもたらされたのだ。だから今も絶対に耐えられる。
「疑うこと自体、おこがましいわ。私は悪夢の滴なのだから……」
 乱れかけた呼吸を整えた。希望はいつでもこの胸のなかにある。

 1時間が経った。
 何の音もせず、何の匂いもせず、何の痛痒がもたらされることもない。

 6時間が経った。
 おそらく現実では1秒も経過していまい。悪夢とはそういうものだ。

 12時間が経った。
 それで? だからどうした。魅夜は鼻で笑った。くすくすと嘲りすらした。

 3日が経った。
 体感時間で、の話である。やはりこれも、現実では刹那の時のことだろう。
 だから、問題ない。何も、問題ない。――問題すら、ないのか?

 7日。14日。21日。1ヶ月。2ヶ月――。


「…………」
 待った。待ち続けた。たしかに耐えられはした。魅夜はいまだ正気だった。
 正気を保ててしまっていた。彼女は己が耐え続けた1分1秒をつぶさに記憶している。
 体感時間は現実のものさしで計れない。
 だが彼女にとって膨大な感覚伸長であることは言うまでもない。
「私は、あの方に会えないというの? もう二度と」
 口に出してから、なんと愚かなと己を諌めた。
 ……まだ諌められる気力があることに驚いた。
 だが待たねばならない。一度救われた以上、そうすることこそがこの敬慕の――。
「――待つ」
 すとん、と。
 頭の片隅にあった疑問が、パズルのピーズがハマるように噛み合った。
 何も与えられない虚無。苦痛も、挫折も、救済すら。
 ……どうしてそんなところに、わざわざ存在し続けねばならない?
 なぜこうして座り込み、犬畜生のように口を開けて待たねばならない。
 愚かな機械。何も生み出せぬ無様な木偶を相手に。前提がそもそも狂っていたのだ。
「……ふ、ふふ。ふふふ……くす、くすくす、くすくすくす」
 考えてみれば至極当然だった。悪夢は『越えようとする意志がなければ破れない』のだ。
 克己でもいい、逃避でもいい、打開でもいい。無論、忍耐でもいい。
 あの再演された苦痛が己にとっての悪夢だったなら、とうに耐えきったではないか。
「そうね。くすくす、そうです。そうでした。私はもう待つことなどしないと決めたの」
 立ち上がった。悪夢を終わらせるには、それだけで十分だった。

●現実
 目の前に現実の――いや、現実での意識を取り戻した。
 魅夜は当然のようにそれを受け入れ、当然のように腕を振り上げ、当然のように下ろした。
 物理法則に導かれ、鋼の鎖は鞭となって愚者を打つ。
 あっけないほどに簡単に、機械はひしゃげて砕けて爆ぜて潰れた。
「大事なことを思い出せました。ええ、ありがとう?」
 くすくすと。夜の名を持つ妖しの女は笑い続けていた。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

ノノ・スメラギ
ボクが見るのは、銀河帝国の手で滅びる母星を、脱出ポッドから慟哭とともに見守る情景、そして、滅びの光が消えた後、誰に回収されるあても無く宇宙を彷徨い、暗闇の中でコールドスリープに着くときの死の恐怖の記憶だ。

……でも、ボクは回収されて、目覚めた。
遥かな時が過ぎ、全ての大地はあの銀河帝国の害獣共に滅ばされ、今また、あいつらの手で滅びに瀕する、この世界に。猟兵として。
滅びた惑星の記録、そこに生きた人達の記録なんて、戦没者名簿のDBにしか残っちゃいない。
……このボクは、同じ星に生きた人達の、無念を、晴らさなくちゃいけない…………生き残ってしまったボクは!そうしなくちゃ前に進めないんだ!(技能:覚悟)




 ノノ・スメラギは銀河帝国を憎む。
 帝国に連なる有象無象を憎む。そも、敵だとすら思っていない。
「害獣ども……銀河帝国は、害獣だ。滅ぼさなきゃいけないんだ」
 数多の戦場で繰り返してきた言葉。
 ときに雄々しく、ときに華々しく、ときには熱烈な憎悪を込めて繰り返した言葉。
 明るく溌剌な少女の、しかしその言葉に込められた闇は深い。

 いま彼女が囚われている、この悪夢を包む闇のように。

●悪夢
「どうして『ここ』なんだ」
 ノノは呪った。ありったけの憎悪と怒りを込めて。
「どうして『この時』なんだ」
 ノノは呻いた。引き裂かんばかりの不安と悲しみを込めて。
「どうしてだ。くそっ、くそ! くそ!!」
 そして叩く。特殊強化された脱出ポッドのガラス窓を何度も叩く。
 だが、少女の拳でそれが砕けようはずもない。ついには額すら打ち付ける。
 皮が破れ、血がこびりつくまで叩く。憤怒に全身が震える。
 ……そして真の恐怖が来たる。怒りの熱が冷め、総身のわななきは質を変える。
「嫌だ」
 少女は嘆いた。誰かここから出してくれ、こんなところから。
「狭い。苦しい。暗い。冷たい」
 少女は怯えた。ここには誰も居ない、『死』しか存在しない。
「やだよ……やだよぅ、やだよぉ……」
 額から流れた血は眦を伝い、透明な雫と混ざって顎からこぼれ落ちた。

 耳が痛いほどの静寂。彼女ひとりを収容して、やっとの狭苦しい世界。
 かつて彼女には、住む場所があった。ともに生活を同じくする仲間たちがいた。
 家族がいた。友達がいた。馴染み深い場所が、それに連なるいくつもの思い出が。
 それらはすべて喪われた。誰によって? ……あいつらだ。あの忌々しい奴ら。
「あ」
 少女は、常ならば可能性すらありえぬほどのか弱い声を漏らした。
 そして顔を上げた……そこに何があるのか、彼女はわかっているというのに。
 脱出ポッドの小さな丸窓、切り取られたように垣間見える外側の光景。
 分厚いガラス越しに見る、宇宙。そこに在るかつての住処。
「やめろ」
 嘆きは届かない。懇願になろうとも、叫びになろうとも届きはしない。
「やめろ、やめろ! 殺すぞ、絶対殺す!! 必ず殺してやるからな!!」
 誰を? 何を? ……子供の癇癪じみた、否、それそのものの喚きだ。
 だが届かない。ここは悪夢の世界。この光景は彼女の裡より出でしもの。
 ガラスが震える。窓の外に眩い光が生まれた。それがもたらす衝撃に震える。
「あ、あ。あああ! あああああ!!」
 暗闇が照らし出される。血と涙にまみれ、慟哭する少女の相貌を映した。
「あああ!! あああぁああああああ!!」
 光が広がる。虚空を揺るがすすさまじい衝撃に、ポッドという小世界が二転三転した。
 少女は目を離せない。離すことが出来ない。

 そして彼女が慣れ親しんだモノは、すべて残らず消し飛んだ。

●我が赴くは
 ……暗闇のなか、少女の啜り泣く声が響いたのはどれほどの時のことだろう。
 所詮は夢幻。この場における時間に意味はなく、ゆえにこそそれは拷問となる。
 絡め取られたものの精神がくじけ折れぬ限り、悪夢は獲物を逃しはしない。
「……そうか。そうかい。お前たちはまたそうやってボクを苦しませるんだな」
 震える声で、ノノは呟いた。砕けた心のなか、くすぶる憎悪をかき集める。
 それは凍死寸前の遭難者が、必死で火種を集めて暖を取るようなものだ。
 いまだ恐怖というブリザードは彼女の心を責めさいなむ。
 昏く、狭苦しいポッド。その空間自体が、彼女にとっては致命の毒だ。
 否。だからこそ。……だからこそ、打ち克たねばならない。
「やっぱりお前たちは害獣だ。滅ぼさなきゃいけない悪だ」
 彼女に何もなければ、あるいはこのまま悪夢に心折られていたことだろう。
 だが。血にまみれ、涙をこぼし、泣き叫んでもまだ、彼女は立ち上がる。

 その手の中に、ありふれた一枚の小型端末があった。
 そこに収められているのは、ある戦いにまつわる戦没者たちの名簿だ。
 刻まれたのはただの名前と背景情報の羅列。冷たいビッグデータ。
 それでも。それを忘れてはならない。記憶として持つのは、彼女ひとりなのだから。
 苦しかっただろう。悲しかっただろう。奴らが憎らしかっただろう。
 無念を。慙愧を。己の心の炉にくべて、少女は燃やす。憎悪の炎を!
「……来い」
 そして呼ぶ。誰も居ない虚空、たったひとりの暗闇の中で。
 それは嘆きか? ……否である。嘆きならとうに枯れ果てた。
 あの時、あの暗闇のなかで。喉が裂けるほどにあげた慟哭。
 それはもう過去に棄ててきた。だから、今口にするべきはそんなものじゃない。
 流すべきは涙じゃない。目に映すべきは過去の滅びなどではない!
「来い! VMAXランチャー! ボクのもとへッ!!」
 口訣は、悪夢の帳を砕いて銃斧を喚んだ。
 それは、悪夢の終演を意味していた。

●現実
 ガラスめいて砕かれた世界。視界は現実へとクロスフェードしていく。
 それが彼女の内面世界による視覚化なのかはわからない。どうでもいい。
 いまや彼女の手には、慣れ親しんだ魔導デバイスがある。
 全身を包み込む数多の兵装。小さな体には星よりも眩く輝く漆黒の決意。
「害獣どもは残らず滅ぼす。お前も、あいつも、みんなみんな全員だッ!!」
 咆哮めいた決意に応じ、VMAXランチャーが射撃形態に変形した。
 金色の髪をたなびかせる魔力が収束し、破滅の光となって溢れ出る。
「ボクは前に進む。そのために消えろ――銀河帝国ッ!!」
 ガシャッ。銃口が狙うは異形の機械、悪夢の根源。銀河帝国の遺産。
 雄叫びは光の奔流をもたらした。圧倒的破壊は、ジャミング装置を飲み込み滅ぼす。

 それは決意だ。『貴様らもこうしてやる』という覚悟の表明だ。
 宇宙を貫く、長く眩い光の尾。それは、鬨の声を告げる狼煙に似る。
 あるいは、散りし者たちへの鎮魂の輝きか。答えは、戦いが終わった時に分かるだろう――。

成功 🔵​🔵​🔴​

レトロ・ブラウン
トラウマ:親友、知人、妹を含む無数のブラウン管型テレビウムの死骸
「……久シブり、でス。……カラー、ベータ、あァ、アナタはグレイでスネ。……そレに……『ノイジー』……僕の、妹」
「……時代遅れにナったカラ、と。皆で自分ノ死を選んだ。僕だケは恩人ガ僕にクレた、『存在する限り役割はある』といウ言葉ニ従い、生キ残った」
「でモ……やっパり辛カったです。一年はふさギ込んじゃイマしタ」
「でもネ、『モノクロ』。君が僕にクレたこノ『ボロボロのキーホルダー』。これガ僕に勇気をクレましタ」
「ダカら……」
「こんナ悪夢!僕にはモう効きはしマセんヨ!」
フックショットで飛び上がりジャミング装置に全力でキック!



●テレビウム・ガガ
 キマイラフューチャーは、エッジでビビッドな世界だ。
 そこに住むキマイラたちは、みんな新しいもの、かっこいいものが大好き!
 流行と聞けば即座に飛びつき、クールなものと聞けばみんな集まる。
 だから楽しい。ブラボー、キマイラフューチャー!
 アーティスティックでグラフィティな、刺激に満ち溢れた世界!

 それで? 古くなったものはどうなるんだ?
 そりゃあ簡単さ。誰にも見向きされずに打ち捨てられる。
 ダサいものなんて誰もほしくない。当然のことだろ?

●悪夢
 レトロ・ブラウンは古臭くてオンボロな、しかも壊れかけのテレビウムだ。
 生き物に『壊れかけ』という表現を使うのも妙な話だが、まあ猟兵は様々だ。
 スペースシップワールドにはウォーマシン、アルダワにはミレナリィドール。
 だからレトロ・ブラウンは、自分のことを紹介する時、その語彙を惜しまない。
 古臭くてオンボロな、せせっこましい画面に映った満面の笑顔。
 もうそれが、とっくに自分では変えられなくなっているのだから。

 だから彼は、悪夢のなかでも笑顔で居た。
 笑顔で見下ろしていた。かつての家族、友人、知り合い、それらの残骸を。
 然り、残骸である。彼らは死んでいる。
 そもここは悪夢だ。であれば、これらは生きていた頃すらない。
 レトロが知る過去を模した、最初からそうであるただの残骸だ。
 ……それでも、姿形を模されることは、悪夢に囚われた者にとってどれほど苦しかろうか。
 レトロの味わう悲しみと痛みは計れない。
 彼の画面には、ただ満面の笑顔が映し出されていたから。

「……久シブり、でスね。みンナ」
 笑顔のまま、レトロは呟いた。残骸たちはなにも応えない。
 倒れ伏すそれらは、みな顔面――画面が砕けていた。
 悪夢はただ過去を再生するわけではない。あの手この手で心を折ろうとする。
 レトロは笑顔のまま、ただその惨状を見下ろす。

 あるものはバールのようなものが串刺しになっていた。
 あるものは何度も地面に叩きつけ、苦しみながら逝ったのだろう。
 あるものは焼け焦げていた。別のものは……レトロは頭を振る。
「カラー、ベータ。あァ……アナタはグレイでスネ」
 見るも無残な残骸たちを、しかし彼はひとりひとり名前で呼んだ。
 親友がいた。お互いの画面に映るユニークな番組を見て笑いあったこともある。
 知り合いがいた。袖すり合うも他生の縁、なにかと助け合うこともあった。
 ……家族がいた。かけがえのない妹。レトロは笑顔のままだ。
 笑顔のまま。長い間、長い間その残骸を見下ろす。
「……『ノイジー』。ソう……ですカ」
 リボンの可愛らしい幼げなテレビウムは、特に残酷な姿だった。
 ……引き裂いていたのだ。古ぼけた己の体を忌むように、何度も何度も。
 レトロは笑顔のままだ。切り替えるダイヤルはとっくに壊れている。

「時代遅レにナったカラ。皆、そう言ッテいましタね」
 あの頃を思う。キマイラフューチャーの流行が移り変わった頃を。
 それ自体は何の変哲もない過去だ。誰もにとって当たり前の現象。
 だってそうしたほうが楽しい。新しいもの、かっこいいもののほうが面白い。
 古臭いものになんて価値はない。だからさっさと、ポイ。
 ……それ自体は悪ではない。なぜなら全ての生き物が同じことをする。
「僕たチは、皆、未来ニ進むタメに過去を消費シている……。
 皮肉なモのでスネ。皆の判断ハ、世界の外ニ出タら正しカッたんですかラ」
 だが、自分がそれを選ばなかったことを後悔はしていない。
 レトロの脳裏に、大切な恩人が与えてくれた言葉が蘇る。
『存在する限り、役割がある。どんなものにも』
 それを聞いた最初の頃は、意味がよくわからなかったことを思い返す。
 だが心が挫けそうになるたび、胸を揺り動かしてくれるのはいつもそれだった。
 生きている限り。この世に存在する限り、役割はある。
 為すべきことがある。……猟兵となって一番実感したのはそれだった。

「そレでモ、やっパり辛カったデすけどネ。
 一年くらいかナあ、ずっト誰ニも会わずに塞ギこんデいマシた」
 無理もない。ゆえにこそ悪夢もこの記憶を選んだのだろう。
 ……だがかつてのレトロは立ち上がった。だからこそ彼はここにいる。
 笑顔のままでここにいる。その裏にどんなものがあろうとも。
「……『モノクロ』」
 名を呼んだ。そして手のひらを開けば、そこにはぼろっちいキーホルダー。
 どうやらもともとはなにかがはめ込まれていたのか、くぼみがぽっかり空いている。
 キマイラフューチャーはおろか、どんな世界でもそれを欲しがる者はいまい。
 古臭く、ボロボロで、ダサくて無価値な、ただのキーホルダー。
 だがテレビウムたちよ、聞こえるかい? 今は亡き人々よ、見えるかい?
 ボロっちいキーホルダーは、けれどいまもまだある。守られてきたのだ。
 それを持つレトロの手が、かすかに震えているのを。テレビウムたちよ。
「君が僕にクレた、こレが。僕に大事な勇気ヲくレまシタ」
 そっと、大事そうに握り込む。心が暖かくなるのを感じる。
 どこか虚ろに見えた笑顔。変わらないはずのそれが、どこか変わったように見えた。
「……愛シていマすよ、皆。僕はズッとずっト、皆を愛しテいマス」

 ロング・ロング・ア・ゴー。キマイラフューチャーには人類がいた。
 彼らは多くのものを創り出し、改造し、やがて姿を消した。
 なぜいなくなったのか? 遺された者たちには誰もわからない。
 どの世界でもそうだ。いなくなった者たちのことは、何もわからないのだ。
 それでも遺されたものがある。文化は、創られたものは永遠に残るのだ。
 レトロは顔を上げた。変わらぬ笑顔が空を仰いだ。
 はるか彼方、どれほど手を伸ばしても届かぬ空にかすかな光明。
 あれだ。あれが悪夢の出口だ。だが古臭いテレビウムに届くはずはない。
 光がせせら笑うように瞬く。お前たちはこの廃棄孔で朽ち果てよと。

 いつのまにか、残骸たちは『屍体』に戻っていた。
 砕かれても、灼かれても、引き裂かれてもいない。記憶の通りの姿。
 一斉に画面に光が灯る。もう彼らは生きていない、それは悪夢の残滓だ。
 何も映さぬ輝きは、しかしレトロの笑顔を照らし出した。

 頷く。

「ムカァシムカシ。人類は夢を見ていました」
 ズズン――。
 音を立て、これまた古臭いデザインの、ダサくて芋臭いデザインの強化外骨格が現れた。
 レトロは、差し出された掌に飛び乗った。
 夢があった。自分たちはきっと、人類が見た夢の残滓なのだろう。
 ならば。負ける道理はない。
「こんナ悪夢! 僕にはモう効きはしマセんヨ!」
 飛翔する。光は遠のく。嘲るように瞬いて。
 飛翔する! かつての人類が夢見た未来と同じように、無限に。どこまでも!

●現実
 ジャミング装置のはるか頭上。レトロはいまそこにいる。
 笑顔が眼下を見る。宇宙の暗闇で、彼の放つ輝きは煌々と。
 誰もブラウン管の画面なんて見やしない。けれど、けれども。
「悪者たちをバッタバッタと倒す夢。そレは……こぉンな感じだっタんでスよッ!!」
 落下する。ブラウン管の放つ輝きは流星めいて尾を引く。
 速度と重力、そして質量を伴うキックが――KRAAAAASH!!

 ズシン!
 強化外骨格が消失し、レトロは地面に降りた。
 笑顔はいつまでも変わらない。ぎゅっとキーホルダーを握りしめる。
「……さア! 次ヘ行きまショウ!」

 テレビウム。いいや、古臭いと捨てられてしまったいろんなモノたちよ。
 きみたちはまだ、誰かに愛されている。きっとどこかで、必ず。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エミリィ・ジゼル
トラウマといえばあれですね。
7歳ぐらいの時、近所の森で遊んでたら超でかい蜘蛛が顔面にはりついたことがありまして。
あれはめっちゃビビりました。ビビりメイドでした。

そのせいか今も蜘蛛は若干苦手で。
見かけ次第全力で跡形もなく始末してるんですよ


…ん?なんでこんなところに蜘蛛がいるんですかね。
看過できませんね。ぶっ潰しましょう。

増えるメイドの術!からのー、多重暴れ回るメイドロボの術!
かじできないさん総勢23名による、マルチミサイル一斉射!

汚物は消毒だー!



●猟兵さん、あなたのトラウマなんでSHOW?
 軽快な番組開始ジングルが流れ、画面横からタイトルがドン。
『猟兵さん、あなたのトラウマなんでSHOW?』
 タイトルがそのまま向こうにヒュン。
 観客の歓声と拍手。カメラが天井からぐいーんとズームする。
『さあやってまいりました、あなたのトラウマなんでSHOWのお時間です!』
 ワー! 名物司会のタイトルコールに再び観客拍手と歓声。
『さて今日のゲストはこちら。エミリィ・ジゼルさんだ!』
 ワー! カメラが隣に座る青髪のバーチャルキャラクターに移る。
「ハイ、ドーモ! バーチャルメイドのかじできないさんでーす!
 ちなみにー、わたくしのトラウマはでっかい蜘蛛でーす!」
『ってもう言っちゃうの? 速すぎるよ~! 構成構成!』
 ドッ。ガヤの笑いのSEが入る。てへぺろ顔になるエミリィ。
「でもでも、いちいちトラウマのこととか思い返したくなくないですか?
 なくなくなくないですか? なくなくなくなくなくなくないですか?」
『なくなく言いすぎだよ~!』
 ドッ。ガヤの笑いのSEが入る。だいぶ鬱陶しい。
「まあいいでしょう。これ、詳しい経緯とかお話したほうがいいんですよね?」
 完全に仕事を奪われた司会はカメラ目線で肩をすくめつつ、頷く。
 エミリィは見た目だけはしずしずと座り直すと、にこりと微笑んだ。

 そして一気にはちゃめちゃに怖い顔になった。二十面相か何か?
「蜘蛛がね、嫌いなんですよね。あれは7歳の頃でしたか……。
 近所の森リゾートで遊んでたら、超でかい蜘蛛がいきなり顔面に張り付いてきたんです。
 顔面ですよ顔面、ありえなくないですか!? ありえなくなくなくな」
『なくなく言いすぎだよ~!』
 天丼である。ガヤの笑いのSE。ドッ!
「ええまあ、そんなわけでめっちゃビビりました。ビビりメイドでした。
 てなわけで、蜘蛛は見つけ次第全力で跡形もなく始末してマース☆」
『はいではこちらにエミリィさんのトラウマをお持ちしました~!』
 デン! 司会が両手に抱えるほどのサイズの蜘蛛がお出しされる!
「ッッキャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
 悲鳴! 美少女キャラにあってはならないヤバい顔だ!
 さらに下からライトで点灯! ホラー顔のエミリィ達が……ん、達?

 増えている! ポンコツメイドが増えている!!
「キャーーーーーからの蜘蛛は消毒だぁー!!」
 さらに悲鳴顔から即座に殺意120%スマイル、メイドロボに変身した!
 両手やミサイルポッドから放たれるミサイルの嵐! 気が狂いそうだ!
 ドドウドウドウ! ミサイルが荒れ狂い、司会や観客達が逃げ惑う!
「はっはっはー! これだけかませば蜘蛛も全滅でしょう!」
 勝ち誇るエミリィ、総勢23名。しかもメカい。

 そして蜘蛛は跳ねていく。

●それいけ! 猟兵学園!
 ここは清廉潔白、お嬢様たちの学び舎・猟兵学園。
 自由な校風で知られるこの学校に、今日新たなトラブルメーカーがやってくる!

「いっけないでーす、遅刻遅刻~!」
 食パンを一斤まるまる口に加えた状態で駆け出すメイド。
 彼女の名はエミリィ・ジゼル。ピカピカの入学一年生な14歳だ。
「入学初日から寝坊なんて散々です~! まあ朝までサメのゲームしてたからなんですケド!」
 カメラ目線でてへぺろ☆するエミリィ。急がなくていいのか。
 ともあれ食パンをもむもむ食べつつ、学園目指しひた走るエミリィ。
 すると十字路に差し掛かった瞬間、向こうから誰かがやってきた! アブナイ!
 ゴイ~ン☆
「いったたたぁ……ちょっと、誰ですかいきなり!」
 食パンはしっかりキャッチしたままぷんすこ怒るエミリィ。
 ぶつかったのは同じ猟兵学園の制服を着た……蜘蛛だ!?
「ギョエエエエエエ!?」
 悲鳴! 美少女キャラにあってはならないヤバい顔だ!
「エエエエエエ喰らえメイドビーム!!」
 突如として両目から放たれる怪光線! ZAAAAAAP!!
 だが男子高校生蜘蛛は器用に回避した。素早い。
「あ、このぉ! 待ちなさーい!」

 そして蜘蛛は跳ねていく。

●なかよし猟兵団!
 ここは猟兵町。楽しい仲間たちが愉快に暮らす平和な町だ。
 優しく穏やかな大人たちに見守られ、町のあちこちを舞台に駆け回る子どもたち!
 困った時はなんでも相談、いたずらしてもご愛嬌!
 それが猟兵団! そして栄えある団のリーダーこそが……。
「わたくし、エミリィ・ジゼルでーす☆ イエイイエイ」
 カメラ目線でダブルピースなどをする小学生ポンコツメイド。
 いつもの空き地を舞台に、頼れる団の仲間たちを振り返るエミリィ。
 そこにはわんぱくそうに絆創膏をくっつけた……巨大蜘蛛!!
「ボワァアアアアアア!?」
 悲鳴! 美幼女キャラにあってはならないヤバい顔だ!
「アアアアアアアアカモンマイシャーク!」
 ザッパーン! 空き地の地面から現れるサメ! サメ!?
 水陸両用の謎のサメに飛び乗るエミリィ。ゲットアンドライドだ!
「蜘蛛は絶対消し飛ばしまーす! 食べちゃえー!!」

 そして蜘蛛は跳ねていく。

●メイドのなつやすみ
 とてとてと、小さな小さな7歳のメイドが森の中を駆けていく。
 彼女の名はエミリィ。マイペースで、ちょっとポンコツなバーチャルキャラクターだ。
 さあ今日は、どんな遊びをしようか、エミリィは元気いっぱい!
 キラキラと瞳を輝かせるエミリィの顔面に巨大蜘蛛が! 跳ねてきた!
「うひゃあああっ!?」
 慌てて尻もちをつくエミリィ。蜘蛛はぴょんこぴょんこ跳ねていく。
「いきなりなんなんですかもー! 待てー!!」
 そしてエミリィは蜘蛛を追いかけて――。

●悪夢
「行くと、ヤバいやつですよねこれ」
 そこでエミリィは己の手足を見た。あの頃と同じ幼い体になっている。
 なって"しまっている"のだ。周りはあのときと同じ森のなか。
 ずいぶん素っ頓狂な夢だ。だがここに来るまで全く違和感を覚えなかった。
 ここは彼女にとっての原体験。では、『この先に行くとどうなる』のだ?
 次はいくつだ。4歳? 3歳? ……それで? その先に行くとどうなる?
「いやー、マイペースが信条のわたくしがノセられるとは危なかったですね~」
 ぱんぱんと土埃を払いつつ立ち上がる。 蜘蛛は奥へ奥へ跳ねていく。
「ま、苦手なら追いかけなきゃいいんですしね」
 彼女は踵を返した。蜘蛛に構わず森をあとにした。

 そして少女は去っていく。

●現実
 トラウマなんてものはない。と、彼女自身は思っていた。
 蜘蛛にしたって所詮は"苦手"なだけだ。忘れがたい忌まわしき過去などではない。
「だからなんですかねえ、怖い怖い」
 たいして怖くなさそうな、いつもどおりの様子でメイドは云う。
 背後のジャミング装置は、いつの間にやら火花を散らし煙をあげている。
 次はどこへ行って楽しもうか。弾む足取りでエミリィは去っていく。

 夢は夢。目覚めないなんてのは楽しくない。

大成功 🔵​🔵​🔵​

明石・真多子
悪夢…実はアタシ、芋煮艇の巨大冷凍庫に冷凍タコ焼きを一人で取りに行ったことがあって…迷子になっちゃったことがあるんだ…

そのまま身が縮み凍りついて動けなくなるし、一人で心細いしで今でも冷凍庫が怖いんだよぉ…

その時は仲間が捜索に着てくれたから助かったけど、見つからなかったと思うと…うぅ…

でも今のアタシにはタコスミセンプクがあるから大丈夫!
外に脱出用のタコスミがいつも撒いてあるから、足元にタコスミを新しく撒いて一気にワープ!
これで問題なく脱出できるからもう怖くないよ!



●タコ焼きとともに幽閉されて
「はあ~、疲れたぁ。まさかこんな深層まで降りることになってなかったよ~」
 足元に冷気が立ち込める、巨大冷凍庫深層。
 そんな寒々しい場所に似つかわしくない、露出度の高い格好をしたタコがいる。
 いや、タコではない。正確にはタコのキマイラだ。
 彼女の名は明石・真多子。……やっぱり人の形をしたタコではなかろうか?

 まあさておき。彼女の傍らには、持参したクーラーボックスが鎮座している。
 中にはカチコチの冷凍タコ焼きがありったけ詰め込まれていた。
 タコのキマイラなのにタコ焼きを食べるのは問題ないのだろうか。
 食べさせるとしてもなんだか妙に背徳的な響きになってしまうが……。
 こんなところまで降りてくるくらいなので、気にしていないのだろう。
「まあでも見つかってよかったよかった! さー帰らないとね」
 よいしょ、と重たそうなクーラーボックスを持ち上げる真多子。
「ふいー寒い寒い、早く戻って温まりたいな~」
 コートなりを羽織ればいい気もするが、どうもこれが彼女の正装らしい。
 謎の『軟体魔忍』なる流派を体得した真多子のこだわりといったところか。

 ……だが、ほどなくして真多子の表情が翳った。
「あれ? おっかしいなあ、この通路こんなに長かったっけ……」
 すでにチャンバーをあとにしてから5分。いくらなんでも長すぎる。
 まさか迷ったか? 道筋を確認してみる。間違っていないはずだ。
「寒いから感覚ヘンになっちゃっただけかなあ」
 首を傾げつつ、きゅっぽきゅっぽと吸着音を出しつつ歩いた。

「……やっぱりおかしい!」
 あれから10分。気がつけばまた同じ通路に戻っている。
 別のルートを試してみたが、結果は同じだ。
 しかも厄介なことに、この最初の地点に戻ってくるまでの時間はまちまち。
 おまけに移動するたびに、十字路やT字路、三叉路に行き止まりなど、構造自体が違う。
「いやいやいや! ありえないよこんなの、何がどうなってるの?」
 焦燥のなかで必死に思考する真多子。吐く息が白い。
 やはりこの格好がまずかった。とんでもなく寒い! 肌に霜が張りつつある。
「ううううう……ややややややばい……」
 かちかちと歯の根が合わない。
 いかにタコの特徴を持つとはいえ、キマイラは根本的に人体である。
 体中の触手が縮み上がり、人間部分もブルブル震えて青ざめていく。
「だ、誰か~! 誰かいないの~!?」
 震える体を両手で抱きしめ、必死にさすりながら力の限り叫んだ。
 応じる声はない。ただ静寂だけが響き渡る。

「ううう……で、でもみんな来てくれるよね? 仲間だもんね?」
 己に言い聞かせるように呟いた。
 同じ船で過ごしてきた仲間たちならば、自分の不在にすぐ気づくはずだ。
 ……だが、仮に来てくれたとして。この不可解な現象に巻き込まれたら?
 まさか仲間たちすらも氷漬けになって……いやそもそも自分はまだ死んでいない。
 "まだ"。このままなら凍死は免れないだろう。
「どうしよう、どうしよぉ……心細いよぉ……」
 ぐすぐすと泣き始める。流れ落ちた涙は、床に落ちるときには凍っていた。
 目元が張り付かないよう慌てて拭いつつ、必死に考える。

 考えろ。考えろ。あの時もそうだった。
 あの時はここで待ち続けて、救助を待ったはずだ。
 だから今回もそうすればーー。
「……あれ?」
 あの時? 待て。なぜ自分はこれと同じ状況を知っている?
「…………」
 何か。何か致命的なことを忘れている。そもそも『ここはどこだ』?
「ここは巨大冷蔵庫の……で、アタシは冷凍タコ焼きを取りに……」
 あの時もそうだった。いやそこではない。ここは……。

●悪夢
「あ! そうだ! そうだよ!!」
 思わず立ち上がる。
 もしも真多子が根本的な事実を思い出すのにあと少しでも手こずっていれば。
 彼女はおそらく、このままひとり孤独に凍死していただろう。
「まさかアタシ、取り込まれた時点で忘れてたの? ここが悪夢だってこと」
 うわあ、怖~! と別の意味でブルブル震える真多子。
 悪夢がそういう作用をもたらすこともあるらしい。一刻も早く脱出せねば。
「けど思い出したならもう安心!」
 真多子はおもむろに両手で印を結ぶ。触手も同じように。
「軟体忍法、蛸墨手裏剣の術! イヤーッ!」
 そして突然、壁に自慢のユーベルコード・タコスミケンを放った! ナンデ!?
 さらに印を結ぶ。軟体忍法に死角なし!
 触手腕を活用することで速度は100倍だ、わかるかこの算数が。エエッ?
「ふふん、油断禁物だよ悪夢くん! 軟体忍法、墨潜りの術!」
 そして壁に、正しくは壁一面を染め上げた蛸墨へと飛び込む!
 壁面にタックルをかますだけと思われた。だが……!

●現実
「ワッショーイ!」
 ワザマエ! 真多子はジャミング装置の前に高速射出エントリーだ!
 現実の遭難未遂事件後、真多子はこの忍法を編み出して備えとした。
 もはや彼女が冷凍タコになることはない。
 キマイラフューチャーのコトワザでいう『イカは冷凍すると堅い』のとおりだ!
「イヤッ! イヤッ! イヤヤヤヤーッ!」
 そしてタコスミケンを無数に乱射、ジャミング装置をまたたく間に破壊する。
 ……とはいえ危ないところだった。ドクター・オロチ、油断ならぬ敵だ。
「へっぷし! ……うう~、帰ってあったかいタコ焼き食べよ~」
 きゅっぽきゅっぽと吸着音を出しつつ帰還する。
 次なる戦いに向け、泳げ! 軟体魔忍マダコ、泳げ!

苦戦 🔵​🔴​🔴​

マハティ・キースリング
戦争孤児だった
帝国に就いたのは彼等に拾われ
戦う術を授かったから

遺物より放たれる光炎
外皮が剥がれ
忌まわしき病に侵食し
燃え上がり焦げ付き削がれる
同胞の輪郭が溶解し
埃の堆積物と黒い影を残す

幾度同じ光景を彷徨う
あの日
反射的に背けていた
拠点壊滅は私が発端だ

ち、違う
あれは呪いが…

いいや都合の良い呪咀など存在しない
お前が灼いた!
私が殺したんだ!!
分不相応な力を求め災厄に魅入られた時点で
因業は定まった

夢か幻か
再三現れた悪夢を砕くのは不粋な炎ではない
自身の手で

厄介者で構成された掃き溜め部隊6機
間抜けがトチって5機
隊列の空白が私の居場所

やるべき事は唯一つ
パイルバンカーで中核の御厳父を玉砕覚悟で貫く
この弾丸を篭めて



●残影
 夢を。眠るたびに夢を見る。胸のむかつくような悪夢を。
 マハティ・キースリングの歩んできた日々は、けして気持ちのいいものではない。
 夢というのが過去の追想に過ぎないならば、現れるのは血塗れの残影だ。
 身寄りなく、コミュニティから排斥されて生きていた頃の夢を見る。
 数多の世界があれど、親も家もない子供の辿る末路は二つに一つだ。
 飢えて死ぬか。他者を蹴り落としてでも生き続けるか。
「……生きていたかった。ただそれだけだった」
 述懐に感慨はない。今の強靭な肉体と精神は、思えばあの頃の経験があらばこそか。
 はたまた偶然に拾われ、兵役に就いてから得たものか、両方か。
 鋼の体を抱きしめる彼女の姿は、常日頃のマハティを知るものには驚くべき様だろう。
 実際のところ、いつもそうなのだ。張り詰め続ける精神。強がりと言ってもいい。
「だからまあ、少しぐらいは耐えられるつもりだったんだがな」
 嘆息。悪夢の風景に一陣の風が吹いた。

●悪夢
 風が、埃を吹き散らす。それはかつてマハティの仲間『だった』ものだ。
 だが彼らはもういない。
 うず高く積み上がる埃の山と、地面に焼き付いた黒い影。
 たったそれだけ。それだけが彼らのいたことを示す残影。
 ではなぜ、マハティという女はそう成ってはいないのか。
 ……問いかけるまでもない。女は自嘲の笑みを浮かべる。
「どうしたんだ、悪夢。『いつもみたい』に私の間抜けを晒しはしないのか?」
 挑発は傲慢から来るものではない。女なりの強がりでしかない。
 しかし皮肉の意図もあったのは事実だ。
 なぜなら、彼女はこの光景を――これをもたらした災厄を識っている。
 そして何度も、何度も夢に見てきた。悪夢とは長い付き合いだ。
 埃が風に舞う。やがてそれは砂嵐めいて周囲を、女の視界を覆った。

 悪夢が変転する。

《CQ,CQ! こちら秘匿物管理課所属、バーンズワース! 誰でもいい応答を願う!》
《助けてくれ! 光が、光が来る!! ああああ!!》
《なんでだ、なんで、どうして! 嫌だ、母さん!!》
 かつての仲間たちが最期に遺した通信が、あのときと同じように聞こえてきた。
 目を灼くほどの光。それはすべてを融かし飲み込む炎でもある。
 いかに強固な鎧を纏い、戦艦すら撃ち落とす砲を備えようと、彼らは人間だ。
 人間は厄災に抗えない。ただ伏して、どうか鎮まれと願うほかにない。
 それに飲み込まれたなら――諦めて、ただ塵となるしかない。

「私は、あんなことがしたかったんじゃない」
 不穏の影の臭いを感じながら、女は懺悔した。
 仲間を、同胞たちを光の炎に飲み込ませてしまったのは、彼女だ。
 死の火球、潜む者、道を阻む者。今もって彼女を苛む不運の根源。
 それが贖罪だというなら付き合おう。だがなぜこうして残影を私に見せる?
 マハティは声の限りに叫んだ。違う、私ではない。そんなつもりではなかった。

《いいや》
《いいや違う》
《お前だ。マハティ・キースリング。お前がやったのだ》
「…………」
 途絶えたはずの仲間たちの声は、怨嗟と憎悪に塗れていた。
 それは彼女を絡め取る呪いそのもの。呪詛とはまさにこれ。
 人は厄災に抗えない。あまりにも強大であるからだ。
 ……だからこそ、人は厄災を求める。人には扱えぬ力を求めてしまう。
「そうだ。ああ、そうだよ。そうだ!」
 鬼気迫る形相、埃舞う惨状の中で、かつて兵士だった女は咆える。
「私だ。私が殺した! 仲間を! 同胞を! 何もかもを!!
 あの光は、あの炎は私が生み出した。私が、あんたたちを灼いたんだ!!」

 何度も。何度も何度も、何度も何度も何度も何度もこの光景をさすらった。
 そのたびに声は呪う。お前こそが原因だと。我らの仇めと。
 のうのうと生きながらえ、安息地を求めてさすらうはぐれの女め。
 災厄を撒き散らすもの。お前こそが疫病神だ。居てはならぬモノなのだと。
 はじめは拒んだ。泣き叫び、頭を振り、耳を塞いで走り続けた。
 目覚めるたび、喉が砂漠のように乾いた。汗がとめどなく溢れた。
 何かを変えられるかもしれないと、抗おうとしたこともある。

 何も変わりはしなかった。
 あのときと同じように自分は手を伸ばし。
 あのときと同じように飲み込まれ、呪われ、変質した。
 無慈悲な光炎がすべてをなぎ払い、そして風が埃を洗い流す。
 厄介者の大間抜け。仲間殺しの大罪人。お前には何も出来ない。
 お前には何も変えられない。ただ力を振るう、歩く災厄。不運の源。
 お前が。お前こそが。お前自身が世界にとっての残影なのだ!

「違う!!」
 ぎりぎりと、鋼の拳を握りしめた。喪った幻肢痛が応えた。
「ああ、ああ。私が皆を殺した。全ては私のせいだ。
 けれどそれは違う。私はこの災厄に、不運に屈するわけにはいかないんだ!」
 不服と妄念が渦を巻いた。やがてそれは、埃の嵐の中でいくつもの騎兵となる。
 ……トレンチライターを握りしめる。脳裏に、敬愛するあの男の言葉が甦った。
 相対するものは悪夢だ。彼女にとって、乗り越え打ち克つべき壁だ。
 鎧装が展開し、馬鹿げたサイズの炸裂槌が迫り出す。チャンバーに弾丸をセット。
 たった一発、仕損じれば――いや、うまくいったところで相打ちか。
 結構だ。もはや悪夢のなかを彷徨うのはやめだ。全てを撃ち貫く!
「これは私の戦いだ。私の因縁だ。光でも炎でもなく、私がやる。
 私が、あんたの遺したもので過去を貫く。夢は醒めるから夢なんだ」
 ブースターがマハティを死地へと送り出す。狙いははじめから一点!
 火砲が出迎えた。鎧装は穿たれ、肉が、鋼が貫かれる。結構だ。結構だ!
《そうしてまた我らを殺すのか、呪われた女め!》
 男の残影が叫んだ。女は再び吼え……ようとして、瞼を伏せて、呟いた。
「――さようならだ、御厳父」
 嵐を抜け、はぐれの砲兵はいまその中核へと到達した。
 弾丸が放たれ、その威力を得た破城槌が炸裂する。

 轟音が、埃と影を吹き飛ばした。

●現実
「ごほっ」
 どうやら悪夢で受けたダメージは、少なからず現実にも作用するらしい。
 バックファイアによる苦痛で血を吐きながら、マハティは槌を引き抜いた。
 悪夢の根源は、余りある威力で穿たれ半ば崩壊している。
 ……彼女が見る悪夢そのものは終わらないだろう。過去はまたマハティを苛むだろう。
 だが。
「運の巡りが悪いのは、今に始まったことじゃあないんでね」
 大雑把で明るそうな笑みを浮かべる。埃の臭いはどこかへ消えた。
 お尋ね者の砲兵は征く。不運と厄にまみれた、当て所なき放浪の旅路を。

成功 🔵​🔵​🔴​

神酒坂・恭二郎
「悪趣味な罠だねぇ」

踏み込んで脳裏に浮かんだのは、師である銀河剣聖。
鮮やかな青のマントを羽織った無脊椎多足系宇宙人種の老剣聖は、年輪を刻んだ顔に澄んだ眼差しだった。

「お前は剣聖には至れぬ」

その言葉に胸を抉られた。
剣に生きてきた自分の芯を打ち砕かれる。
師のように万物に執着なく、全ての情を無にして宇宙と一体化する境地。
己よりも才に秀で師に期待された姉弟子も、肉親の情を捨てられずそこに至れなかった。
まして、それに劣る自分が届く訳がないのだと思い知らされる。
苦い挫折の記憶だ。

だが、それが何だと言うのだ。
命の有り場所を定めるのは自分だ。

「今の俺はスペース剣豪。それでいい」

銀河一文字が闇を切り裂いた。



●かつての話
 神酒坂・恭二郎が、まだひよっこ以前の卵であった頃。
 ともに鍛え、研鑽に励んできた女がいた。
 ……とはいっても、あの頃からずっと恭二郎は二番手に甘んじていた。
 力も、技も、もちろん知恵も。師に命ぜられた瞑想の集中力ですら。
 彼は彼女に勝てなかった。地稽古を挑めばかならず地に伏せられた。
 はじめは10秒。
 13秒まで耐えられたのは40回目のことだったか。
 200回を迎えるころには一分は凌げるようになっていた。
 防戦一方に徹すれば五分。この頃にはもう数えるのをやめていた。
「いま思えば、よくもまあわざわざ俺に付き合ってくれたもんだ」
 彼女からしてみれば、戯れだったのかもしれないが。恭二郎は常に死に物狂いだった。
 卵の殻にヒビが入り、よちよち歩きで剣の道を歩む日々。
 少しでも強くなりたかった。そのために彼女を越えたかった。
「……結局、お互い生きて雌雄を決する、てわけにゃあいかなかったがね」
 利き手でつい先頃穿たれた傷を撫でる。もう一方の手は柄尻を。
 あの勝利は、食い下がり続けた日々があればこそ――男の意地があらばこそ、か。
 しかしだとすれば、幾度の強情を許してくれた彼にも礼を言わねば。
「だからま、会いたいと思っていたんですよ。先生」
 応える眼差しは、水月のように澄み渡る。

●夢
 話を聞いた時は、悪趣味な罠もあったものだと感じた。
 だが、それゆえに――己が囚われる夢の有様もすぐに浮かんだ。
 そして、それは正しかった。周りは、ああ、慣れ親しんだ練武場か。
『そうか。お前は、あれに打ち克ったか』
 鮮やかな蒼の外套を羽織り、目深に被ったフードの奥は底知れぬ。
 かすかに見えるのは、そう、水月のように澄んだ眼差し。
 かと思えばそれは激情に燃えることも、岩のように厳しくなることもあった。
「ええ。あいつの癖は、最期まで変わっちゃいませんでしたよ」
 苦笑する。掌を晒し合っての決闘など、剣客としては下の下だ。
 実戦においては読み合いもまた技の一つ。自分の勝ち星は搦め手である。
『されど勝ちは勝ち。お前の念願、叶ったようでなによりだ』
 ……やはりこの人には勝てないな、と。恭二郎は想った。
 叱責されるのを期待、いや恐れていたふしもある。剣士に非ず、だなんて。
 それは、己が未だこの老いた師に、銀河剣聖を名乗っていた彼の、足元にも及ばぬ証左なのだろう。
 たとえそれが夢のもたらした残滓であれ。

 練武場の外、人工植林された宇宙桜花がひらりと散った。
 贅に凝らずさりとて風雅をたたえる、在りし日の庭の風景。
「見てると懐かしくなってきちまいますねぇ。ここで酒が飲みたいもんだ。
 そうそう、俺ぁね、先生。だいぶイケるクチになったんですよ」
 くい、と盃を傾けるような動作をして、ニヒルに笑う。
 フードの下、くく、と師が笑った。好々爺めいた笑みだった。
『若造がよくほざく。お前のことだ、笊を気取が精一杯であろうて』
「そりゃ心外ですなぁ。いいじゃないですか先生、一献付き合わせてくださいよ」
『お前にはまだ早い』
 このやりとりも、あの頃何度繰り返したものか。
 師は諸行無常、この世の欲というものから一切無縁に思える人だった。
 だがふと気づくと、この庭を眺めて静かに盃を傾ける日もあったのだ。

 ……ある日、一滴拝借とばかりに、師の酒瓶をくすねたことがある。
 だが中身は空だった。しこたま叱られたあと、当時の恭二郎は問うた。
「空の酒瓶を横に置いて、空の盃を傾けて何が楽しいのです」
 師は応えた。
『やはりお前は未熟よな。ここにたしかに並々と、美味い酒があるではないか』
 ……盃を覗き込み、やっぱり空だったのをよく覚えている。まるで禅問答だ。

 おそらくそれにも、何がしかの剣に通じる教えがあったのだろう。
 万物に執着せず、されど風のように触れる。
 一切の情を棄て、しかし林のように包み込む。
 銀河剣聖の境地とは斯くあるものだと教えられた。いまでも及びつかぬ境地。
『剣を通して我欲を棄て、情を伐り、以て宇宙と合一す。これぞ我が極意なり。
 その教え、ゆめ忘れてはなかろうな。我が弟子よ』
「……ええ。よく覚えておりますとも。だから俺は――」
『――ゆえにお前は、我が境地には至れぬ』
 後の先を取られた。恭二郎は目を見開く。
『お前は剣聖には至れぬ。せいぜいが、長き道の入り口を仰ぐが関の山なり』
 姉弟子の突きは効いた。だが師の言葉の、己の心の央を穿つ鋭さたるや。
 ただその一言が、心を、恭二郎の全身をバラバラにヒビ割り砕いたようにすら思えた。
 驕慢があった。師に比肩するとは言わずとも、多少は及びもしただろうと。
 傲慢があった。我こそはいま、越えるべき壁を越えたのだと。
 全て。全て、刃なき言葉の一撃が、恭二郎の自負とともに打ち砕いた。
 天禀を享けた姉弟子ですら捨て去れなかった情愛。己が伐れるはずもなし。
『諦めよ。お前に剣の道は向かぬのだ』
 それは死刑宣告めいていた。
 ――だが。


「……やっぱり効きますねぇ。あア、あの時と同じだ」
 剣豪は立ち上がった。ざんばらのくせっ毛を風になびかせて。
 さもありなん。かつての師の言葉、かつての挫折。それは全て過去。
 舐め飽きた辛酸があった。渡り歩いてきた鉄火場の数がある。
 ゆえに再び折れようと、男はまた立ち上がる。なぜならば。
「ですが先生。俺アね、剣聖でなくともいいんです。なぜならば――」
 桜花が散り、花びらが舞う。音もなく、剣士ふたりすでに構える。
 風あり。桜あり。ならば子たる我が身に風桜子あり。これぞ!
「神酒坂風桜子一刀流、スペース剣豪。推して、参ります」
 剣の聖にゃ程遠く。されど剣の豪さは骨身に沁みて。
 心を胸に手は柄に――命の置き場ぞ、此処に在り。

 はじめから決めていた。師が現れるなら正面から向き合おうと。
 たとえいつ斬られてもよい。そう覚悟しての胡座であった。
 風が吹いた。剣閃が二条、闇をつんざいた。

 白々と、映える刃は、一文字。

●現
 派手な着流しの男がひとり、誰もいない船の残骸をそぞろ歩く。
 口許には伊達男めいた不敵な笑み。肩で風切るこの男。
 誰が呼んだかスペース剣豪。それで善いと彼は云う。
 はるか背後。断ち切られた悪夢の残骸が、ずるりと断たれて火華に萌えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ヴィクティム・ウィンターミュート
・トラウマ
幼く、力もない。クソのようなストリートで、いつ来るかも分からない死を待つだけの、名前もないガキが俺だった。
その日は特別も仲良くもないガキと、死体漁りをしていて…そこで、酔ったストリートギャングの一人に絡まれた。
憂さ晴らしのような暴力。一緒にいた奴はもう助からない。
踏みつけにされて、このまま己も緩やかに死ぬんだろうと、諦めて。

・乗り越える
そこで、近くに転がるガラス片を見た。そこで初めて、生きたいと思った。
傷つくのを厭わず、ガラス片を握る。倒れてるガキが、ギャングの脚を掴んだ。俺は、奴の頭に──

(UCで平静を取り戻し、ガラス片=クラッキングで幻影のギャングを殺します)

アドリブ歓迎



●迷憶仕掛け
 冬の曇り空を見上げると、あのクソふざけた灰色の天蓋を思い出して嫌になる。
 ああ、天蓋だ。けして晴れぬ灰模様、息を詰まらせる誰かさんのかけた檻。
 ヴィクティム・ウィンターミュートが、まだその名も持たなかった頃。
 真の意味での迫害者(victim)であった頃。いまだ終わらぬ幼年期の始めの初め。

●悪い夢、冬の灰空
「ハ! いいね、チルだ。ああ、マジにいい。マジにロークなもんだ」
 しかめっ面を無理やり皮肉の笑みに変え、カウボーイは呟いた。
 実際こいつはとんでもなくスワッグな電脳魔術だ。さすがは銀河帝国の頭脳。
「お礼に2秒でフラットラインさせてやるよ、クソドクターめ」
 元凶たるドクター・オロチへの、決して届かぬ罵詈雑言を吐き捨てる程度には。

 カウボーイは歩く。生ゴミとゲロの饐えた臭いが立ち込めるストリートを。
 灰の天蓋を被された、狭っ苦しい網の目地獄。ここはそういう場所だ。
 そういう場所だった。彼はそんな場所で、その日暮らしを続けていた。
 ヴィクティムは通りを歩く。目の前にガラの悪そうなチンピラがいる。
 ヤツが建物の隙間を横切った瞬間、そこから小動物めいて何かが飛び出した!
『あぁ!? あ、オイこらクソガキ! 待て!』
 飛び出したのは子供である。チンピラはぶつかってよろめき、すぐに怒髪天を衝いた。
 さもありなん。その一瞬で、やせ細ったストリートチルドレンはスリを行っていたのだ。
『ハハ! ヘイヘイ、かかってこいよホラホラ~』
 チンピラの偉そうなヤクザ歩きを真似て挑発するクソガキ。
『バカッ、さっさと逃げんぞ、オイ!」
 隣にいた多少頭の切れそうなもう一人のガキが仲間を急かす。
 チンピラはよくわからない罵詈雑言を叫びながら拳銃を取り出した。BLAM、BLAM。
 当たらない。それに気を良くしたガキどもはまた振り向いて挑発し――BLAM。冷静そうなほうが死んだ。
『あ! あああ、アアアーッ!!』
 財布を持っていたほうが泣きながら駆け寄ろうとする。BLAMBLAM。頭と肩に当たって死んだ。
「…………チッ」
 カウボーイは一瞥し、足を動かす。関わり合いになろうと思ったが、やめた。
 そもそも足を止めた時点でヤワくなったものだと自分で思う。
 普通なら、あのガキどもがやらかした時点でとっとと逃げるのが利口なやり方だ。
 ブチギレたチンピラが銃を乱射して、流れ弾を食らったらひとたまりもない。
「俺はもうあの頃とは違うんだ。そもそもここは――」

 再び足が止まる。
 ここは悪夢だ。そしてヴィクティムは、あのワックドなチンピラを識っている。
 『あの時はきちんと隠れていた』のだ。そう、あそこの廃墟に飛び込んで。
 一点を凝視するヴィクティム。その記憶通り、割れた窓から一人のガキが這い出てきた。
 左右を見てチンピラが去ったのを確認。中にいる誰かに合図する。
 遅れてもうひとりのストリートチルドレン。……名前は思い出せない。そもそも無かったか。
 ちょうどその時、裏路地からパン! と乾いた銃声がした。
 一瞬身をすくめつつも、少年らは顔を見合わせて裏路地へ向かう。カネの臭いがしたのだ。
 向こう見ずなガキ二人のかたっぽは、ヴィクティムとよく似たツラをしていた。

●カウント0
 きっと、そいつはどこかのマフィアの鉄砲玉だったんだろう。
 そしてヘマをこいた。だから処刑された。おおかたそんなところだ。
 額にいいのを食らってフラットラインしちまったそいつの屍体に、ハイエナめいて群がる影ふたつ。
 あの霧の街で見た幻は、今のフザけた世界よりよほどマシだった。
 カウボーイは心の中で毒づいた。あれは俺だ。かつての俺だ。

『おい、オイ。見ろよチューマ! ハハ、こいつイイの着けてんぜ!』
 馴れ馴れしく、名無しのガキがクソ野郎の手からギラギラした腕時計を引きちぎった。
「"もぎ方"が下手すぎんだよ。あーあ、これじゃホースだ」
 "俺"は嘆息した。これじゃ売値は半額以下だろう。
 唇を尖らせて拗ねるガキを放っておいて、"俺"は懐を漁った。
 当然財布なんてもんはない。……少し考えたあと、ナイフで左足の裏を裂く。
 アタリだ。こいつ、ヘマをこいたくせに妙なところは用心深いらしい。
 左足は義肢だった。中に素子を仕込んでいたようだ。いいアガリだ。
『やったぜ! ラッキーだな俺たち、なあ他にも何かないか漁ろうぜ!」
「落ち着けって。いいけどそろそろ誰かが――」
 "俺"の予測は当たった。千鳥足の男がひとりふらふらやってくる。
『あぁ? なんだガキども、生意気に死体漁りかよ。イヌみてーだな』
 相当ヤッてるな、と"俺"は思った。酒。ドラッグ。関わり合いになるべきじゃない。

 別に、死ぬことが嫌なわけじゃない。
 この街も、空も、生きてる連中もなにもかもクソだ。
 なら、外にもクソしかないんだろう。クソで出来たクソ溜めだ。
 ただ、その日は名前も知らないガキが隣にいた。だからそいつに合わせてた。
 "俺"、いや、ヴィクティムは回顧する。そしてようやく状況に気づいた。
 いつのまにか、自分は夢の中の過去の"俺"と同化している。
 あのときと同じ少し低い視点からクソ溜まりを、クソ野郎を見上げていた。
 ワックド野郎がこちらへやってくる。何かを怒鳴っている。
 逃げようとした。名無しのガキの顔面に、大人のゲンコツがめり込む。
 気づいたら同じのが"俺"に叩き込まれた。鼻骨が砕け、前歯がへし折れる。
「ぶ、ぐふ……っ!?」
『ナメてんじゃねえぞコラァ!!』
 腹に蹴り。昨日に食べたっきりのカビたパンがぶちまけられた。
 ストンプ。どっかの骨がイカれた感じがする。脳を揺らされて一瞬気絶した。
 頭がぼやっとしてくる。くそったれ、やっぱり死ぬのか。ヴィクティムは吐き捨てる。
 このクソみたいな街で、クソみたいな空に見下されて。でもいいか、死ぬのは別に――。

●ヴィクティム・オーヴァドライヴ
「――イヤだ」
『あ?』
 死ぬのは、嫌だ。
 あの時もそう思った。今もそうだ。こんなところで、フラットラインなんざごめんだ!
 カウボーイの目には見えていた。割れて尖ったガラス片。掌が裂けるのも厭わず掴み取る。
 ジャンキーが彼を踏みつけようとする。よろめいた。軸足にしがみつく名無しのガキ。
「へ、へ。やるじゃねえか、相棒(チューマ)」
 もう覚えちゃいないガキに、その幻影に、ヴィクティムは言ってやった。
 ああ、まったくロークな電脳魔術だ。マジにチルだと心から思う。
 思わず呑まれた。ストリートランナーが情けない。スクィッシーも同然だ。
 ランナーには掟がある。シンプルだが大事なルールだ。

 背中に気をつけろ。
 ためらわず撃て。
 タマを切らすな。

 ヴィクティムは銃を持たない。握りしめるのは鋭いガラス片、透き通って氷のような。
 だが違うんだ、チューマ。こいつはどちらかというと、氷(ICE)を砕く自慢のブツだ!

 ガラス片=ICEブレーカーを握りしめる――ジャンキー=悪夢の悲鳴/相棒の叫び声。
 クソ野郎への皮肉の笑み/ノロマなストンプ=最期の悪あがき。
 ICEブレーカーを叩き込む=『──演算能力拡張完了。これが、Arseneの本気だ』

 世界がごたまぜにかき混ぜられて、かき乱されてぶっ壊れた。
 灰色の天蓋が、砕け散る。

●現実
 ジャミング装置、機能停止(フラットライン)。ヴィクティムは現実に帰還する。
 鼻血を拭い、唾を吐き捨てた。気分は最悪だ。だが妙にスカッとしている。
 頭上を仰いだ。どこまでも広がる宇宙、真っ暗でシケた同じ景色。
 それでも、あの頃よりはよほどマシだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

フェルト・フィルファーデン
あれは、もう数年前
私の国は消え去った
黒く暗い穴に吸い込まれて
家が
城が
民が
騎士が
全てが消えていく
未だにあれがなんなのかはわからない
ただ1つわかっている事。それは
国を失った私は、もう姫ではない

ふふっ、そうよ
これは私しか知らない事実
変えようのない現実
でもね?私、諦めてないの
だって、今の私にはこの猟兵の力があるもの!
この力で、私は全てを取り戻すわ
家も城も民も騎士も全部!だって、私の家族ですもの!
さあ、行きましょう騎士達よ(でもそれは人形よ?)
虚構を事実に変えるのよ?(死んだ人は生き返らないのよ!)
私が諦めない限り、フィルファーデンの国は終わらないわ


――この程度の幻で、私の歩みを阻めると思わないで。




 きらきらと輝く、プラチナブロンドのウェーブヘア。
 ぱっちり開いた瞳は麦穂のような金の色。どんなときにも優しげで。
 白い肌は雪に似る。とても小さな、けれど可憐で美しいお姫様。
 大きな大きな人形さんを引き連れて、今日はあちらへ、明日はこちらへ。
 歌い、踊り、笑顔の花を配るひと。妖精の国のお姫様。
 それがフェルト・フィルファーデン。誰もが羨むお姫様。
 民の皆が愛するお姫様。気高き騎士たちの主、可憐で瀟洒な――。

 そうで『あらねば』ならない、可哀想な女の子。

●妖精の国にて
「ふふっ、おはようじいや、それにばあやも!」
 朝も早くから、元気に目覚めを告げるフェルトに、世話役のふたりも穏やかな笑みで挨拶を返す。
 大きな大きな――ただし妖精サイズの、だが――お城は、それ自体がフェルトの庭だ。
 いや、城に限った話ではない。このお城の外も、周りに広がる城下町も。
 そのさらに外、風にたなびく麦穂の海や、色とりどりの花畑も。
 全部全部、フェルトのものだ。そこに住む人々も、家も、なにもかも。
「ああ、今日もおひさまが綺麗ね。ふふふ、素敵な一日になりそう!」
 燦々と国土を照らす太陽を見上げ、お姫様は柔和に微笑んだ。
 さあ、今日は何をしようか。昨日はたしか、じいやと一緒に歴史のお勉強をしたんだった。
 そのあとは騎士たちを連れて散歩に出かけた。それもお姫様のお仕事だ。

 そう思っていたら、ちょうど強く気高い騎士たちが列をなし彼女を出迎える。
 一揃いの鎧を纏い、きらきらと光り輝く銀の剣をがしゃりと掲げアーチを作る。
「あらあら、ありがとう? なんだか照れくさいわ」
 もじもじと恥ずかしそうにしながらも、お姫様らしく堂々と。
 剣のアーチをくぐり抜け、お城のバルコニーへと躍り出る。
 見下ろす家々の戸の前に、通りに連なる国の民たち。フェルトの姿を見るなり喜んだ。
 摘んだばかりの花びらを、いっせいに宙に広げて姫君の名を呼ばう。
「まあっ、素敵な贈り物ね! おはよう、お祝いしてくれて嬉しいわ!」
 両手を大きく大きく広げ、声の限りに笑顔で応える。民たちは手を打ち鳴らした。

 おお、フィルファーデンの姫君よ。我らの愛する可憐なひとよ。
 そのかんばせは花のよう。
 紡ぐ声音は蜜より甘く。
 微笑みは太陽が妬むほどに輝かしく。
 ひとたび踊れば風すらも羨もう。
 あなたの喜びは我らにとっての豊穣。
 あなたの悲しみは我らの悲しみ。
 我らが紡ぐ、いかなる織物よりも。
 我らが織る、どんな絹糸よりも尊きお方。
 おお、フィルファーデンの姫君。我らの宝、我らの希望、我らの主よ!

「ええ、ええ。私もみんなが大好きよ! ふふ、みんなみんな大事な大事な仲間だもの!」
 じいも、ばあも、騎士たちも、民たちもその言葉に喜んだ。
 頷き、涙ぐみ、盾を鳴らし、歌い踊って飛び跳ねる。まるでお祭り騒ぎだ。
 そんなさまをにこにこと心からの笑顔で見守りつつ、ふとフェルトは思った。
「……けれど、今日はそんな特別な日だったかしら?
 私のお誕生日はまだ先だし、収穫祭には早すぎる。ええと、ばあや、今日は――」
 どんなお祝いごとなのかしらと、彼女は振り向き問おうとした。

 その時、すべてがすとんと落ちて消えた。

●悪夢
 突然のことだった。
 妖精たちの足元、暗く深ぁい、大きな大きな――とても大きな孔が開く。
 まるで獣の口のよう。龍が開いた顎のよう。けれどそこには牙はない。
 ただただ、闇がある。どこへ通じるかもわからぬ闇が。

 家が呑まれた。
 樹が消えた。
 花は散り、虫は死に、獣たちは怯えて吠えた。
 民は救いを求め、騎士たちは抗おうとして心折れ、じいやもばあやも……噫。

 みな消えた。家も城も民も騎士も、大事な人たちも何もかも。
 もう誰も笑わない。もう誰も糸を紡がない。もう誰も綺麗な布を織りはしない。
 そこには何もない。妖精の国は、真夏の夜の夢のようにすっぽり消えた。
「…………」
 お姫様は――否、妖精フェルトは、金色の瞳を闇の中でただただ大きく見開いた。

 なぜ姫と呼ばないのかと? そんなことは問うまでもないはずだ。
 だってここには何もない。城も家も民も騎士も、じいもばあも誰もいない。
 花もなく、蜜を運ぶ虫たちも、のどかに暮らす獣も誰もいない。
 太陽が照らすのはただひとり。雨が打つのもただひとり。
 風は彼女を妬まずに、雷だっていちいちその子を狙いはしない。
 お姫様は、国があるから姫なのだ。
 守り、慈しみ、尊んでくれる人々がいるから姫なのだ。
 それがなければ何になる?
 美しく、可憐で、けれどそれだけの女の子は何になる?

「……何にも、ならない」
 フェルトは呟いた。
「私はただのフェルト。お姫様でもなんでもない、人形手繰りのただの妖精」
 まるで舞台の上で謳うように。大きく大きく手を広げ、闇を見上げて朗々と。
「私には何もない。あれがなんなのかもわからない。
 あの日、あの時、全てを奪い取ったあれがなんなのかすらも!」
 観客はいない。彼女とともに舞台を彩る役者もいない。
 ただひとりきりの劇場。彼女だけが知る、フィルファーデンの国の真実。
 悪夢というライムライトは、孤独なしろがねの君を残酷に照らし出す。

 けれども。

「ふふ。そうよ。ええ、そう。変えようのない現実、過ぎて去りしかつての頃」
 彼女は笑っていた。民たちに向け、騎士たちをいたわったときと同じように。
 過ぎて去りしかつての頃、お姫様であったときと同じように。
 柔和で、可憐で、太陽が妬み風が羨むような、優しげな笑顔を浮かべていた。
「でもね? 私、諦めていないの。なにも絶望してはいないのよ」

 それは嘘か誠か。
 強がりなのか心からの本音なのか。
 傲慢なのか、世間知らずのわがままなのか。
 世界に我を張る気高さなのか。
 全ては彼女のみが知る。
 そして彼女が言葉にするなら、それは確かに真実だった。
 少なくとも、彼女にとっては。

「私にはこの力がある。あなたたちを打ち砕き、未来を護るこの力が」
 猟兵。生命の埒外、過去の化身を討つもの。
 世界すらも飛び越えて、敵対者を狩る無慈悲なるもの。
 世界法則すらも飛び越える神秘の力、ユーベルコードを編むもの。
「これで私はすべてを取り戻す。家も、城も、民も騎士も何もかも。
 全部、全部よ。あの時を、あの空を、私の国を、家族を取り戻すの!」

 応、そうとも! 我らフィルファーデンの騎士、姫に誓いし忠義の騎士!
 騎士たちが現れた。銀の剣を掲げ、気高きおもてを兜で覆い。
 彼らと姫は繋がっている。神秘の輝きによって繋がっている。

 然様、我らは姫の従僕なり。さあ、いざや立ち上がれ、フィルファーデンの民よ!
 兵士たちが続いた。弓を、剣を、杖を槌を槍を鞭を掲げて立ち上がった。
 ひと、ふた、みい、よ。いつ、むつ、なな、やつ、ここの、とお。
 彼らと姫は繋がっている。十の糸と、それを操る指輪で繋がっている。

「ああ、私の騎士たち。じいや、ばあや、私のしもべたち!」
 現れたものものに微笑む。彼らは笑い、うやうやしく礼をする。
 人形のように一律に。人形だからまったく同時に。そうだこれは人形だ。
「さあ行きましょう、こんなふざけた悪夢を終わらせるの!
 虚構を事実に変えて、在るべき未来を取り戻しましょう!」
 命なきしもべたちは武器を構える。
 命ありし、亡き人々と同じ姿で。
 けして取り戻せぬ過去の姿、夢想のかたちのままに姫に従う。
「私が諦めない限り、フィルファーデンの国は終わらない。
 私が願う限り、私はお姫様。妖精姫フィルトはここにいる。ここにいるの」
 思い通りに動く、思い通りにしか動かないしもべたちを引き連れて。
 ――眦から溢れたきらめきは、白金の波を泳いできらりと消えた。

●現実
 そして姫は往く。私は姫だと闇に叫ぶ少女が往く。
 悪夢は終わった。闇は彼女を阻むに至らない。目の前にはそびえる異形!
「わたしの命はあなたたちとともに。さあ、わたしの騎士たちよ!」
 最強の騎士/と信じるただの人形/たちが。
 悲劇を終わらせるため/もはや姫に非ぬ/その身を呈する覚悟を受けて。
 どんな絶望にも屈しない/哀れで孤独な/諦めの悪さに從って。
 剣を振るう。盾で弾く。波濤は異形の装置を襲い、包み囲んで破壊した。

「…………」
 長い長い静寂があった。フィルトはただただ、ずっとずっと笑っていた。
 顔を上げる。流れかけた涙を、それとわからぬように払うかのごとく。
「さあ、これで劇は終わり! けれど人形劇はまだまだ続くのよ!」
 誰もいない舞台で少女は叫ぶ。明るく、気高く、溌剌と。
 ――だって私はお姫様。皆が愛する、皆を愛するお姫様。
 "さに非ず"と突きつける世界に抗うように。

 誰にも見えぬ心から、紅い赤い涙をとめどなく流しながら。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

パルミリーリル・アーティルノッド
(設定はガンガン生やしてOKです!)

『■■番、書物を解読せよ』
滅びたはずの人類が、スピーカ越しにそう告げる。
わたしはUDC怪物と称され、この研究所に収容されている。
ここには人間の孤児も多く居て、わたし達はUDCに関わる実験をされてました。

指示された部屋で魔導書を開くと、頭の中が乱される。
幸いにして、あるいは不幸にも、わたしはこれにも耐性が有ったようで……今日もわたしは、生き延びました。
だけどもう、故郷のことすら思い出せない。

傍に転がっていた、人間だったはずの異形の骸を棺に納めて、処理室へと引いていく。
制御不能の怪物になれば、見えない毒で命を奪われるそうです。
いつかわたしもこうなるのでしょうか。



●2████/██/██に開かれた審問会における、████博士の陳述より抜粋
 ――結論から言えば。やはりあれに手を出すべきではなかった。
 我々の仕事は過酷なものです。時には無慈悲な選択を採ることもある。
 私の4人目の助手は、赴任して3ヶ月目で喉を引き裂いて死んでいました。
 ええ、そうです。UDC-█████の実験に関わったのが彼女です。

 ミーム災害?(博士は嘲笑を浮かべる)何を莫迦な。
 あれは書類上の言葉選びというものですよ。……そうです、自殺です。
 いいえ、私は立場上の保身から改竄をしたわけではありません。
 誓って言います、私は倫理委員会が怖かったわけではない。
 彼女の人間性を肯定することは、私の人間性を肯定することでもある。
 そうしていれば、次に自殺していたのは私でしょう。
 そのぐらい、あの実験は過酷だった。私にとってすら。

(いくつかの問答が行われるが割愛する)

 では、むしろ私から逆に問いたい。
 あなたがたはなぜUDCにいるのです?
 なぜこの職務に就き、その地位に着いたのですか。
 我々は人類を護る組織だ。この世界をこの世界として存続させるものだ。
 不可視(Underground)、防衛(Defense)、団結(Corp)。
 これこそが我々の理念だったはずでは?
 なぜ誰も疑問に思わなかったのです。なぜあれを続けようとした。
 はっきりと言おう。あなたがたは何もかもを履き違えている。

 これこそがUDCだと?(博士はせせら笑う)それは結構。
 ならばいますぐにでも名前を改め、発布すればよろしい。
 醜悪で(Ugly)、狂った(Deviation)、掃き溜め(Crapper)にね。

(武装警備員が博士を取り押さえる。博士は叫ぶ)

 お前たちは人間じゃない! 人でなしのクズどもめ!!

●パルミリーリル・アーティルノッドの記憶
 小さな少女が、錆びて煤だらけの牢獄に閉じ込められていた。
 どうやらあちこちにこびりついた汚れは、かつて人間だったものの残滓らしい。
「おやおや、おやおやおやおや!」
 少女――いや背丈からすると幼児というべき――は楽しげに口を開いた。
 パルミリーリルは狂人である。昼は色濃く、夜は多少薄らぐが。
 彼女の精神を包む狂気は霧めいて濃く、雨のように絶え間ない。
 ゆえに彼女はきらきら目を輝かせ見渡した。
 かつて己が囚われていた部屋を。そこに転がされた孤児たちの姿を。

「なるほど、なるほどですねぇ! これがわたくしの悪夢でございますか!
 いや実際、正しい選択でございますねぇ。嫌ないやぁな思い出でございますからねぇ!」
 癪に障る声だった。夢であるゆえか、孤児たちは彼女に反応を示さない。
「寂しいですねぇ。ねえ、あなた? あなたたしか、最期のほうまで生き残ってましたよね?
 おやあなた! これは奇遇でございますねぇ。次に連れて行かれるの、あなたでございますよぉ!」
 一人、また一人と孤児たちの顔を覗き込み、顎をくいと上げさせ囁く。
 楽しげだった。彼女はここがなんなのか、何が起こるのかを識っているから。
 そして言葉通り、孤児がひとり連れて行かれた。白服の男たちに。
「さようなら~! どうぞ悔いなき末期の旅路を! よい最期を~!
 さてさて、あとはあとは何か面白げなものでも――。…………」
 くるりと牢獄を一周し、最後に背後を振り向く。ぴたりと動きが止まった。
 まるでネジが切れた人形のようだった。彼女は何も言わない。

 少女がいた。少女というより幼児というべき、か弱く小さな少女が。
 膝を抱え、怯えすくんで震えて縮こまっていた。がちがち歯を鳴らす。
『また、また連れていかれてしまいました。次、次こそわたし、わたしが……?
 やだ、嫌です。死にたくない、死にたくない、死にたくない……』
 ここには彼女を励ます者は誰も居ない。
 かつては居た。世話焼きな少女だった。5番目に連れて行かれた。
 いつもなら聞こえないはずの悲鳴がその日はいやに響いてきた。
 あの子のものだった。……それから誰も口を開かなくなった。

「…………ああー。ああ、まあ。まあまあ、まあまあまあまあ!」
 壊れていた人形が急に通電したかのようにパルミリーリルが再起動する!
 あれは彼女だ。かつての彼女。この監獄に囚われていた被検体█████。
「そりゃあそうでございますよねぇ! だってわたくしの悪夢なんですから!
 わたくしが居るのも当然! 当ぉう然でございます! いや一本とられた!」
 がちゃりと鉄格子の扉が開いた。武装警備員が█████の名を呼ぶ。
『やだ、いやです! やだ、いやだぁ……』
 幼き少女は震えながら連れて行かれた。パルミリーリルはそれを見送った。
 そしてついていった。見えない糸で繋がっているかのように。

《これより実験を開始する》
 実験。スピーカー越しの声はそう言っていた。
 いや、結果の見えている実験は再試行というべきか。
 パルミリーリル、そして過去の彼女の前には一冊の古びた書物。
 他は何もない。唯一の出入り口は厳重に封鎖されている。
《█████、書物を解読せよ》
 冷徹な命令。幼き少女は怯えながらもそれを開こうとする。
「おやおや! 読んでしまうんでございますかねぇ? よろしくない!
 それはよろしくないとわたくし思うのでございますがねぇ? ねぇ?」
 パルミリーリルは道化師めいた調子で囁いた。
 少女は怯えている。だが手を書物に伸ばす。
 パルミリーリルはなおも喚いていたが――ふと、表情がすとんと落ちた。
「やめて」
 静かな声だった。パルミリーリルの、同一人物とは思えない言葉。
「ねえ、お願いやめて。あなたはまだいまのわたしみたいになってない。
 それを読まないでください。ねえ、お願いです。やめてください!」
 悲痛な声だった。だがどこかいびつな狂気を含んでいる。
 少女は――悪夢のなかのパルミリーリルは、しかし。
 その言葉が届いていないかのようにそれを開く。開いてしまう。

 その瞬間、悪夢の全てにノイズめいた砂嵐が走り、空間は崩壊した。

●偽善者は棺に眠る/あるいは狂人の陳述
「でも、わたしは狂わなかった」
 まったき闇のなか、棺桶の前でパルミリーリルは語る。
「耐性とかなんとか、あの人達は言っていました。わたしにはそれがあると。
 そして何度も、何度も何度も、わたしは同じように再試行をさせられた」
 そのたびに少しずつ、彼女という人間(データ)は破損した。
 覚えていたはずのことを忘れた。可能性を喪った。
 それは狂気として彼女に焼き付いた。血に、肉に、そのこころに刻印めいて。
「わたしはいまもあの頃から縛られたまま。見えない毒はもう届かないけれど。
 悪い人になれば、これが壊れてわたしは死にます。だからわたしは」
 首輪をかりかりと爪でひっかきながら呟く。
「だからわたしはあなたたちを殺します。わたしの力で。
 それがわたしの善。わたしが信じる正しいこと、わたしのなすべきことです」
 オブリビオンへの怒りと決意を込めて彼女は云う。
 そして躊躇もためらいもなく、罪深き己の身を切り裂いた。
 短剣が肉を削ぐ。血が滴る。黒き魔力が溢れ出る。

 夢が、侵蝕されていく。

●現実
 ……傷だらけの少女が、棺を抱えて異形の前にいる。
 脳髄を模したおぞましいジャミング装置、それはもはや意味をなさない。
「はあ! これにて一件落着めでたしめでたし!
 万々歳でございますねぇ、大団円でございますねぇ!」
 パルミリーリルは微笑んだ。手を叩いて勝利を喜んだ。
 そして棺を引きずり去っていく。
 かつてそこには、人間だったはずのモノたちが収められていた。
 いまは違う。彼女は棺を引きずり、去っていく。
 かくて悪夢は潰えた。哀れな少女は、己の過去を乗り越えた。

 ところで。
 狂人の並べた理屈を、誰が正しいと証明できる?

成功 🔵​🔵​🔴​



最終結果:成功

完成日:2019年02月13日


挿絵イラスト