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タフィフォビアへ祝福を

#ダークセイヴァー #心情系 #善人ジョナサン・ランバート・オルソレグ

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#ダークセイヴァー
#心情系
#善人ジョナサン・ランバート・オルソレグ


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 It is often said that 「the sickness unto death」
 But “life" is also a disease that undermines “death"?

『「死に至る病」とはよく云うが、「生」もまた「死」を蝕む病であろう』

●或る善人
 非道な吸血鬼たちに支配されたこの世界、ダークセイヴァーにも「人格者」と云う者は居るらしい。例えば、『ジョナサン・ランバート・オルソレグ』がそうである。
 こじんまりとした街の領主である彼は、その有り余る財産で近隣の村を支援し、貧しき者たちに救いの手を差し伸べているのだと云う。
 光無き世界で「慈善家」として活動する彼は、領民にも、近隣の村の人々にも、まるで神のように崇められ、慕われている。しかし、人の厚意を疑う人間は何処にでも居るものだ。いつからか、こんな噂がまことしやかに囁かれるようになった。

『ジョナサンの本性は、冷酷な殺人鬼である』

 豊かな世界においても、表と裏の貌に激しい落差があるものは少なく無い。吸血鬼に支配されたこの世界なら、猶更に疑われても可笑しく無いだろう。ジョナサンは当然、そんな噂など相手にせず、相変わらず慈善活動を続けている。しかし、如何して彼にそんな疑惑が向けられたのだろうか。
 ――原因は、些細なことだった。
 オルソレグ邸の地下に造られている「墓所」の存在が、要らぬ疑念を招いたのだ。其処には身寄りのない者や、浮浪者、孤児たちの遺体が眠っているのだと云う。されど心無い者たちは、そんな美談を一笑に付してこう語る。

『屋敷に招いた客を殺して、あの柩に隠しているのさ』

 木を隠すなら森の中、死体を隠すなら柩の中という訳だ。無論、本当の所は誰にも分からない。其処に眠っているのは、噺の通りなら無縁仏ばかり。ゆえに、彼らの為に祈りを捧げる者など訪れることは無く、真相のほどを確かめる者は皆無である。なにより、興味本位で柩を開けようとする者など殆ど居ないだろう。ましてや、財産を持たぬ者の墓を暴いた所で……。
 だからこそ、件の墓所には墓守も居ないのだ。それなのに、不穏な噂は尾鰭を付けて広がるばかり。なんでも、件の地下墓所からは毎夜、柩を叩くような音が聴こえてくるのだと云う。誰も屋敷の地下を見たことは無いのに、不思議な噺だ。
 そもそも、彼の柩から抜け出せた者など、ひとりも居ないと云うのに――。

●埋葬恐怖症(taphophobia)
「オブリビオンの潜伏先に、向かってくれる?」
 グリモアベースの片隅にて、ヴィルジール・エグマリヌ(アルデバランの死神・f13490)は、静かに唇を開き始めた。
 蒼い男曰く、ダークセイヴァーのなかには、自らの正体を隠して潜伏しつつ、好き勝手に振る舞う輩が居る。
 例えば、善人と名高い『ジョナサン・ランバート・オルソレグ』のように――。
 潜伏オブリビオンは、本来ならば発見すら困難な存在である。しかし幸いなことに、彼の正体を突き止めるチャンスが巡ってきたのだ。
「彼の留守中、オルソレグ邸の地下墓所へ君たちを転送するよ」
 淡々と其処まで語った所で、ヴィルジールは神妙に口を噤む。そして少し間を開けたのち、ちいさく小首を傾けて見せた。
「ところで、君たちに怖いものは有るのかな」
 私はガモフォビアなんだけど――。男寡はそんなことを溢しながら、集った面々の貌彩を伺うように碧彩の眸を巡らせる。
「埋葬されることに、恐怖を抱く人も居るらしいね」
 土葬が一般的な土地において、「埋葬恐怖症」の人間、すなわち「タフィフォビア」は少なく無い。しばしば文学の題材として取り上げられる程、仮死状態――つまり生きたまま埋められることへの恐怖は、人々にとって身近なものなのだ。
「……その墓所では、夜な夜な柩を叩く音が聴こえるそうだよ」
 まるで「此処から出して」と懇願するような響きが、迷い込んだ人々の鼓膜と精神を揺さぶるのだと云う。果たしてそれは、嘘か真か。真実は定かでないけれど、そういう噂噺が独り歩きしていることだけは事実であった。
「タフィフォビアが、救いを求めているのかも知れないね」
 でも、やっぱり柩は開けない方が良いと思うよ――。
 さらりと注意を付け加えて、ヴィルジールは掌中でグリモアを展開した。瞬く間に周囲は、眩い煌めきに包まれて行く。
「それでは、良い旅を」
 向かう先は、宵闇に鎖された絶望の世界――ダークセイヴァー。


華房圓
 ご覧くださり有り難う御座います。
 こんにちは、華房圓です。
 今回はダークセイヴァーで、怪奇譚をお届けします。
 ゴシックホラー風味の心情依頼です。

 此方は、あきかMS『ギルトフォビアに幸福を』との合わせシナリオです。
 共通のモチーフは「埋葬」、此方のテーマは「生は死を蝕む病なりや」です。
 時系列などは異なりますので、同時参加も大歓迎です。

●一章〈冒険〉
 屋敷の地下墓所に潜入しましょう。
 暫くすると柩を内側から叩くような音が聴こえて来たり、何かが視界の端を通り過ぎたりします。
 怪奇現象に触れる内に、あなたは「大事な人が柩に閉じ込められている」、「助け出してあげなければいけない」という妄想に憑りつかれます。
 そこで、柩を開けてあげましょう。
 喩え、中に引き摺り込まれることに成ろうとも――。
 果たして其の中には「誰が」或いは「何が」眠っているのでしょうか。
 ぜひ「心情」を中心にプレイングを書いて頂けると幸いです。

(※「柩のなかで眠る誰か」について。
 ゲーム内に存在するPCさんをご指定いただいても反映できません。
 申し訳ありませんが、ご了承ください)

●二章〈冒険〉
 柩に引きずり込まれたあなたは、赤い花畑の夢を見ます。
 其処では「自分のお墓」と対面するでしょう。
 自らの「死」を前にして、あなたは何を想うのでしょうか。
 また時間経過と共に、あなたの躰は「赤い花」に浸食されて行きます。
 うつくしい花に包まれながら、永き眠りを受け入れるのも良いでしょう。
 或いは、永き眠りを拒絶して現実へ還るも良いでしょう。
 こちらも是非、皆さまの「心情」をお聞かせください。
 また何方の選択を取ろうとも、三章に移行すると同時に目が覚め、花も散ります。

●三章〈ボス戦〉
 あなたは赤い花で溢れた柩の中で目覚めます。
 花の毒馨に抗いながら『ジョナサン・ランバート・オルソレグ』を斃しましょう。

●〈ご連絡〉
 プレイング募集期間は断章投稿後、MS個人頁やタグ等でお知らせします。
 シナリオの性質上、今回は全章を通して「おひとりでのご参加」を推奨させていただきます。リプレイ返却も「個別」に行う予定です。
 どの章からでもお気軽に。単章のみのご参加も大歓迎です。

 またアドリブの可否について、記号表記を導入しています。
 宜しければMS個人ページをご確認のうえ、字数削減にお役立てください。
 それでは宜しくお願いします。
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第1章 冒険 『光の届かない地下墓所』

POW   :    恐怖心を抑え込み探索する。

SPD   :    死者の眠りを妨げないように慎重に探索する。

WIZ   :    呪いや怨霊を祓いながら探索する。

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●壱ノ幕『タフィフォビアの哀哭』
 其処には、静謐と闇が拡がっていた。
 石で造られた墓所は、どこか冷たくて寂しい。質素な祭壇の上では、青い蝋燭の焔がゆらゆらと揺らめいている。靆く白煙は無機質な石の天井に呑み込まれ、儚く消えて往く。
 ただ己の脚音しか響かぬ世界で、猟兵たちは一晩を過ごさなければならない。邸の主が、帰ってくる迄。
 厭でも眸に飛び込んで来るのは、ずらりと並べられた、無縁仏が眠ると云う柩たち。黒檀の其れには、金文字で素っ気無く「Rest In Peace」と綴られているのみ。名前も、没日すらも、記されてはいない。されど、墓所と云う場所が孕む不吉さゆえか。柩の中から、早すぎた埋葬に、或いは望まぬ埋葬に、慄き嘆く彼等の気配が感じられるような……――。

 ひたり、ひたり。

 己が踏み締めた踵の音と、ちょうど一拍ずれて。誰かの脚音が、何処からか――否、己の背中越しに聴こえて来る。振り返れども、其処には誰も居ない。
 けれども、嗚呼。視界の端に艶めく御髪が一筋、ふわりと揺れたのは、気のせいと一蹴しても良いものか。
 冷たい風が、ふと頬を撫でた。されど蝋燭の焔が、立ち昇る白煙が、掻き消えることは無い。ざわり、ざわりと、いっそ愛おし気に背中を撫でる冷たい風は、若しや、誰かのゆびさきでは無いか。

 不吉な妄想を振り払う為に、視線を床に降ろしてみる。其処に長く伸びた影は、ひとつだけ……――ほんとうに?
 懸念がどろりと胸中に渦巻く頃には、もう。鼓膜すら、誰かの聲彩に侵されている。よく知っている、誰かの聲。自棄に籠っていて、聞き取ること能わぬ誰かの……。もっと聴きたいと希うなら、聲の意味を識りたいと希うなら。
 さあ、耳を澄ましてご覧。

 ――こつこつ、とんとん、こんこん。ゴンッ。

 柩の中から扉を叩く音が、何処からか聴こえて来るだろう。段々と激しくなるそれは、望まぬ埋葬を、そして己の「生」を伝える、死者からのメッセージ。

 嗚呼、柩の中で『あの人』が呼んでいる。


≪補足≫
・アドリブOKな方はプレイングに「◎」をご記載いただけますと幸いです。
・本章のPOW、SPD、WIZは、あくまで一例です。
 ⇒ご自由な発想でお楽しみください。
・「心情」を、たくさん聞かせて頂けますと幸いです。
・PC様が柩の中へ引き摺り込まれるところで、リプレイは終了です。

・「おひとり」でのご参加推奨です。返却も「個別」に行います。
・過度にグロテスクな表現は、適宜マスタリングさせて頂きます。
・「柩のなかで眠る誰か」について。
 ⇒ゲーム内に存在するPCさんをご指定いただいても反映できません。
  申し訳ありませんが、ご了承ください

≪受付期間≫
 3月4日(木)8時31分 ~ 3月5日(金)23時59分
芥辺・有


相変わらず寒いね、こっち
煙草吸ってもバレなさそうで安心するよ
暇つぶしの一つでもなけりゃさ

道すがら柩を軽く小突いたり
うすら寒いのはまあ確かだね
気持ち悪い風だ
変な音も、うるさいし

……こう、お優しい奴でもいたら私もこういうとこにいたのかな
そんなこと想像するのも嫌だがね
無縁、ってならそう、あいつも丁度よかったのかも
なんて

……何。そこにいるっていうの
ほんとに?……
そんなの。そこ、あんたに似合わないでしょ

柩って、思ったより開けにくいね
爪がいたいな……どうだっていいけど

……ああ
死ななかったっけ……いいや、そこで眠ってたの?
そんなのなんだっていいことかな

頬、冷たいよ
それともわたしの手が冷たいのかな。ねえ
無明



●第一夜
 ただでさえ陽の昇らぬ世界において。一筋の光すら差し込まぬ地下に、其の墓所は在った。祭壇で揺らめく青い焔は、ゆびさきひとつ、温めては呉れない。
「――相変わらず寒いね、こっち」
 芥辺・有(ストレイキャット・f00133)はマッチを擦って、黒い紙巻に火を燈す。赤赤と燃ゆる焔が甘い夢を見せてくれることなど、終ぞ無かったけれど。灰に煙を燻らせて暇を潰す手伝い位はして呉れる。守人すら居つかない、鬱々とした此の場所だ。灰を溢した所で、誰にも気づかれやしない。
 カツカツと、高い踵を響かせる。艶やかに整えられた爪先で、道すがら柩をこつん。軽く小突いてみるけれど、固い音色は石壁に吸い込まれて、またすぐに静寂が満ちて往く。
「……うすら寒いのは、まあ確かだね」
 生温い風が、黒曜の髪を撫ぜる。ひとのゆびさきめいた感触が不快で、気持ちが悪い。音が割れたラジオのようにジジジ、と鼓膜を揺らす音もまた、彼女の神経をギリギリと削っている。誰かの聲、なのだろうか。
 ――コン、コン。
 合間合間に響き渡るのは、黒檀の扉を叩く音。爪先の悪戯が不興を買ったのだろうか。嗚呼、五月蠅い。
「……こう、お優しい奴でもいたら私もこういうとこにいたのかな」
 未だ幼い頃、塵のように棄てられた人々を、死んだように横たわりながら眺めて居た、あの薄汚い路地を想い出す。此処に置かれた柩たちのなかには、あの路地で転がっていたような者たちが、眠っているのだという。
 もしもあの時、生かされ無かったら。相変わらず陽の当たらぬ場所で、こうして転がされて居たのかも知れない。厭な想像を掻き消すように肺から煙を吐き出せば、紫煙は冷たい石造りの天井に呑まれて行った。
「無縁、ってならそう」

 ――あいつも、丁度よかったのかも。

 そんな感慨が脳裏を過った直後だった。ふっと、まるで吐息で蝋燭の焔を吹き消すように、紙巻に灯った焔が掻き消えたのは。

 ――ドンッ。

 自分は此処に居るのだと、そう自己主張するかのように、柩を叩く音がする。金彩の双眸が、揺れる柩に漸く注がれた。
「……何。そこにいるっていうの」
 平静を装うように、再び紫煙を肺いっぱいに吸い込んでみる。煙を吐き出す唇は、微かに震えて居た。
「ほんとに?」

 ――コン。

 問い掛ければ、肯定めいたノックが返って来る。刹那、有は脚を踏み出していた。吸い掛けの紙巻を踏み躙り、黒檀の柩へと歩み寄る。あえかなゆびさきが、金色で綴られた文字を、静かに儗った。
「……そんなの。そこ、あんたに似合わないでしょ」
 柩の留め金を外して、ぐっとゆびさきに力を籠める。柩の蓋は想像以上に重たくて、女のゆびさきでは開けにくい。長く整えた爪は割れて、たらりと零れる赫絲がゆびさきを赤く染めて往く。けれど、そんなことはもう、如何だってよかった。
 ぎぃ、と不穏な音をたてて、漸く蓋は開く。

「ああ――」

 嘆息が、零れ落ちた。
 死ななかったっけ、なんて。朧な記憶が胸中に疑問を呈するけれど、この際そんなことは、どうでも良い。
「そこで眠ってたの?」
 赫く染まったゆびさきを、そうっと彼の貌に伸ばす。そして硬直した頬へと、まるで幼子がするように、掌をぺたりと押し付けた。
「頬、冷たいよ」
 それとも、己の手が冷たいのだろうか。きっと、そうに違いない。
 だって彼は、ただ眠っているだけなのだから。

 ――ねえ、無明。

 穏やかに囁き掛ける聲は、柩のなかに呑み込まれた。ふたりの姿を秘めるように、黒檀の蓋が、静かに閉じる。

成功 🔵​🔵​🔴​

フェミス・ノルシール
処刑する側だった私が、柩で眠る生者を探すことになるとは…皮肉なものだな。

死を留める場所…初めて踏み入れるとはいえ、緊張してしまうな。処刑をしていた私には縁も強いというのに…

死者の気配に混ざって“何か”が居る…っ?!今の姿は…いやあり得ない。“彼女”は死んだ筈だ…私が殺した筈だ。
だがもし、“彼女”が生きているのならば、私は…救うことができるのだろうか。否、救わなければ…!

この柩を開ければ“彼女”に会える…嘗ての過ちを償うことができるのだろうか?


(心情プレイは初です。至らない点があれば返していただいて構いません。)



●第二夜
 鎮まり返った墓地に、ただ硬質な脚音だけが響き渡る。右を見ても、左を見ても、其処に在るのは、無機質な柩のみ。生の気配は、ひとつも無い。
「……皮肉なものだな」
 金の眸を伏せた少女、フェミス・ノルシール(血に飢えし処刑者・f21529)のかんばせに、ふと影が差す。
 嘗ては罪人を処刑する側だった己が、柩守のような真似をする嵌めに成ろうとは。いったい、如何なる運命の悪戯か。
「やけに冷えるな、地下だからか……?」
 或いは此処が、死者を留める場所であるからだろうか。ふるりと肩が震え、フェミスは無意識に己の躰を抱き締めた。
 処刑人であった彼女にとって、本来なら墓所は縁が強いもの。されど、初めて脚を踏み入れる此の墓地には、不安と不穏を煽る何かが有った。
 緊張して其の身が強張る程に、感覚は鋭利に成って往く。もの謂わぬ死者たちの気配が乳白の肌をちりちりと苛んで、少女の胸裏を更に鬱々とさせた。
 纏わりつくような寒気を振り払う為に、フェミスが頸を振った刹那。

 ――視界の端に、“何か”が映った。

「……っ!?」
 驚愕に金の眸がひとまわり、大きくなる。ちらり、視界へ映り込んだのは、ほんの一瞬のことだったけれど。それでも、見紛う筈が無い。
「今の姿は……」
 少女はその正体を知っていた。視界に捉えた瞬間、それが誰なのか“認識してしまった"のだ。再び見えることなど、有り得る筈がないのに――。
 だって、“彼女”は死んだのだから。そう、
「……私が殺した」
 あの時の感触は、未だに此の両手に確りと残って居る。飛び散る血の鮮やかさもそれなのに、何故。“彼女”は、此処に居るのだろう。
 少女は一瞬だけ映った彼女の姿を、追い掛ける。しかし墓地に反響するのは、自身の踵の響きだけ。気づけばフェミスの胸裏には、焦りにも似た感情が滲み始めて居た。
 ――ドンッ、ドンッ。
 切羽詰まったような、重たいノックの音が聴こえる。
 例えば処刑の際に手元が狂って、その所為で“彼女”が生きていたのだとしたら。“彼女”は暝闇の中でずっと、助けを待っていたことになる。
 ――ギィ、ギィ、ゴンッ。
 何かを引っ掻くような音が聴こえる。そして、苛立たし気に扉を殴りつける音も。嗚呼、“彼女”は怒っているのだ。
「……私は、」
 フェミスは苦悶するように、唇を噛み締める。下手人である自分は、どんな貌で“彼女”と対峙するべきなのだろうか。そもそも、己に彼女を救うことができるのだろうか。――否。

「救わなければ……!」

 少女は銀の髪を揺らして、必死に駆けた。軈て立ち止まったのは、途切れることなく音を響かせる、黒き柩の前。フェミスは黒檀の扉へ、そうっと手を伸ばす。金色の留め具は呆気なく外れ、カランカランと地に堕ちた。
 ぐっと、ゆびさきに力を籠める。
 この扉を開ければ“彼女”に会える。そうすればきっと、嘗ての過ちを償うことが――……出来るのだろうか。
 胸に過った微かな疑問は、少女の躰と共に、柩のなかへ呑み込まれた。

成功 🔵​🔵​🔴​

戎崎・蒼

ここがオルソレグ邸の地下墓所…随分と寂れた場所だな
まあ当然と言えば当然か
…なんて、金字の素っ気ない弔いの言葉を指でなぞって

冷りとした空気に悲哀が滲む
コツコツ
小さく微かなノック音
…いや、気の所為か。元咎人殺しとはいえこんな些細な事で気も漫ろになるだなんて、…可笑しいな
コツコツ
もしかして之はあの人なのか?
そんな筈はない、僕が確りと師と仰いでいた人を…切ってバラして並べて崩して埋めたんだ、そんな筈は、ない
コツコツ
……ッ煩い!
巫山戯るな、と何だか腹立たしい気持ちと───もしかしたら本当に生きていて、僕の愚行を怒り、そして赦してくれるのかもしれない…だなんて愚直にも考えて、それを開いた

…開いてしまった



●第三夜
 青年が転送された先――。
 オルソレグ邸の地下墓所は、噂に違わぬ不気味さと不穏な空気に満ちていた。石で造られた其の空間は、飾り気も無く、ただ冷たく其処に在るのみ。
「……随分と寂れた場所だな」
 此の有様では、墓守が居つかぬのも、物騒な噂が立つのも致し方ない。どうせ死者を悼むなら、件のオルソレグ卿も、もう少し金を掛けて遣れば良かったものを。
「まあ、当然と言えば当然か」
 所詮はオブリビオンのやることだ。善意でこんなことをしている訳では有るまい。仮に善意で死者を悼んでいたとしても、彼らの厚意は何時だって歪んでいる。
 金彩の文字で綴られた素っ気ない弔いの言葉を、あえかな指でつぅ――と儗りながら、青年は溜息ひとつ。
 墓所と云う場所が孕む性質の所為か、それとも、光が射し込まぬ地下である所為か。此処は妙に、寒い。ひやりとした空気が、ふ、と白い頰を撫ぜる。
 刹那、悲哀にも似た感情が、蒼の胸をちくちくと苛んだ。

 ――コツコツ。

 ちいさく、微かなノックの音が、何処からか聴こえて来る。青年は思わず、動きを止めた。それから一拍置いて、自嘲するように頸を振る。
 ノックの音だって?
 いや、そんな筈はない。だって此処には、死者しか居ないのだから。
「気の所為か――」
 きっと迷い込んだ鼠が、剥がれた石床にぶつかったのだろう。嘗て『咎人殺し』で在ったとはいえ、こんな些細なことで気も漫ろになるなんて。
「……可笑しいな」
 蒼は、ふ、と端正な貌に無理やり微笑を刻む。総ては気の迷い。こころを強く持って朝まで耐えれば、総てが恙なく終わる、筈だった。

 ――コツコツ。

 そんな彼の考えを否定するかのように、ノックの音が聴こえて来る。その瞬間、彼の脳内に、厭な想像が過った。
 もしかして之は、“あの人”が鳴らしている音なのだろうか。
「そんな筈は……」
 馬鹿げた妄想を振り払うように、蒼は頭を振る。
 嘗て己が、「師」と仰いでいた“あの人”。然し、もう生きていないことを、青年はよく識っている。だって彼が、切って、バラして、並べて、崩して――。
 そして、埋めたのだから。

「そんな筈は、ない」

 細い喉から絞り出すような、苦し気な聲が漏れる。喩え切った時に息があろうとも、バラしたら最期、必ずひとは死ぬ。それなのに、

 ――コツコツ。

 自分は此処に居る、とそう主張するかのように、ノックの音は響き続けている。青年は堪らず、耳を塞いだ。ぎり、と噛み締めた歯を鳴らす。
「……ッ、煩い!」
 巫山戯るな、巫山戯るな。
 もしも此れが悪戯なら、余りにも悪趣味が過ぎる。然し、腹の底から湧き上がる苛立ちとは裏腹に。蒼の胸にほんの僅か、希望の灯が宿る。
 もしかしたら、師と仰いだ“あの人”は本当に生きていて。埋められた侭、ずっと救いを求めていたのかも知れない。
 もしも、昏くて狭いあの柩から救い出せたなら。

 ――僕の愚行を怒り、そして赦してくれるのかもしれない。

 甘えにも似たそんな感情を、ひとは愚直と嗤うだろうか。
 それでも、疼き始めた衝動はもう、抑えきれぬ。ガタガタと揺れる柩に、迷うことなく手を掛けて、あえかなゆびさきに渾身の力を籠める。

 パンドラの匣は、開いてしまった。

 其処から飛び出したものは絶望か、それとも希望か。決めるのは外でも無い、彼だろう。あまい希いと共に、青年の華奢な躰は闇へ呑まれて行く――。

成功 🔵​🔵​🔴​

宮前・紅

………オルソレグ卿は随分と趣味が悪いみたいだね
墓所が邸宅の地下にあるなんて、奇妙この上ない
ま、俺の所感なんて戯言も同然。どうでもいいか

あは。夜な夜な柩を叩く音が聴こえるって、本当だったんだ
気味が悪いなぁ。あの猟兵の言う通り開けない方が良さそうだね

………──もしかして、閉じ込められてるの?
そうだ、助けないと!助けたら、あんなこと、
あの柩に眠っているのは
きっと、あの人だ
俺に色んなものをくれた人
たくさん。たくさん。与えてくれた人
人の温もりも、この広い世界のことも、教えてくれたあの人

俺の所為で死んだんじゃ無かったんだ、そうだ
やっぱり生きてるんだよ、そうだよ

俺は──そんな筈が無いのにそう思ってしまった



●第四夜
 石を積み上げただけの墓地は、余りにも冷たく、寂しかった。宮前・紅(災禍の語り部・f04970)は、灰の眸で周囲を見回しながら独りごちる。
「………オルソレグ卿は随分と、趣味が悪いみたいだね」
 そもそもの前提として、墓所が邸宅の地下にあるなんて、奇妙なことこの上ない。何かやましいことが有るに違いないと、悪評が立つのも無理は無いだろう。
「ま、どうでもいいか」
 戯言も同然と己の主観を吐き棄てて、青年は静かに耳を傍立てる。コン、コン――。微かに聞こえてくるのは、固い扉を叩くような音。
「夜な夜な柩を叩く音が聴こえるって、本当だったんだ」
 あは、と紅は愉快気に口端を弛ませた。怪奇現象には違いないが、この程度の自己主張など恐れるに足りぬ。とはいえ――。
「気味が悪いなぁ」
 まるで柩に生者が詰められて居るようで、何となく気分が悪い。下手に関わると、危害を加えられる恐れもある。忠告通り、柩は開けない方が良さそうだ。

 ――ぎぎ、ぎぎぎ。

 青年が涼しい貌で無視を決め込もうとした、其の刹那。鼓膜を揺らす音の質が、明らかに変わった。怪訝そうに眉を寄せ、紅は音を立てる柩へ視線を注ぐ。
 先ほどとは異なる、何かを引っ掻くような音。まるで、爪で黒板を引っ掻くような、耳障りな音。そう、爪で……。
「──もしかして、閉じ込められてるの?」
 唐突に、そんな想像が脳裏に浮かび上がった。あれはきっと、助けを呼ぶ音だ。狭い所に閉じ込められて、不安と恐怖で柩の蓋を引っ掻く音に違いない。
 彼が紡いだ問いに、コツ、コツ。控えめに返って来たノックの音は、肯定の徴だろうか。

 ――そうだ、助けないと!

 そんな結論に辿り着いた瞬間、彼は弾かれたように飛び出していた。
 あの柩に眠っているのは、きっと、『あの人』だ。
 それは、紅に色んなものをくれた人。たくさん、たくさん、両手で抱えきれない程に。掛け替えのない宝物を、与えてくれた人。人の温もりも、この広い世界のことも、総て“あの人”が教えて呉れたのだ。
 それなのに自分は、嗚呼、あの人を。

 ――いま助けられたら、あんなこと……。

 きっと、“無かったこと”に出来る。――いや、そうじゃない。そもそも、“あの人”は自分の所為で死んだ訳では無かったのだ。
 だって、黒檀の柩はこんなにも力強く揺れている。此のなかに眠っているのは死者じゃない。きっと、生きている人間だ。

 ――そうだ。やっぱり生きてるんだよ、そうだよ。

 そんな筈は無いのに、青年はそう想ってしまった。或いはこころの何処かで、ずっとずっと、そう信じたかったのかも知れない。
 紅は柩にそっと手を伸ばす。金の留め具を外すゆびさきは、興奮に震えて居た。嗚呼、此の蓋を開けたらまた、あの人に逢えるのだ。次は、何を教えて貰おうか――。
 喜彩に揺れる灰の眸を見開き、花唇を弛ませながら、青年は柩を開けた。柩のなかに拡がる慈悲深い暝闇は、華奢な其の躰をずるり、深淵へ呑み込んで行く。

成功 🔵​🔵​🔴​

アウレリア・ウィスタリア


【空想音盤:追憶】
転送と同時に花弁を展開
油断なく周囲を探索しましょう

目につくのは二人、いや三人は入れそうな大きな柩
その瞬間、身に纏う花弁が人の形を取った気がした

……おとうさん?

この花は本当の父親が身に宿していたはずの花
そう考えれば、柩からは悲しそうな歌が聴こえてくるような気もする

……おかあさん?

私に歌を教えてくれたのは本当の母親
記憶には靄がかかって思い出せないけど
私の魂には刻み込まれている
だから…

わたし、ふたりをさがしてたんだよ
そこにいるの?
ねぇ、こたえて?

いつの間にか花弁の嵐は消え去っている
私が解除したのだろうか?

顔を隠す仮面を脱ぎさり
柩に手を掛ける

わたし、ふたりと、いっしょに……



●第五夜
 石を積み上げることで造られた寂しい墓地に、蒼きネモフィラが舞う。
 カツン――。石畳に踵を着けると同時、アウレリア・ウィスタリア(憂愛ラピス・ラズリ・f00068)が、武装を鮮やかな花弁へと転じさせたのだ。
 目許を隠す黒猫の仮面越し、少女は油断なく琥珀の眸を巡らせる。地下墓所にはただ、同じような黒檀の柩が並べられているだけだ。
 しかし、カツリ、カツリと脚を進めていく内に。或るひとつの柩が自棄に、彼女の目を惹いた。
 其れは、非常に重厚な柩であった。ふたり――いや、もしかすると、3人は入れそうな程の大きさだ。尋常ではない其の容を、奇妙に想った刹那。
 舞い散る花弁がふと、ひとの容を取ったような、――そんな気がした。

「……おとうさん?」

 ネモフィラの花たちは、あくまでシルエットしか象って居ないのに。確信めいた問いが、ぽとり、唇から零れ落ちる。だって此の花は、実の父が其の身に宿していた花なのだから。
 疑念が胸裏を過った刹那、今度は柩から微かな聲が聴こえて来た。否、此れは唄だ。何処か懐かしくて、哀し気な、そんな調べ――。

「……おかあさん?」

 シンフォニアである少女に歌を教えてくれたのは、他ならぬ実の母。靄掛かった記憶は、想い出すには余りにも遠いけれど。其の優しい聲と、懐かしい調べだけは、合うレリアの魂に確りと刻み込まれていた。
 だからこそ、少女は巨大な柩へ静かに歩み寄る。
「わたし、ふたりをさがしてたんだよ」
 石畳に膝を着けば、ゆびさきでそうっと柩の扉を撫ぜた。甘えるように寄り掛かり、震える唇で問い掛ける。奇妙な確信を、こころ密に覚えながら。
「そこにいるの?」

 ――ねぇ、こたえて。

 強請るような聲に応えるかの如く、ドンッ、と柩が叩かれた。肯定と見ても、良いのだろうか。
 気づけばいつの間にか、蒼き花嵐は止んで居る。柩の傍にただ、ほんの少し鎮魂の蒼を鏤めて。
 ――……ああ、花が。
 無意識に、解除して仕舞ったのだろうか。そんな心算は、無かったのだけれど。
 ぼんやりと浮かんだそんな疑問は、脳裏に過る両親の面影に掻き消えた。
 貌の半分を覆う黒き猫を脱ぎ去って、柩にそうっと手を掛ける。不吉の象徴は石畳とぶつかって、カランと無機質な音を響かせた。けれども今は、そんなこと如何だって良い。
 幼い頃に引き離された本当の両親と、漸く逢えるのだから。
 あれから随分と大きくなってしまったけれど。髪に揺れるロベリアの花と、背に生えたモノクロの翼が有るから、きっと「娘」だって分かって呉れる筈。

「わたし、ふたりと、いっしょに……」

 ぎぃ、と黒檀の扉を開けて、アウレリアは柩のなかへ倒れ込む。あまく優しい夢想を、胸裡に想い描きながら。
 愛されていた証――紫水晶が煌めくチョーカーが、しゃらりと揺れて。冷たい墓所に、寂し気な反響を遺した。
 果たして彼女の躰を受け止めたのは、両親の温かな腕だったのだろうか。それとも……――。

成功 🔵​🔵​🔴​

百鳥・円


音色が近づく度に、増す度に心が逸る
わたしを突き動かすものは何でしょう
わたしを呼ぶあなたは誰でしょう

誰かに問う必要なんてない
此処に生きたひとはいなくて
わたしは裡に走る衝動を理解っている

自ずと向いた爪先はひとつの棺へと向かう
助けなきゃ、
脳裏を支配するのは、その想いだけで

ひらいた向こう側
艶めいた黒真珠の波を捉う
長い睫毛に鎖された瞳
どんな色が嵌っているか――識っている

“真”なるわたしの姿は“貴女”によく似ている
わたしの内に魂の半核を宿すもの
……貴女の大切な人に、教えてもらったんですよ

躊躇うことなく身を委ねましょう
無抵抗で、その内側へ

ママ――おかあさま、
この身が失くなったとしても
貴女を目覚めさせなきゃ



●第六夜
 昏い石畳に打ち付ける踵の音に混じって、ひたり、ひたりと誰かの脚音が響く。ひとならざる者の気配を感じながらも、それでも少女――百鳥・円(華回帰・f10932)は歩みを止めぬ。勿論、背中越しに聞こえる足音を確かめる為、振り返る様な真似もしない。
 澄ました貌をしながら揺らす、獣耳の直ぐ傍で。ふと、壊れたラジオから流れる様な、不明瞭なノイズが延々と流れ始めた。姿の見えぬ其の『誰か』は、先程までは後ろにいた。そして今は、隣に居る。
 鼓動が、どくりと跳ねた。
 怪異への恐ろしさからではない。姿は見えぬ筈なのに、耳許で響く音は只のノイズである筈なのに。それなのに何故か、怪異の主について“よく知っている”ような気がしたから。

 ――コン、コン。

 脚音やノイズに混ざって、細やかなノックの音が、何処からか聴こえる。ぴくり、と獣の耳が揺れ、華奢な脚がぴたりと止まった。

 ――ドンッ、ドンッ。

 反響する音が増える度、ノックの音が激しく成る度。どくん、どくんと、鼓動が逸る。熱に浮かされるように、気づけば少女は駆け出して居た。

 わたしを突き動かすものは何でしょう。
 わたしを呼ぶあなたは誰でしょう。
 嗚呼、訊く迄もありませんでしたね。だって――。

 此処に生きた“ひと”は居ない。そして夢魔の少女は、己の裡に直走る衝動を、ようく理解っていた。
 殆ど無意識に自ずと向いた爪先が止まるのは、或る棺の前。

 ――……助けなきゃ。

 彩違いの眸で、重厚な黒檀の匣を見降ろした。常ならば、ふわりふわり。享楽に揺蕩う脳裏をいま、其の想いだけが支配する。
 躊躇うこと無く、あえかなゆびさきを伸ばしたなら。重たい蓋をぎぃ、と開いた。其の向こう側に、そのひとは眠っていた。
 灯が無くとも艶めいた黒真珠の波を一筋、つぅ――と白いゆびさきで捉う。長い睫毛に鎖された眸は、今にも開きだしそうで。少女はあえかな喉を、こくりと鳴らした。
 円は識って居る。
 秘められた侭の其処に、どんな彩が嵌っているのか。なにせ“真”なる彼女の姿は、“貴女”によく似ているから。
「……貴女の大切な人に、教えてもらったんですよ」
 双眸を穏やかに弛ませて、懐かし気にそう紡いだ。ゆびさきに絡む黒真珠の波を、さらり、名残惜し気に手放したなら。柩のなかの“そのひと”と同じように、長い睫を静かに鎖した。
 さあ、躊躇うことなく、此の身を委ねましょう。
 いっさいの抵抗すら見せず、少女はただ、其の内側へと身を投げる。だって、其処で眠るのは、彼女の内に魂の半核を宿すものだから。
「ママ――」

 おかあさま。

 何処か懐かしい響きを、唇で、胸中で甘く紡ぐ。慈悲深い暝闇は、少女の躰を優しく抱き留めて、軈ては深淵へと引きずり込んで行った。
 嗚呼、喩え此の身が、消え喪せようとも構わない。

 ――貴女を、目覚めさせなきゃ。

成功 🔵​🔵​🔴​

オリオ・イェラキ

なんて真っ暗
ふふ…夜とは大違いですわね

ヴェールの星明りで何とか先が見える位かしら
まぁ。わたくしに気安く触らないで下さる?
昏き戯れ達は軽くあしらって、でも
…ああ
あの音は

聞こえる、聞こえますの
そこに…居るのね
この柩の中に
わたくしと嘗て片翼だった、双子のアリアが

ああ、ごめんなさい
こんな狭い柩に貴女を閉じ込めたくはなかった
ずっと同じ夜空を観ていようと笑いあったのに
非力だったから、何も出来ずに
オブリビオンに襲われる貴女を護れなかった

…いいえ、アリア
わたくしは強くなりましたの
ねぇ、もう一度わたくしと同じ顔で笑って見せて
わたくしと正反対の白い貴女
今度は護ってみせますわ

ゆっくりと柩を。ああ早く、顔が見たいの



●第七夜
 昏く冷たい地下墓所に、“夜”がふと舞い降りる――。
 暝闇に包まれた世界を黒曜の眸に映し、オリオ・イェラキ(緋鷹の星夜・f00428)は、ふふり、嫋やかな微笑を溢す。
「……夜とは大違いですわね」
 此処は一筋の光すら差し込まぬ地下。天に在るのは、無機質に並んだ石ばかり。月も、星も、有りやしない。
 唯一頼れるものは、彼女の黒髪に揺れるヴェールに鏤められた、満天の星灯だろうか。薄らと眸を凝らせば、悪戯な風が星雲の彩をふわりと浚う。
「――まぁ」
 昏き者の戯れに、星夜の貴婦人はぱちくりと、あどけない瞬きひとつ。然し直ぐに気を取り直せば、あえかなゆびさきで凛と、其の身に纏わりつく瘴気を払い除けた。
「わたくしに気安く触らないで下さる?」
 星空が煌めくドレスに包まれた其の身に触れること叶うのは、緋彩の鷹、ただ独りなのだから。
 湖畔に佇む水仙の如く姿勢を正し、貴婦人は歩み続ける。軌跡に星屑を遺す代わりに、脚音ひとつ立てぬ儘で。

 コツ、コツ――。

 ならば、此の音は何だと云うのだろう。先ほどからずうっと地下室に反響している、靴音にも似た、この音は。
「……ああ」
 其の正体に気付いた刹那、花唇から嘆息が零れる。気づけば、貴婦人の歩みは止まっていた。聞こえる、否、聞こえて仕舞ったのだ。
 柩の内側から助けを求める、其の音が。

「そこに……居るのね」

 脚音ひとつ立てず、猫のようなステップで、貴婦人は音がする方へと向かう。軈て歩みを止めたのは、あえかに揺れる柩の前。

 ――ドンッ。

 彼女が立ち止まると同時に、大きく柩が動いた。
 嗚呼、あの子が助けを求めて居るのだ。嘗て己と片翼であった、双子の姉妹が。

「ああ、ごめんなさい――」

 膝からぐらりと崩れ落ちた貴婦人は、冷たい柩を堪らず抱き締める。本当は、こんな狭くて昏い柩のなかに、彼女を閉じ込めたくなんて無かった。
 ずっと同じ夜空を観ていようと、いつか笑いあったあの日のことが、昨日のように思い起こされる。けれど、其れは叶わなかった。
 嘗てのオリオは非力だったから。オブリビオンに襲われる片翼を前に、何も出来なかった。片割れを護れなかった過去が、貴婦人のこころに重く圧し掛かる。
「……いいえ。わたくしは、強くなりましたの」
 白磁のかんばせに微笑みを湛えて、貴婦人はそうっと貌をあげた。いまの自分には、力がある。星の名を冠した剣で、闇さえ切り裂く剣技で。今度こそ、護ってみせるから。

「ねぇ、もう一度笑って見せて」

 わたくしと正反対の白い貴女。
 どうか、どうか、もう一度だけ。
 わたくしと同じ貌で――。

 貴婦人のゆびさきが、ゆっくりと、黒檀の柩へ伸びる。逸るこころは上品なゆびさきを、落ち着きなく震わせた。ああ、早く。早く、あなたの貌が見たい。
 重たげな蓋を、開ける。

「――アリア」

 愛し気に片割れの名を囁く聲は、柩のなかへと呑み込まれて行く。
 柩の傍らには、ただ、星屑の煌めきだけが遺されていた。

成功 🔵​🔵​🔴​

ニルズヘッグ・ニヴルヘイム
影も、音も、慣れてる
裡側の呪詛にいつだって呪われてるから、こんなの日常茶飯事だ
でもこれは違うって思い始めてる
ああ畜生、こんなもんに呑まれる気なんかなかったのに

……そんなに生きたいのかよ、姉さん

そうだろうな
おまえは私が殺したようなもんだ
呼んでるんだろ
今度こそ助けろっていうんだろ
世界の全部を敵に回してでも、おまえの味方でいろって
――分かってるよ

いっとう騒がしい棺に触れる
双子の片割れだ、居場所は直感で分かっちまう
見えたのは白詰草の花冠
とっくのとうに枯れたそれを頭に被った、金髪を三つ編みにする娘
……私の世界の全部だった姉さん

今、助けるよ
私が地獄に落ちたって
今度こそ、おまえを否定したりなんかしないから



●第八夜
 ひたひた、ひたひた。
 誰のものでも無い脚音が、後ろから着いて来る。相手にすることなく、石畳の上を歩き続ければ。視界にちらり、“ひと”の影が映り込んで来た。
 死者の怨嗟だけでなく、生者の情念に至るまで、裡側に呪詛を蒐めた身の上だ。いつだって呪われて居るから、影も、音も、慣れている――。
 ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(竜吼・f01811)は、独り溜息を吐いた。気だるげに細めた彩違いの虹彩は、素気無く影から逸れる。
 忌み子である彼にとって、こんなことは日常茶飯事だ。いちいち相手にする訳にもいかないから、今回もまた無視を決め込む、心算だった。
 けれども本能が、今回ばかりは違うのだと、そう警鐘を鳴らしているのだ。或いは、邪竜の血が歓喜に沸いているのかも知れぬ。
 ――……ああ、畜生。
 左の頬を、冷たい風が撫ぜる。刻まれた黒き紋様を儗るように、何度も、何度も。いっそ愛おし気な程に、誰かのゆびさきが。

「……そんなに生きたいのかよ、姉さん」

 こんなまやかしに、呑まれる気など更々なかった。されど、気配の正体をそうと認識して仕舞えば最後、その妄執からは逃れられぬ。そうだろうな、と青年は肺から空気を深く、深く吐き出した。
 ――おまえは、私が殺したようなもんだ。
 もう何処にも居ない筈の“彼女”は、いつだって耳元で囁いていた。いまも、きっと、囁いている。
「呼んでるんだろ」
 端正な貌に滲んだ感情は諦観か、それとも、僅かな喜彩だっただろうか。魂の片割れである姉は、「今度こそ助けろ」と云わんばかりに、柩をドンドンと叩いている。

「――分かってるよ」

 段々と激しく成るノックの音に、ニルズヘッグはゆっくりと近付いて行く。此れは、所謂パンドラの匣だ。開けたら最期、世界は彩を変えて仕舞う。
 それでも、世界の全部を敵に回してでも、味方でいろと、彼女がそう云っているから。青年はいっとう騒がしく揺れる柩を、掌でそうっと撫ぜる。
 魂分かつ双子の片割れの居場所だ、考えを巡らせるまでもなく直感で分かった。金の留め具を外したら、ぐっと力を籠めて黒檀の蓋を開ける。

 赦されたい。
 そして嗚呼、きっと罪なき善人へ――。

 最初に視界に入ったのは、白詰草の花冠だった。
 記憶の中で白く輝く其れに比べて、すっかり枯れて仕舞って居る。けれども誰も代わりを編んでは呉れないから――可哀そうに、三つ編みにした金絲に煌めく髪に、それを被った侭の姿で。柩のなか、娘がひとり、眠っていた。
「姉さん」
 呼びかけようと、鎖された瞼が開くことは無い。ゆえに、其処に秘められた紫水晶と、視線が絡むこともまた……。

「……今、助けるよ」

 彼にとって彼女は、世界の総てだった。
 では、彼女亡きいま、この世界は何の為に有るのだろう。
 此の手を伸ばすことが、世界の滅びへの第一歩であろうとも。そして、その所為で地獄に落ちようとも。

 ――今度こそ、おまえを否定したりなんかしないから。

 眠る娘の華奢な手に、そうっと大きな掌を重ねる。刹那、彼の腕を強かに引っ張ったのは、可憐な片割れか。それとも――。
 鈍く煌めく玩具の指環を最期に視界へ納め、青年は双眸を鎖した。もしも、赦されたら、あの白い花畑に戻れるだろうか。
 いつか己の手を引いて呉れた、いとしき片割れと共に。

成功 🔵​🔵​🔴​

ディアナ・ロドクルーン

屋敷の地下墓地…か。嫌な事を思い出しそう…
それにしても、こんなところに埋葬されたら安らかに眠る事すら出来なさそうよね


コツコツ― 音がする。一度目は気のせいだろうと気を逸らす

コツコツ― 二度目は音の出所を耳で探ってしまう

コツコツ― 気のせいではないと確信を抱き

誰が、呼んでいるの?どこなの?ねえ
音が響くたびに気がはやる

早く、早く見つけないと
助けないと

きっとあの人だ。私の、師父。
呼んでいる、呼んでいる。急がないと

嗚呼、やっと見つけた
こんなところにいたのね…、大丈夫
今、助けてあげる。今度こそ、助けてみせるわ
(血溜まりに沈む師父の姿が脳裏に浮かび)

あの時とは違うのよ、だから、だから―…!

(棺を開ける



●第九夜
 光が届かぬ地下墓所は昏く、反響する踵の音すら何処か冷たい。ディアナ・ロドクルーン(天満月の訃言師・f01023)は、紫水晶の眸に微かな不安の彩を浮かべながら、周囲をぐるりと見回した。
 ――嫌な事を思い出しそう……。
 不安が胸中で鎌首を擡げ、振り払うように頸を振る。なにか、気晴らしになることを考えなければ。嗚呼、そうだ、それにしても。
「こんなところに埋葬されたら、安らかに眠る事すら出来なさそうよね」
 ただ並べられただけの柩と云い、其処に綴られた素っ気無い金文字と云い。此の邸宅の主が本気で死者を悼む心算が有るのか、正直分かり兼ねた。

 コツ、コツ――。

 何処からか、扉を叩くような音がする。娘の耳がピン、と跳ねた。まさか、此処に生者が居る筈もあるまい。気のせいだろうと、努めて意識に留めぬことにした。
 他のことを考えよう。例えば、此処に眠る人々は生前、どんな人生を送っていたのか、なんて。

 コツン、コツン――。

 二度目の音は、先ほどよりも大きく反響した。娘の耳はピクリと動き、ついつい其の出所を探って仕舞う。狼の耳の良さが、今ばかりは怨めしい。
 きっと、何処からか出入りしている鼠が立てた音だ。そうに違いないと、思いたかった。

 コツ、コツ――。

 三度目で、漸く確信した。
 墓所に響き渡るノック音は、決して気のせいではないということを。長い髪を揺らして、恐る恐る、音がする方へと近付いて行く。
「……誰が、呼んでいるの?」
 静かな聲彩で、そうっと問い掛ける。けれども、返事は無い。ただ只管に、コンコン、コンコン。ノックの音が、響き続けるのみ。
「どこなの? ねえ――」
 固い音色を耳に捉える度に、気が逸って行くのが分かる。あの音は自分を呼んでいるのだと、助けを求めて居るのだと、そう気づいて仕舞ったがゆえに。

 ――早く、早く見つけないと。助けないと。

 柩のなかで懸命に音を立てているのは、きっとあの人だ。
 打ち棄てられていた己を拾い、育み、学ばせてくれた、誰よりも敬愛するひと。義父であり、師父であるひと――。

 呼んでいる。あの人が、呼んでいる。
 此処は昏くて寂しいと。柩の中は、狭くて窮屈だと。

 ――急がないと……。

 娘はひといきに駆けだした。
 漸く再び縁が繋がったのに、また、手遅れに成って仕舞う。もしそうなって仕舞ったら、きっと自分が自分を赦せない。
「嗚呼、やっと見つけた」
 軈て立ち止まったのは、ガタガタと揺れる黒檀の柩の前。中身なんて見えて居ないのに、此のなかに師父が眠っているのだと、何故だか確信して居た。
「こんなところにいたのね……」
 柩の傍らに跪き、刻まれた金字を白きゆびさきで、そうっと撫ぜる。嘗て自分は、彼にいのちを救われた。だから今度は、此方が手を差し伸べる番。
「大丈夫、今、助けてあげる」

 今度こそ、助けてみせる――。

 紫水晶の眸に決意を秘めて、娘は静かに双眸を鎖した。脳裏に過るは、血溜まりに沈む彼の姿。
 当時ちからを持たなかったディアナは、如何することも出来なかったけれど。いまは違う。彼女も猟兵として、数多の経験を積んで来たのだ。
「あの時とは違うのよ。だから、だから――……!」

 どうか、生きていて。

 祈るような想いで、柩に手を掛けた。重たい蓋を、ぐっと開く。
 なかに眠る其のひとの姿を確かめる前に、娘の躰は慈悲深い闇のなかへ、ずるりと呑み込まれて行った。

成功 🔵​🔵​🔴​

宵雛花・十雉


墓はオレにとっては賑やかな場所
眠った筈の人々が行き交い
あちこちから囁き声が聞こえる
そんな場所

死んだ人が見えてよかったなんて思ったこと
そんなになかったな

第六感を頼りに地下墓所へ
ひやりとした空気が身に沁みて
どこか神聖なものすら感じる

柩を内側から叩く音
それから苦しげな呻き声

柩の中は狭くて息苦しいのかな
まだ死にたくない
生きていたいって
そんな気持ちになるのかな

代われるものなら代わってあげたい
何度思ったことか

柩の中に収まって
焼かれて灰になった時
お父さんも苦しかった?
気付かなくてごめんね
すぐに助けるから

柩の中には誰かの焼けた骨
干からびた花に埋もれるように眠っていた

ああ、やっと
オレもそっち側に行けるんだね



●第十夜
 墓地と云うものは、宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)にとって、賑やかな場所である。永き眠りに就いた筈の人々が、右へ左へと行き交って。あちこちから囁くような聲が聞こえる、そんな場所。
 ――死んだ人が見えてよかったこと、そんなになかったな。
 霊感なんて、あっても碌な事が無い。寧ろ、死への冀求が募って怨めしいばかり。茫とそんな思索に耽りながら、青年は光の射さぬ墓所へと降り立った。
 ひやりとした空気が、身に沁みる。石を積み上げられて造られた此の空間に、どこか神聖なものすら感じて、十雉はゆっくりと息を吸い込む。

 ――コン、コン。

 噂の通り、柩を内側から叩く音が聴こえる。よくよく耳を澄ましたら、ノックの音に紛れて微かに、苦しげな呻き聲まで聴こえて来る始末。
 ――柩の中は、狭くて息苦しいのかな。
 段々と空気が抜けて行って、碌に呼吸も出来ず、その内に意識が潰えて行くのだろう。音の主は一体どんな気持ちで、埋葬されているのだろう。

『まだ、死にたくない。生きていたい』

 そんな気持ちになるのだろうか。もしそうだとしたら、余りにも可哀想だ。代われるものなら代わってあげたいと、何度思ったことか。
 ゆるりと歩みを進めた十雉は、音を響かせる柩の前で、ふと立ち止まる。黒檀の艶めきを見降ろしながら想いを馳せるは、今は亡き父のこと――。
「……お父さんも、苦しかった?」
 柩の中に収まって、焼かれて灰になった時。
 喩えそれが弔いの容であろうとも、望まぬ埋葬を施された死者たちと、同じ苦しみを味わったのでは無いだろうか。

「気付かなくて、ごめんね」

 夕焼けの彩の双眸を伏せて、謝罪の言葉を紡ぐのは。眼前の柩に父が眠っているのだと、そう確信して居たから。すぐに助けるから、と青年は柩にゆびを掛ける。
 金の留め具をカラリと外し、力を籠めて蓋をずらす。それから、そうっと柩の中を覗き込む。
 果たして其処には、誰かの焼けた骨が置き去りにされていた。
 水分と陽射しを喪って干からびた花のなかに埋もれるように、彼の父が眠っていたのだ。

「ああ、やっと……」

 双眸から、ぽとりと透明な雫が零れ落ちる。
 止め処なく溢れる其れを拭うことすら忘れて、青年は穏やかに口端を弛ませた。

 ――オレも、そっち側に行けるんだね。

 柩の縁に手を掛けて、迷うことなく中へと身を投げる。
 柩のなかは想像通り、狭くて窮屈だった。けれども、父の遺骨に寄り添う十雉は、穏やかに眸を閉じる。青年のこころは今、こどもじみた安寧で満たされていた。ふと、ふたりの上に、影が差す。
 ぎぃ、ばたん――。
 重たげな音が、地下室に反響する。斯くして、柩は再び鎖された。其処に有るのは、安らかなる眠りだけ。

成功 🔵​🔵​🔴​

旭・まどか


――嗚呼、“其処”に居たの

海の向こうへと往ってしまったのは知っていたけれど
傍に在るのに隣には居ないから
お前の身体は何処にあるのだろうかと思っていたんだ

冷たくて、硬い

飾り気の無い寂しい柩はお前が眠る場として相応しくない
お前が眠るのは、あたたくて、やさしい場所じゃないと

――はは、ぼくは、何を莫迦な事を
そも、お前が“生きて”いるならば、ぼくが此処に在る必要は無い

其方と此方の立ち位置を換える時だ

“お前”が陽り射す地上に
“ぼく”が陰り降つ地下に

在るべきものを、在るべき場所へ

――嗚呼、成程
“だから”、なんだね
此の柩がこんなにも淋しい理由が解ったよ

おはよう
目覚めの時だ
お前の顔を、ぼくに見せて



●第十夜
 鼓膜を激しく揺らすノックの音に、眉ひとつ顰めずに。旭・まどか(MementoMori・f18469)は淡々と、何処か夢見心地で、揺れる黒檀の柩へ近づいて行く。
「嗚呼、」
 花唇から零れるのは、万感を籠めた嘆息だ。
 呆れたような、それでいて少しだけほっとしたような聲で。少年は無機質な黒檀越し、そうっと『大切なひと』へ囁き掛ける。

 ――“其処”に居たの。

 いつか“お前"が、海の向こうへと往ってしまったのは知っていた。けれど、何時でも其のこころは傍に在るような気がして。でも矢張り、其の容は隣に居ないから。
「お前の身体は何処にあるのだろうかと、思っていたんだ」
 けれども今、漸く分かった。
 其の躰は、陽の当らぬ墓所に鎖されて居たのだ。まどかは白いゆびさきで、静かに柩を撫ぜる。ひんやりと冷たくて、硬い。
 金の文字で有り触れた追悼のみが綴られた、飾り気の無い寂しい匣のなか、ずっと眠っていたなんて――。
「お前には、相応しくないね」
 そう零す科白は、何処までも穏やかで、暖かい。まるで、闇夜に射し込む月の灯のように。けれども、柩に眠るそのひとを照らす灯は、月だけでは足りない。
「お前が眠るのは、あたたくて、やさしい場所じゃないと」
 例えば、お日様の光が差し込む、数多の彩に溢れた花畑とか。
「――はは」
 其処まで考えて、少年は乾いた哂いを溢す。余りにも密やかで反響すらしなかった其の聲には、自嘲の彩が滲んでいた。
 何を、莫迦なことを。
 そもそも、“お前”が“生きて”いるならば、其の写し身である『旭・まどか』が此処に在る必要など、無いのだ。――ならば、いまこそ「其方」と「此方」の立ち位置を換える時。

“お前”は柩から抜け出して、陽り射す地上へ。
“ぼく”は柩に潜り込み、陰り降つ地下へ。
 在るべきものを、在るべき場所へ、還すとしよう。

「――嗚呼、成程」
 再び思考を巡らせて、まどかは納得した様に薔薇彩の双眸を瞬かせた。“だから”、なのだろう。“お前”が眠る柩が、こんなにも淋しいのは。
 こんなにも、逢いたいのに。光と影、ふたつが同時に存在することなど、赦されない。それでも、その貌をひと目見たいと希うことくらいは、赦されるだろうか。
 まどかは静かに、柩へと指を掛ける。あえかなゆびさきに、ぐっと力を籠めれば、思ったよりも簡単に蓋は開いた。逸るこころを抑え、ゆっくりと柩のなかを覗き込む。さあ、目覚めの時だ。
 はやく、嗚呼、はやく。お前の貌を、ぼくに見せて……――。

「おはよう」

 ほんの僅か寂し気な貌に微笑みを湛え、慈しむような聲を響かせて。少年は影のなかへと、還って行く。大切なひとへ再び光が注がれることを、希いながら。

成功 🔵​🔵​🔴​

琴平・琴子
☆◎

暗い所は好きじゃない
いつだって良くないものがいるから
…別に怖くないですし

開けて、と願うノック音
そんなものは有る筈無い
暗い影に生ぬるい風
そんなものは気の所為
開けて、と願う声
――貴方が此処に居る筈無い、のに

どうして
そんなところで眠っているの

貴方にそんな場所は似合わない
貴方はお陽様の下が似合うのに
寝るなら暖かな日の芝生の上なのに

ああ早く開けたいのに柩は重たくて爪が剥がれそう、指が痛い
起きて、ねえ
そんなところで眠ったら、風邪を引いてしまいますよ
ねえ、王子様
お花がいっぱいでとても綺麗ですけど
お姫様と一緒に眠るならともかく、御一人は寂しいのではなくて?
良いですよ、一緒に寝てあげますよ



●第十一夜
 暗い所は、好きじゃない。
 いつだって、良くないものたちが潜んでいるから――。
 琴平・琴子(まえむきのあし・f27172)は浮かない貌で、かつり、かつりと、石畳を踏み締める。
 ――……別に怖くないですし。
 誰にともなく内心で強がってみせるのは、矜持と勇気に溢れた“王子様”に憧れているから。だから、――コンコン、コンコン。まるで「開けて」と懇願するように鳴り響く音も、有り得ないと一蹴する。少なくとも琴子が居た世界では、墓所に眠っているのは「死者」だけだと、相場が決まっているから。
 生温い風がふと、黒曜の髪をふわりと浚い。少女は思わず、脚を止める。吹き抜けて行ったあの風は、覚えの在るゆびさきに何処か似ていて。翠の双眸は、無意識に其の姿を追って仕舞った。すると視界の端を、長身の影がすぅ、と過る。
 ――きっと、気の所為……。
 暝闇を忌避するあまり、神経が過敏になっているのだろう。らしくない、と頸を振った少女が、一歩脚を踏み出した、その刹那。

『開けて』

 そう願う聲が、今度こそはっきりと聴こえた。貴方が、此処に居る筈なんて無い。そんなこと分かって居るのに、嗚呼。
「どうして……」
 震える唇は、勝手に問いを紡いでいた。あの日、あの時、元居た世界で手を差し伸べてくれた貴方が、どうして。
「そんなところで眠っているの――」
 お守りの防犯ブザーを押すことすら忘れて、琴子は聲がする方へ、ノックの音が鳴り響く方へと、一目散に駆け出した。
 穏やかに微笑み掛けてくれる貴方に、そんな場所は似合わない。金彩に煌めく髪といい、うつくしいかんばせといい、貴方はお陽様の下が似合うのに。
 眠るならいつかのように、暖かな芝生の上じゃないといけないのに――。
「……っ」
 ガタガタと揺れる柩に駆け寄って、琴子はパチパチと留め具を外す。そうして、重たい蓋へゆびを掛け、ぐっと力を籠めた。ああ、早く開けたいのに。開けないといけないのに、蓋は固くて重くて、ゆびが痛い。爪が剥がれて仕舞ったかも。
 でも、そんなこと、如何でも良かった。

「起きて、ねえ――」

 ぎぎ、と漸く開いた蓋のなかを覗き込んで。琴子は、静かに語り掛ける。柩のなかは、昏くて寒そうだ。そんなところで眠ったら、きっと風邪を引いてしまう。
「ねえ、王子様」
 淡い桃彩の花で埋め尽くされた柩のなか、安らかに眠るひとりの青年。彼こそが、琴子が嘗て憧れて、いまも目標にして居る、王子様。
 宵闇においてなお煌めく金の髪も、花に囲まれた其の姿も、とても綺麗だけれど。叶うことならこんな場所で、再会などしたくなかった。
「お姫様と一緒に眠るならともかく、御一人は寂しいのではなくて?」
 王子様には、お姫様が寄り添うもの。されど、其の姿はない。諭すように紡ぐ言葉に、未だ目覚めぬ王子様が微かに肯いた気がして。琴子の胸はきゅ、と締め付けられた。

「――良いですよ」

 一緒に、寝てあげますね。
 覚悟を決めたように双眸を瞼に鎖して、少女は柩へ身を投げる。もしも、彼が同じ立場なら、きっと迷うことなく、そうしてくれただろうから。
 昏くて狭い柩のなかでも、ふたりなら、温かな夢を見られるだろうか。

成功 🔵​🔵​🔴​

フィオリーナ・フォルトナータ

身を潜められそうな場所を探し歩く内に
ふと視界の隅を通り過ぎた小さな影
何故?と思う間もなく、その姿を探していた

…主様
只の人形に過ぎぬわたくしを
ひととして扱って下さったあなた様
忘れもしないあの日
国ごと炎に呑まれ、焼き尽くされて
然るべき場所への埋葬どころか
その亡骸を抱き締めて差し上げることすら叶わなかった
このような場所に居る筈などないと分かっているのに
その意識さえも忽ちの内に塗り替えられてゆく
開けないほうが良いと言われたのに
抗えぬ衝動が全てを覆っていく
…ああ、わたくしは、

埃を払い、柩の蓋を開けましょう
主様、そこに居られるのですか?
このような冷たい所にお一人で…
今、わたくしが出して差し上げますからね



●第十三夜
 暝闇に満ちた世界に、一輪の薔薇が舞い降りる。
 少女の容をした人形、フィオリーナ・フォルトナータ(ローズマリー・f11550)は、剣の柄にゆびを這わせた侭、右へ左へ、空彩の眸を巡らせた。今回、猟兵たちに課せられたのは、潜入任務。ゆえに身を潜められる場所を、探しているのだ。
 どうやら近くに丁度良い空間は無い様なので、薔薇彩の乙女は、踵を鳴らしながら慎重に墓所の奥へと進んで往く。

 ――ふと、視界の隅を小さな影が走り去った。

 疑問を抱くよりも先に、その姿を視線で追い掛ける。けれども、幾ら頸を巡らせ辺りを探そうと、その姿は見つからない。
「……主様」
 視界に映ったのは一瞬だったけれど、見逃す筈があろうものか。あれは、フィオリーナが誰よりも守りたかったひと。只の乙女人形を、“ひと”として扱ってくれた御方――。
 あの日のことは、忘れもしない。
 大蛇のように燻る焔に呑み込まれ、ひとつの国が燃え盛り、総てが焼き尽くされていく。
 残ったのはただ独り、オールドローズの乙女人形だけ。
 焔は総てを灰へと変えて仕舞ったから、然るべき場所への埋葬はおろか、其の亡骸を抱き締めることすら、終ぞ叶わなかった。
 だから、“主様”が此処に居る筈なんてない。そんなことは、分かっているのに。どうしても、垂らされた蜘蛛の絲に、希望に縋らずには居られない。
 忽ちの内に塗り替えられてゆく意識は、乙女の衝動を。そして其の華奢な脚を、突き動かして行く。

 蓋を開けないほうが良いという忠告は、覚えていた。けれども此の衝動には、甘い夢想には、抗えない。抗いたいとも、余り思えない。
 コン、コン。
 ちいさなノックの音を響かせる柩の傍に、フィオリーナはそうっと膝を着いた。嗚呼、可哀そうに。埃が被って仕舞うくらい、放って置かれていたなんて。

「……ああ、わたくしは、」

 白いゆびさきで積った埃を払い除け、乙女は柩の蓋へと手を掛ける。眸に嵌め込まれた空彩が、慈しむように黒檀を見降ろした。
「主様、そこに居られるのですか?」
 ただの人形にも温かな感情を注いで呉れた尊いひとが、こんな冷たく昏い場所に、たった独りで閉じ込められていたなんて。
 返事が無いのは、きっと焔で喉が焼けてしまった所為に違いない。或いは、段々と薄く成る空気に、息も絶え絶えなのかも知れない。
 だから、早く――。

「今、わたくしが出して差し上げますからね」

 ぎぃ、と重たい音を立てて、柩の蓋は開かれた。かつて自分がそうして貰ったように、乙女は柩のなかへと手を差し伸べる。
 其の手を掴んだのは、そして、華奢な其の躰を柩のなかへ引きずり込んだのは、――果たして誰の掌だったのだろうか。

成功 🔵​🔵​🔴​

シャト・フランチェスカ


こんなところにいたの

ロア、僕が、…いいえ

「あたしが死んだあと
ロアはあたしの代わりに生きてね、なんて
そんなこと言わないからね」

【シャト】はそう言ったっけ
一緒に死んでよなんて願ったら
ロアはそうしてしまうからね
でも、生きて、とも言えなかった

欠けたものを抱えながら
あまりに重たい命の残滓を枷に
生き続けねばならないなんて
そんなの呪いだもの
優しくておぞましい愛の呪い

僕はきみたちが羨ましいよ
妬ましくて愛おしい
僕の意識、名前、存在
そんな瑣末なものよりも
きみたちが悲劇的なほど幸福に生き抜いて
その果てに何が遺るか識りたい

そんな物語が続いたなら
僕なんて要らなかったでしょ?

だから、ロア
この【シャト】の贋作の手を取って



●第十四夜
 コンコン、コツコツ――。
 反響を続けて止まないノックの音に誘われる侭、シャト・フランチェスカ(侘桜のハイパーグラフィア・f24181)は、ゆるり、歩みを進み続ける。軈て辿り着いたのは、微かに揺れる黒檀の前。
「こんなところにいたの」
 櫻彩の双眸を三日月の容に細めながら、紫陽花の乙女はよく識るひとが眠る、其の匣を見降ろした。
 ――ロア、僕が。
 其処まで思考したところで、「いいえ」と娘は頸を振った。この記憶はきっと、何処かの誰かの物語。さあ、文豪お得意の夢想を始めよう。

『あたしが死んだあと、ロアはあたしの代わりに生きてね』

 それは、在り来りな科白。
 凡人が綴る脚本ならば、其処で科白は終わるだろう。物語は何処か希望を孕んだ、ビタァエンドへ向かうに違いない。
 しかし、文豪の筆は其処で止まらないのだ。

『なんて――そんなこと、言わないからね』

 そう、あの『シャト』は確か、そう言ったのだっけ。本当は『一緒に死んでよ』って、云いたかったけれど。ロアはきっと、そうして仕舞うから。
 だけれど、『生きて』とも、言えなかった。
 ロアにとって、『シャト』はこころの一部。ゆえに其の存在を喪った後、欠けたものを抱えながら。あまりに重たく、忘れることすら許されぬ、そんな命の残滓を枷として、生き続けねばならないなんて。
 ――そんなの、呪いだもの。
 生きろと望む優しさと、忘れるなと魂に盟約を刻むおぞましさ。その双つが綯交ぜに成って、軈ては愛の呪いと成る。
「僕は、きみたちが羨ましいよ」
 それだけでは無い。嗚呼、痛ましいほど妬ましくて、狂おしいほど愛おしい。
 自身の意識は何処にあるのかということ、そして『シャト・フランチェスカ』と云う名前の意義、或いは其の存在の何たるか。――そんな瑣末なものよりも、何よりも、識りたいものがある。
 それは、“きみたち”が如何に悲劇的なほど幸福に生き抜いて、その果てに何が遺るのかと云うこと。
 だって、登場人物が独り欠けたとしても、そんな物語が続いたのなら……。
「僕なんて、要らなかったでしょ?」
 肯定も否定も、返って来ない。そもそも、そんなもの求めて居ない。シャトはただ、奪われたものを取り返したい一心で。そして、答えを識りたい一心で、開いた棺桶のなかへと手を伸ばす。

「ロア――」

 どうか、この『シャトの贋作』の手を取って。そうして、絡めたゆびさきは二度と離さずに。今度こそ、未完の物語を終わらせよう。
 軈て鎖された柩のなかで、徒桜はトゥルーエンドの夢を見る。

成功 🔵​🔵​🔴​

ライラック・エアルオウルズ

過るものに、息を吐く
想像力豊かであるのも
時折損をするものだよ

そも、舞台が悪い
墓所と云う場において
明瞭と想うひとがいるから
振り切るよう、頭振れども

ライラック、と
呼聲に裡が跳ねる
これだって、きっと
想像のはず、だけど

かろやかに棺を鳴らす
ふたつのノックはまるで
病弱な幼少期、寝室に響いた、

父さん?

瞬間、何かが揺らいだ
此処に居るわけがない
僕は、棺で眠るあのひとを
花咲く丘に埋めたのだから
そうあるはずが、ないのに

ああ、そうか、――ああ、
生きてたんだ、父さんは!

ごめんね、幼さゆえに
鼓動を聞き逃したんだ
窮屈だろう、少し待って
大丈夫、病も良くなるさ
今度は僕が薬を買うから
父さんのために働くから

だから、しなないで、



●第十五夜
 まあるい眼鏡越し、ちらりと視界の隅を過ったのは、己が描く空想から飛び出した『友』の姿に違いない。
 まったく、想像力も豊か過ぎれば損をするものだと、ライラック・エアルオウルズ(机上の友人・f01246)は、ちいさく息を吐いた。
 そもそも、此の舞台が悪い。
 墓所と云う場所は、亡きひとのことを否が応でも思い起こさせる。明瞭と想うひとが居るのなら、猶更に――。
 脳裏に過った其の姿を振り切るように、作家は帽子を片手で抑え、ゆうるりと頭を振る。此処は縁もゆかりもない邸宅だ、恐れることなど、増してや不安に成ることなど、何も無い。

 ――ライラック。

 どくん。
 聴き覚えのある聲に名を呼ばれて、鼓動が跳ねた。嗚呼、これだって、きっと。先程と同じような、想像の筈。否、想像の産物だとしたら、余りにも……。

 ――コン、コン。

 ノックの音は、ふたつだけ。優し気に、かろやかに。
 柩のなかから鳴り響く其の音は、病弱だった幼少期、寝室に響いたあの音と、まったく同じだった。

「……父さん?」

 そのことに気づいて仕舞った瞬間、ライラックのなかで何かが揺らいだ。まさか、さすがに空想が過ぎる。こんな所に、父が居るわけがないのだ。
 だって、棺で眠るあのひとを、蒼花が咲き乱れる丘に埋めたのは外でも無い、――ライラックなのだから。だから、そんな筈は無いのに。
 やさしいノックの音に、つい、期待して仕舞った。
「ああ、そうか、――ああ」
 空想は、辛い現実を、受け入れがたい過去を救ってくれる。ゆえに作家は、リラの花束と著作を、彼の墓に供えたことも忘却して。灰色の脳内で目まぐるしく、妄想を組み立てて往く。そうして、或るひとつの結論に辿り着いた。

 ――生きてたんだ、父さんは!

「ごめんね」
 懐かしい音を響かせ続ける柩のほうへと、ライラックは静かに歩んで行く。あの頃の自分は幼なかったから、きっとあえかな鼓動を聞き逃して仕舞ったのだ。
 今まで気づかなかったなんて、――本当に、悪いことをした。
「……窮屈だろう」
 漸く目当ての柩の前に辿り着いた彼は、「少し待って」と断りを入れて、黒檀の蓋に手を掛ける。見慣れた『T.E』の銘も、祈りの言葉も見当たらないけれど。其処に父が居るのだと、そう確信して居た。
「大丈夫、きっと病も良くなるさ」
 パチン、パチンと、留め金を外しながら紡ぐ科白に、親愛の情が滲む。
 いつか貴方がそうしてくれたように、今度は僕が薬を買おう。そして父さんのために、働くから。だから、

「しなないで――」

 重たい蓋を開いたライラックは、痩せた父の躰へと縋り付くように手を伸ばす。掘り起こされた“うつくしき想い出”は、慈しむように彼を彼岸へ誘って行く。

成功 🔵​🔵​🔴​

シキ・ジルモント

柩を叩く音がする
すぐに抜けるよう銃に手をやり警戒を強めて
…しかし頭に過ったのは、その銃の元の持ち主の姿

馬鹿な、あり得ない
あの人が死んでいくのを何も出来ずに見ていただろう
俺を庇って倒れて、たくさん血を流したまま俺を心配して、少し笑って、そのまま目を閉じて

…しかし、今ならどうだ
この柩を開けやれば助ける事ができるかもしれない
あの時助けられなかった大切な人を、今度こそ助けられる

開いた柩には男が一人
思った通りの人が眠っている
疑問より安堵をおぼえる自分に違和感も抱けず、「何事にも警戒を怠らないように」という彼の教えも守れずに無防備に柩の中へ手を伸ばす
引きずり込まれても抵抗はしない、あの人がそうするのなら



●第十六夜
 柩を叩く、音がする。
 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は、すぐ抜き放てるようにと、懐に忍ばせたハンドガンへ、人知れず指を這わせた。蒼い眸に、警戒の彩が滲む。

 ――ドンッ。

 苛立たし気な音に、グリップを握り締める。そんな隙の無い行動とは裏腹に、ふと脳裏に過るのは、シロガネの銃の“本来の持ち主”の姿。
「……馬鹿な」
 まさか、あの人が此処に眠っていると云うのか。そんなこと、あり得ない。なにせ、あの人を看取ったのはシキだ。そう、あの人が死んでいくのを、何も出来ず、ただ見ていたのは……。

 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
 あの人は、シキを庇ってくれた。それから、ゆっくりと倒れて。止め処なく傷口から血を流しながらも、最期まで彼のことを心配して。無事を確認すれば少し笑って、其の儘そうっと目を閉じて。それから、動かなくなった。
 恩人の死を前に、シキに出来ることは何も無かったのだ。

「……しかし、今なら」
 もう、無力だった頃の自分は居ない。数多の戦場で経験を積んで来た今なら、あの人を助けることが出来るかも知れない。その為には、――そうだ、あの柩を開けてやろう。そうすれば、きっと。
 あの時助けられなかった“大切な人”を、今度こそ助けられる。

 青年は狼の耳を揺らして、音の出所を辿る。忌むべき特徴も、今ばかりは天からの贈り物のように想える。軈て揺れる柩の前に辿り着けば、彼は躊躇う事無く柩に手を掛けた。
 ぎぃ、と重たい音を立てて、柩が開く。其のなかには男が独り、眠っていた。思った通り、あの人だ。あの時と同じ貌で、安らかに眠っている。
 其の貌に苦しんだ様子が無いことに、シキはこころからの安堵を覚えた。何故あの人が此処に居るのかと云う疑問など、抱くことも無く――。
 青年は無防備に、柩のなかへと腕を伸ばす。冷たいあの人の手に触れた、その瞬間。彼の躰が勢いよく、内側から引っ張られた。
 バランスを崩したシキは、柩の中へと倒れ込む。
 懐かしい腕が、彼の腕を固く締め付けていた。闇のなかへと引きずり込まれながら、青年はあの人の教えを想い出す。

『何事にも警戒を怠らないように』

 さすがに不用心だと、叱られるだろうか。けれども今回ばかりは、大目に見て貰いたいものだ。
 纏わりつく腕に抵抗することもなく、シキは静かに双眸を鎖した。あの人がそうするのなら、償いを望んでいるのなら、自分は甘んじて其れを受け入れよう。
 斯くして青年の世界は、冷たい闇に包まれて行く――。

成功 🔵​🔵​🔴​

セシル・エアハート

誰にも看取られずに一人寂しく…。
哀しいね。
こんなに冷たくて暗い所に置き去りにされて。
ここに眠っている人達は大切な家族はいたのかな…?

…、…!?
今、懐かしい声が聞こえたような…。
…いいや、有り得ない。
あの人は俺を庇って死んだ筈。
今更生きているなんて…。
…もしかして助けを求めている?
なら迷っている暇なんてない。
助けないと、後悔してしまうから。


何だ…そこにいたんだね。
相変わらず綺麗な顔だ。
周りの人達から 『よく似ている』なんて言われた事あったっけ。
今度はもう悲しい思いをしたくない。
絶対に貴方を助けたいから。

だから目を覚まして……母様。



●第十七夜
 黒檀の柩のなかには、身寄りのない者たちの遺骸が眠っているのだと云う。セシル・エアハート(深海に輝く青の鉱石・f03236)は、並べられた寂しい匣たちを眺めながら、藍彩の眸を伏せる。誰にも看取られることなく、独り寂しく逝くなんて。
「……哀しいね」
 しかも、こんなに冷たくて昏い、一筋の光すら差し込まぬ墓地へ置き去りにされて。果たして彼等は、安らかに眠れているのだろうか。
「ここに眠っている人達に、大切な家族はいたのかな……」
 少年がそんなことを想って仕舞ったのは、家族を奪われた幼い頃をつい、想い出して仕舞ったから。 

『――……』

 悲観に浸る間もなく、あえかな聲が微かに鼓膜を揺らす。その瞬間、セシルは弾かれたように貌を上げた。
「……!?」
 いま、懐かしい聲が聞こえたような――……いいや。まさか、そんなこと有り得ない。『あの人』は非力な自身を庇って、死んだ筈なのだから。
「今更生きているなんて……」
 有り得る訳がない、と一蹴することは出来なかった。一度胸裏で擡げた疑念は、みるみる内に膨らんで行く。懐かしい聲に混じって、ドン、ドン、と何かを叩くような音が、冷たい世界に反響し始めた。
「……もしかして、」
 あの人は、助けを求めているのだろうか。生きながらにして、昏い柩のなかへ閉じ込められ。薄れゆく酸素と意識のなか、必死に――。
 もしそうだとしたら、迷っている暇なんてない。喩え、これがオブリビオンの策略でも構わなかった。
 いつか、自分の所為で死なせてしまったあの人。それを見殺しにするなんて出来ない。いま助けないと、後悔してしまうから。だから、少年は蒼彩の髪を振り乱し、音の鳴るほうへと駆け出して行く。
 目当ての匣は、拍子抜けするほど直ぐに見つかった。重たい蓋をぐぐ、と押し開けたセシルは、其処に眠るよく識った姿に双眸を緩ませて微笑む。
「何だ……」

 そこに、いたんだね。

 柩のなかのあの人は、相変わらず綺麗な貌をしていた。ふわりと広がる海彩の髪に、白磁のように滑らかな肌。嗚呼、懐かしい。周りのひと達からは『よく似ている』と、言われていたっけ――。
 胸裏に込み上げる懐かしさは、少年に勇気を与えてくれる。今度は、このまま引き下がったりしない。もう、あんな想いをしたくはないのだ。
 絶対に、貴方を助けたい。だから、

「目を覚まして……」

 母様、セシルは親愛を籠めてそう囁いた。
 彼の呼びかけに答えるように、柩のなかから、白い腕が伸びる。少年は躊躇うこと無く、白磁の手に己のゆびさきを絡ませて――。
 愛しい腕は、ずるり、と柩のなかへ彼を引きずり込もうとする。しかし、少年は総てを受け入れて。闇のなかへ、靜かに呑み込まれて行った。

成功 🔵​🔵​🔴​

榎本・英


嗚呼。暗闇は未だに慣れない。
今すぐにでも飛び出してしまいたいよ。

けれども、行かねばならない。
なぜ行かねばならないのかは、私には分からないが――…。

ひっ。私を呼ぶ音に驚き、そして慄く。

あの中には私の大事な人が閉じ込められている。
今すぐに助けなければならない。
重たい柩の蓋に手をかける。

嗚呼。此処で私を呼ぶ者などいたのか。
知った声が聞こえる気がするが、誰だったかな。
そんなに叩かないで呉れ。
今すぐに、もうすぐだ。助けるよ。

嗚呼。開いたようだ。
おはよう。私を待っていてくれたのかい?

もう少し、優しく呼んで欲しかったよ。
溢れんばかりの本と血濡れた糸切狭が詰め込まれていた。



●第十八夜
 光の届かぬ地下墓所をそろりと歩きながら、榎本・英(人である・f22898)は、ほうと重たい吐息を吐いた。
 嗚呼。暝闇は、未だに慣れない。
 正直に云うと、今すぐにでも飛び出して仕舞いたい心持ち。けれども、青年は歩みを止めない。“行かねばならない”からだ。行かねばならない理由は、見当もつかないけれど――……。

「……ひっ」

 耳朶をそうっと、冷たい風が撫ぜた。あえかな聲が、鼓膜を震わせる。嗚呼、誰かが己の名を呼んでいるのだ。驚きと慄きに漏れかけた悲鳴が、喉につっかえた。
 そう、そうだ。あの中には、英の“大事な人”が閉じ込められている。今もほら、耳を澄ませば聴こえて来る。トントン、トントン。「ここから出して」と懇願するような、ノックの音が――。

 すぐに、助けなければならない。

 激しく揺れる柩の前へと辿り着いた青年は、重たげな黒檀の蓋に手を掛ける。金の留め具をパチン、パチンと外しながら、唇からは不可思議な科白が零れた。
「嗚呼、誰だったかな」
 はて――。
 縁もゆかりもない此処で、己を呼ぶ者などいただろうか。鼓膜をぞわりと撫でた聲は、よく識っている気がするが。其の正体までは、分からない。
 そう思考を巡らせる間にも、ドンドン、ガタガタ。煮え切らぬ彼を急かすように、柩は音を立てて揺れる。
「……そんなに叩かないで呉れ」
 苦い笑みが思わず、口端に滲んだ。狭くて昏い柩のなかは、確かに居心地は悪いだろうけれど。己は恐ろしき暝闇から逃げ出すことなく、墓すら暴こうとしているのだ。少しくらいは、待っていて欲しいものだが。
 重たい蓋を双つの腕で、ぐ、と押す。今すぐに、否、もうすぐだ。

「助けるよ」

 安心させるように、優しい聲彩でそう囁いた刹那。ぎぎ、と柩が開いた。嗚呼、漸くパンドラの匣が、解き放たれたようだ。
「――おはよう」
 私を待っていてくれたのかい、なんて。あまく戯れながら、青年はまあるい眼鏡越し、なかに眠る“其れ”を見降ろした。

「もう少し、優しく呼んで欲しかったよ」

 血のように赫い眸を伏せて、観念したように微笑む。
 黒檀で造られた柩のなか、眠って居たのは“ひとではない”別のもの。
 其処には献花の代わりに、溢れんばかりの本が散らばっていた。そして紙の海に溺れるように、血濡れた『糸切狭』がぽつんと、置かれている。
 其の持主を、英はよく識っていた。
 此処に眠るものは“ひとでなし”、けれど持主の彼女は紛れもなく“ひとである”から。青年は丁重に、柩のなかへと手を伸ばした。
 絲を斬る鋏は本当に、“断つ”ことしか叶わないのだろうか。否、

 ――この刃は、結ぶ為に有る。

 まるで、運命の絲に手繰り寄せられるかのように。英は本の海のなかへと、沈んで行く。入水もまた、文豪の専売特許である故に。

成功 🔵​🔵​🔴​

宵鍔・千鶴


寒い、冷たい、
噫、悪趣味なことだ
並ぶ柩達凡てから
まるで視られ見透かされそう
かたちは違うけれど
もうずっと俺の身も心も
埋葬されている様なもの
圧し潰され朽ち果てるのみ

柩から合図みたいに、こつりと叩く音

ねえ、
きみは今其処で眠っていたの?
未だ刻を止めていないの?

…否、俺が確かにきみの
刻を止めた

でも、ああ、若しかして

俺を
呼んでくれているの

いいよ
もう一度きみに触れられるなら
連れて往って

聲も姿も朧に成ることが
くるしい 苦しいんだ
彼女が還って来ないなら
俺が往くしかないだろう
如何して君が居ないのかと
嘆くことだってもう無いだろう

縋るよう震える手を柩へ伸ばして

―――エト、
きみの世界へどうか誘って



●第十九夜
 光の射しこまぬ墓地は、寒くて、冷たい。ずらりと並ぶ黒檀の柩たちが、猶更に此の場所を昏くしている。宵鍔・千鶴(nyx・f00683)は、何処か落ち着かない心地で、石畳の上を歩いていた。
 ――噫、悪趣味なことだ。
 並べられた凡ての柩から、まるで視られているような気分になる。己が裡に秘めたものまで、見透かされて仕舞うような……。
 しかし、何を恐れることがあるのだろう。
 思えば此の身も、此のこころも、ずうっと埋葬されて居るようなものだ。尤も、その容は、此処に眠る彼等とは違うけれど。軈ては蓋の重みに圧し潰されて、跡形もなく朽ち果てる。其の末路は、彼等と何ら変わらない。

 ――コツン。

 少年が其処まで思考したところで、合図のように音が響いた。これは、柩を内側からノックする音。誰が立てた音なのか、何故だか想像はつく。
「ねえ――」
 音のするほうへ向けて、千鶴は一歩ずつ、脚を踏み出した。まるで彼を誘うように、ノックの音は規則正しく響き続けている。

 きみは今まで、其処で眠っていたの。
 未だ、刻を止めていないの。

「……否、俺が確かに」
 きみの、刻を止めた。
 ゆびさきには未だ、その感触だって遺って居るのに。石壁に反響し続ける音は、その事実を雄弁に否定していた。嗚呼、若しかすると、
「俺を、呼んでくれているの」
 まるでパラソムニアのように、ふらりふらり。揺れる柩の方へと、進んで行く。引き返すなんて選択肢は、少年のなかに存在しなかった。
「――いいよ」

 連れて往って。

 懇願するような響きが、靜かな地下に響き渡る。もう一度きみに触れられるなら、此のいのちすら、惜しくはない。
 ただ、きみの聲も姿も朧に成ることが、何よりもくるしい。
「苦しいんだ……」
 千鶴は無意識に、胸を掻き毟っていた。待てど暮らせど、彼女が還って来ないなら。自らが、迎えに往くしかないのだろう。そうして、こう尋ねるのだ。

『如何して、君が居ないの』

 ずっと、其の理由を識りたかった。
 けれども、きみは、世界は何も答えて呉れないから。きみの居る所へと、行くしかないのだ。そうしたら嘆くことも、きっともう無いだろうから。
 縋るように黒檀の柩へ身を寄せた少年は、震えるゆびさきを重厚な蓋へと伸ばす。確かめるように、彼女の名をやわく紡ぐ。

「―――エト」

 きみの世界へ、どうか誘って。
 ふと、あえかなゆびさきが、白いゆびさきを優しく握り返した。言葉を交わすより先に、千鶴の腕は思い切り引かれ、バランスを崩した躰は柩のなかへ引きずり込まれて行く。斯くして、少年の希いは聞き届けられた。
 この暝闇を抜けた先に、きみの姿は在るのだろうか。

成功 🔵​🔵​🔴​

ティル・レーヴェ

裡を満たしゆく想い
助けねばという衝動が
この地にある己を襲う

でも…

闇の中響き
己を呼ぶ聲は明確には定まらない
その柩を開けたとて
中にいるそのヒトの姿もわからない

あゝだって
私は“しらない”のだから

物心というものがついた頃にはもう
“彼”の小鳥だったから

私は母たる人の元から
引き離されたのか
手放されたのか
捧げられたのかもわからない
生きているのか
死しているのか
嗚呼それとも
嘗ての私が“導いた”のかも

私は
“私を宿し産んだ人”を
“この命を与えた人”を
“大切だ”とは思うのに
なにひとつ

此の手引かれる儘其処へゆけば
しることが、できる?
あうことが、できる?

わたしをよぶひとはそこにいる?

あゝけれど
私が“助けたい”のは、誰?



●第二十夜
 ドン、ドン、と柩が叩かれる度。ティル・レーヴェ(福音の蕾・f07995)のあえかな肩が、びくりと揺れる。
 こころの裡を、じわりじわり。聖者として赦されぬ想いが浸食してくる。助けねばという衝動が、光の届かぬ墓地で独り彷徨う其の身を襲う。

 ――でも……。

 暝闇のなかで響き渡るのは、ノックの音ばかり。時折その調べに混じって、己を呼ぶ聲が聴こえてくるような、そんな気がするけれど。余りにも不明瞭で、其れが誰の聲なのか定まらない。
 少女は薄々察していた。衝動に耐え兼ね、その柩を開けたとて。中にいるそのヒトの姿はきっと、分からない。

 あゝ、だってティルは、何も“しらない”のだから。

 『物心』というものがついたのは、たしか「雛鳥」であった頃のこと。その時にはもう“彼”の小鳥として、鳥籠のなか囚われていた。
 ゆえに、物心がつく前のことは何も分からない。虚構の聖女として祀りあげられた自身が、如何なる出生を辿ったのかを。
 「母」たるひとの元から引き離されたのかも知れない。或いは、手放されたのかも知れなかった。信心深い“くに”であったから、捧げられたのかもわからない。
 己を此の世に産み落とした其のひとは、果たして生きているのだろうか。それとも、死しているのだろうか。
 嗚呼、それとも――嘗ての私が“導いた”のやも知れぬ。

 ティルにとって母と云う存在は、“己を胎に宿し産んだ人”であり、“この命を与えた人”である。ゆえにこそ、“大切だ”とこころの底からそう思うのに。
 なにひとつ、分からないのだ。

 けれども少女は、音に導かれる侭、揺れる柩の前へと辿り着く。恐る恐る膝を着き、震えるゆびさきで留め金を外して行く。少女の細腕に、黒檀の蓋は重かったけれど。あまい衝動の前では、何の障害にもなり得なかった。そうっと、柩のなかを覗き込む。

 あゝ、矢張り其の姿は朧に霞んでいる。
 どんな貌をしているのかすら、伺い知ることすら出来ない。せめて、母のぬくもりを識りたくて、ティルはゆるりと柩のなかへ手を伸ばす。
 刹那、滑らかなゆびさきが、少女のあえかな掌に優しく絡みついた。柩に眠るその人は、まるで幼子の手を引くように、彼女の躰を柩のなかへと誘って行く。
 本気で抵抗すれば、振り解けるほどの強さだ。けれども、そんな気は起きなかった。もしも、其の手に引かれる儘、柩のなかへと堕ちて往けば。

 其の姿を識ることが、出来るかも知れない。
 もしかしたら、逢ってことばを交わすことが、できるかも。
 あゝ、わたしをよぶひとは、……。

「そこに、いる?」

 あゝ、けれど、零れ落ちた問いに答える聲は、無い。此の身に冠された名前すら、一向に呼んでは呉れない。

 ――……私が“助けたい”のは、誰?

 胸中に儚い疑問を抱きながらも、繋いだ手は決して離さずに。解き放たれた鳥は再び、籠のなかへと堕ちて往く。

成功 🔵​🔵​🔴​

天音・亮


う~…苦手なんだよなぁこういうの…
うひゃっ!えっなにっつめたいっ
ぴあああっなんか音したぁぁあ!

…ううぅ
一人で来るんじゃなかった…(半べそ)
でも、進まなきゃだよね
もし本当に犠牲が出てるなら助けなきゃ

ここに来る前に会いに行ったきみも言ってたもんね
亮が助けられる命を助けておいで。って
そうだよ、それが私が目指す場所
そしていつか、きみも──

『──』

…え?

『─、──』

棺を、叩く音…と、──声だ。
そんな、まさか、だって
そんなはずない、だってきみの声は今…
それにこんなところに居るはず
来る前だって病院で話して、

嘘。うそ、ウソだ。なんで。どうして。

きみの笑顔が脳裏を掠める
伸ばした手が棺を開ける

──ひいろ!!



●第二十一夜
 お日様のしたが似合う娘――天音・亮(手をのばそう・f26138)にとって、いのちの気配が少ない場所は、余り相性が宜しくない。
「う~……」
 娘はおっかなびっくり及び腰で、一歩ずつ墓所の奥へと進んで行く。其の貌に、いつもの明るい笑みは無い。
 ――苦手なんだよなぁ、こういうの……。
 鮮やかな碧彩の眸は襲い来る不安に、ふらふらと揺れていた。不意に、暝闇でもきらきらと煌めく金絲の髪を、生温い風がぶわりと攫って行く。
「うひゃっ!」
 いきなりのことに、驚いた様な聲をあげる亮。今までで一番よいリアクションに、怪異も気をよくしたのかも知れない。ぞわり、ぞわり、続けざまに冷たい風が、彼女のあえかな背を撫ぜ始めた。
「えっ、なにっ、つめたいっ」
 襲い来る怪奇現象に、軽くパニックになる娘。次の瞬間、駄目押しのように――ゴンッ。何処か遠くの方で、柩を殴りつけるような音がした。
「ぴあああっ、なんか音したぁぁあ!」
 太陽の如き娘は矢張り、独りでも賑やかだ。傍から見ると、お化け屋敷をエンジョイして居るようにも見えるだろう。本人としては、泣くほど恐ろしい経験に違いないが。
「……ううぅ」
 独りで来るんじゃなかった、と涙目に成りながら耳を塞ぐ。未だオブリビオンにも出会っていないのに、既に帰りたい気持ちでいっぱいだった。そう、今回のメインは墓場の探索では無く、潜伏するオブリビオンの退治なのだ。

 ――進まなきゃだよね。

 オルソレグ卿に関する不穏な噂を想い出した娘は、恐怖を振り払うようにふるり、頭を振る。もしも本当に犠牲者が出ているなら、こんな所で立ち止まって居る訳にはいかない。この世界のひとたちを、助けなければ。
 ――『きみ』も言ってたもんね。
 不安のなかで思い出すのは、転送前に交わしたささやかな会話。いつものように白い部屋まで逢いに行った、彼のこと。

『亮が助けられる命を助けておいで』

 記憶のなかで微笑む彼に背中を押されて、娘は確りと前を見据える。守るべきひとのことを想えば、暝闇も怖くは無かった。
「……そうだよ」
 誰かのいのちを助けられるヒーローこそ、亮が目指す場所。そしていつか、彼も辿り着くであろう場所でもある。

『──』

 だから、聞き覚えのある聲が鼓膜を揺らした時。娘は何が起こったのか、理解できなかった。
「……え?」
 思わず、後ろを振り返る。其処には誰も居ない。けれど、恐ろしさは感じない。そんなものを感じている余裕など、彼女にはないのだ。

『─―、──』

 ドン、ドン、と棺を叩く音は未だ良い。問題は、遠くから聞えて来る聲だ。その聲の主を、娘はよく知っていた。嗚呼、そんなまさか、そんな筈は。
 ――だって『きみ』の聲は今……。
 そもそも、転送前に違う世界の病院で言葉を交わしたことは、記憶に確りと残って居る。だから、彼が、こんなところに居る筈は無いのに。

 嘘、うそ、ウソだ。

「なんで、どうして……」
 こんなの、嘘だと信じたいのに。
 白い部屋のなか、寂し気に笑う彼の貌が脳裏を掠めた。其の瞬間、彼女の細腕は無意識に柩へと伸ばされていた。躊躇うこと無く蓋を開け、兄の名を呼ぶ。

「──ひいろ!!」

 伸ばした手は虚空を掴み、代わりに無限に広がる闇が、娘の躰を呑み込んで行く。鎖された柩はもう、動かない。

成功 🔵​🔵​🔴​

ロキ・バロックヒート


神様が墓場を怖がるのも可笑しな話
ついてくる足音さえ面白がる
マーチならうたもうたってあげるよ
それとも子守歌の方が良いかな

ハミングに重なる歌声に足が止まる
小さくて籠っていてもわかる
この世ならざる澄んだこえ
もう誰も知らないうた

眠っているのが誰かなんて解っている
そんなに叩かなくてもだいじょうぶ
出たいよねぇ
永らくそこに居たんだもの
さあ封を解いて共に役割を果たさなきゃ
躊躇いもなく棺を開ける

思わず閉じた瞼ごと焼く光が溢れて
ふわりと頬を撫でる天使の羽根
眩しくてよく見えないけれど
きっと笑ってくれてる

ああ、やっぱりそうだ
こちらに居るべきなのは私じゃなくて――

あとに残った光る羽根も
ゆめまぼろしのように宵闇に消える



●二十二夜
 神様と云うものは、「死」に最も近しい存在でもある。
 ゆえにこそ、ロキ・バロックヒート(深淵を覗く・f25190)は、ひたひたと後ろを着いて来る脚音を恐れることも無く、いっそ愉快げに耳を傾けていた。
「マーチなら、うたもうたってあげるよ」
 それとも子守歌の方が良いかな、なんて。そんな戯れすら紡いで見せる。一向に返らぬ答えを肯定と捉えた青年は、冷たい部屋のなか静かにハミングを響かせて往く。

『――……』

 青年の唇からつらつらと零れる旋律に、ふと、微かな歌聲が重なった。神は思わず脚を止めて、続く調べにゆるりと耳を傾ける。自棄に籠った唄聲だ。
 もしや、柩のなかから聞こえて来ているのだろうか。
 余りにもささやかな響。それでも、この世ならざる、否、ひとならざる澄んだ聲であることは分かった。
 ふたりが紡いでいたのは、もう誰も知らないうた。ロキを除いて、総てのひとが忘れてしまった、懐かしい――。
 ゆえに彼は、誰が柩に眠っているのか分かって仕舞う。だから旋律が潰えたあと、ドン、ドン、と柩をノックする音に青年はふ、と優しい微笑を溢した。
「そんなに叩かなくても、だいじょうぶ」
 ぺたぺた、ぺたぺた。素足で踏み締める石畳は、固くて冷たい。あれが眠る黒檀のなかと、果たしてどちらが冷たいのだろう。
「――出たいよねぇ」
 揺れる柩の前に辿り着いた神は、慈しむように黒檀の蓋を撫ぜる。きっと、永らく此処に鎖されて居たのだ。さぞ窮屈で退屈だっただろう。
「さあ、共に役割を果たさなきゃ」
 ロキは微塵も躊躇うことなく、柩に腕を伸ばして。ぎぃ、と中を開け放った。斯くして永き封印は解かれ、世界は光に包まれる――。
 溢れだした光は、その眩さに思わず閉じた瞼ごと、彼の視界を焼き尽くす。ふわり、あえかに頬を撫ぜたのは、怨霊の冷えたゆびさきなどではなく。聖なる天使の羽根が齎した、ほんのささやかな悪戯。
 ロキはゆっくりと薄目を開ける。視界は未だチカチカと光っていて、其の姿はよく見えないけれど。でも、きっと笑ってくれている。

 ――ああ、やっぱりそうだ。

 青年の胸裏を満たして行くのは、安堵にも似た想い。矢張り“こちら”に居るべきなのは、邪たる『私』じゃなくて……。
 其処まで思考したところで、彼の躰は、そして意識は、眩いばかりの光のなかへ呑まれて行った。
 軈て静寂と冷たさを取り戻した墓所に、ふわり。光り輝くひとひらの羽根が舞い降りた。然し其れも、石畳に触れると同時に、宵闇へすぅと消えて往く。
 総てはまるで、ゆめまぼろしのように――。

成功 🔵​🔵​🔴​

エドガー・ブライトマン

寒々とした場所だね
地下には太陽のひかりだって届かない

オスカーは留守番さ
きっと無事に帰ってくると約束を残して
レディは離れろって言ったって、離れられやしないから

ひとつの棺の前に腰を下ろす
頬杖をついて眺めていれば、コツコツと響く音
誘うような頬を撫でる風
アハハ、これって心霊現象っていうヤツ?初めてだよ

ああ、良いよ
私がキミを救ってあげる。願いを叶えてあげよう
ところでキミは誰?
とても大事な気がするけれど解らない
レディは私を引き留めもせず、眺めるだけ
レディは中身を知っているの?

見惚れるように美しいキミ
波打つ赤い髪、閉じられた瞳はきっと緑色
知らないひとだけど、もうずっと一緒にいるような

誰?

キミのこと、教えて



●第二十三夜
 ただでさえ、太陽の昇らぬ此の世界。しかも立派な邸宅の地下ともなると、ひと筋の光すら差し込まない。
「……寒々とした場所だね」
 光の溢れるうつくしい故郷と比べて、あまりにも物寂しい墓地の様相に、エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)は、ちいさく息を吐いた。
 旅の良き相棒であるツバメの『オスカー』は、留守番をさせて来た。きっと無事に帰ってくるよと、祈りのような約束を残して。
 しかし、左腕に宿りし旅の道連れ『レディ』は別だ。離れろと言ったところで、彼と彼女は一心同体。決して離れられぬ運命である。
 黒檀の匣はどれも同じ容をしていて、違いなんて分かりはしないから。暝闇の似合わぬ王子様は、適当な柩の前に腰を下ろす。
 故郷では、ひとは死んだら星になると云われていた。
 けれど、生まれた時から光を知らず、温もりさえ与えられることなく死んでゆく、この世界のひとたちは、死んだら何処へ往くのだろう……。

 ――コツ、コツ。

 そんなことをぼんやりと想いながら、頬杖をついて柩を眺めていた彼の耳に、ふと。柩をノックするような、硬質な音が響いた。刹那、生温い風が彼の整ったかんばせを撫ぜる。まるで、彼岸に誘うように。
「アハハ、これって心霊現象っていうヤツ?」
 こんなこと初めてだよ、なんて言葉を重ねる少年の貌には、いっそ楽し気な笑みすら滲んでいる。
「……ああ、良いよ」

 私がキミを救ってあげる。

 助けを求められたら、躊躇うことなく手を差し伸べる。自分のことよりも、ひとのことを優先する。喩え、その身に危険が迫ろうとも――。
 それが『エドガー・ブライトマン』と云う王子様の在り方だ。だから、寂しい魂が紡ぐ願いを、叶えてあげよう。

「ところで、――キミは誰?」

 ゆっくりと立ち上がった少年は、一歩ずつ柩へと近寄って行く。助けを求めて居る存在は、とても大事なものであった気がするけれど。
 忘れっぽい彼には、想い出せないし、解らない。
 いつもなら、諭すように左腕を刺して彼の無謀を引き留めるレディも、今ばかりはただ、眺めるだけ。
「レディは、中身を知っているの?」
 薔薇の淑女は、答えない。答えようにも、聲が無い。まあ、気にしても仕方のないことだ。柩を開けて、其の姿をひと目見たら、何か想い出せるかも知れない。
 エドガーは手袋に包まれたゆびに力を籠めて、ぐっと黒檀の蓋を押し開けた。黒く艶めく敷布のうえで横たわっていたのは、見惚れるほどにうつくしい女、ただ独り。
 波打つ髪は、まるで故郷を彩っていた薔薇のように赫い。眸は固く閉ざされているけれど、きっと緑彩をしているのだと、何故かそう想った。
 とても不思議だ。
 彼女は知らないひとだけれど、もうずっと、一緒にいるような――……誰?

「キミのこと、教えて」

 無慾な王子にしては珍しく、そう希った。まるで御伽噺のように、柩のなかへと手を伸ばして。華奢な躰を抱き上げる前に、――ずるり。
 いつの間にやら彼の右腕に絡みついた赫い髪が、暝闇においても輝く少年の躰を、闇へと引きずり込んで行く。
 妄執の化身を前にしても、薔薇の淑女は矢張り、何も語らない。

成功 🔵​🔵​🔴​

タピア・アルヴァカーキ

なるほど、なるほど。
ここは怨念が渦巻いておるのう。
悪霊の身にはソレが敏感に感じ取れるんじゃ。
……む?左腕が妙に疼いておる……
義手である左腕に痛みが?幻肢痛……というやつか?

そしてあの棺から感じる気配は……我がよ~く知っておる。
その者が纏いしは万人を畏怖せしめる絶望の瘴気、
暴威を顕現する美しく妖艶なる魔女……
……消滅した筈のヤツが何故ここにおる?
醜く変わり果てながら、未だ現世にしがみ付く我を嗤いに来たか?
カカカカ!
まぁよい、久しぶりに昔話でもするかえ?
「生前」の我自身よ



●第二十四夜
 悪霊と云う存在もまた、墓場には付き物である。いっそ心地よいほどに肌を突き刺す瘴気に、タピア・アルヴァカーキ(怨魂の魔女・f30054)は納得したような貌で、ひとつふたつ、頷きを溢す。
「なるほど、なるほど――」
 昏く冷たい墓所に相応しく、此処には数多の怨念が渦巻いている。
 他の猟兵たちがどう感じたかは知らないが、少なくとも『悪霊』である此の身には、それが敏感に感じ取れるらしい。
 御伽噺に出て来る魔女のような佇まいをした己にとって、何とも御誂え向きな権能では無いか。皴が深く刻まれた貌に自嘲気味な笑みを浮かべたところで、魔女はふと、其の身に訪れた違和に気付く。
「……む?」
 左腕が、疼いているのだ。
 一見しただけでは分からないが、タピアの本来の左腕は既に切り落とされている。つまり、彼女は義手なのだ。それなのに、なぜ、そこに痛みを感じるのだろうか。
 幻肢痛(ファントムペイン)という言葉が脳裏に過り、こんな場所なら其れも起こり得るかと、独り納得した……その、刹那。

 ――ドンッ。

 扉を叩きつける音と共に、眼前に置かれた柩が大きく揺れたのだ。然し、彼女にとって驚くべきは其のことでは無い。
「この気配は……」
 喩え固く鎖された黒檀の匣越しであっても、色濃く漂って来る瘴気に、タピアは思わず金縁の眼鏡越し、目を見開いた。

 この瘴気の主を、よく、識っている。

 嘗て此の世界に、暴威を顕現せし悪辣なる魔女が居た。
 その者が纏いしは、万人を畏怖せしめる絶望の瘴気。そして、見るもの総てを惹き付ける、妖艶なる美貌。

 ――……消滅した筈の『ヤツ』が、何故ここにおる?

「未だ現世にしがみ付く我を嗤いに来たか?」
 醜く変わり果て、皴だらけに成った貌を血色の悪い掌で覆いながら、低い聲で問い掛ける。忌々し気に響いた聲は、しかし直ぐに愉快気な笑聲へと変化した。
「カカカカ!」
 まさか、こんな所で対峙することに成ろうとは。運命の悪戯とは、恐ろしいものだ。果たして此の柩を開いた時、彼女はどんな貌をするのだろう。
 嘲るだろうか、それとも、嘆き悲しむだろうか。
「まぁよい、久しぶりに昔話でもするかえ?」

 ――“生前”の我自身よ。

 皴だらけの手で柩の蓋を、ぎぃ、と開く。
 其処には嘗て咎人殺しに処刑された、うつくしき魔女が眠っていた。斯くして、恐るべき暴威は解き放たれて。醜く老いさらばえた女を再び、彼岸へと引きずり込んで行く。

成功 🔵​🔵​🔴​

橙樹・千織

……。
名前の記載も無い柩の数々に
そっと祈る


きっとこれは聞いてはいけない聲

ーおいー

でも、どこかで聞いたことのある…

ーおい、ちびー

…懐かしい、聲


っ、あなた…は
知らぬ内に封じられた記憶にいた“鬼らしき青年”
糸桜の森に現れ
幼い自分と遊んでくれた
無愛想だけれど優しいヒト

貴方に何があったの?
何故、他者が入ることが出来ないはずの場所にいたの?
私の前に現れたのは何故?
何故、羅刹ではない私に揃いの紋を?
貴方は…何者だったの?

柩を暴くなんて
常であれば絶対にしないのに

恐る恐る手を伸ばす
またあの時のように
手を繋いでくれるのではと

暗転する直前
見えた彼の瞳は
美しい桜色ではなく紅
ニタリと笑う表情は彼のものでは無かった



●第二十五夜
 縁もゆかりもないひとの柩を前に、つい祈りを捧げて仕舞うのは、橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)が「巫女」であるがこそ。名前すら刻まれぬ柩たちは、其処に在るだけで痛ましく、其の魂の安寧を祈らずには居られない。
 祈って仕舞った、からだろうか。
 鼓膜を、ぼそぼそとした不明瞭な聲が揺らす。嗚呼、きっと此れは聞いてはいけないもの。反応したら最後、穢れに憑りつかれ兼ねない。

 ――……おい。

 でも、振り返りたくて堪らない。聲の主を、今すぐにでも確かめたい。だって、何処かで聴いたことがあるような気がするから。

 ――おい、ちび……。

 懐かしい、聲がする。
 その正体に気付いた瞬間、千織は立ち止まって仕舞った。ぶわりと、ヤマネコの耳が逆立つ。
「っ、あなた……は」
 其の聲の主は、嘗て封じられた記憶にいた“鬼らしき青年”だ。けれども今なら、鮮明に想いだせる。
 ふらりと絲桜の森に現れて、幼い自分と気紛れに遊んでくれた――無愛想だけれど優しいヒト。
「貴方に、何があったの?」
 ゆえにこそ、彼が「鬼」であったなんて、信じられない。思わず千織は、畳みかけるように問を重ねていく。

 何故、本来ならば他者が入ることが出来ない筈の場所にいたのか。
 そもそも、幼い自分の前に現れたのは何故なのか。なにか意図があってのことなのか、或いは気紛れなのか。
 そして何故、――羅刹ではない自分に揃いの「紋」を刻んだのか。

 漸く叶った再会に鼓動は駆け、唇は矢継ぎ早に問いを溢し続けるけれど。答えが返って来ることは無い。それでも、確かめずには居られなかった。

「貴方は……何者だったの?」

 巫女である彼女は、本来なら死者の安寧と尊厳を護るべき身である。だから、柩を暴くなんて、そんなことは絶対にしてはいけないのに――。
 恐る恐る、黒檀の重厚な蓋へと手を伸ばす。
 喩え求める答えがなにひとつ得られなくとも。またあの時のように、手を繋いでくれるかもしれないと、期待して仕舞って……。

 ぎぃ、と厭な音を立てて柩は開いた。
 なかを覗き込めば、遠い記憶に刻まれた儘の姿で眠る、彼の姿がある。穏やかな其の寝顔に千織が、ほう、と息を吐いた刹那。――青年の双眸がぱちりと開く。
 驚いた様な貌をした自身を映す其の眸は、うつくしい櫻の彩ではなく。まるで血で染めたような、紅彩をしている。
 意識が暗転する直前に千織が目にしたのは、ニタリと笑う男の貌。其れは、懐かしいあの笑顔とは違っていた。

 嗚呼、貴方は誰なのだろう――。

成功 🔵​🔵​🔴​

朱赫七・カムイ


私は一度は確かに『死』を迎え
廻りかえって今此処に居る
死を蝕む生──そうだね
死は忌避されるものであり何時だって生に蝕まれている
祝いに翳る呪いのよう
祓われるだけの厄災のように

ねぇカグラ
死というものは、ひとにとって安寧なのだろうか
それとも恐怖そのものなのだろうか
揺れる闇の中並ぶ柩を並ぶ人形の君共に歩む

こつり、響く音

影の方
ひそむよう置かれた柩からだ

まさか閉じ込められて?

カグラと一緒に柩をあけようとして止まる
中に、きみがいたらどうしよう
背筋が凍る

私はね
死が恐ろしい
己ではなく愛しい存在が喪われる
未来が恐ろしくて堪らない

開くのをやめようか
躊躇いは一瞬
壊れるよう開いた柩
深紅の三つ目のそなたは──噫、嘗ての





●第二十六夜
 ひと筋の光すら差し込まぬ彩の無い世界に、鮮やかな彩を纏う神が降り立った。
 朱赫七・カムイ(約倖ノ赫・f30062)は、冷たく並べられた柩に流し目を呉れながら、感慨深げに息を吐く。
 ――私は一度、確かに『死』を迎えた。
 そうして今、廻りかえって此処に居る。それは、転生と云う救いがある世界だからこそ、得られた奇跡。少なくとも、この世界とは無縁の温かな……。
 けれども、そんなカムイだからこそ思う。生は、死を蝕むものであると。
 ひとの子にとって、死は忌避されるもの。ゆえにこそ、何時だって生に蝕まれている。それはまるで、『祝い』に翳る『呪い』のよう。或いは、祓われるだけの『厄災』のよう――。

「ねぇ、カグラ」
 何だか居た堪れない心地に成って、自身に付き従う幼き人形へ視線を注ぐ。ほんの少し結末が違って居たら、自身もまた、祓われるだけの存在であった故に。
「死というものは、ひとにとって安寧なのだろうか」
 それとも、恐怖そのものなのだろうか。
 神である彼は、その答えを持たぬ。カグラもまた、黙した侭だ。胸裏に疑問を陰らせた侭、ふたりは揺れる闇のなかを並んで歩いて行く。

 ――こつり。

 石壁に反響したのは、靴音ではあるまい。影の方、潜むように置き去りにされた、黒檀の柩から聞こえた、扉を叩く音だ。

「まさか、」

 閉じ込められているのだろうか。嗚、可哀そうに。柩のなかは狭いから、きっと苦しい想いをしているだろう。はやく、助けてあげないと。
 カグラと共に柩へ駆けよった神は、重たい蓋をこじ開けようとして。ふと、厭な想像に背筋が、身体が、凍り付く。

 ――中に、『きみ』がいたらどうしよう。

 カムイは神であるけれど、矢張り「死」が恐ろしい。それは、己ではなく愛しい存在が喪われることを、意味して居るから。
 神に比べて、ひとは短命だ。ゆえに、いつか訪れるであろう未来が、恐ろしくて堪らない。
 いっそ、開くのをやめようか。自ら猫匣を開ける必要など、きっと無いのだ。されど、一瞬の躊躇いは、彼を救わなかった。

 ぎぃ、ぎぃ……。

 壊れるように、柩が開く。
 カムイは櫻彩の眸で、その中身を見て仕舞った。波打つ黒曜の髪に、深紅の三つ目をした青年。

 ──噫、それは嘗ての『災厄』の容。

 後退ることは、叶わなかった。
 己の過去に手を引かれながら、神は闇の中へと堕ちて往く。懐かしくも、何処か冷たい「死」の感触が、其処には在った。

成功 🔵​🔵​🔴​

終夜・嵐吾


墓場、か
呼吸のたびに冷えていく心地
…お化けは克服したから怖くない
…が、何も出んことをお祈りしつつ…ひぇっ!?
な、なんじゃ、わしの影が焔に揺れたか、の?
お、脅かしおって…(どきどき)

過ぎる時間は冷える心地がするばかり
ひたひたと足音だけ――いや、違う
あの棺から、音
……おるのか?

中に閉じ込められておるのは――もしや
自然と右瞳に手が伸びる
汝の正しき主が棺の中におるのではなかろうか、いやおるんじゃ
彼女がそこにおるのなら、虚はわしと共におるべきではない

ただ棺を、開くだけでいい

褒めてくれるじゃろか
ちゃあんと死なずに、生きておることを

ふふ、笑ってしまうな
だってこぉんな嬉しいことは、ないじゃろ
また会えるなど



●第二十七夜
 苦手な「お化け」は克服できた。だから、夜の墓場なんて怖くはない。
 けれど、矢張り何も起こらないのが一番だから。終夜・嵐吾(灰青・f05366)は祈る様な心地で、昏く冷たい地下墓所を探索していた。光の射しこまぬ地下は寒く、呼吸をする度に、肺の奥が冷えて行く。
 ふと、左眸の視界を何かが過った。
「……ひぇっ!?」
 綺麗に整えられた銀の毛並みが、ぶわわと逆立つ。きょろきょろと辺りを見回せど、祭壇に飾られた青白い蝋燭が淡々と揺らめいて居るのみ。
「な、なんじゃ、わしの影か……」
 きっと、己の立派な尻尾が作った影が、焔にふわりと揺れたのだろう。寧ろ、そうだと思いたい。
「お、脅かしおって……」
 自分以外に誰も居ないことは分かって居たけれど、ついつい強がってしまうのは、未だ何処かにやんちゃな気性が残って居るから。
 どき、どき。跳ねる鼓動を誤魔化すように青年は、おほんと咳ばらいをひとつ。正直いまばかりは、オルソレグ卿の帰還が待ち遠しい。無為に過ぎる時間に、冷える心地は増すばかり。ほら、次はひたひたと、脚音がひとつ余計について来る。

 ――いや、違う。

 其れだけでは無い。近くの棺から、音がするのだ。コン、コン、とささやかながらも、助けを求めて柩を叩くような、そんな音が。
「……おるのか?」
 恐る恐る、聲を掛ける。肯定のようなノックが、返って来た。瞬間、厭な想像が青年の脳裏を駆け巡った。なかに閉じ込められているのは、もしや――。
 眼帯で覆われた右の眸にゆびさきが伸びたのは、無意識のことだった。其処に眠る「虚の主」は、本来ならば嵐吾のものでは無い。もしかしたら、あの柩のなかに、怠惰なこの子の正しき主が眠っているのではないか。
「――いや、おるんじゃ」
 疑念はいつしか、確信に転じていた。ノックの音はきっと、虚を呼んでいる音なのだ。そうに違いない。もしも己のことまで呼んで呉れているなら、なお嬉しい。
 何はともあれ、彼女がそこに“居る”のなら、虚は自分と居るべきではない。主の許に、還さなければなるまい。
 ただ棺を、開くだけでいいのだ。
 それだけで、冷えたこころは、虚は満たされる。青年のゆびさきは躊躇うことなく柩の留め具を外し、黒檀の蓋をゆっくりとずらして行く。

「……褒めてくれるじゃろか」

 ちゃんと死なずに、生きていることを。
 もしも褒めて呉れたなら、生きていて良かったと、こころからそう想える筈。先程までの寒さは何処へやら、いまはすっかり、こころの裡が温かい。
「ふふ、」
 喜彩を隠し切れず、つい口許に笑みが綻ぶ。まさか、また会えるなんて。希っても居なかったから。

 ――こぉんな嬉しいことは、ないじゃろ。

 柔らかな笑みを浮かべた侭、青年は柩のなかへ身を投げた。冷たい墓所に遺るのは、匂やかな華の馨だけ……。

成功 🔵​🔵​🔴​

珂神・灯埜

死の匂い。生を欲する声
ノイズ混じりに声が聞こえた気がした

あちこちで魂が漂ってる
まるで此方だよと手招いてくれてるみたいだ
面倒だと思い乍ら足は進む

こんこん、とんとん音がする柩
その中で眠るキミは誰だろうね
眠らずに何を待ってるの?
無表情のまま手を伸ばす

だって呼ばれた気がしたんだ
気が遠くなるほど昔に別れた××に
嗚呼、やっぱりオマエだった

ボクと同じだけど違う
月みたいな金色の双眸と薄桜色した髪の少女

にたりと嗤う顔に目を細め
その笑い方似合ってないよ
だって花が咲くように
暖かな春を招くように
笑う姿がオマエだから

最期に見たのは呪いの言葉を吐いて
憎しみに歪む顔だったけどね

手を引かれ包まれる
柔らかな花の香はしなかった



●第二十八夜
 死の匂いも、生を欲する聲も、墓地には付き物だ。いまもノイズ交じりになにか聲が聴こえた気がして、珂神・灯埜(徒神・f32507)は頸を巡らせる。
 果たして、積み上げられた冷たい石で鎖された世界のあちこちで、彷徨える魂が漂っていた。まるで「此方だよ」と手招いてくれているようにも見える。
 付き合うのが面倒だと思いながらも、少女の脚は奥へ奥へと進んで往く。視界の端を過る影には、気づかないふりをした。

 ――コン、コン。

 軈て辿り着いた柩の前に佇めば、鼓膜をノックの音が揺らした。暫く静観して居ると、またしても、トン、トンと音がする。
「……キミは、誰だろうね」
 眠って居なければ、王子様も訪れては呉れないのに。柩のなかの誰かさんは眠らぬまま、何を待っているのだろう。少女は表情ひとつ変えぬまま、柩の蓋へ手を伸ばす。何故だか、呼ばれた気がしたのだ。
 気が遠くなるほど昔に別れた「××」に――。
「嗚呼、」
 蓋を押し開けた灯埜の花唇から、感嘆めいた吐息が漏れた。神たるもの、勘はよく当たるのだ。

 ――やっぱり、オマエだった

 其処に居たのは、灯埜と同じだけれど、明らかに違う存在。――月光のように煌めく金の双眸と、薄桜の彩を宿した髪の少女。
 ぱちりと眸を開いた彼女は灯埜を見上げて、にたりと嗤う。他方の少女は金の双眸を細めて、諭すかの如く静かに囁いた。
「その笑い方、似合ってないよ」
 ふわり、花が咲くように。まるで、暖かな春を招くように。おっとりと笑う姿こそが、灯埜にとっての『オマエ』なのだから。
 尤も、灯埜が最期に見た『xx』の姿が、彼女の容を歪めてしまったのかも知れない。
 呪いの言葉を吐いて、憎しみに歪むあの貌ときたら、――幾千年の時を経ようと忘れられる筈もない。

 柩のなかに居た彼女は、見るからに「邪」な存在であったけれど。気紛れな神は、躊躇うことなく手を伸ばした。振り払われることは無いだろうと、こころの何処かで確信して居たのかも知れない。
 予想していた通り、柩の中からずるりと手が伸びる。あえかなゆびさきが、少女の細い腕を捕え、軈ては其の身を抱き寄せた。
 懐かしい気配に包まれて、灯埜はゆっくりと吐息を溢す。けれども、嗚呼。あの柔らかな花の馨は、終ぞしなかった。神はただ、冷たい闇へと堕ちて往く。
 変わり果てた彼女と共に、何処までも――。

成功 🔵​🔵​🔴​

誘名・櫻宵


冷たい闇の中
ひかりの一筋も灯らぬ闇が恐ろしい
まるで大蛇の腹の中のよう

両手を絆ぐ彼らがいない
唯のそれだけ
心の狭間に冷たい闇が這うよう

柩を叩く

─朱枠の柵を叩く様な音が返る
ここからだして

小さな声が聴こえた気がして誘われるよう手を伸ばす
柩の中囚われているのは
あなたなの?

生まれることなく桜龍(私)に喰らわれた妹

柩を内側から引っ掻く音が
腹の中で朽ちる命の音のよう

ごめんなさい
私だって食べたくなかった
あなたの兄として一緒に遊びたかった


本当は嬉しかった
あなたを食べれば母が褒めてくれるから


本当は嫌だった
私には注がれぬ愛が
あなたに注がれるのが

赦して
そこからすくうから
ゆるして

あなたは私の愛なる呪
絡み取られる

嫌!



●第二十九夜
 まるで、大蛇の腹に呑まれたような心地だった。
 誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)にとって、光のひと筋すら灯らぬ冷たい闇は、恐ろしいもの。
 優しく両手を絆ぎ、暝闇のなかでも手を引いて呉れる碧と赫の彼らがいない。唯それだけで、こころの狭間にどろりと冷たい闇が這う。

 ――コンッ、コンッ。

 柩を叩く音がして、麗人の背筋がびくりと跳ねた。死者の目覚めに驚いた訳では無い。ただ、あの音が何故か朱枠の柵を叩く様な音にも、聞こえて仕舞って。

『ここからだして』

 同時に鼓膜を揺らしたのは、小さな聲だった。懐かしい響きに誘われるように、思わず眼前に置かれた柩へと手を伸ばす。嗚、この中に囚われているのは……。

「――あなたなの?」

 終ぞ生まれることは無かった、櫻宵の妹だ。
 何故、此の世に生を得られなかったのか。それは、桜龍に――櫻宵に、喰らわれて仕舞ったから。

 がり、がり。

 やっと気づいたのかとでも言いたげに、深いな音が鳴り響く。きっと、柩を内側から引っ掻いているのだろう。嗚、そんなことをしたら、幼いゆびが傷付いて仕舞う。
 なにより、腹の中で朽ちてゆく命の音、断末魔のようで――。

「ごめんなさい」

 余りにも悍ましい響きに耳を塞ぎながら、櫻宵は謝罪のことばを紡ぐ。責められても、仕方のないことをした。けれども、これだけは伝えたい。
「私だって食べたくなかった、あなたの兄として一緒に遊びたかった」

 ――ドンッ。

 麗人が吐いた「嘘」を責めるように、柩が揺れる。櫻宵のあえかな肩が、びくりと揺れた。嗚、なにもかも見透かされているのだ。
「――本当は嬉しかった」
 ゆえに、みにくい胸裡を吐露する。いもうとを食べれば、母は褒めて呉れる。厳しい冬のようなひとから、温かな感情を注がれるのが嬉しくて……。

 ――ドンッ。

 またしても、柩が鳴った。重ねられた「嘘」に、苛立って居るように。櫻宵は観念したように視線を伏せて、つらつらと言の葉を重ねて行く。
「本当は、嫌だった」
 いもうとを喰らうことではない。自身には注がれぬ愛が、彼女に注がれることが、厭で堪らなかったのだ。

「赦して――」

 喉奥から聲を絞り出して、真摯に乞う。大蛇の腹よりも狭くて昏い其処で、ただ独りきり過ごしていたなんて。嗚、どうすれば赦されるだろう。分からない。
 せめて、そこから救うから。どうか、ゆるして。

 麗人は黒い柩に縋りつき、震えるゆびで蓋を開けた。
 彼女は、いもうとは、櫻宵の愛なる『呪』である。こころの奥深くに鎖した其れを、掘り起こすということは、すなわち――。
 幼いゆびが、麗人の腕に絡みつく。嗚、まるで蛇のよう。そう想った時にはもう、櫻宵の躰は愛と云う名の呪に絡め取られていた。

 ――……嫌!

 せめてもの抵抗と、伸ばしたゆびさきは虚空を掴んだ。
 獲物を丸呑みにした大蛇が口を鎖すように、黒檀の蓋は無情にも閉まり行く。

成功 🔵​🔵​🔴​

雨絡・環


あらまあ
昏い石造りの墓所は冷たくて石そのものが眠るよう
なんて落ち着く所でしょう
足音を殺してひそりと進みましょうね

あら、何方かに袖を引かれたような
これは何の音かしら

囁きが聞こえる
三味線をまた弾いてくれ
笛の音を聴かせておくれ
おれの郷の、あの歌をうたっておくれ

ずくりと背の消えない傷が疼く
嗚呼、おまえさま
斯様な所においででしたの
わたくしが、環が参りましたよ

もう、隠れんぼだなんて
いけずな方
本来「其処」に居るのはわたくしてあるべきでしたのに

逸る気持ちは抑えきれず
尖る爪で、絲で、懐刀で
夢中になって扉を開く

今わたくしはどんな顔をしているの?

だって
もう直ぐ
……――もう直ぐッ!!!

嗚呼……、みいぃつけた
愛しひと



●第三十夜
 冷たく昏い石造りの墓所は、まるで石そのものが眠る墓のようにも見える。
「あら、まあ――」
 雨絡・環(からからからり・f28317)は、銀の眸で興味深げに周囲を見回し、白頰に喜彩を浮かべた。
「なんて落ち着く所でしょう」
 化生であった彼女にとって、此の冷たさは心地好いもの。猫のように脚音を殺し、ひそりと淑やかに、娘は進んで往く。
「あら……」
 ふと立ち止まったのは、ぐい、と誰かに袖を引かれたような気がしたから。振り返った刹那、鼓膜をざわざわと不明瞭な音が揺らす。
 ――何の音かしら。
 耳をすませば、懐かしい囁き聲が聴こえた。

『三味線をまた弾いてくれ』

 絡新婦は、男を喰らう。
 哀れを誘う儚げな姿に化け、甘い夢に巣を張ることで。

『笛の音を聴かせておくれ』

 絡新婦は、男を欺く。
 その魂を喰らい、我が物とするために。

『おれの郷の、あの歌をうたっておくれ』

 絡新婦は、倒されるべき怪である。
 それなのに――。

 蘇った記憶に、ずくり。白い背に刻まれた、二度と消えぬ傷が疼く。嗚呼、と紅に彩られた唇から、あえかな吐息が零れた。
「おまえさま――」
 名を呼んだ刹那、白い頰に赫が差す。銀の眸は無垢な少女のように、きらきらと輝いていた。
「斯様な所においででしたの。わたくしが、環が参りましたよ」
 甘い聲を石壁に響かせても、あれ以上の聲は帰って来ない。いったい、どこに行って仕舞ったのだろうか。娘はふと、眼前に置かれた柩へ視線を落とす。
「もう、いけずな方」
 隠れんぼだなんて、なんと可愛らしいのだろう。それも寄りによって、柩のなかへ身を隠すなど……。
「本来『其処』に居るのは、わたくしてあるべきでしたのに――」
 慈しむように、黒檀の蓋へと頬を寄せる。嗚、ひんやりとして心地が良い。このまま、微睡んで仕舞いたくなるくらい。
 けれど、この中にはいとしい人が眠っているから、のんびりしては居られない。逸るこころの侭に、尖った爪で留め具を裂いて。絲で蓋をガタガタと揺らし、仕舞いには雪椿が咲く懐刀で無理やりに、扉をこじ開けた。
 いまの己は、どんな顔をしているのだろう。
 高揚と興奮に紅潮した頬も、乱れた黒髪も、はしたないだろうか。でも、だって仕、仕方のないことだもの。もう直ぐ、

 ――……もう直ぐッ!!!

 かくれんぼは終わりを告げて、漸く逢瀬が始まるのだから。そうしたら、彼のことをもっと沢山、識れるだろうか。
「嗚呼、」
 半壊した扉越し、環は柩のなかを覗き込んだ。あの日から全く変わらぬ姿で眠る、愛しひとの姿を見つけて、絡新婦はうっそりと笑う。

「みいぃつけた」

 希望と云う名の絲に絡め取られながら、環は柩へ横たわる。愛しき彼に寄り添うと同時、世界は慈悲深い暝闇に包まれた。
 肌に触れる冷たさだけが、ただ心地好い――。

成功 🔵​🔵​🔴​




第2章 冒険 『迷い込んだ墓石の並ぶ花畑で』

POW   :    とにかく探索、行動あるのみ

SPD   :    罠やヒントが無いか、注意深く探索

WIZ   :    墓の並びや花の種類など、ヒントになりそうなものを探る

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●弐ノ幕『ニアデスユーフォリア』
 気付けば、広いところに居た。
 視界一面に広がる、赫、蒼、赤――。どうやら此処は、花畑のようだ。地上はこんなに鮮やかな彩に満ちているのに、空には暗雲が立ち込めて居る。もしかしたら、いまは夜なのかも知れない。乱れ咲く赫と蒼に紛れて、無骨な黒がぽつんと、ひとつ。興味と好奇を惹かれ、近付いてみる。
 其れは、墓石だった。
 奇妙なことに、自分の銘が刻まれている。それを目にして漸く、柩に引きずり込まれたことを想いだす。つまり此処は、「死後の世界」なのだろうか。
 天国にしては余りにも昏く、地獄にしては余りにも鮮やかだ。
 咲き乱れる花々の匂やかな馨は、生と云う監獄から解き放たれた魂を、不思議な程に癒してくれる。

 ぶわり――。

 強かに吹き抜けた風に攫われて、数多の花弁が空へと舞いあがる。それは軈て、はらはらと降る雪のように、墓のうえへと零れ落ちて往く。
 ぞっとするほど艶やかで、泣きたくなるほど、うつくしい。
 数多の疵を刻んだ此のたましいに、漸く安寧が赦されるなら。この花畑で甘い馨に包まれて、永き眠りを受け入れるのも良いかも知れない。けれども、現世でやり残したことが、別れ損ねたひとが、在ったような――……。
 そんな躊躇うこころを幻惑するかのように、花の馨が強く成る。気づけば己が手に、髪に、眼孔に、心の臓に、赫き花がぽつりと咲いていた。痛みも、不快感も、不思議と感じない。

 臨死多幸感――『ニアデスユーフォリア』に包まれて。もう暫らく、或いは永久に。ゆうらり、ゆらりと船を漕ぐ様な、やさしい微睡みを。

≪補足≫
・死を前にして何を思うのか、あなたの「心情」をお聞かせください。
・本章のPOW、SPD、WIZは、あくまで一例です。
 ⇒ご自由な発想でお楽しみください。

・時間経過と共に、あなたの躰は「赤い花」に浸食されて行きます。
 ⇒咲かせたい「箇所」や、「花」の種類に希望があればプレイングにどうぞ。
・永き眠りを受け入れるも、永き眠りを拒絶して現実へ還るもご自由に。
 ⇒何方の選択を取ろうとも、三章に移行すると同時に目が覚め、花も散ります。

・アドリブOKな方はプレイングに「◎」をご記載いただけますと幸いです。
・「おひとり」でのご参加推奨です。返却も「個別」に行います。
・過度にグロテスクな表現は、適宜マスタリングさせて頂きます。

≪受付期間≫
 断章投稿後 ~ 3月11日(木)23時59分
榎本・英


嗚呼。死んでしまったのか。
あまりにも呆気ない最期だったよ。

このまま眠ってしまえば、楽になるのだろう。
しかし、私はまだ死ぬ訳にはいかない。

両手から赤い牡丹一華が咲く。
もう良いと赦してくれるような
この手を包み込むようなそんないっとうの花だ。

嗚呼。筆は握らなければならない。
両手の花を掻きむしろうとも、間に合わない。
私はまだ、眠らない眠れない。

この手を汚しているのに
まだのうのうと生きていると云うかい?
そうだね、そうだとも。

命は命をもって償う。
文は文をもって償う。

もう、私のちっぽけな命で償える物ではないのだ。

どれだけ汚くても、私が生きて次へ繋げねばならないのだ。

桜の世はあまりにも汚い
私は生きて、いたい



●供花『牡丹一華』
 視界いっぱいに拡がる鮮やかな花畑と、寂しく置き去りにされた墓石が、此処が所謂『彼岸』であると教えて呉れる。
「嗚呼、死んでしまったのか」
 無骨な墓石に刻まれた己の名をゆびで儗り、榎本・英は双眸を伏せた。冷たい石の感触は鮮明に伝わって来るのに、魂は既に肉体から離れているなんて。なんだか、妙な気分だ。思えば、あまりにも呆気ない最期だった。
 花の馨と微睡みに身を委ね、此のまま眠って仕舞えばきっと。苦界から解放されて、楽に成れるのだろう
 ――しかし、私はまだ死ぬ訳にはいかない。
 遺して来たひとの姿がふと脳裏に過った刹那、両手にふわり。赫い牡丹一華が花開く。
「……赦して呉れるのかい」
 英にとって“いっとうの”其の花は「もう良いのだ」とでも言いたげに、そして優しく彼の手を包み込むように、赫赫と咲き誇る。
「嗚呼――」
 それでも、筆は握らなければならない。
 両手に揺れる花を掻き毟れば、はらり、はらり。あえかな花弁が哀し気に、墓のうえへと堕ちて往く。それでも、牡丹一華はむくむくと掌に貌をだし、軈ては彼の掌全体を埋め尽くして行く。嗚呼、間に合わない。
 ――私はまだ、眠らない眠れない。
 いっそう匂やかに馨る甘さに、瞼が段々と重くなる。ぼやけた視界で見降ろす掌は、すっかり赫花に浸食されていて。まるで、血に染まったかのようだ。――否、実際に、此の手は汚れている。
「まだ、のうのうと生きていると?」
 彼の神様はきっと、そう言いたいのだろう。世の摂理を、倫理を考えるなら、自分もまた、そうだと思う。

 命ハ、命ヲ以テ償ウベシ。
 文ハ、文ヲ以テ償ウベシ。

 けれども、それは余りにも買い被り過ぎでは無いだろうか。いのちの価値が、綴られた文の価値が、総て等しいと一体だれか決めたのだ。
 己が積み上げて来た罪過はもう、此のちっぽけな『いのち』で償えるものではない。だから、どれだけ生き汚いと罵られようと――。

「私が生きて、次へ繋げねばならない」

 うつくしき幻朧櫻が咲き誇る現世は、あまりにも汚い。
 地に舞い落ちて踏まれ裂かれた櫻の花弁と、魂を穢された死者たちと、執念の化生と成った物書きに溢れていて。まるで、地獄のような様相だ。
 けれども、嗚呼、私は。

「――生きて、いたい」

 離れ得ぬゆびさきを求めて荒れ狂う獣が、愛を求める傍らで。
 ただの『ひと』は、愛を知って仕舞ったのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

フィオリーナ・フォルトナータ

…ああ、本当に綺麗な花
わたくしにも、命を咲かせることが出来るのですね

いつか壊れる日が来るのだとしても
それが死であるという認識はなくて
己の名が刻まれた墓が目の前にあることに
何とも言えぬ不思議な心地に包まれるよう

…主様
このままここで眠ったら、あなたのお傍へ行けるでしょうか
夜毎あなたが欲しいとねだったお伽噺の続きを
聞かせて差し上げることが出来るでしょうか

でも、どこを探してもお墓はひとつだけ
やはりあなたは、ここにはおられないのですね
…ならば
ここで一人きりで眠ることに何の意味がありましょう

己の墓に背を向け、現へと帰ります
必要ならばこの剣で、墓を壊してでも

わたくしは、
まだ、立ち止まる訳には行かないのです



●供花『野ばら』
 鮮やかだけれど何処か寂し気な花畑の真中に、乙女人形――フィオリーナ・フォルトナータは、独り腰を降ろしていた。穏やかな眼差しで見つめるのは、白い手の甲にちいさく花開いた、一輪の赫い野ばら。
「……ああ、本当に綺麗な花」
 ひとに造られた『ミレナリィドール』である己も、命を其の身に宿し、咲かせることが出来るなんて。――まるで、夢でも見ているよう。
 それに、此処には己の墓まで在る。
 フィオリーナにとって、「死」は或る意味で遠いもの。いつか、壊れる日が来るとしても、それはあくまで「故障」だとか“モノ”としての「寿命」であって。“ひと”としての「死」とはまた異なるような気がする。
 だからこそ、墓に自身の名が刻まれていることは不思議だ。
 ひととして扱われる感慨と、少しの違和感が綯交ぜに成って、乙女人形はかんばせに複雑そうな彩を浮かべた。こんな時でも思うのは、亡きひとのこと。
「……主様」
 もしも、安らうような花の馨に包まれて、このまま此処で眠れたら。そして其れを、「死」と呼んでも赦されるなら。

 ――あなたのお傍へ、行けるでしょうか。

 彼岸と呼ばれる其処で想い出すのは、過ぎ去った優しい日々のことばかり。もしも、それが叶うのなら。
 夜毎「あなた」に強請られたお伽噺の続きを、今度こそ「めでたしめでたし」の科白まで、語り聴かせてあげることも叶うだろうか。
 淡い期待に胸が膨らみ、乙女はそうっと視線を巡らせる。嗚呼、けれども。此処には、お墓はひとつだけ。
「……やはりあなたは、ここにはおられないのですね」
 安らかな眠りに身を委ねた所で、主と寄り添うこと叶わないのなら。此処で独りきりで眠ることに、果たして何の意味があるのだろうか。
 それは、幸福では無い。

「わたくしは、」

 フィオリーナは、ゆるりと立ち上がる。あえかなゆびさきに、ぎゅ、と剣を握りしめながら。そうして、未来を切り拓くための刃を振り下ろす先は、己の銘が刻まれた墓石。軈て、がらがらと音を立て崩れ往く其れに背を向けたなら。乙女人形は一歩、現実に向かって脚を踏み出した。

 ――まだ、立ち止まる訳には行かないのです。

 いつまでも、過去に縋っては居られない。守るべき世界が、未来が、現世には在るのだから。
 彼女の旅立ちを祝福するように、赫い花吹雪が空を舞った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エドガー・ブライトマン

石に刻まれた軌跡をなぞってみる
やっぱりコレ、私の名前だ

あ、そういえば赤い髪の彼女は……居ないみたいだね
残念だな、名前を聞きたかったのに
さっきからレディは何も話さないし
あーあ、つまらないな

花舞う景色は美しくて、なんとなくぼんやりとする
このまま眠ると、あの暗雲を照らす星になるのかな

王子であること、本当はたまに疲れたりして
『王子』はみんなと違うから、誰も友達になってくれなくて
一度星になれば、次は普通の子になれるのかなって
幼い頃に思ったコトもあったなあ

それでも、私が眠る場所はここじゃあない
ここで眠ったら、これまでの旅すべてを裏切ることになる

右手に咲く花を払って立つ
やっぱり花は左手にある方が落ち着くよ



●供花『蔦薔薇』
 気づいたら、鮮やかで寂しい花畑に居た。
 偶に記憶が飛ぶ彼にとって、別に珍しいことでは無いけれど。目の前の墓石に刻まれた軌跡は奇妙で、エドガー・ブライトマンは不思議そうに手を伸ばした。
「――やっぱりコレ、私の名前だ」
 白い手袋に包まれたゆびさきが、確かめる様に何度も其れを儗る。どうして、自分の名前が此処に在るんだろう。確かに、柩に引きずり込まれた記憶が薄らと残って居るけれど。
「あ、そういえば彼女は……」
 其処まで想いだしたエドガーは頸を巡らせ、柩に横たわっていた赤い髪の女を探す。どうやら逸れて仕舞ったようだ。此処に其の姿は無い。
「残念だな、名前を聞きたかったのに」
 少年はもう一度、周囲の様子を確かめる様に頸を巡らせた。彼女の姿はおろか、花畑には白き纏いの王子様、ただ独り。
 いつもは頻繁に絡んで来る左腕の淑女も、先ほどから沈黙した侭だ。一体、どうして仕舞ったのだろう。
「あーあ、つまらないな」
 エドガーの旅路には、いつも伴の姿があった。けれども今は、誰も居ない。なんとなく孤独を感じて、彼はほうと溜息を溢す。
 ぶわり――。
 唐突に吹き抜ける風は彼の金絲を攫い、咲き誇る花々の花弁すら攫って行く。空に舞い上がる花々はうつくしく、匂やかで、ついつい芒と見惚れてしまう。なんだか、瞼が重かった。

 ――このまま眠ると、あの暗雲を照らす星になるのかな。

 それも、良いかも知れない。此の空には、星のひとつもないから。自分が一番星になって、寂しい此の花畑を照らしてあげるのだ。
 そういえば、幼い頃にも「星に成れたら」と空想したことが有った気がする。
 エドガーは旅路のなかで、様々な人々と交流を重ねて居るけれど。幼い頃は、いまのように孤独だった。
 『王子』は『みんな』と違うから、『友達』なんか作れない。
 だから、空に瞬くお星様に成れたなら。そして、生まれ変われたなら。次は『普通の子』になれるのだろうかと、少しだけ期待していた。
 ――王子であること、本当はたまに疲れたりして……。
 『王子』だから弱音は吐かない。『王子』だから希いを持たない。『王子』だから戦わねばならない。『王子』だから……。
 それは、彼が呪文のように唱えている科白。誰かに気に掛けられた時も、まるで自分に言い聞かせているかのように――。
 もし、此処で眠れたら。『王子』であることから、漸く解放されるのだろうか。朧な自意識は、茫とそんな期待を抱く。それでも、矢張り彼は『王子様』だから。
「私が眠る場所はここじゃあない」
 骨を埋めるなら祖国の土に、星に成るなら祖国の空で。そうして、いとしき祖国をずっと、ずっと見守っていく。それが、王子の務め。
 それに何より、ここで眠ったら。これまでの旅で得たものを、託された希いを、すべて裏切ることになる。それは、何だかイヤだった。
 気付けば右手に、赫い蔦薔薇が絡みついている。痛覚の薄い体質が災いしたのか、違和を感じられ無かったらしい。もう片腕で其れを払い除け、エドガーは立ちあがる。

「やっぱり薔薇は、左手にある方が落ち着くよ」

 誰かの涙を拭う為、誰かの笑顔を護る為。王子様はいばらの道を進んで行く。女神の祝福と愛を、其の身に宿した侭――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

琴平・琴子


死、って何だろう
今まで無縁だった言葉
誰も、周りで、死んだ人なんていなかったからそんな事考えた事なかった

――いなくなる事が死ならば
きっと元居た世界での私は死んでいる事になっているかもしれない
今も、私は生きているというのに

……そう、生きている
横たえて死に行けば楽かもしれない
瞼を閉じてそのまま眠ってしまえば心地良いのかもしれない

泣いてどうにかなるなら
とっくの昔に瞼が腫れるまで泣き叫んで声は枯れている
でもしなかったのはそれでもどうにもならないから

目を覚まさなきゃ
起きて、歩いて行かなきゃ
出口は何処?

――赤い花はとても綺麗だけど
何処か、血を思わせる様で嫌
早く、早く出口を探さなきゃ



●供花『チューリップ』
「死」って何だろう――。
 何処までも続く花畑をぼんやりと眺めながら、琴平・琴子はそんなことを物思う。未だ幼い彼女にとって其れは、今まで無縁だった言葉。
 親しい人との死別も経験したことが無かったから、彼女はいま初めて「死」に向き合っている。
 『いなくなること』が、死ぬことなのだろうか――。
 墓に刻まれた己の名を見つめながら、思い返すのは元居た世界のこと。あちらの世界には未だ、帰れていなかった。もしかしたらもう、死んでいることにされて居るかも知れない。優しい両親はきっと、こころを痛めて居るだろう。

 ――未だ、私は生きているのに。

 躰の感触はちゃんとあるし、意識も確りしている。だから未だ、自分は死んでいないと、琴子は薄ら想っていた。そう、彼女は生きているのだ。
 甘い馨に導かれる侭に花海へと身を横たえて、総てを終わらせて仕舞えば、どんなにか楽だろう。微睡みに意識を委ね、其のまま眠って仕舞えば心地良いに違いない。
 けれども、少女は楽な道を選ばない。彼女は何時だって、厳しい「現実」に立ち向かって来た。
 もしも泣いてどうにかなるなら、とっくの昔に聲が枯れるまで泣き喚いて。瞼が腫れて開かぬ位に、涙を溢している。
 それでも、少女がそうしなかったのは、泣き喚くだけじゃ現実は変わらないと、自分から動かなければ何も解決しないのだと、誰よりも分かって居たから。

 ――嗚呼、目を覚まさなきゃ。

 重くなってきた瞼を擦りながら、琴子はゆるりと頸を巡らせる。何処を見ても、此処には花ばかり。けれども起きて、立ち上がって、歩いて行かなきゃ。今まで、そうしてきたように。注がれた期待と愛情に応えられるような、自分であるために。
「……出口は何処?」
 ふらり、覚束ない足取りで一歩だけ、前へ進む。
 少女の白い膝に咲き誇る、赫々としたチューリップが、ひらひらと風に揺れた。上から見下ろす其れは、とても綺麗な彩だけれど。まるで擦り剝いて歩けなく成った時に零れる、痛々しい血を思わせるようで……。
「嫌――」
 早く、早く出口を探さなきゃ。
 ちいさく頭を振った琴子は、真直ぐに貌を上げて。ただ前だけを見据えて、進んで行く。優しく甘やかしてくれるような、そんな馨に背を向けて。ちいさくても、確かに一歩ずつ――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シャト・フランチェスカ


綺麗で馨しくて心地好い
もう筆なんて執らなくていい
在るかさえ不確かなものを捜すため
こころを削って言葉を紡がなくていい

シャト・フランチェスカも
漸く睡ったのか

裸足の足元
赫い蔦のようなものが這い上がる
この自我も
遺さず吸い尽くしてくれるかな

鼓動ひとつを感じる毎に
ふわりと真赤な桜が芽吹く

ふと、霧が降りて

やあ
ミュリエル、『シャト』を迎えに来たの
それとも罵声を浴びせる?
どうして私たちを置いていったの
どうして私たちの幸せばかり祈ったの、って

――逢いたかったの
逢いたかった、のに!

どうしてきみが泣くの
僕は偽物だよ
きみが識るシャトの怨霊さ

僕だって逢いたかったよ
きみと話したかった

でももう遅いや
左の眼窩に、桜が満ちて



●供花『赫桜』
 己の銘を刻んだ墓石に背を預けながら、シャト・フランチェスカは暫しの微睡に身を委ねる。薄眼で観ても鮮やかな花畑は綺麗で、馨しく、たいそう心地が好かった。
 もう、筆なんて執らなくて良い。
 それはひとつの、救いでもあった。在るかさえ不確かなものを捜すため、こころを削りながら、言葉を紡ぐ必要も無くなるのだから。
「漸く、睡ったのか」
 “シャト・フランチェスカ"と云う、或る種の亡霊も――。
 感慨深げに零す聲は、何処までも穏やかだ。ちらり、裸足の脚に違和を感じて茫とした眼差しを其処へ向ける。気づけば、赫い蔦のようなものが纏わりついていた。
 じわり、じわり、脚から上半身へ這いあがって来る其れは、綯交ぜに成った此の自我も、遺さず吸い尽くして呉れるだろうか。
 どくり――。
 鼓動がひとつ脈打つ度に、ふわり、ふわり。真赤な櫻の蕾が蔦へと芽吹き、みるみる内に花を咲かせて行く。
 今際の夢、と云うやつだろうか。ふと、乙女の傍に霧が降りた。其れは瞬く間にひとの容を取って、シャトに懐旧の念を抱かせる。
「やあ――」
 ミュリエル、と其の名を呼ぶ彼女の聲には、気安さと諦観が混ざっていた。旧友と漸く再会を果たしたような、そんな親しみを感じさせる。
「『シャト』を迎えに来たの。それとも、罵声を浴びせる?」
 ふ、と口端をあげて嗤った乙女は、つらつらと科白を溢れさせて行く。まるで、湧き上がる泉のように。

 どうして、私たちを置いていったの。
 どうして、私たちの幸せばかり祈ったの。

 相手が云わんとすることは、分かって居る。責められても仕方のないことだ。“シャト”は確かに、優しい“呪い”をかけたのだから。

 ――逢いたかったの。逢いたかった、のに!

 眼前で咽び泣く此の子は、己の裡から出でた都合のいい妄想なのだろうか。それとも、本物の――……。
「どうして、きみが泣くの」
 双眸を長い睫に鎖しながら、乙女は静かに問いを編んだ。
 ほんとうは、其の涙が優しさから、温かな感情から零れたことを知っているから、敢えて突き放すように嗤う。
「僕は、偽物だよ。きみが識るシャトの怨霊さ」
 けれども、こころは違う。きっと、自分と此の子は、同じ感情を抱いている。

 ――僕だって逢いたかったよ、きみと話したかった。

 素直にそう云えたなら、どんなにか良かっただろう。でも、
「もう、遅いや」
 赫い蔦は、乙女のかんばせにまで浸食し始めていた。とくり、とくり、鼓動がひとつ波打つ度に、ふわり、ふわり、花が咲く。
 軈ては左の眼窩に迄、櫻は満ちて。なにも、視えなくなった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

フェミス・ノルシール
死後の世界が、こんなにも綺麗とはな…皮肉なものだ。

ほう…こうも色鮮やかに咲き誇っていると、つい見惚れてしまう。

何だあれは…?
このような場所に墓石とは…さぞ愛されていたのだろう。

これは私の…?
まさか、自身の墓を見ることになろうとは。
私の犯してきた罪を知ってか知らずか…
これを建てた者には、感謝を告げなければな。

(赤い花の咲き方と種類は何でも可です)

これが死か…存外、心地の良いものだ。
過去に私が処刑した者達の元へ、私も逝くのだろう…これで、私の役目も…終わり…


(永き眠りを受け入れます)



●供花『竜胆』
 気づけば赫と少しの蒼が混ざり合う、満開の花畑に佇んで居た。フェミス・ノルシールは、本能的に此処が『彼岸』であると気付き、ぽつりと感嘆を溢す。
「死後の世界が、こんなにも綺麗なものだとは……」
 嗚呼、皮肉なものだ。苦界は咎人と、彼等が流した血の海に溢れかえって、穢れていたのに。
「ほう……」
 興味深げに、傍で揺れる花を観察する。思えば光が喪われたダークセイヴァーに、花が咲くこと自体が珍しい。こうも色鮮やかに咲き誇っていると、つい見惚れてしまう。喩え、其の名が分からなくとも――。

「む、何だあれは……?」

 ふと、花畑のなかにぽつりと佇む黒石が視えた。
 興味が惹かれる侭、フェミスはゆるりと近付いて行く。どうやら其れは、誰かの墓であるらしかった。
「このような場所で眠っているとは……」
 さぞ愛されていたのだろう。しみじみとした想いを胸に、少女は墓石に刻まれた銘を視線で儗り、――固まった。
「これは、私の……」
 漸く零れ落ちたのは、そんな科白。まさか、自分の墓を見ることに成るとは。もう終わって仕舞ったけれど、人生とは奇妙なものだ。
「これを建てた者には、感謝を告げなければな」
 いったい、誰がこんな立派な墓を誂えてくれたのだろう。処刑人として犯してきた己が罪を思い返すほど、感慨と感謝の念が胸中に込み上げて来る。
 取り敢えずは、ひとやすみをしよう。
 少女は背中から花畑に倒れ込む。柔らかな草花は、華奢な其の躰を優しく抱き留めてくれた。気づけば己の左胸には、赫き竜胆の花が咲き誇っている。
 手向けの花のようで、とても綺麗だ。
 暫くそれを眺めて居ると、甘い馨に全身が包まれた。同時に心地の良い微睡みが、少女を夢の淵へと誘って来る。
「これが、死か……」
 なんて優しくて、安らかなのだろう。過去に己が処した者たちも、こんな場所で眠れているのだろうか。それとも、次に目覚めた時には、もっと昏い煉獄に居るのだろうか。
 フェミスに分かることは、ただひとつ。きっと自分も、彼等と同じ場所へ逝くのだろうと云うことだけだ。
「これで、私の役目も……終わり……――」
 漸く、千年に渡る呪われた「生」に幕を閉じることが出来る。微かな喜びを胸に抱きながら、少女は静かに双眸を鎖した。
 彼女の左胸に咲く竜胆が、はらり、靜かに花弁を散らす。

大成功 🔵​🔵​🔵​

百鳥・円


一面の赤い花海に抱かれて
何処へと至るのでしょうね
わたしの生を憶えているのは
いったい何人いるのでしょう

心臓、貴女の欠片を宿した場所
天上さえ貫くように咲き誇る曼珠沙華
わたしには思い出どころか
それを纏う父親の印象しか、

ああ、そう。なるほど
貴女の思い出
あなたたちの想いなんですね

ねえ、おしえて
使命を終えたのならば、欠片の魂は何処へゆくの
ちゃあんと、貴女の元でひとつに戻るのでしょうか

誰かに問わずとも
胸に埋まる欠片が答えを持っている
当然だ
貴女が目覚めたのなら、欠片のわたしは居なくなる
それでよかったのに

ママ、わたしね
愛おしいひとと約束をしたんです
この息を棄てる時、海の底へとゆくと

だから、まだ
しにたくはないな



●供花『曼殊沙華』
 赫い花海に抱かれた侭、百鳥・円は昏い空を仰いでいた。空に舞い上がる花嵐は、こころが苦しくなる程にうつくしい。
 此のたましいは、此れから何処へと至るのだろう。
 そして、“わたし”――『百鳥・円』が“生きていたこと”を、いったい何人が覚えて、語り継いで呉れるのだろう。
 彩違いの眸がちらり、己の心臓から咲いた赫花を見遣る。母の欠片を確かに宿した其の場所には、まるで天上さえも貫くように咲き誇る、一輪の曼珠沙華が在った。
 別に想い出の花、と云う訳では無い。ただ、其れを纏っていた父親のことは覚えていた。
「――ああ、そう」
 其処まで記憶を辿って、成る程と少女は吐息を溢す。これは、母の想い出……否。
「あなたたちの、想いなんですね」

 ねえ、おしえて――。

 自らのいのちを吸って赫く咲き誇る曼殊沙華を眺めながら、少女は茫と物思う。
 もしも使命を終えたのなら、欠片の魂は何処へゆくの。
 ちゃあんと、貴女の元でひとつに戻るのでしょうか。
 花唇から問いを編む必要も無い。胸に埋まる欠片が、其の答えを持っているから。『貴女』が目覚めたのなら、欠片の『わたし』は居なくなる。それは、当然のことだった。
 だから、それでよかったのに――。

「ママ、わたしね」
 愛らしい眉を下げながら、ぽつりと零す言葉は『欠片』としてではなく。ひとりの『人間』として零すもの。
「愛おしいひとと、約束をしたんです」
 この息を棄てる時、きっと海の底へゆくと――。
 少女は欠片である前にひとであるから、誰かを愛することもある。大切な縁を結んで、違え難い約束を交わすことだって。
 胸に抱くものは、盟約の欠片だけに非ず。海の似合うあの子への愛執も、確りと、焼き付いて居るから。だから、まだ。

「しにたくは、ないな――」

 あえかなゆびさきを、心の臓から伸びる曼殊沙華へと静かに伸ばす。ぐ、と力を籠めて引き抜けば、どくり、どくりと、鼓動が激しく脈打った。
 はらはらと、赫き花弁が零れ落ちる。まるで、いのちを散らすように。
 されど、嗚呼。此の胸の苦しみこそ、心臓を締め付けるような痛みこそ、「生きていること」の証なのだ。
 騒がしい此の鼓動は未だ、止まりそうには無い。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宮前・紅

………墓?
嗚呼、そうだった。棺に引き摺り込まれたんだった

もしかして、死んだのか?

はは、あははははっ自業自得だよ!
………俺みたいなどうしようもない奴は、死んだ方が、良い
俺は罪を償えと言われて償える程特段に優しくはない
全て傲慢でエゴに塗れていた
我ながら性根の腐った奴だとも、思う

あぁ、でも………死ぬのは嫌だなぁ
俺は自分を殺す勇気がない
ただのどうしようもない死にたがりで、臆病者だった

永き眠りを拒絶して
どれだけ踠いても、赤い薔薇は脚を絡め取る様に徐々に蝕んでいく
邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ
手で強引に毟り取る。手に棘がチクチク刺さるのも今はどうでも良い

そこに居たのは、死という恐怖に怯えきった少年だった



●供花『赤薔薇』
 灰彩の眸にふと、目にも鮮やかな花畑が映り込む。茫と視線を巡らせた宮前・紅は、其のなかに佇む異物を見つけて、怪訝そうに眉を顰めた。
「………墓?」
 嗚呼、そうだった。あの人が眠っていた棺のなかに、引き摺り込まれたんだった。刻まれた銘を凝視すればする程に、ぼやけた記憶が鮮明によみがえって往く。

 ――もしかして、死んだのか?

「はは、」
 少年の喉から、乾いた笑聲が零れ落ちる。自嘲を孕んだ其れは、みるみる内に広い空の下へ伝搬して行く。
「あははははっ、自業自得だよ!」
 あんな寂れた地下室で、誰にも看取られることも無くいのちを散らす。あまい誘惑に負けて……。嗚呼、己は本当にどうしようもない人間だ。こんなにどうしようもない奴は、きっと。

 ――死んだ方が、良い

 清らかでお偉い連中に、幾ら罪を償えと言われても。嗚呼そうですかと償える程、青年は特段に優しくはない。寧ろ其の華奢でうつくしい躰の総てに、贖い難い傲慢と泥のようなエゴを詰め込んで居た。我ながら想う。俺は、性根の腐った奴だと。
 嗚呼、でも。
「………死ぬのは、嫌だなぁ」
 幾ら自分を否定して、死ぬべき理由ばかりを探した所で。裡に秘めた想いは、感情は、誤魔化せない。
 紅には、自分を殺す勇気がなかった。ただの、どうしようもない死にたがりなのに。其の精根は、何処までも臆病だった。
 ゆえにこそ少年は、永き眠りを拒絶する。誘うように立ち込める甘い馨が、心地よさに重くなる瞼が、ただ、恐ろしかった。
 逃げ出そうとして脚を動かす、――つもりが、身動きひとつ叶わない。ふと、下を見降ろして、ぎょっとする。
 血のように赫い薔薇が「逃がさない」と云わんばかりに、華奢な双脚へと絡みついていた。思わず踠く少年だが、薔薇の戒めはよりきつく成って往く。

 邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ。邪魔だ……――。

 あえかな掌で、どれだけどれだけ毟ろうと。赫薔薇は脚を、腰を、涯は上半身を絡め取るように、徐々に徐々に其の躰を蝕んでいく。
 それでも、紅は踠くのを止めない。
 生えた先から、強引に薔薇を摘み、むしり取り続ける。白いゆびさきに棘が刺さり、チクチクと痛む。踠いた拍子に脚へ食い込んだ棘から、赫絲が零れ落ちる。
 けれども、痛みなんて気に成らなかった。ただ「死にたくない」一心で、少年は死神に抵抗を続けているのだ。
 そこに居たのは、歴戦の傭兵などでは無く。ただ「死」と云う恐怖に怯えきった、ひとりの儚い少年だった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

戎崎・蒼

…………いっその事、ただ苦しいだけであったら良かったものを
そう未だ感情が纏まらないまま、はっと見開きで広がっていた場所は月夜の花畑だった

──そうだ
幾ら考えたとして後悔先に立たず
今そんな事を悔い嘆いても意味の無い事、なのか

花の香りが鼻腔を擽る
誘われ墓石を見つけた時、
気付けば僕には赫色のサイネリアが咲いていた

ここは死後の世界だったのか
生への執着が無い訳では無いけれど、それくらいにしか不思議と感じない
何処か泣きたくなるような、そんな気がしながら痛くもない筈の、身体に咲く花をぐしゃりと抑え込んだ

怖くなんてない
幾数もの人を裁いて殺めてきたじゃないか

許して。赦さないで。殺して。殺さないで。
僕はまだ、死に



●供花『サイネリア』
 あまい、馨がする。
 うたた寝をしているような、ふわふわとした気分で、何だか心地が好い。嗚呼、でも、何かが違う。いっそのこと、ただ苦しいだけであったら良かったものを――。
 ぐるぐると脳裏で渦巻く感情に結論を出せぬ儘、戎崎・蒼は、はっと眸を見開いた。視界いっぱいに拡がって居るのは、鮮やかな花畑。
 ──……そうだ。
 幾ら考えたとしても、後悔なんて先に立たず。いまさら悔い嘆いたところで、果たして何の意味が有ると云うのだろう。否、意味なんて無いのだ、きっと。

 あまい馨は、一面に咲き誇る花から漂っているようだ。鼻腔を擽る其れに誘われるように、少年はふらふらと、宛ても無く歩き出す。
 逍遥は、直ぐに終わりを迎えた。鮮やかな世界でぽつんと、寂しく佇む墓石を見つけたのだ。刻まれた銘を覗き込む。其処には、自分の名前が綴られていた。
 気付けば赫彩のサイネリアが、彼の細い喉から花弁を垂らしていた。
「……ここは、死後の世界だったのか」
 蒼は別段『死にたがり』と云う訳でもないし、「生」への執着が無い訳でも無い。けれども不思議と、嗚呼、としか感じられなかった。いきなりのことで、そもそも実感がわかないのかも知れない。
 ふと、強かに吹き抜けた風が、咲き誇る花弁たちを空へと浚って行く。ただ其れだけなのに、寂しくて、何処か泣きたくなるような気持ちに成った。
 何となく落ち着かなくて、喉に咲く花をぐしゃりと抑え込む。痛くない筈なのに、花弁がはらはらとゆびの隙間から零れ落ちるほどに、胸がきゅっと苦しくなる。
 ――怖くなんて、ない。
 きっと自分には、恐怖を感じる資格も無い。だって、幾数もの人を裁いて、殺めてきたのだから。己もまた、裁かれる時を受け入れるべきだ。

 嗚呼、でも、叶うことなら許して。
 ううん、駄目だ、やっぱり赦さないで。

 頭のなかで相反する感情が、ぐるぐる、ぐるぐると渦を巻く。理性と感情は、必ずしも一致しない。

 贖えと云うのなら、いっそ殺して。
 けれど、ほんとうは恐ろしいから、どうか、殺さないで。

 少年は選べなかった。或いは、自分は選ぶべき立場に無いのだと、そう想っていたのかも知れない。窒息しそうな苦しさに、少年は己の頸を、其処に咲く花を掻き毟る。

「僕はまだ、死に――」

 その科白は、最後まで紡げなかった。
 花唇から溢れた大輪のサイネリアは、彼の聲を奪い、ただ赫々と咲き誇る。再び柩が開かれる、其の時まで。

大成功 🔵​🔵​🔵​

旭・まどか


彼岸に咲く花とはよく云ったものだね
一面に広がる姿は圧巻の一言で

――此れが、ぼくの果て

その中に在る“代わり”の銘を、なぞる

意味など無い
“そういうもの”として与えられた四文字に
特別な思い入れなど、有り様筈も無い

こんな立派な墓石を貰って良いの?

ただの代わりに与えるには随分と大層な設えに
随分とお優しいんだねと笑みを零すも
此れを手配したのがお前であったらばそれも納得か、と

――嗚呼、お迎えの時間かな

ふわりと香る甘やかな馨
その花には無い筈なのに
視界の隅に、赫が咲く

ひとつ、またひとつ
次々開きゆく赫は此の穢血を移したかの様に美しくて

……きれい

小さく零した賞嘆の意

狂気を孕んだ死神の使いに
用済みの此の身を捧げよう



●供花『ひなげし』
 薔薇彩の双眸に写した光景の鮮やかさに、旭・まどかは「ほぅ」と息を呑む。其処に咲き誇る大輪の赫は、他の世界において『彼岸花』と呼ばれる花によく似ていた。
「彼岸に咲く花とは、よく云ったものだね」
 まるで赫い海のように花弁が風に凪ぐ其の様は、圧巻の一言に尽きる。それだけに、離れ小島の如く、ぽつんと置き去りにされた墓石は何処までも寂し気だ。
 ――此れが、ぼくの果て
 無骨な黒石に刻まれた“代わり”の銘を、そうっと、白いゆびさきで儗る。其の行動に、大して意味は無かった。初めから“そういうもの”として、誰かさんから与えられた『旭まどか』の四文字に、特別な思い入れなど、――有る筈も無い。
「こんな立派な墓石を貰って良いの?」
 ただの“代わり”なのだから、消えてしまえば其れで終わり。存在していた証なんて、遺さなくとも構わないのに。随分と大層な設えを、用意してくれたものだ。
「随分とお優しいんだね」
 くつり。思わず笑みを零した少年のかんばせには、僅かばかりの険も無い。だって、此れを手配してくれたのが「お前」であることが、何となく分かったから。寧ろ、写し身の己にこんなに優しくして呉れるのは「お前」しか居ないから。

 ――……嗚呼、お迎えの時間かな。

 ひんやりと冷たい墓石に背を預け、少年は茫と花畑を眺める。花嵐がふわり、空へと舞い上がる度に、甘やかな馨が鼻腔を擽って心地が好い。
 けれど、嗚呼、彼岸花はこんな馨をしていただろうか。
 ふと浮かんだ疑問に答えるように、少年の視界の隅、赫がふわりと花開く。ひとつ、またひとつ。金絲の髪に、うつくしいかんばせに、薔薇彩の眸に咲き乱れる其れは、愛らしいひなげしの花。
 此の身に流れる穢血を糧とするように、赫々とした彩を放つ其の花弁は、現世の何よりも美しくて。

「……きれい」

 少年の花唇から、ぽつり。ちいさな賞賛の言葉が零れた。
 片眸に咲いたひなげしが、ゆらゆらと風に揺れている所為か、瞼が自棄に重い。少年は抗うことなく、ふ、と眸を長い睫に鎖す。
 手向けの花に、立派な墓、“代わり”には勿体ない位の最期だ。
 さあ、此れから舞い降りるであろう、狂気を孕んだ死神の使いに。今度こそ、用済みの此の身を捧げよう。
 そうしたらお前も、再び陽の注ぐ温かな場所へと還れるだろうから――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロキ・バロックヒート


墓石の銘は祈りを籠めた名
なにかの決意と共に刻んだはずなのに
思い出せない

己が死んでもなお世界は続く
またどこかで目覚めるんだろう
でも死に浸されている間は
こえも聴こえないし感じない
死は安寧だ

身に咲いてゆく花は綺麗で面白い
赤い赤いカスミソウ
でも眼に咲いたものはぶちぶちと千切る
そこは駄目だよ
冷めたこえで誰に云っているんだろう
眼を閉じていたら瞼にも咲いてしまったから
花畑に丸まって寝転がる
いい香りがする
花を食べてみたらもっと深く眠れるかなぁ
永く眠るなら世界の終わりに眼が覚めたら良いな
だって役割を果たさないと
…役割ってなんだったっけ
首に食い込む枷が煩わしい

ああ
このままずうっと眠ることができたなら
どんなにか、



●供花『カスミソウ』
 僅かばかりの蒼と、一面の赫に埋め尽くされた花海に背を向けて。ロキ・バロックヒートは、寂しく佇む墓石と靜に向き合っていた。
 多分、埋められるのは初めてじゃない。墓石の銘は、祈りを籠めた名で。なにかの決意と共に、確かに刻んだ記憶はあるけれど。
 ――……思い出せない。
 其れが、どんな誓いであったのかは朧気だ。分かることは、ただひとつ。己が死んでもなお、世界は続いていくと云うことだけ。
 神は不死たる存在だ。
 だからこそ、滅びた躰は時間が経てば蘇り、意識もまた何処かで目覚めるんだろう。けれども「死」に浸されている間は、こえも聴こえないし、感じない。

 嗚呼、なんて安らかなのだろう――。

「ふふふ」
 ゆびさきに、腕に、胸元に。次々とカスミソウが、ふわり花を咲かせてゆく様は、綺麗で面白くて。唇からは自然と笑聲が漏れた。
 血のように赫い、赫い、カスミソウ。黒と赫に染まった此の世界に、なんとも御誂え向きな華だ。けれど、嗚呼、眼に咲くのだけは戴けない。
「……そこは駄目だよ」
 ぶちり、ぶちり。花弁を千切りながら放つ冷めた科白は、果たして誰に向けられたものか。ロキ自身にも、よく分からなかった。
 幾ら引き抜いてもキリがないので、これ以上は浸食されぬようにと眸を閉じていたら、代わりに瞼でカスミソウが花開く。もう眸も開けられそうに無いから、青年は花畑に寝転がって丸く成った。
 ――……いい香りがする。
 甘くて、おいしそうだ。ひと口でも食べてみたら、もっと深く眠れるだろうか。もう、暫くは起きたくない。永き眠りに就くのなら、今度はどうか、世界の終わりに目覚めたいと希う。
 だって、ロキは与えられた『役割』を果たさないといけないから。

「……役割ってなんだったっけ」

 けれども甘き花の馨は、そして其の躰を埋め尽くして行くカスミソウは、神の矜持と思考をゆっくりと奪って行く。
 じゃらり――。
 頸に食い込む枷が、なにかを揶揄するように音を立てた。嗚呼、そんな所が煩わしい。でも、ひとたび眠れば少しの間は、其の苛立ちからも解放される。此の身を締め付ける、「生」と云う名の鎖からも。
 ああ、この侭ずうっと眠ることができたなら。どんなにか、――……。

大成功 🔵​🔵​🔵​

天音・亮


微睡む思考
動かない
動けない
視線を下げればああ、と納得した
両の足に絡む花の根
赤々と咲き乱れたこの状態ではもう走れない──もう飛べない

ひいろは無事だった?
きみが元気に生きていけるのならそれでいい
私はきみを助けるために、ヒーローになったんだから
だからもう走れなくても、

…本当に?

走れなくなってもいいの?
手を伸ばせなくなっても、いいの?

──やだよ

まだ手を伸ばしたい人たちがいる
まだ笑ってほしい人たちがいるの
こんなところで、終わりたくない!

前へ進め
手を伸ばせ
ヒーローで在りたいと願うなら
足を一歩そのまた先へ

さあ、戻ろう
会いたい人たちがそこに居るから
めいっぱいの笑顔で
望む限り、どこまでも駆けていくんだ!



●供花『扶桑花』
 ふと気づいたら、赫い花海の真ん中にいた。
 微睡む思考のなか、天音・亮は己が銘を刻まれた墓を、茫と見つめる。目の前にある其れが、夢か現か、触れて確かめたいけれど。動かない、否、動けない。
 薄く開いた碧の双眸を伏せたなら、其処に拡がる光景に「ああ」なんて、嘆息が漏れる。すらりと伸びた双つの脚に、赫い花の根が絡みついていたのだ。
 赫々と咲き乱れるは、鮮やかな扶桑花。青空が似合う彼女に相応しい、常夏の花。けれども、こんな所に飾られては、もう走れないし、もう――飛べない。
「……ひいろは、無事だった?」
 ぼんやりと視界には、彼の姿は映らない。自分はこんなことに成って仕舞ったけれど。彼が助かったのなら、それでいい。
「私はきみを助けるために、ヒーローになったんだから」
 白い病室で寂しく笑う兄には、生き延びて欲しい。叶うことなら、また元気な聲を聴かせて欲しい。喩え希望が視えなくとも、彼女は其の一心で、戦って来た。
 そう、彼を柩から助けることが出来たのだから。もう、走れなくても構わないのだ。
 ――……本当に?
 走れなくなってもいいの、娘はそう自問自答する。病床に在りながらも自分を支えて呉れた彼に、手を伸ばせなくなっても、いいの?
「──やだよ」
 亮はふるりと、長い金絲の髪を振り乱す。まだ、彼女には手を伸ばしたい人たちが居る。まだ、笑って欲しい人たちが居る。そして、彼女の助けを待つ人たちも、きっと。だから、

「こんなところで、終わりたくない!」

 決意の咆哮を響かせた彼女は、脚を包むブーツ『soleil』の出力を最大にした。凪いだ花海に、グルルルル、とエンジン音が響き渡る。扶桑花の戒めをぶちりと強制的に破り、娘の脚は一歩前へ。赫い花弁はころりと堕ちて、地を穢す。

 進め、進め、手を伸ばせ。ヒーローで在りたいと願うなら、立ち止まるな。そして、諦めるな。誰かの「生」も、自分の「生」も――!

 再び花の根が伸びて其の足を戒めようとも、決して彼女は立ち止まらない。一歩ずつ、太陽の脚音を遺して前へ、未来へと進んで往く。
 さあ、戻ろう。会いたい人たちが現世で待って居る。だから、めいっぱいの笑顔を咲かせて。自分が、誰かが、望む限り。

 ――どこまでも、駆けていくんだ!

 爛漫の花嵐を舞い起しながら、祝福するように降り注ぐ花弁を浴びて、太陽の娘は走る。『きみ』の所へ、誰かの所へ、笑顔を届ける為に。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント

自分の名が書かれた墓…ここで眠れとあの人に言われているようだ
本当にそう望むなら、甘い馨に逆らわず眠ってもいいと思えて来る

手に、赫い花が
これでは銃を扱えない、戦えない
戦えないのなら、もう銃は必要無い
せめてこの銃…シロガネまで花に浸食されないように、体から離した場所へ置いてしまおうと
…しかしそこまでしておいて、なぜかシロガネから手を放す事ができない
これだけ済ませたら、心置きなく眠れる筈だったのに

ああ、そうか
俺の中に戦う理由が残っているからシロガネを手放せない
その心残りが無くなるまでは逝けないと、強く想ってしまう
花の浸食が進むのを自覚しつつ、何とか永い眠りを拒絶する
…あの人は、許してくれるだろうか



●供花『月見草』
 泣きたくなる程うつくしい花海に、ぽつりと佇む墓がある。其処に綴られる文句は、有り触れたもの。
 シキ・ジルモント、ここに眠る――。
 自分の名が刻まれた墓石へ、青年は確かめる様に手を伸ばす。軈て其のゆびさきから、冷たい石の感触が伝わってくれば、彼は静かに眸を伏せた。「お前はここで眠れ」と、あの人にそう言われているようで……。
 人狼特有のよく利く鼻は、甘い馨をうんざりする程に拾って来る。もしも、あの人が本当にそう望むなら。微睡みを齎す心地好い馨に誘われる侭、眠りに就くのも良いだろうか。
 ふわり、墓石に触れる手に赫い花が咲いた。
 手の甲に、そして掌にまで浸食してくる其れは、「月見草」と呼ばれる愛らしい花。鮮やかな彩の其れは、暫し彼のこころを慰めてくれるけれど。嗚呼、これでは銃を扱えない。ならばもう、戦えない。
 ――……戦えないのなら、もう銃は必要無いか。
 ゆびさきにまで咲き乱れ始めた花に、抗う気力はなかったけれど。あの人の形見の銃――『シロガネ』だけは、侵されたくなかった。せめて、これだけは変わらぬままで居て呉れと、青年は墓石の前へハンドガンを置いた。
 けれども、なかなか手は離れない。
 ハンドガンとゆびさきが、花で結ばれた訳では無い。ただ、シキの裡に眠る未練のようなものが、放すことを拒んだのだ。
 嗚呼、これさえ無事に手放せたら、あとは心置きなく眠れる筈だったのに――。

「……ああ、そうか」

 其処まで考えた所で、青年はふと気づく。
 己のなかには未だ、戦う理由があることを。ゆえにこそ形見の銃『シロガネ』を、手放せないのだと。
 ――心残りが無くなるまでは、逝けないな。
 先ほどまでは、眠りに抗う心算なんて無かったのに。今はそんなことを、強く想って仕舞う。微かに苦笑を浮かべながら、青年は掌に生えた花を引き千切る。
 はらり、はらりと地に堕ちて、軈てばらばらに成る花弁には悪いことをしたけれど。未だ、死ぬ訳にはいかないのだ。
 然し幾ら千切ろうと、花は彼の掌を覆い、涯は腕にまで咲き乱れて往く。侵食が進んでいる自覚はあった。けれども、抗わずには居られない。
「……あの人は、許してくれるだろうか」
 未だ、「生きたい」と希うことを。もしも赦されるなら、白銀の相棒と此れからも苦界の闇を撃ち抜いて行こう。
 地に堕ちた赫い花弁を風がふわり、空へと浚って行く。舞い上がる花嵐は、矢張り、哀しい程にうつくしかった。けれども、いまは現世が恋しい。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宵雛花・十雉


ここはどこだろう
花の匂いがする

これは墓?
オレの名前…
そっか、柩の中でお父さんと眠ってたんだった

こんなにたくさんの花に見守られて
なんて幸せなんだろう

真っ赤な彼岸花が咲き始め
心地よく瞼が下がる

こんなによく眠れそうなのは何年ぶりかな
眠るたびに見るのは過去の悪夢ばかりで
そのうち夢を見ることすら恐ろしくなった
もしかすると、次にいい夢が見られるのは死後の世界なんじゃないかって
そんな風にも思う
だって送る時には「安らかに眠れ」なんて言うじゃない

けど、ずっと一緒にいようって約束した子がいて
置いて行かないって約束した奴がいる
死んでからも嘘吐きになるのは嫌だな
そんなの生きてる内だけで十分だよ

還らなきゃ



●供花『彼岸花』
 甘やかな、花の匂いがする。
 噎せ返るような馨を放つ赫き花の海に包まれて、宵雛花・十雉は静かに眸を開いた。
 ――ここは、どこだろう。
 ゆるりと身を起こせば、否が応でもぽつりと寂し気に佇む墓石が目に入る。誰のものだろうか、と其処に刻まれた銘へ視線を注いで、青年は「嗚呼」と嘆息を溢した。
「オレの名前……」
 そうだ、ついさっきまで柩の中に居たのだった。一緒に眠っていた『お父さん』は、何処へ行ったのだろう。もしかしたら、三途の川を渡った先で、自分を待って居て呉れているのかも知れない。
 嗚呼、それにしても。こんなに沢山の花に見守られて、心地好い馨のなかで眠れるとは、――なんて幸せなんだろう。
 ふわり、ふわり。
 臨死多幸感に包まれると同時に、十雉の手に、脚に。まるで血のように赫い、彼岸花が咲き始める。花の馨は強く成り、更に瞼が下がって往く。
 ――こんなによく眠れそうなのは、何年ぶりかな。
 夜毎、眠るたびに夢を見る。
 けれども其れは、過ぎ去った日のことばかり。悪夢に魘されるうちに、夢を見ることそのものが、恐ろしく成って仕舞った。
 十雉は偶に考える。
 もしかすると、次に良い夢が見れるのは、死後の世界――永劫の眠りに就いた時なのでは無いか。だって、ひとを彼岸へ見送る時にはみんな口を揃えてこう云うのだから。“安らかに眠れ”――って。

 うつら、うつら。
 三途の川の淵で心地好く船を漕ぎながら、青年はぼんやりと現世のことを想いだす。喪ったものも大きかったけれど、遺して仕舞ったものも、確かに在った。
 ずっと一緒にいようって、そう約束した子がいて。置いて行かないって、そんな約束を交わした奴も居る。
 いま此処で永き眠りを受け入れたら、嘘を吐いたことに成って仕舞う。安らかで心地好い眠りに落ちることは、とても魅力的だけれど。それでも、死んでからも嘘吐きになるなんて。
「……嫌だな」
 嘘吐き呼ばわりされるのも、嘘を吐いた自分を責め続けるのも。そんなのは、生きている内だけで十分だ。

「還らなきゃ――」

 帰りを待って居てくれるひとが居る。
 約束を果たさなければならぬひとが居る。
 ゆえに青年は、其の身に咲いた彼岸花をひとつ、ひとつ。力ないゆびさきで、ゆっくりと引き抜いて行く。
 生と死の狭間に咲く「赫彩」が、自棄に夕彩の眸に焼き付いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

珂神・灯埜

あの子はどこ?
歩めば見える、己の銘が刻まれた墓石

そうだボクは柩に――死んだのか
こんなにも綺麗な場所が逝きつく先?
あの男に創られた、あの子を殺したボクに与えられた場所?

赫、赤、あか 花弁が舞う
きれいだ。見惚れて手を伸ばそうと
違和を感じ手の平を開けば赤い花が咲いていた

やはりボクには似合わないな、この色
あの子、灯環が似合うのに

花の薫は灯環のものじゃない
なのにひどく安心を覚えて横たわり微睡む
傍であの子が笑ってくれていたときのように

創られたボクたち
家族じゃない
姉や妹などと呼んだ事はない
けれどふたりでひとつだった
片割れだった子

大切だった?
大事だった?
解らない。判らない
でもボクはオマエを殺すのは嫌だったよ



●供花『玉簾』
 風が吹く度に、赫い花海がざわざわと揺れる。珂神・灯埜は其の光景を横目に、先ほどまで見つめていた筈の存在を探して居た。
「あの子は、どこ?」
 ゆるりと凪ぐ赫い海のなか、少女は迷子のように歩んで行く。そうすると否が応にでも、ぽつんと佇む異質な墓石に意識が惹かれずには居られない。よくよく近付いてみると、其処には己の銘が確かに刻まれていた。
「そうだ、ボクは柩に――」
 其処ではたと、事の顛末を想い出す。柩に引きずり込まれて、それから……もしや、死んで仕舞ったのだろうか。然し、こんなにも綺麗な場所が、最期に逝きつく先だなんて。あの男に創られた、『あの子』を殺した自分には、なんだか分不相応な気がして、少女は暫し黙りこくった。
 ぶわり――。
 ふと強かな風が吹いて、咲き乱れる花々を攫って行く。赫、赤、あか、空に数多の花弁が舞う。嗚呼、まるで雪の様。
「……きれいだ」
 ついつい見惚れて、灯埜はそうっと宙へ手を伸ばそうとして、手の裡側に違和を感じた。そうっと握り締めた拳を開いたならば、其処には、ゆらり。赫い玉簾が、あえかな六つの花弁を実らせていた。
「……やはりボクには似合わないな」
 誰の目も奪うような、こんなにも見事な赫は、あの子――『灯環』の方が似合うのに。それなのに、彼女の姿は此処に無い。
 腕を引っ込めた少女の鼻腔を、甘い馨が擽った。けれども其の馨は、灯環が纏うものではない。それなのに、何故だかひどく、安心して仕舞う。
 灯埜はそうっと花畑のなかに横たわり、うとうとと微睡み始める。嘗て其の傍で、あの子が笑っていて呉れて居た時と、同じように。
 創られた『彼女たち』は、決して家族では無かった。灯埜のほうから「姉」や「妹」などと、呼んだことはない。けれども確かに、“ふたりでひとつ”だったのだ。
 片割れだった子、灯環――。
 こころの裡では大切に、想っていたのだろうか。たましいの片割れだったから、大事だったのだろうか。ひとでなく、造られた存在の彼女には、解らない。判らない。でも、

「ボクは、オマエを殺すのは嫌だったよ」

 それだけは、分かるから。少女は微睡みのなか、ぽつりと呟きを溢す。瞼の裏にほんの微か、春の陽だまりのような微笑みを湛えた片割れの姿が、視えたような。
 ――そんな気がした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

コッペリウス・ソムヌス


あれ。今、柩に入ったのは何方だっけ
私だったか、オレだったか
まぁどちらでも良いか些細なこと
目前に広がるのは赤い花畑と「コッペリウス」の墓

此処に埋葬されたら
糧になってこんな風に
咲いては散る紅い花にでも
生まれ変われそうな心地だけど
……そう成れないからこその神であれば
死も眠りも大差は無いまま

赤い紅い
よく視る最期の風景
滴る赤も、夕陽の紅も
この身を侵す花のようであったなら

この先へ進むのは
次に目覚める方へ任せるとして、
今は微睡みに沈んでおこうか



●供花『カレンデュラ』
「――あれ」
 コッペリウス・ソムヌス(Sandmann・f30787)は、赫に染まった花畑の真中で、ふと我に返った。いま柩に入ったのは、「私」と「オレ」の何方だっけ。
「まぁ、どちらでも良いか」
 何方が引き摺り込まれたのかなんて、きっと些細なことだ。少なくとも、「コッペリウス」の墓を前にした今となっては――……。

 ひんやりとした墓石に背を預けて座りながら、少年は風に凪ぐ花海を臨む。
 もしも此処に埋葬されたら、こんな風に咲いては散る、見事な赫花の糧と成れるのだろうか。そうして、いのちを繋いで行くことを、ひとは「生まれ変わり」と呼ぶのかも知れない。ひとのような墓を造られた自分もまた、そんな風に成れそうな気がしたけれど。――しかし、そう成れないからこその「神」である。
 ゆえに、「死」も「眠り」も大差無く、ただ時間だけが緩やかに過ぎて行く。

 どれ程の時が流れただろうか。
 退屈だから、花海のなかにそっと身を横たえた。目に入るもの総てが、赫い、紅い。よく視る最期の風景と、厭に成る位に似ている。気づけば少年の髪には、赫きカレンデュラが一輪、ゆらりと重たげに揺れていた。視界の端に其れを捕えたコッペリウスは、感嘆の吐息をあえかに漏らす。
 嗚呼、ぽたり、ぽたりと滴るいのちの赫も、夕陽の紅も。せめて、此の身を侵す花のように、甘やかで、うつくしくあったなら――。

 敢えて視界を塞ぐように、銀の眸を鎖す。それでも「あの赫彩」は、瞼の裏に鮮烈に焼き付いて居た。うつくしくて、おそろしい彩からは、逃れられない。
 けれども全身を包み込む甘い馨は心地好く、もう起き上がる気にも成らなかった。このまま眠りの淵に堕ちれば、あの彩もその内に消えるだろう。
 柩に呑まれた方の自分が、何方の『コッペリウス』だったのかは覚えていないけれど。兎に角、いまの「自分」が出来ることは此処までだ。
 此の先へと進み、苦難と対峙するのは、次に目覚める方へ任せるとしよう。だから今だけは、優しくて甘い微睡みに、沈んでおこう。
 少年の意識が闇に堕ちると同時に、周囲に咲く赫花は次々と朱彩の砂嵐へと転じて行く。空へ巻き上がる其れはまるで、ひとりの神を封じる柱のようであった――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

オリオ・イェラキ

黒に赤が鮮やかな景色
夜と呼ぶには酷く静かね
星が視えませんもの

きっと此処は選択肢の違う未来のひととき
あの時、牙の先がアリアではなくわたくしであったら
正しくこの墓は存在して
それを見下ろすのは…白いあの子だったのでしょうね

貴女が居なくなった夜に
ひとりきりの星空の下で沢山泣きましたわ
ああ、片目に赤い薔薇が咲く
はらはらと零れ落ちる花弁は、未だ枯れ果てぬ涙かしら

でも、わたくしは此処に居る
まだ墓で眠る訳にはいきませんの
いつか果たす弔いの為にも。そして…ねぇアリア
わたくしには帰りを待つ夫がおりますの
墓に入ったら、きっと泣かれますわ

今は進み続けましょう、わたくしが生きる世界を
この身を飾るのは夜薔薇で十分ですわ



●供花『いばら』
 漆黒に染まった宵空に、眼も眩むほど鮮やかな赫き花海。
 夜と呼ぶには酷く靜かな其の場所で、オリオ・イェラキは独り天を仰ぐ。どんよりとした雲に覆われた空には、ひとつの星すら瞬かぬ。
 きっと此処は、選択肢を違えた「もしも」の未来。
 あの時、オブリビオンの凶牙が片翼の娘――『アリア』ではなく、自身に向いて居たのなら。正しく此の墓は、現世に存在していたのだろう。そして、其れを哀し気に見下ろすのは、オリオとは対照的に白い、あの子……。
「貴女が居なくなった夜、ひとりきりの星空の下で沢山泣きましたわ」
 白いゆびさきで墓石に刻まれた銘を撫ぜながら、遠い昔に想いを馳せる。哀しみで胸が張り裂けそうだったあの日。あの時は、星だけが優しくオリオを見守って居てくれていたけれど。いまは星さえも、雲に隠れて仕舞って居る。だから彼女はほんとうに、独りきり。
 嗚呼、片目に赫い薔薇が咲く。
 はらり、はらり。あえかに零れ落ちる花弁は、まるで未だに枯れ果てぬ涙のようで。きゅ、と胸の奥が甘く痛んだ。

 ――でも、わたくしは此処に居る。

 零れ落ちる花弁の雫を掌で受け止めれば、匂やかな咆哮が婦人の鼻腔をあまく擽った。花弁の感触を、馨を感じられるのは、きっと、生きていることの証左。だから未だ、墓のしたで永き眠りに就く訳にはいかない。
 いつか果たすべき、片翼の弔いの為にも。そして、
「……ねぇ、アリア」
 穏やかな聲で、墓石に語り掛ける。其処にはきっと、オリオの代わりに『アリア』が眠っているから。
「わたくしには、帰りを待つ夫がおりますの」
 彼よりも先に墓に入ったら、きっと泣かれて仕舞う。それは余りにも、忍びない。だから今は、ただ進み続けるのみ。
 自分と、愛するひとが共に生きる、この世界を――。

「この身を飾るのは、夜薔薇で十分ですわ」

 眸に揺れる赫薔薇に触れた侭、宵彩の婦人はそうっと双眸を鎖す。
 昏い曇に覆われた空から、ふと降り注ぐのは煌びやかな彩に溢れた流星たち。其れは赫き花海へ降り注ぎ、咲き誇る彼岸花を次々に黒薔薇へと変えて往く。
 世界が軈て、慈悲深い夜の彩に染まる頃。オリオは星を鏤めた纏いを揺らし、宵彩の翼を羽搏かせた。
 あの紅き鷹の許へ、還る為に――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ディアナ・ロドクルーン

墓石に私の名
そう…私、死んだの

死を恐ろしいと思ったことはない、寧ろ望んでいた
自分を狂わせる狂気の月
やっと逃れられた

抗えぬ狂気に侵され、この手を師父の血で濡らした事を
ずっと自責の念に囚われていた

死ねば師父に会える
会ってもう一度謝りたかった

謝る人はもう一人…金の髪の…愛しい人
ごめんね、もう少しだけ傍にいたかった
きちんと別れを言えなかったの…

嗚呼…花、が

知らぬ間に溢れていた涙を吸う様に、眼孔に花が
痛める胸を慰めるように、心の臓にも花が

ああ、ああ…この身が花となり、花弁が散って空に舞う
それも悪くない
何かを残して逝きたくないのだ
だから 全て 散って しまえば いい

―このまま

―安寧の 眠りへ



●供花『月下美人』
 ぽつり、赫彩に染まった花海の真中で。ディアナ・ロドクルーンは、己の銘が刻まれた墓石を靜かに見降ろしていた。
「そう……」
 私、死んだの――。
 花唇からぽつりと零れた感想は、あまりにも素っ気無い。「死」と云うものを恐ろしいと思ったことは、たぶん無い。寧ろ、其れを望んでさえ居たと思う。
 まあるい月の煌めきは、娘の理性を狂わせる。嗚呼、やっと、月に憑かれた人生から、逃れられたのだ。
 ずっと、自責の念に囚われていた。
 抗えぬ狂気に侵されていたとはいえ、この手を、敬愛する師父の血で濡らして仕舞ったのだから。これで永き悔悟からも、漸く解放される。
 死ねば、きっとまた、師父に会えるだろう。そうしたら、もう一度謝りたい。喩え赦されないとしても――。
 しかし、ディアナが謝るべきひとは、彼だけでは無い。

「……ごめんね」

 金絲の髪を揺らす、愛しいひとの姿を瞼の裏に思い起こす。叶うことなら、もう少しだけ傍にいたかった。彼と過ごした取り留めも無いひと時が、大きな掌の温もりが、今はこんなにも遠い。
「きちんと別れを言えなくて――」
 嗚呼、花が咲いている。
 滲む視界は、知らぬ間に双眸から溢れていた涙の所為。零れる雫を吸う様に、眼孔から、赫い月下美人が、闇夜に凛とゆれている。
 ちくり、と痛む心の臓からも、大輪が花を咲かせた。まるで、悲しみに沈むこころを慰めるように、赫々と。
「ああ、ああ……」
 吹き抜ける風に攫われた花弁は、はらりと空に舞い上がり。彩の無い空に、鮮やかな化粧を施して行く。なんて、うつくしいのだろう。花唇から、嘆息が零れた。
 此の身が花となり、星ひとつ無い夜を慰めるひと欠片と成れるなら、嗚呼。それもきっと、悪くない。何かを、残して逝きたくないから。

 ――だから、総て、散って仕舞え。

 ディアナは心地好い微睡みに身を委ね、静かに瞼を鎖した。眼孔と心の臓を貫く月下美人は其の身に流れる血を啜り、ぞっとする程に赫く、鮮やかに咲き誇っている。
 そうして、人狼の娘は安寧の眠りのなかへ、落ちて行く。
 月下美人が花開くのは一晩だけ。時が流れ往けばいつしか其の身は、文字通り『花と散る』のだろう。
 次に目が醒めた時こそ、どうか、敬愛する師父に逢えますように……――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

芥辺・有


墓、
そう……、死んだのか
なんて
さっきありもしないこと見た気もするけど
それじゃこれもありもしないことかな
……どうでもいいか、そんなことも

墓石をなぞる手に見える、赤椿を摘む
元々のひとつだって似合わないと思ってるのに、こんなにさ
どんだけむしってもあちこち咲くんじゃあね
まあ、あいつの好きな花に埋もれるんなら悪くないかもしれない
そう思うくらいにはわたしも嫌いじゃないんだ

あいつのとこにいくこと、遺されたものを残すこと
どっちも選べなくてずっと宙ぶらりんで
ずっといつかに先延ばしだったけど
今日がそうなら、それでいいかもしれない
あんたのとこにいく時っていうなら

なんだかまだ知れてないこと、あった気もするけど



●供花『赤椿』
其の墓は、ぽつりと赫い花の海のなかに佇んで居た。芥辺・有は武骨な墓石を見降ろしながらも、実感の湧かぬ貌で、ぽつり。
「そう……」
 死んで仕舞った、のだろうか。
 ――否、先ほど、柩に引きずり込まれる前に。何か“ありもしない”ことを見た気もする。だとすると、これも、眼前に拡がる光景其の物が、“ありもしない”ことなのかも知れない。
「……どうでもいいか、そんなこと」
 刻まれた彼に与えられた銘を、ゆびさきでそうっと儗る。白い手の甲には、赫い椿が咲いていた。愛らしい花弁を咲かせた其れを、鬱陶し気に彼女は摘んで、地に落とす。されど椿は抗うように、ゆびさきに、掌に、腕に、次々と花を結んで行く。
 元々のひとつだって、似合わないと思ってるのに――。
「こんなにさ、」
 気付けば脚許には、千切っては零し、摘んでは落とした椿が散らばっている。まるで、血溜まりのように。
「あちこち咲くんじゃあね」
 観念したように、有は双眸を静かに鎖した。
 ひんやりとした墓石に、背を預ける。心地好い花の馨に包まれて、瞼を開けているのもかったるい。眠気覚ましの煙草が恋しいけれど、此の手じゃもう何も掴めないだろう。
 ――まあ、あいつの好きな花に埋もれるんなら……。
 そんな最期も、悪くはないかも知れない。なんて、そんな感傷的なことを思うくらいには。

「わたしも、嫌いじゃないんだ」

 “あいつ”のとこにいくこと。遺されたものを残すこと。
 其の何方も選べなくて、ずっと宙ぶらりんで。選択はずっと、来るべき“いつか”に先延ばしだったけれど。
 ――今が、あんたのとこにいく時っていうなら……。
 今日が其の時だと云うのなら、それで良いかも知れない。連れて行ってくれるのなら、着いて行かない道理なんて無いのだから。
 薄らと金の眸を瞼から覗かせて、有は己の躰を検める。
 いまや椿の花は、上半身にまで侵食し始めて居た。まるで髪飾りのように、黒髪には赫い花弁がゆらりと揺れている。
 矢張り似合わない、とぼんやり思いながら、娘は今度こそ瞼を鎖す。遺された「生」も、与えられた「名前」も、呪いのようなものだった。けれども漸く、終わらせられる。ただぬるい安堵だけが、彼女の胸を満たしていた。

 なんだか未だ知れてないことが、あった気もするけれど……――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

雨絡・環
これがわたくしの墓?
嗚呼、あぁあ……何という事でしょう
ついに、


ついにこの時が参りましたのね!

いつかまた
巡り巡ってあのお方にお会いできるならばと六道輪廻に委ねた筈が
気付けば悪霊の身に堕ちておりました
ただ揺ら揺らと現を漂うまま

けれど嗚呼
漸く次へと逝けるのですね
わたくし、この時を待ち焦がれておりましたの!!

あなたさまに手を引かれ旅立てるだなんて
これ以上の幸いがありましょうや

黒々とした墓石をいとおしく抱いて
この冷たさも心地よい

赤い雪椿が
胸に咲き
喉に咲き
指から咲き
背に、髪に咲き

ぼとりぼとり
幾度落つても咲いて咲いて
眼孔に咲けば視界が閉ざされて

ほほほ
此度は目隠し鬼?
ようございますよ
そちらにゆけばよろしいのね



●供花『雪椿』
 眩暈がしそうな程に赫い、花海にも目を呉れず。雨絡・環はただ茫然と、己が銘を刻んだ墓石を見降ろしていた。
「……これが、わたくしの墓?」
 黒くて重たげな石に、名を刻んだだけの、簡素で寂し気な墓石。妖艶なる化生が眠る地の標としては、あまりにも、相応しくない。
「嗚呼、あぁあ……」
 がくり、と環は膝から崩れ落ちる。ああ、何ということ。ついに、ついに。

「ついにこの時が参りましたのね!」

 薄紅に彩られた双眸が、ゆらりと三日月を描く。血彩の唇から漏れたのは、正しく歓声だった。
 いつかまた、巡り巡って「あの御方」に覜ことが出来るならば、と六道輪廻に委ねた此の身。されど気付けば、悪霊の身に堕ちていた。嗚呼、此の妄執が現世にたましいを縛り付けて仕舞ったのだろうか。口惜しや、口惜しや……。
 故にただ、揺ら揺らと現を漂う侭、此処まで来て仕舞ったけれど。嗚呼、漸く“次”の『生』へと逝ける。
「わたくし、この時を待ち焦がれておりましたの!!」
 絡新婦は狂喜の侭に、黒々とした墓石を抱き締めた。あえかなゆびさきは、愛おし気に己が銘を撫ぜる。なんと、心地好い冷たさか。ひんやりした石へと白頬を寄せながら、化生はうっそりと言の葉を紡ぐ。
 思い起こされるのは、此の場所に至った其の理由。柩のなかで待って居た、愛しき“ひと”のこと。
「あなたさまに手を引かれ、旅立てるだなんて――」
 これ以上の幸いが、ありましょうや。いいえ、きっと有りはしませぬ。今度こそ、嗚呼、今度こそ……。

 甘やかな狂乱に耽る環の躰には、幾つもの赫い雪椿が咲き乱れていた。絹の如き胸に、細い喉に、あえかな指から、儚げな背に、射干玉の黒髪に、咲いて、咲いて。――かと想えば、ぼとり、ぼとり。いのちを映したような赫は、大地へ零れ落ちて往く。そしてまた、化生の躰に咲き乱れる、その繰り返し。まるで、巡る輪廻のよう。
 軈て雪椿は、眼孔にまで花開く。視界が赫に閉ざされたなら、ほほほ、と環は愉快気に笑聲を溢した。
「此度は、目隠し鬼?」
 先程は確か、隠れん坊で戯れた筈。嗚呼、男を喰らう化生に斯様な児戯を強請って。なんて、なんて、かわいらしい御方。
「そちらに、ゆけばよろしいのね」
 ようございますよ、と囁いて。雪椿を纏う乙女は多幸感に包まれながら、赫花の海を惑い往く。

 鬼さんこちら、手の鳴る方へ。
 蜘蛛さんこちら、艶馨の方へ――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ライラック・エアルオウルズ


ああ、と聲が落ちた
僕の胸を、臓を占める
淋しげな天竺葵が
花弁の泪をはらと零す

死なないはずがないか
彼も――この僕だって
ひとたび、終を退けても
ひとゆえ、何時か必ず
物語を終えるのだと
知っていたはずなのに

花に触れるてのひらに
銀の耀きを認めたなら
こんなことなら、なんて
遺してしまう愛し君への
悔いばかりが溢れゆく

指輪を、勿忘のまじないを
解いてあげれば、良かった
誓う永遠を先に破るのは
どうしたって、僕なのだから
想い出に縛られぬように
そうすることが君の為と
知っていた、はずなのに

僕はとても我儘で
君に忘れられたくなくて

身勝手な想い以外の
何を、君に遺せただろう
――未だ、死にたくない

君に、幸に、縋るよう
握る花を、散らした



●供花『天竺葵』
 見渡す限りの赫彩は、鮮やかでうつくしいけれど、何故だか此の胸を締め付ける。其のなかに、ぽつんと佇む寂しい墓石は、紛れもなく己のもので。ライラック・エアルオウルズの唇から、「ああ」と、ぽつり聲が落ちた。
 胸から、赫い花が咲いた。何処か寂し気な佇まいの其れは、あえかな天竺葵。どうやら心の臓に根を張って居る様で、どくり、鼓動が脈打つたびに、愛らしい花弁がふわりと揺れる。嗚呼、道理で胸が締め付けられる訳だ――。
「死なないはずも、ないか」
 既に旅立って仕舞った父はおろか――健康な己だって。ひとたび終を退けようと、「ひと」であるなら何時か必ず、物語を終える日が来る。そんなことは、知っていた筈なのに。まさか、其れが今日だなんて。
 彼の胸を締める天竺葵が、花弁の泪をはら、と零した。
 それを慰めるように、ライラックは咲き誇る花にそうっと指を伸ばす。ふと、赫の隙間から覗く銀環の耀きを視界に認めた瞬間、こころの総てが愛し人への想いで埋め尽くされて行く。
 嗚呼、こんなことなら。憂き世に君独りを遺して仕舞うなら、結ぶ指に掛けた輪を、勿忘のまじないを。

 ――解いてあげれば、良かった。

 本当は、疾うに気付いていた。
 愛しい君は未だ幼い。ゆえにこそ、誓う永遠を先に破るのは、どうしたって、己の方なのだと。だから、自分が亡きあとも『想い出』に縛られぬよう。幼いゆびに遺した、甘い魔法を解いてあげることが、彼女の為に成ると知っていた。其の筈なのに……。
 ――僕は、とても我儘で。

 君に、忘れられたくない。
 
 そんな身勝手な“想い”以外の何を、遺せただろう。嗚呼、けれども。相手の「為」を想って尽くした最善が、必ずしも“ハッピーエンド"と成らないことを、彼は知っている。父から最期の宝物を貰った時、彼は思い知ったのだ。

「未だ、死にたくない――」

 遺される側にとってのハッピーエンドは、ただひとつ。
 それは、愛する人が長く生きていて呉れることだと云うことを。己を想って涙に暮れる彼女の貌は、見たくない。だから、愛し君に、ふたりで紡いだ幸せに、縋るよう、ぐしゃり。掌のなかで握る花を、ちから一杯散らして見せた。赫に染まった世界に、リラの花弁が降り注ぐ。

 さあ、還ろう――。
 これまでも、これからも、きみと沢山の想い出を紡いでゆく、あの図書館へ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ティル・レーヴェ

暗い空
花に満ちれど
誰もいない
連れた手の主さえも

己が名刻む墓石撫で
此処が死後の世界と言うのなら
私は…

膝つく身に
赫い、赤い、花が咲く

あゝ真なる己の花は
此れかもしれない
救いたいと言い乍ら
救われたい
赦されたいと
乞い請う身勝手な

ディアスキア

けれど
いつか、文で
同じ花に詞を託したような

今とは違う
恋うよな気持ちで
いつ?誰に?

辿るけれど
身から溢れる花に呑まれる
纏わう馨が隠してく

此の手が染まる
赫、蒼、赤
…あお?

赤に染まる手の中
鎖ではなく
柔い白に添い咲く青は
赤に紛れ顔を出す
銀に添う紫は

嗚呼

花詞が
宿るまじないが誓いが己を繋ぐ

叶えたい
此処に宿る其れだけは
彼の為と紡ぎつつ
己が為に過ぎずとも

あゝ
己がばかりな「私を許して」



●供花『ディアスキア』
 星ひとつ瞬かぬ昏い空、ひとの姿のない赫い花海。そう、此処には誰も居ない。少女のゆびさきを絡め取った手の、主でさえも。
 ティル・レーヴェは、鮮やかな世界に置き去りにされた墓石を、ただ靜に見つめていた。素気無く刻まれた己が銘をゆびさきで撫ぜれば、途端に現実感が襲って来る。
 もしも此処が、死後の世界と言うのなら。
「私は……」
 己が末路を悟り、膝をつく少女の躰に、赫い、赤い、花が咲く。其れは、薄翠の髪に揺れる、想いを燈す沈丁花では無い。あゝ、真なる己の花は、此れかも知れぬ。
 口では「救いたい」と謳いながら、こころの裡では「救われたい」、「赦されたい」と乞い請う、身勝手な――ディアスキア。
 伸ばした手は“誰の為”なのかも分からずに。助けたかったひとが、誰なのかも知らぬ儘。ただ、流される侭に此の身を堕とした。

 なんて、あさましい――。

 思わず貌を覆う少女の掌に、赫花が揺れる。嗚呼、けれども、いつか。誰かに宛てた文で、同じ花に『詞』を託したような。自嘲と自己嫌悪に塗れたいまとは違う、まるで“恋う”ような気持ちで……いつ、誰に?
 朧な記憶を辿ってみるけれど、愛らしいかんばせが、さらりと揺れる髪までも、溢れる赫に呑まれて行く。
 其の身に纏わう甘い馨は、軈て総てを、覆い隠して――。
 ふと気づけば、ゆびさきまで赫花に染まっていた。赫、蒼、赤……“あお”? 視界に留まった異なる彩に、紫水晶の眸が見開かれた。枷と成る鎖ではない、柔らかな白きゆびさきに沿うように、優しく咲いた青彩は。毒々しい赫に紛れて顔を出す、銀の煌めきに添う紫は。

「……嗚呼」

 刻んだ物忘の花詞が、裡に宿るまじないが。そして何より、大切な誓いが、朧げと成った“己”を現世に繋いで往く。
「叶えたい――」
 結ぶゆびに宿る其れだけは、絶対に。いとしい彼を遺して逝く訳には、誓いを違える訳には、行かないから。……嗚呼、まただ。
 彼の為と紡ぎながらも、其の実は己が為に過ぎないのだ。
 「生きたい」と希うのも、「ふたりの物語の続き」を希うのも、結局はこころの裡から、勝手に漏れ出た願望で。そんな己だからこそ、誰かの為に伸ばしたゆびさきは、我が身に似合いの花しか握れなかった。
 そう、可憐に咲き誇る、ディアスキアの花言葉は。あゝ、己がばかりな我が身を、どうか、どうか……!

 私を許して――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニルズヘッグ・ニヴルヘイム

ここで死んだら、誰かの役に立てるのかな

生まれて来ない方が良かったんだ
私がいなければ
姉さんが燃やした故郷も
一緒に燃えた姉さんも
生きてここにいたはずなんだ
だから誰かの役に立って死ねるなら、それ以上に望むことなんてない
どうせ呪われてるんだから、誰かの希望のために死にたい
そう思ってた

――そのはずなのに
左胸に咲いた曼珠沙華が煩わしい
そこには大事なライターがあるんだよ
これじゃ触れもしない
触れないんじゃ、余計に恋しくなるばっかりだ

友達に、家族に、会いたい
――あいつのとこに、かえりたい

なあ、姉さん
私たちの花は赤くないだろ
綺麗な白詰草だったろ
こうして死ぬなら、せめて白い花畑が良い
だから、今は……赦してくれる?



●供花『曼珠沙華』
 此の身を横たえた赫い花海は、まるで、燃え拡がる焔のようだ。
 いつか見た光景とよく似た鮮やかな彩から視線を逸らし、ニルズヘッグ・ニヴルヘイムは、独り天を仰いだ。
 ――ここで死んだら、誰かの役に立てるのかな……。
 誰も居ない世界に置き去りにされて迄、そんなことを物思う。もしも、誰かを救えたなら、己が生にも意味が有ったのだと、そう想える気がするけれど――否。
 そもそも、自分なんて生まれて来ない方が良かった。
 ニルズヘッグがいなければ、焔に呑まれた故郷も、其処に火を解き放ち、共に燃えた姉も。生きて、現世にいた筈なのだ。忌まわしい此の身は、罪を、喪われたいのちを余りに背負い過ぎた。だからこそ、青年が望むことは唯ひとつ。
 其れは、誰かの役に立って死ねること。
 どうせ呪われた躰といのちだ。生きている間に、呪詛や怨嗟と分かたれることが能わないなら。どうか最期は、誰かの希望のために死にたい。ニルズヘッグは、こころからそう思っていた。その筈なのに、何故だろうか――。
 いまは、左の胸に赫々と咲いた、曼珠沙華が煩わしい。
「そこには、大事なライターがあるんだよ」
 盟友から贈られた、共に在ることの“徴”なのに。嗚呼、これじゃあ、触れることも出来ない。触れないとなると、戀しさは余計に募るばかり。こんな暴力的な焔のような赫じゃ無く、温かな焔の“あかいろ”が、ただ戀しい。
 そう、そうだ。現世には、遺して来たひとたちが大勢いる。呪われた生に幕を閉じる前に。一目だけでも、友達に、家族に、会いたい。

 ――あいつのとこに、かえりたい。

「なあ、姉さん」
 青年は心の臓を突き破って生えたような、曼殊沙華をぐしゃりと掴む。はらはらと、切なげに花弁が地へ堕ちた。
「私たちの花は赤くないだろ、綺麗な白詰草だったろ」
 其れを赫く染めたのは、外でも無い愛しい片割れで。其の総ては、己に責が在るけれど。
「こうして死ぬなら、せめて、白い花畑が良い」
 彩褪せぬ記憶のなか、拡がるやさしい光景だけは、何時までもうつくしい白の侭、何の彩にも染まりはしないから。そして其れは自分だけではなく、きっと姉も同じだと信じているから。
 だから、どうか、今は。

「……赦してくれる?」

 金の双眸に昏い空を映した侭、ニルズヘッグは、ぽつりと乞う。
 彼の胸に咲く曼珠沙華から、ほろり。まるで誰かが流した涙のように、花弁がひとひら、儚く零れ落ちた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵


不思議な場所
美しい花の咲く光景は
ただ春の日の夢のようなのに

妹よ、あなたもこんな場所に居るのかしら?
そんなわけない
大蛇の腹の中にあなたはいるの
深淵より昏い暗闇に

花畑の先にあの世があると云う
この先へ進めばあなたに逢えるのかしら
逢いに行く気もないのにそんなことを呟いて
名の刻まれた墓を撫で

眸から咲きこぼれる赫い桜が、涙のように溢れておちる
血のように赫い桜は嫌ではない
だって私のかぁいい神様の纏う桜と同じ彩

まだ眠れない
私が眠って廻ったら過去になってしまう
あなたの過去になんて成りたくないの
ずっと一緒がいい

妹よ
そこに居る?
何も無い暗闇ならば桜を咲かせてあげる
あなたが寂しくないように
たくさんの花を送ってあげる



●供花『紅櫻』
 望む花畑には満開のうつくしき赫が揺れていて、まるで春の日の夢のような光景なのに。仰ぐ天は何処までも昏く、寂しさと哀悼に満ちている。
「不思議な場所……」
 誘名・櫻宵は眸を伏せながら、ぽつり、そんなことを呟いた。長い睫が白いかんばせに影を落とし、憂いの彩を滲ませる。嗚呼、妹よ――。
「あなたも、こんな場所に居るのかしら」
 そんな訳がないことは、自分がようく識って居る。だって、大蛇の胎の中に、彼女は居るのだから。そう、深淵より昏い、暝闇に……。
 風がふ、と吹き抜けて、赫い海がざわりと凪ぐ。伝承に依ると、花畑の先にはあの世が在るのだと云う。もし、この先へ進んだなら。
「――あなたに、逢えるのかしら」
 花唇はそんなことを紡いだけれど、逢いに行く気なんて無かった。或いは、其の勇気が己には無いのだろう。銘が刻まれた墓石を、薄紅で彩ったゆびさきでそうっと撫ぜながら、麗人はそんなことを物想う。

 はらり。

 眸から、赫い櫻が咲き零れた。血のように鮮やかな赫が、まるで涙のように溢れて、舞い落ちる。此の、櫻の彩は厭では無い。だって、嗚呼。

 ――……私のかぁいい神様の纏う櫻と、同じ彩。

 まだ、眠れない。
 脳裏に過るのは、嘗て己と仲間が「厄」を祓い、己と「約」を巡らせた神の姿。漸く、ふたり在るべきところに収まったのに。
 ――私が眠って廻ったら、過去になって仕舞う。
 あなたの過去になど成りたくない、ずっと、一緒がいい。慈しむように取り合ったゆびさきを、二度と離したくない、なんて。そう希うのは、あまりにも我儘で慾深いだろうか。けれども、裡から溢れ出す想いは、希いは止められない。

 嗚呼、だれかと縁を、約を結ぶ前にいのちを散らした妹よ。あなたの許には、向かえない。けれども、悼んであげることは出来るから。
「そこに居る?」
 何も無い暝闇が厭だと云うのなら、満開の櫻を咲かせてあげる。くらくらするほど匂やかで、世界を真っかに染めあげるくらい。
「たくさんの花を、送ってあげる」
 あなたが、寂しくないように。
 麗人がくるりと舞えば、夜彩の空に櫻吹雪が舞い上がった。
 斯くして彼岸の世界は櫻獄と化し、亡者の妄執は櫻宵の胎へと還ってゆく――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

タピア・アルヴァカーキ

おやおやおや
こんな涸れた身体に綺麗な花を咲かせてくれるとは!
“生前”の我からの贐かい?
綺麗な身で永遠の眠りにつけ、死こそ安息の途――という事かの

……そう言えば我を討ち果たした咎人殺しも言っておったのう
死こそ救いであり祝福である、と。
ククク、浅い言葉よ。
なーにが死は救済じゃ!
我は死んだ後もず~っと苦しんでおるわ!
死は終焉に非ず、新たな苦難の始まりに過ぎぬ――
あ奴にその事を分からせてやらねばならんのじゃ!
こんな辺鄙な花畑で成仏できるか!
我は帰るぞ
抗うべき絶望と愛しき敵が待っておる



●供花『ベラドンナ』
 星ひとつ瞬かぬ、昏い空。見渡す限りに拡がる、赫い花海。なんと、魔女――タピア・アルヴァカーキに、御誂え向きの光景か。
「おや、おや、おや……」
 驚嘆すべきは其処だけではない。彼女の枯れた腕に、脚に、皴が刻まれた掌に、魔女の花『ベラドンナ』が、赫々と咲き乱れている。
 嗚呼、美貌を喪った我が身に、こうも綺麗な花を咲かせてくれるとは!
「“生前”の我からの、贐かい?」
 嘗ての面影を想わせる綺麗な身で、永遠の眠りにつけ。それこそが、「死」こそが、お前にとって唯一の安息の途なのだ――、なんて云いたいのだろうか。
「……そう言えば、ヤツも云っておったのう」
 ククク、と肩を揺らして魔女は笑う。彼女が動くたび、花弁もまた揺れて、ひらひらと地に堕ちて往く。脳裏に過るのは、生前の己を討ち果たした『咎人殺し』が吐き捨てた科白。

『死こそ救いであり、祝福である』

 嗚呼、哂える程に浅い言葉よ。
「なーにが死は救済じゃ!」
 死んだこともない若造に、ただの人間に、一体なにが分かると云うのか。なにを隠そう、タピアは死後もずっと、ずっと、苦しみ続けているのだから。
 自慢の美貌は喪われ、代わりに肉体は枯れた老婆と化した。膨大だった魔力も、復活の為に使い果たし、いまでは其の残滓しか此の身には無い。切り落とされた左腕は結局元には戻らずに、仕方が無いから義手で補って居る始末。
 嗚呼、死は終焉に非ず。
 新たな苦難の始まりに過ぎぬ――。
「あ奴にその事を分からせてやらねばならんのじゃ!」
 花畑の真中で、魔女は咆えた。己の銘を刻んだ墓石に、背を向けながら。此の身に怨念を、未練を秘めているからこそ、彼女は悪霊なのだ。
「こんな辺鄙な花畑で、成仏できるか!」
 誂えられた舞台すら気に入らぬ。嘗て暴威を奮いひとびとに恐れられてきた魔女が、最期を迎える地として、こんな辺境はあまりにも相応しくない。怨嗟と呪詛に満ちた絢爛たる城のほうが、己が所業にはお似合いだ。
 そも、こんな幻想を前に素直に成仏するほうが余程、嘗ての悪名を穢すことになる。魔力も美貌も喪ったタピアであるが、其の誇りだけは、決して喪っていない。
「――我は帰るぞ」
 ベラドンナの花弁を散らせながら、魔女は赫き海を、ぐんぐんと進んで往く。抗うべき絶望と、愛しき敵が待つ、あの現世へ還るために。

大成功 🔵​🔵​🔵​

セシル・エアハート

綺麗な場所だ。
本当に天国に来てしまったんだ。
母様…さっきまで一緒にいたのに消えてしまった。
結局また俺は一人なんだね…。

もしあの時母様達が死ななかったら。
もう一度幸せな時間を過ごせていたのかな。
ねえ、母様。
願うなら母様達と同じ所へ逝きたいって言ったら…貴方は喜んでくれるだろうか。

気付くと身体中に赤いアザレアの花が咲き乱れる。
もういいよ、ゆっくり休んでって言ってくれてる…?
抗いたい。だけど。
沢山の綺麗な花に包まれて眠りにつくのも悪くない。

生まれ変わっても、愛する家族に会えますように…。



●供花『アザレア』
 望む花海は何処までも赫く、仰ぐ宵空は何処までも昏い。その鮮やかなコントラストのうつくしさに、セシル・エアハートは、独り息を呑む。
 ――……綺麗な場所だ。
 どうやら本当に、天国へ来て仕舞ったらしい。そんな実感が湧き上がると同時に少年は、はっと我に返り周囲を見回した。彼の傍には、誰も居ない。ただ、寂しい墓石がひとつ、置き去りにされて居るだけだ。
「母様は……」
 さっきまで一緒にいたあの人は、煙のように消えていた。結局、また自分は独りなのか、と拡がり行く落胆が胸を占める。
 もしもあの時、母が、家族が死ななかったら。また、もう一度、幸せな時間を過ごせていたのだろうか。考えても仕方のない悔悟ばかりが、浮かんでは消えて往く。
「――ねえ、母様」
 嗚呼、希わくば、母と家族と同じ所へ逝きたい。そんな我儘を云っても、貴女は喜んでくれるだろうか。或いは、仕方のない子だと叱られるだろうか。

 ふわり――。

 甘い芳香に包まれて、ふと瞼が重くなる。気付けば其の身体中に、赫きアザレアが咲き乱れていた。片腕でゆらりと揺れる其れを、未だ無事なもう片方の掌でそうっと、撫ぜてみる。
『もういいよ、ゆっくり休んで』
 風に揺れながら心地の好い馨を漂わせてくるアザレアが、何だかそう云ってくれているような気がして。少年は誘われる侭に、藍の双眸を瞼に鎖す。
 ――抗いたい、けど。
 ここが天国だと云うのなら、そして此の先で母が待って居るのだと云うのなら。沢山の赫き花に包まれて、安らかで心地の好い眠りに就くのも、きっと悪く無い。
 家族を喪ってからというもの、辛く苦しいことが沢山あった。自由の身と成ってからもずっと、こころの何処かに罪悪感が燻ぶっていた。けれども漸く、「生」の苦しみから解放される時が来たのだ。
 ひとつ心配なのは、此のいのちを散らした後のこと。たましいは、何処へ流れつくのだろう。もし輪廻があったとして、その波に乗ることは叶うだろうか。
 アザレアの微かな重みを瞼に感じながら、少年はこころ密に希う。もしも、生まれ変わることが出来たなら、また愛する家族に会えますように。そして、

 今度こそみんなで幸せに、暮らせますように――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


ここ、は?
…っ、私の…名前
震える手で冷たい石に触れて

嘘、でしょ
私は
死んでしまった?
先程までと異なる空間を呆然と見つめる


わたしは

私は

“また”

見守ることさえ

許されないの?


右の翼の根元と
心の臓を貫くように
背中と
左胸に
紅い赫い花が咲く
どれも“あの時”に負った傷の位置

そういえば
暗転前に見えた表情は彼ではなかった
彼ではない誰か
けれど既視感のあるもの
思い当たるのは
この世のものではない…あの男

お前はまた私の邪魔をするのか
侵食するに赫に対抗するよう
朱の紋が広がってゆく

まだ
眠りになんてつけない
胸の花を毟る

大切な人達を
彼らの笑みを
あたたかで優しい日々を
此処にいたいと思えた場所を
護るために

眠ってなんて
いられない



●供花『山吹』
 ふと我に返ると、たった独り。彼岸の花が咲き乱れる、寂しい夜の世界にいた。橙樹・千織は、ひとつ、ふたつ、瞬きを溢す。
「……ここ、は」
 少なくとも、先ほどまで居た地下の墓所とは違う。此の場所はどこか、伝承として語り継がれる「あの世」とよく似ているような気がした。ならば、赫い花海のなかでぽつり、佇む墓石は、もしかして――。
「……っ」
 恐る恐る、其処に刻まれた銘を検めた巫女は、驚愕に息を呑む。嗚呼、此れは、……私の名前だ。あえかに震える掌で、無骨な石を撫ぜる。ひんやりとしていて、冷たい。
「嘘、でしょ――」

 私は、死んでしまった?

 地下よりも広く彩に溢れた世界を、ただ呆然と千織は臨む。彼女のいのちを蝕むかの如く、あえかな背中と左胸に、紅い、赫い山吹の花が咲いた。右翼の根と、心の臓を貫くように――。
 “あの時”に負った傷と同じ場所に赫が揺れるのは、果たして偶然だろうか。
「わたしは……」
 嗚呼、私は“また”見守ることさえ、許されないと云うのか。胸に咲く山吹を掌で抑えながら、千織は記憶を掘り起こす。どうして、こう成って仕舞ったのだろう。
 そういえば、視界が暗転する前に見えた彼の表情は、やさしい彼のものとは違っていた。彼ではない誰か、でも、何処か既視感があるような――。
 不意に浮かんだ心当たりに巫女は、奥歯をぎり、と噛み締めた。あれは、この世のものではない、――あの男が浮かべた表情だ。

「お前は、またっ……」
 私の邪魔をすると云うのか。嗚呼、一度ならず、二度までも。
 胸のなかを悔しさが埋め尽くしたと同時。侵食する赫に対抗するかの如く、巫女の肌に咲く朱櫻の紋が、其の身に段々と広がってゆく。
 ――まだ、眠りになんて就けない。
 甘い誘惑にこころが折れぬようにと、千織は胸の花を毟る。はらはらと散る山吹は、風に吹かれて空へと舞い上がり、花嵐の一端と成った。

「私が、護らないと」

 胸を掻き毟りながら、ぽつりと誓いを零す。
 大切なひとたちを、彼らが咲かせる大輪の笑みを。そして彼らが呉れた、あたたかで優しい日々を。
 なにより、此処にいたいと思えた、あの大切な場所を『護る』ために!

「眠ってなんて、いられない――」

 血のような彩に染まった世界を切り裂くように、黄金の山吹が宙を舞う。其れは赫き花嵐を引き裂いて、世界を温かな陽射しの彩へと染めて往く。
 嗚呼、昏い世界に漸く、朝が訪れた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

終夜・嵐吾


おや、ここは…綺麗じゃな
目の前にあるものに刻まれたのは己の名
さっきまで棺の中におったような…まぁ、ええか
死んでおるのか生きておるのか、どっちでも
でもなんぞ、幸せな心地になっとったような気もする

…花の馨が、強いの
このよに香りが満ちておったら汝はおねむか
暴れることもなかろうと眼帯を外した己の指先に色が見えた
花が咲いとる…
まじまじと見つめる、それは虚が咲いたものではない

花が咲き零れるのは虚のおる右瞳からのはずじゃのに
それ以外にも咲いていくのは不思議じゃが悪くはない

ふふ、まるで一緒になれとるみたいでこのまま埋もれてしまいたい
瞼を閉じる、その裏に見えるのも汝の姿だけじゃね
共に逝けたら、幸せじゃな



●供花『四葩』
「おや、ここは……」
 右の眸に飛び込んできたのは、世にも鮮やかな赫い花畑。現実感の無い其の光景に、終夜・嵐吾は右へ、左へと頸を巡らせる。
「――綺麗じゃな」
 吹き抜けた風に凪ぐ花の海は、風に攫われて舞い上がる花嵐は、胸が苦しくなる程うつくしく。青年は暫し、片方の眸で其の光景を見つめていた。
 ふと視線を逸らせば、目の前に無骨な墓石が置かれていることに気付く。其処に刻まれたのは、見覚えのある銘。嗚呼、これは己の名ではないか。
「そういえば、さっきまで棺の中におったような……」
 引き摺り込まれて、蓋を閉められて。そのまま、埋葬されてしまったのだろうか。嵐吾は暫く記憶を辿っていたけれど、漂う甘い馨は浮かぶ疑問を鎮めて往く。
「まぁ、ええか」
 死んでいるのか、生きているのか。最早どちらでも構わない。けれども何故だか、此処に来る前、幸せな心地に成って居たような――。
 ふわり。
 そんなこと考えなくてもいい、と言いたげに花の馨が強く成る。青年は想いだすのを止めて、墓石に背を預けるように座り、靜かに眼帯へと手を伸ばした。
「汝は、おねむか」
 こんなにも、世界に馨が満ちているのだ。右の眸に宿した「虚の主」も暴れることは無いだろう。ならば、偶には解き放ってやるとしよう。
 するり、眼帯を外した瞬間。己の貌の前へと伸ばしたゆびさきに、あるまじき彩が見えた。

「花が、咲いとる……」

 血のように赫い、四葩だ。
 嵐吾は思わず其れを、まじまじと見つめた。矢張り、そうだ。此れは、「虚」が咲いたものではなく。己が躰から、咲いたもの。
 本来ならば、花が覗くは伽藍洞から。虚の主が座す、右の眸からの筈。それなのに、四葩はゆびさきに、掌に、腕に、咲き乱れて往く。
 なんと不思議な光景だろうか。だが、悪い気はしなかった。
「ふふ、」
 青年の唇から、あえかな微笑が零れた。滲む喜色は、もう隠せない。ニアデス・ユーフォリアの前では。否、こころから溢れる想いの前では。

 ――まるで、一緒になれとるみたい。

 叶うことなら、このまま四葩に埋もれてしまいたい。慾を云うと、金薔薇のほうがより、“らしかった”気もするけれど。さすがに、夢を見過ぎだろうか。視界が霞み始めたので、重たい瞼を鎖す。嗚呼、その裏に見えるのも、矢張り。
「……汝の姿だけじゃね」
 この多幸感は、花の馨が齎すものでも、赫き陶酔が齎すものでも無く。きっと、彼の裡側から湧き上がるもの。
 ゆえに、風船のように弾むこころが赴く侭、青年はふわりと笑った。

「共に逝けたら、幸せじゃな」

大成功 🔵​🔵​🔵​

宵鍔・千鶴


刻まれた名を見下ろして
俺は漸く死後の世界に来れたんだろうか
己は地獄に堕ちるのみと願った筈が

――、ああ、きれいだ
塗りつぶした様な黒に極彩色が咲いている
跪いて華を掬って甘美な馨に酔い痴れて

此の侭眠ってしまいたいけれど
胸に咲いてゆくは赫く色付く椿の花
この身も、流れる血の一滴まで凡て使って
救え、そして自分の手で仇を屠れと
俺に課した貴方が愛する華が心の臓へと侵食する
未だ眠ることは赦さないとでも云うように

…酷い御人だ、ご当主。
御意のままに、もう暫く俺は貴方の忠実な人形で在ろう

…ごめん、きみの世界へ往くのは
もう少し先になりそうだ
やらなきゃ、俺にしか出来ないこと

燿夜を地へ突き立て
立ち上がって前へと進むために



●供花『つばき』
 赫い花海のなか、離れ小島の如く佇む墓石には、己が銘が刻まれていた。宵鍔・千鶴は、綴られた四つの文字を紫水晶の双眸で、ただ靜かに見降ろしている。
 ――漸く、死後の世界に来れたんだろうか。
 此の身は地獄に堕ちるのみと、そう希った筈。此処が噂に聞く『彼岸』と云うのなら、未だ沙汰は下って居ないのだろう。少年は改めて、赫に染まった世界を臨む。
「……ああ、」
 きれいだ。
 こころからの感嘆が、ぽつりと零れた。黒いインクで乱雑に塗り潰した様な夜空のした、極彩色の花々が風にざわりと凪いでいる。
 千鶴は徐に跪き、咲き誇る華を白い掌でそうっと掬った。鼻腔を擽る甘美な馨に、酔い痴れて。

 嗚呼、いっそ此の侭、眠って仕舞いたい。

 花の誘いにひとたび揺れれば、胸にふわりと赫い椿が花開く。其の刹那、紫水晶の眸に喜色が滲んだ。そうだ、この身も、流れる血の一滴までも、凡て使って仕舞え。
 そして救え、自分の手で仇を屠れ――。
 少年にそう課した“貴方”が愛する華が、心の臓へとずぶり、侵食してゆく。あまい痛みが、胸に走った。未だ、眠ることは赦さないとでも云う心算か。

「……酷い御人だ」

 けれども、ご当主がそう仰せなら御意の侭に。もう暫くは、忠実な『人形』として此の身を使い潰すとしよう。軈て、地獄の焔に包まれる、其の日まで。

「……ごめん」

 それでも、少しばかり残った悔いは『きみ』の為。
 嗚呼、其のたましいが在る所から、己はますます遠ざかって仕舞った。この調子だと、再び相まみえる日は、もう少しだけ先伸ばしになりそうだ。
 柩に身を投げた癖して寸での所で現世に還る不義理を、赦して、くれるだろうか。否、喩え、赦されなくとも。

「やらなきゃ、俺にしか出来ないこと」

 少年は赫花揺れる大地へ、血染櫻の打刀『燿夜』をぐさりと突き立てる。はらはらと散る彼岸の花は、背を向けて仕舞った『きみ』への餞別だ。
 さあ、刀を支えに立ち上がろう。そして、前へ進んで往こう。
 課された使命を果たす為、己が刃が煌めく時を待つひとの為に。此処は辿り着くべき地獄でも、己が死に場所でも無いのだから。
 歩き始めた少年の胸から、ぽとり。椿の花が、儚く零れ落ちた。
 斯くして、心地好い微睡みのなか、ひとやすみを終えたのち。誰かの掌中で巡り続ける運命が、再び、動き始める――。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第3章 ボス戦 『善人ジョナサン・ランバート・オルソレグ』

POW   :    これでも昔はやんちゃをしていてね。
【拳闘を主とした総合格闘技】で対象を攻撃する。攻撃力、命中率、攻撃回数のどれを重視するか選べる。
SPD   :    前途ある君達を断ちたくはないのだよ。
【杖に仕込まれた剣】が命中した対象を切断する。
WIZ   :    君もまた、救われるべき未来なのだ。
自身が【哀れみ】を感じると、レベル×1体の【自身に殺害された者達】が召喚される。自身に殺害された者達は哀れみを与えた対象を追跡し、攻撃する。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は💠バオ・バーンソリッドです。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●タフィフォビアへ祝福を
 ふと気が付くと、柩のなかに閉じ込められていた。
 先ほどまで、見渡す限りの赫が拡がる花畑にいたような気がする。けれども今は暝闇のなか、静寂と窮屈さばかりが其の身を苛むばかり。
 夢を見ていたのだろうか。けれども、嗚呼、甘い馨がする。
 ぎぃ、と重たい蓋が、ゆっくりと開く。僅かばかりの灯が射し込み、猟兵たちは躰を起こした。
 柩のなかには、躰から零れた赫花がシーツのように敷き詰められている。眩暈がする程、あまく、匂やかな馨の、花が――。

「矢張り、君達は見込みがあるようだ」

 静かな聲と脚音が、ふと頭上から降り注ぐ。視線を向ければ其処には、上質な黒を纏い、ステッキを片手に佇む、老紳士の姿があった。
 彼こそが此の邸宅の主――“善人”と名高い『ジョナサン・ランバート・オルソレグ』であろう。然し見たところ彼は、普通の人間である。
 少なくとも、此の世界を支配する“ヴァンパイア”では無いようであった。
「生の苦しみから解放されて、幸福だっただろう」
 パイプの煙をゆるりと燻らせながら、老紳士は地下室に淡々と科白を響かせる。いっそ、慈しみさえ感じさせる聲彩で。

 生は死を蝕む病である。

 ひとを苛むあらゆる感情は、「死」に抗う為にこそ在る。悲しみも、苦しみも、胸を締め付ける痛みさえも。――そう、痛みもまた「感情」のひとつなのだ。
 失感情症『アレキシサイミア』は一般的に、「疲労感」と「痛み」に鈍い傾向にあるのだと云う。肉体の不調に無自覚であるが故、病を見逃すことも少なく無いのだと。
 つまり、こころが傷付いた時に感じる“精神的な痛み”と、肉体が損傷した時に感じる“肉体的痛み”は、性質こそ違えども同じもの――“同じ感情”なのだ。
 ただ生きているだけで「死に抗え」と、こころは常に血を流し続ける。それは様々な苦しみに形を変えて、ひとを蝕んでゆく。
「嘗ての私も、言い難い苦しみを味わったよ」
 オブリビオン――ジョナサンもまた、「生」を求めて「死」に抗う肉体に苦しめられた、“独りの人間”であった。
 不治の病に侵されていた生前の彼は、長いあいだ苦しんで、苦しんで、漸く最期を迎えられたのだと云う。その時の安寧たるや、きっと生涯忘れられまい。
 そして彼は、オブリビオンとして蘇って仕舞った。
 「死」に抗う肉体の防衛反応に苦しめられ続けた彼は、「生」を愛すること能わず、ただ消えぬ疑問を抱いている。
 痛みと苦しみ無しには生きられないなど、「生」とは欠陥だらけではないか。
 本当は安寧たる「死」が最初に在って、「生」は其れを病原菌のように、じくじくと蝕んでいるだけでは無いか。苦しみから解放されてこそ、ひとは救われるのだから。
 ゆえにこそ、“ひと”は、既に死んでいる状態こそが正常である。
 つまり――過去と成った「オブリビオン」こそ、ひとが目指すべき高みであり、救いである。ジョナサンはそう、妄信しているのだ。
「これまで、多くの苦境に在る者たちを救ってきた」
 その言葉は、ふたつの意味を孕んでいる。
 其の有り余る財産で、困窮するひとびとを彼が物理的に救って来たことは事実。しかし、其れはあくまで表の貌に過ぎない。
 飢えた眸の子ども、孤独に包まれても死を選ばぬ者、地面に這い蹲いながらなお生きようとする浮浪者、彼らは皆「生」への希求を抱いていた。

 強い意思を持つ者は、きっと蘇ることが出来る。

 そして今度こそ、痛みと苦しみの無い「生」を全うすることが出来るのだ。「オブリビオン」として、祝福に溢れた生を甘受することが――。
 妄執は彼を狂気に駆り立て、其の手を血に染めさせた。彼はこころからの厚意で、ひとに「死」と云う名の祝福を齎したのだ。

「君たちもまた、救われるべき運命なのだ」

 かつりとステッキで地面を叩き、老紳士は柩へと向き直る。
 オブリビオンと戦う猟兵を前にしても、彼の思いは変わらない。寧ろ其の厚意は、敵にすら惜しみなく注がれるのだ。なにせ彼は、“善人”なのだから。
 されど、猟兵たちは知っている。オブリビオンは、人類の理想と程遠い存在であることを――。
 同族殺しは、苦しみ抜いたうえで再殺される。影朧は、死後も苦しみや痛みを抱いて現世を彷徨っている。ひとの為にと造られたのに、オブリビオンマシンは搭乗者を狂わせる。嘗てアリス(ひと)だったオウガは、人肉喰らいに成り果てて。銀河帝国の兵士たちなど、将に亡国の亡霊である。コンキスタドールなんて、夢と浪漫を抱いた海賊の成れの果て。
 オブリビオンもまた、“死を蝕む生”に侵された、哀れな病者に過ぎないのだ。

 けれども、柩から立ち込める甘い馨が、思考の邪魔をする。毒馨を漂わせる献された花弁は、生を臨む者には「死の誘惑」を、永き眠りを臨む者には「甘き眠りの誘惑」を、其々齎すだろう。
 観念して、死神からの祝福を受け入れるか……否。
 安寧の眠りを求めるのなら、此処は余りにも不相応な場所だ。眩暈がする程に甘い毒馨に溺れながら、猟兵たちは其々の得物を構えた。

 ――抗え、偽りの救済に。

≪補足≫
・二章で永き眠りを「拒絶」した方は、「死の誘惑」に襲われます。
 逆に「受容」した方は、心地好い眠気に襲われます。
 ⇒それぞれ誘惑に抗いながら、戦ってください。
・プレイングは心情よりでも、戦闘よりでも、何方でも構いません。

・アドリブOKな方はプレイングに「◎」をご記載いただけますと幸いです。
・「おひとり」でのご参加推奨です。返却も「個別」に行います。

≪受付期間≫
 3月20日(土)8時31分 ~ 3月23日(火)23時59分
シキ・ジルモント

…戻って、きたのか
棺から出ても甘い馨はついて回って、まだ頭がくらくらする
棺に引き込んだあの人は、やはり俺の死を望んでいるのではないか…そんな事を考えてしまう

しかしそれでも、現世へ戻る事を選んだ筈だ
シロガネを継いだ時にあの人の代わりに戦うと約束したのだと、確かに思い出してしまったから
花はもう咲いていない
手は動く、銃も無事だ
…まだ、戦える

相手の行動全てに注意を払う
その杖が剣だと判れば不意打ちは受けない、馨に鈍る動きでも傷は浅く済む
接近を確認して、ユーベルコードで反撃を試みる
救われなくても構わないと断言できる
人狼としての決して長くはない命だとしても、この諦めの悪い生が、死を蝕み続けてくれる事を望む



●参ノ幕(壱)『Non-Senophobia』
 赫い月見草の花弁が敷き詰められた柩のなか、ゆるりと身を起こしたシキ・ジルモントは、掌で貌を覆いながら溜息ひとつ。
「……戻って、きたのか」
 生きねばならぬ理由が、為さねば成らぬことが有る。だから、未だ死ねなかった。冷たい地下の空気に触れてもなお、甘い馨は彼の躰に付き纏い甘い酩酊を齎すばかり。くらり、ふらつく頭を左右に振れど、昏い夢想が彼のこころを揺らがせる。
 果たして己は、赦されたのだろうか。
 現世に戻れたのだから、きっとそうだと信じたい。けれど、此の身を柩に引きずり込んだ、あのゆびさきの苛烈さは忘れ得ぬ。じんじんと、片腕が甘く疼いた。
 ――やはり、あの人は俺の死を……。
 きっと、望んでいる。いまの彼は、何故だかそう想って仕舞った。罪を背負った此の身には、赦しなど与えられないと云うのか。

 それでも、シキは「生きる」ことを選択したのだ。

 然しそれは、己の為では無い。総てはシロガネを継いだあの時に繋がっていた。いつかの己は、代わりに戦い抜くことを、あの人の亡骸に約束したのだ。
 その記憶を、確かに思い出して仕舞ったから――。シキは白銀の相棒と共に、苦難の道を往く。其の先が、何処に繋がっていたとしても、決して立ち止まらずに。
「――まだ、戦える」
 懐に仕舞ったハンドガンへ、そろりと指を這わせる。手の違和感はもう消えている。花は柩のなかへと儚く散っていた。勿論、決死の覚悟で護った銃には、疵ひとつない。
「その崇高さは尊いものだが」
 カツ、カツ、コツ。固い靴音を響かせて、ステッキを床に打ち付けながら、老紳士――ジョナサンは、シキの方へと歩み寄って往く。
「自ら苦しみを撰ぶことは無いのだよ」
 いっそ慈悲深いほどの聲が、人狼の鼓膜を静かに揺さぶった。刹那、老紳士はステッキから細身の剣を抜き放ち、青年へ一閃。殆ど同時に、シキは身を捩じらせる。
 人狼の鋭い聴覚は、杖の反響音から微かな違和を読み取っていた。あれは唯の杖ではない。ならば、其の実体は剣であるのだろうと。
 老紳士の剣は人狼の銀絲を僅かに掠り、虚しく宙を裂く。甘い酩酊に動きが鈍ろうと、シキは何処までも「プロフェッショナル」であった。

「救われなくても、構わない」

 これは、プライドの問題だ。
 此処まで生き延びた癖に、約束ひとつ果たせないなんて、それこそあの人に逢わせる貌が無いではないか。たましいの安寧よりも、「信頼」の方が重要だ。
 すかさずジョナサンの懐へ潜り込めば、シキは引鉄に指を掛けた侭、敵の姿を睨め付ける。人狼病に罹患している彼に遺された時間は、決して長くない。まるで、柩の底に散った月見草のように、儚げないのち――。
 けれども、この諦めの悪い「生」が、どうか「死」を蝕み続けてくれるようにと希いながら、青年は引鉄に、ぐ、と力を籠めた。
 鈍い銃声が響き渡ると同時に、老紳士は腹を抑えて膝を着く。其の赤い眸に、無意味な哀れみだけを滲ませながら……。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニルズヘッグ・ニヴルヘイム

この香りで躍起になった呪詛まで、私を誘って騒いでる

どいつもこいつも煩い
死は解放?生は病?
どんな綺麗事並べて救済の振りしようが
言いたいことは呪詛と同じ
「だから死ね」だ

生まれて来るべきじゃなかったって分かってんなら
死ぬべきだとも分かってんだよ
それでも私が従うなら
私なんかを認めて
私なんかを大事にして
隣で笑ってくれる奴らの
「生きろ」に決まってる

そうすべきだとかその方が楽だとか
約束も関係ない
私が生きたい――生きる痛みを受け入れる理由なんて、それで充分だ

私の死を願うものなんざ
一切合切全部ぶっ壊れちまえ
死んで救われるくらいなら、地獄を生きてる方がよっぽどマシだ
生きるためなら
「ひと」の仮面だって、捨ててやる



●参ノ幕(弐)『Treacheryphobia』
 窮屈な柩から身を起こせば、視界の端で曼殊沙華がはらはらと舞い散った。それでも厄介な遺り馨が甘く鼻腔を擽るから、呪詛は躍起になって裡で暴れ回る。
 昏い衝動に誘われながら、ニルズヘッグ・ニヴルヘイムは苛立たし気に、ぎり、と唇を噛み締めた。嗚呼、ああ、どいつもこいつも!

「……煩い」

 死は苦痛からの解放だと、眼前の老紳士は悠々と宣っている。ならば「生」は、死を蝕み往く「病」とでも云うのだろうか。
 まったく、皮肉なものだ。
 呪詛に纏わりつかれた己の所為で「いのち」が削られた姉は、病に蝕まれたと云える。そう、――短い余命を故郷と共に焼き尽くした姉は、正しく“蝕まれた”のだ。此の身に集めた、忌まわしき呪詛どもに。
 結局、このオブリビオンもまた、綺麗事を並べているだけに過ぎない。幾ら善人を演じて救済の振りをしようが、呪詛と同じことを嘯いているだけ……。

『だから死ね』

 “生まれて来るべきじゃなかった”なんて、きっと自分が一番よく分かっていた。自分が居なければ、姉は父に冷遇されることも無く、天命を全うしていただろう。
 だからこそ、喪われたいのちの責任を取って、己は死ぬべきなのだ。
「分かってんだよ」
 闇彩に染まった結膜で、金の眸は茫と揺れる。吐き棄てるように零した科白は、呪詛に、姉に、自身が背負い宿業に向けたもの。
「それでも私が従うなら――」
 青年は己の胸元に、そうっと手を伸ばす。ゆびさきに触れるのは、盟友から贈られた白塗りのライター。今際の時すら求めたくなる、大切な……。
 そう、ニルズヘッグには、大事な家族が、友が、盟友が居る。
 彼らは、呪詛を秘めた彼の存在そのものを認めてくれた。こんな忌み子なんかを大事にして、屈託なく隣で笑っていてくれる。
 碌に為人を知りもしないオブリビオンが吐く甘言と、大事なひとたちのこころが籠った言葉、何方に耳を傾けるべきかなんて、火を見るよりも明らかだ。
 そんなの――彼らが叫ぶ『生きろ』と云う言葉のほうに、決まっている。
 そうすべき、なんて義務感は其処には無い。その方が楽だと云う、現実逃避でも無い。交わした約束だって、たぶん関係ない。

『生きたい』

 呪われた青年は、自分の意思でそう想った。与えられた温もりが、そう想わせてくれた。生きる痛みを受け入れるには、充分すぎる理由だろう。
「私の死を願うものなんざ、一切合切全部ぶっ壊れちまえ」
 だからニルズヘッグは、柩の縁に手を掛けて立ち上がり、慈悲深き死神へと抵抗する。尊大な「ひと」としての片鱗は形を顰め、代わりに現れるのはずるりと床を這う、巨大な黒竜の影。
「哀しみと苦しみから、逃れたくはないのかね」
 仕込み杖から剣を抜き放ったジョナサンは、鋭い牙を剥く黒竜に強かな一閃を叩きこむ。されど、ニルズヘッグが注いだひとらしさの分だけ、彼の竜は強く成る。彼が怒りを裡で滾らせるいま、斬撃は鱗ひとひら削ぐことすら能わない。
「死んで救われるくらいなら――」
 彼の怒りに呼応するかの如く、黒竜は恐ろし気な咆哮を響かせる。ぐらぐらと石造りの壁が、地面が、勢いよく揺れた。老紳士は堪らず体制を崩す。
「地獄を生きてる方が、よっぽどマシだ」
 其の隙を見逃すほど、青年は善良では無い。寧ろ、誇り高き“悪人”であるがゆえに。黒竜の尾で容赦なく其の躰を払い除けた。ジョナサンは強かに壁に激突し、ずるり、力なく崩れ落ちる。それでも、黒竜は止まらない。箍を外した彼のこころは、疾うに圧倒的な暴虐へと化して居た。嗚呼、“生きるため”と云うのなら。

 「ひと」の仮面だって、捨ててやる――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

コッペリウス・ソムヌス


生は死を蝕む病である、か
眠りと其の先を司るものとしては何方でも
終わりの間際に瞬くのでも
輝きながら駆け抜けるのでも
ひかるものを眺めていたいだけ
其れを躙ってただ終わりを望むような
過去の亡霊に救わせたくはないな

安寧の眠りが齎されるとしても
祈る相手は決まっているんだ
眩暈がする程の甘い香りに眠気に
身体が動かしづらいなら耳を塞げばいい

祈りが届けば鐘の音を響かせて
死せるものたちには終焉を、
亡霊に未来を救える訳がないでしょう
アレは輝ける今から続いてく光なのだから



●参ノ幕(参)『Ghost aversion』
「死を受け入れてなお、目覚めてしまうとは」
 可哀そうに――と、カレンデュラの花弁で埋め尽くされた柩を見降ろして、老紳士は痛まし気な貌を見せる。それと同時に、昏い貌をした亡者たちが次々と柩を取り囲んで行く。
「ひと思いに眠らせよう、それが君の為だ」
 心地好い微睡みに、うつらうつらと誘われながら。コッペリウス・ソムヌスは静かに、老紳士の聲へと耳を傾けていた。
 生とは死を蝕む病のようなもの――。
 嘗て『眠りの神』として君臨し、涯は其の先まで司る役目を担った彼にとって。それは最早、何方でも構わぬ命題だ。
 終わりの間際、いっとう鮮やかに瞬こうと。ぎらぎらと輝きながら、終焉に向けて駆け抜けようと。“いのち”と云うものは、其の何方もうつくしい。コッペリウスはただ、『ひかるもの』を眺めていたいだけ。
 ゆえにこそ、其れを躙って、未だ輝くこと叶わぬいのちを無理やり終わらせるような。そんな、“過去の亡霊”が救済を謳うなど見過ごせなかった。
「――祈る相手は、決まっているんだ」
 このまま優しい微睡みに身を委ねて仕舞えばきっと、安寧の眠りが齎されるのだろう。然し、其れは矢張り偽りの救済だ。
 喩え鼻腔を擽る甘い馨に、視界が、頭が、ぐらぐらと揺さぶられようと、それだけは言い切れる。睡魔に襲われた躰はまるで、鉛のように重く思う様には動かない。けれど、耳を塞ぐ為の力くらいは遺っていたから。
 少年は、頭を抱えるように両掌で耳を塞ぎ、冥府へと祈りを捧げた。さあ、死せるものどもに終焉を!

 ごぉん、ごぉん……。

 刹那、宵闇から鳴り響くのは、真実を告げる鐘の音。石造りの地下室に反響する其の音彩は、ジョナサンの躰を。そして、彼が戦場に招いた亡霊たちを苛んで行く。
「君も、私の救いの手を拒むのかね」
「亡霊に未来を救える訳がないでしょう」
 眠たげに細めた眼を片手で擦りながら、眠りの神は薄く嗤った。撚りにも依って未来を蝕む「病」たるオブリビオンが。過去の残滓にすぎぬ存在が、救済を謳うだなんて、あまりにも馬鹿げている。
「アレは――未来は、輝ける“今”から続いてく光なのだから」

 ごぉん、ごぉん……。

 鐘の音は尚も、昏い地下墓所に木霊する。
 生けるものたちに、どうか幸いあれと――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英


私は救われようなどと、生温い事は考えていないよ。
救われたいとも思っていない。

私は私だ。

君の考え方に賛同はを出来るとも。
声を上げて共に歩もうなどとは思わないがね。

死が私に忍び寄る。
今ここで眠ってしまえたら、私は楽になるのだ。
楽になったその先には、一体何が待っているのだろう。

死の先に、自由は約束されていない。
私は死してもこの指で書き続ける。

君は死こそが救いだったのだろうね。
しかし、私にとっての死は、生きている事と同じなのだ。
何一つ代わりはしない
私は生きる

死した者を私は生かしてきた

昔も、今も、今後もそうだろう。
私がこの筆を握り続けている限りはね。

君とはもっと、話してみたかったよ。
それではお元気で。



●参ノ幕(肆)『Pen-DisruptionPhobia』
 狭い柩から上体を起こせば、はらはらと牡丹一華が纏いに舞い降りた。其れを払い除けることもなく、榎本・英は眼前の老紳士を靜に仰ぐ。
「救われよう、など。そんな生温い事は考えていないよ」
 ジョナサンは、遍く「ひと」は救済を求めて居ると妄信しているようだが。少なくとも英については、その枠外にいる「ひと」であった。彼はその実、救われたいとも思っていないのだから。
「――私は、私だ」
 ゆえにこそ、自分の人生は自分で決める。なにが救いで、なにを幸せと呼ぶのかも、総て。
「苦しみから逃れたいと、そう想わないのかね」
「嗚呼、君の考え方に賛同は出来るとも」
 老紳士の淡々とした問い掛けに、英は僅かに頸を傾けて見せた。いまもほら、甘美なる「死」は直ぐ其処まで、甘く忍び寄っている。きっと、ここで永き眠りに就いて仕舞えば、青年は漸く苦界から解放されるのだろう。楽に成れるのだ。
 されど、楽になったその先には、一体なにが待ち兼ねていると云うのだろうか。
 きっと其処には、虚無に似た安寧が在るだけで。其の先の自由など、きっと約束されていない。
 ゆえに彼は、オブリビオンの言葉に賛同の聲を上げなかった。そんな窮屈な路を共に歩もうなどと、思える訳が無い。

 ――私は死しても、この指で書き続ける。

 ひとでなしたる文豪の執念は時に、其の寿命すら超越する。彼の筆は止まらない。誰にも、彼自身にしか止めることは能わないのだ。
「君は“死”こそが、救いだったのだろうね」
「左様、そして総ての人間にとっての救いもまた」
 カツリ。老紳士が一歩脚を踏み出すと同時、仕込み杖の剣先が英の頸目掛けて突き付けられる。
「否――」
 英は其れを難なく絲切り鋏で挟み込み、受け止めて見せる。青年の赫い眸は、火星のように鈍く煌めいていた。
「私にとっての死は、生きている事と同じなのだ」
 榎本・英と云うひとは、生きながらにして既に死んでいて。死んだように今日もまた、生きている。ゆえに、此のいのちが喪われようとも、何一つ代わりはしない。ならば、取るべき選択はただひとつ。

「私は、生きる」

 青年は死した者たちを、著作のなかで生かしてきた。昔も、今も、きっと此れから先も。彼が筆を手放すことになる其の日まで――つまり、永遠に。
「君とはもっと、話してみたかったよ」
 出逢った場所が、立場が違えば、問答を楽しめただろうに。嗚呼、なんとも口惜しいことだ。挟み込んだ剣を力任せに押し退けて、英は絲切り鋏をゆるりと振う。
 ちょきちょき、ちょきちょき。鳴り響く音は、きっちり九回。

 それではお元気で――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

芥辺・有
あれもこれも夢、ってかい
まったく
幸せ……がなかったとは言わないけどさ
まあ、お前の言う幸福なんてのとは違うかもね
同じことかもしれないけど まあどうでもいいんだ、そういうことは
……今日はそんなことばっか言ってる気がするな
いつもかもしれないけど
……まあ、ともかく、死んでないならやらなきゃいけないことがあるんでね
そう……、でもまずはお礼でもしとこうかな

手にした杭を腕に滑らせる
斬りたければお好きにどうぞ
いまさら気にする痛みもない
なんなら都合もいいことだし
眠気覚ましにも丁度いい
……なにせまだ眠くって仕方なくてね
このまま眠り続ける選択肢ってのもあるんだろうけど
お前なんかに救われるのはゴメンなんでね



●参ノ幕(伍)『Salvation aversion』
 ゆるりと身を起こせば、ぽとり。椿の花が額から、不穏に零れ落ちた。掌で其れを受け止めた芥辺・有は、深い溜息をひとつ。
「あれもこれも夢、ってかい」
 まったく、と呆れたように頸を振った娘は、椿の花を床にぽろりと落とし。ゆっくりと柩から這い出て、斃すべき敵と向き直る。
「幸せ――が、なかったとは言わないけどさ」
 彼女が感じた幸福は、老紳士が嘯く其れとは、きっと違う容をしている。茫とした思考のなか、其れだけは何となく分かって居た。
「同じことかもしれないけど。まあどうでもいいんだ、そういうことは」
 なんだか今日は、そんなことばかり。否、いつも同じことを言っているのかもしれないけれど。嗚呼、零れ落ちた椿の甘さで、思考が霞んで行く。
「まあ、やらなきゃいけないことがあるんでね」
 此の身はまた、宙ぶらりんに成って仕舞った。あの選択は、いつまで先延ばしに出来るのだろう。少なくとも、其れを決めるのは今ではない。
「そう……まずは、お礼でもしとこうかな」
 娘は躊躇いひとつ見せず、夜彩の杭を腕に滑らせた。白肌に、つぅ――と赫絲が垂れて、大地に零れた椿にぽたぽたと堕ちて往く。
「自ら苦痛を得てまで、生きたいと希うのかね」
「斬りたければお好きにどうぞ」
 嘆くような老紳士とは対照的に、有は涼し気な貌でそう返す。いまさら、気にする痛みも無い。寧ろ、腕から伝わる鈍い痛みは、都合が良い位だ。
「……まだ眠くって仕方なくてね」
「ならば、安寧に身を委ねたまえ」
 哀しみと慈悲に満ちた聲が響くと同時、彼女のかんばせに鋭い剣先が突き付けられる。されど有は怯むことなく、薄く唇を緩ませるのみ。
 確かに、此のまま眠り続けると云う選択肢も有りかもしれないけれど――。

「お前なんかに救われるのは、ゴメンなんでね」

 ふわり――。
 冷たい床を、そして椿の花弁を染めた鮮血が、たちまち赫き杭へと姿を変えて。老紳士をぐるり、取り囲むように浮遊した。娘がゆびをパチンと鳴らしたなら、其れは一斉に獲物へと飛び掛かり、歪んだ善人を穿って往く。
 そんな凄惨な光景の傍らで。有は痛みと眠気を誤魔化すように、紙巻をひとつ唇に咥えて火をつける。
 肺を汚す紫煙の馨が、いまは何よりも心地よかった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

フェミス・ノルシール
救い…そんなモノを私に与えようとしているのならば、押し付けがましいにも程があるな

今も私を誘う、この気味の悪い心地良さも…貴様が元凶なのだろう?

…貴様如きに、私の罪を償われる謂れは無い
私の罪は、私のものだ…!

疾うの昔に忘れていた…この黒い感情を、燻る何かを、思い出させてくれた事には礼を言おう…お陰で、頭も冴えてきた。

この感情の儘に貴様を殺しはしない。私は、私の成すべき事をする…

偽りの救いに縋り付くのは、貴様だけで充分だ。


(基本的に拷問具や剣を使って戦います。屍を喚び出したりもできます。)



●参ノ幕(陸)『Amnesty aversion』
 光の射しこまぬ昏い世界で、赫き竜胆の花弁だけがただ、莫迦みたいにひらひらと、うつくしく舞い散っている。
「救い……」
 フェミス・ノルシールはそんな光景を横目に捉えながら、茫とオブリビオンの科白を反芻していた。この善人は生者を哀れみ、遍くひとびとに「救済」を与えようとしているのだ。そんなこと――。
「押し付けがましいにも程があるな」
 嫌悪感を隠すことも無く、少女はそう吐き棄てる。今もなお、君の悪いほど心地好い眠気が、「こちらにおいで」とフェミスを誘っているのだ。
「……総ては貴様が元凶なのだろう?」
「しがらみから解放された世界は、さぞ心安らいだろう」
 涼しい貌で紡がれた言外の肯定に、少女はぎりりと奥歯を噛み締める。嗚呼、この男はいったい何の権限があって、他人のこころに土足で踏み入って来るのか。
「貴様如きに、私の罪を償われる謂れは無い」
「そんなもの忘れたまえ、悪戯に苦しむだけだ」
 冷たく言い放ってもなお、ジョナサンは己が正義を押し付けて来るばかり。其の傲慢さに、少女のこころに黒いモノが集って行く。

「私の罪は、私のものだ……!」

 嗚呼、そうだ。己は疾うの昔に忘れていた。
 この、胸の奥に燻る何かを。まるで、ふつふつと湧き上がるマグマのような――。
「此の感情を、思い出させてくれた事には礼を言おう」
 頭に血が昇った所為だろうか、眠気は何時の間にやら吹き飛んでいた。すっかり頭も冴えている。少女は剣を持つ両手に、ぐ、と力を籠める。
「しかし、この感情の儘に貴様を殺しはしない」
 フェミスには、理性が在る。ゆえに、いまは己が為すべきことだけに注力するのみ。それ即ち、オブリビオン『ジョナサン・ランバート・オルソレグ』の殲滅である。

「――偽りの救いに縋り付くのは、貴様だけで充分だ」

 凛と聲を張りあげた少女は、剣で己の掌をつぅと裂く。刹那、ざわりと墓所の空気が揺れた。すると、彼女の周囲に次々と処刑人たちが現れ始める。既に屍と化した彼らは、一斉に老紳士へと襲い掛かって往く。
「私も若い頃はやんちゃをしたものだが……」
 老いさらばえてなお鋭い拳でジョナサンも応戦するが、処刑人たちが操る斧を前に防戦一方。其処に突進するのは、紅に光る剣を構えたフェミスである。
 斯くして少女はいま、罪深き善人へと断罪の剣を振り下ろす。彼が裡に抱く傲慢さを、断ち切るように――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

オリオ・イェラキ

あら。…ふふ、中々悪くないベッドでしたわ
でもそう
わたくし目覚めの時に他の男は要りませんの

ごきげんよう、死んだ貴方
生は死を蝕むと謂うのなら
貴方はもう何方でも在りませんわ
過去は生とは申しませんの

ああ、死を誘うこの感覚も
生きているからこそ味わえるもの
祝福とやらの先に在るのは甘く虚しい停滞だけ
その救いで頂く甘美は、わたくしの口に合いませんわ

わたくしのこの感情は
アリアへの想いも、夫への愛情も全て未来への糧
貴方の定義に当て嵌めるものではありませんの
さぁ戯言は終いにしましょう
わたくしは星夜
貴方が観る、最期の夜

全ての敵を影薔薇で拘束
犠牲者達をおやすみなさいと薙ぎ払い、善人へ斬り込む
大剣の一撃を差し上げますわ



●参ノ幕(漆)『Voidophobia』
「――あら」
 赤い薔薇が敷き詰められた柩のなか、オリオ・イェラキはふと、我に返る。気づけば此処は、元居た昏い地下の墓所。天には無骨な石が並べられているばかり。地上には花の一輪すら、咲いていない。
「……ふふ、中々悪くないベッドでしたわ」
 それでも夜彩の婦人は、嫋やかに笑みを咲かせて眼前に佇む老紳士を仰ぐ。目覚めの時に、夫以外は必要ないと云うのに。嗚呼、なんと無粋な男なのだろう。花唇から続ける科白に、つい冷たさが滲んだ。
「ごきげんよう、既に死した貴方。いいえ――」
 “生は死を蝕む”と謂うのなら、蝕まれきった者は虚無に還るだけ。ゆえにこそ。
「貴方はもう、何方でも在りませんわ」
 “過去”であるジョナサンは、死んでもいないけれど、生きてもいない。ただ現世にしがみついているだけの、虚しい存在に過ぎないのだ。
「それでも、私は救われた。君もまた、救われるべきだろう」
 哀れむように紡がれた科白と共に、婦人のこころを甘い希死の念が苛む。されど嗚呼、此の感覚もまた“生きている”証。なんと愛おしいのだろう。
 それに比べて、彼が齎す祝福の先に在るのは、ただ甘いだけの停滞だ。そんな虚しいものに溺れるほど、夜彩の淑女は甘く無い。
「その救いで頂く甘美は、わたくしの口に合いませんわ」
 ひとは感情にこころを揺さぶられ、痛みを感じることによって、「生」を実感できるのだ。
「わたくしのこの感情は、未来への糧――」
 オリオにとって生きることは、伴侶を愛し、故人を悼むこと。疾うに『過去』となった彼の定義と、合致する点などひとつも無い。
「君の未来は、死した先にこそ拡がって居るのだよ」
 されど狂気に堕ちた善人は尚も彼女に、自身の定義を押し付ける。彼が招いた亡霊たちは、じりじりと夜を纏う婦人の許へ這い寄って行く。

「――戯言は終いにしましょう」

 彼女の影からもまた、夜を切り取ったかの如き彩の蔦薔薇が伸びる。それらは瞬く間に亡霊たちを、そしてジョナサンを捉え、一切の抵抗を封じて往く。
「さぁ、おやすみなさい」
 トン、と踊るようなステップで脚を踏み出して、優し気な聲を響かせたオリオは、亡霊たちを大剣で薙ぎ払い。其の勢いの儘、善人の懐へと斬り込んだ。そして蔦薔薇に囚われ踠く彼に向けて、思い切り大剣を振り下ろす。
 ジョナサンの赤き眸に映るのは、ただ己の姿のみ。ゆえにこそ、瀟洒なドレスに星を鏤めた婦人は、うっそりと微笑んで見せるのだ。

「わたくしは星夜」

 貴方が観る、最期の夜――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

フィオリーナ・フォルトナータ

わたくしはこの剣で多くの過去を斬りました
この剣もこの手も
既に数多の血に染まり穢れきっていることでしょう
死して解放されるのであれば…
いっそ全てを手放すことが出来たならどんなにか楽でしょう
…いいえ、惑わされなどしません

わたくしは救いなど求めていないのです
この剣が折れ、体が壊れるその時まで
一つでも多くの過去を還すこと
それがわたくしの成すべきことであり、ここに在る理由
たとえ救いを齎す存在があったとしても
それは決してオブリビオンなどではあり得ない
そもそも、死が幸福か、救いであるかを決めるのは己自身
あなたには、わたくしを救うことは出来ません

負傷は顧みず懐に飛び込み
渾身の力を籠めた聖煌ノ剣で捨て身の一撃を



●参ノ幕(捌)『Corruptionphobia』
 ひらり、淡い薔薇彩の纏いに零れ落ちた花弁を、静かに掌へ移して。フィオリーナ・フォルトナータは、柩のなかでそうっと双眸を伏せた。此れは、先ほどまで己が胸に咲いていた、野ばらに違いない。
「……わたくしは、この剣で多くの過去を斬りました」
 其処に、幾ら大義があろうとも。此の剣も、あえかなゆびさきも既に、数多の血で染められて仕舞った。此の身を穢す、あの赫彩から解放されるのであれば、いっそ。
「いいえ――」
 いま此処で総てを手放すことが出来たなら、どんなにか楽だろう。されど娘は、甘い誘惑を凛と跳ね除ける。
 そもそも、永い旅の涯に辿り着く場所に、嘗ての主は居ないのだから。
「わたくしは救いなど求めていないのです」
 白いゆびさきで、ぎゅっと剣を握り締める。いつか此の剣が折れ、ひとつしか無い此の躰が壊れる其の時まで、ひとつでも多くの過去を還さなければならぬ。
 それこそが、フィオリーナの成すべきことであり、彼女の存在理由なのだ。
「たとえ、救いを齎す存在があったとしても――」
 少なくともそれは、未来を蝕む“オブリビオン”などでは決して有り得ない。そもそも、眼前の老紳士は押し付けがましいにも程が有る。
「死が幸福か、救いであるかを決めるのは己自身でしょう」
「生の苦しみに心を痛める君たちを、見ていられない」
 だから救いを齎すのだと語るジョナサンを真直ぐ見つめながら、人形の娘は頸を振る。碧く煌めく眸に、確かな拒絶の彩を浮かべながら。

「あなたには、わたくしを救うことは出来ません」

 それ以上の対話は不要だった。
 フィオリーナにとってオブリビオンは、斃すべき存在。こころを寄せる必要も、分かり合う必要も無いのだから。
 金彩の光を纏わせた剣を片手に、老紳士の許へと一心に駆け出す娘。老いてなお精悍な彼は、カウンターとして容赦のない拳を繰り出してくる。固い白肌に其れが撃ち込まれようと、彼女は怯むことなく敵の懐へと潜り込んだ。
「あなたの罪を、傲慢を、此処で断ち切りましょう」
 聖なる光に包まれた刀身を渾身の力で振り下ろせば、老紳士の躰は其の衝撃に勢いよく飛ばされて、壁に叩きつけられた。
 剣から滴る赫彩が、何故だか今日は自棄に毒々しく視えたから、娘は剣を振って雫を払う。幾ら血に染まろうと、立ち止まることは赦されぬ。
 それが“ひとに造られた”娘の、存在理由なのだから――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エドガー・ブライトマン

ジョナサン君の言うこと、よく解らないや
同じ『施す側』のものとしては相容れないらしい

私は何だってスキだし、何に対しても心は別に波立たない
なんでも受け入れるように育てられたんだ
痛みに鈍い体質と何か関係あるのかなあ

ただ、それでもこの甘い香りはニガテだよ
星になりたいとおもった時のことを思い出しそう
次は普通の子に、ってさ

でもその誘いには決して乗らない
私が死んだら、この役目は弟が背負うことになる
それはさせないし、王位は私が継承する
(やっぱり、弟には自分で生き方を決めてほしいから)

私の運命は、キミに手出し出来るようなモノじゃない
“Jの勇躍”

地上で友が待っているんだ
オスカーにただいまって、言ってあげなくちゃ



●参ノ幕(玖)『Liability-freephobia』
 重たい躰を起こせば、金絲の髪から赫い薔薇の花弁が、はらはらと柩のなかに零れ落ちた。ぼんやりとする思考のなか、エドガー・ブライトマンは老紳士の貌を見上げ、ちいさく頸を傾ける。
「……よく解らないや」
 慈善家のジョナサンと、弱きを助ける王子様。ふたりは『施す側』であるけれど、其々の思想はどうやら相容れないものらしい。
「私は何だってスキだし、何に対しても心は別に波立たないよ」
「――そうか、君は幸せ者だな」
 茫と老紳士が溢した感想を聞き流しながら、エドガーは己の生い立ちに思いを馳せる。いつか王位を継ぎ、国を治める者として、彼は英才教育を施されたのだ。
 その結果エドガーは、揺らがず痛まぬ「はがねのこころ」を手に入れて、何でも受け入れられるように成った。もしも「痛み」が感情のひとつだと云うのなら、自身が其れに酷く鈍いのも、ある意味では納得できる気がする。
「……でも、この甘い香りはニガテだよ」
 ちら、と視線を落とした先には無数の赫い花弁が、まるで敷物のように散らばっていた。噎せ返る程に甘い此の馨を嗅いでいると、どうしても思い出して仕舞うのだ。
 いつか『星になりたい』と、『次は普通の子として生まれたい』と希った、その時のことを。
 けれど、今のエドガーに死の誘惑は通じない。彼のこころには王族としての「責任感」が、そして国を背負う者としての「覚悟」が有るのだ。
「私が死んだら、この役目は弟が背負うことになる」
 そんなことは絶対にさせない。王位は、第一子である自分が継承するべきだ。なにより、弟たちにはせめて、自分で生き方を決めて欲しい。
「苦しみを自らの手で棄てられないのなら、私が君を解き放ってあげよう」
 靜に紡ぐ科白に慈悲の彩を滲ませて、老紳士は仕込み杖から剣をするりと抜き放つ。エドガーもまた、国花――薔薇を纏ったレイピアを構えて見せた。

「私の運命は、キミに手出し出来るようなモノじゃない」

 生まれながらにエドガーは、女神の恩寵を受けている。そんな彼の運命は、ただの人間であった善人の手には余りあるに違いない。
 気高き王子はトン、と地を蹴り素早く敵へ斬り込んでいく。脱ぎ捨てたマントだけを其処に遺して。
「地上で友が待っているんだ」
 旅の朋であるツバメ『オスカー』に、「ただいま」を云わないといけないから。確固たる意志を孕んだ彼の剣戟は、老紳士の躰を真横一文字に切り裂いた。
 女神に魅入られた王子の安寧は未だ、遠い――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

珂神・灯埜

このまま眠ってしまいたい
ヒトの世は綺麗だけど
たまに息苦しいんだ

神である事を捨て
己に与えられた役目も捨て
ボクにとってそれが救いなのか解らないんだ

解放されたいと願う者は確かにいるだろう
しかしヒトは、想いというものは千差万別だ
誰もが受け入れ是とするとは限らない
ボクが死を受け入れたら
心を痛めてくれる御人好しを知っているんだ

成り行きで契りを交わしたが
未だあの二人と結んだ縁を切る訳にはいかない
存外、幼子のように姉と慕うのも楽しいものだからね

白焔を刀に纏わせ距離を詰めていく
刀を振るい衝撃波を飛ばし
隙を窺い焔も操って注意を引きつけ刀で斬り伏せる

いまが幸福なのかボクは解らない
だが少なくとも悪くないと思ってるよ



●参ノ幕(拾)『Abandonment aversion』
 玉簾の花弁が敷き詰められた柩の縁に寄り掛かり、珂神・灯埜は静かに呼吸を繰り返す。嗚呼、心地好い微睡みのなか、此のまま眠って仕舞いたい。
 ヒトの世は精彩に溢れていて、とても綺麗だけれど。彼女にとっては、確かに息苦しくもあるのだ。もしも「神」であることを棄てられたなら、そして己に与えられた役目を手放せたなら。此の身もいつか、救われるのだろうか。
「……解放されたいと願う者は、確かにいるだろう」
 眼前の老紳士のように、耐え難い痛みと苦しみから逃れることだけを歓びとするしか無い者も、地獄めいた此の世界ではきっと――。
 けれどもヒトは、なにより“想い”というものは、千差万別。それこそヒトの数だけ存在するのだ。彼が齎す救いを、生からの解放を、誰もが是として受け入れるとは限らない。なにせ、
「ボクが死を受け入れたら、心を痛めてくれる御人好しを知っているんだ」
 義姉妹の契りを交わしたのは、殆ど成り行きだった。けれど、神とは盟約を護るもの。未だあの二人と結んだ縁を、切る訳にはいかないのだ。
 ――……幼子のように姉と慕うのも、存外に楽しいものだからね。
 ふ、と口端に笑みを滲ませて、灯埜は静かに立ち上がる。するりと抜き放った刀身は藍、三日月の飾りがしゃらりと揺れれば、白焔が得物にふわりと纏わりついた。

「周囲が悲しむから“苦しみに耐えて生き延びたい”と」
 ジョナサンもまた仕込み杖から剣を抜き放ち、構えて見せる。哀れむように頸を振る彼はきっと、灯埜と姉の絆の深さを理解して居ない。
「それでは、幸せなど得られまいよ」
「いまが幸福なのか解らない」
 一歩、また一歩と、少女は少しずつ老紳士の許へと歩んで行く。軈てふたりの距離が互いの得物が届く程に狭まった刹那、静かに佇んで居た紳士が思い切り地を蹴った。
「でも、」
 其の剣先が頸に届く寸前、少女は刀を思い切り振り降ろす。放たれた白焔は衝撃波を巻き起こし、老紳士は思わずたたらを踏む。其の隙を突くように灯埜もまた駆け出して、彼の懐へと神速の勢いで潜り込んだ。

「――悪くないとは思ってるよ」

 彼女なりの答えを花唇からそうっと紡ぐと同時、昏闇に三日月がしゃらりと揺れる。灯埜が振るった藍の刀身は、哀れなオブリビオンを強かに切り伏せたのだった。
 さあ、今度こそ本当に帰ろう。ふたりの「あねさま」の許へ――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シャト・フランチェスカ


きみと語らうのは愉しそう
多分、気が合うのさ
この身体
手放してしまえたらどんなに良いか

きみ、色んな生の苦しみを見たんだろ
不幸自慢は聞き飽きた?
どんな味がする?
それは何色?

幾十、幾百
報われず泣いた登場人物
僕の手の上
ペン先で簡単に生死が決まる
幸せにしてあげたくないんだ
そんなものの書き方識らないし
彼らに嫉妬するなんて無様だし

僕も睡りたいよ
ずうっと眠いんだ
きみなら叶えてくれるかもって思った
でも、やっぱり気が変わった
僕の生死は愛する人に委ねたいね

口惜しいだろ
まだ、僕が誰かも知らないのに
まだ、愛されてすらいないのに
僕の物語だけが
まだ見つかっていないのに!

僕の赫彩
目が眩むほど持っていけ
灼ける焔は妬ける傷み



●参ノ幕(拾壱)『Happiness aversion』
 暝い世界にはらはらと、赫く染まった櫻が舞う。己の頭から零れ落ちた訳では無い其れに目を細めながら、シャト・フランチェスカは薄く嗤う。
「……きみと語らうのは愉しそう」
 老紳士――ジョナサン・オルソレグ卿と自分の価値観は、何処か似ている。気が合う、と表現しても差し支えないだろうか。
 あゝ、此の身体を手放せたらどんなに良いか。
「きみ、色んな生の苦しみを見たんだろ」
 不幸自慢は聞き飽きた、なんて。シャトが頸を傾ければ、老紳士は靜かに頸を振った。陰鬱な其の貌には、ただ憐憫ばかりが滲んでいる。
「ひとの不幸はどんな味がする? そして其れは、何色?」
「どんな薬よりも苦く、泥よりも濁った彩だ」
 淡々と返された答えに、紫陽花の乙女は「ふぅん」と気の無い返事をひとつ。善人と呼ばれるだけあって、彼は本気でひとの不幸を嘆くことが出来るらしい。
 一方の己は如何だろう。
 シャトはそっと、己の掌を見る。幾十、幾百、報われず泣いた登場人物の情念が、其処にはこびり付いて居た。そう、総ては此の掌中に在る。彼らの生死を決めるのは、インクが滴るペン先ひとつ。ただ、それだけ。
 神はなぜ、生ける者に苦難を与え給うのか。彼らの“想像主”であるシャトは、何となく其の答えが分かって居る。
 ――……幸せにしてあげたくないんだ。
 ハッピーエンドの書き方なんて、識らない。それに、自らが生み出した存在に嫉妬するなんて、あまりにも無様だから。

「僕も、睡りたいよ」

 花唇からぽつり、気だるげな聲が零れた。白いゆびさきで、軽く眼を擦る。現世に戻って来てから、ずっと甘い微睡に誘われているのだ。
「きみなら叶えてくれるかもって思った」
 正直に言えば半分くらいは、きっと期待していた。報われない『シャト・フランチェスカ』の物語に、うつくしい幕引きを誂えてくれるのだと。
「でも、――やっぱり気が変わった」
「命が惜しく成ったのかね」
 咎める訳でも無く、ただ淡々と老紳士は問いかける。シャトは、ふ、と笑みを漏らしたのち、静かに頭を振った。はらはらと、櫻が舞う。
「僕の生死は、愛する人に委ねたいね」
 皮肉気に釣り上がった花唇が震えた。静謐に響き渡る聲に、ぐつぐつと滾る情念が見え隠れし始める。
「口惜しいだろ」
 まだ、僕が誰かも知らないのに。まだ、愛されてすらいないのに。あゝ、まだ……。
「僕の物語だけが、」

 まだ見つかっていないのに――!

 ぎり、と娘は情動の侭に左腕に爪を立てた。
 まるで自傷の如く、傷痕をじくじくと抉ったなら。眼が眩みそうな程に赫い鮮血が荊と化して、老紳士へと襲い掛かる。
「僕の赫彩、持っていけ」
 ジョナサンの腕に突き刺さった棘は抜けず、彼が纏う上品な仕立を舞い散る寒緋桜の焔が包み込んで行く。罪深き其の身を灼ける焔は、妬ける彼女の傷み。
 斯くして“生”――どろりとした“感情”は、「死」を確かに蝕んで行ったのである。

大成功 🔵​🔵​🔵​

琴平・琴子


死が幸福?
生きてるのが不幸だと?理解できませんね
貴方と云う物差しで測らないで頂けますか

死んでしまえば楽になれるというのなら
私の足は既に止まっていた筈
でも、それをしなかったのはその先に楽な事なんて無いから
諦めてしまったら、何処かに在る筈の帰り道は絶対に無い
だから私は歩みを止めない、止まらない
――止めてたまるもんか

それを可哀想だと思うのならどうぞご自由に
――兵隊さん達の銃口を受け止める勇気があるのならの話ですが

ねえおじ様
助けてって言ったら助けて貰える程世界って優しくないの
だから自分でどうにかするしかないの
おじ様のそれは優しさかもしれないけれど小さな親切、余計なお世話って言う奴だと思いますよ



●参ノ幕(拾弐)『Stagnationphobia』
「……死が幸福?」
 歩みを止めることなく現世へと還って来た琴平・琴子は、老紳士の演説に眉を顰めた。彼は生きていることは不幸であると、そう宣っているのだ。
「理解できませんね、貴方の物差しで測らないで頂けますか」
 ジョナサンが語る「救い」なんて、琴子には分からない。
 喩え辛くて悲惨な人生を送っているひとであろうと、誰かを殺すことは悪いこと。苦しい現実に立ち向かわず、逃れるなんて間違っている。
 そもそも琴子は、死ねば楽に成れるとは思っていない。もし本当にそうならば、此のあえかな足は既に、止まっていた筈だ。
 彼女は自分の脚で確りと、此処まで歩んで来た。歩むことを止めた所で、その先には楽なことなど無いと、そう察して居たから。
「諦めてしまったら、何処かに在る筈の帰り道は絶対に無い」
 だから、少女は歩みを止めない。どんな苦難の道が続いて居ようとも、決して。

「――止めてたまるもんか」

 子どもらしからぬ覚悟を花唇から凛と零して、琴子はマスケット銃を取る。湧き上がる闘志が招くのは、揃いの銃を構えた玩具の兵隊たち。
「悲壮な覚悟だ、君もまた辛い思いをしたのだろう」
「可哀想だと思うのなら、どうぞご自由に」
 哀れみを孕んだ甘言には耳を貸さず、少女は的へと狙いを付ける。老紳士の周囲に次々と亡霊たちが現れるけれど、そんなことも関係ない。兵隊たちが放つ銃弾に立ち向かう勇気があるのなら、せいぜい受け止めてみせると良い。
 号令の代わりに腕を振り下ろせば、兵隊たちは従順に銃弾の雨を戦場に降らせていく。老紳士は仕込み杖で其れ等を振り払うけれど、亡霊たちは成す術も無く銃弾に穿たれて、消え失せて行った。
「ねえ、おじ様」
 騒乱のなか、トリガーにゆびを掛けた侭、少女はそうっと囁き掛ける。翠の双眸はただ、陰鬱な貌をした老紳士の姿を見つめていた。
「おじ様は確かに優しいのかもしれないけれど――」
 助けを求めたら必ず手を差し伸べて貰える程、世界は優しくない。此の光が喪せた世界ならば、猶更のことだ。
 だから結局、自分のことは自分でどうにかするしかない。自分を救えるのは、他ならぬ自分だけなのだから。
「その行動は“小さな親切、余計なお世話”って奴だと思いますよ」
 己の善意を押し付けて屍の山を築く彼を、偽善と云わず何と言おう。零した科白に諭すような彩を滲ませながら、少女はトリガーを引くのだった。
 放たれた銃弾は老紳士の躰を穿ち、彼の生を焼けるような痛みで蝕んで行く――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

旭・まどか


嗚呼、如何して

目醒めたく無い
――生きたくなど、無いのに

あの幸福感に浸ったまま死なせてくれたら
どれほど好かったか
君は随分と性格が悪いね

肩書を捨て、宿命を捨て、意義を、捨てる

それが出来ればこんなに苦しまずとも済んだのに

未だ、僕は呪詞の冠を下ろす事を許されていないらしい
ねぇ、そうでしょう?

真っ直ぐ見上げて来る八重のなんて無垢な事
お前は酷い隸だね

――ううん、解っているよ
何処かで、もう知っているんだ

お前が本当は、ぼくに“どう”生きて欲しいのか

けれど
ぼくは未だ、それを許せないから

甘やかに誘い来る永眠への甘言は
お前の牙が突き立ち、垂れ流される右腕の穢血が振り払う

未だ僕にはお前が
お前には僕が、必要だから
共に



●参ノ幕(拾参)『Survival aversion』
 赫く染まったひなげしの花弁に包まれて、旭・まどかは目を覚ます。彼岸の彼方から、現世へと舞い戻って仕舞った意識に、少年は深い嘆息を溢した。
「……嗚呼」
 如何して、還って来て仕舞ったの。
 目醒めたくなんて、無い。お前の居ない此の世界でなど、生きたく無いのに――。
「君の生もまた、苦難に溢れているようだが」
「……そういう君は、随分と性格が悪いね」
 かつり、かつり。柩へ歩み寄って来る老紳士が打ち鳴らすステッキの音を、何処か遠くで聴きながら、少年は横たわった侭、ただ皮肉気に答えを返す。
 嗚呼、あの目も眩むような赫彩のなか。「安らぎ」は、確かに其処に在ったのに。光の届かぬ暝い世界では、視えぬ棘がちくちくと、彼のこころを苛むばかり。
 誰かに付けられた『旭まどか』と云う肩書を棄て、此の身に流れる穢れた血が背負う宿命を捨て。己が此の世界に存在する意義すら、総て捨て去って。
 そう、それさえ出来れば、こんなに苦しまずとも済んだのに。
 ――……未だ、僕は呪詞の冠を下ろす事を許されていないらしい。
 少年は薔薇彩の眸を、ちらり。傍らで心配そうに己の貌を覗き込む、四つ足の隷へと向けた。嗚呼、真っ直ぐに見上げて来る八重の眸の、なんと無垢なことか!
「お前は酷い隸だね――……ううん」
 解っているよ、と少年は肺から深く息を吐く。本当は、もう識っていた。『お前』が『ぼく』に“どう”生きて欲しいと希っているのかを。
 けれども、まどかは其の希いに背を向ける他ない。まるで、何かから逃げるように――。

「ぼくは未だ、それを許せないから」

 だから、たましいの安寧なんて、此の身には訪れない。瞼はどんどん重たく成り、視界も霞んで行く。微睡みは甘やかに、少年を永眠へと誘って行た。
 けれども、彼の隷は其れを赦さない。
 鋭い牙を剥き出しにした隷は、彼のあえかな右腕に、がぶりと強かに噛みついた。たらり、穢血が地面へ垂れ落ちると同時に、痛みで意識が覚醒する。
「未だ僕にはお前が、そしてお前には僕が、必要だから」
 気だるげにひなげしの花弁のなか、身を埋めた少年は隷へと月光の魔力を注ぐ。ぐるるる、と唸る獣は鋭き牙を剥きだしにして、善人へと襲い掛かって往く。
 拒もうと受け入れようと、ふたりは一心同体。もう離れられぬ運命。ならば、取るべき選択は唯ひとつ。

 いまは共に、此の苦界を歩んで往こう――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵


お兄様、一緒に遊びましょ
お兄様がそんなに苦しむことなんて無いのよ
よく頑張ったわ
抗って戦って悲しい思いを沢山して
休んでもいいのよ
赦すわ

深淵から聴こえる
眠らせたはずの妹の声
許してくれるの?
手招く声に頷きそうになる
もう苦しまなくてもいい…
死は甘美な蜜のよう
おいでと私を招いてる

リン、揺れる足首の神鈴音と
桜真珠の耳飾りが私をひきとめる
前は私だってそう考えていた

けれど
私は生きると決めた
守るべき約束がある
見届けたい舞台がある
……私を迎えてくれる大好きな人達と一緒に
時を重ねて生きていくの!

死を振り払うよう衝撃波で弾いて薙ぎ払う

終焉をあなたになどに与えられたくない
其れを私に与えていいのは

かぁいい神様ひとりだけ



●参ノ幕(拾肆)『Invitationphobia』
 赫く染まった花海は疾うに消え喪せて。冷たい石で造られた天井と壁から成る、ちいさな世界に、誘名・櫻宵は戻って来て仕舞った。
『――お兄様』
 それなのに、嗚呼、懐かしい響きが麗人の鼓膜を苛む。一緒に遊びましょ、なんて。無邪気に誘うのは、いつか喰ろうた筈の妹の聲。
『お兄様がそんなに苦しむことなんて無いのよ』
 彼女はそれこそ、櫻宵が望むような、耳触りの好い言葉を呉れる。現世に留まった筈の意識は、思わず深淵へと傾きかける。
『よく、頑張ったわ』
 鈴音の聲から紡がれる科白が、余りにも都合が良いのは、それが麗人の裡から湧き出る幻想である所以か。或いは、死神の甘く優しい誘惑か。
『抗って戦って、悲しい思いを沢山して。だからもう、休んでもいいのよ』
 嗚呼、あの花畑に還りましょうと、妹が優しく手招いている。けれども、己が過ちから今ここで逃れて仕舞っても、赦されるのだろうか。

『赦すわ――』

 ひどく、慈悲深い聲がした。櫻宵は思わず首肯し掛けて、寸での所で思い留まる。甘い誘惑に頷いて仕舞えば最期、もう二度と現世には降り立てない気がした。
「……許してくれるの」
 もう、苦しまなくても好いと、妹はそう云ってくれている。彼女が齎す「死」は、まるで甘美な蜜のように、優美な蝶たる櫻宵を「おいで」と蠱惑する。知らず知らずのうちに麗人は一歩、脚を踏み出していた。

 ――リン。

 刹那、地下墓所に涼やかな鈴の音彩が響き渡った。
 左の足頸に揺れるのは、再約の神が結んでくれた赫縄の櫻飾り。右の耳に揺れるのは、人魚の涙と絲櫻が連なる耳飾り。そのふたつが、甘美な死に誘惑された麗人を、現世に優しく引き留める。
「……前は、私だってそう考えていた」
 苦界においては“死”こそ救済。結局のところ、死ななければひとは、己は救われぬと――。けれど、いまの櫻宵は違う。

「私は、生きると決めた」

 決して違えることなど出来ない、守るべき約束がある。終幕まで絶対に見届けたい、とびきりの舞台がある。だからこそ。
「……私を迎えてくれる大好きな人達と一緒に、時を重ねて生きていくの!」
 誘う聲ごと振り払うように、麗人は血櫻の刀を大きく振るう。放たれた衝撃波は、老紳士の躰を切り裂き、反撃ひとつ赦さぬまま、彼を壁際へと薙ぎ払った。
「君も、安寧たる終焉を拒むと云うのかね」
「あなたなどに、終焉を与えられたくない」
 苦し気に壁へと背を預ける紳士の厚意を、櫻宵は凛と拒絶する。麗人の“たましい”が還る場所など、疾うに決まっていた。
「其れを私に与えていいのは、」

 “かぁいい神様”ひとりだけ――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ


噫、酷く眠い
このまま全てを投げ出して、眠ってしまいたいくらいだ
いけない
私はまだ眠る訳にはいかない

眠さに抗う
何も果たしてないじゃないか
悲願を、約束を果たしていない
あの子を救えてないじゃないか
眠る訳にはいかない
影に落ちて
救われて廻りかえってきた
私の死は既に生の祝福に蝕まれているのよ
嬉しいことにね

私はまだ寝ないよ
何せ、やりたい事も希望も夢もたくさんあるからね
きみとの約束……旅だってまだ途中だ
大蛇だって斬れてない

拳を斬撃でいなして見切り躱し
捕縛の神罰を桜嵐と吹雪かせ安寧を振り切り
早業で駆けて切り込み─誘惑ごと切断する

例え未熟でも無様を晒すなど許されない
私は
かれの神なのだから

そなたの齎す救済など不要だ



●参ノ幕(拾伍)『Contract aversion』
 紅彩に染まった櫻の花弁が敷き詰められた柩のなか、朱赫七・カムイはゆるりと其の身を起こす。気だるげな吐息がひとつ、無意識に口端からぽつりと零れた。
 ――……噫。
 酷く、眠い。此のまま総てを投げ出して、心地の好い微睡みに身を委ねて仕舞いたくなる程に。
 ――……いけない。
 鎖されかけた瞼を無理やり開いて、赫髪の青年は静かに頭を振った。ひとたび眠って仕舞えば最期、もう二度と目覚めることなど叶わないと識って居る。
「私はまだ、眠る訳にはいかない」

 ――何も、果たしてないじゃないか。

 折角、ほどけた縁が再び結ばれて、現世へと降り立つことが出来たのに。そして“災厄”は、“再約”へと転じることが出来たのに。
 此の身は未だ悲願を、そして約束を、果たして居ない。未だ、『あの子』を救えてないのだ。ゆえに神は、眠ること能わず――。
 一度は、影朧に堕ちた身だ。それが、数多の優しさによって救われて、廻りかえってきた。幸運にも、あの子の許へ。
「私の死は、既に生の祝福に蝕まれているのだよ」
 カムイにとって其れは、決して悪いことでは無かった。嬉しいことに「死」を蝕む彼の「生」は、温かさと喜びに溢れているのだから。
「生の祝福は一瞬だが、死の祝福は永遠だ」
 柩の前に佇む老紳士は「受け入れよ」と云わんばかりに、神へ拳を繰り出さんとする。されどカムイは朱砂の太刀を抜き放ち、突き出された拳を其の刀身で受け止めた。

「私はまだ、眠らないよ」

 ごう、と何処からか風が吹き抜けると同時。昏い地下室に、櫻の嵐が舞い上がる。其れは瞬く間に老紳士の躰に纏わりついて身動きを封じ、辺りに漂う甘い毒馨を払って行く。
 鼻に馴染んだ櫻の馨に、覚醒した意識のなか。神は改めて、太刀をぐ、と握り締めた。
「やりたい事も、希望も夢も、たくさんあるからね」
 先ずは、『きみ』との約束を果たさねばならぬ。再び降り立った現世を巡る旅だって、まだまだ途中だ。なにより、あの大蛇だって斬れて居ない。喩え未熟者であろうと、無様を晒すなど許されぬ。
 なにせカムイは、いとしき巫女が唯一とたましいを預ける『神』なのだから。

「――そなたの齎す救済など、不要だ」

 誘惑を振り切るように駆け出せば、身動き封じた老紳士へ向けて鋭い斬撃を放つ。朱彩の櫻が舞い散るなか、櫻竜の牙は疾うに過去となった善人へ食らい付き。其の「生」を、そして“存在そのもの”を、喰らい尽くして行く――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

セシル・エアハート

夢…か。
花の香りがまだ眠気を誘おうとしてる。
あの棺の中で母様に会えたのは嬉しかった。
たとえあの世に連れて行かれようとも。
あの幸せな時間が還って来てくれるのならそれで良かった…。

でも…どんなに願っても。
幸せだった日々は永遠に還って来ない。
全てを喪って。沢山の絶望を味わって猟兵となった時。
大切な家族の分まで精一杯生き抜いてみせる。
そう心に強く誓ったから。

呪いの香りでふらつきそうになる。
それでも倒れる訳には行かないよ。
俺が今ここで死んだらあの世にいる母様達に合わせる顔がないからね。
たとえ身体は無くなっても、魂は俺の心の中で生き続けているから。



●参ノ幕(拾陸)『Separation aversion』
 狭い柩のなか、少年は双眸をはっと開いた。赫い花畑は何処へやら、いまは無機質な石の壁と天井が、辺り一面に広がって居る。
「……夢、か」
 輪廻を希うには未だ早かったと、セシル・エアハートは貌を覆う。供花の如く柩のなかに敷き詰められた、アザレアの馨は何処までも甘く。ふと気を抜けば、再び微睡みのなかへと誘われそうになる。

 棺のなかで、母に会えたことは嬉しかった。喩え、骨が軋むほどに腕を捕まれて、あの世に連れて行かれようとも。
 ――あの幸せな時間が還って来てくれるのなら……。
 それで、良かったのだ。
 同時に少年は、薄々気が付いていた。どんなに願ったところで、現実は、過去に起こって仕舞った出来事は、何も変わらないのだと。
 ――幸せだった日々はもう、永遠に還って来ない。
 嘗て愛する家族を、豊かな生活を、総てを喪って。数多の絶望を味わって、軈てちからを持つ存在『猟兵』となった時。少年はこころに、強く誓ったのだ。

「大切な家族の分まで、精一杯生き抜いてみせる」

 ふらつきながらも柩の縁に手を掛けて、セシルは懸命に立ち上がる。眼前に佇む老紳士――オブリビオンと対峙する為に。
「無理をすることは無い、君はただ安寧に身を委ねれば良い」
「……倒れる訳には、行かないよ」
 慈悲すら感じさせる紳士の聲に、少年はそうっと頸を振った。眠気に霞む視界の端に、自身を取り囲む亡霊の姿が視える。きっと、ジョナサンに救済された者たちの残滓なのだろう。彼らと同じように此処で眠って仕舞えば、確かに楽に成るけれど。其の先で待ち兼ねている、ひとびとこそが問題だ。

「あの世にいる母様達に、合わせる顔がないからね」

 彼の家族は、もう居ない。
 然し、其の存在が総て消滅した訳では無い。喩え、触れることの出来る「身体」が、無くなって仕舞ったとしても。大事なひとたちの魂は今も尚、こころの中で生き続けているから――。
「穢れた心、切り刻んであげる」
 セシルは藍彩の双眸を穏やかに弛ませて、戦場に風を放つ。其れに乗って飛び交う神速の刃は、救済の名の許にいのちを奪われた亡霊たちを在るべき場所に還し。歪んだ善人の躰にも、無数の疵を刻んで行く。

 どんな苦難が訪れようと、少年は決して挫けない。
 いつか家族の許へ還れた時、確りと胸を張って彼らと対面できるように――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロキ・バロックヒート

●真の姿:光輝く天使のようなもの

ああ、おはよう世界
寝起きで愚図るみたいに
甘い匂いの花を食む
そうすればまた気持ちよく眠れるかなぁって

きっと貴方の代わりに柩に納められたのだ
在ったのは私の墓だけ
この名は私だけのもの

…死を語るおまえはなんだっけ
死は安寧だけど救いじゃないよ
誰が死のうと世界は続いてゆくでしょう
哀しく苦しい世界が
それじゃあ誰も救われない
病を得ているとしたら誰かが死を望む世界だよ

しょうがないなぁ
ほら起きてよ『私』
正しく滅びを齎さなきゃいけない
終焉をうたって
世界を救いの光で満たして

か細くうたううたを聴けば
ふわりと漂う輝く羽根に触れたなら
世界はひととき終幕を迎える
神が微睡み目覚めた時
世界は――



●参ノ幕(拾漆)『World aversion』
 おはよう、世界。
 カスミソウに埋め尽くされた柩のなか。神は、ロキ・バロックヒートは、遂に目覚めて仕舞った。
「ああ――」
 まるで、寝起きに愚図る子どものように、甘い馨を漂わせる赫い花弁を口に押し込み、食む、食む。そうすればまた、心地好い眠りに堕ちれるような、そんな気がして……。
 きっと、己は『貴方』の代わりとして、柩に納められたのだ。だって、あの花海に在ったのは『私』の墓だけ。なにより、此の名は“私だけのもの”なのだから。
「其の花を食んだ所で、救われまいよ」
 神が眠る柩を上から見降ろす老紳士は、ひとを死に至らしめる程の毒は孕んで居ないのだと、気の毒そうに言葉を落とした。
「……おまえは、」
 なんだっけ。
 ロキは蜂蜜彩の眸で茫と、ジョナサンの姿を見上げる。嗚呼、そういえば。今日はあくまで、仕事をしに来たんだった。これが、噂の善人か。
「死は安寧だけど、救いじゃないよ」
「其のふたつは、同義に想えるがね」
 柩に横たわった侭、神はゆるりと頸を振る。説教をする心算など、毛頭なかった。なにせ、此の神もまた、滅びを是とする存在なのだから。

「――誰が死のうと、世界は続いてゆくでしょう」

 ひとがひとり死んだくらいでは、世界はきっと変わらないし、終わらない。総てのひとが居なく成らない限り、苦界はいつまでも、ひとの生を蝕んで行く。
 ゆえに、彼のやり方では誰も救われない。根本を断たねば、キリが無いのだ。
「病を得ているのは、誰かが死を望む世界だよ」
「君は、世界をまるごと壊せるとでも?」
 怪訝そうな貌をした老紳士に、はあ、とロキは溜息ひとつ。オブリビオンといえど、所詮は元人間。彼の慈愛を解せる器量は、持ち合わせて居ないらしい。
「……しょうがないなぁ」
 やれやれと言わんばかりに頸を振る青年の躰がふと、眩い輝きに包まれる。光に満ちた翼を背負う其の姿は、「天使」と称しても差し支えない代物だろう。

 ――ほら。

 起きてよ、私。
 そう甘い聲彩で囁けば、世界は滅びに向かって狂気を加速させて往く。神が終焉をうたうなら、そうあれかしと。
 積み上げられた石で鎖された、ちいさな世界は今、救いの光で満たされて行く。
 か細い聲で紡がれる天使の唄を聴いたなら。ふわり、宙を漂う羽根の煌めきに触れたなら。
 ジョナサンが“認識する世界”は、ひととき終幕を迎えるだろう。嗚呼、やっと愛すべき人類を、世界を、救える時が来たのだ。ほっとしたような貌をして、神は再び双眸を鎖す。

 次に微睡みから目覚めた時、世界はきっと――……。

大成功 🔵​🔵​🔵​

天音・亮
◎#

「生」と「死」
生きているものなら一度は考えたことのある
あるいは直面したことのあるテーマなのかもしれない
普通に生活していた私だってあるくらいだ

確かに死に抗い続けるのは苦しいし辛い
でも
生きてるからこそ感じ得られるものもある
私はそんな繋がりや温もりを離さずにいたい

私ね、寂しがりやなの
ほんとに私が死んじゃう日が来たら
たくさんの人に囲まれていたい、想われていたい
だから私は生きて繋ぐ絆に手を伸ばす
一緒に泣いて、笑って、前に進んでいきたいから
へへ、わがままでしょ?

けどね、それが私
“天音亮”だから
きみの「救済」は要らないよ

踵を鳴らす
前へ、一歩
刻み付けた足跡こそ私の生

さあ、脈打つ命を高らかに謳おう



●参ノ幕(拾捌)『Lonelinessphobia』
 光の射さぬ地下墓所のなか、はらり。赫い扶桑花が、視界の端で零れ落ちた。天音・亮は、柩から身を起こしながら、老紳士が語る「生」と「死」について思案する。
 生きているものなら誰しもきっと、一度は考えたことのある命題だろう。或いは、直面せざるを得ない命題なのかも知れない。なにせ、普通の女の子として生活していた亮だって、真面目に考えたことがある位なのだから。
「生きることは、辛いだろう。君も楽に成ると良い」
 確かに、彼が言うことは一理あるかも知れない。病床においてもなお、死に抗い続けるのは、苦しいし辛いと想う。けれど、「生」の総括は其れだけで無い筈だと、娘はそう信じて居た。
「生きてるからこそ、感じ得られるものもある」
 喜びで跳ねるこころも、悲しみで流れる涙も、痛みに疼く疵も、幸せに弾む鼓動も総て。自分が此の世界で“生きている”ことの確かな「証」なのだ。
 そしてそんな感情は、決して独りでは得ることも叶わぬもの。

 ――私はそんな繋がりや温もりを、離さずにいたい。

 喩え分かり合えずに疵付こうと、不意の別れに悲しみを背負うことに成ろうとも。自分が其の時に抱いた「感情」を、自分だけは抱きしめてあげたい。
「私ね、寂しがりやなの」
 娘は静かに双眸を鎖しながら、ふふりとはにかんで見せる。死を感じさせる場所に居ようとも、彼女が裡に抱く明るさは翳ることを知らぬ。
「ほんとに私が死んじゃう日が来たら、たくさんの人に囲まれていたい」
 そして、死んだあとも想われて居たい。
 だから亮は、繋ぐ絆に手を伸ばす為に生きるのだ。縁を結んだ誰かと一緒に泣いて、笑って。前に、未来に、進んでいきたいと希うから。
「へへ、わがままでしょ?」
「……ああ、私には眩し過ぎる位に」
 老紳士は静かに双眸を細めながら、ちいさく首肯した。喩えジョナサンと同じ境遇に堕ちようと、彼女が笑顔を忘れることは無いだろう。そんな確信だけが、彼の中には在った。
「それが私“天音亮”だから」
 ふ、と笑みを零した娘は、金絲の髪をふわりと揺らして踵を鳴らす。そうして前へ、一歩、確りと脚を踏み出した。刹那、太陽の名を冠するブーツはジェットを噴射して、亮を敵の許へと速やかに誘って行く。

 ――きみの『救済』は、要らないよ。

 喩え老紳士が抜き放った剣に穿たれ、白肌に赫絲を刻もうと。娘の脚は止まらない。ただ、駆けて駆けて、駆け抜けて。老紳士の躰に時折、踵を打ち付ける。
 無機質な石床に刻み付けた足跡こそ、彼女が生きた何よりの証。

 さあ、高らかに謳え。
 脈打ついのちの尊さを、そして、誰かと迎える明日への歓びを――!
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

タピア・アルヴァカーキ

なにっ!?
貴様、生前は病弱だったのに死んで健康体になったと!?
超不健康な身体で復活した我がアホみたいじゃ!
我は一体何の為に悪霊になったのやら……
そうじゃ、もう一度死んでオブリビオンとしてやり直そうかのう。
その仕込み杖で一思いに首を落としてくれんか?
ちゃんと一撃で落ちる様、もっと近づいておくれ。
そうその位置じゃ……そこなら当たり易い
――我が「冥府の番犬」がな!
頭部を魔獣に変え、奴を喰ろうてやるわ!

クカカカカ!
我がそんな安い死の誘惑に乗ると思ったか?
「死の救い」だの「生からの解放」だの忌々しい……
我はその言葉を否定する為に現世で抗っておるのじゃ。
苦難を愛し絶望を越える――我が魂は永遠不滅なり!



●参ノ幕(拾玖)『Blessingphobia』
「――なにっ!?」
 善人と名高い老紳士の口上を聴き終えるや否や、タピア・アルヴァカーキは柩からガバッと起き上がった。柩のなかに鏤められたベラドンナの赫い花弁が、ひらひらと冷たい石床に舞い落ちる。
「貴様、生前は病弱だったのに死んで健康体になったと!?」
「平たく言うとそう云うことだ」
 静かに帰って来た肯定の言葉に、タピアは皴だらけの両手で貌を覆って、「嗚呼」と嘆いて見せる。
 此の世に蘇るために、美貌も魔力も、持て得るものは総て犠牲にした。その結果得られた此の躰は、見た目通り襤褸襤褸だ。それなのに眼前の老紳士は、何も失わず、立派な佇まいで現世に顕現しているではないか。
「我は一体何の為に悪霊になったのやら……」
 魔女が漏らした深い嘆息が、地下室のなかに反響する。老紳士は黙した侭、ただ項垂れる魔女の姿を見降ろしていた。
「そうじゃ」
 善人が口を開く前に、はたとタピアは貌を上げる。希望と絶望が綯交ぜに成ったような彩を、翠の双眸に浮かべながら――。
「その杖で、一思いに首を落としてくれんか?」
「……良かろう」
 もう一度死んで、オブリビオンとしてやり直したい。
 しおらしくそう語る魔女に、ジョナサンは哀れむような眼差しを向けたのち、静かに首肯した。カラン、と杖が打ち棄てられ、代わりに鈍く煌めく細剣が現れる。
「ああ……ちゃんと一撃で落ちる様、もっと近づいておくれ」
 無駄に苦しみたくは無いと、老いた貌に怯えの彩を滲ませれば、老紳士はゆっくりと脚を踏み出し、タピアとの距離を詰めていく。
「そう其れで良い……そこなら、当たり易い」
「君に、救いを」
 刀身がそうっと、タピアの頸に寄り添う。あと僅かに力が籠められれば、安寧が齎されるであろう、其の刹那。

「――我が『冥府の番犬』がな!」

 地獄の魔獣、ケルベロスが獰猛な牙を剥いた。
 否、寧ろ魔女の頭部が、三つ頭の番犬と化して居るのだ。ぐるるるる、と唸りながら、タピアは老紳士の腕へと強かに牙を突き立てる。
「……嵌められたか」
「クカカカカ!」
 嘆息しながら獣の牙から逃れようと藻掻く紳士の姿を、魔女は豪快に哂い飛ばす。嗚呼、「死による救い」だの、「生からの解放」だの。善人面した連中が宣うことは、いつだって忌々しい。
「我がそんな安い死の誘惑に乗ると思ったか?」
 ケルベロスの頸はひとつに非ず。ふたつめの頸でジョナサンのもう片腕へと食らい付き、魔女はくつくつと可笑し気に肩を震わせる。
「我はその言葉を否定する為に、現世で抗っておるのじゃ」
 死した後も痛みに苛まれ、喪った栄光に苦しめられている彼女の存在こそ、彼らが語る「正義」への、そして「理想」へのアンチテーゼ。
「――我が魂は永遠不滅なり!」
 ゆえにタピアは、今宵も苦難を愛し、絶望を乗り越えて往く。嘗て己を手に掛けた宿敵の“誤り”を、其の身で証明する為に。

大成功 🔵​🔵​🔵​

終夜・嵐吾


…ねむ…
このまま気持ちよくおねんねしとっても良かったんじゃけど

わしはもう救われとるから、救われたいとは思わんし
いや、虚の前の主に力づくで救われたの方がしっくりくるか
まぁ、目の前の老紳士には関係ない話よな
また救済けてもらわねばならぬ時があるなら、この爺よりあのおかしな箱の友や虚の方がええ

起きよと右瞳の空で暴れておる
汝、おねむではなかったか?夢の中での事かの
好きに暴れてくるとええよと戒め外し
何が気に入らんのか
嗚呼、ええ香りでわしがねむねむするのが気に入らんのか
ふふ、眠らせてくれるなら汝の香がええよ
包まれるのももちろん汝が良い
共に死ねるなら幸せじゃけど、まだその時ではないからの
今は共にいきていよ



●参ノ幕(弐拾)『Sleep Aversion』
「ねむ……」
 赫い四葩の花弁に包まれた柩のなかで、終夜・嵐吾は独りあくびを噛み殺す。いっそ此の侭、心地好い微睡みに揺蕩って居られたら、其れで良かったのだが。
「わしはもう救われとるから、救われたいとは思わん」
 其の「眠り」が、押し付けられた「救済」であるなら話は別だ。此の身に救いなど、ひとつで十分。ふたつ以上は、持て余してしまうに違いない。
 先ほどまで其処に在った四葩の感触を確かめる様に、そうっと右目に手を伸ばす。いまはもう、虚ろを鎖す眼帯が其処に在るだけ。
「――虚の前の主に“力づくで救われた”の方が、しっくりくるか」
 ぽつり、気付けばそんな科白が、唇から零れ落ちていた。何にせよ、眼前で此方の反応を伺っている老紳士には、関係のない話である。けれどもしもまた、救済を求めねばならぬ時が来るのなら。その時は。
「この爺より、あのおかしな箱の友や、虚の方がええ」
「理解って貰えず、残念だよ」
 哀れみを孕んだ溜息を、老紳士は深く吐き出す。同時に墓地へ現れるのは、彼に“救われた”亡者たち。まったく、予想通りの展開だ。
 善人が齎す救いを拒絶した青年は、柩からゆるりと身を起こす。嗚呼、右の眸の空洞で虚が「起きろ」と暴れている。
「汝、おねむではなかったか?」
 苦笑しながら問うてみるけれど、虚は何も語らない。自棄に大人しかったのは、矢張り「夢」だったからなのか。
「まぁ、好きに暴れてくるとええよ」
 右眸を鎖す黒い戒めを外したなら、空洞から虚がふわりと飛び出した。あらゆる季節を象徴する花の欠片へ転じた其れは、殺意の侭に亡霊と善人を花嵐で苛んで行く。

「……まったく、何が気に入らんのか」

 いっそ暴風花嵐警報でも放たれるのでは無いかと想うほど苛烈な攻撃に、主の嵐吾は解せない貌をして腕を組む。虚はどうも、ご機嫌斜めらしい。
「嗚呼、」
 今日いちにちの記憶を思い返し、青年はふと納得したような聲を漏らした。もしや……。
「ええ香りでわしがねむねむするのが、気に入らんのか」
 柩に敷き詰められた赫い四葩は、未だに甘い香りを漂わせ、彼を微睡みに誘っている。つまりは、妬かれて仕舞ったらしい。
「ふふ、眠らせてくれるなら汝の香がええよ」
 心当たりに行き着いた瞬間、くつり。微笑まし気に、青年は双眸を緩ませた。嘗て彼女と、虚が愛でた花々のほうが、其処に散らばる四葩の何倍もうつくしい。
 こうして包まれるのも、もちろん虚が良い。さっきの夢の如く、躰中に虚が咲かせた花を飾れたら、そうして共に死ねたら、どんなに幸せだろうか。
「まだ、その時ではないからの」

 いまは、共に生きて居よう――。
 
 嵐吾はそうっと、伽藍洞の右眸へ触れる。空洞から咲き零れた椿は、夢で咲いた四葩と違って、熱を孕んでいるような気がした。たらり、眼孔から零れ落ちた雫は、何時しか花嵐に攫われて、舞い散る花弁を黒く染め上げて往く――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宵鍔・千鶴


醒めた場所は
きみが引き摺りこんだ柩
逝きたかった
きみに逢いたかった

馨しき甘美なる誘惑
未だ尚誘うけれど

「死」は祝福?救済?
そうだね、生ほど痛みを伴い苦しいことは無い
死にたい程の衝動に駆られたとて
生かされる、死に抗う

でも

抗い、傷ついても、必死に生に喰らいつくのがヒトの在り方だ

だから絆を、縁を、己を大切にして駆け抜けた先に
屹度、死が待ってるんだと思う

だから、俺はあの子に
まだ、行けないと伝えたんだ

俺が今、生かされ生きるちからをくれた人達を
絆を結んでくれた優しい人達を
次は俺が護らなくちゃ
今度こそ、後悔をしないために

…ねえ、
いのちをくれた唯一のひと
俺は貴女の息子らしく在りますか、



●参ノ幕(弐拾壱)『Regretphobia』
 宵鍔・千鶴が、は、と夢から醒めた時。其処は未だ、柩のなかだった。赫く染まった椿の花弁が、まるで絨毯のように敷き詰められていて、甘い馨に思考が茫と揺らぐ。
 そうだ、此処は『きみ』に引き摺り込まれた柩のなか。本当は、あのまま逝きたかった。そして、『きみ』に逢いたかった――。
 椿の甘い馨が鼻腔を擽る程、もう一度眠ればあの場所に戻れるかもしれない、なんて。そんな甘美な誘惑に、思わずこころがぐらついて仕舞う。
「君も辛い生を棄て、安寧の眠りへと還りたいだろう」
「そうだね、生ほど痛みを伴い苦しいことは無い」
 喩え、死にたい程の衝動に駆られたとしても。防衛本能によって無意識に、ひとは死に抗い続け、結果的には生かされることに成る。
 其れを手放せたら、どれだけ幸せだろう。
「でも――」
 思考を鈍らせる毒馨に、幾ら付きまとわれようと。眼前に佇むオブリビオンの存在が、寸での所で少年を現世に押し留める。まだ、やるべきことが有るのだ。

「抗い、傷ついても、必死に生に喰らいつくのがヒトの在り方だ」

 少年は老紳士が齎す救済を、真直ぐな眸で否定して見せた。ひとは傷を負いながらも生に食らい付くからこそ、絆を、縁を、己を大切にできる。
 死は蝕まれゆくものではない。寧ろ、人生の総括であり、終着点であると云えよう。めいっぱい自分の人生を駆け抜けた先に屹度、死が待っているのだ。
「……だから、あの子に“まだ”行けないと伝えたんだ」
 千鶴はいまも、人生と云う名の坂道を駆けている途中である。それをもう投げ出すなんて、あまりにも早すぎる。
「次は俺が、護らなくちゃ」
 自分を生かして、生きるちからをくれたひとたちを。そして、絆を結んでくれた優しいひとたちを。この手で、絶対に。今度こそ、後悔をしないために――。
 少年の耳許で朱華の耳飾りが、しゃらりと揺れる。忽ち其れが赫い輝きを放ち始めれば、彼の手許で血染めの打刀が鈍く煌めいた。
 柩から立ち上がるや否や、石畳を踏み締めて千鶴は残花の剣舞に酔い痴れる。煌めく剣先できっちり九回、敵の躰を撫でつける最中。飛び散る赫い飛沫が、柩に散らばる椿を濡らした。
「……ねえ、」
 其の光景を視界の端に捉えながら、少年はいのちを呉れた唯一のひとへと、想いを馳せる。
 ――俺は、貴女の息子らしく在れて居ますか。
 燃え尽きる前の流星のように、千鶴はいのちを鮮烈に輝かせる。いつか、灰と成る其の日まで。

大成功 🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


甘い、香り…
吸ってはいけないものだと
気付いた時にはもう遅く
思考に靄が掛かる

このまま身を委ねてしまえば
真実を知った友人達が離れてゆくかもと
恐れずにすむだろうか

死を受入れれば
言えぬ秘密を抱え
自分が何かもわからず
彷徨うこともなくなるだろうか

もしかしたら
もう一度
唯一無二のあの子に会えるだろうか

虚ろな思考のまま
身体に染みついた戦闘知識で攻撃を受け流し
辛うじて致命傷は避ける

あぁ…でも……
まだみんなといっしょにいたい
わたしだって…しあわせになりたい

委ねてしまえばそれは叶わない
だから
私はここで死ねない

死は必ずしも救済にはなり得ない
それは私がよく知っている

死神からの祝福?
冗談じゃない
そんなもの
塵に還してやるわ



●参ノ幕(弐拾弐)『Exposurephobia』
 夢から醒めた橙樹・千織が最初に感じたのは、鼻腔を擽る甘い花の馨だった。嗚呼、これを吸っては駄目――。
 けれど、気づいた時にはもう遅く、茫と思考に靄が掛かる。巫女のこころを揺さぶるのは、あまりにも退廃的で甘美な誘惑。
 この侭、オブリビオンが齎す救済に身を委ねて仕舞えたら。己が過去を、真実を知った友人たちが、離れて往くことを恐れずに済むのだろうか。
 死を蝕むことを止め、祝福を受け入れたなら。嗚呼、誰にも言えぬ秘密を内に抱えた侭。自分の正体すらもわからず、ゆらりと現世を彷徨うことも無くなるだろうか。
 もしかしたら、もう一度、唯一無二の『あの子』に会えるだろうか――。
「さあ、死神の祝福を受け入れ給え」
 哀れむような聲が昏い世界に反響すれば、柩を取り囲むように次々と亡霊たちが現れる。彼らは千織を仲間に引き入れようと、柩のなかへ手を伸ばして来るけれど。
 生存本能はこの期に及んで尚も、彼女を“生かそうと”していた。
「……まだ、みんなといっしょにいたい」
 いままで培った戦闘の経験が、虚ろに思考を沈めた彼女の躰を、勝手気ままに動かして、亡霊たちの攻撃を躱させる。ふらつく足取で墓地のなかを逃げ惑いながら、ぐるぐると廻る思考と、裡で渦巻く感情のなか、千織はぎゅっとこぶしを握り締めた。
「わたしだって……」

 ――しあわせになりたい!

 赦されようと、赦されまいと、其の希いは諦められない。もしも『死』に、其の身を委ねて仕舞ったなら。それは終ぞ、叶うことなど無いだろう。だから、
「私はここで死ねない」
 巫女の双眸に、ふと光が戻った。同時に彼女の周囲でゆらゆらと浮かび上がり行くのは、椿を模した灼熱の焔たち。
 ジョナサンは、間違っている。
 『死』は必ずしも救済にはなり得ない。後悔も未練も、総て引き摺ることになるのだから。前世の記憶を色濃く残している彼女は、其のことをよく知っていた。
「死神からの祝福なんて、冗談じゃない」
 ゆえに、彼女は善人に向き直り、其の施しを跳ね除ける。千織の覚悟と比例するように、炎の椿は亡霊たちへと飛んで行き、其の躰を瞬く間に灼熱で包み込んだ。
「そんなもの、塵に還してやるわ」
 灰は灰に、塵は塵に。過去の亡霊は、躯の海に。
 生きる意思を眸に宿した巫女は、ぶん、と薙刀を振り回す。再び浮かび上がった焔の花は、今度は老紳士にも纏わりついて。上品な纏いごと、其の身を燃やし尽くして行く――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宵雛花・十雉


甘ったるい
頭がくらくらする

分かってるよ
死んだらきっと楽になる
オレだって楽になりたい
けどそれは生きることから逃げること
オレは一度もう逃げてるんだ
次逃げたら今度こそ、誰にも顔向けできないよ

オレは自分のこと信じられないけど
こんなオレのこと信じてくれる人たちがいる
そんな大好きな人たちを裏切って
この世でもあの世でも二度と会えなくなるなんて
そんなの嫌だよ
もう独りになりたくない
苦しんだっていいから
生の中に見つけた居場所、失くしたくない
過去になんてなるもんか

薙刀の柄を握り締める
蒼い炎が過去を葬るべく燃え広がって

善は必ずしも善であるとは限らない
アンタのそれは偽善で独善
オレにはそう見えるよ



●参ノ幕(弐拾参)『Isolationphobia』
 夢から醒めた筈なのに、未だ甘ったるい匂いがする。宵雛花・十雉は柩の縁に寄り掛かりながら、気だるげに貌を覆い隠した。嗚呼、頭がくらくらする。まるで「あの花畑へ帰りなさい」と、そう云われて居るようで、青年は激しく頭を振った。
「……分かってるよ」
 死んで仕舞えば、きっと楽になれる。父を死なせてしまった罪から、母への罪悪感からも、きっと逃れられるだろう。
「オレだって、楽になりたい」
 けれども、それは生きることから「逃げること」だと、十雉は識っていた。彼は一度、家から逃げだして居るのだ。だから、何もかも放り出してまた逃げて仕舞ったら。今度こそ、誰にも顔向け出来なくなって仕舞う。
 胸をちくちくと締め付ける此の痛みは、精神的なものだろうか。歯を食いしばりながら、青年は大事なひとたちの姿を脳裏に想い描いた。
「オレは、自分のこと信じられないけど――」
 辛いことから向き合いもせずに逃げ出した、こんな自分を、未だ信じてくれる人たちがいる。そんな大好きな人たちを裏切って、もう二度と会えなくなるなんて。
「そんなの、嫌だよ」
 もう、独りになりたくなかった。置いて行かれるのも、置いていくのもうんざりだ。幾ら苦しもうと、痛みに喘ごうと構わない。辛くて悲しい生のなか、確かに居場所を見つけられたから。
 それだけは、絶対に喪いたくない!

「過去になんて、なるもんか」

 ゆびさきに渾身の力を籠めて、青年は薙刀の柄を握り締めた。人魂を集めるには、此の場所は打って付けだ。みるみる内に彼の周囲へ、蒼い焔が集って来る。
「どうせまた哀しむと云うのに、未だ生きようとするのかね」
「アンタのそれは、偽善で独善だ」
 憐れみと共に亡霊を戦場に招く老紳士へ向けて、十雉は冷ややかに「オレにはそう見えるよ」と言い放つ。善は必ずしも、世界にとって「善」であるとは限らない。
 歪んだ思想のもと、滅びを振り撒く此のオブリビオンが語る救済は、結局のところ、ただの欺瞞であろう。
「さあ、過去は灰に還んな――」
 青年が薙刀を軽やかに振えば、蒼い焔も一斉に飛び立って、過去の亡霊たちを瞬く間に包み込んだ。焔は未来を蝕む過去を葬るべく、青々と燃え広がって往く。何処までも、何時までも……――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

雨絡・環


あらまあ
……ざぁんねん

ご高説有難う存じます
死は安寧
生は歪
ええ、ええ
一度死を経て今なおこの通り醜態を晒しているわたくしには
ようく解ります

ですがそれが何だというのでしょう

あの方にまたお会いする為に死して廻り
人として生を受ける
苧環の如く
いつか再び逢い見えるその日までこの繰り返し
生も死もわたくしにとっては手段にすぎませぬ

生はあの方が居られるかもしれぬ世界
痛みはその証であり愛おしや
死は輪廻を経て生を得るための工程
安らかで冷たい眠りも
来世の期待に胸高鳴ります

故に、貴方様とは相容れませぬ
この眠りが祝福とは程遠い
次の生へ逝けぬ死と生などに価値など在らぬわ

【六条】

斯様なものでわたくしを救えるなどと想いなさるな



●参ノ幕(弐拾肆)『Heaven aversion』
 ふと目が醒めたら其処は、昏くて冷たい柩のなか。雨絡・環は、あらまあ、と眸を瞬かせたあと、花唇から深い溜息を溢す。
「……ざぁんねん」
 折角、甘い馨に包まれて、彼とたのしく戯れていたのに。其れは全部、夢幻だったなんて。嗚呼、本当に詰まらない。
「なに、また眠りに就けばいい」
 次は永劫に醒めぬ眠りに――。
 そう嘯く老紳士を見上げて、絡新婦は口許にうっそりと笑みを綻ばせる。勿論、盛大に皮肉を込めて。
「ご高説、有難う存じます」
 苦難から解放されるから『死』は安寧で、苦痛に苛まれ続けるから『生』は歪。
 成る程、死者らしい論説だ。一度“死”を経ているからこそ、環には彼が言わんとすることが、ようく理解できた。
 なにせ今もなお、己は斯うして醜態を晒しているのだから――。

「ですが、それが何だというのでしょう」

 ひとは誰しも、安穏と生を貪っている訳ではない。
 其処に生きる理由があるから、苦痛すら、哀しみすら乗り越えようとするのだ。彼女ももまた、同じである。
 総ては「あの御方」にまた、巡り会うため。
 だから、死して輪廻の円環を辿ったのち、いつか「ひと」として生を受けることを此の化生は望んで居る。
「生も死も、わたくしにとっては手段にすぎませぬ」
 それこそ苧環の如く、いつか再び逢い見えるその日まで、何度でも繰り返して見せよう。嗚呼、げに恐ろしきは、女の執念。
「生はあの方が居られるかもしれぬ世界、痛みはその証であり愛おしや……」
 “死”は輪廻を経て、生を得るための工程に過ぎず。安らかで冷たい眠りに就こうとも、来世の期待に胸が高鳴って。嗚呼、また悪霊として蘇って仕舞うかも。

「貴方様とは、相容れませぬ」

 拒絶の科白に僅か、冷ややかな彩が滲んだ。彼女の目的は、次の生へ巡ること。ゆえに、彼が齎す眠りは環にとって『祝福』とは、あまりにも遠いもの。
「――次に往けぬ死と生に、価値など在らぬわ」
 ぞっとする程、冷えた聲が響き渡ると同時。彼女を護るように次々と、若い男の亡霊たちが戦場に顕現する。彼らは嘗て絡新婦が喰らった男たち、死して尚も化生の虜となった、かわいい子たち。
「ならば祈り給え、己に黄泉還りの素質がないことを――」
 老紳士が憐みの言葉を放てば、犠牲者たちの霊が戦場に招かれる。彼らは絡新婦に囚われた隷たちへと、一息に襲い掛かった。雑兵たちの相手は彼らに任せ、環は亡霊たちの間を縫うように、混迷を極める戦場を駆けて往く。
「斯様なもので、」
 あっという間に老紳士の懐へ潜り込むと同時、化生は懐剣を抜き放った。躊躇うことなく、其れを男の腹へと突き立てる。
「わたくしを救えるなどと、想いなさるな」
 忽ち血に染まり行く雪椿を見降ろして、絡新婦はうっそりと哂う。いつか「ひと」に成れる迄、彼女の苦難は終わらない。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ライラック・エアルオウルズ

咳をするのは、苦しくて
責を負うのは、苦しくて
生をゆくのは、痛みばかり

生かされたことを
悲しく思ったこともある

けれど、最愛を知って
僕は、これほどまでに
生に執着してしまった

だから、貴方が宣う
死の祝福は要らない
死が救いであるとして
良いわけがないだろう

甘い理想であろうが
生きているさなかに
ひとは救われるべきだ
生に救いを知るべきだ

彼は自身を救わなかった
それは悲しくも、尊くあるが
――僕は身勝手だからさ

痛んでも、痛んでも
生に縋り続けたい
生がふたりを繋ぐまで
死がふたりを別つまで

それが、僕の救いで
とびきりのハッピーエンドだ

見据え、魔術書を撫ぜる
亡者に贈れる救いとは
祈りと弔詞だけだから

どうか、救われますように



●参ノ幕(弐拾伍)『Partingphobia』
 柩のなかには、天竺葵の海が拡がって居た。赫い花に溺れながら、ライラック・エアルオウルズは、匂いたつ甘い毒馨に思わず咽る。
 咳をするのは、苦しくて――。
 茫と鈍る思考のなか、ふと父の姿が想い起こされた。
 責を負うのは、苦しくて――。
 独り遺された辛さ、寂しさはきっと、未来永劫晴れることは無い。
 嗚呼、生をゆくのは、痛みばかり。

 ――本当に?

 確かに、“生かされた”ことを、悲しく思ったこともあった。けれどもライラックは、裡に抱いていた寂しさや辛さを追い払う程の「最愛」を識ったのだ。
 ゆえにこそ、これほど迄に「生」に執着して仕舞うように成った。
「貴方が宣う“死の祝福”は要らない」
 花海から身を起こしながら、紳士は静かに拒絶を紡ぐ。遺された者にとって、『死』とは忘れ難い喪失だ。それを「救い」と称して良い訳がない。

「生きているさなかに、ひとは救われるべきだ」

 それは、あまりにも甘い理想。されど幻想作家たるもの、甘い夢物語を紡がずに、いったい何を紡ぐというのか。
「生にこそ、ひとは救いを知るべきだ」
 ゆるりと瞼を鎖し、ライラックは在りし日の父を想う。彼は、自身を救わなかった。それは悲しくも、尊いものだけれど。
 ――僕は、身勝手だからさ。
 彼は、自身を救いたい。最愛を識ったいま、痛んでも、痛んでも、生に縋り続けたい。
 『生』がふたりを繋ぐまで、『死』がふたりを別つまで。それこそが、ライラックの救いであり、彼に齎されるとびきりの『ハッピーエンド』だから。

「……分かりあえず、残念だよ」
 哀れむように老紳士が吐息を溢せば、柩の周囲に次々と犠牲者の亡霊たちが現れる。されどライラックはただ前だけを見据え、魔術書の蒼い表紙をさらりと撫ぜた。
 自分が亡者に贈れる「救い」は、祈りと弔詞だけ。ならば紡ごう、『花の詩』を。こころからの親愛を籠めた、あの『レクイエム』を。
「どうか、救われますように」
 彼のゆびさきが滑った箇所から、魔導書は淡く色付くリラの花弁へと転じて行く。温かな祈りが込められた花吹雪は、亡者を穢れごと祓い、彼らを優しく天へと攫って行った。
 その様を静かに見守りながら、ライラックはそうっと結ぶゆびに輝く銀彩を撫ぜる。胸を裂く痛みは、不思議と感じない。ただ温かな感情だけが、其処に在った。

 うつくしき想い出に、喜びの花を添えて――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ティル・レーヴェ

死は救済
彼の語る其れは行動は
嘗ての己に重なる

其れでいて
言われる儘を信じた己より
彼自身が導き出したその思考は心は
ある意味尊いのやも

あゝけれどもだからこそ
そうではないのよ

死により救われる存在も
確かにあるかも知れない
其方がもし
真に救われたと言うのなら
頭ごなしに否定はしない

けれども其れは
救いとは
意思歪め導くものではない
歪んだ先に、幸はない

少なくとも妾の幸は
我儘な其れはこの生の内にある
この身覆うよに咲いた
赤花の詞を抱き続ける儘となろうとも
手放したくない
身勝手にと手を伸ばすものが
此処にある

そんな妾を哀れと云うなら
解さずと構わぬ
好きに思い喚ぶがいい
哀しき者達は妾が慈しみ還そう

ねぇ、其方は?
今、本当に幸福?



●参ノ幕(弐拾陸)『Deathphobia』
 ディアスキアの花弁で飾られた柩のなか、ティル・レーヴェはゆるりと躰を起こす。鼓膜に流れ込んで来る老紳士の口上に、少女は思わず眸を伏せた。
 死は救済と嘯く彼は、不幸なひとびとを次々と手に掛けている。其の姿は、嘗ての己に重なって。改めて目の当たりにする己が罪の深さに、息が、詰まる。
 けれども、言われる儘に其れが救済であると信じ。数多の民を、もしかしたら実の両親すらも、死へ誘った己より。苦難の末に自身で結論を導き出した彼の思考や、こころは、ある意味尊いのやも知れぬ。
 あゝ、けれども、だからこそ――。

「そうでは、ないのよ」

 あえかな両掌で貌を覆いながら、少女は苦し気に息を吐く。生前のジョナサンのように、死ぬことで漸く救われる存在も、確かに在るだろう。だから、彼がもし真に救われたと言うのなら。ティルは其の考えを、頭ごなしに否定する心算は無い。なにせ彼女には、老紳士の苦しみは分からないのだから。
 けれども、他人に押し付けるとなると、話は別だ。
「“救い”とは、意思歪め導くものではない」
 歪んだ先に、幸はない。滅びた者に、幸は齎せない。だからこそティルは、彼が謳う救済を否定する。
「君も辛い生から解放されたいだろう」
「妾の幸は、この生の内にある」
 余りにも我儘な“幸”だけれど、其れを抱えて生きていきたい。先ほど見た夢のなか、我が身を覆うように咲き誇った赫き花――ディアスキアが抱く詞のように。『私を赦して』と、嘆き続ける羽目に成ろうとも、手放したくない。
「身勝手にと手を伸ばすものが、此処にある」
 軈て貌をあげた少女の双眸には、確かな決意が宿っていた。対峙する老紳士は、哀し気な眼差しでティルを見降ろしている。
「幼い身で業を背負って生きようとは――」
 彼がそんな科白を哀れむように零したなら、彼女を取り囲むように、亡霊たちが次々と顕現し始める。
「……解さずとも構わぬ」
 好きなように想うが良い、存分に喚ぶが良い。彼に使役される彼らもまた、哀しき存在。彼らの穢れは、悲しみは、せめて聖者たる己が慈しみ、癒すとしよう。
「払おう、其方らの闇を」

 せめて巡り巡るいのちのなか、彼岸の涯では幸が在らんことを――。

 少女は抱くように両手を広げ、慈しむような眼差しを亡霊たちへと向けた。ただ其れだけで、亡霊たちのこころに温かな感情が拡がって往き、たましいの穢れは瞬く間に祓われる。
「……ねぇ、其方は」
 浄化された亡霊たちが天へ昇ったあと、其の場に遺るのはジョナサン、ただ独り。ティルはちいさく頸を傾け、諭すように問い掛ける。
「今、本当に幸福?」
 陰鬱な面持ちで双眸を伏せた彼から、終ぞ答えは返って来なかった。
 斯くしてちいさな聖者は、“善人”が救えなかった者たちに、本当の意味で救済を齎したのである。
 きっと、こころからの温もりこそが、ひとを救うのだ――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ディアナ・ロドクルーン

涙を零しながら目を覚ます
胸に手を当てれば確かに脈打ち、鼓動しているのが伝わってきた
…生きている
あれは夢だったのか…否オブリビオンの仕業か
ほら赫花が咲いた跡が

この男がジョナサン
目が覚めて会えたのが師父じゃなくて残念だったわ

ええ、そう。否定はしない
生は苦しい。けれども、そのぶん生の喜びもまたある
私が眠るのは『此処』じゃないわ
本能が甘い眠りを拒絶する

死が救いというのなら私はお前の死の始まりを告げましょう
抗わないでジョナサン
私が貴方をもう一度死なせて救ってあげる
(刻印で強化した鋭い爪を向けて)

暗い地下にあらゆる苦悩は集められ山となった
最期の息吹、最後の呼吸は私の手で幕を閉じましょう

―おやすみ、なさい



●参ノ幕(弐拾漆)『Sleep Aversion』
 ふと目覚めた時、頬が濡れていることに気付いた。いつの間にやら、涙を溢していたらしい。ディアナ・ロドクルーンは狭い柩のなか、そうっと胸に手を当ててみる。どくん、どくん、と脈打つ鼓動の感触は、不思議と懐かしく、何処か切ない。
「……生きている」
 あの花畑で過ごしたひと時は、夢だったのだろうか。否、オブリビオンの仕業であろう。視線を左右に巡らせれば、ほら。赫い月下美人の花弁が、此の身を飾るように散らされていた。
「そう、君は生き延びて仕舞った」
「目が覚めて出逢えたのが、師父じゃなくて残念だったわ」
 皮肉をちくりと刺しながら、ディアナはオブリビオンの姿を観察する。仕立ての良い服を纏った、上品な老紳士。彼こそが件の善人、ジョナサンなのだろう。
「ならば再び眠りに就けばいい。生きるのは辛いだろう」
「……否定はしない」
 生きることは、苦しいこと。
 生き延びる為に罪を重ねた娘は、そんなことよく分かって居た。生を手放せば、苦しみが消え失せるであろうことも。けれども、人生は辛いことばかりじゃない。
 そのぶん、生の喜びもまた在るのだから。

「――私が眠るのは『此処』じゃないわ」

 月下美人が漂わせる甘い馨を、生存本能が拒絶する。纏わりつく眠気を振り払うように頭を振れば、娘は拳を握りしめて立ち上がった。
 嗚呼、死が救いというのなら。
「私はお前の死の『始まり』を告げましょう」
「私は何度でも、蘇ろう」
 老紳士もまた拳を構え、臨戦態勢を取る。暫しの膠着状態の末、先に動いたのはディアナの方だった。己の鮮血によって強化された爪は鋭く煌めいて、彼の躰へ強かに食い込んでいく。
「ぐっ……」
「抗わないで、ジョナサン」
 娘は痛みに藻掻く彼へと、嗜めるように優しく囁いた。紫水曜の双眸に、隠し切れぬ殺意を滲ませながら。
「もう一度死なせて、救ってあげる」
 昏くて狭い、石づくりの冷たい地下室に。あらゆる苦悩は集められ、軈て其れは山と化した。嗚呼、まったく、彼はあまりにも罪深い。

「――おやすみ、なさい」

 苦し気に浅い呼吸を繰り返す善人に、そろそろ止刀の一撃を贈ってあげようか。此の手で、此の鋭い爪で、此の馬鹿げた悲劇に幕を閉じるとしよう。娘はあえかなゆびさきに、渾身の力を籠めた。
 暴虐の前、ただの善人は余りにも無力である――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

戎崎・蒼

なんだ、まだ僕は柩にいた、のか
そう思いながら何故か重く感じる身体を起こす
甘やかな香りは頭を妙にグラつかせ…視界が思わず歪んだ

現れたオルソレグ卿の、言っている事が
──僕には其れが全く理解出来なかった
"生の苦しみから解放されて幸福だろう"って?
全くもって片腹痛い
生は苦しいだけではない…なんて、一般論を振りかざしても意味が無い事は分かりきっている
けれど、死することで救われるのだと謳う其奴を、僕は到底赦すつもりは無い

眠気は魔女の錐を使い、傷を作ってでも耐えてみせる
卿の動きに気をつけつつ、UCを発動
幾数もの手の影達で動きを封じたり、攻撃を加えてみよう
偽りの救済には別れを
──そうして僕は、引き金を引いた



●参ノ幕(弐拾捌)『Deception aversion』
 狭くて、昏い。此処は、何処なのだろう。戎崎・蒼は、茫と双眸を瞬かせる。記憶を辿れば、自ずと答えは見つかった。
「柩にいた、のか」
 こんなものに長居は無用だと、ゆっくり起き上がる。何故だか、躰が妙に重かった。視線を落とせば、柩のなかに敷き詰められた、無数のサイネリアの花弁が視えた。漂う甘い馨を吸い込めば、何だか頭がくらくらして。視界が思わず、ぐにゃりと歪む。
「抗わなくて良い。君もまた、生から解放される運命なのだ」
 カツリ、杖を鳴らしながら眼前に現れた老紳士――オルソレグ卿は、優しい聲彩でそう語る。されど、少年には全く理解出来なかった。
「“生の苦しみから解放されたら幸福だろう"って?」
 蒼は紳士の歪んだ善意を、ふ、と鼻で笑った。
 全く以て片腹が痛い。「生は苦しいだけではない」なんて、一般論を振りかざしたところで、彼とは未来永劫分かり合えまい。
 いま此の場において、議論は何の意味も無い。だから少年は、肯定も否定も紡がない。けれども、ひとは「死」によって救われると謳う彼を、赦す気には到底成れなかった。

 瞼が重くて、視界が霞む。嗚呼、鬱陶しい。
 少年は躊躇うことなく、拷問器具――魔女の錐を取り出して、己の腕を傷つけた。どくどくと流れる血の鮮やかさと、鋭い痛みに自然と意識は覚醒して行く。これで、やっと戦える。
「さあ、晩餐会といこうか」
 潜んで居た影たちが、わらわらとジョナサンに群がって往く。老紳士は鋭い拳で影をひとつひとつ打ち抜いて行くけれど、多勢に無勢とは正しくこのこと。
 幾数もの手は彼の四肢の自由を奪い、さらに増えた影手はお返しとばかりに、彼を拳で殴りつける。此れは影たちの為の晩餐会。容赦も情けも、有りはしない。
 蒼も勿論、其れを見ているだけでは無い。彼もまたマスケット銃を取り出し、細腕で照準を軽々と合わせれば、引鉄にそうっとゆびを掛ける。

「偽りの救済に、別れを――」
 
 そうして彼は、引き金を引いた。
 ドン、と鈍い音が響き渡った次の瞬間、老紳士は静かに崩れ落ちて往く。影手たちは未だ足りぬと、倒れ伏す彼へ群がり続けていた。
 晩餐会は、終わらない。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宮前・紅

あまい、花の香り
棺……戻ってきた、のかな?

話を聞けば
随分と、悪趣味だね

嫌な感覚だ
『死』という恐怖なぞ、とうに捨てて来た筈だった
けれど、深層に沈む心には『死にたくない』という願いと、少しの恐怖が未だ捨てきれずにあって
死んだ状態こそが『正常』であるのならば、俺は『異常』なの?
はっ………笑わせないでよ

UCを発動
俺だけが視認できる暗闇へ引き摺り込む
杖の攻撃は人形で防ぐ
コンツェシュで攻撃、不意討ちを狙い穿つ(フェイント+暗殺+貫通攻撃)

君のその思想は
押し付けがましく粗野で盲目的だと
そうは思わない?
そんな偽善、反吐が出る

同情するつもりは無いけれど、俺は俺なりの救済をさせて貰うね
君は精々───地獄で贖えよ



●参ノ幕(弐拾玖)『Darknessphobia』
 甘やかな花の馨が、鼻腔を擽っている。
 けれども、此処は花畑に非ず。多分、狭くて昏い、棺のなかだ。
「……戻ってきた、のかな?」
 ゆるりと身を起こしながら、宮前・紅は不思議そうに頸を傾けた。柩に引きずり込まれたり、花畑に佇む墓の前へ連れて来られたり、花に浸食されたり。
 嗚呼、今日はなんて日なのだろう。
「君もまた、安寧の眠りへ戻りたいのかね」
「……随分と、悪趣味だね」
 目覚めた彼の前に現れた身なりの良い老紳士――ジョナサンは、慈しむように聲を掛けて来る。其処に潜む確かな憐みの感情に、少年は眉を顰めた。
 まったく、嫌な感覚だ。
 そもそも『死』に対する恐怖なぞ、疾うに棄てた筈だったのに。実際に死へ直面した途端、余裕は一気に崩壊して仕舞った。
 どうやら深層に沈む“こころ”には『死にたくない』、『生きて居たい』という希いと、少しの恐怖が未だ遺っていたらしい。或いは、そんな感情の機微を「生存本能」と、ひとは呼ぶのかも知れない。
「死んだ状態こそが『正常』であるのならば、俺は『異常』なの?」
「君だけではない、総ての人類が病んでいるのだ」
 真顔で荒唐無稽なことを宣う老紳士は、きっともう壊れている。だから少年は遠慮なく、彼の戯言を一笑に付した。

「………笑わせないでよ」

 冷たくそう言い放った少年の脚許から、じわりと暝闇が伸びて往く。それは、彼にしか見えない闇だ。其処に敵を引き摺り込めば、老紳士はぐらりと体勢を崩した。
「無論、冗談では無いとも」
 すかさず杖から剣を抜き放ったジョナサンは、刀身を少年へと投げつける。されど、紅には盾があった。黒い眸をした人形の三姉妹を操れば、少年は彼女たちを壁として刀身を弾いて見せる。
「君のその思想は、押し付けがましく粗野で、盲目的だ」
 そんな偽善、反吐が出る――。
 紅の宝石が煌めく細剣を素早く複製した少年は、其れ等をひといきに善人へと嗾けて往く。密やかに重ねた科白に、隠し切れぬ嫌悪を滲ませながら。
「くっ……」
 飛来する細剣とダンスを踊る老紳士は、既に満身創痍であった。彼がふらついたその瞬間、紅は床を蹴り速やかに敵の懐へと潜り込む。
「同情はしないけれど、俺なりの救済をさせて貰うね。君は精々、」

 ───地獄で贖えよ。

 ぞっとする程に冷たい聲で囁いて、少年は紳士の胸に細剣を突き立てた。骸の海から蘇ったジョナサンの生を、凶刃は無慈悲に蝕んで往く……。

大成功 🔵​🔵​🔵​

百鳥・円


あーいったた。身体が痛いこと痛いこと
狭い柩から出てかるーく伸びましょう
何処にも不調ナシ。何時ものわたしです

……戻ってきたようですね
死に囚われた不思議なひと時でした

わたしを引き込んだ貴女は何を思ったのでしょう
早くなさい、という警告でしょうか
嫌だなあ。分かってますって
我儘言わずにちゃあんと還りますよ

欠片をひとつに戻すまで
精一杯頑張ってみせますから
わたしが終わるまで、生を謳歌させてくださいな


あらまあ、ふふふ。救いだなんて!
――ご冗談を
黒曜の刃で斬り裂いてしまいましょうか

双翼は飾りじゃあないんです
優雅に美しく羽ばたいて
そうしてこのひと時に幕を降ろしましょ

救済を語るあなたは
本当に救われたのでしょうかね



●参ノ幕(参拾)『Boredom aversion』
「あーいったた……」
 曼珠沙華の花弁で飾られた柩から、百鳥・円はゆるりと身を起こす。ぐい、と背伸びをすれば、背骨がみしみしと軋むよう。狭い所にずうっと閉じ込められていたものだから、躰が痛いこと、痛いこと……。
「うん、何処にも不調ナシ」
 少女は己の躰を検めて、満足気に頷いて見せる。先程みた夢のなか、心の臓を突き破るように咲いていた曼珠沙華は、疾うに儚く散っていた。おはようございます、何時ものわたし。
「……戻ってきたようですね」
 柩に敷き詰められた花弁を見降ろせば、安堵が漸く込み上げてきて。少女は「ほう」と、ささやかに吐息を溢す。
 柩に引きずり込まれ、自らの墓を前に花と化し、軈ては土に還る。そんな『死』に囚われた、不思議なひと時だった。
 然し、己を引き込んだ彼女――母は、いったい何を思ったのだろう。
「早くなさい、という警告でしょうか」
 嫌だなあ、分かってますって。憂う様に双眸を伏せて、少女はぽつりと呟きを漏らす。だから、こんな手の込んだことをする必要はないのに。
「我儘言わずに、ちゃあんと還りますよ」
 分かたれた欠片を“ひとつ”に戻す其の時まで、精一杯頑張ってみせるから。どうか、どうか。

「わたしが終わるまで、生を謳歌させてくださいな」

 祈りのような、希いのような科白を柩のなかへ遺して、円は静かに立ち上がる。眼前には杖をついた身なりの良い老紳士、『善人』の『ジョナサン・ランバート・オルソレグ卿』が居た。
「君の死を蝕む生に、救いを与えよう」
「……あらまあ」
 ふふふ、と少女は蠱惑的な微笑を溢す。鈴のような笑聲が、石造りの地下墓所に明るく反響した。嗚呼、おかしい。救いだなんて!
「――ご冗談を」
 彼の言葉を一蹴した少女は、鴉めいた双翼を大きく羽搏かせる。まるで白鳥のように、優雅に、うつくしく、円は地上から飛びたった。此の翼は飾りでは無いから、夜空を自由に舞うことだって出来るのだ。
 宝石糖を口のなかへと放り込めば、少女の翼は更に素早く宙を翔ける。その勢いの儘、少女は空中でくるりと宙返りして真下へと堕ちて往く。獰猛な黒曜が、為す術の無い老紳士を狙っていた。
 さあ、この幻想的な悲劇に幕を降ろそう。いとしいひとの許へ、きっと生きて帰るために。

「貫け」

 黒曜の刃が、ジョナサンの頸を強かに刺し貫いた。驚愕の表情を浮かべた侭、老紳士はずるり、冷たい床へと崩れ落ちて往く。
「救済を語るあなたは、本当に救われたのでしょうかね」
「私は……――」
 今際の言葉を遺す暇も無く、彼の躰は光の粒子と化して行き。軈ては、影も形も無くなって仕舞った。
 斯くして、善人は再び安寧の海へと還ったのである。

 此の世界のひとびとは、そして猟兵たちは、これからも未来へ進んで行く。
 「生」と云う病に侵されて、「感情」と云う名の“生存本能”に苦しみ、安らかなる「死」を蝕みながら。
 されど、感情を抱くことも、誰かと縁を紡ぐことも、何かを経験することも。総ては、生きているからこそ出来るのである。
 嗚呼、素晴らしき我らが病に喝采を。

 どうか総てのタフィフォビアに、祝福あれ――。

大成功 🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2021年03月27日


挿絵イラスト