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雨の向こうのかえりみち

#カクリヨファンタズム #宿敵撃破

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#カクリヨファンタズム
#宿敵撃破


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 ごしゅじんに出会ったのは、雨が降る日だった。
 ぼろぼろの段ボールに押し入れられた猫を拾って、頭を撫でてご飯をくれた。それだけでごしゅじんが大好きになって、ごしゅじんも大好きだと言ってくれた。
 そうして――。
 猫を置いて逝ったごしゅじんがいた。
 ごしゅじんのところに帰る道を見失った猫がいた。
 猫とごしゅじんは離ればなれになった。
 そういう猫が沢山集まって、ルーサンというものは生まれた。集まって不明瞭になったごしゅじんの顔を、それでも覚えて、今日も街角に座っている。
 迎えに来てくれるかも知れないからだ。この辺りはもう、とっくの昔に探し終えてしまった。毎日歩き回っても見つからないから、きっとすれ違ってしまっているのだろう。ごしゅじんが探してくれているのなら、自分はここで待っているべきだ。
 幾年待ったのか、猫のかたちをしたものは、よく覚えていない。
 何年でも変わらなかった。目の前にそのひとが現れて、懐かしい手を伸ばしてくれただけで、会えなかった時間のことなどどうでも良くなってしまったから。
 あの日のように差し伸べられた腕に、今度は自分から飛び込んだ。かえりみちはようやく見つかった。
 ――ただいま、ごしゅじん。
 猫の声は、雨の音に烟って消えた。


「時よ止まれ、お前は美しい」
 ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(竜吼・f01811)の声が淡々と紡ぐ。
 グリモアベースはそれで崩壊したりはしない。しかし破滅を齎される世界がある――というのは、予知が成った時点で自明の理だ。
「世界破滅の呪文にしては綺麗な響きだな。まァ、お陰でカクリヨはまた大変なことになってるわけだが」
 迷い猫の魂の集合体が、そのうちの一つを迎えに来た主人に呑まれた。
 とうに骸魂となってしまった主人との再会を喜ぶあまりに、世界を壊す呪文が口を衝いたのだろう。映し出される世界には止まぬ雨が降り注ぐのが見える。
 叩き付けるようなそれとは遠く、けれど視界を烟らせるような雨だ。降り続ければじきに水底に沈むのは目に見えた。
「このままじゃあ、世界は追憶と洪水に呑まれて破滅する。心苦しい話だが、早いところ引き離してやって欲しい」
 ――さりとて、雨は猟兵の邪魔をする。
 地を叩く音が聴覚を奪うだろう。視界は霧めいた雨粒に邪魔をされ、既に溜まり始めた水が足の動きを阻害する。傘を差したとて、覆いきれぬ服が濡れれば体は重くなるだろう。そうでなくても、水は刻々と体温を奪っていく。
「だが心配することはない。ヒント――というか、行く先は分かっているんだ」
 かえりみち。
 ――子供のような字で記された看板が、そこかしこに立っている。示す方向を追っていけば、道に迷うことはないだろう。
 だが。
「先に言っておくと、悪意はないんだ。骸魂としての性がそうさせるというだけで――あァ、間怠っこしいな。つまり――」
 看板を辿った先に見えるのは、己の原風景だ。
 或いは喪われた帰途かもしれない。とうに消えた場所かもしれない。帰りたくて届くはずのない――届いてはならないものかもしれない。
 そうでなければ。
「二度と帰りたくないと思った日のこと、とかな」
 優しいものにしろ――恐ろしいものにしろ。
 心に一番強く浮かぶ、今の己が己となるために必要だったものの全てだ。
 足を止めなければ、雨に映る原風景の中で、見慣れぬ猫が待っている。
 全てが終われば雨は止むだろう。そうすれば、曇天の向こうに冬の澄んだ星空が見えるはずだ。
「折角だ。星でも見ながら、ゆっくりしてはどうだ。どうせなら、寂しい思いをしているであろう猫に声を掛けるのも良いかもな」
 雨上がりの星は美しいと相場が決まっているであろう――。
 笑った男の手の内で、グリモアが瞬いた。


しばざめ
 しばざめです。
 天気痛が酷い方です。

 今回のシナリオでも(例によって)心情メインのプレイングをお送り頂ければと存じます。
 一章では、雨の中の「かえりみち」を辿ります。皆様の原風景をお教えください。感情の好悪は問いません。お二人以上でのご参加の場合、「原風景が同じ」「誰か一人の原風景を全員が見る」「一人一人に違ったものが見える」「違ったものが見えているが、グループ内の誰かの景色も認識している」、どれでも大丈夫です。
 二章で骸魂との対決、三章が日常章です。
 プレイングの受け付けに関しましては、断章およびMSページで随時お知らせいたします。
 お目に留まりましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
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第1章 冒険 『雨の中の永遠』

POW   :    雨具など使わず駆け抜ける

SPD   :    雨具を使い抜ける

WIZ   :    廻り道して雨を避ける

👑7
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。



 ――雨の音がする。
 一歩でも踏み込めば、一歩先も見えぬ雨の帳が広がっているだろう。
 底冷えのする水の感触と、声すら呑み込む静寂の中で、ただ一つ猟兵たちの目に映るものが見えるだろうか。
 点々と立つ『かえりみち』と記された看板だけが、進む道を示しているのが。

※プレイングの受け付けは、【1/4(月)8:31~1/7(水)22:00】とさせて頂ければと存じます。
琴平・琴子
〇◇

この光景はあの日の帰り道

――帰りたくない
帰ったら、出遭ってしまう
暗い所から出てきた、あれが、あの人が

幼い私を傷つけようとして
触れようとしたあの人
顔は笑っているのに目が笑って無くて
暗い所にいたからただ不気味だった

声も出なくて
足も動かなくて
でもあの時は助けてくれた人がいたから
良かったけれど

――あの人がいない、帰り道だったら?

声が出る自信はない
足が動く自信もない

だけど、この子がいる
親からもらった防犯ブザーがある
ぎゅうっと握り締めて歩いて行こう

怖くないといったら嘘になる
でも、歩いて行かなきゃいけないの
足は前に進むために前を向いてるから
目は前を見るために前にあるのだから

明るい、未来に向かうために




 踏みしだく水の音が、いつの間にか遠のいている。
 かえりみちの看板を追って、霧雨の中を歩いていたはずだった。足に絡みつく泥濘も、傘を叩いていた雨音も聞こえなくなって、 琴平・琴子(まえむきのあし・f27172)は瞬く。
 ――その刹那に幻影が生まれたのか。
 ――それとも、ずっと前から目の前にあったのだろうか。
 あの日までは何でもなかった午後の静けさが、ぽっかりと口を開けて待っている。太陽が差し込むのはほんの入り口だけで、覗き込めば不明瞭な薄暗がりが広がっている路地裏が、琴子の行く横にある。
 帰りたくない――。
 うちに帰りたい。帰りたいけれど、この『かえりみち』は、嫌だ。
 足が竦んで、体がぎしりと音を立てた気がした。自然と浅くなる呼吸を意識して、心臓を鎮めるために深く息を吸った。
 帰ったら。
 通ったら――出遭ってしまう。
 あの日、何でもなかった暗がりから突然現れた『それ』は、ひとの顔をして琴子の腕を強く掴んだ。息を詰めて見上げた唇に笑みを貼り付けているのに、目だけがいやに爛々と光って、恐怖に竦む少女を暗闇へと引きずり込もうとした。
 たったひとりで帰路を辿る小さな女の子は、獣性に狂った人間の格好の餌食だったのだ。だから琴子が選ばれて、引きずり込まれて、触れられそうになって――一生消えない傷を付けられそうになって――。
 あのとき。
 全てが手遅れにならないうちに現れたそのひとが、彼女を救ってくれた。息の出来ない暗がりから、琴子には到底振り払えなかった恐ろしい腕を解いて、光の中へと連れ戻してくれた。
 だから、こうして立っていられるけれど。
 静謐な道に音はない。幽かな風のざわめきすらも聞き取れるほどの静寂の中に、あのひとが来てくれる保証はどこにもない。
 ――もしも、『あれ』が現れて。
 ――あのひとが来てくれなかったら、琴子は。
 逃げられるだろうか。声を張り上げられるだろうか。何度己に問い直しても、確たる答えは戻って来ない。
 けれど――。
 胸元に揺れるお守りを強く握る。からからの口を湿らせるように、止めていた息を吐いて、あたたかな記憶の片鱗を担う手の中のものを見た。
 防犯ブザーをくれたのは、血相を変えて琴子を抱き締めてくれた両親だった。何かあればすぐにこれを鳴らせば良い。足が動かなくても、声が出せなくても、この子が代わりに琴子を守ってくれるから――。
 踏み出した一歩に、迷いがないとはいえなかった。
 暗がりは怖い。あの日の帰り道は、もっとずっと恐ろしい。けれど、これ以上足を止めるわけにはいかないのだ。
 恐怖に竦むだけでは、あのひとのようにはなれない。
 前に向かって歩くために、この足が動く。
 前を真っ直ぐ見詰めるために、翠玉の眸は前で瞬くのだから。
 あのひとが、暗闇から光の下へと助けてくれたように――明るい未来は、いつか目の前に開ける。それを確かにこの手にするために、人は歩いて行くのだ。
 真っ直ぐに前を向く少女の耳に、りんと鈴の音が聞こえた気がした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

旭・まどか
〇△

雨が降っている

傘を打つ音は左程嫌いではない
足を取られるのはあまり、好ましくは無いけれど

案内を頼りにゆっくりとした足取りで進む

見慣れぬ街並みは次第に深い森の中へと姿を転じ
曲がり角に設置された看板の方へと進む毎に
緑は深まり、徐々に道さえも失われていく

事前情報として得ていた情景は想像するに違わないもの

嗚呼、そうでしょう
だって“僕”の原風景なんてものは、存在しない

この空っぽな身体にあるのはお前の記憶と記録だけ

ほら、直にお前が此処に姿を現す
ただの記録の再現である、お前の姿が

だから僕は足を停めない
どれ程長い時間此処に居ても
この記録に先が無い事を知っているから


僕にとってのかえりみちは、何処にも存在しない




 ――雨が降っている。
 傘を叩く水の音だけがする。色も、音も、何もかもを奪う霧の雨が、旭・まどか(MementoMori・f18469)を世界から切り離していた。
 リズミカルな音を聞いているのはさほど嫌いではない。踏み出した足に纏わり付く水の不愉快な感触には、少しだけ眉根を寄せてしまうけれど。
 案内の看板はよく見えた。見慣れぬ街の景色すら目を凝らしても烟るというのに、まるでそれだけが唯一の道しるべだと示すように、『かえりみち』だけが灰色の視界へ光を灯す。
 まどかの足取りに迷いはない。
 看板の示すかえるべき場所へと、ゆっくりとした足取りが水を踏む。跳ねる一滴の音すら吸い込む雨の最中で、傘と道しるべだけが色を孕む。
 そのうちに、街の姿は朧に霞んだ。代わりに周囲を包むのは、深い森のむせかえるような緑だ。今にも木々のにおいが鼻をつきそうなものなのに、何も感ぜられないのは、雨のせいか――或いはただ、幻影が目の前にあるが故かも分からない。
 看板は続いている。聞こえぬ葉擦れの音の奥、道とすらいえぬ獣道の先、何者も立ち入らない深みの果てまで。
 困惑するように、道ですらない場所で立ち尽くす看板に、去り際ふと指を伸ばす。
 動揺はない。
 こうなることを――最初から予想していた。
 ただ他者の生を映したこの身に、原風景などない。刻まれたのは、忘れもせぬたったひとつの命だけ。その過去のはじまりを映すというのなら、それは――既に亡い記憶と記録を擦り切れるまで繰り返す、レコードのようなものだ。
 だから、次に起こることも分かっている。
 鬱蒼と茂る緑の間を掻き分けて、在りし日の『お前』が現れる。まどかのよく知る姿で、まどかのよく知る顔で、まどかに駆け寄って来るのだろう。
 足を止めることはない。込み上げるものなど、空疎な胸裏に抱いた遠い痛みだけだ。
 今、ここに来る『彼』は――。
 ただの記録だ。まどかの中に記されて、消えることのない烙印が、ただそこで空転しているだけ。死ぬはずでなかった『彼』が死に、生まれる意義すらなかったまどかがここで息をしている――ただそれだけの、いたく残酷な事実を突きつけてくるだけ。懐古が生むあの日々の幸福の象徴でも、鮮烈な痛みの記憶でも、まして彼が帰り着くべき場所でもない。
 追憶ですら――。
 落ち葉を踏みしだく音が、一人分に重なって消える。通り過ぎた記録の褪せぬ顔を振り返ることはしない。
 何をしたって。
 何を思ったって。
 この記録に先はない。この記憶に次はない。まどかが幾度となく再生される『彼』と共に見られる光景は、とっくにこの世になくなった。
 もう――『彼』は亡い。
 かえりみちをなくした迷子の惑わぬ足取りに、ひどく寂しげな猫の声が、聞こえた気がした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

レティシア・ヘネシー
〇◇
【錬成カミヤドリ】で自身の車の複製を出し、看板を辿る。

看板に辿り着く事に、レティシアのかつてのオーナー達のガレージ(帰る場所) が広がる。
色々な時代を経験した。宝のように磨かれコレクションされていた時代、仕事(酒の密輸)のお供として修羅場を何度も潜った時代、非合法レースの相棒として大破するまで走り続けた時代、スクラップ同然の状態から「RAT ROD」へと昇華させられた時代。

歴代オーナーはもう居ない。かつてあった帰る場所も存在しない。だけどそれでいい

どんな形であれ、強い想いを込めて使ってくれたからこそ、今ここにレティシアは存在しているのだから

次は自分で、帰る場所を探すよ




 車の帰る場所など、きっと決まっている。
 地に溜まった水を跳ねさせながら、雨の中を車輪が行く。この程度の雨でタイヤが取られるようなヤワな作りではない。エンジン音すらも呑み込む霧雨のうちで、自分自身に乗った少女がしっかりとハンドルを握っていた。
 レティシア・ヘネシー(ギャング仕込のスクラップド・フラッパー・f31486)には、かえりみちが沢山ある。
 幾度も切り替わる景色の中で、誘うように懐かしい声がする。百余年の間に数多の主を渡り歩いた車の辿った道は、スクラップ同然の見目となってなお、輝かしい記憶に満ちている。
 ――ここは宝物庫。
 レティシアをいたく気に入った主が用意してくれた車たちの城だ。一片の曇りもないようにと磨き上げられた車体が静かに並ぶ。彼女もまたそのうちの一つとなって、コレクションとして存分に愛されて来た。
 きっと今に、時代の割に厳重なガレージの扉を開けて、上機嫌なオーナーが現れる。一台ずつ丁寧に見て回り、そうしてレティシアの前に来たときに、ひどく嬉しげな顔で手袋が触れるのだ。
 通り過ぎて、霧雨が新たな景色を描く。
 打って変わって、狭苦しい塒だ。オーナーの声はいつも潜められていて、けれどどこか騒々しい。
 あの頃のレティシアには、酒のにおいが染みついていただろう。非合法の密造酒を運ぶのが彼女の仕事だった。ありったけのガソリンと駆動力で、幾度も悪路を走った日々が、このガレージを見るだけで思い返される。
 主の行く先にはいつでもトラブルが待ち受けている。修羅場に響く銃声と罵声と、道とタイヤの擦れる騒々しい音。今だって、レティシアはあのときのように走れる自信があるけれど――もう一度あの頃のように走り続けろと言われたら、少しだけ苦笑してしまうかもしれない。
 そのまま、ガレージは更に煩くなる。
 車としての本懐を存分に果たし、泥にまみれた栄光を勝ち取って来た。この身が相棒たるオーナーと共に得て来た称号はどれもが誉れあるとはいえない。
 法に背いたレース会場の、タイヤが浮つくような緊張感。毎回のように壊れる寸前まで酷使される車体を修理されながら、けれど確かに心地良かった。流石にあの頃のような無理をする気にはなれないが。
 それも、彼女が大破するまでの間だ。
 それから――今の、スクラップと変わりないような姿で、けれど走り続けていられる理由。オーナーが何を気に入ったのかは分からない。けれど、手ずから改造を受けた彼女が得たのは、『RAT ROD』として未だ走り続ける権利だ。
 ――彼らも、今はもうどこにもいない。
 それに寂寥がないではない。けれど心を抉る痛みではなく、遠い残響の波濤が呼ぶ郷愁にすぎない。
 良いのだ。
 彼らは消え、彼女がいる。それこそが、レティシアがレティシアとしてここにいる理由だから。彼らの想いが積み重なった末の――彼女だから。
「次は自分で、帰る場所を探すよ」
 囁くような優しい声は、雨の最中にそっと消えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニャコ・ネネコ
○/POW

あめ、あめ、ざあざあ
にゃあに、おうちはもうないにゃ
かえりみち、そんなのあるにゃ?
でも…

ネネコ、ネネコ…って、にゃあを呼ぶ声がするにゃ
やさしくて、なつかしい声
にゃあの名前は、今はニャコだって言ったのに
それでもあのひとは、にゃあをずっとネネコって呼ぶにゃ
からかうみたいだけど、やさしいこえで
「私にとっては、お前はずっとネネコだよ」って

―おばあちゃま、いまはもういない、
にゃあのたったひとりのあるじさま
おひざのぬくもり、あめのさむさの中でも、まだおもいだせるにゃ
にゃ、たとえまぼろしでも、もうすこしだけこのまま―

思えば、にゃあも、もし生まれがちがっていたら
あのこたちの一匹だったかもしれないにゃ…




 雨が降る音が、ざあざあする。
 他に何も聞こえないまま、一匹の猫が看板の前に立っていた。かえりみちを示すというそれに語りかけるように、ニャコ・ネネコ(影色のストレガ・f31510)がゆらりと尾を揺らす。
「にゃあに、おうちはもうないにゃ」
 拾われた先の主はもういない。この土砂降りの中をどこまで歩いたって、どこにも辿り着けないはずだ。ひとりと一匹が暮らした穏やかな家までの道を辿ったって、その先がからっぽなのじゃあ意味がない。
 だから、問いかけるのは看板を立てた猫たちへ。おうちに帰れたと彼らは言うけれど、ニャコのおうちはどこにもないのに――。
「そんなのあるにゃ?」
 首を傾げる猫の前にあって、看板は何も言わない。ただ、この先に進みなさいと、優しく促すように立っているだけだ。
 雨の中をゆっくりと歩き出す。水に触れる肉球が冷たいけれど、魔女たるものはこんなことに屈しない。
 ――ざあざあと、ばしゃばしゃの狭間に、別の音が聞こえた気がして。
 ニャコが振り返る。耳をぴんと立てて、ほんの小さな音を拾おうとする。だってそれは、ひどく懐かしい温度をしていて――。
「ネネコ、ネネコ」
「――おばあちゃま?」
 ようやく見上げた先に、忘れもしないひとがいた。
 しわがれた声は拾われたときから変わらない。皺くちゃの唇にやさしい笑顔を浮かべて、椅子に腰掛けたそのひとがいる。
 おいで、と膝を叩くのはだっこの合図。誰かに見せるにはちょっと子供っぽすぎる気がするけれど、魔女と猫だけの空間では一番のご褒美だ。
 ふと気付けば、慣れ親しんだ家の中にいる。身を打つ雨の音はまだ聞こえるし、この身はずぶ濡れで、冬の雨の冷たさを感じているけれど――窓に守られた空間の裡側で、お互いの声はよく届いた。
「にゃあの名前、今はネネコじゃないにゃ。ニャコっていうにゃ」
「そうかい、ネネコ」
「ネネコじゃないって言ってるにゃあ」
 つい習性でぶるぶると身を震わせれば、毛に付いた水が飛び散る。それを気にする様子もなく、魔女は穏やかに、少しだけ揶揄うような声を上げた。
「私にとっては、お前はずっとネネコだよ」
 ――ああ。
 ――おばあちゃま、どもっちゃったにゃあを、おんなじような顔して『ネネコ』って呼んだんだっけ。
 込み上げてくるものを誤魔化すように、ニャコは細い腕の中に飛びついた。膝の上で丸まったって、ここにたったひとりのあるじさまがいないことは分かっているけれど。
 今だって思い出せるのだ。
 あたたかな部屋の中で、膝の上で丸くなる幸福も。そこに連なる沢山のさいわいも。この冷たい雨の中でも、凍てつく冬の寒さの中でも――。
 だから、もう少しだけで良い。
 この手に撫でられる、今はもうない感触を、もう一度この身に刻ませて欲しい。
「もし――」
 ちりん、と、聞き慣れない鈴の音がして。
 魔女の膝の上で顔を上げたニャコの目の前に、寂しそうな顔をした猫がいる。真っ直ぐに見つめ合う二匹の猫のうち、主の膝にいる濡れ鼠が、声を漏らした。
「もし、生まれがちがってたら、にゃあも――」
 主を喪って。
 かえりみちをなくした迷子猫に――。
 にゃあ、とひどく淋しげに鳴いたのは、どちらの猫だっただろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英
かえりみち
看板にはそれしか書かれていないね

ナツが何かを感じていると思ったら
なるほど。寂しがっている子がいるのだね

優しい景色が広がっていた
桜の世界の、駄菓子屋とタバコ屋
あれは私も良く知る風景だ
駄菓子屋も、タバコ屋も未だ変わらずそこにあるが
もう二度と戻る事の出来ない風景だね

嗚呼。そうだとも
これは祖父との優しい思い出だ

懐かしい景色の中を使い魔のナツと歩く
もう二度と戻れない景色は残酷なほどに優しい
タバコの香りも漂って来そうだ

嗚呼。見知らぬ猫がいるね
君がその猫かい
此処は私の思い描く場所だよ

寂しいのなら、共にくるかい
……君には待ち人がいたのだったかな

かえりみちは、此方で合っていたかな




 腕の中で猫が鳴いている。
 猫どうし、何やら通じるところがあるのだろうか。傘を差して歩みを進める榎本・英(人である・f22898)が抱える白い仔猫が、看板の先を示して急かすように鳴き声を立てる。
「なるほど」
 かえりみちとしか書かれていない看板を見る。
「寂しがっている子がいるのだね」
 どこに繋がっているのか、知る由もない。ましてこの世界に懐かしむ景色そのものはない。そう知っている――けれど。
 ゆっくりと歩みを進める英の靴が叩く地面が、見知ったそれに変わる。
 舞うのは、彼の出自にしか咲かない永遠の薄桃だった。幻朧桜の甘やかな香りが、雨に鎖された嗅覚にも蘇る。
 偏屈な老婆が睨むように見る煙草屋がある。駄菓子屋も並んでいる。今とて変わらぬその景色がいっとう特別に感ぜられるのは、直感に近しい違和感がその場を包んでいたからだった。
 ――今と同じで。
 ――今より、昔の。
 その頃、英の隣には祖父がいた。今の歩幅でいえば大したことのない距離が、たいそう遠くに見えていた時分だった。こちらを見下ろして名を呼ぶ祖父と歩く時間は穏やかで、もう二度と戻らぬ憧憬の時間が、ひどく懐かしく胸を打つ。
 今の歩幅は、もう、祖父に近くなっているのだろうか。
 祖父のように緩やかな歩みに、白い仔猫のナツが鳴く。あの頃より高い視点から見る景色が、余計にあかあかとこの手を染め上げた事実を突きつけるようだ。
 心の奥が――。
 突き立てられた杭を、忘れるなと蠢いている。
 どうしたところで過去が戻らないこと。紡ぎ続けることで、亡くした命の真なる死を遠ざけていること。煙草の香りまでもを垣間見るような幻灯が、この光景に不釣り合いな己をまざまざと映し出している。
 深く息を吐いて――。
 にゃあと猫が鳴くのを聞いた。
 全身が灰色の猫は、見慣れない顔で英を呼ぶ。ひどく寂しげな声が静謐な幻影に揺らいだ。
 ゆるゆると歩み寄れば、猫はじっと男の顔を見上げた。
「君がその猫かい」
 ――にゃあ。
「此処は私の思い描く場所だよ」
 懐かしくて――。
 美しくて。
 どうしようもなく心を抉る、残酷なまでに優しい記憶のはじまりだ。
 ここには誰もいない。英以外の誰もが、現実と虚構のあわいに揺らいだ幻影だから。
「寂しいのなら、共にくるかい」
 申し出を断るようにして、猫は背を向けた。ほんの数歩を進んで立ち止まるそのさまは、まるでどこかに導いているかのようにも見える。
 抗わずに歩き出す腕の中で、ナツが鳴く。応じるように、猫も鳴いた。
「……君には待ち人がいたのだったかな」
 ならば向かう先はそこだろうか。
 ようやく出会えた主――この猫にとってのかえりみちを辿って、英をどこに連れて行くのだろう。過去にあった帰る場所はとうに堕ちて赤く消え、今はただ、春嵐に在る『人』だというのに。
「かえりみちは、此方で合っていたかな」
 問いかける静かな声に、猫はただ、一鳴きで応えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

片羽・サラ
〇△

足を進める
思い出に辿り着ける気がした
僕が私が今に至るもの

家族に愛されなかった私を救ってくれたのは、闇に閉ざされた人の心を救う組織だった
彼らは家族になってくれた
そのまま組織入りし、出会った人達に同じ救いを齎すべく行動する
ーーそこまでがサラというバーチャルキャラクターに課せられた設定である
しかし、彼女はそれを記憶と認識している

どうして私だけ具現化したんだろう
皆に会いたい
寂しいよ…
外で出会った皆は大切で
でも私の起源である家族との想い出は今も心の深くに根ざしている

…!!
皆…!
駆け寄って腕を広げた
相棒と呼ぶ美しい女顔の少年の腕に飛びこんだ
私を一番に見つけて救ってくれた人
家族が出迎えてくれる
ただいま




 今なら、辿り着けるような気がした。
 忘れ得ぬ想いを抱く場所がある。もう還れぬ愛しい世界を辿る『かえりみち』が、目の前に示されている。
 どこまでも優しい誘いを見遣って、片羽・サラ(星空蝶々・f29603)はひとつだけ息を吐いた。烟る視界を閉じて、雨の音だけを捉える聴覚に、暫し心を委ねる。
 ――ゆっくりと、目を開いて。
 真っ直ぐに歩みを進める。その先にあるはずの記憶を、確かめるように。
 家族に愛されなかった女の子を迎え入れたのは、人の心を救う組織の人々だった。
 闇に鎖され、絶望に打ちひしがれる誰かを救う正義の味方たち。やわらかな心を傷付けられ続けてきた少女に優しく手を差し伸べて、家族として彼女の傍にいてくれた。
 そうして、傷を抱えたまま優しさに触れて育った少女が、彼らのように生きたいと思うのは当然のことで――。
 そのまま組織の一員となった彼女は、今度は自分が闇に囚われる人々を救うために立ち上がる。真っ直ぐな星の眸に意志を宿して、この世に尽きせぬ痛みを少しでも払わんとするのだ。
 ――それが、『片羽・サラ』と呼ばれるバーチャルキャラクターに課せられた設定だった。
 そこに付随するどんな温かな記憶でさえも、彼女に付与された『設定』がもたらすものに過ぎない。けれどそれが、少女の記憶として確かに存在してしまうからこそに、歪んだ眉の下には隠し通した寂しさが去来する。
 ただひとり。雨の中で歩き続ける足に、冷や水が忍び寄る。胸を刺す空疎な痛みをこらえるように胸元を握って、込み上げる疑問を飲み下さんとした。
 ――どうして。
 この世界に具現化したのは、彼女一人だ。うち捨てられたデータの中から選ばれて、猟兵になって――。
 得たものは沢山あった。出会った人々と分かち合う感情の、何もかもを悪いことだとは言えないけれど。
 一番の奥底に根付く記憶の場所が、世界のどこにもないことが、狂おしいほどに胸を抉るのだ。
 雨の中をひとり歩く少女の前に、ふいに光が過った。思わず顔を上げて――息を呑む。
 ほんの少し離れたところ。あと十歩もせぬうちに届く場所で。
 忘れもしないひとたちが手を振っている。サラを呼んで笑っている。喉が鋭い音を立てて、零れ落ちたのは歓喜の声だ。
「皆……!」
 数歩の距離すらもどかしい。がむしゃらに駆け寄って、体勢を崩すより先に腕を広げて飛び込んだ。皆の笑顔に囲まれて、受け止めてくれる腕はたったひとつ。
 相棒――。
 どこか中性的で、うつくしい少年。闇の中に囚われていたサラを見つけ出してくれた最初の光――彼女の救世主。
 懐かしい温度と香りに包まれて、喉が震える。もつれて上手く出せない声を振り絞り、やさしい居場所に向けて笑うのだ。
「――ただいま!」
 震える声で、しかしはっきりと笑う耳奥に、鈴の音が過ったような気がした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

クック・ルウ

ああ、懐かしいな
師匠……育ての親と暮らした場所だ
スペースシップワールドの
おんぼろスペースコロニー
度重なる戦禍でどこもボロボロだった景色
遠くに私達の家が見える

あの人は必ず帰ると言ってくれたのに
約束も、家も、守れなかった
船は墜ちて
帰り道は失われた

猫、お前は会えたのだな
私もここで師匠を待っていれば良かったのだろうか
そうしたら……なんて、思ってはいけないな

雨に打たれるに任せて進もう
雨も涙も全て混じるのなら都合が良い




 霧雨が不意に止む。
 水のにおいだけが満ちていた鼻腔を、ひどく懐かしい温度が擽った。はたりと瞬いたクック・ルウ(水音・f04137)の真白の眸が、映る景色に細められる。
「――ああ、懐かしいな」
 焦げ臭いような油のにおい。素人でもそれと分かる、継ぎ接ぎだらけの内装。時々どこかの配線が立てる、弾けるような音。もっと新しい時代の艦とは比べ物にならない、それでも確かに宙の海を走り続ける人の船。
 クックと、クックを育てたひとを包んでいた、おんぼろスペースコロニーの中だ。
 生まれ育った地を追われ、足をつけて暮らす地面を失った人類を、銀河帝国はなおも許さない。過去ばかりが堆積する地獄の底からでも這い上がり、生きとし生ける全てを滅ぼさんと追ってくる。
 そういう世界だったから――。
 どこを見渡しても、力尽きた同胞らが遺した巨船の残骸や、戦いの後に残されたパーツの断片が漂っていた。遠くで瞬くのは恒星の光ではなく、きっとどこかの艦が放ったレーザーの軌道だ。無数の死と生の狭間で無尽蔵の過去に追われ続けるのはこのコロニーもまた同じで、けれどそのどれもを潜り抜けてきたからこそ、クックと『師匠』は生きていた。
 懐古に包まれて立つ彼女の目に、家が見える。
 ずっと遠くに建つそれが、ふたりが暮らした場所だった。
 ――必ず帰る。
 だから――。
 巡る声が胸裏に深い傷を刻んだ。果たせなかった約束が永劫に渦巻いて、肺に重い蓋がされたような心地がする。
 戦禍に包まれて、とうとう船は墜ちた。
 クックは何も守れなかった。家も、約束も。必ず帰るとあのひとが言ったのに、あのひとの帰る場所を亡くしてしまった。大切な居場所を、長い長い戦いのうちに沈んだ船のひとつにしてしまった。
「猫」
 ――にゃあ。
 どこからか現れた灰色の猫が、クックの隣に座っている。尻尾を揺らして見仰ぐその双眸に、乳白色のまなこが茫洋と落ちる。
「お前は会えたのだな」
 クックは会えない。
 雨の裡に見える幻影にすら、敬愛する育ての親の姿はない。差し伸べられる手も、脳裏に焼き付く顔も。
 しゃがみこんで指先を伸ばせば、猫は一声鳴いた。主を見付けたと聞くのに、ひどく寂しそうなその声に、俯いたタールの唇を噛み締める。
「私もここで師匠を待っていれば良かったのだろうか」
 未来は変わっただろうか。
 待ち続けていれば、また一緒に食事が出来たのだろうか。
「そうしたら――」
 伸ばした指に水滴が跳ねる。
 見上げた先で雨が降り注いでいた。引き結んだ眦に、深く揺れる息を吐いて立ち上がる。
 ゆっくりと踏み出した足が前に行く。どんな景色が目の前に広がろうとも、雨が降っているなら立ち止まる理由もない。
 悔悟も。
 涙も。
 霧雨も――。
 全部混ざり合って、どれもが同じように、流れていくから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朱酉・逢真
ダチと/f28022
光景)(天地時なき異次元世界)(人知を超えた怪物があふれ)(光がすべてを飲み込み滅ぼし。にじみ出た闇が飲み返し)(そのとき、何もかもが凍って。隙を逃さず、光がすべてを支配する)
心情)年も明けたし初心忘れず。なつかしの景色、見に行こうぜダチ公。ひ、ひ。寸毫も忘れんあの屈辱。《俺》の"敗北"。神に堕ちた因。《朱酉・逢真》のオリジンだ。そうだな。かけらも恨んでないぜ。ああ、怒りもない。赦しているさ。俺が思うのは《あの女》だけ。憎むも恨むもただ《あのアマ》さ。お前さんも知ってるンだろう? 罪だ罰だは知らねェが。お前さんの気が済むならたっぷり受けな。


オニキス・リーゼンガング
友と/f16930 「原風景が同じ」
光景)(場所は同じ。光景も同じ)(ただひとつ。闇が広がったそのときに、すべて凍らせたはこの私)
心情)年のくぎりなど興味のないくせして。ですが、ええ。喜んで。
懐かしいですね、この光景。
わたくしが横槍を入れなければ、あなた勝てていたかも。
恨まないので?
ふふ。ええ、赦されると知っての暴挙でした。
まあ直後にわたくし、《彼女》に殺されまして、妻子・国・民と滅びましたから。
目的も果たせず守るものもなく、悪霊になって働くが"わたくしの現在"。
これで罰ということで。




 立っている。
 浮いているのやもしれない。或いはそのどちらでもない。天も地もないこの世界に、立つことと浮いていることの違いを示すのは無意味だ。
 永いことここにいる気もするし、瞬きの刹那に生まれたような気もする。時のないこの場に、それを求める意義もない。
 這い出る異形の怪物どもが空間を埋め尽くす。瞬く間に――或いはゆっくりと――世に染み出る手勢が猛る声を上げるよりも先に、遙か遠くのまったき白が全てを覆った。
 異形を焼き滅ぼした光が何もかもを呑んだ。世の全てが苛烈に支配されるその刹那に、滲み出る黒が浸食を始める。光を嘗める闇が、静謐にて煌々たる白色を呑み干さんと、境界を越えて――。
 ――全てが凍る。
 凍てた風すらも結晶へと変わった。何もかも奪われた一瞬で、光が満ちる。
 それで――。
 終わりだ。
「年も明けたし初心忘れず。なつかしの景色だな、ダチ公」
 光だけが満ちるそこに在って、朱酉・逢真(朱ノ鳥・f16930)は長閑に声を上げた。
 隣に並んで、オニキス・リーゼンガング(月虹に焦がれ・f28022)が目を伏せたまま息を吐く。見えてはいない。“視”えてはいるが。
「年のくぎりなど興味のないくせして。ですが、ええ――」
 懐かしいと思うことを、否定しようもない。
 今より遙か遠い過去と未来と、同時に今この瞬間に、この異次元に齎された決着の瞬間である。全ての闇と全ての光がぶつかり、凍り、そして光が勝った。実体ある神へ堕ち、軛に収められ、永劫の死と生を繰り返し『生きる』ことを課せられた闇の果てが――。
 オニキスの隣で異形の右目を瞬かせる逢真だ。
 元より生命たらねば、死も生もない。病は病を患わぬ。死は死なぬ。その逆もまた然りだ。生の概念は生きているまい。それがこうして仮初めの肉を得て、現世に降り立ち友と語らい、懐古に身を浸すことの――何と屈辱的なことか。
 敗北の味を片時たりとも忘れたことはない。今この刹那にも殺し合い続ける半身。忘れることのない陽。そうでなければ、その裡側に飼う陰。いずれにせよ――逢真がその名を記すなら、対極と呼ぶ。
 唇を持ち上げて喘鳴めいた笑声を漏らす友が、オニキスの伏せた双眸に映る。盲いた目には、捉えるというほど明確なものは見えない。
 故にか――。
 息とともに零した声は、懺悔と言うには軽い調子で響いた。
「わたくしが横槍を入れなければ、あなた勝てていたかも」
「ひ、ひ。そうだな」
「恨まないので?」
 ――氷を撒いたのは、己だ。
 対極同士の戦いに手を出して、あまつさえ趨勢の決定を左右した。全く以て無粋な横槍だと憤慨されようとも、この場で縊り殺されようとも、文句が言えることではないだろう。
 けれども――オニキスの予想通りに――逢真はいつもの調子で笑みを描くのだ。
「かけらも恨んでないぜ。ああ、怒りもない。赦しているさ」
「ふふ」
 そういうものである。
 それを知っている。
「ええ、赦されると知っての暴挙でした」
 光が裁定し選定するものならば、闇は受容し赦すものだ。いっそ無関心なほどの許容に、伏せた眸が笑う。
 そうだとも。
「俺が思うのは《あの女》だけ」
 たったひとつ、逢真の心の奥底に熱源が渦巻くのだとしたら、それはいつでも対極によって齎される。
 遍くすべてを等しく慈しむ。裏返しの感情も、或いは過ぎたる情動も――向かう先は、この忌々しい光だけだ。
「憎むも恨むもただ《あのアマ》さ。お前さんも知ってるンだろう?」
「知っていますとも」
 だからこそオニキスが手出しをしたのだし。
 尤も、闇に赦されたところで、対極には赦されなかったが。
「まあ直後にわたくし、《彼女》に殺されまして、妻子・国・民と滅びましたから」
 権能までもが地に墜ちた。闇が赦すならば光は赦さぬ。天秤は深く傾いて、その上に乗っていた全てが振り落とされた。真名さえも取り落とした龍神は、今や此岸に紐つけられることにすら許可と権利を必要とするありさまだ。
 そうまでして果たしたかった目的に手が届くことはなく、守るべき数多すら喪った。それでもなお、嘗て抱いた権能の欠片でもって、染み出す過去を祓うためにとここにいる。
「これで罰ということで」
 ――まあ。
 平等とは言わぬが、支払ったものはそれなりのものだろう。
 盲いた眸を向ける友に、病毒は笑った。光のみが埋め尽くす地平に視線を投げやって、逢真は幽かな病を纏う息を吐く。
「罪だ罰だは知らねェが。お前さんの気が済むならたっぷり受けな」
 慈悲深くも投げ遣りな台詞だった。
 全く――。
「変わりませんね」
「変わるもんかね」
 ――神だぜ。
 人が黎明と呼ぶのだろう光の支配に、鈴の音が響いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
【苺華】

頻る雨に熱が奪われてゆく
つめたい温度には慣れているけれど
凍えてしまうのは、嫌ね
このままでは溺れてしまう
あなたを、わたしのいのちを
喪うわけにはいかないの

やわい手を引いて先へと往く
耳を澄ませて
遮る雨の先のあなたの声を手繰る
まい、きこえるかしら

眼前に浮かぶ光景の懐かしいこと
父と母と、姉と――妹と
無し色の鬼が過ごした日々
眞白の君を奪い、温かな時を葬った

罪と罰を刻んで堕ちた先は常夜
故郷にはもう帰れない
その筈だった

忘れてはならないから
数年を経て、もう一度降り立ったの

あなたと共に二年参りをしたわね
あそこは故郷
大切な思い出の場所

今の帰る場所はとりどりに色づく館
早く猫をみつけて
帰りましょう、あの場所へと


歌獣・苺
【苺華】

そうだね
早く抜けてしまおう
暖かい手に引かれて歩く
雨の音が大きくなってきた
けれど聞き逃しはしない
うん、聞こえるよなゆ
私はずっと、ずっと。
そばにいるからね

これは…
二年参りした場所に似てる
そっか。あそこは、ここは
なゆの故郷。大切な場所。

なゆ、たくさん頑張ったんだね
私が館に来る前も、来た後も
ねぇ。なゆ
おちたなら…飛ぼうよ
高く、たかく。

なゆは身寄りのない私に
帰る場所をくれた
すくい上げて、彩をくれた

だから今度は
私がなゆを高い場所へ
すくい上げてあげる!
おちた所じゃ見えない
澄んだ大空へ!

『これは、皆を希望に導く謳』
唱えて大きな薄桃色のドラゴンへ

さぁ乗って!
高く飛んで、帰ろう!
私たちの夜へ
彩りの館へ…!




 雨は止まない。
 見上げるそれが頬を濡らして、滴る端から新たな氷雨が筋をつくる。宵の淵に似た凍るようなつめたさには慣れていて、けれど――。
「凍えてしまうのは、嫌ね」
「そうだね」
 蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)のあえかな声に、歌獣・苺(苺一会・f16654)の声が聢と返る。
 柔らかであたたかな手の温度が氷の海に溺れぬうちに、前に進まねばならない。ふたりのいのちと温度がほどけて消えてしまうことのないように。そう簡単に、喪えるものではないのだから。
「早く抜けてしまおう」
 苺の声に促されるようにして、七結の足が一歩を踏み出した。聴覚を奪う雨音の中に、たがいが水を踏む音が辛うじて響くのに、じっと耳を澄ませる。
 繋いだ手の温もりだけが、今はたがいを認識する楔だ。聢と握り締めたこのゆびさきが、姿すら烟らせる霧雨の向こうに七結と苺を繋いでいる。
「まい、きこえるかしら」
「うん、聞こえるよ、なゆ」
 耳を欹てていればこそ、幽かな台詞も拾える。けれど平素の会話と比べれば、それはずっと喉を張り上げるような音になっていた。さりさりと喉を掠める空気に、めいっぱいの声を乗せて、苺は見えぬ七結に言うのだ。
「私はずっと、ずっと。そばにいるからね」
 不意に。
 すべての音が降り止んだ。
 光にひらけた二人の視界には、同じものが映っている。
「これは……」
「あなたと共に二年参りをしたわね」
 ――衣羽神社。
 祀るべき神を亡くし、からっぽになった場所。
 瞬きもせずに紫眸へと光景を映す七結へ、黒兎がゆっくりと並ぶ。それは奇しくも、静謐な夜の帳の中を賑やかに歩いた、あの日によく似ていた。
「あそこは故郷。大切な思い出の場所」
「そっか――あそこは、ここは」
 七結のはじまり。
 父が立って、母が笑って、立つふたりの横を三人が駆けていく。あかと、しろと――黒。思い出したたゆたう面影、ほんとうの八番目。
 無し色の鬼が、少し前で自分を呼ぶあかを追う。黒と結んだ掌に、今は苺のそれの感触があった。
 永劫にも思われるあたたかな日々が、ひとへと成った鬼の胸を締め付ける。あの日々に軛を打ち込んだのは、ほかならぬ己だ。
 眞白の君に戀をして、奪い葬って全てが鎖した。刻んだのは罪で、抱いたのは罰で――その先にあったのは、つめたい常夜の孤独だけ。
 もうかえらない。もうかえれない。故郷に足を踏み入れることは出来ないと、七結でさえそう思っていたけれど。
 まなを結わいた眸に――その全てをふたたび刻むことが、必要な気がして――。
「忘れてはならないから。数年を経て、もう一度降り立ったの」
 零れる声を、苺は静かに聞く。伏せたやわい赤の眸は、驚くほどに穏やかな音を紡いだ。
「なゆ、たくさん頑張ったんだね」
 ――知らないたくさんが積み重なっている。
 その全てが、友達の抱える言い知れぬいたみを表しているようだった。片鱗に触れただけでも万感の思いが零れるほどに、そのいのちをつくる全てが愛おしい。
「私が館に来る前も、来た後も」
 まるで頭を撫でるような声だった。七結がちいさくわらうのを真っ直ぐに見据えて、向き合う苺の手が指先を絡め取る。
「ねぇ。なゆ。おちたなら……飛ぼうよ」
「飛ぶ?」
「うん」
 この空の果てよりも、ずっと。
「高く、たかく」
 おちた場所では見えない大空へ、今度は苺が連れて行こう。この両手をすくい上げて、翼となって羽ばたいて、風に身を委ねる解放感と共に――この世界の彩りの、すべてが見えるところへと。
 たくさんをもらったから。紡いだ透のいとが結ぶものが、いまの苺をつくってくれたから。
 あの日――つめたい夜に一人うずくまっていた苺に居場所をくれたのは、七結なのだ。
「――『これは、皆を希望に導く謳』」
 高らかな歌声が響き渡る。希望の花が狂い舞い、包まれた黒兎の姿は竜へと変わる。桃色の鱗と赫い眸に未来を乗せて、翼を持ち上げた苺が雨の中でわらう。
 このいとが繋ぐ先に――たしかに七結もいるのだ。
「さぁ乗って! 高く飛んで、帰ろう!」
 いまにだって、帰る場所があるのだから――。
 思わずとその体に触れて、七結もまた笑みを刷いた。降り注ぐ雨の中にもよく見える姿が、過去に灯されたひかりの中から、いまへと彼女を繋いでいる。
「ええ」
 昔のかえりみちを抜けて、過去に囚われた猫を見付けて。
「帰りましょう、あの場所へと」
 ――とりどりの彩が待っている、あの館へ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

夜明・るる

あどりぶ、だいすき


私がみえたのは
小さな、小さな人のいとなみ
澄んだ水底に届く、人のやわらかい祈り
わたしが守ってきたもの

人は忘れる、忘れてしまう
わたしの事を忘れてしまった
暗く狭い場所に埋められて
消えてしまいそうなわたしは叫んだんだ
祈りが欲しいと

静かな歌、小さな祈り
あの歌は、きっとわたしの救いとなった

祈りをなくしたわたしは
どこに帰れるというの?

そっとヘッドフォンを耳に当てれば
あの歌が、祈りが聞こえる

……そうだ
あの歌があったから
わたしは私になった
友達ができた
水を滑るように泳ぐことはできなくなったけど、二本の足で友達と歩ける

そこに願いを抱く魂があるなら
私はその願いを叶えたい
私は一応、かみさまだから




 泡の上る水面が、穏やかに揺れている。
 一足先に、洪水に呑まれてしまったようだった。けれど身を凍らせるような氷雨とは違う。この水は、暖かくて、優しい。
 水底にたゆたう夜明・るる(lost song・f30165)の耳に、やわらかな歌声が届く。祈り願う人々の営み。水と共に広がる土の上に成される、ときに切実で、ときに穏やかな感情の坩堝。
 編まれた歌が心地良い。水底にまで届くいつか人々の祈りを受け止めて、水の中を泳いだ懐かしい感覚が体中を包んでいく。今はもうないその景色の中で、くるりと体を翻した。
 るるはひとと共に在った。
 ひとを守り、ひとに寄り添って在るものだった。願われて、祈られて、笑顔の種を撒く。人々はるるを愛して、るるも人間が好きだった。
 けれど、ひとの命はひどく短い。繰り返される世の移りがるるの時間を置いていく。代を重ねるごとに霞む伝承が、受け継がれない温かな記憶が、少しずつ零れてるるの居場所を奪っていく。
 忘れてしまう。
 まるで水が濁っていくように、時を経るごとに歌は不明瞭になっていった。永く在る身にも、少しずつ祈りの聞こえる間隔が長くなっていることが分かるほど。水に融けたあたたかさがそっとほどけて、夜を迎える太陽の光が見えなくなるように。
 気付けば、るるはひとの間からはじき出されていた。かつて在った信仰は融け墜ちて、祈りはもう聞こえない。水面に弾ける数多の光は見えなくなって、代わりのように水底へと届く冷たい土の底で、掠れた意識を繋ぎ止めるように叫んだのだ。
 祈りが欲しい。
 あの歌が聴きたい――。
 静かな歌が人々を助けて、ちいさな祈りが人々を救った。けれど、それは同時に彼女をすくい上げる黎明でもあったのだ。夜明けを喪った宵闇がどこに行けよう。ひとすじの未練で繋ぎ止めるこの身は、一体どこに帰れるのだろう。
 水底に沈んでいくような手で、そっと握ったヘッドフォンを耳に当てた。
 聞こえる。
 確かに聞こえるのだ。るるをるるたらしめるあの歌が、祈りが。それでようやく、融けてしまいそうなこの意識をまた、此岸に引き留められる。
 ――この歌があったから、るるはここにいる。
 自在に水を泳ぐ力こそなくなったけれど、代わりに得たのは土を歩くための足と――土の上で生きる、たくさんの友達だ。いつかひとが見て、今はるるも見られる景色が、まだ彼女をここに留め置いている。
 りんと響く鈴の音が聞こえる。寂しそうに鳴く猫の声がする。だれかを待って、だれかが来なかった、迷う魂の叫び。
 願いがあるならば、聞こう。
 潰えても、墜ちても、るるはその願いを叶えたい。何かが願いの歌をうたうなら、それに応えるものだから。 
「――私は一応、かみさまだから」
 夕映えの向こうへ、朧に霞んだ歌は、それでもまだ――彼女には、はっきりと聞こえているから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鏡島・嵐
一番印象に残っている“かえりみち”。

在りし日の親父とおふくろ、それに祖母ちゃんと四人で出かけた一泊二日の小旅行。
皆で遊んで。美味いモンを食べて。温泉で疲れを癒して。あくる日は果樹園で果物を狩ったっけ。
――たった二日。本当にささやかな、なんてことは無え家族旅行だけど、おれにとっては、生まれて初めての“旅”で、見るモン触れるモン全てが新鮮だった。

……だからあの時、おれは。
旅の終わり、帰り道に「もっといろんな所に四人一緒に行きたい」って、涙ながらにせがんだ。
雨は降っていなかったけど、夕日が綺麗だったのをよく覚えてる。

十年以上経った今でも、それは心に鮮やかに残る想い出で。
きっと、おれの原点の一つ。




 夕陽が綺麗だった。
 身も凍る冬の雨の向こう、明瞭と映る影が四つ、ゆらゆらと伸びている。男と女の間で手を繋がれて泣いているのは――。
 小さい己の駄々を見て、鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)はひどく懐かしげに目を細めた。
 忙しい両親だったのだと思う。
 不在がちで、けれど子供のことを愛してくれて、帰って来るたびに聞かせてくれる旅の思い出が優しいひとたちだった。だからこそ、滅多に作れない思い出のひとつとして、彼を連れ出してくれたのだと――思う。
 一泊二日の小旅行なんて、今にしてみれば短い時間だ。一日目はたった半日と少し。二日目だって同じだけ。それでも、幼い彼の時間感覚でいえば、それは長い旅だった。
 ついた先に広がる景色を忘れることはないだろう。両親と手を繋いで歩くことすらも、そう簡単に出来ることではなかった。いつも祖母と歩く道ではない、見たこともない景色の最中でそうすることは、余計に。
 その地にいる限り、祖母も両親も、嵐のものだった。他愛ない景色に戯れて、はしゃいで遊ぶ。美味しい昼食を食べて、また歩いて――辿り着いた宿の広さにも目を輝かせた。父とゆっくり温泉に浸かって、他愛のない言葉を交わして、上がって来た母と祖母に合流して。夕食を食べたらすっかり眠くなってしまって、敷いてあった布団に転がるや、家族に囲まれて寝息を立てた。
 朝になればすっかり元気な嵐を、両親はどんな顔で見たのだったか。祖母と一緒に、二人とも笑っていたのは覚えている。
 チェックアウトを済ませて帰途につく前に、予約していた果樹園で果物を取った。高い樹を見上げながら、父の肩車でもぎ取ったのだったっけ。
 初めての感触を何度も味わって、手に沢山の果実を持って戻ってきたけれど、みずみずしいそれは子供の腹には少し大きい。食べ残した分は大人たちが消化したはずだ。
 長くて、楽しくて――けれど、あっという間で。
 正真正銘の初めての『旅』の終わりが名残惜しくて、いざ帰ろうと手を繋がれたとき、嵐は泣いた。
 目の前に映し出されるそれが少しだけこそばゆい。小さな頃の自分は、今の自分よりずっと幼稚だと知っていて――けれど、その姿を自分から切り離して評するには近すぎる。今の自分がああして泣くことはないけれど、まるでそうしているかのような気恥ずかしさが、心の内をほんの少しだけ過っていく。
 同時に、胸裡に小さな痛みが走る。
 ――『もっといろんな所に四人一緒に行きたい』と。
 涙ながらにせがんだ彼を、三人の手が撫でた。きっと行こう、色んな景色を見ようと約束をして。
 ――今は叶わなくなったその約束が、それでもこの胸に灯っているから。
 鈴の音が響く雨の中、更けることのない夕闇の向こうに鮮やかな思い出を映して、嵐は己の胸元へ拳を当てた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

篝・倫太郎
【華禱】
この時期の雨は……凍えそうだ
そんな事を思いながら夜彦と繋いだ手は離さずに進む
手を離したら、はぐれちまいそうだから

かえりみち――
どこに還る道なのか

そう思った矢先に見えたのは……
始まったばかりのエンパイアウォー

夜彦が自身の行く末という『至る可能性』と
宿敵という形で対峙した、その直後
俺の目の前で人の形を維持出来ず、簪に戻った、その瞬間

あの時、この人が本体の器物から
再び人の形を取れたのはとても幸運なことで
俺は……あの、喪失といっても差し支えない
消失を、酷く恐れてる
一年以上経って気付いた、そんな事実に息が詰まる

震える指先で繋いだ手を強く握って

上手く呼吸出来ないまま
どうにか夜彦の手を引いて先へ先へ


月舘・夜彦
【華禱】
冷たい雨が降る
静かに、ただ雨の落ちる音だけが響いて
言葉を交わすよりも、繋いだ手が互いの存在を認識できる

かえりみち
以前は帰る所など無かった
人と生きる時の違いから、敢えて一つの場所を置くことは無かった

エンパイアウォーでの戦いで己の成れの果てを知る
戦い続け、その意味も己が名さえも忘れ、彷徨う姿
信じ続けた我が道の結末は、余りにも――余りにも――

受け入れられぬ思いから、人の肉体を維持できず
彼の手に己である簪を残して私は眠りに就いてしまった

……あの時の彼の様子は知らない
それでも、握っている手から伝わる震えから
如何に彼を悲しませてしまったのかが分かる

手を引かれるままに後ろを歩く
早く止めと、願うばかり




 かえりみち――と言う。
 凍えそうな氷雨と曇天を見上げて、どちらからともなく繋いだ手を聢と握り直した。月も星も、視界すらも烟らせる雨は、隣にある温もりすらも引き離してしまいそうだから。
 静謐な雨音があらゆる音を奪っている。互いの息遣いも、声も阻む帳の向こうに、篝・倫太郎(災禍狩り・f07291)と月舘・夜彦(宵待ノ簪・f01521)は確かに温もりを繋いでいた。
 目も耳も利かぬ雨の裡、それだけが、今の二人を結ぶ楔だ。
 どこに帰りつく道なのか、どちらにも分からない。
 倫太郎が生まれて初めて抱いた帰る場所は、もうどこにもない。夜彦もまた――顕現を成したときこそが喪われる刹那で、それ以来ひとところに収まることは避けていた。
 皮肉にも、神隠しによって生き残ってしまったから。或いは、時間の流れが違うから。
 今かえるべき場所は、はぐれぬようにこの手を繋ぐ、この温もりの隣だ。
 ならばどこに通ずるというのか。今この瞬間でないのなら、いったいいつが――。
 ――不意に開けた視界の先に、背を向けた倫太郎がいる。
 蝉の声が聞こえる。夏の盛りに俯くその背は、大切そうに何かを手にしたきり、動こうとしない。血に塗れた戦場の最中、無防備に晒された姿が討たれないのは、戦いの後の静謐さが場に満ちているからで。
 その背を包む手は、そこにはない。
 手を繋いだまま立つ二人の胸裡に過るのは同じ日だ。苛烈な陽光に照らされた戦場――エンパイア・ウォーの序幕。
 相対したのは『夜彦』だった。彼の至る可能性。定命がために振るい続けた刃の先にあるかもしれないものだ。
 刃の構えも、振るう軌道も、腰帯に差した簪も――全てが夜彦の面影を纏う。けれど血塗られた着物の裾と、笠の向こうに覗く赤い眸だけが、いたく無機質な外道だった。
 信念のために戦い続けるはずだった。命の営みを守り続けることを心に描いて、その儚さを愁いながら尚、彼は刃を振るい続ける。今までもそうで、これからもそうだったはずだった。
 それをこそと信じ続けた成れの果てで、その名も、理由も、全てが擦り切れるということが――。
 重かった。
 あまりにも重くて、受け止めきれなかった。
 糸が切れる刹那をよく覚えている。夜彦の現し身が消えて、倫太郎が息を呑む。伸ばした手の先で受け止めた簪は、ひとの姿を取ることすら拒んで、眠りに就いた。
 その苦しみを、理解出来なかったわけではない。そうなってしまうことにも納得はいった。彼がどれほどの想いで刃を振るっていたかを知るからこそ、突きつけられた最期に渦巻く感情が痛いほどに伝わる。
 それでも。
 理解出来ることと――感情を抑えられることは、違う。
 ――目覚めたからこそ、こうして手を繋げているけれど。
 知らぬうちに、繋ぎ止める指先にひどく力が籠る。己の呼吸があのときと同じように乱れるのを、倫太郎は遠くに意識した。
 怖かった。
 幾度呼んでも返事がないことが。いつでも隣で微笑んでくれた顔が、応えてくれないのが。今さっきまで隣にあったはずの温度が、なすすべもなくこの手から零れていく感覚が。
 まるで唐突に訪れた永劫の別れのようだった。それが錯覚で済んだのは、奇跡のようなものだ。ほんの少しでも何かが違えば、或いはあのとき、彼は倫太郎が生きている間に醒めることはなくなっていたかもしれない。己を斬り裂いた背中が、最後の姿になったかもしれない。
 夜彦の時間は永くて、倫太郎の命は短い。いつ醒めるかも分からぬ眠りが、倫太郎を追い越すことだってあるはずだったのだ。命が続く限りに待ったとて、必ず逢えるわけではない
 それが。
 今も――ひどく恐ろしい。
 一年を過ぎて、眼前に突きつけられてようやく、倫太郎は知った。強く握る手の力の抜き方が分からない。肺へと落とすべき空気が上手く吸い込めなくて、不規則に呼吸が詰まる。
 その手を――夜彦が握り返す。
 震えた手が声にならぬ悲しみを伝えていた。どんな言葉で叩き付けられるより、ずっと重い苦しみが、彼の手を伝ってこの身をも切り裂くようだった。
 ただがむしゃらに前へと踏み出す足を追って、夜彦も歩き出す。倫太郎の心を刺す氷雨が、早く止むようにと願いながら。
 ――寂しげな猫の声が、聞こえたような気がした。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

黒鵺・瑞樹
○◇POW

俺が俺であるために必要だったものってなんだろ。
思い当たる節が多すぎてわからない。
どんな些細な出来事も楽しかった思い出も、つらかった悲しかった感情も全部全部。
今の自分があるために必要だったもの。
そうだな、初めて見た風景って意味では満月と彼岸花か。
何がどうこうってあったわけじゃないが、人の身を得て初めて俺自身の目で見た風景。
それはどうしたって忘れられない。
今もあの場所に、20年以上過ごしたあの村の寺社の境内に行けば見られる光景だ。
けど思い返せば、あの時俺には燃えるように咲く彼岸花が命の炎に見えた。
人々のような花とそれを見守るような優しい月の光と。
受け継いだ想いとその風景が今の俺の原点だ。




 看板に示されるはずのものは沢山ありすぎて、どれかひとつと選ばれることはあまり腑に落ちない。
 黒鵺・瑞樹(界渡・f17491)が渡るかえりみちは、きっと過去の全てに繋がっているはずだ。刹那に感じた喜びも悲しみも、幸福も祈りも怒りも諦観も――そのどれもが欠けても、彼は彼たらなかっただろう。
 どんな思いを懐いたものにせよ、彼にとっての記憶とは、即ち彼の歩いてきた全てである。些細なものも、心を深く揺るがせたことも、何もかもが。であるから、己自身で秤に乗せることは難しかった。
 巡る思いのどれひとつとして――軽いとは思えなかったからだ。
 帰る場所というのなら、きっと全ての思い出が再生される。それを辿る永い道程は、猫とその主人に辿り着くまでの時間では少しも足りない。勿論、点々と立つ看板では、数も足りないだろうけれど。
 だから。
 『かえりみち』の指し示すものを知るためには、それこそこの看板を真っ直ぐに辿り、映されるなにがしかの光景を目にする以外に方法はないのだろう。
 どうにせよ進むしかないのだとあれば、この足を前に出すほかに、やるべきことはない。巡り続ける思考をいっとき止めて、今は前に行くことに集中する。
 進める足に水の感触が纏わり付く。跳ねる泥と共に進む、前も見えない雨の帳の向こうで――。
 開けた視界に映り込むのは、あかあかと咲き誇る花の海だった。
 澄んだ夜だ。星々の煌めきが、雲一つない空に瞬いている。浮かぶ月は煌々と、しかし静かで柔らかなひかりを放って、眼下に広がる光景を喜んでいるようだった。
 それは――。
 瑞樹が初めて目にした光景だった。
 主を亡くした刃が、己の足で降り立った初めの大地。瑞樹が『瑞樹』としての目で見た、最初の世界だ。
 出羽は雪深い地である。雪に鎖された冬は長い。けれど、一年を灰と白の中に埋めて過ごすわけでも――彩りがひとつとてないわけでもない。
 二十年以上をそこで過ごした。滅び去ったわけでも打ち捨てられたわけでもない神社にとっては、何の変哲もない景色であることに変わりはないだろう。
 けれど。
 ――初めてそれを見たとき、一番最初に心に湧き上がったのは、いのちの営みの美しさだったのだ。
 燃える花々を、ひとは葬送の象徴だと言った。さもありなん――と、思う。燃えさかる赤は、まさしく命を焼べて走る生をかたどったように見える。揺れる花弁が、それを見守るように照らす月明かりが、まるでひとと、その営みを守る神のそれのように見えた。
 映し出された光景に、心の奥底に懐いた誓いが鼓動する。
 誰が為に――。
 主より受け継ぐその想いと、広がるはじまりの場所が融けていく。遠く響く雨の音の中で、鈴が立てる音が、ふとその耳に届いたように思えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
看板を曲がったその先は、見覚えのある景色だ
これまで、猟兵として赴いた戦争や、任務
傭兵として生きた、数多くの戦場

足を進めるたび、景色は頭の中を逆回しにするみたいに遡る

世界のすべてを喪った日を越えてなお
過ぎ行く景色に足を止めることはない

やまない雨に煙るのは
いつも傍にいた人に守られながら過ごした戦場
戦いのない時には、人里で過ごすこともあったっけ

最後に行く場所は、きっと
“俺”として憶えている、一番最初の風景

――もう、帰れない場所

どうしてか胸が痛むのは
懐かしさよりも、その景色を寂しく感じるのは
――ずっと追いかけていたあの背中に届くことを
諦めたから、だろうか

……あのひとは
今の俺を見たら、なんて言うんだろう




 看板の先に、血のにおいがした。
 オブリビオンを穿つ銃弾の横をすり抜ける。後方の己は覚えたばかりのハイタッチを交わして、慣れない感触に手を一瞥していた。
 見る必要はないから、振り返らぬまま前へ行く。
 数多の武器が交わる音が聞こえる戦場を通り抜け、次第に剣戟の音が消えていく。銃声と罵声だけが響く戦場の裡――己の撃ち出した弾丸が零す血を踏んだ。
 覚えている。
 ――だからこれは、頭の中にある景色の逆回しと同じだ。
 断末魔の絶叫も、己を呪う捨て台詞も、拍動が止まる音の一つでさえ――鳴宮・匡(凪の海・f01612)が忘れたことはない。夥しい死と血の上に成り立つこの命が蹴落としてきたものも、染み出た過去を屠った戦場も、昨日の晩飯と同じように覚えている。
 看板を通り過ぎるたび、光景に映る己は、今に至るまでに拾ったものを少しずつ捨てていく。仲間を作ることはなく、料理を捨て、心から笑うことを忘れ、約束は消えて――そうして。
 あの日を越えても、足は止まらない。
 汚泥に満ちた戦場の中、自分が零させたもののうちで、唯一暖かいと思える血だった。喪われる刹那に遺された祈りを呪いと変えて歩く道の始まりで、柔らかな思い出の終わり――。
 そこから先の景色は、一気に色を取り戻す。
 烟る戦場に、恐れはなかった。いつでも傍にいてくれたものがあったからだ。引き金の引き方を教わった。弾の詰め方を教えてくれた。血も罵声も、命の途切れる音も同じで――暖かな掌で、その全てから守られていた。体も、心も。
 世界の全てと手を繋いで歩いた道が見える。長閑な光景に身を浸せるのは刹那で、けれどひどく楽しい時間だった。頭を撫でる手は女性のそれというには硬くて、そういえばいつも煤けたにおいを纏っていた。
 ――己の手も、同じなのだろうか。
 茫洋と思考を巡らせ、雨の裡を歩く。戦禍の焼け焦げた香りが導くはじまりを、視界の先に見据えたまま。
 しゃがみ込んだ女性の背が見える。手に銃を携えたまま、反対の腕を瓦礫の内側に伸ばしている。
 その先に誰がいるのか、匡はよく知っている。
 何もかもを喪ったことすら自覚出来ぬほど幼い少年を連れて、彼女は歩き出すのだろう――己が拾った子供を横に置いていたがために、命を落とすその日まで。
 帰りたいと願った。
 もう――帰れないと知った。
 胸を埋めるのは、鮮烈な痛みでも、灼けるような苦しみでもない。ただ胸を締め付けるような寂寥だけが、匡の歪な心を縛り上げる。
 手を伸ばすことが――出来ないのではなくて。
 そうしないと、決めてしまったから。
 見ていたものはたった一つだけ――全ての想いがあの背中に回帰した頃と、既に違ってしまった。あのひとをなぞらえることを諦めて、別のものに手を伸ばすと決めて。
 ――もう、歩き出してしまった。
 目の前のちいさな命に、彼女は声を投げている。巡った先で命を奪うと知らず。
 否――。
 知っていても、助けただろうか。
 今の己は、その目にどう映るだろう。手を差し伸べてもらえるのだろうか。あのざらざらした煤のにおいは――。
 振り向かぬ背中の向こうで、猫が鳴いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント

動きを邪魔する事を嫌って雨具は着けずに走る
『かえりみち』の先に見える風景は、子供時代を過ごしたダークセイヴァーの貧民街のようだ
あの街に帰りたいとも思わないし、戻るべき居場所も待つ者も無いというのに

育った故郷ではあるが、思い出すのは苦い記憶が多い
両親や妹を亡くした場所でもあるし、あの頃は食べる物もろくに無い程の貧困が常だった
その上、協力して生きてきた筈の仲間に裏切られた挙句逃げ出した場所だ
逃げ出したあの時も雨の降る夜で、追って来る足音と声が後ろから…

…もう追う者は居ない、声など聞こえる筈がない
ここに長居をすれば余計な事ばかり考えてしまいそうだ
嫌な追想を断ち切り、一刻も早く抜け出す為に足を速める




 片手が埋まっては邪魔になる。
 慣れぬことを強いられ警戒が薄れるよりは、服が濡れる方がよほどましだった。雨の中の戦場に赴くこととてよくあることで、氷雨に打たれた程度で鈍るほど、銃を握っていた時間は短くない。
 さりとて体温が奪われ続けるのは良いこととは言えないだろうと、シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)の足が水を蹴った――誘うかえりみちの先に見えるものを、まざまざと目にしながら。
 子供の頃の記憶というのは、普通、良いものが多いのだろうか――。
 常夜の支配に落ちた世界の片隅だった。ダークセイヴァーと呼ばれる苦境の世界の中でも、特に薄汚れた街角だ。
 帰りたいと思ったことはなかった。そこには何もない。帰りたいと願えるようなものは、あの汚い路地に転がってなどいなかったのだ。
 貧民街に生まれ育ったシキに、幸福な記憶は少ない。
 そちこちに転がる死体を処理する者すらほとんどいない。そんな余裕はなかったから、誰もが鼠に囓るに任せた。食い物がなければ、死体に群がるそれすらも貴重な肉として食らう。いっそ死んだ方がましだ――などと、日ごとに顔が変わる骸を見送る者たちに、言えはしなかった。
 思えば、人間らしい尊厳など知りもしなかった。
 それがどんなものであれ、病に罹ればそのまま死ぬだけだ。感染症であるかどうかなど分からない。誰にも知識がないからだ。片隅で咳をしている者があれば誰も近寄らない。日に日に痩せこけて、いつしか骸になったそれが鼠に食い荒らされるのを見送るだけだ。いずれ骨すら風化するまで。
 きっと他の世界から来た者は、あの地を歩くことにすら躊躇するだろう。圧倒的な支配者の戯れに怯え、そうでなくても死人は多く――シキの両親もまた骸となった。唯一残った肉親すらも。
 妹の命が短いことは知っていた。それでも何とかなると足掻いていなくては――生きている意味すら忘れてしまいそうな場所だった。どれほど必死になったとて、旨い食事にありつけることなど生涯ない。暖かな家があるわけでも、柔らかい布団に入れるわけでもない。
 ただ息をするためだけに必死になって、それでもシキには、心を許せる場所があったのに。
 いとも容易く、僅かに残った暖かい思い出は宵に沈んだ。信じて共に歩んでいたはずの足が、いつから独り取り残されていたのか分からない。或いは最初から――。
 シキに居場所がなくなったのも、こんな風に雨の降る日だった。
 仲間だった者の足音が鋭敏な耳に響いて、雨の帳が裂けぬことを祈った。重ねた思い出も、信じたものも、全てが雨に溶けて消えていくような心地がした。
 あの日の足音と怒声が、今にも雨を裂く気がして、知らず息が詰まる。何も亡いはずの後方に感ずる気配を振り払うように、シキの足が泥を踏んだ。長居をしては余計なことを考えるばかりだ。
 首を横に振って前へと踏み出す足を止めるようにして、鈴の音が響く。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リゼ・フランメ
私の中の原風景
それは何時も変わらず、産まれた故郷の雪景色
あの郷では長い冬と、白い雪こそが全て

寒さと雪の中で生きるからこそ、人が寄り添い合って生きていた場所
ひとの暖かさが染みる世界だったわ


でも、私は子供で
いつも雪をさくり、さくりと踏みしめて遊んでいて
寂しさを感じるより、美しいものに触れるのが好きだった

私が不安ではなかったのは、後ろにいつも優しく微笑む姉がいたから

――いえ

いたのは姉、それとも、兄?

霞がかった記憶は思い出す必要はないと、優しい声を繰り返すけれど
真実は、きっと雪と灰の下
私に炎と蝶を預けてくれた、あの人のみが知る

そして、忘れるべきこと

雨のように、雪のように
流れて消えるべきと、信じる残像…




 打ち付ける氷雨の帳が、ちらちらと舞う白に変わる。
 凍るような息は変わらぬまま、けれど痛いほどの冷たさは少しだけ和らいだ。身を包む真白の雪が積もる地に、ふと赤銅色の視線が落ちる。
 ――リゼ・フランメ(断罪の焔蝶・f27058)の故郷は、雪と共に在った。
 照りつけるような日差しを連れる夏が短い代わり、降りしきる雪に鎖された冬は長い。自然、記憶は底冷えするような寒さと一面の白へと収束して、彼女をかたちづくる最初の光景になる。
 今見れば、寂しい景色だ。
 白に埋もれた世界には色がない。代わりのように濃かったのは、人々が心の裡へ懐くあたたかな彩りだった。
 どれほどの厳寒に鎖されようとも、家の中は暖かい。郷に生きる人々の心もまた、同じように優しかった。雪の中で営む生活には困難が付き纏うから、そうして寄り添い合わなくては凍えてしまうのだ。
 リゼもまた、その温もりの中で育って来たけれど――。
 幼く無垢な少女にとっては、ときに恐ろしい雪も、ささやかな遊び道具だったのだ。
 さくりと踏みしめれば足が沈む。奥にある地面までは、とても届かないけれど。周囲の柔らかな雪が崩れて、足先が冷たくなって、持ち上げるのが難しくなる。ここから抜け出すためには、思い切り勢いづけて、けれど転ばないような繊細な力が必要だ。
 ――上手く足を抜いたなら、そこにリゼの跡が残る。
 踏むとそこだけ質感が変わるのだ。どこまでも続くうつくしい雪景色の中の、どこを歩いてもそうだった。それが楽しくて、寂しさなど感じている暇はなかった。
 誰もの声すら吸い込む寂寥を感ずるよりも、うつくしいものに触れていることに夢中だった。
 身を切るような寒さの中でも、足から込み上げる冷たさの中でも、リゼは躊躇をしない。どこまでも歩いて行けそうな気持ちで、飽きず雪を踏んで、その感触を楽しむ。
 そうして振り返った先に、わらうひとがいるから。
 少し後ろで幼い彼女を見守ってくれる、優しい姉――。
 ――否。
 映り込む相貌が揺らぐ。体つきが歪んで朧になっていく。ただ笑う口許の優しさだけが明瞭で、ちいさなリゼは安心したように、またそのひとに背を向ける。
 分からない。
 姉だったのだろうか。兄だったのだろうか。或いは。
 いたということだけが明瞭なそのひとが、笑ってリゼの後を追う。思わずとその背を追う眸を諫めるように、霞んだ記憶の奥底で、優しい声がわらった。
 ――思い出す必要はない。
 子守歌のような声に目を伏せた。リゼが思い出せぬ限り、朧となった記憶を知る者はないのだろう。全てはもう、雪と灰の下に眠っているのだから。
 リゼに託し、彼女を炎蝶としたあのひとだけが知る、やさしい記憶だから。
 忘れるべきだ――。
 身を打つ雨のように。春に消えゆく雪のように。眠りに落ちる刹那に見るような、朧な残像は――流れ消えるが正しいと、信じて。
 雪解けの下、何が在るかさえも曖昧な幻想の中で、猫の声が鳴く。

大成功 🔵​🔵​🔵​

クロト・ラトキエ

千之助(f00454)
君は…
それでも手を離さずいてくれる?

辿り着いた…はじまりのはじめ
あの日差し伸べられた腕の理由
己を己と…
罪と、ひとの敵と定義した最初

焔の中
刃を振り翳す男
息子を庇おうとした母
纏めて串刺しにした晶石の槍と、
血に塗れそれを見上げた子供

泣けなかった
確かに愛し、愛されていたのに
生誕にも離別にも血を流させて
いたみも
何を感じる事もできなかった

あの腕は
きっと全てを解って伸ばされた
数多ひとの命を喰らい
愛い者の痛苦に潤う
…端から破綻した
罪悪感など持たぬ獣
無辜のひとの敵

その光景に今も何も思えない
未だ一人の事にしか泣けない
独善の悪人

いつかは、君まで――

今なら…離して、いい
猫へは
独りで…往けるから


佐那・千之助

クロト(f00472)を
瞬きせず、映し続ける

あの水晶は意思と離れた力
穿たなければ親子共に息絶えたのだろう

男は幼子を攫うとき
いつか殺されることを願ったのだろうか
それを叶えるべく育み
歪の価値観に縛り
他の道を閉ざした

…先日、彼に白い薔薇を贈った
小さな平穏を新鮮に喜ぶ彼には
無垢な白がよく似合うから
そして…
無実の白
私はそう思っていると
いまだ語れぬ思いを花に秘めた

離れない
もうクロトが泣くことを知っている

男の呪縛に阻まれた
未知の感情、体験…
白の儘残った彼のまっさらなもの
私が大切に護り、慈しみ、分かつから
呪縛をほどく
何処にもかえさない
彼の道は彼のもの

独りになったら迷い猫の仲間入りでは?
往こう
迷わぬよう、共に




 雨に映すには鮮烈すぎる赤だった。
 焼ける家屋の弾ける音がする。霧めく雨の音と匂いは遠く、眼前には過去だけが在る。
 刃を振り上げるのは男で、悲鳴を上げたのは女だった。傍らの幼い少年の名を鋭く呼んだらしい声が、焼ける音に隠れてよく聞こえない。身を挺するように飛び込む女の胸を、振りかざした銀が穿つ刹那――。
 男の背後より突き立つ晶石の槍が、静寂を齎した。
 血で身を汚した猫毛の少年が、痙攣する二つの肉塊と、それを纏めて縫い付ける透明な槍を見上げて――。
 終ぞ、涙を流すことはなかった。
 クロト・ラトキエ(TTX・f00472)が息を吐いたのは、何もありもしない罪悪感が故ではない。己の中の空疎が、正しく今のありさまを伝えるからだ。
 それがはじまりだった。そうと知らずひとを殺し、血に塗れた罪業の道を歩き始めた日。伸ばされた手は全てを知っていて、クロトを連れて行ったのだ。
 生母を殺め、なお涙の一つも流せぬ――獣の素質を。
 愛されていた。愛していた。続いていく普遍の幸福を疑うこともしなかった。それなのに、唐突に訪れた別れに何一つ心が揺らがなかった。生誕にも離別にも血を流させて、絶命の刹那まで名を呼ばれて、尚も。
 少年を攫っていく腕までを、佐那・千之助(火輪・f00454)は瞬きもせずに見詰めていた。
 迸った晶石の槍が、彼の意志で動いていたわけではないと直感している。あのままであれば、男の代わりに幼い彼が骸となるだけだっただろう。
 そうしてクロトを連れ去った男が、彼の全てを育てた。
 歪んでいたのは男の方だろう。己を殺める者を育てるために、素質のあった少年に殺戮者の道を示した。何も知らぬ彼がそれを呑み込むことを知っていて、その先に何があるのかを理解して――尚も、己のために。
 力は、力でしかない。千之助はそれをよく知っている。
 素質も力も罪業も、この血脈に刻まれている。だとして、多くを知れば振るう先を変えることは出来よう。それすらも許されぬまま歪な価値観に鎖されてきたのが、クロトだ。
 だから――とは、口にはしない。
 クロトはそれを望まないだろうと知っている。無辜のひとの敵と己を定め笑う彼は、それを否定されたいわけではあるまい。
 けれど。
 ささやかな日常に笑うさま。たった少しの安らぎに、新鮮に変わる表情。何より近くで見詰めていればこそ、思う。
 ――無辜なのは、彼だ。
 無垢の白が似合うと贈った花弁に込めたもうひとつの意を、彼はきっと知らない。
 だから俯くのだ。クロトを知れたことを喜びこそすれ、眉根を顰めることなど有り得ぬ千之助の横で、黒の中に白を飼うひとは。
「千之助」
 ――手を離さないで欲しいとは、口が裂けても言えない。
 所詮は独善の獣だ。愛しい者の苦悶で心を潤し、歪んだ嗜虐心を人当たりの良い笑みの下に隠す。誰かの涙を喰らう他に生き方も知らず、今以てたった一人のためにしか涙を流せない。
 いずれ何もかもを食らい、そして地の果ての地獄で生まれた罪を拭うまで歩み続ける者だと。
 それにさえ、空疎な胸裡が痛むこともなかった。
 だというのに――。
 握った手を己が奪うことが、怖い。
 わらう二藍をこの手にかけることが耐えがたく苦しい。決して為さぬと誓うことすら出来ぬこの身こそを恨む心地がした。
 この身はひとの敵だ。歩んできた道が破綻を招いたのですらない。生まれた瞬間から、宿した心は壊れていた。
 ――ひとの世に火を灯そうとする千之助とは、対極の。
 だから。
「今なら……離して、いい」
 ――君を食らってしまわぬうちに、どうか。
「猫へは、独りで……往けるから」
 その声こそが泣いているのだと――千之助は、知らず小さく笑った。呆れるような暖かな吐息は、きっと聞こえていると知っていて。
「独りになったら迷い猫の仲間入りでは?」
 そんな道ならかえさない。
 無垢のうちに与えられた呪縛を、この手で解くと決めた。汚れているという手のうちにある白を、慈しみ、護り、分かち合う。いつか、その身こそが無辜だと衒いなく笑うために。雪ぐべき罪など、彼自身には何もないのだと言うために。
 彼の道は、彼が幸福を懐いて笑うために在る。それを許さぬ場所になど、行かせてなるものか。
「往こう」
 ――降り注ぐ雨は、いつか止むから。
「迷わぬよう、共に」
 繋ぎ直されたふたつの手に、鈴の音が鳴る。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

三上・チモシー

すごい雨。もうこれ傘あんまり意味無いね
急がないと風邪引いちゃいそう

看板を辿った先に見えるのは、明るくて暖かそうな縁側
あぁ、自分の家だね
季節は春かな? お日様が気持ち良さそう
灰色の猫が何匹も、思い思いにくつろいでる
みんな『るーさん』。家族の一員、不思議な増える猫
のんびり、ぽかぽか
いいなぁ、自分もお昼寝したい
あっ、一匹、蝶々追いかけて外に行っちゃった

夕方になって、増えてた猫は一匹に戻ってうちの中
……あれ?
外に出ちゃったるーさんは、ちゃんと帰ってきたっけ?




「すごい雨」
 思わず漏らした声すらも吸い込んで、後には白く烟る息だけが立ち上る。ひっきりなしに鼓膜を打つ雨音に合わせ、打ち付ける水滴が服に染み込む。差したカラフルな傘の模様すら霞むような灰色の曇天に、この雨具が意味を成さないことを知る。
 畳んだ向こうの空を見遣って、三上・チモシー(カラフル鉄瓶・f07057)は冷えた心地に身を震わせた。
「急がないと風邪引いちゃいそう」
 誇張ではなくそう思う。
 水が飛ぶのもお構いなしに、水たまりを踏んで軽やかに進む。早くも濡れきってしまった裾では、水を気にしたって今更だ。
 かえりみちの看板を通り過ぎて、街角を曲がった先を急ぐ彼の目の前に――。
 暖かな日差しが差し込む縁側があった。
 思案する必要もない。よくよく見慣れた、チモシーの住んでいる家なのだから。ぽかぽかした陽気と、どこからか漂う花の香りは、多分――春の庭先のそれだ。
 今は待ち遠しいその季節の中を、沢山の猫が歩いて行く。
 全部灰色、全部同じ猫。元は一匹の、知らないうちに増える不思議な家族の一員――名前は『るーさん』。
 同じようでいて違うから、皆てんで好きなことをする。庭先で鳥を取ろうと躍起になろうとしている子もいるし、縁側で丸くなっている子もいる。かと思えば日差しの中に駆け出す子だって『るーさん』だし、玩具に戯れている子もそう。隅っこでがさがさ何かを漁っているのも、猫団子になっているのも、全部。
 長閑な春の景色の中に、チモシーの心がちいさな羨望を懐いた。寒いところにいると暖かいところが恋しくなる。彼だって、そろそろ暖かいところでお昼寝がしたい。猫団子の中の一匹になりたくなってしまうし、ここが現実の世界だったなら、きっとそのまま眠ってしまったに違いない。
 ――ふと、庭で遊ぶ一匹が、飛んできた蝶に気を取られたのが見えた。
 灰色の『るーさん』が一声鳴いて走っていく。伸ばした手を華麗に躱す蝶に魅せられて、その足はあっという間に庭の外。そのまま見えなくなっていく背中を見ているのは、ここで雨に打たれるチモシーだけだ。
 ゆっくりした時間はあっという間に過ぎていく。すっかりお日様が赤くなったら、外でのんびりするのはおしまいだ。
 思い思いに遊んでいた『るーさん』も、いつの間にか一匹の猫に戻っている。毛繕いをして、大きくあくびと伸びをひとつ。ゆっくりとした足取りで家へと戻っていく姿もいつもの通り。
 だけれど――。
「――あれ?」
 出入り口の方を見て、チモシーは瞬いた。出て行く猫が一匹いたけれど、帰ってくる猫は果たしていただろうか。蝶を追いかけて走って行ってしまった『るーさん』は、家の中に入っていったのだっけ。
 ――振り返った桃色の眸を呼ぶように。
 寂しそうな猫の鳴き声が、首につけた鈴を鳴らした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

楠木・万音
濡れるのは好きではないのよ。
ティチュ、大きな雨傘になって頂戴
脚元が冷えてしまうけど仕方がないわ。

雨傘になった影の友人をさして先を目指す
凌げない雨の冷たいこと。嫌になってしまう
見えてくる景色だって良いものではないんだから。

あれは……幼い日のこと。
親に反抗して、友達と喧嘩をして、何もかもがイヤになって
帰りなど気にせずに森の奥へと迷い込んだのだったかしら。

全てが良い思い出では無いけれど
森の奥で彼女に出逢ったわ
奇跡を披露してくれた魔女
あたしは、今でもあなたの存在に憧れている。

ティチュはあたしの魔法で生み出した使い魔
誰も信じてくれなくても、魔法は存在するのよ。

柄にもなく浸ってしまったわ
早く進みましょう。




 水の纏わり付く感覚が好きではない。
 曇天から降り注ぐ雨に身を濡らされたくはない。手に何も持たぬまま、楠木・万音(万采ヘレティカル・f31573)は看板を一瞥した。
「ティチュ」
 呼ばれた影がゆらゆらと揺れる。
「大きな雨傘になって頂戴」
 共に生きる黒が伸びて、声なく灰色を覆い隠した。そのまま左右に少しだけ――万音が雨に晒されない程度に――揺れた友達が言いたいことはすぐに分かる。
 ――足先を冷やす水は大丈夫か、と。
「仕方がないわ」
 氷雨に晒されている以上はどうしようもないことだ。進む先で、横から吹き込む冷たい雨が体を冷やすのも。
 すこしだけ眉を顰めながら進む先に――。
 見える景色も、そう良いものではないのだから、嫌になってしまう。
 どうしてあの場所に行ったのかは、よく覚えていない。ただその頃にあったことは覚えているから、理由の類推くらいは出来る。
 ――親という存在が邪魔をして、どうしても万音の思いは侭ならなかった。
 だから、幼いながらに盛大に反抗した。ちょうど折り悪く、そういう時期に友人と些細な喧嘩をしてしまった。今になれば大した話ではないけれど、あの頃の小さな心が抱いた孤独は切実で――。
 森の中へ分け入る背を、追う形で歩いている。もうどうにでもなってしまえとずんずん歩く幼い歩幅は、帰ることなどひとつだって考えていない。寧ろ帰りたくないとでも言うように、細くて目に映りづらい道を選んだ。
 蠢く動物の気配と、鋭い葉の先。荒れた地面は歩きづらくて――けれど。
 森の奥で、そのひとに会った。
 鉢合わせた万音が魔法を志したはじまり。柔らかくて優しい奇跡を描いてくれたひと。心煌めかせる魔法を使って笑う――魔女。
 そのやさしさに憧れた。今だって憧れている。人の身で編んだ魔法が、こうして雨から守ってくれる友達を生んだのに。
 誰もがそれを一笑に付す。物語の魔女はずっと悪役だ。
 あの優しさを誰もが知らない。知らないものを、人は空想だとか、ときには妄想だとすら呼ぶ。子供たちがそうやってからかう横で、幻覚だとか、不審者だとか、大人たちは理屈をつけてはあらぬ心配をした。
 ――だとしても、この日の奇跡は嘘ではない。
 万音が、誰よりも知っている。
 優しい魔女がいた。奇跡は彼女を魅了した。森の奥、誰にも知られないように、密かに――けれど確かに、魔法はここにあるのだと――。
 ふと目を伏せて息を吐く。柄にもなく感傷に浸ってしまった――行く道は、もう決まっているのに。
 取り直すように開いた眸に、雨の向こうの森が映る。憧憬のはじまりをもう一度だけ目に焼き付けて、その足取りが一歩を踏んだ。
「早く進みましょう」
 黒い大傘がゆらりと揺れて、どこかで猫の声が聞こえた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

汪・皓湛

見えた記憶は山中での月見酒
私と、普段より笑う宿敵の男がいる

金華猫ならいずれは宝を定めるのだろう?
『そうだ』
…そうか

いずれ来る別れを憂いた私がその宝となぜ明かした
酔っていたのか
尋ねたい男は此処に居ない
友の死因になりたくないという私の言葉に
あの夜のお前が初めて見る顔で嗤う

汪皓湛
俺は、お前を友と思った事は一度としてない

始めから宝とする為だけに近付いた
話しかけ
親切にし
信用するよう仕向けた
今までの全てが偽り
今晒しているものこそが真なのだと嗤う黄金色に
お前の宝になどなるものかと怒った私が
花を溢れさせ、逃げて

今、奴は躯魂に
私は猟兵に
あの月夜は私の中に刺さったまま
どうしたいのか未だ答えも出ない

それでも、前へ




 月が出ている。
 雲一つ掛からぬ、良い月夜だった。青白い光に照らされる二人の男の影が、酒を酌み交わして笑っている。
 忘れもせぬ山中にて、汪・皓湛(花游・f28072)は己と――友だと思っていた男を見た。
 金色の長い髪が揺れる。月を振り仰ぐ表情は晴れやかで、その日ばかりは常よりよく笑っていたのを覚えている。
「金華猫なら、いずれは宝を定めるのだろう?」
「そうだ」
「……そうか」
 気安く問うあの日の己の声に、金華猫と呼ばれた影が淀みなく応じた。
 月見の酒を交わす夜が、恙なく過ぎ去っていく。少なくとも、皓湛はそう信じていた。互いに随分と酔いが回っていたように思う。更けていく宵の帳が深くなるほどに、また交わす言葉も心奥へと近付いた。
 ――それ故だったのか。
「友の死因には――なりたくないのだ」
 いつか来る別れは必定だと知って、尚愁う皓湛が零した。俯いた眸を追うように、金華猫が暫しの沈黙を落とす。
 思わずと顔を上げた男の前で、友は嗤った。
 見たことのない顔だった。凍り付くような冷笑にも、或いは慈愛に満ちた微笑にも見える。
「汪皓湛」
 ――ああ。
 聞きたくない。
 聞きたくはないのだ、金華猫。
「俺は、お前を友と思った事は一度としてない」
 凍り付く。
 耳を塞ぎたい心地だった。あのときもそうだったが、腕は動かない。鉛のような体に向けて、尚も金色は語る。
「始めから宝とする為だけに近付いた。話しかけ、親切にし、信用するよう仕向けた」
 ――今までの全て、信じたものは偽り。
 ――晒されたものこそが、真実だ。
 事実は到底受け容れられるものではなく、しかしまず皓湛の中に浮かんだのは、強い怒りだった。友と信じた男の裏切りが許しがたく、尚またしゃあしゃあと口にされる真実が炎を煽る。
 悲鳴のような怒声が、口より零れた。
「お前の宝になどなるものか――!」
 立ち上がった皓湛の姿は、既に花と消えている。溢れたそれを追うように、ゆるりと体を持ち上げた金が歩き出す。
 そうして――。
 残されたのは皓湛が一人だ。
 ――何故だ。
 ――何故言った、金華猫。
 この身が宝だと明かした理由は何だったのだ。愚かにもその策に嵌まり、己を宝と定めた男を友だと信じきった己に、何を伝えたかったのだ。深まった酔いがそうさせたのか。そうでなければ――。
 繰り返す問いに答えはない。あの日に道を違った二人は、今や交わらぬ場所に在る。
 追われる男は猟兵となり、追う男は浸食する過去の残滓となって、尚も。
 ただ、この月の美しい夜だけが、心に突き立つ氷柱として在る。
 己がどうしたいのかすらも、皓湛には分からぬ。分からぬが、ただ、立ち止まることだけは出来ぬまま。
 ゆっくりと歩き出した月下の足取りに、幽かな猫の鳴き声が届いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロス・ウェイスト
(広がる光景はアリスラビリンスの何処か、かつて迷いこんだ場所)
(思い出すのは、心を占めるのは、親しんだ組織が壊滅したあの日のこと)
…か、かえらんと、せ、先生のところ、帰って…う、ううん、ちゃう、ボスのところに、ボスを守りにいかんと、あかんのに
先生に言われたんや、ボスを、守れ、て…先生かて、ボロボロやったんに

こ、ここ。ここは、あかん。
ここでおれはみんなのことも、おれのことも忘れてもうた。
帰るのに時間がかかった、から、やから、み、みんなが、ボスも、先生も、いなくなってもうた…
い、いや、ここはいやや、またなんもかんも忘れてまうのは嫌や、はやく、はやく帰らんと…!
(混乱し、恐慌しながら、雨の中を走る)




 見慣れた景色が、霧の雨の向こうに見える。
 投影された光景はよく知っている。忘れられない。忘れたくとも、脳裏に焼き付いて離れない。
 息を呑んで周囲を見渡したロス・ウェイスト(Jack the Threat・f17575)が、いつか感じたことのある恐慌に身を強ばらせた。揺らぐ眸が出口を探す。見も知らぬ不可思議な国を辿り、元の場所に戻るために。
「か、かえらんと」
 早く。
 早く先生のところへ――。
 違う。戻るのはあのひとのところではないはずだ。思い出せ。先生に送り出されたのじゃないか。押し寄せる敵を前にして厳しい顔をしたそのひとは、ぼろぼろに傷付いた体で、尚も鋭くロスに走れと言ったのじゃないか。
 組織を成り立たせる上では、絶対に失えない人がいる。誰の命を犠牲にしようとも、どの戦線が崩壊しようとも、守り通さねばならない人が。
 一番近くで守る大役を負ったのはロスだ。今すぐに向かわなくてはいけない。居場所を守るためにも、早く。
 ボスを――護りに行かないと、いけないのに。
 こんなところは見たことがない。組織の中にこんな場所はない。どこまで歩いても見えない出口の中で、気だけが急いて足が動く。
 ――否。
 組織とは何だ。先生とは誰なのだ。己はどこに向かって走っていたのだ。こんなにも傷付いて、痛い体を引きずって、それでも守るべきボスとは誰で、己は――。
 己は、誰だ。
 凍り付くような心地が体中を巡って息が乱れる。そうだ。あのときそうして全てを忘れたのだ。何もかもが思い出せなくて、どうして帰ろうとしているのか、そもそも帰る場所などあるのか、疑念を抱くままに歩き続けて、それで。
 ――ようやく帰るべき場所に帰ってきたときには、何もかもが終わった後だった。
「こ、ここ。ここはあかん」
 また間に合わなくなる。
 ようやく戻って、先生の言うとおりに走って、走って――その先にあったのは、血と肉塊だけだった。ロスを人として迎えてくれた仲間も、彼を救い出してくれた先生も、守るはずだったボスも、誰も返事をしなかった。
「い、いや、ここはいやや――」
 長居すれば同じことを繰り返してしまう。今にも忍び寄る疑念が、ロスの頭の中から全てを奪い去るような錯覚がする。
 否。
 それは――本当に錯覚なのか。
 浮かび上がったものを打ち払うことすら出来なかった。今すぐに走り出さねば手遅れになる。今度こそ、今度こそ早くに、ここを出なくては。
「またなんもかんも忘れてまうのは嫌や、はやく、はやく帰らんと……!」
 打ち付ける氷雨が身を凍らせることなど、気にはならなかった。それよりもずっと、心が凍ってしまう方が恐ろしい。
 水を跳ねて駆ける足がもつれる。思わず転びそうになったロスを呼び止めるようにして、鈴の音がちりんと鳴った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

コッペリウス・ソムヌス

傘を差して、かえりみちを行こうか
雨に映る原風景……今の己を形造るのは
帰れることのない始まりの場所、
きっと嘗てのキミがいた景色

雨音のせいで声が届く訳でもなく
霧めいた視界の姿は朧げで
其れでも気配でキミと分かるのだから……
影だけの現実とどちらがマシだろう
まるで雨の中を先導してくれているようだけれど

留まり続ければ共に溺れて水底へ
追い付いたなら、この夢想は消えるのでしょう
……立ち止まるなんて有り得ない、とか
思われていそうだなぁ、そういう奴だった
きちんと猫のところへ迎えにいくってば
…さようなら、夢まぼろしの過去とキミ




 広げた傘を雨粒が打つ。
 砂色の髪を霞ませる雨の向こう、見える原風景には何も映らない。ただ雨の帳が降りて、コッペリウス・ソムヌス(Sandmann・f30787)の目と耳を包むだけだ。
 かえりみちの看板に導かれる先に、何もないのか。
 否――。
 分かっている。
 既にかえりみちは目の前にある。原風景は見えている。彼の手が二度と届かぬはじまりの場所は、そこに現れているのだ。
 烟る雨の向こうに、朧に揺らぐ影がある。今は真に影へと成った――コッペリウスの片割れ。嘗て共に在った景色――或いはその存在そのものが、彼のかえりみちだ。
 思わずと上げた声は届かない。雨に阻まれた姿形はおろか、雨の向こうから懐かしい声が呼んでいるのかどうかすら分からない。或いはこうして捉えているのはこちらだけで、向こうはこちらの存在になど気付いていないのかもしれない――などと、心の片隅に過るほどに、その存在は朧だ。
 ――それでも。
 その気配だけで『キミ』だと気付いてしまう己を、少しだけ嗤う。
 伸ばした手は霧のような雨に消えるだろう。幾ら走ったところで届くことはない。これは幻だ。映し出されたかえりみちは、しかし現実に繋がる道とはなり得ない。
 知っている。
 知っているけれど。
 届かないのに、確かに目の前に在る。影だけしかない現実と比べて、どちらの方がましだろう。どちらにせよ――空疎に心を抉る痛みとしかならぬことに、変わりはないのだけれど。
 ゆらゆらと動く朧な姿が、コッペリウスを招くように遠ざかる。片割れに合わせるように、同じ足取りで歩き出した足許で水が跳ねた。
 まるで――前を阻まれる彼を先導するようだ。
 かえりみちの看板を辿らずとも、片割れの気配を追っていれば先には進めた。疑うことはしないまま、ゆっくりと後を追う。
 走ることはしなかった。
 ――追いついてしまったら、この夢はきっと消える。
 けれど立ち止まれば、共に溺れて水底へと沈むのだろう。この世界を道連れにして。
 足を。
 ――止めるなんて有り得ないと、言うだろうか。
 唇に描いたのは、少しだけ柔らかな苦笑だ。蘇る面影は確かに大真面目にそう言い出しそうで、心に飲み下した鉛が少しだけ軽くなる心地がした。
 そういう奴だった。
 だから。
「きちんと猫のところへ迎えにいくってば」
 ――キミがそう思う通りに。
 その声だって、聞こえてはいないだろうと知っていて。
 ああ、でも、声を投げることくらいは許して欲しい。返る声に期待などしないから。この時間が終われば、影しか残らないのだから。
 足を踏み出す。この先にいるという猫に会って、この涙雨を降り止ませるために。
 だから、あの日といまは交わらない。交わることを――望んだとて。
「……さようなら」
 夢とまぼろしの過去と。
 ――この目にすら映らぬ場所にいる、キミ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ハイドラ・モリアーティ
【BAD】
人が、沈んでく
俺は映画のポスター眺めてるような白々しさで見上げてたんだ

――俺の帰りたくない日は多すぎて、遡りゃしなかったんだろうけど
こんなのは記憶にないから、エコーのなんだなって気づいて
死んでいく家族も仲間の再演も前に
涙ひとつも流さないもんだから
――俺の身に起こったことじゃないのに

心配はしてねェけど
あれ。あー、ちょっと待って
涙出てきた。あれ
っかしいな
――いや、俺だったら、多分こんなの
耐えらんない、から

ねえ
……エコー、俺は
俺は死なないから――ずっと、一緒にいたいから
わかんねーや、どういう言葉かけりゃいいか
なんかもう、泣けちゃって
お前が泣かないから

――後悔、させないように
しないと、な


エコー・クラストフ
【BAD】
見えるのは一面の海だ
あの日、ボクが死んだ日。海賊船の皆が殺され、ボク自身も海に落ちた
何かの声に呼ばれて水面に上がって……蘇ったんだ
……もしここで何もせずに沈んでいけば。皆と一緒に穏やかに死ねたんだろうな
痛みも怒りもなく。それはもしかすると幸福なことだったのかもしれない

心配はいらないよ、ハイドラ
ボクは沈むつもりはない。浮上した先にあったのは復讐と戦いに満ちたものだったけれど、悪いことばかりじゃなかったよ
ここで死んでいたら、君に会うこともなかったしね

はは。なんでハイドラが泣いてるのさ
大丈夫。ハイドラがいてくれるなら、ボクの選択に後悔はないよ
それに、復讐もまだ済んでいないからね




 水面から光が差し込んでいる。
 深海より見上げる上方には、大きな船があった。ゆっくりと傾いていくそれから、数多の影が落ちて来る。
 長い時間だった気がした。ほんの一分だったかもしれない。
 目の前で母なる海へ呑まれていく命の粒を、ハイドラ・モリアーティ(冥海より・f19307)の眸が茫洋と見送る。まるで現実感のないそれの出所を問うても、頭の中の八つ首はてんでばらばらに当惑した声を上げるだけだった。
 帰りたい場所にはあいにく覚えがなかったが、帰りたくない場所ならまさしく死ぬほど思い当たる。あまりに莫大な下らなくて痛くて苦しい記憶は、看板ですら辿るのを諦めたのだろう。
 さもありなん――というところか。あるもの全部並べ立てようと思ったら多すぎる。お姉様から賜った痛みは全部、思い出そうとすると吐き気を催すほどに帰りたくない、ハイドラの原風景だ。
 だから、消去法で。
 これは――隣で水面を見上げる、エコー・クラストフ(死海より・f27542)のものだと分かった。
 エコーもまた――。
 己の原風景をよく覚えている。船が沈んだのは、嵐のせいでも波のせいでもなかった。歴戦の海賊たちは海を見るのに長けていて、そもそも陸地に暮らす時間の方が短いくらいだ。海と共に生きる人々の作り出した家は、生半可な天災で沈むほど柔ではない。
 それでも目の前で船は傾く。襲撃者はエコーの暖かな記憶の悉くを海へと叩き落として、彼女自身も冷たい水底へ還した。そのまま零れていく影と共に、底の見えぬ海の奥まで落ちていくはずだったけれど――。
 全ての影が暗がりに沈んだ後に、水面へ向かって浮かび上がる一つが残る。
 ゆっくりと伸ばされる手の先には、光だけがある。手を掴んでくれる者は誰一人としていないのに、薄い色の髪をした少女が船の残骸を掴むのが、確かに見えた。
 ――もし、あのまま深海の骸となっていたら。
 エコーはここにはいなかった。代わりに何を考えることも、感じることもなかっただろう。身を焦がす怒りもなく、身を刺す孤独の日々もなく、復讐心のみで繋ぎ止められるこの命もない。
 幸福だろう。
 ――幸福だろうと思えた日々も、あった。
「心配はいらないよ、ハイドラ」
 凛と声を零したエコーの眸は揺らがない。己が死に、そして生まれた日の光景をじっと目に映して、なお繋いだ手を強く握った。
「ボクは沈むつもりはない」
 再び得た生が光に満ちていたと、言う気はない。
 荒波の中を泳ぐのは確かに苦しかった。だがそれは独りだったからだ。操舵を預かりながら波を見るのは難しい。
 けれど――今は、そうではないから。
「ここで死んでいたら、君に会うこともなかったしね」
 確かに、それを衒いなく幸いと呼べる。
「心配はしてねェけど――あれ」
 いつも通りに発したつもりの声が震えた。水の中だというのに、頬を伝う熱い感覚がよく感ぜられる。
 己の瞼を乱暴にこすったハイドラが、洟をすすって手を持ち上げた。
「あー、ちょっと待って」
「はは」
 ちいさく笑う声が、余計に涙腺を緩くする。
「なんでハイドラが泣いてるのさ」
「――いや」
 ――何でお前が泣かないのさ。
 喪失を突きつけられて。好きだったんだろ家族のことが――などと問う必要すら感じられないほどに、その眼差しは寂寥と翳るのに。大好きだった居場所が、ハイドラが終ぞ得られなかった『普通の家族』が、沈んでいくのを前にして。
「ねえ」
 ――何で、こっち見て笑ってられんの。
「……エコー、俺は」
「大丈夫」
 何の言葉も見付けられないまま、手探りに海底を探るような呼びかけに、エコーが優しく声を被せる。
 強がりではない。幾度も呑み干した事実は確かに心の澱となるけれど、それを恨める時分は過ぎ去ったのだ。
「ハイドラがいてくれるなら、ボクの選択に後悔はないよ――それに、復讐もまだ済んでいないからね」
 ――ボクのために泣いてくれる、かわいいひと。
 冗談めかしたその様子に、雨の帳が戻ったわけでもないのに視界が霞む。喉に詰まる声はみっともなく震えていたけれど――どうしても届けたくて、ハイドラは咳き込むように台詞を吐き出した。
「死なないから」
「うん」
「――ずっと、一緒にいたいから」
「ありがとう」
 己の代わりのように涙を流し続ける竜を、冷たい手が引き寄せていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ティア・メル
【揺籃】⚪︎

雨が打ち付けてきて冷たいんだよ
んにんに、大丈夫
円ちゃんこそ平気?
んふふ、繋ぐ手があるから安心していられる

視界に映るのは知らない人
ぼくの記憶にないって事は
円ちゃんの

あんまし見覚えのない円ちゃんの笑顔
円ちゃんにとって良いものじゃあないのがわかった

母親、円ちゃんの
美人さんな所がよく似てる、なんて言えなくて
口を噤む

帰りたい記憶
円ちゃんはお母さんの所に帰りたいの?
でも円ちゃんにとって喜ばしくないなら
帰らせないんだ
ぼくと一緒に居てもらうの

ガーネットの色
円ちゃんが欲しがってる色って
話してくれるまで聞かずにいるよ

円ちゃんの手をぎゅっと握る
大丈夫、
辛い時も
憎い時も
一緒だからね

うん、ココア楽しみっ


百鳥・円
【揺籃】〇

ひゃーん冷たっ!
おじょーさんへーきですか?
視界は悪いし雨の音が激うるさいですねえ
逸れないよーに手を繋いで進みましょーね

……あーららあ、ふふふ
笑えなーい。

あなたの手は離さないままで
懐かしの光景に嘲ける微笑が浮かびます
あれは何時ぞやの記憶でしょうね

おじょーさん。見えますか
あれはね、わたしの母親なんです
わたしの耳とおんなじ髪色でしょう?

帰りたい光景だなんて馬鹿みたい
帰りたいなんて、戻りたいなんて
甘々ちゃんな思考は持ち合わせてません

ヒトの耳に揺れる耳飾り
鮮明なガーネットの色が焼き付くようです
あーあ、この前から思い出すことばっかり

んふふ、先に進みましょっか
帰ったらあったかいココアでも飲みましょ




「ひゃーん冷たっ!」
 バケツを引っくり返したような、というのが相応しい雨の下に躍り出て、ころころ遊ぶ飴のような声が頓狂に響いた。
 冬の氷雨が容赦なく身を穿つ。メイクが溶けちゃう――と眉根を顰めた百鳥・円(華回帰・f10932)が、伸ばした手の先にいる飴細工の少女へ声を上げる。
「おじょーさん、へーきですか?」
「んにんに、大丈夫。円ちゃんこそ平気?」
「へーきですよ」
 この通り――だけれど。
 わらうティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)が濡れ鼠になってしまうのは惜しいから、霧めく雨の向こうへ一緒に走り出した。
 ティアの足取りが迷わないのは、繋ぐ手があるからだ。互いの姿すらも朧に霞みそうな水の中で、けれど握った掌の内側はあたたかい。その感触を弄びながら、競って進める足が。
 ――不意に、止まる。
「……あーららあ、ふふふ」
 開けた視界に円がいる。硝子細工に似た眸を、見たこともないようないろで染めて、彼女は嗤った。
「笑えなーい」
 いるのは女ひとりだ。
 その造形のひとつたりとて忘れない。顔立ちのひとひらも取りこぼしたことはない。あまりの再現度に嘲笑すら零れてしまうほど、円の記憶通りに彼女が手招いている。いつだかも知れぬ光景は、けれど確かに、その横に円がいた頃のもの。
 ――ママ。
「おじょーさん。見えますか? あれはね、わたしの母親なんです」
「母親――円ちゃんの」
「ええ。わたしの耳とおんなじ髪色でしょう?」
 美人なところがよく似てる――なんて、いつもだったらわらって言っただろう。
 ティアが口を閉ざしたのは、目の前で微笑む円の顔が、凍るような温度を孕んでいたからだった。
 代わりに見詰めた先の光景が彼女のものだったことに動揺はない。寧ろ、ティアの記憶のどこにもないそれが、となりで手を握る彼女に纏わるものだと知れたのを良いことだとすら思う。
 ああ、でも――。
 ――円ちゃんにとっては、良い思い出じゃないんだろうな。
 顔色を見ればすぐに分かる。そういうものを笑顔のうらに隠してしまうのが得意な彼女が、今は目に見えてそういう顔をしているから。
 自分の耳を指し示していた指先が、どこか乱暴に下ろされた。吐息のひとつすら聞き逃さぬようにと耳を傾けるセイレーンの横で、まざりの狐耳が揺れる。
 あの赫いろ。
 ヒトの耳に揺らめくガーネット。鮮烈な赤が網膜を焼く。夢に潜れど、理想に溺れるヒトを喰らえど、満たされぬ渇望を抱くいろ。
「円ちゃんは」
 じっと動かぬまなこを引き戻すように、無垢のあまい声がする。
 ティアの大きな眸が円を見ていた。零れ落ちそうな飴細工のいろが、数多を融かし――いまは誰を融かすことも望まぬ声で問う。
「お母さんの所に帰りたいの?」
「いーえ」
 帰りたいなど。
 ――戻りたいなど。
「そーんな甘々ちゃんな思考は持ち合わせてません」
 ばかみたいだ。
 繋いだ手は暖かいのに、声はからりと笑うのに、いつもと寸分違わぬように眸を伏せるのに。
 ヒトを堕落に貶めて、その理想と夢を対価に甘さを啜って生きるヒトデナシ。愛も情も肩入れも、その裏返しも忘れた悪の申し子。血と涙の代わりに刹那の快楽を携えて、他には何も要らぬと叫ぶ人間を望むまま溺死させる悪魔。
 ――それなのに。
 それなのに、どうして。
 鮮烈な赫ばかりが、剥がれない。
「大丈夫」
 全てを包むようにして――。
 ティアの囁きが手を包む。わらう眸がほどける飴玉のように甘やかだ。
「辛い時も、憎い時も、一緒だからね」
 ――何も訊かない。
 話してくれるまで待っていると決めた。聞きたいと思わないわけではないけれど、無理に暴いてしまうことでもないと知っている。
 だからティアは待っている。
 待っていると――笑みに込めたら、伝わるだろうか。
 円が一度目を伏せた。唇に浮かべた笑みは今度こそ自然だ。開いたまなこは、いつもと同じに輝いている。
「んふふ、先に進みましょっか」
 この指先が凍ってしまわぬうちに。
「帰ったらあったかいココアでも飲みましょ」
「うん、ココア楽しみっ」
 いつもの通りに笑い合う二人の足音が、雨の最中を駆けていった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

神元・眞白
【SPD/割と自由に】シンさん(f13886)と一緒に。
かえりみち。元居た場所、でいいのでしょうか。
いつの間にか世界を渡っていて、元の場所にかえるみち。
記憶から抜けていても、かえることはできるのでしょうか。

マスターとお別れした日。恐ろしさと優しさを受けとったあの日。
学び舎、研究室。……私が育った場所。きっとそこが帰る先。
私が壊してしまったけれど、それでも私の道を示してくれた日。

マスター。今の私は1人じゃない。皆がいる。それに、シンさんもいる。
新しい場所、異なる世界に同じ様にココロを弾ませる、大切な人。
だから、今日だけは思い返させて。いつかまたここに、本当に帰る日まで。


シン・コーエン
【POW】眞白さん(f00949)と。

雨の中を眞白さんと一緒に迷いなく進む。

かえりみち、己の原風景か。
平和になった世界と生まれ故郷、話をせがんだ両親の大魔女退治、自分もそうありたいと鍛錬した日々…。
そして、ある日、両親が連れて行ってくれた外世界。
自分の故郷と全く異なる世界に目を奪われ、旅したいと渇望した。
あの時の気持ちは今も憶えている。

未知に対する恐怖、そして恐怖を遥かに凌駕する憧憬。
あの時、俺は本当に求めている物を知り、心が解き放たれたんだ。
今もそれは続いていて、愛おしい人と出会えた。
両親弟妹や友にはすまないと思うが、後悔は無いな。

尚、お互い違ったものが見えているが、眞白さんの景色も認識。




 迷いなく進む足取りが、雨の中にも見える太陽のようだと思う。
 シン・コーエン(灼閃・f13886)の金色は、曇天の中にもよく見えた。一回り以上も大きい掌は優美な外見とは裏腹に無骨で、その確固たる足取りと共に、剣を握り戦う者の勇ましさを連想させる。
 その歩みに導かれるように、神元・眞白(真白のキャンパス・f00949)は空を見る。
 ――かえりみち、と言う。
 帰るべきだといえる場所への道は、彼女の頭の中からはすっかり抜け落ちている。元の世界のことこそ覚えているけれど、そこから何をどうしてここに来たのかは、全く分からない。
 ある日――本当にある日突然――見知らぬ場所へと出て。それが、この世界に存在する界を渡る力によるものだったとすら後から知った。
 それでも、かえれるのだろうか。
 眞白の疑問に応じるように、不意に空が開ける。その先に見えたのはよく知る天井で――ああ、けれど、満ちるのは苦々しい香りだ。
 いつかのあの日、眞白の原風景は、つくり出されたそのときではなかった。
 生まれたこころと戦うためのすべの間で揺れ動く日々の果てだった。暴走したこの身を押しとどめるやり方など知らず――そうして眞白は、彼女を生んだひとを亡くした。
 受け取ったのは、ただ恐怖だけではない。手に握った優しさと共に歩み出したその日の再演に、深く深く息を吐く。
 研究室。
 眞白の学び舎。
 この手が壊したはじまりの場所。今こうして歩くために、一番最初に灯された道しるべ――。
 今は、今だけはどうか、この景色を心に刻ませて欲しいと願った。帰ると定めたその場所にいつか帰る日まで、足を止めないために。
 独り戦い続ける日々は終わったのだ。人形たちがいる。迎えてくれる仲間がいる。新しい場所を愛して、新しい世界に目を輝かせて、手を繋いで駆けていける――大切なひとが、ここにいる。
 胸の前で手を握り締めた彼女の見るものを、シンもまた見送っていた。
 何を言葉にすることもない。寄り添うだけで良い。己もまた、この雨に映るものを見送るために。
 ――それは、初めて世界を知った日だった。
 平和な故郷に倒すべき敵はいなかった。世界は既に平穏を取り戻していて、強大な悪は語られるお伽話の中にしかない。
 特にシンが好きだったのは、両親の話してくれる大魔女退治の顛末だ。
 幾度も聞いたそれをなぞらえて、いつか己もそうなれるようにと鍛錬を繰り返した。擦り切れる手の皮膚はだんだんと厚くなって、最初は重くて堪らなかった剣がよく馴染むようになった。
 それでも――。
 彼の望む冒険譚は、今は彼の世界のどこにもなかったのである。
 それが塗り替えられたのはいつだったろうか。シンはよく覚えていない。
 或いは、いつでも変わらなかったからかもしれない。時分がどうあれ、彼はきっと今と同じ高揚に身を浸しただろう。
 ――両親が連れ出してくれた外世界の、その光景を見たときに。
 何もかもが、シンの知る世界とは違った。同時に知ったのだ。己がどれほど狭い場所で生きていたのか。
 この広い世を旅したい――。
 芽生えた思いに逆らえぬままに、シンは故郷を飛び出した。身一つで知らぬものの最中へ飛び込むことを恐怖しなかったとは言わない。だがそれよりも、遙かに大きな期待と憧憬が、その胸を焦がしていたのだ。
 ずっと何かを渇望していた。心の奥底に震える願望を満たすものを求めていた。それをあのとき知って――解き放たれた心は止まらなかった。
 家族の笑顔に罪悪感が後ろ髪を引かぬわけではない。だが、この選択を後悔したこともない。
 その先で仲間を得て、大切なひとを得たのだから――尚更に。
 見合わせた眸の向こう、歩く世界には終焉も銀の雨もない。緩やかに微笑む愛しいひとの眼差しと、今生きる世界だけがある。
 それを――至上のさいわいと紡ぐから。
 己の世界に連なるものは、ここには断片的にしか存在しない。恋しさも決意も憧憬も抱いたままで――それでも、ふたりの足は前に進む。
 今ここにある、大切なものと共に。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
【月光】

会えた瞬間にそれ迄待っていた時間を忘れてしまう
よく、わかるわ

穏やかな村で微笑むパパ
寛いだお姿
とても幸せそう
でも、でも
あなたの手を握る

雨がつめたい
身体が冷えていくにつれ
思考も霧めいていくよう

青い花弁が散らばっている
床の角にも
窓にも、天井にも
べったりと鉄錆びたにおい
いえ、これは花びらではなく

当然、わたしの手にも
口にも

一歩後ずさると
踵に重いものが当たる
光の無い目を此方に向けて
伏したお父さま、が

……いや
いや!!!

手にこもった温みに縋って
振り切る様に現に戻る

パパにも、見えてしまった?
息が出来ない
ゆぇパパの顔が見れない
温かさに包まれたなら
なおさら怖くて

それでも、うん
一緒に帰りたい
帰りたいよ
ゆぇパパ


朧・ユェー
【月光】

かえりみち
ここは?
子供達の笑う声、何気ない会話
毎日変わらない日常
小さな小さな村の小さな幸せ
僕も楽しげに話す
嗚呼、ここは幸せな場所

いえ、ここはもう無くなったモノ
僕の帰る場所はここでは無い
握った手が震えているのがわかる
見えるのは、あの人は
きっと君の本当の

おびえる彼女をそっと抱き締めて背中をぽんぽんと優しく
大丈夫、大丈夫ですよ

君の場所はそこでは無いよ
一緒にかえりましょう
本当に帰る場所に




 ちいさな村の、なんてことのない日常が目の前に在る。
 はしゃぐ子供たちの真ん中に、朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)が立っている。駆け回っては時折転がる彼らに手を延べて、ときに喧嘩の仲裁に入る。小さな村は、それ一つが家族のようなものだ。別の家に住んでいるからといって距離感が他人のそれになるわけでもない。
 だから、気安く近寄ってきた人々と、他愛ない世間話に花を咲かせる。
 笑みは自然と唇を彩った。つくったのでも、誰かに見せるためのそれでもない――心からの表情が。
 零れ出る言葉も、自然と笑みの後を追う。重ねる日々に代わり映えはないから、話題だってそう変わるものではないけれど。昨日とよく似た会話の中に新しいものが混じっていれば、それはもう大事件だ。
 幸福な日々は連なっていく。その中に在る己の姿を、ユェーはただ目を細めて見送った。
 ――かえりみち。
 確かに、そう言われればそうなのかもしれないが。
 もう亡いものを帰る場所だと言われたとて、この心の何になろう。かえりみちがあるとして、ここに繋がることなどあるまいに。
 ぎゅっと握られた手の感覚に目を遣れば、その先にルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)がいる。
 パパと呼ぶそのひとの光景の幸福さを、彼女も見ていた。寛いだ顔で笑うユェーの顔を見送りながら、けれどどこか茫洋とした蒼い眸は、ずっと遠くを見ているようにも思える。
 ――霧のような雨が、思考までもを烟らせるようだ。
 冷えた雨水が二人の体を打つ。体が冷え切るのと一緒に、心までも冷まさせるように。
 片方を覆った眸に、ルーシーは見ている。
 静かだった。青い花弁が部屋中に散らばっている。天井に張り付くように、床の隅を埋めるように、壁を覆うように。
 違う。
 鉄錆のにおいがひどい。舞い散らないまま止まる花弁なんてない。光もないのに色は分からない。それなのに、それなのに、青だけがルーシーの目を真っ直ぐに射貫いている。
 違う。
 違う。違う。違う。
「……いや」
 ――ちがうの。
 いいや。
 違わない。何も。なにひとつ。
 欺瞞しないで――声が囁く。後ずさった足が鈍く何かを蹴る。振り向いてはいけない。見下ろしてはいけない。
 いけないのに。
 『お父様』が伏している。鉄錆のにおいを纏う青に塗れて。立ち竦む『娘』を見上げて、息をしない口を開けて。
 うつろな男の眸にルーシーが映る。まざまざと見る。見てしまう。眸の鑑に映るその口許は。唇に触れた指は。手は――。
「いや!!!」
 ――おそろしいものを振り払うような手を受け止めて、おおきな掌が体を包む。
 震える手を優しく引いて、ユェーは小さな体を抱きしめた。可哀想なほどに怯える彼女を落ち着けるようにして、掌が一定のリズムを刻む。
「大丈夫」
 怖いものからはユェーが守る。
 そんなにも見たくないと震えるのなら、この背で遮るから。
「大丈夫ですよ」
 その言葉が――何よりもあたたかい。
 暖かいから余計、ルーシーの震えは激しくなった。息が出来なくて涙が零れそうになる。力の抜き方が分からない。目を上げることも出来ない。大好きなそのひとの表情をこの目に留めたくて、けれどそれが何よりも恐ろしくて、体が凍る。
 だって。
 だって――。
「パパにも」
 ――見えてしまった?
 掠れる問いに、ユェーは答えなかった。代わりに、そっと優しく肩を撫でる。
「君の場所はそこでは無いよ」
 転がった男の姿。その色が青でないのを、確かにこの目にしている。立ち竦むルーシーが一体何をしたのかさえも、情景から推察するに難くはない。
 だが。
 だからなんだという。
 ルーシーは、ルーシーだ。ユェーの大切なもの。だから表情は穏やかなまま、笑いかけるような声の温度も変わらぬまま、心を真っ直ぐに映す。
「一緒にかえりましょう。本当に帰る場所に」
 ああ。
 ――ゆぇパパ。
 ――ルーシーは、そんなにこどもではないの。
 だけれど――。
「うん」
 頷いた声は震えて、けれど指先はぎゅっと彼の服を握った。
「一緒に帰りたい」
 暖かい場所へ。いまの居場所へ。あの日に囚われてしまうより、はやく。
「帰りたいよ。ゆぇパパ――」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ルパート・ブラックスミス


雨など、俺には無意味だ。
常に中を青火で燃やすリビングアーマーの足を止めるものではない。
……看板を辿れという話だったな。


見える原風景は『滅んだ故国の廃墟』。
人として死に、ヤドリガミとして目覚めた場所。

本来なら悔悟の象徴だろう。騎士の使命を果たせなかった証だと。
だが未だ生前の記憶が欠片も戻らぬこの魂には、憤怒も悲嘆も望郷も無く。
その忘却から、いたであろう家族や仲間達への負い目はあれど、
この風景そのものには何も想えない。

だから、この風景は俺にとって帰路ではない、往路だ。
ゴールではなくスタートなのだ。

『かえりみち』など、俺には無意味だ。
ふりだしに戻るつもりなど無い。黒騎士ブラックスミスは先に進む。




 命亡き鎧が、雨に止まることはない。
 隙間より漏れ出でる青き焔鉛が、ルパート・ブラックスミス(独り歩きする黒騎士の鎧・f10937)に降りかかる氷雨を灼いた。焦がす焔は不滅、凍る身もないとなれば、濡れたところでさしたる意味もない。
 鎧の足取りが看板を追う。一寸先すら霞む雨の中に在って尚よく見えるそれは、ただ目的を遂行するのみにおいてはひどく便利だった。
 ――かえりみち。
 帰る場所など、とうに亡くしたというのに。
 水に濡れた泥を踏んでいた足は、いつの間にか瓦礫の中にあった。ただ耳を支配する静寂だけが変わらない。
 全てが終わった場所だ。
 何もかもが閉じて、ルパートだけが始まった光景である。
 故国と共に滅び損ねたその身がこの光景を映すことを、人は慚愧の象徴だと言うだろう。騎士と成ったからには必ずと果たすべき使命を果たせず、守護を誓いながら己ばかりが目覚めたことを――騎士としての誇りが潰えた証と、その身に刻んでいるのだと。
 だが――。
 人がそう見いだすよりずっと、ルパートの背は軽い。
 人としての彼は、恐らく故国を守る戦いで死した。その先で魂のみを鎧へ宿し、ヤドリガミと呼ばれるものへと成った。その際に――何もかもを、取り落としてしまった。
 記憶がない。人としての命はおろか、この鎧の奥にあるべき肉体すらも喪い、果てには過去すらも亡い。愛したはずの故郷で過ごした日々は未だ朧の向こうに霞み、その片鱗さえ掴むこと能わぬ。その身に宿すべき――或いは『生前の己』たる者ならば宿したかも知れぬ感情のどれ一つとして、彼の身を巡る焔は懐かない。
 全てを奪った仇敵への憤怒も。
 全てを奪われた悲嘆も。
 全てがあった日への望郷も。
 ただこの手に遺ったのは、絶えずこの身を突き動かし続ける、騎士としての矜持のみ。
 ないものを想えと言われたとて、どだい無理な話だ。ただこの心に渦巻くのは、あったはずの家族も友も取り落としたことへの負い目だけ。それすらも、相手の顔さえ分からぬのであれば、どこか客観的に切り落とされている。
 その光景がいつか帰るべき場所であるというのなら、そこには何らかの追懐があるべきだ。この心に未だ戻らぬ記憶の片隅にでも、蘇るものがあるはずだろう。
 ルパートには何もない。湧き上がるような正体不明の感情も、去来するはずの過去の残滓も。
 ――何も想えないのであれば。
 そこに帰る意味はない。
 故に、ここは始まりである。いつか回帰する場所ではなく、正しく踏み出した一歩だ。
 ルパートに帰るべき場所はない。歩み出すための足こそあれど、それが過去に回帰するために振り向くことはない。
 ――黒騎士ブラックスミスは、前に進む。
 迷いのない一歩を呼び止めるように、猫の鳴き声が幽かに聞こえた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

岩元・雫
わたしの――おれの、帰りたい場所
帰りたくない、場所
おれは何時だって、何処にも帰りたくはないよ

霧雨の海を游いで進む
かえりみち、だなんて馬鹿げた話
一笑に付したくも、唇は情けなく戦慄いて

見えてきた『かえりみち』は
ニンゲンだった時、学校から帰る道
でも知っている
此れはいつもの通学路じゃない
おれが死ぬ時歩んだ路だ
真っ直ぐな通を、昔無かった鰭でなぞる
視線ひとつもくれてやらぬ侭、生家を通り過ぎて
進む、歩く、游ぐ


纏わり付く雫が、重い

道の先には夜の海、まっくろな漣
覚えてる、覚えているよ、そりゃ
おれは彼の日、此の海を越えたの

波打ち際に、猫が見えた
ねえ、猫って水が嫌いではないの
離れた処から声掛ける
――どいてよ、其処




 かえりたい。
 ――かえりたくない。
 かえりみちの看板に従いながら、鰭めくそれが宙を蹴って游ぐ。何時でも何処にも帰りたくないと嘯きながら、其れが仕事であるが故だと誰にともなく弁明して、岩元・雫(望の月・f31282)が霧の雨を往く。
 過去を導き映し出す雨。猫と主人の再会を祝うくせ、泪のように泣き止まぬ空。
「馬鹿げた話」
 誰に聞かせるでもないまま嗤う声は、けれど誰にも聞かれなくて良かった。
 己でも情けないほど戦慄く唇が紡いだ声もまた――ひどく不格好に震えていたから。
 角を曲がった先にあるのは、見慣れた道だった。
 何の変哲もない。それこそただの曲がり角の先にだって広がっているような、長閑な光景だ。
 毎日のように通った。今はない学生鞄を背負って、朝は眠たげに口を開きながら。そうして午後は、朝よりも少しだけ穏やかな足取りで。
 ニンゲンだった頃の己は、いつまで経っても現れない。普段ならばこの時間には歩いてくるはずだけれど――。
 知っている。
 これは、雫がなにもかも取りこぼした日だ。
 来るはずはない。この道で死んだのだ。ニンゲンでなくなって、足の代わりに鰭を得て、己で地を蹴ることが出来なくなった代わりに宙を游げるようになった。
 来ない。
 ――来ないよ、待ったって。
 だから――己で游ぎ出すことにした。
 どこまでも続く直線を、鰭のようなそれでなぞる。いつか潜った生家の扉は一顧だにしない。そこに在る、ということを――いやというほど覚えていても。
 そうして進む。何もかもを置き去りにして。あのときと同じように。
 ああ、でも。
 ――纏わり付く雨の雫だけが、ひどく重いのだ。
 鰭が動かぬのはそのせいだ。この空をいつもの通りに揺らがせることが出来ないのは、ただひとえに鳴り止まぬ雨音が故だ。
 だって。
 この道の奥に在る音に――よく似ている。
 波の音がする。潮騒に呼ばれている。耳を凝らさずとも、雨の音だと言い訳も利かぬほどにはっきりと。曇天をそっくりそのまま映し出したような、それよりもずっと重くて深いような音が――招いている。
 夜の海が、目の前に在る。
 こんなことされなくたって、覚えているよ。
 ――覚えているさ、そりゃあ。
 この海を越えたのだ。越えたからこうなっている。あの日、続くはずだった日々を鎖されて、雫はこの先に逝ってしまった。
 あのときと同じように。
 進もうとする彼が動きを止める。波打ち際に、何かがいる。
 灰色の猫。こちらを寂しそうな眸で見詰めるそれが、声も立てずに雫を見ている。知る限り、水を嫌うはずのそれは、けれど決して波打ち際から動かない。
 綺麗な毛並みが濡れている。見詰める双眸が揺らがない。
「――どいてよ、其処」
 遠くから零れたひどく力のない雫の声を、細波が静かに攫った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
……道標が用意されているとは親切な事だ
落ちる雫に構う事無く、道を辿る

浮かぶのは――もう帰る事なぞ叶わない、灰燼と化した故国
喪われる事など思いもしていなかった
大切な人々が幸せと共に生きる、光に満ちた姿ではなく
何故、血と焔に塗れ灰に沈んだ、呪わしいばかりの景色なのか
考える迄も無い
私が私で在る理由、原因其の物なのだから
“原風景”と云うならば、此れが浮かぶのが道理だろう

護りたかった。護れなかった。間に合わなかった
狂おしい程の慙愧が裡を灼く
生きる限り懐き続ける此の咎を引き摺った侭
声は届かず、手は何をも掴めず、脚は決して間に合わず
其れでも――只管に、歩く

帰りを待つ場所へ帰る為に
今度こそ、間に合う様に、と




 ――全く親切なことだ。
 皮肉を交えた台詞は、果たして声に成ることはなかった。
 乱雑に持ち上げただけの琥珀の髪を、雨が崩して視界を塞ぐ。晒した右目にかかる髪を一度掻き上げて、軍靴は迷いなく地に沈み込んだ。
 鷲生・嵯泉(烈志・f05845)に、帰る地は亡い。
 ならばせめて、故国の光在る光景が映れば良いものを。
 命の痕跡の一つとて見て取れぬ灰ばかりが、行く手に広がっている。焦げた肉の異様な臭気が、鉄錆のにおいと共に鼻腔を埋める。
 ――考えてすらみなかった。
 思えば、この身の滅びはいつでも故国のそれより先に在った。死するならば国より先で、生きるならば国より後に。護国の剣と成ることは、即ち己の前に守護すべき命を持つことだった。
 それが――。
 この灰の中に、己だけが息をしている。
 焦がれた微笑みも、背を預けた大声も亡い。生きる意味と共に総てを喪って、後に遺った伽藍堂に、託された願いと祈りを灯した。
 解っている。
 幸いの光景が映らぬのは、そうして生きた果てに在るこの身の起源は、灰中にしかないからだ。
 この手を届かせると誓ったはずだった。何を尽くしてでも護ると誓った。護れぬときはこの身が死するときと定めて、信じて疑わずに歩いたはずだった。信ずる背と共に馳せた戦場が、或いは心から愛した微笑みの隣が、いずれ己の身を埋める場所だと信じてやまなかった。
 それが――この有様だ。
 空疎な痛みの縄に締め付けられる心の裡を、ただ焼けるような慙愧だけが埋める。叩き付けるような自問に戻る声はない。幾度繰り返せども、嵯泉が返せる応答は言い訳じみた。
 だから、何も応えとしない。
 地を殴れどただ焼けた土が舞い上がるだけだと知っている。血を吐くほどに吠えたとて何も見つからぬことも解っている。
 ――故に、腕の代わりに軍靴にて踏みしめる。
 この身が息をする限り、永劫懐き続ける他ない罪業を。背に括り付けられた重りを。ただ再び、刻むために。
 引き摺る荷物は重い。圧し掛かる咎が首を絞める。どれほど歩いたとてこの先には何もない。声は届かぬ。この手は何も掴まぬ。この足は間に合わぬ。
 どれほど叫んだとて――灰は灰でしか有り得ぬ。
 それでも。
 ――それでも。
 帰らねばならない。
 身を埋めるのは灰だけではない。今この手に在るものは、総て焔に消えた過去のみではない。
 そうであるべきだった。そうであると誓った。一度総てを取り落としたこの手に、何を掴む資格もないと律し断じて来た。
 ――それを護れなかったことに、自嘲を浮かべることこそすれ、後悔はない。
 止まぬ氷雨が身を浸す。崩落した嘗ての都が、その惨禍を水に晒す。灰に染み込む水の感触を、また一歩と踏みしだいた。
 二度と、と誓い――尚また掴んだものに、届くように。
 灰燼へと帰さぬ為に、この足は在る。

大成功 🔵​🔵​🔵​

雲失・空
【雨空】

(ああもう、こう雨がしつこいとあんまり視えないな……音も遠いし……
ていうか二度と帰りたくない日が"かえりみち"だなんて、趣味が悪いなぁ)
あっ…とごめんウルル、今行くよ
ってこの姿勢で歩くのちょっとキッツ……ウルル、私が持つから代わりに引っ張ってってよ
そっちの方が良くない?

──ウルル?
(止まった足。些細な呼吸の違い
きっと今、件のものを見ているのだろう
それが何か、自分には知る由もないけれど
こうして手を握って、"居場所"を教えることは出来る)
おかえり、ウルル。
ああ、別に大丈夫。言わなくても。
そのうち聞かせてくれれば、それでいいよ。

"こんな雨"の中じゃなくて、ね。


ウルル・レイニーデイズ
【雨空】

……かえりみち。
(帰る場所というのに
ぼくは心当たりはないけど
辿れと言われたからには二人で辿ろう)

……あっちだって
あ うん
じゃ、おねが――

(極彩色の雨従え相合傘。
その先に見えるのは
今降るのと同じ、極彩色の雨の中に沈んだ街

悪徳が蔓延ったから、と
命ぜられる侭に沈めた。
その街に棲まう悪を
忘却の化身達を
街ごと呑み尽くして滅ぼす、聖書の洪水の如き虹雨の濁流)

(――七日も経てば
悪徳も汚染も遺さず
雨も消え
新しい人が棲まう街

そして
ぼくはそこに居ない
綺麗な場所には住めないから

また同じように何処かを雨で沈め立去る
その繰り――)

……、ん……

……ただいま。

……うん

また カラのお部屋で
美味しいお茶 のみたい。




 雨の中は、慣れている。
 片手に抱いた傘を差して、ウルル・レイニーデイズ(What a Beautiful World・f24607)は看板を見た。彼女の従える極彩色の雨粒は、しかしかえりみちに降る驟雨を塗り替えることはない。
 ――かえりみちと呼ばれるものに、心当たりはなかった。
 ならば己には何も見えぬのではないだろうか。ぼんやりとそんなことを思いながら、少女は看板から視線を上げた。その先に、雨の中の道しるべがある。
 二人寄り添い傘の中、極彩を引き連れる雨女の隣で、雲失・空(灯尭シ・f31116)がサングラスに覆った眸を空へと向けた。
 全く悪趣味だ。
 元より骸魂とはそういうものであるけれど。それにしたって、かえりみちと称したそこに、痛みを映すことはあるまい。
 雨がしつこくて聴覚もぼやける。視るにはあまりに雨粒の気配が強すぎる。
「……あっちだって」
 次の看板を見付けて、ウルルが傘の中で指を差した。果たして返るはずの声はなく、紅色の眸はほんの少しの怪訝を浮かべて、友人を覗き込んだ。
「カラ?」
「あっ……とごめんウルル、今行くよ」
 言いながら歩き出した空の体が引っかかる。隣の友人は背が低く、対する己は背が高い。ウルルが背伸びをして腕を目一杯に伸ばしたとて空の望む位置に傘は来ず、またそんな状態で歩けというのも忍びない。この雨の中での道案内は、雨の娘に任せるが得策なのだし。
 一つ傘に入るのなら、役割を交代する方が良い。
「……ウルル、私が持つから代わりに引っ張ってってよ。そっちの方が良くない?」
「あ、うん」
 ウルルの方もこの状況がちぐはぐであることは分かっている。故に抵抗もなく頷いて、白くうつくしい指先に雨具を渡す。見上げた先のサングラスのうしろ、笑う眸を見遣って。
「じゃ、おねが――」
 言いかけた声と足が、止まる。
「――ウルル?」
 空の怪訝そうな声もどこか遠い。じっと見詰める目の前の光景は、今に降る雨と変わらない――ひとつの世界を沈め壊すもの。
 引っくり返された曇天が引き連れているのは、ウルルの横にある極彩色の雨だった。かえりみちは見せないし、看板もない。ただ呑まれていく街だったものの中央で、雨傘を差した少女が一人、佇んでいる。
 蔓延っていたのは悪徳だと聞いた。
 悪いものは、排さなければいけない。そう教えられて、命ぜられるままに足を踏み入れた。
 降り出した雨は全てを押し流す。聖書の洪水に似て、けれど船は出ない。生き残る過去もない。さながら極彩色の地獄――神の思し召しとは真逆の、ただ静寂を育むだけの天罰。
 汚染の雨が何もかもの悪を呑み干した。創世と同じ七日のときが過ぎれば、この地にはまっさらになった住居だけが残るだろう。雨も、悪の残滓も残らぬそこで、新たな人々の営みが根付くのだろう。
 ――ウルルはいられない。
 清浄な空気は彼女を蝕む。小さなフラスコの中から生まれた命が適応しうるのは汚染のさなかだけ。連れる雨こそが生命維持装置で――けれど、それは人にとっては恐ろしい毒だから。
 ささやかで平穏な暮らしの中は居場所じゃない。笑顔も感謝の言葉も受け取ることは叶わない。それでもまた、新しい地を押し流して、立ち去って、この命が尽きるまで繰り返すだけ――。
 不意に、ぎゅっと手を握られた。暖かな温もりに小さく声を漏らして見上げた先で、傘を持った友達が笑っている。
「おかえり、ウルル」
「……ただいま」
 ――彼女の目に何が見えていたのか、空は知らない。
 見ることの叶わぬそれに、何が言えるわけでもなかった。けれど、居場所を伝えることは出来る。声が届かぬのなら、温もりで。
 ほんの少し力を抜いたウルルが、迷うように唇を開こうとした。
「あのね――」
「ああ、別に大丈夫。言わなくても」
 からりと晴れた太陽の如くに、空は言う。見上げた先の曇天は、極彩色すらも覆い隠さんばかりの雨を降らせ続けている。
 ここでは、話すのに向いていないし。
 それを突きつけられたまま声を出すのだって――きっと、互いが望むことではない。
 だから。
「そのうち聞かせてくれれば、それでいいよ」
 いつかの機会はある。
 ここが彼女の居場所だ。弾き出されるような雨の裡でも、心を苛む幻の中でもなくて。だから話がしたければ、ここじゃなくたって構わない。
「“こんな雨”の中じゃなくて、ね」
「……うん」
 浅く頷いたウルルの眸が綻んだ。握られた手に力を込めて、己の心を取り戻す。息を吸って、吐いて――。
 前を見て。
「カラ」
「ん?」
「また、カラのお部屋で――美味しいお茶、のみたい」
「わかった」
 ――じゃあ、とびっきりのを用意してあげる。
 手を繋ぐ二人の後を追いかけるように、鈴の音が鳴った。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ
⛩神櫻

雨に浮かぶかえりみち―…
私の帰る場所は決まっている
何時だって、きみの隣に
愛しい櫻の傍へ

桜が静かに咲いている光景
噫…しっている
前の『私』の記憶
之は君が、旅立った日だ

ひとつの生を終えて君は旅立った
桜と変じた君とその子孫を見守るという役割と―約束を私に遺して

君のいない花冷えの日々を生きた
孤独の意味をしった
君がもう戻らないかもしれないという恐怖をしった
君が千回咲いて、千回散るのを見守り
待ち続けた
君の帰りを

帰りたくない
…ひとりきり、孤独な世界に
きみのいない世界での生き方など忘れてしまった

はやく帰ろう
君の手を握る

あのね、櫻宵
然るべき時。君に、贈物をしようと思うんだ

もう二度と
この花冷えを迎えないように


誘名・櫻宵
🌸神櫻

嫌ねぇ、しとしと雨ばかり
されど私の桜は散らないわ

かえりみち……?
山の中の風景が浮かぶ
噫、懐かしい
此処は故郷にある硃赫山―師匠がひとり住んでいた社がある場所
宵の帳が降りれば、私は師匠の元から家に帰らねばならない
孤独で辛くて、ここに居てはいけないのだとしか感じない居心地の悪い家に
かえりみち
何時も、嫌だった
哀しくて寂しくて―家へ戻ることよりも

噫、あなたと別れたくないと


神に手を引かれ我に返る
私の神様
私だけの神様
ずっとあなただけは遥かな昔から、私をみていてくれた

ええ
帰りましょう
カムイ、私には帰るべき場所がある


贈物?なにかしら
その時を楽しみにしているわね
……花冷えになど、あなたをおとしたりしないわ




 散らぬ櫻が雨に揺れる。
 枝垂れ桜に滴る水滴。ほんの少し眉根を顰める誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)の横顔を、朱赫七・カムイ(約彩ノ赫・f30062)の薄紅が見詰めていた。
 ――かえりみち。
 繋がる先は決まっている。カムイが目指す居場所はただひとつ。何処に在ろうと、何時にいようと、この両の眸が見失うことなどない。
 かえる場所はいつだって――咲き添う愛しい櫻の隣に。
 噫、故にこれが見えるというのなら、それもまた道理と呼ぶのだろう。
 紛れもなくカムイの過去であって、或いはそうではないもの。櫻の転生に導かれる以前の己が生きた道に在った日。
 胸郭を抉るいたみは、あのときの再演だろうか。
 さやさやと、物言わぬ満開の桜が揺れている。その花吹雪に打たれ、神はじっと立ち尽くしていた。
 彼ひとりを遺して、束の間のひかりは尽きていった。その身を桜へと変じたそのひとは、静かな眠りへと旅立って――カムイは独り、その傍にいる。
 鮮やかな日々が去来して、全てが花弁と乗ってしずしずと散る。過ぎ去った後、心に遺るのはただ、紡いだ約束と誓いだけ。
 ――咲き続ける君と。
 ――君に連なる者たちを、見守り続ける。
 春が巡ることを数えて過ごした。桜が咲いて散るが如く、血脈は生まれ、老いて、そしてまたカムイの前から消えていく。
 孤独だった。
 孤独ということの、ほんとうの意味を識った。
 それは恐れだ。凍るような冬の裡に蕾を芽吹かせる君が春の訪れを告げて、苛烈な日差しを厭うように散っていく。幾度繰り返せど巡らぬ命を待ち続ける裡に心へ這い寄る、どこまでも残酷な痛み。
 ともすれば――。
 君はもう、二度と戻らないのかもしれない。
 花冷えの日々は千回の春を迎え、そして千回の春が終わった。さいはてで巡り逢えた手の温もりだけが、手の内にある――。
 そうして過去を映すカムイの隣で、櫻宵もまた、ひどく懐かしい道を見ていた。
 硃赫山と呼ばれる山だった。師と仰いだそのひとが、ひとり住む社のある、ひと気のない場所。
 櫻宵は、そこが大好きだった。
 逃げるように転がり込むそこに在って、師はやさしく笑ってくれた。そこには責め立てるような眼差しも、侮蔑を孕む冷ややかな笑みもない。櫻宵が笑ったとて、誰も見咎める者はなかった。
 けれど、それも日の高いうちのこと。
 宵の帳が辺りを包めば、もう帰らなくてはならない。
 師の元が帰る場所だったらどれほどさいわいだっただろう。離れることなく共にいられたなら、この心が引き裂かれることもなかったろうに。
 その日も、ささやかな足掻きは成就しなかった。だんだんと色を濃くする月に急かされるように、星空に背を押されるように、重い足取りで山を下るほかにないのだ。
 家に帰ったとて――。
 櫻宵には苦しいことしかない。心は千々に裂かれて、散ったそれを踏みつけられるような時間が待っている。暖かく受け容れてくれる腕もないままに、独り痛む心を抱えて、明日の日の出だけを――再び彼に会えるときだけを、待ち続けるのだ。
 噫、けれど。
 それよりもずっと、辛くて寂しくて、胸を締め付けたのは。
 ただいっときでもあなたと別れなくてはいけないという、その事実だけ。
 かえりたくない。
 あそこには、かえりたくない――。
 強く握られた手に、櫻宵の意識が現実を取り戻す。櫻いろの眸に揃いの薄紅いろを見て、息を吐く。
 ――カムイ。
 櫻宵だけのかみさま。たったひとり、この身を遙か過去から見守り続けてくれた、うつくしいひと。
「はやく帰ろう」
 櫻のいろを映した神が笑む。
 ――私の巫女。
「ええ」
 ――私のかみさま。
「帰りましょう、カムイ」
 指さきを繋ぎ直して、歩き出す。底冷えする雨が全てを押し流してしまわぬうちに。
「あのね、櫻宵」
 道すがら、カムイがそっと口を開いた。
 真っ直ぐに見詰め返す眸どうしを絡ませて、暫しの沈黙が雨に流れた。
「然るべき時。君に、贈物をしようと思うんだ」
「贈物? なにかしら」
 さやさやとわらう櫻宵に、神は明確な答えを返すことはしない。されど、揺らぐこころは吐息に明瞭と乗る。
「もう二度と、この花冷えを迎えないように」
 ――もう、失くすことが出来ない。
 君のいない世界での息の仕方は、もう思い出せそうにないから。
「……花冷えになど、あなたをおとしたりしないわ」
 返す巫女の声は、聢と神の手を握り返した。心配など要らないと、約すように。
「その時を楽しみにしているわね」
 いつものように紡がれた声と、歩く足とを呼ぶように、猫の声が鳴く。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

壇・骸

アスト(f00658)と
原風景【暗闇の荒野】

「かえりみち」なんざ、俺には縁が無いと思っていた
故に、今回も。悪路を進んで、元凶をぶっ叩いて、終了
そうだと、思っていた

なのに、何故。こんなにも足取りが重いんだ
妙に頭がざわつきやがる
脅える屍など、笑い話にもならねえだろうに

いつの日かを、思い出す
一人で震える路地裏を。凍える夜の寒さを。何かに怯え続ける夜を。
……孤独とは、孤毒である。なんて言葉は。どこのどいつが言ったんだったか

もう、全てを雨ごと消し飛ばしてやろうかなんて思った矢先に
暗闇に、月の黄金が見えた
悪い、アスト。ちょいと声を聞かせてくれ


星空は、いまだ見えない
されど、不思議と怖くはなかった


アストリーゼ・レギンレイヴ

ダン(f17013)と
原風景【暗闇の荒野】

広がるのは何者もなき暗闇
闇のみを伴とする、寄る辺なき孤独の旅路
――嗚呼、そうね
どうしたって行きつくのは、此処なのでしょう

救いを齎すための機構と科せられ
それを、望んで受け入れた時から
往く道も、戻る道も、此処に繋がっている

わかっていたし
それでいい、と思っていた
生きるに足りず、死ぬに能わぬ屍の身で為せることがあるとしたら
ただ独り、終わりなき救世の道を敷くことだけ
今更、怖いなんて、我侭だわ

――そう、わかっているのに
陽より鮮やかなあの紅を捉えれば
泣きたいくらいに胸が締め付けられて

……あら、声だけで良いの?
手くらい貸してあげるわよ――雨より冷たいでしょうけれど




 暗渠に沈んだ荒野を往く。
 道などない。そも、こんな場所を好き好んで通る者などないだろう。
 隣の温もりすらも映らない。だというのに、壇・骸(黒鉄・f17013)とアストリーゼ・レギンレイヴ(闇よりなお黒き夜・f00658)が見るものは、奇しくも同じ色をした。
 ただの仕事だと請け負ってきたはずだった。帰り道など骸にはとんと縁がない。故にこれはただの悪路に過ぎず、もし映し出されるものがあったとて揺らぐ心もないはずで、この足はいつもの通りに前に出るはずだった。
 ――それなのに。
 胸が疼く。脳がざわつく。足が重くて覚束ない。このまま進み続けることを、何かが拒否している。
 ――何が。
 ――脅える屍など、笑えもしない。
 歯噛みするように口の中で呟いた悪態も、何の気休めにもならなかった。眼前にただ続いている広いだけの荒野に、足を踏み出すことを躊躇する。
 宵闇が――。
 記憶を誘っているのだ。
 ごみごみしい路地は、その実ただのがらんどうだった。ただ独り蹲る地面の冷たさは、足許に散る水から込み上げる底冷えによく似ている。
 震える体は何のせいだったのだろうか。或いは身を裂くような風だったかもしれない。そうでなければ、目を伏せたら二度と目覚めぬ眠りが待っているような心地が故だったかもしれない。
 それも違うというのなら。
 ――深く息を吐いて、骸は一度目を伏せる。
 孤独は孤毒だと誰かが言った。どこかで聞いた言葉が、今は脳裏をぐるぐると巡っている。
 宵の淵から忍び寄るものがあるのだ。声も音も、姿もかたちもない。ただそこに息遣いと気配だけがあって、骸の方に手を伸ばしている。気のせいだと頭を撫でてくれる手も、連れ去られないようにもう眠ろうと抱きしめてくれる腕もなかった。
 あのときの果てない孤独の中に、叩き込まれたようだと――。
 足を止めた骸の隣に在って、アストリーゼもまた、宵闇の荒野を見詰めていた。
 始まりと言われたのなら、そうだろう。抗う余地もない。侍らせた闇だけを伴として、このいつ途切れるとも知れぬ宵を往く。
 決まっていたことだ。
 この身が託されたものは、それほどに重い。生きざまは生命の歩むべきものとは到底かけ離れ、故にアストリーゼにこそ相応しかった。
 救いを齎す機構たれという願いを、この意志で望んで受け容れた。
 そのときから、彼女の歩む道は決まっている。弁明などない。心に在るのは納得だけだ。
 ――そのはずである。
 だから、ここに戻って来ることも自明だ。そうしてまた、ここから旅立って往く。救済の灯火を得るための旅路は長く、永劫の闇路はときに光を見るが、そこに真の黎明は訪れない。
 それで良かった。
 それが最善だと思っている。
 死ぬに能わず、生きるに足りず。既に一度取り落とした魂を再び器へ戻した女が歩くのは、暗渠に沈む闇の裡のみ。その先が世界の救済に繋がるというのなら、ただ動くだけの屍となるより余程、この身の救いになろう。
 だから。
 ――だから、今更。
 そんなことを、思うはずがないのに――。
「悪い、アスト」
 男の見上げた先に煌めく金色の月が。
 女が目を遣った先に在る、陽より尚鮮やかに燃える紅が。
「ちょいと声を聞かせてくれ」
 どうしようもなく、この胸を鮮烈に穿つのだ。
「……あら、声だけで良いの?」
 骸の静かな声に、返すアストリーゼの台詞が転がった。どちらの声も震えてはいないし――それに少しだけ安堵したのは、何故だったろう。
 目に映るその荒野を、独り歩くだけが生だった。否――生とすら言えぬこれを抱いているのだから、そうして仮初めの息をすることこそが正しいはずだった。
 けれど、今。
 ――ここには、独りがいるのではない。
 延べた死者の手の先に、生き損ないがいるはずだ。互いすらも朧な宵闇の中に、それでも尚、現実の軛が見えている。鮮やかな紅。穏やかに照らす金色。
 だから、アストリーゼは笑った。今度こそ、骸の眸が彼女の眸を見遣る。
「手くらい貸してあげるわよ」
 ――雨より冷たいでしょうけれど。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

太宰・寿
【ミモザ】
これは私の記憶、だね

学校から家までの帰り道
寄り道しながら、少しでも時間をかけて
それは色んな風景を見たかったからかもしれないし
ただの時間稼ぎだったかもしれない
ある日はちょっと寂れた商店街
ある日は街路樹を見上げて
ある日は住宅街の端の神社を抜けて

開かないドアに鍵をさして
誰もいない薄暗い部屋に、帰る
昨日も今日も
きっと明日も、私は

雨、重いなぁ
雨は嫌いじゃないけど
濡れる前髪を弄りながら

ごめんね、なんか寂しい風景見せちゃった
珍しいものでもないか、と誤魔化して
ありがとう、と上着を借りる
今度は英と歩きたいなぁなんて、冗談めかして笑いながら

あ、猫いたね
良かったとこぼして
行こうといつものように英を手招く


花房・英
【ミモザ】
寿の子どもの頃の記憶…?

寿の記憶なのに、なんか褪せて見えて
寿の見る世界はもっと色がたくさんあって
普段見せる寿みたいな感じだと思ってた
でも、なんかたくさんの風景があるのは
どこか俺の中の寿らしいような感じがした

今のあんたの方が、
寂しそうな顔してる、と言いかけてやめる
上着を脱いで寿の頭に被せて
別に、とだけ応えて
いいよ、一緒に歩いてあげても

だけど、誤魔化すように笑う笑顔がなんか、嫌だと思った
なんでも話す奴だと思ってたけど、そうじゃないなら
それとも、俺以外になら話すんだろうか
モヤモヤした気持ちを抱えながら、手招く姿を追った




 見慣れた道が映っている。
 かえりみちの看板を二人で曲がった先にあったのは、何でもない街の一角だ。ほんの少しセピアの色を帯びているようにも見えるそれに、太宰・寿(パステルペインター・f18704)は懐かしげに目を細めた。
 ああ、そうだ。これは――。
「私の記憶、だね」
 やわらかく紡がれた声に、光景から隣の女性へ視線を移す。それからもう一度、花房・英(サイボーグのグールドライバー・f18794)の眸がどこか褪せた風景を見据えた。
「寿の……?」
 ――そう言われても、あまりぴんと来ない。
 英の知る寿は、いつでも沢山の色を纏っている。鮮やかな彩りと共に生きることを、心から喜んでいるように見えていた。
 だから――彼女が生きる世界もまた、色に満ちているのだと思っていた。
 少しして、歩いて来た少女がいる。一人で道を行く彼女のなぞるとおりに、景色はゆっくりと移り変わった。
 学校から家へ帰るまでの、そう長くはない通学路だ。まっすぐに帰ればそう長くもないその道を、けれど少女は沢山の寄り道で彩ろうとする。
 少し寂れた商店街。いつかはもっと活気があったのだろうけれど、今はちらほらとシャッターが見える。古びた看板は撤去されないまま、もうそこにない店を指し示していたりもする。
 足を止めて見上げるのは街路樹。冬になれば申し訳程度のイルミネーションが施されるけれど、いつもは名も知らぬ幹が立っているだけだ。それでも、その内側から聞こえる鳥のさえずりが、密かに作られた巣の存在を主張している。
 閑静な住宅街の端には、何の神様が祀られているのかも分からない神社がある。その中を通って――本当はお賽銭を投げ入れて挨拶をすべきなのだろうけれど、ちいさな少女は小銭を持っていないから、本当に通り過ぎるだけだ。境内にいる鳩や、鳩の中に紛れる雀を見たりして、けれど備え付けられたベンチに座ったりはしない。
 分かっているから。
 さまざまな景色を見ながら歩く帰り道。家に近付くごとに足取りは緩くなる。日が暮れてしまう前に帰らないと危ないから、タイムリミットまでの、ほんの少しの悪あがきだ。
 ――ついた家の鍵を、自分で外す。
 手に持った鍵が冷たい。がちゃりと音を立てる時間が重い。ただいま、なんて声を放れば放るほど、その先の暗がりが空しくなるのを知っているから、何も言わない。
 何も言わなくたって――。
 靴を脱いで、電気をつける。一度入ってしまったら、後に待っているのは冷たい食卓だけ。昨日も今日も扉は開かないし、明日にも返事は――。
「雨、重いなあ」
 前髪をいじる指先は、少しだけ気を逸らすような声を上げた。隣を見遣った英の前で、寿がわらう。
「ごめんね、なんか寂しい風景見せちゃった」
 珍しいものでもないか――なんて、立てる声は随分と揺れていた。ああ、でもそれも雨のせいだ。こんな曇天に、明るい声が不釣り合いだからそう思うだけ。
「今のあんたの方が、」
 ――寂しそうな顔してる、と。
 押し隠すような笑顔に、開きかけた口を閉じる。その先を追求されないうちに、脱いだ上着をどこか乱暴に寿の頭に被せて、英はぶっきらぼうに声を上げた。
「ん」
「ありがとう」
「別に」
 無愛想な声を聞いて、寿がくすくすと笑声を立てた。今度のそれは、少し自然だ。だから続く声も、きっと自然に聞こえたはずだろう。
「今度は英と歩きたいなぁ」
 ――その横顔を、もう一度視界に入れた。
 いつものような声を取り戻している。先程よりは雨に濡れてもいないはずだ。重いと言った前髪をどうにかすることは出来ないが、それでもましだろう。
 けれど。
 どうしても――ひどく寂しげに鍵を回す少女の姿と重なってならない。
「いいよ、一緒に歩いてあげても」
 独りごちるような応答は、やはりぶっきらぼうな声になる。照れ隠しのせいばかりではなくて、ただ。
 ――誤魔化すように笑う顔に、胸がもやつくせいだ。
 彼女はよく話す。楽しかったことも、嬉しかったことも、全て英と共有しようとする。だから笑う顔はよく見慣れていた。
 それでも――彼女にも、話さないことがある。
 或いはそれは話せないことなのか。もしもそうだったとして、ここにいるのが英でなかったのなら、口を開いたのだろうか。あんな風に繕うような笑い方は、しなかったのだろうか。
「あ、猫いたね」
 良かったね――。
 言いながら駆けていく背に、英は動けない。どうにも開いてしまったような距離を感じているのが嫌で、けれどそう思っているのが己だけだというのも分かるから――余計に心が絡まったようになる。
「行こう」
 手招く寿を暫し見詰めて。
 ようやく、青年の足は前に出た。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


すごい雨ね
鈴付きの番傘を差し空を見上げ
濡れるのも厭わず手を伸ばす

これは…
映る景色は守護する森の奥にある糸桜の大樹
どの樹も狂い咲く神域で一際大きな一本
差していた傘が静かに落ちた

この樹の下で
鬼らしき青年に遊んでもらった
舞を舞った
鍛錬をし
猟兵の力を得た
それと同時に前世の記憶を思い出した

世界が違うはずなのによく似ていた
前世であの子と約束を交わした場所に

正直に言えば
記憶を思い出さなければと思ったことも多々あった

けれど
そうね、此処が私の…
樹に手を伸ばす

笑って
泣いて
誓いを立てて
此処はそういう場所
私の、原点…

花弁と雨が散る

ね、あなたも迷子?
二人でかえり道、探しましょうか
猫に気付けば傘を拾い
そっと二人で雨宿り




「すごい雨ね」
 番傘を叩く水音に、凜と鈴の音が入り交じる。
 霧めいて周囲を覆う雨を見遣り、橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)が目を眇めた。
 佳き友のくれた枝垂れ桜も山吹も、この曇天ではうつくしさを翳らせてしまう。その向こうに見える曇天が、泣いているようだから。
 繊手を濡らす雨粒へ向かう指先の向こう――。
「これは……」
 ――咲き誇る糸桜が見えた。
 見開いた橙灯の眸に、ありありと在りし日の想いが蘇る。狂い咲く神域、その裡でことさら立派な大樹の傍らに、いつの間にか立っている。
 ああ。
 心の底を攫うような感情に――音もなく、番傘が手からこぼれ落ちる。
 馳せる声がひどく懐かしい。己の隣にいた影が、今にもここに現れそうだった。
 鬼――のような、と、千織は称する。
 彼は本当は何だったのだろうか。数多の世界を知れば知るほどに、その他愛ない疑問は解を得られず深まっていく。これだけ沢山の種がいると知って、ならば彼を鬼と称した己の感性は、正しい一方で間違っているような気もする。
 鬼らしき青年は、彼女の遊び友達だった。
 友人と言うには些か『遊んでもらっている』という感覚が強いかもしれない。遊んでもらうばかりではなくて、色々なことを教えてもらったのだから。
 森の最奥に広がる神域で舞を舞った。この腕を磨き続けた。果てに猟兵として世界を救う力を得て――。
 ――己ではない己を取り戻した。
 前世の記憶と呼ばれるものなのだろう。己にはない過去の追体験が、心の底に沈んでいたものをすくい上げた。そうして知ったのだ。
 ここは。
 ――あの子と約束したあの場所に、よく似ている。
 世界が違う。それなのに同じような場所があるというのは、何の因果だろう。それとも、違う考え方をするならば、約束が――その記憶が、千織を導いたというのだろうか。
 ままならぬ過去の記憶に、どうしようもない悔悟を抱いたこともあった。
 思い出さなければ――そう巡る感情を、否定することは出来ない。誰もが持たぬ過去の記憶が生んだ、言い知れぬ孤独に始まって。一人が受け容れるにはあまりにも重すぎるそれに、苦しんだ日は少なくない。
 けれど。
 だとしても――。
 笑って、泣いて、誓いを立てて。その全ての真ん中で、糸桜が咲き乱れている。
 触れた幹からあたたかな日だまりの温度が伝わった。ゆるゆると唇を緩めて、目を伏せる――ここは、確かに千織のはじまりに根付く場所だ。
 はらりと舞う花弁が、雨に打たれて不規則な軌道を描く。その一枚の先に見える灰色の四つ足に、彼女は嫋やかにわらった。
「ね、あなたも迷子?」
 そっと拾い上げた番傘をひらく。ずぶ濡れの一人は、己を守る傘を、ずぶ濡れの一匹にも共に向けた。
「――二人でかえり道、探しましょうか」
 ささやかな雨宿りに喜ぶように――。
 猫の鳴き声が響いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リア・ファル
女学生のレイヤーで傘をさして進む

ボクが歩けば、雨音はいつしかノイズが混じり、雨粒は光の粒子に変わるかもしれない

まだ、己の意識も覚束ない中で
電子の海のこちらから見る、ヒトビトの眼差し。優しく力強いソレと、ボクたちに託される、想いと言葉―

『理不尽に打ちのめされるのは、オレたちだけで充分だ』
『理不尽に抗う力を』
『日々の幸いを、次代へ繋げよう』
『今を生きる、誰かの明日のために』

足元の、雨に打たれる花に、そっと傘を差し出して

楽しいことでも毎日続いたら、そうと気づかずに退屈と変わらない
美しいのは、出会いも別れもあるからさ

それじゃ、さよならを告げに行こう
「雨もいつか、止むさ」




 レイヤーを変えれば、その姿も変幻自在だ。
 傘を差した女学生の格好で、リア・ファル(三界の魔術師/トライオーシャン・ナビゲーター・f04685)は雨の中に佇んでいる。目の前にある看板の文字をなぞって、丁寧に導く道を辿り出す。
 一歩を歩けば、世界が揺れる。
 少しずつ現実を侵食するノイズが、あてのない雨の中にゆっくりと割って入った。雨粒が分解されて、空間を埋める光の粒子と変わる。
 その世界には光も闇もない。
 リアの生まれる前。朧な自我を電子の海に浮かべる彼女は、もしかすればまだ少女の姿すらももらっていなかったのかもしれない。
 ヒトでいえば、羊水の中を漂う胎児――なのだろうか。まだ意識すらも覚束なかったはずの彼女は、それでも覚えている。
 モニタ越しにこちらを見詰める沢山の眸があった。その全てが煌めいて、絶望の中に生まれる希望を願って――そして、生まれてくるものたちを輪の中へ迎え入れるように、優しくて力強い。
 幾つもの祈りが織りなされていた。リアに対してだけではない。共に電子の海を漂うきょうだいたちにも、同じだけ、同じように、強い願いが描かれている。
 ――理不尽に打ちのめされるのは、オレたちだけで充分だ。
 優しい強さだった。地で生きる生活を追われ、それでもなお前に進み続けてきたヒトという種が、心に懐くものだ。
 ――理不尽に抗う力を。
 勇ましくも切実な願いがひとつ、粒子に波紋を落とす。ただ優しいだけでは何も成せない。優しさを優しさとして実現するためには、それを成せるだけの力が必要で――そういう世界だった。
 ――日々の幸いを、次代へ繋げよう。
 だからこそ、ヒトビトはささやかな幸福を喜ぶ。得たモノを正しく振るうために、暖かな記憶を抱きしめるのだ。
 全ては、そう。
 ――今を生きる、誰かの明日のために!
 伏せていた目を開けて、リアは曇天から地上へと目を遣った。強い雨に打たれてなお、咲かんと抗う花がある。花弁の数枚を散らして、けれど命だけは落とすまいと、明日を見るために。
 己の被っていた傘を差し出した。幸いにして風はない。地に立てかけておけば、きっとこの花は明日を見るだろう。
 リアたちが――。
 雨を止ませるから。
 楽しいことだけが続く日々は幸いだろう。けれどそれだけでは、きっと日常に溶けて、大切にしていた想いも風化してしまう。喜びと幸福は紛れもない原動力で、けれどそれは、変化があるからこそだ。
 喜びと幸いはうつくしい。
 出会いも、別れも、同じだけ。
 だからきっと、悲しみもまた――日常を彩り、足を前に向かわせるための、大切な灯になる日が来るだろう。
 泪雨が降り注ぐ。とめどないそれも、いつかは晴れ間に変わるだろう。紡ぐ日々は続くのだから。
「雨もいつか、止むさ」
 さあ――さよならを告げに行こう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

臥待・夏報


雨であるはずの液体から
灯油と血のにおいがする
高校二年の夏の夜、燃える化学準備室の光景
……前ならこれが見えた時点で限界だったけど

うん、心の準備はしてきた
今なら直視できる
床一面、壁に至るまで描かれたミステリーサークルの画材が『何』なのか
自分の下半身を見降ろせば、あの日のセーラー服を着たままで――
これは、なんて言うんだろうな
滅多刺しと呼ぶには妙に丁寧で
解剖と呼ぶにはあまりに拙い

……でもさ
こんな三流スプラッタ映像には、多分それほどの意味が無いんだ
犯した罪も
叶わなかった理想も
本当に大事なことは、この炎の向こう側にしか無いような気がする
自分の死体に火を点けてまで、『僕』は一体何を忘れようとしたんだろうか




 灯油のにおいだ。
 鼻を衝くようなにおいがする。焼身自殺にうってつけの液体が、目の前の無味無臭の水を黒く濁らせていた。
 雨の底から漂うそれに、強い鉄錆の香が混ざっているのも、認識している。
 燃えている。
 ぐちゃぐちゃに掻き回された記憶をよくよく象徴するような光景だった。あかあかと燃える味気ない部屋。何かの薬品が詰まった瓶と、人体模型。
 高校二年の夏の夜、理科準備室で、臥待・夏報(終われない夏休み・f15753)は燃えた。
 ――以前ならば、この時点で『壊れて』いただろう、と思う。
 そのくらいには冷静でいられた。呼吸が出来る。心の準備を決めるというだけの単純なステップで、これほどまでに心の揺れを抑えられる。
 直視が出来る。
 ずっと見られなかった光景の細部に至るまでもを、この両の目に映すことが出来た。燃える炎の赤。無造作に倒れたビーカーと割れた何かの瓶は、恐らく熱に負けたせいでそうなったのだろうか。
 そうして――。
 その先。
 始まりは床だろう。そこから伸びた紋様が、壁すらも埋め尽くして描かれている。いっそ執着的なまでの不可思議なそれを形容するなら、ミステリーサークルと称するほかにない。
 その画材すらも――分かる。
 分かってしまう。
 感じるはずのない灼熱を覚えて、夏報は己の下半身を見下ろした。あの日のセーラー服すらも忠実に再現されて、余計に頬を撫でる温度が強くなった気がする。
 それに。
 ――それにさ。
 その状況をどう表現すれば良いのか、夏報は知らない。感情に任せた滅多刺しというには妙な丁寧さがあって、けれど理性的な解剖というにはあまりにも杜撰だ。
 血を滴らせるそれの傷口をまじまじと見る。まるで名も知られていないような、ニッチなスプラッタ映画にでも出てきそうな光景だ。燃える一室、取り残された血塗れの骸。動き出したらゾンビ映画になるだろうか。それとも、次作への伏線か。
 ――どうでも良いか。
 どうでも良いのだ。繰り返される三流スプラッタ映像に、きっと意味はない。少なくとも夏報が求めているものは、インシデントという無機質な言葉に覆われたこの日の惨劇そのものに映されるわけではないのだ。
 犯した罪も――。
 叶わなかった理想も――。
 真にこの手が包みたいものは、まるで目隠しをするかのように燃える焔の向こう側にしかない。
 きっと、そんな気がする。
 あの日――。
 己の骸に火を放ち、全てを燃やしてまで、夏報は。
 『かほちゃん』は――何を忘れたかったのだろうか。
 あかあかと煌めく焔の裡、黒い灯油溜まりに、白い影が揺らいだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

アパラ・ルッサタイン
かえりみち
ま、案内は助かるね
素直に従って進もうか

鉱山の奥
寝泊りする様の開けた空間
齢片手程度の己が寝ている

生まれ持った
気を食わぬこの胸の焔が役立つと
ランプ代わりの道具として
一日中鉱夫達に連れられ暗い昏い道を歩む日々

けれど初めて熱を出したあの日
彼らのひとり
名も知らぬ貴方が去り際に言った言葉

ありがとう
いつも助かっている
だから今は休め
また明日な

驚いた
まるでヒトに言うようだったから
そして嬉しかった
あの時あたしは道具からヒトに成れたんだ

寡黙が常の貴方が
どうしてあの日に限って優しさを寄越したんだろうね?ふふ

あの後落盤が起きて
明日なんて来なかった
あの日返せなかった代わりに
今も記憶の中の貴方に告げるんだ

また明日




 案内があるのは助かる。
 その内容に思うところのあるなしは別として、それは事実だった。敢えて外れて歩む道理もなければ、従って進むことに抵抗もない。
 ゆっくりと、霧めいた雨が鎖していく。四方の見えぬ暗闇は、その実決して狭苦しい場所でないと知っていても、幾分の閉塞感を齎した。
 それが、アパラ・ルッサタイン(水灯り・f13386)の記憶を揺らがせて――。
 ひらけたそれに、在りし日が映る。
 眠る幼い己は、苦しそうな顔をしていた。さりとて高山の奥、ただ寝泊まりをするためだけに確保された空間にまともな設備があるわけもなく、熱に魘されて眉根を顰めるのが関の山だ。
 ――この胸に灯る金色の灯を、好んではいない。
 それでも他者は価値を見いだすものだ。アパラもまた、その気に食わぬひかりに目をつけた人間たちによって、道具とみなされた。
 仕事場は暗い鉱山の奥。自律する灯りほど重宝するものもなかっただろう。彼女が両手にも満たぬ齢の少女であることは、誰からも忘れられていた。幼い少女にはてんで分からぬ仕事をする鉱夫たちに一日中連れ回されて疲弊した体は、睡眠では賄えなかった。
 初めて熱を出して、身を横たえた日だった。次々と仕事へ出て行く背を見送って、焦がれた休息に浸れたはずなのに、頭痛と寒気が不快でならなかったのを覚えている。
 そうして。
 慌ただしく出て行く人々の中で、ひとりだけ――足を止めた人がいた。
「ありがとう」
 ――ひどく驚いた。
 不意のそれはごく優しい声だった。それこそ、ヒトの子供にかけるような。
 寡黙を携えているひとだったと覚えている。喋らないというだけでも、幼心には何だか怖く見えていた。だから、突然かけられた優しさに――目を見開いていたのだ、と思う。
「いつも助かっている。だから今は休め」
 少しずつ、熱で潤む視界に込み上げるものがあった。嬉しくて、嬉しくて、掠れた声で何とか返事をしようとするアパラの前で、そのひとが振り返る。
「また明日な」
 応えを返せないまま。
 その背が消えて。
 それきり、彼は二度と戻ってこなかった。
 落盤事故だったという。奇しくも不調で眠っていたアパラだけが生き残って、ここにいる。
 明日など来なかった。結局、何の声も返せないままで、彼は逝ってしまった。
 明日は来なかったけれど――。
 彼がくれたものが、彼女を道具からヒトにしたのだ。
 だから、目を伏せて、胸に手を当てる。今もまた、記憶の中の明日を迎えられなかった貴方のくれたものに、報いるように。
「また明日」

大成功 🔵​🔵​🔵​

水標・悠里
原風景、ですか
暗く冷たい岩窟の底、さらに奥には月明かりの射す泉があった
そこに誰とも話す事なく一人で居た
水の流れる音を聞くとより鮮明になる

私はそこで『完成』することを望まれていた

人が他人の命を捧げる時に躊躇わないよう、情をかけないように。私の周りには人を置かなかった
私も人と関わることを禁じられて誰とも関わらなかった

許されていたのは泉に身を沈め死霊を降ろすこと
私という人格など無くてもいい
数多の死霊を宿した、器があればいい

でも、姉さんは
私を人にした

痛みは様々な感情を生んで
誰かと出会って喜ぶ自分がいつの間にかいた
どうして
僕は壊れてしまったの?
嫌だ、人らしさなんて要らない

…帰りたい
でももうきっと戻れない




 冷えた感触は、慣れたものだった。
 滴る氷雨が足許で跳ねる音は、泉を揺らがせる波紋に似る。故に、水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)の前に映るのは、嘗ての鮮明な記憶だけだった。
 岩窟の奥底である。ひどく冷たいその場所にひと気はなくて、ただ壁と天井を伝い滴る雫の音だけが、悠里の知る音だった。月明かりが唯一差し込む大穴を見詰めて、湖面に揺らぐ月の満ち欠けを、その意味も知らぬままに見詰める。
 ――現実の足許には、それと気付かぬほどの緩い勾配があるらしい。どこかに向かって流れていく水の音が、余計に冷えた風の感触を鮮明にした。
 『完成』は、その実――近かったのだろうか。
 それとも、もっと時間の掛かるものだったのだろうか。悠里には分からない。元より外のことも知らぬ身であれば、己に課せられた使命とて断片的にしか知らぬのだ。
 近くに人間が置かれたことはなかった。
 小さな子供である。捧げる命として差し出すときに、万が一にでも情が移らぬようにという配慮だった。儀は恙なく終えねばならぬ。そのために斃れるのが、世も知らぬ無垢な稚児だったとしても。
 故に、悠里が人間と関わることも禁じられていた。元より禁じられずとも、関わろうとすら思わなかったかもしれない。
 ――身を浸した泉は、冥府に繋がっているから。
 沈めば数多の声が聞こえる。器を得んと手を伸ばすそれに抗わず、小さな体を蝕ませる。元より真白の魂は削れ、代わりに数多の断片が悠里の存在を喰らい、埋め尽くす。
 故か、人格はひどく朧だった。人形としての身が自律して何かを考えることなどそう多くはなく、ただ空疎な眸が宙を見つめるだけだった。終わりの日まで、そうあるはずで――。
 けれど。
 己が身を捧げるはずだった全てを殺め、最期に己が手で殺めた姉は、その痛みで以て悠里を人と成した。
 身を焼くような痛みに、皮肉にも自我を得た。人格が生まれ、成すべきを亡くして外に出て、そうして――。
 喜んでいる自分がいることに気付いた。
 新たな出会いがあること。新たな景色を見ること。人々から熱を向けられること。この手がたとえ宙しか掴めないとしても、それがひどく嬉しいことだと思っている。
 ――思ってしまう。
 胸の裡に幾度問いかけても答えは出ない。人形がヒトとなってしまったら、それはもう人形ではないだろう。
 悠里はもう悠里でなくなってしまった。その事実に胸が痛むことすらも、己が壊れてしまった証だとしか思えない。
 人らしさなんか要らない――。
 駄々を捏ねるように首を横に振って、叫ぶ声すらも雨に呑まれた。あのまま死んでしまいたかったのに。役目を果たして終わりたかったのに。
 あの冷えた岩窟が、ひどく恋しくてならなかった。あの日に帰りたい。帰ってしまいたい。何もかも、この熱さから逃れるように。
 ――そう思ってしまうからこそ、もう戻れないのだという矛盾に、苛まれるままに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宵鍔・千鶴
穿つ雨は重く冷たく寂しい
かえりみち、
帰る場所など自分には在っただろうか
其処に居場所は無いのに?
待ち侘びるひとさえもう居ないのに?

示す道辿り映るものは
桜が靡く優しき歌
暁空に赫を浴びた己自身
横たわる少女の亡骸
地へ突き刺した月宵の刀

幾重にも視た光景
穢い俺を、見せないで

―――エト、俺を赦さないで

きみへ贖うために
俺は生きてる
生きていくって決めた
其の呵責が俺を支えてる

俺はね、
あいつに、父に奪われたものを
取り返さなくちゃ
――殺さなくてはならない
例え己が果てようと
終着は決まってる

雨音に掻き消えた咆哮と嗤う声は猫との秘密

最期には
猫達が望むと同じ
俺にも匣から連れ出して
手を差し伸べてくれたなら
なんてしあわせだろう




 雨が重い。
 滴る雫を見据えて、宵鍔・千鶴(nyx・f00683)の息が小さく掠れた。
 ひどく寂しい曇天だと思った。滴り落ちる冷たいひとしずくすらも、誰かが流す凍るような泪に似ている。
 帰るべき地を喪ったことを知らぬまま、かえりみちを探していた猫がつくった、かえりみちだという。ならばどこに繋がっているのか。帰る場所などもうないと、知っている千鶴のそれは。
 戻る場所などない。
 ――待つ人も、もう。
 それでもゆっくりと足は前へ出た。道を辿るたびに、踏んでいた泥の音が少しずつ変わっていく。
 耳を擽る桜の歌声が聞こえた。雨の向こうから確かに聞こえて、一歩を踏み出すごとに色濃くなっていく優しいそれが、ひどく胸を締め付ける。
 ああ。
 雨が晴れる。
 あけぞらの最中に立つ己は、赫を浴びていた。切り取られた絵画のような、明けない黎明のそらが照らす地に――。
 月宵の刀と。
 君がいる。
 突き立った刃が暁の空を反射して、目にひどく眩しかった。夜明けをまざまざと告げる刀に、けれど君だけが動かない。少女の骸は、もう息をしない。
 その事実が、繰り返され続ける静止画のような光景が、空疎な痛みで胸を刺す。
「――エト」
 零れた声は、ひどく悲しげで――切実な祈りを帯びた。
「俺を赦さないで」
 それだけを懐くように零した声に、応えはない。応えてほしい人も、もういない。
 分かっている。
 分からされてきた――と言うべきだろうか。
 幾重にも、幾重にも見てきた。それでも尚、この黎明が千鶴の胸を深く穿つ。繰り返される白々しいあけぞらの中に独り、取り残されて。
 ああ――。
 ――穢い俺を、見せないで。
「きみへ贖うために、俺は生きてる」
 命如きで償いきれぬ罪業を果たすために、生きると決めた。ただその呵責が、あの日のいたみが、彼の足を生かし支える道しるべだ。聞こえぬ君が苛んでくれることだけを望んで、十字架を背負って道を往く。
 だから。
 取り戻さなくてはいけない。
 奪われてきたものを、再びこの手に得なくてはいけない。そのために、己から取り上げた男を殺さねばならぬとしても。
 父を――。
 この手に掛ける。
 たとえこの身が果てようと。
 空を裂く咆哮と嗤う声は、雨音に深く沈んだ。ずぶ濡れになった灰猫だけがそれを見る。ひどく寂しそうな顔をして。
 ああ、だから秘密だ。
 この雨の中に隠しておこう。ただ、のぞみだけを同じくする猫と分け合って。
 ――この道の終着が訪れたなら、そのときは。
 どうか、この匣から抜け出すための道しるべを。
 その手を差し出して、この手を掴んで、君の居場所まで引き上げて――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
○◇
……、さみしい子は、嫌いになれないのよ。
それでも、止めなくてはいけないのだけれど。
私情ね。もとより、ここはそういう世界だわ。

まっすぐに、かえりみちを辿りましょう。

かえれないのが苦しかった。
かえれないのは、かなしかった。
けれど、悪い感情は持っていないのよ。

焼ける匂い。
枯れ果てた草木。
遠い戦場の景色。
長く伸びるふたつの影。
そらにひろがる、澄んだ夕焼け。

かえりたいと思っていたけれど。
でも、足を止めることはしない。
あたしがそう決めたのだもの。

……こんなに雨が降っているから。
きっと、すこしくらい泣いたって、誰にもわかりはしないのでしょうけれど。
そんな可愛げだって、雨の向こうに置いてきてしまったわ。




 さみしい、さみしいと泣く。
 降り止まぬ雨が訴えているようにも見えた。ごしゅじんと引き離さないで。お願いだから、傍にいさせて――。
 その叫びを、どうしても嫌いにはなれなくて。
 ただ斬るべきと定めるには、あまりにもさびしくて。
 けれど止めねばならぬというのなら、花剣・耀子(Tempest・f12822)はそれを私情と切り捨てることにも躊躇はない。
 元よりここはそういう世界だ。別離と忘却の果てにあるものが集う場所。だから、そこに鳴いている猫がいることだって、あるのだ。
 そうして。
 世界を狂わせる災厄を斬り果たし、沈みゆく世界を救うことが、仕事である。
 だから、踏み出した足は止まらない。躊躇を抱かぬその足取りに、けれど眸はまっすぐに、こいしい景色を映し出す。
 かえれない。
 かえれないからこそ、懐かしくて、こいしい。
 それを苦しいと思った。かなしいと思った。かえりたくて、この手も足も届かぬ場所にいってしまったものが積み上がるのが。時間は逆回しにはならないということが。現実の、不条理が。
 ああ。
 けれど――それを、悪い思いだとは思っていない。
 胸を締め付けるいたみはあるけれど。見れば揺らぐものもあるけれど。ぎゅっと握った掌の裡に、すべて融かして持っていく。忘れない。忘れていないから、ここにある。
 焦げたような、焼けるような匂い。
 草木は枯れ果てて、足許にはその骸だけが遺った。ちいさな物言わぬ死。それはときに、ひとの骸にも似ていた。
 遠くの戦場の景色が見える。いのちを奪い、死を遺す、苛烈な奪い合いの場所。
 それから――ふたつの影がある。
 ながくながく伸びるそれを、じっと見た。焼ける焔のいろよりも鮮烈な西日がゆっくりと世界を照らしている。伸びる影すら照らし出すような、空に浮かぶ澄んだ夕焼けだけが、いたく目を灼く心地がする。
 ――かえりたい。
 かえりたいと、思った。
 けれど、耀子の足は前に出る。いつかここにあって、いまはここにない景色を置き去りにして。いつかのかえりみちを、背に負って。
 それは耀子が決めたことだ。足を止めたりはしない。だから、折れることも、止まり続けることも、しない。
 背負う夕陽を振り返りたかった。揺らぐ足許に目を落とせば――氷雨が髪を伝っていく。
 ああ、これならば、泣いたって誰にもばれやしないのに。
 この両の眸は、そんな可愛げすらも、置き去りにしてきてしまったらしい。
 眼鏡の内側は濡れない。濡れないまま前に進む足を呼び止めるように、寂しげな鈴の音が鳴った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

祇条・結月
僕自身が迷子なんだから
猟兵だ、なんて滑稽なことなのかも
それでも……

冷たい
案内がなかったら、しんどかったかも
じいちゃんが。僕を探し出して、連れて帰って
「家族」と言ってくれたみたいに
標があれば、歩けるから

……そう。じいちゃん
たった一人の肉親で
錠前師の師匠で
僕に「普通」をくれて……

それなのに、僕が
なにも、あげれなかった、人

―――……最後の夜が見える
邪神の眷属を前にして
もしかしたら、あなたはそのほうが幸せなんじゃ、って
迷って、助けられなかったあなたの姿

今だったら。ちゃんと動けるのかな
それとも……またあの日みたいに、迷って、「逃げる」んだろうか

……わかんないや
それでも、今は
雨の向こうを見に行くよ




 雨が冷たい。
 吐いた息が白く烟った。擦り合わせる手も気休めにしかならなくて、あまりに長時間の探索は厳しかったかもしれない――などと、頭を過る。
 かえりみちの看板が示してくれるから、行く先も分かるけれど。
 祇条・結月(キーメイカー・f02067)の指先が看板に触れた。雨に濡れてなお立ち尽くすそれの向こう側、光を放つようにして彼を導くもうひとつに向けて歩き出す。
 そうして、まるで手を引かれるように歩くのは――いつかの心地を蘇らせるようだった。
 標が歩く先を教えてくれるなら、きっとどんな悪路でも歩けるのだろう。結月はそれをよく知っている。あの日に繋いだ手の温もりを、覚えているから。
 じいちゃん――と呼んだひとだった。
 唯一の肉親だった。結月を探し出して、家へ連れて帰ったひと。
 彼を――家族だと呼んだひと。
 腕の良い錠前師だった。彼がいま持つ技術の基礎を、彼へと教えてくれたひとでもある。そのありようは師弟であって――同時に、ひどく普通の家族でもあった。
 沢山をくれたのだ。結月が得た暖かいものの最初は、いつでも彼から始まっている。あの日の道しるべも、この手に残る技術も、家族も――『普通』も。
 それなのに。
 それなのに――結月は。
 何も返せなかった。
 全てが過去形になったその日を突きつけられている。霧の雨に烟る光景は、心の中の鉛を具現化したかのようだった。
 目の前に、おぞましい化け物がいる。今となっては見慣れてしまったくらいのそれが、月下に見える。
 ああ。
 最後の夜だ。
 『じいちゃん』が前にいる。邪神の眷属と呼ばれるそれを前にして、結月は彼の背を見ていた。
 ――助けなくちゃ。
 そう、思ったはずだった。それなのに体が動かなかった。恐怖ではない。生まれた迷いが、使命感や危機感の天秤と、ずっと釣り合ってしまったからだ。
 もしかしたら。
 彼は――その方が幸せなのじゃないか。
 惑う時間など与えられていなかったのに、結月の指先は躊躇した。その刹那に迸るものが、手遅れであることを告げた。
 ――あれきり、彼はずっと、迷子のままだ。
 今の己ならば――助けられるのだろうか。何度問いかけても分からない。もしかすれば、また迷って。
 『逃げる』のか。
  答えすら出せぬ迷子の己が猟兵だなどというのは、おかしな話かもしれない。無謀なことかもしれない。それでも、ただ。
 この雨の向こうに、歩いて行く。その先にあるものを見るために。
 手を強く握って眸を上げた結月の目を、ずぶ濡れの猫がじっと見つめていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 ボス戦 『迷い猫『ルーサン』』

POW   :    さみしい
自身が【淋しさ】を感じると、レベル×1体の【迷い猫】が召喚される。迷い猫は淋しさを与えた対象を追跡し、攻撃する。
SPD   :    どこにいるの?
戦場全体に、【UDCアースの雑踏】で出来た迷路を作り出す。迷路はかなりの硬度を持ち、出口はひとつしかない。
WIZ   :    あいたい
【思慕】の感情を爆発させる事により、感情の強さに比例して、自身の身体サイズと戦闘能力が増大する。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は三上・チモシーです。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。



 雨の裡、見える光景の中に猫が佇んでいる。
 桃色の眸は寂しげに猟兵らを見るだろう。灰色の尾を揺らし、しかし背から生えた翼だけが、それがただの猫ではないことを告げている。
 鳴いた声の意味は、すぐに分かるかもしれない。
 ――かえっちゃいけないの。
 ――どうして。
 敵意はない。殺意もない。ただ愛しいひとと共にいる平穏を守りたいだけ。毛を逆立てることもせずに、ただ二つの眸が猟兵を見た。
 ――ごしゅじんといっしょにいさせて。
 雨は降り止まない。光景は消えない。作り出された精巧な幻は、それでもただの幻影だ。如何なる場所であれど、どれほどの人がいようとも、武具はその全てをすり抜けるだろう。
 生み出された迷宮もまた、猟兵たちの『あの日』を映し出すかもしれない。雑踏の中に、知った顔を見るかもしれない。
 それでも、全ては記憶の投影に過ぎない。
 だから、成すべきはひとつだ。
 ――さみしいのは、いやだ。
 訴えるように鳴く声を、それを抱きしめる腕を――絶つだけ。

※プレイング受付は【1/12(火)8:31~1/15(金)22:00】とさせてください。
※スケジュールの都合上、再送が発生する可能性があります。ご了承ください。
黒鵺・瑞樹
○◇POW
右手に胡、左手に黒鵺の二刀流

何があっても、心揺さぶられようとも。
迷いが生まれても、自分の想いを否定する事になっても。
誰かの為に断ち切る事、それが俺が生まれた一番の理由。
だから。

UC月華で真の姿に。そのまま存在感を消し目立たないようにし、隙を見て二刀によるマヒ攻撃を。
敵の攻撃は第六感で感知、見切りで回避。
回避しきれないものは本体で武器受けで受け流し、カウンターを叩き込む。
それでも喰らうものは激痛耐性で耐える。

平穏を守りたい。それが誰かを傷つけ、世界を滅ぼすことになっても。
多分、似たような状況をナイフの時に経験してるんだと思う。
だから諦めとも違う、覚悟のような物がもうあるんだと思う。




 揺らぐことなく、握り締めた刀を持ち上げる。
 両手に刃を構えたその姿は、およそ猫からすれば恐ろしいものだろう。解放された月下の神がその身に宿れば、自然とその力も身に巡ることとなる。そうして纏う神威もまた、動物にとっては本能的な畏れを生むものなのかもしれない。
 だけれど。
 大きくなった猫が、黒鵺・瑞樹(界渡・f17491)の姿を捉えることはなかった。
 卓越した身を隠すための技能は、烟る雨のさなかにその体を隠しきる。足音の一つ、気配の一つすらも霞んだ彼は、ただじっと、寂しげに主を探す猫を見た。
 ――何があろうとも。
 例えどれほどに心が揺さぶられたのだとしても、進める足に迷いが生まれるのだとしても。
 瑞樹は止まらない。止まることはない。握った二刀が導く先へ、ただ歩く。
 それが――己の中にある、消せぬ想いを否定することになるのだとしても――。
「誰かの為に断ち切る事、それが俺が生まれた一番の理由」
 言い聞かせるように己へ銘じた。一気呵成に蹴った地の音に、鋭敏に振り向いた猫の爪が、ほぼ反射的に振り下ろされる。
 幾らイエネコといえど動物の動きはしなやかだ。一撃目を躱しきり、地に着いた足を狙う爪を刃にて受け流す。雨の最中にぎゃりりと音を立てた火花は、力尽くで捻じ伏せんとする牙を間一髪で退けた。
 ――どうして。
 ――なんで。
 鳴き声が悲痛に訴える。それでも瑞樹は揺らがない。どこか懐かしいような、客観的なような、それでいて心の奥底に根付ききったもののような――。
 そういう想いが巡っている。だから攻撃の手は緩まない。幾度問いかけられても、答えを返すことはない。
 ああ。
 不意に腑に落ちるような気がした。そうだ、この感覚はきっと――。
 平穏を守りたいという。そのために誰かを傷付けて、世界を滅ぼすことになるのだとしても。
 ――いつか。
 これと似たようなことを、もう知っている。瑞樹としての記憶ではない。いつか彼を手にした誰かが、彼と共に経験したのだ。
「だから――」
 これは、諦めではなくて――もっと強く揺るがぬ、前に足を進めるための想い。
 それを人は、覚悟と呼ぶのかもしれない。
 身を巡る思いを振るい、刃に乗せる。音を立てて振り下ろされるそれを爪が逸らそうとして、けれどだからこそ、戦うための刃が生まれた隙を見逃すことはない。
 ――両断。
 身を痺れさせるような斬撃は、無慈悲かもしれない。けれど、それこそが。それだけが。
 明日を切り拓いていく――一刀となるのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

楠木・万音


降り頻った雨は止んでいる
今では傘を弾く音さえも聞こえない
ご苦労さま、もういいわ。
その姿からお戻りなさい。

珍しい色の瞳をしているのね、あなた。
先程の鳴き声はあなたのものでしょう
何時まで其処でそうしているの?

悲しみも寂しさもあたしには分からない
会いたいと願う人間なんて居ないのだから。

あなたが慕う人物は?
あたしには視る事が出来ないけど
その想いの強さは奇跡を起こす筈だから

あたしは魔女。
あたしにとっては唯の硝子花
あなたの願いを叶えてみせましょう

見つめるのは桃の目に映る姿では無く
滑らかな灰の背後に迫るもの
頚を目掛けて振り翳す、黒影の刃

ティチュ。

惑いなんてしないわ
彷徨い続けるあなたの為にならないでしょう。




 あれほどに止めどなく降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。
「ご苦労さま、もういいわ」
 大きな傘となっていた使い魔に声をかければ、その姿は影へと戻っていく。よく見えるようになった空を一度だけ見上げて、楠木・万音(万采ヘレティカル・f31573)はゆっくりと視線を戻した。
 その眼前に――灰色の猫がいる。
「珍しい色の瞳をしているのね、あなた」
 桃色の眸は見慣れない。猫であるなら尚のこと。大きな眼差しいっぱいに湛えた寂しさを乗せて、その喉は一つ鳴いた。
 ――にゃあ。
 それが、先に聞いたそれと、同じ色をしているから――。
「先程の鳴き声はあなたのものでしょう。何時まで其処でそうしているの?」
 雨の中で、冷たく打たれるままに。この世界を呑み干す洪水の最中でまでも、待ち続けているのだろうか。後ろに見える影の腕が連れていってくれるのを。
 ――この世界を道連れにして。
 それほどまでの寂しさなど、万音は知らない。
 そうまで悲しむ理由もまた――知ることはない。
 あいたいと焦がれるひとがいないから。そうまでしても傍にいたいと願う誰かを知らないから。
 だから――。
「あたしは魔女」
 紡いだ呪文と指先が、硝子の花を生み出した。咲いた魔法の花を差し出して、その眸を真っ直ぐに見る。
「――あなたの願いを叶えてみせましょう」
 その先に猫が誰を見るのか、知らない。そもそも、これは万音にとってはただの硝子花でしかない。願いを叶えるのは――奇跡を紡ぐのは――その心に宿した、慕う想いの強さだから。
 にゃあ、と猫が鳴いた。うれしげに戯れるそれは、万音から視線を外して、あらぬ空を見る。
 誰がいるのだろう。伏せるようにして身を屈めてみせるけれど、頭を撫でてもらっているのだろうか。そのさいわいにいっときでも浸るなら、万音の紡ぐあたたかな魔法は成っただろう。
 だから、絶つべきはその灰色ではなくて。
 ――それを取り戻そうとするかのように迫る、不明瞭な黒き影。
「ティチュ」
 さやりと呼んだ影が刃と変わる。振り翳されたそれは迷いなく頚を狙って、この先に起こる全てを彼女の目へと伝えてくる。
 けれど、惑ったりしない。
 躊躇も憐憫も同情も、今このときばかりは無用だ。そうして少しでも鈍れば、刃はすぐに力をなくすだろう。そうして偽りのさいわいを、誰かの不幸を生む切なる願いを、続けさせてしまうのだ。
 それは――。
「――彷徨い続けるあなたの為にならないでしょう」
 ひとりごちるような声が囁いて、過去の残滓が切り払われる――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英
あの日の中に知らない猫がいる。
寂しいと訴えている。

動けない。
私は、私自身は、動くことができない。

幼い子を手にかけるのは、一体何度目だろう。
人、竜、それから目の前で鳴く猫。
さみしい、さみしいと訴えかけてくる声を遮断する事が出来ない。

残酷なまでに優しい景色の中で佇む猫を、嘗ての私を重ねてしまったのだ。
猫の鳴く声が訴えかけてくる声が、全てが理解できて苦しい。

……嗚呼。さみしいのかい。

私には君の平穏を壊す資格はないよ。
私も君と同じ気持ちだとも。
寂しいのは嫌だろう。大切な主人だったのだね。

かなうなら、猫の頭を撫でてやろう。
しかし私は優しい終わり方を知り得ない。

嗚呼。
……最後まで、残酷な景色だ。




 あの日の光景はほんの少しだけ掠れた色をしていた。
 見慣れぬ猫を追って辿り着いた先で、灰色の猫はじっと待っている。どうして――と鳴くその声に乗る感情を、いたく理解してしまう。
「……嗚呼。さみしいのかい」
 榎本・英(人である・f22898)は――動くことが出来ない。
 幼い子を手にかけるということは、これまでの道行きで多くあった。或いはそれは人で、或いは竜の子で、今はこの猫だ。
 だから、慣れているのだと言えれば良かったのだろうか。
 この声に耳を塞いで、ただ粛々と成すべきを為せれば――それが、良いことなのだろうか。
 英には出来ないことだった。寂しいと、どうしてと、繰り返して問いかける悲痛な鳴き声を、なかったことには出来ない。
 ――白状しよう。
 ひどく優しくて懐かしい、残酷に心を抉るかえれぬ過去の中、寂しさを訴えて鳴く猫に――嘗ての己を重ねた。
 寂しかった。傍にいて欲しかった。
 寂しい。傍にいて欲しい。
 ひとりはいやだ。誰か、誰か。
 誰かと笑い合いたい。大切なひとの傍にいたい。壊さないで、壊さないで――。
 零される鳴き声の全てが、心の裡を掻き回す痛みになって彼を襲う。理解出来てしまうということは恐ろしいことだ。指先は鈍る。躊躇いが心を乱す。
 だから。
「私には君の平穏を壊す資格はないよ」
 ほつりと零れた声で、それでも本を開いた。ゆっくりと歩みを進める彼の横を駆け抜けて、情念の獣は猫へと向かう。
「私も君と同じ気持ちだとも」
 ――だとしても、絶たねばならぬ。
 そうせねば世界が終わってしまうのだ。ただ子供じみた、けれど誰の心にも宿る痛みを抱えているだけの猫を、ようやっと会えた主人から引き離さねば。
「寂しいのは嫌だろう。大切な主人だったのだね」
 そっとしゃがみ込んでも、猫は逃げない。桃色の眸は、英の赤い双眸をじっと見て、一声だけ鳴いた。
 ――どうしてそんなに、くるしそうなかおをするの。
 嗚呼――。
「どうしてだろうね」
 そっと伸ばした手で頭を撫でる。毛並みの感触は共にいる仔猫たちのそれに似て、そのことが余計に胸を打つ。
 だとしても、英に出来ることはない。祈りを叶えてやることは出来ないし、願いに繋がる道を敷いてやることも出来ない。同じ痛みに囚われていたことがあるからこそ、慰めをかけてやることも出来ない。
 ――優しい終わりを、知らない。
 だから為せることは一つだ。せめてその命が終わるとき、この頭を撫でる手の感触が、少しでも心を穏やかにすることを願うだけ。
「……最後まで」
 ――ひどく、残酷な景色だ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

レティシア・ヘネシー
〇◇
雑路の迷宮は如何せん車で走るには狭過ぎて、自身の複製を右腕に融合させ、タイヤではなく足で地面を蹴る

ふと、最後のオーナーの姿が目に入る。大破しオーナーの墓標代わりとして朽ち果てて居たレティを、何十年とかけて再び走れる様にしたオーナー

彼がレティを直した理由をふと思い出す。それはレティが、彼の娘の最期の場所だったから

仇として憎まれ、かつ娘の思い出として気に入られてもいた。最後のオーナーは寿命の間際にこう言った

これからは自分で自分の道を進め、と

そうだ、わざわざ迷う必要は無い。もうレティは進めるはずだ

右腕を振り抜く。迷宮をぶち抜き、猫を見つけると、呟きが漏れる

良い夢をありがとう。せめて終わりは一瞬で




 まるで本物の人のように見えるから、余計に走りにくいような気がする。
 ざわつく人々の群れの中、生まれた迷宮を車で走るには狭すぎる。レティシア・ヘネシー(ギャング仕込のスクラップド・フラッパー・f31486)はすぐに走破を止めて、己が分身である車を右腕へと融合させた。
 人が通れる程度の道であるというのなら、素直にひとの姿で行くのが良い。そうしなくてはきっと、余計に時間を食ってしまうから。
 そうして猫を探して通り抜ける町並みを見渡して――。
 その中に、よく知った姿を見て、振り返る。
 ――後ろ姿だって忘れない。レティシアの最後のオーナーだ。
 主の命と共に、レティシアの車としての生命も終わったはずだった。大破した彼女に成せることはといえば、もう主の墓標として朽ち果てていくことだけ――の、はずだったのだ。
 走ることはおろか、車として命を終えることすら叶わぬありさまだった彼女を持ち帰り、何十年と時間をかけて、もう一度走れるようにしたひと。
 彼女に乗って死した女性の――父。
 だから直したのだと言った。娘の墓標にもう一度風を切らせることにしたのは、彼にとってはひどく複雑な決断だったろう。事実、彼がレティシアを扱うときは、決まって揺れ動く想いが反映されるような手つきだった。
 娘の仇として憎まれた。それは知っていた。けれど――同時に、気に入られてもいた。
 レティシアこそが娘の形見だったのだ。最も入れ込んだ場所だから、どれほどに他意はしたとしても、その随所に彼の娘の痕跡があったのだろう。
 そうして憎まれて、愛された。その背中がじっと遠ざかっていくのを見る。まるであの日のように。
 彼もまた人間で――ひととモノの寿命は、ずっと離れているから。
 最期が寿命だったのは、きっと人間としては珍しくて、幸せなことだったのだろう。娘の思い出で、憎むべき仇敵で、己が手塩にかけて直したスクラップ同然の車に向けて、彼は言い遺した。
 ――これからは、自分で自分の道を進め。
 どういう思いでいたのかを、知ることは出来ない。けれど――雑踏の中に消えていく背中が、確かにあのときの声で、そう語った気がしたから。
 迷わなくても良いのだと気付く。迷宮に従うのではなくて、自分の道を辿るために。
 振り抜いた右手の向こうで、やすやすと人混みは割れた。その向こうにいる猫に向けて、微笑みかけて。
「良い夢をありがとう」
 そうすることこそがここで出来る慈悲だから――その腕を、振り下ろす。
「――せめて終わりは一瞬で」

大成功 🔵​🔵​🔵​

クック・ルウ

猫、寂しそうな声をして
きっともう解っているのだろう
やがて来る洪水がお前達すらも飲み込んで沈めてしまうと

『ごしゅじん』にお頼み申す
拾って、頭を撫でて、ご飯をくれた
優しいあなたに乞い願う
その子をこちらへ渡してもらえぬか
別れを告げてやってはくれないか
いっておいでと、送り出してはくれないか

(これは私がしてほしい事なのかもしれない
『ごしゅじん』に師匠の面影を重ねて、でも見えない会えない)

猫、私では代わりになれないだろうけれど
寂しいのなら傍にいるよ
おいで、一緒に行こう
いいこ、いいこ。お前は悪くないよ
(攻撃があれば雨を含んだこの身に水の魔力を巡らせて耐えよう)




 猫はひどく寂しげに鳴いている。
 どうして、と問いかける声は切実で、どこまでも深い願いだけを孕む。けれどそこに一抹の惑いと危機感があることを、クック・ルウ(水音・f04137)は知った。
 ――このまま雨が降り止まねば、カクリヨファンタズムは滅ぶ。
 来る洪水は全てを押し流す。妖怪も、猫も――骸魂となって戻ってきた主も。それを、きっとどこかで理解しているのだ。
 だから、猫はきっと、もう分かっている。
 いつか離れなくてはいけないこと。目の前にあるものを手放すのが怖いだけ。一度手をすり抜けたものを、もう一度取り落とすのが恐ろしいだけ――。
「『ごしゅじん』にお頼み申す」
 クックが呼んだのは、その奥で猫を迎え入れようとする影だった。
 いつか猫を拾ったひと。その頭を優しく撫でたひと。温かな食事と思い出を、その心にくれたひと。
「その子をこちらへ渡してもらえぬか」
 どうかその優しさが、骸魂となってなお、失われていないと言って欲しい。
 呼びかけというよりも希うようで、願いというよりも祈るような心地だった。いつかその心を抱きしめてやったのなら、それを手放す優しさを、残酷な痛みを伴うそれをも――許容して欲しい。
「――別れを告げてやってはくれないか。いっておいでと、送り出してはくれないか」
 凜と放ったはずの語尾が、少しだけ震える。
 影の腕に見ているのは、果たして猫の飼い主だけではなかった。クックだって求めているのだ。同じ言葉を、同じ優しさを。
 師匠――。
 ここにいなくて、逢えない。けれどそう言って欲しい。願わくは頭を撫でて、温かな食事を共にした後で。
 広い世界へ行っておいでと――笑って告げて欲しいのだ。
 クックの願いは叶わない。見えず、逢えず、ここにはいない。だから、どうか猫は。
 このちいさなものには――そうして送り出されて欲しいと願うのだ。
「猫」
 しゃがみ込んだ先で、猫は立ち上がった。応じるように鳴いたそれは――けれど、そっと抵抗の仕草を見せる。
「私では代わりになれないだろうけれど、寂しいのなら傍にいるよ」
 撫でる手を爪が引っ掻いた。強く肉を抉るように突き刺されるそれも、クックは受け容れる。
 水を含んだ体に魔力を流すのは簡単だった。巡らせた力がやさしい防壁となって、痛みと傷を和らげてくれる。
 だから、猫の頭を撫でることを止めなくて済んだ。
「おいで、一緒に行こう」
 いいこいいこ――。
 囁くような声は誰にもらったものだろう。
「――お前は悪くないよ」
 その言葉だって。
 本当に、欲しかったのは――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

オニキス・リーゼンガング
友と/f16930
心情)だ、そうですけど。どうします?
ええ、ええ。そうすると思っていましたよ。
ふふ。ああ、容赦ない。
そんなだから、わたくしも稚気に惑ったのです。
行動)わたくしは何もいたしません。
ええ、何も。杖にでも凭れていましょうか。
友ひとりで十分なのです。哀れな子猫の相手も、死後の付き合いも。
だからさようなら、愛した民たち。愛した妻、愛した息子。
そうしてすがりつかれても無駄なのだ。私はもう想わない。
情愛すら光に焼き尽くされた。王。夫。父。皆死んだのだ。
ここにあるはぬけがら。叶わぬ妄執(*ゆめ)に囚われた悪霊。
去れ、過去よ。お前たちが求める者はここに居ない。


朱酉・逢真
ダチと/f28022
心情)どォもせんよゥ。《過去》は海へ流す。彼岸が此岸を侵すなァまかりならん。ぜェんぶいっしょに陰府へ行くのさ。光は過ぎて戻らない。俺を惑わすモンはない。なればいつもよ、みな夜に沈め。
行動)別れはいやかね、ちびさんや。いっしょにいたけりゃ、いいとも。どっちも骸魂だってェんなら、手つなぎ歩合わせ陰府においで。ああ、その"舟(*からだ)"は置いてきな。こっから先は生者おことわり、才太郎畑にご招待さ。ご主人と散歩がてらのんびり降りねェ。




 黎明と呼ばれる暴力的な光の前にあって、いつしか人のざわめきの裡に響く声は、ひどく長閑だった。
「だ、そうですけど。どうします?」
「どォもせんよゥ」
 オニキス・リーゼンガング(月虹に焦がれ・f28022)の問いに応じる声もまた穏やかだ。どこかから聞こえる猫の声を追う眷属が、朱酉・逢真(朱ノ鳥・f16930)の足を目的地へ導く。
「《過去》は海へ流す。彼岸が此岸を侵すなァまかりならん。ぜェんぶいっしょに陰府へ行くのさ」
 猫が――。
 その過去に執着するのだとしても、だ。
 命が消えゆく命に執心するのは常のことである。看取るのは専ら孤独の裡にある者ばかりだが、逢真の領域に下る誰も彼もが、そういうわけでもない。呼び止める声は尽きず、或いはその後を追って陰の神域へと辿り着く者とて少なくはない。
 光は過ぎた。今や逢真の胸裡と呼べるものを惑わすものもここにはない。
「なればいつもよ」
 ――みな夜に沈め。
 永劫の安息を神威と振るう男は、両の目を黒く染めて笑った。
「ええ、ええ。そうすると思っていましたよ」
 友よりの応えに、オニキスは笑った。満足げな表情で一歩を引いて、割れた雑踏の最中にある猫の気配へ目を遣る。
 離れたくないという仔猫すら、その後方にある腕と纏めて赦そうと言う。そういうものであるから、オニキスもまた、稚気に惑いなどしたのだが。
「ふふ。ああ、容赦ない」
 慈悲は容赦があっては成せぬ。
 なればオニキスが何を成すこともない。杖に凭れて動く気配すら見せぬ己をも、友は赦すだろう。
 ――彼一人で充分だ。
 哀れな仔猫の相手をしてやるのも。落ちた命を括り付けて後に付き合いを続ける相手も。
「だからさようなら」
 声は雑踏の中へと向いた。
 こちらをじっと見つめる眸は見えねど、そうされていることは分かる。覚えがあるからだ。一揃いの双眸の隣に並ぶ者はいずれ増え、数えきれぬだけのそれがオニキスの方を見ている。
 灼かれた妻がこちらへ歩いて来る気配がした。隣に立つ息子がそれに倣う。ゆっくりと膝をついて、頭を垂れた彼女らは、祈るような仕草でオニキスを見上げていた。
 唇が震えたのか否か――。
 民たちは解き放たれたように押し寄せる。嘗て己らが仕え、そして己らと共に死した王へと触れんとする。
 だが――。
「無駄なのだ」
 龍神は動かない。すり抜ける指先を見下ろす顔に表情もなく、嘗ての幻に冷たい息を吐いた。
 いつか愛した。
 ――今は想わぬ。
 かの光が灼き滅ぼしたのは、その肉と命のみではない。心に懐く情さえも、閃光に払われた身は、最早夫でも、父でも、王でもなかった。
「去れ、過去よ」
 ここに在るのはぬけがらだけだ。
 ただ叶わぬ妄執(ゆめ)に此岸へ引き留められ、残る幽かな己の証左を振るい過去を絶つだけの悪霊だ。
「お前たちが求める者はここに居ない」
 冷えた声音の前に、彼らは音もなく頽れて消えた。その残滓が消え遣るのも見ぬうちに、オニキスの盲いた眸が友を向く。
「別れはいやかね、ちびさんや」
 逢真の問いかけはいっそ平坦なほどに優しい。命たらば平等だ。それが猫であろうが人であろうが。
 ――いたいよ。
 猫の尾がゆらりと揺れる。雑踏の中から伸びる腕にゆるり目を細めて、地獄の門は開く。
「いっしょにいたけりゃ、いいとも」
 どちらも骸魂であるというのなら――陰府は、それを拒まない。
 雑踏の声が遠ざかる。人々は黒く粒子と変わり、或いはその場に斃れ骨となり、空は冥く地を覆う。
 ――神域の第一階層はそこに成る。
「ああ、その“舟(からだ)”は置いてきな」
 ここから先、生者を踏み入れさせることは出来ない。不毛の才太郎畑は死者のみを喜ぶ。己の唇に添えた人差し指で、神域の主はその猫の身を誘うのだ。
「ご主人と散歩がてらのんびり降りねェ」
 病が満ちる。毒が揺らぐ。それでも動かぬ猫を抱き寄せんとしていた腕は、しかし逡巡するように宙に止まる。
 果たして――。
 猫の体を包む影は、庇うように蠢いた。
「取り込みに来たんじゃねえのかい」
 ――それとも、道連れは嫌になったかい。
 問いかける声への応答は、無言の裡に濃くなった影が全てだ。
 それも結構。選択とは権利であるが故。
「――本当に相変わらずですね」
 笑う逢真の横で、杖に凭れたままのオニキスが息を零した。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

琴平・琴子
〇◇

――そう、そんなに会いたいの
それとも哀が痛い?

あの日に、あの場所に帰りたいのかもしれないけれど
帰り道なんてどこにも無いんですよ
だって、帰れたとしても、時間は巻き戻らない

巻き戻るものなら戻りたいけれど
戻って帰れたとしても、私は今得た物を全部手放せる程
薄情にもなれない
人って、結構強欲なんですよ
――出会ってしまったから、その別れも今じゃ惜しくなるの
いつか来るかもしれない、別れかもしれないのに

お望みならば帰してあげる
お代は結構
――ああでも、貴方の想いでも聞かせてもらえますか

ねえ、貴方が泣く程帰りたい場所は何処だったのですか?




 寂しげに鳴く声を、じっと見下ろす。
「――そう、そんなに会いたいの」
 それとも――哀が痛い?
 ぎゅっと握り締めていた防犯ブザーから手を下ろして、琴平・琴子(まえむきのあし・f27172)の翠玉が、その桃色の眸を見た。見据えるそれがひどく悲しげで、言いたいことはそれだけでも分かってしまう。
「あの日に、あの場所に帰りたいのかもしれないけれど。帰り道なんてどこにも無いんですよ」
 無情にも聞こえるような声は、けれど事実を告げる。あの日の場所に帰ったって、時間は巻き戻らない。思い出の場所に残っているのは、ただ場所と思い出だけ。焼き回しの再生は出来ないし、失われたものが戻るわけでもない。
 過去は過去だ。未来にはならないし、今にもならない。どれほどに願って祈っても、取り返しのつかないものがあって――時間は、そのひとつだ。
 ――もしも巻き戻るのならばと、琴子だって思っている。
 かえりたいと思う。かえりたい場所がある。
 だとしても、今の琴子がいなくなってしまうのも、かえれないのと同じくらいに――嫌だ。
「人って、結構強欲なんですよ」
 得たものを手放せない。そう出来るほど、この心は薄情でもなくて――そうなれないくらいには、大切なものが増えてしまった。
 ただ永遠の孤独が続くのだったら話は別だったかもしれないけれど。琴子はそうではなかった。
「――出会ってしまったから、その別れも今じゃ惜しくなるの」
 永劫に別離が訪れないことなど、知っているはずなのに。
 それは明日にでも全てを攫ってしまうかもしれない。来るかもしれない時すら分からぬ、身を裂く悲痛であるというのに。
 諦めて手放して、全て忘れて戻れるなんてことは、きっとない。それほどに沢山のものを、抱いてしまった。
「お望みならば帰してあげる。お代は結構」
 指先はしゅるりと糸を紡いだ。絡みつくそれは、本当のかえりみちを切り拓く刃。食い込むそれが捉えたのなら、きっと猫は家へとかえるだろう。
 それがほんとうにあの影の元にあるとするのなら――それもまた、歩んできた道程の真実なのだろうけれど。
 この雨の帳の向こうにあったのだろうか。或いは、まだあるのだろうか。琴子には見えぬかえりみちが。この猫が辿るはずだった、見失われた道が。
 分からないから――聞いておこうと、思った。
 猫が懐いた想い。それほどまでに悲痛な声を上げるからには、あるのだろう。
「ねえ、貴方が泣く程帰りたい場所は何処だったのですか?」
 ――にゃあ。
 鳴いた猫の言葉の意味は、分からぬまま雨の帳へと霞んでいった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロス・ウェイスト

ねこのきもち、おれ、おれもすごく、わかるねん
お、おれも、さみしいのは、いやや
先生と、先生たちと、いっしょにいたかった、いたい
先生のところ、みんなのところ、あの頃のアジトに、かえりたい
やけど、こっちには、シャオロンがおるねん
おれまでみんなのところにいったら、シャオロン、今度こそ、ひ、一人になってまう
そ、それは、あかん。おれは、シャオロンとも、一緒におりたい
…やから、ごめん。ごめんな、ねこ

【残雨】
2回攻撃とナイフの一斉発射で、ナイフの雨を降らせる
自分でもナイフで目を狙う。あかんかったら、喉
体の急所は、実験場でも、戦場でも、先生からも習った

おれのできる一番得意なことは、殺すことやから
許してや、ねこ




 気持ちが分かる。
 分かってしまうと言うべきなのだろうか。眉尻を下げたロス・ウェイスト(Jack the Threat・f17575)は、小さく息を紡いでから、眼前の猫と目を合わせた。
「お、おれも、さみしいのは、いやや」
 拾ってくれた先生がいて。
 ボスがいて、仲間がいて――。
 そういう場所があった。そこで暮らしていたかったと思う。今も目の前にいるのなら、それほど幸福なこともないだろうと思う。
 だから――欲しいものを前にして、訴える猫の想いを、痛いほどに理解してしまう。
 それでもロスは、猫と同じようにはしないだろう。その心を断ち切ってやらねばならない理由もある。正義のためだとか、世界のためだとか――そういう、大層な理由ではないけれど。
「やけど、こっちには、シャオロンがおるねん」
 偶然にも生き残ったもう一人。よく笑う赤い眸もまた、彼の仲間であることに代わりはない。
 たった二人だけが、この世界に残ってしまった。けれど二人でいるから――ひとりが怖いことを、知っているから――ロスはゆっくりと首を横に振る。
「おれまでみんなのところにいったら、シャオロン、今度こそ、ひ、一人になってまう」
 ――そうなの。
 猫の尻尾は地面へと力なく降りた。ひどく寂しげに潤む眼差しを見返して、ロスは必死に首を横に振って、声を紡いだ。
「そ、それは、あかん。おれは、シャオロンとも、一緒におりたい」
 ――そうだね。
 同意の声はひどく悲しげに響いた。互いの痛みを知り、その断絶を知り、問うことをやめる声だ。寂寥が胸を衝いて、けれどロスはゆっくりと立ち上がる。
「……やから、ごめん。ごめんな、ねこ」
 猫は少しだけ動きを止めた。考えるような間があって、尾がゆっくりと揺れる。
 ――それなら、しかたないのかな。
 ――ひとりになっちゃうひとが、さみしくなっちゃうから。
「そ、か。そか」
 不格好に笑った一人と一匹が向かい合う。最中に降る二九〇本のナイフの雨を縫うように、ロスの構えたナイフが迸る。
 縦横無尽の銀閃に切り裂かれるちいさな体の急所すらも、切り裂き蜂の目は捉えている。
 幾度も幾度も教わった。命を奪うために必要なことだけは。実験場にいたときも、戦場に立つときも――先生からも。
 だから迷いなく目を狙う。その大きな眸を潰せば動きが鈍る。深く貫けば命を奪えると知っている。
 肉薄する傷だらけの体に――それでも、ロスの眸は歪んだ。
「おれのできる一番得意なことは、殺すことやから」
 許してや、ねこ――。
 掠れ消えるようなその声に、猫は鳴いた。
 ――いいよ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鏡島・嵐
おれが4歳になって暫くした頃。
いつもと同じように親父とおふくろは仕事のために家を出ていった。
「お土産と、面白いお話。いい子にして待ってるんだよ」
――それが、最後にかけてくれた言葉。

祖母ちゃんの占いでも二人の生死はわからないまま。

旅先で雑踏の向こうに、そっくりな後ろ姿を見たこともある。
全部が単なる人違いか、もしくは幻影だった。

――今はもう、そんな幻を見ることも無くなった。
けれどそれは、忘却したからでも諦念を懐いたからでもなく。
ただ、寂しくはないのだと気付いただけ。
離れていても、きっと心は繋がっている。
根拠のない空想かもしれなくても、そう思えるだけで――おれは独りじゃないんだって、思える。




 雨の向こうに映る在りし日の思い出に、心を巡るのは忘れもせぬ日だった。
 ――四歳の誕生日を迎えて、幾分かが経った頃だったと、鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)は目を伏せる。
 帰ってきた両親に寛いでいる時間はあまりなかった。それもいつものことで、故に彼がさしたる疑問を抱くこともない。ただ一抹、幾度味わっても慣れぬ寂しさが、幼い少年の表情を彩っていたのだと思う。
 そういうとき、両親はいつでも優しかった。代わる代わる頭を撫でて、少しだけ申し訳なさそうな顔をして――けれどそれ以上に、未知を知ることへ顔を輝かせて言ったのだ。
 ――お土産と、面白いお話。いい子にして待ってるんだよ。
 そういう両親の顔が、いつも新しいものを運んできてくれるようで――。
 嵐は頷いた。その日もそうして、彼らは家のドアを閉めたのだ。
 それきり――扉が開くことはなかった。
 祖母の占いはよく当たる。行方を眩ませた二人を――その生死を視ようとした彼女は、けれど何も見えなかったのだと言った。
 そのうちに嵐は、両親と同じように旅に出るようになった。幾つもの世界を巡り、数多の景色を見て――。
 異国の情緒に溢れる市場の中で。人々がせわしなく行き交う都会の町並みで。盛大に執り行われる祭りの人いきれの中で。
 ――ずっと、心の中で探している背を見たような気がして。
 走って追いかけて、そうと悟られぬように顔を覗く。そのたびに全く違う顔立ちに落胆して、或いはそんな人は最初からどこにもいなくて、寂寥に包まれて――。
 今は。
 都会の雑踏の中にも、その背を見ることはなくなった。
「だけど、俺は忘れたわけじゃねぇ。諦めたわけでもねぇ」
 よく響く声は、雑踏の奥にいる猫にも確かに届いているだろう。ゆらりと揺れた尾に疑問を乗せて、それは首を傾いで問う。
 ――じゃあ、どうして。
 だから嵐は笑った。ちいさな微笑みと共に胸に当てた拳が、全ての答えだ。
「離れていても、きっと心は繋がってる」
 寂しくないと気付いた。
 姿が見えないことも、今は逢えないことも、ひどく辛いことだろう。彼とてそれはよく知っている。
 知っている――けれど。
「根拠のない空想かもしれなくても、そう思えるだけで――おれは独りじゃないんだって、思える」
 それは、心に思い出があるからだ。暖かい日のことを憶えていて、その心の中に笑顔があって、きっと相手も同じように想ってくれているから。
「――同じじゃないんか。お前と、ごしゅじんも」
 その問いかけに、猫は掠れた声で鳴いて、俯いた。その心に、向き合うように――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

太宰・寿
【ミモザ】
私のかえりたいところは、何処だろう
見知った風景、雑踏
幻ですら側にいて欲しかった人達は、現れない
この幻は理想じゃなくて、現実の記憶だから
早く出たい
かえりたい

引いてくれる手を頷きながら強く握り返す
離さなければ迷わない気がして
最近、情けないところばっかり見せてるね
…そうだね、いつもいてくれるのは英だよね
うん…ありがとう

さみしいのは、嫌だよね
私も、嫌
せっかく会えたのに
でもかえったら駄目なの
……ごめんね
何を描けば、目の前のこの子は寂しくなくなるんだろう
花?光?友達の猫?雨をしのぐ傘?
考えつく限りを描くけど、
でもきっと一番は……私じゃ描いてあげられないね

ねぇ猫さん、あなたはしあわせだった?


花房・英
【ミモザ】
見えたのが寿の記憶で、俺の過去が見えなかったのは幸いだったと思った
寿はきっと自分の事みたいに受け止めそうだからって
まさか寿が寿自身のことでこんなに揺れるなんて思わなかったから

雑踏、見たくないなら見なくていい
俺が手、引いてやる
別に情けないとか思ってない
でも俺がいるだろ、その事忘れてないか?
俺のかえるところはひとつしかないんだ
しんどいなら、しんどいって言えよ

こういうの苦手なんだよ、やりにくい
正義の味方なんてつもりもないけど
…まぁいいや、とひとりごちて
世界が終わるのは困るだろ
気持ち全部受け止めるなんて言わないけど、
ぶつけてきたらいい
それで少しでも救われるなら

攻撃はUCで行う




 かえりたい場所はいつだって、帰る場所にはなってくれなかった。
 ただの幻と分かっていても、太宰・寿(パステルペインター・f18704)の眸は雑踏の中を見渡した。生まれた世界を模したそれをよく知っていて、だからこそ、あの日にそうあって欲しかった誰かを無意識に探す。
 ――けれど。
 そこに、暖かく笑ってくれる誰かはいない。誰もが見知らぬ顔をして、寿など気にも留めずに歩いて行く。
 当然だ。
 傍にいて欲しいと願った人たちは、理想にしかいないのだ。現実を映し出しただけのそこに、現れるはずがない。
 この世界にただ独り取り残されるような孤独。いつか心にのしかかったそれが、再び胸を塞ぐような心地がした。
 ――早く出たい。
 ――早く、かえりたい。
「見たくないなら見なくていい」
 俯いた手を強く握られて、花房・英(サイボーグのグールドライバー・f18794)の声がする。
 真っ直ぐに彼女を見詰める眼差しに、ちいさく頷いて歩き出す。先より幾分軽くなった足取りで、しかし浮かべた笑みはどこか乾いたような色をした。
「最近、情けないところばっかり見せてるね」
 その声に――。
 溜息すら吐けない気分で、英はぶっきらぼうに声を返す。
「別に情けないとか思ってない」
 ――自分の過去が見えなくて良かったと思っていた。
 普通の暮らしというものの中で育った者にとって、それは充分に凄惨な幻だろう。寿のことだ、過ぎ去った英の過去も、きっと己のことのように受け止めるに違いない。その心が傷付くことは避け得ないだろうと思っていたから。
 まさか――。
 他人に手を差し伸べる彼女が、自身のことでこれほどまでに揺れるとは、思いもしていなかったが故でもある。
 けれど、それは彼女に対する落胆でも、まして失望でもない。もっと暖かくて、どこか胸を擽るような想いを抱えるまま、彼は一つ息を吐く。
「でも俺がいるだろ、その事忘れてないか?」
「……そうだね、いつもいてくれるのは英だよね」
 辛いだとか、苦しいだとか――。
 そういうものを誰かに伝えることを、あまりよしとはしない寿の隣に、いつも英がいる。いつもの仏頂面で、手を握っていてくれる。
 それを、いたく頼もしいと思う。手を引いて歩いて行く背が放つ声は無愛想だけれど――いつでも、真っ直ぐだ。
「しんどいなら、しんどいって言えよ」
 ――俺のかえるところはひとつしかないんだ。
 零す声は届いただろうか。英にとって、もうここ以外に帰る場所はない。機械の身に揺れ惑う心を宿して、けれどいつでも笑ってそれを受け止めてくれる――寿の傍の外には。
「うん……ありがとう」
 小さく頷いて、寿はようやく笑った。心の底から込み上げるあたたかな感覚に、まっすぐ顔を持ち上げる。
 手を繋ぐ二人の先に猫がいる。背後に見える黒く霞んだ腕は、その飼い主なのだろう。
 だろうけれど――。
「さみしいのは、嫌だよね」
 ――にゃあ。
 しゃがみ込んだ寿と視線を合わせて、猫は鳴いた。
「私も、嫌」
 冷たいご飯は食べたくなかった。暗い部屋に帰りたくなかった。ただいまに返事が欲しかった。
「でもかえったら駄目なの」
 ――どうして。
 切実な問いかけに、言葉を返すことは出来ない。理由はどれほどにも重なって、けれどそのどれも、互いの痛みを浮き彫りにするだけだから。
「……ごめんね」
 呟いて立ち上がる寿の隣で、英は少しだけ額を押さえた。
 こういうことには――向いていない。
 正義の味方になったつもりもない。そういう振る舞いをする気もなくて、だからそう優しい言葉を掛けることも出来ないけれど――まるで幼子を傷付けるようなやりにくさが、どうにも心をもやつかせる。
「……まぁいいや」
 息を吐いて、ひとつ。
「世界が終わるのは困るだろ」
 慰めるとは言わない。そういうのは、それこそ隣で絵筆を取った寿の方が向いている。だから、己に出来るのは――。
「気持ち全部受け止めるなんて言わないけど、ぶつけてきたらいい」
 それが、せめてもの救いになるならば。
 電子の蝶が舞い上がる。戯れるように腕を伸ばす猫と裏腹に、困惑したような後方の腕が逃げるが如くに引いた。
 その隙にと生み出されるのは、絵筆が描く精巧な慰めだ。ちいさくて綺麗な花、目映い光、鯖虎の模様をした猫、降りしきる雨を凌ぐ赤い傘――。
 けれど、そのどれも、猫のさいわいを紡ぐ唯一には届かぬから。
「ねぇ猫さん、あなたはしあわせだった?」
 零れるような問いかけに、猫は一声だけ鳴いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント

消えない光景の中に、かつての仲間の姿が見える
『人狼は危険だ』『化け物を仲間になんてしておけるか』
裏切られたあの時の言葉まで思い返せば体が強張る
まだ引き摺っているのか…全く、情けない

…雨に打たれて頭を冷やす
冷静になれ乱されるな、あれはただの幻だ
狼の姿に変身してユーベルコードを発動
仲間の幻影をすり抜けて駆け、聴覚や嗅覚をより研ぎ澄ませて迷路の中から猫を探し追跡する
見つけたら人の姿に戻り、銃で攻撃して猫から骸魂を引き離したい

失う寂しさはよく解る
しかしこのままでは、いずれ誰かの大切な存在を世界ごと壊してしまう
お前が経験した喪失を他の誰かに刻み込む事になるかもしれない
だから、お前の望みは叶えてやれない




 雨の向こうの光景は未だ消えない。静かに地を打つ帳の向こうより、今にも駆けてくる足音がついてくる。あの日、こちらを見て眉根を寄せた嘗ての仲間たちの姿が、はっきりとその目に映った。
 心を引き裂くような怒声。雨の中を行く足が振り切るように速くなる。
 ――人狼は危険だ。
 ――化け物を仲間になんてしておけるか。
 心の底に張り付いて取れない声が、聞こえた気がする。
 幻聴だと知りながら強ばった体に息を吐いて、シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は胸中で自嘲した。
 嘗て――と言えるほどには過去の話だ。それを未だに引き摺って、体の強ばりを解くにすら時間がかかるとは。
 情けない話だ――。
 さりとてここには丁度良い冷却剤がある。降り注ぐ氷雨に目を伏せて、暫し上を向いた。額をとめどなく流れていくそれが、頭の中に凝るあの日の思いを拭い去るような心地がする。
 一つ息を吸って――。
 ――最も忌むべき姿を解放する。
 狼の姿で仲間へ馳せていく。何かを振り払うようにして、シキに怯える彼らの足許をすり抜けた。雑踏は幻だ。仲間たちが追いかけてくる足音も、すれ違いざまに息を呑んだ音も、化け物――と零された小さな声すらも。
 現実ではない。シキがいつか浴びたものに過ぎない。言い聞かせれば足が止まることもなく、鋭敏な鼻は猫の居場所をよく教えた。
 黒い影の腕が、猫を抱き寄せようとしているのが見える。それが届くよりも先に、シキは跳んだ。
 中空で剥がれた毛皮の裡より、人の腕が銃口を向ける。狙う先は猫ではない。それを抱きしめようとする、不明瞭な腕の方だ。
 雨の帳を裂いて、腕は銃弾を避けるように引いた。振り向いた猫の眸を見詰めて、着地したシキはゆっくりと距離を詰める。
「失う寂しさはよく解る」
 ――それは、まるで諭すような声音だった。
「しかしこのままでは、いずれ誰かの大切な存在を世界ごと壊してしまう」
 痛かっただろうと思う。
 辛かっただろうとも、思う。
 シキもまた、その苦しみに身を浸した。肉親を喪い、居場所を失くし、かえりみちすらも心引き裂かれる痛みに埋もれたこの身は、それでも――だからこそ、言えることがある。
「お前が経験した喪失を他の誰かに刻み込む事になるかもしれない」
 しゃがみ込んだ先で、猫は口を閉ざしている。ただその眼差しだけが、ひどく悲しげに潤んだ。
 ――それはいやだ、と。
 猫が言うから、立ち上がる。
「ならば――お前の望みは叶えてやれない」
 それがどれほど切実であろうと。
 この身の奥底――どこかで願い続ける幸福のかたちと、よく似ているのだとしても。

大成功 🔵​🔵​🔵​

コッペリウス・ソムヌス

どうして帰ったらいけないの、か
…其処は始まりの場所だから
雨の中みつけて貰えて嬉しかっただろう
けれどその先にうまれる思い出だって山ほど

冷たいところで引き留められるよりは
雨上がりの光や、温かいもの共にする方がいい
探し回るのに疲れてしまったのなら
この傘を差して探しもの一緒に迎えにいくよ

雑踏に求めるものはなく
オレの探しものはいつだって
足元にいる自分の影だけなんだ

その骸魂が、停滞や忘却を齎すものなら
綴ったオレたちのヘビで
食べてしまおうか




「どうして帰ったらいけないの、か」
 ひどく根源的な問いだ、と思う。
 帰れぬ猫が口にすればこそ、それはよく響く揺らぎとなった。心に落ちた波紋の答えを探して、コッペリウス・ソムヌス(Sandmann・f30787)の眸が僅かばかり揺れる。
 猫の納得する答えは何なのだろう。分からぬけれど。コッペリウスにとっては、確かな理由がひとつある。
 ――其処は始まりの場所だから。
 もう戻らぬのだ。はじまりははじまりで、もう終わってしまったことだ。時間を戻すことが出来るわけではない。だから――。
 ゆっくりと顔を上げて、雨の雑踏が阻む先の猫を、じっと見る。唇に穏やかな笑みを描いたまま。
「雨の中、みつけて貰えて嬉しかっただろう」
 けれど――それが最初で最後の想いではないはずだ。
 寒さに震えて消えるはずだった命の灯を拾い上げられて、感ずる幸福をちいさなその身に浴びて、だからこそ別れが辛い。数多を築いてきたからこそ、続く日々が奪われてしまうことが悲しい。
 死には抗えぬ。別離はやがて訪れる。
 けれど、その冷たい理屈だけで納得が出来るほど、心は単純なものではない。
 だとしても――はじまりには、もう戻れないから。
「冷たいところで引き留められるよりは、雨上がりの光や、温かいものを共にする方がいい」
 洪水に呑まれていく世界に沈んでしまえば、暖かな日々すらも水底に埋もれてしまう。心の中に灯した焔すらも纏めて押し流されて、氷雨の底に沈んでしまうというのなら、それはひどく悲しいことだろう――。
 だから、その濡れた体を抱きしめようとする腕よりも先に、ちいさな体へそっと傘を差しだした。
「探し回るのに疲れてしまったのなら、この傘を差して――探しものを一緒に迎えにいくよ」
 ――あなたは、さがしものは、ないの。
 微笑みかけるコッペリウスを見上げる猫が問うた。じっと見詰める沈黙の中に、もうひとひらの鳴き声を零して。
 ――さがすなら、そっちもいっしょにさがそうよ。
「ありがとう」
 笑って。
 けれど分かっている。雑踏の幻の中にも見えぬ探しものの場所を、もう知っているから。己の影にしかないそのかえりみちを――けれど、傘に報いようとする猫には、告げることはせずに。
 猫へと伸びる影の腕に向けて、徐に本を開いた。途端に溢れ出す蛇の群れが一直線に向かう。過去の残滓も、停滞を齎すために蘇ってしまったものも、全てを喰らい尽くすため。
 願わくは、傘の中で身を震わせて水滴を飛ばした猫が、音なきそれに気付かぬうちに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

夜明・るる
○あどりぶ、嬉しいよ
そう……あいたかったのね
……さびしかった、のね
会いたいと望む、のね

あれを、よくみて
あなたは思い出せる?
あれは、あなたが望むものと本当に同じ形?
私と一緒に探しましょう
これはあなたのあの日、かしら
ほら、鏡で照らしてあげる


あなたのお願いを、祈りを叶えてあげたいけど
此処でそこに居るものにあなたを差し出すのは
まちがい、だと思うの
そこに居るものでさびしさを満たしたら、あなたの本当のご主人のところに行けなくなっちゃう

だから、ごめんね
あなたのお願いを叶えるために
絶たせてもらうね

願わくは、その道行にかの人がいますように。




「そう……あいたかったのね」
 望むものがあるのなら、叶えたいと。
 かつてそうあったものとして。今もまだ、神様であるものとして――夜明・るる(lost song・f30165)は、そう思っていたけれど。
「……さびしかった、のね」
 ――会いたい。
 その想いをここで叶えてしまうことは、この世界を水底に沈めてしまうということ。骸魂となったものへと、猫の魂を捧げてしまうこと。
 そして――それは決して、猫の望みの全てではないのだと、分かってしまうから。
「あれを、よくみて」
 しゃがみ込んだ彼女の目の先に、桃色の眸がある。真っ直ぐに見つめ合った猫を通り過ぎ、指さきは後方に揺らぐ影を指した。
「あなたは思い出せる? あれは、あなたが望むものと本当に同じ形?」
 雑踏の向こうに消えてしまった『ごしゅじん』は――果たしてほんとうに、そんなかたちをしていたのか。
 ――ごしゅじんだよ。
 問われると自信がなくなるようで、猫は小さく、意地を張るように応じた。本心よりの言葉でないと分かっているから、るるは優しくその頭を撫でてやる。
「私と一緒に探しましょう」
 いつかの日。かえりみちをなくしてしまった雑踏の最中。その向こう、本当にかえらなくてはいけない場所こそが、猫が会いたいと鳴く先だろうから。
「ほら、鏡で照らしてあげる」
 揺らいだ鏡面が煌めいた。映し出されるものはきっと、求めるひとだっただろう。己と、人の群れと、その向こうにいるひとを探して、猫は振り返った。
 そして。
 ――決して、あの影は、その代わりにはなってくれない。
「そこに居るものでさびしさを満たしたら、あなたの本当のご主人のところに行けなくなっちゃう」
 ただ、ここで祈りを叶えてしまうことを――間違いだと思う。
 過去より染み出た残滓は、確かに猫の中にいるだれかの『ごしゅじん』だったかもしれない。けれど、最早それは捻じ曲がって、なにひとつ正しくなくなってしまったものだから。
 頷いて捧げてしまえば――今度こそ、猫は永劫の孤独に囚われて、あの雨の中から出られなくなってしまうだろうと思うから。
「だから、ごめんね」
 るるはゆっくりと立ち上がる。願うのなら、望むのなら、叶えるのが神様のすべきことだから。
 そうして――。
 叶えられる願いはすべて、心の奥底で思う――ほんとうのさいわいに繋がるものであるべきだと、思うから。
「絶たせてもらうね」
 今は主へ、暫しのお別れを告げて。
 歩き出した道行きの先に、本当に望んだかのひとが、笑って迎えてくれますようにと願って――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リゼ・フランメ
全ては雨が見せる幻
優しく、甘く、切ない泡沫の夢に過ぎないのよね
その主を呼ぶ鳴き声も、決して届かず、いずれ水底に沈むというのなら

「せめて、美しく葬りましょう。せめて、切ない程の煌めきと共に散らせましょう」

故に用いるは煌晶の蝶たち
私が口ずさむリ夜想曲のリズムに乗せて
そして、属性攻撃で炎だけではなく、氷や雷、風や雪の属性を蝶の翅に乗せれば……そこにあるのは、無数の色彩と輝きが包む、蝶たち舞踏

悲しみを明るい色で照らしてあげて
寂しさを強い輝きで救ってあげて
孤独である事を、違うと、数多の彩と属性で瞬く事で教えてあげましょう

「だから、吐息をひとつ」

――寂しくても、決して、独りきりの世界はないと

周りを見渡して




 全てはゆめまぼろし。
 甘やかな嘗てのゆめも、雨の彼方へと霞む記憶の投影。それ以外の何物でもなくて、だからこそうつくしい。
 刹那の甘やかさが心震わせれども、奥底を攫うような優しさに後ろ髪を引かれども――切なさが、胸をどれほどに締め付けようとも。
 決してどこにも届くことのない、主を呼ぶ声と同じだ。氷雨の帳に阻まれて、しろい息となって空に舞うだけ。どこにも辿り着けぬまま、いずれ世界の全てを道連れに、水底へと沈むだけ。
 ならば――。
 リゼ・フランメ(断罪の焔蝶・f27058)の指先が蝶を呼ぶ。鮮やかな光を宿して曇天を照らすそれは、豪雨の最中にも決して瞬きを失わない。
 リゼの心根に灯したひかりの如く、煌めく蝶が一頭、その繊手に止まった。はたりと瞬くその輝きをゆっくりと見詰めて、空へと放てば舞い上がる。
「せめて、美しく葬りましょう。せめて、切ない程の煌めきと共に散らせましょう」
 うつくしい唇が奏でる夜想曲が、穏やかに世界を照らす。けれど一斉に飛び立つ煌晶の蝶は、いっそ苛烈なほどのひかりでもって、猫を取り囲んだ。
 ――さあ、踊ろう。
 悲しみに暮れる曇天を引き裂くように。喪ったものへの思慕が輝きを奪うなら、それをこころに思い出させよう。
 煌めく赤は焔。青く輝き透き通るのは氷。頬を撫でる風を運ぶ新緑いろは、木々の香りすらも乗せて。白く舞い散る結晶の如き色は、全てを白く包み込む、うつくしい雪の如く――。
 とりどりの色を乗せて蝶が舞う。戯れるように猫の前を潜り抜け、その手で触れて御覧と呼ぶように空へ舞い上がる。
 気付けば、灰色の曇天には無数の光が灯っていた。星々の如く煌めくそれは、どこまでも猫を導くように踊る。
 ――独りではないと囁くように。
 その心が悲しみに曇るなら、拭い去って明るい喜びを教えよう。世界の全てが寂しさでくすんでしまうなら、それをも打ち破るほどの輝きで以て、世界に灯るひかりの色を教えよう。
 そうして、猫が飛び跳ねて蝶と戯れるようになった頃には、きっとその桃色の眸にいろが宿るだろう。悲しみだけではない。寂しさだけではない。ただ追い求めるだけ、待ち続けるだけで俯いた視界に入らなかった、うつくしいものがあることを知って――。
 きっと、その光こそが未来を呼ぶのだろう。
「だから、吐息をひとつ」
 ――寂しくても、決して、独りきりの世界はないのだと。
 それを伝えられたなら、きっと。
 見渡した先の曇天に見えるのは――過去だけではないはずだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

月舘・夜彦
【華禱】
一緒に居たいと思うのは己が満たされるから
ですが、ただ居るだけではなくて相手から返るものがあるからこそ
例え居るだけでいいと思っていても、軈てはそれ以上を求める
欲というものは枯れぬもの
その求める思いが、悪しきものへと変えてしまうのは
あまりにも悲しいと思いませんか

倫太郎、往きましょうか

武器は霞瑞刀 [ 嵐 ]、刃には破魔と浄化を
ユーベルコードは抜刀術『断ち風』
2回攻撃を基本とし、回避されないようになぎ払いで広範囲を攻撃
召喚された猫は倫太郎と手分けして速やかに一掃

敵の攻撃は視力と見切りにて動きを読んで判断
基本は残像による回避を優先し、躱せないものには武器受けにて防御
いずれも凌いだ後に反撃


篝・倫太郎
【華禱】
一緒に居たいって気持ちは……多分、判る
俺だって、夜彦とずっと一緒に居たいと思うから
呼んでも、応えがないのは寂しいと思うから

それだけが望みだとしても
それを叶えていいよとは言えない
こんな形は歪なものだから
だから、ご主人様は還るべき場所に送る

往こう、夜彦

「手をつなぐ」を代償に始神界帰使用
詠唱と同時にダッシュで接近して
破魔を乗せた華焔刀での先制攻撃
なぎ払いから刃先返しての衝撃波を乗せて2回攻撃

召喚された迷い猫は吹き飛ばしでの範囲攻撃で対処

敵の攻撃は見切りと残像で回避し
回避不能時はオーラ防御とジャストガードで防いで凌ぎ
武器受けで攻撃を受けて咄嗟の一撃でカウンター
以降は攻撃に生命力吸収も乗せてく




 傍にいたいという願いは純粋だ。
 だが見返りなくして成り立つものはない。ただ一身に、傍にいることだけを祈り続けていたとて、不均衡な関係はいずれ少しずつ亀裂を生む。
 ――返して欲しい。
 ただ傍に在るだけで良かったはずのものが、軈て別の意味を帯びる。己が満たされることを求め、欲を抱けば、それは純粋な願いからかたちを変える。
 欲は枯れることを知らない。
 一を手に入れれば十を欲し、十が手に収まれば百を求める。溢れるそれの果てが全てを呑む洪水となるのなら、それを許すわけにはいかないのだ。
「その求める思いが、悪しきものへと変えてしまうのは――あまりにも悲しいと思いませんか」
 告げる月舘・夜彦(宵待ノ簪・f01521)の声は静かだった。雨の中に濡れる猫の翼がちいさくはためく。
 応えはなかった。考えるように、少しの逡巡を見せたちいさな体が、それでも動かぬのを見る。
 ――篝・倫太郎(災禍狩り・f07291)とて、その想いを理解せぬわけではない。
 ずっと一緒にいたいと願うそれは、きっと己の中にもあるものだ。永劫の別離を恐れる意味。今ある幸福を手放すことへの恐怖――。
 夜彦と伴に歩いて行きたいと、願う。ふたりで伴に、家族のいる家へと戻りたいと思う。呼んでも返事のないことが、胸の奥の大切なものを切り裂き抉るような痛みを伴う寂寥を呼ぶ。
 だとしても。
 ――そうなのだとしても。
「倫太郎」
 手を繋いだままの夜彦の顔が、倫太郎を覗き込んだ。穏やかな双眸が笑いかけるのを目に焼き付ける。
「往きましょうか」
 このひとは――今、ここにいる。
 ふたりで立っている――。
「往こう、夜彦」
 だから手を離しても大丈夫だ。掴み、握って、縋るように引き留めねば消えてしまうようなものでは――ない。
 解いた指先で握るのは互いの得物。抜き放たれる蒼銀の嵐刃と、朱塗りの焔より抜き放たれる薙刀。纏う力は同時、しかし先に地を蹴ったのは倫太郎だった。
 一気に踏み込む刹那、結ぶのは神依の力――身を巡る災禍狩りの血が沸き立つように、己が裡に力が巡るのを感じる。
 そのまま一気呵成に薙ぎ払えば、猫の軽い体は浄化の力と共に舞い上がる。幾分散った桃色の翼がはためいて、すぐに体勢を立て直したその身より、高く鳴き声が響いた。
 ――現れる無数の猫たちが向かい来るより先、返した刃は衝撃波を生む。
 ごうと風が鳴って、猫たちが散る。長い得物は懐に入り込まれることを不得手としていて――けれど倫太郎が動かぬのは、そこに夜彦がいるからだ。
 嵐の刃が雨の裡に閃いた。倫太郎を目がけ飛びかかる一匹は叩き斬られると同時に毛玉へ変わる。そのまま逆袈裟に持ち上げた刃がもう一匹を貫いて、倫太郎が飛び退くと同時に横薙ぎに切り払う。
 背中合わせの温もりを感ずるままに、倫太郎は猫へと声を零した。
「こんな形は歪なものだから」
 ――それだけが望みだとしても、叶えてはやれない。
「だから、ご主人様は還るべき場所に送る」
 凜然と決意を孕んだその声に、猫は小さく鳴く。一斉に飛びかかる迷い猫の群れに刃を向けて、走り出す夜彦の後を倫太郎が追う。
 神速が残す残像が猫の爪を惑わせる。躱すこと叶わぬ牙は見えていた。夜彦を襲わんとするそれを倫太郎の刃が貫いて、彼の隙を狙うものを夜彦が破る。
 そうして――。
 辿り着いた目の前で、猫はゆらりと尾を揺らして鳴いた。
 ――どうしても、だめなの。
 それは、固く結ばれた二人の武器捌きを見たが故か、それとも――そうして並ぶ二人が、目の前にいるからか。
 ただ羨望を交えたその声に、返す言葉はもう紡いだ後だった。
 応答の代わり、夜彦の刃が淡く光を帯びる。魔を祓う浄化の力を帯びたその刃は、けれど猫そのものを引き裂くためではなく、その中に宿った惑いを断ち切るためのもの。
 向けられたそれに一声だけを零すから――。
 夜彦が、小さく声を紡いだ。
「さあ、かえりましょう」
 ――本当にかえるべき場所へ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
【月光】

猫さんが会いたいと鳴いている
そうだよね
大好きな人といっしょに居たいよね

今も
お父さまが横たわる部屋が雨に浮かんで
振り向く事がおそろしい

それでもお父さまのこと
愛していたわ
本当はわたしは、……ここへ帰りたいの?
……いいえ、それでも

一人にしたくない人が居る
傍にいたいひとが、今は他に居るの
ゆぇパパ、パパ
ルーシーは大丈夫よ

今、本当はまだパパの顔を見るのが
あなたの目にわたしが映るのがこわい
それでも見上げて目を合わせて
ぎゅうと手を握って

わたしは
わたしが選んでパパの傍にいるのだから
例え何があっても
絶対に放したりしない

ごめん、ごめんね
猫さん
あなたの望みを叶えられない
せめて撫でて
抱きしめて
咲いて青花


朧・ユェー
【月光】

猫の鳴く声
その声はとても寂しく、この子の気持ちもわからない訳じゃない
大切な人と離させるとは嫌だよね
あの時の様に一人になるのは
僕は……
一人は慣れているはずだった、一人でいいと思った
僕のせいで俺のせいで犠牲になるくらいなら

小さな手がぎゅっと握りしめるのが伝わる
自分の方がツライ筈なのにありがとうと言葉と
ルーシーちゃん、大丈夫かい?
傍にいるからねと手を握る

ごめんね、
君は悪くはない
ただ一緒に居たいだけなのに
でもずっと一緒に居させてあげれない
傀儡
君の大事な人の代わりでも
せめて思いと一緒に




 あいたい、あいたいと、猫はただそれだけを訴える。
「そうだよね」
 ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)の吐息が揺らぐ。悲痛なほどに胸に刺さる想いを、理解出来てしまうから。
 傍にいたい。笑っていたい。一緒にいたい。巡るのはいっそ幼稚だとすらいえそうな衝動で、けれどだからこそ、誰の心にも宿るねがいだ。
「大好きな人といっしょに居たいよね」
 そうだ。
 ――いっしょにいたかったのだ。
 今だって目の前には青い部屋がある。足許にはきっと『お父様』がいて、だからルーシーは振り返れないし、後ろに下がることだって出来ない。もう一度あの虚ろな眸を見てしまったら、今度こそ頽れてしまいそうで。
 呼吸は乱れる。指さきと唇に触れるのはこわい。見えてしまうのが、いやだ。
 だとしても。
 ルーシーは――父を愛していた。
 かえりみちとして突きつけられた、雨の帳の向こう側に、心が揺れる。本当にかえりたい場所。本当に――この心が求めているものは。
 いまではなくて。このさきでもなくて。ここなのかもしれない。
 ――ああ。
 吐息が揺らぐ。白い息が昇っていくのを、青の隻眼がじっと見上げる。
 それでもルーシーはかえれない。この心に誓って、かえらない。本当のこころがどこにあるのだとしても、この場所を離れがたいという想いも、本当だから。
 ひとりにしたくないひとがいるのだ。傍に寄り添っていたいと願うひとが、今は他にいるのだから――。
「ゆぇパパ、パパ」
 ちいさな声で呼んで、ぎゅっと握り締めた朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)のおおきな掌が、ほんの一瞬だけ強ばった。
 ――ユェーとて、猫の想いが分からぬではない。
 ひとりは嫌だ。大切なひとと離ればなれになることが耐えがたい苦しみを生むのだと、今は知っている。一度擦り切れたはずの思いが、今ここにあるからこそに、その鳴き声が鮮烈ないたみを伴っていることを知ってしまう。
 嫌だ。
 いやだろう。
 ――あのときのように、なってしまうのは。
 一人には慣れてきたつもりだった。ユェーの手には何もなくて、それは正しいことだったのだ。己のせいで犠牲になってしまうくらいなら。この手が大切なものを掴んだが故に、そのひとに苦痛を強いてしまうのは。
 それなのに。
 今、この手を強く握ってくれるちいさな指先に、ひどく救われている。
「ありがとう」
 紡いだ声はいつもの通り。笑う顔で見下ろした先の少女は、未だに俯いているから――。
「ルーシーちゃん、大丈夫かい?」
 穏やかな問いかけに、ルーシーは頷いた。
 本当は顔を上げるのが怖い。その目を見るのが怖い。その目に自分が映ってしまうことに、自分が成してしまったことが映ることに――背筋は凍って震えてしまう。
 けれど――確かに顔を上げて、彼女はわらった。
「ルーシーは大丈夫よ」
 ――彼女が辛い思いをしていることは分かっていて。
 けれど己のことをさきに想ってくれるちいさな温もりに応じるように、ユェーも笑った。おおきな掌で包んだ指先の凍えを、少しでも取り除けるように。
「傍にいるからね」
「うん」
 そうだ。
 ルーシーはルーシーの意志で決めた。彼の隣にいると。だからこの手を離したりは、絶対にしないのだと。
「ごめんね」
 ユェーの声が優しく紡ぐ。ふたり近付いた猫は、ひどく寂しげな声で、もう一度鳴く。
「ごめん、ごめんね、猫さん」
 ルーシーの声は震えて、それをユェーの手がやさしく覆う。そっと伸ばされた少女の指先の温もりに、猫はそっと声もなくすり寄った。
 その姿に――。
 男はただ、夢を紡いだ。
「君は悪くはない」
 ――それでも。
「あなたの望みを、叶えられない」
 だから。
 温もりは仮初めでも。姿は写しでも。ただ――そこにひとひらの救いがありますようにと願って。
 絡繰人形と少女が抱きしめた猫を彩るように、雨のあわいより生まれた青い花弁が咲いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

リア・ファル
その想いは、とても純粋で
過ぎ去った過去でなければ、ボクが守り、叶えたい、
そんなモノであったハズなのに

ノイズ混じりの雨の中を
傘を差さずに歩いていたはずだった

気がつけば、隣を歩く兄がいた
前方を、はしゃぎ歩く、双子がいた

だけど、ボクが抱いた胸の暖かさも
この子の抱いたソレも、過ぎ去ったモノに過ぎない

家族の幻影に暫しの別れを
肩に乗っている『ヌァザ』に大丈夫だと告げ

せめて帰りの道行きが、淋しくないように
誰かに抱かれているような、柔らかな喜びへと誘う戦慄を奏でよう

【琴線共鳴・ダグザの竪琴】

キミが明日を想えば、きっと雨も止むだろう
明日は何をしようか?
(全力魔法、浄化)

さようなら、これで迷わずいけるかな




 願いはあまりにも純粋だった。
 本来ならば、リア・ファル(三界の魔術師/トライオーシャン・ナビゲーター・f04685)がその命を賭してでも守り抜きたい希望の灯によく似る。守り、叶えるべきささやかな祈り。日常よ続けと灯される優しいひかりの行く先は、けれど既に潰えている。
 昏く塗り潰されたような腕に、それでも猫はかえりたいのだろう。
 リアは――無辜なる人々の明日のために、その願いを許してはやれないのだけれど。
 ノイズの混じった雨の中を往くはずが、知らぬうちにその身は数多の声に紛れていた。重なれば不明瞭な雑音めく声の最中にあって、少女はほんの少しだけ目を細めた。
 道行く雑踏の中をゆっくりと歩く。無数の人々の群れの中で、誰かにぶつかりよろめいた体を、そっと支える手があった。
 ――見上げた先に、兄がいる。
 兄貴分と慕うその人によく似た、けれど違う笑みを浮かべたひと。優しい眼差しに促されて前を見れば、はしゃぎ歩く双子が呼んでいる。
 もう――潰えた光景だ。
 兄は飛び立つよりも前に死んだ。辛うじて宙へと舞い上がった弟妹もまた、宇宙の海へと沈んだ。だから、ここにいるはずはなくて――。
 猫が鳴いた。聞き覚えのあるそれだ。肩口に乗ったヌァザが、心配げに体をすり寄せている。
「大丈夫だよ」
 暖かな想いも、ほんの少し夢見たような光景も。
 ――雨の中の猫が想ったのと同じ、もうどこにも亡いものだ。
 成すべきことは分かっている。何よりも、ここで足を止めることを、彼らは望んでいないと知っている。同じ想いを託され、そのためにと舞い上がり、しかし成せなかった彼らは――ただひとり遺ってしまったリアに、胸懐を託しているのだろうから。
 指先で撫でた電子の毛並みが飛び降りる。その進む先に見える桃色の翼を、リアの眸ははっきりと捉えていた。
 その寂しげな眼差しが、少しでも癒えるように――。
「キミが明日を想えば、きっと雨も止むだろう」
 生み出された金弦が音を鳴らす。竪琴のしらべは、まるで誰かの腕に抱かれているかの如き温もりで響いた。
「明日は何をしようか?」
 きっと沢山のものが広がっているだろう。描く世界に空は輝くはずだ。
 曇天の泪雨は、もう終わりにしよう。何もを水の底に沈めてでも逢いたかったひとは、それでももうここにはいない。
「――さようなら」
 俯いた猫にそっと近付いて、しゃがみ込む。頭をそっと撫でてやれば、抵抗はひとつだってないままだった。
「これで迷わずいけるかな」
 独りごちるような声が零れて、わらう。
 本当のかえるべき場所に――かえりみちを辿って。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニャコ・ネネコ
○/POW
おまえの気持ち、痛いほどよくわかるにゃ
ひとりぼっちはさびしい、ごしゅじんがいないのはさびしいにゃ
でも、だからこそ、許すわけにはいかないにゃ

ひとは、死んだらやすらかな眠りにつくって
おばあちゃまが言ってたにゃ
おまえは、ごしゅじんの静かな眠りを祈りたくないにゃ?
おまえがさびしがってご主人を心配させるってことは、
ごしゅじんの眠りを邪魔するってことにゃ
だから、さびしくても、わらうのにゃ
ごしゅじんだって、おまえが悲しむのは望んでないはずにゃ!

UCを使って影にもぐりこんで
敵の追っ手をよけながら、
ルーサンをねらうにゃ
こんしんのねこぱんちをくらうにゃ!




 灰猫の前に、黒猫が立っている。
 ひどく寂しげな顔をした灰色とは裏腹に、ニャコ・ネネコ(影色のストレガ・f31510)の眸はしっかりとした色を取り戻していた。ぐっと見る先のルーサンというらしい猫は、その闘志を前にしても、毛を逆立てることもしない。
「おまえの気持ち、痛いほどよくわかるにゃ」
 一緒にいたかった。
 傍にいたい。かえりたい。撫でてほしい、暖めてほしい、膝の上で眠りたい。
 ――もう一度だけでいいから。
「でも、だからこそ、許すわけにはいかないにゃ」
 分かるのだ。分かってしまうから、だから――自分と同じような境遇の猫がこうして鳴くことを、呼ぶことを、彼女は否定する。
「ひとは、死んだらやすらかな眠りにつくって、おばあちゃまが言ってたにゃ」
 ――おばあちゃまが、ごしゅじん?
「そうにゃ。にゃあのごしゅじんさまにゃ」
 沢山を教わった。沢山を教えてくれた。暖かな居場所は確かにそこにあって――。
 ――もう、どこにもない。
 それでもニャコは振り向かない。いっときの幻想に溺れたって、それが幻想だと思っているから泳ぎ切れる。息継ぎがどれだけ辛くたって、歩いていける。
「おまえは、ごしゅじんの静かな眠りを祈りたくないにゃ?」
 だって――。
 ――おばあちゃまは、愛してくれた。
「おまえがさびしがってご主人を心配させるってことは、ごしゅじんの眠りを邪魔するってことにゃ」
 ごしゅじんならば。こうまでルーサンの中の一匹が逢いたいと願うひとならば。ネネコが求めた魔女と同じように愛してくれていたはずだ。その温もりを知っているからこそ、再会を祈るはずだ。
 毛を逆立てて言うニャコに、灰猫は少しだけ俯いた。どうすればいいの――そう問う声は掠れて小さい。ごしゅじんを安らかに眠らせてあげるために、猫が出来ることがあるのかと、しょぼくれた尻尾が疑問を呈す。
 だから。
 ニャコは、笑った。
「さびしくても、わらうのにゃ」
 不格好でも、うまくいかなくても。
 笑っているから大丈夫。心配しなくても平気だ。猫は気儘な生き物なのだから。きっとごしゅじんがいなくたって、その寂しさを歩いていつか越えて、そうして――。
 ――ごしゅじんの意を継いだ、立派な猫になってみせるのだ。
 ルーサンの尾がゆらりと立った。その眸に浮かぶ色は、ただ寂しさと悲しさだけではないから――。
「ごしゅじんだって、おまえが悲しむのは望んでないはずにゃ!」
 ネネコが飛ぶ。軽くてちいさな体で思い切り体重を乗せて飛びかかって――。
 ――繰り出された渾身のねこぱんちは、確かに、不格好に笑うルーサンの頬を捉えたのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ティア・メル
【揺籃】

あーっ!
猫ちゃん見ーつけた!
見えるよん
雨に打たれて寒そうな猫ちゃんが

円ちゃんの言葉をうんうんと頷いて聞く
まるで諭すみたいな声色
やっぱり円ちゃんは優しいんだよ

猫ちゃんが寒さに震えていても
本当はあんまし興味がなくって
だけど大好きな円ちゃんがそう言うのなら
ぼくも猫ちゃんに手を差し伸べようと思うよ

なんて優しい獣なんだろう
あまやかな夢に眠る猫ちゃんを眺める
ふんわり漂う薔薇の香りに酔いしれながら歌う

辛い現実に戻る必要なんてない
このまま、文字通り眠るように
安らかに
沙羅の花弁で包み込んであげよう
さようならの代わりにおやすみを

んにーっ冷えちゃったね
寒いんだよ
あたたかーいココアを飲んで休もっか


百鳥・円
【揺籃】〇

猫ちゃんみーつけたっ
おじょーさんにも見えますか?

雨に打たれ続けて寒いんじゃあないですか?
ずうっと此処に居たいのならば結構
わたしたちには関係ないですけれど
あなたもご主人も、自由がないままですよ

小さい身体に抱く大きな思慕の情
それほどに、あなたはご主人が好きなんですね

可愛らしい獣を傷付ける趣味はありません
だからせめて。睡るように彼方へと
瓶に満たした宝石糖を喰らってドーピングです

わたしは夢魔。夢を司る獣
とびきり甘やかな夢へと堕としてあげましょう
優しい夢のかいなに抱かれて、眠れ
香る薔薇が、あなたたちを誘ってゆくはずですよ

冷えた身体を放っておくのは大変
お約束のココア、忘れずに飲みに行きましょうね




「あーっ!」
 天高く響く頓狂な声と同時に、やわい指先が前を指す。曇天の中の猫はびくりと身を縮こめて、じっと桃色の眸を声の方へ向けた。
「猫ちゃんみーつけたっ」
「猫ちゃん見ーつけた!」
 百鳥・円(華回帰・f10932)とティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)の声が重なる。同時に隣を見遣れば、飴細工と砂糖菓子の眸が噛み合った。
 小さく笑い声を上げるのも同時。ぱたりと瞬くさまは、ただ睦まじい少女どうしが戯れる色に似る。
 勿論――戯れだからだけれど。
「おじょーさんにも見えますか?」
「見えるよん。雨に打たれて寒そうな猫ちゃんが」
 円が問えばティアが応える。繋いだ手があるから二人は寒くないけれど、たった一匹、影の腕と共にいる猫はどれほどに寒いのだろう――。
 ――そう思えども、ティアにはさしたる感慨も何もないのだが。
 そっと円が近付いていくから、手を繋いだままでその歩調に合わせる。しゃがみ込むしぐさにだって追随するけれど、見詰めているのは夢魔のあまやかな両目だけだ。
「雨に打たれ続けて寒いんじゃあないですか?」
 円の方は、そう言って猫へと指さきを伸ばした。触れるか触れないかのあわい、繊手がしなやかに指を差す。
「ずうっと此処に居たいのならば結構。でも――」
 じっと見つめ合う。桃と、色の違う両の眼差しが、雨の音に沈黙を落とした。耐えきれずに猫が鳴こうと口を開く刹那に、円の声は誘うように響くのだ。
「わたしたちには関係ないですけれど、あなたもご主人も、自由がないままですよ」
 ――じゆう。
 首輪に縛られた猫には、よく分からないことだったのかもしれない。繰り返した鳴き声は、ちいさな体にいっぱいの愛情と慕情を詰め込んで、後方の腕を振り返った。
 ――ごしゅじんは、じゆうなほうが、いいの?
 声は返らない。世界を壊すために染み出た過去には、自由も何もないだろうから。
「それほどに、あなたはご主人が好きなんですね」
 納得する――ようにも聞こえる。
 諭すような声を聞きながら、ティアはちいさく頷いていた。猫にかける言葉など彼女の中にはない。だってこの猫はティアにとっての大切なものではなくて――ならば寒さに震えていようが、このまま水底に沈んでしまおうが、さして揺り動かされる感情もないのだ。
 けれど。
 円は、可愛らしいこの獣を、傷付ける気はないようだったから。
 大好きなやさしい彼女が、この猫に手を差し伸べるなら。ティアだって同じようにしよう。大切なものを傷付けないために。その意に――倣うように。
 円の指先が瓶の蓋を開ける。満ちた煌めく宝石糖をひとつぶ頬張った。
 そのまま唇をなぞって、夢魔がわらう。じっと見詰める猫へと向け、甘やかな薔薇の香が雨のさなかを漂った。
 ――せめて、眠るように彼方へと。
「とびきり甘やかな夢へと堕としてあげましょう」
 深い眠りに就いた猫を見詰めるまなざしが――あまりにもうつくしいから。
 ティアのまなざしは、円を追う。齎されたあまやかな眠りの中で息をする猫は、夢喰らう獣のやさしさにまどろむのだろう。
 薔薇の香に導かれて奏でる旋律もまた、子守歌が如き穏やかな音を孕んだ。
 ――辛くてさみしい現実になど、戻る必要はない。
 戻りたくないというのなら願いを叶えよう。文字通り眠るように、夢にまどろみ溺れていくと良い。それを叶えるのが夢魔だから。大好きなものの望みを助けるのが、セイレーンの歌声だから。
「おやすみ」
 ――さようならの代わりに、ただそれだけを。
 深い眠りに就いた猫を抱き寄せようとする腕はもういない。優しき夢が過ぎ去って後、残されるものが何なのか、一体どうするのか――それは、二人二取ってはさして問題ではないから。
 大きく伸びをして、先にティアが動き出す。もう一度聢と握ったてのひらの温度は、やはり柔くて暖かいから――それで良い。
「んにーっ冷えちゃったね。寒いんだよ」
「冷えた身体を放っておくのは大変! お約束のココア、忘れずに飲みに行きましょうね」
「うんっ! あたたかーいココアを飲んで休もっか」
 楽しみ――なんて。
 わらいあう二人を包む雨が止むときもまた、近い。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
【苺華】○

追懐の情に鎖された世界
嘗てを思い求める子は何処でしょう

結いだ手のぬくもりはそのままに
やわい足音に靴音揃えて先へと往く
視線を合わせたあなたは何を思うのかしら

止まない雨はまるで檻のよう
此処にいては、あなたは鎖されたまま
さみしいと震える魂
打ち付ける雨に凍えぬ前に、かのひとの元へ

まい、共にあの子を送りましょう
ひとりきりは、とてもさむいもの

呼び起こすのは春暁の花嵐
あなたを閉じ込める雨ごと攫って
あたたかな温度を添えましょう
かつて、わたしが温もりを得たように
さいわいのいとと共に、あなたへ

あなたがあいしたそのひとは
とてもステキなひとだったのでしょうね
おかえりなさい、そのひとの元へ
雨のむこうの世界へと


歌獣・苺
【苺華】

変わらず暖かな手に
きゅっと力が入る
寂しそうにこちらを見て佇む
猫の『ような』猫。

ーーいっしょにいさせて
その気持ちは痛いほどわかる
私も…一緒にいたかった。
一族とも…妹とも………彼とも
けれど、
囚われてはいけない。と
教えてくれた
なゆが、館のみんなが。

一緒にいていいよ。いいんだよ。
でも、それは本当のご主人なの?
本当の……『あい』なの?
それであなたは本当に…しあわせ?
…ちがうよね。

ほら、悲しい顔はおしまい
今度はあなたが
迎えに行ってあげるの
…私も、迎えに行く途中なんだ
素敵なお守りをあげる

『咲って、むすんで』

なゆの花嵐に乗って、咲え。
さいわいを持って、歩きだせ。
その『いと』を揺らして




 一緒にいたい、もう一度逢いたい。
 ただそれだけのひたむきな追憶に鎖された、雨の帳の向こう。嘗てを追い求めて、きっとひとり震えている、ちいさな子がいるのだろう。
 えにしを辿り、ゆるりと進める歩みの先。やわい掌を繋いで靴音揃え、聢と握る温度を確かめて。
 そうして合わせた視線の先で――何を思うのだろう。
 蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)と歌獣・苺(苺一会・f16654)の前に、一匹のちいさな猫が佇んでいる。猫のような、けれど翼の生えた――。
「まい」
 あえかに聞こえる七結の声に、黒兎は目を上げた。凪いだ紫水晶がちいさく笑う。
 成さねばならないことは、決まっていて。
 どれほどにその想いを分かってしまっても、それを許してしまうわけにはいかないのが、ふたりだから。
「共にあの子を送りましょう」
 止まぬ雨の檻に囚われたままで、すべてが水底に沈みきってしまう前に。さみしさに震えて主を求め、彷徨い続けるその魂を、ほどいて、あたためて、導いて。
 かのひとのところへ、その腕へ――もう一度飛び込めるように。
「ひとりきりは、とてもさむいもの」
 そっと頷いた苺が歩み出す。握った温度が暖かくて、いつか雨に打たれて凍えかけた心に火を灯してくれる。
 ――あのとき。
 廊下で蹲る彼女に手を延べてくれたように。
「一緒にいていいよ。いいんだよ」
 しゃがみ込んだ彼女の声はひどく優しい。与えられた肯定に猫の尾が揺れて、その声が問う。
 ――ほんとう?
 浅く頷いたふたりのまなを交互に見詰めて尾を揺らす。猫の表情をじっと見詰めて、諭すように声が響いた。
「でも、それは本当のご主人なの? 本当の……『あい』なの?」
 あいたい――。
 その気持ちを識っている。一緒にいさせてと、叫べるものなら叫びたかった。別れ際にはいつもそう思って、けれど結局、苺は一度だってそうは出来ないままだ。
 ようやく合流した一族の歪んだ表情には、きっと何を言ったって、望みの通りには鳴らなかった。バケモノになってしまった己よりは同族と一緒にいた方が幸福だろうと、妹の手を離したときだって笑っていた。覚悟を決めて、尾として傍にいてくれた彼を切り離すときだって、本当は心の底でそう叫んでいた。
 けれど。
「それであなたは本当に……しあわせ?」
 ――囚われては、いけない。
 それを教えてくれたひとと手を繋いでいる。かえる場所はいまにあって、未来にも続いていく。
 あいたいも、いっしょにいたいも、きっと幸福があったから湧き上がる感情だ。それそのものを否定する必要なんて、ないけれど。
「……ちがうよね」
 世界を歪めて滅ぼしてしまうことは――悲しいはずだから。
 猫は俯いた。その顔を持ち上げるようにそっと触れて、苺と七結はわらう。
「ほら、悲しい顔はおしまい。今度はあなたが迎えに行ってあげるの」
 ――むかえに?
 問う猫の前で立ち上がったふたりが顔を見合わせた。決意を孕んだ表情で見下ろす苺は、確かに凜然と、己の胸に触れる。
「……私も、迎えに行く途中なんだ」
 大切なものを――。
 それでもすぐに歩み出すのは難しいだろう。そのひとだけを見詰めていたのなら、尚更に。
 だから。
「素敵なお守りをあげる」
 七結と、苺が。
 蝶々結びの眸がゆわく透のいと。鮮やかな思い出をその心に蘇らせる、ひとひらの希望と決意。彩る道はあかく、あかい、花弁に包まれる。
 さあ。
 ――咲って、むすんで。
「あなたがあいしたそのひとは、とてもステキなひとだったのでしょうね」
 春暁の花嵐が夜を照らす。黎明を見詰めるまなざしに笑みを結んで、七結は猫を見た。
 いつか雨は止む。つめたい夜も永劫ではない。いつか戀いろを結わいた鬼が、あい色に満ちた春を迎えたように。
「おかえりなさい、そのひとの元へ」
 暖かな温度が運んでくれるその先へ、歩み出さねばならない。紡いだいとの途切れぬように。続きゆく世界のあたたかさを、つめたい雨に心まで凍えてしまう前に――そのまなに、映して。
 春を映すあかい花嵐に、さいわい紡ぐ透のいとを結んで、咲え。
 ――雨のむこうの世界へと。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
雑踏の向こう
あのひとが手を差し出した先にある
幼い自分と、迷い猫の姿を見ていた

――そうだな
永遠に一緒にいられたら
苦しくも痛くもないんだろう

でも、もうその背中は追えない
その手を取ることは、できないんだよ

過去は覆らないから
遺された者にできることは
一緒に歩いた日々を忘れずに
それでも前を向いて歩くことだけ

だから
前を、向こうよ

もういない大切な人を想う気持ちも
そのひとが遺してくれた想いも
間違いなんかじゃなくて
それは、生きている限り消えずに残るもので
(そう、教えてくれたひとがいる)

だから――
それを、呪いにしちゃ駄目だ
(そんな風になるのは、見たくない)

(――それは)
(“ひとのこころ”とは、程遠い願いだろうけど)




 戦地にこんな風景はなかった。
 けれど雑踏の向こう、雨の天幕の中で、あのひとは手を差し伸べている。その向こうにいる幼い己と――傍らにいる、見慣れぬ灰色の猫へ。
「――そうだな」
 瞬きもせずにそれを見詰めていた鳴宮・匡(凪の海・f01612)は、ただそれだけを吐息に乗せる。真っ直ぐな桃色の眼差しと目が合っていた。
 永遠に一緒にいられるならば――。
 きっと、この胸を埋め尽くす痛みも苦しみも、感じることなくいられるのだろう。
 だとしても、もう、それは叶わぬことだ。背を追いかけて、ただ一心に、世界の全てだと思っていたひとについていくことは出来ない。
 猫にとっても、匡にとっても。
「その手を取ることは、できないんだよ」
 そっと歩み出すと同時、手が武器飾りに触れた。藤色の慣れた感触を指先に憶えさせて、猫の前へとしゃがみ込む。
 どれほどに祈り願ったとて――沈んだ楽園へは還れない。
 そうでないと思いたかった。きっと続く道があるのだと信じたかった。けれどそうでないということを、前に進めば進むほど、思い知らされるだけだった。
 だから。
 沢山の声に、約束に、想いに――生者に出来ることは、あの日を抱えて蹲ることではないのだと、知った。
 忘れるのではない。忘れてはいけない。けれどこの心に遺す思い出を、後ろを向く理由にしてはいけないのだと――今は、思うから。
「だから――前を、向こうよ」
 猫はじっと聞いている。零す声に乗るのはきっと、この猫を救いたいだとか、そういう思いではなかったのかもしれない。
 或いはそこに――己の願いを見ていただけなのだとしても――。
「もういない大切な人を想う気持ちも、そのひとが遺してくれた想いも、間違いなんかじゃなくて」
 教えてもらった。教えてくれたひとがいる。喪ったものは二度と帰らなくて、抱えている限り痛みを伴う。
 けれど。
 ――その想いを忘れることは、死者にとっても生者にとっても、決して救済ではない。
「それは、生きている限り消えずに残るもので」
 傷跡だと、ひとは言う。
 いつか血を流す鮮やかな傷は癒える。だとしても、そこに刻まれたことは消えない。痛みも、苦しみも――。
 優しさも。
 喜びも。
 教えてもらったことも。
 だから――。
「それを、呪いにしちゃ駄目だ」
 ――己のように。
 構えた銃口の向こうに、眼差しはじっと匡を見る。ただ寂しいと鳴くだけの猫が、そうなるのを見たくはない。
 嫌になるほど利己的で――ひとらしくない、けれどそれこそが匡なのだと、今は偽らない。
 己の裡から込み上げるそのエゴを叶えるために――銃口は、吠える。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
為さねばならぬ事は解っている
後は己の心一つに過ぎないという事も……承知の上だ

共に在るだけで幸せに満たされる、代え難い時間が其処に在る
大切な、愛しいものと一緒にいたいというだけの願い
自身にも覚えの在る其れは、だが細やかと云うには余りに強く心に根差し
どうしようもない程の衝動と化す事を知っている
――だからこそ、律さねばならぬという事も

恨むも憎むも、思う存分ぶつけて来るが良い
お前にとって私は唯々非情な悪鬼でしかなかろう
其れは紛れも無い事実だ
私には護りたい世界が――護りたいものが在り
何よりも違える事の出来ない約束の為に……刃を止めない
――剣刃、一閃
此れは他のものにとっては冷酷な一刀に過ぎんのだから




 深く息を吐いて、隻眼を瞼に沈める。
 雨は止まない。体を濡らす氷雨の感触に、ただ白く息が立ち上る。
 為さねばならないことは明快だ。道筋は見えている。抜き放った一刀で以て、全てを絶ち斬る――ただそれだけのことでしかない。
 後は己が心を定めるだけだ。過去の残滓を引き裂いて、世界の崩落を防ぐのみ。そのために、己は刃を握っている。
 ――ここに立っている。
 それでも、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)の心が僅かに惑うのは、眼前の猫が訴える想いを知るが故だった。
 愛しい者と共に在りたい。大切な者の傍にいられるのなら、ただそれだけで、この心は幸福に満ちる。代え難いその時間を喪わぬために奔り、刃を握るのだろう。覚えがあると称すにはあまりにも深く、心に懐いたものと符合する。
 その場所を、時間を、護りたい。
 ――そのために、何を犠牲にしたとしても。
 ただ細やかな平穏を望んでいるだけ――と言うには、余りにも苛烈だ。いずれそれが歪みを呼ぶことも、巡って一番傍に在る大切な者を傷付けるのであろうことも、嵯泉は知っている。
 たればこそ――律さねばならない。
 共に在る時間の幸福は、傍に笑む者の幸福なくして成り立たぬ。己が手でそれを壊してしまう前に、身を灼く衝動の矛を収めねばならない。
 だからこそ。
 その一線を越えるのならば、刃にて穿たねばならないのだ。
「恨むも憎むも、思う存分ぶつけて来るが良い」
 主との時間を阻む者であることは承知している。その小さな心が求める平穏を壊し、二度と触れられぬ場所へと引き裂く怨敵となることもまた、避け得ぬ真実である。
 ――恨まれるのには、慣れている。
「お前にとって私は唯々非情な悪鬼でしかなかろう。其れは紛れも無い事実だ」
 しかし猫は尾を揺らした。にゃあ、と鳴いた一声は、どこまでも無垢に響くのだ。
 ――わるいひとは、つらいかお、しないよ。
 息を吐いて――。
 佩いた刃の柄に触れる。標的がどれほど小さかろうとも、熟練の剣豪の腕が逃すことはない。柘榴の隻眼に映した桃色の双眸は、ゆらりと揺らめいて、少しだけ首を傾いだ。
 そのさまに、一つ声を零す。
「私には護りたい世界が――護りたいものが在る」
 帰ると約した。待つと誓った。伴に在ると――この魂を懸けて、その手を取った。
 違えることはならない。例え何が在ろうとも、刻んだ誓いを成すために、刃を止めることはしない。
 それが――眼前に立ち塞がる者からすれば、ただ冷酷なだけの一刀であろうとも。
 引き抜いた銀閃が、主を求める鳴き声を穿った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵
🌸神櫻


かぁいらしい猫だわ
こんなに愛らしいこを置いて逝った主は悔やみ、案じていた事でしょう
孤独に佇む様は
まるでひとり社に佇む師の姿のようで

あなたに出逢わなければ
私はずっと独りきりだった
見知らぬ世界に
大蛇の呪
それを育てるための孤独と痛みに呑み込まれてた
悪さをすれば叱ってくれる
笑顔で迎えられる喜びも
抱きしめられる温もりも
褒められ認められる幸いも

社で語らう、小さな私と黒い神のあなた
―でも過去なの
凡ての想いは私のなかに咲いている

カムイ!
思い切り胸に飛び込んでいいかしら?
ただいま、神様
私の神様
あなたの代わりは存在しない
私の、すくいの証

その寂しさごと喰らい咲かせてあげる
桜と共に逢いに行くのよ
本物の主に!


朱赫七・カムイ
⛩神櫻


桃色の羽に灰色
幼き頃のサヨのよう

君に出逢わなければ心を得ることも
孤独を知る事もなかった
寂しさも
孤悲しいと胸が軋み
愛しと胸が灼けつくことも

雑踏にいつかの『君』と嘗ての『私』が映される
懐かしい
…然れど過去だ

振り切りきみをみる

私の背をカグラとカラスが笑み見守っている

櫻宵
甘やかな愛名を舌の上で転がし
暖かな桜龍を抱きとめる
私の今は此処に
おかえり、私の愛し子
巡る輪廻を重ね結い紡いだかけがえの無い紲

サヨの存在が私の証

あいたいならあいに行けばいい

―再約ノ縁結

止まっていては何も変わらない
寂しさを終わらせよう
そなたは決してひとりではないと
気づくべきだ

御魂は
愛しきものの側へ巡る
いこう
過去から未来へ
共に歩む為




 ――その姿を、お互いのようだと思った。
 寂しげに佇む灰と桃に、誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)は在りし日の師を見い出して。
 朱赫七・カムイ(約彩ノ赫・f30062)は幼き日の愛し子を見た。
 ひとり社で何かを待ち続けていた師は、櫻宵が来ればうれしそうにわらった。カムイの記憶の断片は、ひとり道を来る櫻宵が己の姿を見てほころぶ日を伝え来る。
 ああ。
 可愛らしい猫。ひとり置いて逝った主は、どれほどの心配を胸に抱いていただろう。どれほどの後悔で、その姿をまなこに焼き付けただろう。
 そう思うのは――胸を締め付ける記憶が、目の前に在るからこそかもしれないが。
 雑踏の中に、在りし日の社で語らうふたりが見える。黒き神――嘗て在ったカムイの以前と、その横で幸福そうにわらう、ちいさな櫻の龍。
 出会わなければ、ふたりは独りのままだった。
 櫻宵に根ざした大蛇の呪。ただそれを育てるための孤独と痛みは、それこそが呪いとなって、その心すらも飲み干さんと蠢いた。
 それでも、師は。
 ――師だけは。
 迎え入れる腕の温もりを知った。悪いことを悪いことだと叱られることは、理不尽な痛みに耐えるよりずっと嬉しいものだと分かった。大好きなひとの笑顔が心に灯すひかりの色も、何かを成せば褒めてもらえるさいわいも、誰かが認めてくれることの安心も。
 何も知らないままで、生きていかなくてはいけないはずだったのだ。
 ああ、けれどカムイの方は――知っている。
 だれかがいたからこそに生まれる痛みを。胸に咲くさいわいの数だけ、身を焦がすような苦しみがあることも。
 心を――得ることすらなかった。
 得なければ、孤独を知ることもなかっただろう。別離の痛みも、寂しさも、ただ独りの悲しみが身を焼き尽くすような感覚も。
 だとしても。
 出逢えなければ――愛しさに胸を締め付けられることすらも、知らぬままだったろう。
 だから。
 雑踏の中にあるそれは、過去なのだ。どれほどにかえりたいと思えどかえることが出来ぬもの。そして――。
 ――この胸に咲き誇った、うつくしき春暁の如き思い出。
 懐かしいけれど、永劫に見詰めていては、もっと大切なものを取り落としてしまうから――。
 櫻宵は馳せた。真っ直ぐに見詰める眼差しが交錯する。人形も、黒鴉も、わらってそれを見るのが分かる。カムイが腕を広げて、櫻宵のやわい笑みに応えた。
「カムイ!」
「櫻宵」
 抱き留めた温もりと、抱き留める腕の感触。わらい合うまなざしに『いま』を映して、二人は確かに、ここにいる。
「ただいま、神様」
「おかえり、私の愛し子」
 甘やかな愛名を転がして、神の声は静かに愛し子を呼ぶ。すくいの証、櫻宵だけの神様は、確かに巫女を見ていて――それがひどく、嬉しいと思う。
 どれほどの想いが募ろうと、こいしさをたぐり寄せようと、時は戻らない。ふたりは今、ここにそれを証明した。
 だから――。
「止まっていては何も変わらない」
 猫へと言う声は、再約の神罰を携えながら、それでもひどく優しく語りかけた。猫の寂しさを解さぬわけではない。むしろその祈りに灼き焦がされる千年を知っているが故に――。
 ――寂しさは、終わらせなければ終わらないのだと、知っているだけ。
「そなたは決してひとりではないと気づくべきだ」
 主を喪ってからの道行きに、何もなかったはずがない。主と紡いだ思いが、喪われたわけでもない。そこに生まれた全てを見詰めれば、この世界を辿る糸ともなり得よう。
「あいたいなら、あいに行けばいい」
 ――どうやって?
 問いかける猫の尾を、桜の龍呪が包み込む。
「桜と共に逢いに行くのよ」
 その想い。その願い。その祈り。すべて喰らって咲かせよう。春の暁の空に舞う、満開の櫻が如く。
 わらう櫻宵の声は、凜然と紡いだ。
「本物の主に!」
 己が巫女の舞ううつくしき櫻の最中にて、カムイはそっと目を細めた。
 知っている。
 どれほどの時が経とうとも、いずれ御魂は愛しき者の傍へと帰ると――。
「だから、いこう」
 過去ばかりを見詰める眸で前を向いて。
 いとしきひとと共に、未来へと――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

祇条・結月
―――見慣れた街並み
すれ違う影に見覚えがある気がして振り返ったのは雨の中で見た光景のせい

……わかってる
元気なあなたが居るはずがないんだ
動けても結果は一緒だったかもしれない
でもあの時躊躇ってなかったら。ちゃんと、戦えていたら
せめて。今もあなたの弟子で、孫で。家族だって胸を張れたのかな

……大事、って思ってる筈の人に、踏み込むのを怖がって
躊躇って
答えから、逃げて

そんな僕のままでいるのは厭だから
……できることをする、って決めたんだ
今度こそ

……出来ることをするよ
迷宮の「鍵穴」を開く風に分解

寂しいのは厭だよね
でも夢見てるだけじゃ、余計に寂しいって、本当は解ってるんだろう?
君が本当に居たいのは、ここじゃない




 いるはずがないと知っていても、体は止まる。
 心の澱の中、忘れ得ぬ姿が雑踏の中に見えてしまったのは、きっと雨の帳にあの日の夜が映ってしまったからだった。その姿を、目で追ってしまったのも。
 祇条・結月(キーメイカー・f02067)が祖父と慕うそのひとが歩いて行く。動く足で、真っ直ぐな足取りで。
 遠ざかっていくその背に、手を伸ばすことすら出来なかった。いるはずがないと分かっていたことも事実で、これは幻だからと思っていたのも真実で――けれど。
 ただ、そうする資格を、己は失ってしまっていたからでもあった。
 あの夜――。
 動かすことの出来なかった足が動いたところで、結末は変わらなかったかもしれない。あの頃の結月に出来ることがいかほどであったのか――考えてみれば、それひとつで世界が変わることなど、なかったのかもしれない。
 だとしても。
 少なくともこの胸中は――。
 ――孫で、弟子で、家族だと、ただそれだけの言葉すら胸につかえることはなかったのかもしれないのに。
 大事だ。
 大事だと、思っているはずだった。
 それなのに――或いは、だからこそ――結月の足は、その先に踏み込むことに揺らぐ。躊躇いまごつくそれを見下ろせば、前に出ることが余計に怖くなる。
 それでも、答えから逃げた果てにあったのが、あの夜だというのなら。
 ――そんな自分のままで蹲っているのは、厭だ。
 息を吐いて、胸の前で拳を握り締める。目の前の猫は雑踏の中に誰を探したのだろう。全てを押し流していく人波の中に、そのひとの姿を見付けることすら出来なかったのだろうか。
「寂しいのは厭だよね」
 ――にゃあ。
 鳴き声はひどく寂しげで、結月の眉根が困ったように寄った。その願いを断ち切ることは、飼い主と猫のどちらもが生きていたのなら、することなどなかったのだろうけれど。
「でも夢見てるだけじゃ、余計に寂しいって、本当は解ってるんだろう?」
 結月もそうだ。
 だから。
 今度こそ、出来ることをする。
 喪わないために。胸を張るために。一歩を踏み出して、この小さな掌でも、大事なものに成せることがあるのなら。
 ゆっくりと広げた手は無防備だった。それでも飛びかからぬ猫の桃色の眸をじっと見遣る。寂しくて、辛くて――どこか期待するような眼差しに、ただ、結月は笑みを返した。
 ああ――そうだろう。
 雑踏の中。何も見えないまま、離れたご主人を待ち続けるだけの、冷たい雨の最中なんて。
「――君が本当に居たいのは、ここじゃない」
 雑踏をほどく鍵は、ゆっくりと回った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

クロト・ラトキエ

千之助(f00454)が、
『共に』と言ってくれる
手を離さずに
だから
この場所とは、もうさよなら

ただ
困ったなと思ったのは
『――さみしいのは、いやだ』
理解ってしまう事

世に人は己一人
――独り
往く己なら
只のノイズだったのに

かえりたいところが今はある
いっしょにいたいひとがいる

他を容易く蔑ろに出来る獣、
罪業そのものの己は
猫の想いもお構い無しで
過去は所詮過去と
如何な光景にも攻撃は止まない

なのに、利己的に、
考えてしまう
僕だったら…
その腕から離れられるだろうか?

UC…埒外の力が
さみしいと思わす世界を滅ぼし果たしてでも、
あいたいと、きっと、願う
…これは、君には言えない、ね

…ねぇ
もしかして…
僕って、結構さびしがり?


佐那・千之助

クロト(f00472)とその猫はよく似ている
見間違えそうなくらい
ああ、さびしがり

力不足を寿命で補ってきた身ゆえ
いつ逝くか、彼より先か後かも解らぬ
さびしがりの彼を残すのは
心配で心配で…
私は独りに堪える術を知っているから
彼が年老いるまで傍に在り、長閑な最期を看取れたらと
さいわいの幻を夢見るくらい願っているが

…そう、過去は過去
捕われてしまわぬよう、なくしたことを受けとめねばな
唯の同意のように呟いてから、猫に向き合い

大丈夫…いちど結ばれた絆は消えない
そなたの大切なひとと逢えた世界をともに救おう
逢えない痛みを知る猫に
他の者へ同じ痛みを与えさせたくないと思うから
この雨が誰の温もりも奪わぬよう、炎を放つ




 繋いだ温もりは離れない。離したりしないと、柔い陽の色が笑ってくれる。
 だから――クロト・ラトキエ(TTX・f00472)が、雨のさなかで独り猫を探す必要はなかった。
「この場所とは、もうさよなら」
 目の前の猫が抗するように鳴く。ひとりはいやだ。さみしいのはかなしい。つらくてくるしい。
 ――すきなひとと、いっしょにいたい。
 困ったな――。
 そう思ってしまうのは、その想いを解してしまうから。この心のどこかに共鳴するようになってしまったからだ。
 世界に一人で生きて往くはずだった。それを疑問に思ったこともない。歪んだ致命毒が他者に紛れて出来ることなど、その毒性で全てを滅ぼすことのみだ。後に残る灰の上を、この心に何らの響きももたらさぬ呪詛と共に歩み続ける。十字架は多く、されど全てが羽のように軽かった。
 そのままでいたのなら――ただのノイズだと、穿つことも出来たのに。
 今のクロトには、かえりたい場所が出来てしまって。
 無明の宵闇とはおよそ相容れぬはずの陽の光と、手を繋いでいたいと願ってしまって――。
 ――だとして罪業の獣は、猫の想いそのものには、何も抱けはしないのだけれど。
 そうして揺らぐクロトを見遣って、佐那・千之助(火輪・f00454)は気取られぬように小さく息を吐いた。
 世界ひとつを取り戻すことは、そう簡単なことではないと知っている。されど彼には時間がなかった。悠長に研鑽を積んでいる間にも、人々の灯は枯れていく。不足を補うための力をつけている間に、世界は少しずつ火を失う。
 それを選ぶことが――出来なくて。
 足りぬ分に下駄を履かせるためにと捧げることを選んだのは、己が命の灯火だった。身に余る力を借りて、その代償として行く先を支払う。それとて構わぬと思っていたし、千之助がそうあることで救われるものがあるのなら、寧ろ喜んですらいたはずだ。
 ――彼と、手を繋ぐまでは。
 遺して逝くには余りに脆い無垢のひと。都合の良い夢まぼろしに見た光溢れる最期に、或いは千之助はいないのかもしれないことが胸を締め付ける。けれど己で差し出したものを再び手にする道理もない。後悔とは後にしか訪れぬのだ。
 焔の中で、愛しかったはずの誰かを貫いた水晶群が髪を揺らす。映るのが如何なる光景であれど、どれほどの想いを掛けられたとしても、クロトの指先が揺らぐことはない。
「過去は、所詮過去」
「……そう、過去は過去」
 千之助もただ、同意するが如くに零す。
 その身の上に同情がないわけではなくて。けれど、この雨の中に沈めてしまうのは、もっと悲しいことだと思うから――。
「捕われてしまわぬよう、なくしたことを受けとめねばな」
 逢えない苦しみを知っていて、その痛みを懐いて主を待ち続けた猫が、同じ痛みを知らず他人に齎そうというのなら――止めるのもまた、慈悲だろう。
 生まれた焔が水晶の群れのさなかを飛んだ。降りしきる雨にも消えぬそれが、灯るひかりの一片になるように、半魔の唇がやさしく紡ぐ。
「大丈夫……いちど結ばれた絆は消えない」
 ――思い出を彩る氷雨が、誰の温もりも奪ってしまわぬように。
「そなたの大切なひとと逢えた世界をともに救おう」
 ただ優しく響く声を聞きながら、クロトは小さく唇を噛んだ。それもすぐに、乾燥を誤魔化すように舐める仕草へ変わる。
 慣れきった殺戮は、考える時間を奪ってはくれない。訴える猫の姿が己と重なって、待ち続ける主の面影が二藍を揺らがせる。もしも同じ立場になったなら、置いて逝かれてしまったなら、そうしてまた逢えたとしたのなら、己は――。
 抱き寄せる腕から離れられるだろうか。世界崩壊の言葉を導かれて、抗うことが出来るだろうか。
 きっと――思うのだろう。
 さみしさを与えるばかりの世界など、壊してでも――。
「……ねぇ」
 零れる声は子供のような色を孕む。雑音の中のそれを鋭敏に拾い上げて、千之助の眸が蒼を見た。
 ああ。
 ――このひとには、言えないな。
「もしかして……僕って、結構さびしがり?」
 代わりに小首を傾いだ姿に、いたく愛しげに目を細めた千之助が、笑うように声を零した。
「ああ。さびしがり」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

神元・眞白
【SPD/割と自由に】シンさん(f13886)と一緒に。
すごい雨。帰る道を教えてくれたのはあなた?
……そう。それならまた少しだけこの時間をもらいましょう。

2人でいるのが大事。それなら暫くは私達も2人で歩きましょう。
急がなくても時間はあるようですから、ゆっくりと雨の街を。
シンさん。きっとあの猫さんは未来の私。待ち人来たらず。
寂しいこと、切ないことを抱えながら。

魅医。難しいけれど、あの猫さんをお願いね。
きっとあなたの力なら慰めの代わりにもなりそうだから。
……うん。そう、解決にはならないのは分かってる。
シンさん。私はここまで。あとは必要なことを済ませましょう。


シン・コーエン
眞白さん(f00949)と

世界が崩壊すれば、ごしゅじんのように亡くなる人々と、それを悲しむ人々が大勢出てしまう。
ルーサンの気持ちが判る等と言えないが、もし判ったとしても、俺は猟兵として為すべき事を為す。
恨んでくれていいぞルーサン。

シンは(眞白さんを巻き込まないように)ルーサンとごしゅじんに近づき、迷い猫達の攻撃は第六感と見切りで躱し、あるいはオーラ防御で耐える。
迷い猫達への反撃はせず、ただ真っ直ぐに歩み寄って灼星剣を抜く。

「冥福を祈ります。」とUC:灼閃・清浄招で骸魂の魂のみを斬って終わらせ、ルーサンに一礼して立ち去る。

眞白さんの言葉には「それでも俺は眞白さんが幸せに生きていく事を願うよ」と。




 しとどに打ち付ける雨の中、銀と金の髪が揺れる。
「帰る道を教えてくれたのはあなた?」
 神元・眞白(真白のキャンパス・f00949)の声に応えを返すように、猫は鳴く。
 ――かんばんは、つくったよ。
 ――かえりたいところに、みんながかえれるように。
 悪意はない。ただ純粋に己の願いを誰しもに与えようとしただけ。その姿を取り込んだ骸魂が、それを捻じ曲げてしまったけれど。
「……そう。それならまた少しだけこの時間をもらいましょう」
 目を細める彼女の隣で、シン・コーエン(灼閃・f13886)もまた猫を見詰めていた。
 ――ルーサンというこの猫のことを、理解出来ると何故言えようか。
 自ら帰る場所を飛び出した。新たな世界への高揚に導かれる足取りは、この猫とは真逆の道を歩んできたのだろう。置いていかれるさみしさを訴える声は、どこかで胸の裡に懐いた負い目を掻き立てはするけれど、それだけだ。
 シンは歩みを止めない。けれどそれは、例えその想いが理解出来てしまったところで変わらないだろうとも、分かっている。
 眞白の後ろをついて、その足取りはゆるゆるとかえりみちを辿る。
 ――二人でいるのが大事だと猫が言うのなら、眞白たちもまた、暫くは二人で歩く方が良いだろうと思ったのだ。
「シンさん」
 雑踏の中で足を進めながら、振り返らぬままに眞白が声を紡ぐ。ほつりと零れるようなそれは、言い知れぬ寂寥をその胸に灯しているようだった。
「きっとあの猫さんは未来の私。待ち人来たらず」
 寂しいこと、切ないことを抱えながら――この身を抱えて、力を抱いて、生きていく。
 きっとどこかで待ち望むのだろう。その再来が訪れぬと知り、きっと逢える日などないと――逢えてしまったのなら、それは条理を覆してしまったときだけなのだと、分かっていても。
 止まらぬ心が求める愛しいひとの姿を、雑踏に探してしまうのだろう。
 胸元に当てた手を握り締めて、彼女は静かに言った。落ちた沈黙は告げたいことの終わりか、或いは続けるべき声を見失ったが故か。
 分からないから――。
 そっと目を伏せて、シンは息を吸った。吐き出しながら開いた双眸に、確かな意志と願いの色を宿して。
「それでも俺は、眞白さんが幸せに生きていく事を願うよ」
 残酷――なのかもしれない。
 置いていかれる彼女に、その望みを渡してしまうこと。それでもシンが、心の底からそうあることを望んでいるということも、また。
 祈りにも願いにも似たそれを受け取って、眞白は小さく頷いた。
「魅医」
 呼ばれた人形がふわりと現れる。その眸を見詰めて、彼女の声が静かに紡ぐ。
「難しいけれど、あの猫さんをお願いね」
 ――きっとあなたの力なら、慰めの代わりにもなりそうだから。
 台詞に怪訝そうな顔をした魅医の、言いたいことなど分かっているのだ。どんな癒やしを与えたところで、二人は猫の望みを断ち切らねばならないということくらい。
「……うん。そう、解決にはならないのは分かってる」
 だとしても。
 寂しいとだけ訴えるその姿に、ただ残酷な現実だけを叩き付けるのは、どうしても出来ないから。
 複雑そうな顔をして、けれど魅医は頷いた。猫へと駆け寄る彼女の姿を見送った眞白が、金色に向き直る。
「シンさん。私はここまで。あとは必要なことを済ませましょう」
「ああ」
 ルーサンと主に近寄ることを阻むように、数多の猫が現れて鳴いた。けれどその姿に目を遣って、シンはゆっくりと、しかし真っ直ぐに、主と共にいる灰色の猫へと近付いた。
 煌めく刃を握り締める。猫たちの攻撃は必死であるが故に単純で、避けるには大した労もなかった。
 だから、眸は桃色の翼だけを見ていた。
「恨んでくれていいぞ、ルーサン」
 世界の崩壊を許せない。猫が愛したひとを亡くしたように、大勢が同じ想いをすることになってしまうから。
 猫の尾が下がった。にゃあ、と鳴く声は、諦めと寂しさと――納得の色を孕んだ。
 ――しかたがないよ。
 だから、シンは深く一礼をして、ゆっくりと刃を持ち上げる。
「冥福を祈ります」
 骸魂だけを裂いて――。
 浄化の光が瞬いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ウルル・レイニーデイズ
【雨空】

(淋しい
誰かと一緒に居たい
その気持ちはぼくにもよくわかる
誰かを傷つけてでも
誰かとずっと一緒にいられたら――そう思った事がない、なんて言えば嘘になってしまう けど)

きみの主人は
きっとそれを
望まないんじゃないの、かな

(カラはきっと傷を赦してくれてぼくはそんなきみに甘えてしまうけど――
誰かを傷つける事はよくない事

だから雑踏の中にいるこの一年で出逢った人たちの顔を見て想う

ああ
いつかはきみたちの元を
ぼくは去らないとなんだろう)

(でも今は晴れた空を
カラにもねこくんにも見せてあげたい)

――飛んで、"Dusty"。
(跳べ、魚雨の群。
集まって勇魚のようになって

――雨空を打ち破って。)

……雨。
晴れた、よ。


雲失・空
【雨空】

猫──?
(鳴き声──と、"猫のような形をした何か"
……綺麗にそこだけ空白になったみたいに何も視えないのが、不気味だねこりゃ)

(──声。耳が良いのは自慢だけど、猫の気持ちまでわかるようになったつもりはないんだけどなぁ)
……そうだなぁ。確かに、淋しいのは嫌だなぁ。私も嫌だ。
……ウルルだって、きっとそう)

でも、止まない雨はないんだよ
いつかはからっと晴れるもんさ
──たとえ綺麗事でも、私はそれが好きだ

誰かを傷つける君を見て、きっと君の大切な人は傷つくよ
それは、何も知らない私にも言える

でもね
その傷を許してくれる人の傍には、いくらでも居ていいんだ
ほら、全然痛くない

淋しんぼ仲間、仲良くしようよ ね?




 雨に烟った景色の中にそれがいることを、雲失・空(灯尭シ・f31116)はきっと、この場の誰より鮮明に捉えていた。
「猫──?」
 鳴き声がした。だからそちらを見た。確かにそこにいるということを一瞬で悟ったのは、そこにあるものはいたく不自然だったから。
 ――空白だ。
 色を視る眸に何も映らないということ。景色の中にぽっかりと穴が空いたようで、その虚空こそが『存在する』ことを伝えてくる。視るに支障はないが――据わりが悪いというべきか。
 率直に言うならば、不気味だ。
 それに、動物の言っていることを理解するような力は、空にはなかったはずなのに――分かってしまうのだ。
 鋭敏な聴覚に飛び込んでくる猫の声が、何を訴えているのか。
 ――さみしい。
 ――おねがいだから、いっしょにいさせて。
 切実なそれに空を仰ぐ。相合い傘の外側に見える曇天から零れ落ちる雨は、誰かの頬を伝う泪のようにも感ぜられた。
 確かに、そうだろうなあ――。
 そう思ったのは、ウルル・レイニーデイズ(What a Beautiful World・f24607)の方も同じだった。
 きっと人のためになったのだろうことをしてきた。けれどウルルの傍には何も残らなかった。いつだって雨は全てを押し流し融かしてしまうばかりで、彼女の隣は空席のままだった。
 だから、分かる。
 誰かのことを傷付けて、誰かに痛みを与えてでも――誰かの傍にいられたなら、どれほど。
 分かるからこそ、虹雨の乙女はそっと猫を見た。傍にいてくれる誰かを探して彷徨う雑踏の中に、雨を降らせたままで。
「きみの主人は、きっとそれを――望まないんじゃないの、かな」
 誰かを傷付けるのは、いけないことだ。
 それは自分の心をも傷付けることなのだろう。大切なひとに痛みを与えることなのだろう。だから。
「止まない雨はないんだよ」
 空は笑った。
 降り始めの雨のように零れるのがウルルの声なら、それは快晴の青を彩る太陽めいた声だ。傘を片手に持ったまま、彼女は軽く空いた手を広げてみせる。
「いつかはからっと晴れるもんさ──たとえ綺麗事でも、私はそれが好きだ」
 晴れた空を見たい。青い快晴を映したい。それは何も現実の事象にばかり囚われたことではなくて――。
 俯く心に降り注ぐ雨は、きっと全てを濯いでくれる。悲しみと痛みの泥濘に沈み込んだそれを、洗い流してくれるのだ。
 そうしてその後には、遍く照らすひかりが、その水滴を拭ってくれる。
 だから――雨を永遠にしてしまっては、いけないのだ。
「誰かを傷つける君を見て、きっと君の大切な人は傷つくよ。それは、何も知らない私にも言える」
 猫の双眸がじっと二人を見比べた。優しい声音に解かれた心が見詰めるのは、かたちさえ判然とせぬ『ごしゅじん』ではなくて、猫へと笑いかける記憶の中のそのひとだろう。
 でもね――と、俯くちいさな体へと、空がまた言葉を紡ぐ。
「その傷を許してくれる人の傍には、いくらでも居ていいんだ」
 一歩を踏み出すから。
 反射的に現れた迷い猫が一匹、その身を爪で掠めた。ほんの少しだけ痛みに顔を顰めそうになって、けれど空はそのまま笑う。
「ほら、全然痛くない」
 その姿を――ウルルはじっと見ていた。優しい友人。見渡せば雑踏の中を歩いて行く、沢山の人々。この一年でウルルを囲むようになった、暖かな場所。
 それから、改めて隣の女性へ視線を移す。晴れた空のようなひと。きっと、ウルルの与える痛みも、傷も、彼女は許してくれるのだろう。今こうしているのと同じように。だから甘えてしまう。傍にいてしまう。この雨の中で、傘をひとつにして。
 けれど――。
 分かっている。人を傷付けるのが良くないことも。だからこそ、いつか雨は去らなくてはいけないことも。
 そのちいさな軋みを抱えたまま、ウルルはそれでも空へ手を伸ばした。
「――飛んで、“Dusty”」
 ちいさな魚雨たち。固まって、大きくなって、勇魚のように。あの空を割って――大切な友人と、さみしがりの猫に、うつくしい空を見せて。
「淋しんぼ仲間、仲良くしようよ。ね?」
 わらって上を指さした空に釣られるようにして、猫は空を見た。
「……雨。晴れた、よ」
 ――曇天を裂いて確かに注ぐ、うつくしい月光を。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ハイドラ・モリアーティ
【BAD】
雑踏に、見た気がしたのは
――お母様
会いたい人で、わかり合いたい人で
家族が、ほしくて、俺
それでも、分かり合えないのはわかってる
でも俺は娘で、あの人は腐っても「母」だから
――どうしても、会いたいって思っちゃうんだろうな

わかるよ
寂しい
ひとりぼっちで生きていくの、辛いよな
でもいない人に縋ると、ずっと苦しいままだ
かえってこない人を縛っちゃ駄目だ
共倒れどころか、世界まで道連れで
お前の飼い主だって大悪党になっちまうぜ

――な。
新しい家族探すといいよ
俺も――探して、見つけたからさ
良い奴だぜ。最高。優しいし強いし、俺もこいつが大好き
俺の理想の家族なんだ
【LONELINESS】
探せるように――解いてあげる


エコー・クラストフ
【BAD】
雑踏か。……その中にも、ボクの家族はいない
当然だ。彼らはグリードオーシャンの住人で、みんな海に還った。もうここにはいない
振り向くことはあっても戻りはしない。過去からその姿を引きずり出しもしない
その選択をしてこの状況を招いたからには、その代償を払わなければならないんだよ

ボクは……お前が何者であろうと同情しない
お前がオブリビオンである限り。どんな過去を持とうと、どんな事情があろうと、考える頭もろくにない動物だろうと、ボクはお前を殺す
ただ一つ、ボクが殺さない場合があるとしたら……お前自身が自分で消えることだ
……ハイドラの言うとおり、前の主人だって、お前が縛られることなんて望んでないだろ




 ――家族が欲しかった。
 血も遺伝子もただの構造情報だ。多少の相似点があったとて、それが心をも縛ってくれるわけではない。寧ろ同一だからこそ――憎いこととて、あるのかもしれない。
 ハイドラ・モリアーティ(冥海より・f19307)が足を止めたのは、雑踏の向こうに母を見た気がしたからだった。
 己と全く同じ遺伝子を持ったひと。彼女の原型で――どれほど拒絶されて否定されても、凝りもせずに求めてしまうひと。
 狂った家だった。与えられる愛情までもが歪みきっていて、不幸にもまともな感性で生まれてしまった彼女には到底理解が及ばなかった。父も姉たちも、彼女の頭ではおよそ解せぬから恐ろしい。
 けれど。
 けれど母は――。
 分かりやすくハイドラを憎んでいた。きっとその断絶が埋まることなどないと、天才譲りの明晰な頭脳は客観的に教えてくれる。今だってこちらを一顧だにせぬ彼女は、再度出会ったところでまた同じように顔を歪めるのだろう。
 それでも――ハイドラは娘で、どうしようもなく母を求めた。
 止まりそうになる足を迷いなく引く手があるから、駆け寄ることなく進めるだけで。
 エコー・クラストフ(死海より・f27542)の眸には何も映らない。雑踏に見るべきものなど何もないからだ。
 彼女の思い出の全ては海の中にある。波に揺れる船を揺り籠代わりにして、乾杯の音と笑声を子守歌に育ってきた。地に足をつけて歩くのはほんの僅かな補給の時間だけで、それとてこんなに無機質な、誰もの存在を無視するようなものではなかった。
 皆は――。
 海の中に還ったのだ。ここにはいない。振り返ったとしても足を止めてはいけない。そこに見える姿を引き摺り出して、全てを捻じ曲げて今に映し出すこともまた、禁忌だ。
 全ては選択の果てにあることで、ならば己が責を持って、その始末をつけなければならないと知っているから。
「わかるよ」
 眼前の猫に向けて穏やかな声を上げるハイドラを、エコーはじっと見た。
「でもいない人に縋ると、ずっと苦しいままだ」
 ――寂しくても。
 ――ひとりぼっちが辛くても。
「かえってこない人を縛っちゃ駄目だ」
 それはいずれ取り返しのつかない歪みを生む。きっと何もかもを道連れにして、終わらせてしまうのだ。
 そうしたら、大切なひともまた――背筋が凍るほど恐ろしい称号を、背負ってしまうのだろうから。
「お前の飼い主だって大悪党になっちまうぜ」
 猫の頭を撫でるように伸ばされた手を、エコーは立ったままで見詰めていた。愛しいひとの穏やかな横顔は、どこか己に言い聞かせるようでもあって――静かに桃色の双眸を向ける猫へ、一歩を詰める。
「ボクは……お前が何者であろうと同情しない」
 過去も。
 心も。
 たとえ主人を求めるだけの動物だったとしても。
 過去の残滓であるのなら――或いはそれを肯定するものであるのなら、エコーは決して容赦をしない。生きる者を過去に変えていく彼らの成すことは、如何なる理由があれども許してよいものではないのだ。
「ボクはお前を殺す」
 ――凜然と言い放つ声は冷たい。
 けれど、剣は抜かれなかった。
「ただ一つ、ボクが殺さない場合があるとしたら……お前自身が自分で消えることだ」
 骸魂となることを選ぶにしても――こちらに戻って来るにしても。
 どちらとてエコーは構わない。自ずから帰るべき場所に帰るならば、痛めつける理由もないからだ。
「……ハイドラの言うとおり、前の主人だって、お前が縛られることなんて望んでないだろ」
 零した声は、それでも少しだけ――温度を孕む。
 それが嬉しくて、ハイドラは笑った。
「――な。新しい家族探すといいよ」
 俺も探して見付けたから――なんて言いながらそっと見上げた深海の双眸が、ゆるりとやわい色を見せた。ひとでない印と、恐ろしい家の色の眸で、ハイドラも微笑みを返す。
「良い奴だぜ。最高。優しいし強いし、俺もこいつが大好き」
 きっと、猫にだってそういうひとは現れるはずだ。
 忘れぬまま背負っていくのだろう。けれど傷口が永劫に血を流したままであることなどないはずだ。ハイドラがエコーに出会い、零れる赤を拭われたように。エコーがハイドラの手を握り、過去の痛みを肯定したように。
「俺の理想の家族なんだ」
 ――ほつれる声と共に触れた指先が、猫の裡を捕えるものを融かす薬(どく)になる。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

アストリーゼ・レギンレイヴ

ダン(f17013)と

雑踏を気に掛けることはないし
暗闇の荒野を、最早恐れることもない
――あたしの強さを信じてくれる彼が、隣にいるのだから
無様な姿なんて見せられやしない

――ねえ、あなた
大切な人を待っていたのでしょう
でも、だめよ
死して不変となったものは
もう、生者とともには往けない
それを歪めてしまっては、いけないのよ

――そう、だから
こうして並んで歩む日々にもいつか終わりが来る
あたしは屹度、また、置いて逝かれて、

……いえ
そうあるべき、なのよね

剣は要らない
伸ばされた手を断つのは、自らの手で

ごめんなさいね
でも、屹度貴方も
この子が世界を滅ぼすのを、望みはしないでしょう

だから、もう
――その手を、離してあげて


壇・骸
アスト(f00658)と、共に

雨は、いまだ降り続く
しかし、そこに恐怖は無い
凍えるような冷たさも、先の見えぬ暗闇も。それは、足を止める理由には足りえない
傍らの存在が、前へと進み続ける限り。情けねえ姿は見せられねえからだ

殺したはずの男が呪詛を吐く
お前に安息などは訪れないと
消えてしまった少女が手を伸ばす
貴方は、もう休んでもいいのだと

その全てを、払いのけて進む
隣に並ぶお前が、毅然として進むのであれば
こんな所で、呆けている暇は無い

世界を終わらせるモノを見る
こいつは、いつかの俺だ
故に、終わらせなければならない

……アスト、お前はいなくなってくれるなよ
残念ながら。こいつの様に待てるほど、俺は気長じゃないんでな




 無明の荒野は、もう恐ろしくはなかった。
 アストリーゼ・レギンレイヴ(闇よりなお黒き夜・f00658)の隣に、壇・骸(黒鉄・f17013)の姿が在る。互いの姿が見えるようになって、声も届くと知って――しかしそれは、すぐに安堵よりも強い決意に変わった。
 傍らにある温度は、今も前を向いている。
 ならば己が挫けるわけにはいくまい。無様な姿は、情けないところは――見せられない。
 互いによく似た胸中で、歩き出す歩調すらも同じだ。踏みしめる雨の荒野の向こう、互いに無関心な雑踏を踏み越えるようにして、二人は言葉を交わすこともなく前へと進んだ。
 骸には、見えている。
 いつか殺したはずの男がそこにいる。嗤うように歪んだ唇が、不明瞭な声で呪詛の言葉を吐き出す。人々の重なり合う声の中に、それが確かにあることを、理解してしまう。
 ――お前に安息など訪れない。
 そうして怨嗟に塗れた声を吐く者の反対に、いつか消えてしまった少女が立っている。心配げに、けれどどこか穏やかに骸を見る彼女が、そっと手を差し出している。
 ――貴方は、もう休んでも良い。
 苦痛に心を軋ませる幻影も、優しき慈悲で彼方へと連れて逝こうとする夢も、確かにその目に焼き付いていた。きっと一歩でも近寄れば、彼らは待っていたとばかりにその手で腕を掴むのだろうとも分かっている。
 だから。
 振り払うように、進む。
 隣を歩む女の速度が変わらぬのを知っている。この雑踏に映る全てを意に介さずに、毅然と前を見る横顔を見遣れば、こんなもので呆けている場合ではないと思い出すのだ。
 そうして雑踏を払いのけた二人の前に、寂しげな顔をした猫だけがいた。
「――ねえ、あなた。大切な人を待っていたのでしょう」
 穏やかなアストリーゼの声に、骸は口を挟まない。静かに見詰める先のそれが嘗ての己と同じであると知るからこそ、余計な情を抱くようなことはしない。
 たった独り――冷たい夜の中に取り残された、子供は。
 それでも、世界を終わらせるものであるのなら、終わらせなくてはいけない。
「でも、だめよ」
 アストリーゼもまた同じようにして、首を横に振った。伸ばした腕は抱き締めるためではない。
「死して不変となったものは、もう、生者とともには往けない」
 だから己は。
「それを歪めてしまっては、いけないのよ」
 いつか、置いて逝かれるのだ。
 生命の歩む日々には、いずれ終わりが来る。巡らぬ死者の描く道の永さに比べれば、それのどれほど短いことだろう。
 彼と肩を並べる時間もまた同じだ。どれほどの心を、誰と共に抱こうが、それはいずれアストリーゼの中にしかないものに変わる。
 それが。
 それを――正しいことだと、思っているはずなのに。
「……ごめんなさいね」
 首を横に振って見上げたのは、黒い影の腕の主だった。猫を置いて逝ったひと。置いて逝かれるアストリーゼに、その想いの全てを理解することは、きっと出来ないのだろうけれど。
「でも、屹度貴方も――この子が世界を滅ぼすのを、望みはしないでしょう」
 だからもう。
 その手は――離してあげて欲しい。
 影を掴んだ怪力の腕が、それをたやすく霧散させる。抜かなかった剣が冷えた音を立てるのが、何故かひどく耳に残るような心地がした。
「……アスト」
 不意に、呼ぶ声がする。
「お前はいなくなってくれるなよ」
 その声に、指先が少しだけ軋んだ。
 見透かされたような気がする。この心に抱いた、諦めに似た決意を。
 振り返った先の赤が、燃え立つように彼女を見えていた。どこまでも不器用なそれは、けれど――だからこそ、ひどく真摯に声を紡ぐのだ。
 揺れる。揺れてしまう。抱いたはずの厳然たる決意が。冗談めいているような、けれどひどく実感を伴う願いのようにも聞こえる――骸の声に。
「残念ながら。こいつの様に待てるほど、俺は気長じゃないんでな」
「――善処するわ」
 紡がれかけた言葉を呑み干して、アストリーゼはそうとだけ、言葉を返した。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

岩元・雫
聴こえる嘆きに聲も出ない
痛い程解る其の希求を、おれは駄目とは言ってやれない
でもね、其の渇望は
もう叶わない

おれだって、死の為歩いた訳じゃ無い
運悪く――只、巡り合せに負けただけ
彼の日、夕陽を見に来た此の海には
時に負けて、夜が居た
見たかった景色は何処にも無くて、漣に手招かれて

ひとは、たった其れだけで手遅れになるの
おまえの『ごしゅじん』はもう、おまえを苦しめる過去でしかない

其れでも諦められないのなら、最期にひとつだけ忠告してあげる
さみしさよりも奥の心で
答えろ、
――おまえは、最愛の主人を悪しものに堕してまで、共に在りたいの?

是と云うなら此の躯さえ超えれば良いさ
非を唱うなら、戻っておいで
――此方に、御出で




 孤独の海は冷たい。
 例えその苦しみがどうあれ、全て関係のないことだ。世界はたった一人の願いで滅びたりはしない。どんな想いがあったとしても、それは言い訳にはならない。
 ――そう撥ね除けられたのなら、もう少しましな気持ちでいられただろうか。
 見上げた鉛色の空は、いつか見た海底によく似ていた。岩元・雫(望の月・f31282)が深く、振り払うように息を吐いて、引き絞れて狭くなった気道を鳴らした。
「おまえの『ごしゅじん』はもう、おまえを苦しめる過去でしかない」
 ひとなど、所詮は脆いものだ。
 死にたくて歩いたわけではなかった。明確な死に至る理由があったわけでもなかった。生きていたくないことと死にたいことは別で、生きたいことと死にたくないことも別で――だからこそ、時折、ふと天秤が揺らぐことがある。
 夕陽が見たいと思った。
 地平に沈むそれではなくて、水平線に沈む、燃えるような赤が。けれど時間は待ってくれなくて、雫の望んだ景色は歩みに間に合わず、既にどこにもなかった。
 それだけだった。
 塗り潰された海の向こうで漣が呼んでいた。踵を返すはずの足が前に出た。水の冷たさなど気にならなかったし、濡れて纏わり付く服の感触も認知の外だった。
 たったそれだけのこと。けれど永劫に取り返しはつかない。この身が現世に留まり続けているのだって、きっと似たような――他人からすれば、ひどく下らない理由に過ぎないのだろう。
 なり損なった人魚が歌う。己の天秤のぐらつきひとつで沈められた、我が身の在処を示すような声で。
「其れでも諦められないのなら、最期にひとつだけ忠告してあげる」
 ――さみしいと言うのなら。
 それを越えて、いたみに隠された奥の心で。
「答えろ」
 一人が嫌だと言う。
 誰だってそうだろう。愛しい人を亡くさねばならぬいたみを抱えて生きていくことなど、そう簡単なものではないのだろう。
 この猫とて同じ。たまたま天秤が傾いただけ。雫があの日に漣へ足を浸したのと同じ、巡り合わせが悪くて、世界よりも主人を取ってしまっただけ――。
 だから。
 まだ戻れるうちに――そっと、重りを足すのだ。
「――おまえは、最愛の主人を悪しものに堕してまで、共に在りたいの?」
 猫の動きは止まった。迷うように揺らぐ桃色の眸を見遣る。
 それでも尚構わぬと言うのなら、そのまま雫を叩き伏せて進めば良い。水の底で共に溺れることを良しとするのなら、そのまま朽ちてゆけば良い。
 だがもしも。
 それが、嫌だと言うのなら――。
「――此方に、御出で」
 雨の向こうの漣に、天秤ごと攫われてしまう前に。

大成功 🔵​🔵​🔵​

アパラ・ルッサタイン
大事なひとと共に在りたい
……そうだね
其が出来たらどんなにか

つゆほども当然ではない幸福を
あなたたちに差し出せたら
どんなにか

けれど、すまないね
あなたちを帰す事はできないんだ
違う所へ還らないといけないから

ひとびとと昏い道が混ざる迷宮を唯々歩む
雑踏の中にあなたが居る
どんな人ごみの中でも
目がそこへいってしまって
ふふ
あなたが見ているのなら、尚更
格好悪い所なんて見せられないじゃァないか
通り過ぎる時にもう一度告げよう

また明日

あたしはあなたに見出された灯
迷い猫たちの往く路だって照らしてみせるさ
みんな、おいで
本当の還り路を教えてあげる
咲け火色

雨が降り止むまで




 細やかな願いが叶うのなら、誰も不幸にはならないのだろうに。
 大切なだれかの隣に生きること。誰もが当然のようにこの雑踏の中で享受して、さりとてつゆほども当たり前ではないその幸福を、邪魔せずにあれたのなら――。
「けれど、すまないね」
 ――それをこの場で許すことは、本当の還り路を塞いでしまうから。
「あなたたちを帰す事はできないんだ」
 アパラ・ルッサタイン(水灯り・f13386)は、独りごちるように猫へと声を零した。
 雑踏の向こうに、彼女が喪った願いが見えている。昏い道に交錯するどんな人々の群れの中でも、この目はあの日の背中を見付けてしまうのだ。忘れ得ぬ彼がこちらを見るのも、大きくなったアパラを見据えているのも。
 だから――唇には、笑みだけが浮かんだ。
 さやりと空を揺らす小さな笑声は、きっとあのひとには聞こえない。大きく成長したアパラが、いつか一緒に坑道を歩いた年端もいかない少女だと、気付くだろうか。
 どちらでも――。
 彼女はそっと背筋をただした。胸に灯る、いつかあなたの役に立っただろう――気に食わぬそれを思わせるような光を、眸に宿して。
 ――あなたが見ているとあって、格好悪く俯くだなんてこと、出来やしない。
 届くはずだった明日を迎えられなかったひととの、些細な約束。行き場を失ってしまった言葉を、すれ違いざまにちいさく繰り返す。
「また明日」
 叶えば良かったのに――と、思うことはある。けれど、今は叶わなくて良い。もういなくなったあなたが約束を果たす日が来るなら、それはきっと、今目の前で鳴く猫と主人が成したことと似るのだろうから。
 アパラは歩いている。あなたがくれた言葉が見出してくれた灯火として。
 ――アパラという、ひととして。
「みんな、おいで」
 だから今、ここで迷う沢山の迷い猫たちを導くことだって出来るのだ。強く煌めく灯が、無明の坑道を照らしたように。
 咲け、火色。
「――本当の還り路を教えてあげる」
 広げた腕に灯すのは、無数の輝く焔だ。ときに何かを燃やす苛烈なそれは、けれど今は氷雨にも消えぬランプの代わり。この雨が降り止むまで、確かな温もりと道しるべを示す――導きの灯。
 その暖かさに惹かれるように、猫たちがゆっくりと歩き出す。ひとつひとつ毛玉になって消えて、残った灰色の猫が、桃色の眸でアパラを見ている。
 笑って差し伸べた手にすり寄る姿を撫でながら、雨の雑踏が少しずつ薄れていくのを見た。あのひとの眼差しは、あの日のように柔らかな光を湛えて――。
 掻き消える刹那に、ちいさな声が聞こえた気がする。
 ――また明日。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルパート・ブラックスミス

(妨害する一切は【覚悟】と【指定UC】をもって跳ね除け【焼却】する)

平穏ではなく、そして害悪だからだ。
お前の想いがどれだけ切実だろうと、この世界に住まう他者諸共雨に沈めていい理屈になどならん。

止むべきは雨だ。時でも歩みでもない。
お前は淋しいままに進むべきなのだ。
進んだ先で、その淋しさを知るお前だからこそ見えるものがあるかもしれない。
それを見つけた時、それはお前が主と出会ったことの意味になる。
いつか時の彼方で、主に会えたから見えたものだと、己は他ならぬ『ごしゅじんの猫』なのだからだと、己を指す標となる。

この雨は、ふりだしだ。おわりにするべきではない。




「平穏ではなく、そして害悪だからだ」
 例えどんな理由があれど、手段を間違えれば悪に堕す。
 故に、ルパート・ブラックスミス(独り歩きする黒騎士の鎧・f10937)の声は厳然と言い切った。燃える流動鉛が雨を弾き、或いは火を恐れる猫たちを近づけさせることなく、迷いのない足取りが猫へと向かう。
 ――その想いの切実さを、解さぬわけではない。
 だが幾ら胸に迫るものを抱えているからといって、それは免罪符とはならないのだ。越えてはいけない一線はいつ如何なるときも生きる者の隣に在る。揺れ動く足がそれを踏み越えた結果が齎すものを、他者が許すわけにはいかない。
 この世界を雨の底に沈めることを――。
 許して良い理由など、どこにもないのだ。
「お前は淋しいままに進むべきなのだ」
 聞きようによってはひどく残酷な言葉を受けて、猫の尾がはたりと地へ落ちた。俯いて力なく耳を垂れさせる猫へ息を吐いて、ルパートは続ける。
「進んだ先で、その淋しさを知るお前だからこそ見えるものがあるかもしれない」
 ――時を止めてはいけない。
 全てを停滞に沈めるというのは、過去も未来も歪めて無に帰すことだ。感傷だけを手繰って歩みを止めるならば、その先には何も遺らない。
 己が――。
 誰かと出会い、紡いだものすらもまた、何らの価値もない、褪せた石と同じにすることだ。
 見出すならば未来を。その先にあるはずのものを。過去を過去として受け容れることでまた、主と猫が共に過ごしたことの意味が見えるはずだから――。
「いつか時の彼方で、主に会えたから見えたものだと、己は他ならぬ『ごしゅじんの猫』なのだからだと、己を指す標となる」
 今は歩かねばならない。いつかその元へ帰る日が来るまで。
 硬い声音でだった。口調とて優しくはない。それでも、その奥底には確かな温度が暖かく宿った。それを理解しているのか、猫もまた、ルパートの声にじっと耳を傾ける。
 見上げた雨は、気付けば一匹の猫だけを濡らした。黒騎士の亡い体温を奪うことのないそれは、いずれ容赦なく、その雨を降らせた存在のみを奪っていくのだろう。
 それは――。
 決して、救いなどではない。
「この雨は、ふりだしだ」
 ここから歩くために。己の意味を見出すために。踏み出す一歩目を刻めば、快哉の空が柔らかな月光を灯すだろう。
 じっと雨の奥を見上げた猫の目の前に、背の高い甲冑が佇んで、やはり明けぬ曇天を見ていた。
「おわりにするべきではない」
 ――にゃあ。
 鳴いた声と共に、猫はそっと――この雨より抜け出す導を求めるように、ルパートの隣に並んだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

水標・悠里
僕が戻らなければ、待っているあの子はどうなるんだろう
寂しい声で鳴くからつい懐に入れてしまった黒い仔猫

どんな気持ちだろう
寂しいかな

誰かがあの洞に来る様になって
僕は寂しくなった
別れが怖くなった

でも僕はいつかあの子を置いていく
猫の寿命は15年程
僕は半分もいられない

ごめんね
僕は君の御主人と同じことを、僕の大好きな子にするんだ
でも言えない

未練になるなら始めから遠ざければよかったんだ
今になって村の反応は正しかったんだと思う

少しだけ抱いてもいい?

我が儘でごめんね
僕じゃ君の願いに応えられない
唯言えるのはきっと
御主人も愛していたと思う事だけ
愛しているのに置いていくのは辛いから
僕が泣いても仕方が無いけれど




 さみしいと鳴く猫の声に、よくよく覚えがあった。
 引き入れるつもりもなかった猫を抱き締めて、みよと名前までつけてしまったのは、ひとえに同じような声で鳴いたからだ。思い出す黒い姿が眼前の猫に重なって、水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)は息を吐く。
 ――かえらなかったら。
 みよもまたさみしがるのだろうか。この猫と同じように、訪れない日を待ちわびて、あの家で鳴くのだろうか。
 それを想像すると、胸裡に寒々しい風が吹き込むような心地がした。今更どうしようもない癖に、この先に起こることなど分かりきっている癖に、悠里の心臓は引き絞られるように痛むのだ。
 普通は――猫に置いて逝かれるのだろう。
 悠里の場合は逆だ。猫の寿命が十五年だというのなら、彼はきっと、ここから半分も生きられない。不意に目の前から消えるようにして死ぬだろう。誰かに見られるのも、誰かが泣くのを見るのも、その声を最期まで聞いているのも――きっと耐え難いから。
 謝ることも出来まい。そうすると分かって抱き締めてしまったのだから。それでもどうしようもなく、その面影が重なってならない。
「ごめんね」
 ――君の御主人と同じことを、僕は僕の大好きな子にするんだ。
 言えるわけがない。この猫にも、みよにも。だから、震える声で零したのは、ただひとつ、願いだけだった。
「少しだけ抱いてもいい?」
 ――いいよ。
 猫はゆるりと立ち上がった。広げた腕に、雨ですっかり冷たくなった体がするりと入り込んでくる。抱き締めて立ち上がった悠里の腕の中で、それでも確かに、体の奥底に生きる熱を宿して。
「我が儘でごめんね」
 未練になるなら――最初から、何も手にしなければ良かった。
 村人が口を揃えて言った台詞が、今更のように悔悟になって胸を打った。愛着を手放すことがどれほど難しいのかなど知らなかった。
 けれど。
「僕じゃ君の願いに応えられない」
 悠里は置いて逝く。みよも、友達も、居場所も。
 だから――置いて逝く側の台詞くらいしか、言えることなどない。
「きっと、御主人も君を愛していたと思う」
 迎えに来たのだ。例えその存在を捻じ曲げられてでも、愛しい猫を腕に抱くために。それこそが全ての答えだ。
 人形のままなら知らずに済んだのだ。こんな想いも、離れがたい熱も、柔らかな春の日差しも。
 それでもあの洞を抜けてしまった。
 知ってしまったから――。
「――愛しているのに、置いていくのは辛いから」
 零れる暖かな雫など何の意味もないと知りながらも、それを止められやしないのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


帰りたい、か…
呟き瞼を閉じる

その裏に映るのは
桜の下で約束を交わした前世のあの日
今生のあの桜の下での出来事と…付随する出来事

それと
桜の館での日々

なら、あなたがいるべきは此処では無いと思いますよ
その手は本当にあなたの大切な、大好きな人の手?
あなた達にはそれぞれ大好きな人がいたのでしょう?

寂しいのは…私も嫌い
だからね、幻では満足できないの
ちゃんと…本物の彼らの傍にいたいもの
あなた達はどう?幻のご主人でいいの?
周囲をそよぐ風の魔法は麻痺を誘発し、猫を緩やかに蝕む

ほら、もう眠りなさい
時が来て目が覚めたら、きっと大好きな人の元へのかえりみちが繋がっているはずだから
猫たちの静かな眠りを祈り、歌うは子守唄




「帰りたい、か……」
 その希求そのものは、きっと止めるべくもないことなのだろうと、思う。
 きっと誰しもが抱く疵だ。長く生きれば生きるほど喪失の経験は折り重なる。それが小さなものであれ、大きなものであれ、同じように。戻りたいと願う日もまた、同じように積み重なっていくのだ。
 けれど橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)のそれは、他者の感ずる一度の生における喪失とは、少しだけ毛色が違った。
 伏せた瞼の裏に映っているのは、今の千織のものではない記憶だった。遙か遠い昔、己がこれより以前の生を紡いだときの約束――終わりの言葉を告げる日まで傍にいると、ただそれだけの、果たされなかった儚いひかり。
 そうして桜が巡り、そこにあるのは確かに今生の千織が知る景色だ。変わらず、けれどすこしだけ、鮮明な。
 『いま』の彼女にもまた思い出がある。舞い、修練を重ねて、この力と――遙か彼方の記憶を取り戻したこと。手繰られるように思い出すのは、それを束ねて生まれた数多の思い出たちと。
 同じように桜の咲き誇る、あの館で紡ぐ、他愛のない日々のあたたかさ。
 ――そう。
 千織にはあたたかな帰る場所がある。それは、こんな氷雨の中に、独り彼女を佇ませ続けることなんて、ありはしないだろう。
 だから。
「なら、あなたがいるべきは此処では無いと思いますよ」
 響く声はやわく、猫たちを撫でる指先は優しい。その向こうに見える影の手を見遣った双眸は、それが本当に求めた主のものなのかと、あえかに問うてみせるだけ。
「あなた達には、それぞれ大好きな人がいたのでしょう?」
 千織とて――さみしいのは、嫌いだ。
 胸を締め付けるような寂寥と、込み上げる罪悪。引き裂かれそうになる心すら誰にも触れ得ぬ静寂。心裡を刺し穿つようなそれを、ずっと味わっていたくはない。その想いは分かるけれど、だからこそ。
 ――彼女はそれを、温もりなき幻では埋められないのだ。
「あなた達はどう? 幻のご主人でいいの?」
 どこからともなく頬を撫でる風は、麻痺毒を孕んで猫たちの瞼を重くする。そっと地に伏せって毛玉に変わっていく猫たちの中で、それでも実体を持つ灰色の一匹は、辛うじて鳴いたのだ。
 ――いやだ。
「なら――ほら、もう眠りなさい」
 時が来ればきっと、本当のかえりみちが見えるだろう。その先には、猫の愛する主が手を振って、笑って待っていてくれるに違いない。
 だから今は――ただ安らかな、寂寥すらも覆うような眠りを。
 祈るように響く子守歌に、山吹と桜の花弁が、そっと揺れて流れた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
○◇
きみの問いに答えがあろうとなかろうと、するべき事はひとつだわ。
……、――それでも。
言葉を、意志を、憶えていくことを。あたしは無駄だとは思わない。

……どうしてかしらね。
なにかが悪かったのか、仕方が無かったのかは、もうわからないけれど。
それを呑み込むのは苦しいことだと、知っているわ。
ゆるせないならゆるせないと、叫んで壊したってよかったのに。
それをしないきみは、きみたちは、やさしいこね。

さみしい子は、嫌いになれない。
だけれど、きみのさみしさが、世界を壊すのは見過ごせないのよ。
きみのねがいを叶えてあげることはできないの。

それをあやまることは、あたしにはできないけれど。
つぎのせかいが廻ると良い。




 どうして、と問う。
 その声に答えようとも、或いは答えなかろうとも。彼らが望む答えがどこかにあるのだとしても、或いはどこにもないのだとしても――。
 花剣・耀子(Tempest・f12822)が成すべきことは、何一つとして変わらない。
 だから、何の言葉も交わすことなく断ち切ることだって、正解の一つではあった。何をしても変わらないなら、なにもしない。割り切りはつけやすくて、情に踏み込むこともなくて、刃を鈍らせるような理由を切り捨てられる選択だ。
 けれど。
 ――言葉と意志を憶えていくことに、意味がないだなんて、思わないから。
「……どうしてかしらね」
 かえらない。かえれない。
 そこに明確な理由があることの方が――思えば少ないのかもしれない。かえる場所がなくなる理由なんていつだって理不尽で、悪いものがほんとうに悪いのかどうかだって分かりやしなくて、それに諦めをつけるため、人は仕方がないという言葉で覆ったりもする。
 だからといって、それが誰もを納得させるような理由にはならない。幾ら味をつけたって、幾ら何かで覆ったって、鉛は鉛だ。
「それを呑み込むのは苦しいことだと、知っているわ」
 ――あなたも、こうやってひとりぼっちになったこと、あるの。
 猫は鳴いた。耀子は答えなかった。ただ伏せた眸に、腰元の白刃を抜き放って、曖昧な応答とするだけ。
 そのままゆるりと開いたいろに、ふと桃色の眸を映した。
「ゆるせないならゆるせないと、叫んで壊したってよかったのに。それをしないきみは、きみたちは、やさしいこね」
 思い出の中で溺れていくことを選んだ。
 それはきっと、純粋な願いが故だったのだろう。自分がかえれなかったから、だれかにもかえりみちを示した。はじまりのあの日にかえって、幸福になれるように。だれかにとってのそれは恐ろしいもので、別のだれかにとってはやさしいもので、そうでないだれかにとっては残酷なものであったけれど。
 ああ。
 でも――そうまでして求めたものに、猫の手が届くことはない。
 あってはならない。
「きみのねがいを叶えてあげることはできないの」
 持ち上げた刃に、もう猫は鳴かない。ごめんなさい――と声を上げることも、耀子には出来ない。これから断ち切ろうとするものに謝ることは、それこそ――大した意味のあることでは、ないのかもしれないから。
 代わりに、振り下ろす白刃に祈りを込める。繋いだものを断ち切って、ねがいを破り去って、それでも。
 ――つぎのせかいが、廻ると良い。

大成功 🔵​🔵​🔵​

臥待・夏報


動物を見て可愛いとか、可哀想とか、そりゃ人並みには感じる訳で
それでも拾って飼おうとまでは思わない
実家の池には鯉が沢山いたけど、庭師のおじいさんが亡くなった時に処分されちゃったな
たぶん、その印象が強いんだ
最後まで責任持てないんだったら、最初から触れなきゃいいのにって

……ごめんね
君のご主人様を悪く言ったんじゃないんだ
むしろ素敵な人だと思うよ
この雑踏の中から、君ひとりだけを選んだんだね
そういうのってどんな気分なんだろう
はは、僕には絶対真似できないや

迷宮は、彼女が居ないまま続く無味無臭の人生を映すばかりだ
僕は君を優しく抱き上げたりはしない
君がこれ以上悲しむくらいなら、全部燃えてしまえばいいと願うだけ




 動物を見れば可愛いと思う。
 そのくらいの一般的な感性は持ち合わせている。雨に濡れていれば可哀想だとも思うし、早く拾い手が見付かれば良いとも思う。保護された動物らの新しい主が優しい人なら良いし、虐待なんかの傷跡を見ればやりきれない思いを抱くというくらいのことだって、思う。
 ただ、臥待・夏報(終われない夏休み・f15753)は、自ら進んでそれらに手を伸ばさないだけだ。
 実家には立派な庭があって、庭師なんて人もいた。池では鮮やかな鯉が元気に泳いでいたのを覚えている。全部ひとくくりで錦鯉――というのは、少し大雑把すぎるのかもしれないが。
 その鯉のことだって、夏報は嫌いではなかった。
 邪険にする理由もなかったという方が正しいのかもしれない。日常風景の中に溶けた極彩色と、庭師のおじいさんがそれに餌をやる光景は、不変とまではいわずとも――そう変わるものだとも思っていなかった。
 庭師が死んで、池は空っぽになった。
 道連れにされてしまった鯉たちが住んでいた池を見るたびに、そのことが頭の片隅に引っかかっていた。それを言語化するなら、そう――。
「最後まで責任持てないんだったら、最初から触れなきゃいいのにって」
 ――にゃあ。
 猫は少しだけ不満げに鳴いた。己の主を悪く言われたと思ったのだろう。少しだけ苦笑して、彼女は首を横に振る。
「……ごめんね。君のご主人様を悪く言ったんじゃないんだ」
 ただ、自分はそう出来ないというだけのことで――。
「むしろ素敵な人だと思うよ。この雑踏の中から、君ひとりだけを選んだんだね」
 たった一匹の仔猫に手を差し伸べて、今は全てを巻き添えにして迎えに来た。その想いの深さは、きっと似たような感情を抱くものにしかわからないことなのだろう。
 だから肩を竦めて、夏報はそれを笑い飛ばした。
「そういうのってどんな気分なんだろう。はは、僕には絶対真似できないや」
 だって。
 ――今ここにあるのは、怒りだ。
 雑踏の迷宮に彼女が映らない。無味無臭の人生など噛み締めすぎて、味のないガムより味気ない。その真ん中で猫が鳴いている。主人に迎えに来てほしいだけの願いは叶わない。誰しもが足許を見ないし、誰しもがその願いを無碍にする。
 猟兵たちまでも――それを許すわけにはいかない。
 ならばもう、全て燃えてしまえば良い。これ以上猫が悲しむくらいなら。慰めと肯定の温度はきっと誰かが与えているだろうから、夏報は。
 感傷も。
 雑踏も。
 何もかもを――ただ、燃え立つ火にくべるだけだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

汪・皓湛

帰りたい
共に居たい
…ええ、解ります
それでも、いけません

周りがあの日を
万禍と出逢った後に訪れた街を映せば尚の事
水路を挟んだ向こう
私を見て冷たく嗤う男は失くした過去そのもの

…宵栄

あの頃に帰れたなら
友であった頃に戻れたならと思った事がある
お前はいつも優しく親切で
私の知らぬ事を多々教えてくれた兄の様な友だった

だが帰れない
何もかもが遠き過去
存在すらしない夢

UCで全てを覆うほどの蔦を
四方へ伸ばし出口を探ろう

ルーサン殿
生者は現し世の存在
過去にはなれないのです
そして、時は待ってはくれません
どれほどの痛みと悲しみを抱えていても、進んでいく

…だから
未来へ、向かうしかないのです




 ただ恋しく思う気持ちを、どうして否定が出来よう。
 その切望が痛いほどに分かる。共にいたいだけ。それが叶う日に帰りたいだけ。
「……ええ、解ります」
 汪・皓湛(花游・f28072)の紡ぐ声はひどく静謐だった。相対する猫はただ寂しげな顔をするばかりで――けれど、分かってもいるのだろう。
 幾らでも重ねられてきた言葉に、それでも踏ん切りがつかないだけ。だから、皓湛の差し出す否定は、窘めるように穏やかな一言だけだ。
「それでも、いけません」
 ――そうだろう。
「……宵栄」
 水路の向こうで冷笑を浮かべる男へ向けた声は、水の音に流れて消える。
 気付けば、周囲の光景は無二の友と出逢った後に訪れた街を映し出していた。誰しもが似たように不鮮明な雑踏。顔も声も判然としない人々の群れの中で、しかし皓湛は見たのだ。
 ――過去そのもの。
 嘗て友と呼んだ、その男を。
 あの頃に帰りたいと思ったことがある。友として肩を並べ、そのときを永遠にしてしまえたら、どれほどに幸福だったか。
 兄のように慕った。優しい口調が紡ぐのは皓湛の知らぬ世界で、差し伸べられる手が本心だと信じて疑わぬほどに、親切だった。
 沢山のことを教わった。それほどに心に招き入れていた。これからも続くと信じて疑わなかった日々は、呆気なく冷や水に変わってしまったのだ。
 だから分かっている。
 戻りたくとも――戻れない場所があることも。
 底に戻ろうとしたとき、何かを決定的に歪めなければならないことも。
 それが――正しいことではないのだということも。
「ルーサン殿」
 そっと視線を戻した先の猫は、にゃあ――と細く一声鳴いた。
「生者は現し世の存在。過去にはなれないのです」
 ゆっくりと伸ばす蔦が、猫を取り囲むことはない。この終わりの見えぬ雑踏の、どこかにある出口を探るように、ちいさな命の横を掠めてゆくのみだ。
「――そして、時は待ってはくれません」
 全てはいずれ遠き過去へと消える。この心臓が脈を打ち続ける限り、過去との距離は離れるばかりだからだ。
 けれど足を止めたとて何も叶わない。流れる時間は記憶を奪い去っていく。少しずつ褪せていく日を鮮明な今と同じように留めようとしたなら、それは世界の理を否定することとなる。
 今ここに存在すらせぬ夢に、その身を捧げてはならない。
「……だから――未来へ、向かうしかないのです」
 この呼吸が続く限りに。
 蔦の見出した出口を辿るために目を逸らす。足が前に出るまで、視界の端でいつまでも、友は皓湛を嗤っていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宵鍔・千鶴
寂しそうなねこ、
その眸に映す先
願いはきっと俺と似てる
そうだよな
ただ愛しいと思う相手と
共に居られたらと思うよ

愛しいその亡骸が
此方を見る、あの日と同じく
ゆっくりと口を開く
最期に聴いた言葉のきみの
真意は俺にはまだ解らない
受け入れは出来ないけれど

俺の願いときみの願いがすれ違っていただけ
そしてきみの願いを受け入れた

雨に打たれ
視界が滲む

そうだよ、さみしい
ずっと、俺はさみしいんだろう

だからもう
なにひとつ取り零すことが無いように
諦めたくないから
待っても叶わない
前に進むしかないから

猫、きみも
大切なひとを背にするは
辛いけれど

進まなきゃ




 目と目を合わせて、一番最初に込み上げてきた言葉がある。
「そうだよな」
 ――桃色が映す願いは、この身に宿り心を焦がすそれとよく似ている。
「ただ愛しいと思う相手と、共に居られたらと思うよ」
 宵鍔・千鶴(nyx・f00683)の前には、ただ残酷な黎明が広がり続けている。小さな猫だけが不釣り合いな、終わりではじまりのその場所で、あの日の光景だけが繰り返されるのだ。
 光のない愛しい眸が、そっと彼を見詰めた。虚ろなそれと目が合う。あのときは逸らせやしなかった。今はきっと、逸らさないだけだ。
 ゆっくりと開かれた血に濡れた唇と、零された掠れた言葉も、一字一句記憶に焼き付いているものと同じ。
 そのまま――。
 いのちは消える。終わりの静寂だけが白々しい空に満ちていく。
 遺された言葉の真意は、千鶴にはまだ分からない。それを受け容れることすら出来ていない。こうなってしまったことを幾度突きつけられても、何度同じ言葉を聞いたって、同じことを思うのだろう。
 願いがすれ違ってぶつかれば、どちらか一方しか叶わないのは当然のことで。
 千鶴は――彼女の願いを叶えた。
 それだけのことで、それだけのことなのに、何もかもが喪われてしまった。
 ――さみしいね。
「そうだよ、さみしい」
 きっと、ずっと。
 視界が滲むのは雨のせいだったのだろうか。これだけの雨粒が髪と頬を伝っていくのなら、その理由などどうあれ構わないのだろうけれど。
「――だからもう」
 零した声は、少し揺れていた。
「なにひとつ取り零すことが無いように」
 この手は呆れるほど小さい。何もかもを抱え込もうとしても、すぐに隙間からすり抜ける。諦めない――と、言葉にするだけならこんなにも簡単なことが、どうしてもうまく出来ない。
 だから、足を進めるのだ。
 この手が全てを抱えられるようになるには、そうなれるほどに大きくならねばならない。ただ蹲っているだけでは、それは成らない。今あるものも、これから手にするものも、全てが虚しく過去の海に沈まないようにするために――。
「前に進むしかないから」
 握った拳で訥々と紡ぐ声は、心底の吐露だったろう。
 ずっと寂しい。ずっと、寒い。けれどそれ以上に、この胸が再び空虚を湛えることが、嫌だ。
「猫、きみも」
 大切なものに背を向けることは、辛くて苦しい。
 それでも、息をしなくてはいけないのなら。その疵を抱えたままでも――。
「――進まなきゃ」
 桜があえかに散る。千鶴から放たれたその香りが、柔らかく、静かに、猫を包み込んでいた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

三上・チモシー
○◇

ねぇ、るーさん
あの子、首輪は違うけど、るーさんにそっくりだね
あの子の中には、るーさんもいるのかな?
……あの子が待ってるごしゅじんの内の一人は、自分なのかな?
行かなきゃ
迎えに行かなきゃ

召喚したるーさんたちに出口を探してもらいながら、雑踏の迷路を走る
人混みの奥に、寂しげな顔をしたるーさんが見えては消える
道に迷って、こんな遠くまで来ちゃったんだね
ずっと気付かなくて、ごめん
寂しかったよね
迎えに来たよ

ごめんね、離れたくなんてないよね
でも、その人といると、世界が壊れちゃうんだ
だから、一緒にうちに帰ろう?




「ねぇ、るーさん」
 にゃあと鳴いた灰色の猫は、けれど『ルーサン』ではなかった。
「あの子、首輪は違うけど、るーさんにそっくりだね」
 雑踏の向こう、何かを探すように走り去った小さなルーサンを追いながら、三上・チモシー(カラフル鉄瓶・f07057)は足許の猫を見下ろした。
 るーさん。
 増えたり戻ったりする不思議な猫は、今は沢山に分かれて、そのうちの一匹が彼の足許にいる。残りは皆、迷宮の出口を探して走り回っていることだろう。逐次報告に戻るその子たちを撫でながら、彼の目はしかし、迷宮へと消えた寂しげな灰色を詐害している。
「あの子の中には、るーさんもいるのかな?」
 蝶を追って出掛けたきり、あの一匹は戻って来なかったのだ。
 その確信が心をざわつかせる。あの中にいる一匹は、紛れもなくるーさんを構成するものだ。だとしたら、その一匹は、ずっとずっとチモシーを待ち続けていたのではないか――。
「迎えに行かなきゃ」
 これ以上、さみしい思いをさせるわけにいかなかった。世界を滅ぼすほどの胸の痛みが、きっと今もあの子を苛んでいる。
 焦燥に駆られて足早に歩く彼に、るーさんが軽やかについてくる。だからあの雑踏の向こう、誰かの足許で右往左往しては顔を見上げて、主人を探し続けているたった一匹の灰猫は、チモシーの追うルーサンだ。
「道に迷って、こんな遠くまで来ちゃったんだね」
 こうして人々の間を歩いたのだろう。探して探して、見付からなくて、きっとそれぞれの猫には縁のなかっただろうカクリヨファンタズムまでやって来てしまって。
 それで、ずっと待ち続けることにしたのだろう。
 探しても見付からないから。見付からない猫を心配して、主が迎えに来てくれると信じて。
「ずっと気付かなくて、ごめん。寂しかったよね」
 見えては消える幻影を、追っ手は見失って、それを繰り返して――。
 ああ。
 ようやく――見付けた。
「――迎えに来たよ」
 にゃあ。
 ルーサンが一声鳴いた。その後ろにいる影の腕を、名残惜しそうに振り返るまま。その眸は、待ちわびたチモシーを見付けて煌めくのに、足はまごついて動かない。
「ごめんね、離れたくなんてないよね」
 だって、それはルーサンの中にいる一匹のごしゅじんだ。るーさんがチモシーを求めるのと同じくらい、そのひとを求めている魂があるのだから。
 だとしても――それを許してしまうわけには、いかなくて――。
「でも、その人といると、世界が壊れちゃうんだ」
 しゃがみ込んで広げた腕は、猫が飛び込むのを待っているように。浮かべた笑顔は穏やかで、るーさんの魂が恋しげに鳴いた。
 いつの間にか合流していた沢山のるーさんが、その背を押すように寄り添っている。はぐれた仲間にすり寄ってやる子もあった。
「だから、一緒にうちに帰ろう?」
 紡いだ言葉に応えるように。
 ――影の呪縛を断ち切った『るーさん』は、求め続けたごしゅじんの腕へと飛び込んで、鳴いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第3章 日常 『天体観測』

POW   :    わいわいと楽しむ

SPD   :    しっとりと眺める

WIZ   :    流れ星を探す

👑5
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。



 降り止んだ雨のあわいから、月光が差し込んだ。
 割れるように晴れ渡った空には雲一つもない。救世のしるしを察知した妖怪たちは、俄に外へと繰り出してきた。騒がしくなる雨に濡れた通りの真ん中で、一匹の猫が項垂れている。
 ――ごめんなさい。
 多分、最初の一声はそういう鳴き声だっただろう。
 この子が此度の原因かと妖怪は集まるが、然れどもそこはカクリヨファンタズム。この程度の天変地異など日常茶飯事とみえて、元凶が誰であれ、彼らは大して気にも留めていない。戻って来られて良かったなあ――などと声を掛ける者もいるあたり、その胸中は察するに余りあるというところかも分からない。
 ――そうして、ささやかな星見の宴は始まった。
 濡れ鼠の猟兵と猫にはタオルが渡された。道もまたすっかり濡れているが、立っている分にはさしたる問題もない。どこかで体を休めたいと願うなら、気前の良い妖怪たちが軒先を貸してくれるだろう。簡単な軽食くらいなら出してくれるかもしれない。
 大通りはどうやら低い土地だったらしく、周囲の路地から流れ込んだ雨水で、一晩限定の大河となってしまったらしい。屋根の上から見下ろす妖怪曰く、水面に映る月と星の川は、これはこれで美しい――そうだ。望むなら、影もまばらなそこで静かに過ごすことも出来るだろう。
 飲み物の類いは頼まずとも向こうからやってくる。紅茶に珈琲、ジュースもひとそろい。当然ながら、星見の酒は大人限定の楽しみだ。
 『ごしゅじん』と逢えた気持ちは、ルーサンの中にいる全ての猫たちが共有していた感情らしい。自分の意志で打ち払ったとはいえ、その寂しさもまた、全ての猫たちの心の底にはあるようだ。複雑な感情――というところなのだろうか。
 猟兵たちにひととおり謝り倒し、再会の喜びと二度目の別離に心揺らされ、いわゆる土下寝の格好でしょぼくれている猫に声をかければ、きっと喜んでついて来るだろう。この祭りの喧噪を楽しめば、その心も晴れるかもしれない。
 とまれ今の任務は――一晩限りの宴を、存分に楽しむことだ。
朱酉・逢真
ダチと/f28022
行動)水濡れはダチにまかせちまって。鳥ンなって空高くゆこう。屋根にのぼった妖怪らァも見えるようにさ。ゆるゥくしゃべくりながら景色ながめて、テキトウなとこで《小路》拓いて帰るよ。
心情)地上の"天の川"ねェ…。俺にゃとんと良さがわからんが、それを楽しむ"いのち"らはステキさ。ん? 赦すぜ。確かにあの一戦納得いかんが、それは《あの女》に向けてのくすぶり。お前さんにゃア思うとこないのさ。なに考えてそォしたンかわからんが、どんな理由でも俺は肯定し赦すよ。


オニキス・リーゼンガング
友と/f16930
行動)凍気で帯びた水気を凍らせ。ままに互いヒトのカタチを排せば、表面上の薄氷など砕けて散ります。
龍のカタチで友と語らい、地上の夜空をながめて帰りましょう。
心情)明確な解決方法の存在しない依頼は難しいものですね。
ですがあの川は実に美しい。喜ぶ妖怪たちも愛らしくて、凍らせたくなってしまいますね。
…答えはわかっていますが、言葉にしてほしいので問います。
"何を"とは申せませんが。赦してくれますか?
…ありがとう。わたくしもうまく言語化できていないので、助かります。
(この安堵と苛立ち入り混じる信頼を、友情と呼ぶのなら)
帰りましょうか、友よ。




 上空を過る二つの影を見上げて、妖怪たちは俄に歓声を上げた。
 そのざわめきすらも遙かな空の上には遠い。頭上にあるのは尚届かぬ星ばかりのものだ。天地を埋める星空の中、二つの月の間を翔るように、朱酉・逢真(朱ノ鳥・f16930)とオニキス・リーゼンガング(月虹に焦がれ・f28022)は翼を並べた。
 元より人を遙かに超越した領域の存在だ。差し出されるタオルを丁寧に断って、オニキスが魔力を巡らせれば、身を滴る水は全て凍る。そのまま人のかたちを捨ててしまえば、氷の裡より生まれる龍と酉とが天に舞い上がるだけだ。
 タオルを差し出していた妖怪たちは声を立てて手を叩いた――超常現象を前にしても喜んでみせる辺りは、成程この世界の住民らしいというものである。
 さりとてそれも地上に置き去ってきた話。翼を撫でる風の前では、過去の思い出話と差して変わりない。
「明確な解決方法の存在しない依頼は難しいものですね」
 オニキスの声が穏やかに響く。感慨というよりは些か感想に近い音だった。眼下で手を振る妖怪らのさなか、どこかしょぼくれた調子で歩く猫が、誰ぞ猟兵に声を掛けられているのが感ぜられた。
 意識を外して川に遣る。空をそっくりそのまま映し取り、煌めく大河と成したそれに、龍神は上機嫌に声を零す。
「ですがあの川は実に美しい」
 逢真とオニキスを見上げる子供たちは楽しげだ。今宵ばかりは少々の夜更かしに文句を言う大人もいまい。はしゃぐ声も姿もいたく愛らしくて――。
「凍らせたくなってしまいますね」
「そォかい?」
 言い遣りながら、多眼の酉が眼下を見た。人間のかたちでいうのなら、片眉を持ち上げた――とでもいうべき所作だ。
 大河といえども流れのあるものとは幾分違う。本来ならば川の流れに乱されるであろう眼下の星空は、巨大な水溜まりに静謐な映り方をする。軒から零れ落ちる水滴が波紋を揺らがして、それもまた妖怪たちにしてみれば趣らしい。
「地上の“天の川”ねェ……」
 ――逢真にしてみれば、天地が逆向きになっただけの光景である。
 良さを解することは出来ないが、それが命らにとってみればひどく珍しく美しいものであるのは、反応を見ていれば分かる。寧ろ喜ぶ命らの方が、彼にとっては魅力的に映った。
 等しくまた赦さんとする横顔を――。
 ふと一瞥して、オニキスが声を紡いだ。
「……答えはわかっていますが」
 風の音だけが耳に残る。残響を引き摺ったような僅かな間は、しかし緊張というには静謐だった。
「言葉にしてほしいので問います」
 緩やかな世間話の延長のように長閑なのは、果たして二人とも同じだっただろうか。
「“何を”とは申せませんが。赦してくれますか?」
「赦すぜ」
 間髪すら入れない、いつも通りの声だった。
 元より逢真は闇である。暗がりは平等だ。光の下にあれば見える差異など全てを覆い隠し、白日を厭う罪も罰も、或いは迷い込んだだけの無辜も、一緒くたにして囲い込む。
 闇の中に在る限り――それが命で在る限り、ひとつの違いもない。
 だから、闇が燻るならばそれは光に対してのみ。己を焦がし、或いは己に飲まれる――唯一の『ちがい』の在処だけで――。
「お前さんにゃア思うとこないのさ」
 納得がいかない。だがそれは『彼女』を睥睨するが故の感情だ。他の何もを彼は赦す。他の何もと同じように。
「なに考えてそォしたンかわからんが、どんな理由でも俺は肯定し赦すよ」
 ――オニキスが吐いた息は、どこか何かを押さえつけるような響きで揺らいだ。
「……ありがとう。わたくしもうまく言語化できていないので、助かります」
 確かに安堵している。だが赦さぬと言われるのとどちらがましだったかと言われると、彼には答えが出せない。
 揺らがず、震えず、瑕疵の一つもない。全にて一なる闇、或いは一にて全なる陰――その性質を分かっていても、或いは分かっているが故、どうしようもなく心が逆立つ。
 確かに信を置く。だがその片隅にて震える思いもまた事実。感情を飲み下すような息すらも咎められはせぬ。
 この感覚を、友情と呼ぶのなら。
「――帰りましょうか、友よ」
「そォするかい」
 翼が切り拓いた道を示す逢真の声は、どこまでも凪いでいた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

黒鵺・瑞樹
○◇SPD

猫を見かけたら軽く頭をなでて礼を言おうか。
決して忘れたわけじゃないし、ちゃんと覚えていたけど。
けど、あの彼岸花の月夜の光景は俺にとってやっぱり始まりだったなって実感できたから。

屋根の上で川面の月星を眺め思い返す。
猟兵になって二年。たった二年されど二年。
その間いろいろあって、年末近くには器物の破損という自分の死も見えてしまった。だからその時に備えて未練とか抱えないように、やり残したことがないように。
どうせ摩耗して自壊するのなら、戦えるうちは自分のなにもかも使い切る。
そう思って動いてきた。
あの光景はそれが間違ってないって思わせてくれる。
塵芥であろうとも何かしらできる事があるって。




 所在なさげな猫を呼び止めて、そっと屈み込む。
 もう一度謝るように鳴いた猫の頭に、黒鵺・瑞樹(界渡・f17491)はゆっくりと手を伸ばした。危害を加えるつもりはないと示すようなその手つきに、おずおずと寄ってきた猫がすり寄る。
「ありがとう」
 零した声は、ひどく穏やかだった。
 ――どうして? ひどいこと、しちゃったのに。
 顔を上げた猫が問う。耳を垂らしてみせる姿はやはり寂しげで、瑞樹はゆっくりと首を横に振った。
 かえりみちを映されて――。
 あの雨の中に見たのは、燃える命の如き彼岸花と、降り注ぐ柔らかな月光だった。
 今、空に浮かぶ月を見上げながら、彼はふと目を眇める。
「あの光景は。俺にとってやっぱり始まりだったなって、実感できたから」
 小首を傾げた猫は、その言葉の意味をしっかりと理解は出来なかったようだ。それでも頭を撫でてくれる手には喜んで、すこしでもやくにたったならよかった――と鳴いた。
 猫と話したい猟兵は他にもいようと、立ち上がって向かう先は屋根の上だ。
 天地を星空に囲まれたそこは、まるで空に浮いているかのような錯覚を齎した。川面の星々を数えながら、瑞樹に巡る胸懐がある。
 ――猟兵として戦い始めて、二年が経った。
 それは器物としての時間からいえばひどく短くて、けれど無視出来るほどの短い年月でもない。様々な出会いがあり、別れがあり、戦場があった。
 己の死を見たのは年末だ。ヤドリガミの身は頑健なようでいて脆い。己の心臓である器物を壊されてしまえば、たちどころにその命は終わってしまう。まして彼は、戦いの道具であるのだから――尚のこと、垣間見た死の気配は色濃く感ぜられた。
 覚悟を決めるとは、断ち切ることだ。
 水面の月が穏やかに揺れる。それを見遣りながら、そっと息を吐き出した。
 やり残してしまった後悔のないように。未練のないように。思うよりもずっと近いかもしれないそのときに、何も遺さず逝けるように。
 いずれ摩耗して自壊する運命だ。ならば己の身にあるものを全て使い切り、ただ戦場に立とうと決めてきた。そうして進んできた道が正しいのかどうか、定めたはずの心に僅かな揺れが走ることとてあったけれど。
 あの光景を垣間見て――。
 それが、決して間違いではないということを知った。
 命を見守る月光の如くにはなれずとも。揺れる彼岸花の如き燃え立つ命にはなれずとも。
 塵芥と定めたこの身にも――出来ることはあるのだと、教えてくれるようだった。
 ゆっくりと顔を上げる。月光の煌めきが雨上がりの空を照らして、煌々と瞬いていた。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

琴平・琴子
○◇

お空と地面、どちらにも月と星があるのですねえ
まるで星に囲まれているみたい

暖かい紅茶を頂けますか?
それと、あったら金平糖を

暖かな紅茶の中に金平糖を落として、くるくるかき混ぜ
新たな星空を一つ作り上げながら
かじかんだ指先を温める

賑やかなのも嫌いではないけれど
今はただ静かに過ごしたいの

あの人に似た
太陽の次に明るい星を探してみる

そしたら次は
その星の近くにあるはずの、いるはずの星を探して視れど見つからず
(あの人に寄り添うお姫様は、やっぱり見えないか)

その存在を知っているから見えなくても良い
私はその存在を知っているから

金平糖を落とした紅茶を掲げ
星が並んでる様にしてみて

――ねえ、私も輝けてますか?




 空も地面も星空で、まるで宇宙に来たかのようだ。
 煌めく翠いろの眸に空を映して、それから水面を映して、少女は綻んだように笑う。タオルを貸してくれた妖怪に礼を告げながら、琴平・琴子(まえむきのあし・f27172)はその光景に息を吐いた。
「まるで星に囲まれているみたい」
「だろう? こいつもあの猫と、あんたたちのお陰だな」
 長い妖生の中でも初めてだよ――などと豪放に笑った男は、そのまま飲み物の種類を問うた。暫し沈黙を挟んで、琴子の脳裏に浮かんだのは、美しい星空を閉じ込める、苦くて甘い柔らかな味だった。
「暖かい紅茶を頂けますか? それと、あったら金平糖を」
 要望はすぐに叶えられた。
 何でも、酒に金平糖を浮かべたものを星見の酒と称しているらしい。その材料の少しを分けてもらって、ノンアルコールの星見紅茶の完成だ。
 薄く色づいた暖かな海へ、そっと小さなとりどりの星を浮かべてみせる。もらったティースプーンを使ってくるりと回せば、星海はかたちを変えた。
 天地の空を切り取ったカップは、中の紅茶の熱を伝えて暖かい。最初は痛いほどに熱を伝えたかじかむ指先も、少しずつほどけていく心地がする。
 そっと見上げた夜空は静謐だ。見渡せばこの区画には子供たちの数もまばらで、辺りは淑やかに大河を楽しむ妖怪たちの、静かな安らぎに満ちている。
 ――このくらいが丁度良い。
 賑やかなのだって嫌いではないけれど、ずっとはしゃいでいたのでは疲れてしまうから。今は、ただ静かに、夜空をなぞりたい。
 誰にも邪魔されぬ空間で、琴子の指先がそっと星を向いた。探すまでもなく見付かるのは、太陽の次に明るく輝く恒星だ。
 ――あれは、あのひと。
 そう心の中で唱えてみれば、ふと口許が緩んだ。そのまま指先を空の黒板に滑らせて、その近くにあるはずの寄り添う星を探してみる。
 ゆらゆらと漂う指は、けれど寄り添う姫星を見失った。或いはそこにないのかもしれないそれに、少しだけ眉尻を下げて――けれど、琴子の顔に浮かんでいたのは穏やかな笑みだった。
 知っている。
 在るということを分かっているから、見えなくても大丈夫。
 そっと引っ込めた指先でカップに触れた。暖かな夜空を持ち上げて、満天の星空に並べてみる。紅茶の水面に映る星の煌めきが、このカップの中にも落ちてくるように感ぜられた。
「――ねえ、私も輝けてますか?」
 誰にともなく零した言葉に返事はなくても、知っている。
 琴子の心の裡に響く声は、彼女を優しく迎え入れて、決して途絶えたりはしないこと――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

太宰・寿
【ミモザ】
屋根の上に登るなんて初めて
英の言葉に頷いて落ちないよう静かに腰掛けて眼下の星を眺める
猫さんたち、きっと元気になれるよね

英はあったかいね
優しくてまっすぐ、素直じゃないところも今ではすっかり可愛いと感じてしまう
体温の話じゃないよ、寒くないから大丈夫
英は平気?上着、ありがとうね

私、期待に応えないと見てもらえない気がしてた
私は私でしかないと思いながら、取り繕っちゃう
そんな事しても仕方ないのにね
英になら話せる気がして、少しずつ言葉にしていく

私のかえるところも、英のところなのかも
なんてね、ってへらりと笑って

もっと英といろんなもの見たいなぁ
ひとりで見るより、うんときらきらして見える気がするよ


花房・英
【ミモザ】
屋根から星の川を見る

落ちないように気をつけろよ(隣に腰を下ろす)
そうだな

俺の体温は低いだろ、手だって機械だし…寿、体が冷えたんじゃないのか?
違うのか…大丈夫ならいい、俺も平気

いいんじゃないの?それも寿なんだろ
取り繕いたくなる気持ち、今ならちょっとわかる気がする

がっかりされたくないとか、嫌われたくないとか
そういうの、なんとなくだけど
他人にならどう思われるかなんてたどうでもいいけど

…そっか
それ以上はなんて応えたらいいのか分からなくて黙ってしまう
なんか不思議な気持ち、ちょっと落ち着かない
多分、嬉しい

まぁ、誘ってくれれば付き合ってもいいよ
ひとりで見るより世界が違って見えるのは、俺もそうだから




 屋根の上に登るなんて、初めてだ。
 生まれ育った世界では危ないから駄目なことだった。確かにこれは駄目って言われるかも――なんて、太宰・寿(パステルペインター・f18704)が思ったのは、想定より足場が不安定だったからだ。
「落ちないように気をつけろよ」
「うん」
 けれど、寿を置いて先に進むことも出来るであろう花房・英(サイボーグのグールドライバー・f18794)が傍にいてくれるから、心に不安はない。
 そっと腰掛けたのは天辺あたり。元より平らに近い屋根へと登っているから、ここなら落ちる心配もないだろう。
「猫さんたち、きっと元気になれるよね」
「そうだな」
 隣に腰を下ろした英に向けた声は、疑問というよりは確信に近かった。今も猟兵に呼ばれてそちこちへ顔を出しているらしい猫は、きっと寂しいと思う暇もないくらい、穏やかな時間を過ごせているだろう。
 タオルを被ったままの青年と、青年の上着を被ったままの女性は、暫し眼下の星空を眺めた。ただ地面に星が映っているだけなのに、足が浮いているような不思議な感覚がして、くすぐったい。
 ――戯れに英へ身を寄せて、寿は笑った。
「英はあったかいね」
 ぶっきらぼうで鋭いように見えて、本当は心の優しいひと。
 不器用なくらい真っ直ぐで、不器用だから素直じゃない。そういうところまで可愛いと思えてしまうのは、過ごした時間が長いからだろうか。
 今だって、寿の方を見て少しだけ目を見開いている。瞬いた眸に浮かぶのは、ただ純粋な疑問符だ。
「俺の体温は低いだろ、手だって機械だし……」
 言って、彼は己の手を見た。
 人のように発熱はしない。精々が排気や動力で少しばかり暖かい程度で、それだってオーバーヒートを起こさなければ人の体温を超えたりはしない。
 はっとしたように身じろぎした英の眸が、彼女のそれを覗くように見る。
「寿、体が冷えたんじゃないのか?」
 あまりにも純粋な心配の念が見えてしまって――。
 思わず、寿は小さく笑声を立てた。
「体温の話じゃないよ、寒くないから大丈夫」
「違うのか……」
 ほっとしたような声がするから余計に喉を鳴らしてしまう。何だよ――と問われるから、何でも――と答えた。
「英は平気?」
「俺も平気」
「上着、ありがとうね」
「ん」
 言葉少なな返答が、ゆっくりと染み渡るように広がっていく。しんどいときはしんどいって言えよ――と、先の言葉が頭を巡って、寿はぽつりと声を漏らした。
「私、期待に応えないと見てもらえない気がしてた」
 誰も居ない部屋が、ずっと心の中にこびりついている。
 鍵を回す虚しさ。ただいまの声だけが響く暗がりの冷たさ。それに駄々を捏ねて泣くほど分別のない子供ではなかったけれど、それでも心の奥で、時折あの冷えた扉が開く。
「私は私でしかないと思いながら、取り繕っちゃう」
 ――そんな事しても仕方ないのにね。
 今だって、そう言った声に繕うような笑顔を乗せてしまう。きっとすぐにでも、ごめんねこんな話して――なんて言ってしまうのだろう。
「いいんじゃないの? それも寿なんだろ」
 寿が口を開くより前に、英が言うから。
 はたりと動きが止まった。こちらを見遣る彼の眸をじっと見る。
「取り繕いたくなる気持ち、今ならちょっとわかる気がする。がっかりされたくないとか、嫌われたくないとか」
 ――他人にどう思われたところで、英は気にしない。
 そんな感覚に心揺らされるのは、ただ一人を相手にしているときだけだ。今となりで見上げる、彼女。
「そういうの、なんとなくだけど」
「そっか――」
 ――その肯定が、うれしい。
 今度は心の底から笑って、寿は改めて英の目を見上げた。そこにいてくれる彼が、心の底で開き続けていた冷たい扉へ入ってきてくれたような――そんな気がする。
「私のかえるところも、英のところなのかも」
 なんてね――。
 冗談めかした声からふいと視線を外す。当惑とも違う揺れが、心の中にじわりと広がるのを、青年は感じていた。
「……そっか」
 多分、嬉しい。
 ――けれど、それ以上の言葉が続かない。据わりが悪いような、落ち着かないような、不思議な感覚だ。
「もっと英といろんなもの見たいなぁ。ひとりで見るより、うんときらきらして見える気がするよ」
 何だか顔を見られないまま、寿の声を聞いている。その言葉もまた追撃のように心を揺さぶるから、一つ息を吐いて――。
「まぁ、誘ってくれれば付き合ってもいいよ」
 ――零したのは、心を埋める本音だった。
「ひとりで見るより世界が違って見えるのは、俺もそうだから」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

楠木・万音
渡された手巾がすり抜けて
濡れた身を気遣う影にされるが儘
滴り落ちる雫は次第に減ってゆくわ

視線はにゃあ、と鳴く声の方へ
項垂れた姿の何と小さい事
此方へお出でなさい
濡れた儘では凍えてしまうでしょ。
その身に含んだ水気くらいは除いてあげるわ

手にした手巾が水を吸って重々しい
ほら、綺麗になった。
ティチュも喜んでいるようだわ

待ち望む事、後を追う事
何方もあたしには関わりの無い事
奇跡を叶える事が出来たとしても
胸に空く空白を埋める事は出来ないから
この手は小さな身体を抱き上げて
すっかり乾いた和毛を撫でるだけ

一夜限りの大河に映る月と星
あんたにも見える?
交わす言葉は決して多くは無いけど
天と地の境。今はその二つの景色を眺める




 タオルを渡そうとする妖怪たちに礼を言って、手を差し伸べる。
 けれど楠木・万音(万采ヘレティカル・f31573)の手にそれが収まる前に、後方からゆるりと伸びた黒が受け取ってしまった。
「気にしないで。私の使い魔よ」
 思わずといった風に声を上げる妖怪たちへ言ってみせれば、魔法も変化も存在する世界の住人たちは、すぐに納得したようだった。手を振る彼らを見送って、影がそうするのに任せて体を拭かれる。
 ひとりでは拭きにくい背中まで丁寧に滑る布の感触が、少しずつ滴る雫を拭っていく。ずぶ濡れの姿から水が零れなくなった頃、納得したらしいティチュがタオルを絞るのと同時、猫の声が耳へ届く。
 ――見詰めた先に、項垂れた灰色がいる。
 その姿はあまりにも小さい。先に見たときよりもずっと丸くなってしまった背中を持ち上げるように、万音は声を上げた。
「此方へお出でなさい」
 おずおずと、それでも警戒することはなく、近寄ってくる足取りを見る。
 ティチュが差し出すタオルを受け取ればそのまま屈み込んで、抱き込むようにして猫へと被せた。
 小さく鳴き声を漏らした猫の毛を拭いてやる。絞ったタオルは充分ふかふかで、灰色の毛を冷やしていた雫を拭い取った。
「濡れた儘では凍えてしまうでしょ」
 まずは背中。それから腹。顔を拭いてから、少し触られるのを嫌がる尻尾。泥にまみれた四本の足は最後だ。
 ――そうして白いタオルがずぶ濡れになる頃には、見違えるようにふわりと乾いているだろう。
「ほら、綺麗になった。ティチュも喜んでいるようだわ」
 知らぬ響きに首を傾げる猫へ、この子よ――と紹介してみせる。影は深々とお辞儀をするような形を取って、釣られて猫も頭を下げた。
 すっかり元気になった猫は、腕を差し出せば喜んで飛び乗ってみせた。やさしいひと――と鳴らす喉を撫でながら、ティチュに押し上げられて家の屋根へと登る。
 ――満天の星空が、万音の眸に映り込んでいた。
 そのひとつひとつが人の魂だと言った者もあったという。そうして心を慰めているのだとも。
 万音には掴めない感覚だった。待ち望む相手はなく、その後を追って命を捨てるような者もない。これから先、現れるとも言えないだろう。その想いを奇跡と紡ぐことこそ、魔法を咲かす魔女の在り方であり――けれど、中核となる祈りは、万音には何らの関わりもない心だった。
 奇跡を咲かせ、魔法を成す。星に願いを込めるような慰めは、心に空いた大きな穴を、真に埋めることは出来ない。
 だから。
「あんたにも見える?」
 言葉少なに問うた魔女に、猫は腕の中で応じた。
 天と地を埋める星の海。大河を流れ渡る願いの結晶を見据えながら、交わす言葉は多いとは言えず。けれど撫でる手の優しさと暖かさへ、猫は確かに擦り寄っていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リア・ファル
幸い少し段差があって、無事だった駄菓子屋の軒先を借り
プラスティックのベンチに腰掛ける

脇では、件の猫に『ヌァザ』が何事か話しかけていた
(動物と話す)
ボクがアレコレと拙くやるより、ヌァザの方が適任かもしれない
瓶ラムネを飲み、軽く唇を濡らしつつ、夜空を眺める

世界は異なれど、星海はソコに在った

舞い上がる前に宇宙から墜ちた実兄は、遠くグリードオーシャンの地で
骸の徒として相見えた
なら、双子はどうだろうか
どこかの世界の星海で、或いは……

……よそう
今考えても詮無きこと
「いる」なら逢えるさ、何処の世界でだって
あの子達の輝きは見失わないから
その時は、おかえりなさい、と
ちゃんと迎えられるように
ボクも微笑んでなきゃね




 数多の家々の入り口を沈めた大河も、大通りだけだ。
 そこから少し離れた路地に行けば、少しの浸水で済んだ家や店もある。星の川を横目に、少しばかりの段差のお陰で商品共々無事だった駄菓子屋へ辿り着いて、リア・ファル(三界の魔術師/トライオーシャン・ナビゲーター・f04685)は備え付けのベンチに腰掛けた。
 どこか昔懐かしい、古びたプラスチックのそれは、しかしリアの体重程度では軋まない。やってきた猫を捕まえて、ころころとじゃれ合っているヌァザが乗っても同じだ。
 にゃあにゃあと声がする。楽しげなそれが会話のように聞こえるから、リアはそっと――囁くような声で、己の猫を呼んだ。
「友達になったのかい?」
 ――にゃあん。
 満悦の声音でヌァザが鳴いた。追随するように一声上げた灰猫も、すっかり気を許しているらしい。はしゃぎながら声を交わす二匹を見遣れば、もう心配はないように見える。
 リアが言葉や気遣いを掛けるよりも、そうして友人同士戯れている方が、余程救いになろう。
 慰めや共感ばかりが心を救うわけではない。はしゃいでいることが心を軽くすることだって――沢山ある。
 店主から手渡された瓶のラムネはよく冷えていた。弾ける甘い感触を舌の上で転がしながら、彼女は空を仰いだ。美しい月と星々のさなか、彼女の駆けた星海は、確かにそこに広がっている。
 ――飛び立つことすら出来なかった兄がいた。
 未だ搭載される体すら未完成のままに底へ墜ちて、全てが掌握される前に自ずから命を絶った彼は、真実海の底から蘇った。嘗て抱いた希望を骸の徒の絶望と塗り替えて――だからリアは、この手で別れを告げたのだ。彼が宿した想いを、捻じ曲げさせたままでいないために。
 彼が戻って来たというなら、或いは双子のきょうだいもまた、どこかで――。
 不意に膝に感じた重みに、リアははたと我に返った。見下ろした先でヌァザが鳴いて、その横では膝に手を置いた灰猫がにゃあと鳴く。
「ヌァザ。君も」
 撫でた指先に二匹分の温もりが擦り寄った。まるで気遣うような二匹の動きに、思わず唇が綻ぶ。
「――大丈夫だよ」
 あるかどうかも分からない再会を空に映したとて、詮無いことだ。分からぬ未来を見通そうとすることも、己の想いの投影に打ち沈んでしまうことも。
 いるならば逢える。必ずだ。
 空と海を埋める星々の瞬きにすら負けない輝きを知っている。誰より近く、同じ想いを宿して生まれた二人の煌めきを、リアが見まごうはずはない。
 だから。
 今すべきは、二人を空に映すことではない。
「ボクも微笑んでなきゃね」
 ――おかえりなさい、と腕を広げて、二人をちゃんと迎えられるように。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント

雨に濡れ過ぎたか
タオルで体を拭いてもまだ少し寒い
酒でももらって、冷えた体をあたためる事にする

酒をもらって一息ついたら、あの猫を探してみる
塞ぎ込んではいないか気掛かりだ
世界の為とはいえ、目前の幸せを手放させてしまったのだからな

猫を見つけたら声をかけつつ、きちんと体を拭けているか確かめる
冷えているなら白湯でももらってくるか、しかし猫なら熱いものは苦手か?
寂しいと感じる暇が無いように誰かが側にいた方がいい、煩くない程度に世話を焼く

…いや、一人になりたくないのは俺の方かもしれない
あんな幻影を見たから、一人になれば余計な事を考えてしまいそうで
気にかける相手がいて程よく騒がしいこの場所が、今は都合がいい




 水滴は拭ったはずだが、風が冷たく感じる。
 身を覆う冷えは、冬の夜には拭いきれなかったらしい。かじかんだ指先を暖めるならばと、シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)が頼んだ酒には、小さな金平糖が浮いていた。
 星々を溶かし込んだようなそれを、星見の酒として出しているらしい。口に含めば、幾分かの甘さが疲弊した体に染み込んだ。思わず息を吐いて、小さな星空を楽しむのもそこそこに、シキの足は街道を辿る。
 ――猫が気がかりだった。
 ぽつんと謝る姿は余りにも小さかった。塞ぎ込んでいる姿を思えば足は急く。
 世界のため――とは言えども。
 目の前に現れた幸いを取り上げてしまったのは、猟兵だ。
「おい」
 目当ての姿を見かければ、一つ届くように声を投げかけてみせる。ぴくりと耳を揺らした猫が顔を上げて、周囲を見渡した。
 どうやら反響しているらしい――。
 故に、シキの方から近付いた。人狼の姿を認めれば、猫は少しだけ申し訳なさそうに一声鳴いて、おずおずと彼を見る。
「こっちに来ると良い」
 伸べた手に携えたタオルで包み込んだ体の、未だ拭き足りないところに手を伸ばす。くすぐったそうに身を捩りながら、にゃあにゃあと鳴く猫を軽く押さえて、けれどそれすらも遊びの一種らしい。大喜びで身を擦り付けている猫の体の様子は、だからこそよく分かった。
「――冷えているな。白湯でももらって来るか」
 和毛は乾いたとはいえ氷雨の影響は抜けきってはいない。この寒さであれば尚のことだろう。体力を消耗してしまうより先に、暖めた方が良い。
 シキの提案に、猫は少しだけ怖じ気づいたような顔をした。鳴いた声の理由はすぐに分かる。
 ――あつすぎるのは、のめない。
「ああ、確かに猫には辛いか。ミルクの方が良いな」
 大好物の名を上げられて、猫の耳がぴんと立つのを見遣る。自然と僅かに綻んだ口許で頭を撫でて、その姿を連れたまま歩き出す。
 表は大河に飲まれてしまったが、裏通りには活気が溢れている。猫を連れていればミルクをもらえるのもまた必定で、温かなそれを舐め取る姿を、シキはじっと見遣った。
 ――独りにしない方が良いと思ったのは、事実だ。
 だがその実、救われているのは己の方なのかもしれないとも思う。雨の音を裂く靴音と怒号は、未だに心を苛む罅割れだった。それを眼前に写し取られ、突きつけられたのだ。静謐に包まれていれば、また余計なことを思い出してしまう。
 妖怪たちはシキにも猫にも親切だった。入れ替わり立ち替わり現れては、猫用のおやつやらシキのための軽食を置いていく。その合間に鳴く猫の声を聞いていれば、自然と雨音は遠ざかる。
 だから。
 もう少しだけ――。
 あの冷たい日を沈められるまでの間、この騒がしさに浸っていたいのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英
○◇

土下座の格好をした猫を撫でてやる。

たいしたことは無いのだよ。
君が無事で良かったではないか。

哀しい猫。
ひとりぼっちは寂しいだろう。
一緒に身を休めるかい?
君の仲間も此処に居る。ナツもこの幽世の猫なのだ。

私は星見の酒を頂こう。

君も何かいるかい?
それとも、私の膝上に来るかい?

懐はナツ専用でね、此処に入れることは出来ないのだが
無理にとは云わないさ。君さえ良ければだよ。
私の膝の上はあたたかいよ。

星見の酒は美味しいね。
あちらに持ち帰って、定期的に飲みたいくらいだ。

しかしこれは此処で飲むからこそ意味のあるもの。
嗚呼。とても美しい景色だ。

……ひとりぼっちだった猫の君。
君はもう、寂しくないかい?




 丸まった猫に近寄る。
 長閑な足取りに危険は感じなかっただろうが、視界の端に足を認めた猫は、びくりと震えるように身を強ばらせた。
 そっと屈み込んだ影が手を伸ばす。ますます震えるその体へ優しく触れて――ゆっくりと手を動かす。
「たいしたことは無いのだよ。君が無事で良かったではないか」
 榎本・英(人である・f22898)の声にようやく顔を上げた猫は、泪混じりの表情で、にゃあ――と鳴いて笑った。
「ひとりぼっちは寂しいだろう。一緒に身を休めるかい?」
 二度も主に置いて逝かれてしまったというのなら、その寂しさは如何ばかりだろう。計り知ることも出来ぬ哀しみを抱えた猫へ手を差し伸べれば、懐の使い魔もまた誘うように鳴いた。
 ひょこりと顔を出したナツを見て、灰猫は何かを感じ取ったようだ。ぴんと立った尻尾に向けて、英は笑った。
「君の仲間も此処に居る」
 ――幽世を出身地とする使い魔はといえば、己と同郷の猫に興味津々だ。みゃうみゃうと立てる仔猫の声は、話し相手を催促するかのよう。
 結局――。
 猫は、大河となった大通りを見下ろす屋根の上に、英とナツと共に腰掛けている。
 男の手の中には酒があった。金平糖を沈めて星空を再現したというそれを本物の空へ翳して、彼はゆるゆると隣の猫を見る。
「君も何かいるかい? それとも、私の膝上に来るかい?」
 突然の申し出に――。
 猫の耳がぴんと立った。どこか緊張したような様子で周囲を見渡す姿にちいさく笑う。
 懐に入り込んでいるナツの方はといえば、膝を許された友人を牽制するようににゃあと鳴いた。懐は特等席だ。他の誰もが侵犯することを、この仔猫が許さないのである。
「無理にとは云わないさ。君さえ良ければだよ」
 私の膝の上はあたたかいよ――。
 その誘惑に負けたか、猫はゆっくりと英の膝へ手をかけた。意を決したように飛び乗ると同時、懐の友人が近付いたことに嬉しげな顔をして、言葉通り暖かな膝で体を丸める。
 ちいさな頭をゆっくりと撫でながら、英は手にした酒に口をつけた。すっきりとした酒の味に、金平糖の甘やかさが溶けている。用意されたばかりのこれは、まださっぱりとした味わいだが、星々の溶ける具合によってはより甘くなるのだろう。
 移り変わるその味に舌鼓を打つ。出来ることなら常飲したいくらいだが――。
 ――見下ろす大河の星々あってこその味だとも思うのだ。
「……ひとりぼっちだった猫の君」
 変わってゆくのは、酒の味だけではない。その心も、この景色も、不変のように思えて――存外に簡単に、変わっていくものだから。
「君はもう、寂しくないかい?」
 問うた声に、猫は穏やかに一声鳴いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

片羽・サラ

猫さん、気にしなくていいんだよ
すれ違いざまに声をかけて
家族に逢いたい気持ち、僕は凄くわかるよ

高い場所に登って、星空を見上げる
夜が、澄み切った星空が大好き
煌めく星に手を伸ばす……届かない
この世界のどこかに、逢いたい皆はいるのかな?
どこかで具現化してくれてるのかな?
自由に電脳世界に出入り出来れば、とも思うけどそんな方法は知らない

ふわりと、傍に居てくれている星空蝶々が寄り添う
あれ、珍しいね
呼んでないのに来てくれる
私のこと心配してくれた?
肯定するように寄ってくれる羽を優しく撫でながら
君といると落ち着くね
まるで相方といるみたいだ

旋律が零れる
ねえ、ねえ、皆
私はここにいるよ
ずっと待ってるから
逢いに来てね




 ふわりと金の髪が駆ける。
 屋根の上を目指す足取りは、けれど視界を妨げもしない。妖怪たちが騒ぐ通りを抜けるあわいに灰色の姿を見かけて、片羽・サラ(星空蝶々・f29603)が小さく声を上げた。
 誰かに呼ばれているのだろうか。足早に前へと歩く猫の眸に、憂いはない。あまり長く足を止めさせるのも忍びなく思えて、彼女はすれ違いざま、こそりとその姿へ声を掛けた。
「猫さん、気にしなくていいんだよ」
 足を止めて、猫が振り返る。立った耳で声の主を探す姿が愛らしくて――それでいて、心に飼った寂しさが過る気がして。
「家族に逢いたい気持ち、僕は凄くわかるよ」
 もう一つだけ言葉を残して、彼女は軽やかに地を蹴った。
 目指すはいっとう高い屋根の上だ。傾いた送電塔のようなそれに昇って、見上げる空に煌めく星々が映る。
 澄み渡る藍色に、小さな光がよく映えた。心の底から込み上げるものに従って、ぐっと手を伸ばしてみるけれど、届くことはない。
 ――まるで、あの幻影に見た皆のよう。
 この世界のどこかにいるのだろうか。サラと同じように体を得て、こうして夜空に手を伸ばしているのだろうか。
 せめて電子の世界にいっときでも戻れたのなら、あの日へ帰ることも出来るのだろう。けれど方法など知らぬまま――探したところで分からぬままだ。
 星を掴むように、強く強く手を伸ばす。祈るような仕草でそうする視界を、ふわりと蝶が掠めた。
 それで、手を下ろす。
「私のこと心配してくれた?」
 夜の色を映すそれを、サラが呼んだわけではないから。
 心に浮かんだ問いをそのまま口にすれば、肯定するように周囲を飛び回る翅がそっと手に触れた。肩へ止まったそれを、そっと撫でるように指を動かす。
 そうしていると、心の奥から込み上げる寂しさが、暖かく変わっていくような気がして――。
 このやわらかな感覚を、どこかで知っているような気もして。
 サラの唇は、そっとやわく言葉を紡いだ。
「君といると落ち着くね。まるで相方といるみたいだ」
 過る面影に、くしゃりと顔が歪む。笑っているようにも、泪を堪えているようにも見える表情のままで、彼女はそっと空を見上げた。
 ――ねえ、ねえ、皆。
 零れ落ちる旋律は哀歌のようで、けれど希望を秘めた音でもあった。
 どうしても逢いたい人たちがいる。再び飛び込みたい腕がある。家族と呼んでくれたひとたち。家族と呼んだひとたち――。
 ――私はここにいるよ。
 探す手は未だ何も掴めずとも、きっといつか。
 それは祈りに似ていた。同時に、柔らかな決意でもある。零れる音だけが夜空を彩って、サラのちいさな願いは、夜のあわいへそっと溶けた。
 ――ずっと待ってるから。
 ――逢いに来てね。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニャコ・ネネコ
○/SPD
にゃんこに近寄って、ごめんなさいするにゃ
…さっきはぱんちして悪かったのにゃ
それと…ひとときでも、にゃあも、
おばあちゃまにもう一度会えてうれしかったにゃ
だから、ありがとうにゃ

ひとは、死んだらおほしさまになる、って
そういういいつたえは、あちこちでよく聞くにゃ
もしかしたら、このおそらにも
おまえのごしゅじんがいるかもしれないにゃ

さみしいけど、今はそばにいないけど
でも…そんな風にこいしくなるぐらい
きっと、おまえとごしゅじんは仲良しだったはずにゃ
そのおもいでは、ずっといっしょにゃ

あ、ながれぼし
……にゃあもおまえも、ほしになったら
おばあちゃまの、ごしゅじんの、そばのほしに、なれるといいにゃあ




 黒と灰色は、再び出逢った。
 しょんぼりと肩を落としてもう一度謝るルーサンに、ニャコ・ネネコ(影色のストレガ・f31510)もまた、居心地が悪そうに耳を垂らした。
 謝らなくてはいけない。
 もっと、言わなくてはいけないこともある。
 だから呟くように、けれどはっきりと、黒猫は口を開いた。
「……さっきはぱんちして悪かったのにゃ」
 ――こっちこそ、ごめんなさい。
「にゃ。気にしてないにゃ。だって――」
 ほんの少しだけ俯いたニャコが眸を伏せる。映る景色も、膝の温もりも、今ここにあるように描くことが出来るのだ。
 だって――。
 あの冷たい雨の中で、確かにここにあったから。
「……ひとときでも、にゃあも、おばあちゃまにもう一度会えてうれしかったにゃ」
 それが幻影であることを知っていても。
 もうここにない大切なものに抱かれることが――この心に灯したのは、痛みだけではなかった。
「だから、ありがとうにゃ」
 先に交わした言葉通り、ニャコは笑った。釣られるように笑う桃色の眸は、確かに凜と声を放つのだ。
 ――こっちこそ、たすけてくれて、ありがとう。
 二匹が並んで目指した先は、猫らしく屋根の上だった。二匹で隣り合って腰を下ろせば、そこいらを歩いて行く野良猫たちの姿も目に入る。
 その向こう、輝く星空に――人は死者の魂を見るらしい。
 死んでしまったら星になって、皆を見守るのだという。どの世界にも、どの場所にも共通する価値観だ。
 だから。
「もしかしたら、このおそらにも、おまえのごしゅじんがいるかもしれないにゃ」
 ――そうだといいなあ。
 零れたルーサンの声は寂しげで――ニャコもまた、それに静かに寄り添った。
 お別れはさみしい。傍にいないことが、こんなにも胸を締め付ける。
 けれど、それはまた――傷になるほど深くまで、そのひとが根付いていた証でもある。
「……そんな風にこいしくなるぐらい、きっと、おまえとごしゅじんは仲良しだったはずにゃ。そのおもいでは、ずっといっしょにゃ」
 ――きみと、おばあちゃまもね。
「そうだにゃ――ずっといっしょにゃ」
 尾を揺らしてふくふくと笑う。胸の裡にあった傷跡から溢れ出した暖かさが、少しの切なさと一緒に胸へ満ちた。その感覚がくすぐったくて顔を見合わせる二匹の目の前で、星空を横切るひかりが見えた。
「あ」
 流れ星。
 願い事を三回言えば叶うと言うけれど、間に合うような早さではない。それでもゆっくりと、夜空をほつほつと流れていく光を見上げながら、ニャコは唱えずにはいられなかった。
「……にゃあもおまえも、ほしになったら――おばあちゃまの、ごしゅじんの、そばのほしに、なれるといいにゃあ」
 ――なれるよ。
 そっと顔を見る。その先で、ニャコに教わった不格好な笑みを浮かべて、ルーサンは鳴いた。
 ――みまもってくれてるんだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロス・ウェイスト

んふ、んふふ…月と星が映る川、きれーやなぁ!

なぁ、ねこ、ねこ
ね、寝とるん?起きとるん?起きとるんやったら、そ、そのままでええから聞いてな
傷つけてもうてごめんな、おれ、おれはこれしか出来へんから
なかなおり、してくれるんやったら一緒に星、見よ!

お、おれも屋根の上、のぼってええ、かな!のぼる!
寒かったから、あったかいのみもの、ください
コーヒーは飲めへんから、あまいのがええ

なあ、ねこ
おれはまだ自分のことで精一杯で、誰かの面倒見てやる余裕、ないから、ねこの「ごしゅじん」にもなったられへんけど
今夜だけ、いっしょにおろな

んふ、ねこ、腹んところにおったらあったかいなぁ
ずっと、さむいことなくなったらええのにな




「なぁ、ねこ、ねこ」
 ぱたりと伏せたままの猫に、そっと声が掛けられる。近寄ってきた靴をちらりと見る桃色の眼差しの前に、しゃがんだ声が訥々と言葉を紡いだ。
「――ね、寝とるん? 起きとるん? 起きとるんやったら、そ、そのままでええから聞いてな」
 凜然とした面持ちは、少しばかり気弱げなそれに戻っていた。ロス・ウェイスト(Jack the Threat・f17575)の指先が、猫の頭の辺りをゆらゆら迷う。
 撫でようか、それとも起こしてしまったら可哀想だろうか。言葉を選ぶように、彼の眸は星空を彷徨った。
「傷つけてもうてごめんな、おれ、おれはこれしか出来へんから――」
 戦って、倒して。ロスの人生にはそればかりがある。それが大事なものを守ったこともあるし、そうでなかったこともあった。
 けれど――だからこそ、そうして傷付け合ってしまった後にも、出来ることがあると知っている。
 惑うような指先をそっと引く。あのな、と漏らした声にようやくおずおずと顔を上げた猫は、腕をいっぱいに広げて笑うロスを見ただろう。
「なかなおり、してくれるんやったら一緒に星、見よ!」
 ――迷いなく飛び込んできた猫を抱えて、屋根の上へと登っていく。
 先客の妖怪たちは、猟兵と猫を見るなりにこやかに笑った。目の前に出された飲み物たちの中を迷った視線は、猫と分け合うホットミルクを見遣る。
 苦いのは苦手で――今は、暖かいものが良い。仲直りしたばかりの猫と一緒に分け合えるなら、尚のこと。
「きれーやなあ!」
 まさしく星海のさなかとでも言うべき光景だった。ロスを挟む大河と夜空は、およそ現実感のないような満天を湛えて、静かに光を注いでいる。
 猫用の平皿になみなみ注がれたそれと同じものを口へ運びながら、晴れやかに声を上げた。どこか幼くも聞こえるその台詞に、同じような声で鳴いた猫は、膝に飛び乗って撫でる手を甘受する。
「なあ、ねこ」
 和毛の感触を味わって、ロスの声がゆるりと零す。
「おれはまだ自分のことで精一杯で、誰かの面倒見てやる余裕、ないから、ねこの『ごしゅじん』にもなったられへんけど」
 ――本当は。
 そうなってやれれば良いのだろうとは、思う。さみしいを他人に与えることを躊躇ったこの猫を、自分と、自分と共にいる彼の元へ連れて帰ってやれたなら。
 けれどそうしたところで、今のままではいずれ苦しくなるだろう。それを知っているから、彼はその身を連れて行くことはしない。
 その代わり――。
「今夜だけ、いっしょにおろな」
 ――にゃあ。
 分け合う熱が、少しでも、さみしい夜を埋めるように。鳴いた猫が擦り寄るから、抱え込むように撫でる指先を、もう一度動かしてみせる。
「んふ、ねこ、あったかいなぁ」
 そうあれば良い。この先もずっと、この温もりを失わずにいれば良い。
「ずっと、さむいことなくなったらええのにな」
 穏やかに零すロスの声に、猫はただ、ゆっくりと擦り寄った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

月舘・夜彦
【華禱】
倫太郎と屋根の上で過ごします
体が冷え切ってしまわないように甘酒を頂きます
それから……外套の中へどうぞ?
少し濡れておりますが寄り添っていた方が温かいですからね

下も上も美しい夜空、普段ならば笑い合って眺める景色ですが
あの猫のことを考えると素直に喜ぶことは出来なくて
それに気付いたのか、彼が体を押し付けてくれば静かに笑う

通りかかったルーサンを見つければ、そっと近づく
思い出は温かく、時に冷たいもの
大切な人に逢えないという貴方達の寂しさを私も良く知っております
……悪いことではないのです
時折押し潰されそうになってしまう人が居るだけ
ですが、それを癒してくれる人にきっと出会えるはず
私もそうでしたからね


篝・倫太郎
【華禱】
屋根の上で静かに
雨に冷えた身体に温かい甘酒が沁みる
酒のが温まるけど、今日は甘酒にしとく

夜彦の外套の中、寄り添って
互いの熱を分け合って過ごす

頭上の夜空と水面の夜空
どちらも二人で堪能する

堪能するけど
夜彦の気配が少しばかり浮かない気がするのは
多分、きっと、気のせいじゃないはず

寄り添っていた身体を
甘えるようにぐいぐいと押し付けて

あんたがちゃんと隣にいる事を体感してる

行動でそう示す
伝わっても伝わらなくても
それはそれ

通り掛かったルーサンに声を掛ける夜彦
その言葉に耳を傾けて

別れの悲しさや寂しさに特効薬なんてなくて
多分、時間だけが癒すものなんだろう

そう思うけど、口には出さず
夜彦とルーサンに笑んで返して




 屋根の上へと登れば、猟兵の姿は歓待を受けた。
 あれよあれよと用意されるタオルと、目の前に並べられた数多の飲み物。にこやかな妖怪の淑女を前に、月舘・夜彦(宵待ノ簪・f01521)と篝・倫太郎(災禍狩り・f07291)は顔を見合わせた。
 ――冷たいものから温かいものまでさまざまある。先に手を伸ばした夜彦が取ったのは、徳利に入れられた甘酒だった。
「では、甘酒を」
「あ、俺も同じの」
「それなら、杯を二つ頂きましょう」
 徳利一つに揃いの杯を二つ。本当は酒の方が温まるけれど――と、倫太郎は寄り添い座った想い人を見上げた。
 こうして二人、同じ酒を飲むことが、芯を暖めてくれる気がするのだ。
 一つ息を吐いたのは同時だった。目を合わせた夜彦が、少し悪戯っぽく微笑んでみせるのも。
「外套の中へどうぞ?」
 広げられたそれの中は、タオルに拭いきれなかった水滴で少し濡れている。それでも確かに感じる互いの熱は、その感触を越えて心を包んだ。
 注ぐ酒と、体温と、星が彩る空と大河を分け合って――。
 二人の間に、言葉は必要なかった。静かに寄り添いながら、身と心を温め癒やす時間を楽しむ。普段であれば、一つ二つと零れる笑声を交わしあうのだろうけれど――今は、これで良い。
 夜彦の眸が愁うように沈むのを、倫太郎は見逃してはいない。
 ――優しい彼はきっと、あの猫のことを考えている。
 主人を亡くし、待ち続けて。ようやく出逢えたと思えば引き離されてしまった。例えそれが世界のためであったとしても、そこにある悲しみや痛みに決着がつくわけでもないだろう。
 それでも己の非を認め、謝る猫の姿を見てしまえば――。
 猫の想いを打ち砕いて生まれた美しい光景を、素直に喜ぶことは出来ない。
 打ち沈む夜彦の気配へと、倫太郎が出来ることはそう多くなくて。ただちいさく笑って、ぐいぐいと体を押しつけた。
 甘えるような仕草に、ふと顔を上げた剣士は、愛しい彼の肩へと手を回す。受け止めるように抱き寄せてみせるけれど、それに本当に安らぐのは、夜彦の方だった。
 ――あんたが、ちゃんと隣にいる事を体感してる。
 ただそれだけの想いを、全霊で示す倫太郎が愛おしい。静かに笑んだ眸の揺らぎは、それだけでなりを潜めてしまうのだ。
 今度は真っ直ぐに、夜彦の眸も天へと向いた。瞬く星々のあわいに愁いの影を映せども、先の俯く視線よりは穏やかに、その光景を受け止めていた。
 不意に――。
 猫の鳴き声がして、寄り添う体を少しだけ離す。どこかの猟兵の元へ行っていたのだろうか、きょろきょろと辺りを見渡す猫は、先に見たときよりもずっとしっかりとした顔をしていた。
 一度視線を合わせた二人の考えは一緒だ。体を起こして、落ちぬようにと手を繋ぎ、そっと行き場を探している猫に声を掛ける。
 振り向いた灰色が一声鳴いた。躊躇なく寄ってくる足が軽やかなのは、もしかすると何匹かの魂は、別の猟兵に懐いたが故だろうか。隣に座ったそれの頭を撫でて、夜彦と倫太郎も再び腰を下ろした。
「思い出は温かく、時に冷たいもの。大切な人に逢えないという貴方達の寂しさを私も良く知っております」
 零す声は穏やかだ。月を見上げる夜彦の言葉に、猫は寄り添うように耳を傾けていた。
 ――亡くすことを知っている。
 永い命は、生まれたときから大切なひとの亡失に晒されていた。主の想い人を真似たこの体には、まるで宿命がついて回るかの如く、儚い生命たちの最果てが刻まれている。
 けれど――。
 拳を握って首を横に振る。
「……悪いことではないのです。時折押し潰されそうになってしまう人が居るだけ」
 浅く吐いた夜彦の息に、猫の声がちいさく応じた。倫太郎はただ、手を握ったまま目を伏せて、その言葉へと耳を澄ませるだけだ。
 ――亡失の特効薬なんてものはない。
 あるとするなら、それは時間だ。遅効性の薬は少しずつ身を巡って、痛みを懐かしい傷跡へ変えていく。そのときにこそ、人は前を向けるのだと――。
 そう、思うけれど。
「ですが、それを癒してくれる人にきっと出会えるはず」
 夜彦の言葉に目を上げる。真っ直ぐに倫太郎を射貫く眸が、満天の星と、その中に座る愛しいひとを映している。
 きっと、そう言ってくれるから――。
「――私もそうでしたからね」
 倫太郎はただ、愛するひとと仔猫へと、笑んで返すのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
……己に何を云える訳も無い
懐いた想いは本人だけのもの
気の済む迄、裡へと仕舞って置けばいい

離れた場にて、紫煙の向こうに星を眺め
嘗ての……そして今と未来の、帰るべき場所を想う

全て、終わったなら
迷わぬ様に――逸れぬ様に、手を伸べて
――家へ帰ろう、ニルズヘッグ



●
 燻る紫煙の向こうに、星空を透かし見る。
 淀みのない大河は静謐に夜空を写し取っていた。どこからか響く猫の声と、恐らくはそれを呼ぶ誰かの声を耳朶に宿して、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は深く息を吐いた。
 登る煙を猫に見せるつもりはなかった。元より口の上手い方ではない。剣の如く斬り裂く弁舌はあれど、慰めや共感を滑らかに示すのを得手とはしていない。
 ――想いは当人のものだ。
 誰かが代わりに背負えば済むものでもない。ああして八方に呼び出されていれば、猫とて寂しさを感じている間もあるまいから――今はそれで良い。
 何れ己のものとなったそれを、呑み込んで抱えて生きて行けるまで、裡に仕舞っておけば良いのだ。
 肺へと落とす煙の感触は慣れたものだ。それでもあの頃は、こうして煙草などを咥えることになるとは思っても見なかった。
 口寂しい――と、煙草呑みはよく言ってのける。
 結局のところは、満たされぬ何かを埋めるために紫煙に手を伸ばすのだ。己もそうだった。帰るべき場所を喪い、あまつさえ復讐すら為らぬとばかりに弾き飛ばされて、護る力を得て――それからだ。この煙に身を沈めたのは。
 皮肉な話だ――と、少しばかり唇が歪む。
 護るものを喪った後で、力だけが残ったとて意味もあるまい。
 それでも為せるものがあるというのなら刃を握る――嵯泉はどうしようもなく守護者だった。渡された言葉を、交わした約を、違えられない。
 触れた胸元に秘めた碧玉を確かめる。その柔さも、暖かさも、己の裡を埋める遠のいた光だ。
 風に揺れる灰の武器飾りが、いつかのように導を示すようだった。
 嘗てそこに在った帰るべき場所を、忘れることはない。それが歳月の裡に褪せたとしても、この心は亡くした幸福を刻み続ける。
 それから――。
 近付いてきた気配を紛うはずもない。振り返らぬままに紡いだ声は、幾分柔らかな音を孕んだ。
「良いのか」
「大体回って来たし、大丈夫」
 並んだ竜が笑う声がする。視線を遣れば、いつも嵯泉に見せる笑みがそこに在る。
「煙、見えたから。そうかなって思って」
 ――合ってただろ。
 主人を探し当てた犬のような顔をする。猫に負けず劣らずの寂しがり屋に、しかし嵯泉は穏やかな笑みを刷いた。
 待つ者の在ることを幸福だと思う。二度と得るまいとしていたそれを、今にも――未来にも、護ると誓った。
 二度と繰り返さない。今度こそ――灰へ帰させたりはしない。
 だから、立ち上がって差し伸べる手に迷いはない。この寂しがりの竜と、迷わぬように――伴に辿る家路で、決して逸れぬように。
「――家へ帰ろう、ニルズヘッグ」
 伸べられた手を取って、竜はいたく幸福そうに笑った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

レティシア・ヘネシー
良かった。無事で何より

ずぶ濡れの猫を拭きながら

折角だし、何か食べよ?焼き魚とかならあなたも食べられるかな?
飲み物は猫の分だけ用意してもらって、レティは自前のカクテル(※ガソリン)を飲むよ

猫と共に晩酌をしながら、静かに夜景を楽しむ

別れたり、見送ったりするのって、大変だよね。また逢いたい気持ちも、凄くわかる。さっきレティも懐かしい人をいっぱい見てきたから尚更。

世界の滅亡を救うっていうコッチの都合で邪魔しちゃってごめんね?

ご主人はもう居ないけど。それでもあなたにはあなたを待ってくれる相手がここにはいっぱい居るみたいだからさ。きっと大丈夫

見送った先の猫を見て、少しだけ羨ましいな、なんて気分になりながら




「良かった。無事で何より」
 猫を出迎えた声は、いたく晴れやかなそれだった。
 賑わう妖怪たちを横目に、レティシア・ヘネシー(ギャング仕込のスクラップド・フラッパー・f31486)の手は優しく猫を拭く。ずぶ濡れの和毛から滴る雫は次第に減って、ふるふると本人が払ったのなら、もう元通りだ。
 屋根の上から見る星の景色は美しい。絢爛と煌めく宝石のようなそれを見遣りながら、未だ冷える冬の風に、レティシアが笑声を乗せる。
「折角だし、何か食べよ? 焼き魚とかならあなたも食べられるかな?」
 ――おねえさんは、なにをたべるの?
「レティ? レティはこれ。カクテルだよ」
 懐から取り出した携行缶の栓を抜く。鼻を衝くにおいに少しだけ顔を顰めた猫に、動物にはキツいのかな――と苦笑した。
 レティシアは機械だ。
 その燃料はヒトガタを取っても変わらない。満たされたガソリンを飲み込めば、随分と走った気がする体の倦怠感が、染み渡るように消えていく。
 人心地ついて見下ろす大河に、揺らめく星々が見える。人は空の星になるのだと言うけれど――ならば、そこには誰かが映るのだろうか。
「別れたり、見送ったりするのって、大変だよね」
 零れた声は、少しだけ沈んでいただろうか。
 彼女もまた――愛しいものを見てきた。もうここにはいないひとたち。彼女が彼女となるために必要だった数多は、突きつけられてしまうとひどく離れがたい気持ちになる。
 けれど、それで良い。
 もう一度己の心に刻むようにして、手にしたカクテルを握る。レティシアはこれから、彼女の道を歩んでいくのだから。
 ふと猫の方を見遣る眸には、もう憂えたような色はない。
「世界の滅亡を救うっていう、コッチの都合で邪魔しちゃって、ごめんね?」
 ――ううん。
 ――せかいをこわしちゃったら、ぜんぶ、こわれちゃう。
「そっか。うん――そうだね」
 思い出も。
 そこにあったことも、全部――世界と一緒にあるのだ。
「ご主人はもう居ないけど」
 それを知っている猫に、安堵した思いだった。吐いた息が白く掠れて消える。枕元で語るお伽話のように、レティシアの声はふと遠くを見遣った。
「それでも、あなたにはあなたを待ってくれる相手が、ここにはいっぱい居るみたいだからさ。きっと大丈夫」
 目を向けた先で、猫を呼ぶ声がする。
 ミルクを用意して笑う妖怪がいた。手招きをする膝が空いている。おいで――と呼ばれれば、返事をした猫は、一度だけレティシアの方を振り向いた。
 ――ありがとう。
「いいえ」
 首を横に振ったレティシアが笑う。
 駆けていく後ろ姿に、帰る場所のある足取りに――ほんの少しの羨望を抱きながら。

大成功 🔵​🔵​🔵​

佐那・千之助

クロト(f00472)、ただいま
猫といっぱい遊んで来た

本当は一緒が良かったが。
さびしがりがついて来なんだ…
いつも私に置いてゆくなと言うのに(よよ(酔

道中酒を振る舞われてな。
はいクロトのぶん
あれ濡れてる
拭いてやろう、綺麗綺麗
綺麗にされるのも慣れなさい
元から綺麗じゃけど

流れる星の川
明日にはなくなる輝き

どちらかが先に逝く
私が先でも
私の幻に移り気しては駄目じゃよ
生者ならよし

さあ、どうかな
酔っ払いらしく澄まし笑い
綺麗な星

こんな話をするのは
彼の平穏が、共に過ごせる間だけなどでは物足りぬから
彼の未来までずっと、どうか光溢れる道が続くよう願う

あ、生返事
何考えてる?教えてと
彼のこと大好きな生き物が一匹懐く


クロト・ラトキエ

千之助(f00454)が
嬉しそうだから、いいか

死で血で裏切りで穢れ切って
警戒ばかりして
お陰か生き物にはほぼ嫌われる
土下寝で全速後退とかされたら流石に凹むし
…置いてゆくなと言ったって
置いてゆくと、仄めかすのはいつも君なのに

酒は有難く受け取って
河辺に座って見てたから?
汚れても別に、慣れてるし…
って子供扱いかっ

話だって…
ほら、また、いつもの
…骸の海から一本釣りでもしろってのか

じゃあ…
どんな形であれ、僕が先だったら
悪人の事など過去に
後は真っ当な人と幸せになってよ
…そういう事でしょう?
こちとらワクなんで

ひかりを失くせば、永劫の夜
…星は
奪った幸せの数に似てる
綺麗…だね
うん


さあ、何でしょ
細やかな意趣返し




 己の名を呼ぶ声がして、クロト・ラトキエ(TTX・f00472)が顔を上げる。
「クロト、ただいま」
「おや、もうよろしいので?」
 頷く佐那・千之助(火輪・f00454)は、今しがた猫と散々戯れてきたばかりだ。ふくふくと笑う姿に、ほんの少しだけ肩の力が抜ける気がしたのは、何故だろう。
 けれど大型犬のような陽の色は、すぐにその表情をくるりと変えた。大袈裟なほどに顔を隠して俯く仕草の合間から、いっそ分かりやすいくらいにクロトをちらりと見ている。
「本当は一緒が良かったが」
 ――そんなことを言ったって。
 血と死と穢れの匂いがこびりついている。穏やかな仮面の奥には剥き出しの警戒感があるから、動物には好かれない。幾ら情緒に疎い獣とて、土下座の姿勢のままで後ずさりなどされた日には、流石に落ち込むというものだ。
 クロトの胸中などつゆ知らず、千之助は尚も背を丸めてみせる。
「さびしがりがついて来なんだ……いつも私に置いてゆくなと言うのに」
 よよよ、と頽れんばかりの、冗談めかしたその言葉に――場違いに胸が痛む気がする。
 こういうときばかり。
 ――置いてゆく己の像を端々に乗せるのは、いつだって彼の方なのに。
 それを口にすることは叶わない。代わり、見遣った眸が仄赤く煌めくのを知る。だから、千之助と同じような調子で、それをつついてやるのだ。
「――飲んだ?」
「道中、ちょっと」
 はいクロトのぶん。
 しれっと差し出される酒には金平糖が浮いている。受け取った小さな夜空をしげしげと見詰める黒髪から、はたりと雫が零れたのを、今度は千之助が見逃さない。
「あれ濡れてる。拭いてやろう」
「河辺に座って見てたから? 汚れても別に、慣れてるし……」
「ほれ。綺麗綺麗」
「って子供扱いかっ」
「綺麗にされるのも慣れなさい。元から綺麗じゃけど」
 はしゃぐというよりも、翻弄される――とでも言うべきか。
 ともあれ賑やかな時間を過ごして、二人はようやっと腰を落ち着けた。眺めやる天地の星と共に、空を閉じ込めた酒を味わう。
 明日には消える、儚い景色だという――。
 さやりと頬を撫でた風に任せて、ほつりと零した千之助の声は、ひどく穏やかだった。
「どちらかが先に逝く」
 ――ほら、また、いつもの。
 俯けば視界にかかる黒髪は都合が良い。表情を隠して酒を見遣るクロトは、知っているのだ。
 そこにはいつだって、千之助の方が先だとでも言いたげな響きが揺れていること。
 ――骸の海から一本釣りでもしろってのか。
 拗ねたような悪態は言葉にならない。代わりに落ちた沈黙を掬い上げて、二藍の声が続く。
「私が先でも、私の幻に移り気しては駄目じゃよ」
 生者ならよし――などと、明るく言ってみせるけれど、その言葉の意味を分かっているのだろうか。それが余計に、クロトの胸を深く突き刺すことも。
 けれど渦巻く心根を言葉にするのは、どうにも長けなくて。浅い息と共に、無理矢理に絞り出した。
「じゃあ……どんな形であれ、僕が先だったら」
 ――今度は、千之助が動きを止める番だ。
「悪人の事など過去に。後は真っ当な人と幸せになってよ」
 そういうことだ。
 千之助が言うのは、それと同じだ。そうして欲しいと思うのに、傷付いてくれとばかりに吐き出してしまうのは――きっと同じだけ、そうして欲しくないから。
「――……さあ、どうかな」
 酔っ払いの澄まし笑いに乗る色は、果たしてどちらだっただろう。分からぬままに見遣るクロトの方は、一つだって酔ってなどいないのに。
「綺麗な星」
 釣られて見上げた夜空には、美しい星と月が瞬いている。光を失えばすぐに鎖す宵闇は、きっと永劫の夜へと続くのだろう。
 照らす瞬きも、穏やかな月も。
 ――奪ってきた幸せに似ているだなどと思うのは、きっと、あんなものを見たせいだ。
「綺麗……だね。うん」
「あ。生返事」
 聡い男はすぐに機嫌を傾ける。ぐいぐいと懐く大きな体に傾きながら、クロトはじっと星空を見た。
 永劫などない。
 知っている。
 識っているけれども――。
「何考えてる? 教えて」
「……さあ」
 杯を傾けながら笑ったのは、きっと細やかな意趣返しのためだった。
「何でしょ」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

リゼ・フランメ
猫の傍へ
大事なひとを思い続ける心の傍で、物静かに星を眺めるわ

流石に濡れた髪は拭いて乾かしつつ
言葉をゆったりと投げかけていくわ


溺れる程の雨で、洗い流されてしまったからかしら
空が澄んでいて、星は綺麗
ね、泣いてしまったほうが、心に残った澱みと残滓が消えるらしいって聞いた事があるかしら
涙を堪えず、零し尽くしてしまった方が純粋な自分の思いに気づけるって

「冷たくて、寒いから、抱き締めてくれるひとの暖かさに。言葉のぬくもりに気づける」

そして、今は世界を取り囲む星の輝きと、賑やかな声
猫のように気紛れに、鼻歌を口ずさみましょう

いずれ、いずれ、と
流れた時を、流れる星のように美しく思える時が来ると、唄を乗せて




 一人星を眺める猫の隣へ、そっと焔蝶が舞った。
 先に見たその煌めきを、猫は忘れていない。目を移した先、歩み寄るリゼ・フランメ(断罪の焔蝶・f27058)が隣に座るのを、拒むこともなかった。吹き抜ける風が、心地良く頬を浚っていく。
 濡れた髪にはタオルを被せて来たが、ともすれば風だけでも乾くかもしれない。思いながらも、散る水滴をそっと拭って、リゼは星空を見遣った。
 紡ぐのは、己が裡へ向き合っているのだろう猫への言葉であって――同時に誰に向けたものでもない。独りごちるような声にこそ、心地良い静謐が宿るのだと、知っているから。
「溺れる程の雨で、洗い流されてしまったからかしら。空が澄んでいて、星は綺麗」
 こんなにも美しい星空は、そうそう見られるものではない。
 満天の星々は、その光量を問わず輝いている。それが見えるということ自体、もっと文明の発達した世界では、そうあることではない。
 それもこれも――きっと、淀みを全て、雨が浚ってくれたからだと、リゼは思う。
「ね、泣いてしまったほうが、心に残った澱みと残滓が消えるらしいって聞いた事があるかしら」
 猫が顔を上げたのが、視界の端に見えた。
 尾が揺らめいているのは興味からだろうか。星空から視線を移さぬまま、彼女はそっと目を伏せた。
 泪を堪えるばかりがやり方ではない。押し殺した悲しみは、それでも心に宿ったまま、どこかで己を苛み続ける。そういう澱が積み重なって――ひとは、どうしようもない苦しみに落ちてしまうことがある。
「涙を堪えず、零し尽くしてしまった方が純粋な自分の思いに気づけるって」
 先に、全てを洗い流してしまうこと。
 笑うことも必要だろう。いつまでも下を向いていても、どうにもならないことだってある。それでも、ふたたび笑うためには、深い傷を癒やさなくてはいけない。無理矢理に縫い付けても余計に深まるだけのそれが、血を流さなくなるまで。
 流星がちらりと夜空を横切った。一声鳴いた猫は、もう気付いているだろう。そこにある当たり前の尊さに。それは決して、なくなったりはしないのだということに。
 思い出はときに冷たい刃だ。けれど――故に、いまを捨ててはいけない。いずれ温もりを取り戻すそれを、新たな未来に芽吹くそれを、喪わないために。
「冷たくて、寒いから、抱き締めてくれるひとの暖かさに。言葉のぬくもりに気づける」
 ――だから、リゼは唄おう。
 賑わう妖怪たちの声。子供たちが指さす星空。その全てを包む静寂のやさしさに、融かすように。
 流れた時を。
 亡くしたものを。
 いつか、いつか――あの流星のように、美しく思える時が来るのだと。

大成功 🔵​🔵​🔵​

夜明・るる
○アドリブ、アレンジうれしいよ

猫ちゃん、良かったね
おいで、おいでと手招き
来てくれる子がいれば抱き上げてよしよし

寂しかったね
ひとりは寂しいね
私もわかるよ
誰からも忘れられて寂しかった
だから、貴方たちがご主人のこと覚えている事は、
悪いことじゃないよ

ね、みんな、いいこ、いいこ
きみ、うちの子になる?
あのね、私の友達、楽しい人がいっぱいなの
うちに来たら楽しいよ

…でも、きみはこの子達と一緒にいたいかな
きみがもし良ければ、一緒に行こ。




 沢山になっている。
 零れた猫の魂たちが、にゃあにゃあと鳴いているのが見えた。めいめい自由気儘に過ごすそれらは、いつかどこかで主人とはぐれた迷い猫のひとつだ。
 その集団を眺めやりながら、夜明・るる(lost song・f30165)はそっと手招きをした。
 おいで、おいで――あえかな少女の声を聞きつけたハチワレが一匹、振り返って歩いてくる。人懐こいその子を抱き上げて、るるの指先はそっとその背をなぞった。
「猫ちゃん、良かったね」
 ――戻って来られたと言うことは、ごしゅじんへの道は鎖されなかったということでもある。
 一声鳴いて擦り寄るハチワレの、今度は頭を撫でてやった。心地よさそうに喉を鳴らす姿に目を細めて――零するるの声は、少しだけ愁いに沈む。
「寂しかったね」
 ――にゃあ。
「ひとりは寂しいね。私もわかるよ」
 誰からも忘れられてしまうということ――。
 いつの間にか、失われてしまったのだ。誰かの心にも、現実にも、るるの居場所はなくなってしまった。身を埋められる苦しみよりも、もう誰も己を見てはいないのだということが、辛かった。
「だから、貴方たちがご主人のこと覚えている事は、悪いことじゃないよ」
 きっとごしゅじんも浮かばれる。
 思い出が心にある間、本当は、ずっと一緒にいられるのだ。どこにも思い出がなくなってしまったときに、そのひとは本当に消えてしまう。それはとてもこわくて、つらくて、くるしいことで――けれど、そのときには誰にも声が届かなくなっている。
 だから、寄って来た皆の背を順に撫でるのだ。いつまでもごしゅじんと一緒に生きていることを、とても、とても――尊いことだと思うから。
 腕の中のハチワレが鳴いた。見上げる眸をそっと見下ろして、ひとつ、心に浮かんだことを口に出してみる。
「きみ、うちの子になる?」
 きょとんと目を見開いたその子が、るるの顔をじっと見ていた。
 この子を救ったそのひとのことを――忘れてほしいわけではなくて。ただ、そうしたいと思ったことだけれど。
「あのね、私の友達、楽しい人がいっぱいなの。うちに来たら楽しいよ」
 ふと目を遣った先の猫たちも、めいめい楽しそうにしている。あの子たちはこの子の大事な友達のはずだ。もし一緒にいたいというのなら、るるが無理強いをする気はなかった。
 だから、見下ろした丸くて綺麗な双眸に、少しだけ遠慮がちな言葉をあげるのだ。
「きみがもし良ければ、一緒に行こ」
 ――にゃあん。
 快諾のしるしは、腕に擦り寄る和毛の感触だった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

岩元・雫
【あめいろ】


溜息が零れる
星のうつくしさにでも、月の悍ましさにでも無い
己すら届かぬ夢を強いた現実にだ
自嘲の笑みが吐息と混ざった

ねこ、
名も知らぬおまえを呼ぶ
おまえは間に合って良かった
此様な手で好ければ、慰みのひとつにでもしてよ
狭い額を、頬を撫ぜんと

そうして居れば
見上げた先に知らぬ顔、知った顔
失礼な兎に
ひとり頷く女に溜息ふたつ
始まる会話と連なる名に、諦めて相槌を打つ
あゐに、ティアね
はいはい、付いてゆくから
まどかの好きにすればいい

――またいつか
何時かおれも過去になる
其の時までの別れの詞
唯ひとつだけ掛けて
もうねこには振り向かない

……ココア。
甘いものなぞ何時ぶりだろう
記憶の中の甘味に笑み綻ばせ
ゆらり、游ぐ


ティア・メル
【あめいろ】

んにー
出逢えてるといいねー
うんっ
ココアココア…っとと
円ちゃん、どうしたの?

しずくくん?かじゅーのおねーさん?
円ちゃんの知り合いかな
んふふ、初めまして
わたしはティア

ふみふみ
しずくと藍って言うんだね
どうぞよろしくなんだよ

一緒に行こう行こうっ
温かいココアを飲みたいね
2人も体冷えてない?だいじょうぶ?

かぁいい猫ちゃんがしずくの所でもふもふしてる
ぼくも撫でていーい?
あう
猫パンチされたんだよ

藍も猫触ってみない?
んにに
猫パンチ仲間だね

円ちゃんに懐く猫をじい
ぼくの円ちゃんなのに
拗ねちゃうよ
えへへへへーうん、あいしてるよん

ひとしきり遊んでから
ココア、ココア
生クリームいっぱいのにしよー


歌獣・藍
【あめいろ】

まぁ、ねこ
猫の前に…さかな?
おさかなさん
猫は魚を食べるのよ
早くお逃げなさ…あら。人?
しずく。というのね

私は…
まぁ!まどか!
それとそちらは…?
んにに?ふみふみ?
てぃあ…?
ふふふ、可愛らしい子ね
私はあゐ
どうぞよろしくね。
しずくにてぃあ!

まぁまぁ、大丈夫?
猫の爪は鋭いから
気をつけて
私も?
じ、じゃあ…ひゃんっ!
私もぱんちを
されてしまったわ…
ねこぱんち仲間…素敵ね!

ふふ、てぃあは
まどかを『あゐ』しているのね
その気持ち、とっても分かるわ
私もねぇさまがそうだったら…
いいえ、何でもないわ

ここあ…確か寒いと
恋しくなる飲み物ね?
私もご一緒していいのかしら
じゃあ、ご遠慮なく…!


百鳥・円
【あめいろ】

最後にはちゃあんと出逢えたんですかねえ
ふうー、おじょーさんお疲れさまでした
ココア飲んで帰りましょ……
って、あんれれー?

ばったり出くわしたヒトガタには覚えがあります
偶然ですねえ、しずくくん!
あなたも此処に来てたんですかー
幽世ですしひとり納得です。うんうん

そしてそしてー……あー、やっぱり?
かじゅーのおねーさん!
んふふ。お知り合い大集合でにっこりですよう

紹介しますねー!
ってひとりずつ紹介していきましょ

おじょーさんとココア飲もーって話をしてたんです
猫ちゃん構い倒したら行きませんかー?
あらら、おじょーさん大丈夫です?
足元に擦り寄った猫と遊びましょ
んふふー、かーわい

わたしも甘めのがいいですねえ




 星空を楽しむには、似つかわしくない息だった。
「ねこ」
 呼べば猫はすぐに応える。灰色から零れ出た魂のひとつ、鯖虎の擦り寄る指先を、岩元・雫(望の月・f31282)は茫洋と見遣った。
 ――心に鎌首を擡げるのは、感嘆でも安堵でもなく、憂鬱だ。
 この手は夢には届かない。されど現実はそれを赦さない。突きつけられた朧月の如きそれをまともに見て、雫の声は僅かに沈む。
 けれど、指先に纏わる温度だけは、よくと感ぜられた。
「おまえは間に合って良かった」
 名も知らぬその子の頭へ手を伸ばす。嬉しげに鳴いた和毛を撫で遣れば、少しばかりの笑みが唇を彩った。そのまま額をくるりと撫で上げて、頬へと指を滑らせる。
「此様な手で好ければ、慰みのひとつにでもしてよ」
 ――あえかな時間に、不意に響いた靴音に、雫は顔を上げた。
「おさかなさん」
 澄んだ声の女が立っている。空の雫をいっぱいに吸い込んだような藍色の眸が、雫を真っ直ぐに見詰めて瞬いた。
「猫は魚を食べるのよ。早くお逃げなさ……あら」
 思わず眉根を寄せた彼の顔は、それこそひとの表情をしていただろう。
 だから、彼女もまたゆっくりと、首を傾いだのだ。
「魚じゃない」
「――人?」

「最後にはちゃあんと出逢えたんですかねえ」
「んにー。出逢えてるといいねー」
 しみじみと漏らされた声は、ふたり並んで星空を見上げていた。
 ティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)と百鳥・円(華回帰・f10932)の手は繋がれたままだ。幾度か頷いた二人が顔を見合わせれば、そこに憂いは何もない。
 今は快哉の空よりも、もっと重要なことがある。
「ふうー、おじょーさんお疲れさまでした。ココア飲んで帰りましょ……って」
「うんっ! ココアココア……っとと」
 不意に――。
 足を止めたのは円の方。はたりと瞬いた色の違う双眸が、きょとんと見開かれて一点を見る。
「円ちゃん、どうしたの?」
 思わずと覗き込んだティアの視線もまた、その先を手繰るようによろよろと彷徨った。その先には、見覚えのない二つの姿と――。
 耳元で上がる頓狂な声が、はっきりと映るのだ。
「あんれれー?」

「しずく。というのね」
 ゆったりと頷いた歌獣・藍(歪んだ奇跡の白兎・f28958)に短い返事を投げる。
 ――失礼な女だ。
 雫の感じた第一印象はそんなところだ。視線を外しながらちいさく吐いた息は、果たしてその向こうから駆けてくる、聞き覚えのある声に遮られた。
「偶然ですねえ、しずくくん! あなたも此処に来てたんですかー」
「まどか」
「そしてそしてー……」
「まぁ! まどか!」
「あー、やっぱり? かじゅーのおねーさん!」
「しずくくん? かじゅーのおねーさん?」
 どうやらこの場にいる全員が、円の知り合いであるらしい。流石は円ちゃん交友が広い――なんてことを思いながら、円と手を繋いだままのティアが全員を見渡した。
 この場においてその顔を知るのが一人だけとなれば、視線は自然と円へ集まる。それぞれ色の違う双眸に見詰められて、大方の状況を理解した彼女は、ひとり頷くとくるりと前へ踊り出た。
「紹介しますねー!」
 ぱっと掌を差し向けたのは、まずはここまで共に道を辿った飴いろだ。
「まずはー、こっちがおじょーさん!」
「んふふ、初めまして。わたしはティア」
 よろしくね――と溌剌に続ける台詞には、彼女独特の癖が乗る。それに小首を傾いでみせた藍は、けれどちいさく笑った。
「可愛らしい子ね」
「でしょー? こっちのおねーさんが、かじゅーのおねーさん!」
「私はあゐ。どうぞよろしくね」
 軽く頭を下げると、ゆらり白い髪が揺れる。最後に円の掌を受けたのは、ふみふみ頷くティアの前、膝に猫を乗せたまま自己紹介を聞いていた少年だ。
「そしてそしてー、しずくくんです!」
「はいはい」
 これ以上の言葉は不要だろう――とばかりの仕草を気にする者もない。見付かってしまったからには諦めるしかなかろうと、彼は一つ、密かな溜息を漏らした。
 彼と裏腹、円の眸はさも楽しげに煌めいていた。隣のティアとアイコンタクト、そのまま悪戯めいて向き直れば、藍がこてりと首を傾げる。
「おじょーさんとココア飲もーって話をしてたんです。猫ちゃん構い倒したら行きませんかー?」
「ここあ……」
 ――繰り返す言葉に聞き馴染みはなくて、けれど断片的な知識はあった。まだ見ぬその飲料を想起して、藍がはたはたと瞬く。
「確か寒いと恋しくなる飲み物ね? 私もご一緒していいのかしら」
「よくご存知で!」
「藍も一緒に、行こう行こうっ」
「じゃあ、ご遠慮なく……!」
 ぱっと顔を輝かせた藍の表情に、ティアがにこりと笑みを返す。
 はしゃぐ二人から少し離れた位置にいる少年に向けて、円の声がにこやかに飛んだ。
「しずくくんも行きましょーよ」
「分かったよ、まどかの好きにすればいい」
 喜んだような、満足げなような、或いは目論見が上手くいった小悪魔のような――。
 実に夢魔らしい表情で笑った円に息を吐く。すっかり藍と仲良くなったらしいティアが足早に向かって来るのも、吐息の理由のひとつではあったのだが。
「二人とも冷えてない? って、あっ。かぁいい猫ちゃん」
 ぴしりとティアが指さしたのは、すっかり雫の膝――或いは鰭と言うべきか――に乗って寛いでいる鯖虎だ。
 突然賑やかになった周囲を見渡す眸をじいっと覗き込んで、彼女は少年に問いかける。
「ぼくも撫でていーい?」
「どうぞ」
 ――わたしの猫じゃないし。
 撫でていた手をどけて、煌めく飴いろの方へと方向を変える。目を丸くしてじっと見詰める鯖虎に、迷いなくティアの手が伸びて――。
「あう」
 いい音を立てた肉球が掌にヒットした。爪を出していないのは牽制が故だろうか。警戒心を露わにする猫にしょんぼりした様子で、彼女はひりひり痛む自身の手を押さえる。
「あらら、おじょーさん大丈夫です?」
「まぁまぁ、大丈夫? 猫の爪は鋭いから気をつけて」
「うう……ありがとなんだよ」
 柔らかな手を円が握る。ちちんぷいぷいのおまじないを掛けられるまま、ティアの眸がきらりと藍を見た。
「藍も猫触ってみない?」
「私も?」
 ゆっくりと、藍いろが猫を見る。雫の上でじっと見詰める眸としばし視線を交わしてから、藍の手がそっと伸ばされた。
「じゃ、じゃあ……ひゃんっ」
 だめ――と言わんばかりの攻勢に、思わず彼女は自分の手を握る。自分の二の舞となってしまった彼女の姿をわらって、ティアもまた、同じおまじないをかけようと藍の手を握った。
「んにに。猫パンチ仲間だね」
「ねこぱんち仲間……素敵ね!」
「――素敵か?」
 ぽそりと零す雫のツッコミは届かない。そっと撫でた鯖虎は、彼には何やらよく懐いているらしい。
 ふと別の猫が寄ってくる。三毛が懐くのは夢魔の足許だ。しゃがみこんでそっと撫でてやれば、にゃあん――と満更でもなさそうな声を上げる。
「んふふー、かーわい」
 そうして猫と戯れる円をじっと見て、少しだけ機嫌が斜めに傾く少女がひとり。頬を膨らませて見るのは、猫と仲良しの彼女への羨望ではなくて、むしろ猫に向けられた嫉妬だ。
「ぼくの円ちゃんなのに。拗ねちゃうよ」
「ふふ」
 ――その愛らしい姿にちいさく笑ったのは藍だ。
 その感情に覚えがある。そうして頬を膨らませる仕草に滲む想いまでも、彼女には少しだけ、分かるのだ。
「てぃあは、まどかを『あゐ』しているのね」
 くるりと振り向いたティアが瞬いた。
「えへへへへ――うん、あいしてるよん」
 ごく真剣な眼差しで頷く彼女の言葉を受けて、藍もまた眦を緩めてみせる。
 ああ――彼女は、とても。
「その気持ち、とっても分かるわ。私もねぇさまがそうだったら……」
「んに? ねぇさま?」
「――いいえ、何でもないわ」
 ゆるり、首を振って追い払うような仕草。心に浮かぶ笑顔を、最後に交わした言葉を、もう一度刻むようにして――藍は胸に手を当てた。
 そこにあるものを、ティアもまた、少しだけ悟った。初めて声を交わしたばかりの彼女の傷に触れぬよう、それ以上は言及しない。
 たっぷり時間が経って、毛並みの感触と――たまに猫パンチを味わって。はたと見上げた空は、いつの間にか月の位置が変わるほどの時間を示していた。
「円ちゃん、ココア、ココア」
「おっと。もうこんな時間ですか。皆さん行きましょー」
 呼ばれた円の号令に皆が立ち上がる。足許で鳴いた鯖虎を見遣って、それからめいめい己らを見送る猫らを見遣って――。
 雫は、ほつりと声を零した。
「――またいつか」
 いずれ還るべき海の底で、再び逢う日まで。
 隠した意味が通じたのか否か。猫は一声鳴いて、追いかけようとしていた足をそっと止めた。
 だから、雫も――もう、振り返らない。
「生クリームいっぱいのにしよー」
「わたしも甘めのがいいですねえ」
 きゃらきゃらと声を交わす女性たちの後を追う。姦しいそれに、けれど少しだけ唇を緩めたのは、懐かしい甘みの感触が舌に戻るからだった。
「……ココア」
 独りごちる言葉は少しだけ弾んで。
 三つの足とひとつの鰭が、星海の中を歩いて行く。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

朧・ユェー
【月光】

おやおや、濡れてしまったね。
これでは風邪を引いてしまう
タオルをルーシーちゃんの頭へ覆って拭いていく
ルーシーちゃんは猫さんを拭いてあげてくださいね
おや?僕も、ありがとう御座います
拭きやすい様に屈んで

えぇ、屋根だと月と星が綺麗にら見えますね
身体も冷えてはいけませんから
温かい紅茶、それとも珈琲かな?淹れましょうね
珈琲を淹れて彼女に
実はクッキーをこっそり隠してたんですよ
濡れてないから大丈夫
皆さんにもおっそわけです

ふふっ、ルーシーちゃんしょんぼりしてる猫さんを呼んで来てくれるかな?
あの子用のクッキーも用意してるから
美しい星を眺めながら一緒に食べましょう
彼女と猫さんの頭を撫でながら


ルーシー・ブルーベル
【月光】

月だわ

呆けてると
ふわりあたたかいタオル
ありがとう
ゆぇパパ

ねこさんもだけど
パパも拭かないとダメよ
同じく頭を拭こうと…
と、届かないから屈んで?

猫さんも拭いてあげる
ごめんなさいが言えてえらいね
みんな帰って来れて良かった

屋根の上から
水面にうつる月と星が見えるのですって
行ってみない?

冷えて
そういえば指が震えて
コーヒーがいいな
まあ、パパったらいつの間に
カップから伝わる熱が燃えるようで
クッキーの甘さが染みるよう
…おいしい
おいしいわ、パパ

うん、猫さんおいで
どげね?してる猫さんを手招き
真っ白で
黄と青のオッドアイのコ
膝に乗せてクッキーをあげて、なでて
頭はパパに預けて

キレイ
あったかい
息をはく

ありがとう、パパ




 ――月が出ている。
 ぼんやりと見上げた金色のひかりが、同じいろの髪を照らしていた。茫洋とした隻眼が、青い眸いっぱいにそれを映している。
「おやおや、濡れてしまったね。これでは風邪を引いてしまう」
「わ」
 意識を引き戻すように――。
 ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)の髪を優しく拭いた朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)が笑う。ふわふわとしたタオルの感触もあたたかいが、それよりも心をあたためる温度をそれ越しに感じて、ルーシーはちいさく笑った。
「ありがとう、ゆぇパパ」
「いいえ。ルーシーちゃんは猫さんを拭いてあげてくださいね」
 離れたタオルを手渡されて、少女はじっとそれを見た。それから視線を持ち上げれば、金色のやわらかな光と目が合う。
 銀色から滴る雫が見える。濡れ鼠なのは誰もが一緒だから、ルーシーはずいと両腕を広げた。
「ねこさんもだけど、パパも拭かないとダメよ」
「おや、僕もですか?」
 ありがとうございます――なんて笑う頭へ届かせようと、少女の爪先が必死に地を押した。無理矢理持ち上げた踵も虚しく、しなるタオルは精々肩まで届けば良いところだ。
「――と、届かないから屈んで?」
 愛らしいおねだりに応じて身を屈める。ユェーの髪を懸命に拭く感触が離れて目を開ければ、今度は猫たちの番だ。
「ごめんなさいが言えてえらいね。みんな帰って来れて良かった」
 柔らかな感触を与えながら、ルーシーの唇が声を紡ぐ。にゃあ――と鳴いた声音は、申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうなそれ。一匹ずつ丁寧に水を拭い去ってやった後、月光いろの少女はそっと立ち上がった。
 ――くるりと振り返った先には、笑うユェーがいる。彼と一緒に、足許の猫たちも誘うように、言葉をかけるのだ。
「屋根の上から、水面にうつる月と星が見えるのですって。行ってみない?」
「えぇ、屋根だと月と星が綺麗に見えますね」
 もっと空が近いから――。
 見上げた金色の眸に後押しされるように、たくさんの足が空へ近付く。ルーシーを引き上げたユェーと、しなやかに屋根に飛び乗る猫たちは、星の海を眺める特等席に座り込んだ。
 いつの間にやら用意されたティーパーティーのセットがある。簡易的なそれは、けれどユェーの手に掛かれば魔法のお茶会に早変わりだ。
「身体も冷えてはいけませんから、温かい紅茶、それとも珈琲かな? 淹れましょうね」
 ――そう言われて。
 初めて気付いたように、ルーシーは己の手を見た。かじかんで凍えて――もしかしたら心の底もそうなのかもしれないけれど――指先が震えている。
 それをじっと見詰めたままで、彼女はぽつりと声を零した。
「コーヒーがいいな」
 望み通りのものが出て来るまでに、そう時間は掛からなかった。
 カップに添えられたお茶菓子には見覚えがない。はたりと瞬いた隻眼が見上げる先で、悪戯っぽく笑うユェーがいる。
「パパ、これは?」
「実はクッキーをこっそり隠してたんですよ。濡れてないから大丈夫」
「まあ」
 ――パパったらいつの間に。
 思わず綻んだ唇に、それなら遠慮なく、と菓子を運ぶ。指先に抱いたカップの熱が、冷え切った指に燃えるような温度を宿せば、さくりとした触感と一緒に、柔らかな甘さが口の中に広がった。
「……おいしい」
 思わずと見開いた眸をいっぱいに輝かせて、ルーシーがユェーを見る。その色があまりに愛らしいから、彼もまた、同じように笑みを咲かせた。
「おいしいわ、パパ」
「良かった。ほら、味の保証は出来ましたよ」
 皆さんにもおすそわけです――言いながらユェーが手を広げれば、我先にと集う猫が夢中でクッキーに口をつける。口々においしさを表現してみせる和毛たちが可愛くて、それを眺めていたルーシーの方を、はたりと金色が見遣った。
「ふふっ、ルーシーちゃん」
「なあに?」
「しょんぼりしてる猫さんを呼んで来てくれるかな?」
「うん」
 ――目を移した先に、白が丸まっているから。
「猫さん、おいで」
 振り向いたのは黄色と青のオッドアイ。おずおずと近寄るその子に膝を譲り渡して、クッキーを一枚渡したなら、ルーシーの手は慈しむように背中を撫でる。
「美しい星を眺めながら、一緒に食べましょう」
 やさしく零したユェーの手が、ルーシーの頭へ触れた。梳くように髪を撫でる感触に身を委ね、ちいさな少女はようやく、真っ直ぐに星空を見る。
「きれい」
 ――預けた体も、あたたかい。
 もう、寒くないから。
「ありがとう、パパ」
 掠れて零したちいさな声を知るのは、彼女と彼と、白猫だけ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鏡島・嵐
飲み物を貰って星を眺める。気分的に、温けぇのがイイかな。

祖母ちゃんは、今夜も星を眺めてるかな。ちょうど、今おれがこうやって星空を見上げてるみてーに。
……親父とおふくろも、もし元気なら同じようにどこかで星月夜を迎えてんのかな。

大切な人。大切な絆。
遠く離れているときは、それを想って少しだけ涙することもあるけれど。
でも、確かにこの胸の中にそれはあって。
暗闇を一人彷徨う時も、冷たい風の夜を越えてゆく時も、心を温めて行く末を照らしてくれる。
……うん。おれが今こうして旅を続けてられるんは、おれが大切に想ってるのと同じくらい、おれを大切に想ってくれる誰かが居るからなんかもしれねーな。




 ――もしかしたら、同じような星月夜を見ているのだろうか。
 そのときには二人が並んでいれば良いと、満天の星空を眸に映す鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)が、ふと息を吐く。
 体と心を温める珈琲が、手の中でゆらりと波紋を立てた。凍えた指先を温める感触は、いつか手袋をして、星を見上げた日を思い出させる。
 見上げる嵐の横には誰もいないけれど、心の底にありありと浮かぶ面影が、彼と共に星を見詰めている。
 或いは祖母が、もしかすれば今もこうしているかもしれないということ。
 或いは父と母が――もしも元気に暮らしているのならば、同じような空の下にいるかもしれないということ。
 星々はめいめいに瞬いている。寄り添う星もあれば、ひとつでいっとう輝いているものもある。人々の生に似たその煌めきは、けれどきっと――皆で夜空を照らしているのだ。
 大切な人がいて。
 その絆を、心から大切だと思う。
 父が教えてくれたこと、母が語ってくれたこと、祖母が支えてくれたこと。記憶の中にある全てが嵐をかたちづくって、そうして彼はここにいる。
 ――傍にいないことが、いたく胸を刺す日もある。
 ただ頭を撫でて欲しいと願った日も、その温もりに触れられないことを悲しんだ日もある。そういうとき、いつでも勝手に浮かんだ涙が零れ落ちてしまうのだ。遠く離れた面影が、いっとう恋しくなってしまうときが――。
 けれど、それは。
 裏を返せば、それほどまでに強く、嵐の中に根付いているという証拠でもある。
 どこまでも続いているかのように見える暗闇に、心を折られそうなとき。吹きすさぶ冷たい風に向かっていかなくてはいけない夜を歩く心に、恐怖が芽生えて揺れるとき――。
 一人歩いていくということは難しい。旅を続けていくということも――きっと、ひどく難しいことなのだ。
 けれど――嵐はそっと、己の胸に手を当てる。
 笑う顔がありありと浮かぶ。語ってくれた思い出話が脳裏に蘇る。あの日の夕暮れに駄々を捏ねて泣いたのも、彼へと交してくれた優しい約束も。
「……うん」
 全てが、この心に灯る光となって、行く先を照らしてくれている。
 嵐が心を傾けて、いつでもその脳裏にふと誰かを描くように――きっと、誰かがまた、嵐のことを不意に思い出すのだろう。その確信が揺らがぬ焔を心に灯す。
 だから歩ける。
 だから、前に進んでいける。
 どれほどに恐ろしいことがあろうとも。どれほどにこの身が傷付こうとも。彼はきっと、足を止めることはないのだ。
 掲げたカップに星空が映り込む。その暖かな煌めきを呑み干して、嵐はそっと、唇に笑みを描いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

雲失・空
【雨空】

(物の見事な濡れ鼠。くすぐったそうに、それこそ動物のように受け入れつつ)
わはは、まるで私も猫みたいな扱いだなウルル~~
一緒だなあ猫ちゃん。私らもう仲間みたいなもんだね?あはは!
うん、大丈夫大丈夫。私そんなに寒がりじゃないし
ありがと、ウルル

ん、ああ……
(確かそう、ウルルは雨がないと駄目なんだった
視えるそれは、この子にはどう映っているのだろう)
これも一種の雨の形ってやつ。ああこら、触っちゃだ~め。おいで
どう?猫ちゃん。君の目には、どんな色で見えてるのかな

ん?なぁにウルル
あは、もっちろん
猫ちゃんは、何がいい?
えっ、同じやつ?う~んどうなんだろ……
えぇ平気?ほんとかなぁ……


ウルル・レイニーデイズ
【雨空】

(たくさん雨に打たれたきみ達だ、
雨慣れしてるぼくと比べたら随分寒い思いをしたんじゃないだろうか
そう思いつつねこくん一匹とカラをタオルでごしごししてる)

……ん

もうだいじょぶ?……そう。

(虹雨を魚の群れに替え、きみ達には害なきように
ぼくの周りだけを遊泳させる。
雨が止んでいてもこうしていれば息苦しさは紛れる)

……さわっちゃ だめだよ?
(興味を惹かれてるねこくんに、ひそり
――星空にきらきら飛んでシャボン玉のように消えてく魚の群れは
綺麗で、けっこう好きかも)

……ね、カラ あのね

……紅茶淹れてっていったら いれてくれる……?……やった。

……ねこくんも 一緒の。

……カラも、一緒 ……ね?




「わはは」
 くしゃくしゃと髪が拭かれる。
 ウルル・レイニーデイズ(What a Beautiful World・f24607)の少しぎこちないような手つきが、猫の一匹と雲失・空(灯尭シ・f31116)を一緒くたにかき混ぜた。雨に慣れきった自分は兎も角、慣れない二人は寒い思いをしているんじゃないか――なんて、心優しい気遣いから為されるそれを、濡れ鼠たちはくすぐったそうに受け容れている。
「まるで私も猫みたいな扱いだなウルル~~」
 動物のようにくしゃくしゃにされて、けれどあしざまには感じたりしない。むしろその手つきがどこか心地いい気がして、猫も空もじゃれるようにしてしまうのだ。
「一緒だなあ猫ちゃん。私らもう仲間みたいなもんだね? あはは!」
 ――にゃあん。
 至極嬉しげに鳴いた猫は、表面積の問題で空より先にふかふかになっていた。その和毛を今度は空がくしゃくしゃにし始めるから、ウルルはそっとタオルを離した。
「……ん。もうだいじょぶ?」
「うん、大丈夫大丈夫。私そんなに寒がりじゃないし。ありがと、ウルル」
「……そう」
 それなら良かった、と言わんばかりの息が揺らぐ。傘の中の戯れが終わったら、次は星見の時間だ。
 傘はきっと邪魔だから――。
 ウルルの周囲の水滴が、そっとかたちを変えて魚に変わる。虹の魚群が漂うように彼女の周囲を旋回すれば、生命維持には問題が出ない程度で済む――少しだけ、清浄な空気の息苦しさを、感じてしまうけれど。
 それをじっと視て、空は少しだけ目を眇めた。彼女も知っている。ウルルは雨がなくては生きていけないこと。それも、生命にとっては有毒でなくてはいけないこと。
 だから何も言わない。騒ぎに乗じて膝に乗った猫が興味深そうにそれを眺めるのに、そっと説明を添えてやるだけ。
「これも一種の雨の形ってやつ」
 ――そうなんだ。
 きらきらとした眸で、ゆらりと尾を揺らすその子は、果たして聞いているのか否か。今にも飛びかかりそうなお尻をがっちり捕えて、空は心配そうなウルルにアイコンタクトを取った。
「ああこら、触っちゃだ~め。おいで」
「……さわっちゃ、だめだよ?」
 二人から同時に言われてしまえば仕方がない。大人しく見詰めるだけにした猫は、それでもその光景を、輝く眸で見詰めている。
「どう? 猫ちゃん。君の目には、どんな色で見えてるのかな」
 ――にじいろ。
 そう言う鳴き声と同時に、虹の魚が天へと昇る。シャボン玉のようにぱらぱらと弾けてはまたかたちを作って、夜空を自由に泳ぐそれは、ほんのいっときの小さなショーのようでもあった。
 ウルルの目にも、それは綺麗に映る。すこしだけ唇を緩めた彼女が、ふと隣の女性を見た。
「……ね、カラ。あのね」
「ん? なぁにウルル」
 返る声は快活だ。晴れやかな空に似つかわしい友人の言葉に、彼女はそっと問いかける。
「……紅茶淹れてっていったら、いれてくれる……?」
「あは。もっちろん」
「……やった」
 可愛らしいオーダーに応えるべく、空はそっと猫を置いて立ち上がった。その双眸を見詰めて、彼女が首を傾げる。
「猫ちゃんは、何がいい?」
「……ねこくんも、一緒の」
「えっ」
 ――猫に人間の飲み物はまずいんじゃないだろうか。
 当猫より先にウルルが応じる。思わず空が見遣った先の猫は、随分と嬉しそうだけれど――。
「う~んどうなんだろ……」
 ――へいきだよ。
 灰色の猫が自信満々で鳴くものだから、空の眸がますます難しげに歪む。万が一にでも毒になってしまってひっくり返ったら、それこそ大騒ぎになってしまうだろうし――そんなことはしたくない。
「えぇ? ほんとかなぁ……」
 スマートフォンがあれば調べられるのだろうか。生憎とそんなものは持ち合わせていない。だいいち、少々時代遅れのガラケーでないと、空は感覚が掴めない。
 唸りながらも準備を進める彼女に寄り添うように、傘を手にしたウルルが見上げる。その眸へ目を合わせれば、じっとこちらを見詰める気配がありありと感ぜられた。
「……カラも、一緒」
 ね――なんて言われてしまうと、どうにも断る気にもなれなくて。
 結局、猫とウルルは、空の淹れた紅茶に、無事に舌鼓を打ったのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

祇条・結月
屋根の上から天地に広がる空を眺める
手には温かいココア
騒ぎに混じる気分になれなくて、タオルを被ってひとり、静かに

いつの間にか少し離れた隣にいる猫に目を向けて
君は悪くない。気にしなくていいんだよ、って苦笑
いろいろ考えちゃうのは、僕のせい
タオルを掛けてあげて、ごめんって
そうやってしばらく一緒にいるよ

わかってても別れは寂しいよね
でもこんな風に謝りに来てくれるだけ、強いよ
僕より、ずっと

……僕は未だに怖がってる
ほんとはわかってるのにね
足踏みしてても過ぎた日は取り返せないし
明日だってこない、って
せめて。皆が信じてくれる自分を僕も信じるって、胸を張ればいいのに

小さくくしゃみ
風邪だとやだな……
気を付けないと、ね




 何となく人目を避けるように来てしまった。
 救世の騒ぎに巻き込まれるのも、普段ならば楽しいことだけれど――今はそういう気分にはなれなくて、暖かいココアを一杯もらって、すぐに屋根に昇った。
 天地を埋め尽くす星の海と、まばらな人影だけがある区画だ。祇条・結月(キーメイカー・f02067)は、タオルを被ったままじっとしている。
 そうしていると、とめどなく詮無いことが流れていく。浮かんでは消えて、消えそうになっては浮かんで、緩やかに明滅するどれもが、彼の心を少しずつ沈めていく。
 ――にゃあ。
 思わず息を吐いたとき、ふと声がした気がして、結月は顔を上げた。
 猫がいる。心配そうな顔をして、少し離れたところに座っている。気遣わしげなその姿は、まるでさっき謝っていたときのようで――。
「君は悪くない」
 ――でも、いやなもの、みせちゃったかも。
「気にしなくていいんだよ」
 苦笑が浮かぶのは、どうしてだっただろうか。別れを経験したばかりの猫にすら気遣われる己に、また否定的な思いが擡げるからだろうか。
「――いろいろ考えちゃうのは、僕のせい。ごめん」
 そっと距離を詰めたのは、結月の方だった。ちいさな体をタオルで覆って、そのまま隣に腰掛ける。
 暫しの沈黙を壊すために――手にしたココアに口をつけて、切り出す。
「わかってても別れは寂しいよね」
 猫の尾がゆらりと揺れた。俯く眸は、それでも先よりは寂しさを紛らわせているようだ。結月を見詰める桃色に、彼はゆるりと笑う。
「でもこんな風に謝りに来てくれるだけ、強いよ」
 僕より、ずっと――。
 零れ落ちた本音が、大河に揺らぎを作って消えた。
「……僕は未だに怖がってる」
 ――ごめんなさい、すること?
「それも――かも」
 頭では分かっているのだ。ここで足踏みをしていたって、何にもならないことも。
 過ぎた日は、二度と戻ってこない。蹲ったり、躊躇したりするたびに黎明は遠のいて、ずっとそうしているなら明日も来ない。それでも宵の中に取り残されてしまうのは、ただ――。
「せめて。皆が信じてくれる自分を僕も信じるって、胸を張ればいいのに」
 ――口にしてしまえばとても簡単なことに思えるそれが、いつまでも出来ないせいだ。
 それなのに届かせたい手はあって、全く侭ならない。
 擦り寄る猫の和毛をタオル越しに撫でると、小さくくしゃみが零れた。冷えすぎただろうかと洟を啜って、心配げに鳴いた猫に大丈夫だよ――と声を差し出す。
「風邪だとやだな……気を付けないと、ね」
 同意するように鳴いた猫に寄り添うままで、結月はそっと、星空を見上げた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エコー・クラストフ
【BAD】
雨って冷たいけど、結構好きなんだ
色んな所が光って綺麗だし、人通りが少なくなって静かだし
……猫か。別にもう殺そうとはしないよ。無害になったならどこにでも行くといい
どうしたのハイドラ。はは、別にくっつくのに理由はいらないんだけどね

……ボクが強くいられるのはハイドラがいてくれるからだよ
あの時だって、ハイドラと会ってなかったボクだったら、沈まずにいられたかわからない
ハイドラがいる所だから戻りたいと思ったし、戻れたんだと思う。ボクだって本当は寂しがりやな方なんだよ?

死んじゃダメだよハイドラ。今暖めるから……って言っても、ボクの体は暖かくないけどね
……ちょっと温かいかも。ありがとう、ハイドラ


ハイドラ・モリアーティ
【BAD】
ウーン、良い月。あと酒
謝るようなことじゃァないだろ
終わりよければってやつだ
祭りを楽しんでおいで、にゃんこ。
――あー、さむ。エコー、こっちきて
ひっつかないと暖が取れないんだよ
……まあ、それはただの口実で

あのさ
お前はやっぱ強いよな
俺なんか、お前の家族が沈むところ見て
泣いちゃうし
……あの猫……のかたまりみたいな気持ちも
妙にわかっちゃうくらい、寂しがり屋だった
ね、上着で俺の事くるんでよ
寒くて凍えて死んじゃいそうだから
嘘嘘、冗談。でも、あったかいでしょ
最近ちょっと覚えたんだよな、炎の魔術の応用みたいな
……せめてお前を温められたらなって思って
気に入った?
――寂しくない? ほんとに?
なら良かった。




 冷たいものが好きなわけではないけれど、雨は好きだ。
 すっかり降り止んだ空を見上げて、エコー・クラストフ(死海より・f27542)は雨の名残のにおいを追った。大河へと続く傾斜で、猫が震えているのも目に入ったけれど。
「別にもう殺そうとはしないよ」
 ――エコーが斬るのはオブリビオンだけだ。今や普通の妖怪であるそれに、手出しをする道理もない。
「謝るようなことじゃァないだろ」
 それでもぺこぺこと頭を下げる猫へ向けては、ハイドラ・モリアーティ(冥海より・f19307)の上機嫌な声が飛んだ。酒を片手にすっかり星見を――寧ろそちらは酒飲みの理由付けの可能性が高いが――楽しんでいる彼女はといえば、ほろ酔いの表情を隠しもせずに笑う。
「無害になったならどこにでも行くといい」
「そうそう。終わりよければってやつだ。祭りを楽しんでおいで、にゃんこ」
 ――ありがとう。
 声を残して去って行く猫を尻目に、二人も屋根の上へと登っていく。寄り添い合う二人が多い区画は静かだ。倣うように並んで腰掛けた二人の間に、僅かな沈黙が落ちる。
 これみよがしに――。
 白く息を吐いたハイドラが、少しだけ開いたふたりの肩の距離を見た。
「――あー、さむ。エコー、こっちきて」
「どうしたのハイドラ」
「ひっつかないと暖が取れないんだよ」
 ――なんて。
 ただの口実だ。こうやって二人で寄り添いあうための、ほんの少しのタテマエというものだった。
 の――だけれど。
「はは、別にくっつくのに理由はいらないんだけどね」
 素知らぬ顔で、けれどエコーは見透かしたようなことを言う。敵わないな――と思うと同時に少しだけ息が止まって、ハイドラは寄り添った低い体温へ頭を預けた。
 低い体温に安心する。
 ――なんて、そんな奴、世界でも俺しかいないかもね。
「あのさ」
 そこに在る温度に声を零した。顔は見えない。見なくても良いと、少しだけ思っている。
「お前はやっぱ強いよな。俺なんか、お前の家族が沈むところ見て――泣いちゃうし。……あの猫……のかたまりみたいな気持ちも、妙にわかっちゃうくらい、寂しがり屋だった」
 ずっと寂しかった。
 歪んだ家族はそれでも家族で――けれど欲したのは普通の愛情で。もらえなければ寂しくて、己が嫌いになって――。
 そういうものだ。弱くて脆いのは体だけではないのだと、少しの苦笑に織り交ぜた。
 それをじっと見遣って――。
「……ボクが強くいられるのは、ハイドラがいてくれるからだよ」
 エコーもまた、偽らざる心を差し出すのだ。
「ハイドラがいる所だから戻りたいと思ったし、戻れたんだと思う」
 そうでなければ――沈んでいたのかもしれない。その可能性を否定できないくらいに、あの日は彼女の心に深く爪を立てていた。
 隣に寄り添ってくれる温度がなかったら。こうして言葉を交わす相手がいなかったなら――誘惑に負けていた己すら、容易に脳裏に描くことが出来る。冷たい水の底に沈んで、皆と同じ骸に変わってしまえたら、もう何も感じなくて済むから。
 それを嫌だと思ったのは、ただ――隣に分かち合いたい相手がいるからでしかない。
「ボクだって本当は寂しがりやな方なんだよ?」
 冗談めかしたように括る声がうれしくて、うれしくて――。
 胸の中の熱に殺されそうな気がした。唇が思わず綻んでしまうのを堪えて、ハイドラはそっと、もうひとつおねだりをする。
「ね、上着で俺の事くるんでよ。寒くて凍えて死んじゃいそうだから」
「え。死んじゃダメだよハイドラ」
 今暖めるから――ああでもボクの体は暖かくないけど――。
 慌てて上着で包めてくる手が愛おしい。思わず喉を鳴らしてしまったから、種明かしはすぐだ。
「嘘嘘、冗談。でも、あったかいでしょ」
 ――炎の魔術を覚えた。
 裡に宿せば周囲は燃えないけれど、代わりに己の温度を上げることが出来る。それだって救世のためだとか、そういうご大層なものではない。
 ただ、彼女の世界で一番大切なものに、冷たさを味わって欲しくないだけ。
「……せめてお前を温められたらなって思って」
 ぽつりと零された言葉に、今度はエコーが目を見開く番だった。はたはたと瞬いて、自身の上着の中にある体温へと触覚の全てを傾ける。
 果たして、元より温度に差のある体では、大きな違いを感じ取ることは出来ないけれど。
 何よりも――その心があたたかくて。
「……ちょっと温かいかも、ありがとう、ハイドラ」
 その声に体を起こしたハイドラが、目を輝かせて声を上げる。
「気に入った?」
「うん」
「――寂しくない?」
「ハイドラがいるからね」
「ほんとに? なら良かった」
 笑い合うふたつの影を、星々だけが照らしていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
屋根の上から、眼下の“夜空”を見下ろした

思い出すのは、いつかの夜
胸の裡に浮いた、呑み込みきれなかった感情を
彼女が掬い上げてくれた日

利己的に繋いできただけの命を、無駄でも間違いでもないと言ってくれた
生きたかった自分を認めてもいいんだと

その上で、ここに生まれたものに向き合っていくべきだって

あの日から
きっと辿り着きたい場所は決まっていて
それでも、見えた景色はあの戦禍の中で

少しだけ、安心した

俺の原風景はずっとあの場所で
それが変わらなくても、前を向けるって

何一つ、捨てなくてもいいって
わかった気がして

近づいてきた猫をそっと撫でる
大丈夫
また見つかるよ
いつか、大切だって思えるひとが

俺だって、そうだったんだから




 屋根の上からは、何もかもがよく視える。
 対岸ではしゃぐ子供たちの声も、酒を飲んで笑う妖怪たちの声も。けれどその全てよりも先に、鳴宮・匡(凪の海・f01612)が視線を向けたのは、眼下の星空だった。
 軒先から零れる雫が、時折写し取った夜空を揺らす。その波紋を見下ろしながら、胸に抱えたのは、いつかの夜のことだった。
 ――隣に藤色の灯火があった日だ。
 ずっと殺してきた。殺していけるはずだった。ないのだと思い込んできたそれを、殺しているのだとすら思っていなかった。それでもあの日、堪えきれずに零れた歪む心の一滴を、細い指先は丁寧に掬い上げてくれたのだ。
 ただ、利己的に生きていた。
 匡の命は、奪ったもので出来ている。数多の屍に何の感情も抱けず、そのくせ奪い去った世界の上にしか成り立たぬそれが、どうしても肯定出来ずにいた。
 けれど、彼女は。
 擦り切れて尚も他者から奪い続けるこの手を、無駄でも間違いでもないと言って、笑った。
 そうまでして歩いてきたのは、そうまでしても生きたかったからなのだと。その命を抱えていることは、決して誤ったことではないのだと――。
 認めた上で、芽吹いてしまった歪な芽に、向き合っていくべきなのだと言った。
 ずっと、目指していたのは沈んだ楽園だと思っていた。
 けれどきっと、進む先は変わっていたのだ。あの日から――変わり始めていたのだ。
 それでも、雨の帳に映し出されたのは、彼女の声ではなかった。己に初めて差し伸べられた手。何も知らない子供に、何もかもを教えてくれたひとの、忘れ得ぬ姿。
 少しだけ安堵の息が漏れたのは、この胸懐の全てを、捨てる必要がないと示された気がしたからだった。
 変わらない。
 何を手にしても、目指すべき道を違っても。鳴宮・匡のはじまりはいつだって、あの日に己を拾い上げた手に戻るのだ。
 過去を手にしたまま未来を向いても良いのだと、いつも己を導いた声に言われた気がした。痛みを抱いたままでも進める。悲しみを手にしたままでも喜べる。苦しみに藻掻きながらでも――安らぐ心は、変わらない。
 だから――。
 そっと擦り寄ってきた猫に手を伸ばす。ぎこちなく撫でる指先をねだる姿に、そっと息を吐いた。
「大丈夫」
 未来はひとつではない。
 亡くしたものはもう戻らない。だからといって何も抱けないわけではないのだ。空いた両腕に、それを抱き締めることを――己に許せるかどうかというだけで。
「また見つかるよ。いつか、大切だって思えるひとが」
 許させてくれるひとがいるだろう。忘れずとも、痛むままでも。
「――俺だって、そうだったんだから」
 言いながら見上げた満天の夜に、匡はいつかの星空を映した。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ
⛩神櫻


雨が止んだ
美しい星空が微笑む頃に
いとしい櫻にそうと触れる
触れる熱は奇跡のようで
其れは正しく私達が歩み培った軌跡であるから
ただいまときみが笑うなら幾度だって迎えたい
けれど
いってらっしゃいときみを送り出すことなんて
考えたくもない
この腕の中きみをとらえたい
…何て願うのは
神として間違っているのかな

瞬く星に桜の温もりを重ね

逢えてよかった
謝ることは無いのだと猫に告げて伏せる毛並みを優しく撫でる
瞬く星の一つ一つが魂ならば
流れる星は地へ戻る御魂かもしれないね

サヨ
なにか飲む?
星見の酒…きみは酒に弱いのに
今宵は特別だ
酔って甘え絡む巫女の世話をするのも神の役目

可愛らしいと頬が緩む

水面に映る月
噫、月が綺麗だね


誘名・櫻宵
🌸神櫻


星灯が帰り道を照らしてくれるかのよう
何時だって
おかえりと迎えてくれる神の腕のいとあたたかさ
あなたが居る世界に
あなたに再び逢うために『私』はかえったのだと受け継ぐ御魂の秘密をしっている
私の御魂
居場所はここにある
触れた手を撫で

猫ちゃんったら謝り方までかぁいらし
お顔をお上げ
空を見なさいな
瞬く星は天へかえった命の瞬きだと聞いたことがあるわ
流れ星にのってかえってくるなんて素敵

うふふ
やっぱり星見酒が良いわ
カムイが一緒だから大丈夫だもん
星空映す酒はまるで宙を飲み込むよう
飲み干せばぽわんと熱くよい心地
猫のように神に甘える
私の神様
私達の神様
だーいすきな、

空を照らす月をみる
ええ
あなたと一緒に観ているから




 帰り着く先はいつだって決まっている。
 己を抱き留めた腕の温かさを、誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)はよくとその身に刻む。抱き留める体の温度を、朱赫七・カムイ(約倖ノ赫・f30062)もまた強く確かめた。
 雨は止んで、美しい星空が広がっている。笑むような月光に照らされて、カムイの指先がいとしい頬にそっと触れた。
 大切なものを守るような、或いは愛おしむような――その指さきに擦り寄る櫻の、どんなにか胸を締め付けることか。こうしてひとたび触れあえることにすら、永い長い時間がかかってしまった。
 どれほどの奇跡なのだろう――思えば思うほどに、熱はこころを震わせる。けれどそれこそが、彼らが紡いできた永き歴史の涯に結ばれた軌跡であるのだ。
 だから――。
 そっと撫でられた手に、カムイはゆるゆると目を細める。
 ただいま、とわらう櫻宵を、いつだって迎えたいと思っている。
 けれど、噫――この心は矛盾と蟠りを抱えている。手を振る彼の姿を、いってらっしゃいと笑って見送ることなど、考えるだけでも寒気が走る。触れている熱の分だけ、つめたい水が迫って来るようだ。
 ――いっそ。
 いっそこの腕の中に閉じ込めて、離さずにいられたら。
 誰より喪えないいとしごを、とらえてしまえたのなら――。
 そう思ってしまう。心に落ちた波紋が大きくなっていく。ともすれば、それは到底神らしくなどない、澱のような感情だと知りながら。
 神の愁いを、巫女は知らない。
 けれど櫻宵の眸に揺らぎはなかった。いつだって、星空が照らす帰る先はここにある。あたたかな指さき、やさしく迎えてくれる腕――。
 知っているから。
 ふたたびそこに戻ってくるために、櫻宵の魂は巡ったこと。この身に受け継ぐ御魂の秘密を、靡く櫻だけが識っている。
 揺るぎなく、櫻宵の居場所は――この手に触れる、いとおしい温度だ。
 互いの温度を分け合って、二人は伏したままの猫を見遣った。その頭をそっと撫でてやるカムイを見遣り、櫻宵がわらう。
「猫ちゃんったら、謝り方までかぁいらし」
「謝ることは無いよ」
 優しい二つの声に誘われて、おずおずと猫の目が上を見る。窺うような視線に、凜と櫻宵の声が笑った。
「お顔をお上げ。空を見なさいな」
 ――満天の星空が、見えるだろうか。
「瞬く星は天へかえった命の瞬きだと聞いたことがあるわ」
 それは、心慰めるお伽話かもしれないけれど。
 確かに櫻宵はここに戻ってきた。ならばそれだって、きっと嘘ではないのだ。ほつりほつりと流れる星々を見上げて、頬を撫でる風に目を伏せる。巫女のうつくしい横顔を見詰めて、カムイもまた、ゆるゆると笑みを描く。
「瞬く星の一つ一つが魂ならば、流れる星は地へ戻る御魂かもしれないね」
「あら。流れ星にのってかえってくるなんて素敵」
 ――ごしゅじんも、かえってくるかなあ。
 ゆらりと尾を揺らした猫に頷いて、その背に手を振って。
 そっと腰を下ろした二人の前に、天地を埋める星の大河がある。瞬く星々のひかりをいっぱいに映す桃色へ、カムイの双眸が問うた。
「サヨ、なにか飲む?」
 すこしだけ――。
 考えるような仕草をしてから、櫻宵がわらう。
「やっぱり星見酒が良いわ」
 眉根を寄せたのはカムイの方だ。困惑したようなその表情には、きっといっぱいの心配が見て取れる。
「きみは酒に弱いのに」
「カムイが一緒だから大丈夫だもん」
 そう言われてしまうと――カムイは弱い。
 今宵は特別だ、と、言葉だけは少し厳しく。けれど声音も唇も柔く緩んでしまっては意味もない。
 金平糖を浮かべた酒を手にすれば、映り込む星と相まって、小さな夜空を手にしたようだ。宙を飲むような心地に酔いしれて、その温度が身を巡る感覚がふわふわと宙に浮く心地をもたらしてくれる。
「私の神様。私達の神様」
 だーいすきな――。
 言いながら擦り寄ってみせる巫女のさまは猫のよう。愛らしい仕草を手で撫でてやるのも神の仕事――と思いながら、けれど唇に笑みを浮かべてしまうのは、決して使命感ばかりではなくて。
「噫」
 いとしい温度が隣に在って、見下ろす星空のなんと穏やかなことだろう。
「月が綺麗だね」
 声音に釣られて見上げる櫻宵の眸が緩む。
「ええ――」
 沢山のうつくしい景色が、いっとうの宝物になるのは――。
 ――きっと。
「あなたと一緒に観ているから」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織
○◇

あらあら、何のことかしら
猫からの謝罪にきょとりとした後
タオルを片手にほわほわ微笑み、そっとその背を撫でてみましょうか

下を向いていてはせっかくの星空が見えないではありませんか
星見酒、お付き合いいただけませんか?
ゆるり尻尾を揺らし、お誘いを

ふふ、屋根に上ったら怒られてしまうかしら
妖怪達から軽食とお酒をもらって屋根の上へ

ん、美味しいですねぇ
美しい星空に見とれ、暫く舌鼓を打っていれば
飽きてしまった颯が猫に遊んでとじゃれついて
そんな二匹を見てまた笑みが零れる

幸せな時も、辛い時も
時は止まってくれない
それは今も昔も変わらぬこと

だからこそ…
一瞬、一瞬を大切に過ごさないといけませんねぇ




「あらあら、何のことかしら」
 きょとりとした顔で小首を傾ぐ。
 瞬く橙の眸でしゃがみ込んだ先、ぺたりと地に伏した猫の仕草の意味は理解している。それでも、橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)は素知らぬ顔で笑った。
 謝られるようなことは、何もされていない。
 いっときの喜びに全てを忘れてしまうことが、ない者もそう多くはあるまい。それが世界を滅ぼしかけたのだって過ぎた話だ。あの雨と一緒に押し流してしまえば良い話である。
 それに――。
「下を向いていてはせっかくの星空が見えないではありませんか」
 優しく背を撫でる感触に、猫がおずおずと顔を上げた。その先にいる千織の笑顔はどこまでも屈託がない。
 ゆらりと尾を揺らして、その手がタオルを広げた。おいで――招くような仕草にぱっと顔を輝かせた猫を抱き留めて、彼女はにこにこと笑んで見せた。
「星見酒、お付き合いいただけませんか?」
 上へと昇るのに労はない。先客たちに迎え入れられながら、彼女は腕の中の温もりへ、悪戯っぽく囁きかける。
「ふふ、屋根に上ったら怒られてしまうかしら」
 ――だいじょうぶだよ。
「そうですねぇ。今日は特別ですもの」
 丁度焼きたてなのだと渡されたのはシュガートースト。甘いそれに合わせるためにと用意されたのは、少し辛口の赤ワインだ。些か不思議な組み合わせではあるけれど、口にしてみると存外にバランスが取れている。
 手渡された金平糖を酒に浮かべてみれば、星空を模したそれとなるらしい。何とも変わった食べ合わせに、それでも千織は甘えてみることにした。
「ん、美味しいですねぇ」
 舌鼓を打ちながら、ゆっくり飲み込む酩酊のかおりの何と幸福なこと。まして目の前にこれほどの展望があれば、もう言うことはない。
 不意に風が頬を撫でて、千織の眸はゆるゆると隣を見る。あさやけ色が猫の姿をして、桜の眸と桃の眸をかち合わせた二匹がぱたぱたとじゃれ合っていた。
 風情も景色も静寂の楽しみも、溌剌を愛するその子にとってみれば退屈と同じこと。すっかり遊び回る子供のような二匹に、思わずと唇が持ち上がる。
 ――幸いも苦しみも、いずれは巡るもの。
 時は止まらない。どこまでも前に進んでいくそれは、時に残酷に、過去を過去としておいていってしまう。
 けれど――だからこそ。
「一瞬、一瞬を、大切に過ごさないといけませんねぇ」
 昔も今も変わらぬそのことを、再度と裡に刻んでみせて。
 千織の橙灯の眸は、天を埋め尽くす星空を、じっと見上げていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
【苺華】○

潤む和毛が拭かれてゆく姿を眺む
その言葉は不要だわ
わたしたちは――わたしは
したいことをしただけだもの

あいらしい子。触れてもよいかしら
はたりと瞬きを刻んで
驚かさぬように手を伸ばす
……こうで、合っていたかしら?
嗚呼、よかったわ
あなたの笑みと言葉に安堵するよう

此処に三毛猫のあの子が居たのなら
あなたにそうと触れていたのかしら
今日は、ロイさんはいらっしゃる?

ご機嫌よう、ロイさん
此度もお元気そうな姿を見られてうれしいわ

やわい身体を毛並みに添って
そうと、そうと撫ぜて
雨に攫われなかったぬくもりに
いのちの宿す温度に眦が緩んでゆく

かえりみちは、どうかお気をつけて
わたしたちも帰りましょう
皆さんが待っているわ


歌獣・苺
【苺華】

(猫の身体をタオルで拭きながら)
謝らなくてもいいんだよ
そうなっちゃう気持ち
わかるもん

すごいよなゆ!
猫になる依頼で教えたこと
ちゃんとマスターしてる!
大正解っ♪

ロイねぇ…?
それならさっきまで一緒に…

『ちょっとアンタたち!!!
そっちの猫より
アタシの身体拭きなさいよ!!!
びっしょびしょよ!
毛が!アタシの美しい毛が!』

わわ!ロイねぇそこにいたの!?
びしょ濡れ過ぎて
違う猫さんと思ってたよ…!
今拭くね!

『ぎゃ、ちょ、
もっと丁寧に拭きなさいって
いつも言ってんでしょ!』

はいはい大人しくしててね~!
っと、よし。おっけー!

それじゃあね、ねこさん
迷ったらまたおいで
いつでも助けてあげる

そうだね、帰ろう
手を結んで




 ぽふりと被せられたタオルは、まるで子供を包むように柔らかかった。
「その言葉は不要だわ」
 まろやかな声に顔を持ち上げる猫が、蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)の眸を見詰めている。はたりと瞬いた紫水晶が、ゆるゆると咲うようないろを孕んだ。
「わたしたちは――わたしは、したいことをしただけだもの」
「そうそう」
 タオルの上からやさしく包む込む歌獣・苺(苺一会・f16654)の繊手が、背を撫でるようにして猫の水滴を拭う。その掌に擦り寄るようにする和毛に向けて、彼女はゆっくりと声を上げた。
「謝らなくてもいいんだよ。そうなっちゃう気持ち、わかるもん」
 さみしい気持ちも、逢いたい気持ちも、よくと分かる。亡くしたものをふたたび手にする機会を見付けて、そうなったことを誰が責められよう。
 すっかりと乾いた毛をふるふる振った猫に近寄って、七結がふと手を伸ばす。
「あいらしい子。触れてもよいかしら」
 ――いいよ。
 瞬き刻む眸に、猫が一鳴きで応える。言葉に甘えて伸ばした指さきが、ぎこちなく灰色の毛に沈んだ。
 やさしく、やさしく――。
 撫でやってから、七結の眸は不安げに苺を見上げた。
「……こうで、合っていたかしら?」
「すごいよなゆ! ちゃんとマスターしてる!」
 長く猟兵を続けていれば、猫になる機会のひとつくらいある。
 そのときから苺は七結の先生だ。動物の扱いに長けているのは黒兎の方なものだから、ついその力を借りてしまう。
「大正解っ♪」
「嗚呼、よかったわ」
 満面の笑みにほっと胸をなで下ろして、七結は灰猫を見た。
 ごろごろと喉を鳴らしながら懐く猫を見詰めていると、ふと七結の脳裏を過るものがある。三毛の猫がここにいたなら、このさみしい子に触れていたのだろうか――。
 今日は現れていない――或いはその主と一緒にいるのだろうか――猫の使い魔を思い出しながら、彼女はもう一匹いるはずの姿を探して瞬いた。
「今日は、ロイさんはいらっしゃる?」
「ロイねぇ……?」
 見上げられたままの苺が、きょろきょろと見渡す。不思議そうな眼差しは遠くを見、右を見、左を見。
「それならさっきまで一緒に……」
『ちょっとアンタたち!!!』
 ――劈くような声に、ぴゃっと苺の耳が跳ねた。
『そっちの猫よりアタシの身体拭きなさいよ!!! びっしょびしょよ! 毛が! アタシの美しい毛が!』
「わわ! ロイねぇそこにいたの!?」
 呂色の美猫はご立腹。ふくよかでやわらかい和毛はすっかり濡れてボリュームを失い、綺麗に艶があったはずがぼさぼさだ。逆立てている背中がすっかり見えてしまえば、足許にいるその子も全く別の猫に見える。
 ロイと呼ばれた猫にタオルを被せて大慌ての苺が、タオルを持って彼女へ被せる。にわかに騒がしくなる一人と一匹を見遣って、七結は長閑にふわりと笑った。
「ご機嫌よう、ロイさん。此度もお元気そうな姿を見られてうれしいわ」
『あらご機嫌よう。そっちこそちゃあんと――ぎゃ、ちょ』
 澄ました声音はすぐに悲鳴に変わる。見ればごしごしくしゃくしゃ、苺の手は思い切りロイの体をさすっていた。
『もっと丁寧に拭きなさいっていつも言ってんでしょ!』
「はいはい大人しくしててね~!」
 ぎゃんぎゃんと吠えるような抗議もいつものこと。黒兎は全く動じない。手つきは緩まず、猫は吠え――その毛並みが艶を取り戻した頃に、ようやくロイは解放された。
「っと、よし。おっけー!」
『酷い目に遭ったわ――』
 上機嫌な一人と不機嫌な一匹のしぐさにくすくす笑声を漏らして、七結の指はそうっと灰色を撫でる。冷え切ってしまった体の奥にも確かに熱を放つそれがいとおしい。雨に攫われ、その帳の向こうへ消えていくことがなくて良かった――胸に満ちる安堵と同時、立ち上がった苺を見て、一緒に身を起こした。
「それじゃあね、ねこさん」
 ――うん。
 鳴いた猫は少しだけさみしげで、けれどもう、揺らぐような色はなかったから。
「かえりみちは、どうかお気をつけて」
「迷ったらまたおいで。いつでも助けてあげる」
 猫が見えなくなるまで、ふたりはその背に手を振っていた。夜空のひかりばかりが照らすようになった道で、合わせた眼差しはどちらともなくやわい笑みを描く。
「――わたしたちも帰りましょう。皆さんが待っているわ」
「そうだね」
 ふたりの居場所に。
 皆が待つ彩りの館へ。
「帰ろう」
 掌の温もりを結んで、咲って――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

風見・ケイ

夏報さん(f15753)と

こんばんは……ん、お誘いありがとう
こんな夜に包まれて飲むお酒は、きっと格別でしょうね

(空と水面に月二つ。贅沢な月見酒だ)
(幽世の月の模様は、よく知るものと同じような、違うような)
ええ、子どもの頃はよく追いかけて――今でも仕事で追いかけているな
……飼ったことはないんです
(きっとこれからも――私自身、いつどうなるかわからないから)
夏報さんは?

そうだね……可愛いね、あの子
(でも、どこか寂しそうで……何があったのかは知らないけど、あの感情は知っている気がする)

そっか……そんな夜もあるよ
それなら、また朝まで飲んじゃう?
……私にもそんな夜が来たら、そのときは
君を呼んでもいいかな


臥待・夏報

風見くん(f14457)と

突然呼び出しちゃってごめんね
なんだか君が好きそうだと思ってさ
星は綺麗だし、猫も可愛いし、きっとお酒も美味しいよ

(ぼんやり並んでお酒を飲む)
(星の話でもしようかと星座を探してみるけれど、幽世の夜空は知ってるものとは違う気がする)
……猫、確か好きだったよね
飼ってたこととかあるの?

僕も飼ったことはないかな
猫が特別好きって訳じゃないけど、こうして眺めてると可愛いなとは思うよ
そのくらいがちょうどいいんだろうね
何かしてあげられるわけでもないし――

ありがとね
何にも聞かないでいてくれて
本当はさ、今夜一人でいるのがちょっと怖かったんだ

……ふふ
そう言ったからにはちゃんと呼んでね
約束だぞ




 雨の向こうに開けた空は、それでもやはり、少し寒い。
 吐いた白い息に冷えた体を晒して、臥待・夏報(終われない夏休み・f15753)は町並みを見渡した。少しばかり人間とは違う妖怪たちのさなか、待ち合わせの相手の姿を探す。
 果たして――。
 すぐに見えた黒髪に、軽く手を持ち上げた。
「風見くん」
「こんばんは、夏報さん」
 緩やかに笑む風見・ケイ(星屑の夢・f14457)の吐息もまた白い。異色の眸を瞬かせる彼女を先導して、夏報の足はゆっくりと、目的地への道を辿り始めた。
「突然呼び出しちゃってごめんね。なんだか君が好きそうだと思ってさ」
「ん……お誘いありがとう」
 町の中に賑わいが戻ってから――。
 何となく、夏報の頭に浮かんだのが、ケイの顔だった。歩を並べて声を交わしていれば心が落ち着く気がする――と、その目論見はあながち外れてもいない。
 酒を手にして登った屋上には先客が多い。妖怪らの間に座る場所を見付けて、吐息の昇る空をゆっくりと見上げた。
「星は綺麗だし、猫も可愛いし、きっとお酒も美味しいよ」
「ええ――こんな夜に包まれて飲むお酒は、きっと格別でしょうね」
 天地を埋める星に囲まれている。ぼんやりと金平糖の浮いた酒に口をつければ、仄かな甘みが口に残る。
 ――話をしようか、と考えていて。
 知っているはずの星座をなぞる夏報の目は、僅かに狂った空に遮られた。同じように月を見たケイも、その表面に浮かぶ模様を何と表現すれば良いのか、よく分からなくなる。
 だから――想定よりも少しだけ長く、沈黙が続いた。
「……猫、確か好きだったよね」
「ええ、子どもの頃はよく追いかけて――今でも仕事で追いかけているな」
 夏報の視線を追って、ケイの眼差しも灰色の猫を見た。少しだけ苦笑したのは、思い出した追走劇の記憶ゆえだろうか。
「飼ってたこととかあるの?」
 問われて――。
 ケイは少しだけ俯いた。明日も知れぬこの身は、命に対する責任を取れそうにない。置いて残してしまったときのことを考えれば、どうしても――猫に限らず、命を預かる領分にはいられない。
「……飼ったことはないんです」
 零した声音が揺らぐ前に、色の違う眼差しが持ち上がる。瞬いたそれに銀の髪を写して、彼女は笑った。
「夏報さんは?」
「僕も飼ったことはないかな」
 無責任なのは、あまり好きではない。
「猫が特別好きって訳じゃないけど、こうして眺めてると可愛いなとは思うよ」
「そうだね……可愛いね、あの子」
「そのくらいがちょうどいいんだろうね」
 何かしてあげられるわけでもないし――。
 零れた声に揺らぐものは、ケイの目に映る猫が背負う感情に、よく似ていた気がする。彼女もまた良く知るそれに、何かを返せるわけでもない。
 再び零れた沈黙は、夏報の穏やかな声に遮られた。
「ありがとね」
 ――何にも聞かないでいてくれて。
「本当はさ、今夜一人でいるのがちょっと怖かったんだ」
 何のせいだったのか、分かっているような気もする。
 けれど言葉にすることはなかった。代わりに酒の入ったグラスを両手で握り、映り揺らぐ己の顔を見詰めている。
 その横顔から視線を外して、ケイの眼差しがそっと空を見た。
「そんな夜もあるよ」
 大河に零れる雨の残滓が、ほんの少しの音を揺らがせる。先より穏やかな沈黙に、ふいに視線を戻したケイが、悪戯を提案するように言うのだ。
「それなら、また朝まで飲んじゃう?」
「いいね」
 じゃあ――乾杯。
 掲げられたグラスを打ち付けるより先に、ケイの指が止まる。だから夏報も動きを止めて、彼女の眼差しをじっと見詰めていた。
「……私にもそんな夜が来たら、そのときは」
 それは、先の可能性を語ると言うには、すこしだけはっきりした声で。
 不確定な約束と言うには、確信じみた台詞だった。
「君を呼んでもいいかな」
 夏報が瞬く。見開いた金色の眸いっぱいに、夜空とケイが映り込んでいた。
 ゆっくりと――。
 その眦が緩む。
「……ふふ」
 思わずといった風に漏らした声は、多分、思うよりも嬉しそうに聞こえたのかもしれない。
「そう言ったからにはちゃんと呼んでね。約束だぞ」
 軽く打ち付けた硝子の中で、星の海が波打った。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

アストリーゼ・レギンレイヴ

ダン(f17013)と

お疲れさま、ダン
折角だもの、一杯付き合わない?
これが目当てだったのよ――なんて
ふふ、見透かされてしまうわね、流石に

だけれど、すごいわね
町の中をゆく星々の煌めきは
思わず目を奪われてしまいそう

――ねえ、ダン
もう、寂しくはないかしら?

なんとなく、そう聞いてしまったの
少し前に、星空を眺めて泣いている子の幻を見たのを
ふと、思い出してしまったから
それが、いつか、
星空に孤独を覚えると云った彼の言葉と、重なったから

――そう
それなら、よかったわ
(――よかったのかしら)(わからないけれど)

あたし? 
あたしは、いつだって平気だわ
今日は、尚更ね
(貴男が、いるから)
(それは、言葉に出さなくとも)


壇・骸

アスト(f00658)と

アスト。お疲れさんだ。
色々と世話になったな。……お前がそう思わずともなったんだよ。

では、同伴にあずかるとしよう。
ハッ。報酬目当てで動けるほど、器用な奴かよお前は。

こう見ると壮観だな。
いつも目にしているはずの景色ではあるが。
より、輝いている気がする。

――ああ。
星空が、見えるからな。

珍しく、素直に
むしろ、自然と口がそう答えた
星空には思い出がある
いつかの日にも。傍らのこいつと、共に見た記憶が
故に。一人で膝を抱える子供は、もういない

――お前は。
逆に、問うてみる

――お前は、どうなんだ。
幻を知っている
祝福の呪いを受けた幻を
その姿が寂しく覚えて
毅然と佇む彼女に、何故か面影を見たから




 並び歩く町並みは、きっといつもより活気を帯びているのだろう。
「アスト。お疲れさんだ」
「ええ。お疲れさま、ダン」
 猫からの謝罪を受け取ったアストリーゼ・レギンレイヴ(闇よりなお黒き夜・f00658)と壇・骸(黒鉄・f17013)は、特段の目的地なく歩いている。夜更かしの特別感にはしゃぐ子供たちを横目に歩く街はどこか浮かれた空気で、二人を取り巻く空気も少し、地に足をつけていることを忘れさせようとしてくるようだ。
 けれど、骸の声は揺らがない。
「色々と世話になったな」
「何のことかしら」
「……お前がそう思わずともなったんだよ」
 素知らぬ顔で言った女に、男の方は幾分と不満げな顔をした。じゃあ、そうね――続いたアストリーゼの声は、対価を差し出すように響く。
「折角だもの、一杯付き合わない?」
「ああ――では、同伴にあずかるとしよう」
「ありがとう。これが目当てだったのよ」
 ぱちりと片目を瞑った。茶目っ気を前面に――少々わざとらしいほどに――出した仕草に、骸が鼻を鳴らす。
「報酬目当てで動けるほど、器用な奴かよお前は」
「ふふ、見透かされてしまうわね、流石に」
 肩を竦めたアストリーゼが笑った。そのまま振り仰いだ満天に、己の片目と同じ金色が浮いている。
 それをじっと見詰めて――彼女の唇は、思わずと台詞を紡いでいた。
「だけれど、すごいわね」
 歩く町並みを照らす星は、まるで灯火のようだ。周囲の家々は皆電気を消して、きっと妖怪たちは外に出ているのだろうに、街灯のない路地だとは思えぬほどに明るい。或いは、煌々と輝く月のせいでもあるのだろうか。
「ああ。こう見ると壮観だな」
 骸もまた、目を細めるようにして空を見た。いつとて見上げればあるものが、これほどまでに美しく見えるのは、この世界が現代とは違う時間を過ごしているからだろうか。
 それとも――。
「――ねえ、ダン」
 不意に紡がれた言葉が、穏やかな響きを孕む。
 見下ろした先にアストリーゼの顔があった。じっと見詰める眼差しに、少しの寂寥と多くの真剣さを交えて、彼女の唇が問う。
「もう、寂しくはないかしら?」
 ――見たことがある。
 世界樹に出来た迷宮の中、星空を見上げて泣く子供の幻影を。ひとりぼっちで膝を抱える姿が、何故か隣の彼に重なって見えた。
 暫し――。
 流れる風が二人の間に沈黙を落とす。吹き抜ける感触に身を委ねれば、骸の唇が小さく声を紡いだ。
「――ああ」
 珍しいほどに素直な声になった。
 驚くほど自然と口を衝いた言葉が、一拍遅れて心を巡る。彼女と共に見たように、見上げた先の夜空には確かに思い出があって――だから、それが見えているならば、骸が膝を抱えている必要はない。
「星空が、見えるからな」
「――そう」
 揺らいだアストリーゼの声は、安堵ともつかぬ曖昧な色を湛える。
「それなら、よかったわ」
 そう言えども――。
 それが本当に良かったのか、分かりはしないのだけれど。
 首を横に振る彼女を一瞥した男が、掠れるような息を吐き出した。乗る声は少しだけ、低いような響きを帯びる。
「――お前は」
 果てなく重いものを託される誰かを、彼もまた、あの日に見ているから。
「――お前は、どうなんだ」
 零れ出た問いは、アストリーゼにその面影を見ていた。己の中でも何故かは分からない。それでも、祝福の呪いを受けて立ち上がる幻が、彼女に重なって止まない。
 暗闇の中に立つ姿は、どうしようもなく決意と覚悟に満ちていて。けれどそれは、ひどく寂しげにも見えたから――。
 問われる言葉に、アストリーゼが唇を緩めた。背負うものなど少しもないかのように。雨の帳の向こうに見た、暗渠の道なき道など――そこに映し出された己の感情に、知らぬふりをするように。
「あたし? あたしは、いつだって平気だわ」
 そうすると誓った。そうすると決めた。揺るぎない覚悟と共に闇を歩む足は、生半可なことでは揺らがない。
 揺るぐはずのない――ものだ。
 けれど――。
「今日は、尚更ね」
 ――貴男が、いるから。
 呑み干した言葉を孕んで、ふたいろの眼差しは満天の宙を見た。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ルパート・ブラックスミス
直接星空を見上げずに、高所からルーサンの傍で雨水の大河を見下ろす。

雨は、一晩限りとはいえ河を築いたな。
それは事実だけを見れば大通りを塞いだだけだが、
こうして見下ろす者がいれば、月と天の川を映す美しい水面だ。

一先ずだが、これがお前があの雨を抜けたからこそ見えたもの。
これも『ごしゅじんの猫』たるお前と、記憶なしのリビングアーマーの俺では感じるものも違うだろう。
同じ部分もあるやもだが。

進め。時は止まらない。雨の向こうは、まだまだ続く。

それにお前は独りでもないのだろう。
自分(るーさん)でさえ沢山いるのだ、淋しがってばかりも可笑しな話だろうさ。




 空よりも遠くに見えるような気がした。
 誰もいない高台で、ルパート・ブラックスミス(独り歩きする黒騎士の鎧・f10937)は地に出来上がった満天を見る。一夜限りの大河は、もうこれ以上は増水しないだろう。元凶の雨は晴れ、今は月と星ばかりが地を照らしている。
 ルパートの傍らには、彼から漏れ出る青白い光を見遣る灰色の猫がいる。ただ彼について来て、今も隣にいるその猫に、彼はゆっくりと声を投げかけた。
「雨は、一晩限りとはいえ河を築いたな」
 ――にゃあん。
 この景色を美しいと思わぬものはないだろうと、鎧騎士は思う。上空からの空など、滅多に見られるものではない。遠く揺らぐ大河の水面が、星々と月を少しだけ歪めて、緩やかにどこかへと流れていく。
 それもまた――。
 あのまま、雨の帳に鎖されていては、見えなかったものだ。
「一先ずだが、これがお前があの雨を抜けたからこそ見えたもの」
 猫の尾がゆらりと揺れた。耳を澄ませる仕草を一瞥して、ルパートは厳然と――しかし、どこか穏やかに言葉を紡ぐ。
「これも『ごしゅじんの猫』たるお前と、記憶なしのリビングアーマーの俺では感じるものも違うだろう」
 ――或いは同じところもあるのかもしれないが。
 少なくとも、この光景を美しいとは思っているだろう。見られて良かった――とも、思っているのかもわからない。
 そうして――。
 思う心を分け合えるのもまた、互いに雨の帳を抜け、肩を並べているが故なのだ。
「進め」
 未来はここにある。
 どれほどに苦しもうとも、どれほどの悲しみと寂しさに心が悲鳴を上げようとも――世界は続いていくのだから。その先にある全てを、過去の泪雨に鎖してしまうことを、してはいけない。
「時は止まらない。雨の向こうは、まだまだ続く」
 覆う曇天の向こうで、星空が煌めいていたのと同じだ。足を止めていては見えぬものがある。先に進めば――己だけが感ぜられるものと、誰かと分かち合えるものがある。
 猫は、それに納得したように、一声だけ鳴いた。ゆらりと揺れる尾へ目を遣ったルパートが、ふと息を漏らす。
「それにお前は独りでもないのだろう」
 身の裡に宿った迷い猫たち。零れ落ちて誰かに懐いたものもいるだろうが、その大半は残ったままだ。ごしゅじんと逸れ、或いは亡くし、別離を悲しんでいるのは――決して、ただ一匹だけではない。
 ならば背負っていけるだろう。共に生きるものが、沢山いるのだから。
「淋しがってばかりも可笑しな話だろうさ」
 己の身を見遣った猫が、にゃあ、と鳴く。ひどく嬉しそうに距離を詰めた灰色は、鎧の手に、そっと寄り添って空を見上げていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

水標・悠里
濡れてしまったのでタオルに包まりながら天と水面の星を見る
良かった、ご主人様に会えたんだね
今日の星はとても綺麗で、誰かと見て、この時の感情を共有できればな、と思った

一人になると決めたのに、僕は結局孤独になれない
誰かといる幸せを知り、肌身で感じ
それがあまりにも心地よかったから
どうしようもなく求めてしまう

もう、どうしようもなくて
あの日の、戻りたかった自分には戻れない
僕はただの蝶にはなれなかった
羽ばたくには余りに知りすぎて
地に足をつけて
人に甘えて、優しさに縛られていたいと思ってしまったから

やっと、貴女の祈り願ったことがわかった気がする
なんて身勝手で我が儘で
馬鹿な二人なんだろう

帰ろう
待ちくたびれてるかな




 ――ご主人に会えて、よかった。
 タオルに包まりながら、見据えた先の猫にそう思う。静かに見上げる星空の美しさに包まれながら、しかしほんの少しだけ、水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)の心は誰かを探した。
 天地を埋めるこの星々を、誰かと見たい。
 胸の裡に生まれるこの震えるような揺らぎを、誰かと分かち合いたい――。
 生まれ出でる衝動は、もう押さえつけるには大きくなりすぎていると自覚していた。孤独でありたい、独りになりたい、誰かと一緒にいるのは怖い――そう繰り返しながら、けれどそれに耐えがたい痛みを感じていることも、今はすんなりと胸に入り込んでくる。
 誰かの温もりに触れて、孤独の痛みを知った。
 独りでないことは代え難い幸福だ。あまりにも心地の良いぬるま湯のようで、それに浸り続けていることに警鐘を鳴らす己すらも溶かしてしまうほどに抗いがたい。
 どうしようもなく――悠里は、分かち合う誰かを求めている。
 冷たい独りの夜に戻りたかった。戻りたいと思っていたはずだった。そうするべきだと思っていた。思えているはずだった。少しずつ、あの日から離れていく己に、見て見ぬ振りをした。
 魂を乗せて運ぶだけの蝶。いずれ過去の海に沈み逝くこの身は、空っぽの器でありさえすればいい。
 けれど――そうはなれなかったということが、強く胸に響いている。
 余りにも多くを知りすぎた。この世界の彩りも、誰かの手の温もりも、縋り泣ける場所が齎す光明も。もう、この儚い翼で飛ぶには重すぎる。
 甘えていたい。
 地に足をつけたままで、己を縛る優しさに身を委ねて――ここにいたい。
 痛切に胸を締め付けるのは、なれなかったあの日を想っているからだろうか。それとも、遠からぬ未来にこの身を浸す冷たい水が恐ろしいからか。そうでなければ――ようやく認めた感情に、湧き上がる面影があるからだろうか。
 ずっと、疑問だった。
 姉が何を思ってあんなことをしたのか。悠里を独り遺したのか。けれどその祈りの一片が、今ようやく、実感を伴って掌に戻ってくる。
 身勝手だ。
 我儘だ。
 そう責め立てたい。泣いて喚きたい。けれど。
 己も同じだけ――そうだ。
 だから、悠里はゆっくりと立ち上がる。真っ直ぐに、星空を眸に焼き付けて。この日の思い出を、明日にも誰かに話して聞かせられるように。いっぱいに吸い込んだ光の渦があることを――分かち合えるように。
「――帰ろう」
 待ちくたびれてるかな。
 思い浮かぶ姿が鮮明に思い浮かぶことを、幸福だと思った。
 ――少年はそれを、惑いなく受け止めていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
○◇
……おつかれさま。おかえりなさい。

ねこさんは、元気になったかしら。
きっと、あたたかく迎えて貰えると思うけれど。
まだしょんぼりしているようなら、のみものを差し入れましょう。

あたしもねこさんも、お酒は飲めないものね。
せめてあたたかくしましょう。
あたしも、今日はあたたかくしたいきもちなのよ。
ミルクにあまい蜜を垂らして、ゆびさきをあたためながら、すこしだけ待ちましょう。
……ちょっとだけ猫舌なの。ひみつよ。

月が昇って、夜が更けて、きっとまた明日が来るのだわ。
生きているうちは、生きていくしかないもの。
終わってしまった時間がさみしくても、過ごした時間は、なくならない。
いつか、宝物になるといいわ。




「……おつかれさま」
 不意にかけられた声はやさしかった。
「おかえりなさい」
 顔を上げた猫の前に、ホットミルクを手にした花剣・耀子(Tempest・f12822)が立っている。やわくかすかな笑みを刷いた彼女は、揃いの液体が入ったカップを持って、そっと隣に腰を下ろした。
 氷雨のつめたさはまだ身に残っている。それはきっと猫も同じで、そのこころのさみしさは、まだ拭いきれてはいないようだったから――。
「せめてあたたかくしましょう」
 互いに酒は飲めない。
 星見をしながら飲むものは、格別なのだと妖怪が言っていた。それを確かめられるのも、とうぶんは先の話だ。
 だから、今は、カップにも熱を伝播させるようなミルクを一杯。
「あたしも、今日はあたたかくしたいきもちなのよ」
 言いながら持ち上げた星映すカップへと、とろり黄金色の蜂蜜をこぼし入れる。揺らしたカップがゆびさきに熱を伝えて、冷え切ってかじかんだそれを暖める。
 血を巡らせる感覚を感じるまま、口をつけない耀子に向けて、猫が不思議そうな顔をした。
 ――のまないの?
 問われれば、耀子は眼鏡の奥ですこしだけばつが悪そうな顔をした。唇にひとさし指をあてがって、囁くように漏らしたのは、ちょっとした弱点だ。
「……ちょっとだけ猫舌なの。ひみつよ」
 ――じゃあ、おそろいだ。
「ええ。いっしょね」
 猫もまた、自分の皿には口をつけていない。ひんやりとした風が頬を撫でて、すこしずつ高すぎる温度を冷ましてくれている間――。
 ほんのすこし落ちた沈黙を拾い上げて、耀子の唇が紡いだ。
「月が昇って、夜が更けて、きっとまた明日が来るのだわ」
 ミルクの表面に映る星空に、少女の顔が映っている。すこしかき混ぜるように揺らしたカップは、その表情を見えないように攪拌してくれた。
 そのまま――耀子は、息を吐くように続けるのだ。
「生きているうちは、生きていくしかないもの」
 黎明が見えるかぎりは。かえりたい場所にかえれなくても。
 紡がれるものを抱き締めていくしかない。未来に向かって踏み出していくしかない。時に強いいたみを伴って胸を締め付けるそれは、けれど決してわるいものではない。
「終わってしまった時間がさみしくても、過ごした時間は、なくならない」
 時が流れる限り、すこしずつ褪せていくのだとしても。
 忘れない。
 ――なくさない。
 抱えて生きていくものは、きっとこのこころを支えてくれる、大切なものに変わっていくのだ。
「――いつか、宝物になるといいわ」
 猫と共に見上げる夜空には、燦爛と星が煌めいていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

クック・ルウ
妖怪たちはさっぱりしたものらしい
気持ちの良い者たちなのだな
私も酒と、食べ物を分けてもらおう
きっと何を食べてもおいしい

猫の名はルーサンというのだったな
ごめんねと謝る様子はしゅんとしていて慰めたくなる
私も妖怪たちに倣ってカラリと笑おう
ありがとう、おかげで懐かしい景色を見た
この夜空を映す川もとても美しい

宴はきっと和やかで
そうした空気に触れていると
じんわりと心の中に満たされていくものがある
涙を流したあとだから尚の事なのだろう

星を眺めて今は懐かしい日々を思う
銀河の故郷は胸の中にあるのだと感じながら
師匠、クックは今日も生きているよ




 快哉と空を見上げるさまは、清々しいほどに輝いていた。
 妖怪たちにとっては慣れっこのものともなれば、世界の滅亡という危機に瀕してなお、その性根がさっぱりしているのも頷ける。金平糖を浮かべた酒を右手に、ナッツを盛った皿を左手に持って、クック・ルウ(水音・f04137)は上機嫌に屋根の上を歩いた。
 適当なところで腰を下ろせば、天地を逆さまにしたような――或いは鏡映しにしたような光景が、はっきりと目に映る。きらきらと輝く星の美しさがタールの体までもを埋め尽くすようだ。
 ああ、こんな星空の中で食べるものは、きっとなんだって美味しい――。
 けれど、隣には誰かがいた方が、もっと美味しい。そのことを、クックはよく知っている。
 しょんぼりとした様子の猫を招いた。確かルーサンというらしいその子は、未だに罪悪感を抱いているらしい。しょんぼりとした様子はどうにもいじましくて、慰めてしまいたくなるが――。
 ここはひとつ、妖怪たちに倣おう。
「ありがとう、おかげで懐かしい景色を見た」
 からりと笑ったクックの表情は、いたく晴れやかだった。その顔と声に顔を上げた猫の頭をそっと撫でてやる。それから誘うように下を向いた指先を、猫の視線はじっと追った。
「この夜空を映す川も、とても美しい」
 軒から零れる雨の名残が、時折水面に波紋を作る。そのたびに映し出される夜空が揺れて、新たな角度で光が見える。猫もまたその光景に目を輝かせて、にゃあ――と一声鳴くものだから、そのまま穏やかな宴が始まった。
 クックの掌が猫の和毛を撫でる。誰からもらったのか、ミルクを口まわりにつけたままの灰色を拭いて、彼女も金平糖が溶ける星見の酒に口をつける。
 ――ああ、やっぱり美味しい。
 美味しい食べ物に、酒。美しい夜空と、一夜限りの星映しの大河。隣でごろごろと喉を鳴らす温もりが、じわりと胸にあたたかな波紋を広げていく。
 胸を締め付けるような、けれど決して痛くはない。そのやわらかな喜びと幸福が、いっとう強く感ぜられるのは――きっと、クックが存分に泪を零したからだ。
 食卓を囲む誰かが隣にいた日。優しく懐かしい、穏やかな日々が、今もこの胸に焼き付いている。ありありと浮かぶその幸福が、ひやりとした風に揺れる灯火になって、この心へと灯っている。
 目を伏せて顔を持ち上げれば、指先に感じる和毛の熱だけが、より鮮明に伝わってくる。
 ――師匠。
 遠くあるそのひとを想う。まなうらに描いたその表情を、ゆっくりと開いた目に飛び込むいっぱいの星空へ映して、彼女はそっと唇を緩めた。
 ――クックは今日も生きているよ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

コッペリウス・ソムヌス

雨上がりの青い空はよく見かけるけれど
夜露に濡れた景色も良いものだね
雨に濡れた通りを歩きながら
傘を共にした猫たちの元へ
流れ星でも一緒に探さないかい、と

一応眠りの神ではあるから
望まれたこと極力叶えようとは思うんだけど
願いかける星を探すのって
何かを見つけようとするのに
似ているなぁ、と感じて
雨に隠れていては瞬きも見えないし
猫たちは大切なものに、もう一度逢いたかった
……オレは

流れ星見えても見えなくとも
この景色は君たちが
見せてくれたものだろうから
ご一緒してくれてありがとうね

オレの望みは誰にも託したりなんかしないよ




 星空の光を、雨上がりの路地が己のものとするようだ。
 虹の架かる快晴を見ることはあっても、夜景をして雨上がりのそれと称することは少ない。けれども見上げた先の夜空は燦然と輝いていて、コッペリウス・ソムヌス(Sandmann・f30787)はそっと眸を細めた。
 傘を下ろしたままで歩く路地裏には、人の気配はそう多くない。どうやら今日一番の出し物である地面の天の川に釘付けらしい。その喧噪を横目に、ゆるゆると周囲を巡る双眸が探すのは、雨を共にした猫たちの姿――。
 果たして、それらはすぐに見付かった。
 灰色の猫に翼はない。中心にして集まっているのは、その体に宿っていた魂たちの一部だろうか。大小様々、模様もそれぞれの猫たちが一斉に見上げるものだから、コッペリウスは思わずちいさく笑ってしまった。
「流れ星でも一緒に探さないかい」
 誘いに応じた猫たちの足は、めいめい眠りの神を追う。星々がいっとう見やすい小高い丘へ導かれるままに、彼の周囲に座り込んだ。
 ――出来うる限り、願いを叶えたいとは思うのだ。
 コッペリウスは眠りの神である。司るのが夢とうつつの境界であるのなら、懐いたものを現実と成すのもまた、ありようのひとつなのだけれど。
 ちらりと揺れる流星に目を細める。隣の猫たちが一心に祈るのは、一体何だろうか。自身の主人に出逢えることか、それとも――。
 そうして必死に願掛けの星を探して、切実に目を伏せ祈る姿に目を移した。まるで何かを探し当てるような、そうでなければ探し当ててもらえることを願うような――どこか、見たことのあるような姿をしている。
 そうやって――。
 探すものも、探すことも。
 雨の帳を抜けた先で、夜空が見えねば出来ぬことだから。
 猫たちは、無事に雨を抜け出した。見詰める先に、大切なものに逢いたいと、ただそれだけの願いを宿して。
 ならば。
 ならばコッペリウスは――。
 ふと静かに目を伏せて、息を吐いてから目を開く。煌めく星々に翳りはない。滑り落ちていく星屑の欠片の行く先も分からないけれど、きっと猫たちの願いは届いているのだろう。
「この景色は、君たちが見せてくれたものだろうから」
 集まる和毛たちの頭を順々に撫でやる。優しい指先に擦り寄るその子たちをゆっくりと眺めて、彼は小さく息を漏らした。
「ご一緒してくれてありがとうね」
 ――コッペリウスの懐いた心底の望みは、何にも託したりなどはしない。
 流れる願いの結晶たちの下で、一人とひとつと沢山は、暫し空を振り仰いでいた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

汪・皓湛

屋根の上へ
頂いた茶を一口飲んだらタオルは濡れ剣の万禍に
先に使えという友の声にはお前を拭き終えたらなと

それまでは大人しく拭かれていてくれ
ほら
月と星の川が実に美しいぞ

気軽に言って目を向けた先
夜空と一晩限りの川に在る輝きはあまりにも見事で

…本当に美しいな

だが月を見るとあの夜を
宵栄を思い出して胸が痛む

花を咲かす事しか知らなかったあの頃から随分と経った
万禍と出逢い、戦い方を覚えた
強くなったという自負が、あった
なのに己の心が
願いが、わからない
すべき事は、解っているのに

私は、宵栄と戦えるだろうか

出来る、とすぐに聞こえた友の声
迷いの無い声で胸の痛みが薄れていく

有難う
お前に誇れる私で在れるよう、励まなくてはな




 温かい茶が、冷えきった体によく染みる。
 思わずと安堵の息が零れる。揺れる濃い緑を楽しむのもそこそこに、渡されたタオルを友へと被せた汪・皓湛(花游・f28072)の指先が、濡れ剣を慣れた手つきで拭った。
 ――先に使え。
「お前を拭き終えたらな」
 幾ら不満げであろうとも、そう言われてしまえば万禍に抵抗のすべはない。手も足も持たぬ友の体を丁寧に拭きやりながら、皓湛の眸は刃の気を逸らさんとする。
「ほら。月と星の川が実に美しいぞ」
 軽い――。
 揶揄い文句ついでの世間話のつもりだったのだが。
 果たして本当に奪われてしまったのは、彼の目の方だった。満天の星空を写し取った大河の表面は、時折零れる波紋に星を揺らし、風雅な光景を生み出している。
 ましてそこに満ちた静寂の、何と荘厳であることだろう。
「……本当に美しいな」
 星々を見ながら零した皓湛の声は、しかし僅かな愁いに揺らぐ。一つも声を出さぬ剣の身を緩やかに滑る白を、眸は捉えていない。
 見ているのは、月だ。
 あの満月の下で信じた者に裏切られた日が、未だ胸裡を巡っている。嗤う顔すらも鮮明に――。
「私は――」
 ――思えば遠く歩んだものだ。
 花を咲かせることしか知らなかったあの日から、数多の道を辿ってきた。万禍と出逢い、戦うすべを知り、それを己がものとして。
 皓湛は強くなった。
 自負はある。この身に積んだ研鑽を忘れてはいない。どれほど強大な敵が現れたとしても、己は戦いに赴くだろう。戦場のうちを駆け抜けていけるだろう。
 それなのに――。
 波紋が揺らぐ月下の大河を見下ろした。屋根越しに映る己の顔が見えない。軒先の雫を跳ねさせる月に、余計に惑うような心地がする。
 ――分からない。
 すべきことは解っている。そこにはもう逃げ道がないことも。どうあっても相容れぬものになった以上、為せることは互いにただ一つだ。
 だというのに心は揺れている。不明瞭になった己に何度問うても、答えは二つに引き裂かれては混ざり合い、そうして再び同じ曖昧さを湛えるだけだ。
 己はどうしたいのだろう。
 この身に懐く願いは、一体何処に向かっているのか――。
「宵栄と戦えるだろうか」
 ――出来る。
 凜然と声が戻った。視線をやった先、タオルにくるまれた友は、はっきりとした声で言った。
 込められた絶大な信だけを、ただ心に感ずる。身を裂くような痛みが遠くへ消えるから、緩やかに微笑む唇に、もう憂いはない。
「有難う」
 万感の思いを込めた言葉が夜気に揺れる。
「お前に誇れる私で在れるよう、励まなくてはな」
 ――分かったら、そちらの番だ。
 言われて手に取ったタオルの感触に、皓湛は笑った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

アパラ・ルッサタイン
そうか、雨は止んだのだね

受け取ったタオルで拭きながら
お言葉に甘えてどこかの軒先をお借りしよう
貴方がたも無事で良かった
なんてとりとめのない会話を楽しんで

途中濡れた猫がいれば抱き上げて
ほら、あなたも冷えただろう?
ちょいとこの石くれの休息につきあっておくれな

熱いほうじ茶をすすって
夜の川のような羊羹をつついて
やあ、ありがとう
どっちもうまいなあ

新たに寄って来る猫を度々手招いて
ああまだ濡れてる子がいるのかい?
再びタオルで拭いて
寂しいと肌寒くなるだろう
こちらへおいで
この石くれだってちょっとはあたたかいだろう

あ、ちょいと
この羊羹はあたしのだよ?

柔らかな毛を撫で宙を見上げる
今宵ばかりは星と月明りが主役
良い夜だね




 満天の晴れ間の中で、たまたま訪れた先は団子屋だった。
「おお、綺麗な姉さんが濡れちゃいけないや。ご無事で何よりさ」
「貴方がたも無事で良かった」
「慣れっこなんでね。このくらいは日常茶飯事だよ」
 気の良い女将が豪快に笑う。渡されたタオルをありがたく受け取って、アパラ・ルッサタイン(水灯り・f13386)もまた緩やかに笑声を返した。あれよあれよと整えられていく彼女の居場所は、流石の手際だと舌を巻くほどだ。
 五分もすればすっかり綺麗になった椅子に腰掛け、止める間もなくああ食べるものを用意しなくっちゃ――などと消えていく背を見送って、彼女は暫し宙を見る。
 雨上がりの星々は、冴えた大気によく映えた。この光景を見られたのなら、それこそ感謝すべきだろうと小さく笑みを刻むアパラの前を、ふと横切る影があるから。
「ほら、あなたも冷えただろう?」
 ひょいと捕まえられて、灰色の猫はきょとんと目を瞬かせた。膝に運んだその子を撫でながら、彼女は穏やかに声を紡ぐ。
「ちょいとこの石くれの休息につきあっておくれな」
 ――やがて提供されたのは、淹れ立てのほうじ茶と、金粉を散らされて天の川を閉じ込めたような羊羹だ。
 火傷しそうなくらいが丁度良い。渋みの最中に羊羹の仄甘さが解けて、良い具合に舌を刺激する。
「やあ、ありがとう。どっちもうまいなあ」
「だろう? うちの名物なんだよ」
 ゆっくりしていっておくれ――と気前の良い声は、アパラを常連にするためだろうか。もしそう目論んでいたとしたなら、きっと大正解だ。
 言葉に甘えて星を見上げる。膝の上で眠った猫を撫で、甘みと渋みに舌鼓を打ちながら、地を行く影は見逃さない。
「ああ、まだ濡れてる子がいるのかい?」
 ――なんて手招き続けていれば、いつの間にやら大量の猫が傍にいた。茶トラにキジトラ、ブチに黒猫。寂しいと肌寒くなるからとかわりばんこに抱いてやれば、すっかり人気者だ。
「この石くれだってちょっとはあたたかいだろう」
 にゃあにゃあと鳴く猫の合唱も心地良い――上機嫌に目を伏せたアパラの隙を逃さなかったキジトラの手は、しかし目を閉じていたはずの彼女に阻まれた。
「あ、ちょいと。この羊羹はあたしのだよ?」
 不満げな声もご愛敬。猫に食べさせるには些か良くない。
 寄ってくる和毛を撫でてご機嫌を取りながら、アパラはじっと宙を見た。ひらめき続ける今宵のひかりの前には、如何なる灯りも脇役だろう。
 それで良い。
 それが良いと――思う。
「――良い夜だね」
 零した声には猫の合唱が応えて、ひとりと沢山の夜は更けていく。

大成功 🔵​🔵​🔵​

三上・チモシー
○◇
どこか座れる場所を貸してもらって、濡れたるーさんたちをタオルでふきふき
雨降ってるのに頑張ってくれてありがとねー
……でもさぁ、少し数減らしてくれてもいいんじゃない?
多いよ……何匹いるの? ねぇ

腕疲れたー
あっ、ルーサン。ふふっ、元気になった?
おいでー♪ みんなでお星さま見よう

流れ星!
『ごしゅじん』さんが、ゆっくり眠れますように
骸魂になっても、心配して迎えに来てくれたんだよね
それに、ごしゅじんさんが迎えに来たから、自分もこうして迎えに来れた
今回のことが無かったら、きっともっと時間が掛かってた
ありがとう、ルーサンの所に来てくれて
どうか安らかに

じゃあみんな、うちに帰ろっか!




 鬱陶しげに水滴を払う灰色に、ぽふりと純白のタオルを被せる。
「雨降ってるのに頑張ってくれてありがとねー」
 慣れた手つきで猫の体を拭き取る三上・チモシー(カラフル鉄瓶・f07057)が笑う。基本的には水を厭う猫たちだ。自分たちの仲間を探すためとは言えど、雨の中の行軍は些か負担だったろう。
 それはチモシーも理解している。
 ――しているのだが。
「……でもさぁ」
 僅かに眉根を顰めた彼が、そっと眸を持ち上げた。
「少し数減らしてくれてもいいんじゃない?」
 通算――多分、五十八匹目くらいのるーさんである。
 呼べば来る。大変な数で来る。チモシーの腕は二本しかないし、るーさんたちはめいめい好き勝手に遊んで泥まみれになっているし、既にこのタオルも六枚目だ。大体十匹も拭けば使い物にならなくなる。
「多いよ……何匹いるの? ねぇ」
 問うても猫は応えない――というよりも、チモシーの声にあまり集中していない。限界を訴える腕を動かし続けて、ようやく解放されたときには、痺れたような感覚しかなくなっていた。
 腕疲れたー――などと悲鳴を上げて、ようやく座り込んだ彼の前に、灰色の猫がもう一匹。
 猟兵たちにすっかり綺麗にされた毛艶で、ルーサンが鳴いた。
「ふふっ、元気になった?」
 ――にゃあん。
 少し離れた場所で鳴く姿には、もう先のような憂いはない。だからチモシーも、屈託なく笑って膝を示すのだ。
「おいでー♪ みんなでお星さま見よう」
 見上げる夜空は壮観だ。煌めく星々の光に照らされて、沢山の猫とその主の化け猫は、何かを探すように目を凝らした。
 果たして――。
 目当ての尾を引く星は、すぐに夜空へと線を引いた。
「流れ星!」
 それぞれの願い事を祈る猫たちを横目に、チモシーは穏やかに目を伏せる。祈るのはただ一つ――『ごしゅじん』さんが、ゆっくり眠れますように。
 骸魂になってまでも、迷い続ける猫を心配して迎えに来てくれた。それがどれほど猫たちを喜ばせただろう。主が自分を愛してくれていたという証を、ここに刻めたということが。
 それに――その巡り合わせが、チモシーを導いた。はぐれて泣いているルーサンを、迎えに来ることが出来たのだ。
 ともすれば今回のことがなくとも逢えたのかもしれない。それでも、もっと多くの時間が掛かっていたはずだ。今ここで、こうして膝の上にいる温もりを撫でてやれるのは、間違いなくそのひとのお陰だから。
 ――ありがとう、ルーサンの所に来てくれて。
 どうか安らかに――。
 心からの祈りが夜空の星へと昇っていく。静かなそれを知る者はなく、けれどそれで良い。
 暫し夜気が撫でる頬の感触を楽しんでから、チモシーは軽やかに立ち上がった。
「じゃあみんな、うちに帰ろっか!」
 ――応える沢山の猫たちと一緒に、ルーサンもまた、ひどく嬉しそうに鳴いてみせた。


 そうして一晩の宴は明ける。
 雨は止み、覗いた燦爛の奥より、確かな黎明が立ち昇るから。
 ――みんな、おうちにかえろうか。

大成功 🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2021年01月26日
宿敵 『迷い猫『ルーサン』』 を撃破!


挿絵イラスト