●序『黄昏かくれんぼ』
赤々と輝く夕陽が、煌めく海面にゆっくりと沈んで行く。白き砂浜は黄昏の彩に染まり、其処に佇む男の影をより濃い物にした。
赫く燃える海は切ない程に美しく、総ての命は此処から始まったのだと――今ならそう信じられる。けれども、神秘の海に惹きつけられるのは人間ばかりでは無いのだ。
「あーあ、見つかっちゃった」
夕陽を背負い、燃える水面を踏みつけながら現れた“それ”は、人の容をして居た。されど、其の儚げな躰が纏う毒々しい程に甘い馨と、夕陽すら凌駕するような神々しさは、彼女が人間では無い事を厭に成るほどハッキリと教えてくれて居る。
黄昏時は、誰そ彼時。目の前に居る者が人で無くとも、何ら不思議は無い。非力な人間が出来る事と云えば、無事に帰路へと着けるよう――ただ、天へ祈ることのみ。
「怖がらないで、だいじょうぶ」
砂浜に小さな足跡を刻んで、“それ”は近づいて来る。同時に甘い馨もより一層強くなって、男のこころと脳はぐるぐると掻き乱された。
菓子よりも甘く、花よりも匂やかな馨。込み上げる多幸感、恐怖と混乱に湧き上がる悪心。回転する眸、ふらつく脚。ちかちかと明滅する意識、眩しすぎる夕焼け。
「ねえ、幸せにしてあげる」
訳も分からず蹲る男の側へ、ぺたり、ぺたり。たいそう優しく歩み寄る、小さな足音と慈しむような聲。
砂浜に映るふたりのシルエットがまるで、女王と其れに傅く従者めいて居たものだから。ふと視線を下げた“それ”は、無邪気に笑う。
その日、男はひとつの真実を知った。
――神と云う存在は、少女の容をして居るのだ。
●閑『青い鳥の噺』
「幸福の青い鳥の正体って何だと思う?」
僕は妥協だと思うンだけど――。集った面々に視線をくれた神埜・常盤(宵色ガイヤルド・f04783)が零した科白は、聊か唐突なものだった。
どういう意味か問いかける言葉が降る前に、男は至極マイペースに話を進展させて往く。
「まァ、其れは置いといて。事件だよ、諸君」
胡乱な男いわく、人間の「噂」で増殖するUDCが発見されたらしい。其のUDCは“第一発見者”を敢えて生かしたまま逃がし、自身の存在を「噂」として広めさせて居る。
何を隠そう、噂が広がる過程で生じる「精神エネルギー」を餌として、大量の配下を生み出す事こそがUDC――彼の邪神の目的なのだ。
「君達をこれから現場に送り届けよう。場所はとある島の廃屋」
其処には“第一発見者”が居る筈だ。そして厄介なことに彼はいま、亡者の如きUDCに囲まれて居る。人々の精神エネルギーが、噂を広めた彼の元へ集っているのだ。
「あァ、第一発見者の情報も伝えておこうか」
第一発見者は、知留間・躬弦(チルマ・ミツル)という39歳の男性だ。未知の存在と遭遇してしまった所為か、予知で見た彼は不安定な印象を受けたと常盤は語る。
「彼の生死は問わないが、邪神の居所を聞く迄は生かしておく事をお勧めしよう!」
とはいえ、UDC達にとって発見者は大事な“給餌機”である。そう易々と手に掛けられることも無いだろう。兎にも角にも、先ずは集ったUDCの群れを殲滅して貰いたい。
「それじゃァ、いってらっしゃい」
鋭い牙を覗かせながら笑う男の手元にて、グリモアがくるくる、くるくる。紅の光を放ちながら緩やかに回り始めた。
誘う先は邪心が蠢く狂気の世界――UDCアース。
華房圓
OPをご覧くださり、ありがとうございます。
こんにちは、華房圓です。
今回はUDCアースにて、心情シナリオをお届けします。
●一章〈集団戦〉
亡者はあなたに『深淵』を見せます。
彼らと対峙した途端、あなたの脳裏には悪夢のように、
「恐れている光景」や「見たくない光景」が流れ込んで来るでしょう。
あなたはその深淵にどう立ち向かうのでしょうか。
心情中心にプレを書いていただけると幸いです。
また、戦闘に関しては「倒す」程度の記載で大丈夫です。
●二章〈冒険〉
目撃現場は怪奇現象の所為で、幻想の海辺へと変貌しています。
其処には、嘗てあなたが『失くしたもの』が有ります。
其れを幻の海へ還す事が出来たなら、あなたは夢から醒める事が出来るでしょう。
『失くしたもの』と再び分たれるのが惜しければ、共に海へ還ることも可能です。
但し入水した途端に、あなたは夢から醒めてしまうでしょう。
●三章〈ボス戦〉
黒幕UDCとの戦闘です。
●目撃者『知留間・躬弦(チルマ・ミツル)』
邪神に魅入られた男。ゆえに狂いかけています。
会話は問題なく出来ますが、無理に構わなくとも大丈夫です。
猟兵達の邪魔に成ることもしません。
●〈お知らせ〉
シナリオの性質上「一章」と「二章」につきましては、
「おひとりでのご参加」を推奨させていただきます。
なお「三章」につきましては、ご自由にどうぞ。
どの章からでもお気軽にご参加いただけますと幸いです。
単章のみの参加も大歓迎です。
一章のプレイングは、断章追加後に募集させていただきます。
またアドリブの可否について、記号表記を導入しています。
宜しければMS個人ページをご確認のうえ、字数削減にお役立てください。
それでは宜しくお願いします。
第1章 集団戦
『深淵に至る亡者』
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POW : 私は此処にいる・俺は待ってる・僕は望んでいる
技能名「【おびき寄せ】」「【誘惑】」「【手をつなぐ】」の技能レベルを「自分のレベル×10」に変更して使用する。
SPD : 僕は君の仲間だ・私はあなたと一緒・俺はお前と共に
敵を【無数の手で掴み、自らの深淵に引きずり込ん】で攻撃する。その強さは、自分や仲間が取得した🔴の総数に比例する。
WIZ : 俺は幸せだ・僕は全部理解した・私は誰も赦さない
【妄執に魂を捧げた邪教徒の囁き】【狂気に屈したUDCエージェントの哄笑】【邪悪に巻き込まれた少女の無念の叫び】を宿し超強化する。強力だが、自身は呪縛、流血、毒のいずれかの代償を受ける。
イラスト:V-7
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴
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種別『集団戦』のルール
記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
●壱ノ幕『パナギアの寵幸』
視界が未だ、ちかちかと明滅している。眩しい夕陽から逃れる為に、昏い所へ行きたかった。頭が未だ、ズキズキと疼いている。此の痛みから逃れる為に、静かな所へ行きたかった。――だから、打ち棄てられた廃倉庫に潜り込んだのだ。
ふらつく脚で最奥まで辿り着き、壁に背を預けた侭へたり込む。銀色のスマートフォンを起動させれば、くらりと眼が眩んだ。
――嗚呼、けれども、私にはやるべきことが有る。
震える指で匿名の日記サービスへとアクセスする。使用する“HN”は「狂信者」、タイトルは「神の恩寵」――これで、いいだろうか。息を整えながら、只管に文字を打ち込んでいく。
『どうか、信じて下さい。私は――』
◆
39年間、男は不足の無い人生を送って来た。名門の中高一貫校へ進学し、一流の大学に合格。その後は法曹としての道を順調に歩み、小さな町に自身の名を冠した法律事務所を構えている。
『私は、神を見ました』
非の打ち所のない人生だと、ひとは言う。――然し、幸せを感じたことなんて一度も無かった。彼には、愛すべき妻も子も居ない。そもそも、ひとを愛したことが無い。ゆえに、当然ながら独身である。温かな家庭を築くことに憧れてはいたが、恋愛に興じるには余りにも理性的過ぎたのだ。
『そして私は、生まれて初めて“幸せ”を感じました』
愛すべき家族のいる幸福など、とっくの昔に諦めていた。無味乾燥の日々を、死ぬまで淡々と送るつもりだった。それなのに、――男は出逢ってしまった。
『神は少女のカタチをしているのです』
煌めく海面に沈みゆく夕陽を背負いながら、ゆらりと現れた蒼い少女は“ファム・ファタール”と呼ぶに相応しい。然し、彼にとっては紛れも無く“聖女”だった。
『蒼い少女を信じなさい』
咽返るほどに甘い馨に包まれながら意識を散らした後、男は幸福な夢を見た。愛すべき妻が居て、愛すべき子どもがいて、温かな家庭と共に自分は生きている――。そんな、麻薬のような夢だ。
『そうすれば、幸せになれるでしょう』
やがて目を覚ました男に向かって、蒼い少女は自己紹介をしてくれた。“ツミコ”――其れが彼女の名前なのだと云う。明るく笑う少女と「さよなら」の挨拶だけを交わして、彼は海辺を後にした。
彼女は多くを語らなかったが、やるべき事は何故か分かって居た。遍く人々に“神”の存在を広めること。それが狂信者たる、己の役目。
『ツミコ様を信じなさい』
こんな嘘みたいな噺、誰も信じないだろう。しかし、何処かのもの好きが面白がって此の記事をシェアしてくれると、男は心の底からそう信じて居た。
どんな形でも構わない。噂を広めればきっと、“ツミコ様”は再び慈悲を下さるだろう。最後の一文を打ち込んだなら「忠誠の証」を全世界へ、――発信。
『私は確かに、神を見たのです』
●閑その弐『悪夢への誘い』
猟兵達が転送された先、――朽ち果てた倉庫のなかは薄暗い。硝子がすっぽりと抜けてしまった窓はあるけれど、其処から射し込む光は無かった。星も月も無い鬱々とした夜だけが、倉庫の外に広がって居る。
薄暗い闇の奥で、ぼんやりと光を放っているのは液晶ディスプレイの灯だろうか。夜眼が効く猟兵ならば、光の向こうでスマートフォンを弄り続ける男の姿を捉えることが出来た筈だ。
乱れた黒髪を整えることもせず、眼鏡のレンズ越しにスマートフォンを凝視し続ける男こそ、件の第一発見者『知留間・躬弦(チルマ・ミツル)』その人だろう。
其れなりに整った貌は憔悴の色が濃い。瞬きひとつせずに液晶を見つめ続ける其の姿は異様であるが、何よりも狂気的なのは――。
『私は、此処にいるわ……』
『俺はお前と共にある。さあ、深淵に至ろう』
『僕は全部理解した。僕は全部理解した。僕は全部……』
蠢く無数の亡者の「手」に囲まれて居るにも拘らず、其れに気付く素振りすら見せない点であろう。男は邪神に魅入られて、こころを囚われ掛けていた。見兼ねた猟兵達が知留間へ声を掛けようとした、其の時。
――ぐるり、無数の手が一斉に猟兵達の方へ向く。
嘗て狂気に侵されて、深淵に飲み込まれた者達が、「お前も此方へ堕ちて来い」と謂わんばかりに手招きをしているのだ。
なんとも気味が悪く、悍ましい光景だ。しかし、目を離せないのは何故だろうか。バラバラの科白を囁く無数の聲は呪詛の如く脳裏に染み渡り、猟兵達の意識もまた深淵へと落ちて行く――。
<補足>
・本章は「おひとりずつ」の返却を予定しています。
・NPCの「知留間」とは会話可能ですが、構わなくても問題ありません。またプレイングに記載が無い限り、彼はリプレイには登場しません。
・戦闘に関しての言及は「倒す」程度で大丈夫です。
・皆さんの心情をたくさん聴かせて頂けると幸いです。
・アドリブOKな方はプレイングに「◎」をご記載頂けると嬉しいです。
<深淵について>
・見たくない光景や恐れている光景など、ご自由な発想でどうぞ。
・性的要素を一部でも含むプレイングは、不採用とさせて頂きます。申し訳ありません。
・過度にグロテスクな表現は、適宜マスタリングさせて頂きます。ご了承ください。
シキ・ジルモント
◎
知留間・躬弦を救出する為に敵から引き離そうとしていた、はずだったのだが…
流れ込む光景に足が止まる
俺が見たくないもの、恐れている光景
…それは、何かを喪う瞬間だ
昔、俺を助けてくれた恩人が目の前で死んでいった時のように
さっきまで隣に居た存在が、次の瞬間には呆気なく喪われていく
二度と見たくないと思っていた光景が流れ込んでくる
救おうとした者や、よく見知った者が、次々と…
落ち着けと自分に言い聞かせ、耳へと意識を集中して敵を探す
…そうだ、これは敵を探す為
決して見たくないものから意識を逸らす為ではない
逃げてはいない、逃げてはいけない…逃げられない
―それ以上は、考えないように
敵に向けて銃を構えて、引き金を引く
●第一夜
シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は、真面目で職務に忠実な猟兵である。現場に到着した彼は先ず、第一発見者の男『知留間・躬弦』を敵地から救出しようとした。
彼のポリシーは“完璧”に仕事を熟すことだ。シキは亡者達の間をすり抜けながら廃倉庫の奥へと素早く駆けて行く。
犠牲者が出てしまっては、“完璧”とは程遠い結果になってしまう。早く彼を亡者達から引き離した方が良いだろう。
「おい――……」
憑りつかれたように液晶画面を覗き込む男に声を掛けようとした刹那、手招く腕がふたりの間に割り込んで来た。――聲が、聴こえる。
『赦さない……』
ただの亡者の戯言だと、頭では分かって居た。けれども、脳裏に流れ込む光景に思わずシキの足が止まる。
いかなる時も冷静であろうとする彼が、見たくないものとは。他人に弱みを見せることを厭う彼が、もっとも恐れている光景とは、一体何か。
――それは、何かを喪う瞬間だ。
最初に蘇ったのは、恩人を喪った時の記憶。嘗て自身を助けてくれた人を、シキは助けられなかった。眼の前に居たのに、護ることも出来なかった。
その時に感じた無力感は、忘れようにも忘れられない。だからこそ彼は、完璧な仕事を目指して居る。
さっきまで隣に居た存在が、次の瞬間には呆気なく命を落としている。貧民街でも戦場でも、きっとよくある事だ。けれども、そんな光景は二度と見たくない。ゆえにシキは、熱心に職務を熟し続けた。しかし、現実は甘く無い。
救おうとした者の命が、此の手を幾つも擦り抜けて行った。護れなかった命を想う程、彼の心は公開に染まって行く。
それだけでは無い。よく見知った者たちも、次々と敵の凶弾に倒れて行った。どうして俺は無力なのだろうか。そう想わずには居られない。
――落ち着け、ただのフラッシュバックだ。
よくあることだ、問題ない。そう自分に言い聞かせて、シキは灰毛の狼耳へ全神経を集中させる。好もしくない種族特徴も、たまには役に立つらしい。
あくまでこれは、敵を探す為の行為だ。決して見たくないものから、“意識を逸らして”いる訳では無い。
――逃げてはいない。逃げてはいけない……。
そう、シキ・ジルモントは逃げられない。救うべき人を護れなかった罪悪感からも、仲間を喪った無力感からも。そして、彼に命を繋いでくれた人が遺した想いからも。
逃げてしまってはきっと、彼らの死も無駄になってしまう。だからそれ以上は考えないようにして、シキは白銀の銃を両手で靜に構えた。胸元で揺れる銀のペンダントは、彼に勇気を与えてくれる。
青い双眸はいま、真っ直ぐに敵を見据えている。ちらつく故人の貌を脳裏から無理やり追い出せば、不気味に手招く亡者に向けて確りと引鉄を引いた。
第一発見者たる民間人を護る為に。――そして、仲間の命を護る為に。
成功
🔵🔵🔴
スキアファール・イリャルギ
◎#
(――水の中に居た
浮かんでく泡を目で追えば
幾つもの管や呼吸器に繋がれた躰が
狭い硝子の筒に詰められてることに気付く
嗚呼、それだけで記憶が
被験体にされた日々が蘇って厭なのに
痛くて苦しくて辛いのに
ぼんやりとした視界の奥
硝子の向こう側に同じような筒が幾つも有って
その中で蠢くのは
"私"?)
あ、
あぁ
いやだ
つくらないで
"私"をつくらないで
"私/怪奇"を、人を殺す道具にしないで!
戦争の兵器として量産しないで――!!
……"こんなもの"は
"泥梨の影法師/化け物"はひとりだけでいい
誰も悍ましい影になんてならなくていい……
――だから
ひとつものこさず
"私"をころしてやる
うるさい
私はもう泥梨へ堕ちてんだ
黙ってろ!!!
●第二夜
深淵に意識を沈めたスキアファール・イリャルギ(抹月批風・f23882)は、ふと目を覚ました。病的に白い躰を包み込む、生ぬるい液体。
自分はいま水の中に居るのだなと、ぼんやりとした頭で思考する。だとすると、掠れた視界の端で浮かんでは消えるシャボン玉は、きっと泡沫なのだろう。己の唇が漏らした空気の残滓が、泡と化し天へ昇っているのか。
こぽり、浮かび上がって来る泡を視線で追う為に貌を背けようとするが、何故だか頸が動かない。――そこで初めて、彼は自身が拘束されていることを知る。
培養液で満たされた狭い硝子筒のなか、天と地から伸びる無数の管に、スキアファールは繋がれていた。
――嗚呼、厭だ……。
斯うしていると、非検体にされた日々のことが蘇る。数多の管が身体中に噛みついていて、じっとしていても痛い。それに呼吸器が有ったとしても、水の中は息が思う様に出来ず苦しい。なにより、実験動物のように扱われるのは辛い。
嫌悪と嘆きを裡に抱きながら、ぼんやり霞む視界で彼は硝子の外に広がる世界を眺める。どうやら薄暗い部屋の中に、自分は陳列されているらしい。
硝子の向こう側に、同じような筒が幾つも並んで居るのが気になって仕方がない。中には何が入っているのだろう。よくよく目を凝らしてみると、筒のなかで何かがふと蠢いた。
ぎょろり、無数の“瞳”が硝子越しにスキアファールを睨め付けて居る。
――……“私”?
ぞくり、全身に怖気が走った。慣れ親しんだ“怪奇”が恐ろしい訳では無い。ただ、この部屋の中で行われている“試み”が恐ろしかった。
(「あ、あぁ――……」)
血の気の失せた躰が、小刻みに震える。此の身を非検体にした連中は、“私”を量産しようとしているのだ。
いやだ、つくらないで。こころの底から、そう叫ぶ。けれど、水の中では聲など響かない。紡いだ想いは泡沫と化して、儚く消えてしまった。
(「"私"をつくらないで」)
見開いた双眸に蠢く無数の“私”を映しながら、スキアファールは懇願する。されど、硝子の筒に入れられた彼は、段々と増えて行く。
連中は何故、怪奇人間を量産するのか。嗚呼、そんなの決まって居る。
(「"私"を……“怪奇”を、人を殺す道具にしないで!」)
怪奇現象と云うものは悍ましく、恐ろしい。特に彼が其の身に宿す『影人間』の特性は、凄まじく冒涜的だ。けれど、本来怪奇というものは人を楽しませる為に生まれたもの。誰かを傷つける道具にしていい筈が、ない。
(「戦争の兵器として量産しないで――!!」)
スキアファールの聲無き叫びは、硝子の内側で虚しく泡沫へ溶けて行く。外側で蠢く数多の眼に射抜かれながら、彼は覚悟を決めるようにそっと、瞼を閉ざした。
“こんなもの”は……“泥梨の影法師”は、自分ひとりだけでいい。誰も悍ましい影になんてならなくて良いのだ。
――だから。ひとつものこさず、"私"をころしてやる。
眼を開く。視界はもう、霞んで居なかった。『影人間』の呼び名は、スキアファール・イリャルギこそが相応しい。さあ、紛いものどもに「オリジナル」の力を見せて遣ろう。
「うるさい」
腹を括れば、意外なほど簡単に聲が出た。刹那、彼の白い躰が燃え盛る炎に包まれる。業病に侵された命を燃やしているのだろうか。水中だと云うのに、炎が消える様子は無い。
ぴしゃり、硝子の表面に幾つもの罅が入る。まるで卵の殻が破られるように、ピシピシ軋む音を立てながら、硝子の筒は朽ちて行く。
「私はもう泥梨へ堕ちてんだ」
低い聲が、広い世界に響き渡る。躰に纏わりつく管を乱暴に引き抜いて、“人間の成り損ない”は、世界へ大きな一歩を踏み出した。
「黙ってろ!!!」
彼の怒りに呼応するかの如く、炎は囂々と燃え盛る。荒ぶる其れは蠢く影人間たちへ延焼し、悍ましき其の姿をただの燃え差しへ転じさせ、――亡者を灰へ還したのだった。
成功
🔵🔵🔴
縹・朔朗
◎
夜は
心が落ち着く時でありながらも
深い闇に呑まれそうな感覚に陥る時がある
今日はそれが一段と強い
きっと奥にいる男性のように
私も深淵に呑まれてしまうだろう
せめて、其れに気付くようにしたい
――来る!
…目の前が暗い
脳裏に流れるは
鎖ざした過去の記憶
暗闇の閉鎖空間と
毒蟲にも似た罪無き人々
それらを…私は喰っている
そして私は“最後に残った”
人間蠱毒
何と悍ましい
道士でありながら己が呪物であると言うのか
それを受け入れるのはまだ難しい
――ですが、今の私は怪物であるも同然
呪詛込め、深淵を喰らいましょう…!
月一閃
途端に視界は開ける
倒せ、ましたか……
●第三夜
雪桜の青年――縹・朔朗(瑠璃揚羽・f25937)は、夜の静寂がよく似合う。或いは静謐な立ち姿と人間離れした美貌が、そう想わせるのかも知れぬ。そんな朔朗にとって、夜は馴染み深く心落ち着くひと時だ。
けれども、ふと深い闇に呑まれそうな感覚に陥る時がある。そして今日は、そんな感覚を一段と強く感じるのだ。
神秘的な色香で妖すら虜にする彼だからこそ、この世ならざる者の気配には敏感だった。自身もまた奥に居る男のように、深淵に呑まれてしまうのだろう。
せめて“呑まれたこと”に気づけるようにと、長い睫を伏せた朔朗は静かに呼吸を整えながら、亡者達の誘いを待つ。ふと、自身を取り巻く空気が変わったことに気付いた。
――来る!
双眸を思い切り開いた青年の視界には、ただ闇だけが広がって居た。自身の『深淵』は、ただの暗闇なのだろうかと頸を傾げた、刹那。フラッシュバックの如く脳裏に流れ始めるのは、彼の良心が蓋をした過ぎ去りし日の記憶。
いつか、暗闇の閉鎖空間に閉じ込められたことが有る。独りきりではない。少なくない数の人々と一緒だった。暗闇から出ることが出来るのは、ただ独り。
ならば、出られ無い者たちは如何なるのだろう。その答えは、脳裏に流れ込む映像が教えてくれた。
罪のない人々が、力なく大地に横たわっている。何かを噛み砕くような音が聴こえて、思わず耳を塞ぎたくなるけれど、真実から目を背けることは出来なかった。
だって、それらを喰っているのは、
――…………私だ。
それは、人間を材料に用いた蠱毒だった。朔朗は儀式の勝者として“最後に残ってしまった”のだ。――嗚呼、此の身は何と悍ましい。
震える指先で口許を覆いながら、ふらつきそうに成る脚に喝を入れる。此処で倒れてしまえばきっと、己は過去に喰われて仕舞うだろう。
こんな時でも、朔朗は策略家らしく合理的に施行を巡らせていた。悍ましい過去と確り向き合わなくては、深淵を乗り越えることなど、きっと出来ない。
「道士でありながら、己が呪物であると言うのか……」
目の当たりにした真実を口に出せども、それを受け入れるのは未だ難しい。胸中に込上げる複雑な感情を発散するように、彼は掌をぎりりと握り締めた。一度だけ深呼吸して、乱れた吐息を整える。學徒兵たるもの、如何なる時も冷静で在れ。
――……ですが、今の私は怪物であるも同然。
陰陽師でもあり、呪物でもある自身なら、呪詛を飲み込むくらい容易いこと。彼は腰に携えた退魔刀『氷輪』に指を這わせて、鞘から透き通った刀身を抜き出して見せる。
其れだけの動作なのに、周囲の空気が少し澄んだような気がした。手応えに小さく頷いた朔朗は、氷輪を大きく横へと薙ぎ払う――!
それは、闇を切り裂く“月一閃”。刀身の煌めきは周囲に広がって居た暗闇も亡者も、すっかり飲み込んでしまったようだ。開けた視界の先に、手招くUDCの影は無い。
「倒せ、ましたか……」
朔朗は安堵の吐息をひとつ零した。未だ迷いは振り払えねども、きっとそれで良い。正気さえ保って居れば、この先幾らでも己と向き合うことは出来る。
だから今はただ、優しい夜の闇に心を委ねて居よう。
成功
🔵🔵🔴
清川・シャル
恐れている……
絶対ないってわかってるんですけど、またひとりぼっちになること、かなぁ…
皆がシャルに背を向ける
誰もシャルに気付いてくれない
ここにいるよ
存在を誇示するように金棒を奮っても気にも止められない
それが怖いから、あまり人と深く関わろうとしてないし、通りすがりの鬼ですって名乗る
けれど、それじゃ余りにも言い表しきれない固い絆の友達や彼が出来てしまった
反動として、孤独が酷く怖くなるのも仕方ないとは、頭ではわかってるんです
もし本当にそうなったら、私は固く心を閉ざすだけ……「だけ」、って言いきれるでしょうか…
●第四夜
清川・シャル(無銘・f01440)は、今時の女子中学生らしい溌溂とした少女の一面と、戰を好み闘争に狂うような羅刹らしい激しい一面を併せ持つ、“ただの一戦力”である。
同じ年頃の少女達よりも大人びたシャルは、いかなる戦場においても冷静だ。猟兵として様々な経験を重ねてきた彼女は、“深淵に呑まれた”いまこの時だって動じて居ない。
けれども、シャルもまたひとである故に。「恐れて居るもの」が無い訳ではない。周囲に広がる薄暗い闇を見つめながら、彼女は過去に思いを馳せた。
清川・シャルは忌み子である。羅刹の父と吸血鬼の母から生まれた彼女の容姿は、たいそう恵まれていた。
雪のように白い肌、きらきらと輝くブロンドの髪、海の彩を映したような蒼い眸。西洋のお姫様の如き其の顔貌は、彼女の故郷において「異端」過ぎるものだ。故に、彼女は狭い匣庭の中に閉じ込められ、その存在に蓋をされていた。
もしも両親が傍にいてくれたのなら、匣になんか入れられず、密やかにそれでいて幸せな幼少期を送ることが出来ただろう。けれど、父も母もシャルが生まれてすぐに、鬼籍に入ってしまった。だから故郷に居た時の彼女は、ずっと孤独だった。
シャルが恐れて居ることは、また“ひとりぼっち”になることだ。勿論、そんなことは絶対ないって分かって居る。――けれど、深淵はそんな彼女にすら、厭うべき幻想を見せるのだ。
薄暗い闇の中にふと、大好きな友人たちや恋人の姿が見えた。なにか聲を掛けようとするシャルを無視して、皆が彼女にふいと背を向ける。誰もシャルの存在に気付いてくれない。まるで、彼女を“いないもの”として扱って居るように。
「――ねえ、ここにいるよ」
存在を誇示するように、桜色の金棒をぶんぶん奮う。けれど、ひとりとして気にも止めない。誰もシャルに気付く素振りを見せない。
存在を無視されるのは、何よりも恐ろしい。ゆえにシャルは、あまり人と深く関わろうとしない。世界を渡り人を助ける時も、敵と対峙する時も彼女は決まって斯う名乗る。
『シャルは、通りすがりの鬼ですよ』
どうせ“いないもの”にされてしまうなら、自分のことなんて知られなくていい。けれどシャルには固い絆で結ばれた友達や、運命の絲で結ばれた恋人が出来てしまった。彼等の前では「通りすがりの鬼」だなんて、そんなこと、――もう言えない。
ひとの温もりや優しさに包まれるほど、孤独が酷く怖くなるのは仕方のないこと。聡い少女はその事をちゃんと理解していた。
――もし本当にそうなったら、私は固く心を閉ざすだけ……。
心を閉ざす“だけ”……?
頭ではそう思考することが出来たとしても、果たして“心”は彼女の思考に従ってくれるだろうか。自分自身、ほんの少し疑問に思う。
それくらい、彼女のこころは沢山の宝物を抱えて居た。大切なひと達のことを想いながら、シャルは闇を祓うように金棒を振う。どすり、手応えを感じれば闇が少しずつ晴れて行く。
嗚呼、やっぱり此れはただの悪夢だ。廃倉庫の汚れた床に視線を落とし、シャルはひとり息を吐く。耳に飾ったタンザナイトに触れれば、少しだけ安心した。
だいじょうぶ。もう、シャルは一人じゃない。
成功
🔵🔵🔴
琴平・琴子
…どうして。かつての同級生の姿が見えるんですか…?
暗がりが怖くて学校へ行きたくないと言った事を怖がりと馬鹿にされた事
その暗がりには何かがいて、何かが居たというのを信じてくれなかった
間違っている事を間違っていると言っただけなのに真面目ぶってと陰口を叩かれた事
寄り道はしてはいけないと言っただけなのに
私は私を、両親が褒めてくれた様に誇れるように、勉強も、合唱だって頑張っただけなのにそれで嫉妬された…
どうしてそんな事ばかり…見たくない、聞きたくない、思い出したくもないのに!
でも私は何も悪くないと胸を張ります!
そんな深淵を見せて、後悔なんてしないといいですね?
●第五夜
廃倉庫に足を踏み入れた筈の少女――琴平・琴子(まえむきのあし・f27172)は、いつの間にか教室の中にいた。
少し身じろぎしただけで、古びた木造りの床がぎぃぎぃと鳴く。塗装が所々剥げている壁には、幼さを遺した筆跡で綴られたそれぞれの「夏の想い出」が貼られていた。
どこか見覚えのある光景に、琴子の鼓動が早くなる。彼女は不思議の国に招かれた『アリス』だ。いまも尚、自分の扉を探している。それなのに、何故。“見覚えのある教室”が、目の前に広がって居るのだろうか。
「……どうして」
凍り付いたように動きを止めた琴子の視線の先には、教室の隅でひそひそと噂話に興じる同級生たちの姿が在った。見開いた翠色の双眸が、苦し気に揺れる。彼女の脳裏に過るのは、嘗て同級生に投げ掛けられた心無い言葉の数々。
琴子は学校に行くのが好きではなかった。通学路にふと現れる暗がりが、学校の至る所に潜む暗がりが、とても怖くて……。
ハッキリとした性格の彼女は周囲へ、「学校へ行きたくない」と訴えたのだ。けれど、同級生はそんな琴子のことを「怖がり」だなんて馬鹿にした。
とても、悔しかった。
暗がりが漠然と恐ろしかった訳ではない。その暗がりには“何か”が居て、此方をじっと見て居るように思えて、――それが恐ろしかったのだ。
けれど、同級生たちは信じてくれなかった。小学生にもなってそんなことを言うなんてと、さらに馬鹿にされる始末。
彼らの悪意には、ちゃんと理由が在った。教室の隅で此方をにやにやと眺めながらヒソヒソ噺に興じる同級生たちを眺めつつ、琴子は物憂げに眸を伏せる。
きっかけは、放課後の帰り道のことだった。いつもの通学路を外れてあらぬ方向へ向かおうとしている同級生の姿を、琴子はその視界に捉えたのだ。
彼女は間違っている事を「間違っている」とハッキリ告げる気性だ。ゆえに、「寄り道をしてはいけない」と同級生に注意した。子供を狙う大人は何処にでもいると、学校でも教わった。あの子が危ない目に合うといけないと、そう思ったから――。
陰口を叩かれるようになったのは、それからだ。わざわざ注意をしてくれた彼女の優しさに気付かぬ同級生は、「真面目ぶって」なんて琴子を馬鹿にした。
勉強も合唱も得意な琴子は、もともと周囲の子供たちに嫉妬されて居たのだ。彼女は彼女で、一生懸命に努力を重ねていたことも知らずに……。
琴子はただ、両親が褒めてくれたように。誇れる「私」で居る為に、正しいと思ったことをしただけなのに。
「どうして、そんな事ばかり……」
震える少女の唇から、哀し気な呟きがそっと零れ落ちた。裡に抱いている想いを、分かって貰えないのは辛い。胸の奥が、かぁっと熱くなる。こころが、痛みを訴えている。
――見たくない、聞きたくない、思い出したくもないのに!
それでも深淵は、眼を背ける事も、耳を塞ぐ事も許してはくれない。琴子の幼いこころは、憤りに飲み込まれそうになる。
けれど、彼女の記憶は悲しいものばかりでは無い。両親はなんでも褒めてくれたし、見知らぬ地で助けてくれた「王子様」との出会いだって有った。
「私は何も悪くないと胸を張ります!」
自分を真っ直ぐな子に育ててくれた両親へ“誇れる私”で居たいから。あの日手を差し伸べてくれた王子様に、少しでも近づきたいから。
琴子は確りと胸を張り、凛とした眼差しで真っ直ぐに、ただ前だけを見据える。
「そんな深淵を見せて、後悔なんてしないといいですね?」
彼女が握りしめた革命剣が、教室の窓から射し込む日差しを浴びてきらりと光った。琴子には、深淵を乗り越える強さが有る。
空いた手で“お守り”たる防犯ブザーのスイッチを押せば、けたたましいサイレンが鳴り響く。
その音色に勇気づけられながら、彼女は教室を、否――戦場を果敢に駆け抜けるのだった。
成功
🔵🔵🔴
エンジ・カラカ
◎
シンエン
覗いたら、シンエンもコッチを見ている覗いている
うんうん、知ってるヨ
賢い君、賢い君、手招きしてたねェ
見えた見えた?
何が見えた?
アァ……青い鳥、賢い君。
今は動かない賢い君。
シンエンにいる君は青い鳥じゃない
なら誰だろうねェ?
本物の君カナー。
シンエンを覗いた所でコレは動揺しないのサ。
だってだって、知っている。
世の中には恐ろしいかったり
理不尽なコトがたーっくさんあるなんて知っている
隣の牢獄に居たアイツも前のアイツもみんなみーんなサヨウナラ
コレのシンエンはカワイイモノなのサ
そうだろ賢い君。
だからこの景色もぜーんぜん怖くない
牢獄のパーティーよりやさしいねェ
そうだろ、賢い君。
●第六夜
“深淵”、――UDCアースにおいてはよく聞く言葉だ。エンジ・カラカ(六月・f06959)とその相棒『賢い君』は、何せとても賢いからすぐにピンときた。
“シンエン”を覗いたら、シンエンもコッチを見ている、覗いている。
何処で聴いた常套句だったか忘れてしまったけれど、シンエンとはどうやら“そういうもの”らしい。
「うんうん、知ってるヨ」
かくり、かくり。座らぬ頸を上下に揺らしながら、エンジは掌に乗せた青い小鳥へ話しかける。賢い君は拷問具であるゆえに、返事が来ることなんて無いけれど――。
「賢い君、賢い君、手招きしてたねェ」
見えた見えた? なんて、燥ぐように言葉を重ねるエンジは愉し気だ。亡者の手招きをじっと見つめていれば、現と夢の境目も曖昧に成って行く。
「何が見えた?」
再び、賢い君へと話しかける。矢張り、返事は無い。賢い君は青い鳥。エンジの賢い相棒であり、彼の愛しい番。嗚呼、今は“もう”動かない賢い君。
掌からふと、視線を逸らした先。其処には薄暗い牢獄が広がって居た。成る程、これが“シンエン”らしい。彼が生まれ育った牢獄と、どうやら少し似ているようだ。
そして、その牢獄の真ん中で佇むのは、――賢い君。けれど、現実とひとつだけ違う点がある。深淵に居る彼女は青い鳥じゃないのだ。
「――なら、誰だろうねェ?」
掌に乗せた何も語らぬ青い鳥に向けて、エンジはかくりと首を傾げて見せる。彼女の姿に全く見覚えが無いという訳でもない。あれは、きっと――。
「本物の君カナー」
深淵には場違いな程に呑気な科白が響いた。“シンエン”を覗いた所で、エンジは動揺なんてしない。だって、彼は知っているから。
世の中には恐ろしかったり、理不尽なことがたくさん、たくさん有るのだ。
発展した此の世界――UDCアースにもきっと地獄は在るのだろう。けれどエンジは、吸血鬼が闊歩する世界、ダークセイヴァーに産み落とされた身。違う階層の地獄を厭と云うほど月色の双眸に写してきた。
隣の牢獄に居たアイツも、彼の前に其処に入ってたアイツも。みんなみーんな“サヨウナラ”。それが、「おはよう」の挨拶と一緒に武器が飛び交う牢獄における“ボロ雑巾”たちの末路。
この目に写した醜い現実と比べると、“本物の賢い君”がじっと此方を見つめて居るだけの深淵など“カワイイモノ”だ。
そうだろ、なんて。青い鳥に問いかける彼の口許は、相変わらずにんまりと笑って居る。
「牢獄のパーティーよりやさしいねェ……」
数多の亡者が手招くだけの光景なんて全然怖くは無かった。だって彼等は、挨拶がてらに武器をぶん投げたりして来ないから。ああ、なんとお行儀の好い異形たちなのだろう。
「そうだろ、賢い君」
本物の彼女もきっと同意してくれるだろう。――あの牢獄よりも酷い地獄は無い、と。エンジが掌をゆるりと振れば、青い鳥は従順に嘴から美しい宝石を零してくれる。
毒が滲んだ其れをパラパラとばら蒔けば、陰気な亡者たちはキラキラの輝きに彩られながら、ずぶずぶと溶けて行った。――アァ、さようなら。
成功
🔵🔵🔴
荻原・志桜
◎
恐れていること
目を強く瞑って頭振っても脳裏から消えてはくれない
呪に蝕まれて大切な人が消えてしまう
わたしの声は届かない。この想いも届かない
あの人の中にわたしはいない
彼の幸せを希う未来は潰えて
優しくあたたかな笑顔も
見て触れることが喜ばしいと大切にする心も
全てが泡のように消えてなくなる
本当は彼が彼らしく在ることができるなら
あの人が心から幸せでいてくれるなら
わたしのこと忘れても良いと思っているんだ
――ウソ。本当は怖いしイヤだよ
当たり前だよね、ふたりで重ねた思い出が全部なくなるんだもん
でもわたしは彼が望む未来をあげたい
嫌われたとしても絶対に守りたい
この覚悟だけはもうできてるんだ
陣から数多の鎖を敵に穿つ
●第七夜
廃倉庫に足を踏み入れた、桜色を纏った少女――荻原・志桜(桜の魔女見習い・f01141)もまた深淵と向き合っていた。彼女にはひとつ、恐れていることが在るのだ。
それは、――呪に蝕まれて“大切な人”が消えてしまうこと。
彼女の脳裏に流れ込む光景は、まさに“それ”だ。目を強く瞑っても、ふるふると頭を振っても、その光景は脳裏から消えてくれない。
彼女の声は届かない。この想いも届かない。あの人の中に、志桜はいない。
まるで積み重ねて来た「ふたりの時間」を否定するように、その深淵は彼女のこころを酷く締め付ける。
嗚呼、彼の幸せを希う未来が潰えて行く。
優しくて、あたたかな笑顔も。青い眸と見つめ合い、穏やかに触れ合うことの喜びも。それらを大切に想うこころすらも。
彼との全てが、泡のように消えて無くなってしまう……。
――奪わないで、消えないで、置いて行かないで。
志桜のこころは聲無き悲鳴を上げていた。喉から熱が込み上げてきて、目頭がかあっと熱くなる。彼女は愛しいひとと“共に歩む”未来を望んでいる。
けれど、彼が彼らしく在ることが出来るなら。あの人が心から幸せでいてくれるなら。忘れられても構わないと、志桜はそう思っている。でも、本当に?
――そんなの、ウソ。
こころの裡で自問自答した少女は、力なく頸を振った。彼の幸せを望む気持ちは本物だし、自分らしく生きて欲しいという思いも本当だけれど。「忘れられても構わない」なんて、唯の強がりに決まって居る。
――本当は怖いし、イヤだよ。
当たり前だ。ふたりで重ねた思い出が全部無くなるなんて。そんなこと、堪えられる筈がない。大切に積み上げてきたものが“摂理”の前に崩れ落ちて行く様を、黙って見て居られる筈が無かった。
「わたしは、彼が望む未来をあげたい」
そんなことを願う自分は、我儘だろうか。けれど、溢れる想いはもう止められない。だって、志桜は彼と“恋に落ちてしまった”から。
「嫌われたとしても、絶対に守りたい」
もちろん、嫌われるのだって怖いけれど。ふたりの想い出が無くなることに比べたら、きっと未だ耐えられる気がした。
「その覚悟だけは、もうできてるんだ」
そう告げる彼女の眸に、もう迷いは無い。少女の指先がオリジナルの魔導書を捲れば、手招きを続ける亡者の真下に淡桜色の召喚陣がぼんやりと浮かび上がった。
「顕現せよ天の楔、穿て――」
凛と響いた詠唱を合図として、魔法陣の輝きが強くなる。其処からするりと伸び往くは、白銀色の数多の鎖。それらは次々に亡者達を貫いて、慈悲深い闇の中へと還していく。
成功
🔵🔵🔴
アオイ・フジミヤ
幸福とは自由だと知っている
昔、島の領主だった青年のもとに居た頃
地元の権力者だった彼は何人もの幼い少女を商品として囲っていた
どうして私達は、ああいう風に生きられないの?
共に過ごした姉妹達の美しい泣き顔を思い出す
高台にある屋敷の窓から
夜通し続く祭りに燥ぐ同じ歳くらいの子供達の笑顔をよく見ていた
豪華な監獄の中で
空よりも遥かに手が届かない自由に焦がれ
無条件の愛と庇護を受る子供達を羨んでいたあの頃
ねえ
あの時の私達に出来たのは
泣くことではなかったよ
生き抜くだけでよかったの
覚悟などとっくに決めている
声など聞こえない
UCで敵のUCごと押し流す
私はいまを生きている
青い翼をもって
たったひとりと出逢える未来にいる
●第八夜
確かに廃倉庫へ足を踏み入れた筈だったのに――。アオイ・フジミヤ(青碧海の欠片・f04633)はいま、朽ちた建物とは似ても似つかぬ豪奢な部屋の中に居た。
柔らかな絨毯が敷かれた床、煌めくシャンデリアが揺れる天井。広い窓から射し込む月光が、佇む蒼い乙女の横顔を穏やかに照らして居た。
この光景には、見覚えがある。ざわつく胸を落ち着かせるように窓の方へ、そっと歩み寄れば、何処までも続く昏い海と、何処までも広がる夜空が見えた。
眼下に並び立つ家々から飛び出してくる人々は、みな何処か楽し気だ。何か催しでも在っているのだろうか。もう夜中だと云うのに、広場の方がやけに明るい。
彼らの賑やかな営みは何処か別世界の物に思えて、アオイはそうっと長い睫を伏せる。
この部屋は、いや――、この“屋敷”はどうやら高台に建って居るようだ。嗚呼、矢張り此処は、嘗て閉じ込められて居た「豪華な監獄」。
ほら――、背中越しに幼い少女たちの啜り泣きが聴こえている。振り返れば其処には、共に窮屈な時を過ごした「姉妹たち」の姿が在った。
ほろほろと、真珠の如き涙を零しながら嗚咽を漏らす彼女たちの泣き貌は、ひどく儚げで大層うつくしい。
『どうして私達は、ああいう風に生きられないの?』
其の島の領主だった青年は、何人もの幼い少女を「商品」として屋敷に囲っていた。権力者たる彼の所業を咎められる者など誰も居らず、商品たちはただ“売られる日”を待つのみ。
ゆえに可憐な花々は、喪われた“自由”に恋焦がれ窓の外からよく下界を眺めて居た。鳥籠の外は空よりも遥かに遠く、幾ら手を伸ばしても絶対に届くことは無い。
夜通し続く島の祭りに燥ぐ子ども達の笑顔は、空に輝く太陽よりも眩しかった。同じ年頃のあの子達は、あんなに自由に走り回っているのに――。
どうしてアオイは、うつくしい姉妹たちは、こんな鳥籠の中に閉じ込められているのだろう。
無条件の愛なんて、そんなもの知らなかった。ただ、大人たちから庇護される「普通の子供たち」が羨ましかった。だから彼女達はただ、涙を流すことしか出来なかった。――本当に、それしか出来なかったのだろうか。
「ねえ」
アオイは静かな足取りで、啜り泣く姉妹たちの傍へと歩み寄る。彼女たちと視線を合わせるように銃弾の上へと腰を落としたならば、花唇を震わせてそうっと言葉を告げる。
「あの時の私達に出来たのは、泣くことではなかったよ」
諭すように囁いた科白は、ひどく優しく鳥籠のなかで響いた。眸の端から涙をぽろぽろと零しながら、姉妹たちは彼女の貌を見上げて来る。
「生き抜くだけで、よかったの」
ただ、それだけだったのに。現実は何処までも儘ならない。自身が“やろうとしていること”に思いを馳せて、アオイは蒼い双眸に姉妹たちの貌を確りと写す。
覚悟など、とっくに決めていた。蒼い乙女は眸を閉ざし、祈るように両手を組み合わせた。もう、声なんて聞こえない。
だから、“私の海”で“総て”を押し流す――。
「私は、いまを生きている」
愛しいひとがくれたハイヒールで確りと地面を蹴って、蒼い翼を羽搏かせながら乙女はふわり宙を舞った。瑠璃色の波に押し流されて行く幻想からは、決して眸を逸らさない。
彼女はいま、たったひとりと出逢える未来にいる。深淵になど留まっては居られないのだ。昏い夜に蒼い魔法をかけてくれた彼の元へ、帰らなければならないから。
成功
🔵🔵🔴
ベアトリーチェ・アデレイド
◎
あら、随分と殺風景な場所です事
こんな場所では、いるだけで気が滅入ってしまいますわ?
話しかけた瞬間
目の前には貴方がいた
今は私の糸で繋がれ、私の糸でしか動く事がない貴方が
ダンテ…
昔のように、優しくわたくしに微笑んで、名を呼び、手を差しのべてくれた
思わず彼に近付いたその瞬間
彼の背後にお父様が現れた
あぁ…お願い
止めて
わたくしには何をしてもいいから
お父様の従順な人形に戻りますから
どうか、どうか!
彼を、彼の心を奪わないで!!!
思わず顔を覆った指に繋がる糸に気付く
ダンテ…
糸を手繰り寄せ人形になった彼を引き寄せる
素敵な悪夢をありがとう…
お礼に、全てお返しいたしますわ
業は全て己に帰るもの
あなたも、わたくしも
●第九夜
朽ちた倉庫は伽藍洞。汚れた床と、元が何だったかも知れぬ瓦礫の欠片と、崩れ始めた天井しか無い、薄暗くて寂しい所だ。
「――あら、随分と殺風景な場所ですこと」
そんな有様を目の当たりにしたミレナリィドール――ベアトリーチェ・アデレイド(永遠の淑女・f10669)の花唇から、思わず溜息が零れる。
ただでさえ殺風景な廃倉庫のなか。気味の悪い亡者たちが此方に手招きしているなんて、悪い冗談だとしか思えない。
「こんな場所では、いるだけで気が滅入ってしまいますわ?」
奥で液晶画面に見入った侭の男にそう話しかけた、その瞬間。世界はぐにゃりと歪み、深淵は麗しき乙女人形にも悪夢を見せる。
ふと気が付くと、ベアトリーチェは闇の中で佇んで居た。けれど、“独り”では無い。目の前には、――彼が居る。
流れるような銀絲の髪は美しく、蒼い双眸は涼やかで、凛々しい佇まいが頼もしい。けれど今は青い絲で繋がれて、其れを手繰らない限りは動けない筈の“貴方”が居た。
彼に絡みつく絲は、無い。それがベアトリーチェのこころを騒つかせた。だって、あの絲は――。
「ダンテ……」
表情を凍り付かせた乙女の唇は、無意識に愛しき彼の名を紡ぐ。彼が青絲を自分の意思で切り裂いてくれる日を、彼女はずっと待って居た。
それなのに何故、厭な胸騒ぎがするのだろう。昔と同じように、彼は優しく微笑みかけてくれているのに――。
『ベアトリーチェ』
とても穏やかな聲で、彼が名前を呼んでくれる。あの日彼女がそうしたように、そっと手を差し伸べてくれる。
近づかずには、いられなかった。ベアトリーチェが一歩、足を踏み出した瞬間。彼の背後から、一人の男が現れる。
その姿を忘れられる筈も無い。それはベアトリーチェの想像主であり、彼女の護衛たる“ダンテ”の想像主。嗚呼、あれは、――お父様!
「あぁ……」
二歩目は、踏み出せなかった。これから「父」が、ダンテに何をするか知って居たから。だから、凍り付いたかの如くその場に留まって、顛末を見守ることしか出来なかった。
「お願い、止めて……」
懇願は届かない。愛しい彼の躰へ、「絲」が絡みついて行く。差し伸べられた彼の手が、かくりと力無く垂れた。――まるで、操り人形のように。
「わたくしには何をしてもいいから」
だって、彼を連れ出したのは“わたくし”なのです。
そう、責めを受けるべきなのは彼じゃない。それなのに、絡みつく絲は彼の自由を奪っていく。涼やかな眼差しから、穏やかな唇から、みるみる内に生気が奪われていく――。
「お父様の従順な人形に戻りますから……どうか、どうか!」
――彼を、彼の心を、奪わないで!!!
変わり行く彼の姿を見続けるのは忍びなくて、乙女人形は思わず顔を覆う。ふと、指に何かが絡みついていることに気付いた。……青い絲だ。
「ダンテ……」
そうっと其れを手繰り寄せ、人形と化してしまったダンテを引き寄せる。今の彼は“亡骸”同然なのだ。その腕はもう、彼女を抱き締めてくれない。その唇はもう、彼女の名を囁いてはくれない。
それでも、ベアトリーチェは希望を信じていた。だからこそ、此処で立ち止まる訳にはいかない。繋いだ絲に力を籠めて、自らを庇わせるかの如く護衛人形を――、ダンテを自身の前へと立たせた。
「素敵な悪夢をありがとう……。お礼に、全てお返しいたしますわ」
深淵には、深淵を。呪詛を受け止めたダンテは、手招く亡者たちに向かって何度も呪詛を放っていく。悪夢の如き「深淵」に呑まれた彼等は、慈悲深い闇の中にずぶずぶと沈んで行った。
「業は全て己に帰るもの。あなたも、――わたくしも」
絡みついた絲が、ぎりりと甘く、乙女の指先を締め付けた。
成功
🔵🔵🔴
蘭・七結
◎
いっとうの彩
あまく噎せ返るあかい海
ひとつ、ふたつと浮かんでいる
大切なあなたたちと、あなたの姿
嗚呼、また
この惨劇をみせるというの
誰も彼もが左胸を穿たれていて
わたしの手にはおんなじもの
彼岸と此岸の残華でも
悪縁を絶つ黒鍵でもない
鋭くきらめく留針
手にした凶器も胸に潜む衝動も
わたしはしっている
しって、しまったの
いのちとこころを蒐集するもの
憧れを抱き『人』を望む殺人鬼の姿
人になりたい
その為に人のいのちを喰らう
あやめたい
あやめたくない
矛盾した慾望がぐるぐると渦巻いてゆく
こんな結末はいらない
いらないの
すべて攫ってしまえばいい
あかい光景が消えてゆく
恐れを抱いた最悪の結末
それなのに、なぜ
“私”は、わらっているの
●第十夜
蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)の前にはいま、赫い海が広がって居る。其れは彼女にとって、いっとう好もしい彩。噎せ返るほどに甘く馨る其れが、唯の水であろう筈がない。
……では、なあに?
ぷかり、ぷかり。赫い海にゆうらりと漂う“もの”が、其の答えだろう。ひとつ、ふたつと浮かんでいるのは、大切な“あなたたち”と、愛しい“あなた”の姿。
――……嗚呼、また。
この惨劇をみせるというの。牡丹一華の少女は、物憂げに紫水晶の眸を伏せる。彼女の前に広がって居るのは、親しいひとたち、そして愛しいひとが流した血の海だ。
誰も彼もが左胸を、――心の臓を穿たれていて。其の有様と来たら、嗚呼、なんと悍ましいこと……。
けれど、七結の手にはいま“おんなじもの”が握られている。其れは、彼らの胸を穿ったもの。
――わたしは、しっている。
其の凶器は、彷徨う魂を送る為の『彼岸と此岸の残華』でも、哀しき命に救いを齎すような『悪縁を絶つ黒鍵』でもない。其れは鋭く煌めく“留針”、ただ人を殺す為だけの道具だ。
いっとうの彩に染まった少女の指先は、彼等をそんな目に合わせた下手人が誰なのか。此れ以上ないほど饒舌に、教えてくれている。手にした此の凶器も、胸に潜む衝動も。そう、いつか“パンドラの匣”を開けて仕舞った七結は総て……。
――しって、しまったの。
うつくしい蝶をピンで留めて標本にするかの如く、いのちとこころを蒐集するもの。憧れを抱き『人』を望む殺人“鬼”。それが、蘭・七結と云う少女の裡に秘められた本当の性。
――あやめたい。
人になりたい。その為に、人のいのちを喰らおう。嗚呼、大切なひとたちの“いのち”の味はきっと……。
――あやめたくない。
ちがう、ちがうの。人は、人のいのちを喰らわない。大切なひとを、手に掛けたりなんて……。
二律背反とは、まさに此のこと。矛盾した慾望が七結のなかで、ぐるぐる、ぐるぐる。煮え滾った鍋を掻き混ぜるように、どろどろと渦巻いてゆく。
――こんな結末は、いらない。
ふたつの感情が綯交ぜに成った胸のなか、ふと過ったのはそんな想い。矛盾した慾望は、彼女の中から完全には消えてくれないかも知れない。けれど、自分がそんな未来を望んでいないことだけは、ちゃんと分かっているから。
「……いらないの」
だから、忌まわしい深淵ごと、総て攫って仕舞えば良い。彼女の拒絶を具現化して見せたかの如く、あかい牡丹一華の花嵐が、ふわり宙に舞い上がる。
いのちの色にも似た“あか”に包まれて、悍ましくもうつくしい赫い海が消えて往く。気付けば七結は、朽ちた薄暗い倉庫のなかに佇んで居た。
深淵は、少女に最悪の結末を見せた。そして七結もこころの何処かで、その結末を恐れていた筈だ。嗚呼、それなのに、なぜ……。
――“私”は、わらっているの。
無意識に綻んでいた口許を、七結は掌でそうっと覆い隠す。思わず視線を落とした彼女の視界に広がるのは、牡丹一華のあかい絨毯。其の様があの海に、何処か似ていたから。
少女のあえかな肩が、ふるりと震えた。
成功
🔵🔵🔴
旭・まどか
◎
運命なんてものは存在しない
だって、“其”を認めてしまったら
“是”が在って然るべきものなのだと
自ら認めてしまう事になるから
彼が何を見たのかは識っているけれど
其の正体は、知らない
知りたく、無い
――嗚呼
嫌だ
辞めて
やめて、くれ
これ以上“ぼく”を観せるのは
“お前”で無くなったぼくには何の価値も無い
在りし日に観せられたあの姿
悪戯に歳月を重ねお前から離れた“ぼく”は
如何して
其の姿の侭、生き永らえるのかと
膝から崩れ落ち、視界を覆う
くらいくらい夜の中
何も映らないから
何も聞こえないから
あんしん、出来るのだと
――嗚呼
このまま眠ってしまえたら
一抹の望みはお前の咆哮で掻き消えて
唸り聲が、ひとつ
其の意を僕は、理解れない
●第十一夜
『運命なんてものは存在しない』
それが、旭・まどか(MementoMori・f18469)の哲学だ。だって、“其”を認めてしまったら、“是”が在って然るべきものなのだと。そう自らで、認めて仕舞うことになるから。
彼にとって其れは、いたく耐え難いことゆえ。少年は頑なに『運命』と云うものを否定してみせるのだった。
あの日、あの時、『彼』が何を見たのか。まどかは、ちゃんと識っている。けれど、其の正体は、知らない。そもそも、知りたくは、無い。
――嗚呼、嫌だ。辞めて。
容の良い眉を如何にも不快げに顰めながら、少年は頭を振る。見たくないもの、向き合いたくないことが、此処には在る。
深淵には、何の変哲も無い「鏡」が、ひとつ。
――やめて、くれ。
喉に張付いた懇願は、聲と化してくれなかった。どうして、そんなものを見せるんだ。胸に込上げる此の想いは、憤りだろうか。或いは、哀しみのような気もする。
これ以上“ぼく”を観せないで欲しかった。“お前”で無くなった“ぼく”には、きっと何の価値も無いから。
鏡に映るまどかの姿に、重なるシルエットがひとつ。それは、在りし日に観せられたあの姿。薔薇色の双眸に其の光景を捉えたまどかは、苦し気に胸を掻き毟った。
嗚呼、先ほどから込み上げて来る想いは、もしかして『後悔』なのかも知れない。悪戯に歳月を重ね“お前”から離れた“ぼく”は、如何して……。
――其の姿の侭、生き永らえるのか。
懺悔めいたことが脳裏に過れば、もう耐えられなかった。脚元がぐらぐらと揺れる感覚に襲われて、少年は冷たい地面へと膝から崩れ落ちる。
もう何も見たくなくて、両の掌で視界を覆えば、慈悲深い闇が広がる。そうだ、此処はきっと、くらいくらい夜のなかだ。
宵闇は総てを隠して仕舞って、視界には何も映らない。そうして、こころさえ閉ざせば、もう何も聞こえない。だから、まどかは安心して闇に身を委ねようとする。
――嗚呼……。
このまま眠ってしまえたら。そして、もう二度と目覚めたりしなければ。“お前”のもとへ帰れるのだろうか。
少年が甘く優しい微睡みへ誘われかけた、其の時だった。彼の隷属である風の仔が、月も無いのに高らかに吠えたのだ。
一抹の望みと微睡みは掻き消され、まどかはそっと貌を上げる。鏡はない。亡者も居ない。其処にはただ、朽ちた倉庫が在るのみ。
ぼくの眠りを邪魔するなんて生意気だ。普段のまどかならきっと、隷属にそう小言を告げていただろう。けれどいま、彼の唇はきゅっと引き結ばれて居る。
灰色の狼に似た風の仔は芒と座り込むそんな主へ向けて、唸り聲をひとつ零すのだった。――其の意を彼は、理解れない。
成功
🔵🔵🔴
ディイ・ディー
視界が揺らぐ
使役する蒼炎が俺の身体を包み込んで燃やしていく
契約した俺の身はどうあっても焼けない筈なのに
どうして。ああ、でも
いずれはこうなるのかもしれない
観念めいた思いが浮かぶ
右目が酷く痛くなって押さえれば
闇の先に愛しい桜色が視えた
彼女の名を呼んで思わず手を伸ばす
はっとした時にはもう遅かった
俺の炎が彼女を包んで、燃やして、それから、
殺すのではなく、あの子まで呪いで侵す未来
目を逸らしたいが逸らせない
でも、あるかも解らない深淵に恐怖するなんて
……そんなの、俺様らしくねぇ!
未だ斬らねばならないものがある
未だ掴んでいない未来がある
だから俺は――
来い、鐐!
本物のお前はまだ俺の味方だろ
さぁ、やっちまおうぜ
☆
●第十二夜
廃倉庫に乗り込んだ刹那、ぐらりと視界が揺らいだ気がして。UDCエージェントの青年――ディイ・ディー(Six Sides・f21861)は、思わず其の脚を止めた。
躰中をぞわぞわと違和感が這い回る。これが、深淵に呑まれるということなのだろうか。せめて訪れる異変を見逃さぬようにと、青年は足許へ視線を落とし、――大きく眸を見開いた。
脚元が、蒼い炎に包まれている。随分と馴染みが深い彩だ。何せそれは、彼が使役するUDC『鐐』の炎なのだから。
――……何故だ。
契約した此の身は、どうあっても焼けない筈なのに。ディイが使役する蒼炎はいま、彼の身体を脚元から包み込み、其の身を灰へ還そうとしている。
――……どうして。
自問自答する間にも、蒼い炎は胸元まで昇って来る。流石は邪神型のUDC、火の回りが早い。ああ、でも……。
――いずれはこうなるのかもしれない。
ふと、観念めいた思いが脳裏を過って、青年は双眸をそっと閉ざした。蒼い炎の侵食は何時しか彼の貌にまで至り、軈ては全身を包み込んでいく。
しかし、堪えられない程の激痛は右の眸へ襲って来た。酷く疼く其処を蒼炎に包まれた片手で押さえれば、慈悲深い闇が見えた。其の先に居るのは、――愛しい桜色。
「――ッ!」
反射的に其の名を呼んで、思わず手を伸ばす。全身が蒼く燃え盛っているのを、つい忘れた侭で……。
はっと気付いた時には、もう遅かった。手に掛けてしまった訳では無い。けれど自分は、あの子まで蒼炎の呪いで侵して仕舞ったのだ――。
最悪の光景から目を逸らしたいけれど、逸らすことが出来ない。まるで、未来を暗示するかの如き悪夢に、青年の胸はぎりぎりと締め付けられる。
けれども、――これはUDCが見せる幻覚だ。エージェントであるディイには、ちゃんと其れが分かっていた。
ゆえにこそ、本当に有るのか分からない『深淵』に、訪れるのか不確定な『未来』に、恐れを為すなんて。
「……そんなの、俺様らしくねぇ!」
未だ、斬らねばならないものがある。未だ、掴んでいない未来がある。それらを諦められるほど、彼は無慾では無いのだ。
――だから、俺は……。
「来い、鐐!」
“本物”の相棒の名を呼べば、彼が其の身に纏った炎はより激しく燃え盛る。途端、ディイの躰には苦痛が駆け巡った。けれど、鐐の燃え様がまるで、己の力を誇示しているように見えたから。ディイは愉し気に、それでいて不敵に、口端を上げて見せた。
「本物のお前はまだ俺の味方だろ」
さぁ、やっちまおうぜ。景気良く響いた掛け声と共に、蒼い炎が戦場に迸る。彼を蝕む呪いの炎は、亡者どもを飲み込んで一掃して行き。――やがては皆、灰になった。
成功
🔵🔵🔴
天音・亮
◎
いつもの白い部屋
白いシーツ
そこにはきみが居るはずだった
いつものようにエレベーターに乗って
いつものように扉を開ければ
そこにきみの笑顔があるはずだった
ぐしゃぐしゃに乱れたシーツは違和感を生んで
空っぽの部屋できみだけが見つからない
ピアノの音が聴こえる
慌て覗いた白い部屋の窓の向こう側
きみが音も無く呑み込まれていく
叫んだはずの声が聴こえない
きみの名を呼んだはずなのに音にならない
やだ
やだ
連れて行かないで
私の“光”を奪わないで
きみを失いたくなくて私はヒーローになったの
だからだめだよ
笑うならここで
私と一緒に
手を繋いで
ねえ見て
きみにもらった力だよ
私はこれで
世界を駆けるの
どこに行こうと
風になって迎えに行くから
●第十三夜
天音・亮(手をのばそう・f26138)は、いつもの“白い部屋”に居た。どうやって此処まで遣って来たのか、よく覚えている。
いつものようにエレベーターへ乗りこんで、6階のボタンを押す。見慣れた廊下を歩きながら、『606号室』のプレートを確かめて。
いつものように扉を開ければ、其処には“きみ”の笑顔が有る筈だった。
それなのに、――きみが居る筈の白いシーツの上には、何もない。ぐしゃぐしゃに乱れた其れからは、ただ違和感だけが伝わって来る。
「なんで……」
空っぽの部屋で、きみだけが見つからない。何処に行って仕舞ったのかと、亮が途方に暮れかけた、其の時。――ふと、外からピアノの音色が聴こえた。
ぽろん、ぽろんと零れ落ちる旋律に導かれる如く、慌てて覗いた窓の向こう側。大きな満月が金色に煌めきながら、きみの姿を飲み込んでいくのが見えた。
「――……!」
確かに叫んだ筈なのに、自分の聲が聴こえない。きみの名を呼んだ筈なのに、此の聲は音に成らずに消えて行く。それでも、窓から身を乗り出して、亮は叫ぶ。
――やだ、やだ。
きみを失いたくなくて、ヒーローになったのに。それなのに、どうして。
飲み込まれて行くきみと、目が合う。其の貌はいつものように、やっぱり笑っていた。いつもなら笑い返す亮だけれど、いまばかりは笑えない。
――連れて行かないで。
だめ、だめだよ。きみが笑ってくれる場所は、此処じゃなきゃ。
頭を振った亮が懸命に其の手を伸ばしても、儚い指先が月に届くことは無く。胸を引き裂かれそうな程の悲しみに、きみを写した視界がぼやけてしまう。
“きみ”は私と一緒に、手を繋いで、笑ってくれなきゃ。そうじゃなきゃ、いやだから。
――私の“光”を奪わないで。
衝動のまま、窓枠に足を掛けた。亮の脚には、太陽の名を冠するブーツ。其れが裡に圧縮していた夜の大気を思い切り吐き出せば、反動で満月へと高らかに飛翔する――。
「ねえ、見て」
これは、きみにもらった力だよ。月光を浴びながら、亮はふわりと笑う。夜風に揺れる金絲の髪が、きらきらと昏い世界に光を放つ。
風に成ったこの姿は、きみに一番見て欲しい。宙を蹴って更に飛翔すれば、ほら――。もう少しで君へと手が届きそう。
「私はこれで、世界を駆けるの」
どこに行こうと、風になって迎えに行くから。それが、ヒーローの役目だから。
待っていて、なんて。微笑みかけた亮の長い脚が意地悪な満月の元へ届けば、不吉な深淵が魅せる光景は割れた鏡の如く崩れ果てて行く。
亮は此処で、立ち止まる訳にはいかない。だって、いつもの白い部屋で、今日も“きみ”が待っているから。
成功
🔵🔵🔴
ロキ・バロックヒート
◎
深淵?おもしろそうだね
笑って君たちに捕まってあげる
それは猟兵になるより前
狂気に沈んでいた頃
封印されてそんな力もない癖に
延々と『私』に滅びを命じられて
何度も何度も失敗して
ひとのような死を繰り返す
無理だよと云っても聞いてもらえず
抗えない命令に突き動かされて
始終『私』の狂気と世界の悲哀を受け止めて
肉体の死の束の間の眠りだけが安らぎで
眠りたくて死を求めて―
そういえば狂いかけていたっけな
地獄を眺めながらどこか冷めている
もう飽きたよ
影の刃が幻ごと壊す
ある時猟兵になった途端自由を得たんだ
良かった?とんでもない
役割も果たそうとしない神なんて
狂ってた方がまだマシではない?
はは
ああ
いつだって世界は私に優しくない
●第十四夜
「――深淵?」
ロキ・バロックヒート(深淵を覗く・f25190)は、神である。ゆえに、哀れな亡者どもなど恐るるに足りぬ。されど、不敬と一蹴できるほど遊びを知らぬ訳でも無い。
手招く亡者どもを見つめる蜂蜜の双眸には寧ろ、好奇の彩すら滲んでいる。
「おもしろそうだね」
だから、笑って捕まってあげた。男のものとも女のものとも知れぬ腕が、ロキの貌をぐいと掴めば、其の意識は深淵へと落ちて行く――。
其れは、猟兵に成るよりも前の記憶。
彼が未だ本体と共に在った頃、――狂気に沈んでいた頃の噺。
救済と滅びを司る嘗ての破壊神は、昏い所に封印されていた。自由を奪われてから、果たしてどれ程の時が流れたのだろうか。気づいた時にはもう、『私』は狂気に堕ちていた。
『私』は、――本体は、延々とロキに滅びを命じ続ける。当然そんな神通力など疾うに喪われているから、何度も何度も失敗して。彼が滅びることは叶わない。
ゆえに、ロキは神でありながら、ひとのような死を繰り返した。
『……無理だよ』
あらゆる“死”を、此の身で受け止めたように思う。けれども、『私』は赦してくれない。或いは“諦めない”と表現した方が正しいのだろうか。
ロキの言葉は聞き入れられず、抗えない命令と衝動がロキのいのちを塗潰していく。――本当に滅びを望んでいたのは、『私』の方だったのかも知れない。
意識が薄れた後は死の縁で暫し眠り、目を覚ませば終わらぬ現実に絶望する。不死ならぬ“ひと”は死に絶望するけれど、不死である“神”は死ねぬことに胸を掻き毟るのだ。
仮初の眠りは、ロキにとって安らぎだった。その時ばかりは、痛みと苦しみと、狂気から逃れることが出来たから。
始終『私』の狂気と、世界の悲哀を受け止めて。ロキのこころも、壊れかけていた。
――……そういえば、狂いかけていたっけな。
目の前でリフレインする地獄を眺めながら、彼は何処か冷めている。実際に経験した地獄を追体験させられたところで、抱ける感想なんて決まっていた。
「もう、飽きたよ」
面白そうだと思ったのに、何度か寝てしまうほど、詰まらなかった。
亡者どもには仕置きが必要だろう。彼の影から針山の如く伸びた無数の黒槍が、悪趣味な幻ごと哀れな魂を串刺しに貫いた。これは私刑ではなく、詰まらぬ者たちへの“救済”。
急速に現実感を取り戻していく世界を眺めながら、ロキはひとり物思う。
ある時猟兵になった途端、此の身は自由を得た。無限の死から解放されて、良かった。――良かった? 否、良かったなんて、とんでもない。
だって、役割を果たそうとしない『神』なんて、狂ってた方がまだマシではないか。ロキが自由になった今、彼が受け止めていた世界の悲哀は、そして狂気の片割れは、一体何処へ行ったのだろう。
「……はは」
ああ。いつだって世界は、私に優しくない。
廃屋の窓から流れ込んで来た風が、乾いた嗤いを何処ぞに攫って行く。今宵は未だ、眠れそうに無かった。
成功
🔵🔵🔴
泡沫・うらら
◎
無垢なかたちをしてまいごを誑しこむやなんて
随分と趣味の悪いこと
貴女の使い魔は、酷く醜悪ね
いややわ
触らんといて
あの子の手を取れんかったあの日は
うちと、あの子だけのもん
伸ばした白魚は空を切り
荒波の向こうへあの子が――、貴女が、消えて征く
無力が故の無慈悲をなぞらえて
さわさわと
ざわざわと
波打つ胸の内が声にも漏れる
ほんまに……いややわぁ
嫌がるものを見せつけて
揺れる姿をみるのがお好きやの?
ほんまに、ほんまに
――悪趣味
こんな所にずっとは居てられへんの
どうせ夢やもの
はやく醒めて先へと進みたいわ
ほんまの神様なんて……、何処にもおらへんのやから
●第十五夜
聴けば、彼の邪神は“少女”なのだと云う。無垢な容をして、迷子を誑しこむなんて。
「……随分と趣味の悪いこと」
泡沫・うらら(夢幻トロイカ・f11361)が、ぽつりと零す聲に険が滲む。廃倉庫のなかは、辛気臭い代わりに広い。
ゆえに、蒼い尾鰭を動かして、ふよりふよりと宙を漂い物見遊山。すると優雅に揺れるドレスの裾に誘われて、亡者たちが次々に彼女へ手を伸ばして来た。
可憐な容をしているらしい邪神とは正反対に。其の使い魔たちは、酷く醜悪で悍ましい。
「いややわ、――触らんといて」
釣れなく宙をくるりと回って、うららは彼らの魔手を振り切って見せる。知ったようなことを囁く亡者たちの聲は、ひどく耳に障って不愉快極まりない。
うららには、穢されたくない記憶が有る。そう、“あの子”の手を取れ無かった、忘れ難いあの日は……。
――うちと、あの子だけのもん。
気づけば、彼女の眼下には碧い海が広がって居た。そこで苦し気に揺蕩っているひとの姿を見紛う筈も無い。嗚呼、あれは、――あの子だ。
あの時のように伸ばした白魚は虚しく空を切り、荒波の向こうへあの子が――、『貴女』の姿が、消えて征く……。
其れは無力が故の、無慈悲。忘れ得ぬ過去を擬う程に、さわさわと、ざわざわと、不穏に波打つ胸の裡。
魂を半分に別たれたような痛みに、こころが哭いているのだろうか。或いは、胸に込上げる無力感が、こころに荒波を立てているのかも知れない。
「ほんまに……いややわぁ」
うららの透き通った聲にも、ざわざわと不穏な彩が滲む。ひとが嫌がる光景を見せつけて、誰かのこころや想い出を弄んで。
――揺れる姿をみるのが、お好きやの?
そう遠くない場所で彼らを待って居る筈の邪神へ、憤りを抱きながら蒼い人魚は波の上を游ぎ往く。
無垢な容をした彼女は、惑うひとを見て何を想うのだろうか。亡者どもは、生者のこころが揺れる様を見て、ほくそ笑んでいるのだろうか。
「ほんまに、ほんまに、――悪趣味」
彼等の意図がどのようなものであれ、此の“深淵”は、ただただ趣味が悪い。こころの裡に仕舞った大切なものが、何だか傷つけられた心地に成って仕舞う。
「こんな所に、ずっとは居てられへんの」
尾鰭がひらりと宙を打ち、ふよりふより。うららは悠然と、深淵の出口を探して游ぐ。どうせ此れは、悪い夢に過ぎないのだ。
彼女のなかに留まっている“あの日の記憶”は、切なくも哀しく、潮風の懐かしい馨がする、――うつくしい海の記憶だから。
嗚呼、はやく夢から醒めて、先へと進んで仕舞いたい。
――ほんまの神様なんて……、何処にもおらへんのやから。
だからこそ、求めるものは自分で探すしか無い。
何時かまた“あの子”と巡り合う為に。うららは、只管に夢のなかを游ぐのだった。凛とした其のこころが有れば、きっと直に出口も見つかるだろう。
成功
🔵🔵🔴
リオネル・エコーズ
◎
気付いたら『彼女』や他の人形と過ごしてた館の中
お帰りなさい
待ってたのよ
笑う君に手を引かれて見せられたのは
炎に包まれ壊れていく俺の街
…何で
人形になれば他の脅威から守ってあげる
生かしてあげるって言ったじゃないか
『だって帰ってこないんだもの』
待つのは飽きた
だから街を捨てる事にした
『でも、もう少し待てば良かったわ』
戻りたかったよ
けど道がわからなかった
君が俺達を連れて
聞いた事ない遠くの街に突然引っ越しをしたせい
俺の街から遠過ぎて道なんて全然わからない
世界を超えたから余計迷子になった
“だから”全部壊すのか
そんな事は許さない
必ず帰るって決めた
君を還すって決めた
だから俺はここで立ち止まらない
絶対、戻るんだ
●第十六夜
目の前に懐かしい光景が広がって居ることに、リオネル・エコーズ(燦歌・f04185)は、ふと気づく。豪華な調度品の数々、よく磨かれた床に、薄らと部屋を照らすシャンデリア。
此処は、嘗てリオネルが『人形』として囲われていた館のなか。
記憶が確かなら、他にも人形は居た筈なのに。いま、此処にはリオネルしかいない。――では、“彼女”は如何なのだろうか。
『お帰りなさい』
思考に耽る彼の翼越し、うつくしい聲が降って来る。ただ其れ丈なのに、背筋に冷たい汗が流れた。――嗚呼、遂に“帰って来てしまった”のだ。
どくり、鼓動が跳ねる。けれど、リオネルが其の言葉を無視することは出来ない。だって彼は、彼女の人形なのだから。
匂やかな香水の馨に誘われるように、ゆっくりと振り向けば。――其処には美しく笑う彼女が居た。
『待ってたのよ』
そう言って嬉しそうに微笑んだ彼女は、リオネルの手に細い指先を絡ませて。優しく其の手を引きながら、彼を何処へか誘って行く。
厭な予感に包まれながらも、リオネルは彼女に従うことしか出来ない。胸騒ぎが止まらないのは、絡め合ったふたりの指先が芯から冷えて居る所為か。
いや、予感めいたものは、あったのだ。けれども、信じたくは無かった。彼女に誘われた窓辺から、眼下に広がる光景を見降ろす迄は――。
「……何で」
リオネルが生まれ育った街が、赫い炎に包まれながら崩れ落ちている。
自分の“人形”になれば街を他の脅威から守ってあげると、そして家族を生かしてあげると、彼女はそう言っていた筈だ。けれど本当は、其の理由だって分かって居た。
『だって帰ってこないんだもの』
拗ねた子どものように、彼女は唇を尖らせる。リオネルを待つのは、もう飽きた。だから街を捨てる事にしたのだと、彼女はそう語った。
『でも、もう少し待てば良かったわ』
大して感情の籠らぬ聲を、“吸血鬼”は手向けとする。燃え盛る街を見下ろす彼女の横貌は、ぞっとする程に冷たくて恐ろしい。
「戻りたかったよ。……けど、道がわからなかった」
見開いた双つのオールドオーキッドに揺らめく炎を映した青年は、ぽつりと言葉を落とす。リオネルだって、好きで帰らなかった訳ではない。彼女の元を離れたのは、事故だ。
そもそも、彼女が気まぐれに人形達を連れて、聞いたことの無い街へ引っ越して仕舞ったことが原因だ。其処は彼の街から遠すぎて、道なんて分からなかった。
彼にとって更に不幸だったことは、猟兵に覚醒した際に世界を超えてしまったことだ。其の所為で余計に方向感覚を喪って、迷子に成って仕舞った。
「“だから”全部壊すのか」
大事な人形が手元に帰って来なかったから、癇癪を起こすように“玩具箱”を丸ごと引っ繰り返す。彼女の所業は、其れに似ていた。
――そんな事は、許さない。
リオネルは整った眉を寄せ、震える拳をぎゅっと握り締める。必ず帰ると、こころにそう決めたから。そして何より、君を還すと、そう覚悟を決めたから……!
「だから俺は、ここで立ち止まらない」
決意を秘めた科白が零れた刹那、“祈り”の名を冠するマイクスタンドから、ひらり、はらり。みるみる内に、鈴蘭の花弁が零れ落ちた。
――絶対、戻るんだ。
愛らしく可憐な花弁たちは、“彼女”と、懐かしい館を真っ白に染め上げて往く。
そして、匂やかな花吹雪が去った後に残されたのは、うつくしいオラトリオの青年、ただひとり。
成功
🔵🔵🔴
コノハ・ライゼ
◎
っは、蠢く手とか正直あんま美味そうじゃねぇンだけど
軽口叩いた矢先視界いっぱいに広がるのは、赤
追って脳に届く血の匂いに眉を顰める
恐れナンてとうに捨てた
ケドそれでも見たくないモノはある――
肉片のひとつ残さず赤に染まった筈のその場所に転がる影に気付く
アレはヒトだ
ようく見知った誰かの、腕、足、そして
違う、喰らっていない喰らうワケがナイ
いや、でもアレは?
赤に濡れる手、喉に絡み付く血の、生命の……
味、は?
詰まる息を吐き出し大きく息を吸う
過るのはささやかな日常、空気は埃と日陰の匂い
っは、オシゴトが雑なンだよ
違うだろ、オレなら「全部残さず喰らってる」
ナンなら今から証明して見せようか
【月焔】で跡形もなく
●第十七夜
薄暗い廃倉庫のなか、彼方此方で蠢く亡者が手招きをしている。UDCをよく知るものでなければ、それだけで発狂して仕舞いそうな光景だ。
悪食を誇るコノハ・ライゼ(空々・f03130)とて、眼前に広がる眺めには不快感を抱かざるを得ない。
「……っは、蠢く手とか正直あんま美味そうじゃねぇンだけど」
そう、どうせ蠢くなら磯巾着のような、見た目にも美味しそうなものが良い。
怖いもの知らずな青年が、常の如く軽口を叩いてみせた矢先。視界はぐるりと回転し、深淵は世界を狂気に塗り替えて行く――。
世界を埋め尽くす彩に、思わず眼が眩んだ。
視界いっぱいに、鮮やかな赫が広がって居る。視覚を追うように働いたのは嗅覚だ。鼻腔は親切にも脳へと赫の馨を届けてくれた。其れは、生々しい血の匂い。
胸に込上げてくる嫌悪感に、整った眉を顰める。此れ以上は詮索するな、其の方が身の為だと、脳が警鐘を鳴らしていた。
恐れなど、疾うに捨てた身の上だ。それでも、“見たくないモノ”は在る――。
視界に広がっているのは、“血の池地獄”。とろり、滑らかに広がる赫い池のなか、ぷかりと浮かぶモノは、――“ヒト”だ。
正確に云うと“ナニカ”に食い散らかされた後の如く、凄惨にばら撒かれたヒトの“パーツ”である。あれは腕、あれは脚、そしてあれは……。
そう、其れは“ようく見知った誰か”の残骸だった。
ならば、喰らったのはだあれ?
――違う、喰らっていない、喰らうワケがナイ。
こころの裡で、コノハは懸命に否定する。けれども、“アレ”はどう説明すれば良い。鮮やかな赫に濡れる手、其の指先からぽたぽたと滴る雫。そして、喉に絡み付く血の、生命の、――“味”は?
胸が、苦しい。喉奥に詰まる息を吐き出して、大きく深く息を吸いこんで。頭の中に詰まった記憶をひっくり返して、目の前に広がる現実を否定する材料を探す。けれども、脳裏に過るのはささやかな日常のことばかり。
深呼吸で吸い込む空気は、埃っぽくて不快で、何処か日陰の匂いがした。今となっては、何もかもが懐かしい。
「――っは」
ふと、薄く開いた口端から笑うような音が漏れた。失笑だ。稚拙な幻覚を作り出した、亡霊たちに対しての。
「オシゴトが雑なンだよ」
違うだろ、と舌を打つ。健啖家の哲学を、そして悪食の美学を、奴らは何も分かっていない。だって、もしも下手人がコノハなら……。
「オレなら、――全部残さず喰らってる」
だから、今から其れを証明して見せよう。月白色の冷たき焔が赤い世界を飛び回る。其れは血の池に浮かぶ誰かの幻影を振り払い、蠢く亡霊どもを跡形もなく焼き尽くして行く。
みんな、みんな、蕩ける程に温めて、骨の髄まで味わい尽くして……。ハイ、御馳走サマでした。
成功
🔵🔵🔴
橙樹・千織
◎#
恐れているのは
大切な友人達や彼らと過ごした場所を失う光景
以前、そんな夢を見た
今回もそれだと思っていた
けれど
目の前には
無
周りを見ても
どれ程先を見ても
何も無い
同じ喪失といえど
今回消えたのは
…わた、し?
まるで
“この世界でのことは全て夢で紛い物だった”のだと
“お前は最初から存在しなかった”のだと
そう言われているような
嘘…
だって私ちゃんと、この世界で生きてた
彼らに会って
時を過ごして
戦場では怪我もした
感覚だって、初めての感情を覚えることだってあった
それが
全て、最初から無かったことになんて
なるわけ…
しゃらりと揺れるピアスの音
胸元の首飾りの音で我に返る
わたしは…
私は、今は此処にいる!
握り締めた刃でなぎ払う
●第十八夜
橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)には、恐れていることがある。其れは、大切な友人達や、彼らと過ごした場所を失うこと。
前に、そんな悪夢を見た。だから、自分にとっての『深淵』とは、喪失を意味すると思っていたのに……。
いま、千織の目の前に広がる光景は、――『無』。
右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても、何も無い。先にも、後ろにも、何も無い。これは、何を意味しているのだろうか。
同じ喪失といえど、もしや今回消えたのは――、
「……わた、し?」
不吉な予感に、血の気が凍り付く。みんなが居る世界に、ただ千織だけが居ない。それこそが、彼女にとっての深淵。
まるで“この世界でのことは全て夢で紛い物だった”のだと。“お前は最初から存在しなかった”のだと。世界から、そう言われているような。
そんな気がして、千織はへたりと座り込む。床の感触は、無い。助けを求める様に天へと手を伸ばしたけれど、“空”と云う概念がそもそも無い。
自分が止まっているのか、漂っているのかもわからない。生きているのか、否かすら、わからない。
ただ、自我だけが其処に在る。
「嘘……だって私」
千織はちゃんと、この世界で生きていた。
掛け替えのない友人たちに出逢って、共に時を過ごした筈だ。
神社で猫と戯れたことも、皆でかまくらを造ったことも、世界に一つだけのインクを造ったことも。まるで昨日のことのように、鮮明に思い出せる。
それに、戦場では怪我もした。邪炎に炙られたあの痛みだって、ちゃんと此の躰は覚えている。
感覚だって確かに存在していた。水に降れたら冷たかったし、大きな鳥は柔らかかったし、それに――。初めての感情を覚えることだってあったのに。
それが全て、最初から無かったことになんて、なるわけが……。
しゃらり。
ふと、紅玉の華が彼女の耳許で揺れた。物心ついた時から、大切に持っていた其れは、ぐらぐらと揺れる千織のこころを支えてくれる。
リン、リン。
山吹の首飾りが、鈴音を伴って揺れて。彼女は、はっと我に返った。大事な友人がくれた其れを、ぎゅっと握りしめる。
此の身は幻なんかじゃない。彼らと過ごした時間は、偽りなんかじゃないのだ。
「わたしは……私は、いま此処にいる!」
芒と、椿を模した炎が彼女の周囲に次々と浮かび上がった。力強く握り締めた鐵の薙刀を振い、其の炎華ごと“無”を思い切り薙ぎ払う。
幻想的な炎の椿に炙られて、じゅうじゅうと世界が溶けて行く。軈て現れるのは、朽ちた薄暗い倉庫。千織は無事に、現実へと帰ってくることが出来たようだ。
灰に満ちる生ぬるい空気も、埃と瓦礫の錆びた匂いも、今だけは不思議と愛しかった。
成功
🔵🔵🔴
冴木・蜜
◎
ゆめまぼろしを、見た気がする
蒼褪めた皮膚
虚ろな彼の眸
何度も夢に見た深淵
忘れ得ぬ記憶
信じて共に歩んだ彼が
私の薬で人を殺した
あの日の記憶
私が何もかもを失ったあの深淵
あ、ぁ ああ
いけない
そんな使い方
わたしの、私の薬が 毒に
やめて、やめてください
私は人を救いたかった
薬になりたかったのに
あれが悪夢だったらどんなによかったか
私はあの時救えなかった
何もかも
何度もあの記憶を夢見ては
暗い感情に引き摺られそうになる
罪悪に押し潰されそうになる
でもその度に改めて思う
私はただ、救いたい
この想いだけは棄てられない
毒の身でも救えるものがあるのなら、と
――、そう
目撃者の彼もまだ救えるのなら
私は、まだ
折れるわけにはいかない
●第十九夜
ゆめまぼろしを、見た気がする。
冴木・蜜(天賦の薬・f15222)は、深淵のなかに居た。薄暗い闇ばかりが、辺りに広がっている。
彼が其処で見たのは、何時かの苦い記憶。
蜜が何もかもを喪った、「あの日の記憶」がいま、深淵に映っている。
自身を信じて、共に歩んでくれた彼が。あの日、蜜の“薬”で人を殺したのだ。
蒼褪めた皮膚が、虚ろな彼の眸が。いまも脳裏に焼き付いて離れない。何度も夢に出て来るから、忘れたくとも逃げられない。
「あ、ぁ、ああ……」
絶望的な光景に、か細い聲が漏れる。口端から、たらりとタールが一筋垂れた。
ただ、ひとを救いたいと、――そう願って造り上げた薬なのに。たったひと匙の悪意で、それは驚異と化して仕舞う。
とろり、“彼”が薬を傾けたなら。ひとが、数多のひとびとが、“毒”に侵されて、ぐずぐずと蕩けて行く。
――……いけない。
そんな使い方をする為に、あの薬を造った訳じゃ無い。あれは、ひとを救う為のものなのに。
毒はひとびとの柔肌をどす黒く染めて、流れる血潮を殺し、彼らの躰を内側から壊していく。
――わたしの、私の薬が毒に。
嘗て“ひと”だったもの達がタールのように溶けて、蜜の脚元へと黒い海を作って行く。
ブラックタールの青年は頭を振って、血の気が失せた掌で貌を覆う。指の隙間から、涙の代わりに黒い液体がぼとぼとと零れて来る。
「やめて、やめてください」
こころからの懇願が、届くことは無く。黒い海は何処までも広がって行く。其の罪の重さを、蜜へ見せつけるように。
――私は人を救いたかった。薬になりたかったのに……。
それなのに、結局。蜜はあの時、何も救えなかった。嗚呼、あれが悪夢だったら、どんなによかっただろう。
悪夢のようなあの光景を夢に見る度、湧き上がる昏い感情に引き摺られそうになる。重く圧し掛かる罪悪感に、此の胸が圧し潰されそうになる。
でも、その度に改めて、蜜は想うのだ。
――私はただ、救いたい。
この想いだけは、本当だったから。いまも尚、棄てることが出来ない。死毒に染まった此の身でも、救えるものがあるのなら。此の手を、伸ばし続けたい。
目撃者の男もまだ、救う余地は在るのだと云う。ならば、蜜が選ぶ道はただ一つ。
――私は、まだ、折れるわけにはいかない。
薬が毒になるように、毒だって誰かの薬に成れる筈だ。
こころの底から其のことを信じて、蜜は自らの内をどろりと流れる黒い血潮から、腐敗した注射器を取り出した。
毒蜜を籠めた其れを黒い海に落とせば、毒と毒が混じり合い、軈ては中和されていく。深淵は急速に遠ざかり、――何時の間にやら、色褪せた現実が広がっている。
薄暗い廃倉庫を見回せど、手招く影などもう居ない。倉庫の奥に腰を下ろして、液晶を見つめる男の姿は相変わらずでは有るけれど。彼の命は、守れたようだ。
口端から零れたタールを拭い、蜜は安堵の吐息をひとつ。ならば、インタビューの準備に取り掛かろう。早く彼の邪神の居所を突き止めなければなるまい。
夜は未だ長く、朝は遠い。静寂を取り戻した廃倉庫には、不穏な空気が漂っていた。
成功
🔵🔵🔴
第2章 冒険
『かくれんぼしましょあなたおに。』
|
POW : 「うえ」をさがす。
SPD : 「なか」をさがす。
WIZ : 「した」をさがす。
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
|
種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
●弐ノ幕『ファム・ファタールの福音』
猟兵達の手によって亡者たちは一掃され、廃倉庫に静寂が戻る。最初に重い口を開いたのは、誰だっただろうか。依然として液晶から目を離さぬ男に神の居所を問えば、彼は弾かれたように貌を上げた。
「ああ、そうだ。――行かなくては」
まるで、何かに憑かれたかの如く。ゆらり、ゆらりとふら付きながら、廃倉庫から出て行く男。自失状態の彼から話を聞くよりも、其の後を追い掛けたほうが話は早いだろう。猟兵たちは頷き合い、廃倉庫を後にする。
時刻はいま、午前3時。
外にはただ、暗闇だけが広がっていた。月も無い、星も無い。此処は辺鄙な所らしく、街灯すら殆ど無い。けれども男の足取りが、ひどく緩慢だったことだけは幸いだった。お蔭で無事に追いつくことが出来たのだから――。
辿り着いた先には、砂浜が広がっていた。宵の帳を映した昏い海が見える。夜風が運ぶ潮風が、悪戯に猟兵達の頰を撫ぜ。穏やかな波の音だけが、耳朶を満たしていく。
「ツミコ様、ツミコ様」
白い砂浜に跪き、男は彼の神に祈る。譫言のように、“パナギア”たる少女の名を紡ぐ。何処までも狂信的な其の姿に、眉を顰めた猟兵も居ただろうか。或いは其れを止めようとした者も、居たかもしれない。
――ちゃぷ、ちゃぷ。
心地良い波の音に混じって、異質な脚音がふと響き渡った。暗闇のなか、“何か”が此方に近づいて来ている。花よりも匂やかな、甘い馨を伴って。
猟兵たちがそう認識した刹那、ぐにゃりと視界が歪み、世界が彩を変えて行く。現と夢の狭間でどうにか重い瞼を開いて居れば、波打ち際を歩く“邪神”の白いシルエットが視えるだろうか。
猟兵たちの意識が夢へと移り変わる寸前、無垢な聲が楽し気に囁いた。
「みぃつけた」
だから次は、――あなた、おに。
●閑その参『いつか、あの海へ』
波音が聴こえる。潮の馨がする。此処は、幻想の海だ。そして、ざらつく砂の大地には、かつて「失くしたもの」が在った。
長い長い“かくれんぼ”の心算だったのだろうか。だけど「みぃつけた」なんて云った所で、この幻覚は醒めない。
一説によると、万物は海から生まれて、いつかは海へと還るのだと云う。ならば此の想い出も、あの海へと還して仕舞おう。
――けれど、もしも別れ難いなら。
其の時は、一緒にあの海へと還ろう。
夢から覚めるまで、ほんのひと時。傍に居るくらいは、きっと赦されるだろうから。
<出来ること>
①失くしたものを、海へ還す。
②失くしたものと一緒に、海へ還る。
<「失くしたもの」について>
・物でも、人でも構いません。ご自由な発想でどうぞ。
・「こころ」や「感情」など、抽象的なものや、目に見えないものでもOKです。
・本章の儀式は「死」や「葬送」を連想させるものなので、ゲーム内に存在するPCさんについて書かれたプレイングは不採用とさせて頂きます。ご了承ください。
<補足>
・海の色にご希望が有る場合は、プレイングにどうぞ。
→ご指定がない場合は、青い海へ還ることになります。
・引き続き「おひとりずつ」の返却を予定しています。
・アドリブOKな方はプレイングに「◎」をご記載頂けると嬉しいです。
<受付期間>
6月10日(水)8時31分 ~ 6月13日(土)23時59分
スキアファール・イリャルギ
◎♯
きみの最期を見届けた
きみが遺したひかりは今も傍に居る
きみは、此処にいる
わかってる、のに……
ごめん、コローロ……
やっぱり駄目なんだ
我慢して堪えて耐え続けても
きみの姿をもう一度だけと思ってしまう気持ちは
どうしたって消せないし嘘にできなかった
もっときみの声を聴きたかった
もっときみと触れていたかった
きみの笑顔を見続けたかった……
幻を抱き締めて共に還ろうと歩み
色無き海へ倒れ込む
……そうか
戀に焦がれ想いを絶てず
水へ沈んだ彼と同じ末路を、私は――
嗚呼、わかってる
これは夢
私は還れない
……コローロ
待ってて、くれるかな
いつか、私もそっちに行くから……
(きっとそう遠くはない
怪奇人間はおしなべて短命なのだから)
●一ノ夢『慕情の海』
周辺に広がっていた筈の宵闇は、気付いた時にはもう晴れていた。スキアファール・イリャルギの眼前に広がっているのは、彩の無い、――透明な海。
彼がいま佇んでいる塵ひとつ無い砂浜も、天を覆い尽くす空も、清らかな白い彩。海辺特有の潮の馨は無く、澄んだ空気がただ肺を満たしてくれる。
それなのに何処か寂しい、此の海の波打ち際で。スキアファールは、もう居ない“彼女”の姿を見た。
それは、いつか天穹の彩の国にて邂逅した“オウガ”。光を喪い影だけを纏った少女、――コローロ・ポルティ。
彼女の黒いシルエットを視界に捉えた瞬間、青年の息が詰まる。こんなにも胸が苦しいのは、此の眸で確りと見届けた彼女の最期を想い出して仕舞うから。
目の前に居る彼女は幻だと、分かっていた。彼女が遺した“ひかり”は今も、彼の傍で煌めいている。
――そう、“きみ”は、此処にいる。
火花のようにチカチカと瞬きながら、青年の周囲を飛び回る細やかな光。其の姿を視線で追った彼は、戸惑うように貌を伏せた。
此のひかりこそが、きみだって、ちゃんとわかってるのに……。
「ごめん、コローロ……」
周囲を飛び回る光を振り払い、スキアファールは彼女の元へと駆ける。
矢張り駄目だった。我慢して、堪えて、耐え続けても、込み上げる想いに、湧き上がる感情に、蓋をすることなど出来ない。
せめてもう一度だけ、其の姿を見たかった。
その希いはどうしたって消えないし、嘘にすることも出来ないから。――だから、白い砂浜を蹴って、息を荒げながら、ただ彼女の元へと走る。
もっと、きみの聲を聴きたかった。そしてこの聲を、この歌をもっと聴いて欲しかった。他でもない、きみに――。
もっと、きみと触れていたかった。叶うことなら、ずっと抱き締めていたかった。二度と別たれたくは無かった。
きみの笑顔を、見続けたかった。喩え影に包まれていても、きみはあの時、確かに笑っていたから――。
幻想の元へ辿り着いたスキアファールは、ふたりの最期の想い出を胸に抱きながら、そうっと彼女へ腕を伸ばす。そして、裡へ閉じ込めていた希いを叶えるように、思い切り彼女を抱きしめた。
白い浜辺に、抱き合うふたりの影が伸びる。されど、ロマンチックなこの光景は、彼の胸を更に狂おしく締め付けた。これは、仮初の逢瀬に過ぎない。だから、――こころはもう、決まっていた。
ざぶん――。
彼女を抱きしめた侭、彩の無い海へと倒れ込む。きらきらと煌めく水飛沫だけを置き去りにして、ふたりは海の底へと、深く、深く沈んで行った。
何処までも透明な水のなかは冷たくて、ひかりは遠い。ただ腕に抱き締めた彼女だけが、温かかった。
厭になるほど鮮明な意識のなかで想い出すのは、戀に焦がれ想いを絶てず、水へと沈んだ、或る影朧の記憶。
――……嗚呼、そうか。
あの時は、慕情なんて“影人間”たる自分には関係ないと、そう想っていたけれど。今なら戀に焦がれるような、そんな狂おしい気持ちも、分かるような気がする。
――彼と同じ末路を、私は……。
それを想えば、相手と共に沈めただけ、自分はまだマシか。
否、分かっている。これは、ただの夢幻だ。彼女はもう居ない。僅かな“ひかり”だけを遺して、消えてしまった。
「……コローロ」
現世での逢瀬がもう叶わないことは、彼女を看取ったスキアファールが最も分かっていたから。彼は愛しさを籠めて其の名を呼んで、彼女の頭を優しく撫でた。
「待ってて、くれるかな」
いつか私も、そっちに行くから。
名残惜し気にそう囁いたなら、寄り添う彼女が頷いてくれたような気がして。スキアファールは穏やかに双眸を閉じる。
沈みゆく彼らの傍らで、ぷくり、ぷくりと、泡沫が天へ昇って行った。其のなかには、吐息だけでなく、涙も混ざっていただろうか。
そう遠くない内に、ふたりの約束はきっと果されるだろう。なにせ怪奇人間はおしなべて、“短命”なのだから――。
それまで、暫しお別れを。
大成功
🔵🔵🔵
琴平・琴子
◎
海、初めて見ますがこんな碧でしたっけ
失くしものなんてないと思ってました
兄妹も友達もいなかったから
大人に囲まれて育ったから
そうやって自然に身に付いた振る舞いに
「子供らしい私」を失くしたのでしょうね
落ちてから泣いて叫びたかった
大きな声で叫んだら追い掛けられてしまうから
息を潜めて泣くのを我慢した
今でも十分子供らしいと思うどころか
子供だと思っております
でも、そうじゃないのでしょうね
子供らしい私、みぃつけた
でも貴女は帰らなきゃいけない
私みたいに迷子になっちゃ駄目ですからね
ごめんねさいね、その手を取って一緒に帰ってあげる事ができなくて
●二ノ夢『幼心の海』
ざあ、ざあ――。
波の音が聴こえて、琴平・琴子は眸を開けた。目の前に広がっているのは、教科書のなかでしか知らない、大きくて広い海。
「海、初めて見ます」
翠色の眸を確りと開いて、琴子は地平線の先を眺める。学校で習った通り、「海」というものは何処までも続いているようだった。けれど、少しだけ違和感が有る。
――こんなに、碧い彩でしたっけ……。
海の彩は空の彩。だから海は青いのだと、琴子は知っていた。でも、いま目の前にある海は、空の彩よりも鮮やかな碧い彩をしている。
不思議に思いながら周囲を見回せば、波打ち際を跳ね回る幼い影がふと、視界に留まった。小さな背丈に、毛先を揃えた黒い髪、きちんと着こなした制服姿。
あれは、そう、――琴子だ。
「どうして、私が……?」
大きな眸をぱちぱちと瞬かせて、“もうひとりの自分”を見つめる琴子。彼女には“失くしもの”なんて無い筈なのに――。
もうひとりの琴子といえば、無邪気に波と戯れて遊んでいる。きゃっきゃ、と幼い笑声が跳ねれば、“本物”の琴子は双眸をそうっと伏せた。
確かに、彼女は自分の一部だったのかも知れない。
琴子は一人っ子だ。そのうえ、学校では友達が出来なかった。ゆえに、同世代の子供たちと関わるよりも、大人に囲まれる機会の方が多かったと云える。そこで自然に身についた振舞は、行儀良く過ごすためのもの。
大人たちのなかで、“小さな大人”として育ってきた琴子は、其の過程できっと『子供らしい私』を失くして仕舞ったのだろう。
想えばウサギの穴に落ちてからも、子供らしく居られたことは無かったような気がする。縁もゆかりもない不思議の国に招かれた時、心細くて寂しくて泣き叫びたかったけれど。アリスの迷宮には恐ろしい人喰い鬼が居るから、大声で叫ぶことなんて出来なかった。
ただ生き延びるために、息を潜めて泣くのを我慢した。琴子は未だ10歳にも成って居ないのに、両親の加護も得られない過酷な日々を送って来た。
もうひとりの彼女はきっと、そんな琴子のこころから自然と抜け出してしまった「幼心」の化身なのだろう。琴子自身は自分のことを、まだまだ「子供」だと思っていたけれど。
――……でも、そうじゃないのでしょうね。
貌を上げた琴子は、子供らしく燥ぎまわる“もうひとりの自分”へと近づいて行く。お別れするのは、ほんの少しだけ寂しいけれど。「かくれんぼ」だって、いつかは終わるものだから。
「子供らしい私、――みぃつけた」
背中からそう聲を掛ければ、幼心の琴子が振り返る。緑色の眸を煌めかせた彼女は、嬉しそうに琴子の手を取った。まるで、「これからはずっと一緒だよ」とでも言いたげに。
ほんの少しだけ眉を下げて、本物の琴子は静かに頸を振る。きっともう、彼女とひとつに成ることは出来ないのだ。琴子が琴子であるために、幼心は帰らなければならない。
「私みたいに、迷子になっちゃ駄目ですからね」
一歩、二歩、足を踏み出し共に海のなかへ入ったら。幼心の手を、そうっと放してあげた。幼心は不思議そうに琴子を見つめた後、笑顔で手を振り碧く煌めく海のなかへと入って行く――。
「……ごめんなさいね」
叶うことなら其の手を取って、一緒に帰ってあげたかった。でも、自分の扉を見つけるまでは帰れないから。幼い後ろ姿が見えなくなる迄、琴子はただ手を振り続けていた。
いつかまた、巡り会える其の日まで。幼心に、さよならを。
大成功
🔵🔵🔵
冴木・蜜
◎
浜辺で足が竦む
視線を落とせば
蒼い筈の海が黒く深い色に沈んでいて
爪先には砕けた眼鏡がひとつ
見覚えがある
この硝子越しに
彼の眸を見つめていた
『苦しむ人々を救おう』
そんな約束を口にする彼を
そっと眼鏡を拾い上げて
闇に透かし見る
私の薬が毒となったあの日
彼と交わした約束は喪われてしまった
裏切られた絶望に沈んで尚
あの時に戻れたらと
彼と並び立つ日々が続いていたらと願うほど
過ごした日々は輝いていた
交わした約束は暖かかった
……、
これは喪われてしまったもの
だから手放さなくては
少し――いえ、かなり
寂しいですけれど
ええ、還しましょう
約束は喪ってしまったけれど
あの時抱いていた想いは
未だ私の中に在る
だからきっと
大丈夫
●三ノ夢『約束の海』
冴木・蜜は、浜辺に居た。
寄せては返す波の音が何処か不穏に響いて、思わず不定形の黒い脚が竦む。不穏の正体を知る為にふと、視線を落とせば、鼓動がどくりと跳ねた。
想像通り、視線の先には海が広がっていたけれど。蒼い筈の其れはいま、彼の躰を構成するタールの如く、――黒く深い彩に沈んでいる。
指先で海面を掬えば、どろりとした液体が纏わりついて来るかもしれないが、試してみる気には到底なれない。
暗澹たる気分を抱きながら視線を足許へ逸らせば、爪先に砕けた眼鏡がひとつ、転がっていた。
見覚えが、ある。
だって此の硝子越しに、紫の双眸で、蜜は彼の眸を見つめていたから。
『苦しむ人々を救おう』
嘗て彼は、そんな“約束”を口にしていた。懐かしさに突き動かされて、蜜はそっと砕けた眼鏡を拾い上げる。フレームを撫でる指先は、僅かに震えていた。
罅割れたレンズ越し、闇に透かし見るのは、何時かの彼と交わした遠い約束。けれど、其れはもう叶わない。
蜜の薬が毒となったあの日。彼と交わした約束は、外ならぬ彼の手によって喪われて仕舞った。
救いたかった筈の人々を、“薬”によって苦しめて。“毒”によって、数多の命を蕩かして。其の罪悪感はきっと、蜜のこころから消え失せることは無いだろう。
けれど、裏切られた絶望に沈んで尚、蜜は希わずには居られないのだ。あの時に戻れたら。そして、彼と並び立つ日々が続いていたら、と――。
其れくらい、ふたりで過ごした日々は輝いていて。彼と交わした約束は、暖かかった。あの日々は嘘なんかじゃないと、そう信じたかった。
こころの裡に潜めた希いを噛み締めながら、蜜は暫し壊れた眼鏡を見つめ続ける。青年にとっての“失くしもの”はきっと、此のレンズ越しに見ていた“彼”との日々であり、彼と交わした大事な約束。
「……これは、喪われてしまったもの」
だから、手放さなくてはならない。
でも、蜜にとって其れは、大切な想い出に違いない。だから正直に言うと、別たれるのは少し、
――……いえ、かなり寂しいですけれど。
彼と過ごしたあの日々が、もう戻って来ないことは知っているから。
引き裂かれそうなこころに蓋をして、蜜はそうっと瞼を閉ざした。瞼の裏に過る想い出たちが、ただただ懐かしい。
押し寄せる波たちは、ざあざあと騒いで、青年の答えを待っている。
「ええ、還しましょう」
彩の薄い唇からぽつりと零れたのは、決意を込めたような、聲だった。
双眸を確りと見開いて、ゆるりとしゃがみ込み、砕けた眼鏡を黒い海へ還す。
割れたレンズが細やかな煌めきを放ちながら、どろり蕩けた黒い海面へ沈んで行く様を、蜜は最後まで見つめて居た……。
ふたりの約束はもう、喪われてしまったけれど。あの時抱いていた“想い”は未だ、確かに此の胸のなかに在る。其れは蜜の命が有る限り、喪われることは無いから。
――だからきっと、大丈夫。
寂しさにそっと蓋をして、いつかの想い出にさようなら。
大成功
🔵🔵🔵
ロキ・バロックヒート
◎
今までいろいろ失くしたけど
一番最初に失くしたものは
今は居ないほかの現身たち
一見ひとのような子供ばかり
赤毛だったりのっぽだったり
何人だったかもどんな子だったかも朧気だけど
皆でかくれんぼもしたことあったっけな
みぃつけた、なんて親愛を篭めて言うと
皆可笑しそうに笑う
ねぇ遊んで頂戴
手を掴まれて引かれた先は
きらきらと水面は白く輝くのに水底は見えない昏い海
共にそちらへ連れてってくれるの
夢から覚めてしまうのがわかっていても
往きたくて逝きたくて
海へ一歩を進もうとしたら離れる手
こちらへ来てはいけないと云われているよう
皆海へゆくのに
なぜだか足は動かないまま
還れない
どうしてひとり残されたのか
そのこたえはここにもない
●四ノ夢『お終いの海』
色々なものを、失くして来た。偏に、終わり無き寿命の所為だ。
ロキ・バロックヒートは煌めく水面を遠く眺めながら、そんなことを物想う。喪失には少しばかり慣れたような気もするけれど。
其れでも矢張り、“一番最初に失くしたもの”のことは何処か惜しく想えるものだ。そして、ロキにとっての其れは、――もう居ないほかの現身たち。
ぺたり、ぺたり。
背中越しに聴こえた足音に、ふと振り返る。其処にずらりと並んで居たのは、外でも無い“失くしもの”の彼等たち。
そうそう、現身たちは、ひとのような容の子供ばかりだった。けれど、どの子もロキとは異なる姿。赤毛の子も居れば、すらりと背の高い子も居る。元はひとつの神から分かたれた存在なのに、こうも違うのも可笑しな話だ。まるで、ひとを真似たよう。
現身たちが何人だったかなんて、覚えていない。だからロキは、眼前に並び立つ子を数えない。現身たちの貌すらもよく覚えていないから、目の前にある彼らの貌もまた朧気だ。
それでも、忘れていないことだって在る。
遠いあの日。皆で無邪気にかくれんぼをして遊んだことが、いまは無性に懐かしい。今日と同じように、あの時もロキが鬼だった。
こんな時、ひとの子はなんと戯れるのだったか。嗚呼、確か……。
「――みぃつけた」
親愛を篭めて、現身たちに微笑みかける。戯れる科白がひどく優しく響いたものだから、皆は可笑しそうに笑ってくれた。束の間の休息の如き、安らかで温かな時間が此処に在る。
『ねぇ、遊んで頂戴』
現身のうちのひとりが、名残惜し気にロキの手を引く。勿論、彼に否は無い。されるが侭、ただ波打ち際へと導かれて行く。
間近で見る海は、何処か深淵に似ていた。きらきらと白く煌めく海面はとても美しいのに、何故だか水底は見えない、――昏く寂しい海。
「共に、そちらへ連れてってくれるの」
此処に入水すれば、総てが終わるような気がして。自然と、紡ぐ聲に期待が滲む。これは夢だと云うことも、入水すれば夢から醒めて仕舞うことも、本当は全部分かっていた。
けれど、死にたがりの神は、往きたくて逝きたくて仕方がない。
不思議と安らかな気持ちのまま海へ一歩、踏み出した刹那。幼い掌が、不意に彼の手を離した。其の様がまるで「こちらへ来てはいけない」と、そう云っているように想えて。ロキは思わず、ひたりと歩みを止める。
現身たちはそんな彼を横目に通り過ぎ、ひとり、またひとりと海へ還って往く。本当はロキも後を追い掛けたいのに、何故だか脚は動いてくれなかった。
――……還れない。
あの静かな水底へ、自身も連れて行って欲しいのに。還ることは、赦されない。
どうしてひとり残されたのか、其の答えは此処にも無い。ロキに出来ることはただ、ゆるりと沈みゆく現身たちの後ろ姿を、最期まで見送ることだけ――。
ひとは海から生まれ、いつか海へと還るのだと云う。ならば“神”は何から生まれ、何処へと還るのだろう。
煌めく白い水面が、やけに眩しくて。眼の奥が熱を孕んだように、痛かった。
いつか同じ場所へ還れる日を望みながら、いまは同胞たちに左様なら。
大成功
🔵🔵🔵
荻原・志桜
◎
ひっ…、いまの声なに?
囁く声に震える
幽霊やお化けの類は苦手なのに
広がる海に恐々と辺りを見回せば
波打ち際に佇む桜色の髪をもつ青年
先生…?なんで此処に
わたしはやることがあって、その…
記憶と相違ない姿
人の名前を一度も呼ばず横暴で直ぐ手が出る彼
胸に刺さる強い言葉ばかり吐くけど
暖かな優しさが分かり辛くも常に宿っていた
溜息吐き乍ら海へ進んで行こうとする彼に慌てて手を伸ばせば
逆に引っ張られ海へ放られる
わあ?!ちょっと昊くん!
なにする――
連れて行かれるのではなく目を覚ませと言わんばかりの行動
相変わらず面倒なヤツと心底呆れた紫の双眸に泣きそうになる
幻でも本当そっくりなんだから
わかってるよ。まだ諦めてないから…
●五ノ夢『夢追いの海』
「ひっ……」
突如として聞こえた無垢な囁き聲に、荻原・志桜は思わず息を呑む。幽霊やお化けの類は苦手なのに、如何にも何か出そうな夜の砂浜へと遣って来てしまった。
――いまの声、なに?
震えながら眼を閉じて、此れ以上何も聞こえぬように耳を塞ぐ。脳内に直接語り掛けて来たらどうしよう、なんて思ったけれど。彼女を包み込むのは、静寂のみ。
そうっと耳から手を降ろし、薄らと眸を開ける。何だろう、夜なのに眩しい。恐る恐る眸を開ければ、其処には何の変哲も無い青海が広がっていた。
明るくて爽やかな其の光景は、夜の海よりも幾分マシではあるけれど。世界がいきなり彩を変えたものだから、志桜は戸惑いを隠せない。他の猟兵を探して頸を巡らせた矢先、波打ち際に佇む影に見覚えが有ったものだから。少女は思わず翠の双眸を見開いた。
「先生……?」
其処に居たのは、志桜と同じ桜色の髪を揺らす青年。たったひとりの、――彼女の魔法使い。有り得ない邂逅に、少女のこころは掻き乱される。先生がどうして此処に……。
ひとり混乱する志桜へ、青年の厳しい視線が容赦なく突き刺さる。どうして此処に来たんだと、そう言わんばかりの圧を受けて彼女はおずおずと縮こまった。
「わたしは、やることがあって、その……」
軽く俯きながらも、上目で青年の容を観察する。彼女の先生は、――記憶と相違ない姿。そう、思えば無茶苦茶なひとだった。
人の名前を一度も呼ばず、横暴で直ぐ手が出て。胸に刺さる強い言葉ばかり吐く。彼との想い出を反芻する度に、ときめきとは違う意味で胸がドキドキして仕舞う。
けれど、其の厳しい態度の裏に、暖かな優しさが宿っていたことを、志桜はちゃんと知っていた。だからこそ、彼女は先生が示してくれた道を歩み続けている。
とはいえ、何をどう話したものか。口籠る彼女を暫し見降ろした青年は、軈て溜息をひとつ零し、迷いなく海へと歩みを進めて行く。
「あっ、先生……!」
そっちは危ないと、慌てて彼に手を伸ばしたけれど。ぐいっ――と、大きな掌から逆に引っ張られた。一瞬の浮遊感の後、海へふわりと放り投げられる。
「わあ!?」
――ざぶんっ。
盛大な水飛沫を上げて、海面へと落下する志桜。揺らめく波が優しく其の身を受け止めてくれたから怪我は無いけれど、危ない行為に変わりない。少女は素直に憤慨した。
「ちょっと昊くん!」
霞む視界をごしごしと掌で拭えば、漸く視力が戻って来たような気がする。水面から顔を覗かせた志桜は、頬を膨らませながら先生の方を見た、筈だった。
「なにする――……」
気づけば、其処は寂しい夜の海。どうやら、元居た場所に帰って来れたようだ。それに、服も髪も濡れていない。
つまり、――先ほどの青年の行動は総て、志桜の目を覚ませる為のもの。漸く其れに思い至った少女は、くすりと細やかな笑声を零す。また、助けられて仕舞った。
「幻でも、本当そっくりなんだから」
海に落ちる前に見た、「相変わらず面倒なヤツ」と言わんばかりの貌。そして、心底呆れたように細められた紫の双眸。それらを思い出す程に、涙が込み上げて来る。
――わかってるよ。まだ諦めてないから……。
青年への誓いを胸に抱き、志桜は帽子の鍔をぎゅっと掴んで貌を隠した。潤む双眸を見られたら、きっと叱られて仕舞うから。
確りと前を向いて、過ぎし日にさよならを。
大成功
🔵🔵🔵
リオネル・エコーズ
見覚えのある姿
気付いたら 待って と声をかけてた
振り返った悲しそうな顔
花の刺繍が綺麗な水色のドレス
覚えてる
帰りたい
お父様お母様に会いたいって泣いていた同じ人形のあの子だ
その感情に、俺は俺の都合の為だけに歌で蓋を被せた
でもいつからか見なくなって
『彼女』に訊ねたら飽きたから人にやったとだけ
…今更君に謝ったって何も変わらないよね
君がどこにいるのか
…生きてるのか
…生きていないかどうかも、わからないのに
多分
ここで手を伸ばして引き止めるのも
謝るのも、違う
君がどんな形でいるとしてもそれはここじゃなくて
あの常闇の世界だ
俺の願う結果にならないとしても
いつかあの世界で君を見つけるから
だから今はここで
君を海に還そう
●六ノ夢『誓いの海』
つい先ほどまで、夜の海辺に居た筈なのに――。
ふと気が付くと、リオネル・エコーズは真昼の浜辺に居た。海面をきらきらと照らす日差しが眩しくて、オールドオーキッドの双眸が思わず細く成る。
幾分か狭まった視界のなか、波打ち際を歩く影が有る。オブリビオンでは無さそうだ。なにせ“それ”は、見覚えのある姿をしていたから。
「――待って」
気が付いた時には、そう聲を掛けていた。ゆるりと振り返ったのは、ひとりの少女。深い悲しみに沈んだ貌、綺麗な花の刺繍が印象的な水色のドレス。嗚呼、矢張り思い違いなんかじゃ無かった。
リオネルは、彼女のことをちゃんと覚えている。だって彼女もまた、彼と同じ『人形』だったのだから。
『帰りたい』
『お父様、お母様に会いたい』
リオネルと同じく、吸血鬼の館に囲われていた少女は、そう言ってよく泣いていた。家族が恋しい気持ちは、彼にもよく分かる。けれども、愛する家族を守るためリオネルには逃げることが出来なかった。きっと、それは少女も同じ筈だ。
だから彼は、少女の悲哀に人形らしく蓋を被せたのだ。最も得意とする「歌」で以て――。
同情心から、そんなことをしたのだろうか。いや、きっと違う。リオネルは自身のために、彼女の悲哀を封じたのだ。笑顔で別れた家族への恋しさが、彼女に釣られて募る前に。
けれど、いつからか館で少女の姿を見ることは無くなった。
気になって『彼女』に訊ねてみたら、「飽きたから人にやった」とだけ返って来た。嗚呼、こんなことに成るのなら、存分に泣かせてやれば良かった。
「……今更君に謝ったって、何も変わらないよね」
哀し気な表情を崩さぬ少女を前に、リオネルは物憂げに眸を伏せる。少女がどこにいるのか。そもそも、生きているのかどうかも分からないのに。謝罪の言葉に、一体何の意味が有るのだろう。
――多分。ここで手を伸ばして引き止めるのも、謝るのも、違う。
だから、リオネルは何も言わない。
少女が如何な顛末を辿っていたとしても、其れは此の美しい海辺で起きた噺ではなく、あの残酷な常闇の世界で起きた噺だ。
ゆえにこそ、眼前の少女は本当の“君”では無い。
「いつかあの世界で、君を見付けるから」
そして、其の時こそ、ちゃんと謝るから。
リオネルは深海彩の長い髪を揺らして、少女にそっと小指を差し出した。少女は悲し気な貌に僅かな微笑を湛えて、静かに小指を絡ませてくれる。
仮初の世界で交わすのは、誓いにも似た、細やかな約束。
――喩え俺の願う結果に、ならないとしても……。
彼の帰るべき場所は、ただひとつ。其の行き先は決して、青い海では無い。
だから今はここで、君を海に還そう。
「――……♪」
そうっと絡め合った指先を解いた後、リオネルの唇は穏やかな調べを紡ぐ。其の美しい歌聲に聞き惚れた少女は、芒と眸を弛ませて夢見心地。
少女は耳朶に捉えた旋律に誘われるかの如く、ふらりふらりと、自ら海の中へ歩みを進めて行く。
ざあ、ざあ。
押し寄せる波が優しく少女を攫って行けば、後に残るはほんの少しの後悔と。夜明けを思わせる翼を持った天使が歌う、柔らかな調べのみ――。
いつかまた会う日まで、どうかお元気で。
大成功
🔵🔵🔵
天音・亮
◎
月を追いかけていたはずなのに
その姿はいつの間にか消えちゃって
ちゃぷり気付けば蹴った海水
懐かしいものが
いくつも見えた、聴こえた
楽しげな高い声でカラオケ行くぞー
なんて言ってくるのは猟兵でも何でもない「普通の友人達」
かわいいななんて頭を撫でる
付き合っていた「普通の彼氏」
命の危険なんて知らないで
戦うヒーロー達はかっこいいなって
まるでテレビの向こうの世界の事のように
でも私はそんな普通を手放した
助けたい人がいる
守りたい世界がある
私は後悔してないよ
だって
その「普通」だって私が守りたいもののひとつだもん
きっかけはお兄ちゃんだけど
決めたのはその日常があったから
だから、バイバイ
私の大好きな大好きな「普通の世界」
●七ノ夢『日常の海』
――ちゃぷり。
爪先が海水を蹴って、ふと我に返る。さっきまで、月を追いかけていたはずなのに。其の姿はいつの間にか消えてしまっていて、代わりに青い海が広がっている。
いきなり彩を変えた世界を前にして、天音・亮は不思議そうに周囲を見回してみる。此処は何の変哲も無い浜辺だけれど、何処か様子が違った。
『カラオケ行くぞー』
愉し気な、高い聲が聴こえる。聞き覚えのある、呑気な喋り方。あれは、猟兵でもヒーローでも無い「普通の友人たち」の聲だ。
気づけば亮は、彼らと並んで波打ち際を歩いていた。
『いいね、オールしちゃお』
『亮めっちゃ歌上手いよね、今日なに歌う?』
そうやって話しかけて来る友人たちとの、何気ない「普通の会話」が懐かしい。けれど、其れは過去のものだから――。
亮はぴたりと動きを止めて、友人たちの“群れ”から離れる。すると、次に現れるのは、見覚えのある男性のシルエット。
『……かわいいな』
隣に並び立つ彼は、亮の頭を優しく撫でてくれる。嗚呼、懐かしい。彼は嘗て付き合っていた「普通の彼氏」だ。勿論、猟兵でもヒーローでも無い。でもやっぱり、あの温かな時間も過去のものだから――。
亮はそっと、彼から距離を取った。
「普通」のひとたちは、戦うヒーローたちを「かっこいいな」と褒めそやす。まるでテレビの向こうの、フィクションの世界のことのように。
けれど、ヒーローがいるこの世界は現実だ。ヴィランに必ず勝てるとも限らないし、どのヒーローも死と隣り合わせで戦っている。
それなのに、みんなヒーローの華やかな面ばかりを見ている。「普通」とは、それほど気楽なものだ。
嘗ての亮だって、「普通の女の子」だった。親と喧嘩したり、友達と遊んだり、恋をしたり、勉強したり……。
危険とは無縁な、安定しているけれど代り映えの無い、そんな日々を送っていた。
――でも、私はそんな『普通』を手放した。
亮には助けたい人がいる。なにより、守りたい世界がある。だからこそ、愉しい時間に背を向けて、温かな時間を振り切って、空を翔るヒーローに成った。
「――私は、後悔してないよ」
でも、其の「普通」だって、亮が守りたいもののひとつ。
お気楽な友達だって、甘やかしてくれる彼氏だって、彼女は別に嫌いじゃ無かった。寧ろ、かなり好きだったと思う。
ヒーローに成るきっかけは、兄がくれたけれど。其れを決断出来たのはきっと、きらきらと輝くような、何気ない日常の積み重ねがあったから。
だからこそ、いま胸を張って、さよならを言える。
「バイバイ」
――私の大好きな、大好きな『普通の世界』。
青い海の向こう、普通の友人たちが、普通の彼氏が、ゆっくりと消えて行く。其の様を、亮は何処か清々しい気持ちで見送っていた。
もう逢えなくとも同じ空の下に居るから、明るい笑顔でさようなら。
大成功
🔵🔵🔵
ディイ・ディー
嘗て海辺で花火を見た
或る魔女との懐かしい記憶が蘇る
ずっと一緒に居られたら良い
当時は恋仲でも何でもなかったが
あの日、そう思った
未だ宝石の呪いに侵されていない
瞳の色も澄んだ海のような
蒼色のままの彼女、エーリカ
彼女との日々
それが俺の失くしたもの
一番の理解者だった
生まれ乍らに呪いを宿す
俺という存在を受け入れてくれた
叶うなら今だって一緒に、
……違う、叶わない
失くしたものもあるが得たものだってある
お前の瞳はもう炎のような紅で
その存在は倒すべき邪神になった
俺が斬るべきものはお前だ、エーリカ
鐡、と妖刀を呼び幻想を斬り伏せる
還すのはこの海より果ての、骸の海
ほら、やっぱり幻でしかないんだ
だって本当のエーリカは――
●八ノ夢『邂逅の海』
どんっ――。
大砲にも似た音が、色鮮やかな光が、昏い海面へと降り注ぐ。華やかな光景に惹かれるように、ディイ・ディーは静かに空を仰いだ。
嘗てこんな風に、海辺で花火を見たことがある。
懐かしい記憶を辿るように、青年は自身の隣へと視線を向ける。其処には、何時かと同じように、――あの“魔女”が居た。
「エーリカ……」
有り得ない光景に、思わず青色の目を瞠る。当時のふたりは、恋仲だった訳でも無い。ただあの日、ずっと一緒に居られたら良いと、ディイがそう思ったのは確かだ。
靜に花火を見上げる魔女の横貌を、青年はじっと見つめる。宝石の呪いは未だ、彼女を蝕んでいないらしい。其の双眸は、澄んだ海のような彩をしていた。
間違いない。蒼彩の侭の彼女は、もう喪われてしまったエーリカ、――その人だ。
エーリカは、一番の理解者だった。生まれながらにして其の身に呪いを宿す、そんなディイの存在を温かく受け入れてくれたのに。彼女は、彼の隣から居なくなった。
けれど、叶うなら今だって一緒に――。
「……違う」
其の願いはもう、叶わない。
それは、ディイだって分かっている。壊れた物は戻らないし、去った人は戻って来ない。憂き世の摂理は、そういうものだから。
それに、――失くしたものもあるけれど、大事な絆を得ることが出来た。彼の隣に居るべきひとは、もう彼女じゃ無い。
彼の魔女の瞳はいま、炎の如き紅彩に染まり往き。其の存在は、倒すべき邪神と成り果てた。だからこそ、其の願いを叶える訳にはいかない。
「俺が斬るべきものはお前だ、エーリカ」
青年の聲が、重たく夜の闇に響いた。ふたりの頭上では相変わらず、色鮮やかな花火が賑やかに咲き誇っている。
どんっ――。
また、花火が上がった。夜空に咲く赤花は、魔女の貌を何処までも幻想的に照らしていて、ロマンチック。そんな空の下、これから彼女を消すなんて、まるで悪い冗談のよう。
「――鐡」
迷いを振り切るかの如く頭を振り、妖刀の銘を呼ぶ。黒鉄の刀身が呪炎を纏えば、此のロマンチックな幻想を、――そしてエーリカを、確りと握りしめた妖刀で斬り伏せた。
力無く崩れ落ちるエーリカを受け止めるのは、宵闇に染まった昏い海。彼女が還る場所はきっと、此の海の底ではなく、『躯の海』だ。
だと云うのに、彼女の遺骸は押し寄せる波に攫われて行く。其の様を横目で眺めながら、ディイは靜に妖刀を鞘に収める。
――……ほら、やっぱり幻でしかないんだ。
だって本当のエーリカは、未だ彼の前に現れてはくれないから。
気づけば、花火は終わっていた。夜の静寂に包まれた浜辺にて、青年は溜息をひとつ。こころの裡に込上げた感情は、果たして安堵だったのか。或いは――。
またいつかお目に掛かれる其の日まで、別れの言葉は仕舞っておこう。
大成功
🔵🔵🔵
ベアトリーチェ・アデレイド
WIZ ◎
②
先程見せられた悪夢に眩暈がする
男を追いかけるも、砂浜に足をとられて転んでしまった
早く追いかけなければ、立ち上がった先にいる人影に目を見張った
ダンテ
わたくしのせいで心を喪ってしまったダンテ
もう頬笑む事も、話す言葉も喪ってしまったわたくしの愛しい人
ありえないと、夢だと、幻だと自分に言い聞かせても
どうして、拒む事が出来るだろう
わたくしは貴方の傍にさえ、いられればいいのです
それが生でも死でも
貴方の傍であれば些末な事
手を伸ばし、足を踏み出した瞬間
幻は消えてしまった
虚しさに掴み損ねた手を握り締める
涙を流す事も出来ない人形の身を怨んだ
それでも、前に進むしか無い
それが、わたくしの贖罪だから
●九ノ夢『恋慕の海』
先程見せられた悪夢が、脳裏から離れない。くらくらと、眩暈がする。
ベアトリーチェ・アデレイドは、それでも、課せられた任務を果たす為に男の後を追い掛けていた。
ふと、――ぐらり視界が揺れる。気付いた時には、地面に倒れ込んでいた。どうやら砂浜に足を取られて、転んでしまったらしい。
早く追いかけなければ、見失って仕舞う。そう想って立ち上がった矢先、視界に映る人影に思わず眸を瞠った。
「――ダンテ」
波打ち際には、嘗てこころを喪った筈の最愛のひとが佇んで居た。悪夢の続きを、見ているのだろうか。いや、此処に父の影は無いし、彼の躰に纏わりつく絲も無い。ならば彼は、本物だろうか。
「嗚呼、ダンテ……」
聲を震わせながら、愛しい其の名を呼ぶ。想像主の怒りに触れて、心を喪ってしまったダンテ。亡骸と成って仕舞った彼は、もう頬笑む事も出来ないし、話す言葉も喪って仕舞ったけれど。今も此の想いは変わらない。ベアトリーチェにとってダンテは、何時いかなる時も“愛しい人”のまま――。
だから、こんなこと有り得ないと。これは夢か幻だと。自らにそう言い聞かせても、こころは其れに従ってくれない。
嗚呼、目の前に愛しいひとが居るのに。どうして、拒むことが出来るだろう。
「わたくしは貴方の傍にさえ、いられればいいのです」
其の先に待って居るものが「生」であろうと、「死」であろうと。彼の傍に居られるのなら、何もかもが些末なこと。
ただ愛しさのまま、彼に触れたくて。繊細な指先をそうっと伸ばし、ベアトリーチェは海へと駆け出した。ダンテは優しく腕を広げ、彼女を待っていてくれる。
その、筈だったのに。抱き締めようとした刹那、幻は海のなかへと消えて仕舞った。翠の双眸を見開いて、乙女人形は波打ち際に崩れ落ちる。一緒に、還れなかった。
「どうして……」
わたくしを、連れて行ってくれないの。
込み上げて来る虚しさに、掴み損ねた手を握り締める。血の通わぬ指先は、ひどく冷たい。どうしようも無い悲しみに長い睫をそっと伏せても、涙なんて零れない。
こんなに胸が切なくて苦しいのに、人形の身の上では泣くことすら叶わないのだ。その事実が、どうしようもなく怨めしい。
此の身が人形では無かったら、彼と普通に戀に堕ちることが出来たのだろうか。今も彼は、隣で優しく微笑んでくれて居たのだろうか。
「もしも」の噺に思いを馳せども、起きて仕舞ったことは変わらないから。傷付きながらも、前に進むしか道は無いのだ。
――……それが、わたくしの贖罪だから。
いつかきっと奇跡を起こす為、ベアトリーチェは貌を上げて立ち上がる。彼のこころを取り戻す旅路は、こんな所で終わらない。
気付けば青い海は姿を消して、周囲の様子は元通り。彼女の視界にはいま、昏くて寂しい夜の砂浜が広がっていた。
いつか其の絲が解ける日を信じて、あなたの面影にさよならを。
大成功
🔵🔵🔵
シキ・ジルモント
◎
見つけたのは、壊れた小型のマスケット銃
目の前で死んでしまった恩人が、まだ銃の扱いに慣れない俺に練習用として与えてくれた物
…恩人と一緒に、失ってしまった物だ
近付いて拾ってみて
不意に涙が流れそうになって、反射的に堪える
ああ、そうだった
あの時なくしたのは、このマスケットと恩人だけではなかった
大切な人を失って随分泣いて、その涙が止まった時に決めた事がある
この先一人で生きていく為に強くならなければならない
だから弱い自分を見せてはいけない、涙を流すのはこれきりにすると
失くしたもの…自ら封じた涙と共に、壊れたマスケットをそっと海へ還す
そうだ、涙は必要無い
見つけてしまったかつての弱さを、自分の奥深くへと隠す
●十ノ夢『涕涙の海』
夜の砂浜へ辿り着いた筈なのに。気が付けば、白昼の浜辺に居た。これもきっと、邪神が見せる幻なのだろう。
シキ・ジルモントは警戒を緩めずに、ゆっくりと周囲を見回して。ふと、長閑な此の光景に相応しく無い、或る“落しもの”を双眸に捉えた。
白い砂浜の上に、マスケット銃が落ちているのだ。
壊れた其れに見覚えが有ったものだから。まるで引き寄せられるかのように、シキは其方へ歩みを進めて行く。
あのマスケット銃は、彼にとって“想い出の品”だ。
未だ銃の扱いに慣れていなかった頃。練習用として恩人が、彼に与えてくれた銃。それが、あのマスケットだった。
けれど其れは、彼の眼前で恩人と一緒に、喪われてしまった筈だが……。
足元に転がるマスケットを改めて見降ろして、矢張り本物だと確信する。其の聊か小さい銃身には、よく見覚えが有った。
壊れた其れを靜に拾い上げれば、意外なほどに手に馴染んで懐かしい。胸にじわじわと込み上げて来る感情に、潤み掛けた蒼い眸から思わず涙が零れそうになって。堪える為に、そうっと空を仰ぐ。
嗚呼、厭に成るほど晴れやかで、青い空が広がっている。
――……ああ、そうだった。
思い返せば、あの時に失くしたのは、マスケット銃と恩人だけでは無い。
大切な人を喪った哀しみと後悔に随分泣いて、涙が漸く止まった其の時。彼はひとつ、胸に誓ったのだ。
この先一人で生きていく為には、強くならなければならない。だから――。
『弱い自分を見せてはいけない、涙を流すのはこれきりだ』
そう、シキが失くしたものは“涙”。其れは嘗て、自分のなかに在った“弱さ”の象徴。哀しみに蓋をして強くあれと、そう自分を鼓舞して生きて来たけれど。遂に、棄てた筈の其れと、また出逢ってしまった。
眸の端に溜まった雫を人差し指で払い除けて、シキは靜に海へと歩み寄る。胸裏に渦巻く様々な感情に折り合いをつけながら……。
そうして漸く波打ち際まで辿り着けば、白い波が彼を歓迎するかの如く其の爪先へと寄せては返しお出迎え。けれど、海に還るのは彼では無い。
とっくの昔に、シキは決意を固めているのだ。
「……涙は、必要無い」
一度だけ双眸を閉じて、こころの裡で“失くしもの”に別れを告げたのち。恩師から貰った大切なマスケットを、押し寄せる波へと呉れて遣る。
まるで、見つけてしまったかつての弱さを、こころの奥深くへと隠すように――。
壊れた其の銃は、自ら封じた涙と共に青い海へと沈んで行き、直ぐに見えなくなった。此のまま遠くまで流されたら、いつかは恩人の所まで辿り着けるだろうか。
願わくば、もう二度と巡り逢わぬことを祈って。弱い自分にさようなら。
大成功
🔵🔵🔵
旭・まどか
◎
青い
突き抜ける程に何処までも青くて
とても静かで深い青が、此処に
お前がひとり、逝ってしまった場所
二つ足で進んでしまった場所
月と星と青しかない其処に再び足を沈めている
その水の冷たさを、僕は、識らない。知れない
ねぇ……、そっちは寒く無い?
冷たくは、無いの
いつもあたたかなものに囲まれていたお前
お前の笑顔は正しく太陽で
それが、独りの場所へ向かってしまった
ぼくも、そっちへ――
水面へ向かおうと踏んだ砂利の音が遠く
ゆるく首を振るお前の姿だけが、近い
待って
伸ばした手は届かない
お前はまた、“ひとり”でそっちへ行ってしまう
追い掛けて追い掛けて
海へ向かうはぼくの方が相応しいのに
嗚呼、また
お前はまたぼくを、置いて行く
●十一ノ夢『孤独の海』
旭・まどかが薔薇色の眸をふと開くと、其処には海が広がっていた。突き抜ける程に何処までも青く、静謐で深い彩が、此処に在る。
海はこんなにも青いのに、空に煌めいているのは満天の星々と、それから美しいお月様。この光景に、少年は見覚えが有った。
此処は“お前”がひとり、逝ってしまった場所。二つの脚で、奥へと進んで仕舞った忌避すべき場所。だとしたら、此処にはきっと……。
「嗚呼……」
唇から零れ堕ちた其れは、嘆きにも似た、溜息。
ほら、やっぱり“お前”が居た。揺らめく水面に写した月と星と、何処までも広がる青しかない其処に、再び脚を沈めている。そして双つの瞳で、此方をじっと見つめている。
其の水の冷たさを、まどかは識らないし、知ることも出来ない。だから、言葉を尽くして“お前”のことを知ろうとする。
「ねぇ……、そっちは寒く無い?」
答えは返って来ない。ふたりの間に流れるのは、ただ沈黙のみ。“お前”が何も答えてはくれないことは、こころの何処かで薄々分かっていたけれど。
「冷たくは、無いの」
憎まれ口を叩くことも忘れて、再び聲を掛ける。だって、此の場所は余りにも寂しくて、“お前”には凡そ似合わないから――。
まどかの記憶のなかの“お前”は、いつも温かなものに囲まれていた。其の笑顔は正しく太陽のようで、其処に居るだけで周囲が明るく成るような存在だった。
それなのに、“お前”は独りの場所へ向かってしまった。独りの場所が相応しいのは、きっと“ぼく”の方なのに……。
どうして、何故と、理由を聞きたかった。けれど、答えを聞くことは叶わない。
「ぼくも、そっちへ――」
“お前”が佇む水面へ向かおうと、踏み締めた砂利の音は何処か遠い。けれども、緩やかに頸を振る“お前”の姿だけが、不思議なほどに近かった。
嗚呼、お前はそうやって、ぼくに生きろと云うの。
「……待って」
伸ばした手は届かない、何故なら脚が動かないから。まどかは二歩目を踏み出すことが出来ず、引き留める聲すらも届かずに。“お前”はまた、“ひとり”で彼方へ行って仕舞う。
追い掛けて、追い掛けて。海へ向かうは、まどかの方が相応しいのに。青の中に還りゆく“お前”の背中が、段々と小さく成って。
――嗚呼、また……。
お前はまた、ぼくを、置いて行く。
どうして太陽たる“お前”が喪われて、月たる“まどか”が此処に居るのか。その意味も理由も、また識れなかった。
華奢な躰に背負う生は余りにも重く、与えられた時間は余りにも永い。
少年は見開いた薔薇の眸で、水面に揺らめく月をただ芒と見つめていた――。
果てしなく遠い太陽へ、焦がれながらもお別れを。またいつか、朝は来るから。
大成功
🔵🔵🔵
橙樹・千織
◎
消えてしまった
猟兵の力が目覚めたあの日
奇しくも前の私が命を落としたのと同じ歳に
前世の記憶を持たぬわたしが
消えた
力のみを得て、記憶を得なかったなら
人と距離を取ること無く
親しい友人がいたのかもしれない
猟兵ではなく、巫女の仕事に重きを置いていたかもしれない
なんて
今となってはわからないけれど…
ふとした瞬間、揺らいでしまう
私は本当に此処に存るのかと
今までのことは夢幻ではなく、ちゃんと現実だったのかと
記憶を得てしまったわたしは何なのかと
問うても答えが無いとわかっているけれど
どうか
私は今、確かに此処に在ると
記憶を得ていても
今の私がわたしであると、言って…
そうすれば
私はわたしを
海に還せるはずだから
●十二ノ夢『自意識の海』
橙樹・千織には、前世の記憶が有る。猟兵の力が目覚めたあの日、過ぎ去りし日の記憶と、彼女は出逢って仕舞ったのだ。奇しくも其れは、前世の千織が命を落とした時と同じ歳の頃の噺。そして其の時、前世の記憶を持たぬ千織は、――消えた。
千織にとっての“失くしもの”は、前世など知らぬ、あどけない普通の人間であった頃の自分自身。そんな「わたし」はもう、消えてしまった筈なのに。
白い砂浜の上には、いまの面影を残しながらも幼気な佇まいの“千織”が居た。ざあざあ――。寄せては返す波の音は、現在の千織が裡に秘めた「もしも」の想像を呼び起こす。
もしも、猟兵として覚醒したあの時に。力のみを得て、記憶を得なかったなら、――人と距離を取ること無く、歳を重ねることが出来たのだろう。もしかしたら、親しい友人がいたのかもしれない。或いは猟兵ではなく、巫女の仕事に重きを置いていたかも知れない。
――今となっては、わからないことだけれど……。
其れでも、ふとした瞬間。例えば、こんな幻想を見せられると、つい。足元がぐらぐらと、揺らいで仕舞う。前世の記憶が有るということは、つまり――。
嘗ての千織は、違う人間として生きていたということ。ゆえに、ふと“橙樹・千織”の人生は、前世の自分が見ている永い夢なのでは無いかと。そんな不安に襲われる時がある。
――……私は本当に、此処に存るの。
今までのことは夢幻ではなく、ちゃんと現実だった――と。千織はそう、前世の自分へ胸を張ることが出来るだろうか。
そもそも、前世の記憶を得てしまった「わたし」は“何”なのだろうか。“千織”と“前世のわたし”、果たして何方が今世の主役なのだろう。
卵が先か、鶏が先か、なんて。問うても答えが無いものだと、分かっているけれど。それでも千織は、ちゃんと証明したいのだ。そして願わくば、あどけない自分の口から、望む答えを得たいと思っている。
――……どうか。
祈るような想いで、口を開く。縋るような想いで、砂浜に佇む“わたし”へ手を伸ばす。言の葉を紡ぐ彼女の花唇は、微かに震えていた。
どうか、私はいま、確かに此処に在るのだと。そして、記憶を得ていても、
「今の私が『わたし』であると、言って……」
そうすればきっと、“私”は“わたし”を、海へ還せる筈だから――。
喪われた“あの頃のわたし”がふと、千織のあえかな指先を取る。彼女と同じ橙の双眸が優しく弛み、花唇は穏やかな微笑を描く。
懇願めいた科白に優しく首肯する、其のあどけない姿を暫し見降ろした千織は、軈て双眸を靜に閉じる。そうして白く儚げな其の手を引いて、迷子を導くように彼女を海へ……。
きっと、胸を張って生きて行くから。いつかの“わたし”に左様なら。
大成功
🔵🔵🔵
蘭・七結
◎
寄せては引いてを繰り返すあかい波
波に紛れて微笑がきこえる
漆黒の婚礼衣装を纏う鬼
あかい鎖で繋がれていた柘榴石の指輪は
契りの指にて鈍い彩を放つ
嗚呼、鬼は――以前のわたしは
その日を心待ちにしていた
十六の歳を迎える日
『あなた』と契り、いのちを捧ごうとした
盲目であったわたし
『かみさま』だけを鎖した世界
それでよかった
――けれど、
柘榴石は爆ぜ、散り散りとなった
『あなた』はわたしの前へと現れてくれた
歩みのなかでいきるしるべを、こころを得た
十六を迎えた今も、わたしはいきている
金糸雀の双眸は契りの証
彩を細め、鬼が笑む
“いま、しあわせ?”
――ええ、しあわせよ
あなたの想いもこころも抱きしめて
わたしは、いきてゆくわ
●十三ノ夢『別離の海』
蘭・七結は、寄せては引いてを繰り返す波を、ただ眺めていた。ざあざあ、心地の良い音を立てる海の彩は、――あかい。けれども、先ほどの悪夢とは異なって、何処か穏やかな彩に見えるのは何故だろう。
ふと、波の音に紛れて。鈴音を転がすような、――そんな微笑が聴こえた。何事かと少女が視線を向けた先、其処には見慣れた『鬼』が居た。
ハレの日に、通り掛かって仕舞ったのだろうか。彼女は漆黒の婚礼衣装を纏っている。あかい海、桃色の砂浜に、漆黒の其の装いはよく映えた。其れ故か、七結は視線を逸らせずに、其の鬼の姿を紫水晶の双眸で凝視する。
契りの指にて鈍い彩を放っているのは、あかい鎖で繫がれていた柘榴石の指輪。あえかな指先で其れを愛おし気に撫でるのは、何処までも仕合わせそうで……。
嗚呼、其の鬼は、――以前の“わたし”だ。
どうして見間違えようか。嘗ての七結は、其の日を心待ちにしていたのだから……。
十六の歳を迎える日、七結は『あなた』と契り、いのちを捧ごうとした。戀の病に浮かされて、七結は殆ど盲目であった。乙女のこころの裡には、紫水晶の眸には、『かみさま』だけを鎖した世界が広がっていた。
其れは人からしたらきっと、小さな匣庭のように視えただろうけれど。それでも、良かったのだ。だって、狂おしい程に想いは深くて、どうしようも無い程に愛おしかったから。
――けれど。柘榴石は爆ぜ、『鬼』と『かみさま』は散り散りとなった。
それでも、戀の残滓はふたりを繋いでくれたよう。或る日『あなた』は、七結の前へと現れてくれた。そうして、歩みのなかで生きる標を、こころを得て、――嘗ての『鬼』は少女に成った。此の身を焦がす程の切なさを、倫理を狂わせる程の慾を、教えてくれたのも『あなた』だったように想う。
つい先日、目出度く十六の誕生日を迎えた今も、七結は“生きている”。
其れを見て、あの鬼は何を想うのだろうか。其れだけが、――ほんの少し、気がかりだった。
ふと、金糸雀の双眸と視線が絡んだ。いまと異なる其の彩は、契りの証。嗚呼、其れ程までに、『鬼』は『かみさま』を愛していたのだ。
『いま、しあわせ?」
紫水晶の眸を見つめて、鬼がふっと微笑む。細められた金糸雀の眸が、寂し気で切なかったけれど。真っ直ぐに見つめ返して、少女も嫋やかに微笑んで見せる。
「――ええ、しあわせよ」
温かな春と巡り合い、生を祝われる喜びも識ることが出来て。いま、充分に幸せだから。嘗ての鬼へ向けて、凛と胸を張る。
あなたの想いもこころも、総てを抱きしめて。
「わたしは、いきてゆくわ」
其の言葉を聞き届けた鬼は、こくりと小さく首肯した。良かったと言いたげな、穏やかな貌をしたのち、漆黒の花嫁はまた独りきりで、婚礼の行列を続けて行く。
目指す先は、――あかい海。
ちゃぷん、と。細やかな水飛沫の音だけを遺し、鬼は軈ていのちの彩を映した波に呑まれて往く。其の後ろ姿を最期まで見届けていたのは、牡丹一華の少女、――ただ独り。
いまの幸せを胸いっぱいに抱き締めて。有り得た未来にさよならを。
大成功
🔵🔵🔵
清川・シャル
◎
それは暁に染る海
見えるのは失くした両親のシルエット
一緒に行こうって手招きが見えます
ごめんね父様母様
シャルは一緒には行けないの
だって、泳げないから
泣いたような笑い顔
最近こうして依頼でその影を追う事が多いけど、まだ親離れ出来てないのかもしれません
顔も知らないけどね
今は絶賛反抗期
一緒に居たら、友達優先して「うるさいなぁ!」なんて言ってしまうのかも
離れてるから大切にできるって、あるかもしれない
でも寂しくはないから大丈夫だよ
ゆっくりそっちから見守っていて
大好きな暁色の空に溶けて消えて
シャルは、現実に戻ります
●十四ノ海『追慕の海』
暁の空は、茜色に染まっている。眼下に広がる海も勿論、空の色を映した茜色。灰に流れ込む空気は、何処までも澄んでいた。
こんなにも清々しい景色のなかに居るのに、清川・シャルは不思議な寂しさを感じていた。
茜色に染まった海のなかに佇むふたりのシルエットを、碧色の双眸は捉えて仕舞った。其れは、――生まれてすぐに喪った筈の、両親の姿だったから。
貌も知らぬ筈のふたりは優しく微笑みながら、シャルに向かって手招きしている。まるで、「一緒に行こう」と彼女を何処かへ誘うように。
話に聞く「彼岸」って、きっとこんな感じかな。なんて、聡い少女はぼんやり思う。本当はふたりの胸のなかに飛び込んで、めいっぱい甘えてみたいけれど……。
「ごめんね、父様母様」
一緒には行けないの。シャルはそう、小さく首を振って見せた。此処が彼岸なら、あの海を渡る訳にはいかないし。なにより――、
「だって、……泳げないから」
そう告げる少女の表情は、泣くのを堪えたかの如き笑い貌。いまにも零れ落ちて来そうな涙を、袖で拭いながらシャルは考える。
最近、任務でこうして其の影を追う事が多い、気がする。まだまだ、親離れが出来てないのかも知れない。
もしも一緒に暮らせて居たら、どんな日々を送って居たのだろう。シャルはいま13歳、世間一般的に云うと反抗期の真っ只中だ。
きっと両親と一緒に暮らしていたら、友達や恋人を優先して「うるさいなぁ!」なんて、――そんなことを言って仕舞うのかも。
両親を大切に想えるのは、きっと離れているからこそ。身近な幸せや大事なものに、喪うまで気づけないなんてこと、此の世界ではよくあるから。
懐かしさと切なさが綯交ぜに成ったこころを落ち着かせて、シャルはふわりと微笑みかける。海を照らす太陽は、温かく優しかった。
「寂しくはないから、大丈夫だよ」
シャルの傍には支えてくれる友達や、大事なひとが居る。彼女はもう、ひとりでは無い。だから、其の面影にちゃんと此処でお別れすることが出来る。
「だから……そっちからゆっくり、見守っていて」
海の向こうで佇む両親が、頷いてくれたような気がした。
懐かしいふたりのシルエットは、彼女が大好きな暁色に、ゆるりと溶けて消えて往く――。
斯くして羅刹の少女は、大事なひとたちが居る現実へと還るのだ。
いつも見守ってくれているって信じているから。懐かしい面影に、さようなら。
大成功
🔵🔵🔵
コノハ・ライゼ
◎
一面の赤に「あの人」が立っている
その彩はみるみるあの人へと吸い込まれ、やがて真っ黒な夜の海となって
月光が、眩く映る
あの人が好きだった海だ
いつも空の色を映す海
己に似た姿は、腕を掴んだとしても決して振り向かない
還すだなんて
自分の所為で失くしたモノを、どうしてもう一度手放せよう
ならば共に還ろうか
海に抱かれいっそこのままずっと……?
出来るワケがない
引き換えに得たこの命でソレを望むなんて
気付けば俯いた頭に乗せられる細く大きな手
何度も撫でる感触にも駄々をこねるよう首を振るけど
いつかのゴメンだけじゃなく
ずっと言いたかった言葉があるんだ
ありがとう
目覚める頃にはきっとこの手を離せると思うから
どうか今は
●十五ノ夢『惜別の海』
其れは、赤い海だった。
先ほど見た悪夢と似た光景に、コノハ・ライゼの涼し気な双眸が、つぅ――と細く成る。何度も同じものを見せられて、正直あまり愉快では無い。
けれども一面に広がる“赤”の上に立つ、此方に背を向けた影を其の視界に捉えれば、コノハは思わず細めていた筈の双眸を見開いた。
嗚呼、あれは、――『あの人』だ。
そう想った刹那、赤い彩はみるみる彼の人の元へ吸い込まれて行く。軈て真っ黒に染まった海が、其の姿を現した。其処で初めて、青年は空を仰ぐ。
いまは、夜だった。薄氷の眸に、きらきらと煌めく月光が眩く映る。視線を落とせば、水面にも月が在った。ゆらゆらと揺れる其れを見つめながら、コノハはひとり物を思う。
――……あの人が好きだった海だ。
いつも、空の色を映す海。世界でただひとつしかない、空の鏡。ふと気づけば、波打ち際へと、足が勝手に動いていた。そっと指先を伸ばして、彼の人の腕を掴む。
己に似た其の姿は、其れでも決して振り向かない。
紫雲の彩に染めた髪も、薄氷を思わせる眸も、総ては彼の人の為に在るのに。一等視て欲しい人が、こちらを振り向いてくれない。それがただ、口惜しかった。
――還すだなんて……。
自分の所為で失くしたモノを、自分が殺めた彼の人を、どうしてもう一度手放せよう。腕を握る指先に、ぎゅっと力が籠る。
『あの人』はこんなに近くに居るのに、どうしようもなく遠い。
――ならばいっそ、共に、還ろうか。
青年の胸裏にふと、そんな考えが過る。だって離れ難いのだから、其れは其れで良いのかも知れない。海に抱かれて、このままずっと……。
『あの人』と、水底で眠る?
そんなこと、出来る訳が無かった。彼の人と引き換えに、この命を得たと云うのに。其れをみすみす棄てるようなことを、望むなんて――。
でも、だったら、どうすればいいのだろう。
行き場の無い思いを逃がすように、コノハはそっと俯いた。黒い水面に映る自分の貌は、彼の人を此岸に引き留めることも能わない。
ぽん――。
ふと、紫雲の頭に乗せられたのは、大きな細い手。何度も撫でてくれる掌の感触が優しくて、思わず駄々をこねるようにコノハは頸を振って仕舞う。
別に困らせたいわけじゃない。ただ、聞いて欲しい言葉が在った。
其れは、いつかの“ゴメン”だけじゃない。もっと、ずっと、言いたかった言葉。
「……ありがとう」
彼の人の腕を握った侭、青年はぽつりと言葉を零す。喩え其の面影が夢幻だとしても想いは伝わると、そう信じたかった。
陸で引き留めるコノハと、海から其の頭を撫でる彼の人へ、寄せては返す黒い波。其れは何時か、彼の人だけを遠い海へと浚って行くのだろう。
目覚める頃にはきっと、この手を離せると思うから。どうか今は、――傍に居させて。
左様なら、なんて言いたくないから。別れの言葉は、飲み込んだ。
大成功
🔵🔵🔵
アオイ・フジミヤ
◎
神を呼ぶあなたの気持ちわかるよ
私にもいるから
わたしの”かみさま”
隷属の鎖から救ってくれたのは
黒髪に翡翠の瞳の美しい旅人の青年
アオイは青が良く似合う
彼は、かみさまはいつもそういった
何も持たない私に
綺羅星の様にひとつ好きなものをくれたあの言葉を今でも覚えている
戀
あなたが教えてくれた想いは、幸福は
あなたに還すね
翡翠の海に立つかみさま
誰かを想う気持ちは
いとしいとしと紡がれる糸の様に
優しく触れる言の葉の雨の様に世界を彩付ける
恋人は
人の魂は星になると言った
優しい言葉だと思った
踊ろうとはにかんで笑ってくれた
愛しいと思った
懐かしい翡翠の海には還らない
希うあの人と共に歩いて、笑って、泣いて
戀をしていきたいから
●十六ノ海『戀の海』
「……神を呼ぶあなたの気持ち、わかるよ」
砂浜に跪き祈りを捧げる男の背中越し、アオイ・フジミヤは昏い海を見遣る。
潮風は穏やかに頬を撫でてくれるのに。寄せては返す今宵の波は、何処か冷たくて物悲しい。
「私にもいるから」
穏やかに紡いだ言葉は果たして、男の耳にちゃんと届いただろうか。近づいて来る甘い馨に誘われるように、蒼い乙女はそっと瞼を閉ざした。胸裏に思い起こされるのは、いつか彼女が出逢った「神」の記憶。
――わたしの“かみさま”。
耳朶が穏やかな波の音を捉えて、蒼い双眸をそうっと開く。其処に広がって居たのは、見渡す限りの翡翠色。何処までも大きくて、何処までも深い、――海だ。
波打ち際に佇んで居るのは、嘗て彼女を隷属の鎖から救ってくれたひと。黒髪を揺らし、双眸の翡翠を煌めかせた、美しい旅人の青年。
今でも、よく覚えている。
『アオイは青が良く似合う』
彼は、“かみさま”はいつも、アオイにそう云っていた。
綺羅星のように輝くその言葉は、当時なにも持たなかったアオイに、ひとつ好きなものをくれたのだ。今ではすっかり「青が好き」と胸を張って、そう言える。
アオイが彼に抱いていた感情は、きっと、――戀だった。
「あなたが教えてくれた想いは、幸福は、あなたに還すね」
翡翠の海に立つかみさまへ、蒼い乙女は穏やかに微笑みかける。旅をするなかで、うつくしいものを沢山見て来た。
けれど、彼女の瞳に映る世界を何よりも彩付けたのは、「誰かを想う気持ち」だった。其れは、いとしいとしと紡がれる絲のように。或いは優しく触れる言の葉の雨のように。世界に優しい彩を与えてくれる、魔法のようなもの。
『人の魂は星になる』
いつか恋人の口から聴いたそんな言葉を、ふと思い出す。其れは、とても優しい言葉だった。それから彼は、「踊ろう」とはにかんで笑ってくれた。
そんな彼のことを、こころから愛しいと、そう思った。
だから、――懐かしい翡翠の海には、もう還らない。
希うたったひとりの“あの人”と共に歩いて、笑って、泣いて。そうして、戀をしていきたいから。
乙女は神のもとを離れ、二本の脚と青い翼で自分の人生を歩んでいくのだ。
翡翠の海に佇む“かみさま”は、優しい微笑を湛えたまま穏やかに頷いて。凪いだ海のなかへ、ゆっくりと還って行く。蒼い乙女は彼の姿が視えなくなるまで、懐かしい彩をただ見守っていた――。
あなたがくれた言葉と想いを胸に抱いて。かみさまに、さよならを。
大成功
🔵🔵🔵
泡沫・うらら
◎
頬を打つ潮風が懐かしさを運んで来る
此の海は初めて
馴染みのある其よりも随分と淀んで滞留していて
とても綺麗では無いけれど
海のにおいよりも、貴女の臭いの方がずっと
――鼻が曲がりそう
伝えようとした時には既に遅く
無垢の象徴は何処や何処
代わりに現るは貴女の姿
嗚呼――、夢にまで見た
記憶と違わず咲う貴女はあの日の侭
うちだけが陸での月日を重ね、大人に近づいてしもて
ねぇ、くるる
こっちへいらっしゃい
貴女に沢山、話したい事があるんよ
行きたい場所、紹介したい人たち
陸の上での素敵な出来事を、貴女にも
――嗚呼、そやね
お話しならうちらが本来在るべき場所で
一緒に還りましょう?
共に取り浸かった海の中
掌のぬくもりは――今は、無い
●十七ノ海『再会の海』
初めて来る場所だ。
砂浜の上をふわりと游ぎながら、泡沫・うららは水面を見遣る。頬を打つ潮風が何処か懐かしい。そう、――此処は海。
されど、随分と淀んで滞留している。彼女にとって馴染み深い其れと比べれば、綺麗だなんてとても云えないけれど。
うららには海のにおいよりも、もっと耐えられないものが在った。それは、波打ち際を歩く白い影が纏う、あの甘い馨。こちらの匂いのほうが、ずっと……。
――鼻が曲がりそう。
正直な感想を伝えようとする前に、闇に芒と浮かび上がる白は、其の姿を消していた。無垢なる邪神は、何処や何処。
其の代わりに、水飛沫のささやかな音を伴い現れるのは、嗚呼――。
夢にまで見た“貴女の姿”。
其れは、うららと同じ珊瑚を飾った蒼い髪に、翠の眸をした少女。あの日生き別れた、うららの片割れだ。
魚の尾鰭で海のなかをゆらりと游ぎまわり、記憶と違わぬ貌で咲う様は、あの日の侭。まるで、時が止まって仕舞ったよう。
其れなのに、――うららだけが陸で月日を重ね、大人に近づいて仕舞った。
「――ねぇ、くるる」
こっちへいらっしゃい。
蒼き人魚の花唇から、穏やかな聲が零れた。分かたれてからと云うもの、彼女のことを忘れた日は無い。ずっと、其の面影を追い続けていた。けれども、幾つもの海を渡っても、くるるの背は視えなかった。
「貴女に沢山、話したい事があるんよ」
うららは陸で様々な経験をして、幾つもの縁を結んだ。大切な片割れと共に行きたい場所が在る。彼女に紹介したい人たちがいる。
海の世界とは違う、陸の上での素敵な出来事を、彼女にも教えてあげたい。そして、相槌の聲をどうか此の耳に聴かせて欲しい。
けれども、くるるが陸に上がることは無い。うららよりも幼げな貌で微笑みながら、海のなかをくるりと回る。「こっちへ来て」と、まるで彼女を誘うように。
「――嗚呼、そやね」
陸は、彼女たち人魚が在るべき場所では無いから。仲睦まじく話をするなら、ふたりが本来在るべき場所。すなわち、海のなかでする方が良い。
「一緒に還りましょう?」
喜びに、切なさに、真珠の如き涙を流して、蒼い人魚はそうっと微笑んだ。やっと、在るべき場所へ、あの海へと還れるのだ。
ちゃぷん――。
水飛沫を宙に煌めかせながら、青くうつくしい海へと潜り込む。
伸ばしても掴めなかった彼女の手と、今度は確り指先を絡ませながら。日差しが差し込む青い世界へ、ふたり共に浸り往く。
静謐な水底に吸い込まれて、其処でふと目が醒めた。繋いでいた掌のぬくもりも、――今は、もう無い。
蒼い人魚の眼前には、昏く淀んだ海だけが広がっていた。白いかんばせを濡らす玉のような涙を、潮風が優しく攫って行く……。
遠い貴女に左様なら。叶うことならいつかまた、何処かの海で逢いましょう。
大成功
🔵🔵🔵
第3章 ボス戦
『ツミコ』
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POW : ××のカタチ
自身が装備する【髪留めの赤いリボン】をレベル×1個複製し、念力で全てばらばらに操作する。
SPD : ××の在処
【梔子の花弁】と【甘い香り】を放ち、自身からレベルm半径内の指定した全対象を眠らせる。また、睡眠中の対象は負傷が回復する。
WIZ : ××の代償
【実体を持たない青い鳥】を放ち、自身からレベルm半径内の指定した全ての対象を攻撃する。
イラスト:香
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
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種別『ボス戦』のルール
記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※このボスの宿敵主は
「💠鈴・月華」です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
●三ノ幕『或る少女の幸福論』
夢から覚めた時にはもう、夜の帳は晴れ渡って。地平線から貌を覗かせ始めた太陽が天の帳を、散ばった雲たちを、柔らかな茜色に染めて行く。
広い空にはいま、「天使のはしご」が掛かっていた。
まるで神の降臨を祝福しているような、厭に成るほど神秘的な光景が、猟兵たちの眼前には広がっている。
果たして其の“邪神”は、後光のように朝日を背負いながら、茜射す砂浜にぺとりと降り立った。跪いて祈りを捧げる男――知留間・躬弦の、目の前に。
「ツミコ様――!」
自身の頭上に差した小さな人影に、男は勢いよく貌を上げて歓喜に聲を震わせる。ふたつに結った薄青の髪、病的な程に白い肌、穏やかな紅の双眸、天使の如く愛らしいかんばせ。
そう、――この少女こそが、待ち兼ねていた彼の神。ゆえに、男は額を情けなく地面に擦り付けて、端正な貌を歪めながら、彼の邪神へとこころからの懇願を紡ぐのだ。
「どうか、どうかもう一度、私にお慈悲をッ……!」
「うん、いいよ」
凡そ神らしくない、あどけない聲が響いた。にっこりと無邪気に笑った少女は、純白のサマードレスをくるりと翻す。可憐で微笑ましい其の動作は、優しい地獄への入り口だ。
たちまち海辺に立ち込めるのは、花よりも匂やかな甘い馨。ふわり、ひらり、――梔子の花弁が天使の羽のように宙を舞い、男の頭上へと降り注いだ。
「おやすみなさい。いい夢、見れますように」
零す科白に慈愛すら滲ませて。幼子を眠りへと導くように甘く優しく、少女は囁く。降り注ぐ梔子の花弁と甘い馨に、男は意識を刈り取られ、砂浜にがくりと崩れ落ちた。
「ツミコ様……」
信仰の言葉を捧げる前に、瞼が落ちる。呼吸と共に穏やかに上下する男の胸部は、彼の命が奪われていないことの証左。そのことに安堵した猟兵も、いただろうか。
「もう、おじさんったら」
少女――ツミコは、倒れ伏した男の傍らにそうっと膝を着く。掛けた侭の眼鏡を外してやり、彼の胸ポケットに差し込めば、ほんの少し寂しげに笑った。
「ツミコじゃないよ。――“ツキコ”だもん」
彼女は“ツキ”の子。往く先々で出逢ったひとに“幸福”を運ぶ、青い鳥のような少女。パナギアのような慈悲深い御人。……でも、本当にそうなのだろうか。
ふと猟兵達の方を振り返った少女は、愛らしく小頸を傾けて見せた。其の姿は何処までも無垢で、何処までも邪気が無い。
「あなた達は、起きちゃったんだ」
詰まんない夢だったかなあ、ごめんね――なんて。悪びれもせず、少女は笑った。彼女はきっと、自分が人のこころを弄んだなんて思ってもいない。
けれども、オブリビオンは本能で猟兵を敵だと認識する存在だ。ゆえに少女は、あどけない貌で頸を傾げた侭、花唇からつらつらとお喋りを紡ぎ続ける。
「ねえ、わたしを殺しに来たんでしょ」
でも――と、少女が視線を逸らした先には、昏々と眠る男の姿が在った。幸せな夢でも見ているのだろうか、其の寝顔はとても安らかだ。
「わたし無しで、あのおじさんは幸せに成れるのかなあ」
それは脅しなどではなく、純粋な疑問だった。
彼女は“ツミ”の子。往く先々で出逢った人に“幸福な夢幻”を見せて、夢に依存させる邪神。人から生きる意志を奪い、人の営みを衰退させて、果ては滅亡を齎すファム・ファタール。
「イヤな現実は諦めて。ちょっと妥協して、夢の中で幸せになろう?」
現実は、ひどくアンバランスに出来ている。
好きな人と必ず結ばれる訳では無いし、努力が報われるとも限らない。大切なひとは去ってしまうし、大切なものは失くした後に気付いてしまう。
――でも、夢なら大丈夫。
好きな人と結ばれるし、努力も夢も必ず叶う。去った人は戻って来てくれるし、大切なものを永遠に傍に置くことも出来る。
もしも総てのひとが夢に溺れてしまったら、世界は滅びを待つ運命。
――でも、「幸せ」になれるなら。其れくらいの代償なんて、些細なことじゃない?
だから「せーの」の号令で、みぃんな一緒に幸せになって。みんなで仲良く、ゆっくり滅びて行きましょう。だいじょうぶ、誰も置いて行ったりはしないから。
それが、少女――放浪型UDC“ツミコ”の幸福論だった。
彼女は無垢であり、邪気が無い。
けれど、そんな神ほど恐ろしいと、人はよく知っている。悪意無く人のこころや想いを弄び、無邪気に滅びを齎す邪神は、躯の海に還さなければ――。
「ねえ、幸せにしてあげる」
<補足>
・本章についてはマスコメにもありますように、単独参加の縛りは御座いません。
→グループでのご参加や、ペアでのご参加など、ご自由にどうぞ。
・プレイングは心情中心でも、戦闘中心でも、どちらでも大丈夫です。
・リプレイは引き続き、個別の返却を予定しています。
・アドリブOKな方はプレイングに「◎」をご記載頂けると嬉しいです。
<受付期間>
6月17日(水)8時31分 ~ 6月20日(土)23時59分
琴平・琴子
◎
妥協して幸せな夢に溺れるくらいなら
現実で苦しんで這い上がって前に進みます
それが足を持った人というものですから
道や人生に迷えどもそこに必ず出口はあります
そう、例えば【幻想庭園】の様に複雑でも!
この迷路で苦しむのは私ではなく、貴女がたです
何度ぶつかっても、何度でも立ち上がって、何度でも進むその心を持っておられますか?
夢心地で微睡む方には痛いお灸ですかね?
貴女に幸せにしてもらわなくても結構
私は私の足で歩いて、私自身の手で掴むだけですから
知留間さん、お空に溶けて見えないだけかもしれませんが
幸福の青い鳥は案外近くにあるものですよ
●暁の章『前向きの幸福論』
茜色に染まった空は、いつかの放課後に見た空に似て。まるで誰そ彼時のような、微かに夜を秘めた彩を纏っていた。
経験上、斯ういう時に現れるのは「よくないもの」だと知っているから。幸福を招く邪神の甘い囁きに、琴平・琴子はハッキリと頸を振る。
「妥協して幸せな夢に溺れるくらいなら――」
そうして、自分の帰るべき場所も探しものも、総て見失って仕舞うくらいなら。
「現実で苦しんで、這い上がって、前に進みます」
それが足を持った「人間」というものだ、と。翠の双眸に子供らしからぬ決意を秘めて、琴子は目の前に佇む邪神へ確りと向き直る。
「ふーん……。でも、出口が無かったらどうするの?」
其の見目こそ琴子より年長だというのに、彼女より幼げに小首を傾げるツミコ。琴子は再び静かに頭を振って、あどけなく零された“疑問”そのものを否定する。
「いいえ。道や人生に迷えども、そこに必ず出口はあります」
喩え、この『幻想庭園』のように複雑でも――!
刹那、砂浜を覆い尽くすように顕在するのは、鏡で造られた大迷路。其れはツミコと、其の傍らで横たわる男、そして琴子をその中に捉えて仕舞う。
「わあ……わたしが沢山いるみたい」
対峙する邪神から無邪気な聲が響いたのは、それがまるでミラーハウスのようだったから。幾つもの鏡が向かい合わせに成った世界では、右も左も分からない。ただ、幾人もの自分が出逢っては分かれて、そしてまた巡り逢ってを繰り返すのみ。
そうして、そんな切りの無い状況に、ツミコが匙を投げるのは早かった。
「出口なんて無いじゃない。手伝って、わたしの青い鳥さん」
招くのは実体のない“幸福の象徴”。高らかに宙を舞った其れは、幻想庭園を力尽くで突破せんと勢いよく鏡に突っ込んでいく。しかし、――頑丈な壁は一向に割れる気配がない。
「この迷路で苦しむのは私ではなく、貴女がたです」
少女の幼げな、けれども真っ直ぐな足跡が、段々と近付いて来る。琴子の目に映るこの迷宮は、ただの巨大迷路である。といっても、彼女とて迷宮の総てを掌握している訳では無い。
ただ、ツミコと違う点は、立ち止まらない意志を胸に抱いていることだ。
何度壁にぶつかったか知れない、尻餅をついたことだってあったかも知れない。それでも、何度でも立ち上がって、何度でも進む其のこころは、確かな「強さ」が輝いている。
力尽くの突破を諦めたツミコは、何歩か足を踏み出すけれど、――ごつんっ。鏡に思い切り額をぶつけて、蹲ってしまった。
頬を膨らませて不貞腐れる其の様ときたら、これでは何方が年長なのか分からない。
「こんなの、……つまんない」
「夢心地で微睡む方には、痛いお灸ですかね?」
苦笑交じりの聲を伴いながら、硝子の向こうから姿を現すのは、大人びた雰囲気を纏う少女――琴子だ。
喩え迷宮に迷っても、哀しい記憶に惑わされても、琴子の脚は何時だって前を向いている。いつか憧れたひとに、少しでも近づきたいから、決して諦めず前に進み続ける。――それが、彼女の生き方だ。
「貴女に幸せにしてもらわなくても、結構」
琴子には二本の脚が有る。此の脚が動く限り、幸せは自分の手で掴んでみせる。
邪神が語る幸福論を拒絶して、少女はエメラルドの煌めきを放つサーベルを抜き、蹲る邪神へと切りつけた。
赤い花弁を散らして痛みに喘ぐ彼女を後目に、琴子はちらりと横たわる男の姿を見た。大人には大人の辛さが在るのだろう。それから解放された彼は、安らいだような貌をしているけれど……。
「知留間さん、幸福の青い鳥は案外近くにあるものですよ」
其れは、お空に溶けて見えないだけかも知れないから。
諦めないで、と琴子は密やかに囁いた。たしかな希望を秘めた其の聲は、男の夢にもきっと届くと信じて――。
大成功
🔵🔵🔵
スキアファール・イリャルギ
◎♯
嗚呼
夢から醒め、傍で瞬くひかりを抱く
幻に縋ってごめん……
またきみを置いて行ってしまった
きみにとって一番辛いことを、また――
(【虚たる薜茘多】発動
属性攻撃で炎と雷使用
雷で己を灼き眠りを妨げ、炎で花弁を焼く)
幸せな夢は私には眩しすぎた
罪を重ね続けてる私には、幸福なんて似合わない……
だからもう縋らない
押し付けの幸せには溺れない
あぁそうだ
私にとって青い鳥は諦観だ
生きるには怪奇を受け入れるしかなかった
多くを諦めて犠牲にして、希望を失った
今も決めた、諦めた
最期まできみの姿を望まないと
いつか海へ還るまで
きみの所へ行くまで
私は泥梨へ堕ち続けよう
……だから、コローロ
今はきみの傍に、ひかりの傍に居させて……
●暁闇の章『泥梨の幸福論』
空が、明るい。――嗚呼、夢から醒めて仕舞った。茜色に照らされた砂浜の上で、スキアファール・イリャルギは、ぼんやりと眸を開く。
海に、大地に、明々とした道を作る茜色の太陽柱が、厭に成るほど眩しかった。ふと視線を動かした先には、彼の傍らで心配そうに瞬く“ひかり”が在った。
刹那、先ほどまで見ていた夢を思い出し、彼は衝動のままに“彼女”を抱きしめる。開いた唇から溢れ出るのは、後悔と懺悔の想いばかり。
「幻に縋ってごめん……」
今度はちゃんと引き留めてくれたのに、また彼女を置いて行ってしまった。あろうことか、彼女にとって一番辛いことを、また――。
スキアファールの腕のなかのひかり“コローロ”と云えば、彼が無事に現世に返ってきたことに安堵したのだろうか。か弱い心配そうな瞬きから、チカチカと激しい瞬きへと、其の煌めきを転じさせていた。その様子はまるで、少し怒っているかのよう。
邪神――ツミコは、そんなふたりの遣り取りを前にして、おっとりと無邪気に笑う。自身が見せた幻こそが「幸せ」なのだと、彼女はそう信じていた。
「そっか。お兄さんは、起きたくなかったんだ」
ふわり、辺りにまた甘い馨が立ち込めて。梔子の花弁たちが、天使の羽の如く宙で踊る。哀れな魂に安らぎを齎すため、スキアファールの意識を奪わんと、彼の頭上へ降り注ぐ――。
けれども、彼は赦されない。
「……ァ゛、a縺嗚ァあ゛ゝAア縺ぁ噫――」
何かが壊れたような聲が、薄い唇から零れ堕ちた。
其れは、虚たる薜茘多。泥梨の影法師たるスキアファールが其の身に宿すのは、「オウガに成った自分」という“ひとつの可能性”だ。双眸から、口端から、だらだらと血を流す其の姿は壮絶極まりない。
人喰い鬼へと成り果てた彼の悲運を嘆くように、轟く天から閃光が走る。稲妻が落ちた先は、――オウガと化した彼のもと。
白い躰を灼き尽くし、囂々と燃え上がる其の炎は、降り注ぐ梔子の花弁を焼き尽くして行った。立ち込める甘い馨すら、焦げたような匂いに追い払われて仕舞う。
「……そんな痛い思い、しなくても良いのに」
自傷のような其の姿を見て、ツミコは不思議そうに瞬きをひとつ、ふたつ。眠りに身を委ねるだけで、幸福になれると云うのに。目の前の青年は、其れに抗おうとしている。
まるで、――幸せに背を向けるように。
「罪を重ね続けてる私には、幸福なんて似合わない……」
だって、彼はオウガに成り掛けていたアリス。即ち、狂人なのだから。そもそも幸せな夢なんて、日陰者には眩し過ぎる。だから、――もう縋らない。
「あぁ、そうだ」
邪神にとっての青い鳥が「妥協」ならば、自分にとっての青い鳥はきっと「諦観」だ。生き延びるには怪奇を受け入れるほか無かったが、その結果はどうだ。多くを諦めて、犠牲だけを積み重ねて、――希望を喪うことに成った。
「今も決めた、諦めた」
押し付けの幸せには、もう溺れない。最期まで、“コローロ”――きみの姿を望まない。いつか海へ還るまで、きみの所へ行き着くまで。
「私は、――泥梨へ堕ち続けよう」
再び、天が轟く。
閃光と共に放たれた雷が落とされたのは、無垢な邪神の真上だ。炎に灼かれ聲なき悲鳴を上げながら、白いドレスを囂々と燃やす少女に背を向けて。スキアファールは彼のひかりを、長い其の両腕に掻き抱いた。
「……コローロ」
もう何処にもいない彼女が遺した“ひかり”は、そんな彼の腕のなかに囚われて。悲しみと諦観に沈んだこころを慰めるように、優しい彩で淡い光を放ち続けて居た。
嗚呼、どうか。
今だけはきみの傍に。ひかりの傍に居させて――。
大成功
🔵🔵🔵
リオネル・エコーズ
◎
つまらなくはなかったよ
でも俺
自分の夢は自分の手で、現実の方で叶えたいんだ
…叶うかどうかは、わからないけど
それでも俺は
俺の現実も、夢も、諦めない
だから君からの幸せは要らないんだ
俺の青い鳥はこの世界にはいないし
ごめんね
笑って、破魔も籠めたUCを広く展開しながら叩き込む
これなら実体がなくても撃ち落せる…といいな
勿論、邪神なあの子もセットで狙う
彼が君無しで幸せになれるかは知らないけど
彼が君無しでも幸せになれる可能性は
どこかに眠ってるって思うよ
だって世界は広いんだ
俺も、彼も知らない場所で彼の心が息を吹き返すかもしれない
それに
みんなせーので滅んだら彼の可能性まで滅んじゃうよ
それは絶対
些細な代償じゃない
●朝陽の章『可能性の幸福論』
地平線から顔を覗かせる朝陽の眩しさに、リオネル・エコーズは双眸をそうっと細めた。目の前に広がる海は、先ほどの夢とは異なり彼の眸と似た彩に染まっている。波打ち際に佇み天使のはしごを背負う少女は、ほんとうに“神”のよう。
そんな神秘的な光景を前に自然と思い起こされるのは、元の世界に遺してきた彼女たちのこと。
「つまらなくは、なかったよ」
ぽつり、と青年はそう呟く。“彼女”へ抱く複雑な感情も、家族への愛情も、郷愁だって忘れたことは無い。けれども、――先ほど見た夢は嘗て抱いた「誓い」の大切さを、改めて彼に教えてくれた。
「でも俺、……自分の夢は自分の手で、現実の方で叶えたいんだ」
生まれ育った街に、いつかきっと帰ること。それがリオネルの夢だ。世界を超えて迷子に成って仕舞った今となっては、それが叶う確証なんて何処にもないけれど。
――それでも、俺は……。
現実も、夢も、諦めたりはしない。
決意に両の拳をぎゅっと握り締め、真っ直ぐに邪神を見据えるリオネル。其の双眸には僅かな迷いすら無かった。
「だから、君からの幸せは要らないんだ」
ごめんね、なんて。眉を下げながら微笑む其の貌は、何処か寂し気な彩を纏っている。彼の“青い鳥”はきっと、あの常闇の世界にしか居ない。総てに向き合うには、まだまだ時間が掛かりそうだけれど。それでも、今は自分が為すべきことを。
「さあ、御覧――」
夜の帳が晴れた空を、きらきらと煌めく流星が流れ往く。七彩の尾を引く其れは、あの日リオネルが観た彩。淡く透き通る硝子の如き流星は、空に虹の軌跡を描きながらツミコへと降り注いだ。聖なる流星に強かに撃たれた少女は、浜辺に力なく膝を着く。
「ううん、青い鳥はここに居るの。だから、あなたも幸せにしてあげる」
祈りを捧げるように目を閉じた少女の周囲から、聴こえてくるのは細やかな羽音。パタパタと羽搏く不可視の鳥は、主に靡かぬ者を屈服させようとリオネルへ襲い掛かる。
「その鳥は俺のじゃない、君のだよ」
苦笑を滲ませながら頸を振った彼は、更に広範囲へと流星の雨を招く。不可視ならば、手当たり次第に撃ち落とすまで。――どさり、と鈍い音がした。
幸せと同じく目に見えぬ幸福の象徴は、彼の目論見通り流星に翼を折られて、敢え無く浜辺へと墜落したのだ。反撃が叶わなかったことを知り、ツミコは悲しげに双眸を伏せた。
「あのおじさんは、喜んでくれたのに……」
わたし無しじゃ、きっと幸せになれないよ。
そう語る少女の姿は何処までも無垢で、凡そ悪意が在るようには見えない。ただ現実への不信と、夢への依存だけが其処に在る。
此のUDCアースは、あの常闇の世界より豊かで暮らしやすい筈なのに――。
「彼が君無しで幸せになれるかは知らないけど」
聞き分けの無い子どもを諭すように、リオネルは穏やかな聲で語り掛ける。横たわる男のことは、何も知らないけれど。それでも、――信じられることは有った。
「彼が君無しでも幸せになれる可能性は、どこかに眠ってるって思うよ」
なにせ、世界は広いのだ。リオネルも、ツミコも、そして知留間自身も知らない場所で、裡に秘めていたこころが、息を吹き返すことだって有るかも知れない。
それは暗闇の世界に在りながらも、希望を抱き続けて生きて来た彼だからこそ紡げる、とても優しい言葉。
「……そんなの、わかんない」
「それに――。みんな『せーの』で滅んだら、彼の可能性まで滅んじゃうよ」
それは絶対、些細な代償じゃない。
真剣に紡がれた青年の言葉を受けて、不貞腐れたようにそっぽを向いていた少女が、ちらりと倒れ伏した男の方を見る。あどけない其の貌には、僅かに困惑の彩が滲んでいた。
ふと、頭上にまた流星が過る。やさしい其の彩はきっと、無垢な邪神を静かに躯の海へと送り届けてくれるだろう。
茜色の太陽が煌めく天の帳は、何時の間にやら薄らと、うつくしい七つの彩に染められていた。
大成功
🔵🔵🔵
シキ・ジルモント
◎
知留間は眠っているだけか…全く心臓に悪い
気にはなるが、今はオブリビオンの排除を優先
甘い香りで誘われる眠りは、ナイフで自ら腕を傷付ける事で抵抗する
傷の痛みで意識を保つ
幸せな夢に溺れたままでの穏やかな終わりか…魅力を感じないと言えば嘘になる
それでも、そうかと受け入れるわけにはいかない
今を生きたいと望む者が、世界に存在する限りは
長く耐えるのは厳しい、長期戦は避けたい
言葉の合間も常に隙を探る
ナイフを投擲して怯ませ、攻撃が止まった隙にユーベルコードで反撃する
あんたの与える幸せで妥協は出来ない
過去と今から逃げて、弱いままの自分が許されるのだとしても
かつて憧れた人に胸を張れる生き方は、そこには無いからな
●黎明の章『矜持の幸福論』
茜色に染まった砂浜に崩れ落ちた男――知留間が小さく身動ぎする様を見て、シキ・ジルモントは人知れず胸を撫で下ろす。どうやら、彼は眠っているだけのようだ。
「……全く、心臓に悪い」
安堵の溜息を、ひとつ。其の躰が依然として邪神の傍に在ることが気になるが、救出対象の無事は確認した。ゆえに、オブリビオンの排除へと速やかに移行しよう。
「しかし、幸せな夢に溺れたままでの、穏やかな終わりか……」
「ふふ、いいでしょ?」
ドレスの裾を摘まみながら、少女は無邪気に笑う。其の聲はまるで砂糖菓子のように甘く、寄せては返す波音よりも優しく響いた。
正直な話、彼女が齎す幸福に魅力を感じないと言えば「嘘」になる。――それでも、
「受け入れるわけには、いかないな」
シキは決して、頸を縦には振らない。「今を生きたい」と、そう望む者が世界に存在する限り、彼はツミコの幸福論を拒絶するだろう。喩え自分が、望む幸福を掴めないとしても。
「それ、ほんとう?」
くすり、少女の花唇が悪戯に綻んだ刹那、甘い馨が青年の嗅覚を襲う。宙を舞う梔子の花弁と共に、ふわりと漂って来る其れは、優しい眠りを齎す甘美な毒馨。
「……っ」
甘い香りに、意識が誘われそうに成る。瞼を落とせばきっと、幸福な世界が広がっている筈だった。けれどもストイックな青年が、任務の放棄を良しとする訳が無い。
焔と月の石を飾ったナイフを懐から取り出せば、――ぐさり。鈍く煌めく合金竜の刀身で、自らの腕を強かに突き刺した。
「くっ……」
灼けるように、傷口が熱い。どくどくと脈打つように、神経が脳へと痛みを伝えてくる。抗いがたい眠気より、其の身を襲う痛みの方が勝ったらしい。とはいえ、ひとは痛みに慣れる生き物だ。この疵が孕んだ熱が冷める前に、雌雄を決さねばなるまい。
歯を食い縛りながらナイフを引き抜いたシキの眼光が、更に鋭くなる。攻撃の隙を探るかの如く、蒼い双眸は薄青の髪を揺らす少女をじっと見つめて居た。
「わあ、……痛そう。いま楽にしてあげるね」
こころの底から同情しているような口ぶりで、ツミコはサマードレスの裾を摘まむ。其の儘くるりと回転しようとした、其の時。血のように鮮やかな紅の眸が、青年から一瞬だけ逸れた。
「生憎の申し出だが、――断る」
それは、紛れも無い好機。鮮血に染まったナイフを、不意に青年は邪心へ向けて投げつける。狙いは碌につけていない、ただ、――彼女の方へ飛んで行けば其れで良い。
「きゃっ」
果たして彼の思惑通り、ツミコは勢いよく飛んで来たナイフに怯み、思わず其の脚を止めた。あれほど濃厚に漂っていた甘い馨が、ふと薄くなる。
――いまこそ、反撃の時。
無言で対象を睨むシキが構えるのは、『ハンドガン・シロガネ』。嘗て彼の人から受け継いだ此の銃で、彼の人から教わった技術を見せつけてやろう。両手で確りと狙いを定めれば、息を止めて――トリガーを、引く。
鈍い銃声が、響き渡った。
神聖さすら感じさせる此の景色に、凡そ似つかわしくない調べだ。けれども、滅びを齎す邪神にひとの強さを見せつけるには、きっと御誂え向きの技だった。
白肌から赤い花弁を散らせながら崩れ落ちる少女を見降ろしながら、シキは凛と背筋を正す。靜に紡ぐのは、彼女が語る歪な幸福論への否定。
「あんたの与える幸せで、妥協は出来ない」
過去と今から逃げて、弱い侭の自分で居ることが、喩え許されたとしても。其れに甘えることなんて、シキには決して出来ない。
「かつて憧れた人に胸を張れる生き方は、そこには無いからな」
命を繋いでくれたひとに報いる為、彼は戦場に身を置き続けるのだ。其の双つの手は、誰かを護る為にあると信じながら――。
大成功
🔵🔵🔵
ロキ・バロックヒート
◎#
ひとにとっては君も私もどちらも変わらないんだろうなぁ
神として齎そうとするのは滅び
苦しみも哀しみもない眠りはとても好いね
そんなのなくなればいいと思っているから
でもねぇ
かみさまのよしみで良いことを教えてあげようか
そんなぬるいやり方じゃだぁめ
笑って言う
もしすべてのひとが眠ってしまったとしても
必ず眠りを破る者が現れるよ
どんなに幸せな夢を見せても
哀しみを苦しみをなくしても
気に入らないつまんないって
ひとらしく生きたいと願う
あぁ
なんて矛盾と愚かしさだらけで可愛いんだろうね
だからさ
すべてを灼いて【救済】してあげるしかないんだよ
それがひとり遺された私の役目
流れる血も痛みもなにもかもが手ぬるい
…還りたかったな
●払暁の章『救済の幸福論』
遍く人々に幸せを運ぼうとする邪神――ツミコと、嘗て「邪神」と恐れられた破壊神の現身――ロキ・バロックヒートは、何処か似た存在だ。
ゆえにロキは、くすりと笑みを零す。朝日を後光のように背負う少女を眺める其の貌には、達観の彩が僅かに滲んでいた。
「ひとにとっては、君も私もどちらも変わらないんだろうなぁ」
ツミコは穏やかに、ロキは激しく――。
神である“ふたり”が齎そうとするものは、カタチが違えど「滅び」に違いない。つまり彼らの本質は、――人類史に幕を降ろす者。
とはいえ、総てを塵に還す「破壊」と、見せ掛けだけの「幸福」。どちらが歓迎されるかといえば、確実に後者だろう。事実、彼にとっても「安息」は魅力的だ。
ゆえにロキは、蜂蜜色の双眸を細めてうっそりと微笑む。
「穏やかな眠りは、とても好いね」
苦しみも、悲しみも、総てなくなればいい。
彼は半分本気で、そう思っている。幸せな夢に浸ったまま永遠に眠ることが出来たら、人の仔もロキも、もう苦しむことは無い。
「でもねぇ――」
内緒話を紡ぐように、唇を人差し指で塞ぎながら彼は頸を傾けた。そんな終わりが本当に訪れたら良いのに、なんて。神らしくないことを想いながら……。
「かみさまのよしみで良いことを教えてあげようか」
「なあに、いいことって」
不思議そうに彼を見上げるツミコもまた、邪神らしからぬあどけない貌をしていた。彼女はきっと、見目の通りロキよりも若い神なのだろう。
だから、経験の違いを見せつけるように――ぞっとするほど冷たい貌で、彼は笑う。
「そんなぬるいやり方じゃ、だぁめ」
ひとを愛で、甘やかすことを好む神であるロキは、ひとの度し難さをよく知っている。もし、総てのひとが誘惑に負け眠りに落ちて仕舞ったとしても――。
「必ず、眠りを破る者が現れるよ」
確信に満ちた、聲だった。
どんなに幸せな夢を見せても、喩え哀しみと苦しみを失くしても。気に入らない、詰まらない、なんて宣う『正しいひと』は絶対に現れる。
神として積み重ねてきた数多の経験が、彼にそう告げていた。
「あぁ――」
憂き世に産み落とされようと、ひとらしく生きたいと願う、其の真っ直ぐさ、救えなさよ。
「なんて矛盾と愚かしさだらけで、可愛いんだろうね」
溜息交じりに零された科白は蜜のように甘く、遠くを見遣るロキの眸は何処か寂し気だ。ひとの真理を聴かされたツミコといえば、きょとんと頸を傾けながら瞬くばかり。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「どうしようもない」
諦めたように笑って、ロキはゆるりと頭を振る。せっかく救ってあげようとしても、何時だってひとは其の手を擦り抜けて行って仕舞う。結局のところ、ひとと神は相容れない運命だ。
「だからね、すべてを灼いて救済してあげるしかないんだよ」
それが、ひとり遺された私の役目。
そう薄く笑った唇から放つのは、優しくて残酷な、――神の裁定。神がひとを救えるなんて絵空事、ロキは決して信じてはいない。けれども、眼前の邪神はそうでもないようだ。
「そんなの、幸せじゃないもん」
少女は不機嫌そうに愛らしい眉を寄せて、彼の幸福論にふるふると頸を振る。放たれた否定の言葉と共に宙を舞うのは、不可視の青い鳥。
パタパタと羽搏く幸せの象徴は、ロキの貌へ向かって勢いよく急降下して――。鋭い嘴で、彼の頰を強かに啄んだ。たらり、流れる赤絲が整った貌を穢す。
――ぬるい。
長い指先で溢れる赤を拭いながら、そう想う。疵も痛みも、なにもかもが手ぬるかった。これじゃあ、総てのひとを眠らせるなんて出来っこない。
「いまから、手本を見せてあげる」
だから――、あの邪神に救済の何たるかを教えてあげよう。
すっと腕を上げたロキは、宙を人差しゆびで指し示す。相変わらず幸福の象徴は眼に見えないけれど、其の羽搏きは聴こえているから。何処を狙えばいいか、分かっていた。
ゆびさきから、光が溢れる。
地上を焼き尽くさんばかりの其れは、不可視の青い鳥だけを灼き尽し、哀れな魂を灰すら遺さずに救済してやった。
「……還りたかったな」
同じ神にも、悲願を叶えて貰えなかった。ロキは眩し気に眼を擦る無垢な邪神から目を逸らし、朝焼けに染まった海を見る。
寄せては返す波たちは、やけに寂しい彩をしていた。
大成功
🔵🔵🔵
荻原・志桜
◎
夢の中は確かに痛いことや苦しいことってないよ
甘やかでやさしい真綿に包まれたような世界
なんでも願いは叶うし、あの人は傍に居てくれる
自分にとって都合の良いことばかりで失くすものなんてない
比べて現実は悲しいことも辛いことも多い
幸せと思うことって実はほんの一握りだったりするんだよね
でもその一握りの幸福がどんなに辛いことでも頑張ろうと思える
一歩前に踏み出す勇気に変わるんだよ
わたしの幸せは夢の中にはない
…むしろ追い出されちゃったもの
あの人の隣にいることはできない。居たい場所は他にあるんだ
輝く魔石が光を失い魔力へと還元して
掌から操るように紅の焔を揺らめかせ全て包み込む
夢の中だけが幸せだとアナタが決めないで
●残照の章『ひと匙の幸福論』
地平線から昇る太陽はこんなにも輝いていて、潮風は朝の澄んだ空気を運んで来てくれるのに。荻原・志桜は、無垢なる邪神が語る幸福論に険しい貌で耳を傾けていた。
「確かに……夢の中には痛いことや、苦しいことってないよ」
夢のなかは、蕩けそうに成るほどに甘やかだ。
努力をしても、しなくても、なんでも願いは叶う。「見習い」をすっ飛ばして、高名な魔女にも成れるだろうし、もう逢えない筈の“あの人”だって傍に居てくれる。
夢は、自分にとって都合の良いことばかり。理不尽なことも、哀しいことも起きないから、失くすものなんてきっと無い。
それに比べて現実は、悲しいことや辛いことばかり。「幸せ」を感じられることも、ほんの一握りだ。だから、こころが折れて仕舞うひとも沢山いる。
「うん、現実と違って良いことが沢山あるよ」
無邪気な少女が零す囁きは、たいそう甘い。けれど、――志桜はそんな誘惑を拒絶するかの如く、頸を横へと振って見せる。
「ささやかな幸福でも、前に一歩踏み出す勇気に変わるんだよ」
一握りの幸福が有るからこそ、「ひと」はどんなに辛いことでも頑張れる。其れが、萩原・志桜の幸福論。
数多の努力と苦労の末に、夢へと近付くことが出来た、――そんな彼女だからこそ言えること。
「キセキみたいな幸せ、欲しくないの?」
「わたしの幸せは、夢の中にはないから」
彼女の幸福論を理解できないツミコは、不思議そうに頸を傾げながら問を重ねる。まるで「大事なものを喪ったままでも良いのか」と、何だか遠回しにそう問われているような気がして――、志桜はそうっと俯いた。
彼女だって、久方ぶりの邂逅が名残惜しくない訳では無い。あの人は道を示してくれたけれど、まだまだ教わりたいことだって沢山あった。文句のひとつだって言いたかったし、自分が誰とどんな路を歩んでいるのか、ちゃんと報告したかった。
けれど、志桜は夢から追い出されて仕舞った。
だからこそ、彼の隣にいることは出来ないし、赦されない。それに――、
「わたしが居たい場所は、現実にあるもの」
だから慈悲なんて要らないと、志桜は再び頭を振った。それでも、対峙するツミコは、にっこりと笑う。
「ううん、夢の方が絶対いいよ。ほんとの幸せ、教えてあげる」
無垢な邪神には、彼女の強さは分からない。ただ持論を押し付ける為に、赤いリボンを幾つも生み出し、志桜の元へ嗾ける。狙われているのは、――頸だ。
けれども、志桜は焦らない。先ほど見た夢のなか、あの人に背中を押して貰ったから。きっと、この試練だって乗り越えてみせよう。
「焔々と燃え盛れ、全てを――」
粛々と詠唱を編んだなら、ルーンを刻んだ魔石はみるみる内に其の輝きを失っていく。神秘的な青い煌めきは、志桜の魔力へと還元されたのだ。
いま彼女の掌上には、紅の炎がゆらゆらと揺らめいていた。彼女の決意を表すように燃え盛る炎は、飛んでくるリボンを、そして其れを操る邪神を、容赦なく包み込んで行く。
ツミコが齎す滅びはきっと、優しい真綿に包まれて、じわじわと窒息させられるような、――穏やかな終幕だ。でも、そんな欺瞞よりも確かな幸福は、きっと現実にも有る筈だから。志桜は凛と胸を張って、ツミコの幸福論を否定する。
夢の中だけが幸せだなんて、
「そんなこと、アナタが決めないで」
大成功
🔵🔵🔵
ベアトリーチェ・アデレイド
◎
ツキコ?
青い鳥など笑わせてくれる
虚像の夢で人を惑わす罪の子
ふふ、ツミコの方がお似合いじゃない
ブラッド・ガイストで愛しい人形ダンテを強化する
夢では何も意味がない
お前の罪は、その無垢
自分の罪さえわからないその純粋さ
その愚かな姿は、過去の自分を彷彿させた
それが、更に怒りを増幅させる
無垢は無知だ
そして、無知は罪だ
あぁ、そうだ
これは八つ当たり
この怒りは幸福な夢を見て、彼の手を取り、彼を破滅に導いたわたくしへの怒り
夢に浸るなんて冗談じゃないわ
わたくしの願いは、わたくしの手で、現実で叶えて見せる
必ず、この手でもう一度彼の心を取り戻してみせる
だから、その日まで眠る訳にはいかないの
もう、二度と迷ったりはしない
●暁霞の章『覚悟の幸福論』
まるで後光のように天使のはしごを背負う邪神を見て、ベアトリーチェ・アデレイドを整った眉を顰めた。
天使の如き其のカタチ、ゆるふわとした其の雰囲気もさることながら。
「――ツキコ?」
最も赦し難いのは、自らを「幸福の仔」などと称する邪神の傲慢さ。
青い鳥など笑わせてくれる、なんて謂わんばかりに、乙女人形はふっと冷笑を零す。
「虚像の夢で人を惑わす罪の子。――ふふ、ツミコの方がお似合いじゃない」
「もう、ツキコって言ってるでしょ。ツミコじゃないもん」
あどけなく頬を膨らませる、無垢な邪神の抗議は聴かなかったことにして。ベアトリーチェはそうっと、青い絲を手繰り寄せた。
其の身に寄り添わせるのは、愛しい人形“ダンテ”。こころも聲も奪われた、哀しきひとの亡骸。そんな彼に命の残滓を分けて遣れば、意思を持たぬ筈の躰から剣呑な殺気が立ち込める。其の様はまるで、ベアトリーチェの怒りを代弁しているようだ。なにせ此処に来るまで、幾度も絶望に叩き落されたのだ。
喩え、愛しいひとのこころを、取り戻せたとしても――。
夢では、何も意味がない。
踊るようなステップで、ダンテは白く煌めく刀身を振う。其の切っ先は、ツミコが揺らすリボンをぷつり、容赦なく切り落とす。
「ひどい、お気に入りなのに」
「――お前の罪は、その無垢」
呑気に憤慨する邪神の其の姿に、どうしようもなく腹が立った。操る絲に力を籠めて、反対側のリボンにもう一太刀を喰らわせる。ぷつり、再び地に堕ちる赤いリボン。
「そして、自分の罪さえわからない、その純粋さ」
無垢な邪神の愚かな姿は、過去の自分を彷彿させる。それが、苛立ちの理由だった。「無垢は無知」だと云うことも、「無知は罪」だということも、ベアトリーチェは身をもって知っていた。或いは、無理やり思い知らされたと云うべきか。
「ねえ、なんで怒ってるの?」
いっそ恐ろしいほどに明るく、何処までも無邪気な聲が響く。刹那、頭から水を被せられたように、ベアトリーチェの思考が冷めた。
――……あぁ、そうだ。
これはきっと、八つ当たりだ。だって彼女が本当に怒っているのは、ただ幸福な夢を見て、愛しい彼の手を取り、其の所為で彼を破滅に導いた「自分自身」なのだから。
けれども、絲を操る指先は一向にブレなかった。この悲劇を招いたのが自分だというなら、なおさら目の前の現実から逃げる訳にはいかない。
「いい夢を見て、あなたも幸せになろ?」
無邪気に微笑みながら、幾つもの赤いリボンを生み出したツミコは、それで人形の長躯を縛ろうとする。しかしベアトリーチェが導くままに、ダンテは剣を横薙ぎに払い――念力で操られたリボンを総て、斬り落とした。
「夢に浸るなんて、冗談じゃないわ」
ぎゅっと、彼と自身を繋ぐ絲を握り締めるベアトリーチェ。もし夢から抜け出せなかったら、愛しいダンテはどうなって仕舞うのか。喩え望みが薄くとも、こころを失くした彼を置いて行ける筈が無かった。
――わたくしの願いは、わたくしの手で、現実で叶えて見せる。
この手でもう一度、必ず彼の心を取り戻してみせるのだと、人知れず胸裡に誓った彼女は、決意を込めた眼差しで無垢な邪神を射抜いた。
「その日まで、眠る訳にはいかないの」
絲が揺れ、ダンテが華麗に躍る。煌めく剣の切っ先はツミコの胴を切り裂いて、鮮やかな赤い花を白いドレスに散らせたのだった。
赤と白のコントラストを見つめながら、乙女人形は改めてこころに誓う。
――もう二度と、迷ったりしない。
大成功
🔵🔵🔵
清川・シャル
◎
触れて感じる温かさは、生きている証です
生きてこそです
生への喜びがなければ何も感じないお人形
幸せの価値は自分で決めます
例えこの世界に1人だったとしても、私は絶対に譲らない
人に与えられるものなんて、お断りです
責任が伴う自由を、シャルは選択します
真の姿は鬼神也
さぁ、お終いにしましょう
父母の形見の修羅櫻を抜いて対峙します
2回攻撃、串刺し、切り込みをして、恐怖を与える攻撃
残像を使い、見切りとカウンターで対応します
骸の海へ還してあげますね。貴方にもせめてもの救いを
●茜空の章『責任の幸福論』
夢から覚めたあとも、大好きな彩の海が眼前に広がっていた。もう、夜は明けていたのだ。清川・シャルは波打ち際に立つ少女――ツミコと靜に向かい合う。
シャルの表情は真剣そのものだが、当の邪神といえば呑気なもので。先ほどの戦闘で解けた髪をまた、ふたつに結うことに夢中になっていた。
「わたしの夢って、そんなにダメかなあ」
「ええ、触れて感じる温かさは、生きている証ですから」
歳が近い所為だろうか。髪を結う傍ら、ツミコはシャルへと気楽に話し掛ける。当然ながらシャルは警戒を緩めずに、ただ淡々と返事をするのみ。
「目の前の現実が、苦しくても?」
「それも含めて、生きてこそです」
赤いリボンで髪を結わう少女を眺めながら、羅刹の少女は確りと頷いて見せた。見目こそシャルの方が幼げだが、精神面はツミコの方が幼いらしい。
生きる喜びを喪えば最後、ひとは何も感じないお人形に成って仕舞うのだと、シャルはそう思っている。そして生きる喜びは、苦しい現実からしか生まれないものだ。
「幸せの価値は、自分で決めます」
「でも、いい夢を見れると嬉しいでしょ?」
なおも食い下がって来るツミコへ、羅刹の少女は静かに頸を振った。喩え、この世界に遺されたのがシャル独りだったとしても、彼女は絶対に譲らないだろう。
「人に与えられるものなんて、お断りです」
もしも、夢の世界での幸せを肯定して仕舞ったら。シャルが今まで歩んできた道のりも、きっと意味の無いものに成って仕舞う。そんなことは、絶対に出来ない。
悲しみも苦しみも共有して来たからこそ、結ばれた絆が有った。自分で選び取った未来は、何よりもキラキラと輝いていた。だから――、
「責任が伴う自由を、シャルは選択します」
真の姿、解放。其の姿は、正しく鬼神也!
黒く短い少女の角はいま、鮮やかな紅に染まり般若の如く伸びて。涼やかな碧彩の双眸は、血のような紅へと染まっていた。
「さぁ、お終いにしましょう」
父と母が遺してくれた本差と脇差――『修羅櫻』を抜き放ち、無垢な邪神へと其の切っ先を突きつける。其の様を見たツミコは、駄々をこねるように頸を振った。
「だめ、まだ誰も幸せにしてないもん」
神に揺れる飾りと同じ赤いリボンを幾つも生み出して、それらをシャルへと嗾けるツミコ。幼げな少女の頸を締めようとするリボンを、シャルは双つの刀で素早く切り刻み、――戦場を駆ける!
勢いのままに邪神の懐へと潜り込めば、二本の刀を同時にあえかな彼女の躰へと突き刺した。
串刺しの刑に処された少女の花唇から、赤い絲がたらりと垂れて、病的な程に白い肌を穢して行く。赤と白のコントラストが厭に成るほどうつくしくて、其の様を間近で見つめるシャルは悲し気に双眸を伏せた。
「骸の海へ還してあげますね」
どうか、貴女にもせめてもの救いを。
悪意が無かったことだけは、多分ほんとうだろうから。
そんな優しい祈りをこころの裡で紡ぎながら、鬼神は少女の躰からそうっと刀を抜く。崩れ落ちる邪神を受け止めるのは、暁に染まった砂浜だけだった――。
大成功
🔵🔵🔵
エンジ・カラカ
◎
アァ……そうだねェ、とーってもツマラナイ夢だったなァ……。
面白い?お前は面白い?
コレと賢い君はずっとずっと一緒。
コレが死ぬトキも、死んでもずーっと一緒。
シアワセ。コレは今、とってもシアワセだからなァ。
シアワセになるなら代償が必要?
うんうん、そうカモしれないねェ。
でも、知らないヒトから与えられるシアワセって
本当にシアワセ?
賢い君、賢い君、どう思う?
うんうん。そうだよなァ。コレもそう思う。
そうだ、そうしよう。
オシオキだー!
薬指の傷を噛み切って君に食事を。
頭の高いヤツがよく取ってた方法ダ。
シアワセを振り撒いてフコウにするする。
ヒトから与えられたモノじゃあシアワセにはなれないのにネ。
あーそーぼ
●早天の章『青い鳥の幸福論』
茜色に染まった海面が太陽に照らされて、きらきらと輝いている。エンジ・カラカは眩しそうに目を細めながら、口許だけでにんまりと嗤って見せた。
「アァ……そうだねェ。とーってもツマラナイ夢だったなァ……」
牢獄のパーティーよりも愉快な夢を期待していたのに、亡者どもは大人しかったし、深淵に映ったものは詰まらなかった。
では、この邪神は如何だろうか。亡者どもの親玉なのだから、もう少し楽しませてくれるに違いない。
「面白い? お前は面白い?」
座らぬ頸を右へ左へ、かくりかくりと傾けるエンジ。対峙する邪神――ツミコは、其の様を見て楽しそうに、くすくすと鈴音の笑い聲を零す。
「面白いモノを見る事が幸せなら、叶えてあげる」
「シアワセ。コレは今、とってもシアワセだからなァ」
そうだろう、なんて。同意を求めるのは、掌に載せた青い鳥――“賢い君”。
エンジと賢い君はずっと、ずっと一緒だ。今だけに限らず、エンジが人生に幕を降ろす時も、そして幕を降ろした後もずうっと一緒。
既に悲願を叶えている彼には、ツミコの甘い誘いも意味は無い。其れを悟った邪神は、如何にも詰まら無さそうに愛らしい眉を寄せた。
「ふーん、あなたはもう幸せなんだ。じゃあ、代償をちょーだい」
次々と宙に浮かび上がるのは、量産されたツミコの髪に揺れる赤いリボン。無垢な邪神は其れをくるくると操り、青年の自由を封じようとする。
赤々としたリボンが宙を舞う様を眺めながら、エンジはやっぱり笑っていた。幸せがタダで手に入るだなんて、そんな都合のいい話など有る訳が無い。
「シアワセになるなら代償が必要?」
そうかも知れない、なんて。うんうん頷きながらも、飛んでくるリボンを長い腕で払い落すエンジ。
幸せのカタチは、人それぞれだ。
エンジがいま感じている幸せは、世間一般のひとが思い描く幸せのカタチとは掛け離れているかも知れない。或いは砂浜に横たわる男が感じる幸せだって、エンジが思い描く其れとは異なるものかも知れない。
だからこそ、そんなもの各々が好きに結論付ければ良い。けれど、知らないひとから与えられる「幸せ」って……、
――本当にシアワセ?
「賢い君、賢い君、どう思う?」
長い脚に纏わりつくリボンを蹴り払いながら、エンジは呑気に賢い君へ問う。彼の番は拷問具だから、黙してなにも答えない。けれど、ふたりの間に言葉なんて要らないのだ。
「うんうん。そうだよなァ。コレもそう思う」
そうだ、そうしよう。
納得したようにひとり頷いたエンジは、賢い君に巻き付けた赤絲に自ら指を絡ませる。頸を戒めようとするリボンは、空いた方の手で思い切り掴み、――ぶちり。容赦無く、襤褸布のように破り棄てた。
偽りの幸せをばら撒いて、ひとを滅ぼそうとする悪い神には……。
「オシオキだー!」
愉し気に響いた聲と共に、月色の眸が、にんまりと細くなった。
「食事の時間ダ」
薬指に遺る傷に鋭い牙を突き立てたなら、其処から赤い血が垂れる。グルメな賢い君に、甘美なる食事を与えてあげよう。
これは頭の高いヤツ――吸血鬼がよく取っていた食事方法。彼らと同じように、いのちの残滓を取り込むことで、賢い君はもっともっと強くなる。
掌の上で歓喜に震えた青い鳥は、赤い絲へと其の姿を転じさせた。鋼絲のように其れを手繰り寄せたエンジは、狼らしい健脚で一気に邪神の懐へと潜り込む。
「あーそーぼ」
呑気な聲とは裏腹に、ツミコの躰に巻き付いた赤絲は、其のあえかな躰をぎりぎりと締め付けた。
少女の息が詰まったのは、殺意に溢れた締め付けの所為か。それとも、――絲が滲ませる毒の所為か。一向に縊る力を緩めずに、エンジは捉えた獲物を品定め。
「シアワセを振り撒いてフコウにするする。ツマラナイなァ……」
軈て面白くなさそうに肩を落とせば、トドメとばかりに手繰る絲へ、ぐっと力を籠めた。邪神の苦し気な呼吸を聴き流しながら、エンジはちらりと倒れ伏す男を見る。偽りの幸福に縋る気持ちなんて、彼には矢張り分からない。
――ヒトから与えられたモノじゃあ、シアワセにはなれないのにネ。
大成功
🔵🔵🔵
冴木・蜜
そう、
貴女があのゆめまぼろしを
ならば貴女を還して終わりにしましょう
体内毒を濃縮の上
敢えて彼女の正面から対峙します
攻撃を受けた瞬間
『無辜』で身体を気化
姿を消したまま一気に彼女へ接敵
そのまま気化した毒腕で
彼女の身体を包み込み
全て融かし落として差し上げましょう
……、
詰らなくはありませんでしたよ
私にはきっと必要だった
知留間さんに救われて欲しくないとは言いません
救われて欲しいと思う
でも
私は現実の彼に救われて欲しいのです
倖せな夢を見ても
それは現実ではない
紛れもない亡びを呼ぶもの
貴方の手段は救いではない
どんなに幸福なものでも夢は夢
夢ならば醒めなくては
貴女の救済は必要ないのです
骸の海にお帰りなさい
●暁光の章『現世の幸福論』
昇り始めた太陽が照らし出す海は、温かな茜色をしていた。夢で見た海とは違う彩に、冴木・蜜はひとしれず胸を撫で下ろす。
波打ち際に佇む少女は、其の見た目こそ清らかで。邪神らしからぬあどけなさを其の身に纏っていた。
「――そう、貴女があのゆめまぼろしを」
UDC組織の職員である蜜は、邪神が少女のカタチをしていても動じない。UDCの悍ましさは其の見目では無く、本質に在るのだから。レンズ越しに其の姿を観察した青年は、敢えて、彼女の正面に立ちはだかる。
「貴女を還して、終わりにしましょう」
「あなたこそ、幸せな夢に還ろうよ」
ツミコは未だ、諦めていないのだ。蜜が紡いだ静かな宣告に頸を振って、祈る様に両の指先を組み合わせる。自らの頭上に招くのは、幸福の象徴――不可視の青い鳥。
「だいじょうぶ、命を奪ったりはしないから」
少女は無邪気に微笑んで、蜜へと自らの眷属を嗾けた。パタパタ、羽搏きの音だけを伴って、青い鳥は彼へと勢いよく突っ込んでいく。
鋭い嘴が蜜の胸を穿とうとした、其の瞬間。
「いいえ、それは出来ません」
ふわり――。まるで蜃気楼のように、蜜の躰が掻き消えた。
彼の躰には、毒が流れている。其れを体内に濃縮させていた蜜は、攻撃を受けた瞬間に濃縮毒を発散させることで、其の躰をひといきに気化させたのだ。
これこそ、『無辜』が為せる技。喩え其の身すべてが死毒に溢れていたとしても、誰かを救えるのなら、――彼は甘んじて怪物の汚名を受け入れるだろう。
「えっ、どこに行ったの?」
気化した蜜は其の姿を消した侭、一気にツミコのもとへ接近。きょろきょろと自分を探す彼女の後ろから毒腕をそうっと伸ばして、あえかな其の躰を丸ごと包み込んだ。
「きゃっ、なにこれっ……」
万物を融かす蜜毒に包まれて、邪神は小さな悲鳴を上げる。違和感に足元を見れば、――どろり。純白の靴が、無残にも溶けていた。せめてもの抵抗にイヤイヤと頸を振っても、蜜の躰は気化しているのだから、追い払うことなんて出来ない。
爪の先まで溶かされ始めたツミコは、がくりと力無く砂浜に膝を着く。少女を無垢に彩るドレスも、段々と黒に染まり始めていた。
「つまらない夢みせたから、怒ってるの……?」
「……詰らなくはありませんでしたよ」
あどけない問いに、蜜は靜に答え返す。彼との約束を思い起こさせる夢は勿論、いつかの裏切りの悪夢だって――。きっと、彼には必要なものだったから。
「じゃあ、どうして?」
――ちらり、毒と化した蜜が視線を向ける先には、横たわる男の姿が在る。自分なしでも彼は幸せになれるのかと、この邪神は確かそう言っていた。
きっと蜜は、其の答えを知らない。その代わりに、彼の幸せを祈っている。
「知留間さんに救われて欲しくないとは言いません」
ツミコが齎す安息の夢は、彼にとっての幸せなのかも知れない。其れを否定することは出来ないけれど……。
「私は現実の彼に、救われて欲しいのです」
いくら倖せな夢を見ても、それは現実に成り得ない。少なくとも、彼女が魅せる其れは、紛れもなく亡びを呼ぶ邪なものだ。
喩え救われる人が居たとしても、世界に害を為す者は「悪」である。なにより――、
「貴方の手段は、救いではない」
凛とした静謐な聲が、ツミコの耳元で響く。
どんなに幸福なものだとしても、夢は夢。其れ以上でも、それ以下でも無い。そして、夢はいつか醒めなければならないものだ。
「貴女の救済は必要ないのです」
彼女が語る幸福論を否定して、蜜毒は少女の躰を更に包み込んでいく。病的な白い肌が黒く溶け始めて行く様は、何処か痛々しく物悲しい。
「骸の海にお帰りなさい」
それでも決して目を逸らさずに――、蜜はそう静かに囁いた。
大成功
🔵🔵🔵
橙樹・千織
◎
夢に依存したが故に滅びるなんてお断り
別に妥協するのは現実でも構わないはずでしょう
確かに現実にはそういった欠点がある
けれど
本当にそれだけ?
もっといい人がいるからかもしれない
もう少し先で報われるのかもしれない
必ずしも今見えていることが全てでは無いはず
綺麗事というのは否定しない
でもね
縁は一つだけでは無いの
いくつもの様々な縁が人にはある
それは悪縁でもあり、良縁でもある
どれを結ぶにしても、夢ではなく現実を見なければ
夢幻ではなく、確かな幸せを得るために
与えられる幸せではその内満足できなくなるでしょう
幸せで心満たされ、浸ることができるのは
自分の手で得るからこそだと思うから
お前に幸せにしてもらう必要は無い
●曙の章『縁の幸福論』
太陽は地平線から離れ始め、空に広がった茜色も段々と薄くなり始めている。清々しさすら感じさせる空の下、橙樹・千織は邪神が語る幸福論に眉を顰めた。
ぐるぐる、胸に渦巻く不快感は、静かに零された言葉に険を滲ませる。
「夢に依存したが故に滅びるなんて、――お断り」
ツミコの幸福論は、詭弁である。
望む幸せを得られないからと云って、夢に逃げる必要は無い。妥協をしたほうが良いと云うのなら、現実を少しだけ妥協して低い理想を目指すという選択肢も有る筈だ。
「現実は不公平で、理不尽なのに?」
彼女と対峙するツミコは、あどけない表情で頸を傾げて見せた。
白いサマードレスを黒く汚し、溶けた靴を脱ぎ捨てて裸足で砂浜に立つ其の姿は、何処までも無垢。そして其の内面も、見目の通り幼げなようだ。
「確かに現実にはそういった欠点がある」
千織は少女の問いを、否定しない。
現実というものは、矢張りアンバランス。努力が報われないことも、恋に破れることも、夢が叶わないことだって、往々にしてあるのだ。
けれど、本当にそれだけ?
――いや、千織はそう思っていない。
喩え恋が破れても、この先もっといい人と巡り逢えるかも知れない。喩え努力が報われなくとも、それでも前に進み続けていれば、もう少し先で報われるかもしれない。
「必ずしもいま見えていることだけが、総てでは無いはず」
いまを生きている人間には、未来がある。
人生とは、何が起こるか分からないもの。千織だって、レールに則った半生を歩んで来た訳ではない。思いがけないことの積み重ねの末、彼女はいま此処に居る。
だから、不確定な未来に希望を持つことくらいは、赦されても良い筈だ。
「そんなの、きれいごとだよ」
「……否定はしない、でもね」
詰まら無さそうに爪先で砂を蹴りながら、ツミコは千織の語る希望を一蹴する。そんな少女を見つめながら、千織は重々しく頸を振った。
人外たる彼女は、矢張り何も分かっていない。
「縁は一つだけでは無いの」
“ひと”と“ひと”は、幾つもの様々な縁で結ばれている。ある時それは悪縁にも成り、またある時は良縁にも成る。
どれを結ぶにしても、夢ではなく現実を見なければ、ひとと縁は結べない。
そして、――夢幻ではなく、確かな幸せを得るためには、双眸を確り見開いて目の前に広がる現実を直視しなければならない。
それは、大事な縁を積み重ねて来た千織だからこそ語ることが出来る、彼女なりの幸福論。
「与えられる幸せでは、その内満足できなくなるでしょう」
だって、ひとは強欲なのだから。
本当の幸せは、自分の力で手に入れてこそ。誰かに与えられるだけの幸せでは、喜びに浸ることは愚か、こころが満たされることも無いだろう。
「わたしなら、満足させてあげられるもん」
不機嫌そうに紅の双眸を細めたツミコは、祈る様に両手を組み合わせた。ささやかな囀りと共に、不可視の青い鳥が羽搏きを伴いながら宙へ顕在する。
「あなたも、幸せにしてあげる」
主の敵意に呼応するように、不可視の鳥は千織へと急降下し、其の嘴を突き立てんとする。されど、彼女には立派な耳がある。
其の羽搏きの音からある程度の軌道を推測した千織は、黒鉄の刀身が煌めく薙刀を抜き放つ。芒と周囲に浮かび上がるのは炎の椿たち。
薙刀を大きく振るった千織は、其の風圧で飛ばした灼熱の椿にて、幸福の象徴を灼き尽くす――!
「お前に幸せにしてもらう必要は、無い」
どさり。
何かが落ちた音と、焦げた匂いが辺りに漂って、不服そうに頬を膨らませるツミコ。
そんな幼げな表情にも惑わされず、千織は周囲に浮かぶ炎の華を、再び薙刀で飛ばし続け、純白を纏う邪神を茜色に染めて行くのだった。
大成功
🔵🔵🔵
ディイ・ディー
◎
賽の目の参、ヒドリを呼び白い炎へと変えて
髪留めを白炎の烏で撃ち落としながら
俺は妖刀を振るって応戦
お前の考えには概ね賛同する
いつかくる破滅になんて目を瞑って
幸せだけを求めて皆で一緒にいる
そんな風に居られたらどれだけ良いか
でも、それは出来ない
なぁツミコ。いや、ツキコ
きっと幸せってのは自分で手に入れなきゃ意味がない
苦しい中で何を思って、何かに気付いて、何を幸福と呼ぶか
与えて、与えられるだけじゃすぐに崩れ落ちる
……これ以上のお喋りは無用だな
俺は己の信念と立場に従ってお前を斬る
これまでもそうしてきたし、これからもこの道を進む
心が救えなくたって、命を繋ぐ
そうすればいつか幸せに辿り着ける
それが俺の幸福論だ
●来光の章『信念の幸福論』
朝陽が、眩しい。
空に差した茜色は晴れ始め、天の帳は蒼彩を覗かせている。花火大会はもう終わって仕舞った。
砂浜に居るのはディイ・ディーと、薄青の髪をふわりと揺らす無垢な少女、ただふたり。
「――お前の考えには概ね賛同する」
いつかくる破滅になんて目を瞑って、幸せだけを求めて皆で一緒にいる。そうすれば、もう置いて行かれることも無いし、誰かを置いて行くことも無い。先は無いかも知れないけれど、誰も哀しい思いをしない。
「そんな風に居られたら、どれだけ良いか」
「ね、そうでしょ?」
双眸を伏せながら紡がれた言葉に、ツミコは得意げに胸を張る。けれども、ディイは彼女の幸福論に魅入られた訳では無い。
かつて通り過ぎた大事なひと、そして今こころに住まわせているひとのことを脳裏に思い描きながら、彼は静かに頸を振って見せた。
「でも、それは出来ない」
腰に掛けた鞘から、するりと妖刀を抜き放つ。
朝日に照らされて鈍く煌めく黒鉄の刀身は、獲物たる無垢な邪神の姿を芒と映し出していた。
双つの脚で地面を蹴って、ディイは砂浜の上を駆ける。ひといきに潜り込んだ先は、ツミコの懐だ。
彼女の幸福論を否定するように、妖しく煌めく刀を思い切り振り降ろしたならば、――ひらり。
軽やかに凶刃を躱した少女の頭に揺れるリボンが、そして、幾束かの髪が宙を舞って地に堕ちる。
「もう、分からず屋なんだから」
少女は頬を膨らませながら、先ほど切れたばかりのリボンを、ぽこぽこと宙に量産する。そのうちの一本で、髪を結い直しつつ、あえかな指をディイに向けた。
刹那、赤いリボンの群れが彼の身に襲い掛かる。
「――飛鳥」
耳飾りより顕現させるのは「賽の目の≪参≫」の式。純白の鴉の姿を取った式は、たちまち其の姿を白い炎へと変えて、次々に飛んでくるリボンを燃やして行く。
「なぁ、ツミコ。――いや、ツキコ」
自身もまた飛来するリボンを切り捨てながら、ディイは少女の正しい名を呼ぶ。そう、話は未だ、終わっていない。
「きっと幸せってのは、自分で手に入れなきゃ意味がない」
幸せとは、儚いものだ。与えられるだけでは、きっと直ぐに崩れ落ちて仕舞う。勿論、一方的に与えるだけでも行けない。
苦しい中で何を思って、何に気付いて、何を幸福と呼ぶか。
大切なのはきっと、幸せになったという「結果」では無く、其処に至るまでの「道筋」なのだ。
「そんなこと無いもん。わたしは夢と幻で、みんなを幸せにしてあげるの」
駄々を捏ねるかのように左右に躰を揺らすツミコ、其の様を見てディイは深く溜息を吐いた。
「……これ以上のお喋りは無用だな」
彼女の幸福論と、ディイの価値観は余りにも違い過ぎている。いま確かなのは、あのUDCは本気で、ひとを滅ぼそうとしているということ。
ゆえに、UDCのエージェントたる青年は、己の信念と立場に従って彼女を斬るのみ。彼はどの戦場でもそうして来た。きっとこれからも、そうして生きていく。
「心が救えなくたって、命を繋ぐ。そうすればいつか、幸せに辿り着ける」
とめどなく襲い来るリボンの対処は飛鳥に任せて、ディイは妖刀を手にもう一度、ツミコの元へと斬り込んだ。
「それが俺の、幸福論だ」
するり。
黒鉄の刀身が少女の白肌をほんの少し撫でただけで、鮮血の花弁が宙を舞い。ぽたり、ぽたりと垂れる赤が、白い砂浜を凄惨に穢していた。
そうして今日も彼はまた、邪神を斬り、ひとへと命を繋いでいくのだ。
大成功
🔵🔵🔵
蘭・七結
◎
真白い衣に無垢な微笑み
得意ではない、におい
噎せ返るような甘さが纏いつくよう
あなたが、彼らの神さま?
ふたつの景色に広がったもの
どちらもまっかな色をしていた
こころの深淵に潜むもの
今に至るために失ったもの
わたし、に触れられた気がするわ
溺れるような幸福もステキでしょうね
けれど、いらない
与えられるだけのしあわせは結構よ
わたしはこの眸でみつけたい
青い鳥の導きがなくとも
この歩みは、わたし自身で結ぶもの
あなたが懐くこころの彩
しりたくないと言えば、嘘よ
あかい衝動が疼くよう
甘い惑わしごと、それを絶ち切る
一度刻まれたもの
それは簡単に消えないでしょうね
だから、向き合うわ
みえないふりは、しらないふりは
終いとしましょう
●春暁の章『受容の幸福論』
蒼と茜が混じり合う空の彩は、蘭・七結の眸に煌めく紫水晶の彩に、少しだけ似ていた。
なんだか未だ夢を見ているような気がして、七結は空の彩を映す海へ芒と視線を向ける。
波打ち際には、裸足で佇む少女が居た。
潮風に靡くサマードレスは白い彩。けれども、所々が黒や赤で汚されている。病的なほど白い肌に浮かべた無垢な微笑みは、邪神というより天使の類に見えた。
けれども、辺りに漂う甘い毒のような――決して七結が得意ではない匂いが、少女がひとならざる者であることを教えてくれていた。
「あなたが、彼らの神さま?」
噎せ返るような甘さが喉に纏いつくようで、七結は無意識に口許を白い指先で覆い隠した。少女――ツミコは、そんな彼女へ無邪気に微笑んで見せる。
「うん、そうだよ。あなたは、いい夢みれた?」
それは、歳の近い友人に昨日見た夢の噺を強請るような。そんな、何処までも邪気の無い問いだった。
「……『わたし』に、触れられた気がするわ」
是とも否とも答えずに、七結はそうっと長い睫を伏せる。こころの中には、先ほどの光景を「良い」とも「悪い」とも思う自分が居る。
ふたつの景色に広がったものは、どちらも真っ赤な彩をしていた。
こころの深淵に潜むもの、今に至るために失ったもの。確かに求めているけれど、決して望んではいないもの。確かに望んでいたけれど、過去に成ってしまったもの。
昨夜目にした光景は、総て七結のなかに在るものだ。
其の事実を噛み締めるように、彼女はゆっくりと双眸を覗かせた。薄紫に染まった海は、もう赤くない。だから、これはきっと、現実。
「溺れるような幸福もステキでしょうね」
七結はうっそりと双つの紫水晶を細め、溜息をひとつ。もしも彼女が幸せな眠りを選んだとして、夢のなかの七結はどの『面』を被っているのだろう。鬼か、少女か、それとも……。
対峙するツミコは相も変わらず、にこにこと微笑んでいた。七結が肯定の言葉を零すほどに、甘い馨は一層強くなる。けれども、彼女の答えはもう決まっている。
「けれど、――いらない」
拒絶の科白は、はっきりと響いた。
きょとりと瞬く少女に向かって、七結は静かに頭を振って見せる。微かに馨る牡丹一華の上品な馨が、梔子の甘い馨を打ち消していく。
「与えられるだけのしあわせは結構よ」
わたしは、この眸でみつけたい。
其れこそが、七結の願い。喩え青い鳥の導きがなくとも構わない。此の歩みは、七結自身で結ぶもの。
総てをひとの手に頼って仕舞えば、いままで歩んで来た道が水泡に帰して仕舞う。それはきっと、いっとう不幸なこと。
「ふーん、せっかく幸せにしてあげようと思ったのに」
不機嫌そうに愛らしい眉を顰めながら、虚空に幾つもの赤いリボンを生み出し始めるツミコ。赤い絲にしては物騒な其れらを前に、七結はそうっと鍵杖のカタチをした黒剣に指を這わせる。
「あなたが懐くこころの彩、しりたくないと言えば、嘘よ」
其の白肌を、白い衣を見る程に――。
嗚呼、あかい衝動が疼くよう。
一斉に飛来するリボンをざくり、ざくりと斬り裂きながら、七結は砂浜の上を往く。
後退りする少女に素早く追いついたなら、彼女が馨らせる甘い惑わしごと、邪神のあえかな躰を絶ち切った。
赤い飛沫が砂浜に散り、其の身に纏う白い纏いを穢す。赤と白のコントラストは、眩暈がするほどにうつくしい。
衝撃で髪を結っていたリボンが解け薄紫の空を舞い、軈ては潮風に攫われていく。嗚呼、赤色が、何処か遠くへ行って仕舞う。
「一度刻まれたもの、それは簡単に消えないでしょうね」
けれども、辿り着く先が「悲劇」ばかりとは限らない。より良い未来を目指して、歩んでいくことは出来るから。
――だから、向き合うわ。
視えないふりは、知らないふりは、もう終いとしよう。
天の帳はいま、少しずつ蒼い彩に染まろうとしていた。
大成功
🔵🔵🔵
泡沫・うらら
◎
そうよ
うちは貴女を、殺しに来ました
だってあんまりやもの
ずっと浸っていられるのならまだしも
夢から醒めたら其処にあるのは虚しさばぁっかり
そのお兄さんが良い見本でしょう?
貴女は善意でしてるかもしれんけど
やっとる事自体はとても褒められたもんやあらへんよ
貴女を求め、縋る人形をこさえて神様の真似事をして
それで貴女はどうなるの?
どうしたいん?
必要と、されたいん?
――いいえ
そもそも生存本能に理由なんて、あらへんのかもしれんね
うちが貴女へ手を下すのも、同じ事
貴女が邪なもので、うちの手には力があるから
やから、おやすみよ
貴女の四肢を凍らせ、留まらせ
ひとつひとつ、温度を奪っていくわ
――ねぇ、冬のお味は、如何かしら?
●白々明の章『雪白姫の幸福論』
天の帳の茜色が、薄れてきた。
朝日に煌めく水面へ背を向けて、無垢な邪神は宙をふわりと游ぐ人魚――泡沫・うららを、紅の双眸でじっと見つめていた。
「あなたも、わたしを殺しに来たの」
其の問いに、咎める響は無い。ただの、純粋な問いかけだった。
猟兵達に幾ら否定されても、彼女は自分の行いを「善いこと」だと思っている。ゆえに、あどけない貌に不思議そうな彩を浮かべ続けているのだ。
「――そうよ」
そんな彼女の貌を、うららはじっと見つめ返す。涼やかな翠の双眸は、冷え切っていた。海の淑女らしく、静かに怒っているのだ。
「うちは貴女を、殺しに来ました」
うつくしい、聲だった。
片割れと分かたれる悪夢を見せられた後に、其の片割れと再び出逢う夢を見せられて。これでは、こころの一等やわらかな部分を弄ばれたようなもの。不愉快に決まっている。
「だって、あんまりやもの」
なにより、彼女はいま空虚に包まれていた。
漸く出会えたあの子と、漸く海に還れると思ったのに――。ふと気づいた時には、またひとりで陸に遺されて仕舞った。
「夢から醒めたら、其処にあるのは虚しさばぁっかり」
そのお兄さんが良い見本でしょう?
寂し気な貌をした人魚がちらり、視線を向ける先には横たわる男の姿が在る。彼もまた、哀れな犠牲者なのだろう。
虚しさに耐えかねて夢に依存する姿は、何処までも可哀そう。
「起きた後が虚しいなら、また眠らせてあげる」
「……貴女は善意でしてるかもしれんけど」
にこにこと微笑みながら、無邪気にそんなことを宣う邪神は、うららの言葉をきっと理解していない。地獄めいた優しさだけが、ただ其処に在った。
ひとに幸福な夢を見せ、序に現実との落差を見せつけて、自分なしでは生きられないよう、夢に依存させる。其の遣り口は、邪神らしく悍ましい。
「とても褒められたもんやあらへんよ、それ」
「そうかなあ、みぃんな喜んでくれるけど」
話の本筋をいまいち分かっていない様子のツミコに、うららは重たい溜息を吐く。悪意が無いだけに、こういう少女に罪科を理解させることは難しい。
「貴女を求め、縋る人形をこさえて、神様の真似事をして」
ゆえにこそ、自身の所業を理解させるために、うららは言葉を選ばなかった。寧ろ理解できない彼女への疑問ばかりが募っていく。
「それで、貴女はどうなるの?」
ふと零れた問いに、邪神がぴたりと動きを止めた。
困惑したような貌で、人魚の貌を見つめ返した後、気まずそうに視線を泳がせる。
「そんなこと、……知らない」
「じゃあ、貴女は、どうしたいん?」
ひとに必要とされたいのか、と。そう問いを重ねても。ツミコは叱られた子供のように俯いて、ただ沈黙するばかり。言い訳を探しているのだろうか、――いや。
「生存本能に理由なんて、あらへんのかもしれんね」
頑なに夢に溺れることを幸せだと言い張るのも、放浪型UDC『ツミコ』がそういう性質だから。或いは、ツミコというパーソナリティがそんな性格だから。
きっと、うららが彼女へ手を下すのも、同じこと。ツミコは邪な存在で、うららは力を手に入れた猟兵だから。理由はどうあれ、殺し合う運命。
「やから、おやすみよ」
彼女の幸福論の背景を考察したうららは、指先で宙に雪の結晶を描く。それをツミコの腕に、脚に飛ばせば、あえかな其の躰をじわじわと凍らせていく。
邪神は慌てて青い鳥を招くけれど、うららは羽音を頼りに其方にも結晶を飛ばし、瞬く間に幸せの象徴を氷像に変えて仕舞った。
「――ねぇ」
寒さに躰を震わせる邪神に向けてはじめて、人魚の赤い唇が、艶やかに微笑んだ。
「冬のお味は、如何かしら?」
大成功
🔵🔵🔵
天音・亮
◎
ううん
つまらなくなんかなかったよ
大好きな人達に会えて
大事な人に会えて改めて思った
ああ、私の進む道はこれでいいんだ
って
私もね、みんなが幸せになったら素敵な世界だなって思う
誰も泣いたり苦しんだりしない世界
一人ぼっちにならない世界
…でも違うんだ
泣きたいくらいに辛いことがあるから
人は幸せになろうとする
届かないものがあるから夢を見る
ずっと幸せなままじゃ
それが幸せかもきっと分からないよ
私の夢はきみの夢じゃない
知留間さんのもね
私は私の脚で世界を駆けてくよ
夢のまた先の夢を追いかけて
だって
きっとその方が楽しくて幸せだもの!
花弁も甘い薫りも巻き起こす疾風で跳ね除けて
浮かべた笑顔で駆ける脚は
もっと遠くへ、高くへと
●太陽柱の章『疾風の幸福論』
天空から地平線へと、真っ直ぐに太陽の光が伸びる。
柱のような其の輝きを背負いながら、地面にへたり込む邪神は、眼前に佇む天音・亮をぼんやりと見上げていた。
「……あなたの夢も、つまんなかった?」
「ううん、つまらなくなんかなかったよ」
金絲の長い髪を揺らしながら、其の問いを静かに否定する亮。喩え夢だとしても、大好きな人達や大事な人に逢うことが出来て、懐かしくも嬉しかった。
そして、改めて思ったのだ。
――ああ、私の進む道はこれでいいんだ。
「私もね、みんなが幸せになったら素敵だなって思う」
煌めく碧い双眸を僅かに伏せながら、亮は切なげな微笑みを零した。
彼女がヒーローになった切っ掛けは、兄の存在だった。
白い部屋で寂しく笑う彼のこころを護りたくて、彼女は兄の「笑顔の種」になることを決めたのだ。
だからこそ、誰も泣いたり苦しんだりしない世界は魅力的に想える。
誰も一人ぼっちにならないような世界なら、彼がもう日常から取り残されることは無い。きっと、寂しそうに笑うことも無くなるだろう。
「じゃあ、そんな世界を作っちゃおうよ」
「……でも、違うんだ」
此方を見上げながら無邪気に笑うツミコへ、亮はゆっくりと頸を振った。確かに彼女が語る幸福論は、誰も傷つかないものだけれど。
幸せってきっと、そういうものじゃない。
泣きたいくらいに辛いことがあるから、ひとは幸せになろうとする。幾ら手を伸ばしても届かないものがあるから、遍くひとは夢を見る。
感受するだけの幸せが、人生を豊かにしてくれるわけではない。向上心が、憧れが、人生を豊かにしてくれるのだ。
「ずっと幸せなままじゃ、それが幸せかどうかも、きっと分からないよ」
「悪いことなんて、起きない方がいいのに」
亮が語る真理に耳を傾け、むくれたように俯いてみせるツミコ。
彼女のこころの揺らぎを表すように、ふわりと甘い馨が周辺へと立ち込めて。梔子の花弁がはらはら、宙を舞い始めた。
それでも、ヒーローたる亮のこころは揺らがない。
「私の夢はきみの夢じゃない」
知留間さんのもね、――なんて。否定の言葉を重ねながら、亮は倒れ伏す男へ優しい視線を向ける。
幸せのカタチはひと夫々なのに、ひとつのカタチを押し付けるなんて。そんなのは、やっぱりエゴだ。
どんなに優しいものだとしても、ツミコが語る世界はきっと詰まらない。
「私は私の脚で世界を駆けてくよ」
まるで、夢のまた先の夢を追いかけて往くように。だって――、
「きっとその方が楽しくて幸せだもの!」
生き生きとした聲が響いた刹那、亮の長い脚を包むブーツ『soleil』が、エンジン音の唸りをあげた。
次から次へと舞い降りる天使の羽めいた花弁も、花よりも匂やかな甘い馨も。ブーツから巻き起こした疾風で思い切り跳ね除けて、亮は蒼に染まり始めた空を駆けて往く。大きく深呼吸すれば、澄み渡った朝の空気が肺を満たして心地良い。
朝日を浴びて輝く金の髪は、昨晩みたお月様よりも煌びやかで。明るい貌に飛び切りの笑顔を浮かべれば、まるで彼女自身が世界を照らす太陽のよう。
邪神の儚げな躰を蹴り飛ばしても尚、亮の脚が止まることは無い。彼女は何処までも、何処までも、駆け抜けるのだ。
もっと高く、もっと遠くへ――。
大成功
🔵🔵🔵
コノハ・ライゼ
◎
魅力的なお誘いネ
望む幸せがあって決して置いて行かれやしない
でも幸せと不幸せは表裏一体
横並びの幸せに、滅びの代償は重すぎるンじゃねぇの
青い鳥にはコチラも実体のない帯を
*範囲攻撃で【虹渡】広げもてなしたら
鳥の隙縫い*カウンターで*2回攻撃、ツミコに近付いて
その手を取り*呪詛を与えましょうか
ねぇツミコ
全てが滅ぶ時、アンタはどうなるの
アンタ一人置いてかれるのは、アンタの幸せ?
覗きこむ、右目の「氷泪」から紫電奔らせて
その*生命を頂戴しましょうか
妥協した幸せなんていらないワ
失くしたモノがあるから、今のオレがいるンだもの
アンタこそ、そろそろお休みなさいな
●虹雲の章『喪失の幸福論』
白い砂浜で蹲るツミコの上に、すらりとした影が差す。また新たな猟兵が、彼女を止めに来たのだ。
対峙した総てのひとが、彼女の幸福論を否定した。彼女に掛けられた言葉は、どれも世の真理である。
けれども、無垢な邪神は諦めない。
「みぃんな、みんな、幸せにしてあげる」
ふらり、砂浜の上から立ち上がるツミコを、コノハ・ライゼは冷めた目で見つめていた。薄氷の双眸が、つぅと細く成る。
「……魅力的なお誘いネ」
彼女が見せる夢のなかには、こころの裡で願っている幸せがある。みんなが、「せーの」で幸せになって、一緒に滅びゆく世界なら、決して置いて行かれやしない。
でも、幸せと不幸せは表裏一体。
「横並びの幸せに、滅びの代償は重すぎるンじゃねぇの」
「そうかなあ。みんな一緒は、いいことでしょ?」
あどけなく頸を傾げる少女は邪神ゆえ、ひとの価値観を解さない。人類の「存続」よりも、一過性の「幸福」に重きを置く其の幸福論は、何処までも歪だった。
コノハは鼻で嗤って、ツミコの価値観を否定する。
「妥協した幸せなんて、いらないワ」
失くしたものがあるからこそ、コノハはいま此処に居る。喪失は万人にとって必ずしも不幸では無く、其れを乗り越えることで得られる幸福も、また存在するのだ。
「ううん、あなた達には妥協して貰わなきゃ」
祈る様に目を閉じたツミコは、幸福の象徴たる青い鳥を招く。ささやかな囀りと羽音を零す其れは、空の色に溶けて仕舞って決して見えない。
――ならば、此方も実体のない業で迎え撃とう。
「幸せの押し売りはお断り」
不可視の鳥が羽搏く空へとコノハが呼ぶのは、淡く広がる虹の帯。其れは天の帳を埋め尽くして、青い鳥の目を眩ませた。
其の隙を縫うように、青年は素早くツミコへと肉薄する。磨かれた鉱石ナイフ『柘榴』を其の掌中で煌めかせれば、縦横無尽に振ってあえかな躰に赤い十字を刻んでいく。
力を喪い崩れ落ちかける少女の手を引きながら、コノハは彼女に貌を寄せた。血のように紅い双眸と、間近で目が合う。
「ねぇ、――ツミコ」
「なあに、おにいさん」
口端から赤絲を垂らしながらも、あどけなく此方を見上げて来る邪神に向けて、青年は静謐に問いを編む。
「全てが滅ぶ時、アンタはどうなるの」
「どうって」
此岸に取り遺された側の彼にとって、気に成ることは唯ひとつ。
「アンタ一人置いてかれるのは、アンタの幸せ?」
薄氷の双眸で彼女の貌を射抜きながら、返事を待つ。答えは思ったよりも早く、返って来た。
「うん、それでもいいよ」
みんなの幸せを見届けられるなら、きっと幸せ。
そう言って無邪気に笑うツミコを見つめながら、コノハは小さな溜息ひとつ。矢張り、ツミコはひとの理の外にいるのだ。
滅んだ世界でひとりきり、なんて。大抵の人間はきっと耐えられる筈が無い。
「……そ、呆れた献身だコト」
でも、アンタを幸せにはさせない。
覗き込む其の貌を、更に寄せる。右の眸に刻んだ『氷泪』から、ばちりと紫電奔らせれば、獰猛に向かれた氷牙はツミコのいのちを喰らっていく。
「アンタこそ、そろそろお休みなさいな」
腹が満ちたところで、ぐったりと脱力した少女を突き放す。砂浜の上で仰向けに転がるツミコの双眸に映るのは、七彩の帯を纏ったうつくしい空だけ。
天の帳にふわふわと揺れる雲もまた、淡い虹色に染まっていた。
大成功
🔵🔵🔵
旭・まどか
◎
さぁね
彼の幸せなど僕の知った事じゃあ無い
君に縋り、自らの生を投げ出すが正しいのなら
勝手にそうすれば佳い
君の謳う“幸せ”はとても甘美で、魅惑的で
――そして、孤独だ
夢の中で手にしたものは虚像でしかない
其を得て胸に掻き抱いたとて
実際此の手には何も、無いのだから
ぼくの『かみさま』はひとやすみを赦してくれたよ
決して寄り添ってはくれなかったけれど
ただただ静かな夜を、くれた
自分が顕現する為に彼に夢を魅せ続ける君とは
――、大違い
それに
君がくれた夢は僕にとっての幸せでは無かった
だったら僕が再び眠りに就くなどありえない
君の夜はもう僕の元へは訪れない
代わりに海へと還り眠るのは君の方
君にとっての幸せとは、何だろう?
●彼誰時の章『夜の淵の幸福論』
天の帳から、茜色が消えていく。
朝陽に照らされながら波打ち際を歩く少年――旭・まどかの脚音が近づいてきて、砂浜に横たわっていた少女はゆっくりと起き上がる。
「ねえ、あのおじさんは幸せになれるかなあ」
たとえ、わたしが居なくなっても――。
第一発見者の男を振り返りながら、そんな科白をぽつりと零すツミコの疵は深い。彼女が躯の海に還るのもきっと、時間の問題だろう。
「……さぁね」
彼の幸せなど、まどかの知った事じゃない。
干渉を嫌う少年は、他者の人生に己が干渉することも好まない。倒れ伏す男にちらりと視線を向けて、軽く首を傾けて見せた。
「君に縋り、自らの生を投げ出すが正しいのなら、勝手にそうすれば佳い」
第一発見者の彼はもう大人だ。大人なら自分の責任で、好きな幸せを選べばいい。けれど、まどかは彼女の見せる幸福を善いものだとは思わない。
「君の謳う“幸せ”はとても甘美で、魅惑的で」
――そして、孤独だ。
昨夜に見た夢は、とても虚しいものだった。喩え夢で会えたとしても、彼のひとが此処に居ないことを、改めて思い知らされるばかり。
だって、夢の中で手にしたものは、虚像でしかないのだから。
其れを得て胸に掻き抱いたとしても、実際のところ此の手には何も残らない。現実に裏切られたあと、夢にも裏切られるなんて、あまりにも虚しい。
「……ぼくの『かみさま』は、ひとやすみを赦してくれたよ」
薔薇色の眸を伏せながら、少年は夢で逢った彼のひとに思いを馳せる。結局、彼は海に還れなかった。そんなこと、赦されなかったから。
“お前”は決して寄り添ってはくれなかったけれど、――ただただ静かな夜をくれた。
「自分が顕現する為に、彼に夢を魅せ続ける君とは、」
――大違い。
淡々とした静謐な聲で、まどかは神としてのツミコを否定する。
彼のかみさまは、残酷なほどに優しかった。他方この神は、笑えるほどに我儘だ。まどかが何方を選ぶかなんて、最初から決まっている。
「ひとやすみを望むなら、眠らせてあげる」
甘い馨がふわり、辺りに色濃く漂い始める。それは、せめてもの悪あがき。天使の羽のように舞い散る梔子の花弁を見上げながら、少年は静かに双眸を閉ざした。
「必要ない。君がくれた夢は、僕にとっての幸せでは無かったから」
だから、彼が再び眠りに就くことは有り得ない。まどかは出来得る限り力を抜いて、ツミコの誘惑を受け止める。
けれども、彼女の夜はもう彼の元へは訪れない。
四つ脚の風の仔が、其の甘い馨と花弁を、ツミコの元へと返して仕舞ったから。 代わりに海へと還り眠るのは、彼女のほう。
とろりと瞼を落としかけながら、どうにか蹲る少女のカタチをした邪神。その上にゆっくり影を落とした少年は、静謐な囁きを零す。
「君にとっての幸せとは、何だろう?」
何度も幸せを囀る邪神だけれど、彼女が思い描く其のカタチは分からない。ゆえに、まどかは寝惚け眼の少女の答えをじぃと待った。
「わかんない、けど……」
せっかくカタチを得たんだから――、
「ひとりくらいは、幸せにしたかったなあ」
力なく砂浜に横たわった少女の上に、風の仔が招いた梔子の花が、ふわりふわりと降り積もって行く。
寄せては返す透明な波が、白い花弁をひとひら。何処か遠くの海へ浚って行った。
大成功
🔵🔵🔵
アオイ・フジミヤ
◎
真の姿:黒髪に翡翠の瞳、6枚の翼
神様の外見によく似ていた
つまらない夢ではなかったわ
ありがとう
少しでも逢えて嬉しかったのよ
知留間さんの背中に手を添えて
自分の幸せを忘れないでね
生きるって苦しいね
うまく行かないなんてあたりまえで
心は疲れてしまう
でも幸せを得た時に
幸せだってきちんと笑える自分でありたいの
夢の中でなく、いまの私で
身に纏う大好きなジャスミンの薫
この香りも夢にはないから
青い鳥を色とりどりの青の波のUCで打ち消す
罪は消えない
でも傷は消える
私ね、青い鳥になりたかった
愛しい人に青い鳥という私を求めて欲しかった
でも私がなれるのは私だけなの
いつか私も海に還るのでしょう
でももうひとりじゃないから
●蒼穹の章『茉莉花の幸福論』
微かに甘い馨の残る海岸へ、アオイ・フジミヤは静かに降り立った。
彼女の背では宵色に染まった六枚の翼が羽搏いている。青い筈の髪は黒く、双眸は翡翠の彩を放っていた。
其れは、彼女の「神様」によく似た真の姿。
アオイは温かくなり始めた砂浜の上を、ゆっくりと歩いて行く。横たわる邪神の傍らを通り過ぎ、辿り着いたのは眠りに落ちた第一発見者――知留間のもと。
其の傍らに膝を着いたアオイは、彼の背中に手を添えて。たいそう優しい聲色で、そうっと夢の淵へと囁きかけた。
「自分の幸せを、忘れないでね」
ふと、視線を感じて後ろを振り返る。砂浜に横たわる少女が、じぃっと此方を見つめていた。目が合った瞬間、ひどく幼げな聲が静かな浜辺に響き渡る。
「あなたも、つまんなかった?」
「いいえ、つまらない夢ではなかったわ」
そっと立ち上がりながら、アオイは穏やかに頸を振った。もう起き上がる力もないらしいツミコの元へ、彼女はゆっくりと歩み寄って行く。
間近で見降ろす邪神の姿は、悍ましい性質とは裏腹にひどく儚げだった。彼女のいのちは、きっともうすぐ尽きて仕舞うだろう。
「ありがとう。少しでも逢えて嬉しかったのよ」
「ふふっ、どういたしまして」
優しく微笑みながら礼を紡げば、無邪気な微笑みが返って来る。
そんな悪意のない、ささやかなやり取りを交わしたのち、アオイは寄せては返す波へと視線を向けた。
「生きるって苦しいね」
うまく行かないなんて、あたりまえ。試行錯誤をするうちに、心はどんどん疲れていく。そうして、ひとは自力で幸せを追う気力を、いつしか喪って仕舞うのだろう。
「でも――」
世界は、そんな人間ばかりではない。少なくともアオイは、幸せを追う為の翼を、そして脚をちゃんと持っていた。
「いつか幸せを得た時に。幸せだって、きちんと笑える自分でありたいの」
夢のなかの私ではなく、いまの私でちゃんと幸せを感じたい。
身に纏う大好きなジャスミンの馨も、夢には無いのだから。現実を精一杯生きて、自分なりの幸せを見付けたい。
それが、アオイ・フジミヤの幸福論。
「ざぁんねん、幸せにしてあげても良かったのに」
幸福を運ぶ少女は、すっと表情を消して戦場に不可視の青い鳥を招く。其れは、最後の抵抗だった。
「……私の“海”」
おねがい、と。蒼い乙女がそう囁けば、何処からか色とりどりの「青」の波が押し寄せる。それは、襲い来る青い鳥を容赦なく呑み込んでいく――。
罪は消すことが出来ない。でも、傷は癒すことが出来るのだと、アオイはそう信じている。もはや成す術のない邪神に向けて、彼女はぽつりと言葉を落とした。
「私ね――」
「うん」
「青い鳥になりたかった」
叶うことなら、愛しいひとに“青い鳥という私”を、求めて欲しかった。そうして、愛しいひとの、“幸福の象徴”として生きて行きたかった。
「でも、私がなれるのは私だけなの」
青い鳥には成れないけれど。喩え有るがままの姿でも、愛しいひとを幸せにしてあげることは出来るから。
――私は私のままで、幸せを見付けたい。
彼女の想いに呼応するように、様々な青色の波が再び浜辺へと押し寄せる。其れはアオイと男を裂けて、ただ邪神だけを飲み込んで行く。
瑠璃色の波に攫われたツミコは、まるでオフィーリアの如く海面にゆらりと浮かびながら、紅の双眸で芒と空を仰いだ。天の帳には、とても奇麗な青彩が広がっている。
一瞬だけ横たわる男に視線を向けて、さよならと小さく囁いたのち。観念したように、少女はそうっと眸を閉じた。
「みぃんな、幸せになりますように」
凡そ叶わないであろう、呪詛のような祈りを遺して。無垢な邪神は詰まら無さそうに、躯の海へと消えて行く――。
やがて浜辺は何時もの静けさを取り戻す。穏やかに波を揺らす海だけが今、アオイの眼前には広がっていた。
「いつか私も、海に還るのでしょう」
でも、もうひとりじゃないから。其の日だって、きっと笑顔で迎えられる筈。
翡翠色の双眸を細めて、眩し気に乙女は空を仰ぐ。晴れやかな蒼穹はまるで、事件の幕引きを祝福しているようだった。
●消閑『ゆめのあと』
第一発見者の知留間・躬弦は、組織の方で無事に保護された。
数回に及ぶインタビューの後、丁重に記憶処理とカウンセリングを施された彼は、事件のことなどすっかり忘れて仕舞ったらしい。
仕事のストレスからつい泥酔して、朝まで浜辺に転がっていた――なんて。在り来りなカバーストーリーを、彼は少しも疑うこともなく信じていた。
邪神の支配から抜けた知留間は社会復帰も叶い、小さな町の法律事務所で今日も仕事に打ち込んでいる。カウンセリングで進められた通り、適度に息抜きをしながら、これからも淡々と日々を過ごして行くのだろう。
少し変わったことと云えば、彼の価値観だろうか。
丁寧なカウンセリングのお蔭なのか、知留間は人生をあまり悲観しなくなった。猟兵達が紡いだ希望の言葉が、眠りの淵にも届いていたのかも知れない。
もうひとつ、変わったことが有る。
彼の法律事務所の軒先に、最近野鳥が巣を作った。それ以来、「鳥」というものを気に入ってしまったらしく、彼は家に小鳥を迎える心算なのだと云う。
念のため組織が調査をした所、目当ての其れは本当に何の変哲も無い、ただの小鳥。赤い羽根が美しい、大事に育てれば25年は生きる「ヒインコ」であった。
――青い鳥は、もう居ない。
けれど、ささやかな幸せは直ぐ其処に。
大成功
🔵🔵🔵
最終結果:成功
完成日:2020年06月24日
宿敵
『ツミコ』
を撃破!
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