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黄昏に君を呼ぶ

#UDCアース #【Q】 #UDC-P

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●もう逢えない人
 夕暮れ。誰そ彼時とも、逢魔ヶ時とも呼ばれる時刻。
 薄暗い斜陽の中では擦れ違った人も誰とは知れない。中にはこの世の者ざる存在も紛れ込んでいる。それが魔に逢う時と云われる所以だ。

 街外れのとある鉄塔の下。
 普通ならば人の寄り付かぬその場所には密やかな噂が流れていた。
 夕陽が綺麗な日。死んでしまった『逢いたい人』の名前を鉄塔の下で呼ぶと、その人と再会できる、と。
 だが、そんな不思議な事象が何の理由もなく起こるはずがない。
 其処に潜んでいるのは夕暮れの姿を写し取った怪異だ。明確な形はなく、ただ夕闇の彩を宿すだけのもの。それは人を異空間にいざない、夕暮れの狭間に閉じ込める。
 逢いたい人の幻影と共に。
 永遠にうつろわぬ不変の世界に――。

●夕暮れと彼の人
 黄昏。
 それが此度、対処すべき不定形の怪異の呼称だ。
「で、その中にUDC-Pが混ざってる」
 PとはPeaceの意であり、何らかの異常によりオブリビオンとしての破壊の意志を持っていないものだ。例を挙げるならシャーマンズゴーストがそうだと語り、ディイ・ディー(Six Sides・f21861)は事件の概要を語る。
「組織でそういう存在を保護して研究する動きが高まっていてな。黄昏の中で怯えている一体を何とか連れ帰っておきたいんだ」
 それは黄昏色の不定形存在だ。仮に『彼』としておくが――彼は人を殺さず、悪事に染まらず、姿形が同じ者達の群れの中で恐怖している。
「だが、彼は言葉が喋れない。何せ夕暮れっていう概念だからな。けど猟兵ならどの個体がUDC-Pであるか解るはずだぜ」
 判断は簡単。だが、問題は怪異を呼び出すまでにある。
 少しばかり厄介だからよく聞いておけよ、と告げたディイは詳しい話を語り出す。

「まず、噂がある鉄塔の付近に行ってくれ」
 その場所では『逢いたい人の名前』を呼ぶと、その人と再会できるという。それが死んでしまった相手である、という条件付きだが――。
 そして、目の前にその人物が現れると同時に黄昏の怪異の世界に取り込まれる。
「現れると言っても蘇るわけじゃないから幻影に過ぎない。しかし、各個人の記憶から読み込まれている存在でもあり、触れることも叶うからある意味では本物だな」
 だが、怪異によってその存在は歪められる。
 黄昏の世界では自分とその相手の二人きりになる。しかしその幻影は優しい言葉など掛けてはくれない。
 何故お前が生きているのか、どうして自分が死んだのか、といった旨の言葉で此方を責めてくる。本来の本人の意思とはまったく別にだ。
「いいか、惑わされるな。それから絶対に攻撃はするなよ」
 幻影にも、それを歪めた黄昏にもだ。
 そう告げたディイは戦ってはいけない理由を語る。UDCは一度異世界化の力を使うと夕暮れの間にしか存在できなくなるのだが、少しでも存在時間を長くしようとして異世界内の時間を固定する。それが此方からの攻撃によって伸ばされてしまうのだ。下手をすれば永遠に夕暮れの時間が終わらなくなる。
 逆に言うならば、攻撃さえしなければ敵は時間経過で消滅する。
「つまり無抵抗のまま敵の攻撃に耐えないといけない。逢いたいと望んだ人から叱責や恨みの言葉を聞きながら、な……」
 それがどれほど辛いことかは想像を絶する。だが、このまま放っておけば何も罪のない一般人が怪異に巻き込まれ、その中に存在するUDC-Pも保護できないまま。
 攻撃はできないが、返事をすることはできる。
 歪められた存在の言葉にお前は偽物だと言い返しても良い。ただ黙って聞いていても良い。どう対処するかは自由だ。
「苦しいことを頼んでるのは分かってる。……だが、頼んだぜ」
 その間にUDC-Pを保護できれば任務は完了。後はアンダーグラウンド・ディフェンス・コープが指定した施設に戻って記録を取るだけだ。
 お前達なら成し遂げて帰って来られると信じている。そう告げたディイは件の鉄塔がある地域を伝え、話を締め括った。
 夕暮れ時。
 其処で起こる出来事がどのように巡るのか。それは向かった者次第。


犬塚ひなこ
 今回の世界は『UDCアース』
 夕暮れの姿をした怪異を祓い、UDC-Pを保護するのが目的です。

●第一章
 冒険『逢魔ヶ時でまちあわせしましょう』
 夕暮れ時。街外れの鉄塔の下で、『逢いたい人』の名前を呼んでください。
 暫くするとあなたの記憶から読み取られた幻影が目の前に現れます。その際に思い出を考えていると現れやすいようです。
 会いたい人の幻影が現れた直後、または何らかの言葉を投げかけた後に皆様は『黄昏の異空間』に飲み込まれます。そこまでが一章のリプレイとなります。

●第二章
 集団戦『黄昏』
 戦闘場所はひとりずつ別々の異空間となります。
 UDC-Pは一番最初にプレイングを送って頂けた方の怪異世界に巻き込まれるので、その方が保護する判定になります。

 そこは永遠の夕暮れ時。
 野外、室内、その他。世界がどんな場所になるかはあなた次第。
 あなた以外には一章で現れた幻影しかいません。幻影はあなたを責めるような言葉を投げかけてきます。その言葉を聞きながら、夕暮れの世界が終わるときまで黄昏の攻撃に耐えてください。攻撃を行うと時間が伸びてしまいますが、時間まで耐えきれば勝利となります。
 やられ描写や心を抉る描写などが中心になるので、苦手な方はご注意ください。

 ※一章か二章のプレイングにおいて、幻影として現れる方の口調や性格、言いそうなことなどをお書き添え頂けると幸いです。ある場合はその台詞やアドリブで描写を行い、ない場合は台詞描写はふんわりしたものになります。
 プレイングが心情で埋まってしまった場合、耐える姿勢や反応、やられ描写などお任せいただいて大丈夫です。あなたらしい、お好きな形でプレイングをどうぞ!

●第三章
 組織の或る施設内にUDC-Pを保護した後。
 Pちゃん(仮)との交流を行います。彼は言葉が喋れませんが、これからのためにも名前を提案してあげてください。(最終的に付けられる名前はひとつなのでご了承ください)
 また、Pに望めば記憶から読み取った『逢いたい人』の姿を映してくれます。
 敵の黄昏と違い、幻影はただ其処に佇むだけ。
 その幻影にどんな言葉をかけるのか、そもそも幻影を呼ばないのか、Pちゃんを見守るだけにするのか、それはあなたの自由です。
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第1章 冒険 『逢魔ヶ時でまちあわせしましょう』

POW   :    大切な人の名前を叫び、誰が来るか周囲を見渡す

SPD   :    素早く何度も繰り返して名前を呟き、罠へ誘き寄せる

WIZ   :    想いを込めて大切な人の名前を告げ、気配を探る

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。

桜屋敷・いろは
死者に会える、と
そんな話を聞いて、駆けつけました
考えるのはもちろん、あの方

マスター
……名前
そうか、名前じゃないと駄目なんですね
桜屋敷・はじめ
なんだか、貴方の名を呼ぶのは初めてな気がします

感情のない機械人形のわたしに優しく声をかけ続けてくれた貴方
お父様みたいに、温かい方
…わたしを透かして、亡くなった娘さんを見ていたのは知っています
優しい優しいお父様
「今日は暖かいね」
わたしは温度変化を体感できませんでした
「歌のお勉強の時間だよ」
マスターがプログラムを打ち込むだけでした

淡々と無感動に受け入れていました
ねぇマスター
わたし、『感情』を知ったのよ
段々態度が冷たくなっていった貴方の気持ちも
今ならわかるわ



●はじまりの音
 夕暮れは誰そ彼時。
 影が長く伸び、自分以外にも誰かが此処に居るような気がする。
 鉄塔を見上げた桜屋敷・いろは(葬送唄・f17616)は、薄い夕色が空を染めていく様を暫し眺めていた。
 死者に会える。もう逢えない人に、出会える。
 そう聞いてこの場に訪れずにはいられなかった。ただ逢えるだけではないと知っていても、胸の奥に浮かんだ強い思いが自分を衝き動かしていた。
 考えるのはもちろん、あの方。
「マスター」
 いろはは何度も呼んだ彼のことを口にする。
 夕陽が幽かに揺らぐ。
 恋しいと溢れた気持ちを懐い出す。あの森で積み重なった想いの元はこの心の中に、確かにあるから。記憶の中の彼でも良いもう一度会いたい。
 そのとき、いろはは気付く。
「……名前。そうか、名前じゃないと駄目なんですね」
 マスターは確かにマスターだ。
 しかし彼にもちゃんとした個人としての名があった。今こそ、その名前を言の葉に乗せるときだと解り、いろはは花唇をそっとひらく。
 ――桜屋敷・はじめ。
 声に乗せた彼の人の名前は、静かな歌のように夕暮れ時にとけてゆく。
 思わずちいさな笑みが零れた。名前を呼ぶだけで何だか不思議な気持ちになれる。それはきっと、特別だと想える人だから。
「なんだか、貴方の名を呼ぶのは初めてな気がします」
 夕陽の彩から視線を落としたいろはは足元の影に目を向けた。くすぐったいような、それでいて落ち着かない気持ち。
 様々な感情が綯い交ぜになる中、いろはが思い出すのは嘗ての記録と記憶。
 感情のない機械人形だった自分。
 そんなものに優しく声をかけ続けてくれた彼をたとえるならば――そう、お父様。
 父親のようにあたたかい言葉を送ってくれた理由も今なら分かる。彼はいろはを通して、亡くなった娘を見ていた。
 優しい優しいお父様。娘として扱ってくれた日々の言葉は憶えている。
『今日は暖かいね』
 そのときの自分は温度の変化を体感できなかった。
『歌のお勉強の時間だよ』
 そんな言葉はただの飾り。マスターがプログラムを打ち込むだけだった。
 優しい眼差しを向けてくれていたのに、あのときのいろはは淡々と無感動にすべてを受け入れるだけの容れ物であり器だった。
 でも――。
 いろはが顔をあげる。長く伸びた影の向こうに、誰かが立っていた。
「マスター。ああ、マスター」
 手を伸ばした先には焦がれた彼の姿がある。
 その瞬間、いろはと彼の周囲が不自然に歪んだ。それでも腕を伸ばし続ける。あのとき彼がしてくれたように、今度は自分が。
 異空間に取り込まれていく中でも、いろはは彼に呼びかけた。
「わたし、『感情』を知ったのよ」
 それに今なら段々と態度が冷たくなっていった貴方の気持ちもわかる。
 ねぇ、マスター。
 その声を聞く影の眼差しがいろはを捉える。しかし彼の眸はあのときのような優しいものではなく、冷たく射抜くような視線がいろはに突き刺さった。
 夕陽が揺らめいて、思わず目を瞑る。
 そして次に瞼をあけたとき、其処には――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーチェ・ムート
アドリブ◎

逢魔時
本当に、本当に逢えるのだろうか
白百合の花を手向けた相手の名前
いざよい みつる
ボクを引き取ってくれた十六夜家の人
兄代わりの人
アルビノのダンピール
真白の髪に赤い瞳
満の弟である朔とお揃いの赤ピアス

言葉を教えてくれた
知識を与えてくれた

ボクを本当の妹みたいに扱ってくれた
笑顔のあたたかい優しい人

ルーチェと呼んでくれた
よく出来たね、と時折頭を撫でてくれた
ご飯が食べられなかったボクに、これなら食べられる?とおじやを作ってくれた
いつだって柔らかく笑っていて、陽だまりのようだった
甘やかし上手で、いつも見守ってくれていた
一時も忘れた事はない

吸血鬼に殺された時と、何も変わらない姿
満、
ああ、飲み込まれる



●月は満ちて陽は翳る
 逢魔ヶ時。
 魔に逢う時と文字で記すように、薄暗さに乗じた災禍に出くわすという時刻。
 此度の事件は魔に連なるものが引き起こす事象だ。しかし、それでも良いと思ったからこそルーチェ・ムート(无色透鳴のラフォリア・f10134)は此処に訪れた。
「本当に、本当に逢えるのかな」
 人気のない郊外。
 振り仰ぐ空は橙色に染まっており、鉄塔が立っている光景が見えた。
 ルーチェの瞳には景色が映っているが其処には未だ何の感慨もない。彼女の裡に宿っているのはもっと別のこと。
 懐うのは、白百合の花を手向けた相手の名前。
 ――いざよい みつる。
 そう、満。確かめるようにその名を声に出してみる。呼んでも返事がないことを識っているから、これまでずっと口にすることなかった人の名。
 彼は十六夜家の人だ。
 ルーチェを引き取ってくれた家の一員で、云わば兄代わりだった。
 白い髪、赤い瞳。透き通るような肌の色は彼が先天性色素欠乏症であることを物語っていた。ルーチェは彼のことが好きだった。紅の眼差しが自分を映してくれたことを、彼が笑う度に白い髪がさらさらと揺らぐ様を、未だよく覚えている。
 思い返す度に記憶の中でゆらめくのは、満の弟である朔とお揃いの赤いピアス。
 彼は言葉を教えてくれた。
 いろんな知識を与えてくれた。
 本当は十六夜家の者ではないというのに、ルーチェを本当の妹のように可愛がってくれた。あたたかな笑顔は穏やかな太陽のようだった。
『ルーチェ』
 あの声を思い出す。そう呼んでくれた声も何よりも優しかった。
 何も知らなかった自分がたくさんの失敗をしてもずっと見守ってくれた。
『よく出来たね』
 ちゃんと上手くいったときは、そう言ってそっと頭を撫でてくれた。あの掌のぬくもりが先に進む力をくれたのかもしれない。言葉を覚え、今のように物事を考えられるようになってよく分かる。
『ほら、ルーチェ。これなら食べられる?』
 食事が出来なかった自分に匙を差し出してくれた彼の言葉を思い出す。あの日は確かおじやを作ってくれたのだった。おいしい、とそのときに感じたのはきっと彼の心が籠もっていたからでもある。
 いつだって柔らかく笑っていてくれた彼はルーチェにとって陽だまりのような存在。甘やかし上手で、いつも見守ってくれていた。
 安らげる場所であり、平穏に満ちた時間をくれた人だ。
 彼のことは一時も忘れたことはない。とても、とても大切だったから。
 いつしか俯いていたルーチェの瞳には夕陽の代わりに影が映っていた。
 夕暮れの色が滲んでいる。
 しかし其処へ、明らかに自分のものではない影が射す。
「……満?」
 もう一度、その名を呼ぶ。
 其処には彼がいた。吸血鬼に殺された時と、何も変わらない姿で――。
 満、と更に彼の名前を言葉にしようとしたとき、ルーチェと彼の影の周囲が大きく揺らいだ。景色が変わっていく。あの鉄塔が遠くなる。
 ――ああ、飲み込まれる。
 歪んでいく景色の最中、ルーチェは彼の顔を見ようと顔をあげた。其処にあったのは陽だまりのような笑顔ではなく、何処か寂しそうで苦しげな表情だった。
 そして、世界が暗転する。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英
祖父は名のある文豪だった
彼はとても寡黙な人だ
あまりにも寡黙なものだから祖母が彼の言葉を代弁していたのが懐かしい
私はそれを腹話術のようだと思っていた

祖父はいつも窓辺で煙草を吸っていた
美味しいのかと問うたら彼は薄く笑って
"蓋をしているのだよ"と教えてくれた
初めて見た祖父の笑みはとても穏やかで寂しそうだった
幼い私には祖父の笑みも、その言葉の意味も分からなかった

祖父はお願いが上手かった
ある時は甘味でつり、またある時は祖母には内緒だと本を買ってくれた
願いを叶えると優しい声で褒めてくれた
だから私は彼の"お願い"を断った事はなかった


嗚呼
もう二度と見える事は無いと思っていた懐かしい姿
死に際と同じ姿

息ができない



●願いの代償
 人は黄昏時に思いに耽る。
 今も昔も変わらない。あの滲んだ橙色が人の心に感慨を与えるのだろうか。
 榎本・英(人である・f22898)は人気のない道を歩いていく。目指す先には鉄塔が見え、陽を受けて影になった鳥が何羽か電線に止まっている姿が見えた。
「……――」
 英はふと、彼の人の名を呼んだ。
 自分だけに聞こえる声で微かに呟いたのは祖父の名前だ。
 彼は名のある文豪だった。
 其の作品の題目を挙げれば、文学を嗜む者ならひとつは知っているだろう。
 彼はとても寡黙な人だった。
「懐かしいな」
 思わずそのように口にしたのは、祖父があまりにも寡黙なものだから祖母が彼の言葉を代弁していてくれたことを思い出したからだ。
 幼い頃の英はそれを腹話術のようだと思っており、可笑しく感じていた。
 思い出す。
 そうすれば次々と彼との思い出が脳裏に過ぎっていった。
 祖父はいつも窓辺で煙草を吸っていた。まず彼を思い出す時は必ずその姿が浮かぶほどに、よくそうしていたように思う。
『それ、美味しいの?』
『いいや、蓋をしているのだよ』
 幼い頃の英はあるとき、そのように問いかけた。すると祖父は紫煙をゆっくりと吐き出した後に意味ありげに答えた。
 薄く笑った表情と、その言葉がとても印象的だった。
 初めて見た祖父の笑みはとても穏やかであったけれど、何故だか寂しそうだった。あの頃の英にはあの笑みに込められた彼の真意も、言葉の意味も分からなかった。
 だが、煙で蓋をするという感覚は今なら分かる。
 己の裡すら覆い隠す紫煙は己も時折、纏うものであるからだ。
 そして、祖父はお願いが上手かった。
 あるときは英を甘味でつり、あるときは祖母には内緒だと言って本を買ってくれ、またあるときは良いことを教えるという子供心を惹きつけるような魅力的な交換条件を提示してきたこともあった。
 そうやって願いを叶えると優しい声で褒めてくれた。
「だから私は……」
 意識していなかったというのに、ちいさな声が零れ落ちる。
 あの頃の自分は愚直に、求められるがままに――彼の“お願い”を断ったことはなかった。それが何を意味するかも考えずに。
 されど思い出は遠く、もう過ぎ去った事柄だ。
 しかし今、英の前にはそれまで居なかった人影が立っている。
 嗚呼、と口にした英は目を細めた。
 最初は夕陽の下で滲んでいたが、あれは紛れもなく祖父だと分かった。背格好も雰囲気もよく憶えている。もう二度と見える事は無いと思っていた懐かしい姿が、あの頃と変わらぬまま其処に在る。
 けれど、あれは。
 違和に気が付いた瞬間、途端に息が詰まった。
 あの姿は、あのときの。嗚呼、死に際と同じ姿だ。
 その瞬間、英と彼の周囲が不可思議に歪んだ。罅が入ったかのように世界が割れたと感じたとき、英達は異空間へと飲み込まれていった。
 その先に待つのは、果たして――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

樹神・桜雪
会いたい人…。
いるにはいるんだけど、名前が思い出せないんだよね…。
それでも来てくれるのかな、ボクの曖昧な記憶でも大丈夫なのかな。それなら、会いたい…。会いたいんだ…ボクの親友だった人。
相棒を呼んで一緒に待ってみるよ。
…一人で待つの、怖いんだ。やっぱり来ないと落胆ばかりしていたのにね。
待ちぼうけには、慣れていたのにね。

(会いたい人は親友だった人物。外見と性格は優しげで、ふんわりとした穏やかな青年。優しい口調で話す人だったよ。責める言葉は「なぜ思い出そうとするの?」「なぜ足掻くの」等、今の目的の否定が多い。ボクはそこまで覚えていないけども。姿を見ればそうだと分かる)



●君の姿は
 夕陽の色は薄く、未だ冬の寒さが空気に宿っている。
 人気のない郊外。其処に立っている鉄塔を見上げた樹神・桜雪(己を探すモノ・f01328)は電線から何羽かの鳥が飛び立っていく様を見つめる。
「会いたい人……」
 此処で名を呼べば、その人に逢える。
 噂という形で広まっているこの話は、この世界でUDCと呼ばれる存在が起こしている事象だ。そうなると本当に逢えるのだろうか。
 それがUDCの歪める偽りであっても、そして――名前が思い出せなくても。
「来てくれるのかな」
 桜雪は不安げに辺りを見回した。
 失くしてしまった記憶の中で微かに思い出せるだけの誰か。確かに親友だった。そう思える大切な人だったはずだ。
「ボクの曖昧な記憶でも大丈夫なのかな。ねえ、相棒」
 肩に視線を向けた桜雪はシマエナガを呼ぶ。どうだろうかと答えるように小首を傾げた相棒は丸い目をぱちぱちと瞬かせていた。
「それなら、会いたい……。会いたいんだ……ボクの親友だった人」
 その声は夕暮れの中に混じって消えていく。
 確か思い出を浮かべれば、逢いたい人にすぐに会えるのだったか。けれども桜雪の中にそんな記憶はない。
 あるにはあるのだが、断片的なことしか思い出せていない。
 街路樹の傍に屈み込んだ桜雪は相棒と一緒にぼんやりと夕暮れの空を見上げた。
「思い出せないっていうのは、こうしてみると辛いものだね」
 改めて感じたのは記憶がないことの不都合。
 他の誰かはきっと大切な人のことを思い浮かべながら待つのだろう。相手が亡くなった人であっても、大事な思いを覚えているはず。
 一人で待つのは怖かった。
 やっぱり来ないと落胆ばかりしていたのに。待ちぼうけには慣れていると自分で思っていたはずだというのに。
 彼のことを呼んでからどれだけ経っただろう。
 シマエナガがぴょこんと桜雪の頭の上に乗った。
 未だ夕暮れが続いているということはそれほど時間が過ぎていないということだが、桜雪にとっては何だか長い時間に思えた。
 そして、そのとき。
「――ねえ」
 誰かの声が聞こえた。聞き覚えはないように思えたが、知らない声でもない。
 顔をあげた桜雪が見たのは懐かしい雰囲気がする青年だった。優しげな彼は穏やかでふんわりとした微笑みを浮かべていた。
「君は……」
 桜雪は慌てて立ち上がる。だが、その瞬間に周囲の空気が揺らいだ。じゅりり、と相棒が鳴いた声には明らかな警戒の色が感じられた。
 辺りが歪み、世界が罅割れる。
 そう感じたときにはもう、桜雪達と青年は違う空間に取り込まれていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

花菱・真紀
やっぱり姉ちゃんなんだろうなー…
思い出とか記録とかこう言うことでしか会えない人。
最近ちょっと大学の勉強とか猟兵稼業以外に力をいれてたけど。
こうやって戻って来た途端にまた姉ちゃんに会う羽目になるなんてまったく嫌になるよ。

俺が馬鹿だったせいで死なせてしまった人。
俺を庇って死んでしまった人。
現代のど真ん中で怪異はいつだって蠢いている。
そう言う話が大好きでよく話をした。
ゲームが大好きで一緒によく遊んだ。
パシリにされても憎めなくて。
あぁ、今年はお恵みチョコ貰えなかったな…なんて。

「なぁ、姉ちゃん」



●弟と姉
「姉ちゃん……」
 夕暮れの色が滲む空の下、零れ落ちたのはちいさな呟き。
 花菱・真紀(都市伝説蒐集家・f06119)は人通りのない小路を歩き、その先に見える鉄塔を目指していく。
 日暮れに其処で死者の名前を呼ぶと、その人に会える。
 眉唾な噂ではあるがこれも都市伝説だと思えば面白い。だが、真紀はこの話がただの噂や嘘の出来事などではないと知っている。怪異が関わっており、現実に起こり得るのだと分かっていた。
「俺が呼ぶとしたら、やっぱり姉ちゃんしかいないなー……」
 思い出や記録。
 そして、不可思議な現象の中でしか会えない人。
 近頃は真紀も大学の勉強や猟兵稼業以外に力をいれていたが、こうしていざ戻ってきた途端にこんな事件に出くわすとはついていない。
「また姉ちゃんに会う羽目になるなんて、まったく嫌になるよ」
 それでも、真紀はこうして此処に来た。
 姉のことを呼んだ以上、いずれは自分の目の前に彼女が現れることになるだろう。
 軽く溜息をついた真紀は空を見上げる。
 夕焼けの色は薄い。
 だが、これこそが冬の色だと思える。吹き抜ける風は静かではあるが冷たい。きっと夜が巡れば吐く息も白く染まるのだろう。
 だが、まだ夕暮れとは別れられない。怪異はこの姿をしているというのだ。
 真紀は鉄塔の下まで歩くついでに姉を思う。
「…………」
 無言のまま、真紀は眼鏡を軽く掛け直す。
 自分が馬鹿だったせいで死なせてしまった人。自分を庇って死んでしまった人。
 そう思うと胸が苦しくなるような感覚が巡った。
 現代のど真ん中で怪異はいつだって蠢いており、日常の裏には不思議が潜んでいる。そういった話が大好きで真紀は姉とよく話をした。
 ゲームも好きで一緒によく遊んだ。
 何連戦しても勝てなかった時期もあれば、一緒にホラーゲームやアクションゲームで協力プレイをする時期もあった。
 そのときのおやつを買ってこい、なんてパシリにされても憎めなくて。たくさん笑いあって、たくさんの時間を過ごした。
「あぁ、今年はお恵みチョコ貰えなかったな……」
 そんな言葉を口にして、真紀は立ち止まる。夕暮れ特有の長く伸びた影の向こう側に、明らかに自分のものではない影が見えた。
 先程までは鉄塔の下には誰も居なかった。何処かから誰かが来たにしても気配すら感じなかった。だから、確信出来る。
「なぁ、姉ちゃん」
 顔をあげた真紀は呼び掛けた。その瞬間、視線が重なる。
 そして――向かい合う二人の周囲が歪み、空間がパキリと音を立てて割れた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

暁・紅華
逢いたい人に会える……か……。
あいつが今、どうしてんのか確認する為にはいいのかもしれない。

本当は心のどこかで、わかってるはずなんだ。
でも、信じたくなかった。ただ、それだけ。
だからこそ、行くべきなんだと思ったから。
俺にはピッタリじゃないか。
たとえ、あいつの姿でなんと言われようとも。

鉄塔の下、夕暮れを待つ。
わかっているからこそ、叱責や恨みを言われたら耐えられないかもしれない。
でも、それでも逢いたい。

あの日の出来事は、今でも鮮明に思い出せる。
ただ、守りたかった。ただ、そばに居たかった。

「お前に逢いたい……。藍世……。」



●藍色の髪の少女
「逢いたい人に会える……か……」
 冬の空は妙に遠く、吹き抜ける風は冷たかった。
 暁・紅華(流浪の吸血鬼・f14474)は天を見上げ、徐々に移り変わっていく夕暮れの色を暫し眺めていく。
 怪異が起こすという不可思議な事柄。
 それを思い、裡に浮かべたのはただひとりの姿。
「あいつが今、どうしてんのか確認する為にはいいのかもしれないな」
 ぽつりと呟いた紅華は怪異が潜んでいるという鉄塔の近くを目指して歩き出す。その間にも胸中で複雑な気持ちが巡った。
 本当は心のどこかで、わかっているはずだ。
 だが、どうしても信じたくなかった。信じられなかった。ただそれだけのことで此処までやってきてしまった。
 だからこそ、この話を聞いて行くべきなのだと思った。相手がどのような人物であっても怪異に歪められてしまう。しかし、それだからこそだ。
「俺にはピッタリじゃないか」
 たとえ、あいつの姿でなんと言われようとも――。
 自嘲気味に俯いた紅華は肩を竦め、鉄塔の下へと向かっていく。そうして暫し、暮れなずむ空を眺めていた紅華はこれからに想像を巡らせた。
 わかっているからこそ叱責や恨みを言われたら耐えられないかもしれない。
 それでも、逢いたい。
 こう思ってしまうのだから自分でも救えない。徐々に空の色は橙色に染まっていき、いよいよ怪異が動き出す時間になる。
 紅華は覚悟を決め、会いたい人の名前を口にする心構えを持った。
 あの日の出来事は今でも鮮明に思い出せる。
 ただ、守りたかっただけだ。
 ただ、そばに居たかっただけだというのに。
 その思いが消えてしまったのかと問われれば、素直に頷くことは出来ない。
「お前に逢いたい……」
 紅華は空を見ていた視線を落として自分の影を見つめた。夕暮れ特有の長く伸びた影は何だか揺らいでいる気がする。
「藍世……」
 紅華がその名を呼んだ瞬間。
 周囲の色が狂ったように赤い色に染まり、紅華は瞬く間に異空間に取り込まれる。
 そして、其処には――ひとりの少女が立っていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

五条・巴
昔、むかしの記憶を辿って

淡いクリーム色のふわふわの髪
桃色の柔い眼差し
大型犬みたいな、天真爛漫な大男

…誠一郎

黄昏時は、お前の時間だね

其方にはもう戻らないから、逢いたいと思うのはお前だったのだけど。
現れたということはつまりそういうこと

ちゃんと願いを叶えたのか。

見届ける前に降りたから、
…うん、それだけ分かったからいいか。

ねえ誠一郎、お前は今でも笑顔で幸せを謳うんだろう。
ずっと止めなかった僕まで怒られたんだから、いつか向こうに行った時にはお前を殴りたくなるくらい自慢してくれ。
僕の選んだ選択肢を肯定しえ

僕にブサイクな顔って笑う、唯一
この時間、お前の髪が夕焼けで綺麗に見えるから、すごく嫌だ



●夕陽を君と
 黄昏時の道を歩みながら遠い昔の記憶を辿る。
 懐かしいと思った。
 その理由は会いたいと思った相手と、いつかこんな夕日の中を歩いたから。
 五条・巴(見果てぬ夜の夢・f02927)は鉄塔を振り仰ぎながら彼のことを思う。
 淡いクリーム色のふわふわの髪。桃色の柔い眼差し。たとえるならば大型犬みたいな、天真爛漫な大男だった。
「……誠一郎」
 その名を呼べば、あの日に帰れたかのような錯覚に陥る。
 もう今は違うと首を振った巴は鉄塔に向かってゆっくりと歩いていく。そして、まるで彼が隣を歩いているかのように言葉を紡いだ。
「黄昏時は、お前の時間だね」
 そうすればいつしか足音が二人分に増えた。
 少し後ろから付いていくるのは影で分かる。その音が妙に懐かしいものだったから、巴は双眸を細めた。
「其方にはもう戻らないから、逢いたいと思うのはお前だったのだけど」
 こうして怪異を呼んで現れるということは――つまり、そういう意味だ。
 未だ振り返らずに巴は思う。
 顔は見ていないが、後ろについてくるのは間違いなく彼だ。
 ちゃんと願いを叶えたのか。それを見届ける前に降りたから、それは知れない。
 けれど、と巴は頷く。
「……うん、それだけ分かったからいいか」
 巴は鉄塔の真下までこうして歩こうと決めた。幸いにも彼の影は共に歩みを進めてくれている。
「ねえ誠一郎、お前は今でも笑顔で幸せを謳うんだろう」
 ずっと止めなかった僕まで怒られた。
 だから、いつか向こうに行った時にはお前を殴りたくなるくらい自慢してくれ。どうか、僕の選んだ選択肢を肯定して。
 そんな風に語っていけば、鉄塔まではあと僅かになる。
 巴はゆっくりと息を吐いてから振り返った。夕陽は生憎にも逆光だ。それでも彼の顔はよく分かる。
「誠一郎、久し振りだね」
 何もかもが懐かしい。記憶の中の彼そのままである彼に巴は呼び掛ける。
 ――この僕に、ブサイクな顔だと笑う唯一の男。
 そんな彼があの日のままの姿で笑っていた。巴は肩を竦め、クリーム色の髪が夕陽に照らされている様を見遣る。
「この時間、お前の髪が夕焼けで綺麗に見えるから、すごく嫌だ」
 軽口をひとつ落とす。
 だが、次第に周囲の気配が不穏なものになっていく。それまで朗らかに笑っていた男の顔も次第に暗くなり――そして、巴の見ていた世界が暗転した。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

夕時雨・沙羅羅
会いたい…
会いたい、逢いたい
百年の輪廻の先、永遠の果て、無限の空白を経たとしても
ずっとずっと、あなたを待ち続ける
逢う前に、その命を落としたひと

…そう
とてもとてもあいたいのに
この存在全てをかけてでも
だけど、でも、僕は、
あなたの名前を知らない
あなたの顔も知らない
知っているのは、歌声だけ
とても上手いとはいえない、調子外れの楽しげな
僕の命が生まれるその時に、呼び寄せられるように聞こえた歌声だけ

…だから、黄昏の隙間に僕は行けないかもしれない
だけど、だけど、ひとめだけでもあえる可能性があるのなら
僕は

名前を呼べないけれど
思い出も無いけれど
僕が知ってる、あなたの呼び名は…

アリス

(きんのかみ、あおのひとみの、)



●なんでもない日に君と逢う
 会いたい。
 会いたい、逢いたい。
 願えばその人に逢えるのだと聞いた時、夕時雨・沙羅羅(あめだまり・f21090)は或るひとのことを思い浮かべた。
 それは――百年の輪廻の先、永遠の果て。
 無限の空白を経たとしても、ずっとずっと、あなたを待ち続けると決めたひと。
 逢う前に、その命を落としたひと。
「……そう」
 透き通った身体に夕陽の彩が映っている。
 沙羅羅は暮れゆく空の移り変わりを眺め、指先を天に伸ばしてみた。
 あの空のように、届かない思いがある。
 とてもとてもあいたいのに手を伸ばせない。この存在全てをかけてでも知りたくて、触れてみたい。
 だけど、でも、と沙羅羅は緩く頭を振った。
「僕は、あなたの名前を知らない」
 落とした言の葉は悲痛に、誰もいない夕暮れの路地の狭間にとけてきえていく。
 呼びたいのに呼ぶことが出来ない。こいしいとすら思えるのに、何も識らない。
「それに、あなたの顔もわからない」
 ただひとつ。知っているのは歌声だけだった。
 それもとても上手いとはいえないし、お世辞にも褒められない。調子外れだったけれど、それでも何だか楽しげだったあの声。
 ――夕時雨がしゃららと降る。
 沙羅羅の命が生まれるその時。まるで呼び寄せられるように聞こえた歌声は今もちゃんと憶えている。
 名前を呼べないから駄目なのだろうか。
 自分は黄昏の隙間に行けないかもしれない。そう思う沙羅羅の声は何処か不安気でもあった。けれども、此処に来た理由はひとつ。
 僅かな可能性に賭けたかった。
 たったひとめだけでもあえる可能性があるのなら縋りたかった。
 ねえ、あなたの名前を呼べないけれど、思い出も無いけれど。
 それでも、強く会いたいと想っている。何もわからなくて、知らなくても、あの歌声だけを辿ってきたから。
 これはあなたの本当の名前ではないかもしれない。けれど確かな呼び名だ。
 だから沙羅羅は呼ぶ。
 たったひとり、逢いたいと望んだひとのことを。
「――アリス」
 夕暮れにぽつりと響く声。
 願いを込めて紡がれた呼び名に応じるかのようにひとつの影が沙羅羅の前に現れる。
 陽を受けて煌めくのは金の髪。今の空とは違ういろを宿す青い瞳。ふわりと現れたその影を見つめた沙羅羅は、声にならぬ声を落とす。
 だが、何かを言おうとする前に夕暮れの彩がぐにゃりと歪んだ。
 あとは真っ逆さま。
 まるでウサギの穴に足を滑らせたかのように、沙羅羅と影は異空間に落ちていく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴島・類
黄昏時に…群れに混じってるのに
ひとり行き場わからず俯いているとおそろしいよね
どこにもいけぬなら迎えに
傷つける前に保護できるなら
それにこしたことはないさ

記憶を読まれるのは、厄介だけど
……そうか
このひとときだけは
返すことのできなかったひとの
名を呼ぶことが出来るんだね

その時、擦れることなく
真っ直ぐに呼べるのだろうか

鉄塔の下、落ちる影を見上げて
はじめて見かけた時は…夕ではなく
朝焼けの時間だったかと浮かべ
一度だけ紡ぐ

愛宕

口は悪くて、きつめの美しい子だった
くそ真面目で不器用
本当は優しいのに
誤解されてばかり

手を合わせるついでと
ひとり弱音を吐きに来ていた彼女と
合うことの無かった視線が

今、こんな形でかち合うのか



●交わす眼差し
 夕暮れに行き交う人々の中に魔物が混ざっている。
 その話は古い言い伝えでもあり、このひとときが逢魔ヶ時と呼ばれる所以。
 黄昏時、同じ群れに混じってるというのに、ひとり行き場わからず俯いているだなんておそろしいことだ。
「さぞかし心細いだろうね」
 冴島・類(公孫樹・f13398)は暮れなずむ空を見上げ、UDC-Pについて思う。どこにもいけぬなら迎えに、傷つける前に保護できるならそれにこしたことはない。
 その前に怪異に遭わなければならぬと知れば、少し厄介ではあったが――。
「記憶を読まれるんだったかな」
 件の噂が流れる鉄塔を目指し、類はゆっくりと歩を進めていく。
 その中で怪異についても思いを巡らせながら、彼はふと思い至った。
「……そうか」
 暫し考えて納得したことがある。
 このひとときだけは返すことのできなかったひとの名を呼ぶことが出来るのだ、と。
 類は夕暮れの空を振り仰ぎ続けながら、そのときを思う。
 いざ呼ぼうとしたとき、果たして自分は擦れることなく真っ直ぐにその名を呼べるのだろうか。少しだけ、自信がなかった。
 それでもひとつを救おうと思うならば、必ず呼ばなければならない。
 類は鉄塔の下まで歩き、其処に落ちる影を見る。
 思い返すのは名を呼ぼうと決めたあの子のこと。はじめて見かけた時はこんな夕刻ではなくて、朝焼けの時間だったろうか。
 誰ぞ彼時。
 彼は誰時。
 夕方と朝方を示す名前が逆であることを思うとほんの少し可笑しくも感じられた。
 そして、類は一度だけ紡ぐ。
「――愛宕」
 懐かしい響きだ。もう声にしなくなってどれだけ経っただろう。
 同時にあの口の悪さを思い出す。きつい言葉と眼差しがよく目立つが、とても美しい子だった。不器用で、本当は優しいのに誤解されてばかり。
 ああ、付け加えるならくそが付くほど真面目だった、と薄く笑った類は顔をあげる。
 其処にはいつしか彼女が立っていた。
 類の口許から笑みが消え、真っ直ぐな眼差しが其方に向けられる。
 手を合わせるついでだといって、ひとり弱音を吐きに来ていた彼女と合うことの無かった視線が今、こうして交差している。
「……久し振り?」
「…………」
 類は何だか耐えきれなくなってそんなことを問いかけてみた。
 だが、彼女は冷たい眼差しを返すだけだった。こんな形でかち合うなんてただの皮肉でしかない。そんな風に感じたとき、類と彼女の周りに音が響いた。
 硝子が割れていくかのような鋭い音だ。
「場所を変えてくれってことかな」
 類は冷静に、自分達が異空間に巻き込まれるのだと判断する。
 そうと分かれば後は身を任せるだけ。歪んだ世界に満ちた夕暮れの彩は色濃く、世界を塗り替えていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

雲烟・叶
怨み辛み、大いに結構
実際怨まれて当然のことしかしてませんからねぇ、あなたたちには
ねぇ、……お爺さま、お婆さま

黄昏に立つ老夫婦の姿は、百近い歳月でその顔も声も忘れかけていた遠い記憶
そういえば、そんな顔してましたっけねぇ
顕現したばかりの幼いヤドリガミを拾った優しい夫婦
呪物に呪われ狂いながら殺し合って死んだ相思相愛の夫妻
お前さえ居なければ、なんて言われて当然。えぇ、お受けしましょ
倦まれ疎まれ怨まれて、憎まれ恐れられ怯えられ、それら全てが呪詛として力になっちまうなんて損な性分ですよねぇ、本当に

でも、ごめんなさいね、お爺さま、お婆さま
贋物のあなたたちの言葉じゃあ、自分は揺らぎもしねぇみてぇですよ



●呪詛と悪意
 夕暮れの怪異が歪めるのは事象と言葉。
 死者を呼び出せば、それらは怨恨を吐くようになる。それは死したものを冒涜するような恐ろしい怪異だ。
 だが、雲烟・叶(呪物・f07442)はそんなことなど気にも止めない。
「怨み辛み、大いに結構」
 紫煙を燻らせ、叶は逢魔ヶ時の空を見上げた。
 薄い青が橙色に染められていく様は妙に物寂しい。まるで天が呪いに塗り替えられていくかのようだとも思ったが、叶は軽く首を振る。
 思うのは名を呼ぶ人達のこと。
 呼び出せば最後、彼らは恨みを紡ぐだけのものになる。だが、自分は実際に怨まれて当然のことしかしていないのだから何もおかしくはない。
「ねぇ、……お爺さま、お婆さま」
 叶がその名を呼べば、夕暮れの最中で影が揺らいだ。
 黄昏に立つ老夫婦の姿は妙に懐かしい。この人の姿で生きてどれだけ経ったか。百にも届くほどの歳月を越えて、その顔も声も忘れかけていた遠い記憶にある人達だ。
「そういえば、そんな顔してましたっけねぇ」
 叶は飄々とした物言いで二人を見遣る。其処にはもう感慨などなく、ただそうだったという感覚しかおぼえていない。
 彼らは顕現したばかりの幼いヤドリガミを拾った優しい夫婦だった。
 だが、拾ったものは呪物。
 呪われて狂いながら殺し合って死んだ。相思相愛の夫妻が今、叶の前に静かに佇んでいる。きっと怪異に歪められた彼らはこう言うのだろう。
 お前さえ居なければ、と。
 だが、そう言われて当然だと受け入れているから何も思わない。
 倦まれ、疎まれ、怨まれる。憎まれ、恐れられ、怯えられて――それら全てが呪詛として力になってしまう叶はもう何もかも慣れきっていた。
「損な性分ですよねぇ、本当に」
 ふ、と息を吐くと同時に新たな紫煙が彼の周囲に巡ってゆく。
 煙管を軽く揺らした叶は、次第に周りの空気が不可思議に歪んでいくことを感じ取っていった。異空間に連れ込まれるのだろうか。
 そう感じた叶は、夕暮れ色の怪異の気配をそっと探った。
 その間も老夫婦は此方をじっと見ている。
「ごめんなさいね、お爺さま、お婆さま。贋物のあなたたちの言葉じゃあ、自分は揺らぎもしねぇみてぇですから……どうぞ、いくらでも」
 そう告げた叶は双眸を眇めた。
 そして――彼らを包む夕彩が奇妙な音を立てながら巡ってゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
誰そ彼時
彼岸と此岸を結ぶひと時、だったかしら
不思議な彩に惹き込まれてしまいそう
響く靴音が心地好い

もう逢えない、逢いたいひと
思い浮かべるのはただひとり

瞳を伏せたなら姿がみえて
耳を澄ませば聲がきこえる
ひとつきりの戀を捧げたひと
ナユのいのちに寄り添ってくださるひと
その御力がそばにあると理解っているのに
もう一度、幾度でも逢いたいと願ってしまうのは
嗚呼、なんて欲張りなのかしら

清廉なる白
金糸雀の彩を宿したうつくしいひと
猩々緋のあなたが繋いでくださった絆
わたしだけの神性
ナユだけの『かみさま』

――さま、

黄昏の空の下で『あなた』を紡ぐ
わたしだけがしっているその御名

ねえ、戀しひと
『あなた』に伝えたいことがあるの



●戀しきひとよ
 誰そ彼時に逢魔ヶ時。
 昼間でも夜でもない境界に位置するひととき。ひとの慾が解放されるだとか、彼岸と此岸を結ぶ時であるとも云われる不可思議な時間。
 こつりと靴音を響かせ、蘭・七結(こひくれなゐ・f00421)は夕暮れ時を歩む。
 暮れゆく空。
 青かったはずの天の彩が薄い橙と混ざりあい、色が塗り変えられていく。
 惹き込まれてしまいそうな心地を覚えながら七結は進む方向を見遣った。向かう先は静かに佇む鉄塔の下。
 夕陽を受けた塔は影になっていて昏く、其処から伸びる電線が風に揺らめいた。
 あの元で名を呼べば、そのひとに逢える。
 怪異が引き起こす事象を思えば、ただひとりの姿が裡に浮かんだ。
 もう逢えない、逢いたいひと。
 そう聞いてしまえばもう彼のひとのことしか想うことは出来ない。ひとつきりの戀を捧げた、あの御方しかいない。
 今だって瞳を伏せたなら姿がみえて、耳を澄ませば聲がきこえる。
 けれど、戀をしている。
 恋しいからこそ慾は深く巡り、未だ足りないとこころが叫ぶ。
「あなたは、ナユのいのちに寄り添ってくださっているわ。けれど、ね」
 その御力がそばにあると理解っているのに、もっと欲しいのだと求めてしまう。いとおしいからこそ触れて、触れられて、もう一度と願う。
 幾度でも逢いたい。そう願ってしまう想いを止めることなど出来るはずがない。
 今までもそうだった。それならば、これからも屹度。
「嗚呼、なんて欲張りなのかしら」
 口許を押さえ、七結は彼のひとへの想いを確かめる。
 これが自分の戀なのだから止める気はない。誰にだって、止められるはずがない。
 清廉なる白。
 金糸雀の彩を宿したうつくしいひとを想えば胸が高鳴るような心地が巡る。
 猩々緋のあなたが繋いでくださった絆も大切で、大事な記憶。
 其れは、わたしだけの神性。
 七結だけの『かみさま』だから――誰にも聞こえない聲で、そっと紡ぐ。

 ――さま、

 自分だけが知っている御名を、黄昏の空の下で懐う。
 そうすれば屹度、すぐにでも七結の記憶から呼び起こされた彼のひとが来てくれる。夕陽を受けて長く伸びる影を見下ろした七結は双眸を緩めた。
 そして、瞬きをした後。
 七結の影に重なるようにして、眞白の影が姿をあらわす。七結は自分を映してくれる金糸雀の眸を見つめ返し、淡く微笑う。
「ねえ、戀しひと」
「…………」
「『あなた』に伝えたいことがあるの」
 呼び掛けても彼のひとは何も答えなかった。未だそのときではないのだろう。されど七結は気に留めず、緩やかに呼び掛けた。
 そして、色濃い夕暮れの彩が狂ったように動き出す。その揺らぎは瞬く間に七結達を包み込み、ふたつの影を異空間へといざなっていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

旭・まどか
呼ぶ名など、ひとつしかない
考えるまでも無い

『   』

風と共に去り、風と共に在るお前の名

吹きすさぶ茜色が頬を撫ぜ
視界を開けた先にあるお前の、姿

嗚呼、夢に迄見た


いつも朧気で不確かで

明確な形として見えなかったお前が
此処に


叱責は当然僕が受け取るべきもの

死ぬ必要など無かったお前と
生まれる必要など無かった僕

入れ替わってしまった運命


八重を滲ませ震える声の、なんて哀しき事


僕ではお前の“代わり”には成れない
幾ら姿形を似せたとて、それは唯の偽物だ

言い返せる詞なんて持たなくて

お前には酷く不釣り合いで、似つかわしくない
お前が放つ必要など無い其を

ただただ、此の身に受けよう
――それでお前の心残りが、少しでも晴れるのならば



●風の狼
 嘗て生きていた者に逢える。
 怪異が引き起こす有り得ない事象を聞き、旭・まどか(MementoMori・f18469)が懐うのはただ一匹――否、ただひとりのこと。
 見上げた鉄塔。
 夕暮れの彩を受けたそれは影となり、静かに聳える。
 呼ぶ名など、ひとつしかなかった。だから考えるまでもなくその名を口にする。

『   』

 まどかが言の葉にしたのは、風と共に去り、風と共に在る彼の名だ。
 そのとき、風の音が鳴った。糸を縒り合わせていくかのように、目の前に影が紡がれていく感覚がした。
 吹きすさぶ茜色の風が頬を撫でていく。
 まどかは思わず眼を閉じてしまったが、すぐにひらいた。影が伸びる向こう側、開けた視界の先。其処には紛れもない彼の姿があった。
 嗚呼、と聲が零れ落ちた。
 縫い包みなどではない。幻視したまぼろしなどでもない。夢に迄見た、彼だ。
「……お前なんだね」
 まどかは戸惑いを押し隠しながら問いかける。
 だが、確かめなくても分かる。それゆえに何も答えない彼から言葉が返ってこなくても気にはしなかった。
 いつも朧気で不確かで、明確な形として見えなかった“お前”が此処にいる。
 手を伸ばしかけて止めた。
 触れてはいけないと思ってしまったからだ。
「何も云わないの?」
 まどかは彼に近付く代わりにもう一度、問いを重ねた。次は答えて欲しいという期待が巡ってしまった。何故なら、叱責は当然自分が受け取るべきものだと思っていたからだ。
 死ぬ必要など無かったお前。
 生まれる必要など無かった自分。
 運命は入れ替わり、求められていない自分が生きている。そう思うと苦しくて、痛くて、なんと不自然なのだろうとも感じられた。
 八重を滲ませて震える声。そのなんて哀しきことだろうか。
「僕ではお前の“代わり”には成れないんだ」
 幾ら姿形を似せたとて、こころの欠片を識っているからとて、それは唯の偽物に過ぎないのだから何の意味も無い。
 本当はお前が生きてくれていたら――。
 裡から溢れ出そうになる思いを押し込め、まどかは頭を振った。
 未だ彼は何も云わず、告げようとはしない。けれどもひとたび何かを言われたならば言い返せる詞など持っていない。
 彼の存在が怪異によって歪められてしまうと分かっている。
 明るく未来を紡いでいた彼には酷く不釣り合いで、似つかわしくない言葉が落とされるのだろう。少年が放つ必要など無い言の葉が自分に向けられるはずだ。
 今のまどかは其れすら否定しない。ただただ、此の身に受けようとすら思えた。
(それでお前の心残りが、少しでも晴れるのならば……)
 屹度これはエゴだ。
 彼がそんなことなど望んでいないと知っていながらも、自ら贖罪を求めたことへの罰かもしれない。だが、それでも――。
 そのとき、まどか達の周囲に揺らいでいた夕色が軋んだ音を立てた。おそらくこれが例の怪異の気配だと気付いたが、まどかは抵抗しない。
 そして、二人の少年はいざなわれるが儘に夕暮の異空間に落ちてゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

柊・はとり
※捏造アドリブ歓迎

『寝ている間に死の嵐で世界がほぼ滅んだってさ』
そんな途方もない現実や俺も死んだって事実も
忘れる位に日本だな
死んじまったクラスの奴らがその辺歩いてそうな位に

まあ用があるのは残念ながらあいつらじゃない
あの人について朧気に覚えてるのは
病院のベッドに繋がれて死んだように寝てる姿だけ
葬式にも出た気がする
顔は知ってるが本人の思い出は…何もないな
何も、

おい曾じいさん
『名探偵』柊・藤梧郎
出てこい
あんたに文句がある

じいさんも親父も探偵なんかじゃなかった
なぜ曾孫の俺に『これ』を押しつけた?
死後に託された遺品のキセルを手に

どうせ正解なんて返ってこない
それでも俺は

『名探偵』なんかにはなりたくなかった



●彼の人を継ぐ者
 平穏な夕暮れの景色。
 何処からどうみてもそうとしか表せない光景の中で、柊・はとり(死に損ないのニケ・f25213)は独りで立っていた。
 知っている日本ではない。当たり前だ、はとりにとってこの場所は異世界にあたるのだから、辿ってきた歴史からして何もかもが違う。
 寝ている間に滅んだ世界。
 死の嵐が吹き荒ぶ景色を思い返し、はとりは肩を竦めた。
 そんな途方もない現実も、自分が死んだという事実だって、忘れてしまえるかもしれないと思うほどに平和だ。無論、この世界にもオブリビオンがいるので景色だけを見るならば、という前提だが。
「クラスの奴らが今にも声を掛けて来そうだ」
 買い食い行こうぜ、だとか。本屋に寄って新刊見に行こうぜ、だとか。
 夕暮れの中、両腕を組んで歩くはとりは想像を巡らせる。しかし、彼らは死んでしまった。ただそんな気がするというだけだ。
 されど今、用があるのは残念ながらあいつらではない。
 死者を呼び出せるという怪異。
 それに向かって求めようと決めていたのは、あの人だ。
 はとりには彼との記憶は殆どない。
 朧気に覚えているのは、病院のベッドに繋がれて死んだように寝ている姿だけだ。
 葬式にも出た気がする。
 ぼんやりとではあるが遺影くらいは思い出せた。だが、血縁であり顔を知っているというだけで本人との思い出は何もない。
 そう、何も――。
 しかし、はとりは敢えて彼の幻影を求める。夕焼けの色に染まる空の下、はとりは鉄塔の下まで歩いてきた。そして、その人を呼ぶ。
「おい曾じいさん」
 嘗て『名探偵』と呼ばれた人、柊・藤梧郎。
 呼び掛けながら彼の人の名を口にする。懐かしさや感慨などはない。ただ会いたいと思う気持ちがあるだけだ。
「出てこい、あんたに文句がある」
 はとりがぶっきらぼうな言葉を落とすと、目の前の影が不自然に揺らぐ。
 それが合図のようなものなのだと感じたはとりは真っ直ぐに前を見据えた。そして、其処にはあの遺影を模したような老人の姿が現れる。
 整えられた白い髭にダブルスーツ、その下にはベスト。
 確かあの遺影は名探偵として新聞などで取り上げられた時のかっちりと決まった姿の写真だった。自分が知る病床での姿とはまったく違う。
 成程な、と呟いたはとりは彼に視線を向け続けた。まだ相手は何も言わないが、それはそれで好都合だとして呼び掛ける。
「なぁ、曾じいさん。じいさんも親父も探偵なんかじゃなかった。なのになぜ、曾孫の俺に『これ』を押しつけた?」
 そういってはとりは、死後に託された遺品のキセルを手にした。
 解っている。
 これは自分の記憶と心から読み取られた存在だ。彼の意志まで写したものではない。それゆえにどうせ正解など返ってこない。簡単な推理だ。
 それでも、とはとりはキセルを握り締めた。
 これは呪縛だ。今も尚、死しても自分を縛り付ける枷のような存在だ。
「……『名探偵』なんかにはなりたくなかったんだ」
 はとりは半ば独り言ちるような言葉を落とす。曽祖父の影は未だ何も告げない。だが、そのとき――はとり達の周囲の空間が揺らぎ、その景色が移ろっていく。
 このまま異空間に連れられるのだと察したはとりは身構え、その時を待った。
 二人の名探偵。
 凍てつく眼と眼。その視線は暫し、交錯していた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

羽重・やち
逢いたい人。逢いたい人か。
やちは逢いたいのだろうか。解らない。
それでも、思い浮かぶはひとりだけ。

主様。
やちの主様。やちを創った主様。
アゲマキからやちを創った、人形師の主様。

おかえりと言っていた。目覚めて一番初めに見た、見知らぬ男はそう言っていた。
たとえ一夜だとて、あのような狭く暗い所にお前を閉じ込めておくなんて。
愛していると、男は、主様はそう言っていた。
頬を撫ぜた指先からは土の匂いがした。

あの頃、『やち』は『アゲマキ』であった。
主様がそう呼ぶから、賤はアゲマキでありんした。
主様だけが賤の主様でありんした。
これからは私だけの女だと、それはそれは嬉しそうに笑っておりんした、ね。主様。



●懐古
 昼間までの空は揺らぎ、薄い夕色が滲み始める時刻。
 人気のない路地から小路に入れば、遠くに高い鉄塔が見えた。
「逢いたい人。逢いたい人か」
 この夕暮れに隠れている怪異はもう逢えぬ人に会わせてくれるという。羽重・やち(明烏・f09761)は件の場所に向かう最中、考える。
「やちは――」
 逢いたいのだろうか。解らない。
 自分でも掴みきれない思いが裡に巡っていた。だが、此処まで訪れてしまった以上は呼ぶしかないのだろう。
 それに、逢いたいかどうかを論じる前にひとりだけ思い浮かぶ人がいた。
 他に思いつかぬのならば彼しかいない。
 本当に逢ってもいいものか。このまま裡に押し込めてしまった方がいいのか。それを考える前に、やちは鉄塔の下に辿り着いていた。
 振り仰ぐ空の色は橙。
 その彩が妙に眩しいと思ったのは何故だろう。暗幕の奥からはよく見えぬ色だったからだろうか。暫し紅の眸に空模様を映していたやちは、そっと花唇をひらく。
「……主様」
 言葉にすると、彼との記憶が浮かんできた。
 彼の人がどのような存在であるかを考えたやちは静かに眼を閉じる。
 やちの主様。
 やちを創った主様。
 アゲマキからやちを創った、人形師の主様。
『――おかえり』
 その声を思い出す。目覚めて一番に聞いた言葉だ。
 瞼をひらいて初めに見た、見知らぬ男は確かにそう言っていた。
 たとえ一夜だとて、あのような狭く暗い所にお前を閉じ込めておくなんて。そんなことも告げてくれた気がする。それから、彼は言った。
『愛している』
 頬を撫ぜた指先の感触は忘れない。其処からは土の匂いがした。
 その言葉の意味も理由も暫くは解らなかった。ただそう言われたから応じた。そういうものなのだと思っていた。
 あの頃、『やち』は『アゲマキ』と呼ばれていた。
 彼がそう呼ぶからそうだった。彼女として在るように願われた。そのように振舞うことが与えられた普通だ。主様だけが自分の主様だった。
『これからは私だけの女だ』
 それはそれは嬉しそうに笑っていた主の顔もよく憶えている。
 懐かしい。そんな感情が今は巡っている。
 そのとき、ふと何かが蠢く気配がした。夕暮れが作り出す長い影の向こう側から誰かの気配がする。顔をあげたやちは軽く目を見開いた。
「主様」
 次に呼んだその名は誰にも向けられていないものではなく、確かに目の前の人物に向けた言葉だった。其処には、記憶のままの主がいたからだ。
「ね、主様。賤は……」
 途切れがちな澄んだ声が夕暮れの空の下に響く。
 だが、その続きを紡ぐ間もなく辺りの景色が一変していく。現れた主の影と共にやちは異空間に連れられるのだろう。
 それがこの怪異を利用した代価のようなものだ。
 やちは主の姿を見つめたまま、移り変わっていく景色を見つめた。
 その先に待つ光景はどんなものなのだろうか。そして――まるで周囲に暗幕が落とされたかのように、視界が暗転する。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

月舘・夜彦
【華禱】
逢いたい人
今も思うのはただの簪だった頃の持ち主である小夜子様

倫太郎殿は誰に逢いたいのでしょう
僅かに彼を見た後、向かう

着いた場所は彼女が暮らしていた家屋
縁側に座る彼女はぬばたまの長く美しい髪に藤色の着物
髪に飾る竜胆の簪が似合う御方

恋人の帰りを待ち続け
逢える事無く、命の火は尽きた
私はただ一人を信じる気丈さ、健気さに惹かれた
逢えぬ悲しみと不安に涙を流した時
この御方の力になれたのならと思った

亡くなる前に私は彼の姿を模して彼女の前に現れた
憐れにも思った、この姿ならば私を見てくれるのではとも思った

彼女が私を見た所で、彼と思うのだろう
それとも……
言葉を交わさずに終わったが故に永遠に分からぬまま


篝・倫太郎
【華禱】
逢いたい人、か……
夜彦は主でもあった、あの人を呼ぶんだろか
あの、綺麗な人の名前

ちらりと隣を盗み見て、そんな事を思ってみたり
まぁ、異空間はお一人様限定だから
気にしても仕方ないんだけどさ……

それよりも、まずは俺が呼ぶ名前

俺は、そうだな……
「ぬい。しらぬい……」
俺と同い年の幼馴染み
黒くて長い髪に金の瞳が印象的な、羅刹の少女

生きてりゃ、いい女になってただろう
けど、もう何処にも居やしない


補足
不知火(西賀・不知火)
同い年の幼馴染み
同じ祖から派生した倫太郎とは親戚筋の娘
雰囲気も実際もかなり勝ち気
会話をする際は人の目を真っ直ぐに見て話す
互いに『幼馴染み』以上の感情は無い

口調
倫太郎呼び
~でしょう?
~だわ



●主と彼
 ――逢いたい人。
 今も思うのはただの簪だった頃の持ち主である人だ。
「……小夜子様」
 月舘・夜彦(宵待ノ簪・f01521)はその名を呟き、隣を歩く彼を見遣った。誰に逢いたいのだろうかという思いは押し込め、夜彦は夕暮れの鉄塔を目指す。
 そして、僅かに彼を見た後に塔の下に向かった。
 此処からは別行動だ。
 夜彦は怪異が現れるという其処に辿り着き、過去を思う。
 
 想像するのは、嘗て彼女が暮らしていた家屋。
 縁側に座る彼女――小夜子はぬばたまの長く美しい髪をしている。藤色の着物がその肌によく映え、髪に飾る竜胆の簪が似合う御方だった。
 今でも懐う。
 彼女はずっと恋人の帰りを待ち続けていた。
 しかし彼の人と逢えることは無く、やがて命の火は尽きてしまった。
 夜彦は彼女に惹かれていた。
 再会の約束として贈られた竜胆の簪こそが夜彦自身だったからだ。
 ただ一人を信じる気丈さ、健気さ、そして心の強さと美しさ。それこそが彼女を彼女たらしめるものなのだと感じていた。
 逢えぬ悲しみと不安に彼女が涙を流した時――この御方の力になれたのならと、そう思った。それゆえに夜彦を取り巻く運命は動いた。
 意志の力とは強いものだ。
 彼女が亡くなる前、夜彦はその彼の姿を模して小夜子の前に現れた。
 憐れにも思った。この姿ならば私を見てくれるのではとも思っていたからだ。
「小夜子様……」
 夜彦はもう一度、彼女の名前を呟いた。
 そうすればきっと、この鉄塔の下に潜む怪異が彼女の姿を写し取ってくれるのだろう。それは自分の記憶から読み取られたものだが、それでも逢える。
 またあの姿を見ることが出来る。
 そう思っていた夜彦の前に想像した通りの影が現れた。
 夕暮れの下で、彼女は夜彦の姿をじっと見つめている。もし彼女が本物であったならば、自分を見た所で彼だと思うのだろう。
 それとも――。
 嘗ての死の間際、言葉は交わせなかった。それゆえに彼女があのとき何を思ったのかは永遠に分からぬままだ。
 夜彦は小夜子の姿をしたものを見つめる。
 暫しの静寂の中、不意に周囲の景色が揺らぎはじめた。怪異を利用したことで異空間に取り込まれるのだと察し、夜彦はそのままその場にじっと佇んでいた。
 
●幼馴染
「逢いたい人、か……」
 篝・倫太郎(災禍狩り・f07291)は先を往く夜彦の背を見送り、ぽつりと呟く。此処からは別行動だと分かっており、その後を追うことはしない。
 彼は主でもあった、あの人を呼ぶんだろうか。
(あの、綺麗な人の名前……)
 そんなことを思いながら、気にしても仕方のないことだと頭を振った。
 倫太郎は夕暮れ時の空を眺め、頭の上で両腕を組んだ。ぼんやりとその先に見える鉄塔を見つめながら歩く中で考える。
「それよりも、まずは俺が呼ぶ名前だな」
 誰が良いだろうか。
 もういない人。逢えないけれど、逢いたいと思う人。そういった人は数多くは居ては困るものだが、居るには居る。
 そうだな、とちいさく呟いた倫太郎は鉄塔の下で立ち止まる。
 決めた。あの子しかいない。そう決意した倫太郎は呼吸を整え、その名を口にする。
「ぬい。しらぬい……」
 懐かしい響きだ。自分と同い年の幼馴染みだった羅刹の少女だった。
 黒くて長い髪。よく映える金の瞳。勝ち気で元気がよく、丸くて大きな目と強い眼差し印象的だったことをよく覚えている。
「生きてりゃ、いい女になってただろうな」
 だが、もう何処にも居やしない。逢いたいと思っても逢えない一番の相手といえば、今は彼女しかいなかった。
 ――不知火。
 西賀という姓を持つ羅刹が倫太郎の求める人だ。
 佳い幼馴染だった。同じ祖から派生した倫太郎とは親戚筋の娘であり、人の目を真っ直ぐに見て話す強い子だ。
 過去を思い返していると、倫太郎の前に妙な気配が現れた。
 歪む影。ぐにゃりと揺らぐ視界。きっと夕暮れの怪異が動き出したのだろう。影を見ていた倫太郎は顔をあげ、その人物を見つめる。
「……ぬい」
 もう一度、名前を呼ぶ。
 彼女は未だ何も答えなかったが、記憶の通りに真っ直ぐな眼差しを向けていた。
「――、」
 倫太郎は思わず何かを言おうとした。だが、その前に周囲の景色が大きく歪んでいった。はっとした倫太郎は悟る。
 此処から異空間に連れられていくのだろう。
 抗うことの出来ぬ奇妙な感覚に耐えながら、倫太郎は身構えた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

リル・ルリ
『エスメラルダ』
座長が舞台の上で呼ぶ、僕の名前
ただの記号だと思っていた
けれど座長の部屋に残っていた手記
そこに記されていた名前と同じで

記憶にない君は
…漆黒の髪にエメラルドの瞳が印象的な美しい漆黒の闘魚の人魚だったという
この世のものと思えぬ絶世の歌声で魅惑の歌を歌い
心凍った吸血鬼すら虜にした人魚
黒の街の水槽に来た頃には既に壊れ揺蕩い歌うことしかしなかった君
感情も何もかもを歌で示したと細かに記されていた
多分、座長…ノア様は君が特別だったんだ
だから、僕を…

僕に家族はいない
聲も温もりも愛も何もしらない
けど
…君にあってみたいんだ
ボロボロの手帳を握りしめ
勇気をだして呼んでみる

「エスメラルダ」

僕の――かあさん



●瑠璃と翠砡の境界
 ――『エスメラルダ』。
 その名を思い出して、懐かしむ。
 そう呼ばれなくなってからどれだけが経つだろうか。リル・ルリ(想愛アクアリウム・f10762)は嘗てを思い返していく。
 その名は座長が享楽の舞台の上で呼んでいた、自分の名前だった。
 ただ彼の為に歌い続けていた日々。
 あの頃は演目の中で使われる、ただの記号だと思っていた。しかし或日、座長の部屋に残っていた手記を見てから疑問が浮かんだ。
 エスメラルダ。
 そこに記されていた人魚の名前と同じ名で呼ばれていたことが不思議だった。
 リルに彼女の記憶はないが、知っていることはある。

『出自も名もわからぬのならば、私がこの人魚に名を与えることにしよう。
 名称がなければ不便であろう』

 手記から、それは座長が彼女に与えた名前だったのだと識った。
 そして、彼女が産んだものが自分なのだと分かった。手記の後には彼女の死に際の様子と一緒に、こんなことが記されていたからだ。

『白い、人魚の稚魚。弱りきり動かぬそれを必死に差し出してくる』

 漆黒の髪にエメラルドの瞳。
 彼女は黒の人魚と表すに相応しい、印象的な美しい闘魚の人魚だったらしい。
 エスメラルダはこの世のものと思えぬ絶世の歌声で魅惑の歌を紡ぎ、心が凍った吸血鬼すら虜にした人魚なのだという。
 それは全部、座長ノアの手記から識ったことだ。
 黒の街の水槽。其処に来た頃には既に壊れ、揺蕩い歌うことしかしなかった。
 感情も何もかもを歌で示した、と朽ちかけた一冊の手帳には記されていた。細かに書かれた文字を読み、理解したときのことを思い出す。
「多分、座長……ノア様は君が特別だったんだ。だから、僕を……」
 リルはボロボロの手帳を握り締めた。
 彼から受けた愛情めいた感情はリル自身に向けられたものではない。
 自分に家族はいない。聲も温もりも愛も何も知らなかった。けれどずっと思っていたことがある。とても身近にいる櫻の彼が抱く、家族のかたちを知ってしまったからこう感じているのかもしれない。
 親と子。それはたとえ切ろうとしても切れない縁。だから――。
「……君にあってみたいんだ」
 ただ死者に逢えるだけだなんて都合の良いことはない。
 この夕暮れの中に潜む怪異に頼ることがどんなにおそろしいことかも分かっている。それでも、勇気をだして呼んでみようと思った。
「エスメラルダ」
 これまで呼ばれていた名前を自分が呼ぶのは何だか不思議だ。
 すると、夕焼けの中に黒い影が浮かんできた。宙を游ぐ度に揺らぐ黒い鰭と髪。透き通った翠玉色の眸。ふわりと揺蕩う人魚が、いつしか其処にいた。
「君が……僕の――かあさん」
『……』
 リルが漆黒の人魚を見上げると彼女は虚ろな瞳で此方を見つめた。けれど何を言えばいいのかわからない。リルが戸惑っていると、人魚が唇をひらいた。
 歌を紡ぐのだろう。
 だが、其処に音はなかった。代わりに周囲の夕暮れが罅割れる甲高い音が響く。
 その瞬間、人魚達は不可思議な異空間に取り込まれていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵
初めてあなたに出逢ったのは
夜の千年桜の下
宴の喧騒から逃れた私は
桜樹の下で泪を零すあなたに出会った
どんな桜より美しい貴女から目が離せなくて
あれが全ての始まりだった

黒曜の髪に柘榴の瞳
欠けた片角に飾るアネモネ

凛と美しく気高い鬼姫
上品で気が強くて
優しく家族想いで
滅んだ自分の藩を残された民を案じて
口喧嘩でいつも負かされるのは私
「櫻宵。貴方は本当にしょうがない人ですね」なんて呆れ顔で
いつも挫けてる私を励ましてくれた

柔い笑顔が大好きだった
憎らしい程愛してた

私の初戀
私の甘い災い
私に家族を授けてくれたひと
…私の罪
手放したくなくて喰らった戀
向き合わなければならない戀の、骸

サクヤ、

ずっと
貴女に伝えたいことがあったの



●紅と宵の境目
 今も思い出せる。
 彼女と初めて出逢った時のことを。
 あれはこのような夕暮れが宵色に染まり、深い夜の彩が巡った刻のことだった。
 誘名・櫻宵(屠櫻・f02768)は嘗てを思い返し、胸に手を当てる。
「……懐かしい」
 思わずそんな言葉が零れ落ちたのは久方振りにあの景色を思い浮かべたからだ。
 千年桜の下。
 重苦しくも感じた宴の喧騒から逃れた櫻宵は桜を見に其処まで向かった。そして、桜樹の下で泪を零す彼女に出会った。
 美しいと感じた。
 黒曜の髪に柘榴の瞳。欠けた片角に飾る花は牡丹一華。
 どんな桜よりも綺麗で儚い。一目でそう感じ、彼女から目が離せなくなった。
『貴女は――?』
『貴方は――』
 互いに声を掛けあった日。泪を拭うこともせずに顔をあげた羅刹。
 あれが全ての始まりだった。
 彼女は凛と美しく、気高い鬼姫だった。上品で気が強く、優しく家族想いで、滅んだ自分の藩を残された民をいつも案じていた。
 名前を告げあい、互いの立場を知り、様々な話をした。
 それまでの日々と比べれば、誰よりも深い時間を過ごしたかもしれない。
 些細なことで笑いあい、たくさんの景色を共に見て、ときには喧嘩もした。けれど彼女は鬼の姫。喧嘩でいつも負かされるのは自分だった。家のことや過去のことで昏く沈んだ心を見透かされた日もあった。
『櫻宵。貴方は本当にしょうがない人ですね』
 そういって呆れ顔で、挫けていた櫻宵を励ましてくれた人だった。
 噫、こんな風に夕暮れを見たこともあった。
 櫻宵は懐かしさを抱きながら、今目の前にある夕陽の色を振り仰いだ。きっと彼女が今も傍にいれば共にあの光を眺めてくれるのだろう。
 柔い笑顔が大好きだった。
 憎らしい程に愛していた。
 たとえ彼女が、己の為に誘七の家名を欲しがったと分かっても変わらなかった。
「私の初戀。私の甘い災い。私に家族を授けてくれたひと。それから、」
 ――私の罪。
 彼女にとっての一番は自分ではなかった。確かに愛してくれていたとしても、心の奥底にある思いまでは自分の物にならないのだと思い知らされた。
 手放したくなくて、喰らった。
 いつかは向き合わなければならない戀の、骸。
 櫻宵は見上げていた夕焼け空から視線を落とし、その名を呼ぶ。
「サクヤ、」
 続く言葉はない。ただ、彼女を求めた。
 何故ならこの場所に潜む怪異はこの願いを叶えてくれるものであるからだ。
 すると影が妙な形で蠢いた。
 夕陽に照らされた自分の影に重なるようにして、嫋やかな影が現れる。
「――サクヤ」
 次に櫻宵が紡いだ言葉は、はっきりとしたものだった。目の前に立っている彼女に呼び掛ける確かな声だ。
「…………」
 彼女は何も答えず、柘榴色の双眸を櫻宵に向けている。
 噫、サクヤ。貴女なのね。そんな思いが櫻宵の中に浮かび、思わず手を伸ばした。
「ずっと、貴女に伝えたいことがあったの」
 彼女に歩み寄ったとき、不意に硝子が割れるような鋭い音が届く。
 そして――櫻宵の手がサクヤの身体に触れる前に、世界が大きく揺らいだ。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

オズ・ケストナー
わたしがあいたくて
もういないひとは、きまってるよ
「おとうさん」

もう、おとうさんのまぼろしは見なくてもだいじょうぶ
そう思っていたけど
今回はいつものとすこしちがうみたいなんだ
だから、すこしちからをかしてね

やさしいおとうさん
わたしの兄弟も、わたしもまだ話せなかった
うごけなかったのに
ガラスケースの中のわたしたちに
毎日声をかけておていれしてくれた

やあ、おはよう。機嫌はどうだい
今日は晴れだよ
庭のバラが咲いたよ。きれいだね

それから、覚えていないけれど
ふしぎな手紙で見たわたしの記憶

みんなご覧
新しい家族が増えたんだ。仲良くしておくれ

わたしが家族になった日
みんなにそう言って紹介してくれたおとうさん

ずっと、だいすき



●きみを助けるために
 夕暮れの街、少し遠くに佇む鉄塔。
 その場所を目指して歩けば、暮れなずむ空の移り変わりがよく見えた。
 オズ・ケストナー(Ein Kinderspiel・f01136)はシュネーと共に夕暮れの怪異が現れるという場所に向かってゆく。
 逢いたいひとなんて、たったひとりしかいない。
 もういないひと。誰よりも大好きで、ずっと思っている人。
「おとうさん」
 これまでに何度も彼のまぼろしを見てきた。その度に自分の過去を知り、受け止めて、シュネーと一緒に此処まで歩いてきた。
 もう彼の幻影など見なくても大丈夫。そう、思っていたけれど――。
「今回はいつものとすこしちがうんだよね」
 怪異は存在を歪めるという。
 オズは決しておとうさんの在り方を歪められたいわけではない。けれど、もしこの街に流れる噂を信じた誰かが、夕暮れの中で大好きな人の名前を呼んでしまったら。
 そして、連れて行かれた異空間で苦しい思いをしたのなら――?
 そう考えるといてもたってもいられなかった。
 逢いたいと思うほどの大切な人から辛い言葉を掛けられて、閉じ込められてしまう人なんていてはいけない。
「それに、ぴーちゃんカッコカリもたすけないとっ」
 それからオズは怪異の中にいるという友好的なUDCを思う。まだ名前がないのでPちゃん(仮)だ。そうして、シュネーと共に鉄塔の下に辿り着いた彼はぎゅっと掌を握る。
「だから、すこしちからをかしてね。――おとうさん」
 そして彼を呼ぶ。
 暫しの静寂。じっと待つ間にオズは彼のことを考えていた。
 やさしい、とてもやさしいおとうさん。
 オズの兄弟も、自分もまだ話せなくて、うごけなかった頃からずっと見守ってくれていた。ガラスケースの中のオズたちに毎日声をかけてくれた。
 その声を思い返しながら、オズは瞼を閉じる。

『やあ、おはよう。機嫌はどうだい』
(うんっ、とってもいいよ)
『今日は晴れだよ』
(おてんきなの、うれしいね)
『庭のバラが咲いたよ。きれいだね』
(みせてくれてありがとう、おとうさん)

 もしあの頃に喋れていたのならばこう返事していただろう。あの時の記憶に重ねるように、オズはひとつひとつに思いを返していく。
 自分達を手入れをしてくれていた彼の笑顔は懐かしい。
 そしてオズ自身は覚えていないが、迷宮で見た不思議な手紙から知った記憶もある。

『みんなご覧。
 新しい家族が増えたんだ。仲良くしておくれ』

 それは文字で綴られた言の葉だった。けれども彼の声を思い返せば、きっとこんな風に言ってくれたのだろうと想像できる。
 オズが新しい家族になった日。
 みんなにそう言って紹介してくれたおとうさん。
「おとうさん、ずっと、だいすき」
 言の葉が自然に零れ落ちる。その後、オズはゆっくりと瞼をひらいた。
 其処には何度も見たおとうさんの姿がある。おそらくは怪異が自分の記憶を読み取ったのだろう。これから絶対に彼が言わないような言葉が紡がれると分かっていた。それでもオズは覚悟している。
「いこうっ、おとうさん」
 その言葉の直後、オズ達の周囲に満ちていた夕暮れの色がぐにゃりと歪んだ。
 いざ、怪異が誘う異世界へ――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

朽守・カスカ
名、か
…父さんというのは、名前ではないけれど
そうとしか呼ぶつもりはない

黄昏に現れて、怨嗟を投げかけてきたとて、それは幻影

そもそも、黄昏時にそのようなことをするなんて
幾ら姿形が似ていたとて、そのありようは全くもって似ても似つかぬよ

貴方が私の……ボクの知る人ならば
黄昏時は、これから始まる長い夜に備えねばいけない時だろう?
少なくとも、ボクは父さんを見てそう学び、倣い
そうして、今の生き方として定め、誇っているんだ。
だから、偽物に用はない

ボクのやり方で、標を灯すとするよ
(それこそ、父さんがそうしていたように)



●闇を照らす光
 夕暮れは灯台守にとって大事な時間だ。
 暗闇に灯を燈すならば、宵や真夜中の方が大切だと思うかもしれない。だが、それは違う。そんな風に、いつか聞いた言葉を思い返す。
「……懐かしいな」
 朽守・カスカ(灯台守・f00170)は夕闇が滲む空を振り仰いだ。
 人々が帰路につく時刻。
 郊外の閑静な住宅街を越えた先にある鉄塔の周辺は人気がない。其処に潜むという夕暮れの形をした怪異を思い、カスカは歩いていく。
 目指すは塔の下。
「名、か」
 其処で逢いたい人の名前を呼ぶと、その人が記憶から読み取られて現れるのだという。
 カスカが呼ぶつもりなのは父だ。
「……父さんというのは、名前ではないけれどいいのかな」
 元からそうとしか呼ぶつもりはない。自分にとって彼は父さんでしかないからだ。それにきっと、名を呼ぶというのはトリガーでしかないはず。
 自分ではない何かに呼び掛けることこそが、怪異を呼び覚ます切欠なのだ。
 そう考えたカスカはもう一度、空を見上げた。
 薄青と橙色が混ざりあう景色。
 その不思議な様相から、この刻は現世と幽世が重なりあう時間なのだと云われる。
「父さん……」
 そして、カスカは彼を呼んだ。
 間もなくすれば目の前か隣か、それとも後ろだかに幻影が現れるのだろう。
 それらは怪異によって呼び出される代わりに、これまた怪異によって歪められる。黄昏に現れて怨嗟を投げかける。
 そう知っており、ただのまやかしだと分かっている。
 そもそも彼が黄昏時にそのようなことをするなんて。幾ら姿形が似ていたとて、そのありようは全くもって似ても似つかないはず。
 何故なら――もし彼が本当に本物であるなら、とカスカは考える。
「私の……ボクの知る人ならば、こんなところにはいない」
 黄昏時はこれから始まる長い夜に備えねばいけない時。それが灯台守にとって夕暮れが大切な時間だと語られた所以だ。
 少なくとも自分は父を見てそう学び、倣い、それを今の生き方として定めて誇っていると自負している。だから偽物に用はなく、この行為だって敵を呼び出すためのもの。
「……来た」
 そのとき、カスカの前で影が揺らいだ。
 記憶そのままの姿をしたそれは紛れもなく父の容姿だ。されどこれまで思っていた通り、本物ではないと知る。
 その瞳に優しさは見えない。冷たい眼差しがカスカを貫いている。
 そうして、カスカの周囲で黄昏の色が滲んだ。きっとこれが異空間に誘われる合図のようなものだろうと察し、カスカは身構えた。
「何処にでも連れていけばいい。ボクのやり方で、標を灯すとするよ」
 ――それこそ、父さんがそうしていたように。
 そして、カスカは急速に歪みはじめた奇妙な世界を強く見据える。
 掲げたランタンは静かに、夕闇を照らしていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ノネ・ェメ
 攻撃せず耐えれば……。戦わず・戦わせない事が信条の、ノネの為の依頼かな? それが主みたいな人生おくってるような気もするし、耐えるのはわけないと思う。でも逢いたい人が、いない、かな。ううん正しくは、よくわからない、だ。

 記憶があるようで、思い出せない? 猟兵になる以前から、歌はずっと歌ってたはず。電脳魔術士には、いつからなってたのかさえさっぱりだけど。

 やっぱりよくわからない。逆に、逢えるようだったら逢ってみたい。わたしの過去を識る人に。すみませーん。この中にわたしの過去を識る方はいらっしゃいませんかー。なんて。

 ……ゎ。わたしがいる……? な、なくなってる方限定では。ぇまってそれじゃノネは(



●ふたりのノネ
 戦わず、戦わせない。
 それがノネ・ェメ(ο・f15208)の信条だ。
 攻撃的なオブリビオンとの戦いにおいてこれを貫くことは難しい。それでもノネはこれまでずっとこの信条を捨てずにやってきた。
 此度の機会は数少ない、ノネの為のものかもしれない。
「攻撃せず耐えれば……」
 異空間に取り込まれた後の戦いを思い、ノネは辺りを見渡した。
 周囲はまだ普通の景色だ。少し遠くに鉄塔が見え、長い影を作り出している夕陽が見える。あの鉄塔の下で誰かの名前を呼べば怪異が作用していくという。
 戦ってはいけない。
 対怪異に対してはそのように強く言い含められている。
「今までもそういうのが主みたいな人生おくってるような気もするし、耐えるのはわけないと思う。でも……」
 ノネは少し俯いた。
 足元には自分の影がある。質量も自我もあるが、この身体は仮初のようなものだ。
 音そのものの自分には――逢いたい人が、いない。
「ううん、正しくは、よくわからない、だ」
 いないのではなく思い当たらない、または思い出せないと言った方が良いだろうか。
 記憶があるようでない。ただ猟兵になる以前から歌はずっと歌っていたはずだとぼんやりと感じていた。
 電脳魔術士には、いつからなってたのかさえさっぱりだけど――。
「……やっぱり、よくわからない」
 ノネは首を横に振る。
 これでは思い出しながらの呼び出しも、名前を呼ぶことも叶わない。
 ゆえに何も起こらない。
 それでも逆に、逢えるようだったら逢ってみたい。自分の過去を識る人に。
 そう思ったノネは呼び掛けてみる。
「すみませーん。この中にわたしの過去を識る方はいらっしゃいませんかー」
 なんて、無理に違いない。
 諦めかけたそのとき、ノネの前に妙な人影が現れた。
「……ゎ。わたしがいる……?」
 まるで鏡写しのように、そっくりな自分がいる。けれどもそれは不思議と自分自身ではないような気がした。
「な、なくなってる方限定では。ぇまってそれじゃノネは――」
 驚愕するノネ。
 じっと佇む影。
 そんな二人を、異空間にいざなう怪異の力が包み込んでいった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

芥辺・有
話しかけるために呼ぶなんて、もうずっとしてないね
とっくに死んでるんだから当たり前の話だけど

無明
どんな風だっけ、あんた
背が高くて、燃えるみたいに赤い目して
いつも意地悪くにやついてるくせにたまに快活に笑ってさ…… 声は、

……細かいことは、よく覚えてるのにね
曖昧さを増してきた記憶を手繰って

思い返せば割と碌なことやってなかった気もするけど
何かを殺して、対価をもらって、そんなんばっかり
今と変わらないか
当て所はなかったけど食うには困らなかったし、寝床もあったし、……いつも、

まあ、満ち足りるって、そういう感じなんでしょ
意外と覚えてるもんだね こう考えるとさ
ねえ

……ああそう、そんなんだったかな



●黎明には未だ遠い
 名前を呼ぶ。
 それはその人が声の届く所に居なければそうそう行いはしない。思えば話しかけるために呼ぶなんてもうずっとしていなかった。
「とっくに死んでるんだから当たり前の話だけど」
 芥辺・有(ストレイキャット・f00133)は夕暮れの路地を歩きながら、前方に見える鉄塔の下を目指していく。
 人気のない通りを照らす夕陽の色は淡い。
 まるで世界に自分がひとりだけになってしまったような感覚が巡った。そうではないと頭を振り、有は鉄塔の下で立ち止まる。
「――無明」
 呼ばなくなって久しいその名を口にする。
 夕闇に包まれていく景色の中で有は煙草を取り出した。慣れた手付きで火を付け、煙草を咥えれば周囲に薄い紫煙が漂う。
「どんな風だっけ、あんた」
 煙をゆっくりと吐き出しながら懐う。
 ああ、そうだ。背が高くて、燃えるみたいに赤い目していた。いつも意地悪くにやついてるくせに、たまに快活に笑う。そんなやつだった。
「……あんたの、声は、」
 思い出せない。そういえば人は、死んだ相手の声から忘れていくのだという。
 そんな俗説が正しいとは思えなかったが、姿よりも声の方が遠い記憶の彼方にあるような気がする。
 細かいことはよく覚えてるのにね、と呟いた有は肩を竦めた。
 日を追うごとに曖昧さを増していく記憶。朧気なそれを手繰っていけば、あんなこともあったかという懐かしい感慨が裡に浮かんだ。
 思い返せば割と碌なことをやってこなかった気もする。
「何かを殺して、対価をもらって、そんなんばっかりで……まあ、今と変わらないか」
 有は自嘲気味に双眸を細めた。
 当て所はなかったが食うには困らなかった。寝床もあったし、それにいつも――。
 其処まで考えてから溜息を付く。
 気付けば一本分の煙草を吸い終わってしまった。吸い殻を仕舞った有は顔を上げ、あの頃のことを改めて思い返す。
 満ち足りるとは、ああいう感じなのだろう。
 殆ど忘れていると思っていたが意外に覚えているものだ。きっと、ただ思い出そうとしていなかっただけなのだろう。
「ねえ」
 そして、有は目の前で揺らぐ影に声を掛けた。
 いつからだっただろう。懐かしい影がこの瞳に映っていたのは。はじめから其処に立っていたような気もするし、今しがた現れたばかりのように思える。
 それほど自然な流れで夕暮れの怪異は死者を顕現させた。
 無論、その姿はただ自分の記憶を読み取っただけの幻影なのだろうが――。
 夕陽の彩が相手の瞳に映り込み、赤い瞳が更に燃えているようだった。
「……ああそう、そんなんだったかな」
 もう一度、有はその名前を言葉に乗せてみる。
 無明。
 返事はなかったが、代わりに周囲の景色が歪みはじめる。自分達が怪異の世界に連れて行かれるのだと悟った有はそのまま異変に身を任せることにした。
 そして、世界の色が塗り替えられてゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

花杖・翡迦
一日を燃やし尽くしそーな茜色と、影で描いたみたいな鉄塔
いつもならぼーっと眺めて、いいなって笑えそーな風景なのに
これから起こることを考えたら、ヘラヘラしてもいられない

思い出すアイツはいつも無表情だ
拾われた時から死に別れるまで、歳も印象もあまり変わらず
口数が少なくて何考えてるかわかんねえ男
そのくせ、人の言葉を知らなかった俺に
それはもう呆れるくらいしつ…っこく
言葉と戦い方と生き抜き方と、世界の楽しさを教えた奴
修行が足りないなとか、感情的になるなだとか
溜息と小言は柔らかかった
無愛想な顔して世界が大好きだった癖に、俺なんかに全部渡して死んだ馬鹿

…那迦
手に力が入る
偽物なんざ現れて欲しかないのにな
会いたい



●依る名の意味
 黄昏の色は不思議だ。
 澄んだ空の青が滲む橙に染まっていく。これまで過ぎていった一日を燃やし尽くしてしまいそうな茜色。その最中に影で描いたような黒い鉄塔が見える。
「夕暮れか……」
 花杖・翡迦(緑雨・f23535)は頭の上で両腕を組み、その景色を眺めた。
 いつもならただぼんやりと眺めていた。こんなものいいな、なんて軽く笑えそうな風景だというのに今日はそうも言っていられない。
 この黄昏の彩の中に怪異が潜んでいる。
 それが人の在り方を歪めてしまうものだと知っているから、笑えない。
「アイツに会えるのかな」
 翡迦は薄青と緋色が混ざっていく空模様を瞳に映す。会いたい人の名前を呼べば怪異が形にしてくれると聞いた。
 思い出すのはただひとりのこと。
 いつも無表情だったあの顔を浮かべれば、何だか懐かしい気持ちになる。
「何考えてたんだろうな、アイツ」
 思えば自分が彼に拾われた時から、死に別れるまでに掴みようのない男だった。歳も印象もあまり変わらず、口数も少なかったものだからよく分からなかった。
 それでも今、誰に会いたいかと言われれば無条件で選んでしまうのが彼だ。
 彼は人の言葉すら知らなかった翡迦にたくさんのことを教えてくれた。
「アイツ、それはもう呆れるくらい、しつ……っこく! あんなにしなくていいだろってくらい、俺に構ったんだよな」
 言葉と戦い方。生き抜き方と、世界の楽しさ。
 今、此処にこうして立てているのも彼のお陰だ。何も識らなかった翡迦にすべてを引き継ぐかのように教え込んでくれた。
 ――修行が足りないな。
 懐かしい声を思い出す。溜息を零す仕草も覚えている。
 ――感情的になるな。
 紡ぐ言葉は小言が多かったが、その雰囲気はとても柔らかかった。それゆえに自分も素直に教えを受けて今の力としている。
「無愛想な顔して、無口で、世界が大好きだった癖に……」
 いつしか翡迦は俯いていた。
 夕陽の色が妙に眩しく思えて影を見下ろす。そのときふと、あの馬鹿、という言葉が口を衝いて出た。もう会えない人だからこそ後悔めいた思いが巡る。
「なんで、俺なんかに全部渡して死んだんだ」
 あのときの自分には何も出来なかった。死を止められるのならば何だってしたかもしれない。だが、それが叶わなかったから今がある。
 翡迦は無意識に首元に提げた八面体のオニキスに触れた。
 そして、その名を呼ぶ。
「……那迦」
 自然に手に力が入る。
 今から現れるのは自分の記憶を読んだだけの存在だと分かっているのに。
 偽物なんざ現れて欲しかないのに思ってしまう。
 会いたい。
 オニキスから手を離した翡迦は顔をあげる。其処には望んだままの、あのときと同じ姿をした彼が立っていた。
 そして、静かな風が吹き抜けていく。
 夕闇に染まる鉄塔の下――ふたつの影が、奇妙に揺らいだ。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

イア・エエングラ
黄昏影踏み、きみのもと
誰は彼と、尋ねましょう
ねえ、きみは、そこにいる?

僕の呼ぶのはきみだけだもの
僕の乞うのはきみだけだから
そうっと名前を囁きましょう

きみと僕とは同じだもの
ひとつの原石から切り出された
きみと僕とは鏡写し
そうであった、筈なのに
僕のが幾分大きくなった

きみは僕の鏡のように話すのに
いつからか僕ばっかりお喋りで
ようようお話聞いてくださるの
微笑って頷いてくださるねえ
うん、そう、夕陽が綺麗だったから
きみに見せてあげたかったの

海の底のよな宙の中
地面を知らぬ船の中
僕らたった二人で居たのに、

きみの名を呼んで
あのね、僕ね、恋をしたの
何度でもきみを裏切る、夢をかたる
ふたつの影が伸びてひとつに、とけていく



●影と鏡
 黄昏の合間、影踏みで進むのはきみのもと。
 夕暮れに潜むという怪異が呼んでくれるひとを思い、イア・エエングラ(フラクチュア・f01543)は歩みを進めてゆく。
 誰は彼。彼は誰。
 現し世と隠り世の境界のような景色が広がる中、イアは尋ねる。
「ねえ、きみは、そこにいる?」
 空の色は橙。鉄塔の影は黒。そして、夕陽を受けたイアの髪もほんのりと薄い紅に染められている。
 昼と宵の境目でイアが呼ぶのはきみだけ。
「僕の呼ぶのはきみだけだもの。僕の乞うのはきみだけだから」
 そうっと名前を囁こう。
 イアは自分だけにしか聞こえない声でその名を読んだ。それから、思い出す。
 きみと僕とは同じ。
 ひとつの原石から切り出された、きみと僕とは鏡写しの存在。
 そうであった、筈なのに――いつしか自分の方が幾分も大きくなってしまった。
 空を見上げて懐うのは、置いてきてしまった君。
 寧ろ自分が置いていかれたのかもしれないと感じながら、イアは思いに耽る。
 すると、目の前に自分によく似た者が現れた。記憶を形作る影。きっとこれこそが怪異の力なのだろう。
「やあ、きみは、そこにいたの」
 イアがそう話すと、きみは鏡のように話した。
 懐かしいと思った。これが怪異によるものであっても構わないと思えるほどに。
 それなのに、いつからかイアばっかりお喋りになってただ聞いてもらうだけ。微笑って、頷いて、それだけの鏡写しのきみ。
「うん、そう、夕陽が綺麗だったから、きみに見せてあげたかったの」
 ほら、とイアは空を示す。
 夕暮れの色は濃くなっている。もう薄い青色は何処かに消えてしまった。この時間がもっと深くなれば夜になる。
 そうすれば空の色は宇宙のようなまっくらな彩に染まる。
 海の底のよな宙の中。地面を知らぬ船の中。ずうっと前のことを思い返して、イアは目の前の影に語りかける。
「僕らたった二人で居たのに、どうして」
 今は離れ離れなの。
 ねえ、ときみの名を呼んだイアはもうひとつ告げたいことを口にする。
「あのね、僕ね、恋をしたの」
 そうして何度でもきみを裏切る、夢をかたる。
 されど未だ夜は来ない。
 夕暮れが滲む世界の中。ふたつの影が伸びて、ひとつにとけていく――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ライラック・エアルオウルズ
黄昏時に、思い出す
寝台から眺めた窓が橙と染まるのが、
夜が、友が、僕を訪ねる合図だった

黄昏時へ、思い出す
燈籠と絵本を手に彼が階段を登る音
追って鳴る、軽やかな、みっつのノック

黄昏過ぎて、彼が来る
中々出来ない友の代わりと、
寝台に座る僕へ向き合う彼と
僕へ語り掛ける影遊びの『友人』

やあ今晩は、トム
――或いは、トマス
――或いは、父さん

病気がちだった僕より先に、
病で死んだ父の事を強く想えば
黄昏に立つ彼が応える様に微か笑う
金糸の先の菫色は、記憶と同じ物で
違う者とは知れども、酷く懐かしくて
少しばかり、泣きたくもなるけれど

――それでも
今日は、僕が君を訪ねる番だ

好奇でなく訪ねる為に
ゆらり、黄昏へと溺れゆく



●マイ・ディア・フレンド
 黄昏時を見ると思い出すことがある。
 寝台から眺める景色。窓辺から見える空の色が橙色に染まっていく刻。
 それが夜が――友が、自分を訪ねる合図だった。
 ライラック・エアルオウルズ(机上の友人・f01246)は、過去を懐かしむように双眸を細める。そして、黄昏時へ思い出す。
 目を閉じても瞼の裏に残る夕焼けの彩。
 その向こう側から記憶の波がそうっと流れ込んでくる。あれは昔、今から思えばとても昔のことになるだろうか。
 耳に届くのは、燈籠と絵本を手に彼が階段を登る音。
 追って鳴る、軽やかなノック。
 コン、コン、コン。
 その音は決まってみっつ。揺らす燈籠に語られる物語。揺らめく宵影。
 黄昏過ぎれば彼が来る。
 なかなか出来ない友の代わりだといって、寝台にひとり座るライラックへ向き合ってくれた彼。自分に語り掛ける彼がつくってくれたのは、影遊びの『友人』だった。
『やあ今晩は、トム』
 あの声がそうやって名前を教えてくれた。
 ――或いは、トマス。
 ――また或いは、父さん。
 物語を紡ぎ、語ることの根源はあの時間にあった。瞳を輝かせて影絵を眺めたライラックにたくさんの友と話を与えてくれた人。病気がちだったライラックよりも先に、病に臥せって死んでしまった人。
「……父さん」
 彼のことを強く想い、ライラックはその呼び名を口にする。
 後はこの場所に宿る怪異がその声を聞いて応じてくれるだろう。事実は小説より奇なりともいうが、このようなことが起こるとは実に興味深い。
 しかし、ライラックの裡にあるのは好奇心だけではない。この先に何が待っていようとも受け止める覚悟がある。そのはずだ、とライラックは己を律した。
 そして、黄昏の中に影が揺らぐ。
 それまでひとつだったものがふたつに増える。まるであの日の影遊びのように『彼』が両手を重ねて兎の影を作った。
 そして、黄昏に立つ彼が微かに笑う。
 金糸の先の菫色。瞳の色は自分とよく似た色で、記憶と違わぬ同じ物だ。
 違わぬけれど、違う。ただ自分の懐古が生んだ偽者だとは知っているけれども、その姿は酷く懐かしかった。病床に伏せる姿ではなく、あの黄昏を越えた時間の中で共に過ごした彼だからこそ余計に。
 少しばかり、泣きたくもなる。けれども強く堪えた。
「やあ。今日は、僕が君を訪ねる番だ」
『…………』
 ライラックは軽く片手を胸の前に掲げ、ノックをするような仕草を真似る。
 もうあの頃の自分ではないことを見せよう。
 好奇ではなく訪ねる為に。そう決意したとき、ライラック達を包み込む夕暮れの色が不自然に歪み、紅茶をかき混ぜたときのようにぐるぐると廻る。
 目の前の父は微笑っている。
 だが、きっと怪異の力によってその表情も言葉も歪められてしまうのだろう。
 それでも――。
 そうして、ゆらり、黄昏へと溺れゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

薬袋・布静
爺ちゃん…
黄昏に惑わされ口についたは育ての親
義祖父を呼んでいた

胸元を強く掴み口元を覆う
そうしなければ嫌に騒ぎ立てる心臓が保ちそうになかった

目の前の人物を見据えた
腹が立つ程に何度も願った義祖父が其処に居る

――しけた面してはるな、布静
――そりゃそうやわな…オレを殺しよったんやからなあ
――あれほど言うたやんなぁ?あの調合はするなって
――守りもせんと床に伏せとるオレにその出来損ない飲ませおって
――吐血した自分の血で窒息してく様は楽しかったか?

幻影とはいえ、また大切な人を傷付けるなど…
それこそ自害した方がマシな話だ
毎晩あの時を夢に見る程の後悔
それを黙って受け入れる

贖罪にもなりもしない、変わらずの傲慢さで



●後悔と懺悔
 夕陽の色は薄いというのに、何故だか眩しい。
 目を眇め、薬袋・布静(毒喰み・f04350)は鉄塔を見上げた。
「爺ちゃん……」
 普段は呼ぶことのない呼び名が零れ落ちたのは黄昏に惑わされた所為か。
 自分がそう呼ぶのは育ての親。
 義祖父を呼んだ布静は暫し鉄塔の下で佇んでいた。彼との記憶を思い返せばすぐにでも現れるのだったか。
 だが、布静は敢えてそれを思わないでいた。
 ゆっくりと日が暮れていくが、それは何だか緩慢だ。昼間でも夜でもない、宵が訪れるまでの時間は彼岸と此岸を繋ぐひとときでもあるという。
 黄昏、即ち誰そ彼時。
 逢魔ヶ時に纏わる話が思い浮かぶが、それ以上何も思わない。
 彼の本名を呼ばないからかすぐに現れることもなかった。だが、それ故に少しだけ考える猶予があった。
 きっと、これからの順番はこうだ。
 まず暫くすれば名前を呼んだ人が自分の目の前に現れる。
 そして、其処から黄昏の怪異が自分を異空間に連れ込むだろう。そうすれば、怪異によって彼の人の在り方が歪められる。
(何か言われるとしたら、異空間に入った後やな……)
 それゆえに、その時までに覚悟をしておかなければならない。
 布静は少しの間、夕陽を見つめ続けていた。やがて自然と視線が自分の影に落ちていき、気付いてしまう。
 ――自分ではない、誰かがいる。
 そう感じたとき、布静は胸元を強く掴んで口元を覆った。そうしなければ嫌に騒ぎ立てる心臓が保ちそうになかったからだ。
 先程までは居なかった人物に目を遣れば懐かしさが込み上げる。
 嗚呼、彼だ。
 腹が立つ程に何度も願った人――義祖父が、確かに其処に居る。
「……爺ちゃん」
『…………』
 もう一度、布静はその呼び名を口にした。
 だが、まだ怪異によって姿を現されただけの義祖父は何も語らない。おそらく考えた通り、異空間に取り込まれた後に何かを言われることになるのだろう。
 その言葉を想像する。
 だが、敢えて思いはしない。それでも布静の胸は痛む。幻影とはいえまた大切な人を傷付けるなどしたくはなかった。
 それこそ自害した方がマシな話だとすら思う。
 毎晩、毎夜、あの時を夢に見る程の後悔が胸を衝く。されど黙って受け入れるしか道はないのだ。
 贖罪にもなりもしない、変わらずの傲慢さで――。
 そんなことを思いながら布静は目を閉じる。すると途端に周囲の景色が歪み、布静と義祖父の影が異空間へと誘われていった。
 きっと本当の苦痛はその向こう側で、始まっていく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニノマエ・アラタ
逢いたいのは『   』

……まさに逢魔、だ。

色っぽい雰囲気の美しい女性
スカートスーツの上に研究者白衣をまとう
胸元で揺れるIDカード
少し毒のある意地悪な微笑 質問の後に小首を傾げる癖
私、あなた、~よね、だわ
恋愛慣れしている
相手の良心や純粋さにつけこみ、またそれらを好む
あなたは私の最も成功した研究成果の一人だわ
そして大事な……ふふっ。
……私を助けられなかったけどね?

恋をしてはいけない相手だとわかっていたから、
気持ちを表に出したことはない。
一線を引く。
近づくな。
来るな。
甘い言葉を吐いて身を寄せるな。

想い出してしまう、香り。

……っ!(頭を激しく振る)

当時はしょうがない。俺は素材だったのだから。
そうだろ?



●その名を呼ぶ人
 夕陽によって影が生まれる。
 ニノマエ・アラタ(三白眼・f17341)は鉄塔の下で考え、その名を口にした。

 ――『   』

 逢いたいのはただひとり。
 夕暮れが滲んでいく景色の中でニノマエは暫し待った。自分にしか聞こえぬ声で呟いたからか。思い出しながら待つという行為をしなかったからか、怪異が呼び出してくれるという影は未だ現れない。
 どれほど待っただろうか。未だ日が暮れていないのでほんの少しの間だろう。だが、待つ身であるからこそ長く感じた。
 そして、現れた影は自分の記憶のままの『彼女』だった。
「……まさに逢魔、だ」
 ニノマエは思わず呟き、その姿を真っ直ぐに見つめる。
 女性らしい雰囲気を纏う美しい人。
 格好はスカートスーツの上に白衣を纏う研究者然とした姿。胸元で揺れるIDカードも、少し毒のある意地悪な微笑みも、あの頃と同じ。
 もし彼女が記憶のままであれば、質問の後に小首を傾げる癖も変わらないはず。
 まだ何も語らぬ彼女を見つめたまま、ニノマエは思い返す。
『あなたは私の最も成功した研究成果の一人だわ』
 過去にそんなことを言っていた気がする。
 今思えば、彼女は恋愛慣れしていた。相手の良心や純粋さにつけこみ、またそれらを好むような言動だったように感じられる。
 ニノマエは以前、恋をしていた。
 しかし恋をしてはいけない相手だとわかっていたから、気持ちを表に出したことなどはなかった。そしてこれは紛れもない過去の存在だ。
 だから、一線を引く。
 近づくな。
 来るな。
 視線で彼女の幻影にそう告げながら、一歩後退るニノマエ。しかし何も語らぬ彼女は薄く笑んだまま、その距離を詰めた。
(やめろ、甘い言葉を吐いて身を寄せるな。俺は――)
 声にならない思いが浮かぶ。
 そうして、想い出してしまう。あの香りを。あの心地を。
「……っ!」
 ニノマエが頭を激しく振ったとき、周囲の景色がぐにゃりと歪んでいった。きっと彼女と共に異空間に連れられるのだろう。
 そうすれば怪異が影の存在を歪め、彼女が語り始める。
(当時はしょうがない。俺は素材だったのだから。……そうだろ?)
 異空間に飲み込まれていく中、ニノマエは贖罪めいた思いを抱いていた。
 そして――周囲の景色が一転する。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
これが夕ぐれ、常夜とは違う空
世界が全部オレンジ色ね
燃えて熱くなりそうなのに、あつくは、ないのね

【WIZ】

赤ちゃんのころ、会っていたらしいけれど
あなたに会った記おくは
わたしには無い

机の上のたくさんの写真と
ママが他の人と話しているのを聞いた位だけど
たくさん知っているわ
同い年の、あなたのこと

太陽の様な金の髪
空の様な青いひとみ
花の様な目映い笑顔

ニンジンがきらいで
でも、キャロットケーキは大好き

体がとても弱くて
でもたくさんのひとに愛されていたって
だから、わたしがココにいるのよね

なのに、ある日ひどく病んで動かなくなってしまったって

ね、ルー?
いえ、ルーシー
あなたをお待ちしていたわ
ずっとずっと、会ってみたかった



●本当のわたし
 常夜とは違う空の彩を見上げる。
 これが夕暮れ。未だ薄い青の部分も見えるが、いずれは全部がオレンジ色に染まっていくのだろう。暮れなずむ天の色を眺めたルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)はそうっと手を伸ばしてみた。
 届かないのは知っている。けれども、その色が綺麗だと思ったから。
「燃えて熱くなりそうなのに、あつくは、ないのね」
 ルーシーは滲む夕暮の世界を暫し見つめていた。そして、この中に潜む怪異が呼んでくれるという人を思う。
 会いたくても、会えないひと。どんなに望んでも逢うことはない、あの子。
 その子とは赤ちゃんの頃に会っていたらしい。
 けれども今のルーシーに記憶はなく、そのときどんな姿だったかは思い出せない。
 知っているのは机の上のたくさんの写真。
 そして、ママが他の人と話していることを聞いたくらい。だけど、と緩く首を振ったルーシーは『あなた』について考える。
「たくさん知っているわ。同い年の、あなたのこと」
 太陽めいた金の髪。
 それから空を思わせる青いひとみ。花が咲くような目映い笑顔。
 橙色の空を見ていて思い出したのはニンジンがきらいだったということ。けれどキャロットケーキは大好きで何だか不思議だった。
 体がとても弱くて、でも――たくさんのひとに愛されていた。
 其処から居なくなるなんて誰も考えられなかった。それほどに求められていた少女。
 あの子は大切にされていた。
 それなのに、ある日ひどく病んで動かなくなってしまった。
「だから、わたしがココにいるのよね」
 少女は静かに呟き、自分の掌を見下ろす。自分はああして代わりになった。なりたかったのかどうかではなく、なってしまった。
 そのことを思うのは今は止めておこうと決め、少女は顔をあげる。
「ね、ルー?」
 その名前を呼んだ途端、目の前にもうひとつの影が現れた。
 今の少女と同じ背格好なのはそのように想像したからだろう。怪異は記憶から存在を創造し、想像から姿かたちを作り出すようだ。
「……いえ、ルーシー」
『…………』
 佇むもうひとりの少女は未だ何も語らない。同じ空色のひとみでまっすぐにこちらを見つめてくるだけ。
 それでも少女は構わずに一歩ずつ傍に歩み寄っていく。
「あなたをお待ちしていたわ。ずっとずっと、会ってみたかった」
 ねえ、と呼び掛ける少女は片目を眇めた。
 その瞬間、ふたりの周囲を包んでいた夕暮れがひび割れる。硝子が割れるような音が響く中で、ルーシー達は異世界への渦に巻き込まれていく。
 その先で何が待っているのかを考えながら、少女は静かな思いを抱いた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ワン・シャウレン
なんとまぁ…
うってつけの、都合の良い依頼のあったものよ

『御主人』
わしの記憶を読むなら、こう呼ぶ以外にあるまい
まぁ相手は老婆であるがの…まだわしの方が実年齢も若かろう
もしわしがそのまま老いたなら。そんな姿。
夕暮れというのも良い
思い出すは暮れる陽を背に、椅子に寛ぐあの姿じゃからな

あの人は喋りも気性もわしと同じじゃよ
わしというのはあの人のありし日の理想を追い、願いを叶える為に生まれた
最初にそう聞かされた
ただそれが何か、聞いてもはぐらかされるばかりで
結局聞けず終いに死に別れたわけじゃが
残されたわしは、その目的の為にあの人のようであらねばと、そう思っておった

お会いしましょうあの人に
自己満足でも、もう一度



●願いの形
 夕闇は何かを連れてくる。
 古来からそう語られる程に、この時間帯は不可思議なものとされている。
「なんとまぁ……」
 うってつけよの、と口にしたワン・シャウレン(潰夢遺夢・f00710)は夕暮れの鉄塔を振り仰いだ。影になっている塔は妙に怪しげにも思える。
 此処で噂になっている都市伝説。
 それは考えれば考えるほど都合の良いものだ。亡くなってしまった人を呼び出してくれるという部分しか噂としては流れていない。
 その後にある怪異がその人を歪めるという話がまったく流布されていないのは本当に都合が良すぎる。無論、それゆえに怪異であるのだろうが――。
 まぁいい、と顔を上げたワンは自らその怪異を呼び出すことを決めていた。
 そして、会いたい人を呼ぶ。
「――御主人」
 怪異が自分の記憶を読むなら、こう呼ぶ以外にないだろう。本名などではなく呼び名でこそ口にするに相応しい相手だ。
 そして、夕暮れの色が滲んでいく中でワンは暫し待つ。
 来たばかりの時は空にも昼間の名残を残した青い部分があったが、今はもうすっかり橙色に染まっていた。それを見つめるワンのみ空色の瞳にも夕色が映り込んでいる。
 そして――暫し後、ワンの足元の影が歪んだ。
 それこそが幻影が現れる合図だと察したワンは真っ直ぐに前を見る。
 次第に形を成していく影は老婆だった。
 ただ、その雰囲気はワンが纏うものと似ている。そう、もしワンが老いたとしたならばそんな姿であろうという人だ。
「懐かしいの、御主人。久方振りじゃが変わらぬの」
 少しの冗談を乗せて語りかければ、老婆は静かな視線を返してきた。
 夕暮れ。
 それは暮れる陽を背に、椅子で寛ぐ彼女を思い出させる光景。
 だからこそこうして彼女はあのときの姿のまま出てきてくれた。主人が穏やかな姿であるのは、その印象が強いからだ。
 だが、きっとその姿も怪異によって歪められてしまう。
 それでも構わぬと思ってワンは此処に訪れた。自分の存在は彼女の在りし日の理想を写したもの。そして、その願いを叶える為に生まれたもの。
 最初にそう聞かされたのをよく覚えている。
 しかしそれが何だったのかは識らない。聞いてもはぐらかされるばかりで、結局は聞けず終いに死に別れた。
 たったひとりで遺されてしまった。
 だからこそ、ワンはずっとその目的の為にあの人のように――今、目の前にいる彼女としてあらねばと思っていた。
「……御主人」
 もう一度、そっと呼ぶ。
 彼女はゆっくりと瞼を瞬いた後に微笑んだ。しかし、そのとき唐突にワンの耳に硝子が割れていくような音が届いた。
 はっとして周囲を見渡せば、穏やかだったはずの夕暮れの景色が罅割れている。
 これが怪異の引き起こす異空間への道だと察したワンは身構えた。
 それでも、彼女からは決して目を離さない。
 お逢いしたかった。自己満足でも、もう一度――。
 それゆえにこの先にどんな言葉を掛けられようとも耐えてみせよう。そんな覚悟がワンの裡に巡っていた。
 そうして、二人を包む世界は怪異によって塗り替えられていく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ジェイ・バグショット
亜麻色の穏やかな天使の少女
クィンティ…。

過去に囚われていると言ったらその通り
アイツはもう居ないのに、こうしてオブリビオンを利用して何度もその姿に逢いに行く
…最低だろ?なァ。

"逢いたい"と願う少女は幼い頃から孤児院で一緒に育った血の繋がらない家族
弄れた俺とは違い、穏やかで優しく温かいオラトリオの聖者

ジェイ、今日は何をする?
あのね、綺麗な場所を見つけたの。
眠れない?子守唄を歌ってあげる。

ねぇ、助けて
どうして…やめて、怖いよ
殺さないで…ジェイお願い…

本当のお前は俺を責めたりしないと知っている
だからこれは俺の願望
…お前は俺を責めて良いんだ。
俺が、助けられなかった…。
巻き込んだのも全部俺のせい。
だから、



●真の望み
 夕暮れに懐うのはひとりの少女のこと。
 薄く細い陽が足元を照らす様を見下ろし、鉄塔を目指す。
 ジェイ・バグショット(幕引き・f01070)は自分が歩く度に揺れる影から視線を外した後、己について思う。
「……最低だろ? なァ」
 誰もいない虚空に向けてジェイは独り言ちた。
 過去に囚われている。
 己を評するならば、その言葉通りだ。
 アイツはもう居ないのというのに、自分はこうしてオブリビオンや魑魅魍魎、怪異を利用して何度もその姿を確かめに逢いに行く。
 人は何をしていても過去を忘れていくという。それゆえに記憶が薄れぬようにこんなことを続けているのかもしれない。
 ジェイが思うのはいつだって同じ、亜麻色の穏やかな天使の少女。
「クィンティ……」
 鉄塔の下に辿り着いたジェイはその名を呼ぶ。
 ただ、逢いたい。
 理由など連ねなくとも、その思いだけで己が突き動かされている気もする。
 彼女は家族だ。幼い頃からずっと一緒に孤児院で一緒に育った血の繋がらない相手であっても、確かな家族だと想っている。
 自分とは違って彼女は優しく、温かい雰囲気を纏う子だった。
 彼女の周りにはいつも光が満ちていた。聖なる力を持って生まれたからだけではない、少女自身も光のように微笑んでいた。
『ジェイ、今日は何をする?』
 思い返す。
『あのね、綺麗な場所を見つけたの』
 思い出す。
『眠れない? 子守唄を歌ってあげる』
 彼女の声も言葉も忘れていない。だが、日々を過ごせば過ごすほどに記憶は遠く、手を伸ばしても掴めないものだと実感してしまう。
『――ねぇ、助けて』
 同時にもうひとつの記憶を思い返した。幻影の中で彼女を殺したことを。それ以前の記憶もまた、ジェイの裡に巡っている。
 脳裏に過ぎった言葉から続いた記憶は敢えて封じ込めた。
 いずれ、この夕暮れの中に潜む怪異が彼女の姿を映し出してくれるだろう。確かな質量のある、記憶のままの彼女として――。
 そうして怪異は例に違わずクィンティの存在を歪めてしまう。だが、それこそがジェイの狙いでもあった。
 しかし本当の彼女は決して自分を責めたりしないと知っている。
「これは俺の願望だ。……お前は俺を責めて良いんだ」
(――俺が、助けられなかった……だから、)
 あのことに巻き込んだのも全て自分のせいだと理解していた。
 やがてジェイは顔をあげる。
 其処には記憶と違わぬ姿のままの少女が立っていた。翼に夕陽が射し、その瞳にも薄い橙色が映っていた。
「クィンティ……」
『…………』
 腕を伸ばせば触れられそうな距離。ジェイはもう一度、彼女の名を呼んだ。
 少女は何も答えない。その代わりに周囲の景色が歪み、奇妙な音が響いた。これが異空間に誘われる合図のようなものだと気付いたジェイは覚悟を決める。
 そして――夕闇は二人を連れてゆく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント
この後を考えると気が重いが、これも仕事だ
怪異と遭遇する条件は、逢いたい人のを呼ぶ事…

思い浮かべるのは、ハンドガン・シロガネの前の持ち主
昔、一人で放浪していた俺を助けて拾ったお人好し
人当たりの良い優男だったが腕は確かで、銃の扱い方は頼み込んでこの人に教えてもらった
“子供が戦うのは良くない。…とはいえ、この世界で生きる為には必要かもしれないね”
そんな風に頭を撫でながら言うから、子供扱いするなと反発したものだった
…当時十代半ばの俺からすると随分大人に見えたが、そろそろ追いついてしまうな

癖のある栗色の髪、落ち着いた声、今でも鮮明に思い出せる
死んでしまった逢いたい人を、緊張を抑え呼んでみる
「…ユリウス」



●銃と絆
 黄昏の怪異。
 それは逢いたい人を呼び出す代わりに、その存在を歪めてしまう。
 おそらく取り込んだ人間から生命力や気力といったものを奪い、自らの糧にして成長することが件の怪異の行動理由なのだろう。
 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)はそのように想像し、現場に向かう。
「この後を考えると気が重いが、これも仕事だからな」
 これから行うことと、その先で起こることに考えを巡らせたシキは思い返す。
 怪異と遭遇する条件。
 それは逢いたい人の名前を呼ぶことだ。
 そうして、裡に浮かべるのは――ハンドガン・シロガネの前の持ち主。それは今もシキが愛用している銃である。
 これは昔、一人で放浪していたシキを助けて拾ったお人好しの持ち物だ。
 彼は人当たりの良い優男だったが腕は確かだった。シキが今も戦闘で用いる銃の扱い方は、当時に頼み込んで彼に教えてもらったものだ。
『銃の扱いを教えろって? 子供が戦うのは良くないんだけどな』
 今もあのときの言葉を覚えている。
 困ったように笑った彼は少し考えてから、こう告げた。
『……とはいえ、この世界で生きる為には必要かもしれないね』
 そんな風に頭を撫でてくれた。
 だが、当時は子供扱いするなと反発したものだった。今思えば随分と生意気盛りだったと自分でも感じる。
「懐かしいな」
 シキは思わずそのような感想を言葉にしていた。
 当時十代半ばの自分からすると彼は大人に見えた。だが、そろそろ歳も追い付いてしまうのだから時が経つのは早い。
 シキはそっと息を吐き、意を決した。
 もうすぐ其処は鉄塔の下だ。その場所で名前を呼べば記憶から幻影がつくられる。
 癖のある栗色の髪。
 落ち着いた声。今でも鮮明に思い出せる、彼――死んでしまった逢いたい人。
 緊張を抑えながら、シキはその人を呼ぶ。
「……ユリウス」
 その瞬間、夕陽に照らされていたシキの影の隣に誰かが現れた。
 はっとしたシキが隣を向くと、其処には記憶のままの彼が佇んでいる。あの日から背が伸びたから視線が近い。
 もう大人と子供という関係ではないことが不思議にも思えた。
 何と声をかけようか。
 そう考えている最中、シキと彼の周りで硝子が割れるような音が響き渡った。
 気が付いたときにはもう景色が変わりはじめていた。此処から異空間へと移動させられるのだと察したシキは、そのまま歪みに身を委ねることにした。
 何が起こっても構わないと決意しながら――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ユヴェン・ポシェット
『ミエリクヴィトゥス』
俺が子ども頃…ユヴェンでなかった頃に森の奥底で出逢った聖獣。白く大きな身体に、優しい新緑をうつした様な瞳。
あの場所とアンタが、あの時唯一の安らげる場所だった。
アンタはいつも言っていたな、
「小僧、お前は人の子らと遊べ。一緒に居るべきは私ではないだろう」と。
俺は聞こうとしなかった。
ミエリは…ああ言っていても決して俺を拒絶することは無かったから、その優しさに甘えてしまっていたな。…愚かだったんだ。
アンタと会っていることが、人に知られ、それでもミエリの側にいる事を望んだ。
…俺が望んだから、全てが燃えてしまった。灰に、なった

優しい場所、優しいミエリ
すきだったんだ…なによりも。



●優しい瞳
 歩くのは見慣れぬ街の景色。
 それであっても夕陽の色はどの世界であっても変わらない気がした。
 電柱に閑静な家々、鉄塔。それらを瞳に映しながら、ユヴェン・ポシェット(Boulder・f01669)は歩を進めていく。
 そうして、辿り着いた鉄塔の下は静かだった。
 この場所で名前を呟けば、黄昏の怪異が動きはじめる。逢いたい対象に間違いなく逢えると聞いてユヴェンが思い出したのは、人ではなく――。
「ミエリクヴィトゥス」
 こうしてちゃんと名前を口にするのも久方振りだ。
 その名の主はユヴェンが幼い頃に出逢った獣だ。まだ、ユヴェンという呼び名ではなかった頃、森の奥底で邂逅した聖なる獣。
 白く大きな身体。優しい新緑をうつしたような瞳。
 その姿は今でも忘れない。
 まだ子供だった自分にとっては、あの森とミエリクヴィトゥスの存在だけが大切なものだった。唯一の安らげる場所だったと言っても過言ではない。
 懐かしいな、と呟いたユヴェンは眼を閉じ、聖獣のことを深く思い返していく。
「アンタはいつも言っていたな」
 懐かしい声を思う。
 確か、あのときはああ言っていたはずだ。
『小僧、お前は人の子らと遊べ。一緒に居るべきは私ではないだろう』
 しかし当時の自分は聞こうとしなかった。
 厳しい口調ではあったが決してユヴェンを拒絶することはなかったからだ。幼いユヴェンはそれを感じ取っており、ずっと森に遊びに行っていた。
「ミエリ……すまなかった」
 自然に謝罪の言葉が口を衝いて出る。
 愚かだった。あの優しさに甘えてしまったことでどうなるか考えもしなかったのだ。
 いつだったか、聖獣と会っていることが人に知られた。それでも自分はミエリクヴィトゥスの側にいることを望んでしまった。
 過去を思うユヴェンの眉間に皺が寄る。思い出したくはないが、ミエリクヴィトゥスを思うならば決して避けられはしない記憶だ。
「……俺が望んだから、」
 全てが燃えてしまった。
 灰になった。あの美しい森も、白い体躯も、新緑の眸さえも。色を失い、今は記憶の中だけに存在するものになってしまった。
「優しい場所、優しいミエリ」
 いつしか俯いていたユヴェンは懺悔めいた言葉を落とす。
 すきだった。傍にいたかった。
 なによりも、大切だったのに。
 だからこそ逢いたかった。怪異に頼ることになろうとも――。そうしてユヴェンは瞼をひらいた。自分のすぐ側に何かが現れた気配がしたからだ。
「……ミエリ?」
 其処には記憶と変わらぬ優しい聖獣の姿があった。
 思わず手を伸ばそうとしたそのとき、ユヴェン達の周辺の景色が罅割れる。甲高い音が響いていく中、ユヴェンは悟る。
 ああ、異空間に連れていかれるのだ、と――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

姫城・京杜
死んじまったけど逢いた人
それは…俺が死なせてしまった、あの人

そういやあの日以来、一度も呼んでない気がする
一緒に居た時は毎日呼んでたのにな…
鉄塔の下で、あいつの名を久々に口にする

あの日は雨が降っていて
俺が初めて予知した日
俺が転送した先で…あいつは殺された
守りたいって思ってた人だったのに
…俺のせいで、あいつは死んじまった

俺もその時一緒に死のうとしたけど
あいつの友だった今の主に助けられて、今がある
けどな、一度だって忘れてねェ
死んだあいつの顔と、殺した奴等の事
何より俺は…今でも、自分を許せねェ

懐かしい顔や姿
…今の主の事、命を懸けて守りたいのに
けど、こいつにはその権利があるから
「…俺の事、殺してくれ」



●贖い
 夕焼けは妙な気分を連れてくる。
 確かに美しい景色だ。しかし、それ以上に何か不穏な気持ちが湧き起こるような色彩が目の前に滲んでいる。
 ――死んでまった、けれど逢いたい人。
 姫城・京杜(紅い焔神・f17071)が思いを馳せるのは、あの人だ。
(俺が死なせてしまった……)
 思いと共に過っていくのは後悔ばかり。
 思い出したくはないが、忘れることなど出来なかった。思えばあのときから一度たりとも名前を呼ばなかった気がする。
「おかしいよな、一緒に居た時は毎日呼んでたのにな……」
 しかし、たとえ呼んだとしても応えてくれない。相手が応えたくともそれが出来ないと分かっているから呼ばない。
 当たり前のことではあるのだが、それすら今は心苦しい。
 何故なら、黄昏の怪異の話を聞いたことでまた呼びたいと思ってしまったからだ。
 鉄塔の下で京杜は暫し空を見上げていた。
 本当にあいつが現れるのなら、と想像しては溜息を零す。会いたくないわけでも、覚悟が出来ていないわけでもなかった。
「……呼ぶしかないか」
 京杜は意を決し、その名を口にする。
 久々だ。名前を紡ぐときに自分でも気付かぬまま戸惑っていたのか、声が微妙に掠れてしまった。自嘲混じりの笑みを浮かべ、京杜は肩を竦める。
 そうして、あの日を思い出してゆく。
 あのときは雨が降っていた。
(俺が初めて予知した日。俺が転送した先で……あいつは殺された)
 守りたい。
 そう思っていた人だったのに守れなかった。
(……俺のせいで、あいつは死んじまった)
 酷く後悔した。自分もそのときに一緒に死のうともした。けれどこうして此処に立っていることが示すのは、死ねなかったということ。
 今の主に助けられて、今がある。
 生きていて良かったと思うことは多々あった。だが、それとこれとはまた別の感情なのだとも感じている。
「けどな、一度だって忘れてねェ」
 死んだあいつの顔。殺した奴等のこと。忘れて封じることなどするものか。
 そして何より、京杜今でも自分が許せないと想っている。拳を強く握り、顔をあげた京杜。その目の前で影が歪んでいく。
 はっとしたときにはもう、京杜の前に求めた人が現れていた。
 懐かしい顔に姿。
 死ぬ前に見たあの表情。死の未来など知らなかった時の、あの人だ。
 今の主のことを命を懸けて守ると誓っている。だが、目の前の人物にはその権利があるのだと京杜は思っていた。だからこそ、告げる。
「――俺の事、殺してくれ」
 京杜がその言葉を紡いだ次の瞬間、周囲の景色が不可思議に揺らいだ。
 異空間に連れて行かれるのだろう。
 そう感じたとき、京杜達を取り巻く景色の彩が歪んでいった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ユウイ・アイルヴェーム
あの子は、私の夕焼け
ユウイを染めた、はじまりの光
私を作った、太陽なのです

私はあの子ですが、あの子は私ではないのです
あの子は生きていたのです、あの夕焼けの中、確かに
私はその記憶をもって、うまれてきた、のです

あの子は、何も持たないままいなくなってしまいました
未来のためにと、決められたように歩き、決められた終わりを受け入れて
笑うこともできないままだったのに
知らないことが、手に入らなかったものが、たくさんあると知っていたのに
優しい子だったのです、とても

ユウ、私は、幸せな姿を見たい
この体でユウを映すしかできなかったけど
できなかったことを、してみたかったはずのことを、してほしかったことを、少しでもできた?



●夕焼けにふたりきり
 目映い光。眩しい光。
 朝焼けであっても、昼間の陽であっても、夕暮れであっても、それは同じ太陽。
 ユウイ・アイルヴェーム(そらいろこびん・f08837)は空から射す茜色の陽を眺め、『あの子』のことを思う。
「……私の夕焼け」
 彼女はユウイを染めた、はじまりの光。
 そして自分自身を形作った、太陽なのだとユウイは思っている。影の中にいれば形は見えない。けれども其処にひとたび光が差せば、闇は晴れる。
 ユウイは件の怪異が現れるという鉄塔を目指してゆっくりと歩いていく。
 あの子と私。
 考えるのは自分との関係。
 私はあの子であっても、あの子は私ではない。それはユウイにしかわからない不思議な関わりのかたち。
「あの子は生きていたのです、あの夕焼けの中、確かに」
 そしてユウイはその記憶を持ってうまれてきた。それゆえによく知っている。あの子が自分を知らなくても、ちゃんと分かっている。
 その代わりにあの子は何も持たないままいなくなってしまった。
 未来のために。
 希望を騙る、言葉だけは綺麗な決まりごとがそうさせた。決められたように歩き、決められた終わりを受け入れたあの子。
 あの子は笑うこともできないままだったのに終わりを迎えた。
 悲しいとすら思えなかったのかもしれない。
 知らないことが、手に入らなかったものが、たくさんあると知っていたのに。ただ、未来の為だと感じていた。
 とても、とても優しい子だった。
 だからこそあの子自身が未来に生きられないことが苦しい。この感情を本当にそう呼ぶのかはわからないけれど、当てはめるならばきっとそうだ。
 いつしか、夕闇の色が濃くなってきた。
 歩いてきた道筋を振り返ったユウイは辺りに誰もいないことを確かめる。そうして、頭上の鉄塔を振り仰いだ。
 夕陽の色はあの子に似ている。だから、呼ぼうと決めた。
「ユウ、私は、幸せな姿を見たい」
 ――ユウ。
 それが今のユウイが逢いたい、あの子の呼び名。
 この体でユウを映すしかできなかった。けれども、その代わりになれるようにこれまでずっとやってきた。
 記憶の中の彼女を呼ぶだけだと分かっていても、逢いたかった。
「ユウ、私は……あなたができなかったことを、してみたかったはずのことを、してほしかったことを、少しでもできた?」
 聞いてみたかったことを口にしたそのとき、ユウイの隣に影がひとつ増えた。
 気配に気付いたユウイは視線を下ろす。
 そして、もう一度呼ぶ。
「……ユウ?」
『…………』
 答えはない。しかし、それでも確かにその子は彼女だった。
 隣同士、佇む少女達。
 その周囲に渦巻く奇妙な夕暮れの色彩が歪み、ふたりを異空間にいざなった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

華折・黒羽
ずっとあなたを探していた
ずっとあなただけを探していたんだ

あなただけが心をあたため寂しさを埋めてくれた
前に進む強さをくれた

でも今胸の裡にあるのは
あなたへの灯を囲む様に燈っていく色違いの灯
守りたい人達が、強くなりたい理由が増えたんだ

戦争を経て自覚した思いと決意
決めたよ
“あなたの今を確かめる”事

死んでない
どこかで生きているはずだと
言い聞かせ歩んできた

でも、それじゃ駄目、なんだよな…?
いつでも正面から俺を受け入れてくれたあなたの様に

…朔様

名を呼ぼう
あなたの名を
舞い散る桜の中で笑った姿を思い出しながら

揺らめく夕暮れ彩
目逸らさずに見続ける
歪んで現れた姿

──ああ、忘れるわけもない

思い出と同じ笑顔に
零れた、涙



●真実
 滲む日暮れの色彩は妙に心を掻き立てる。
 暮れゆく夕焼け空を見上げ、華折・黒羽(掬折・f10471)は裡に巡る思いを秘める。
 ずっとあなたを探していた。
 ずっとあなただけを探していたんだ。
 言葉にはしない思いが今も胸を衝く。ずっとあなただけを思って此処まできた。
 ぬくもりも、いとしさも、しあわせも。自分をかたちづくる全てをくれたひと。
 夕陽を眺めて懐うのは、ただひとり。
 あなただけが心をあたため、寂しさを埋めてくれた。前に進む強さをくれた。
 これまでは、唯一だった。
 きっとこれからも代わりは現れないだろう。
 それでも今、胸の裡にあるのはその灯を囲む様に燈っていく色違いの灯。
 黒羽にとって、守りたい人達が増えた。強くなりたい理由が増えたのだということを自身でもよく理解している。
 先の戦争を経て自覚したのは、思いと決意。
「――決めたよ」
 黒羽はしっかりと言の葉を紡ぎ、揺るぎない思いを胸に抱いた。
 それは、“あなたの今を確かめる”ということ。
 ずっと信じてきたのは、あなたが死んでいないという希望。必ずどこかで生きているはずだと自分に言い聞かせてきた。
「でも、それじゃ駄目、なんだよな……?」
 本当は心の奥底で気が付いていた。その希望は虚しさを募らせるだけでしかないと。光を求めようとして、闇に歩いていくだけだったことも解っていた。
 だから今、決めた。
 いつでも正面から自分を受け入れてくれたあなたのように、全てを受け入れよう。
 そして、黒羽はその名を呼ぶ。
「……朔様」
 あなたの名前をこうして口にするのは何時振りだろうか。
 以前にもたしか呼んだ記憶がある。それでも、普段はずっと自分の裡に秘めたままだった。それを今、願いと贖いを込めて呼ぼう。
 他の誰でもない、あなたの名を。
 舞い散る桜の中で花のように笑った姿。その微笑みが咲くだけでとても幸せな気持ちになったことを、思い出しながら。
 儚くも強い。
 朔という字が相応しいひと。
 黒羽は暫し夕暮れの彩を見つめていた。揺らめく影は自分だけのものだった。
 だが、それを目逸らさずに見続けると――長く伸びた影が歪み、もうひとつの影が重なっていく。それが他でもない、あなたのものだと気が付いたとき、視界が滲んだ。
 ――ああ、忘れるわけもない。
 黒羽は自分の頬に雫が伝っていくことを感じた。
 思い出と同じ笑顔。
 記憶と変わらぬ凛とした佇まい。
 地面に零れ落ちた涙を止めることはしなかった。何故なら、嬉しかったから。それと同時に確かめることが出来たからだ。
 黄昏の怪異は、死んでしまった相手を呼び出す。そういうこと、だから。
「朔様」
 ふたたび、その名を呼ぶ。
 逢いたかった。ただ、逢いたかった。どのような言葉を掛けられようとももう一度だけ逢いたくて仕方がなかった。
 眦から溢れる雫を拭わぬまま、黒羽は朔を見つめる。
 そんなふたりの周囲が色濃い夕闇に包まれ、更に歪んでいった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
……いいわ。お仕事だもの。
未だ誰も殺していないなら、否やは無い。

真っ直ぐ鉄塔まで。
要件は聞いていて、判っているけれど。
この後に起こることだって判っているから、口に名を上すには躊躇うのよ。
でも、……そう。そうね。
始末を付けるなら、あたしだけの思い出を。

ねえ、師匠。

大きな手。男物の着物。今も柄を憶えている。
十年前も、いまも。見上げるほどおおきくて。
見上げた先にある、欠けた角。刀傷。
この世界に来る前に、後ろをついて歩いていたひと。
この世界にはいないひと。
……もうこの世にだって、いないひと。

師匠。先代。……――あなたのなまえを。あたしは。
あたしは結局、生きているうちには一度だって呼べなかった。

“黒耀”



●耀の字を持つ者
 UDCの討伐及び、UDC-Pの確保。
 それが此度、この夕暮れの下で行うことになる組織から与えられた任務だ。
「……いいわ。お仕事だもの」
 花剣・耀子(Tempest・f12822)は件の鉄塔を目指して歩く。閑静な住宅街を抜けて暫く歩けばあの塔の下に到着する。
 さほど時間も掛からないだろうと感じた耀子は真っ直ぐに歩く。
 UDCはただ斬るだけ。
 だが、Pにあたる存在が未だ誰も殺していないなら否やは無い。それゆえに助ける選択肢は十分にある。寧ろ組織が求めているのならば最優先で保護する心算である。
 だが、少し問題があるとすれば怪異の呼び出し方だ。
 要件は聞いている。理解もしている。
 この後に起こることだって判っているからこそ、躊躇う。他を救うために自らが傷つくのは構わない。これまでだってそうしてきた。
 されど今回は自分だけではない気がする。故に口に名を上すのは憚られる。
「でも、……そう。そうね」
 耀子は首を横に振った。穢してしまうような感覚があったが、所詮はそれも自分の一部ということになるのだろう。
 ならば――始末を付けるなら、あたしだけの思い出を。
 心の中で自分なりに納得した耀子は鉄塔の下で立ち止まる。見上げた塔は夕陽の所為で昏く見え、まるで影の化け物のようだった。
 しかし耀子はそんなことは何とも思わない。揺らがぬ瞳で塔の上から真下までを眺め、自分以外には誰もいないその場で、彼の人を呼ぶ。
「ねえ、師匠」
 そうして、こうすると良いと言われていたように記憶を思い返す。
 大きな手。男物の着物。
 今も柄を憶えている。自分にとっては彼の人を印象的付ける柄だったからだ。
 十年前。それから、自分が成長した今もそうだろう。見上げるほどおおきくて――他の誰とも見間違えるはずのない特徴があった。
 少し前に里帰りをしたときにもふと思い出した。記憶の中の懐かしい風景を視たときも、彼の人がいた場所に駆けていこうかと不意に過ぎった。
 この世界に来る前。
 その後ろをついて歩いていたひと。この世界にはいないひと。
 そして――もうこの世にだって、いないひと。
 どれだけ探しても見つからないと知っているから、自分は彼処に留まった。
 師匠。
 先代。
 呼び名はたくさんある。
「でも……――あなたのなまえを。あたしは、」
 結局、生きているうちには一度だって呼べなかった。呼べていたら何かが変わっていたかというと、きっと何も変わりはしなかっただろうけれど。
 ねえ、ともう一度だけ呼び掛ける。
 それから耀子は絞り出すような声で、その名前をそっと紡ぐ。

 “黒耀”

 その瞬間、耀子の前におおきな影が形作られていった。
 見上げた先に見えたのは欠けた角。そして、刀傷。間違いない、と感じたそのときにはもう耀子の周囲で黄昏が揺らぎはじめていた。
 そして――耀子は罅割れてゆく景色を見つめながら、自分なりの覚悟を決めた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロカジ・ミナイ
逢いたいのは、僕の妹なんだけど
ああ、そうさ、今はその辺で猟兵やってる、死んだはずの妹
そう…生きてるっちゃ生きてるんだけども…

確かにあの子は死んだ
しばらく後に確かめた時もちゃんと死んでた
僕のせいでお前の結末が不幸なままだったことを
どうして受け入れられようか
だから魂まで大事に掬って、身体に収め直したんだもの
この手で
幸せに向けて生き直せるように

…幻影なら逢えるよね
死んだままでいるはずだったあの子に
我儘で気分屋で自分以外を可愛がれない
気に入らなければ物でも人でもなんでも壊す
髪が長くて、座ったままの、とても綺麗なあの子だ

死んだままのお前は永遠に哀しい少女に違いない
そうだろう?

蝶朱 蝶朱
路橈が来たよ



●蝶に続く路
 黄昏時は心淋しい。
 夕焼けの色に染まった路地はどうしてか、そんな思いを連れてくる。素直に綺麗だと感じる思いもあるというのに夕暮れ時は不思議だ。
 ロカジ・ミナイ(薬処路橈・f04128)は夕陽に照らされた鉄塔を目指す。
 其処には怪異がいる。
 逢いたい人と聞かれれば、思い浮かぶのはあの子のこと。
「妙な存在に頼るのも、僕らしくはないっちゃないんだけどね。でも……」
 自分らしさなど何処にでも遣ってしまえばいい。
 妹のことになるとそう思える。
 嘗て、心臓のひとつ分け与えた存在。今だってその辺で猟兵をやっている死んだはずの妹。生きているといえば生きているのだが――違うんだ、とロカジは首を振る。
 確かにあの子は死んだ。
 しばらく後に確かめた時もちゃんと死んでいた。
 妹の魂は在る。
 だが、嘗ての身体は其処にはない。だからこそ、あの頃の君に逢いたい。
 もう二度と触れられない、見ることが出来ないものに焦がれることこそヒトの性。妖狐であっても同じだ。心を持つ者という意味ではヒトと変わらない。
(僕のせいでお前の結末が不幸なままだったことを、どうして受け入れられようか)
 溜息をつきそうになって止める。
 ロカジは自分が鉄塔の下に到着していたことに気が付いて立ち止まった。
 魂まで大事に掬って、身体に収め直した。
 この手で、幸せに向けて生き直せるように。それでも今の彼女ではなく、過去を求めるのは不遜なことなのだろう。
 ロカジは暫し、移り変わっていく夕暮れの景色を見つめていた。
 雲はひとつもなかった。
 それゆえにゆっくりと色を塗り替えられていく空の色がよくわかる。昼間の名残を残していた薄青の空はいつしか消え、仄かな茜色が色濃い橙に染められていった。
 しかし、いつまでもこうしていては時が過ぎる。
 宵の色が訪れてからでは遅いのだとして、ロカジは頭を振る。
「……幻影なら逢えるよね」
 死んだままでいるはずだったあの子に、きっと。
 そう考えたロカジは嘗ての彼女を思い返していく。
 我儘で気分屋で、自分以外を可愛がれない娘だった。
 気に入らなければ物でも人でもなんでも壊したし、不機嫌を貫き通した。容れ物としての彼女とは違う。髪が長くて美しくて、座ったままでもとても綺麗だった、あの子。
 死んだままのお前は永遠に哀しい少女に違いない。
 そのように考えたロカジは、虚空に向けて問う。
「そうだろう?」
 ねえ、と呼び掛けたロカジは静かに意を決し、その名を呼ぼうと決めた。
 夕闇が色濃くなっている。
 長く伸びた影がゆらゆらと揺れていた。
 そして――。
「蝶朱 蝶朱 路橈が来たよ」
 その呼び声に応えるかのように、ロカジの傍で影が蠢いた。
 それが黄昏の力なのだと気付いたそのとき、彼の前に長い髪の少女が現れる。視線が交差し、影が更に揺らぐ。
 やあ、とロカジが片手をあげれば、少女は此方を一瞥した。
 そうして、次第に夕暮れの世界が歪む。過去の幻影を呼び出した代償としての力がロカジの周囲に渦巻いていった。
 
 
 異空間へと誘う怪異。
 その力は未だ杳として知れず――それぞれの記憶を映した影が、妖しく揺らめく。
 そんな中でひとつ、まあるい夕陽の形をした怪異が不安そうに揺れていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 集団戦 『黄昏』

POW   :    【常時発動UC】逢魔ヶ時
自身の【黄昏時が進み、その終わりに自身が消える事】を代償に、【影から、影の犬などの有象無象が現れ、それ】を戦わせる。それは代償に比例した戦闘力を持ち、【影の姿に応じた攻撃方法と無限湧きの数の力】で戦う。
SPD   :    【常時発動UC】誰そ彼時
【破壊されても一瞬でも視線を外す、瞬きを】【した瞬間に元通りに修復されている理。】【他者から干渉を受けない強固な時間の流れ】で自身を強化する。攻撃力、防御力、状態異常力のどれを重視するか選べる。
WIZ   :    【常時発動UC】黄昏時
小さな【懐古などの物思いにより自らの心の内】に触れた抵抗しない対象を吸い込む。中はユーベルコード製の【黄昏の世界で、黄昏時の終わりを向かえる事】で、いつでも外に出られる。

イラスト:猫背

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●黄昏は君を呼ぶ
 夕暮れの中で、きみは逢いたい者の名前を呼んだ。
 本名であったり、呼び名であったり、自分だけしか知らぬ名であっただろう。
 そのひとを想ったきみの前にはそのものが現れた。
 そうしてきみの周囲は罅割れ、揺らぎ、これまで見ていた景色とは違うものになる。
 
 其処は懐かしい風景かもしれない。
 或いは遠い記憶に封じられていた場所かもしれない。
 もしくはもっと別の場所であったり、これまでいた場所と似た風景かもしれない。
 だが、共通しているのは『黄昏の景色』であるということ。
 それは変わらず、揺らぎはしない。何故ならきみがいる場所は怪異の『黄昏』が生み出した場所であるからだ。
 
 きみの目の前、或いは隣や近くには逢いたかった者がいる。
 触れることもできる。
 言葉を交わすことだって叶うだろう。
 しかし相手はこれまでとは違い、黄昏によって存在を歪められている。それゆえに相手は怨嗟や苦しみ、鬩ぐ感情をきみに投げかけてくる。
 きみはそれに耐えなければいけない。
 嘗ての相手では選ばないような言葉を使うかもしれない。言葉を発さずとも、瞳や態度で訴えかけてくるかもしれない。
 そして、黄昏の力がきみを肉体的にも苦しめる。
 だが、どちらにも手を出してはいけない。ただ耐え忍ぶしかない。
 きみが黄昏に誰かを呼んだように、黄昏はきみを呼ぶ。されど戦ってはいけない。そうしなければこの空間に永遠に閉じ込められてしまうからだ。
 
 痛みと苦しみ。
 大切な人と自分と夕暮れ。ただそれだけが満ちた世界。
 さあ、この状況で――きみはどうする?
 
●UDC-P
 訪れた人の数だけつくられた異空間。
 そのひとつの最中で、震えているものがいた。言葉を発せぬそれは黄昏色をしたまあるい夕日のようなかたちをしている。
 それこそが此度、保護すべきUDC-Pの黄昏だ。
 彼は誰かが連れられた異空間の中に巻き込まれている。どうして他の黄昏が苦しい言葉を選ばせるのか分からぬまま、戸惑っているようだ。
 もしきみが誘われた空間に彼がいるなら、どうか守ってあげて欲しい。
 彼はきっと、やさしい心を持っているのだから――。
 
雲烟・叶
記憶はもう遠い
歩く事すら覚束無かった己に多くを教え愛してくれた
胎を壊し子を望めなかった元遊女の老女は己を毎日抱き締め髪を撫で、雲烟と銘を呼んでくれた
彼らは子供が呪物だなんて知らなかった
子供も己が人を害するしかない物だなんて知らなかった

無差別の呪詛に理性を削られ疑心暗鬼に陥り正気を失い、子供が呪物だと知らぬ内にお互いで殺し合い死んだ

悍ましい
お前なんて拾わなければ
あの人を返して
彼女を返せ
お前のせいで

どうせ仮初の肉体は死なない
傷は意外と痛くはない
声も、贋物だから、思ったよりは痛くない
憎悪に歪んだ顔でも、怨嗟の声でも

……久し振りにちゃんと思い出せました、おふたりのこと

抵抗もせず幸福そうに微笑んでやった



●その言の葉は、
 夕焼けが揺らいでいる。
 しかしその景色はこれまで立っていた場所とは違う場所だ。
 この場所が何処だとは言えない。何とも判断出来ぬところであり、得体の知れない雰囲気が満ちているだけ。その最中にひとつ、丸い何かが浮かんでいる。
 夕暮れの中の夕日と呼ぶに相応しいだろうか。
 叶は不安げに浮かんでいる丸い夕焼け――おそらくUDC-Pであるものの前に立つ。じっとしていてください、という意思を示した叶は目の前を見据える。
 
 其処には変わらず二人が立っていた。
 記憶はもう随分と遠い。それでも朧気には分かる。思うのは彼らと過ごした日々。忘れはしなかったが、これまで敢えて思い出そうとはしなかったこと。
 歩く事すら覚束無かったあの頃。
 自分に多くを教え、愛してくれたことは今だからこそよく分かる。
『――悍ましい』
 老婆が口惜しげに呟き、叶を昏い瞳で見つめた。
 叶は彼女を見遣る。胎を壊し、子を望めなかった元遊女。それがかの老女だ。彼女は毎日、自分を抱き締めて髪を撫で、雲烟という銘を呼んでくれた。
『――お前なんて拾わなければ』
 次は老人が物々しく語る。あの頃とは違う声色だ。
 彼らは子供が呪物であることなど知らなかった。知っていたら拾わなかったのかと聞かれても、それは彼らにしか分からないが――。その子供もまた、己が人を害するしかない物だとは知らなかった。
 二人は注いだ愛情を仇で返されることとなる。
 子供に、もとい叶に宿っているのは無差別の呪詛。災害級の力だ。周囲にいれば理性を削られ、疑心暗鬼に陥る。最期には正気を失い、互いに殺し合った。
『あの人を返して』
『彼女を返せ』
 老人と老婆は今の叶を睨みつけながらそれぞれにそんなことを語る。
 子供が呪物だと最期まで知らなかったというのに。
 そんなことを言うはずがないと叶は知っている。しかし今、黄昏の力は叶の記憶を読み取って、彼らの幻影にそうさせていた。

『――お前のせいで』

 二人の声が重なった。
 知り得ぬことを知る彼らが偽物でしかなく、ただのまやかしなのだと分かる。されどその間に黒い影の犬が叶に襲いかかってきた。
 牙を剥き、鋭い爪を振るうそれらが駆けてくる。鋭い痛みが身体に巡ったが叶は抵抗しなかった。どうせ仮初の肉体は死なず、気にするほどでもない。それに、想像していたよりも随分と弱い。こんなものか、とすら感じられた。
 この痛みも、声も、贋物。
 そう思えばこそ、意外に痛くはないものだ。
 憎悪に歪んだ顔も、怨嗟の声も、違う。記憶の奥底ににあるのは優しい声と笑顔。子供を愛してくれた二人の記憶が裡に次々と浮かんでくる。
 それゆえに叶は決して黄昏の攻撃に怯まなかった。もとより畏れなどしていないのだから当たり前でもあり、屈せず立ち続ける意志もあった。
 それに加えて、もうひとつ戦わぬ理由がある。
「……久し振りにちゃんと思い出せました、おふたりのこと」
 普段は思い返しもしない遠い記憶。それが今こうしてありありと思い出せる。目の前の存在が有り得ないからこそ、本当の二人の姿が分かった。
 抵抗せず、苦痛も見せてやらない。
 叶は背後に守る丸い夕焼けを庇いながら、幸福そうに微笑んだ。
 次第に偽りの黄昏が暮れていく。襲い来る獣もいつしか存在ごと薄れていった。遠くの空が茜色から宵の世界に移り変わるにつれて二人の影が消えていくことに気付き、叶は双眸を緩く細める。
「さようなら。……お爺さま、お婆さま」
 夕暮れは別離の刻。
 あのとき、告げられなかった別れの言葉を落とした叶はそっと眼を閉じる。
 そして、黄昏の世界がひとつ消えた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ノネ・ェメ
今のキマフュではない、寧ろUDCのままの様な、何処か。


どうしてわたしなの……って、わたしも同じ科白いってくるし。そんな事いわれたって、、

どうしてわたしがこんな目に──わたし、そんな何か、酷い目に……? つらい境遇に耐え続けるが故に、ノネへもつらくあたってしまうかのような? そんな悲痛な訴えも、何にもわからないノネには、本当に聞く事しか出来ず。

何も言える理由無いまま、頭のどこか片隅でノネも重苦しく呻いてる。
わたしが亡くなった人で。ノネがここに在るのは。
わたしをもとにノネが  れて


耐えきったといえるのか……我に返った頃には終ってて。
わたしは何を。何を解りそうになったの……。

そだ、UDC-Pは……。



●知らない自分
 景色が変わった。
 それまで見えていた鉄塔が何処かに消え去ったかのように思えた。自分達――二人のノネ達は一歩も動いていないというのに、とても遠くまで来た気もする。
「どうしてわたしなの」
『どうしてわたしなの』
 ノネが思わず呟くと、一拍遅れて目の前の存在も同じ言葉を落とした。
 声は同じ。
 姿形も何も変わったところは見えなかった。
 鏡写しのようだと思ったのは変わらない。しかし、その存在がただ反転しただけのものなどではないことはノネがよく解っている。
 手を伸ばそうとしたが、触れるのが妙に憚られてしまった。すると、ノネの姿をした者が口をひらく。
『どうしてあなたが生きているの。わたしは死んでしまったのに』
「そんな事いわれたって……」
 ノネには何もわからない。自分と同じ姿の誰かが死んだという事実すら今知った。むしろ本当に死んでいるのかも不確かだ。
 その間にも周囲の黄昏が揺らぎ、ノネに苦痛を与えてくる。
 襲い来る影は獣の形を取り、ノネを傷つけようと牙を剥いた。だが、抵抗してはいけないことは言い聞かされている。
 それゆえにじっと、目の前の少女を見つめるしかなかった。
『どうしてわたしがこんな目に――』
 ノネと同じ見た目である者がよく分からないことを呟く。どういったことなのか理解できぬままだが、彼女が何かとても辛い経験をしたであろうことは感じ取れた。
「わたし、そんな何か、酷い目に……?」
『許せない。あなたがそうして生きていることが』
 苦しい境遇に耐え続けるが故にノネにもつらくあたってしまうかのようだ。
 だが、そんな悲痛な訴えも何にもわからないノネの耳を擦り抜けていくだけ。本当に聞く事しか出来ないことが妙に苦しい気がした。
 きっと言葉の幾つかは黄昏によって歪められたものなのだろう。
 この少女が本当に思っていることではないのかもしれない。それでも、面と向かって苦痛を訴えられると胸に刺さる。そして、何も言うことが出来ない。
 頭の何処か、きっと記憶の底や片隅でノネ自身も重苦しく呻いている。
「わたしが亡くなった人で」
『身体を返して』
「ノネがここに在るのは……」
『もっと生きたかった』
 苦痛が入り交じる中で、ノネと少女の言葉が交互に紡がれる。
 そうして、ノネはふと思い至った。同時に少女も同じことを言葉にした。
 ――わたしをもとにノネが『  』れた。
 それは何方が考え、何方が語った言葉なのかわからない。ただ、心を揺らがされるかのような衝撃が裡に巡った。
 その合間に影の獣はノネの身を抉るように襲いかかってくる。
 痛みが重なる。
 これが胸の痛みであるのか、傷の痛みなのかも曖昧になってきた。そうして、耐えている間に次第に夕暮に宵の色が混じってきた。
 この時間が終わる。
 それと同時に黄昏の怪異も消えていくのだろう。
『忘れないで、わたしは――』
「待って……」
 ノネの目の前にいた影はそれだけを言い残して夜の空の下で消えていった。手を伸ばしても届かず、ノネは虚空を掴む。
「耐えきった……?」
 我に返った頃には終わっていた。
 気付けば頭上には鉄塔が聳え立っており、元の世界に戻ったのだとわかる。
「そだ、UDC-Pは……」
 はっとしたノネは周囲を見渡した。
 すると其処には丸い夕暮れのようなものと一緒に立っている別の猟兵の姿があった。無事に保護されたのだと安堵したノネはそちらに駆け寄って行く。
 そんな中でノネは裡に浮かんだ思いを押し込める。
 ――わたしは何を。
 ――何を解りそうになったのだろう。
 思いは迷子のまま。きっと考えても、未だその答えが出ることはない。
 そして、夜風がそっとノネの頬を撫でていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
うつくしい金糸雀が射貫く
『あなた』は何も言わない
わたしを見映し微笑むだけ
伸ばした指さきは届かない

何故奪ったと
何故出逢ってしまったと
なぜきみだけがいきていると
なぜ、こいをしたと

嗚呼、鈴が鳴る
聲にせずともわかっている

『あなた』の眸には敵わない
こころの奥底を暴かれるよう
『あなた』からの祝愛の証も
人からのぬくもりと傷の痕も
未だ渦巻いたままわからない
けれど幾つもの痛みを識った

ふたりだけで完結していた盲目の先
心をひらけば、辿りつける気がして

出逢わなければと思ったことはない
『あなた』にこいして色をしった
ナユに世界を与えてくださったひと
わたしが伝えたい想い

ありがとう

戀心をずうと抱いたまま
わたしは今をいきていく



●戀は暮れなゐ
 朽ちた桜樹に夕陽が射す。
 斜陽と呼ぶに相応しい景色の中、石畳と懐かしい社が見えた。
 これまでいた世界とは一変した異空間の様相は七結にとっての大切な場所だ。屹度、こころに在る世界が映し出されたのだろう。
 社と桜の合間。
 七結と彼のひとは見つめあっていた。
 うつくしい金糸雀。
 眸の彩に射貫かれたようで、七結は裡に込み上げる懐いを抑える。否、抑えなくても良いのだと思って胸に当てていた手を下ろした。
 彼のひとは何も言わずに佇んでいる。
 その瞳に自分だけが映っているのだと分かり、七結は彼のひとを見つめ返した。
 微笑み、鈴の鳴るような聲が紡がれる。
 触れたくて伸ばした指先は届かず、ただ彼のひとの思いだけが伝わってくる。

 何故、奪った。
 何故に出逢ってしまった。

 言葉にされなくとも意思が解ってしまうのはどうしてかと考える必要もなかった。黄昏の中で伝えられた思いは怪異によって作り出されたものなのだろう。
 だが、姿かたちは七結だけが知っているものだ。
 その眸には敵わないと思えた。
 どんな意思を伝えられようとも七結のこころは変わらない。寧ろこの奥底を暴かれたとしても思いが揺らぐことはない。
 どんな『あなた』の思いであっても、いとおしいような気持ちが浮かんでくる。
 既に受け取った祝愛の証。
 人からのぬくもり、傷の痕。それらは未だ渦巻いたままわからないけれど――今の七結は幾つもの痛みを識っている。
 目の前に現れてくれるということは、裡なる想いが強いという徴。

 なぜ、きみだけがいきている。
 なぜ、こいをした。

 金糸雀色の眸は尚もそう語っている。
 責め立てるような雰囲気はおそらく黄昏の怪異が齎しているものなのだろう。その証拠に、七結に向けて影の獣が解き放たれている。
 まるでそれが彼のひとの拒絶だと示しているようだが、七結は敢えて痛みを受けた。
 そんなことはないと識っている。
 何故なら、本当の彼のひとは一度たりとも七結を傷つけようとはしなかった。災いの禍に成り果ててしまう前に出逢ったのだから、ちゃんと解っている。
 影獣の爪によって七結の肌が裂かれてあかい雫が地面に落ちた。ふとあの日のことが思い起こされたが、七結は頭を振る。
 互いの姿しか映っていない眸。ふたりだけで完結していた盲目の先。
 心をひらけばその先に辿りつける気がした。
「ナユはね、」
 誰にともなく七結はそっと語る。
 あなたと出逢わなければ、だなんて思ったことは一度もなかった。
「『あなた』にこいして色をしったの」
 わたしに世界を与えてくださったひとが、他ならぬ『あなた』だから。黄昏に拒絶の色を与えられようとも金糸雀の眼差しだけは真直ぐに七結を見つめてくれる。
 怖くもなければ怯えもしない。
「わたしが伝えたい想いを、きいてくださる?」
 七結は自分だけの『かみさま』に向けて、こころからの言の葉を告げてゆく。

 ――ありがとう。

 この戀心は消えない。
 暮れていく黄昏とは違って、ずうと輝き続け、沈まずに裡でひかる想いだ。
 わたしは今をいきていく。
 あなたと一緒に。あなたの力と、記憶と共に。
 想いを抱いた七結に対し、彼のひとは一度だけそうっと頷いた。それと同時にそれまで夕暮れだった世界が揺らぎはじめ、夜の帳が下りてくる。
 いつしか影の獣も、彼のひとすら消えてしまう。それでも七結はそのひとが立っていた場所を暫し見つめていた。
 僅かな黄昏のひとときでも確かに逢えた。静かな感慨が胸に満ちていく。
 そして、巡りはじめた夜は深い色を宿していった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーチェ・ムート
アドリブ◎

空虚な墓場に一つの棺
添える一輪の白百合
鮮烈な色の空
これはボクが最期に見た彼との思い出の場所

ごめん
ごめんなさい
守られてばかり
共に戦っていたらキミは死なずに済んだかもしれない

今更遅いよ
死にたくなかった

怨嗟も罵倒も当然
痛いなんて泣く資格はない
わかってる
満はこんな事言わないって
これはボクの望む罰(ゆめ)
喜んで受ける

唯一の希み
どうか聴いて
満への想いと黄昏に感謝を込めて歌いたい
満の為に作った葬送歌
一度もキミに歌った事はないんだ
白百合を手向ける事しか出来なくて

骨に人形の心は揺らいだ
なんて皮肉
涙味の棺への口付け
よく覚えてるよ

優しい黄昏よ、ありがとう
陽が沈もうと求めていた罰(かいこう)を忘れはしない



●やさしい罰
 暗転した世界は色を変えた。
 それまで見ていた夕焼けとは違った、妙に昏い黄昏の空が見える。
 ルーチェが立っていたのは空虚な墓場の最中。其処にはひとつの棺が置かれていた。棺の上には一輪の白百合が添えられている。
(これは……ボクが――)
 その光景を鮮烈に照らしているのは夕陽。
 ルーチェはこの光景が、最期に見た彼との思い出の場所なのだと察した。
 棺の前に立つ影は変わらずルーチェを見つめて続けている。幻影の彼――満の眼差しはもう、あの頃の優しいものではなかった。
 責め立てるような冷たい視線を受けたルーチェは動けなくなってしまう。
 そして、口を衝いて出る言葉は謝罪だった。
「ごめん……ごめんなさい……」
『謝れば赦されるとでも思っているのかな』
 満のかたちをした者はルーチェに厳しい言葉を投げかけてくる。思わず息を呑んだルーチェはその場に崩れ落ちそうになったが何とか耐えた。微かに足が震えている。
「違うよ、思っていない。守られてばかりのボクは……ううん、何を言っても赦されることなんてないよね」
 共に戦っていたらキミは死なずに済んだかもしれない。
 喉元まで出かけた思いを押し込め、ルーチェは彼を見つめ返した。
『今更遅いよ』
「……うん」
『死にたくなかった。代わりにルーチェが死ねば良かったのに』
「……、――」
 彼は容赦のない冷たい言葉を投げかけ続ける。その声と同時に黄昏が生み出した黒い影の獣がルーチェに襲いかかってきた。
 鋭い爪と牙が身体を裂いたが、ルーチェは強く耐える。
 影は一撃を与えると同時に霧散する存在であるらしい。しかしまた新たな影獣が満の言葉と共に紡がれていく。
『ルーチェになんて逢わなければ良かった』
 そうすれば朔とも、家族ともずっと過ごすことができたはず。もとより家族ではない者を迎え入れることなどしなければ――。
 そのような罵倒と拒絶が彼の口から落とされていった。怨嗟も当然だと思える。痛いなんて泣く資格はないとすら思えた。
(わかってる。満はこんなこと言わないし、思ったりもしない)
 もう一度、ごめんなさいとルーチェは口にする。
 これは自分の望む罰。
 そうであればいいと望んでしまった、ゆめ。
 それゆえに喜んで受けようと思えた。罪が許されることはないと知っているから、永劫の罰であっても構わない。
『ルーチェ』
 彼の声が自分を呼んでくれる。もう二度と聞けないと思っていた声で。
 黄昏にキミを呼んだから、黄昏のキミがボクを呼んでくれる。それだけで心にちいさな感情が生まれた。それにルーチェは識っている。
 この黄昏は、その人が絶対に言わないことを告げる存在だ。つまり――。
「キミは、ボクのことをたくさんあいしてくれてたんだよね」
 大丈夫。
 それが解っているから歌える。
 ルーチェは両手を重ね、その間にそっと白百合の花を抱いた。
 これは唯一の希み。
 どうか聴いて、と告げたルーチェは花唇をそっとひらいた。其処から奏でられていくのは満への想いと黄昏に感謝を込めた歌。
 これは彼の為に作った葬送歌。
 けれどもたったの一度もキミに歌ったことはない。これまでは白百合を手向けることしか出来なかった。でも、いま此処に捧げよう。
 
 君へ歌おう 骨に口付け 君へ捧ごう、花の歌。
 弔いましょう 送りましょう なき君へ どうか、届きますように。

 骨に人形の心は揺らいだ。それはなんて皮肉だろう。
 あの頃は思えなかった感情が今はこの胸の中にある。失ってから識ったことも、きっと彼が教えてくれたことだ。
 歌い続けながら責め苦に耐えるルーチェの眸からは涙が零れ落ちていた。
 いつしか、夕暮れは宵の色を孕んでいく。棺の傍に寄り添ったルーチェは間もなくこの時間が終わるのだと気付き、そっと其処に口付けを落とした。
「よく覚えてるよ」
『ああ、よく覚えているよ』
「……!」
 ルーチェがそっと落とした言葉に対し、満の幻影が何かを呟いた。はっとして顔を上げたときにはもう影は消えていた。どんな顔で彼がそう告げたのかは知れぬまま。
 同時に墓所だった景色が揺らいでいき、徐々に元の光景が見えてくる。
 彼の声と言葉を思い返したルーチェは目を閉じた。瞼を開けば夜の帳が下りた景色が見えるのだろう。
 そうして、そっと思う。
 陽が沈もうと、宵から夜が訪れようともこの胸には移ろわない思いがある。
 求めていた罰を、そして――邂逅を忘れはしないから。

 優しい黄昏よ、ありがとう。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

暁・紅華
ああ、そうか……。
やはり俺は、【守れなかった】んだな。
願わくは、現れてほしくなかった。
だが、今目の前にいるのは紛れもなくあいつで……。
黄昏時のどこかの戦場。
あいつの姿で、声で、言葉が紡がれる。

『アナタノセイデ……。』

返す言葉が出てこない。
俺は【守れなかった】んじゃない。
俺が【殺してしまった】んだと、断片的記憶が甦る。
あれは夢ではなかったのだと、おまえの血を全て、俺が……。
UDC-Pを探さなければいけないというのに、藍色の髪の少女から目が離せない。

「藍世……。ごめんな……。」

もう、戻れなかったとしても。
気づくと俺は、少女を抱きしめていた。



●蘇る真実
 黄昏時の何処かの戦場に紅華は立っていた。
「ああ、そうか……」
 怪異の力によって転移させられたこの場所が何であるかと思う必要はない。それよりも大切なことが目の前にあるからだ。
 風が彼女の髪を撫でていく。藍色の長い糸髪が夕陽に照らされて揺らいでいる。
 少女が其処に居るということは、つまり――。
「やはり俺は、守れなかったんだな」
 紅華は一度死んだ。
 そのときに彼女の行方もわからなくなってしまった。だからこそ微かな希望を縋って同じ髪の少女を追い求めていた。
 しかし今、死んだ人を呼び出すという怪異の力が彼女を――藍世・刹那を喚んだ。
 願わくは、現れてほしくなかった。
 されど目の前にいるのは紛れもなく藍世だった。
 その唇がゆっくりとひらかれていく。彼女を見つめることしか出来ない紅華は久方振りに声を聞くことになるのだと感じていた。
 そして彼女の姿で、声で、聞きたくはない言葉が紡がれていく。
『アナタノセイデ……』
「…………」
 紅華はそのまま動くことが出来なかった。
 返す言葉が出てこず、ただ彼女を見つめるだけ。たったそれだけであるというのに長い時間が過ぎたような感覚が巡っていく。
 違う、と心の中の自分が叫ぶ。そうだ、守れなかったのではない。
(――俺が殺してしまったんだ)
 僅かではあるが、断片的な記憶が甦ってきた。
 その間にも黄昏の魔力が作り出した影の獣が襲いかかってくる。まるで少女が嗾けているようだったが、紅華は何もせずに影の牙を受け止めた。
 痛みと同時に血が散る。だが、こんな痛みなどあの時の比ではないだろうとも思えた。
 あれは夢ではなかった。
「おまえの血を全て、俺が……」
『ドウシテ殺シタノ?』
「あの時はああするしか……」
『本当ニ?』
「違う、違うんだ藍世」
『…………』
 少女は責め立てるような口調で問いかけてくる。藍色の髪の少女から目が離せぬまま、紅華は拳を強く握った。震えそうになるが、何とか言葉を絞り出す。
「ごめんな……」
 謝っても過去が変わるわけではないと知っていた。それでもこうして目の前に現れた彼女に言い訳めいた言葉を落とすよりは良い。
 もう、戻れなかったとしても――。
「……藍世」
 気付けば紅華は少女に腕を伸ばしていた。
 彼女は何も言ってくれない。許すとも言わないだろう。許さないとすら発しない。それでも紅華は少女を抱き締める。
 痛みは強くなったが、ただこうしていることしか出来なかった。
 やがて夕暮れは消えていく。夜になるのだと察したとき、紅華の腕の中から少女は消えていた。周囲の世界も元に戻り、ただひとり紅華だけがその場に立っている。
「俺は……」
 其処から続く言葉はなかった。
 それまで紅華を照らしていた夕陽は消え去り、何もかもが夜に包まれていった。
 ただ、虚しさと罪の意識だけを残して――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

花菱・真紀
あんたがあんな奴に出会わなければ。
あんたがあんな奴と友達になんかならなければ。
あんたがあんな奴に騙されなければ私は死んだりなんかしなかった!

俺が自分に問いかけてた事すべてを姉ちゃんが責める。
逆に責められのを望んでたかのように心は落ちてついて。

あいつは俺がした話を楽しそうに聞いて。
ある日俺や姉ちゃんが知らないような都市伝説があるから試してみようと言った。
俺は疑いもせずについて行ってそれでUDCに襲われた。

なぁ、姉ちゃん?
なんで俺なんかを庇ったの?

姉ちゃんは笑って言った。
私は真紀のお姉ちゃんだからね!と。

だからお前は違う。

アドリブ歓迎。



●記憶と確証
 周囲の景色が割れ、新たな夕暮れの光景が広がった。
 姉と自分。
 其処に立っているのはたった二人。此処はあの日に彼女が死んだ場所に似ている気がした。あいつに連れられ、辿り着いた先。
 こんな色の夕暮れではなかったが、この世界は黄昏の支配下。
 こうやって、景色ごと姉の存在も歪められているのだろうと真紀は思う。
 自分達だけしかいない黄昏の世界は随分と静かだった。だが、それだからこそ目の前の幻影が紡いだ言葉がよく響く。
『あんたがあんな奴に出会わなければ』
「……姉ちゃん」
 姉の声を使ってそれは語る。全ては過去に真紀が行ってしまったことについてだ。責め立てられても仕方ないと思える。
 何故なら、その言葉は真紀自身が考えていたことでもあるからだ。
『あんたがあんな奴と友達になんかならなければ』
「そうだよな、姉ちゃん」
『あんたがあんな奴に騙されなければ私は死んだりなんかしなかった!』
「その通りだ」
 自分自身で問いかけていたことを姉が責めてくれる。それは望んでいたことであるからこそ、真紀の心は妙に落ち着いていた。
 波紋の立たない水面とでも表すべきだろうか。真紀の裡にはただ、記憶としての過去が蘇っていた。
 同時に黄昏が呼び出したらしき影の獣が現れ、襲いかかってくる。まるであの時のUDCのようだ。似てはいないが、そう思ってしまう。
 姉はその間も言い立てる。
 あんたが、あの日にああしなければ――と。
(あいつは……)
 真紀がした話を楽しそうに聞いていた。そしてある日、自分達が知らないような都市伝説があるから試してみようと言った。
 自分達は疑いもせずについて行き、UDCに襲われた。
 助かったのは自分だけだった。それは姉が真紀を守ってくれたからだ。逆に言えば、自分が死んでいれば姉は助かったのかもしれない。
「なぁ、姉ちゃん?」
 真紀は姉を呼ぶ。こうやって呼びかけたのは久々かもしれない。誰もいない場所に向かって呼ぶことはしない。それゆえに懐かしい感慨が巡った。
 そして真紀は問う。
「なんで俺なんかを庇ったの?」
『…………』
 しかし姉の幻影は答えない。元よりそうであることは真紀にも解っている。
 目の前の存在は自分の心を映したもの。それゆえに自身が思っていることは言葉にできても、本当の彼女の意思は引き出せない。
「俺の姉ちゃんは笑って言ったぜ」
 ――私は真紀のお姉ちゃんだからね! と。
 その言葉はよく覚えている。心が痛いほどに、姉らしい姉だった。
 真紀は首を振る。
 確かに彼女の姿をしているがただの幻想だ。迷いなくそう告げてくれる人こそが姉である。それゆえに簡単に断じられた。
「だからお前は違う」
 真っ直ぐな言葉が落とされたとき、夕暮れが宵色に染まっていく。
 この世界が終わりを告げるのだと気付いた真紀は目を閉じた。そして――幻影は暮れゆく日と共に消えていく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英
黄昏時の彼の部屋

この時間になれば夕食の香りがどこからともなく漂っていた
そして祖父は窓辺で煙草を燻らす
嗚呼。懐かしい光景。
私はこの時間がとても好きだった
願いを叶えた時に優しい手が降ってくるからだ

「英。私からの"お願い"を叶える事が出来なかったようだね。」

「"お願い"を叶える事が出来ないなら、君はいらない子だ。」

もちろんそんな言葉を聞いたことはない
しかし、嗚呼。
それは一番欲しくなかった言葉だ。
死に際と同じ姿で煙草を燻らせ、その姿でいらない子だと静かに告げる。
私は彼の為に自らが犯人となり、彼の為に自らの力で――

でも、何故だが心が軽くなる。

嗚呼。そうか。
もういいのか。

私はあの時と同じように刃を向けた。



●糸を切り、縁を切る
 いつしか瞑っていた目をひらく。
 其処は黄昏時の世界であることは変わらなかったが、場所が違っていた。
 彼の――祖父の部屋だと気付いた英は懐かしいと感じる。
 この時間には、夕食の香りがどこからともなく漂っていた。今は香りなどしないというのに、よく思い起こせるのは当時の記憶と匂いが結びついているからだろう。そして、英は窓際に目を向けた。
 祖父が窓辺で煙草を燻らす。
 とても懐かしい光景であり、もう二度と戻れない時間だ。
 英はこの時間がとても好きだった。
 煙が揺らぐ光景。良い匂いと煙草が入り混じった香り。そして、願いを叶えた時に優しい手が降ってくるからだ。
 記憶は佳いものだというのに、今は違うとわかる。
 それは窓辺に居る祖父の表情が険しいものだからだ。今はおそらく、彼の願いを叶えられなかったときなのだろう。
 そんな記憶はないが、今の黄昏の力はそうであるのだと告げてくる。
 何故なら、
『英。私からの“お願い”を叶える事が出来なかったようだね』
 聞いたことのない言葉が聞こえたからだ。
 違う、と思わず言いそうになるが英は黙っている。すると祖父は更に煙草を燻らせた。その姿はあのときのままではなく、死に際の姿だ。
『“お願い”を叶える事が出来ないなら、君はいらない子だ』
 祖父の視線が突き刺さる。
 英は何も言わなかった。言えない、といった方が良いだろうか。
 もちろん、彼そんな言葉を聞いたことなどはない。そうさせぬ為にも幼い頃の英はお願いを叶えていた。
 しかし――嗚呼、と吐息と共に言葉が零れ落ちる。
 責め立てているのではない祖父の言葉が一番胸に突き刺さった。口汚く罵倒してくれた方がどれほど良かっただろうか。
 要らない。
 必要ない。価値がない。
 彼の声でそう告げられる言の葉が、一番欲しくなかったものだ。
『いらない子はいなくなってしまえばいい』
 祖父の影は尚も語る。
 煙を纏ったまま、静かに告げる彼の声が頭の中で繰り返された。
 そうだ、と英は胸を押さえる。
(私は彼の為に自らが犯人となり、彼の為に自らの力で――)
 其処まで考えたとき、不意に思い立つ。
 どうしてか分からない。しかし何故だが妙に心が軽くなった。必要だと云われていたときよりも随分と自由だ。
 願いを叶える。それは或る意味で縛られていたのではないか。
 大人になった今、そのように思える。
「嗚呼。そうか」
『英』
「もういいのか」
『……英』
 顔をあげた英にあは祖父の影が呼ぶ声は届いていなかった。ただ筆という名の刃を手に取り、影にその切っ先を差し向ける。
 そして英は“あの時”と同じように刃を向けた。
 彼の眸が輝き、斜陽を映す。
 未だ暫し英にとっての夕暮れは続いていく。何故なら、祖父の幻影に――黄昏に手を出してしまったのだから。
 この時間は、彼が刃を下ろすまで終わらない。
 

苦戦 🔵​🔴​🔴​

柊・はとり
呆れる程見慣れた時代錯誤な洋館
曾じいさんが解決した事件の報酬で建てた
奇妙な造形の探偵御殿
『柊藤梧郎記念館』とかいう物まで併設され
黒い嵐も何故か避けて通る呪いの館
俺の大嫌いな…実家だ

記念館には曾じいさんの輝かしい功績と共に
数々の難事件に纏わる品が展示されている
有難がって拝む地元の奴や観光客の気が知れない

柊藤梧郎
あんたは謎解きを
殺人事件を愉しんでた

「探偵が犯人に殺されるとは何事だ」

ふざけんな
大往生しやがって
探偵なら事件現場で死ねよ

「あまつさえ助手を死なせるとは」


あんた助手と結婚したんだったな
最低だ
うるさい
…うるさい!!

俺は斬る
どうせ死ねないし一分も持たない
俺と夏海を殺したのは…柊藤梧郎
あんただよ



●名探偵と高校生探偵
 夕陽が照らし出しているのは洋館。
 呆れる程に見慣れた時代錯誤な場所だ。はとりは肩を落とし、茜色に染まった壁を見遣った。しかし、すぐに目の前の彼――藤梧郎の方に視線を向け直す。
 この洋館はよく覚えている。
 曾じいさん、即ち藤梧郎が解決した事件の報酬で建てた場所だ。
 奇妙な造形をしたこの洋館は探偵御殿だとも呼ばれていた。それだけではなく、『柊藤梧郎記念館』とかいう建物まで併設されているのだから嫌になってしまう。
「黒い嵐も何故か避けて通るんだよな……」
 呪いの館だと思うのははとりだけだろうか。世界が滅んだ今はこの場所を気にかける人々も少ないのかもしれない。
「何でこの場所なんだよ。なぁ、曾じいさん」
 自分大嫌いな実家を前に、はとりは彼に問いかけた。すると老人は不敵な視線をはとりに向け、当たり前だと語る。
『此処でなければ何処があるというんだ。世紀の名探偵の対決に相応しいだろう』
「名探偵、ね……」
 自分が世紀の、と言われるほどではないと解っていた。それゆえにはとりは肩を竦め、記念館の方を見つめる。
 すると景色が不自然に歪み、瞬く間に屋内に移った。
 窓辺からは変わらず夕暮れ色の陽が差し込んでいる。記念館内には曽祖父の輝かしい功績と共に数々の難事件に纏わる品が展示されていた。
 其処まで記憶のままだと思うとうんざりする。有難がって拝む地元の奴や観光客の気が知れない、と今も思う程だ。
 すると藤梧郎がはとりに向かって口をひらく。
『探偵が犯人に殺されるとは何事だ』
「死んじまったんだから仕方ないだろ。一応、これでも生きてる」
 半分だけな、と皮肉まじりに返すはとりは更に告げていく。
 柊藤梧郎。
 フルネームで名を呼んだ彼は指先を曽祖父に突き付けた。
「あんたは謎解きを、殺人事件を愉しんでただろ」
『お前は愉しんでいないのか?』
「……。普通は人の死を悼むだろ。だけど、だからこそ解決出来たんだろうな」
『しかしお前は解決すら出来ずに死んだ、と』
 はとりが自分なりの推理を披露すると、老人は双眸を細める。きっとこれは黄昏に歪められた名探偵の姿だ。
 きっと彼が言わないような言葉を選んでいるのだろう。無論、本当の彼の言動ははとりの与り知らぬものなのだが――。
「ふざけんな。大往生しやがって。そっちこそ探偵なら事件現場で死ねよ」
 はとりが相手を睨みつけると、その周囲に影が浮かびあがった。それが黄昏の怪異が操る影の獣だと気付いたはとりは身構える。
 牙や爪が今にも迫ってくるという瞬間、藤梧郎は更に語った。
『あまつさえ助手を死なせるとは』
「……」
『何も言い返せないか?』
「あんた助手と結婚したんだったな。最低だ」
『死したお前よりは随分と誇れる人生を歩んできたが?』
「うるさい。……うるさい!!」
 二人の間に一方通行の思いだけが紡がれていく。どちらも引くつもりはなく譲れない感情がある。はとりは手にしていたキセルの代わりに氷の大剣を握った。
 迫りくる影を斬り裂き、その切っ先を曽祖父に向ける。
 どうせ死ねない。
 それに、斬ることしか出来ない。はとりはこの時間が続くと解っていても抵抗することを選んだ。そうすることが今の自分にとっての正解だと思えたからだ。
「俺と夏海を殺したのは……柊藤梧郎」
 ――あんただよ。
 低い声が落とされた刹那、勇気と覚悟を以て紡がれた一閃が影を裂いた。
 その時にして四十八秒。
 全力を放った少年は最後に彼の顔を見た。
 曽祖父は笑っている。あの遺影の写真と同じ、名探偵然とした表情で。
「本当にあんたは――」
 何かを言いかけたはとりは力の代償として意識を失う。
 そうして懐かしくも憎々しい光景は揺らぎ、彼の黄昏時は終わった。
 

成功 🔵​🔵​🔴​

花杖・翡迦
UDC-P?はもう助かったよな
閉じてた目を開けたら
アイツと出会って拾われた森の黄昏の中

…拾った?いや攫われたの間違いだわ
本当に変な奴だった、とアイツの顔した黄昏に苦笑い
森に来る奴片っ端から追っ払ってた子供の俺を
涼しい顔で叩きのめして人の世界に引きずり込んだ奴

「俺はお前を憎んでいない」と本物らしく言っといて
「――とでも、言って欲しいのか」
突き落とす微笑は怒りよりよっぽど堪えるけど

那迦はお前より強かった
有象無象なんかいらねえくらい
愛想無しのくせに、全部が終わる時に笑えるくらいにな

…うん、俺案外平気だわ、那迦
血を拭い黄昏見据え終わりを待つ
言葉だろうと力だろうと耐えられる
望み通りに生き抜くと決めたんだ



●生きる意味を識る
 いつの間にか閉じてしまっていた瞼をひらく。
 まず気に掛かったのは黄昏の中にいるというUDC-Pのこと。自分が立っている異空間の中にはいないが、おそらく誰かが救ってくれているはずだ。
「あれはきっともう助かったよな」
 翡迦は頷き、改めて周囲を見渡してみる。
 木々がざわめいていた。草や花、そして大地を夕陽が照らしている。
 黄昏の森の中だと気付いた翡迦は其処が見覚えのある場所だと察した。此処は翡迦が那迦に出会って拾われた森だ。
「いや……拾った? 攫われたの間違いだわ」
 自分で思い浮かべたことに思わず首を振り、翡迦は視線を戻す。
 なぁ、那迦。
 そんな風に語りかけるように翡迦は軽く苦笑いを浮かべた。彼の幻影を前にして思うのも何だが、本当に変な奴だったと感じる。
 彼はじっと此方を見つめていた。
 何かを言いたげな表情をしている姿を見ると思い出が蘇ってくる。
 嘗ての翡迦は森に訪れる輩を片っ端から追い払っていた。この森には誰も入れないと暴れていた頃の自分を思うと妙に恥ずかしい気もしたが、懐かしい。
 しかしそんな子供を叩きのめしたのが彼だ。
 涼しい顔で軽々と自分に勝ち、人の世界に引きずり込んだ。それから翡迦としての人生が始まっていった。
 彼が来なければ、この森でずっと過ごしていたのだろうか。彼と行くことを選んだゆえに在り得なかった未来を思っていると、那迦が不意に口をひらいた。
『俺はお前を憎んでいない』
 それはとても本物らしい、彼そのものの言葉だった。
「那迦……」
『――とでも、言って欲しいのか』
 翡迦は思わずその名を呼ぶ。すると、彼の幻影はそう言い返した。
 微笑のまま告げられた言葉は翡迦を突き落とすのに十分だった。怒ってくれた方が随分とマシに思える。
 その言葉が妙に堪えるのは、裏に恨んでいるという意思が見えるからだ。
「そりゃ恨まれてない方が心には優しいよな」
 でも、と翡迦は頭を振った。
 そんな中で森の景色が不自然に揺らぐ。黄昏の中で新たな影が現れ、獣――否、竜めいた形をして襲いかかってきた。
 それはまるで森に訪れる者を追い払っていた自分の心を映したようだ。
 その影が今は翡迦に襲いかかってくる。
 爪と牙が突き刺さり、翡迦の身を抉った。それと同時に彼の影が聞いたこともないような冷たい声を落としていく。
『お前と出会わなければよかった。面倒など見なければよかった』
「やめろ」
『お前が死ねばよかったんだ』
「……違う」
 だが、翡迦は怯んでなどいなかった。那迦はそんなことは言わない。言うはずがないと自分自身がよく分かっている。
 教えて貰ったのは言葉や戦い方だけではない。
 彼の人柄や心根、在り方も一緒に識っていった。それゆえに那迦はそのような言葉を選んだりもしない。思ったことすらなかっただろう。
「本当のあいつはお前より強かった。そんな有象無象なんかいらねえくらいだ」
 翡迦は思う。
 愛想無しのくせに面倒見が良かった。
 全部が終わる時に笑えるくらいに、彼は強かった。
 そう思えば彼の姿をした者など笑い飛ばしてやれる。これは自分の心が生み、黄昏に歪められただけのものだ。
「……うん。俺、案外平気だわ。――那迦」
 翡迦はもう一度、彼の名を声にした。言葉は歪められていても確かにその姿は在りし日の彼を映したものだ。呼び掛けることは間違いではないはず。
 血を拭い、黄昏を見据える。
 ぐっと堪えた翡迦は抵抗しないまま終わりを待った。
 痛みを力に変えていく術を知っている。どんな言葉であっても、耐えられる。その在り方こそ那迦から学んだすべてだ。
「俺は望み通りに生き抜くと決めた。だから、」
 翡迦は敢えてその先の言葉を紡がなかった。思いはきっと声にしなくても伝わる。
 そして、黄昏の彩が薄れていく。
 夜が訪れたのだと気付いた時、翡迦を包み込む世界が消えていった。
 気付けば森も彼の姿も見えなくなっている。夕暮れの風と共に現れて、夜風と一緒に去っていく。その幻は妙に物寂しく思える。
 しかし翡迦は前を向いていた。
 平気だと告げたように、心は揺らいでいない。
 六等星の光は幽かだ。それでも、その星はまだ輝き続けているのだから――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

夕時雨・沙羅羅
…僕の国だ
夕暮れに雨が降る、僕が治める森の国
けれど今日の黄昏に雨は無い
幻想、幻惑
夢の国

歌が聴こえる
アリスの歌
嬉しくて、返す歌に
気付く
これは、違う
アリスの声じゃない
やめろ…アリスの歌を塗り替えるな
この声は
この声は、
僕の声

気付いた途端に声がする
─何、お前
アリス、どうして
僕の声できみが喋る
─不気味な奴
色しか分からなかった姿が、
霧が晴れるように見えていく
─気味が悪い、ばけもの
冷めた瞳、不快に歪む顔
嗚呼!

─オウガめ

僕が一番言われなくない言葉と共に見える、きみが
どうして僕と同じ顔をしている

震える声で返す
ぼくはオウガじゃない
─人喰いのばけもの
ちがう
─何が違う
─なら、どうしてお前の腹のなかに
─僕の骨があるの?



●いつも間違いばかりの世界で
「……僕の国だ」
 沙羅羅は目の前に現れた世界を見渡す。
 夕暮れに雨が降る、自分が治める森の国の光景が広がっていた。しかし今、この黄昏の中では雨が降っていない。
 ――幻想、幻惑、夢の国。
 歌が聴こえた。これはアリスの歌だろうか。
 何だか嬉しくなって沙羅羅は歌を返そうと思った。しかし其処で気付く。
「これは、ちがう」
 アリスの声じゃない、と沙羅羅は首を振った。どうしてなのだろう。聴こえていた歌を紡ぐ声は自分のもの。
「やめろ……アリスの歌を塗り替えるな」
 この声は違う。
 この声は、僕の声だから。でも、何故?
 疑問と不安が押し寄せてくる最中、不意に目の前に立っている影が存在感を増した。そして、それは――アリスらしき影は口をひらく。
『何、お前』
「アリス、どうして」
 紡がれたのもまた、自分の声だった。
 己の声で相手が喋る様子に沙羅羅は戸惑う。名前を知らない影。アリスとしか呼べない存在は不機嫌そうに語った。
『不気味な奴』
「ぼくの、こと?」
『そうだ。ここにはお前しかいないだろ』
 途端に色しか分からなかった姿が霧が晴れるように見えていった。その表情はとても沙羅羅を歓迎しているようには思えない。
 拒絶の意思が見えていることで沙羅羅は思わず少し後ろに下がった。しかしこれ以上距離を置けないのは心の奥底でずっと相手を求めていたからだ。
「……アリス」
『気味が悪い、ばけもの』
 冷めた眸。不快に歪む顔。求めていたアリスはそうじゃない。真実を知りたいと願っても、黄昏がその存在を歪めてしまったのだろうか。
 それとも、最初から――。
 そんな思いが過ぎったとき、沙羅羅は耐えきれずに泣き叫んだ。
「嗚呼! どうして、なんで……!」
『オウガめ。醜い、汚い、近寄るな』
「ちがうよ、アリス。きみを、きみが……きみ、は……」
 沙羅羅は自分でも何が言いたいのか解らずに、ただ声を紡いでいた。言葉にすらならない。意味を与えることも出来ない声が消えていく。
 自分が一番言われたくはない言葉。そして、それを声にするきみ。
 きみがどうして、僕と同じ顔をしているの。
 この声は僕のものじゃなくて、もしかしてきみのものなの。
 浮かんだ疑問は問いかけることができずに沙羅羅はただ泣いた。眦から零れ落ちる雫が透き通った身体を伝っていく。
 こんなに取り乱してしまうのはきっと、きみをちゃんと知らないから。知らなかったのに知ってしまったから。これが何を意味するのか今は深く考えられない。
 それでも、沙羅羅は震える声で返す。
「ぼくはオウガじゃない」
『人喰いのばけもの』
「ちがう」
 首を振る。気付かなければよかったのに、求めてしまった罰なのだろうか。罪とすら意識していなかった事実を突き付けられているような気分だ。あの調子外れの歌だって、薄々感じていたけれどきっとそうだ。
 その間もアリスである影は言の葉を並べていった。
 沙羅羅が聞きたくはない声で、無遠慮に裡に踏み込んでくる。
『何が違うんだ』
「ばけものじゃ、ない……」
 必死にそう紡いだ沙羅羅はその場に崩れ落ちる。自分がオウガであるはずがないのだと、今はただそれだけを伝えたかった。
 しかし、黄昏の力は無情だ。そんな沙羅羅に向けて獣めいた影が襲いかかり、その身を食い千切らんとして牙を剥く。
 更に影は沙羅羅を絶望に落とすような言葉を告げた。
『そう。それなら、どうしてお前の腹のなかに――僕の骨があるの?』
「――!」
 示された胸元、そして腹に視線を落とす。
 夕暮れの彩を受けた水の身体には朱色が映っていた。それはまるで水に混ざって薄まった血のようだと感じながら、沙羅羅は胸を押さえる。
 黄昏はいずれ暮れゆくのだろう。
 だが、沙羅羅にとってこの責め苦の時間は永遠にも思えた。
 そして――暮れゆく世界の中で、降らない雨の代わりに涙の雫が零れ落ちていく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

オズ・ケストナー
わたしはおとうさんの怒った顔を見たことがない
笑顔
やさしい顔
ときどき、ちょっとさみしい顔

初めて見る顔に笑いかける

―失敗作
そうよばれている人形の子がいたよ
にこにこたのしそうで
あの子には、もっとにあう名前があると思ったよ

―役立たず
うん、わたしはおとうさんが倒れていることに気づかなかった

―動かなければまだマシだった
『すごいね、オズ。いつのまに話せるようになったの?』
幻のおとうさんが言ってくれた言葉が蘇る

おとうさんが本当はそう思ってたとしても
…いいんだ
おとうさんはやさしかったから
笑ってくれたから

ほんとうのおとうさんが言ってくれた言葉が
わたしのたからものだから

ぴーちゃんはぶじにみつかったかな
ね、おとうさん



●宝物の日々
 歪んだ視界と景色の向こう側。
 其処は記憶の中にある自分達の部屋だ。窓辺からは夕陽が差し込んでおり、彼が見せてくれた庭の薔薇が咲いている光景もあった。
 そして、オズの目の前には見たことのない顔をした彼が立っている。
「おとうさん」
 怒った顔だ、と感じたオズは思わず呼びかけた。
 自分が知っているのは笑顔とやさしい顔。それからときどき見えた、ちょっとだけさみしそうな顔。その感情の奥を知ることは出来なかったけれど、今の表情からは自分を憎むような不思議な思いが見て取れる。
 しかし、オズは初めて見るそんな顔に対しても笑いかけた。
『――失敗作』
 彼がそんな言葉を落とす。それでもオズは怯まずに、そうだね、と頷く。
 そう呼ばれている人形の子がいた。けれども、にこにこと楽しそうだった人形。そんな呼び名ではなく違う名前がいいと思った。
「ううん。あの子には、もっとにあう名前があると思ったよ」
 首を振ってみせてもおとうさんは答えない。
 その代わりに彼の足元から影が揺らぎ、獣の形となってオズに襲いかかってきた。とっさに身構えたオズはそれ以上の抵抗はしない。
 身体を影の牙が貫いたが、何もしないことが正解だと知っている。
『――役立たず』
 彼が怒っているのに淡々とした言葉を落とした。何も言い返すことが出来ない。してはいけないと思ったから、オズはもう一度頷いた。
「うん、わたしはおとうさんが倒れていることに気づかなかった」
『動かなければまだマシだった』
「……うん」
 彼はオズの心を抉るような言葉を選んでくる。オズとて本当に彼がそんな言葉を使ってくるとは思っていない。
 これは黄昏の力。人を歪めてしまうという存在がさせていること。
 その間にも影の獣はオズを傷つける為に迫ってきた。爪を振り下ろしては消え、おとうさんの足元から更なる影が現れては攻撃を仕掛けてくる。そんな最中に、オズは嘗てのおとうさんを思い出していた。
(『すごいね、オズ。いつのまに話せるようになったの?』)
 それはいつかの幻の中で彼が言ってくれた言葉だ。
 褒めてくれた。話せなかった頃のように変わらず接してくれた。きっと彼と本当に出会うことがあったとしても、ああして笑ってくれるはずだ。
(わたしがやくたたずだとか、いらないとか。おとうさんが本当はそう思ってたとしても……だいじょうぶ。いいんだ)
 だって、おとうさんはやさしかったから。笑ってくれたから。
 どんな言葉を投げかけられても、あの日々が嘘になるわけではない。そうだよね、とシュネーに呼びかけたオズは気を強く持った。
『お前なんて要らない』
「もう、そんなかなしいことを言わせなくてもいいよ」
 おとうさんの形をしたものにオズは呼び掛ける。それは彼に対してではなく黄昏の怪異に向けられていた。
 ほんとうのおとうさんが言ってくれた言葉が、わたしのたからもの。
 だからこんな場所で踏み躙らせない。
 そのように決意したとき、窓辺の夕陽が薄らいだ。ちらりと横を見れば夕暮れの景色が宵の色に移り変わっていた。
 終わるんだ、と思ったときには部屋の光景が元いた鉄塔の景色に戻っていく。それまで見ていた窓辺と庭から視線を外したオズは、そうだ、と思い出した。
「ぴーちゃんはぶじにみつかったかな」
 きっと誰かがしっかりと保護してくれているはずだと感じたオズは振り返る。
「ね、おとうさ……そっか」
 呼びかけた先には誰も居なかった。黄昏と一緒に消えてしまったのだと感じたオズは瞼を閉じ、まぼろしを想う。
 ――ちからをかしてくれて、ありがとう。
 そして、宵色の空を振り仰いだオズは夜の帳が下りていく光景を見つめた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ジェイ・バグショット
お前に抱きしめられたのは何度だったか。
眠れない時、痛みに苦しんでいる時、孤独な時…
手を繋いでそっと抱きしめて「大丈夫。」そう微笑んだ

あの頃は当たり前にお前がいて、ずっとそうやって生きていくんだと思っていた。
俺と出会わなければお前は人並みに幸せな人生を送って…

古城の窓から夕日が差し込む暗い部屋
拷問を受けた少女は血に濡れ、
あなたのせいよ。と憎悪を向け責め立てる

過去:ヴァンパイア(ジェイの義母)による娯楽の為の拷問でクィンティを失う
助けようとするも、義母に嗾けられ初めて抗えない程の吸血衝動に襲われる
事切れる間際の少女を吸血してしまい、ずっと後悔していると同時にその味が忘れられない

憎まれるのは当然だと



●贖罪には未だ遠い
 ――クィンティ。
 少女の名と存在を思い、ジェイは歪んだ世界を見つめる。
 其処はそれまでの場所とは違う薄暗い古城の部屋だった。窓からは夕陽が差し込んでいるが、それでも尚昏い。
 黄昏の色すら掻き消されてしまうような陰鬱な場所だ。
 そして、其処には先程とは様相を変えた少女がいた。拷問を受けた形跡が見られる彼女の瞳には憎悪の色が見て取れる。
「……お前に抱きしめられたのは何度だったか」
 ジェイは彼女を見下ろしながら独り言ちた。幻影だと分かっているが、それだからこそ嘗ての記憶が蘇ってくる。
 巡らせる思いの辛さに眠れない時。受けた痛みに息喘ぎ、苦しんでいる時。どうしようもなく独りだと感じてしまう孤独な時。
 そういった時にクィンティはジェイと手を繋ぎ、そっと抱きしめた。
 ――大丈夫。
 そう微笑んだ顔がとても懐かしくていとおしい。しかし今、目の前に居る少女はそんな顔とは程遠い表情を浮かべていた。
「あの頃は当たり前にお前がいた。そうやって、ずっと……」
 変わらずに生きていくのだと思っていた。何も疑いはしなかった。あの日々の先に穏やかな世界が待っているのだと心の奥で信じていた。
 だが、とジェイは頭を振る。
「俺と出会わなければお前は人並みに幸せな人生を送って……」
『そうよ、あなたのせい』
「……ああ」
『あなたと出会わなければ、こんなことにはならなかったわ』
「そう、だな」
 血を流した少女は淡々と、しかし怒りを孕む声色で告げてきた。
 そして古城の中で影が揺らいだかと思うと、クィンティの足元にある血溜まりから獣のような黒い物体が現れる。それらが黄昏の力によって生み出されたものだと気が付いたが、ジェイは抵抗しない。
『どうして、助けれくれなかったの』
「…………」
『どうして、この血を喰らったの?』
「あれ、は――」
 クィンティの姿をしたものは憎悪を向け、次々と責め立てる。影の獣はジェイの身体を裂き、少女は心を抉る。
 そしてジェイは過去を思い返した。
 あれは義母のヴァンパイアが行った娯楽のひとつだった。泣き叫び血を流す人間の姿を眺めるという拷問遊戯。
 彼女に触れられるようになったときには彼女は息絶えかけていた。
「クィンティ……」
 助けようとはした。だが、義母に嗾けられたことで衝動が沸き起こった。初めて抗えない程の吸血衝動に襲われたのは腕に抱いたのが他でもない彼女だったからだ。
 いとしい者の血を喰らいたい。
 自分とひとつにしたい。あの衝動を突き詰めればきっと、そういうことだ。
『あなたが殺したの』
「そうだ」
『血の味はどうだった?』
「……忘れられないほどに」
 血塗れの少女の幻影は問いかけてくる。その言葉にただ答えることしか出来ないジェイは事切れる間際の少女を思い出した。
 吸血したことをずっと後悔していると同時に、その味が鮮明に思い出せる。
 憎まれるのは当然だ。
 そのように感じているジェイに対し、少女はそっと告げる。
『それなら生き続けて。罪を感じて償いながら、ずっと想い続けて――』
 しかし、その言葉が途中で途切れた。
 顔を上げたジェイは夕暮れが終わっていたことに気付く。いつしか古城の景色は鉄塔の下のものへと戻っていった。
 それと同時にクィンティも消えてしまったのだと察し、ジェイは肩を落とす。
「そうだな、生きる事の方が苦しい」
 あの言葉こそが自分の求めていたものなのか。それとも聞きたくない言葉だったのだろうか。その答えは誰も持ち合わせていない。
 そうして、ジェイは何処にも見えなくなった夕暮れの色を思う。
 己の思いもこの空のように昏く暮れていくのかもしれない。そんなことを感じながら、ジェイは暫し静かに天を振り仰いでいた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニノマエ・アラタ
アドリブ捏造◎

そこは研究室。
彼女と、……俺の居場所。

強化人間達の暴走。
さっさと逃げれば良かったのに。
研究室に留まらずに、いれば。
もしやと思って戻ったけれど、間に合わなかった。

悪夢を再現するかのように、彼女に襲いかかる影、影、影。
『リョウ!』
咄嗟に手を取り、抱きしめ、かばう。
反撃をしないだけの冷静さはある。
牙を立てたいなら俺に立てろ。

私を抱きしめていれば、奴らは攻撃してこないのよ。
『アラタ』

間近で見つめ返す黒い瞳。
淡い色合いの唇が笑みを形づくる。
……惑わされてはいけない。

黄昏時を解放する術を俺は知っている。
逢魔を夜の闇へ還す為に。
「それでも好きだ」
逢いたいから名前を呼んだ。
…認めるぜ。

『リョウ』



●確信する想い
 まるで世界が反転したかのように景色が歪んだ。
 思わず眼を閉じたニノマエはすぐに瞼をひらく。其処は研究所だった。内部だというのに黄昏の雰囲気を感じるのは此処が怪異の作り出した異空間であるからだろう。
 だが、目の前に彼女は居なかった。
 彼女と――俺の居場所。
 そう感じたニノマエは周囲の景色があの日を再現していくことに気が付く。
 拙い。
 これは強化人間達が暴走した日そのままの光景だ。はっとした彼は駆けていく。目指すのはただひとつ、彼女がいる研究室。
 さっさと逃げれば良かったのに。研究室に留まらずに、いれば――。
 あの日だってそうだった。
 もしやと思って戻ったが間に合わなかった。過去を取り戻せるわけではないと分かっていたが、ニノマエは懸命に走る。
 そして、研究室内。
 あの悪夢を再現するかのように彼女に襲いかかる影、影、影。
「――リョウ!」
 ニノマエは何も考えずに咄嗟に彼女の手を取った。強化人間めいた姿をした影から彼女を庇い、抱きしめる。
 しかしニノマエにも影に反撃をしないだけの冷静さはある。
 もし手を出してしまえば永遠に彼女が襲われる世界が続くと知っているからだ。あのときは守れなかったが、今ならばこうして守ることが出来る。
 たとえこれが幻だとしても構わない。
 その間にも影が揺らぎ、獣のような敵まで出現した。それでもニノマエは彼女を離すことなく攻撃に耐え続ける。
「牙や爪を立てたいなら俺に立てろ」
『私を抱きしめていれば、奴らは攻撃してこないのよ。ねえ、アラタ』
 そのとき、間近で声がした。
 視線を彼女に下ろせば見つめ返してくる黒い瞳に自分が映る。どれほど近くでこの顔を見たかっただろう。こんな状況ではなく、普通に抱きしめたいと思っただろうか。
 そんなことは赦されず、願いもしなかったが今は違う。
 彼女の淡い色合いの唇が緩む。
 笑みを形づくる姿は印象的だ。思わず心を奪われてしまいそうなほどに。
(……惑わされてはいけない)
 ニノマエは彼女を抱く腕の力を緩めぬまま、胸中で独り言ちる。其処へ彼女からの責め立てるような言葉が紡がれていった。
『守れなかったくせに、幻想の中では格好つけるの?』
「……ああ」
『こんなことをしても戻れないって知っているでしょう?』
「分かっている」
『逃げ出した役立たずのくせに』
「……そう、かもな」
 腕の中で拒絶と憎悪の言葉を話し続ける彼女に対し、ニノマエは言い返すことはしなかった。自分は黄昏時を解放する術を知っている。
 逢魔を夜の闇へ還す為に此処に来た。だが――。
「それでも好きだ」
 今、ニノマエの中にあるのは純粋な思いだ。任務や仕事などではない。一線を引こうと思っていたが、もう意地を張るのも止めてしまえばいいと思えた。
 ただ、逢いたいから名前を呼んだ。
 認める。自分は過去に縋り、もう一度確かめたかっただけだ。そんな思いを伝えるが如くニノマエは彼女の名前を呼ぶ。
「リョウ」
『アラタ、あなたは仕方のない子ね。だけど……もうさよならの時間よ』
 するとリョウが静かに笑った。それはこれまで見ていた憎悪に歪められた表情ではなかった。何を、とニノマエが問おうとしたとき――周囲の景色が揺らぐ。
 ああ、黄昏が終わったのだ。
 そのように感じた瞬間、腕の中にいた彼女の感触が消えた。いつしか辺りは元いた鉄塔の下の光景に戻っている。
 彼女の存在が何処にもないことを確かめ、ニノマエは立ち上がった。
 空の色は移ろっている。
 黄昏から宵へ。そして、夜に変わる景色。人の心もこういうものなのだろうかと思いながら、ニノマエは痛む身体をそっと押さえた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント
異空間は、ダークセイヴァーの小さな集落
…魔獣の襲撃に遭って、戦いの中で俺を庇ったユリウスが死んだ場所
黄昏の景色である点を除けば、全く同じだ

“本当は俺が死ぬ筈じゃなかった”
“君を庇わなかったら俺は死なずに済んだんだから”
“そうだろう、シキ”
あの頃と同じように呼びながら、同じ声で責められる
否定はしない、出来るわけがない
「…ああ。俺の、せいだ」

俺なんか庇わなければ
庇う必要がないくらい俺が強かったら
いっそ出会わなければ、ユリウスは死ななかった
…今も、そう思っているのだから

痛むのは、体も心も
それでもガンベルトと、そのホルスターに収めた銃を強く意識して耐える
諦める姿など、例え幻でもユリウスには見せられない



●受け継いだ力
 景色が一変した後、シキは或る場所に立っていた。
 其処は異空間。だが、ダークセイヴァーの小さな集落だと分かる。その理由は名を呼んだ相手が命を落とした所だからだ。
 魔獣の襲撃。
 その戦いの中でシキを庇ったユリウスが死んだ、忘れもしない場所。
 不釣り合いな黄昏の景色である点を除きさえすれば全く同じだと思えた。
 目の前にはユリウスが立っている。しかし彼はあの頃とは違う、憎悪が入り混じった表情を浮かべていた。
 それが黄昏の怪異が齎したものだと知っているが、シキは僅かな戸惑いを感じる。お人好しだった彼がこんな表情をするのは見たことがない。彼にも様々な感情があったのだろうが、子供だったシキには見せたことのないものだ。
 恨むような視線がシキに突き刺さる。
『なぁ、シキ』
「……何だ」
 ユリウスの影は呼びかけてくる。何を言われるのか覚悟しながらシキは彼を見つめた。その足元からは黄昏の能力による影の魔物が現れはじめる。
 あの日に集落を襲った魔獣のようだと感じながら、シキは身構えた。
『本当は俺が死ぬ筈じゃなかった』
「そうかもしれないな」
 ユリウスが落とした言葉にシキは頷くことしか出来ない。その声と同時に襲ってきた影の魔獣はシキの身を切り裂く。
 それらは一撃を与えたら消え去り、新たな敵が昏い影から生み出され続ける。
『君を庇わなかったら俺は死なずに済んだんだから』
「あの時、俺がもっと動けていたら」
『そうだ、シキ。よく分かってるじゃないか』
 身体に走る痛みと共に彼の声が心まで斬り裂いていくかのようだ。あの頃と同じように呼びながら、同じ声で責められる。想像してはいたが何と苦しいのだろう。
 否定はしなかった。出来るわけがない。
「……ああ。俺の、せいだ」
 シキは認めざるをえなかった。
 自分なんかを庇わなければユリウスは生き続けられた。もし庇う必要がないくらい自分が強かったら――否、いっそ出会わなければユリウスは死ななかったはずだ。
 今の自分は命を貰って生きている。
 だが、その事実はシキが望んで得たかたちではない。
『返してくれないか。その命を』
「それは出来るなら、今だって……」
『出来ないんだけどね。だから、死んで償って貰わないと』
「……ユリウス」
 彼の幻影はお前など生きている価値がないといった旨を告げてきた。しかしシキはゆっくりと首を振る。彼と出会わなければ良かったとすら思っていたが、これはユリウス自身が望んでいることではない。
 黄昏の怪異が彼を歪め、言わせているだけの言葉だ。
 確かに苦しい。確かにあれは自分の所為だ。それでも、ユリウスは自ら死を選べなどとは絶対に言わないだろう。
 それゆえに心だけは抵抗しようと決めた。
 痛むのは、体も心も同じ。
 それでもガンベルトとホルスターに収めた銃、シロガネをを強く意識して耐え続ける。諦める姿など見せてやるものか。
 そうしなければ、彼から教わったすべてが無駄になってしまう。
 たとえ幻であっても膝を折る姿などユリウスには見せられない。シキは決意を抱き、影からの攻撃に果敢に耐えた。
 そして――不自然な夕暮れが昏い夜の景色へと移ろっていく。
 景色と一緒にユリウスの姿も消え、シキはぐっと拳を握った。終わったのだと思うと同時に二度と会えない人のことを懐う。
 これで良かったのだろうか。自分はこのまま歩き続けて良いのだろうか。
「なぁ、ユリウス」
 シキはもう言葉を届けられない人の名を呼ぶ。
 その声は静謐さを宿す夜の空の下で、誰にも聞かれることなく消えていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

月舘・夜彦
【華禱】
色褪せた記憶は再び鮮やかに色を付けていく
小夜子様が暮らしていた家、彼女が座る縁側
……もう百年以上前だと言うのに

老婆だった姿は若かりし頃のものに
それは私の姿が彼女の恋人、暁彦様であり
彼女の記憶もそこで止まっている

彼女は私の首に手をかけ涙を流して責める
どうして逢いに来てくださらなかったのと
ずっと待っていたのにと

言葉は彼に向けたもの
模した私ではない、彼への言葉

皮肉なものだ
幻でさえ私を見ない
姿を模したが故に
偽ったが故に

ですが、私には分かるのです
貴女が誰かを傷付けない事も
だからこそ静かに生涯を終えた事も

これが表に出来なかった悲しみなら
私はそれを受け止めたい


今度は、これからは
愛しい人の力になりたい


篝・倫太郎
【華禱】
手を伸ばすまでもなく、届く距離
十代半ばの姿なのは、そこで時間が止まったから

胸に衝撃
ぬいの拳が俺の胸を打つ
何度も、何度も

貴方が!
貴方の所為で!

俺の不在が二つの一族を終わらせた
ぬいの婚礼の、その日に――

事実しかない誹り
偽り、幻想、そんな類であったなら
偽りだとやり過ごすことも出来るだろうけど
事実でしかないから、キツい

あぁ、ここに夜彦が居なくて良かった……

そんな事を思いながら、耐える
まだ、終わらねぇのかよ……そう思いながら

そんな俺の心を汲んだような
最後の言葉が刺さる

『あなただけが、幸せになるなんて……許さない』

現実に帰って
夜彦の顔を見た瞬間
最後の言葉が胸を刺す
それでも、彼の名を呼んで小さく笑う



●彼女の言葉
 本当の夕暮れ時にも僅かに幻視していた光景が目の前にある。
 小夜子の幻影と共に異空間に連れられた夜彦。歪んだ世界の最中、彼らが立っていたのはある家屋の縁側だった。
 色褪せた記憶が再び鮮やかに色を付けていくようだ。
 彼女が暮らしていた家も、座っている縁側もとても懐かしいと思えた。
「……もう百年以上前だと言うのに」
 よく覚えていたものだと夜彦は自身を懐う。そして、老婆だった小夜子の姿は若かりし頃のものに変わっている。
 それは自分の姿が彼女の恋人、暁彦であることを示すもの。
 彼女の記憶もそこで止まっているがゆえに夜彦も今の姿を取っているのだ。
『どうして帰って来なかったのですか』
 縁側から立ち上がった小夜子は夜彦を暁彦だと思って責めてくる。それだけではなく、彼女は夜彦の首に手をかけた。
『ずっとお帰りを待ち続けておりましたのに』
 涙を流し、責める小夜子の声は悲痛だった。若い頃であるというのに老婆になるまで待っていた苦しみと悲しみが宿っているかのようだ。
『どうして逢いに来てくださらなかったの』
「私は――」
 首を絞められ、小夜子の影から獣めいたものが現れて自分を襲おうとも夜彦は一切の抵抗を見せなかった。
 ずっと待っていたのに。
 ずっと想っていたのに。
 その言葉は自分ではなく彼に向けたものだ。それゆえに言い返す言葉も伝えることも出来ない。姿を模した夜彦をではない、彼への言葉に答える権利は持っていない。
 皮肉なものだと思えた。
(幻でさえ私を見てくださらない。姿を模したが故に、偽ったが故に……)
 小夜子は尚も首を絞めていく。
 されど夜彦はその手の力が人を殺すに至らないものだと察していた。紡ぐ言葉には黄昏の力による怨嗟が入り混じっているが、本当の小夜子の言葉ではない。
『偽物』
「……!」
『紛い物』
「……ええ」
 だが、いつしかその言葉は夜彦自身を示すものになっていた。それは自分の意識が黄昏の力に反映されているからだろう。それでも夜彦は彼女を見つめ続ける。
「小夜子様、私には分かるのです。貴女が誰かを傷付けない事も、だからこそ静かに生涯を終えた事も――」
 もしこれが表に出来なかった悲しみなら、己はそれを受け止めたい。
 そう思いながら夜彦は小夜子の責め苦を聞き続けた。いずれ夕暮れは宵に代わり、この歪んだ空間も消えていくのだろう。
 そして夜彦は強く想う。何も出来なかった代わりに、今度は――。
 これからは愛しい人の力になりたい、と。
 
●幸せの代価
 手を伸ばすまでもなく、届く距離。
 黄昏の異空間に佇む彼女の姿が十代半ばのままであるのは、其処で時間が止まったからだ。不知火を呼び出した倫太郎は成長した彼女の姿を知らない。
 懐かしいとは思えなかった。
 明確に云うならば思う暇がなかったと表した方が正しい。何故なら、彼女が倫太郎に向けて拳を振るったからだ。
 感じるのは胸への衝撃。不知火の拳が何度も、何度も倫太郎の胸を打った。
『貴方が!』
「……ぬい」
『貴方の所為で!』
 そんな言葉を投げかけながら彼女は倫太郎を穿つ。同時に不知火の影から黄昏の影として生み出された獣が何匹も現れる。
「そうだ、俺の所為だ」
 襲いかかってくる影獣達の攻撃と不知火の拳を受けながら、倫太郎は耐えた。
 彼女が何を責めているのかは分かる。それは自分も認めていることだ。
 倫太郎の不在。
 それが二つの一族を終わらせた。しかも彼女の婚礼の、その日に――。
 だからきっと不知火は自分を恨んでいるのだろう。実際に彼女に聞くことは出来ないが、そうに違いないと倫太郎は思っている。
『貴方さえ居なくならなければ!』
 真実しかない誹りだ。
 偽り、幻想。そんな類であったなら嘘でしかないやり過ごすことも出来るだろう。だが、一端を担ったという自覚があるので言い返せない。
「事実でしかないから、キツいな」
『のうのうと生きてる貴方が憎い! 何もなかった顔をしながら! そうやって!』
 不知火は尚も責め立ててきた。
 それは倫太郎の心を容赦なく抉ってくる。すべてが事実であり、何も間違ってはいない。過去を忘れるほどに幸せに浸ったことだってあった。
 そう考えて思い出すのは夜彦のこと。
(あぁ、ここに夜彦が居なくて良かった……)
 今、自分はどんな顔をしているだろう。きっと人には見せられないような酷い顔だ。夜彦にすら見せたくないとすら思えるほどだ。
 そんな事を思いながら、倫太郎はただひたすらに耐える。
(まだ、終わらねぇのかよ……)
 久方振りの幼馴染との邂逅だというのに、終わることだけを願っていた。
 すると、そのとき。
 幼馴染すら蔑ろにする倫太郎の心を汲んだような言葉が投げ掛けられた。
『あなただけが、幸せになるなんて……許さない』
「――!」
 その言葉は何よりも心に突き刺さった。まるで現実が遠い世界になってしまったかのように言葉と痛みが巡る。
 いずれはこの黄昏も暮れる。
 しかし現実に帰って、夜彦の顔を見た瞬間に自分はどんな風に笑えるだろうか。もしかしたら彼は本当に笑っていないと気付いてくれるかもしれない。
 だが――未だ暫し夕暮れは終わらない。
 永遠にも思える責め苦の時間が、倫太郎を蝕んでいった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

樹神・桜雪
引き続きUCで相棒を呼び出しておくよ。
……一人だと耐えきれる自信が少し、ない。
くじけそうになったら、ボクを怒ってね相棒。

記憶にないけれど何となくわかる、会いたかった人。
二度と会えない、親友だった君。
ねえ、何で?何で思い出すななんて言うの?
何故足掻くななんて言うの?
ボクは思い出したくて歩いてきたのに。
君の事を、ボクの事を思い出したくて足掻いているのに。
大切だった人に言われるのがこんなにも辛いなんて知りたくなかった。
それでも、最後までは耐えるよ。
だって、君の言葉だもの。
それが歪んだものだったとしても、幻だったとしても、もう一度会えてボク嬉しかったんだよ。
だから、辛いけど頑張る。頑張るよ。



●記憶の彼方
 曖昧な夕暮れが影を揺らがせる。
 取り込まれた異空間内は大きな図書館だった。窓から差し込む夕陽が印象的だが、何処か寂しい雰囲気が宿る場所だ。
 肩に乗っているシマエナガが妙に不安気な鳴き声を落としたことで、桜雪は唇を噛み締めた。ひとりだと耐えきれる自信がなかったが、相棒がいるなら大丈夫。
 そう自分に言い聞かせた桜雪はシマエナガに願った。
「くじけそうになったら、ボクを怒ってね相棒」
 そして、桜雪は目の前の人物を見つめる。この異空間に取り込まれるまで彼はやさしげな雰囲気を纏っていた。
 しかし、今は違う。その表情には桜雪への拒絶が混じっている。
 されど分かる。
 記憶にないけれど彼は間違いなく会いたかった人だ。そして二度と会えない人だったとも理解できる、親友だった君。
 すると彼がゆっくりと口をひらいた。
『なぜ思い出そうとするの? 思い出さなければいいのに』
「ねえ、何で?」
 そんなことを言うの、と桜雪は逆に問い返したが青年は答えない。
『なぜ足掻くの。諦めてしまえば楽だよ』
「君こそ、何で思い出すななんて言うの? 何故足掻くななんて言うの?」
 二人の会話は成立していない。
 桜雪が問いかけても明確な言葉が返ってくることがないからだ。そのことが桜雪の心を凍らせていく。折角会えたのに、どうして。そんな思いばかりが巡る。
「ボクは思い出したくて歩いてきたのに」
『無駄なことだよ』
「君の事を、ボクの事を思い出したくて足掻いているのに」
『諦めた方が良い。その様子だと忘れた理由も知らないんだね』
 徐々に会話が繋がっていく。
 しかし桜雪の裡には疑問ばかりが降り積もっていく。それに加えて黄昏の怪異が生み出した影の獣が襲いかかってきた。
 抵抗してはいけないと聞いたゆえに桜雪はただ耐え続ける。
 痛みが重なった。身体への衝撃と心に宿る苦痛だ。大切だった人に拒絶されることがこんなにも辛いなんて、知りたくはなかった。
『そのまま何も識らないで生きていければよかったのにね』
 幻影の彼は冷たい眼差しを向けてくる。
 それでも最後までは耐えようと桜雪は決めていた。
 影から攻撃受けた桜雪は果敢に堪える。シマエナガがぴっと鳴いたが、平気だと告げた桜雪はしっかりと体勢を立て直した。
「大丈夫だよ、相棒。だって……君の言葉だもの」
 君、という言葉と同時に桜雪は親友の幻影を見つめる。たとえそれが歪んだものだったとしても、幻だったとしても――。
 もう一度、会えたから。
「ボク嬉しかったんだよ。だから、辛いけど頑張る。頑張るよ」
 まだ痛みは引かない。
 されど、徐々に異空間内の夕暮れの色が変わっていた。もうすぐ終わるのだと気付いた時、空の色が昏いものに移ろっていく。
『忘れたままいて。それが、君にとっての――』
 何かを言いかけた青年の声が途切れる。その瞬間、世界が歪んだ。
 驚いた桜雪が身構える暇もなく、図書館の景色と青年の姿が宵の中に消えていった。
「終わった……?」
 周囲の光景が元いた鉄塔の下に変わったことで桜雪は辺りを見渡した。すべてがあっという間のことで夢のようだ。でも、確かに逢えた。
 未だ謎は多いが、痛みと引き換えに少しだけ前進できた気がする。
 そして――夜空を見上げる桜雪の肩で、相棒のシマエナガが静かに鳴いた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
WIZ

どうしてあなたがそこにいるの
どうしてあなたが生きてるの
ルーのママなのに、お家なのに
ずるい、ずるい
返して


……笑っちゃう

責める一対の瞳と言葉はずっと心の内にあったもの
ハッキリと言葉にされてホッとしている位よ
黄昏色の「ルーシー」の部屋
ここは本当はあなたの部屋なのね

なのに、どうして
胸の奥がぐるぐるぐらぐら
とても熱い
とても痛い

…だって
あなたがいけないのよ
あなたの体が弱くて、死んでしまうから!
取り返したいなら来ればいい
ママの側にいたのも、パパのつぎも
あなたじゃないわ!
…なのに

言葉が止まらない
オーラ防御を身にまとい
ララを強くだきしめて耐えるのが精いっぱい

本当は
こんなひどい事が言いたかったのではないのに



●少女と少女
 黄昏が生み出した幻想の異空間。
 ふたりが立っているのは黄昏色に染まった『ルーシー』の部屋。今の少女の部屋ではあったが、嘗ての彼女がいた場所でもある。
「そう、ここは本当はあなたの部屋なのね」
 少女はルーシーを見つめた。ルーシーもまた少女を瞳に映し、口をひらく。
『どうしてあなたがそこにいるの』
「……」
『どうしてあなたが生きてるの』
「…………」
 彼女が紡いでいく言葉に対して少女は無言だった。聞いていないのではなく、ただじっと耳を傾けている。
 そして、胸中に浮かんだのは意外な思い。
(……笑っちゃう)
 責める一対の瞳と言葉。それはずっと心の内にあったもので、責められても仕方がないと自分でも思っていたことだ。そのことをはっきりと言葉にされて、少女は逆にホッとしているくらいだ。
(それなのに――)
『ルーのママなのに、ルーのお家なのに。ずるい、ずるい』
 投げ掛けられ続ける言葉に胸が傷んだ。当たり前だと思っていたのに、実際に言葉にされることが苦しい。それはきっと、ルーシーの影から生まれた黄昏の獣が襲って来ているからだけではないはず。
 少女は影の獣が振るった爪を受け止め、痛みに耐えた。
『返して』
 同時にルーシーが冷たい声で呼びかけてくる。少女は胸の奥がぐるぐるしていることを自覚していた。更に足元がぐらぐらするような感覚に陥る。
「どうして、」
 少女が口にした言葉の続きはなかった。
 とても熱い。とても痛い。
 一方的に詰られることが我慢できなかった。自分はルーシーの場所が欲しかったのではない。そう望まれたから。そのように据えられたから、今のルーシーになっただけだ。
 一度思ってしまうと止められなかった。
 ただルーシーから責め立てられるだけの現状に我慢ができなくなる。
『あなたはわたしを奪った』
「ちがうわ」
『何がちがうというの。名前も、場所も、あなたが持っていったのに』
「……だって、あなたがいけないのよ。あなたの体が弱くて、死んでしまうから!」
『そんな風に思っていたの?』
「返せるなら返すわ。取り返したいなら来ればいい」
『じゃあ、あなたも死ぬ?』
「ママの側にいたのも、パパのつぎも、あなたじゃないわ! ……なのに」
 どうしてそんな風に責めるの。少女は震える声で言い返し続けた。
 言葉が止まらない。これまで溜まっていた思いを吐き出すように、少女とルーシーの視線が交錯する。
 その間にも影獣は少女の身を裂き、消え去っては新しい影が生まれて攻撃を仕掛けてきた。痛みが巡り、心までもが抉られていくかのようだ。
 そして何よりも苦しいのは、ルーシーである自分が本当の彼女に対してこう思ってしまっていたこと。
 ララを強く抱き締めて耐えることしか出来ず、少女は蹲る。
 窓辺から射す夕陽ですら眩しい。静かな暗闇にいる方が慣れてしまっているのかもしれない。本当は、こんなひどいことが言いたかったのではないのに。
『……あなたは『ルーシー』失格ね』
 幻影は言われたくない言葉を選び、冷ややかな眼差しを向け続けてくる。これが黄昏の力が齎した偽りだと知っていても心に傷を付けていく。
 しかし、やがて黄昏の時間も終わる。
 暮れゆく陽が消えていく中で部屋の光景も薄れていった。少女は――たったひとり元の世界に戻されたルーシーは俯いたまま。
「ごめんなさい……」
 気付けば少女は謝っていた。ひどいと自覚してしまったからだろうか。死んだ相手を責めることは何にもならない。分かっていたはずなのに。
 薄暗い宵の彩はまるで、今の少女の心の色を映しているかのようだった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

リル・ルリ
かあさん…

僕のことわからないのかな
母にどう接すればいい?
泣く?会いたかったって抱きつく?
それとも
わからない

空気が揺れた
かあさんが
本物のエスメラルダが歌う

ぞくりと背筋が震え呼吸を忘れる
なんだこれは
惹きずりこまれる
世界が歌になる
こんなのありえない
打ちのめされる

感じるのは悲哀と憤怒と嫉妬

ノア様
違うよ
人魚は壊れてない
彼女は歌だ
貴方は彼女に歌って欲しくて歌を作った
僕を通して彼女をみていた
…僕はいらなかった
本物の君と偽物の僕
初めから僕の為の歌はない
縋っていた何かが砕かれる
其れは存在の否定
悔しくて堪らない

でも

「リルの歌が大好きよ」

櫻色の言葉が甦る
上等じゃねぇか

かあさん
もっと歌ってよ
夜明け迄に全部くらってやる



●世界を歌に
 湖底に沈んだ街の景色が見えた。白と黒、水中に揺蕩う人魚達。
 遠い水面から差し込む夕暮れの色は妙に不穏だ。そう感じるのは黄昏の怪異の気配が感じられるからだろうか。
 しかしリルは黄昏よりも目の前の人魚にだけ意識を向けている。
「かあさん……」
 彼女は何も答えない。あの手記が本当ならば自分は彼女が護りたかったはずの存在なのに此方を見ようともしない。見つめてはいるが、その瞳にリルは映っていない。
「僕のことわからないのかな」
 かあさん。
 たった四文字の言葉でしかないというのに、その呼び名には不思議な違和感がある。呼び慣れていないからなのだろう。はじめて自分の家族といえる相手に逢えたというのに、リルの心はざわついていた。
 母にどう接すればいいのだろう。
 泣くのか。会いたかった、と抱きつけばいいのか。それとも――。
「わからないよ」
 親子としての接し方をリルは知らない。歌しか教えてもらえなかった。歌うことしかしてこなかった。唯一知っているあの親子も、世間から見れば歪な形なのだろう。
 戸惑いめいた思いを抱く中、不意に黒の人魚が花唇をひらいた。
 響く音。
 水底に揺らぐ聲。歌。音色。
 なんだこれは。
 リルは自分の背筋が震えたことを感じた。これまで誰かの歌を聞いてこんな心地になったことがあっただろうか。
 呼吸すら忘れ、やっと息を吐けば泡沫の粒が水面の方に浮かんでいった。
「かあさん――ううん、これが本物の……エスメラルダ」
 引き摺り込まれる。否、惹き込まれると表した方が正しい。リルは耳に届く歌聲に酔わされているような感覚をおぼえていた。
 世界が、歌になる。
(こんなの、ありえない。僕の歌なんて――)
 打ちのめされそうになった。自分が一番だと自負していたわけではないが、この世界には敵わないものがあるのだと思い知らされたようだ。
 それほどまでに彼女の歌は美しい。
 されど其処から感じるのは悲哀と憤怒と嫉妬。そして黄昏に与えられた憎悪。
 歌は響き続ける。
 水底に沈んだ街を弔うかのように、嘗ての彼女を映し出すかの如く歌われ続ける。きっとその声も姿も生まれたばかりのリルの心の奥底に眠っていたのだろう。彼が意識することの出来ない深い部分から掬われた記憶だ。
 それを知らぬまま、リルは震える腕で手にしていた手記を更に強く抱く。
「ノア様」
 思わず零れ落ちたのは座長の名。自分に歌を教えてくれた。歪んでいたとしても自分を育ててくれた彼。ノアは手記にこのように記していた。
 ――この人魚はとうに、壊れている。
 リルはあの一文を思い出しながら、違うよ、と首を横に振った。
 人魚は壊れてなどいない。彼女は歌そのものだ。今も歌いあげられている声はリルの心を震わせ、揺らがせていく。
「ノア様……貴方は、彼女に歌って欲しくて歌を作ったんだね。僕を通して、彼女をみていたから……本当は、僕なんていらなかった」
 胸の奥が痛い。
 本物の君と偽物の僕。それが黒の人魚と白の人魚だ。
 即ち、はじめからリルの為の歌はなかった。唯一、縋っていた何かが砕かれていく。其れは存在の否定であり、悔しくて悔しくて堪らなかった。
 胸を衝く痛みに耐えながら、リルは俯きそうになっていた顔をあげる。
 しかし支えは歌だけではない。他でもない彼が言っていたことが思い浮かんだ。
 ――『リルの歌が大好きよ』
 櫻色の言葉が裡に蘇り、リルは尾鰭をふわりと揺らした。同様に黒の人魚も闇のヴェールめいた鰭を揺蕩わせる。
 そして、リルはエスメラルダを見据えた。
「上等じゃねぇか」
 身構える。彼女は何も語ってくれないが、歌で感情を伝えてくれている。それまで揺らがされていた意識を強く保ち、今度はしっかりとあの四文字を言の葉に乗せた。
「かあさん、もっと歌ってよ」
 その歌を自分のものとしてくらってやろう。
 これが記憶の奥底から拾いあげられたものならば、己の歌にだって出来るはず。
 黄昏が暮れるまで――否、たとえ夜明け迄続いたとしても、全部。
 黒の人魚の歌声に合わせて白の人魚が声を揃えていく。ふたつの歌声は混じりあい、水底の街に響き渡っていった。
 そして、いつしか黄昏の時間が終わる。
 水底ではなく空が見えていることに気が付いたリルは、自分が元居た世界に戻っていることを察した。あの街も、あの人魚も、まぼろしだったけれど。
「……かあさんの歌、確かに聴いたよ」
 そうしてリルは眼を閉じ、そっと宵の空に思いを馳せた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵
懐かしい桃の香
サクヤ―この駄龍!(平手

馬鹿力!
―貴方がか弱いの
うじうじと情けない

怒る貴女も美しく愛しくて
でも
私の家目当てで
―私の悲願は生家の再興
家が滅ぶ屈辱と絶望を知ってる
何事からもすぐ逃げるダメ男では傾くわ
私は支える為にあるもの

捨てたくせに
―先走り勘当された馬鹿は誰

あいしてた
―私を膿んだ傷痕にした貴方は嫌い


―己に責任を持つのよ櫻宵
いい加減偽るのはやめて

怖いの
また
貴女の様に喰い殺す
―馬鹿
慾すら喰らってこそ龍
呑まれず制しなさい

もしもの時は私が貴方を止める
櫻宵の中の私が

破魔の鬼を喰らった呪詛の龍へ
優しい言葉が一番辛い
貴女なら
憎んで罵ってくれると
痛くて苦しい
涙がとまらない

それでも明けて欲しくないの



●痛みと衝動
 懐かしい桃の香がした。
 いつの間にか閉じていた瞼をひらいたとき、其処はあの千年桜の下だった。
 夕焼けが妙に眩しい。これも黄昏の怪異が齎した光景なのだろう。
「……サクヤ」
『――この駄龍!』
 目の前にいる彼女の名を櫻宵が呼んだ瞬間、平手打ちが飛んでくる。ぱしん、だとかいう軽い音ではない。轟と響くような音が鳴った。
 かなりの衝撃だったが櫻宵はなんとか耐える。そして思わず言い返した。
「馬鹿力!」
『貴方がか弱いの! うじうじと情けないですね』
 サクヤはあの頃と変わらぬ口調と表情で櫻宵を責め立ててくる。しかし櫻宵の胸は懐かしさでいっぱいだった。
 怒る貴女も美しく愛しくて、また見たいと思っていたものだ。
 でも、と櫻宵は俯いた。
 彼女は初めて出逢った時、最初から自分を知っていた。あのときは気付かなかったが、後で思うとそんな素振りだったように思える。はじめから誘七の家目当てで近付いたということだったのかもしれない。
「サクヤ、貴女は……」
『ええ、私の悲願は生家の再興です』
 彼女は家が滅ぶ屈辱と絶望を知っていた。あの頃の櫻宵は何事からもすぐ逃げようとしていた。そんな男が相手では何もかも傾いてしまう。私は支える為にあるものだと告げた彼女は、櫻宵に冷たい眼差しを向けてきた。
 サクヤではあるが、サクヤではない。黄昏の魔力に歪められた彼女の視線を受けた櫻宵は息苦しさを感じてしまった。
「貴女も捨てたくせに」
『先走って勘当された馬鹿はどなたでしたか?』
「あいしてた」
『私を膿んだ傷痕にした貴方は嫌い。憎くて、憎くて堪りません』
「それでも、」
『あの子が居たというのに、どうして私を喰らったのですか? あの子の幸せを願うよりも貴方は自分の慾を優先したのでしょう』
 互いに交わす言葉は微妙に噛み合っていなかった。縋るように過去を語る櫻宵と、今の櫻宵を責め続けるサクヤ。視線は交わっていても心までは交わらない。
「…………」
 櫻宵は何も言えなくなってしまった。
 もし言い訳をしてしまえば自分の中の何もかもが壊れてゆく。隠して、秘めてきたものが顕になってしまうだろう。
『己に責任を持つのよ、櫻宵。いい加減に偽るのはやめて』
「ダメよ、サクヤ。怖いの」
『私のように、あの人魚を喰い殺してしまうから?』
「――!」
 櫻宵の記憶と思いから作られたサクヤは本当の彼女が知らぬはずの人魚のことまで口にした。思っていたことを先に言われることになり、櫻宵は後退る。
『馬鹿ですね。本当に駄目な男です』
「ええ、その通り。貴女に捨てられても仕方が――」
『櫻宵!』
 彼が普段は潜めて紡がない弱気な言葉を落とそうとした時、サクヤが更に平手打ちをした。しかも往復だ。両頬の痛みに驚きながら、櫻宵はサクヤを見つめる。
『慾すら喰らってこそ龍。呑まれず制しなさい』
 それは厳しい口調だった。胸を抉るような言葉でもあった。そして、サクヤは櫻宵にだけ聞こえる声で囁く。
 ――もしもの時は私が貴方を止める。
 それは破魔の鬼を喰らった呪詛の龍に向けた言葉だ。そんな優しい言葉が一番辛いことすら、黄昏は読み取っていた。
 貴女なら憎んで罵ってくれると思っていたのに。
 痛くて苦しい。涙が溢れ、止め処なく頬を伝っていく。何よりも言われたくはない言葉を受けた櫻宵はサクヤを抱き締めていた。
 ごめんなさい。そんな言葉を伝えることはできない。その資格すらない。
 彼女はもう何も言ってくれない。
 しかし頬と胸の痛みは今も尚、響いていた。
 やがて、ゆっくりと日が暮れていく。この世界の終わりが来るのだと分かったが、櫻宵はサクヤを離すことが出来なかった。
(明けて欲しくないの。暮れることも、私にとっては……)
 しかし現実は非常だ。
 いつの間にかサクヤの姿は消え、櫻宵は自分を抱き締める形で立っていた。
 ――あの子は喰らわせない。櫻宵の中に、私が居る限り。
 耳元で囁かれた言の葉の続きを思い返した櫻宵は空を見上げる。桜の下で出逢ったときのような夜を思わせる刻の帳が天を覆っていた。
 噫、この思いも気持ちも屹度、未だ暮れも明けもしない。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

華折・黒羽
─泣き虫くろば

あなたはいつもそう俺を呼んだ
無邪気な顔で、優しい声で
頬に触れられた両手が熱を持たなくても
その言葉と表情が熱もつ記憶を呼び起こすから
全ての音を切り離しあなたの声だけ拾おう

─待ってたのに
─どうして皆を奪ったの
─どうして助けてくれなかったの
─どうして、私を独りにしたの

─ね、くろ
─死んだらずっと一緒だよ
─また一緒に…

嗚呼、なんて甘やかな誘いだろう
首へ降りた手が奪いゆく息苦しさも心地よい程に

でも

…ごめん、朔様
俺はまだ、生きたい

大切なものが、守りたいものが
確かにこの胸に宿っているから
今度こそ、繰り返さない為に
それに

「生きろ」、と
あなたがくれた約束だから

─…そっか

朔様
今俺は、ちゃんと笑えてる?



●共に往く路
『――泣き虫くろば』
 そんな声が聞こえ、黒羽がはっとした。
 懐かしい声だ。あなたがいつもそのように自分を呼んでいたことを思い出して、思わず泣きそうになる。本当に泣き虫だ、と自分でも思えた。
 呼ばれなくなってどれほど経つだろう。
 記憶のままの声が、そしてあの頃と同じ姿をしたあなたが其処に立っている。
 無邪気な顔で、優しい声で。
 嘗てはそうだった。しかし今、朔の眸は冷ややかだ。声にもあのときのような優しさは宿っていない。
 徐に朔は黒羽の頬に触れた。その両手には熱すらなく氷のようだ。
 だが、その言葉と表情が熱を持つ記憶を呼び起こす。だからこそ妙に胸が騒いだ。周囲は黄昏の色に染まっているが、全ての景色と音を切り離して、あなたの声だけを拾って、あなたの姿だけを見ようと思えた。
 頬に触れたまま、朔は黒羽の瞳をじっと見つめる。
 そうして、言葉を紡いだ。
『待ってたのに』
「朔、様……」
『どうして皆を奪ったの』
「それは……」
 責め立てるような声が黒羽の胸を刺す。逃れられはしないと云うように朔の掌に徐々に力が入っていった。
『どうして助けてくれなかったの。どうして、私を独りにしたの』
「…………」
 朔の言葉に対して黒羽は何も答えられなかった。抵抗はしない。してはいけないと知らされていたが、それがなくとも動くことが出来ない。
 答えぬ黒羽に構わず、朔は淡々と続けていく。
『ね、くろ』
 呼びかける声が唐突に優しくなる。それまでの冷たさが消えていった。
『死んだらずっと一緒だよ。また一緒に……』
 触れていた手が頬を撫でる。冷たい掌が黒羽の心まで撫で付けていくかのようだ。
 嗚呼、なんて甘やかな誘いだろう。
 それは朔を求め続けた黒羽にとって何よりも魅力的な言葉だった。首へ降りた手が奪っていく体温。しかし、その息苦しさも心地よくなってきた。
 このまま全てを諦めれば楽になれる。死という終わりが安らぎをくれるだろう。
 でも、と黒羽は朔の腕に手を伸ばす。
「……ごめん、朔様」
『一緒に、いこう?』
 黒羽はその手を緩く払い除けた。尚も誘ってくる朔を見つめ返した黒羽は震えそうになりながらも、己の意志を以てしかと告げる。
「俺はまだ、生きたい」
 大切なものが、守りたいものが、確かにこの胸に宿っているから。
 今度こそ、繰り返さない為にも生き続けたい。
 それに――。
「以前に『生きろ』、と言ってくれた。それがあなたがくれた約束だから」
 この朔は黄昏に歪められたもの。
 望む姿と声を映していても、本心からあんなことを言ったわけではないはずだ。絶対に言わない言葉を選ばせるならば、屹度その思いは真逆。すると朔は手を離し、とても悲しげな表情を浮かべた。
『……そっか』
 それ以上、朔が何かをしてくることはなかった。
 突き放されたようでもあり、自ら朔を突き放したのも同じ。違う苦しみが胸に浮かんできたが、それでも黒羽は決めていた。
 徐々に黄昏が宵に変わっていく。この時間も終わりが近付いているのだ。
「朔様」
 薄れていく光景と、あなたの影を瞳に映した黒羽は最後に問いかけた。
「今俺は、ちゃんと笑えてる?」
『――ええ』
 その姿が消えていく最中、朔は微かな声で確かにそう答えた。それが幻であっても構わなかった。在りし日の朔の前で笑顔を見せられたことは間違いない。
 そして、黒羽は夜の帳が下りていく空を振り仰いだ。
 過ぎ去った黄昏。其処で邂逅したあなたを思いながら、そっと――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

五条・巴
『巴』

うん

『何故とめなかった』

うん

『いつもそうだった。何をしても止めない。』

うん

『お前が否定すれば俺は』

お前は僕の忠告程度で止まれるやつじゃないだろ

それに、僕が止めることは できない

誠一郎、お前は"進む"
そう在る存在だったじゃないか。

僕は僕の選択に後悔してない。
仮に後悔しても、僕はそれを受け入れるんだ。

――ひとつだけ。
会ってくれてありがとう。誠一郎の顔を見れてよかった。僕の思い出す誠一郎のまま。声も身体も、話し方も。

僕は夢を諦めないよ。
お前がいたから僕はお前のように、"進む"ことを選び続けていられる。

言えてよかった

僕は今、君に綺麗な笑顔を見せているかな



●進むべき道の先
『――巴』
 自分を呼ぶ声は、懐かしい響きを宿していた。
 黄昏の景色が広がる中で巴は彼を見つめ返す。あの世界の風景だ。今此処にはない、とても遠い場所の光景があった。
 巴の視線を受け止めた彼もまた、此方の姿をしっかりと瞳に映していた。
「うん」
『何故とめなかった』
 頷き、短く答える巴に対して誠一郎は表情を歪めて語る。
 柔い眼差しが鋭く冷たいものになっているのは黄昏の怪異の力だろう。巴はそんなことには動じず、ただ「うん」とだけ答えた。
『いつもそうだった。何をしても止めない。お前は……』
「うん」
 誠一郎は溜息を吐く。こんな苦々しい表情を見せる男だっただろうか。常に天真爛漫だった彼から想像がし難いが、人であるならばそういった表情くらいはするだろう。そんなことを思いながら巴は彼の言葉を待つ。
『お前が否定すれば俺は』
「お前は僕の忠告程度で止まれるやつじゃないだろ」
 責め立てるような言葉を遮り、巴は首を横に振った。それに、と付け加えた巴は誠一郎に真っ直ぐに伝える。
「僕が止めることは、できない」
『いいや、お前はただそういって放棄しているだけだ』
「どうかな」
 巴はただ其処に立っていた。誠一郎が投げ掛けてくる言葉と同時にその影から魔物めいたものが生み出されていったが、巴は怯みもしない。
 牙や爪が襲い来ようとも、ただ怪異が起こす現象だとして一蹴する。
 されど抵抗はせず、巴は耐えた。
「誠一郎、お前は“進む”。そう在る存在だったじゃないか」
『お前は冷たいな』
「僕は僕の選択に後悔してない。仮に後悔しても、僕はそれを受け入れるんだ」
『……ただの言い訳だな』
 巴が思いを述べると、彼は呆れたように肩を竦めた。しかしその反応すらも黄昏がやらせているだけのものなのだろう。
 何を言われても揺らぎはしない。偽物の言葉など響きはしなかった。
 影の攻撃は激しく、巴の肌から血が滴った。傷つけないで欲しいんだけどな、と呟いた巴だが、反撃をすればいつまでもこの空間に閉じ込められると知っている。
 そして、巴は暮れゆく空を見ながら誠一郎に向き直った。
「――ひとつだけ」
『皮肉でも言うつもりか?』
 偽りの誠一郎は巴を突き放すように言い返す。それでも巴は言葉を続けた。
「会ってくれてありがとう」
 誠一郎の顔を見られてよかった。自分の思い出す誠一郎のまま。声も身体も、話し方も、懐かしいものだ。だから後悔はしていない、と。
『…………』
 誠一郎は何も言わなかったが、巴は己の思いを述べていく。
「僕は夢を諦めないよ。お前がいたから僕はお前のように、“進む”ことを選び続けていられる。だから、何度でも言うよ。ありがとう」
 言えてよかった。
 記憶の中の存在であっても、伝えられたことが自分にとっての進歩だ。
 そうして、ゆっくりと宵が訪れる。黄昏の怪異ごと誠一郎が消えてしまうのだと察した巴は心からの笑顔を浮かべた。
「ねえ。僕は今、君に綺麗な笑顔を見せているかな」
『ブサイクな顔――と言いたいが、そうだな。……綺麗だ』
 誠一郎が笑った。
 眼差しは柔らかく口調もあのときと同じだ。巴がはっとしたとき、周囲の景色が元に戻っていった。其処にはもう自分以外には誰も居らず、夜の景色が広がっている。
 空には薄い月が見えていた。
 頭上を振り仰いだ巴はゆっくりと息を吐く。
 そうして彼は何事もなかったかのように歩き出し、帰路についた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

旭・まどか
世界が歩んだ夕暮れの先
彩を変えて移したのは、――嗚呼、やはり

お前は“此処”を、選ぶんだね


くらいくらい夜の底
夕暮れの橙が湖面を朱く染め上げて

だから此処が幻であると解る
――識っている湖の色と、違うから

燃え上がる夕陽が如く朱く染まる湖の色
其はお前が流した血の色の様だと


こころを傷つけられたお前
幼い肩に背負うには重すぎた荷

どれもこれもがお前を責めて
そしてお前自身でさえ、お前を、責めてしまった


お前が感じた痛みは、どれだけ痛かったのだろう
劈く悲鳴にも似た叫びは強く、深く僕を抉るけれど
比じゃない筈だ

比べられて、佳いものか

お前が感じた痛みが、こんな程度である筈がない


耐え抜いたとて
お前だけはぼくを、怨み続けていて



●風に謳う怨嗟
 世界が歪み、夕陽が色濃く変わる。
 夕暮れの先に視えたのは湖面。彩を変えて移したのは、まどかにとってやはりそうだと思える光景が広がる場所だった。
「お前は“此処”を、選ぶんだね。いや、僕が選んだのかな」
 まどかはふとした思いを零す。
 此処は黄昏が自分の思いを読み取って作りあげた異空間だ。目の前に立っている彼の意志など反映されていない。
 何故なら彼はもう亡き者だからだ。
 水底を見下ろす。其処には夜を思わせる昏さが宿っていた。夕暮れの彩が染めあげるのは水面だけ。橙色が揺らめいているのも表面のみだというところもまた、自分の心の在り方を表しているようだ。
 識っている湖の色と違う。
 それゆえにこの場所が幻でしかないと解ってしまう。
 そうだ、と頷いたまどかは燃えあがるような夕陽を振り仰ぎ、朱く染まる湖の色をもう一度だけ見遣った。
「其はお前が流した血の色のようだね」
『おれを本当にころしたのは誰だと思う?』
 まどかの声を聞き、少年はそのように語りかけてきた。二人の間に風が吹き抜け、冷たい空気を運んでくる。
 本当は彼が纏う風は夏の陽射しのように明るいものであるというのに。まどかを見据える少年の瞳もまた冷たい。
 こころを傷つけられた彼。それは幼い肩に背負うには重すぎた荷だった。
 だが――。
『独り善がりの、こんなことをしてきみは満足なの?』
 少年はまどかに問いかけ続ける。それがどんな意味を持つのか。まどか自身は何も答えぬことで返答としている。
『いますぐに生き返らせてよ。きみにはそれが出来る。だっておれは――』
「出来ることならそうしてるさ」
 首を横に振ったまどかは敢えて彼の言葉を遮った。しかしそれ以上は何も言えない。そうして、まどかは彼の境遇を思った。
 どれもこれもが彼を責めた。少年自身でさえ、自分を責めてしまった。
 彼が感じた痛みはどれだけ深かったのだろう。死を迎えたという事実が示すのは、もう彼が何も語れないということ。誰も知らぬまま水底に沈むだけだ。
 劈く悲鳴にも似た叫び。
 それは強く、深く、激しくまどかを抉る。けれど、と胸元を押さえたまどかは思う。彼が受けた痛みはこの比じゃない筈だと。
『もっと生きたかったよ。それにもっと、あの子のことを……』
 少年は語る。
 その声をまどかはただ聞くことしか出来ない。
『全部全部、きみのせいなんだ。きみがいないから、きみがいたから、きみが――』
「もう、いい」
 彼の声が悲痛なものになっていくにつれてまどかの胸も傷んだ。
 だが、この痛みは比べられて佳いものではない。彼が感じた痛みが、こんな程度である筈がないのだから。
 苦しみは終わらない。きっとこの黄昏が終わっても続くだろう。
 次第に空は暮れ、朱く染まっていた湖面も夜の底のような彩になっていた。そうして全てが消えていく。
 少年の姿は瞬く間に消失した。元ある形に戻っただけかもしれない。
 それまで立っていた湖の景色も現実の鉄塔の光景に移り変わった。自分以外には誰もいなくなった宵空の下で、まどかは俯く。
「――お前だけはぼくを、怨み続けていて」
 その視線の先には、常に彼の傍に寄り添う灰狼の姿があった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

薬袋・布静
移り変わった場は“薬袋堂”だった
本来の店主である義祖父を歓迎するような店の雰囲気

――昔のまま、ガキん頃のままや

心の内で溢れ出た歓喜と虚無感
幼少期に戻った、そう錯覚する程に焦がれた人が其処に居る

虚しい行為と理解していても言葉なく
ただこの光景を切り取り彼の人ごと目に焼き付けるのに忙しい
目を逸らしたいはずの虚構に過ぎない現状なのに目が離せないのだ

場の沈黙を切ったのは彼の人

“ しけた面してはるな、布静”

声まで同じなんやな
数十年振りに聞いた声に増す己への嫌悪感

封を切ったように次々と浴びせられる罵声に
穏やかな笑みと共に静かに肯定の声を上げた

殺した時から全て――
義祖父の真似事をしてきた男の身勝手で傲慢な贖罪



●偽りの贖罪
 移り変わった場所。
 それは見慣れた店先――薬袋堂だった。
 其処は本来の店主である義祖父を歓迎するような雰囲気であり、店内も淡い夕陽に照らされていた。懐かしいと思ったのは幼い頃の記憶のままだったからだ。
(昔のまま、ガキん頃のままやな)
 それもそのはずだ。
 彼と過ごしたのはこの時期。心の内で溢れ出た歓喜の中に、失ってしまった時間の中に立っているという虚無感が入り混じっている。
 もう二度と戻れぬ幼少期に戻った。そのように錯覚する程に精巧な異空間だ。そして今、焦がれた人が目の前にいる。
 黄昏に彼を呼ぶ。
 それが虚しい行為と理解していても、どうしてか足を運んだ。
 もう一度、見たかったのかもしれない。逢いたかったからこそ呼んだのだろう。今はそのことを突き詰める暇はなく、ただこの光景を切り取り、彼の人ごと目に焼き付けるのに忙しかった。
 目を逸らしたいはずの虚構。
 そんなものに過ぎない現状なのに目が離せないのは、布静の心が惹きつけられているからなのだろう。
 そして、場の沈黙を切ったのは彼の人だった。
『しけた面してはるな、布静』
「……そうかもしれんな」
 呼びかけてきた彼の声に答えるのはそれが精一杯だった。彼にあの頃のような雰囲気はなく、黄昏が宿す憎悪に満ちている。
『そりゃそうやわな……オレを殺しよったんやからなあ』
 突き付けられる言葉に対して胸が傷んだ。それでも視線を外すことは出来ない。布静はただ、彼が落とす声を聞き続けるだけだった。
『あれほど言うたやんなぁ? あの調合はするなって』
「それ、は――」
『守りもせんと床に伏せとるオレにその出来損ない飲ませおって。吐血した自分の血で窒息してく様を見るのは楽しかったか?』
 義祖父は淡々と、しかし布静を詰るように告げていく。
 声まで同じだ。
 責める言葉を聞きながら布静はそんなことを考えていた。言い返すことはしない。数十年振りに聞いた声に対し、増していくのは己への嫌悪感だ。
『そうや、思い出したか。お前がオレを殺したんや』
 封を切ったように次々と浴びせられる罵声。忘れていたわけではない。ただ封じていただけだ。誰にも語らず、素振りすら見せず、ずっと。
 すると彼は双眸を鋭く細めた。
『一度はお桜夜の元に逝けるとも思った。しかし、とうのお桜夜は――』
「…………」
『それが今はお前が面倒を見とるんか。真似もそこまでくればええモンやなぁ』
 黄昏は布静の記憶と思いを読み取る。
 それゆえに本当の彼が知らぬことが次々と語られていった。
「ああ。全部、ただの真似事や」
 布静は胸を押さえ、穏やかな笑みと共に静かに肯定の声を返す。否定など出来なかった。するはずがなかった。
 そうだ、彼を殺した時から全て――。
 自分は義祖父の真似事をしてきた。すべてをなぞっていくことが贖罪だと考えて生きてきたのだ。それが身勝手で傲慢な行為だと自覚していても、それこそがこれまで歩んできた路だった。
『お前はただ罪を重ねているだけや。いい加減、気付け』
「……そんなん気付いとる」
『ならお前は最低の奴や。解っていて尚――』
 更に言葉を重ねていく義祖父の声が唐突に途切れる。いつの間にか俯いてしまっていた顔をあげると、薬袋堂の景色が揺らいでいた。
 黄昏の時間が終わったのだと気が付いたとき、布静は元の場所に戻っていた。
 逢いたかった。その声を聞きたかった。
 しかし、突き付けられたのは現実と罵倒だけで――。此れで良かったんやろか、という呟きを落とした布静は静かに拳を握り締めた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

芥辺・有
うってつけじゃないか
最期の路地なんてさ

なあ、そんなに睨まなくたっていいだろ
お前が死にゃ良かったんだって
私だってそう思ってるさ
だってそのために拾ったんだろうが
なのに、なんで先に行ったの
いつもいじわるで、皮肉ばっかり言うくせに、なんで
身代わりだって、言うならそうしたのに……
そんなこと、いつの間にか言わなくなって

ねえ、無明
あんたの真似ばっかり得意になったよ
酒も飲めるようになったし、煙草も吸ってるんだから
話し方だっていつの間にかあんたにみたいに

……ああ、同じ顔だ
幻にこうして触れるなんておかしいね
無明って案外体温高くてさ……
お前が何言ってようがどうでもいいんだ
なあ、やっぱりあいつに夕暮れは似合わないな



●無と有
 揺らいだ視界。
 黄昏の色は変わらぬというのに景色だけが変わった。
「うってつけじゃないか」
 有は目の前にある光景を見遣り、そうだろ、と無明に呼びかける。
 此処はそう、彼が最期を迎えた路地だ。自分と彼が対峙するならばこの場所しかないと思えた。対する無明は夕陽のように赤く燃える瞳を有に向けていた。
 有と無明。
 今も有り続ける者と、明を無くしてしまった者。
 生きているかどうかの点を切り取っても、両者の対比は深い。
「なあ、そんなに睨まなくたっていいだろ」
『お前が死ねば良かったんだ』
 有が無明に呼び掛けると、相手は双眸を鋭く細めてそんなことを言った。きっとこれは黄昏の怪異が選ばせている言葉だ。そんな声だったね、と妙な感慨を覚えながら有は首を横に振る。
「言われなくたって、私だってそう思ってるさ。だって――」
 そのために拾われた。
 弾除けか盾か。ただそのように使うだけの心算だったと有も知っていた。
「なのに、なんで先に行ったの」
『…………』
 無明は有の質問には答えなかった。その沈黙が今は妙に痛い。それだけではなく無明の足元から無数の影が蠢きはじめる。
 それが黄昏の放つ影の獣だと気が付いたが、有は身構えるだけで何もしない。
 抵抗はするなと云われていた。ならば今は敢えてこの痛みに耐えるだけだ。影の獣は爪を振り上げ、有の身を裂く。
 一撃ごとに影が散り、また新たな影が無明の足元から現れていった。
『そうだ、お前が身代わりになれば良かった』
「いつもいじわるで、皮肉ばっかり言うくせに、なんで……身代わりだって、言うならそうしたのに……」
 最初は無明もそう言っていた。だが、いつしかそんなことを言わなくなったのが有にとっては不可解だった。本当は気が付いていたが口には出来なかった。
『お前には何でも有るが、それは奪ったものだろう』
 自分からな、と無明は己を示す。
 有は彼がそんなことを言うはずがないと解っていた。しかし姿形は無明そのものだ。それゆえに有は本当の彼に語りかけるように言葉を紡いでいく。
「ねえ、無明」
 有は彼が知ることのなかった今までの自分について語っていった。
 あんたの真似ばっかり得意になったよ。
 酒も飲めるようになったし、煙草も吸っている。
 話し方だっていつの間にかあんたにみたいになった。
 ゴミ同然の子供だった。何も識らない少女だった。あれから比べれば自分は随分と変わった。無明に生かされた命だからと彼をなぞってきた。
 しかし、満ち足りてはいない。
 どれだけ無明を真似ても、どれほど似せようとしても自分は違う。
 時が流れるにつれて何もかもが遠くなる。ただの過去という存在に変わっていった。ひとつ以外は何も持ってはいない、何も有りはしないのに。
『虚しいな』
 幻影の彼がたった一言、そのように今の有を評した。そうかもしれないね、と答えた有はそっと男に歩み寄っていく。伸ばした手が彼の頬に触れた。
「……ああ、同じ顔だ」
 幻にこうして触れるなんておかしい。
 それと同時に懐かしい感覚が蘇ってきた。無明は案外、体温が高かった。そんなことを不意に思い出した有は双眸を細める。この仕草もまた今の彼の真似だ。
 心が軋む。傷付けられた身体も痛んだ。
 だが、絶望は抱いていない。
「お前が何言ってようがどうでもいいんだ」
 有は無言のまま佇む彼を見つめる。燃える太陽のような赤い瞳と静かに揺れる金の瞳。視線が重なり、双方の瞳に互いの姿だけが映り込んだ。
 そして、有は口許を薄く緩める。
「なあ、やっぱりあんたに夕暮れは似合わないな。この空よりも、もっと――」
 そう呼びかけた刹那、有の周囲を取り巻く景色が歪む。
 黄昏が終わって夜が訪れたのだ。いつしか影の獣は消え去り、目の前に立っていた無明の姿も薄れていく。
 鉄塔が見えたことで全てが終幕したのだと理解する。
 終わってみればあっけなく、とても短い邂逅でしかなかった。
 しかし、確かにその声が聞けた。有は仕舞っていた煙草を取り出す。弔い代わりにあの怪異が呼び出した彼にも勧めてやれば良かっただろうか。そんなことを思いながら、有は煙草に火を点けた。
 そして――夜の狭間に幽かな紫煙が揺らいでいく。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴島・類
そうして陽が傾く

割れた先に広がるのは
大銀杏の側にある、社
焼ける前のそれの側で

向き合う君が紡ぐ言葉に
不思議な気持ちで向き合い

ひとかけらだって、逃さずに受け止める

不思議と感覚の鋭い子だった
まだ、ひとのかたちを持たぬ
祀られたモノの気配を感じていて

なのに、一度だって願いをかけず
ただ、独り言の相手にして

…燃えて
紅蓮に喰われる時ですら
怨みも、願いもしなかった

一言も直に交わしたことはなかったが
近くに感じていた
近く祝言を、迎えるはずの
幸せになって欲しかったひと

役立たず
紛い物

こんな風に詰ってくれたなら
どんなにか

ただひとり
託されなかった君の願いは
もう、二度と聞けぬから

こんな風に、利用するなんざ
すまないね…黄昏君



●交わす声と届かぬ言祝ぎ
 景色が割れた。
 未だ傾かない夕日の最中、類の周囲に広がっていたのはそれまでとは違う光景だ。
 大銀杏。そして、その側にある社。
 今はもう焼け落ちてしまった社を見るのは随分と久し振りだ。いま目の前にいる彼女と同じくらいに懐かしい。
『何をしに来たの。過去に縋るなんて情けない』
 愛宕が発したのは彼女が言うはずのない冷たい言葉だった。きつい眼差しだけはあの頃と変わらない。だが、その瞳には侮蔑や憎悪めいた感情が宿っていた。
 きっとこれが黄昏の宿したものなのだろう。愛宕の傍には蠢く影があり、獣の形を成しながら今にも襲い来ようとしている。
「その声を聞くのも何だか懐かしいな。ねえ愛宕」
 類は影の魔物からも意識を逸らさぬまま、向き合う彼女の名を呼ぶ。
『気安く呼ばないで』
「……そう」
 拒絶だけを示す彼女の紡ぐ言葉を聞き、類は不思議な気持ちを覚える。
 この子が愛宕でありながらも、愛宕本人ではないことは類とてちゃんと解っている。けれどもその声は紛れもなく彼女のものだ。
『何も出来なかったくせに』
 彼女がそう言い捨てたとき、影の獣が類に爪を振るった。一撃を与えては消える影。それらからの攻撃を受け止めた類は痛みを堪える。
 まるで愛宕が操っているかのような獣達は容赦がない。だが、この身体などどうなっても構わない。今はただひとかけらだって逃さず、彼女の言葉を受け止めるだけだ。
 愛宕は不思議と感覚の鋭い子だった。
 まだ、ひとのかたちを持っていなかった祀られたモノ――嘗ての類の気配を感じていた。それだというのに一度だって願いをかけなかった。
 言葉を交わしたことはない。
 そう、これが初めての会話だ。彼女の声を聞くことはあっても、声を掛けたことはなかった。彼女の独り言の相手になっていたのが自分だ。
 鋭い眼差しが類を射抜く。
 あの頃に手を合わせてくれた彼女とは違う、苦しみが其処に見えた。
『願っても叶わないって知ってたから』
 愛宕は類が考えていたことを読んだかのようにそんな言葉を口にする。しかしそれも当たり前だ。これは類の記憶を読み、思いから作られた彼女のなのだから。
「君は……燃えて、紅蓮に喰われる時ですら怨みも、願いもしなかったね」
 近くに感じていた。
 目出度き祝言を迎えるはずの子。手が届かなかった、大切なひと。愛や恋などではない。ただ幸せになって欲しかったひとだった。
『役立たず。紛い物。あんたなんて、要らない』
 彼女が言葉にするのは類が願ったこと。そう詰ってくれたならどれほど良かったかという思いの現れでもあり、同時に聞きたくはなかった言葉だ。
 愛宕は屹度そんなことは言わない。
 ただひとり、託されなかった君の願いはもう二度と聞けぬから――。
 密かに抱えた罪を暴き、断罪するかのように影の獣が襲いくる。抵抗せぬまま甘んじて受ける類の身体が傷付けられていく。
 その光景を愛宕の姿をしたものがじっと、冷ややかな瞳で見つめていた。
 やがて――。
 日は傾き、周囲の景色が滲みはじめる。この黄昏が終わりを迎えていくのだと察した類はもう一度だけ愛宕を見つめた。
 消えていく。社が焼け落ちたときのように。まるですべてが紅い夕陽の名残に包まれていくかの如く、懐かしい光景が消失する。
 ひとり残された類は鉄塔の下に戻ってきていた。肩を落とした類は黄昏の怪異を思い、静かな溜息をつく。
「こんな風に、利用するなんざすまないね……黄昏君」
 ただ逢いたかっただけだ。
 どんな形であってももう一度、あの頃の彼女に。
 それが叶った今、自分は何を思い、何をすべきなのだろうか。何処か虚しくも感じられる懐いが類の裡に沈んでいった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

朽守・カスカ
夕闇に沈むは
朽ちて灯ることのない灯台
父さんと共に過ごした頃とは
変わりはててしまった、役目を終えた姿

声を聞いて思い出す
遠く、薄れつつあったその響き
初めは口調を真似て覚えた言葉
ああ、でも父さんは
そのような悪口を言うような人間ではなかったか

灯台を見上げる
確かにこれでは灯台守としての務めは果たせない
ボクが此処に居続けることも
灯台守を名乗ることも
無駄と言われるのも仕方ない

過去に、囚われているだけなのかもしれない

それでもボクには
かけがえのないものなのさ
この場所も灯台守というものも

生き方は既に定めている
標を照らすボクが迷うつもりはない

夕闇はいずれ夜へと移ろう
消えゆく姿を見送るように
灯したランタンを掲げよう



●黄昏から夜へ
 夕闇を照らす灯。
 その景色の中に沈んでいるのは朽ちた灯台。もう明かりが灯ることのない場所だ。
 カスカが父と共に過ごしていた頃とは違う様相の灯台。変わり果ててしまったこの建物はもう既に役目を終えている。
「父さん」
 もう一度、彼のことを呼んでみる。
 すると父であった人は先程と変わらぬ冷たい眼差しを向けたまま、カスカを拒絶する言葉を紡ぎ返した。
『そう呼ばれる筋合いはないよ』
 それは彼ならば言わないような言葉だった。しかし元より怪異が歪めた存在だと知っているゆえにカスカは大きく動じることはない。
 そして声を聞いて思い出す。
 遠く薄れつつあったその響きはとても懐かしい。あの頃、まだ何も知らぬ自分はまず彼の口調を真似て言葉を覚えていった。
「ああ。そんな声だったね、父さん」
 記憶は薄れる。それはこうして今を生きる者ならば当たり前のことだ。
 俗説ではあるが、ヒトはまずその人の声から忘れていくという。それから温もりを忘れ、思い出を忘れ、いつしかすべてが思い出せなくなる。だが、その声が遠い記憶の彼方にあってもひとつだけ確かなことがあった。
『キミのような屑が灯台守を名乗るなんて烏滸がましい。それに無駄だ』
 彼はカスカに向けてそんなことを言った。それだからこそ解る。これは黄昏が言わせているだけの中身のないものなのだ、と。
「父さんはそのような悪口を言うような人間ではなかったよ」
『それはどうだろう。ヒトは裏に闇を隠している。夜闇が必ず光を覆ってしまうように、何度も朝と夜が繰り返すように……』
「それはキミの――黄昏の言葉?」
 必要以上に気には止めず、カスカは灯台を見上げる。
 しかし、確かにこれでは灯台守としての務めは果たせないだろう。自分が此処に居続けることも、灯台守を名乗ることも、無駄と言われてしまうのも仕方がないことだ。
「そうだね、ボクは――」
『キミは過去に、ボクという存在に囚われている』
 カスカが言い掛けた言葉に重ねるようにして彼が告げる。それはカスカ自身が考えていたことそのものであり、揺るぎない事実だ。きっと黄昏が思いを読み取ったのだろう。
 その間に父の足元から影が現れる。獣のような形を成していくそれらもまた、黄昏の怪異が生み出したものだ。
 まるで父が自分に嗾けてきているようだと感じながら、カスカは身構えた。
 抵抗はしない。ただ与えられる痛みに耐えて時が過ぎるのを待つだけだ。そうしている間にも空は次第に暮れなずんでいく。
 宵が訪れれば怪異は消える。だが、父の姿をしたものは尚も語っていった。
『灯の燈らない灯台などから出ていってしまえばいい』
「…………」
『何の意味もないことを続けるのかい?』
 彼は責め立てるようにカスカに疑問を投げかけてきた。同時に影獣がその身を抉り、鋭い衝撃が身体に走った。
「それでも、ボクには……」
『どうしたんだい。過去に縋るのがそんなに心地良いのかな』
 父の姿をしたものは淡々と、彼では有り得ないような言葉ばかりを選んでいる。対するカスカは痛みを押し込め、首を振る。
「どちらも、かけがえのないものなのさ。この場所も灯台守というものも」
 生き方は既に定めている。
 標になるのだと決め、その先を照らす自分が迷うつもりはない。迷ってはいけないと己を律し、カスカはランタンを強く握る。
 闇を照らす光。
 それが自分。カスカという存在そのものだ。たとえ幽かであっても灯火を消さずに生きようと決めた自身の誓いでもある。
 夕闇は夜へと移ろっていく。
 照らした夜の色が示すのは夕暮れの終わり。
 まぼろしでしかない灯台の光景も、目の前の彼の存在も消えてゆく定め。
「さよなら、父さん」
 それが幻影であっても今はこう告げるのが相応しい。そう感じたカスカはその姿を見送り、もう一度ランタンを高く掲げた。
 そして、空は完全に暮れる。
 訪れた夜の世界を振り仰いだカスカは暫し灯火を空に掲げ続けていた。
 これが自分の在り方。
 朽ちても守り続ける、幽かな光であろうと決めた証だと示すように――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

羽重・やち
いいや。
『  』の身を、使っても
命を付け、直しても
賤は、

お前ではないと、言う。
どうしてと啼く。
『  』と、違う、笑みを向けるなと叫ぶ。
主様が。
ぬしさま。
『  』でない賤は、〝要らない。〟
――お前を創ったことに、何の意味もなかった。

甘んじて、受けよう。いつかの、よに。
人形のよな、滑り落ちた、顔して。

ぬしさま、主様。
主様が、お言いであること。

ずうと、前から。
――知っておざんした。

そうして、穏やかに、笑ってみせよ。

主様。
指先からいつも、墓土の匂いのした主様。
『  』の墓を、暴いたのでしょ。
愛していると、言った主様。
『  』に、言ったつもりだったのでしょ。
主様。
『  』は、取り戻せなかったのでしょう?



●『  』
 暗転した世界の向こう側。
 その場所もまた夕暮れに染まる世界だった。しかし其処は昔に主と共にいた場所に似ていた。やちは周囲をゆっくりと見渡し、不思議な感覚をおぼえる。
 目の前の主はやちを見つめていた。
『いいや。お前ではない』
 主は首を横に振り、落胆したような表情を見せる。
 その身を使っても命を付け直してもやちは主の求めるものにならなかった。人の理を越えたことしようとしたからだろうか。
「賤は……」
 やちは主を見つめ返す。
『お前などではない。どうして――』
 違う、笑みを向けるなと主は叫ぶ。主様、とやちが呼んでも止まらない。
 自分を蔑んだ目で見つめる主は続けていく。ただやちを拒絶し、否定する言葉ばかりを選んで遠ざけようとしていた。
「ぬしさま。『  』でない、賤は、要らない、と……」
『――お前を創ったことに、何の意味もなかった』
 主はやちに対してそう言い放った。その言葉はやちの存在すら否定するものだ。これはきっと黄昏の力が作用しているのだが、それだけではないような気がした。
 やちは動じない。
 主の言葉と叫びと同時に、その影から黄昏の魔物が飛び出してくる。やちに向けて駆けてくる影の獣は爪を振り上げた。
 鋭い衝撃がやちを襲ったが抵抗はしない。主の言葉ごと、甘んじて受けようと決めていた。そう、いつかのように。
 人形のような滑り落ちた顔をして――。
「ぬしさま、主様」
 やちは主に呼び掛ける。その声が届かないと知っていても、自分は解っていたということを伝えたかった。
『お前など不要だ。砕けて消えてしまえ』
「主様が、お言いで、あること。賤は……ずうと、前から――知っておざんした」
 そうしてやちは穏やかに笑ってみせた。
 対する主は此方を睨め付ける。されどやちは怯まず、影の獣の攻撃を受けながら主を見つめ返していた。
 主様。指先からいつも墓土の匂いのした主様。
 そう呼びかけるやちは幻影が何かを言う前に己の思いを告げてゆく。
「主様、『  』の墓を、暴いたのでしょ」
 彼は愛していると言った。
 しかしそれは自分の向こう側にいる者に対してだ。それが理解できていないやちではなく、ずっと知っていた。
「主様、『  』に、言ったつもり、だったのでしょ」
『黙れ。穢らわしい』
「主様。『  』は、取り戻せなかったの、でしょう?」
 二人の視線が交差する。片方は憎悪に満ちた眼差しで、もう片方は感情が見えぬままの眼差しを向け続けた。
 黄昏の薄い陽射しが二人を照らしている。
 思いは通じない。言葉も噛み合わない。元より歪だった関係が何もかもが崩れ去っていくかのようだった。
 それでもやちは待ち続ける。この夕暮れが終わるときを。
 この身体に響く虚ろな痛みが消えていくその瞬間を。次第に日が暮れていくことを感じ取りながら、やちは只管に待つ。
 主からどのような言葉を投げ掛けられようとも、獣がどれほど身を引き裂こうとも、夕暮れの後には必ず夜が訪れる。
 そう知っているからこそ、やちは耐え続けた。
 そして、夜の帳が下りる。
 何もかもが消え去った中でやちは現実世界の夜空を眺めていた。あの邂逅は自分に何を齎すのか。それを考えながら、ただ静かに――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ユウイ・アイルヴェーム
ここは、あなたの夕焼け
みんないなくなってしまった、ただの草原
逆さに降る光の雨に、罪はないのですが

今感じなければならないのは、悲しみなのでしょう
優しいあなたはきっと望まない、歪められたかたちをしているのですから
私が呼ばなければ、こんなことはなかったのに
なのに、きっと、この気持ちは、嬉しいというものなのです

私は人形ですから、どんなことも痛くはありません
許されるなら抱きしめたかったですが

心のままに動く姿を見たかった
せめてひとつでも、こころをもたせてあげたかった

ユウイが壊れて私が消える、そのときに
綺麗なものも、濁ったものも、あなたが守ろうとした全部を
私が集めたこころを、あなたに届けると決めているのです



●触れた心
 景色が入れ替わる。
 夕暮れの景色がまた別の夕焼けの光景になっていった。
 此処はみんながいなくなってしまった、ただの草原だ。その景色と目の前の少女の姿を確かめながらユウイは思う。
 この場所は少女の為に用意されたところなのだろう、と。
「ここは、あなたの夕焼け」
『そう、あなたのものではない夕焼け』
 ユウイが告げると、少女は似た言葉を紡いでくる。黄昏の怪異の力が働いているのか相手は蔑んだような眼差しを向けてきた。
「あなたは……」
『誰も彼も憎いの。あなたも、みんなも』
 逆さに降る光の雨に罪はない。
 そして今、感じなければならないのは悲しみなのだろう。彼女がこんな風に歪められたこと。苦しい言葉ばかりを言わなければならないこと。
 優しいあなたはきっと望まない。
 歪められたかたちをしているのですから、とユウイはユウを見つめる。ただ会いたいと願ったから彼女はこんな形で顕現してしまった。
「私が呼ばなければ、こんなことはなかったのに。それなのに……」
『あなたは人を歪めてまで、こんなことをしたの』
「そうですね。でもきっと、この気持ちは、嬉しいというものなのです」
 だから責められても良い。
 ユウに逢えた。まぼろしであっても目の前に彼女が居る。その代償としてか、黄昏の怪異が作り出した影の獣がユウイに襲いかかってくる。
 草原に揺らぐ影は容赦なく、その身体を爪や牙で引き裂こうと狙った。
 しかしユウイは揺らがない。ユウの姿を見つめたまま影の獣の攻撃を受け続けていこうと決めている。
 自分は人形だからどんなことも痛くはない。
『近寄らないで。あなたと一緒になんて居たくない』
 その間にもユウは拒絶を言葉にし続ける。会いたいと願ったからだろうか。彼女はユウイを退けようとしていた。
 本当は許されるならユウを抱きしめたかった。確かな質量を持っているユウに触れてみたかった。そして、心のままに動く姿を見てみたい。
 せめてひとつでも、こころをもたせてあげたかった。
 ユウイは手を伸ばす。
 対するユウの足元からは魔物の影が現れ続けていた。まるで彼女が嗾けているようだったが、これもまた黄昏の力だ。
 そして、ユウイの手がユウに腕に触れる。彼女は抵抗しなかった。
 冷たい瞳で見つめてくるだけだ。しかしユウイはそのまま敵からの攻撃に耐え、ユウの手を握った。
 少女と少女の手が重なる。どうしてかユウは抵抗しない。
 そのまま掌を握ったユウイは彼女に思いを告げてゆく。
「ユウイが壊れて、私が消える、そのときに……綺麗なものも、濁ったものも、あなたが守ろうとした全部を――」
『…………』
「私が集めたこころを、あなたに届けると決めているのです」
 ユウは何も答えなかったがユウイは言葉を続けた。二人の視線が交差する。
 その瞬間、夕暮れが揺らいだ。
 辺りを照らしていた夕陽が見えなくなったと思った時、影やユウの姿が薄れる。はたとしたユウイは黄昏の時間が終わってゆくのだと感じた。
 草原もユウも消えていく。
 それはまぼろしに過ぎない。幻想であり幻影だ。
 繋いでいた手が解けていく。それと一緒に周囲の景色が元あった鉄塔の現実世界に戻ってった。ユウイはもう一度だけ腕を伸ばしたが、その手は空を切る。
 そして、黄昏は消えた。
 移り変わる空模様を見上げたユウイは触れた掌の感触を思い出す。
 自分が集めたこころはいつか本当に彼女に渡せるだろうか。その答えを持っているものは今は誰もいない。
 夜空の色はただ静かに群青の彩を映していた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ユヴェン・ポシェット
あの森を…思い出すな。
沈む前の鮮烈な色を放つ夕暮れ、差し込む光まるで燃えているみたいだ。

小僧、また来たのか
そう言っていつも迎え入れてくれた。
小僧じゃない!と言いつつアンタにそう呼ばれるの結構好きだったよ

アンタが俺を呼ぶのなら、小僧でも、偶に呼んでくれたユドでも、……化物でも、特別な呼び名だったから。

小僧、お前は得体が知れない。
人の子でありその身は鉱物であり、まるで化物だ。…そう、私と同じだと嬉しそうに言っていたな

人と共に生きるより、あの場所を自分の居場所として望んだ。
その望みを告げた時、俺が居たのは地下牢。自身の身体砕き、外に何とか出た時にはもう、
あの場所は炎の中。

本当にすまなかった…。



●懺悔
 瞼をひらいたとき、其処はもう鉄塔の下ではなかった。
 其処は夕暮れ時の森の中。
「あの森を……思い出すな。いや、此処は俺の記憶のものなのか」
 なあ、とミエリクヴィトゥスに呼びかけたユヴェンは双眸を細めてみせた。
 ふたりを照らしているのは沈む前の鮮烈な色を放つ夕暮れ。木々の間から差し込む光は朱く、まるで森が燃えているかのようだ。
『小僧、また来たのか』
 嘗てそう言って迎え入れてくれたミエリクヴィトゥスが懐かしい声を紡いだ。だが、其処に続いたのは以前には言われたことのなかった言葉だ。
『邪魔な小僧だ。さっさと去れ』
「ミエリ……」
 その声には冷たさしか宿っていなかった。
 昔は小僧じゃないと反論しつつもミエリクヴィトゥスにそう呼ばれるのが結構好きだったように思う。それはやはり声に優しさがあったからだ。しかし今、目の前の相手からはその心が消えている。
 おそらくは黄昏の怪異がそうさせているのだろう。
『穢らわしい宝石め。砕いてやろうか』
 ミエリクヴィトゥスは己の影から生まれた獣を嗾けてきた。正確に言えば黄昏の力がそれを成しているのだが、対するユヴェンから見ればミエリクヴィトゥスに攻撃されているように思える。
 しかしユヴェンとてそれは理解していた。
 ゆえに抵抗はせずに影の獣が振るう一閃を受け、ただ耐える。
『ユド、お前がこの森に来た所為で。……化け物め』
 ミエリクヴィトゥスは憎悪に満ちた言葉を投げかけてきた。ユヴェンは懐かしい響きを聞いたことで嘗てを思い返す。
「何とでも言えばいい。何とでも呼べばいい。アンタが俺を呼ぶのなら、小僧でも、偶に呼んでくれたその呼び方でも、……化物でも、」
 特別な呼び名だった。
 自分と同じだと言ってくれたから蔑称でも何でもなかった。
『小僧、お前は得体が知れない』
 人の子であり、その身は鉱物である自分を認めてくれた。以前に嬉しそうに言っていたミエリクヴィトゥスの声を今も覚えている。
 だからこそ、このような黄昏に歪められた憎悪を見ても揺らがない。
 逢いたいという願いで呼び出してしまった存在。それが歪められているとしても、ユヴェンは正しくその本質を見つめていた。
 人と共に生きるより、あの場所を自分の居場所として望んだ。
 その望みを告げたときにユヴェンが居たのは地下牢だ。自身の身体を砕き、外に何とか出た時にはもう――あの場所は炎に包まれていた。
 在りし日の姿をしたミエリクヴィトゥスと対面した今、ユヴェンはどう責められても構わないと思っていた。ただ謝りたかっただけかもしれない。
「本当にすまなかった……」
『それで贖罪とするのならばお前は浅はかだ』
「そうだろうな。幻のミエリに言っても過去は変わらない」
『解っていてこんなことをするなど、哀れで愚かだ』
「……」
 ユヴェンは自分を責め立てるミエリクヴィトゥスの言葉を聞き続ける。その間も影の獣が襲いかかって来ていたが、耐えるだけで何もしなかった。
 森を包む夕暮れの色は徐々に深くなっていく。
 まもなく黄昏の時間が終わると察したユヴェンはもう一度、ミエリクヴィトゥスを真っ直ぐに見つめる。
 こんな形でも逢えた。また一目見ることが出来た。
「――ミエリ」
 そして、ユヴェンがその名を呼んだ瞬間。周囲の景色が揺らぎ、もと居た鉄塔の光景が目の前に広がった。夕暮れ時は過ぎ去り、深い夜が巡っている。
 終わったのか、と呟いたユヴェンは肩を竦めた。
 裡に仕舞い込んだ思いは誰も知らない。そう、彼自身以外は――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

姫城・京杜
殺してくれって、頼んだのは俺
いくら殴られ蹴られても構わねェ
手とか出せるわけない

―お前のせいで俺は死んだ
―守る、なんて笑わせるな

こいつらしくない言葉、でもその通りだしな
叩きつけられる言葉を衝撃を、甘んじて受け耐える

―お前は結局何もできない
―役立たずは死ねばいい

あいつの手を見れば、俺が携えてるのと同じ黒の竜槍
あの一撃受けたらやばいな、って思うけど
それでもいいか…なんて目瞑れば

俺の携える形見の槍が黒竜になり衝撃防ぐ
!鳴雷…攻撃はするなっ
反撃は止めるが何か言いたげな黒竜に苦笑しつつ、分かったよと
今度は天来の焔を成し只管耐える

俺は守るって言いつつ、守られてばかりだ
本当に情けねェよな
…涙が溢れて止まらねェ



●真の望み
 ――殺してくれ。
 そのように頼んだのは自分自身だ。それゆえに目の前にいる相手に何をされようが、何を言われようが構わないと思っていた。
 京杜は揺らいだ夕焼けの中で彼を見つめている。
「いくら殴られ蹴られても構わねェ」
『それが贖罪の心算か? お前のせいで俺は死んだってのに』
 何とでもしろ、と京杜は自らを差し出すつもりでいたが彼は言葉を投げかけてくるだけ。目映いほどに紅い夕焼けの下で、影が蠢いた。
 其処から現れた黄昏の獣が京杜を引き裂かんとして駆けてくる。
 彼自身はただ立っているだけ。そして、冷たい声で更に言い放ってきた。
『守る、なんて笑わせるな』
 らしくない言葉だと京杜は思う。しかしそれもそのはずだ。黄昏の力で歪められているうえにすべてが事実だと感じられた。
 叩きつけられる言葉。影の獣から与えられる衝撃。その両方を京杜は甘んじて受け、耐え続けていた。
『お前は結局何もできない』
「そうだな」
『役立たずは死ねばいい』
「……そうかもな」
 彼が言い放つ言葉を聞き、短い言葉だけで答えていく。それ以上を返せる余裕も自信もなかった。何を言っても言い訳になってしまうだろうと感じていたからだ。
 影獣は一撃を入れると同時に消える。
 だが、彼の影からまた新たな獣が現れて向かってくる。
 それらの攻撃を受け止めながら、京杜はただ佇むだけの彼の手を見遣った。其処には自分が携えているものと同じ黒の竜槍が見える。
(あの一撃受けたらやばいな。でも攻撃すらしてくれないのか)
 それこそ京杜が望まぬことだ。
 自分を罰して欲しい。だが、そのように望んでいるゆえに彼は何もしてこない。黄昏が京杜の心を読んでいるからこそこうなっているのだろう。
(さっさと殺してくれればいいのに)
 目を瞑ったとき、京杜が携える形見の槍が黒竜になり、影獣からの衝撃を防いだ。
『それを使うのか』
「鳴雷……攻撃はするなっ!」
 蔑んだ眼差しが京杜を射抜く。とっさに腕を押さえた京杜は反撃を止めた。何か言いたげな黒竜に苦笑しつつ、分かったよ、と答える。
 そして、京杜は天来の焔を成して只管に耐えてゆく。
「俺は守るって言いつつ、守られてばかりだ。本当に情けねェよな」
『愚かだな。泣くことで逃げているだけだ』
「ああ……涙が溢れて止まらねェ」
『それじゃあ主すら守れないだろうな。本当に役立たずだ』
 此方の声に呼応するように黄昏の力を受けた彼が次々と侮蔑の言葉を落とす。京杜はこれもまた黄昏が自分の思いを読んでいるのだと察していた。自分が思っていながら、言われたくないことを選ぶ幻影。
 其処から受ける心の痛みは予想以上に大きかった。
 しかし、徐々に黄昏が暮れていく。
 京杜が何もしないことで怪異の時間は急速に終わっていっていた。やがて彼の姿も薄れ、不自然な程に紅かった夕陽も消えていく。
「終わるのか……?」
 京杜は次第に見えなくなっていく彼へと、思わず手を伸ばす。
 されど腕は届かず、気付けば周囲の景色は鉄塔の下に戻っていた。何事もなかったかのように、――というよりも何事も出来なかったのだ。
 京杜は夜の色に染まった空を振り仰ぐ。
「結局、俺は……」
 その後に言葉は続かなかった。胸の内に残る不穏な思いを抱き、京杜は更に昏く、深くなっていく空模様を暫し見つめていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ライラック・エアルオウルズ
僕が訪ねる、黄昏の寝室
彼は変わらず其処にあるのに、
僕は随分と変わってしまった
尤も、彼の眸のつめたさは
僕の知らない彩だけど

――ああ、ライラック
君の薬を買う為に、僕は本を手放した
僕の薬は買えなくて、僕は唯々苦しんだ
折角与えた『友人』も、君は一度手放した

叱責は、想像した物ばかり
僕が想う物で彼が想う物ではない
彼の物ではないから、痛くはない

ああ、何せ、彼は本当に優しくて
僕の為の本だけ、密やかに遺して
図書館も『友人』も、遺してくれた
なのに、人に否定されたからと
僕が『友人』を遠ざけた時でさえ
想像の中の彼は、優しくて
責めてくれない事が、悲しくて
だから、傷も、言葉も、痛くはない

ああ、けれど、
――ごめんね、父さん



●かの部屋の物語
 揺らいだ夕暮れ。次に目をあけたとき、其処はもう異空間の中だった。
 しかし、その場所は見慣れた場所だ。
 彼ではなく自分が訪ねるのは黄昏時の寝室。
 父は変わらず其処にいる。けれども、と今の自分を思ったライラックは目の前の彼と己を見比べるように視線を向けた。
「父さん、僕は随分と変わってしまったよ」
『可愛げのない姿だね』
「そりゃあ大人になったからね」
 尤も心まではどうか分からないけれど、と付け加えたライラックは父の眸の冷たさを確かめる。あたたかく優しかったあの頃の彼とは違う。知らない彩であるのは黄昏の力が深く巡っているからだろう。
 記憶の中にある寝室よりも、窓辺から差し込む茜色は深い。まるで過去が血に染められたようだと思ってしまうのも無理はないだろう。
『――ああ、ライラック』
 不意に父が自分を呼んだ。その声からは嘆きが感じられる。
 何だい父さん、と答えたライラックは身構えた。その理由は、彼の足元の影から敵意を持った黄昏の獣が蠢きはじめたからだ。
『君の薬を買う為に、僕は本を手放したんだ』
「……」
 恨みの籠もった言葉と共に影の獣がライラックに襲いかかる。寝室のベッドが散った血に濡れた。父は構わずに更に言葉を続けていく。
『僕の薬は買えなくて、僕は唯々苦しんだ。知っていたかい?』
「知っていたよ……いや、あの頃はどうだったかな。今の僕は、分かっているよ」
 責め立てるような声に対してライラックは頷きを返した。その間にも影の獣は容赦なく爪を振りあげ、一撃を与えては消えていく。
 しかし父の影からまた新たな個体が現れ、ライラックを傷付けていった。
『それに折角与えた『友人』も、君は一度手放した』
「……そう、だね」
 同時に父からの叱責が投げ掛けられる。しかしそれは自分が想像したものばかりだ。
 自分が想う感情であり、彼が想う物事ではない。確かにライラック自身が言われたくはない言葉だが、本当に痛くはない。
 そう思っていたが――やはり、実際に彼の口から告げられるとなると想像以上に胸が痛んだ。その声も姿も記憶のままの父だからだろう。
 しかし、それゆえに今の言葉が偽りでしかないことを確かめられる。
『苦しかったよ、ライラック。君を憎むほどに』
「そうだろうね。でも……」
 彼はそんな恨み言は言わない。何せ父は本当に優しかった。
 自分の為の本だけは密やかに遺してくれた。図書館も『友人』も、自分を考えて遺してくれていた。それなのに、人に否定されたからといって自分がその友人を遠ざけた時でさえ、想像の中の彼は何処までも優しかった。
 同時に、責めてくれないことが悲しくもあったのだ。
「父さん。傷も、言葉も、痛くはないよ。痛みには負けたりしない」
 だから耐え続ける。
 歪められてしまった言葉すら聞きたいと願った。言われたくはないと思っていても恨み言くらいは受け止められる。相手は他でもない、父なのだから。
「ああ、けれど、」
 逢いたかった。その声で告げて欲しかった。
 そう思ったからこそライラックは父を呼び出した。それはきっと酷く醜いエゴであり、どうしようもない感情の成れの果てなのだろう。
「――ごめんね、父さん」
『…………』
 謝罪の言葉を紡いだライラックに対して幻影の父はただ黙り込んでいた。冷ややかな眼差しは変わらない。それが少しだけ、痛々しかった。
 そのとき、不意に寝室が揺らぐ。
 窓から差し込んでいた夕暮れの色が薄まったことから、黄昏の力が弱まっているのだと感じた。そして――徐々に景色が歪んだかと思うと、父の姿が消える。
「そうか、終わったんだね」
 ライラックは自分が鉄塔の下に戻されていくことを感じながら、懐かしき寝室と偽の父に別れを告げた。
 あの誹りは自分が求めていたことだ。
 夕陽の見えなくなった空の下でライラックはそっと目を閉じた。
 そして、思う。これはなんと救いのない話なんだろう、と――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

イア・エエングラ
やあ、や、空の燃えること
こんなお空は、見たことないねえ
きみと見れたら、楽しかろうな

いいえ、きみとは、今いるけれど
ねえ、折角のお空の色にもご機嫌斜め
そんなにつまらなそに詰る眸は初めてね
笑ってくださらないの、淋しいかしら

きみが裏切った、
そうね僕の裏切った
ずうっと一緒でいたはずなのに

きみの他を、欲しくなったの
星の海から、出てみたかった
僕は欠けても痛くも辛くもないけれど
伸べる手触れられぬのは哀しいねえ

きみが壊した
そう、僕が壊したの

ほんとうはずうっと、漂うだけで良かったのに
僕が終わりにしたものだから
嘘と知れるの、哀しいね
それできみのも一度だって笑ってくれるならば
――僕はぜんぶ、おしまいだってよかったのに



●きみと僕
 空が燃えている。
 そのように錯覚するほどに天の色彩が変わった。イアは異空間の中にいるのが自分達だけ――つまり、ふたりきりであることを確かめながら、目の前のきみに語りかける。
「やあ、や、こんなお空は、見たことないねえ」
 きみと見れたら楽しかろう。
 そんな風に思ったのは、すぐそばにいるきみが違うものだから。訝しげな眼差しを向けてくるきみに向けて双眸を細めたイアはゆうるりと首を横に振る。
「いいえ、きみとは、今いるけれど」
『…………』
「ねえ、折角のお空の色にもご機嫌斜めなの」
 相手は何も言ってこないが、イアに対して拒絶や憎悪のような感情が混ざった眼差しを向けていた。黄昏の力によって与えられたもののようだ。
「そんなにつまらなそに詰る眸は初めてね」
『…………』
「笑ってくださらないの、淋しいかしら」
 冷たく凍りつくような視線がイアを射抜く。それだけでは留まらず、きみの影の中から黄昏が生み出した獣が出現した。
『きみが、裏切った』
 影が襲いかかってくる最中にそんな声が聞こえた。イアは抵抗せず、獣が振るった影の爪を受け止めながら頷く。
「そうね僕が裏切った。ずうっと一緒でいたはずなのに、僕が――」
 痛みが走った。
 それが心なのか身体へのものなのかも何だか曖昧になっていく。そしてイアは目の前から決して瞳を逸らさぬまま、思いを声にして落としていく。
 きみの他を、欲しくなったの。
 星の海から、出てみたかった。
 知らぬものを識り、見たことのないものを視たかった。
 それがきみを裏切った理由。いま、こうして対面していても後悔などはしていない。唯一思うとしたら、哀しみだろうか。
「僕は欠けても痛くも辛くもないけれど、伸べる手が触れられぬのは哀しいねえ」
『きみが壊した』
「そう、僕が壊したの」
 幻影のきみから掛けられる言葉はイアにしかわからない。ふたりだけにしか通じない、深いところで繋がった言の葉の遣り取りだ。
「そうね、ほんとうはずうっと、漂うだけでよかったのに」
 僕が終わりにしたものだから。
 嘘と知れるのが、哀しい。苦しくて、切なくて、漂うだけでは終われなかった。
 こんなに紅い夕陽が見られるのも、眩しい朝の光を待てるのも、深い夜の色にも種類があると分かったのも、星の海から抜け出したからこそ。
 それでも、とイアはきみを見つめた。
「ねえ。きみのも一度だって笑ってくれるならば――」
『捨てたくせに』
「僕はぜんぶ、おしまいだってよかったのに」
『嘘つき』
 イアの言葉など聞く気はないというように蔑んだ声を挟んできた。それもきっと黄昏がそうさせているだけなのだろう。
 そして、イアは空模様を振り仰いだ。
 いつしか影の獣が襲いかかってこなくなった。
 それに先程までは真っ赤だった空が深い宵の色に染まりはじめている。この時間も終わっていくのだと感じたとき、自分達の影が滲んだ。
 ふたつの影はひとつになっていく。
 まるであのときだ。イアがきみを裏切ったときのように離れた。
 気付けば世界は元の様相に戻っていた。誰も居なくなった宵空の下、イアはそのまま天を見つめ続けていた。
 星の海には果てなく遠い、ひとりぼっちの地上で――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

桜屋敷・いろは
森の中の研究室
白い部屋を蜂蜜色が満たす

マスター
いびつでも、ひずんでいても
貴方はわたしのマスターなのです
その姿をまた見られて
その声をまた聞けて
わたしは幸せなのです

無感動に聞いていた言葉が、今は痛い
感情を知ったから
『おまえなんか出来損ないだ』
『あの子の姿をしたからっぽのうつわでしかない』
そう。わたしは出来損ない
貴方の娘にはなり得ませんでした
見限られてから段々と態度が冷たくなりましたね
今なら貴方の気持ちがわかります

貴方の少し低い、かすれた声を
眉根を寄せて、笑いながら受け入れます

これは、罰
わたしの罪
赦される事ではない、ただの自己満足
罰せられている事で
束の間の救済を感じることができる

嗚呼、わたしは愚か



●歪な罪と正しき罰
 白く静謐な研究室の中。
 森の中にあるその場所を満たしているのは蜂蜜色の夕陽の彩。けれども其処に流れていく空気はちっとも甘くなんかない。
 冷たい視線がいろはを射抜くように差し向けられている。
「マスター」
『近寄るな、出来損ないめ』
 いろはが彼を呼ぶと、返ってきたのは拒絶を示す言葉だった。しかしいろはは距離をあけるようなことはしない。
 いびつでも、ひずんでいても構わないと思っていた。黄昏の怪異が作り出したものであっても彼は自分のマスターであることは変わらない。
 その姿をまた見られて、その声をまた聞けて、幸せだとすら思えた。
『見ることすら嫌になるな』
 掠れた低い声。懐かしいはずのその声はいろはを軽蔑するような言葉ばかりを紡いでいく。しかしそれはいつかも聞いたことのある言葉だった。
 そして、彼の足元から黒い何かが蠢きはじめる。
 黄昏の怪異が生み出した影の獣だとは気付いたが、いろはは動じない。抵抗をしてはいけないと聞いていたゆえに、ただそれらの攻撃を受け止めるだけだ。
『おまえなんか作らなければ良かった』
 嘗ては無感動に聞いていた言葉が、今はとても痛い。胸に突き刺さっていくのはあの頃とは違う、感情を知ったから。
「マスター……」
『黙れ。あの子の姿をしたからっぽのうつわでしかないくせに』
「そうですね。わたしは、出来損ない」
 もう一度呼んでも、答えてくれることはなかった。彼の言葉に頷いたいろははマスターの期待に応えられなかった自分を思う。
 望まれたとおりにはなれなかった。本当の娘には成り得なかった。
 今思えば、あの頃から見限られていたのだろう。段々と態度が冷たくなり、氷のような眼差しで見つめてくることが多くなったあの時期。
 その頃のいろはは何も感じていなかった。
『今更、そんな感情をおぼえてどうなるというんだ』
「今なら貴方の気持ちがわかります」
『心を得たとしてもおまえはあの子ではない』
「その通りです」
 マスターの声を聞いたいろはは眉根を寄せる。それでも悲しげな顔などは見せずに笑いながら受け入れた。
 その間にも影の獣はいろはを傷付けていく。
 痛みが増す。
 身体の傷と、心の痛み。どちらも深くいろはを抉っていった。
 マスターの視線は尚もいろはに注がれている。その言葉も、眼差しも、ただいろはを蔑むだけの悲しいものだ。
(ああ、マスター。きっと……)
 これは、罰。
 わたしの罪。
 逢いたいというだけで全てを歪ませたゆえの結果。赦されることではない、ただの自己満足だと分かっているから、罰せられていることに不思議な安堵を覚える。苦しみと同時に束の間の救済を感じることができる。
「わたしは――」
『愚かな人形だ』
 いろはが考えていた思いを黄昏が読み取ったのらしく、目の前のマスターが言葉の続きを口にした。身を貫くような痛みに耐えながら、いろはは彼を見つめる。
 次第にその姿が消えていく。
 蜂蜜色だった研究室も昏くなり、宵の色に染め上げられていった。
 黄昏が終わったのだと気が付いたとき、いろははたったひとりで夜空に聳える鉄塔の下に立っていた。
 愚かな、ただの人形。感情を得てもそのように評される自分。
「マスター、わたしは……」
 何かを紡ごうとしたいろはは其処で言葉を止める。今は浮かんだ思いに答えてくれる人もいなければ、何かを教えてくれる人も、誰も彼もいない。
 巡りゆく夜の昏さと深さを感じながらいろはは胸を押さえた。
 此の痛みは未だ、おさまってくれそうにない。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロカジ・ミナイ
地面に膝をつく

さぁ、おいで蝶朱

なんてかわいそうな僕の妹
生涯、地を踏み締める事の叶わなかった細い足
愛を知らずに朽ちた身体
望まれずに散らされた恋
なんてあわれでなさけない

全部にぃにがわるいのよ
蝶朱を欲しがらないからいけないの
そう叫んだあの時みたいに
僕を打って引っ掻いて首を短刀で裂いてごらん

僕をどうにかしたって僕は傷つきゃしない
痣や流血如きで僕は壊れないもの
ただ痛いばかり

僕を壊す方法ならよく知ってるはずだ
ホンモノのお前は、迷いなくムカく奴の大事なものを壊すじゃないか
……だから、例えお前に殺されたってへっちゃらさ

お前が自分の死を憂い、悲しみ、憤るほど、

――…どうなるかなど、口にはしないが
(僕は救われる)



●身勝手な救済
 夕焼けの彩は色濃く深い。
 揺らいだ先の異空の下で長い影が伸びていた。
「さぁ、おいで蝶朱」
 彼女と視線を合わせる為に地面に膝をつき、ロカジは妹を呼ぶ。その声に応えるようにして目の前に立っていた少女がゆっくりと歩いてきた。
 その眼差しは昏い。ロカジに対する憎悪や侮蔑が宿っているようだ。
 そして、ふたつの影が重なる。
 本当はこんなことすら彼女は出来なかったはずだ。それだというのにロカジの願いによって、この世界の中で有り得ないことが起きている。
 なんてかわいそうなんだろう。
 生涯、地を踏み締める事の叶わなかった細い足。それが今、ロカジが膝をつく同じ大地に触れている。それだけでも不自然だというのに、彼女はロカジの腕に自ら収まった。
 愛を知らずに朽ちた身体。
 そして、望まれずに散らされた恋。
 なんてあわれでなさけない。大切で大切で、不憫な妹。
 ロカジは妹の身体を受け止めてやった。自分が望んだゆえに黄昏に生み出された彼女の幻影はきっと思うままに――否、ロカジが望まないことばかりをするだろう。
 それでもいい。
 構わないと感じたからその名を呼んだ。
 彼は路橈という自分の字を思い出しながら、嘗ての彼女を求めた。
『全部にぃにがわるいのよ』
 腕の中の蝶朱がロカジを責めるような声を紡いだ。
 ああ、と頷いた彼はいつかの記憶と重なる言葉を思い返していた。そして、いま傍に居る彼女も同じことを口にした。
『蝶朱を欲しがらないからいけないの』
 その声には怨嗟が満ちている。黄昏の力も作用しているだろうが、元より彼女はそういったことを喚き散らす子だった。
 良いよ、と答えたロカジは自分の首を示す。
 以前にそう叫んだあの時みたいに、何でもすればいい。打って引っ掻いて、首に短刀を突き立てて裂けばいい。
 しかし、彼女はそうはしなかった。
『それがにぃにがして欲しいことなら、してあげない』
「蝶朱……」
『ひとりだけ楽になろうなんて、ゆるさない』
「そうだね、これは――」
 黄昏は呼び出した本人が望まぬことを幻影に行わせる。それゆえに蝶朱の在り方もこうして歪められてしまうのだ。
 自分をどうにかしたって傷付きはしないと、良くも悪くも自負している。
 痣や流血、刺し傷や殴打。そんなこと如きで自分は壊れないとロカジは知っている。ただ痛いばかりで、死にはしない。
 本当の蝶朱ならばロカジを壊す方法をよく知っているはずだ。
 しかし彼女は何もしない。
『何もされないから、がっかりしているの?』
 妹の皮を被って、妹の声を使って、ロカジの心を抉る。されどそれすら望んで来た。ロカジはそのまま妹を腕に抱き続けていた。ただ愛おしいからではなく、長くは立っていられないであろう細い足を支えてやるためだ。
「ホンモノのお前は、迷いなくムカく奴の大事なものを壊すじゃないか」
『それがにぃにの理想? 嫌いだってさげすまれて、壊してほしかったの?』
「……だから、例えお前に殺されたってへっちゃらさ」
『汚いひと』
 言葉は間近で交わされているが会話は成立していない。歪で不可思議な時間が刻々と流れていく中、ロカジは妹の髪に触れた。
 さらりとした糸髪の感触もその顔も記憶のままだ。自分の意思とは正反対の言葉を紡ぎ続ける妹を見下ろし、ロカジは言葉にしない思いを胸に抱いた。
(お前が自分の死を憂い、悲しみ、憤るほどに――)
 周囲を彩っていた夕陽の色が薄くなる。代わりに深い夜を連れてくる宵の色が徐々に濃くなっていった。間もなく、黄昏の時間にも終わりが訪れるのだろう。
 もうロカジは何も口にすることはなかった。
 蝶朱の姿をしたモノも、ただじっとロカジを見上げているだけだ。
 影が消える。
 腕の中の少女のかたちも次第に揺らぎはじめた。
 終わってしまえばあっけない。それはヒトの生死と同じだ。妹の感触が消えていく中で、ロカジはもう一度だけその顔を見下ろす。
 蝶朱は笑っていた。
 思い通りにはさせないと語るように、ロカジを見つめ返して微笑んでいた。
 そして、歪んだ景色と一緒に蝶朱は消える。
 同時に目の前には鉄塔が現れた。元の世界に戻されたのだろう。ロカジは地面に膝をついた体勢のまま、最期の表情を思い返していた。そして、ゆっくりと立ち上がる。
「これは、なかなかのものだね」
 落とした言葉が何に対してものだったのかはロカジ本人しか知り得ない。
 夜の色を宿しはじめた空の下、彼は頭上を見遣るでもなく地面を見つめていた。確かに一度は重なったはずの影。それすらも今はもう、見えない。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
草木はすべて枯れ果てて、それでも空は澄んでいた。
この世界ではない戦場の景色。


『おまえが転ばなければ、オロチを祓う一太刀は間に合っていました』

そうね。

『おまえが立っていれば、庇う必要もありませんでした』

そうね。

『おまえが居なければ、おれは生きていました』

そうね。

『おまえに逢わなければ、きっといまもヒトを救っていた』

そうね。

『生きるべきは、おれだった』

――そうね。


諭すような穏やかな声。
責め立てる調子だったなら、もっと救われていたでしょうに。

足を止めることを。俯くことを、赦されない。
生きているなら、立って歩きなさい。
……そう教えてくれたのは、あなたでしょう。

ほんとう。
さいごまで、師匠なのだもの。



●師匠と弟子
 また、あの戦場だ。
 罅割れた世界の向こう側にあったのは、いつか見た場所の光景。
 何処であるかは関係ない。今は詳しく探る必要もなかった。草木はすべて枯れ果て、火が燃えている。遠くで煙が立ち昇っていたが、それでも空は変わらずに澄んでいた。
 多少の火煙などには汚されないと示すような黄昏の色がある。
 この世界ではない、戦場の最中。
 其処には耀子と黒耀しかいない。死した亡骸もなければ、動物さえいない。ただふたりきりの世界が広がっている。
『おまえが転ばなければ、オロチを祓う一太刀は間に合っていました』
 そして、目の前の羅刹は口をひらいた。
「そうね」
 耀子はその口調が自分を責め立てるものだと察しながらただ頷く。黒耀は耀子を見下ろしながら淡々と言葉を続けていく。
『おまえが立っていれば、庇う必要もありませんでした』
「そうね」
『おまえが居なければ、おれは生きていました』
「そうね」
 答える言葉は同じ。その理由はすべてが事実だからだ。わざわざ否定することなどないと思っているから耀子もそう返すしかない。
『おまえに逢わなければ、きっといまもヒトを救っていた』
「そうね」
『生きるべきは、おれだった』
「――そうね」
 最後の言葉に対して、耀子は僅かな沈黙を見せた。しかしすぐにまた同じ返答を黒耀に向ける。確かに責められているというのに、それは諭すような穏やかな声だ。
 もっと強く罵倒する調子だったならまだ良かった、と考える。
(もしそうだったら、救われていたでしょうに)
 声を荒らげて欲しかった。耀子が居なければよかったと否定してくれればいい。だが、耀子自身が心の奥底でそれを求めてしまっていることを黄昏の怪異は知っている。それゆえに黒耀はああして静かに言葉を述べていった。
 生きるべきヒト。
 それが自分ではないと思うのは今も同じ。しかし、どんなに足掻いても過去は戻らないと何度も思い知った。今の耀子は過去を変えたいなどという、大それたことを考えるような少女ではない。
 だからこそだ。
 足を止めることを。俯くことを、赦されない。
 そうしてこれまで生きてきた。師匠の教えは今もこの胸にある。それに縋り続けるようなことはしないが、耀子の中には間違いなくあの言葉が宿っていた。
「生きているなら――」
『立って歩きなさい』
 耀子が紡ごうとした声に重ねるかたちで黒耀が言葉を次ぐ。紛れもないその声で、あのときと同じ調子で諭してくれた。
「ええ。そう教えてくれたのは、あなたでしょう」
『おまえがこんなところでおれを呼ぶなんてね』
「お仕事だもの」
『それだけじゃあないでしょう。おれを歪めてまで逢いたかった』
「……そうね」
 幻影の黒耀は耀子の心を見透かすような言葉を向けてくる。そして、耀子はそれまでと同じ言葉で返答した。
 何処までも師弟だ。黄昏の怪異の中にあっても本質はどうやら変わらないらしい。
 そうして、耀子達を包む夕暮れの陽が傾く。
 おそらく言葉と視線を交わしている間に怪異が消える時間が訪れたのだろう。懐かしくすら感じる戦場の景色が揺らいだ。
 火は消え、澄んだ空も歪み、黒耀の大きな影も薄らいでいった。
『さて、終わりですね』
 黒耀が不意に口をひらいたかと思うと大きな手が伸ばされた。そのまま耀子の頭に触れた掌が一度だけそっと動く。撫でられたのだろうか。そう感じたときにはもう、黒耀の姿は消えていた。
 戦場だった場所は元の現実世界に戻り、頭上には宵に馴染む鉄塔の影が見える。
「ほんとう、相変わらずね」
 耀子は肩を落とし、すっかり夜になってしまった空を見上げた。どうしようもなく胸の奥が痛い。それはきっと黄昏が残していった僅かな傷だ。そうして、耀子は紡いだ言の葉の続きを零した。
「――さいごまで、師匠なのだもの」
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ワン・シャウレン
※今回口調は(夢が覚めたら)

真っ新な、あの人と居た頃の私として静かに耐える
そして内心、その様子を今のわしとして透かし見る

こうしてみるとあの頃のわしは素直に過ぎたの
あの人は本当、大事な事は言わんととぼけておった
今会えたら言いたい事なぞ本当自己満足じゃが

御主人…あれから随分経ちました
作っただけで真実満足だったのか
そこで望みは叶わぬと悟られたのか
私にはもう確かめる術はありません
真似から始めた私も、とうに貴方から遠く
それでも、そんな私を続けようと思います
見えぬ夢を追い、出来ぬ答え合せを抱える
実は、それが一番貴女似なんじゃないかと

それと私
自分で手入れし気づきましたが
私を作ったのは貴方だけじゃないですね?



●逢魔ヶ時に夢をみる
 瞬く間に世界の色は塗り替えられた。
 鉄塔に訪れたときよりも深く色濃い茜色がワンと御主人を照らし出している。
 二人の周囲に満ちている光景。
 それはまるで血のように紅い夕暮れだ。きっと黄昏の怪異の色なのだろう。その様相はこれが嘗ての記憶のままではないと思わせる彩だった。
 御主人は椅子に腰掛けたままワンを見つめている。
『一体、何をしにきたのかの』
 彼女の口から紡がれたのは、静かながらも責め立てるような声だった。
 ワンは御主人の前に立ち、その声を聞く。今は普段のワンではなく真っ新な頃の自分だ。まるで夢から醒めたような感覚の中。ワンは彼女と居たあの頃の自分――『私』として、静かに責め苦に耐えようと決めていた。
 揺れる椅子。夕陽を受けて揺らめく影。
 御主人の足元から、黄昏の怪異が生み出した魔物めいたものが現れはじめる。すぐにでもそれらは襲ってくるのだろう。ワンは身構えることはせず、それすらも耐えきってみせようと思っていた。
『愚かな人形じゃ。わしを歪めてまで何をしにきたのか、と聞いている』
「私は……あなたにお会いしたかったのです」
 聞き慣れぬ厳しい声の御主人に対し、ワンは素直に答える。その言葉遣いは普段のワンを知っている者から見ると不思議で仕方ないだろう。しかし、ワンの口調も言葉も元は彼女を真似たものだ。
 そしてワンは内心で、御主人の様子を今の自分として透かし見ている。
 こうしてみるとあの頃の自分は素直が過ぎた。改めて御主人と対面してみたからこそよく分かる。彼女と自分を見比べてみて理解するなど、少しばかり皮肉だ。
「御主人は本当に大事なことは言いませんでしたね」
『お前のようなものに言って何が変わるというのかの』
「いいえ、何も」
 黄昏の怪異の影響なのか、御主人は冷たい言葉ばかりを選んで投げかける。ワンを大切にするような姿勢は見えない。ただ突き放すだけだ。
 それでも、ワンには彼女に言いたいことがあった。自己満足に過ぎないと分かっていても、歪められている存在だと理解していても、伝えたい。
「御主人……」
『何じゃ、くだらぬことなら聞きはせぬぞ』
「あれから、随分経ちました。あなたがこの身を作っただけで真実に満足だったのか、そこで望みは叶わぬと悟られたのか、私にはもう……確かめる術はありません」
『…………』
 ワンの言葉に対し、御主人は無言で視線を返すのみ。
 代わりに影の獣達がワンの身体を穿ってきた。一撃を与えては消える影の猛攻は激しかったが、ワンはその衝撃にになど構わず言葉を続ける。
「真似から始めた私も、とうに貴方から遠く――それでも、そんな私を続けようと思います。あなたが居た証が、私なのです」
 自分の記憶から作り出された御主人はワンが求める答えを持っていない。だが、今だからこそ分かることがあった。
 ――見えぬ夢を追い、出来ぬ答え合せを抱える。
 実はそれこそが一番、貴女らしいことなのではないか。長き時を重ねたワンは現在、そのように思えるようになっていた。
『……生意気じゃの』
「どう思われても構いません」
『そうか、強くなったのじゃな』
 ワンが告げると、御主人の幻影は何故か自分を認めるような言葉を落とした。どういった流れか分からないが、徐々に黄昏が暮れていることと関係あるのだろうか。
 次第に周囲の景色が揺らいで消えていく中、ワンは御主人を見つめる。
「それと……私を作ったのは貴方だけじゃないですね?」
 問い掛けたのは、自らの躰を手入れをしていて気付いたことだ。しかし御主人はすぐには何も答えなかった。ただゆっくりと椅子を揺らし、薄く笑む。
『ああ、それは――』
 最後に一言だけ何かの言葉が落とされかけた。されどその途中で幻影は完全に消え、ワンの身体は現実世界に戻されてしまう。
 あの懐かしい風景も御主人の姿も消えてしまった。頭上には暮れてしまった夜空と高い鉄塔が聳えているだけだ。
 ワンは軽く肩を竦め、いつもの自分に戻る。
「答えなぞ貰えぬことは分かっておったわ。それでも、わしは……」
 求めてしまった。
 これがヒトとしての心を得た証なのだろう。黄昏の怪異がすべて消え去った気配を感じながら、ワンは暫し鉄塔の下に佇んでいた。
 黄昏が終われば夜が訪れる。
 まるでふたたび夢の中に沈んでいくような――不思議な心地が巡っていた。
 
 
●誰そ彼時の終わり
 ひとつ、またひとつと黄昏の怪異が消えていく。
 永遠の逢魔ヶ時が続くことを願ったらしき奇妙なUDC。それらはその願いを叶えられることなく全て消滅した。物言わぬ彼ら。ただの怪異でしかないものが、どうしてあのような性質を持つのかは解明されないままだろう。
 
 だが、猟兵達は特異点でもあるUDC-Pを見事に保護することに成功した。
 はじめに黄昏の異空間から抜け出した者の周囲にふわふわと浮いている丸い夕陽。それが此度のUDC-Pだ。
 苦しい記憶や悲しい邂逅と引き換えに助け出されたものが、確かに此処にある。
 後は、そう――彼と共に然るべき場所に帰るだけだ。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​




第3章 日常 『UDC-P対処マニュアル』

POW   :    UDC-Pの危険な難点に体力や気合、ユーベルコードで耐えながら対処法のヒントを探す

SPD   :    超高速演算や鋭い観察眼によって、UDC-Pへの特性を導き出す

WIZ   :    UDC-Pと出来得る限りのコミュニケーションを図り、情報を集積する

👑5
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●夕暮れの欠片
 アンダーグラウンド・ディフェンス・コープ。
 UDCとも略される組織が所持する、とある研究施設内にて。
 黄昏の怪異との邂逅を終えた猟兵達は保護したUDC-Pと共に施設内に訪れていた。
 
 通されたのは白を基調とした広い部屋。
 研究施設とはいっても堅苦しい雰囲気はなく、柔らかな空気が満ちる大部屋だ。その場所はUDC-Pの反応や経過を見るためのところらしく穏やかな心地がする。
 猟兵達は手厚く迎え入れられていた。
 そして、説明役を任されたUDC職員が猟兵に今後の説明を行っていく。
「まずはお疲れさまです。無事にUDC-Pをお連れくださったことに感謝致します」
 職員は語る。
 施設内には医務室があるので怪我をしている者は手当を受けて欲しいこと。もし手当が不要ならソファや椅子があり、テーブルの上にお菓子や飲み物が置いてある休憩室も用意してあるゆえ休んでいって欲しい、と。
「そして、UDC-Pと共に暫しこの部屋で過ごして頂きたいのです」
 それはどんな過ごし方でも構わない。
 夕暮れの色をした球体。
 少し可愛らしい雰囲気のする丸い物体。
 ただそれだけの存在であるPは言葉を喋ることは出来ないが、ふわふわと浮くことである程度の意志は示すことが出来る。
 コミュニケーションを取ってみたり、名前をつけてみたり。
 或いは――Pが持っている特殊能力を発揮してもらうのも良いだろう。
「UDC-Pもまた、皆さんの記憶から故人を呼び出す力を持っています。Pはその方を喋らせることは不可能なようですが、もう一度故人の名前を呼んで、会いたいと願えば会わせてくれますよ。見たい景色も一緒に投影できるようですね」
 その幻影は質量を持っている。
 言葉は交わせないが触れることが叶う。しかしPが力を発揮できるのはひとりにつき数分程度なので、本当にただ会うだけになるだろう。
「皆様がPの力を使うか否かはお任せ致します。我々は記録を付けさせて頂きますが、無遠慮に間に入り込むことはしないので思うままにお過ごしください」
 
 この場所で君が何をするかは自由。
 UDC-Pにもう一度、歪められていない状態の故人を呼んで貰うのも良い。
 敢えて呼ばずに、Pとコミュニケーションを取るだけでも構わない。
 Pの対処は他の者に任せて休憩室で過ごすことも許されている。ひとりで先程の夕暮れの幻影について思い出しても良いし、誰かと一緒に過去について話しても良い。
 また、Pの名前も募集中だ。
 区別をするため『黄昏』という名前以外でお願いします、と言い含められているが、最終的にはPが一番興味を示したものが名称となるらしい。
 果たしてこのUDC-Pはどんな名を得て、これからどのような道を辿るのか。
 それは此処に集った猟兵次第だ。
 
榎本・英
もう一度、黄昏の君に願った。
私の記憶の中で一番穏やかに微笑む頃の祖父の姿。

貴方のお願いはどれも叶えてはいけないものだと知っていた
それでも寂しそうに煙を燻らす姿も温かい手も願いも愛ゆえにと思えたから

作者が二度も自らの手で生み出した犯人に殺されるなんて笑えない
作者のいない物語など

作者を無視して動いても良いと云うのですか
その手を離れて勝手に
そう、勝手に――

突きつけられた自由が嬉しいはずなのに、こんなにも苦しい
鼻の奥、つんとした痛みを伴う
それでも貴方は静かに笑って私を見つめている

嗚呼。もう時間が来てしまったのか。
記憶の貴方
ただ一人、私に愛を注いでくれた人

貴方に別れを

有り難う
さようなら
どうぞお元気で



●唯、人であること
 未だ名前のない黄昏の君。
 空中に浮き、英の周囲をくるくると回っている彼は妙に愛らしい。
 黄昏の怪異とは違う雰囲気を纏うその子を見つめた英はもう一度、願った。
 ――祖父に逢いたい、と。
 頷くような仕草をした黄昏色の球体は英の目の前で止まる。そして、ゆっくりとその力を使いはじめた。
 白い部屋の中、周囲の景色が黄昏時の彼のひとの部屋になる。
 滲むような色彩が広がり、現れたのは穏やかな影。英の記憶の中で一番やさしく微笑む頃の祖父の姿があった。
 窓辺で煙草を吸っていた彼が振り向くと、名前を呼ばれた気がした。
 しかしこの幻は言葉を発しないと云われていた。ゆえに屹度、英自身が己の記憶と重ね合わせたのだろう。
 英は彼に語りかけるように口をひらいた。
「貴方のお願いは……」
 元から、どれも叶えてはいけないものだと知っていた。それでも寂しそうに煙を燻らす姿も、温かい手も願いも、愛ゆえにと思えたから、ああしていた。
 作者が二度も自らの手で生み出した犯人に殺される。そんな事象は笑えない。作者のいない物語など何になるのだろうと今の英は切に思う。
 終わらない物語になる。それは読者も、作者自身も望まないことのはずなのに。
「作者を無視して動いても良いと云うのですか」
 口を衝いて出た言葉に答える者はいない。祖父は窓辺から此方を見つめているだけだ。煙を纏うのはあの言葉通りに蓋をしているからだろうか。否、おそらくはあの姿が自分にとっての祖父像だからだ。
「その手を離れて勝手に。そう、勝手に――」
 もう彼は何処にもいない。
 この黄昏が見せてくれるという事実はそういうことを示す。突きつけられた自由は嬉しいものだ。そのはずなのに、こんなにも苦しいのは何故だろう。
 込み上げるような感情。つんとした痛みを伴う感覚の中で、英は一度だけ鼻をすすり、ぐっと堪えた。
 それでも、彼は静かに笑ったまま英を見つめている。
 そのままでいい。思うままに生きていけばいい。そんな風に語っているように思えたのもまた幻想かもしれない。だが、どうしてかそう思えた。
 そして、黄昏の幻影は日が暮れるが如く徐々に薄れていく。
「嗚呼。もう時間が来てしまったのか」
 次第に消えていく影を見送ろうと決め、英は祖父と視線を合わせた。
 記憶の貴方。
 彼はただ一人、己に愛を注いでくれた人。そんな貴方に、別れを。
「有り難う、さようなら」
 今からもうこの世にはいない相手にこんなことを言うのは滑稽だろうか。それでもただ、そのように告げたいと思った。
 そして、英は消えゆく祖父に向けて片手を上げる。
「――どうぞ、お元気で」
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

蘭・七結
誰そ彼時の彩を見つめていた
この想いは暮れない
時が過ぎようとも永久に

いのちにゆわいだひとつの戀と絆
『あなた』は何時だって傍にいる
わたしと共にいきつづける
投影される姿へと告ぐ望みも祈りも在りはしない
ナユの願いは既に叶っているもの
欲しいものは既に得ている

――、

ほんとうに?

きみをあいするという聲
君を愛しているという声
金糸雀の円環も傷の痕も
嗚呼、そう

アイとは、なにかしら
未だ辿り着けずにいるその領域
胸を焦がしたひとつきりとはたがうもの
アイを、しりたい
滲む熱の意味を識りたい

この想いは戯れや気まぐれではない
かつて盲目であった想いの先
見映したまま逸らしたくなくて
つめたい指さきを伸ばした

なんて末恐ろしいのでしょう



●結びの先へ
 誰そ彼時の彩を纏い、浮遊する黄昏。
 七結は紅が交じるその姿を見つめて思う。この想いは、暮れない。
 黄昏が過ぎて宵の色が揺らいでも、深い深い夜が巡っても、黎明が訪れても。それを何度も繰り返して、時が過ぎようとも永久に。
 ――さま、
 七結はもう一度、自分にだけ聞こえる声で彼のひとの名前を口にした。
 いのちにゆわいだひとつの戀。
 そして、ひとつきりの絆。
 屹度、なんて言葉を使わなくても良いほどに『あなた』は何時だって傍にいると実感できる。触れられずとも触れているのと同じ。共にいきつづけるのだと分かったからこそ、もう誰かや何かに頼って呼び出すようなことはしない。だから、投影される姿へと告ぐ望みも祈りも在りはしなかった。
「ナユの願いは既に叶っているもの、欲しいものは既に得て……」
 心の中に浮かんだ思いが不意に揺らぐ。
 気付けば七結は疑問を浮かべていた。確かに欲しいものは得た。喰らって、離れて、ふたたび繋いで結んだ。けれども、でも、と七結は首を横に振る。
「――、ほんとうに?」
 どうしてか自然に溢れ出た胸懐が裡に廻っていった。
 きみをあいするという聲。
 君を愛しているという声。
 金糸雀の円環も傷の痕も、全部がその証であるというのに。
 戀というものは深く知った。その感慨を時を経る度に識っていった。然し、あの声が語ってくれた気持ちは未だ識らない。
「アイとは、なにかしら」
 七結は浮かんだ思いを言葉にした。
 未だ辿り着けずにいるその領域は考えても解らないまま。胸を焦がしたひとつきりとはたがうものだということだけは分かっていた。
 ――アイを、しりたい。
 焦がれるのが恋慕。暮れぬものが戀。
 それならば、愛と呼ばれる気持ちを抱くとどんな心地がするのだろう。
 恋は求めるもの。
 愛は与えるもの。
 そのように語られる言葉は本当なのだろうか。
 滲む熱の意味を識りたいと思った。ひとつの気持ちを得た後、抱いたこの想いは戯れや気まぐれではないはずだ。
 ただひとつだけを見ていた、かつて盲目であった想いの先。
 それだけを見映したまま逸らしたくなくて、つめたい指さきを伸ばしてみる。
 未だその手が掴むものはない。
 それでも何かに触れられる気がして、七結は瞼をそうっと閉じた。
 留まらぬ感情。止め処なく溢れる想い。
 ひとであることはどうして、こんなにも胸を焦がすのか。うまく言の葉にならぬ感慨を抱いた七結は考える。
 嗚呼、なんて末恐ろしいのでしょう、と――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーチェ・ムート
アレンジ◎

あのね、ふわふわちゃん
もう一度だけ、お願いしてもいい?

十六夜満
薄暗い地下室
白百合が敷き詰められた棺桶
あの中に満だったものは寝かされた

優しい笑顔が懐かしい
喋ることは出来なくても
キミとまた逢えた
それだけで涙が溢れる

人形だったボクはキミの優しさも愛情も何一つ受け止められなかった
ありがとうすら言えないまま

キミが死んでボクの心が生まれた
実は棺の中の髑髏(キミ)にこっそり泣きながら口付けたんだ
あの苦しさの意味も今ならわかる

最後に抱き締めさせて貰おう
痛いだけの白百合の花が、優しい温もりに変わる

愛してるよ、満
ボクを家族にしてくれてありがとう

キミが生きてる時に、こうしていたかった
気付くのが、遅かったな



●キミが贈ってくれたもの
「あのね、」
 白い部屋の中に浮かぶ黄昏色の球体。
 まだ名前が与えられていない仔を見上げ、ルーチェはそっと片手を掲げてみた。その指先に擦り寄るように近付いてきた黄昏の仔に微笑みかけ、ルーチェは願う。
「ふわふわちゃん。もう一度だけ、お願いしてもいい?」
 ルーチェの願いに頷くように黄昏色が揺れた。同意が得られたと感じた彼女はふたたび、彼の人の名を声に乗せていく。
 ――十六夜満、と。
 その声と共に周囲の景色が塗り替えられていく。
 先程と違って不穏ではない、やさしい雰囲気に満ちている変容の仕方だった。
 移り変わった景色は薄暗い地下室の中。
 白百合が敷き詰められた棺桶があり、ルーチェは改めて其処に意識を向けた。あの中に満だったものは寝かされた。
 けれども今、逢いたいと願ったゆえに満が目の前に立っている。
 棺の前で向かいあうルーチェと満。
 その表情はあの頃と同じ優しい笑顔だ。黄昏に歪められてなどいない微笑みと視線が懐かしくて、ルーチェも笑ってみせる。
 記憶の中の満はこんなにも優しい。喋ることは叶わずとも、キミとまた逢えた。
 それだけで涙が溢れて嬉しくなる。
 あの頃、ルーチェは彼に笑顔を見せることが出来なかった。何も知らなくて、何も答えられなくて、笑顔の意味だって解らなかった。
「人形だったボクはキミの優しさも愛情も何一つ受け止められなかったね」
 ルーチェはそっと満に歩み寄る。
 以前に彼がそうしてくれたように、今度は自分から。
 彼から注がれる優しい眼差しを受けながらルーチェは語っていく。
「ありがとうすら言えないままだった。でもね、キミが死んでボクの心が生まれたんだ。それが良かったなんて、絶対に言いたくないけれど……」
 全部、キミのおかげ。
 実は棺の中の髑髏――キミにこっそり泣きながら口付けたんだよ。そんなことを告げて、ルーチェは頬を伝う涙を指先で拭う。
「ごめんね、泣き顔なんて見せちゃったら心配させちゃうね」
 あの苦しさの意味も今ならわかる。深い感情を識った今だからこそ伝えたい思いがあった。たとえこの姿が幻だとしても、思いだけは届いてほしいと願ったから。
「……満」
 ルーチェが腕を伸ばすと彼がそっと手を広げてくれる。きっとこれも黄昏の仔がそうしてくれているのだろう。けれど、赦された気がした。
 その腕に飛び込んだルーチェは強く彼を抱き締める。最後に一度だけ。そう思ったとき、満の腕が自分を抱き返してくれた感触があった。
 その瞬間、痛いだけだった白百合の花が優しい温もりに変わる。
「愛してるよ、満」
 やっと言えた。嘘偽りのない言葉を送る。
 満が頷き、ルーチェの髪を撫でてくれた。また溢れそうになる涙を堪え、ルーチェは思いの丈を告げてゆく。
「ボクを家族にしてくれてありがとう」
 本当はキミが生きている時にこうしていたかった。心からの感謝を言葉や歌で伝えたかった。過ぎ去った時は戻らないと知っているから、ただの願いに過ぎないけれど。
 そして、ゆっくりと満の姿が消えていく。周囲の景色も薄れていったことでルーチェは黄昏の仔の力が終わったのだと知る。
 やがてルーチェの前から彼がいなくなる。支えを失ったルーチェはそのままその場に座り込み、行き場のない腕で自分を抱き締めるようにして俯いた。
「気付くのが、遅かったな」
 ちいさく零れ落ちた言の葉には一抹の寂しさが沈んでいる。しかし、ゆっくりと顔をあげた彼女の顔には柔らかな笑みが宿っていた。
 満月のような優しい微笑み。それはきっと、彼が教えてくれた笑顔のかたちだ。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

朽守・カスカ
再び会うことは、もういいかな
(別れ難くなってしまうから)
ただ黄昏の君に一言、感謝を

ありがとう。
ふふ、急にそう伝えられても困るか
でも薄れつつあった父の声を
(例えそれが否定であっても)
聞けたことが嬉しいんだ
だから、ありがとうさ
(触れても?と問うように手を伸ばして、優しく撫でたい)

おや、君はまだ、名前がないのか
ならば…… 「あわい」というのは如何だろうか
昼から夜への移ろうひとときを
現在から過去を思いを映して
間を繋ぐような君に、ね

どのような名前でも、
君のこれからが
幸せである事を願ってるよ



●あわいうつろい
 もう逢えない人。二度と触れられない人。
 黄昏の仔が逢わせてくれるのは切なさや名残惜しさを宿す相手だ。だから、と考えたカスカは周囲を浮遊している夕暮れ色の仔に首を振る。
 彼は言葉を発せないが、どうするのかと聞いてくれているようだった。
「再び会うことは、もういいかな」
 大丈夫だよ、と告げたカスカは黄昏の力は使わなくていいと語る。そっか、というようにしゅんとした様子の黄昏の仔だったが、カスカは軽く手招きをした。
 幻影を齎す力は不要だ。しかし、伝えたいことはある。
「ありがとう」
 ――?
「ふふ、急にそう伝えられても困るか」
 カスカからの突然の言葉に、黄昏の仔は不思議そうにふわふわと揺れた。それもそうだと自分で納得したカスカは彼に理由を話していく。
「父の声が薄れつつあったんだ。ずっと覚えていたかったのに、ね」
 久々に聞いた声が懐かしかった。
 いずれ、いつかは忘れ去ってしまうかもしれずともまた暫し覚えていられる。たとえそれが否定であっても、聞けたことが嬉しかった。
「だから、ありがとうさ」
 すると黄昏の仔は左右に揺れる。彼がどんな意味を宿してその動きをしたかは分からないが、少なくともカスカの言葉を厭ってはいないようだ。
 夕暮れの彩を揺らめかせた黄昏の仔は暫しカスカの周囲でくるくると回っていた。その様子はまるで、自由に動ける夕日のようだと感じられる。
 そして、カスカはそうっと手を伸ばした。
 触れても? と問うように視線を向ければ黄昏の仔の方から寄ってくる。
 仄かにあたたかな感触が伝わってきた。まるで其処にちいさな命が宿っているかのような、不思議な感覚だ。
 黄昏を優しく撫でたカスカはふと気付く。
「君は……そうか、まだ名前がなかったのだったね」
 呼び名がないというのは少しばかり不便だ。職員も名前を付けて欲しいと言っていたことを思い出し、カスカは考える。
 掌の上でころりと転がった彼を見つめ、カスカは双眸を緩く細めた。
「ならば……『あわい』というのは如何だろうか」
 昼から夜への移ろうひととき。
 現在から過去を思いを映して、間を繋ぐような君に贈る名前。
 その声を聞いた黄昏の仔は更にころころと転がり、カスカの腕を伝って肩に乗った。やはり感情は読めなかったが、カスカのことが好きだと言ってくれているようだ。
 彼はどんな名前を自分のものとするのだろう。名付けられたる音が何になるのかと考えながら、カスカは頬を黄昏の仔に寄せる。
「君のこれからが、幸せである事を願ってるよ」
 寄り添う仔と静かに微笑むカスカ。其処には淡いあたたかさが宿っていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ノネ・ェメ
 とても、とても。大事な事を知らないって事を、知ってしまった気がする。


 アステ。なんてどう? ユニセックスな響きだから性別とか考えずともよさげな感じ。
 ひとつの概念であり、辺り一面にある黄昏。そこからひとつの個として生まれた子。a star。夕暮れ色でふわふわ丸いその姿は宵の明星のようだし。UDCの研究、オブリビオンの解明、平和に近づくための希望の星だし?
 ちょっと不遇だったかもしれないこれまでから、アスタリスクのごとく掛け算式に、どんどん幸せになってってほしいし。そこにわたしもかかわれたら幸いだし。

 と、い、う、こ、と、で。
 遊ぼ? どんな事がお好みなんだろう。音楽なんかへの興味は如何ほど?



●宵の明星
 とても、とても――。
 大事な事を、知らないって事を、知ってしまった気がする。
 ノネは黄昏時に起きた出来事を思いながら胸元を押さえた。わからないことは多い。まだ確信が持てないことだってあった。
 それでも、ノネとしての生き方が変わっていくかもしれない。
 そんな思いを抱きながらも、ノネはそっと考えを胸の奥に押し込んだ。何故なら今は保護された黄昏の仔と向き合う時間だからだ。
 不確定なことをずっと考え込んでいるよりも、前向きに事件に向き合う方がきっとより良い未来が運ばれてくるはず。
 ノネは白い部屋の中で自由にふわふわと飛ぶ黄昏の仔へと近付いていく。
 すると向こうもノネに気が付いたらしく、浮遊しながら寄ってきた。おいでおいで、と手を振ると球体がふわっとノネの前で急停止した。
 ぴょこっと空中で跳ねた黄昏の仔は何だか可愛らしい。その様子を見つめ、ノネはそれまでに考えていた名前を言葉にする。
「アステ。なんてどう?」
 ふわん、と夕暮れの色が不思議そうな様相で揺れた。
 それが自分に向けられている名前なのだとは分かっていない様子だったが、ノネはそっと告げてゆく。
「ユニセックスな響きだから性別とか考えずともよさげな感じだと思わない?」
 黄昏。
 それはひとつの概念であり、辺り一面にあるもの。
 そこからひとつの個として生まれた子。
 ――a star.
 ね、とノネが人差し指をぴんと立てると黄昏の仔が其処に止まった。意味がわかっているのかいないのか判断ができないが、少なくとも嫌がってはいないようだ。
 夕暮れ色でふわふわ、そして丸い姿。
 それはまるで宵の明星のようだとノネは感じていた。指先に触れた黄昏の仔はほんのりとあたたかくて触っていると心地よい。
 動物の毛並みとは違うぬくもりが不思議な感覚を伝えてくる。
「それにUDCの研究、オブリビオンの解明、平和に近づくための希望の星だし?」
 悪意の黄昏の中にいた。
 その境遇を思えば少し不遇だったかもしれない。そんなこれまでから、アスタリスクのごとく掛け算式にどんどん幸せになってってほしい。
「そこにわたしもかかわれたら幸いだし。それに――」
 掌を広げたノネは、おいで、ともう一度黄昏の仔を呼んだ。誘われるがままに手の上に移動したアステ(仮名)はノネを見上げるような形で次の言葉を待つ。
「と、い、う、こ、と、で。遊ぼ?」
 その呼びかけに応えるように、黄昏色がゆらゆらと揺れた。
 どんなことが好みなのか。
 音楽への興味は如何ほどあるのか。
 それを探って聞きながら遊ぶのもきっと研究の一助になる。そう考えながら、ノネは暫し黄昏の仔と楽しく仲良く戯れていった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

暁・紅華
気がつくと幻影は消えていて、UDCの研究施設にいて。
自分がどういう状況にいるのかわからないぐらいには、ぼんやりとしていたのだろう。
どうやらUDC-Pの保護は成功したらしい。
今は何かをやる気が起きない。
UDC-Pは他の猟兵に任せて休憩室へ向かう。
隅のソファに座りながら、藍世との記憶をたどる。

なぜ、俺は怖がっていたんだ。
幻影の言葉に惑わされて……。
あいつの本当の言葉は、聞くことができない。
だが、少しでもあの日のことを思い出せた。
偽物だとわかっていても、藍世を、刹那を抱きしめられたことで、何かが変わりそうな、そんな気がした。



●君の名前を
 気が付けばすべてが終わっていた。
 投げ掛けられた言葉は過ぎ去り、幻影は消え、黄昏時は夜に変わった。
 はっとしたときにはもうUDCの研究施設にいた。
 全て己の足と意志で行ってきたことだが、自分がどういう状況にいるのかわからないぐらいには、紅華はずっとぼんやりとしていたらしい。
 どうやらUDC-Pの保護は成功したようだ、ということは分かる。
 しかし今は何かをやる気がまったく起きなかった。紅華は職員に勧められたこともあって休憩室に向かっていく。
 幸いにもUDC-Pに興味を持つ猟兵も多い。後は他の猟兵に任せることにした紅華は部屋に入り、隅のソファに腰掛けた。
 そして、幻影の光景の中で邂逅した藍世との記憶を辿っていく。
 いつか助けた少女。
 それが藍世・刹那だった。苗字がなかった彼女に紅華が名付けたのが藍世という字だ。助けた日から幾許かの時が過ぎ、再会した彼女は傭兵として活動していた。
 あの日、あの時。
 自分が止めれらなかったことが彼女の死を招いたのだろうか。
 それとも最初から運命として決まっていたのか。そのことを考えるのは今ではないのかもしれない。紅華はゆっくりと息を吐き、軽く頭を抱える。
「なぜ、俺は怖がっていたんだ」
 あの黄昏の中で起こったことも、告げられた言葉も偽物だ。怪異がそうさせただけの事象に過ぎないと分かっていた。
 あのような幻影の言葉に惑わされて、俯きそうになっていた。
 彼女の本当の言葉は聞くことができない。自分を恨んで死んだのか、それとも違うことを考えながら逝ったのか。
 どう思っていたのかは本当の彼女しか知らない。
 きっと更に特別な、それも死者が生き返るようなことがない限りは本心を聞くことなど永遠にないだろう。
 たとえオブリビオンになろうともあの頃のままの彼女は戻ってこない。
 しかし、少しでもあの日のことを思い出せた。知らぬうちに現実から逃げていた状況から脱却出来たのだ。
 そのことは紅華にとって悪いことではなかった。
 偽物だとわかっていても、藍世を――刹那を抱きしめられた。
「……刹那」
 紅華はそっと彼女の名を呼ぶ。
 たったそれだけのことだが、何かが変わりそうだ。そんな気がした。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

花菱・真紀
UDCとこんな風に接することになるなんてなんか不思議な感じだな。
…黄昏色の球体。なかなか綺麗だな。
そもそも俺は黄昏時ってやつはもともと好きだったからな。
逢魔が時。魔と人との境が曖昧になる時間…。
たれそかれと問わねばならぬそんな時間。

お前がさ…誰も傷つけない存在でいてくれるならもしかしたら誰かを癒すことが出来るかもしれないぜ。お前が見せる幻は悲しいけど…優しくもあるから…。
まぁ、俺はお前が誰かを傷つけないのであればなんら問題はないと思うからさ。

名前…名前…そうだな「キャンバス」とかどうだ?どんな絵を描くのかはお前次第だ。



●描く未来の彩は
 倒すべきはずの存在。
 それがUDC――アンディファインド・クリーチャーだ。
 真紀はこれまでずっとそれらと戦ってきた。しかし今、真紀はピースの意味を持つUDCを前にしている。
「UDC-Pか。こんな風に接することになるなんて、なんか不思議な感じだな」
 ふわふわと浮く黄昏の仔は平和的な存在。
 思えばシャーマンズゴーストもUDC-Pとして数えられるのだから、こういった個体が生まれるのもおかしいことではないのだろう。それが近年になって増えていると思うと複雑ではあるが興味深いことでもあった。
 真紀が頭上を見上げると、黄昏色の球体がくるくると回っていた。まるで小さな世界を映しているようだと感じた真紀は薄く笑む。
「なかなか綺麗だな」
 するとその言葉を聞いた黄昏の仔が嬉しそうに空中で跳ねた。言葉は話せなくともその動きだけで十分に愛らしい。
「黄昏はもともと好きだったんだよな」
 真紀が手を伸ばすと、黄昏の仔はその腕の周りを回っていった。
 逢魔ヶ時。
 それは魔と人との境が曖昧になる一時。たれそかれと問わねばならぬそんな時間。
 誰も彼も夕闇に滲む時間。
 怖さもあるが、それは真紀にとって悪いものではない。姉と一緒に楽しんだオカルトや都市伝説にも通じる事柄だ。
 そう思うと何だか懐かしいものに思えるのだ。
 手に触れた黄昏の仔は温かい。陽の光を受けているような淡い熱を感じながら、真紀は手の平を広げてみた。
 その上にちょこんと黄昏の仔が乗ったことで真紀は薄く笑む。
「お前がさ……誰も傷つけない存在でいてくれるなら、もしかしたら誰かを癒すことが出来るかもしれないぜ」
 真紀の言葉を聞いているのか、夕陽の色が淡く揺れた。
 彼自身は姉の幻影を再び映すことは望まなかった。もう一度、逢えたとしても別れが惜しくなるうえに何を話していいか分からない。謝罪も感謝も違う気がする。
「お前が見せる幻は悲しいけど……優しくもあるから……」
 ――?
 真紀の語る言葉に対して、黄昏の仔が疑問を浮かべた様子。
 きっと例えるなら彼はまだ子供のようなものなのだろう。穢れを知らない個体であることは真紀にもよく分かった。
「まぁ、俺はお前が誰かを傷つけないのであればなんら問題はないと思うからさ」
 よしよし、と子供をあやすように真紀は黄昏を撫でる。そして、黄昏の怪異とは違う道を歩むように願って新たな名を考えてゆく。
「名前……名前、か」
 暫し迷いはしたが、真紀はふと良い名を思いついた。
「そうだな、『キャンバス』とかどうだ? どんな絵を描くのかはお前次第だ」
 未だ真白な心。
 そんな意味を込めて贈った名を受け、黄昏の仔は暫し不思議そうに揺れていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

雲烟・叶
ご無事で何よりでした
……すみませんねぇ、ろくな言葉も掛けずに連れて来ちまって
意外と頭がいっぱいだったようで

……嗚呼、良いんですよ力は使わなくて
もう、良いんです
それより、あんたのことを考えましょう
自分も此処じゃねぇですが、UDC組織に収監されてるんで、お仲間ですねぇ

……名前、みんなで付けてるみてぇですね
ちょっと混ざってみましょうか
何が良いですかねぇ
……嗚呼、淋しい想いはもうしねぇ方が良いですね、きっと
なら、「心」なんてどうですか
あんたが見せる想い出は人の心でしょう
それに、あんたには人を傷付けることに戸惑う心があった
あんたに、人の心が寄り添うように
お似合いかと思いますよ
ま、お好きに選んでくださいな



●こころは此処に
 保護した後、暫し叶の傍から離れなかった黄昏の仔。
 研究施設に連れて来られた彼は最初こそおっかなびっくりだったが、今は新しい居場所を見つけて楽しげに部屋の中を飛び回っていた。
 他の猟兵と遊んで貰ってご機嫌なのだろう。黄昏の仔はぴょんぴょんと跳ねるように空中を舞い、叶の隣に戻ってきた。
「ご無事で何よりでした。……すみませんねぇ」
 ろくな言葉も掛けずに連れて来ちまって、と叶は声を掛ける。
 しかし黄昏の仔は何について謝られたのか分かっていないらしく、叶の周囲をくるくると回っている。
「意外と頭がいっぱいだったようです。余裕の心算だったんですけどね」
 仮初の肉体への痛みなど大したことはなかった。
 心境が揺らいだわけでもない。それでも、あの二人と再び相見えた序に過去を思い返すことになった。それは屹度、叶なりに向かわなければならなかったことだ。
 叶が煙管を軽く握り直すと、黄昏の仔が此方を覗き込むように近付いてきた。どうやらもう一度、幻影を映すかどうか問うているらしい。
「……嗚呼、良いんですよ力は使わなくて」
 ――?
「もう、良いんです」
 ――!
「それより、あんたのことを考えましょう」
 言葉を話せない黄昏の仔だが、仕草で何となく言っていることは分かった。本当に良いの? どうして? そんな風に動く彼をそっと制し、叶は首を横に振る。
 黄昏も、そっかあ、とでも言うように力を使うことを止めた。聞き分けの良い子ですね、と双眸を細めた叶は彼を手招く。
「自分も此処じゃねぇですが、UDC組織に収監されてるんで、お仲間ですねぇ」
 すると黄昏の仔はぴょんと飛び上がった。
 きっと、おそらくではあるが「いっしょ!」と喜んでいるようだ。こんなにも感情が読み取れるのは双方が人ならざるものゆえか。叶は少し可笑しく感じながら改めて夕暮れ色の球体を見つめる。
「……名前、みんなで付けてるみてぇですね」
 既に幾つかの名称候補が出ているようだ。最終的に黄昏自身が気に入ったものが選ばれるらしいが、其処にもうひとつだけ候補を混ぜてみるのも良い。
 何が良いのかと暫し軽く悩む叶。
 そして、ふと思う。黄昏の仔は先程にお仲間だと告げた時に喜んだ。それはきっと仮にも仲間だった黄昏の怪異がいなくなったことが理由だ。それならば淋しい想いはもうしない方が良いだろう。
「なら、『心』なんてどうですか」
 彼が見せる想い出は人の心の現れ。それに、彼には人を傷付けることに戸惑う心があったように見えた。
 不思議そうに浮かんでいる黄昏の仔に向け、叶は手を差し伸べる。
「あんたに、人の心が寄り添うように」
 本当の人ではないけれど、まずは自分が――そう語るように視線を向けた叶の掌の上に黄昏の仔が乗った。
 温かい感触と共に感謝めいた感情が伝わってくる。
「礼なんて別に構わないんです。ま、お好きに選んでくださいな」
 彼がどの名を選んでも構わない。
 そっと寄せた心はきっと、確かに彼の中にあるのだから。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

リル・ルリ
懐かしい青と黒の教会に黒の人魚と2人

かあさんの歌すごかった
歌とはなにかを教えてもらった
僕、絶対かあさんを超えるんだ
かあさんの歌はちゃんと受けとった
…ノア様にもちゃんと伝える

揺蕩う黒は優しく微笑む
僕は水槽の外に出て色んな世界をみたよ
ひととせを巡って色んな人に出逢って
お誕生日もおめでとしてもらった
歓びも悲しみも痛いも苦しいもしった
あいするひとが出来た
美しい桜の龍
あいっていいね
戀っていいね
僕の歌は彼のためにある
…かあさんみたいだろ?
どうしようもないひとだけど
とっても可愛いんだ
かあさんにも会わせたかった

……

ぎゅうと抱きつく
初めて触れる母は柔らかい
頬擦りをする
真珠が一雫零れる

これがかぞく

―僕の、かぞくだ



●謡う歌
 かあさんに逢いたい。
 そっと黄昏の仔に願えば、リルを包み込む世界の彩が変わった。
 其処は懐かしい青と黒の教会。
 静謐で深沈な、ちいさな世界に白と黒の人魚がふたりきり。ステンドグラスから差し込む薄い陽が淡い虹色の光を作り出している。
「……かあさん」
 リルは光の最中にゆらりと揺蕩う人魚、エスメラルダを呼ぶ。
 彼女は何も答えない。詩を歌うこともなかったが、怪異の幻の中とは違う穏やかな表情を浮かべていた。
 何だか不思議だ。彼女は自分にそっくりで、違うのは色だけ。
 けれどこれが親子だという証なのだろう。今まで知らなかった、血の繋がった存在である人魚をじっと見つめるリルの眸は幽かに潤んでいた。
「かあさんの歌、すごかった」
 詩とは、歌とはなにかを教えてもらった気がする。きっとあの歌は彼女の胎の中で聴いていたのかもしれない。遠い記憶から蘇った歌はどんな曲よりも圧倒的で、敗北すら感じていた。
 それでもリルは挫けなかった。
 負けたから何だというのだろう。あのときも上等だという言葉が自然と裡から溢れ出てきた。それが過去にあった存在ならば、今という時間を重ねることの出来るリルにだってあの歌と同じ――否、それ以上のものが歌えるはず。
「僕、絶対かあさんを超えるんだ」
『…………』
「かあさんの歌はちゃんと受けとったよ。……ノア様にも、ちゃんと伝える」
 座長の名を口にして、リルは静かな決意を抱く。
 彼が自分ではなくエスメラルダを求めていた事実は胸に突き刺さった。しかし今、リルの一番大切なひとは別にいる。
 櫻の彼の声と言葉が、何よりも大事な生きる意味だ。
 揺蕩う黒の人魚は微笑む。
 その隣に游ぎ寄ったリルは、母にたくさんのことを語ろうと決めていた。
「僕は水槽の外に出て色んな世界をみたよ」
 かあさんはこれまでにどんな世界を見てきたの。黒曜で飾られた水槽の中に入れられる前はどのような場所を見て、どうやって歌を謳ってきたの。
 返答がないと分かっていてもリルは問う。まるでこれまで触れられなかった家族という存在を慈しむように、何処か楽しげに――。
「僕はね、ひととせを巡って色んな人に出逢って、お誕生日もおめでとしてもらった」
 お誕生日ってしってる?
 一年に一回、必ずくる特別な日なんだよ。
 ぱふぇやくきー、ちょこのけぇきも食べられるんだ。
 そう語るリルの姿をエスメラルダは静かに見守る。彼女の微笑みを見たリルも口元を緩め、僅かな時間を惜しむようにめいっぱいに語っていった。
「歓びも、悲しみも、痛いも苦しいもしったよ。舞台と水槽よりも、広い場所があったんだよ、かあさん。それからね――」
 あいするひとが出来た。
 彼は美しい桜の龍で、僕をあいしてくれている。
 戀にだって落としたんだよ、とリルは嬉しげに話した。
「あいっていいね。戀って、とってもいいね。僕の歌はいま、彼のためにあるんだ」
 かあさんみたいだろ?
 どうしようもないひとだけど、とっても可愛いんだ。
 そうやって彼のことを話していくリルは倖せそうだった。エスメラルダはそっと手を伸ばし、リルの頬に触れる。
 少し驚いたリルだったが、すぐにその掌に頬を寄せた。
 いつだったか、座長もこうしてくれた。それはきっとこの仕草を真似ていたのかもしれない。最初にエスメラルダが彼にそうしたのか、彼がエスメラルダにしていたのかまでは分からないけれど――。
「櫻を、かあさんにも会わせたかった」
 リルの言う通りの素敵なひとね、と微笑んで欲しかった。
 それを望めないことはリルも分かっている。代わりに腕を伸ばし返したリルはエスメラルダにぎゅうと抱きついた。
 初めて触れる母は柔らかくて少しひんやりしていた。けれども、あたたかい。
 頬擦りをする。すると彼女がリルの髪を撫で、額に口付けを落とす。
 これが、かぞく。
 そう思った瞬間、リルはそっと瞼を閉じた。真珠が一雫、静かに零れ落ちていく。
「――僕の、かぞくだ」
 幽かなぬくもりが徐々に消える。
 自分を抱いてくれる腕の感触も次第に薄れていく。瞼の裏にしっかりとその姿を刻みながら、リルは最後につよく母を抱き締めた。
「……僕を産んでくれて、ノア様に託してくれて、ありがとう」
 かあさん。
 もう一度、母を呼んで瞼をひらく。
 そのときにはもう黒の人魚も閑寂なる教会の景色も泡沫の如く消え去っていた。
 そうしてひとつ、白の人魚の裡にあらたな歌の導がうまれた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

誘名・櫻宵
同じ千年桜の下

私が動かなければ何も変わらない
いつも逃げて
目を背けて
自分が嫌いで仕方なくて
孤独を飢えを自分の血と慾のせいにした

私は貪婪の桜
慾は尽きず果てはないけど
慾に狂う畜生にはならない
誘七櫻宵はひととして龍として
慾すらも喰らい咲いてみせる

サクヤ
暁・咲夜
戀はくれない
愛はあけない
私のうちに暁があり
指の先に黎明が游ぐ
躓いて転んでも寄り添ってくれる存在がいる

私はやっと春暁を迎えられる

謝る資格がないならば
礼を

ありがとう

優しい破魔の鬼姫
出会えてよかった

誰も倖せにならなかった戀物語はひとつだけ
華を咲かせてくれた
咲夜の遺した小さな暁
守ってみせるよ

さようなら
私の初戀
振り向かない
私はこの痛みと罪と一緒に
生きていく



●咲く櫻
 ――暁・咲夜。
 其の名を呼び、ふたたび逢いたいと願った。
 黄昏の仔が齎してくれたのは、あの夜の空の下を思わせる千年桜の景色。樹の傍に佇む櫻宵の隣には彼女が居る。今も懐かしい桃の香が漂っていた。
「そう、貴女の言う通りだった」
 櫻宵は何も語らぬ咲夜に向けてそっと話しはじめる。
 自分が動かなければ何も変わらなかったのに、いつも逃げてしまっていた。ただ目を背けてしまうだけの自分が嫌いで仕方なかった。
 孤独を、其処から生まれる飢えを、自分の血と慾のせいにした。
 私は悪くない。
 この家の血が、生まれ持った性質が悪い。
 言葉にはしないでいてもずっとそう思っていた。そんな自分に手を差し伸べ、奥底の思いまで拾いあげてくれていたのが咲夜だ。
 宵の櫻を夜に咲かせる。
 暁の名を持つ羅刹が担ったのは文字通りのことだった。自分が彼女を喰らいさえしなければ、そしてちゃんと家のことに向き合っていれば、いつか見た誘七家の幻の如くすべてが上手く巡っていたはずだ。
 そんな風に考えていたこともあった。しかし、今の櫻宵は違う。
「私は貪婪の桜」
 様々な出逢いと苦難、幸福を重ねてきたからこそ自覚できるようになった。
 慾は尽きず果てはない。けれど慾に狂う畜生にはならないと誓える。あの夕暮れの幻影のなかで咲夜は言ってくれた。
 呑まれず制しなさい、と確かな声で告げていた。
 叱咤して励ますような言葉を咲夜が選んだのは、生来の気質がそうあったからだけではないはず。きっと櫻宵の裡に彼女の力があるからだ。
「まさかね。黄昏の力を逆に使って出てきた、本当の貴女だったなんて……」
 予想もしなかった、と後になって思う。
 しかし今思えば息子や人魚のことまで言及した彼女の行動はそうとしか思えない。わかったよ、と微笑んだ櫻宵は掌を胸に当てた。
「私は――誘七櫻宵は、ひととして龍として、慾すらも喰らい咲いてみせる」
 ねえ、咲夜。
 そう呼びかけた櫻宵の眸には彼女の姿がしっかりと映っている。対する咲夜は、やっとわかったのですか、とでも言いたげな笑みを浮かべた。
 戀はくれない。
 愛はあけない。
 己のうちに暁があり、指の先に黎明が游ぐ。
 どれかひとつなど選ぶ必要はなかった。捨てることだってしない。
 過去があり、現在がある。たとえ躓いて転んでも寄り添ってくれる存在がいる。迷っても、導いてくれるひかりがすぐ傍にある。
「私はやっと春暁を迎えられる」
 彼女に謝る資格がないならば、せめて礼を伝えよう。
 嘆きと悲痛で飾る贖罪なんてものは望まれていないと識った。いつかの迷宮で罪を問われたときに彼女を喰らったことが浮かばなかったのも、贖う罪ではないと心の深い部分で感じていたからだ。
 
 ――ありがとう。

 呪詛の桜龍は優しい破魔の鬼姫へと心からの感謝を告げた。
 黄昏の仔の力も弱まっているらしく、櫻宵は微笑みながら消えていく咲夜を見送る。
 出会えてよかった。
 そして、誰も倖せにならなかった戀物語はひとつだけにしよう。蕾のまま花開かなかった櫻の華を育んで咲かせてくれた、咲夜の遺した小さな暁。
「守ってみせるよ」
 だからさようなら、私の初戀。
 慈しみはしても振り向かない。前を向き続けても忘れ去りはしない。罪は消えないが、自分なりの償いは未来に進むことで示そう。
 櫻宵は決意を言の葉に乗せる。
「私はこの痛みと罪と一緒に、生きていく」
 いま、一番大切だと想えるものと一緒に――ずっと、ずうっと。
 千年桜の花弁が幻想の夜空に舞いあがる。宵を飾る色彩はどうしてか、夜に咲く花の祝福のように思えてならなかった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

オズ・ケストナー
手当してもらった体で
ぴーちゃん、あーそぼっ
自己紹介

前にだがしやさんで買ったんだ
しゃぼん玉っ
吹けば球体は彼を映して
きれい
許されたら彼を包む大きなしゃぼん玉も作ろう
みえる?きらきらにじいろ
くるくるしてる
はじけたら楽しそうに笑ってハンカチで彼を拭こうと
触れられるなら撫で、抜けるなら撫でるふり
黄昏色のハンカチ
きみとおそろいだね
赤も青もあるからわたしもおそろいっ

世界には楽しいものがたくさんあるんだよって
伝えたい

ぴーちゃんカッコカリだものね
ぴ、ひ…
そうだ
ヒイロはどうかな
やさしいゆうぐれの空にまざるいろだよ
ふふ、それになんだかヒーローみたい

きっと、きみがみせてくれる景色に
ちからをもらえるひとがいるだろうから



●きみのいろ
「ぴーちゃん、あーそぼっ」
 白い部屋の中をふわふわと浮かぶ黄昏の仔を見上げ、オズは手を振る。
 両手をぱたぱたと動かす彼に気が付いた夕暮れ色の球体が、いいよ、と言うかのように近付いてきた。
「はじめましてっ わたしはオズ。こっちはシュネーっ」
 明るく元気よくオズが自己紹介すれば、黄昏の仔はくるくると回ってお辞儀めいた仕草をした。もっとも球体なので色彩が巡っただけだが、オズはちゃんと挨拶を返してくれたのだと分かっている。
「みてみて。これ、しってる?」
 遊ぼうと呼びかけたオズが取り出したのは、しゃぼん玉を作る道具。
 前に駄菓子屋さんで買ったのだとオズが語ると黄昏の仔が興味津々にその周りを回ってみせた。言葉は話せないが、こうして見ると随分と感情がわかる。
 双眸を楽しげに緩めたオズは、いくよっ、と告げてしゃぼん玉を吹いていった。
 透明な球体が周囲に浮かぶ。
 それは彼が宿す夕彩を映して揺らめいた。ふわん、としゃぼん玉が黄昏の仔に近付いていき、触れたことで割れた。
 ――!
 びっくりした様子の黄昏の仔だったが、これで触ると割れることを知ったようだ。
 近付いてきたしゃぼん玉をそっと避けながら浮かんでいる仔はとても楽しんでいる。オズもシュネーと一緒に揺らぐ球体を見つめ、嬉しそうに微笑む。
「きれい」
 ――♪
 オズの声に黄昏の仔も上機嫌そうな反応を示した。そしてオズは手招き、次はおおきなしゃぼん玉を作ってみせると伝える。
「そこにいてねっ せーのっ!」
 円形の道具で黄昏を包み込むように形作られるしゃぼん玉。
 じっとしていた仔は瞬く間にその中に入れられることになり、中心に夕暮れの色が宿る大きな球ができた。
「みえるかな? ほら、きらきらのにじいろがくるくるしてるよ」
 ――!!
 黄昏の仔は興奮気味にくるりとしゃぼん玉の中で回り、笑った。表情は見えない。けれどもオズには何故だかそのように思えた。
 そして、しゃぼん玉がふたたびぱちんと弾ける。瞬きの間くらいしかなかった瞬間だったが、オズはその様子も綺麗だと感じた。
 ハンカチで彼を拭こうと手を伸ばせば、あたたかな感触があった。
 空のいろに触れられるのは不思議だ。しかし、仄かな熱は彼が生きているという証のように思えて、オズは口許を穏やかに緩めた。
「黄昏色のハンカチ、きみとおそろいだね」
 赤も青もあるからわたしもおそろい、と話すオズの声に対して黄昏の仔も嬉しげに反応していた。伝えたかったのは夕暮れしか知らなかったであろう彼への思い。
「こんなふうにね、世界には楽しいものがたくさんあるんだよ」
 自分が動けるようになってから知ったことを、黄昏の仔にも知ってほしい。そうすれば楽しいや嬉しいをたくさん感じていけるはずだから。
 そういえば、とオズは思い立つ。
「お名前、なかったんだったっ ぴーちゃんカッコカリだものね」
 ふふ、とちいさく笑ったオズは自分も何か考えようと決め、彼に相応しい名称を探していく。黄昏。丸くてちいさくて、ふわふわしている仔。
「ぴ、ひ……そうだ」
 ――?
 暫し考えていたオズが顔をあげたことで黄昏の仔は興味深そうに空中で跳ねた。
「ヒイロはどうかな。やさしいゆうぐれの空にまざるいろだよ」
 緋色、もしくは燈色。
 色の名前も意味もぴったりだ。それになんだかヒーローみたい、とオズが笑えば黄昏の仔も穏やかな雰囲気でくるりと回った。
 夕暮れのいろはやさしい彩。気に入ってくれるだろうか。
 きっと、きみがみせてくれる景色にちからをもらえるひとがいるだろうから。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

柊・はとり
解ってる
自業自得だ
何やってんだ俺は…
曾じいさんに八つ当たりした所で
何の解決にもなりゃしない
その結果がこの怪我じゃ笑えないな

一応手当は受ける
俺が本当に呼ぶべきだったのは
曾じいさんじゃなかったんだろう
『夏海箱音』だったんだろう

でも奴に嫐られたい趣味は無い
衆人監視下で呼ぶのも嫌だ
丸いのと遊ぶか…

どうやって遊びゃ良いんだこれ
よく弾みそうだな…蹴ってみていいか?
サッカーは割と得意だったぞ
…冗談だよ、本気じゃない
多少意地悪でひねくれ者なだけだ

名前な…安直だか『彼誰』はどうだ
誰ぞ彼でたそがれ
彼は誰ぞでかはたれ
似た者でも夕暮れより夜明けの方が
明るい感じで良いだろ
よく分からんがあんたはあんたで
他の誰でもないしな



●誰ぞ彼と彼は誰
 解ってる。
 自業自得だ、と俯いたはとりは今、黄昏の中で邂逅した曽祖父を思っていた。
「何やってんだ俺は……」
 あの場所で出遭った人が本当の彼ではないことくらい、はとりも知っている。それでもあのとき、誰を呼び出すかと考えて浮かんだのが彼だった。
 曽祖父に八つ当たりした所で何の解決にもなりはしない。その結果がこの怪我であるならば本当に笑えない。
 包帯が巻かれた腕を見下ろしたはとりは溜息をついた。
 影に立ち向かい、その後に意識を失ったはとりの傷は深い。僅かな時間ではあったが、はとりが昏倒した後も襲ってきた影の獣達が彼を喰い千切ろうとした。
 屍肉だったからだろうか。獣が食らうにはうってつけの身体だ。しかし、そうなる前に彼の黄昏時は終わった。
 死にはしないことがこんなに皮肉になるなんて、とはとりは改めて思う。
 そして、自分の行動を省みた。
 解ってるよ。
 もう一度、そのように呟いたはとりは己の思いを確かめるような言葉を落とした。
「俺が本当に呼ぶべきだったのは……」
 ――『夏海箱音』
 曾じいさんではなく助手だった。
 殺されたという表現はきっと相応しいようでいて的確ではない。はとりとて本当は理解している。されど、あの場ではそのように語るしかなかった。
 僅かに顔をあげたはとりは首を横に振る。
 奴に嫐られたいだなんて趣味は無い。それに今、衆人監視下で夏海を呼ぶのも嫌だと思えた。向き合うのは今ではないのだと自分を律し、はとりは立ち上がる。
 周囲を見渡せば白い部屋に浮かんでいる黄昏の仔が見えた。
「丸いのと遊ぶか……」
 それが今の任務であると自分に言い聞かせ、はとりはひらひらと手を振った。その動きに気付いた黄昏の仔がはとりに近付いてくる。
 しかし思えばこんな概念の存在とどう遊べばいいのだろう。犬や猫人は違うので玩具を使うのもまた違う気がする。
「よく弾みそうだな」
 ――?
「蹴ってみていいか? サッカーは割と得意だったぞ」
 ――!?
 はとりの言葉を理解しているらしい黄昏の仔が慌てる。しかし、はとりはふっと口許を緩めて笑い、肩を竦めた。
「……冗談だよ、本気じゃない」
 多少意地悪でひねくれ者なだけだと付け加えたはとりに対し、黄昏の仔がほっとした様子を見せる。多少ではないのでは、という旨の突っ込みはもし助手がいたら行っていたかもしれないが、今のはとりの傍には誰もいない。
 折角逸らした思考が其方に寄りそうになり、はとりは考えを散らしていく。
 遊ぶのは此方が無理に何かをしなくても良い。どうやら黄昏の仔は猟兵の周りを回って、たくさんのことを観察しているようだ。
 言葉を話せなくとも彼の感情は読み取ることができた。可愛いもんだな、と思わず零したはとりはそんな彼に名前を付けてやりたいと考える。
「名前な……あんたは何が良い?」
 一応は問い掛けてみるが、黄昏の仔はくるくると回るだけ。総称ではなく、個としての名前という概念が理解できていないのかもしれない。しかしきっと何か名付けてやれば認識していくだろう。
 はとりは暫し考え、浮かんだ名前を言葉にしていく。
「安直だか『彼誰』はどうだ」
 誰ぞ彼で、たそがれ。彼は誰ぞで、かはたれ。
 似た響きではあるが夕暮れと夜明けという違いがある。明るい感じで良いだろ、と語ってやると黄昏の仔は不思議そうにふわふわと左右に漂った。まだ実感が無いのだろう。だが、その仕草もまた妙に愛らしい。
「よく分からんが、あんたはあんたで他の誰でもないしな」
 その中で、ふと零れ落ちた言葉。
 其処ではとりは気が付く。これは己にも当てはまることだ。名探偵を継ぐ者だとしても、曽祖父と同じではない。他の誰でもなく、ただの自分でしかない。
「……成程な」
 この思いにどうやって向き合っていこうか。
 推理よりも難題であろう思いを胸に秘め、はとりは暫し丸い黄昏を見つめていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント
UDC-Pと交流を図る
知らない所に連れて来られて不安はないだろうか
言葉を掛けて、触れていいなら軽く撫でてみる

少し迷って、ユリウスの幻影を呼び出してもらう
近くで見てその姿を記憶に焼き付ける
この命、返せるものなら…
それが無理なら痛みごと背負って歩いて行くしかない

辛いなら忘れていいと、ユリウスなら言うかもしれないが
歪められていない幻影を前に思い出すのは優しい掌と笑顔で
これで良かったのかは分からない
だが、この記憶は決して辛いだけではないと再確認する
「…絶対に、忘れてなんてやらないからな」

◆名前
火灯(ひともし)
夕暮れ時を表す言葉という理由もあるが
『彼』の力を借りたおかげで確かに胸に灯ったものに、感謝して



●灯を燈すもの
 白い部屋の中で黄昏色の球体が浮かんでいる。
 シキはその様子を暫し眺め、UDC-Pの様子を観察していた。
 知らない所に連れて来られて不安はないだろうか。最初はそんな風に思っていたが、どうやら心配は無用だったらしい。
 たくさんの猟兵に可愛がられ、時には蹴られそうになりながらも、黄昏の仔は楽しそうに過ごしていた。そして、シキに見つめられていると気が付いた彼は、どうしたのと問いかけるかのように近付いてきている。
「ああ、何でもない」
 おいで、と誘うように手を伸ばしたシキ。するとぴょこんと空中で跳ねた黄昏の仔がふわふわと擦り寄ってきた。球体に触れればあたたかな感触が伝わってくる。
 彼を軽く撫でたシキは少しばかり迷った。
 しかし意を決し、もう一度だけ黄昏の力を使って欲しいと願った。
「ユリウスに会わせてくれないか」
 シキが静かに告げると、黄昏の仔は勿論だと言うように力を発動させていく。
 周囲の景色が揺らいでいく。
 その風景は夕暮れ時に見せられた集落ではなく、もっと別の場所だった。確かユリウスに銃の扱いを教えて貰っていた場所のひとつだ。
 そして、シキの目の前にはユリウスが立っていた。怪異になど歪められてはいない本当の彼だ。
「……懐かしいな」
 人当たりの良い優男。やはりそのように表すのがぴったりな男だ。
 その眼差しを受け、シキは肩の力を抜く。もう一度、近くで見る姿を記憶に焼き付けようと思った。記憶と寸分違わぬ眸はとても優しい。
「この命、返せるものなら……」
 返したいと願ったシキだったが、ユリウスが首を横に振った。
 それは出来ないことだと言っているのか、そんなことをしなくてもよいと告げているのかは判断ができない。だが、どちらであっても構わない。
「そうだな、無理な話だ。それならばこの痛みごと背負って歩いて行くしかない」
 辛いなら忘れていい。
 ユリウスならそう言ってくれるかもしれないが、シキ自身が忘れたくはなかった。すると彼の掌がシキに伸ばされた。大丈夫、というようにユリウスはシキの肩に手を添えた。あの頃のように子供扱いをされているようだったが、向けられた笑顔は何処までも優しい。
 きっと彼にとってはいつまでもシキは子供なのだろう。甘く見ているだとか、そういうことではない。慈しむような雰囲気が其処にあった。
 やがて、シキの前からユリウスが消えていく。
 黄昏の仔の力が終わっていくのだ。微笑み続けてくれているその顔をしかと見つめ、ユリウスは消えゆく彼を見送った。
 これで良かったのかは分からない。
 呼び出したことは過去に縋っている証なのかもしれない。だが、この記憶は決して辛いだけではないと再確認できた。
「……絶対に、忘れてなんてやらないからな」
 シキは決意と誓いを重ね、傍に浮かぶ黄昏の仔に視線を向ける。そうして礼代わりにと自分が考えた名前の候補を彼に贈る。
 その名は火灯。
 それは夕暮れ時を表す言葉。そして――彼の力を借りたおかげで確かに胸に灯ったものに、感謝を込めた意味合いの名だった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

旭・まどか
――……漸く、僕の仕事は終わりだね
乞われて向かったのか、それとも、喚ばれていたのか

わからない
求めていたのが、どちらなのか

……お前には聞いていないよ
どうせ、何も語れやしないんだから

いつになく項垂れる様に腰を折る双尖の間を撫でやり
魂を、戻す

此れだって、僕が“そう”思っているだけで
本当のお前である保証なんて、どこにも無い

お前も、そう思わない?
問うだけ無駄だということは、わかっているけれど

ただ揺蕩うだけの存在
痛い程焼き付けた黄昏の色は淡くあたたかなものへと変えていて

――そういえば、お前の名がどうのとか、言っていたね
生憎と名付けは得意では無いけれど

そうだね……
「暁」なんて、どうかな

夜明けの空の名だ



●遠い希望
 黄昏の怪異を消し去り、組織施設へとUDC-Pを送り届ける。
 これで仕事は終わり。
「――漸く、一息つけるね」
 果たして乞われて向かったのか、それとも喚ばれていたのか。此度の件について考えるまどかは、自分では解答が出せないと感じていた。
 思いを巡らせてもわからない。
 求めていたのが、どちらなのか。或いは両方だったのか。
 その隣では伴の灰狼がまどかを見上げていた。視線を感じたまどかは頭を振り、自分の思いを察しているであろう彼に告げる。
「……お前には聞いていないよ。どうせ、何も語れやしないんだから」
 それを考えるのはお前ではない。
 自分なのだと伝えたまどかは視線を逸らす。しかし、いつになく項垂れる様に気付いたまどかは腰を折る双尖の間を撫でてやった。
 ――魂を、戻す。
 その行為とて、まどか自身が“そう”思っているだけなのかもしれない。
 忠実に、自ら助けになるよう動く彼。
 それが本当のお前である保証など何処にあるのだろうか。そうではないことを示すだなんて、まるで悪魔の証明のようだ。
「お前も、そう思わない?」
 問うだけ無駄だということはわかっていたが、問い掛けずにはいられなかった。
 魂の在り処を証明する方法はない。ただよく似せたものを本物だと思ってしまう事象は先程、黄昏の怪異の中で痛いほどに知った。
 ねえ、とまどかが呼び掛けると周囲に浮かんでいた黄昏の仔が近付いてくる。
 それはただ揺蕩うだけの存在ではおさまらないらしい。
 黄昏の仔は、きみは誰かを呼ばないのか、といった旨の意思を向けていた。まどかにとってはあの子を呼ぶ再びの機会が与えられることになる。
 だが、まどかは要らないと答えた。
 痛い程に焼き付けた黄昏の色。それは淡くあたたかなものへと変わっていたが、もう一度の邂逅は望めなかった。
 黄昏に歪められていない少年と逢えば、静かに、或いは明るく微笑む姿が見られるのだろう。されどその姿を実際に見たならば、赦された気になってしまう。
 本当の彼は誰も恨んでいないはずだ。自分だけを犠牲にして咲うのだろう。
 それが解っていて、呼び出すようなまどかではない。
「――そういえば、」
 黄昏の仔に手を伸ばしたまどかは、他の者がそうしていたように彼に名前を与えてやろうと思い立った。
「お前の名がどうのとか、言っていたね。候補をひとつ増やそうか」
 生憎と名付けは得意では無いけれど。
 そんな風に語ったまどかは、暫し考えた後に黄昏の仔に告げていく。
「そうだね……『暁』なんて、どうかな」
 あらたな名として与えたのは、夕暮れの反対側に位置する時刻の名前。
 夜明けの空。
 昏く沈む夜にひかりを与えるもの。
 その名が浮かんだのは、そうあって欲しいと願ったからかもしれない。
 自分達には望む暁が訪れるのだろうか。考えても未だ答えの出ない思いを抱えながら、まどかは暫し黄昏の仔を見つめていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

月舘・夜彦
【華禱】
倫太郎殿と合流
彼も同じような事が起こっていたはず
いつものように向ける顔にも陰りはありますが
怪我が無いのが何よりです

互いの事を探らず彼と寄り添って過ごします
Pとやり取りをする同胞達の様子を眺めながら彼の手を握る
見せられたものは幻であり、今触れているものは本物である事
偽物であったはずの私を見てくださる存在が居る事
それを実感しながらも、幻が投げた言葉は少し苦しくて
今は、それを互いに癒したい

名前が決まったのなら聞いてみましょうか
そして、もう一度あの人の名前を呼ぶ

見せられた景色は夏
果てしなく青い空、風鈴の音
愛しい者と微笑み合う姿

あれは二人の世界だから触れない
悲しくはない
今の私には、彼が居るから


篝・倫太郎
【華禱】
逢魔が時から解放されて
夜彦と合流した時

笑い掛けて労ってくれたけれど
その表情が酷く疲れているように見えて

あぁ、無理をしてるな……

そう思ったから
保護されたPの様子を眺めながら……
寄り添って静かに過ごす

別に、どこかに出掛ける訳じゃないけど
夜彦と手を繋いで、繋いだ掌で溶けて混ざる熱が
少しでも夜彦の気持ちを落ち着けたらいい……
そう思うから

俺も、少しだけ参ってるから
夜彦の熱で、大丈夫だって思いたい……のかもしれないけど

あぁ、Pの名前が決まったの、かな?

良い名前、貰えたんだろうか
幸せになれる名前、貰えたならいいよな

主の名を口にする夜彦に
ツキリと胸の奥が痛む
それは置き土産のような彼女の言葉の所為にして



●繋ぐ心
 夜彦と倫太郎は合流し、互いの健闘を労いあう。
 黄昏の怪異に付けられた傷は浅くはなかった。彼にも同じような事が起こっていたはずだと考えた夜彦は倫太郎に心配そうな視線を向けた。
「倫太郎殿、お身体は如何でしょうか」
「ああ、大丈夫だ。怪我は痛かったが、手当てもして貰ったからな」
 彼がいつものように向ける顔には陰りがあった。夜彦もそれなら良かったのだと答える中で笑みを浮かべる。
 倫太郎は夜彦もまた酷く疲れているのだと察していた。
 笑いかけて労ってくれているが、自分と同じように押し隠しているものがある。
 しかし、二人は互いのことは探らない。
 白い部屋の中で倫太郎と夜彦はひっそりと寄り添って過ごしていた。
 UDC-Pと遣り取りをする同胞達の様子を眺めながら、夜彦は倫太郎の手を握る。
(あぁ、無理をしてるな……)
 倫太郎は握られた手の感触からそんなことを思っていた。
 見せられたものは幻であり、いま触れているものが本物であることを確かめる。偽物であったはずの自分を見てくれる存在――倫太郎が居ることが、夜彦にとっての支えであり救いでもあった。
 それを実感しながらも、やはり胸が痛む。
 幻が投げた言葉は苦しくて重い。だから今はそれを互いに癒したいと思った。
 倫太郎も夜彦も暫し言葉を交わさずにいた。何かを語れば苦しさが溢れ出て、必要以上に縋ってしまいそうになる。
 互いに何事も許してくれる存在ではあるが、自分がそうはしたくない。
 倫太郎も、夜彦も、抱いている思いはよく似ていた。
 繋いだ掌。溶けて混ざる熱。
 この温もりが、少しでも夜彦の気持ちを落ち着けられれば良い。そう願った倫太郎は更に強く手を握った。
 自分だって少しだけ参っている。
 己がそうしたように夜彦の熱で、大丈夫だと信じたいのかもしれない。
 すると、彼らの近くに黄昏の仔が寄ってきた。彼は名前の候補を幾つか貰って来た後らしいが、まだ呼び名は決まっていないらしい。
 幸せになれる名前、貰えたならいいよな。そう語る倫太郎。
 夜彦も、良い名になると好いですね、と告げて黄昏の仔を手招く。
 そして、もう一度あの人の名前を呼ぶ。
「――小夜子様」
 すると一瞬だけ、夜彦の目の前に夏の景色が現れた。
 果てしなく青い空、風鈴の音。
 彼女が愛しい者と微笑み合う姿。だが、夜彦からはそのひとは見えなかった。あれは二人の世界だから触れないと感じた瞬間、幻影が消える。
 すぐ傍に倫太郎がいたからだろう。
 黄昏の仔の力は夜彦に刹那の間しか幻を見せることが出来なかったようだ。
 夜彦が幻の主を見送る中、倫太郎は複雑な気持ちを覚えていた。胸の奥が痛む。それは置き土産のような彼女の言葉の所為にして、倫太郎は思いを押し込めた。
「倫太郎殿?」
「何だ、夜彦」
「いえ……」
 呼び掛けた夜彦の言葉に対し、倫太郎は何でもないように答える。そんな反応をされてしまうと夜彦もそれ以上は何も言えなかった。
 だが、悲しくはない。
 彼はあの幻のように拒絶しているわけではない。今はただ、痛みに心を割いているだけなのだから。
 ――今の己には、彼が居る。
 どんなに揺らいでも変わらぬ事実を思い、夜彦は目を閉じた。倫太郎も倣って瞼を閉じて手を握り返す。
 きっと、繋いだ温もりだけが今此処にある確かなものだ。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

樹神・桜雪
こんにちは。キミがUDC-Pだね。無事で良かった。

キミもあの幻影を呼べるのかな。それならお願いがあるんだ。
歪められていない親友にもう逢いたい。
ボク自身の記憶もかなり曖昧だから、無理なら無理で構わないよ。
ちゃんと前を向いて歩くために、もう惑わされないために自分の気持ちにケリをつけたかっただけだから。

会えるのなら、謝罪を伝えたい。
ちゃんと思い出せなくてゴメン。
諦めろと言われても諦められないんだ。ボクは何故忘れているのかを探さなくちゃ。
いつかボクがボクを思い出して、キミの事もちゃんとに思い出せたら…その時キミは笑ってくれるのかな。

ありがとう、UDC-P。やっと少しだけ前に進めたような気がするよ。



●深い記憶の底に
「こんにちは。ううん、こんばんはかな?」
 施設内の白い部屋の中。桜雪は、キミがUDC-Pだねと黄昏の仔に語りかけた。
 無事で良かったと桜雪が告げると夕暮れ色の球体が上下に揺れる。どうやら桜雪の身を心配してくれているようだ。
 黄昏の仔は無害だが、鉄塔の周辺に居た怪異は害意を持っていた。一応なりとも仲間であった彼らが桜雪達を傷付けたことに、黄昏の仔は心を痛めていたのだろう。
 大丈夫だよ、と答えた桜雪は黄昏の仔に願う。
「キミもあの幻影を呼べるのかな。それならお願いがあるんだ」
 歪められていない親友に逢いたい。
 あの幻影の中で会った責め立てるような彼ではない。自分の記憶の底に封じられているであろう親友に、もう一度。
「出来るかな?」
 自分の記憶もかなり曖昧だからどうなるかわからない。桜雪がおずおずと問うと黄昏の仔はふわりと近付いてきた。
 記憶。それは自分が覚えているだけのものではない。怪異がそうしてみせたように、思い出せない部分から拾いあげてくることも彼なら出来るようだ。
「出来るなら――」
 お願い、と桜雪が告げる前に黄昏の力が巡った。
 驚いた桜雪は思わず目を瞑る。
 しかし目の前に誰かが現れたことに気付いてゆっくりと瞼をひらいた。
「ああ……キミなんだね」
 桜雪の前には優しい雰囲気の青年が立っている。前を向いて歩くため、もう惑わされないため、自分の気持ちにケリをつけるために逢いたかった人。
「ちゃんと思い出せなくてゴメン」
 桜雪が告げた言葉に対し、青年は何も答えない。
 答えられないのだろう。怪異と違って存在を歪めない黄昏の仔には彼を喋らせる力がないと聞いている。
 しかし、青年は夕暮れの幻影で会ったときとは違う淡い微笑みを浮かべていた。
 あのときの彼は諦めろと言った。だが、桜雪はたとえ親友の言葉でも聞くつもりはなかった。それが歪められているのなら余計に。
「ボクは諦めろと言われても諦められないんだ。何故忘れているのかを探さなくちゃいけないって思うから」
 思いを伝えていく桜雪の言葉を彼はじっと聞いていた。
 その眼差しが柔らかい。ただそれだけで少し勇気を貰える気がした。
「いつかボクがボクを思い出して、キミの事もちゃんと思い出せたら……そのとき、キミは笑ってくれるのかな」
 ねえ、と呼びかけて返事がくるとは期待していない。
 それでも声をかけるのはこれが自分なりの決意と展望であるからだ。
 そして、黄昏の仔の力が終わっていく。束の間の邂逅ではあったが、優しい青年の姿を見られただけで今は満足だ。
「ありがとう。やっと少しだけ前に進めたような気がするよ」
 黄昏の仔に礼を告げた桜雪は緩く双眸を細める。
 その肩の上に止まってすべてを見守っていた相棒が、ぴ、とちいさく鳴いた。
 よく頑張ったね。
 そんな風に告げてくれているような、やさしい聲だった。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴島・類
垣間見た
終わった後行く先は違うから会えぬひと

もう、願わない
軋んだのは沈める
何をすべきかは、身体が続く限り
果たすこと
本当はわかりきってる

再びは願わず
影法師望む方の邪魔はせぬよう気をつけ
彼の周りが落ち着いたようなら
P君と、交流をしに

揺れる姿、言葉は交わせなくても
丸い物体を前に挨拶を
こんにちは、沢山の景色をうつす君
君が、見てみたい、うつしてみたい景色は
あるかい?
夕暮れしか、というがその下に
彼だって何を写したいかはあるかも
僕の記憶に似たものがあれば、見れるかも
渡ってきた世界を挙げてみて返答は揺れ具合で判断

夕日は暮れる、沈むって印象が強いがね
その先に見る明星は綺麗なもんだよ
夕星(ゆうづつ)なんてどうかな



●明けの星を懐う
 垣間見たのはまぼろし。
 終わった後、行く先は違うからもう二度と会えぬひと。
 そんな人に会えた。遭った、という方が良かったのかもしれない。歪められた声を聴き、軋む心は悲鳴をあげていた。声なき声で裡に沈む思いが昏く塗り潰された。
 黄昏から夜に染まった空のようだ。
 そのように思えたから――もう、願わない。
 軋んだ思いは沈め、類は白い部屋の中に浮かぶ黄昏の仔を見つめた。
 何をすべきか。
 身体が続く限り果たすこと。それも本当はわかりきっている。けれども今はそれを言葉にすることなく、類は他の猟兵と戯れる彼を見守った。
 影法師を望む者は多い。
 過去に亡くしたひとを求める気持ちは尊いものだと思えた。再びの邂逅が叶うのだと示されれば願い、黄昏の仔も応じる。
 過ぎ去ったものに縋りすぎるのでなければ悪いことではないのだろう。
 そうして、力を使っていく黄昏の仔。
 他者の視たものは類には見えなかったが、誰もが現実と向き合っているように思えた。そんな中、夕暮れ色の球体がふわりと揺れながら類に近付いてくる。
 くるりと茜色を揺蕩わせた彼は類に問い掛けているようだ。
 ひとの言葉にするなら、君はもう誰かと逢わなくて良いのか、という旨だろう。
「……いいんだ」
 再びは願わないと伝え、類は首を横に振った。
 その代わりに少し遊ぼうと話すと黄昏の仔は嬉しそうに空中で跳ねる。揺れる姿は何だか可愛らしく思えた。言葉は交わせなくても十分に意思の疎通が出来る。
「改めて挨拶をしないと。こんにちは、沢山の景色をうつす君」
 ――♪
 左右に動くことで反応をみせた黄昏の仔はご機嫌らしい。
 類は双眸を細め、自分ではなく彼の希望を聞いてみたいと感じた。
「君が、見てみたい、うつしてみたい景色はあるかい?」
 ――?
 すると彼は疑問を浮かべたかのような様子を見せる。丸い身体の中で夕暮れの彩がくるくると巡っていった。どうやらそういった景色が思い浮かばないようだ。しかし、その下に彼だって何かを写したいという思いがあるかもしれない。
「僕の記憶に似たものがあれば、見られるかも……と、わからない?」
 ――!
「じゃあ話をしよう。僕が渡ってきた世界の景色の話だ」
 ――!!
 言葉でのやりとりは出来ないが黄昏の仔はちゃんと反応を返してくれる。写したい景色は思い浮かばなくとも、話を聞いていけるのならばいつかきっと彼にとっての好きな光景も見つかるはず。
 暫し類は黄昏の仔にこれまで見てきた景色について語る。
 彼はしっかりと類の声を聞き、跳ねたり飛んだりしながら大いに楽しんだ。
 そして、暫し後。
 類はふと彼に贈る名前の候補を思いついた。
 夕日は暮れる、沈む。そんな印象が強いが、その先に見る明星は綺麗だから――。
「君の名前、夕星なんてどうかな」
 類が告げた言葉に対して不思議そうな仕草を見せた黄昏の仔。
 気に入ってくれるだろうか。彼がどんな名前を選び取ったとしても、その心はちいさな星のように輝いている。
 きっとその在り方は変わらないと感じて、類は静かに微笑んだ。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

華折・黒羽
傍らにころり身を置く夕暮れ色の球体
挨拶と少しばかりの話をした

あなたのおかげで真実を知る事が出来ました
…まだ、受け入れるのは辛いけど
ちゃんと、前、向かなきゃいけませんよね

独り言のようにぽつり、ぽつり零す
そしてお願いがあるのだと

伝え忘れた事があるんです
最後にもう一度、会いたい

──聞き入れてくれたのだろうか
ざあと移り変わった光景は白い桜咲く樹の下
微笑むあなたが佇む

…朔様
父上と母上から手紙を貰ったんだ
自分を信じ、笑顔で生きろと言ってくれた
俺は…あなたたちから貰った「華折黒羽」という名を抱え
あなた達を、この名を信じて生きていくよ

だから、見守ってて

あなたの相貌に咲いた満開の笑顔
応えるように、精一杯に笑った



●泣き虫な君へ
 黒羽の傍ら、ころりと転がるように近付いてきた黄昏の仔。
 随分と人懐っこいのか、傍に身を置いて寛ぎはじめた夕暮れ色の球体。彼に目を向けた黒羽はそっと手を伸ばした。
 不思議な丸い存在は触れられる。その温もりは毛並みのある動物とはまた違い、黒羽の掌に仄かながらも確かな熱を伝えてくれていた。
「こんばんは……でいいのでしょうか」
 夕暮れの色を宿す彼に軽く挨拶を告げ、黒羽は自分の名を告げる。
 すると黄昏の仔は掌の上にちょこんと乗って、黒羽の毛並みに頬擦りするかのようにすりすりと動いた。懐いているらしい。
 可愛い、とちいさく呟いた黒羽は彼の好きなようにさせていた。
 そして、礼を伝えていく。
「あなたのおかげで真実を知る事が出来ました」
 生きていると信じていたひとに会った。
 死者しか呼び出せないという黄昏の力を使ったことで、敢えて考えようとはしなかった事実を理解した。
 まだ現実を受け入れるのは辛い。けれど、と黒羽は静かに顔を上げた。
 いつの間にか俯いていた自分に気付き、彼は静かに笑む。
「ちゃんと、前、向かなきゃいけませんよね」
 独り言のように、ぽつり、ぽつりと零す言の葉は雨のようだ。冷たいけれどもいずれは恵みを巡らせる。そんな雰囲気を宿す声だった。
 そうして黒羽はお願いがあるのだと言い、黄昏の仔の力を求める。
「伝え忘れた事があるんです」
 だから最後にもう一度、会いたい。
 誰にも歪められてなどいない、あの子に。
 黄昏の仔は頷くような仕草を見せ、黒羽の手からぴょこんと降りた。其処から広がっていくのは彼の力。
 何者をも歪めずに写し取る不思議な幻影だ。
 聞き入れてくれたのだろうか。
 そんな風に思った瞬間、ざあ、と周囲の景色が移り変わった。その光景は白い桜が咲く樹の下。穏やかな心地が巡る場所だ。
「……朔様」
 微笑むあなたが、やさしい眼差しを向けて佇んでいた。
 その名を呼んだ黒羽は手を伸ばす。すると朔も黒羽と同じように腕を伸ばし返した。触れる指先と手。
 朔は何も語らないが、繋いだ手にはぬくもりがあった。
 黒羽は伝えたいことを思い乍らゆっくりと朔に言葉を掛けてゆく。
「父上と母上から手紙を貰ったんだ。自分を信じ、笑顔で生きろと言ってくれたよ」
『……』
「俺は……ちゃんと前を見るよ。あなたたちから貰った『華折黒羽』という名を抱えて、生きていく。あなた達を、この名を信じて――」
 だから、見守っていて。
 黒羽が告げていった言葉に対し、朔は頷いた。
 その相貌に咲いたのは満開に咲く桜のような笑顔。伸ばされた手が黒羽の両頬に添えられる。確かな熱を持った指先の感触を確かめ、黒羽は涙を堪える。
 そして、応えるように精一杯に笑った。
 次第に朔のまぼろしが消えていく。黄昏の仔の力も此処までなのだろう。
 薄れていく景色の中で朔の口許が微かに動く。
 ――泣き虫くろば。
 声は聞こえなかった。しかし朔は無邪気な顔で慈しみと親愛を込めて、そんな風に語っているように思えた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ユヴェン・ポシェット
名前か…
ハマラという(hämäräと書いて夕暮れや黄昏の意味を持つ)言葉がふと思い浮かんだが…意味がそのまま過ぎるだろうか。
他にもルノ(詩)やムイスト(思い出)とか、それから… ミエリ(心)。

まあ…呼び名は何にせよ、俺はアンタの事知りたいよ。
アンタは何が好きなのだろうか。
(暫し考え)…音楽に興味はないか?
広い部屋といえ楽器の演奏は他の人に迷惑をかけるかもしれないからな。小声で音を口遊み、反応を見てみる。

どんな形であれ、俺の大事な友の姿に合わせてくれて有難う。本物では無いにしても俺は最後、会う事が叶わなかったから。
もう、俺の為に力は使わなくて良い。
そのままのアンタと交流したいからな。



●心に歌を
 夕暮れの色をした、ちいさくて丸いもの。
 ふわふわと浮かぶ黄昏の仔は白い部屋の中でよく映えて見えた。
 ユヴェンは猟兵達の周りを飛んでいる球体を見上げ、彼に相応しい名前を考える。
「名前か……」
 これから呼ばれることになるならば名付けの責任は重大だ。似合う名前であり呼びやすい名、と思うとなかなかに悩んでしまう。
 しかし、ゆらりと楽しげに揺れている黄昏の仔を見ると楽しい気持ちも浮かぶ。
「――ハマラ」
 先ず浮かんだ名がひとつ。
 hämäräと記すその名は夕暮れや黄昏の意味を持つ言葉だ。されど意味がそのまま過ぎるだろうか。ユヴェンの声を聞いていた黄昏の仔は不思議そうにくるくる回る。
 茜色と朱色が混じりあった色を眺めたユヴェンは様々な候補をあげていった。黄昏の彼自身が名を選ぶならたくさんあっても良いだろう。
「ルノ、ムイスト……それから、ミエリ」
 詩、思い出、心。
 それぞれの意味を持つ名から好きな響きを選んで欲しいと告げ、ユヴェンは静かに微笑む。ユヴェンは嘗てのミエリクヴィトゥスに再び会う選択はしなかった。
 その代わりに黄昏の仔を知ろうと思っていた。
「まあ……呼び名は何にせよ、俺はアンタの事が知りたいよ」
 黄昏の仔は何が好きなのか。
 何に興味を持ち、これから何を知っていくのか。
 きっと彼がこの世界に馴染んでいくのはこれからなのだろう。今は未だ心を知ったばかりで無邪気な仔だ。
 暫し考えたユヴェンはふと思い立ち、黄昏の仔に呼び掛ける。
「……音楽に興味はないか?」
 ――?
 すると不思議そうな仕草で球体が回った。音楽も未だ知らないのかもしれない。そう感じたユヴェンはちいさな歌を口遊みはじめた。
 黄昏の仔と自分達だけに聞こえる声で、そっと紡がれる歌。
 傍にいたミヌレもユヴェンの歌に耳を傾け、尾を軽く揺らしていた。黄昏の仔は最初は何事かという様子でふわふわしていたが、次第にミヌレと一緒に横に揺れた。
 ――すき!
 そんな風に彼が言ってくれた気がして、ユヴェンの口許が緩む。
 これから様々な音を知っていけばいい。黄昏の仔が何を好きになっていくのか、その可能性は無限大だ。
 ユヴェンは夕暮れ色の仔に手を伸ばし、そうっと触れる。彼はあたたかな感触を覚えながら告げたかったことを伝えてゆく。
「どんな形であれ、俺の大事な友の姿に合わせてくれて有難う」
 あの怪異が見せた友は本物ではなかった。
 しかし自分は最後に会うことが叶わなかったから。姿を見られただけで十分なのだと語ったユヴェンは黄昏の仔を撫でた。ミヌレも新しい友達が出来たというように彼に寄り添い、きゅっと鳴いた。
 暫し流れていく穏やかな時間。
 黄昏の仔は一体どんな名前を選ぶのだろう。
 ちいさな期待を寄せ、ユヴェンは彼の選び取る未来に思いを馳せた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

姫城・京杜
怪我治すとかそれよりもUDC-Pと向き合う

ふわふわまんまる…こう見ると可愛いな、と笑んで
よし、名前考えるか
黄昏…トワイライト…トワ?
永遠のトワとも掛けたとか言ったら、小粋じゃね?

黒竜の鳴雷も大丈夫なら喚ぶ
こいつも元の主に会いたいだろうし
そして少し緊張気味に、あいつの名をもう一度呼ぶ

――遠夜

姿見れば言葉零れ落ちる
ごめん、ごめんな…本当にごめん…
胸がまた痛くなるけど…でも、それじゃダメだ
顔上げ向き直り、そして確り紡ぐ

あいつの事は絶対に守ると誓うな、って

有難うな、トワちゃん
俺、もう少しの間、前向いて歩けそうだ
あいつと一緒にな
てかほんと、こんな情けねェ面…主に呆れられちまうな(涙ぽろぽろ零す自分に苦笑



●夜明けには遠い刻
 身体の痛みは未だ治まらない。
 片手で胸を押さえた京杜は裡に巡っていく痛みを確かめた。この傷こそが自分の受けるべきものだったのかもしれないとすら思う。
 しかし、この痛みの代わりに救われたものもあった。
 それは誰かが怪異に巻き込まれる未来。そして、一体の善良なUDC-Pだ。
 研究施設内を自由に飛び回っている黄昏の仔は楽しげだ。ちょうど近くに飛んできていた彼を手招き、京杜は静かに笑む。
「ふわふわまんまる……こう見ると可愛いな」
 痛みを抱えながらも気持ちが和らいだのは、この子が自分達の守ったものだと実感できたからだ。周囲をくるくると回った黄昏の仔は京杜に興味津々だ。
「よし、名前考えるか」
 これが今の自分にできることだとして京杜は軽く考えを巡らせてゆく。
 そういえば黄昏以外の名前が望ましいと言われていた。それならば夕暮れの雰囲気は損なわないまま、連想できる名がいいかもしれない。
「黄昏……トワイライト……トワ?」
 ――♪
 京杜の言葉に対し、黄昏の仔は嬉しそうに空中で跳ねた。気に入ってくれたのだろうかと思ったが、黄昏という部分に反応したらしい。
「ああ、黄昏じゃダメなんだって。だから永遠にも掛けたトワ。小粋じゃね?」
 薄く笑んだ京杜はどの名前を選ぶのも自由だと伝えた。そして、自分の傍に黒竜の鳴雷を喚んでいく。
 これから自分は黄昏の仔に、もう一度逢いたいと願う。
 鳴雷の元の主である、彼の人に。
 こいつも会いたいだろうし、と京杜は鳴雷の背を撫でた。そして少し緊張気味に、その名を再び呼んだ。
「――遠夜」
 京杜の願いを聞き届けた黄昏の仔がふわりと浮かぶ。その瞬間、周囲の景色があの黄昏時のように割れ、移り変わっていった。
 其処には、歪められていない姿の遠夜が立っている。
 その顔を見たとき、自然に謝罪の言葉が零れ落ちていった。
「ごめん、ごめんな……本当にごめん……」
 頭を下げる。胸がまた痛くなる。思わず取ってしまった行動は京杜の後悔と心を如実に映し出しているものだ。
 けど、と京杜は顔をあげた。それではいけないことは解っている。向き直った京杜は溢れ出そうになる感情を抑え、しっかりと告げていく。
「遠夜。……あいつの事は絶対に守ると誓う」
 そうやって生きていくことを己の進む道として決めた。迷うことも、苦しむことも、膝をつきそうになることもあるだろう。
 決して自分は強くはないが、心の奥底に抱く思いだけは捨てたりしない。
 真っ直ぐな眼差しを向けた京杜は遠夜を見つめる。すると、何も語られぬ代わりに穏やかな微笑みが返ってきた。はっとした京杜は手を伸ばそうとする。
 しかし、黄昏の仔の力は其処で途切れた。
 消えていく景色と影。ふわりと傍に浮かんだ夕暮れ色の仔。
 届かなかった手を見つめながら、京杜は「有難うな」と語りかけた。
「俺、もう少しの間、前向いて歩けそうだ」
 ――あいつと一緒に。
 裡に残った思いに付ける名前は見つからなかった。
 どうしてか涙が溢れる。嬉しかったのか、苦しかったのか。両方なのか。それすら分からぬまま京杜は苦笑いを浮かべた。
「てかほんと、こんな情けねェ面……主に呆れられちまうな」
 けれど、次に顔をあげたときにはいつもの自分に戻ろう。
 そのように決めた京杜は暫しの間、頬を伝う雫を拭わぬまま静かに俯いていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
手当はいいわ
後でするから

Pちゃんさんに会いに行く
あの黄昏色をまた見るのは勇気が必要だったけれど
…ふしぎ
この黄昏はこわくない
撫でたり、できるかしら?

お名前がないのね
うーん、P……オレンジ色だしポピーちゃん、とか?
あなたは自分で名前をえらべるのね
どんな名前になるのか楽しみ

「ルーシー」に会わせて頂ける?
傷口からはまだ血がしたたるよう
それでもハグして微笑んでやるの

さっきは、ごめんなさい
あのね、ママとパパはずっとずっと、あなたの事を愛していたわ
あなたの近くに居なくても
わたしを見ては、あなたを想っていた
今までもこれからも、あなたのもの
それだけは、安心して

例えあなたが幻でもいい
ずっとこれを伝えたかったの



●あなたの居場所
 研究施設の白い部屋の中。
 手当てもそこそこにしてルーシーは黄昏の仔に会いに行くことを決めていた。
「……Pちゃんさん」
 未だ名前のない彼を呼べば、夕暮れの色をした球体がふわふわと近寄ってくる。苦しい思いを宿したあの黄昏色をまた見るのは勇気が必要だった。けれども不思議だ。
 傍で浮いているこの仔はこわくない。
「撫でても、いいかしら?」
 ルーシーがそっと手を伸ばすと黄昏の仔の方から擦り寄ってきた。
 仄かなあたたかさが掌から伝わり、ルーシーは思わず笑む。子猫や子犬を撫でているのとは違う感触があった。
 ありがとう、と告げたルーシーは彼の名前を考えていく。
「うーん、P……オレンジ色だしポピーちゃん、とか? お花の名前なのよ」
 空を向いて咲く花を思い浮かべたルーシーは、どうかしら、と問いかけた。黄昏の仔はふわりと少女の頭上に移動してくるくると回る。
 彼はどんな名前になるのだろう。たくさんの選択肢から選び取れることが少しだけ羨ましくもあった。
「あなたは自分で名前をえらべるのね」
 どんな名前になるのか楽しみだと告げ、ルーシーはそっと息を吐く。ちいさな覚悟を決めた少女は黄昏の仔に向き直る。
 もう一度、彼女を――ルーシーを呼びたい。
「会わせて頂ける?」
 少女が問いかけると黄昏の仔は勿論だというようにくるりと回転してみせた。
 そして、一瞬後。
 ルーシーの目の前には『ルーシー』が立っていた。
 先程とは違って何処か穏やかな雰囲気の彼女を見つめた少女は、静かに歩み寄る。痛、と不意に声が零れ落ちた。手当てをしていない傷口が開き、血が滴ったからだ。
 しかし、そのまま腕を伸ばす。
 痛みなど気にせずに、少女は自分が思うままに彼女を抱き締めた。
「さっきは、ごめんなさい」
 怪異が呼び出したものも、優しい黄昏が呼んでくれた彼女も、本物ではないのかもしれない。それでも告げたい思いがあった。
「あのね、ママとパパはずっとずっと、あなたの事を愛していたわ」
『……』
 ルーシーはハグされたまま何も答えない。しかし拒絶するような雰囲気は見えなかった。少女は不思議な心地を覚えながら言葉を続けていく。
「あなたの近くに居なくても、わたしを見ては、あなたを想っていた」
 自分は彼女の場所を奪った。
 傍から見ればきっとその通りであるし、ルーシーとしての少女は代わりに様々なことを行ってきた。自分の立ち位置が分からなくなることだってあった。
 しかし全て乗っ取ってしまったわけではない。
「みんな、今までもこれからも、あなたのもの。それだけは、安心して」
 本当はわたしのものではない。
 わたしは全部、借りているだけ。借り物で偽りの立場だけれど。これからも自分はルーシーとしての生を続けて、あなたのいた場所を守り続けるから。
「……ルーシー」
 少女は生きることが出来なかった彼女の名を呼び、強く抱き締めた。
 すると微かな感触が背に伝わってくる。ルーシーが自分を抱き返したのだと気付いた時にはもう幻は消え去っていた。
 その表情は見えなかった。あれはどういった意味だったのだろう。黄昏の仔がそうさせてくれたのだろうか。
 言葉を喋らない仔からは答えが聞けそうにない。
 しかし、それでも良いと思えた。
 たとえ幻でもいい。ずっと伝えたかったことを言葉に出来たから――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ライラック・エアルオウルズ
全て望んだ物だけれど
満たされたかと云えば、
寧ろ空となった心地だな

自業自得と笑い、黄昏の子を招く
そうして、空の胸に柔く抱こう

こうして――
空く胸を、黄昏で埋めるも叶うだろう
君に彼を見て、微笑み請うだけで
僕はきっと、都合の悪い物でさえ
黄昏色で塗り潰してしまえる
だけど、僕はそうしない

ああ、全て認めよう
物語を愛した彼を悼む為と、
今まで物語を紡いで来た
けれど、それは僕の為でしかない
僕の所為、とした物を軽くする為だ

彼が、僕の為、としてくれた事も
責めていない事も解っていたのに

ああ、全てが、白紙
けれど、筆は未だ折れないよ
綴りたい物が他にもあるから
胸が、洋墨が、喩え空でも
綴りたい物があるから

――良いよね?父さん、



●綴りゆく世界
 歪められた世界で軋んだ言葉を聞く。
 それは全て自ら望んだもの。だけれど、満たされたかと云えば違う気がした。
 寧ろ、空となった心地だと感じたライラックは肩を竦める。
 しかし自業自得だ。そう思うと逆に笑みが浮かんだ。
「おいで」
 白い部屋の中、ライラックは黄昏の仔を手招く。ふわふわと近付いてきた夕暮れ色のまるい仔は彼の手の上に乗った。
 仄かなぬくもりを感じる。彼を空の胸に柔く抱き、ライラックは一度目を閉じた。
「こうしていると――」
 空く胸を、黄昏で埋めるも叶うだろうと彼は語る。それは黄昏の仔に話しているようでいて、独り言めいている言葉だった。
 君に彼を見て、微笑みを請うだけで自分は簡単に赦された気持ちになる。
「僕はきっと、都合の悪い物でさえ忘れてしまえる」
 おかしいだろう、とライラックは静かに笑った。やさしい幻影を望めば黄昏の仔はきっと思うままの彼を呼ぶ。
 そうして、すべてを黄昏色で塗り潰すことが出来る。
 解っているからこそライラックはそうすることを選び取らない。夕暮れの仔は不思議そうに彼の胸元でくるくると回っていた。
 何も語らぬ仔はただ落とされる言葉を聞くだけでいる心算らしい。その仔を片手で撫でながら、ライラックは己の思いを声にしていく。
「ああ、全て認めよう」
 物語を愛した彼を悼む為、今まで物語を紡いで来た。
 彼の為。ずっとそれが誇りだと或る意味で偽ってきたが――それは自分の為でしかないことを改めて思う。
 僕の所為。その思いを軽くする為だ。
 彼が自分の為としたことも、責めていないことも解っていたのに。これが罪であって欲しいと願ってしまった。そうしたことによって思いは水泡に帰した。
 ああ、全てが、白紙。
 何もかも無くなってしまった感覚があったが、けれど筆は未だ折れない。
 己の為だと自覚したがゆえに、自分がしたいことが視えている。誰かの為ではない、綴りたい物が他にもあると思えるから。
 胸が、洋墨が、言葉が、文字が、喩え空でも綴りたい世界があるから。
 空であるならば、これから詰め込んでいけばいい。
 自分だけの言の葉で物語を紡ごう。もしそれが本当に他の誰かの為になるのなら、それこそが目指す場所だ。
 未だ遠い先は視えず、未来は記していく途中だけれど。
「――良いよね? 父さん、」
 問いかけるのはまぼろしではなく胸の中へ。
 ずっと思い出と記憶の中にいる、やさしい彼に――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ニノマエ・アラタ
(静かな笑みを思い返し、けれど思考はすぐに現実へ戻り)
……俺は行くよ。
今を後悔しないために。

研究施設はどういう雰囲気であっても苦手なんだがな。
傷の手当はいい。もう治ってるだろうから。
待ってる間は、珈琲(勿論ブラックだ)片手に
雑誌にでも眼を落しながら。

Pに対しては、今回の切っ掛けを作った存在なので挨拶して帰る。
俺を見て怖がるなら、外見は見えて判断材料にしてるってことだろ。
黄昏、夕暮れ、残照。
…形状や色合いについては、様々な表現があるだろうな。
帳を落とす夜と闇に惑わないように。
おまえは、誰かの心に小さな灯りを
ともすことができることができる。
『灯(あかり)』
そう、俺は思った。

さよならに、ありがとう。



●新たなこれから
 己の名を呼んだ声。
 そして、あの静かな笑みを思い返す。
 けれど思考はすぐに現実へ戻り、ニノマエはそっと告げた。
「……俺は行くよ」
 今を後悔しないために。この先を見届けるために。
 それは彼女と自分自身に向けた言葉。ニノマエは腕に抱いていた彼女の感触を思い返し、裡に宿る思いを確かめた。
 そして今、目の前には緩やかな湯気をたてる珈琲のカップがあった。
 研究施設は現代に馴染むごく普通の建物だったが、確かにUDC組織の物だ。何だか落ち着かなかったが、ニノマエは何とか苦手意識を押し込めていた。
 傷の手当ては断った。自分の体ならばもう治っているだろうから。
 そうしてニノマエは休憩室で雑誌に目を通し、暫しの時間を過ごした。何気ない時間ではあったが思考を整理するには丁度良い。
 ブラックの珈琲の味も落ち着きを取り戻させてくれる一助となる。
 そのカップが空になる頃にはもう、ニノマエはいつも通りの自分に戻れていると実感していた。それまで読んでいたメンズファッション誌を棚に戻した彼はこのまま帰路につこうと考える。
 その前にやっていくことがひとつあった。
「そこに居たのか」
 廊下の先、白い部屋の片隅に浮かんでいたUDC-P。彼を見上げたニノマエは手招き、挨拶をしたいと告げた。
 すると黄昏の仔はふわふわとニノマエの傍に寄ってくる。
 彼は今回の切っ掛けを作った存在だ。過去を見つめ直し、先に進むことを決められたのは黄昏の存在があったからこそ。
 黄昏の仔はニノマエを見ても怖がるような素振りはみせない。
 きっと視力というものに頼らず、ひとの本質めいたものを見ているのだろう。
「……黄昏、夕暮れ、残照」
 ――?
 ニノマエが落とした言葉に対し、UDC-Pは不思議そうな反応を返す。
 形状や色合いについては様々な表現があるのだと話したニノマエ。その声をじっと聞いている様子の黄昏の仔。
 僅かに双眸を細めたニノマエは、礼として彼に名を贈ろうと思っていた。
 名付けには願いを込めることが多いという。
 それならば、帳を落とす夜と闇に惑わないように。
「おまえは、誰かの心に小さな灯りをともすことができる。だから、」
 ――『灯』という名を示そう。
 あかり、と読むのだと話して指先で文字を描いたニノマエは静かに頷く。
 そうして彼に手を振れば、夕色の仔は元気に跳ねるようにして別の猟兵のところへと遊びにいった。その姿を見送りながらニノマエは思う。
 さよならに、ありがとう。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
……ああ、よかったわね。
UDCならなんでもかんでも嫌いというわけではないもの。
只の迷子だったなら、おうちができると良いのだけれど。

もういちど逢いたいか、どうか。
自問しても答えは出ない。
――否。
答えが決まっていても、望んだものが手が届く場所にあるのは、やっぱりとても揺らぐのよ。
あたしはまだ修行が足りないのだわ。

過去に足を止めることはしない。
立ち止まらない。
それは、師匠とあたしの約束事。

きみのちからは、とても甘いわ。
きっと毒にも薬にもなるものよ。
だから正しくつかえるように、ちゃんと学んで頂戴ね。

ふわふわしている子は、何を考えているのか良く分からないけれど。
ゆくさきのゆうぐれがやさしいものだといい。



●夕彩のみちゆき
 白い部屋の中でふわふわと揺らぎ、遊ぶ黄昏の仔。
 最初は戸惑いがちに見えたUDC-Pも今はすっかり研究施設を気に入ったようだ。猟兵達と戯れて遊ぶ姿を見つめた耀子はほっとした気持ちを覚えた。
「……ああ、よかったわね」
 害を成さないなら嫌う理由はない。
 只の迷子だったなら、おうちができると良い。きっとこの場所がそうなっていくのだろうと感じた耀子は暫し黄昏の仔を眺めていた。
 空中に浮かぶ丸い夕色。
 茜色と朱色が混じる紅はずっと暮れない。なんてね、と考えていた耀子はその夕暮れの向こう側に揺らぐ彩を思う。
 黄昏の仔は望んだひとを呼んでくれる。願えば快く応えてくれるだろう。
 彼のひとにもういちど逢いたいか、どうか。
 言葉に出さずに自問してみる。なかなか答えは出ないように思えて――否。
「そうね。……そうよ」
 あの黄昏の空間で言われたことを思い返す。あの言葉が歪められていたものだとしても、師匠は師匠だった。たとえ答えが決まっていても、望んだものが手の届く場所にあるというのは、やっぱりとても揺らぐ事柄だ。
「あたしはまだ修行が足りないのだわ」
 軽く息を吐き、耀子は自分自身を顧みる。あれからとこれまで、そしてこれから。
 過去に足を止めることはしない。
 懐うことはあってもいい。けれど、立ち止まらない。
 教わったのは生き方と、目の前にあるものに立ち向かう姿勢。
「師匠とあたしの約束事、だもの」
 耀子が自分の中にある思いと意志を確かめる中、黄昏の仔が耀子の傍に寄ってきた。どうしたの、と問うようにくるくると周囲を回る仔。
 揺らめく彩を見遣った耀子は手を伸ばしてみる。指先にちょこんと乗った黄昏の仔は軽く、ちいさなあたたかさを感じた。
 夕日めいたものに触れられるというのは何だか不思議だ。
「きみのちからは、とても甘いわ」
 ――?
 言葉の意味合いがよくわからないらしい黄昏の仔は首を傾げるような仕草で傾いた。僅かな間であっても死者にいつでも逢えるという誘いは、きっと一部の人を堕落させてしまう。過去に縋れるということは、未来を見ないのと同じ。
「きっと毒にも薬にもなるものよ」
 彼の力だけではない。すべての力がそう成り得るのだと話した耀子は告げてゆく。
「だから正しくつかえるように、ちゃんと学んで頂戴ね」
 まずは皆から贈られた名前を選ぶことから。
 ――!
 何かを言いたげに跳ねた黄昏の仔。ずっとふわふわ、くるくるしている彼は何を考えているのかよく分からないけれど。
 それでも耀子は思う。
 ゆくさきのゆうぐれが、やさしいものだといい。
 仄かにあたたかい黄昏の彩を掌の上で撫で、耀子は静かに瞼を閉じた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロカジ・ミナイ
いいよいいよ、もう
…なんて言ったけど
やっぱりちょっとだけいいかな

少年の頃の僕はずっとお前の面倒を見ていた
僕の前では比較的いい子で、素直に言うことを聞いてたっけね
お前にしてみりゃ自分を曲げてたんだろうけども……
――いや、そんなことはどうでもよくて

毎夜、眠る前にしていたアレをさ

寝るのが下手クソなお前の両頬を両手で包むおまじない
ほんの数秒だけどね
惨めに痩せたお前だったが、頬だけはふくよかで愛された
お前の熱っぽさは、僕の精神も落ち着かせた

いつからかそれを忘れちまって
また始めるのも謝るのもバツが悪くて
……だからね、これは、
ちょいと懐かしさに浸るだけよ

向き合って、触れて、まじないをかけるのさ
「また明日」



●在りし日の
 歪められない世界を映すことの出来る黄昏の仔。
 嘗て在った儘の人に逢うことが叶う。彼が宿すまぼろしはとても優しい。
 いいよいいよ、もう。
 そんなことを言って最初は黄昏の仔を見送ったロカジだが、少しばかり思うこともある。本来は有り得ない姿で現れた妹を懐うと妙な気持ちが巡った。
 猟兵達と戯れていた黄昏の仔を眺めていたロカジは暫し後、彼を手招く。
「やっぱりちょっとだけいいかな」
 ――?
 ロカジの声に反応した夕暮れ色の仔が近付いてきた。自分の力が求められているのだと察した仔はロカジの周囲をくるりと回る。
「そう、ちょいと頼んだよ」
 そして、あの黄昏時のように世界の彩が一変していった。白い部屋が懐かしい景色に変わりながら不可思議に揺らいでいく中でロカジはふと思う。
 未だ少年だった頃。
 ロカジはずっと妹の面倒を見ていた。気に入らなければ何でも壊し、我儘ばかり口にしていた彼女は、ロカジの前では良い子だった。
 にぃにがいるなら、それでいい。
 そんな風に笑っていたこともあった。自分と居るときだけは素直に言うことを聞いていたから、よく面倒を任せられていたのかもしれない。
「そうだね。お前にしてみりゃ自分を曲げてたんだろうけども……」
 ロカジは閉じていた瞼をひらく。
 床に座る少女のままの蝶朱。もう少年ではない、大人になった路橈。
 少し歪ではあるが、望んだ形の対面が叶った。あの頃のように少女の傍らに腰掛け、ロカジは手を伸ばす。
「――いや、そんなことはどうでもよくて」
 少女はじっとロカジを見上げていた。このまぼろしは先程とは違って何も語らない。それもまた彼女とは違うのだけれど、これは自分のための世界だ。
「さぁ蝶朱、アレをしてあげよう」
 毎夜、眠る前にしていたあのおまじないを。
 ほら、と両手で彼女の両頬を包んだロカジは双眸を細めた。
 それはたった数秒のこと。しかし、二人にとって――特に少女にとっては大切な時間だった。こうすればゆっくりと眠れるというおまじないはよく効いた。
「そうだった、お前は寝るのが下手クソだったね」
 懷かしむように語り、手を離す。
 その際に長い髪がさらりと揺れ、細い糸髪がロカジの指先をくすぐった。
 目の前にいる少女は惨めに痩せている。あの頃と同じだ。しかし頬だけはふくよかで熱がかよっていた。彼女が笑えば花が咲いたようで愛される顔だった。
 ロカジとしても精神が落ち着いた。
 その温かさは熱っぽさからくるものだったが、不思議と心地よく思えたものだ。
「いつからだったかな」
 このおまじないをかけなくなったのは。
 何も語らぬ妹を見下ろしながらロカジは思う。最初はただ忘れてしまっただけだったはずだ。寂しげな顔をしたであろう彼女の様子に気付かぬまま寝かしつけた。きっとあの夜から彼女は更に上手く眠れなくなったのだろう。
 気付いた時には遅かった。また始めるのもバツが悪くて何も言えなかった。
 ついに謝ることすら出来ず、この子は死んだ。
「……だからね、」
 彼女への謝罪でも贖いでも何でもない。自分が懐かしさに浸るだけのものだ。
 そうして向き合って、触れて、まじないをかける。
 もうすぐ黄昏の仔の力も薄れていく。
 呪いとも記すその行為と共に、ロカジは徐々に消えていく妹に語りかけた。
「また明日」
 もうそんな日は来ない。
 分かっていた。それを理解しながら生きている。
 それでも、これは――。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

芥辺・有
ああ……ここって煙草吸えるとこあんのかな
散々吸ってるけど こればっかりは仕方ない

はっきり顔思い出せるのなんて、もしかしたら久しぶりなのかもな
声も、全部、……あの頃の通り、

会えなくてもいいなんて言や、そんなのは嘘だ
それでもあんたは死んだから
死んだ奴が戻らないなんてずっと知ってる
他でもない、あんたが言ったんだから
偽物なんか見たとこで……
いないんだ、あんた もう

なのに最後の最後にさ、何でも有るなんて言って、……それがさ
あれが言ったみたいに、あいつから奪ったものだったならどんなにか嬉しいだろうね
結局のとこ、何が有るかなんて言いやしなかったし
そんなものよこして
ほんと、意地が悪いよ ねえ



●呪縛
 いつものように煙草に火をつける。
 有が息を吐くと紫煙が揺らぎ、その軌跡が天井へと緩やかに昇っていった。
「散々吸ってるけどね、こればっかりは仕方ない」
 癖になってしまったから、と有は独り言ちる。彼の人の真似をして吸ってきた煙草も今や自分の嗜みになっている。
 それほどに月日は流れ、彼が居ないことも当たり前になってしまった。
 有は休憩室の椅子に腰掛け、ぼんやりと天井を見上げる。
 黄昏時に出会った影。あれはまぼろしが歪められていたものだ。それでも姿かたちは彼の人そのものであり、とても懐かしかった。
「はっきり顔思い出せるのなんて、もしかしたら久しぶりなのかもな」
 忘れかけていたことを自覚する。
 声も、背格好も、全部。
「……あの頃の通りで、何だかね」
 生きていればもっと歳を重ねていたであろう無明を思う。
 自分だけが成長していき、いつかはあの頃の年齢を追い越す。止まってしまった時と、動き続けるしかない時間。
 それは何だか残酷だ。生きている限りは立ち止まることも許されない。
 会えなくてもいいと嘯いた。そんなのは強がりだったと分かっている。
「それでもあんたは死んだから、」
 有が落とした言葉の続きは紡がれなかった。死んだ故に逢えた。黄昏の怪異が見せた幻影はそのことを如実に語っていた。
 死んだ奴が戻らないということはずっと知っている。他でもない、無明が言ったことであるゆえに忘れるはずがない。
「偽物なんか見たとこで……いないんだ、あんたは」
 もう二度と本当の彼には逢えないのだろう。
 それなのに、と有は自分の名を思う。
 最後の最後に『何でも有る』と言った無明は自分に何かを託したのか。あれが言ったみたいに、あいつから奪ったものだったならどんなにか嬉しいだろう。
 しかし、歪められた言葉が正解などではないことは有にも分かっている。
「結局のとこ、何が有るかなんて言いやしなかったし」
 名前だけを遺して逝った。
 悪い意味ではないのだと思う。けれどもやはりこの名は呪いめいていた。
 黄昏時に見た彼の人の姿は今も瞼の裏に焼き付いている。忘れかけていたことを思い出したような感覚の中で有はもう一度、紫煙を吐き出す。
「そんなものよこして、ほんと意地が悪いよ」
 ねえ、と有は虚空に呼び掛けた。
 其処にあの日の面影は見えても、揺らめく煙は何も応えてくれなかった。
 そうして今も彼女の時は進み続ける。
 彼の人と共に歩めなかった時間を、これからも――たったひとりで。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

薬袋・布静
歪められた彼の人ではなく
本来の彼の人の姿が見れる
――だが、己にそう願う資格も無い

勝手に歪ませ其れを記憶し身勝手に贖罪したんやから
顔をもう一度合わせる事など出来ん
厚顔無恥にも程があるわ

職員に断りを入れ
纏りの無い思考を整理するべく部屋を移る

渦巻くのは深く根付いた己への嫌悪
あの頃から何一つ変わらへん傲慢さで彼の人を汚した
あんな事をあんな顔で言う人やない
自身が一番理解しとる

彼の人はどんな時も“笑え”と人を笑かす
眩しくてあたたかな人やのに

嗚呼、なんで生きとんのやろうなあ…

普段口にしない本音が溢れ出た
誰に届く訳も無く宙に溶け消えた言葉がある顔を浮かばせる
――紅を纏う愛しい花鬼を

っはは…すまん、まだ死ねんわ



●紅の花
 黄昏の仔に願えば邂逅が叶う。
 歪められた彼の人ではなく、本来の人の姿が見られるという。
 布静は研究施設内に揺蕩う夕暮れ色の仔を見遣ってから、そっと視線を外す。
 ――だが、己にそう願う資格も無い。
 もう一度会いたいのかと問われても首を横に振るしか無い。しかし布静は彼の声を聞きたい一心で勝手に歪ませ、其れを記憶し、身勝手な贖罪をした。
 あれは彼本人の言葉ではない。
 それが分かっているというのに、布静の裡に巡るのは複雑な思いだ。義祖父とはもう顔を合わせることなど出来ない。
 厚顔無恥にも程があるわ、と呟いた布静は俯いた。
「元から会えんってのにな……」
 溜息が零れ落ちた。
 幻影に罵られたことにではなく自分への思いが募ってゆく。
 そうして布静は職員に断りを入れ、纏りの無い思考を整理するべく部屋を移ることにした。今はあの黄昏の仔を見ていると歪んだ夕暮れ時を思い出してしまう。
 すまんな、とちいさく告げた布静は案内された部屋のソファに座り込んだ。沈み込むほどに深く腰掛け、力を抜いた布静は天井を見上げた。
 何もない。
 そう思ったと同時に裡に渦巻いたのは深く根付いた己への嫌悪。
「あの頃から何一つ変わらへんな」
 傲慢さで彼の人を汚した。自分勝手な思いを貫こうとした。
 彼は優しかった。
 明朗快活という言葉が相応しいほどで、誰かを笑わせるのが好きだった。彼の人はどんな時も“笑え”と告げて自分も笑顔でいた。
 眩しくてあたたかな人だった。そう思えば思うほどに罪の意識が重なっていく。
「あんな事をあんな顔で言う人やない」
 自身が一番理解していたが、布静は彼に責め立てられることを望んだ。
 それだけのことをしでかした故に厳しい言葉が欲しかった。許されたくなどないし、赦されざることなのだという逆の意味での免罪符が欲しかったのかもしれない。
 或いは、叱って欲しかったのか。
「嗚呼、なんで生きとんのやろうなあ……」
 ぽつりと口にしたのは普段は絶対に零すことのない本音。
 積極的に死に向かいたいわけではない。かといって無為に生きたいわけでもない。中途半端に、ただ真似ることしか出来ぬ自分が惨めにすら思えた。
 誰に届く訳もなく宙に溶け消えた言葉。それを聞くものはいなかった。だが、ふと布静の脳裏にあるひとの顔が浮かんだ。
 ――紅を纏う愛しい花鬼。
 彼女なら、何言ってんだよ、と怒るか笑い飛ばすかしてくれるだろう。
 そう思うと自然に布静の口許に笑みが浮かんだ。
「っはは……すまん、まだ死ねんわ」
 ほんの少しでも笑えた。これも義祖父の教えに従ったことになるのだろうか。
 空虚な思いの中でも、確かにちいさな花が咲いていた。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

夕時雨・沙羅羅
ぼんやり、ぼんやりと空を眺める
何もない空間を
そこに彼を映してもらうことも出来るという
でも、けれど、
今は…あんなに恋しかったアリスと向き合うのが、こわい

あれは真実なのかさえ、分からない
分からないけど、それしか知らない僕には、それが唯一になってしまった
どうしよう
こんな気持ちでは、名付けなんてとても出来ないなんて
余所事を考えたりして

ああ、いっそ、いのちなんてなければ
こころなんてなければ


……
………

ああ、そうだ、
たったひとり、真実を知るだろう存在が、いた
憎い憎い、あいつが
僕の、「あの」アリスを喰らったオウガが

僕は、
僕は、
きみを、きみに恋した気持ちを、
消してしまいたくないよ

それこそが僕の、理由なんだから



●うつろなこころ
 ぼんやり、ぼんやりと空を眺めていた。
 からっぽの天井。何の色もないただの空間はまっしろだ。沙羅羅は本当に何も失くなってしまったかのような感覚をおぼえていた。
 浮かぶ黄昏の仔に願えば、この白い空間に彼を映してもらうことも出来る。
 でも、けれど。
 裡に巡っていくのは否定の感情。
 逢いたい。会えない。遭いたくはない。今はあんなに恋しかったアリスと向き合うのが、とてもこわくて仕方がない。
 あれが真実なのかさえ、分からなかった。
 自分と同じ声。
 似た姿と、あの言葉。
 何も分からないけど、それしか知らない沙羅羅には唯一になってしまった。
「どうしよう」
 零れ落ちた言葉には戸惑いが混じっている。やっと会えて、分かると思っていたことが全て消えてしまったようだった。
 逢わせてくれた黄昏の仔にも何だか顔向けができない気がした。
 こんな気持ちでは名付けなどとても出来ない。わざと余所事を考えたりして、沙羅羅はアリスのことから懸命に気を逸らそうとしていた。
 ――ああ、いっそ、いのちなんてなければ。
 こころなんてなければ、楽だった?
 言の葉には出来ない思いがぐるぐるとまわっていく。この気持ちから目は逸らせない。これからずっと空虚な思いを抱いて逃げるわけにもいかない。
 長い沈黙。
 その後にふと沙羅羅は思い立つ。
「ああ、そうだ」
 何も知らない自分にたったひとり、真実を知らせてくれるだろう存在がいた。
 考えるだけで憎い、あいつだ。
 僕の、『あの』アリスを喰らったオウガ。
 まっしろな天井を見上げていた沙羅羅は視線を落として静かに俯く。瞼を閉じて胸に手を当てれば、透き通った身体の中で懐中時計が揺らめいた。
 きみがのこした、ひとつだけ。
 もう動かないもの。それでも、確かないのちとして巡るもの。
「僕は、」
 ねえ、僕は。
 沙羅羅は続かぬ言葉の先で、きみをおもう。
 ――きみを、きみに恋した気持ちを、消してしまいたくないよ。
 それこそが僕の、理由なんだから。
 言葉は迷い、思いすら何処に行けばいいのか分からないまま。鏡写しのきみが抱く真実には未だ辿りつけない。
 それでもいつか、いつかきっと。それを認めて、識る時がくるのだろう。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ユウイ・アイルヴェーム
このこころは、本当のあの子に届けるもの
ですから、あげることはできないのです
それでも、こんな時間をくれたあなたにも、何かを渡したいのです
ここにはいないあの子に届かない、本当はそうだとしても

すみません、少しだけ、ユウのかたちをとってはいただけませんか
今度こそしっかりと手を繋いで、私の旅路を辿りたいのです
世界はこんなにも広く、ひとはこんなにも様々で、命はこんなにも輝いていると
あなたに渡せるものは、これくらいしかありませんでした

あなたのおかげで、あり得るはずもなかった記憶が増えました
優しいあなたに、嬉しい出来事がたくさん起きますように
あなたのお名前を見つけてくれる方が、優しいひとであればいいと思います



●触れたもの
 彼女に出会って思った。
 ユウイの中にある、このこころは本当のあの子に届けるもの。
「ですから、あげることはできないのです」
 ごめんなさい、と告げながら幻影の彼女を思う。そして、ユウイは黄昏の仔を見上げた。頭上でふわりと浮かんだ夕色の君は穏やかな彩を映し続けている。
 夕日が掌サイズになったかのような仔に視線を向けたユウイは揺蕩う様を眺めた。
 こころはこのまま、此処に。
 胸に手を当てたユウイは幻影のあの子を思って眼を閉じる。
 それでも、あの時間をくれた子にも違う何かを渡してあげたいと思えた。ここにはいないあの子に届かない、本当はそうだとしても――。
「すみません、少しだけ、ユウのかたちをとってはいただけませんか」
 ユウイは黄昏の仔に今一度の邂逅を願った。
 いいよ、と告げるようにくるくるとユウイの周囲を回った黄昏。その軌跡が揺らいでいくことを感じながら、ユウイはじっと待つ。
 黄昏時とは違う雰囲気で周りの景色が移り変わってゆく。
 その先にユウの姿をした子が待っていると思うと、何だか気が引き締まる。
 そして――。
「……ユウ」
 ユウイはその名を呼び、手を伸ばした。
 これはまぼろしだと分かっている。願いが具現化しただけの存在だと痛いほどに知っていた。それでも、とユウイは彼女の手を握る。
 今度こそしっかりと手を繋いで、自分の旅路を辿りたい。
 世界はこんなにも広くて、ひとはこんなにも様々で、それから――息衝く命はこんなにも輝いている。
「あなたに渡せるものは、これくらいしかありませんでした。でも、」
 ユウイは微笑む。
 そうして、言の葉を探すことが自分が前に進む道標だと思っているから。
「あなたのおかげで、あり得るはずもなかった記憶が増えました」
 偽物でも、まぼろしでもいい。
 はじまりの夕焼けの彩を見られたことがとても嬉しいと思えた。この感情と心地を与えてくれたことに感謝を抱きたい。
 ありがとう。
 そんな風に言葉を紡げば、ユウのかたちを取っていたまぼろしが徐々に消えていった。きっとこれが黄昏の仔の力の限界なのだろう。
「――優しいあなたに、嬉しい出来事がたくさん起きますように」
 白い部屋に戻ったユウイが願うのは未来。
 敢えて自分から名前は贈らない。
 それはユウイがすることではないはずだから。そのかわりに、たくさん贈られた様々な名前からすてきなものを選び取って欲しい。
「あなたのお名前を見つけてくれる方が、優しいひとであればいいと思います」
 どうか、とユウイは双眸を細めた。
 夕焼けの彩を宿す眸と、黄昏を湛える仔。
 その眼差しと色が重なったとき、仄かなあたたさが巡った気がした。
 
 
●彼の名前
 黄昏色の仔はたくさんの人と出会い、言葉を貰った。
 猟兵から贈られた名前は様々。まだ何も知らない仔はきっと大いに迷った。はじめて選び取るものが自分の名なのだから大変だったに違いない。
 あわい、アステ、キャンバス。
 心にヒイロ、彼誰、火灯。
 暁や夕星、ハマラにルノ、ムイスト、ミエリ。
 トワ、ポピーちゃん、灯。
 そのどれもが彼を思って贈られたものだ。全部を名乗ろうとしていた気配も見えたが、それは職員が丁重に止めたらしい。がっかりしながらも、名前をひとつずつしっかり確かめた黄昏の仔はめいっぱいの時間をかけて選び取った。
 
 ――『ポピーちゃん』

 そして、とても可愛らしい名前が彼のものになる。
 それは夕陽に似たオレンジ色の、空を向いて咲く花の名だ。
 こうしてポピーちゃんはUDC組織に正式に迎え入れられた。死者の幻影を呼び出すという力は良いことばかりを齎すものではない。
 それでも、彼はその力を上手く使っていけるはずだ。そんな予感がする。
 
 君は黄昏に誰を呼び、暮れゆく先に何を見たのか。
 得たもの、失くしたもの。其処から終わったもの。此処からはじまったもの。
 様々な夕暮れがあった。
 そうして――きっとこの先も、それぞれに違う黄昏の彩が巡っていくのだろう。
 

大成功 🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2020年03月12日


挿絵イラスト