#ダークセイヴァー
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――どうして。
重く、冷たいぬかるみの中。
泥に沈みゆく己の身体を自覚しながら、男は力なく曇天を仰いでいた。
鉛の様にくろい、空の下。
広がる暗色をそのまま映したような、黒く澱んだ泥沼が其処にある。
――危険な場所として、有名であった。底無しの沼が、あるのだと。
数か月前の事だった。その沼地から、誰かの歎く声が聞こえ始めたのは。
延々と響き渡るすすり泣き、絶えず紡がれる恨み言。
普段なら足を運ぼうとも思わぬ沼地の向こうから、その声は聞こえていた。
耳にするだけで、心がズシリと重くなるような。悲哀に満ちた、声だった。
昼夜絶える事の無い歎きは、人々の気を滅入らせる。そこに在る人々の顔を曇らせる。
せめて原因が分かればと。沼へ赴く者は多く、しかしその誰もが戻っては来なかった。
人が居なくなる。嘆きだけが、増えていく。
心優しき男も、また。日々強くなる嘆きを怖がる友を安心させるために、この沼を訪れた――筈だった。
――どうして。
ぬかるんだ泥の中。天仰ぐ男は、ただただ途方に暮れていた。
足掻けばまだ、助かるかもしれない。向こうに見える岸は、決して遠くはない。
すこし、あとすこしだけ頑張れば。あの彼岸に、手が届くかもしれない、のに。
なのに、嗚呼。
どうして、どうしても。この手足は、動かない。
かなしい。すべて、何もかも。
この泥に触れてしまった時から、男は哀しみに囚われた。
この沼を進もうとするごとに、心が悲鳴をあげていた。
雪崩れ込む嘆きが、恨みが、どうしようもなく身体を重くして。
男は、ついに立ち止まってしまったのだ。
最早、足は一片も動かない。腕が上がる筈もない。
乾いた喉が張り付き、視界が白く靄掛かる。
きゅう、と目の奥に刺すようないたみが集まって。
男の瞳からは、ぽろぽろと雫が溢れていた。
己の身体を構成する全てから、力が抜けていく。
生きようとする意志が、落ちていく。
――どうして。
どうして、こんなに辛く哀しいだけの世界に。自分は、未だ生きているのだろう。
頬を流れる、とめどない雨。
瞳から零れ落ちるそれは、やがてこの身を包む泥に混じり、溶けていく。
涅に沈んだ、数多の人々と同じように。己もまた、おちていくのだ。
――――とぷん。
●哀哭に沈む
「底無しの、沼がある」
パタリと。手中にある本を閉じて、ハロルド・マクファーデン(捲る者・f15287)は集った猟兵たちへと語り掛けた。
傍らに置いた本の替わりにと、取り出された地図。羊皮紙に描かれた其処には、予知に現れた場所を示す印が加えられていた。
「ダークセイヴァーの湿原地帯にある沼だ。とは言え、元はただ底の深い沼地だったようでね。危ないと言えば危ないが、まあ気を付けていれば対処は可能な場所だったんだ」
――異変が、現れるまでは。
危険を示唆する言葉を続けながら、ハロルドは地図上を指し示す。印のある沼地、その周辺にある村にも大きな丸印が記されていた。
「ここ数カ月ほど、その近辺で行方不明者が続出している。原因は言わずもがな、沼に巣食うようになったオブリビオンだろうね」
予知に現れたオブリビオンは二種。
おどろおどろしい風体をした、苦悶の表情を浮かべる亡霊達。
そして。沼の奥の湿原に、茨を纏いながら佇む黒い羽持ち少女。
「世を恨み、我が身を哀れんで死んでいった者達の成れの果て。彼等の嘆きが、その沼地一帯に影響を及ぼしている」
影響、とは。
どういった事だろうと疑問を浮かべる猟兵たちに向けて、ハロルドは己の予知を語る。
沼に沈みゆく男、その悲哀に呑み込まれた表情を。
「沼に近付いた者。そして進み行く者は、哀しみ、もしくはそれに類する感情に支配されてしまう様だ。どうしようもなく、耐えようもなくね」
――それは、毒だった。
誰しもが身の内に抱える毒を、彼らの歎きは暴き立ててくるのだ、と。
「沼自体に呪詛が滲んでいるらしくてね。直に触れるのは勿論、近付くだけでも瘴気に当てられてしまう。猟兵である君達であれば、ある程度耐性はあるだろうが……しっかりと、気を保ちながら進んでほしい」
元々深い沼ではある。足場を確保しながら、着実に進む事が重要だ。
グリモアの光を展開しながら、ハロルドは猟兵たちに声を掛けていく。
「どうか、立ち止まる事の無いように。彼等の、彼女達の哀哭を断ち切ってくれ」
瀬ノ尾
こんにちは。瀬ノ尾(せのお)と申します。
お目通し頂きましてありがとうございます。
此度はダークセイヴァーでのお話です。
●第一章
歎きの毒沼。とても、かなしいきもちになります。
心に染み入る毒、悲哀と怨嗟の溜まり場。
此の地を訪れたもの心を、歎きで満たす瘴気が蔓延っています。
漠然と気分が沈む者、哀溢れる光景を幻視する者。
悲惨な過去に囚われる者、あらざる未来に絶望を覚える者。
症状は人それぞれのようです。
心に降り積もるかなしみは毒となり、進まんとする身体を重くしてしまします。
哀しみに足を取られたが最後。底無しの沼に沈んでしまう人が、後を絶えません。
瘴気の原因となるオブリビオンは、沼向こうの湿原を住処としています。
それらと対峙するために。前へ、進んでください。
●第二章
『その地に縛り付けられた亡霊』
嘆きを訴える亡霊たちとの集団戦です。
この地で死んだ者、死んでから流れ着いた者。
様々な霊が、此の地の瘴気に釣られて留まっています。
夥しい呪詛の言葉、悲惨な過去の幻影で精神を蝕んで来ます。
もしも凄惨な『過去』の光景などに心当たりのある方は、それとなくプレイングにご記入ください。もしかしたら、似通った経験を持つ亡霊がいるやもしれません。
●第三章
『呪詛天使の残滓』
ボス戦闘。擦り切れた羽付きの少女の寄集め、悪意に晒された成れの果て。
嘗て強力なオブリビオンを作る為の実験を受け、その失敗作として廃棄されたモノの名残です。此の地に蔓延る嘆き・恨みの大元になります。
彼女を倒せば、沼地の瘴気も収まる事でしょう。
各章、どこからご参加いただいても構いません。単章参加も大歓迎です。
グループ参加の際は【お相手のID】もしくは【グループ名】をご記入下さいませ。
また、各章の受付日などをマスターページにて告知させて頂く事がございます。
お手数おかけ致しますが、一読頂けましたら幸いです。
それでは、どうぞ宜しくお願い致します。
第1章 冒険
『毒沼攻略』
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POW : ユーベルコードを使用して進む
SPD : 技能を使用して進む
WIZ : アイテムを使用して進む
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴
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種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
大成功 | 🔵🔵🔵 |
成功 | 🔵🔵🔴 |
苦戦 | 🔵🔴🔴 |
失敗 | 🔴🔴🔴 |
大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
ぬかるんだ足元、立ち込める白い霧。
湿り気を帯びた空気は、重く。沈鬱な雰囲気を伴って、彼らの身に纏わりつく。
沼の底は、深いと聞く。場所によっては、抗う事も出来ずに為すすべなく沈んでしまうだろう。
しかし。視界こそ悪いものの、じっくりと観察すれば足場となり得そうな箇所も見えてくる。
ちらほらと顔を出す岩場、草の生い茂る箇所、僅かだが木々も浮かんでいる様も見てとれた。
やがて、彼らは一歩を踏み出すのだろう。
――嘆きは、絶えず聞こえてくる。
ボアネル・ゼブダイ
歎きの沼か…確かに、人の心を蝕む一番の毒は絶望だろう
故に囚われたものはもがく事すらも諦め、死にゆく…
そのような負の連鎖は我々で止めねばなるまい
UCを発動
氷属性の薔薇を沼に投げつけ水面を氷結させその上を渡る
なるべく沼地の毒に侵されぬように急ごう
もしかしたら私の両親の幻影を見るかもしれん
それは二度と手に入ることはない、優しくも悲しい遠き日の幻影だ
私の足が彼らを見て鈍らないとは言い切れん
だからこそ、この地を蝕む悪夢を終わらせなければならんのだ
絶望に囚われた者が、その儚き命を散らせる事を
私のような者をこれ以上生まないためにな
鎮静と覚醒作用のある治癒属性の薔薇の香りで回復
幻を断ち切るように、前へと進む
暗雲に覆われた、昏い昏い空の下。
艶やかな銀糸をなびかせて、ボアネル・ゼブダイ(Livin' On A Prayer・f07146)は沼の淵へと降り立っていた。
ぬかるんだ土を、踏み締める。鮮血を滲ませたような赤の眸子が、眼下に広がる泥沼を見据えていた。
「歎きの沼、か」
ぽつりと落とされる声は、低く。既に沈んでしまった数多の民を思って、ボアネルは静かに瞼を伏せる。
――確かに、人の心を蝕む一番の毒は絶望だろう。
囚われたものはもがく事すらも諦め、死にゆく。そうして喪われた命を想って、また誰かが哀しみの底に沈むのだろう。これは、絶望による負の連鎖だ。
「……我々で、止めねばなるまい」
掲げる指先。滑らかな黒布で覆われたそこに、ひやりとした冷気が集まっていく。
生み出された氷の粒が、きらきらと光を反射させながら渦巻いて。見る間に形作られるのは、透き通った薔薇の花だった。
一つ、二つと数を増やしていく氷の薔薇。魔力で編み上げた氷花を、ボアネルは地面へと差し向けた。澱んだ泥沼の上に、透明な花弁がはらはらと降り注いでいく。
まなこを、開く。銀糸の合間から覗いた双つの赤が、薄闇の中に煌めいた。
「――凍れ」
キィィン、と。耳鳴りのような高音が、一面に響く。
瞬き一つののち。ボアネルの前には、沼の表面を覆った氷の足場が出来上がっていた。
沼の泥には、嘆きの毒が滲んでいると聞く。直に触れる事で脅威を増すと言うのなら、その泥を覆ってしまえば毒の影響も弱まるだろう、と。
氷結させた足場へと、ボアネルは迷いない一歩を踏み出していった。
一刻も早く、元凶のもとへ。無辜の人々が、これ以上苦しみに喘ぐことの無い様に。
――白い靄を掻き分けて、足早に沼を渡る。
じめりとした空気は重く、進むボアネルの意気を僅かながらにも落としていた。
気を抜けば俯いてしまいそうになる視線。しっかりせねばと、かぶりを振った時だった。
「…………?」
ふと、目の端に映り込んだ影。自分と同じようにこの地を訪れた猟兵か、はたまた近隣に住む民か。霧の向こう、朧げに揺らぐ姿を確認せねばとボアネルは眼を凝らす。
窺うように細められた瞳が――刹那、驚きの色を映して見開かれた。
「――、ぁ」
ひゅっと短く吸い込まれた息。声にならぬ音が、ボアネルの口から小さく漏れ出した。
それは。二つの影であった。男と女の、番いであった。
穏やかな雰囲気を纏って、番いの男女は霧の中に佇んでいる。
二人は共に見つめ合い、笑い合い。仲睦まじい様子の、夫婦であるように見て取れた。
ボアネルは、息を張り詰めてその様子を見つめている。僅かに唇を震わせる彼のかんばせは、どこかその夫婦の面影があるようにも見えた。
やがて。妻らしき女性が、こちらに気付く。思わずといった風に歩みを止め、立ち尽くすボアネルを、見つける。
女は、ぱちくりと驚いた様に瞬いて。ついで、ふわりと微笑んで見せた。
やわらかな笑みを浮かべたまま、彼女は“愛しい子”にそっと手を伸ばす。
――こちらにおいで、と言うように。
「……っ」
息を呑む。反射的に進みかけた足を、辛うじて押しとどめる。
あれは、幻影だ。分かっている、理解している。
ボアネルをあの幸福な日々に誘う為の。そして、来たる絶望へと落とす為の。
――厄介な事だと、まだ正常に働く頭でボアネルは考える。
嘆きに落とす為に、貶める為に。あの優しくも悲しい遠き日を、魅せてくるなどと。
二度と手に入ることはない、両親との時間。その誘いは、実に甘美なものであった。
……けれども。
ズキリと痛む、この胸に刻まれた傷は。その日々が既に過去にしかないものであると、如実に訴えていたから。
ボアネルは再び、己の魔力を編んで薔薇を創る。今度は、聖者としての力を込めた――治癒の薔薇を。
漂う薔薇の香りが、彼の心を落ち着かせる。母とも繋がりのある、聖者としての癒しの力は彼にとって馴染みのあるものだ。
ふっと短く息を吐いて、ボアネルは再び沼の向こうを見た。
此方を見て笑いかける、在りし日の両親の姿。揺さぶられる感情は、しかし先程よりは鳴りを潜めている。
「私は、まだ。進まねばならない」
この地を蝕む悪夢を、終わらせるために。
絶望に囚われたものが、その儚き命を散らせぬようにと。
「……私のようなものを、これ以上生んではならんのだ」
彼らの幻を断ち切るように、ボアネルは踵を返す。氷を踏みしめる足に、力を込めて。きっと前を見据える瞳に、確かな決意を灯して。
人々に害なす悪しきを斃すため。青年は、前へと進んでいった。
成功
🔵🔵🔴
リーヴァルディ・カーライル
…“人類に今一度の繁栄を。そしてこの世界に救済を”。
かつての私ならば大切な人達から受け継いだ“誓い”で心を縛り、
どんな哀しみに襲われても歩みを止めなかったでしょうけど…。
…ん。駄目ね。彼の死ぬ姿なんて見たくない。
事前に防具を改造して“呪い避けの呪詛”を付与
毒沼の毒を弾く呪詛耐性のオーラで装備者を防御する
後は空中戦を行う“血の翼”で飛翔して【血の疾走】を発動
沼地の先を暗視を頼りに見切り転移する
…もし恋人の死を幻視したら歯を食いしばり気合いで耐え、
元凶への怒りと殺気を燃え上がらせて前に進む。
…確かに、今の私は、年頃の少女のように弱くなった。
だから…ええ。たとえ相手がどんな存在であれ赦しはしないわ。
ひらりと、黒誂えの礼装をひらめかせて。リーヴァルディ・カーライル(ダンピールの黒騎士・f01841)は沼の淵へと足を運んでいた。
濁りきった泥沼を見渡しながら、リーヴァルディは僅かに目を細める。
人の嘆きを浮かび上がらせてくるのだと言う、呪詛と瘴気に満ちた場所。渡り行く者を、哀しみに沈める毒の沼。どこからか聞こえる呻きの声は、確かに気を重くさせるものだった。
「かつての私ならば、どんな哀しみに襲われても歩みを止めなかったでしょうけど……」
――“人類に今一度の繁栄を。そして、この世界に救済を”。
それは、大切な人達から受け継いだリーヴァルディの“誓い”だった。以前の彼女であれば、絶対遵守であるその言葉で心を縛る事など訳も無かっただろう。
……そう、過去形だ。哀しみに暮れる切っ掛けと成り得る存在を、既に彼女は得てしまっているのだから。
思い浮かぶのは、大切な彼。黒い硝子の向こうから覗く、あの眼差しが……もし。もしも、永遠に綴じてしまったならば。
「……ん。駄目ね」
ふるりと、リーヴァルディはかぶりを振る。柔らかに波打つ銀糸が、彼女の動きに合わせて静かに揺れていた。
「彼の……死ぬ姿、なんて。例え幻だとしても、見たくない」
故に。リーヴァルディは細心の注意を払って、この沼地へと挑む。
きゅっと、少女の白い手が服の裾を握りしめる。この黎明を関する礼装には、リーヴァルディ自らが呪詛を掛けていた。この場に満ちているという、怨嗟の呪詛を弾く為のまじない。毒をもって毒を制す、普段から呪詛の取り扱いに慣れた彼女ならではの対策だ。
目前に広がるのは、見目にも憂鬱な気分を誘発する涅色の沼。哀しみの毒に満ちたそれに浸からずに、向こう岸へ渡る術を彼女は心得ている。
「――限定解放」
小さく紡がれる言の葉。――刹那、彼女の背に真っ赤な双翼が展開される。
滴る血を思わせる翼が、二度三度と羽ばたきを起こす。それは、リーヴァルディの血筋に由来する吸血鬼としての力。
「早く行きましょう……哀しいものを、見ない内に」
沼地から視線を逸らし、リーヴァルディは上方を向いた。
爪先で、軽く地面を蹴る。それだけで、小柄な彼女の身は容易く空に飛び立っていった。
――飛翔する。霧の中を、飛んでいく。
立ち込める白い霧中は、けして良好な視界とは言い難く。リーヴァルディは瞳を凝らしながら慎重に進んでいた。
この沼を越えた先。向こうの岸さえ視認出来れば、彼女の“鍵”の能力を応用して転移が可能だったのだが。こうも視界が悪いと、術の発動もままならない。
只でさえ用心のいる場所だ。迂闊に転移するのは避けねばと、リーヴァルディは翼に任せて滑空を続けている。せめて、もう少し先が見える場所へ行かなければ。
そうして前を見続ける彼女の視界に――映り込む、影がある。
「――、」
ひゅっと、小さく息を呑む。一度認識してしまったが最後、目が離せない……もしかしたらと言う予感は、此処を訪れた時から常に纏わりついていたから。
霧の狭間に映り込む、一つの影。空中にいる彼女よりも下方、沼の中に、その影は居た。
沼に沈むようにして附す――愛しい愛しい、あの人の姿。
「……っ、ぁ」
咄嗟に呼ぼうとした彼の名を、寸でに呑み込む。彼がここに居る筈がない、ましてや沈んでいる筈などと。
瞬く間に心を支配しかけた絶望を、どうにか理性で抑え込む。悲鳴を上げてしまわぬよう、嗚咽を溢してしまわぬよう。彼女は、ぐっと歯を食いしばって耐えていた。
瞳を、閉じる。これ以上、彼を模ったものの姿を、見たくはなかったから。
揺さぶられる心を、どうにか落ち着かせなくてはならない。瞼の裏、束の間に得られた暗闇の中で、リーヴァルディは自己を見つめ直す。
まやかしだと分かっていても、あれだけ覚悟をしていても。目にしてしまった途端に、こうも揺らいでしまう自分がいるなんて。
――嗚呼。本当に、本当に私は……“弱くなってしまった”のね。
「……確かに、今の私は、年頃の少女のように弱くなった」
ふたたび開かれる瞳。彼女の紫水晶が、しかしその左のものだけが赤く染まっていた。
血を濃くさせた彼女の左眼が、前を見る。幻を越えて、霧を超えて、その先を見据える。
力の覚醒に伴って、ぞわりと少女の白い肌が粟立つ。それは恐怖でも哀しみでもなく――怒りを、原動力として。
「だから……ええ。たとえ相手がどんな存在であれ、赦しはしないわ」
展開されるは、空間転移の魔法陣。沼の底に沈まんとする影の姿に背を向けて、軋む心を怒りで覆い隠して、リーヴァルディは術を発動させる。
一刻も早く、この沼の先へと辿り着く為に。この幻を見せた元凶を、この手で屠る為に。
――翔ける、間際。
たすけて、と。決してあり得ざる、救いを求める男の声が。
いやに、耳の奥にこびりついていた。
成功
🔵🔵🔴
コナミルク・トゥモロー
……あ、あ、あ……
(汚泥の沼が心に満ちる。思い出さなくなった過去の疵が広がる)
(失ったもの。家族、生活、右腕、内臓、人権、人格、安寧の中にあるもの全て)
(かなしかった)
(奪われたものが多すぎて、自己の中に保てなくなった存在意義が、黙して待てば何かしら戻ってこないかと)
(悲しんでも悲しんでも何も変わらなかったから)
(それらの全てを怒りに変えて、敵を壊すと決めたんだ)
あ、あ……うあ゛ああああッッ!!!!
(放たれた《鏃》の如く駆け出す)
(悲しみは全て怒りに変わる。私はそういう獣だから)
(悲哀も怨嗟も、全ては憤怒のまがいものだ)
わっ、わっ、私は……私には……!
い、いっ、怒り、怒りしか……ない……!
●◆
「……は、ぁ……っあ……」
ひやりと冷たい空気が、肺に満ちる。吐く息は白く、短く。
重たい右腕を引き摺りながら、コナミルク・トゥモロー(Seize the day・f18015)は汚泥を掻き分け歩いていた。
ずぶり、と。沼を進みゆくごとに、少女の病弱なまでに白い肌が泥に汚れていく。質素な白布の裾は涅色に染まり、薄灰の髪が湿気を含んで重さを増していた。
それでも、少女は足を止めずに。ひたすらに、ひたむきに、前へと進んでいく。
未だ幼き少女に、できることは多くはないだろうから。今できることを、やれるだけやりたくて。軋みを上げる心を感じながらも、彼女はその小躯を動かし続けた。
――けれど。
常人ならざる力を持つ、白き少女にも。歎きは、襲い来る。
「……あ、あ、あ……」
はじめは、声だった。
今となっては誰とも知れぬ、けれど確かにあたたかな色を滲ませた、声。
沼の奥から聞こえるすすり泣きに混じって、それは聞こえてくる。愛しい子に贈るような、やさしい子守唄。覚えなどないのに、思い出せるはずもないのに、どこか言い知れぬ懐かしさを孕んだそれ。
「あ、あっ……」
つぎに、幻を視た。
見開かれた藍の瞳に、柔らかな光が映り込む。この昏き世界において有り得ざる、ひかり。
その中で、しあわせな生を営む誰かを見た。大きなひとと、小さな赤子と。温かな腕に抱かれて笑いあう姿は、まるで……家族の、ようで。
それらは、コナミルクの知らないものだ。知るよしもないものだ。少なくとも、全てを過去に失った今の少女には。
それでも。あの眩いひかりから、少女は目が離せない。
それは、無意識だった。そのひかりを求めるように、コナミルクは“白い”己の右腕を伸ばし――。
「っ、ひっ……!」
伸ばした筈の腕が、消える。肩の先から、さっぱりと。白い少女の細腕が、跡形もなく消えていた。
驚愕で思わず声を上げる。突然の消失に、しかし不思議と痛みはない。常ならば傷口から溢れるかと思われる血が、けれど一滴も流れない。
いや、そもそも――そんなもの“すでに無かった”じゃないか。
「……あ、うぁっ!」
不意に感じる“右腕”の重み。咄嗟にバランスを取ることが出来ず、少女は汚泥の中へと沈み込む。
ぼちゃんと、音を立てて落ちると同時。瞬く間に、沼に満ちた呪詛が少女の中へと雪崩れ込んでくる。歎きの声が、怨嗟のささやきが、小さき彼女を悲歎の底に呑み込もうと襲い来る。
思い出す、思い出す。彼女はかつて失ったものを、今は持たざるものを。
やさしいかぞく、あたたかないとなみ、この右うで、躰のなかみ、人としての生、存在したはずの自我、幼き少女には当たり前に与えられる筈だった――安寧の、日々。
「あ、あ……わっ、わたしっ、私は、私の……っ!」
奪われたものを、思い出す。それは、幼き少女が失うにはあまりにも多すぎて。
忘れていた筈の疵が広がって、じくじくと痛みだす。この感覚を、既に少女は知っていた。
かなしい。かなしい。かつて心を支配した感情が、小柄な躯に満ちていく。
あまりのかなしみに押し潰されて、存在意義を保てなくなって。それでも耐えて、黙して待っていたならば。いつか何かが戻ってくるんじゃないかと、希望とも言えぬ藁に縋ろうとして――嗚呼、でも。
悲しんでも、悲しんでも。何ひとつ、変わることはなかったから。
それらの全てを、怒りに変えて。敵を壊すと、決めたんだ。
「あ、あ……うあ゛ああああッッ!!!!」
右手を伸ばす。今度は鉄である事を自覚した腕で、近くに顔を出していた小さな岩場の淵を掴む。
ギィと、歪な音を立てる爪に力を込めて。コナミルクは汚泥を振り払う様に身を起こす。
開かれた瞳に映る、感情は――。
「わっ、わっ、私は……私には……!」
詰まりながらも零れる言葉。噛み合わぬ歯が、ガチガチと鳴っている。
「い、いっ、怒り、怒りしか……ない……っ!」
瞳に映る感情は、怒り。
悲しみは全て怒りに変わる。少女は、そういう獣である事を選んだから。
悲哀も、怨嗟も。彼女にとっては、全ては憤怒のまがいものなのだ。
――それは、放たれた《鏃》の如く。
弾かれたように、白い少女は翔け出していく。纏わりつく汚泥をものともせず、雪崩れ込む呪詛の一切を置き去りにして。コナミルクは、愚直なまでに駆けていく。果たして、小鹿の様に細い少女の足の、どこにこれほどの力があったのだろうか。
昏き世界を一直線に駆け抜ける、白き少女の姿は。
まるで、己の命をも燃やし尽くさんとしているかのようだった。
成功
🔵🔵🔴
シン・バントライン
第六感で足場を探し進む
見えるのは都が落ちた時の光景。
真っ赤に燃える街や宮殿。
見慣れた場所の筈なのに見慣れない光景だった。
火の強さに眼が灼かれ、見えるはずのない星が空に浮かぶ夜だった。
懐かしい面々が暗い顔でひたすら穴を掘っている。
弔いの墓穴ならまだ良かった。
捕虜になった自分達を埋める為の穴を掘っている。
深く暗い穴の上に立った時の自分の動悸と身体の震えを未だに覚えている。
どこかの岸に咲くという「忘れ草」をいつか探しに行こうと、仲間としたそんな話を思い出す。
その花の香りを嗅げば何もかも、自分の事も忘れてきっと楽になれる。
そんな恐怖に囚われていると一輪の愛しい「勿忘草」が脳裏に浮かぶ。
進もうと思った。
進む、進む。
立ち込める霧の中、しゃらりと刀飾りの音を響かせて。シン・バントライン(逆光の愛・f04752)は沼地の奥へと進んでいた。
沼を覆う白い靄は、人の視界を遮り深き方へと誘うもの。これまでに幾人もが、その靄に包まれたまま為すすべもなく沈んで行ったことだろう。
唯でさえ不明瞭な視界の中だ。視覚のみに頼りすぎるのは危険だろうと、シンは小さく息を吐く。己の顔を覆う黒布が、じめついた水気を吸っていやに重く感じられていた。
シンは、とつと足を踏み出す。見えなくとも、見難くとも。長きに渡って培ってきた第六感が、そこは“安全”であると訴えていたから。
注意を払いながら、前へ。前へ。
そうして歩き続けていれば……何故だろう。あかい、何かが見えて来た。
「向こう岸……という訳では、無さそうですね」
此処は感情を操る呪詛の沼、油断はならないとしてシンは目を凝らしながら近づいた。
ぽう、と揺れ動く赤い何か。点々と浮かんでいるそれは徐々に数を増やしていく。
霧の向こうで揺らめく光は、まるで、炎のようで――。
「――――あれ、は」
はっと、息を呑む。黒布に隠れた薄い青の瞳が、僅かに見開かれていた。
シンが目にしたものは。目前に広がっていたのは、薄暗い泥沼の光景などではなく。
――失われた都、その落城の炎であったのだから。
あかく、あかく。
遠目にはちらほらと見えていた筈の炎は、いつしか天に上る勢いで燃えている。
かつて見慣れていた街並み、皆の拠り所であった宮殿、共に在った筈の人々。その全てを、あの炎は呑み込んでしまうのだと、シンは知っていた。
ごうごうと燃え盛る炎を前にして、からりと乾き切った喉を自覚する。勢いの衰えぬ火に目を灼かれ、見える筈のない星が空に浮かぶ夜。彼は、この夜を知っていた。
故に、己に為す術はなく。シンは、全てが焼け落ちていく様をただ呆然と眺めていた。
ああ、ああ――故郷が、おちていく。
――暗転。
浅く、息を吐く。今度はまた、別の場所にいた。
己は既に幻を見ているのだろうと、ぼんやり自覚しながらシンは辺りを見回そうと首を動かした。何か、突破口があればいいのだが。
「……?」
じゃらりと。身動きを取ろうとしたところで、妙な音が耳に入った来た。鎖がこすれ合うような音、そして動きも儘ならぬ己の身体。
“囚われている”のだと。シンは、その時になってようやく自覚した。
どくりと、心の臓が鳴る。またしても、彼はこの光景を知っていたから。
前を見れば、見覚えのある者たちが穴を掘っている光景が見える。シンにとっては懐かしいその面々の、その誰もがひどく暗い顔をしながら。それでも、穴を掘るのを止められずにいる。
あれが何のための穴か。彼らの家族の、弔いの墓穴だろうか――そうであれば、まだ良かったのに。
これは彼の“過去”であるが故に。シンは答えを既に持っていた。
延々と掘られる、あの穴は……“俺達”を、埋めるための物だ。
手枷を強く引かれ、シンは穴の前に立つ。
ぽっかりと大きな口を開けた穴は、底の見えぬほど深く。夜を切り取ったような真っ暗な穴を前にして、シンは身体の震えを自覚していた。
ばくばくと、血の巡る音がいやに大きく響いている。喉を震わせる事も儘ならず、口からは小さな息が漏れるのみだった。
ああ、いやだ。いやだ。こんな恐ろしい思いはしたくない。何もかもを放り出して、逃げ出してしまいたい。
ふと、脳裏に過るのはいつか誰かとした話。どこかの岸に咲くという「忘れ草」を探しに行こうと、仲間たちと笑いあったあの日。その花の香りを嗅げば、何もかも忘れることが出来るのだと言う。
ああ、それは今の自分にこそ必要なものだ。その花を手にしたならば、この恐怖も、自分の事も忘れて。きっと、楽になれるはず、だから――。
――しゃらん、と。
小さく鳴った音に釣られて、シンは胸元を見遣る。
其処には、いつの間に付けられていたのだろうか。“見覚えのない”ブローチがあった。鳥を模したアンティーク、晴れた海を思わせる輝きの、それ。
……いや、見覚えは、ある。此処に居る“過去”のシンにはなくとも、この先を生きる“今”の自分には。
「……ああ」
鼓動が、静かさを取り戻す。思い浮かぶのは、愛しい一輪の「勿忘草」の姿。
――進もう。
自分はまだ、進む事が出来る。
そうして、シンは穴の中へ……沼の、岸へと。
一歩を、踏み出した。
成功
🔵🔵🔴
飛梅・さより
●*
「沼に近付いた者。そして進み行く者は、哀しみ、もしくはそれに類する感情に支配されてしまう」のよね。
わかった、逆にしたらいいのよ!
さよの処方箋でお薬を出しましょう
哀しいなら哀しいほど、それを「楽しい」と錯覚するお薬よ
一気に飲みほして沼を渡るの
お洋服が汚れるのはいやだけど……お仕事だものね
虹色のひかりがちかちか
割れたカップ、破れたお洋服、なくしたストラップ
色とりどりでたくさんのお薬
目の前になにかが飛びだすたび、楽しくて仕方がないわ
あら、ひとまで出てきたのね
あなたはさよの何だったひとかしら
ああ、足に羽が生えたみたい
お顔は濡れてびしょびしょだけど、今なら空だって飛べそうよ!
鏡島・嵐
判定:【WIZ】
確かに、悲しみって泥みてえなところがあるよな。
纏わりついてなかなか離れなかったり、一度沈んだらなかなか浮かび上がれなかったり……さ。
悲しみの記憶。親父とおふくろ。おれがまだ小っちぇえ時に旅先で何か事故に遭って行方不明になって。
……死んだのか、まだ生きているのか。祖母ちゃんの占いでも二人がどうなったんかはわかんねえ。あれからもう十年以上経ってる。
今でも時々、二人を思って涙しながら眠るときもあったりさ。
でも、おれは歩みを止めたくねえ。二人が見たものを、自分の目でも見てえから。
親父、おふくろ。おれは、前に進む〈覚悟〉が欲しいんだ。
――《幻想虚構・星霊顕現》。確かな道を、ここに。
「ええと、確か……」
がさごそ、ごそり。ベルトに取り付けていた小瓶を探りながら、飛梅・さより(BLUEHOLIC・f19766)は沼の淵をうろうろと歩いていた。
目前に広がる、妙に重そうな雰囲気を放つ沼。お仕事の為に派遣されたけれど、この沼についての厄介な話を予知の者から事前に聞いていたから。
『沼に近付いたもの。そして進み行くものは、哀しみ、もしくはそれに類する感情に支配されてしまう』との情報。それを聞いた時、さよりは思ったのだ。
――わかった、なら逆にしたらいいのよ! と。
「……あっ、あったわ!」
じゃじゃーんと。取り出したるは水色の小瓶、この沼を渡る上での“特効薬”。
早速といった風に、さよりは薬瓶の蓋を開ける。小瓶に満ちた水薬が、とぷんと小さく波打っていた。
「良かったわ、『処方箋』を貰っていて。これで大丈夫ね!」
紫の瞳をきらきらと輝かせて、さよりは小瓶の中身を一息に煽る。こくこくと飲み干していく、少しとろみがかった甘ぁいフルーツフレーバー。彼女にはとても馴染みがある“お薬”の味。
その効果は――。
「……ふふっ、うふふっ! あははっ!」
哀しければ、哀しい程に。“楽しい”のだと、錯覚する効能があった。
込み上げてくる笑みは、心からのもの。至極楽しげな笑い声を上げながら、さよりは薄く桃色がかった髪を揺らす。
つい数分前まで「お洋服が汚れるのはいやだな」なんて考えていたはずなのに。負の感情を一切感じられぬ、軽やかな足取りで。さよりは、沼の中へと足を踏み入れる。
途端に雪崩れ込む呪詛は、確かに少女の精神を蝕むもの。
沼に沈んだ、誰かの哀しいという感情が。無為に命を枯らした、誰かの苦しいという感情が。
沼の泥を通して、毒となって。さよりの中へと流れ込んでくる。
かなしい。つらい。くるしい。なきたい。はきたい。いやだ。もう、何もかもをあきらめたい――ああ、ああ。
否応なく雪崩れ込んでくる、だれかの感情。こんな、こんなのって、とても――。
「――とても、とっても楽しいわ!」
ぴちゃぴちゃ、ぱちゃぱちゃ。実に軽快な音を立てながら、さよりは泥の中を進んでいく。
彼女の視界には、白い霧も茶色の泥も映っておらず。全く違う世界が見えていた。
煌めいた虹色のひかりが、ちかちか。チカチカ。
歪な形に割れたカップ、破れた可愛らしいお洋服、いつかなくした筈ストラップ。
そして、色とりどりでたくさんのお薬!
次は何が出てくるかしら? 今度は何を見つけられるかしら?
ええ、何でも。何でも良いのだけどね。
だって、さよの前に何かが飛び出してくるたびに――楽しくて、仕方がないのだもの!
「……あら?」
ふと、目に入り込む大きな影があって。さよりの大きな瞳が、ぱちくりと瞬いた。
それは、人の影だった。朧げな誰かが、彼女の前に立っている。
「あなた、だれ? さよの何だったひとかしら?」
くすくすと笑みを絶やさぬままに、さよりはその人へ話しかける。
ゆらりと蠢く影の人。その顔はよく見えなくて――だから、思い出せなる筈もなくて。
ふふふっ、と。さよりは可笑しそうに笑みを溢す。よく分からない、分からないけれど、何だかとっても楽しくなってしまったから。
ああ、楽しい。楽しすぎて、笑みが止まらなくて。もう、お顔も濡れて、びちゃびちゃね。
ねぇ、誰とも知らぬあなた。あなたも一緒に、笑いましょう?
◆
――ひとりの少女が、沼の只中にて歩みを止めた頃。
もう一つ、この沼地を渡る人影があった。
纏わりつく泥の重さに嘆息を零しながら、鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)は一人この沼を進んでいた。
「嘆きの沼か……確かに、哀しみって泥みてぇなところがあるかもな」
進むごとに重くなる足へと力をこめながら、嵐はひとりごちる。
「纏わりついて、全然離れてくれなくて……一度沈んだらなかなか浮かび上がれなかったり、さ」
じめつく空気のせいか、妙に息がしづらい。首元のスカーフを掴みながら、嵐はしばし呼吸を整える。常ならば懸命に前を見据える琥珀色の瞳が、今ばかりは翳りを帯びているようだった。
かなしい、つらい……もう進みたくない、と。沼に満ちた呪詛が、歩を進めるごとに脳内へと雪崩れ込んでくる。
脚が重い、息が切れる。たらりと流れる汗が、いやにじめついた感触をもたらしていた。
立ち込める靄の中。進んでも進んでも代わり映えのない景色が、果たしてこれは不毛な行動なのではとの思いを嵐に植え付けていく。
不毛な……無意味な、希望。それに類するものが、今もなお嵐の心を占めている。
嵐の、父と母。分野は違えど、共に学者であったらしい両親。
伝聞の形なのは、嵐自身が彼らについて多くを知らないからだ。覚えているのは、二人してよく家を空けていたこと。どうやら、世界中を飛び回っていたらしいこと。そして旅先であった出来事を、お土産としてたくさん話してくれた母との時間のこと。
――その記憶も、ごく幼い時のものしかない。両親との思い出は、彼が四歳の時に打ち切られてしまっていたのだから。
二人は、事故にあったのだと。身寄りのない自分を引き取ってくれた祖母からは、そう聞いていた。
事故の詳細は、未だに分かっていない。旅先で何かに巻き込まれて、行方不明になったのだと。
そう、行方不明だ……あくまで、生死は不明である。高名な占星術師である祖母の占いをもってしても、二人の状況は判然としなかったのだ。
決定打はない。故に、嵐は希望を捨てきれない。
もしかしたら、生きているのかもしれない。あれから既に十年以上たった今でも、嵐は夢に見ることがある。もう僅かにしか覚えていない、けれど確かにあたたかで楽しかった、あの日々を。
目が覚めた時に、ひょっこりと戻ってくるんじゃないかと思うことがある。何事もなかったみたいに、帰ってきてくれるんじゃないかと。そんな希望を抱きながら、眠ることがある。
もう、家で話を聞くばかりであったあの頃とは違うから。嵐自身も、旅ガラスとなって世界を見てきたのだ。二人が旅した世界を、己自身の目でも見たかったから。だから、今ならきっと……語り合うことも、出来るんじゃないかって。
そんな夢想をしながら眠る夜は、きゅうっと胸が痛くなって。堪えきれずに流した涙は、少なくない。
かなしい、かなしい。あの日の気持ちが、心を支配する。あの夜の痛みが、じくじくと胸に広がっていく。
辛くて、哀しくて。もう諦めてしまえと、希望を手放してしまえと、誰とも知れぬ声が囁いてくる。そうすればきっと、君は楽になれるから。
それは、優しげに差し込む光だった。辛く苦しい暗闇の中で、とてもあたたかに見える――まやかしの、ひかり。
――ちがう。
「……親父、おふくろ」
震える声で、大好きな人達を呼ぶ。雪崩れ込む感情に押し潰されそうになりながら、それでも必死に、あの人達の姿を思い出す。
違う、違う。自分が欲しいのは、あんなまやかしの光ではない。やさしいだけの言葉などでは、決してない。
自分は、おれは――。
「……前に進む覚悟が、欲しいんだ」
――《幻想虚構・星霊顕現》。
息も絶え絶えに、しかし決して止まることはなく少年の口から紡がれる言葉。
其れは、詠唱だった。今ではない時、此処ではない場所。遥かな異界の冒険譚を源とした力の顕現。それを可能とさせるもの。
はじめは弱々しくも思えた声は、時を追うごとに力強さを増していく。それは唄うように、謳うように。凛とした少年の声が、沼に響いていく。
「確かな道を、ここに――!」
ごう、と。うねりをあげたのは水の竜巻。空気中の水分を凝縮させたそれが、激しく渦巻いて沼の泥を蹴散らしていく。
前を向く少年の瞳に、もはや翳りはなく。
怯えの全ては取れずとも、哀しみの全てを拭えずとも。それらの全てを抱えながら、けれど嵐は歩いていく。
大好きな二人が見たものを、己の目でも見るために。旅ガラスの少年は、しかと一歩を踏み出していった。
◆
「――あら?」
立ち止まっていたさよりの視界に、きらりと、光るものがある。天高く渦巻く一つの柱が、いつの間にか遠目に見て取れた。
「あのきらきらしたものは、何かしら?」
とても綺麗ね、と。そのきらきらに釣られるようにして、ふらりと少女は歩き出す。
……その間際に。だれかに呼び止められたような気も、したけれど。
少女の意識は、既にあの“きれいなもの”に移っていた。
彼女を止めるものなど、何もありはしない。心は相変わらず跳ねていて、身体だってこんなに軽い。思うまま、気の向くまま。どこにでも行けそうな気さえした。
――まるで、足に羽が生えたみたいだわ。ええ、今なら空だって飛べそうよ!
さよりは軽やかに歩き行く。泥まみれになりながら、ぽろぽろと雫をこぼしながら。
少女の可愛らしい笑い声が。沈鬱とした沼地に、虚しく響き渡っていた。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴
穂結・神楽耶
●*
羽根を拡げて、【赤鉄蛺蝶】。
足場を作ったり空を翔たりはできませんので、明かりの確保と多角的な状況確認にはこのUCが最適です。
ただでさえ呪詛で気が沈むのですから、自分の視界くらいは華やかに致しませんと。
…このUC、実質的に自分の五感が数倍に増えるようなものなので。
たぶん普通にしているより色々と見えたり聞こえたりしてしまうのでしょう。
けれど、幻だと分かっているから。
観なければいい。
聴かなければいい。
届かないことが悪夢だと知っているけれど。
届いてはいけない幻想があることも知っています。
だから足は止まりません。
その程度で止まっていては、本当に届かなくなってしまいますから。
矢来・夕立
怨嗟と言いましたか。昔から仲良しなんですよね。
付き合いの長い友人です。
ただ前へ進むために呼ぶのも、ちょっと大袈裟ですけど――
自分で知りもしないものを暴き立てられるよりは、慣れた痛みと呪詛を受けるほうがいい。
【神技・影暗衣】。
精神への干渉は、聞きなれた恨み言と身体的苦痛で上書きします。
そもそも、この沼を進むことが出来なければ依頼の解決もできません。
副次効果で…いえ本来はソレが主目的のユーベルコードなんですけど、身体能力が上がります。進む速度も上がるんじゃないでしょうか。
進めないひとがいたら強めに蹴り飛ばすなり肩パンなりしますし
知人なら手を引くなり背負うなりしてあげてもイイです。高くつけますけど。
狭筵・桜人
🌑*
【SPD】
嫌ですねえ。
沼で服が汚れるだけでも気分が滅入るのに。
【呪詛耐性】と【毒耐性】に任せて進みましょう。
覗いた岩場や草木から沼の浅いところを探って
足場を確保。【地形の利用】 ってやつですね。
ダメ押しでもう一手。
手鏡を利用して自身にUCを使用。
ま、気が狂ってたほうが楽なときもありますからねえ。
意思も目的もマニュアルに従って動いてる身としては
感情まで勝手に決められたくはないわけです。
……メンタル面を庇い過ぎて足元がふらつきますがソレはソレとして。
だって辛気臭いのなんて嫌でしょう。
これくらいぱぱっと抜けてしまえば問題ないですし。
あと少しあと少し――、
アッ足踏み外し……
どろりと濁りきった泥の沼。見目の鬱屈さも相俟って、妙なおどろおどろしさを漂わせていた其の前に、季節外れの“春”が立っていた。
湿気のせいか、いやに頰に張り付く桜色の髪を払いのけながら。形良い眉を哀しげに八の字に寄せて、狭筵・桜人(不実の標・f15055)は眼前の沼を物憂げに眺めていた。
「あーあ、嫌ですねえ」
沼地の様子を観察しながら、桜人はハァと嘆息を溢す。
例のオブリビオンは、この沼地の向こうにいるのだと言う。仕事を完遂する為には必要な行程なのだと分かってはいても、どうしても憂鬱さを感じる事は禁じ得ない。
呪詛に満ちた毒の沼。如何にも粘度の強そうな涅色のその沼に浸かってしまえば、きっと――なかなか、泥汚れが落ちてくれないんだろうな、と。
「服が汚れるだけでも気分が滅入るのに。全く、面倒な場所に巣食ってくれたものです」
一度割り振られてしまった仕事だ。今更投げ出すと言う事はしないけれど、少し愚痴を溢すくらいは許しいて欲しい。
「ま、呪詛だの毒だのと言うのは確かに得意分野ですけど。……さて、手早く済ませてしまいますか」
うだっていても仕方がないし、と。桜人は言うや否や早速沼地へと足を踏み入れる。
迷いは無く、躊躇いもなく――怨嗟の呪詛に満ちると言う、そこへ。
――――しず、め。
つらい、かなしい、くるしい、すすむな、うごけない、とまれ、いきていたくない、しずめ、いやだ、しずめ、もうすすみたくない、しずめしずめ沈め沈め沈沈沈沈沈――――。
「……ああ、こういうタイプですか」
途端に雪崩れ込んでくる他者の念。精神を搦めとらんとする呪詛を受けて、桜人はふむと軽く思案する。強烈な思念を、有り余った力をもって強制的に他者へと注ぎ込む。これは侵入者を排すると言う類ではなく……八つ当たりに近い、無差別な嘆きと怨恨の放出だ。
その量こそ膨大だが、一個人を対象とはしていないが故に大雑把な思念だと、桜人は判断した。元から共感性が強い者ならキツイだろうが、自分であれば最初のうちは問題なく進めるだろう。……しかし、長く沼に留まってしまえば、己自身が幻覚を生み出してしまう可能性もある。
ちらほらと沼地に点在する足場の観察がてら、桜人は沼の向こうへと目を凝らす。
――向こうの岸は、未だ見えそうにもない。
「ダメ押しでもう一手、打っておきますか」
懐に手を伸ばす。取り出したのは、飾り気のない小さな手鏡だ。
一度、視線を眼下の沼地へと向ける。沼からひょこりと顔を出している岩場、数は少ないが、しかりと根を張っているらしき草木の場所。足を取られにくい、取られても支えとなるものが近い足場を、脳内へとインプットしておく。数分後の自分が、無事に進めて行ける様に。
全てを頭に叩き込んでから、桜人は手にした手鏡へと視線を向けた。鏡に写るのは、見慣れに見慣れた自分の姿。代わり映えのない、空々しげな春の色。
桜人は、鏡の中の自分自身と視線を合わせて――にこりと、笑ってみせた。
それが、トリガー。
UDC組織に属する桜人が取得している技能のひとつ、狂気を操る精神汚染。視線を合わせるだけで発動可能なそれを――桜人は、自分自身へと使用した。
――曰く。気が狂っていたほうが楽なときもありますからねぇ、と。
「――――。これくらいで、いいですかね」
精神を蝕む狂気が、じわじわと己の中に浸透していく。常人であれば発狂も辞さないそれに、しかし桜人は一見変わりない雰囲気のまま、静かに手にした鏡を仕舞っていた。
幾らかの耐性があるとは言え、多少の苦痛は存在するだろう。しかし、沼地に満ちる怨嗟の声と、普段から慣れ親しんだ狂気との二択があるならば、桜人は迷い無く後者を選ぶ。
このやたら押し告げかましい呪詛――悲哀だが怨嗟だが知らないが、心底から耳障りなそれらに感情を操作されるのは、どうしようもなく不快であったから。
「此方は意思も目的もマニュアルに従って動いてる身ですしね。……感情まで、勝手に決められたくはないですよ」
そう言葉を溢す桜人は、やはり見目には普段と変わらぬように見えて。飄々とした雰囲気を伴ったまま、少年は再び一歩を歩き出していく。
ぐちゃりと足首まで浸かる泥はやはり不快で、その後の後始末を思うと気分も落ちてしまうけれど。しかしこの辛気臭い雰囲気に染められるのも、少し気に触るものがある故に。
此処はさっさと進んでしまおうと、多少ふらつきながらも桜人は前へと進んでいく。
先程の手が功をそうしたのだろう。頭に流れ込んできていた呪詛の類は、今となってはさっぱり気にならなくなっていた。たまにノイズが走るが事もあるが、微々たるものだ。狂気に染まった桜人の思考は、可笑しいほど澄み切っていている。
はやく、はやく前へ行こう。こんな場所、ぱぱっと抜けてしまって。早くにさよならしてしまえば問題は――。
「――、あっ」
精神は問題なかった。精神は。
問題はフィジカル面、決して得意分野とは言い難い体力バランス感覚反射神経エトセトラ。
メンタル面が好調過ぎて、配慮を怠っていた“身体”の方。
ぐらりと前のめりに傾く少年の身体。手応えを感じられずに、ぬかんだ泥の中にずぶりと沈み込んでいく右の足。
ああ、踏み外したのか。なんて、どこか呑気に頭の片隅で思考しながら。桜人は急速に目前へ迫ってくる涅色に、思わず目を瞑り――。
「ぐぇっ」
「…………」
――衝撃。
それは顔面ではなく、首元に訪れた。急に襟が締まったような感覚に、桜人は反射的に呻きをあげる。
げほりと一つ咳き込んで。ついで確認したのは、己の首根っこを引っ掴む“何か”の姿。
すぐさま後方へと滑らせた琥珀の瞳が――薄闇に浮かぶ、赤いそれとかち合った。
「――ああ、どうも。矢来さんじゃないですか」
「……」
そこに居たのは、桜人と同じくらいの齢の少年。この昏い世界においては珍しいだろう、所謂学ランの様な黒装束を纏った顔見知りのお得意様。矢来・夕立(影・f14904)だ。
たまに仕事が被る彼であるから、此処にいる事自体は驚かない。が、その細腕のどこに自分を持ち上げるだけの力があったのっだろうと、桜人は少し首を傾げた。確かに夕立の方が背は高いけれど、体格はそう変わりないと思っていたのに。
不思議そうに彼の様子を観察していれば――ふと、喉元から垂れ落ちる血のあかが目に入る。夥しい鮮血が流れいく、それ。
「あっ。“それ”ですか。道理で矢来さんにしては静かだと――うわっ」
言い掛けた台詞もそこそこに、桜人はぽいっと近くの足場に放られた。
あいたた、と腰をさすりながら夕立を見上げる。先程から言葉を発さずにいる彼は、何やら手で此方にサインを送っているようだった。
ええと、何々――あっ、先に行っても大丈夫か、的な?
それっぽいハンドサインを読み取って、桜人はにこりと笑ってみせる。先程はうっかり足を踏み外すと言う不覚を取ったけれど、さすがにもう大丈夫だ。
「ええ、どうぞどうぞ。助かりました、お陰でシャツまで泥塗れと言った事態にならずにすみましたし」
「――――、」
ひらひらと手を振る桜人を一瞥して。夕立は、サッと音も立てずにその場から駆けていった。
見る間に小さくなっていく黒い背を見ながら、桜人はふうと息を吐く。
「ンッフフ、相変わらず躊躇いがないですねえ。……まあ、私も似たようなものですが」
桜人を持ち上げた腕力、常よりも素早い身のこなし。それらはおそらく、夕立が身体能力強化の術を使ったが故だろう。桜人は、その術を以前に目にしたことがある。
――己の喉を掻っ捌き、過去の罪業を身に宿す事によって身体を強化する。身に降り掛かる怨念は、今までの彼の所業を見るにそう少なくはないだろうに。一切の躊躇いなく、あの少年は己の喉元に刃先を添える。そうして強化された身体で、また業を積み重ねて行くのだろうに。
あの強化の術を使ったのも、呪詛に耳を貸すぐらいなら聞き慣れた怨嗟の方がマシだと判断したに違いない。そこの辺りの思考は、割りと桜人とも似通っているように思われた。
「さて、私も進みましょうか」
ぱっぱっと身体についた泥を掃いのけて、桜人も前へ進もうと足をあげる。彼の行かんとする先には、夕立の首から垂れていたものであろう、あかい血痕がちらほらと沼に滲んでいた。
相変わらず耳に入り込むノイズ、呪詛の一切を無視して桜人は沼地を進んでいく。誰とも知れぬ嘆きを聞くような耳は持ち得ない。
目に見える導べは、そこにある。
◆
だらだらと、己の喉元から血を垂れ流しながら。一見にして重傷に見える姿のまま、しかし異様なまでの疾さをもって夕立は沼地を駆けていた。
痛みはある。けれど、それは彼にとって気にするべくもない。
何せ、ぱっくりと裂けたその喉は、夕立自身が掻っ捌いたものなのだから。
――神業・影暗衣。
それは、彼の昔からの友人を呼び出す術だった。少しの怪我を代償に、付き合いの長い“友人”の手を借りて自身の身体の強化を図る。これまでに培った“友人”との縁は、死線を共に潜るにつけてその強化を増していく。このように精神負荷を掛けてくる敵の術に対しても、“友人“との絆を強めればそれらを上書き、もとい跳ね除ける事も可能であるのだ――と。
無論。ウソである。
実のところ、仲良しの友人といって差し支えないのかもしれないが。その正体は“怨恨“や”罪業“と言った類の、呪いに等しい俗物だ。
首を掻っ切る事により、これまで重ねた悪事と同じ数のそれらが身に降りかかる術。それが影暗衣であった。尚。身体強化の副産物だけは本当のことだったりもする。
この沼の呪詛が精神へ干渉してくると言うのなら、予め己に同じだけの呪詛を纏わせておけばいい。聞き慣れた恨み言と痛みの方が、ありもしない“悲哀“だのと言う感情を暴き立てられ、もとい植え付けられるよりも余程気が楽だ。
「――――」
喉を裂く、それによる痛みに関しては最早慣れたものであるので気にはしないが。喋りづらくなるのは難点だな、と夕立は先の邂逅を振り返りながら思う。
道行く先に、たまたま目に入った春の色。あのままでは顔面から土塗れになってしまいそうだったので、ついでに手を貸してはみたが。
にこりと笑みを浮かべた表情も顔色も、そこそこに見知ったものであった。しかし、開いた琥珀の瞳がやや虚ろに――狂気の光を灯していた事だけが、少しだけ気に掛かる。
……まぁ。呪詛に関してはあのお得意様の方が上手なので、自分が心配するまでもないだろう。彼自身で大方の手は打っているだろうし、その術に心当たりもある。
故に、夕立は後ろを振り返る事もなくこの泥沼を進んでいく。
強化された身は、とても軽く。代わり映えのない景色がどんどんと後ろに流れていく。
――と。夕立の瞳が、今度は何やら赤く揺らめいた光を捕捉した。
「……?」
あれは何だ、と赤い眸子が細められる。ふよふよと漂う赤は、揺らめく炎のようでもあり。新手の技だろうか、と警戒を強くしながら夕立はそちらに近づいていく。万一にも先方には気付かれぬように、音を殺し、気配を殺して。
そうして近付いた彼の瞳に映り込んだのは――ひらりと霧の中を舞う、一匹の赤い蝶。
なんだ、これ。
ひらひらと優雅に舞う蝶々。しかも所々燃えていて……否、炎そのものだろうか?
不可解な現象を前にして、夕立はしばし動作を停止した。炎の蝶は前方を漂うばかりで、特に此方へ害する動作は見受けられない。
無視するべきか、それとも切り払ってしまおうか。相手が何か分からぬうちに手を出すのは不味いだろうが、後手となってしまうのも……しかし妙に警戒心が薄れる動きだな……。
ふらりふらりと、宙を漂う蝶はどこか不安定な飛び方をしていた。有り体に言えば、弱っているとでも言うような。
しかし、この蝶。そしてこの炎に対して、夕立は不思議と敵意を抱く気にはなれなかった。
それどころか、どこか――慣れ親しんだ気配を感じるような気さえ、する。
(――まさかな)
夕立はゆっくりと、その蝶へ近付いた。それに気付いたのだろうか、蝶の方もふらりふらりと夕立の方へ向かって飛んでくる。
彼の周りを囲むように、ふわふわと飛び回るそれ。夕立は、それに向けて徐に手を伸ばしてみる。黒手袋に覆われた右手、その親指の腹に中指の背をくっつけて輪を作り。ぐぐぐっと力を込めてみれば――。
――ペチッ。
炎で出来た蝶の頭を、ジャストに弾く。いわゆるデコピンだった。
衝撃を受けた蝶は、一瞬後方へとよろめいて。直後に、先程までとは打って変わった激しい動きで夕立の周りを飛び回っている。
「――――」
(ああ、痛覚はあるのか)
これは、おそらく痛みに抗議している動きなのだろう。至近距離まで迫る蝶の様子を眺めながら、それでも己の勘は、コレが警鐘を鳴らすべくに値しないものだと告げていた。
ぐるぐると己の周囲を飛び回る蝶を、しっしっと軽くあしらう。それで、終わり。
気が済んだとでも言うように、夕立はすぐさま思考を切り替えたていた。さて、さっさとこの沼地を抜けてしまおうか。
黒尽くめの少年は、再び常人では有り得ざる速さでその場を去っていく。
その後ろ姿を、赤い蝶がふわふわと漂いながら見守っていた。
◆
同刻。
チリン、と清廉な鈴の音を響かせながら。この嘆きに満ちた沼の中を、穂結・神楽耶(思惟の刃・f15297)も歩き進んでいた。その周囲に、赤き炎蝶の群れを携えながら。
この場所は――この世界は、神楽耶の元いた都よりも、昏く。曇天が日を遮り、沼に立ち込める白い霧が視界を覆っていた。このままでは進む事も儘ならぬ、と。沼渡りに移る前、辿り着いた岸辺にて、いの一番に神楽耶が行ったのはこの“蝶”を作り出す事だった。
『花の袂へ、羽根を拡げて――“赤鉄蛺蝶”』
神楽耶の詠唱に合わせて、赤黒い炎が宙に生み出されていく。ひとつふたつ、みっつよっつ――やがて、数え切れぬ程に数を増やした炎の玉。それらは、よくよく見れば羽根持つ蝶の姿を象っていた。
宙を舞う炎蝶の群れ、それは神楽耶の力の一端によって生み出されたものだ。この昏き空の下、羽ばたく蝶達の炎はあたたかな光を放っていた。
「ただでさえ呪詛で気が沈むのですから。自分の視界くらいは、華やかに致しませんと」
ふよふよと霧の中を漂う炎蝶達を見ながら、神楽耶は柔らかに目を細める。
やがて、なるべく広がるようにと分散していく蝶たちの炎は……どこか、人の営みの灯にも似ていたから。
しかし。この炎蝶たちの役割は、明かりが主という訳ではない。
この見目にも華やかな炎蝶たちは、その一つ一つが神楽耶と五感を共有しているものだった。これらの本来の使い方は、偵察や追跡といったものである。
勿論、今回あれらを散開させたのも偵察、ないしは視界の確保を意識してのもの。この前方すらも薄らとしか見えぬ霧中の沼地では、多角的な状況確認も必要であろうから。
けれども、同時に。それは、多くのものが見えて、聴こえてしまうという事だ。
それは、この嘆きに満ちた沼においてはリスクに他ならなかった。
ここに訪れた人々は、絶えず聞こえる嘆きの声によって気を落としていたと言う。人によっては、幻覚を見る事もあったと言う話だ。
あの蝶達を介して、有らざるものを見てしまう事もあるだろう。既に聴こえ始めた怨嗟の声が、とどまる事なく耳に流れ込んでくるだろう事も、容易く想像は出来る。
だが、想像できるからこそに。
――全て幻だと、分かっているならば。
既に、覚悟は出来ていた。
揺蕩う蝶の群れの中を。神楽耶は一歩、踏み出していく。
『――たすけて』声が聞こえる『つらいよう』泣いている『かなしい、かなしいの』嘆いている『もういや、おわりにして』訴えている『くるしいのは、いやよ』叫んでいる『たすけて』求めている『だれか、たすけて』求められている『おねがい、おねがいだから』
『わたしたちを、まもってくれるんじゃなかったの』
「――――、」
ふっ、と。額から夥しく流れる汗を拭いながら、神楽耶はどうにか息を吐く。
蝶の数ごとに増幅され、研ぎ澄まされた五感。その全てから流れ込む呪詛の声。
身体が、重い。くらりと眩暈を起こしながらも、神楽耶は前へと進んでいく。軋む心を感じながら、抉られる疵口を自覚しながらも――ただひたすらに、前へ。
分かっている。雪崩れ込むこの声は、瞬きの裏に幻視するあの炎の光景は、全て幻だ。
かつて届かなかった己の力。この身の深くに焼い付いた、あの日の悪夢を見せつけられている。
「……確かに、あの時は届きませんでした。でも、」
今は、届く。届かせる。
赤く燃ゆる幻を振り切るように、神楽耶は前へと進む。ひとときも立ち止まる事なく、疵を開きながらも邁進する。――まるで、それを贖いとでもするように。
「――? あれは……」
ふと。蝶の一つが視ている景色が、意識に入ってくる。ふよりと漂う“己”の前に、彼はいる。
だらりと首元から血を流し、立ち尽くす黒の影――友人の、姿。
ひゅっと、神楽耶は小さく息を呑む。過去の幻視を覚悟してはいた、守れぬ様を見せつけられると予想してはいた。しかし、これは。
新たに得た友の、傷付いた姿を見せられるなんて。
どくりと、ここ近年になってようやく馴染みを覚えた鼓動の音がする。思いもよらぬ光景に、サッと目の前が暗くなる。
嗚呼、何という事だろう。彼が血に塗れる姿を、初めて見たわけではないけれど。それは己の手が、刃が届く範囲での事だった。今、そこにわたくしは居ない。護る為の刃も、癒す為の声も届かない。神楽耶は、咄嗟に其の蝶がいる方へと足を向けそうになり。嗚呼けれど、あれも幻覚なのではと止める己もいて。しかしあの夕立さんが、何故――。
――ぺチッ。
「あ痛ぁっ!?」
――額に一つ、鈍い痛み。
思いもよらぬ衝撃に仰け反りながら、神楽耶は咄嗟に額を押さえた。
炎蝶は、彼女と五感を共有する。すなわち、痛みもそっくりそのままやってくる。
「え、え。何事ですかっ!?」
突然の事に目を白黒させながら、神楽耶は今一度、蝶の視界へと意識を集中させる。
額をさすりながら神楽耶が視たものは――相変わらずふてぶてしい顔をした、馴染みのあり過ぎる友の顔。
あ。本物ですね、これ。
「……いえ、本物だとしても問題では!? その傷は何事ですか!」
あまりにいつも通りすぎる様子にスルーしそうになったが、神楽耶が最初に見とめた喉元の傷もまた本物だ。だらだらと血が流れ続けるそれに、しかし本人は至って気にもしていない様子。
……もしかして、術か何かの類だろうか。だとしたらあり得る。あの友人は、割と我が身を省みないところがあるのだ。
「だとしても、夕立さんは人の身なのですから。あまり無茶はしないで頂きた……ああ、もう行ってしまわれて……」
驚きと、痛みと。とにかく何か一つでも抗議をしようと思って念話を使おうとするも、時既に遅く。此方に興味を失ったらしき夕立は、颯爽とその場を後にしてしまっていた。
まあ、あれだけピンピンしているのなら、おそらく身体に支障はないのだろう。それはそれとして、傷の放置は良くないと思いはするが。
はぁ、と一つ嘆息ついて。自分も前に進もうと、神楽耶も再び歩き出す。
相変わらずに聞こえる嘆きの声。彼女に助けを求める、求めていた人々の慟哭。それらは、かつて届かなかった故の後悔ではあるけれど――同時に、届いてはいけない幻だ。
彼女には、護るべきものがある。愛すべき人々が、今も尚多く在る。
だから。どれだけ悔やんでも、足を止める事だけはしない。絶対に。
前を進む、前を向く。この程度で止まっていては、本当に届かなくなってしまうから。
一歩ずつ、今度はしっかりとした足取りで。
太刀の女神は、前へと進んでいった。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴
砂喰・ネイン
蛇だもの、視界が悪くたって視るのに困らないわ。
【暗視】【地形の利用】で安全な足場を見極めて渡りましょう。
それでもね、うんと昔のこと思い出すのよ。
霧の代わりに蜃気楼。沼はずっと続く砂漠だった。
妹と一緒に水を汲みに行った。食べられそうな物を探しに行ったわ。
……見つかりもしないのにね。
村の人は誰も彼も飢えて渇いていて口減らしが必要だったから
妹を置き去りにするように言われていたの。
細い手を握って歩いたわ。渇いた口でお喋りしながらずっとずっと。
大好きだった。
飢えていたの。気が狂うほど。
蛇に要るのは温かな血と肉よ。だから途中で立ち止まった。
歩き続けていればよかったのに。
今は歩き続けるわ。ずっとずっと。
白く、白く。視界を覆い隠さんとする、濃い霧の中。
ちろちろと、赤く細長い舌を蠢かせて。砂喰・ネイン(奴隷売り・f00866)はこの泥沼の中を進んでいた。
常人であれば、視界不良で一歩を踏み出すのも迷う霧の中。しかし、ネインは迷いなく前へと歩いていく。
彼女は、蛇だった。視界の不良など気にしない、そもそもに視力が悪いので今更だ。
仄かに嗅ぎ取れる草木の匂い、足元から伝わる振動音。ちろりと覗かせた舌からそれらを感じ取り、より安全な足場を判断して。ネインは、確かな足取りで歩いている。例えこの霧がさらに深くても、真暗闇の中に在ろうとも、おそらく彼女は歯牙にも掛けないのだろう。
蛇の耳に入り込む、誰そ彼のすすり泣く声。無惨にも果てた誰かの願い、誰それへ向けた恨み言。それらは確かに気が重くなるものであったかもしれないけれど、同時にそこそこ聞き慣れたものでもあったから。
“商品”たちを持ち寄る場で耳にする雑音を思い返しながら、女はどこ吹く風と言わんばかりに歩いていく。――最も、彼女の携わる“商品”に関しては、此のように必要以上の嘆きを溢させるような真似はさせなかったけれど。
しゃなりと耳につけた金飾りの音を響かせて、ゆるく編んだ薄緑の髪を揺らして。
彼女は歩いていく。
歩く。歩く。ネインは歩いて――歩き続けて、いた。
相変わらずに翳る視界、しかしそれは霧ではない。
――それは、蜃気楼だった。
足場の悪い場所が点在する地面、しかしそれは泥沼ではない。
――それは、延々と続く砂漠だった。
彼女はいつしか、故郷を歩いていた。今よりも見窄らしい身形で、瘦せこけた姿で。
ネインは、砂漠を歩いていた。まるで、何もかもをも失ってしまったかのような姿で……いや、いいや。何も無いだなんて、そんなことはない。だって、ここにはあの子がいた。
可愛い可愛い、食べてしまいたいくらいに愛らしいあの子。
――大好きな、妹がいた。
からりと乾いた砂漠の村で。私は、小さなあの子といつも一緒。
手を繋いで、一緒に水を汲みにもいったのよ。バケツいっぱいに汲めたら、みんな喜んでくれるだろうかなんて。そんなお話しをしながらね。
食べられそうなものを、探しにもいったのよ。まるで探検みたいだって、あの子は笑っていたかしら。
……水も、食べ物も。何一つ、見つかりもしないのにね。
「……好きだった。大好きだったのよ」
女の口から溢れる声は、暗く。
ネインは、枯れ枝のように細い指先を握りしめる。ずっと握っていたはずのあの子の手は、もうそこにはなくて。ただただ、自分の骨が食い込むばかりだった。
本当は。
あなたを、置いてくるように言われていたのよ。
村の人たちは、誰も彼もが飢えて渇いていて。自分が生き残る為には、誰かの分を減らすしかなかったの。それでも足りなければ――誰かを減らすしか、なかったのよ。
有り体に言えば口減らし。それは、力無きものから順番に。あそこでは、それが当然だったから。
だから、私は歩いていたの。置き去りにするために、小枝のように細いあなたの手を握ってね。からからに渇いた口で、一緒にお喋りをしながら。一生懸命にお話ししようとしてくれるあなたに、笑い掛けながら。歩いていたの、さよならをする為に。
とても小さくて、愛らしくて。大好きな、わたしのいもうと。
――飢えていたの。気が狂うほど。
蛇はね、すぐに冷たくなってしまうのよ。生きるのに必要なのは、温かな血と肉。滴る血液を啜って、生暖かな肉に顔を埋めて。飢えを満たす為には、どうしても喰まなければならないの。どうしようもなく、喰みたくなってしまったの。
だから。私は――途中で、立ち止まってしまったわ。
どうしたの、と。此方を見上げるあの子の、まんまるお目め。
ずっと一緒には歩き続けられなかったふたり。はらぺこヘビと小さなこども。
これは、そういうお話だった。
「……お腹はね、まだ空いているの」
泥の中を、女は歩く。時折口から溢れ出る言葉は、誰かに語り掛けているかのようだった。
此処にはいない、小さな誰か。歩く女の、その手を握りしめる者は居らず。中途半端に開かれた掌を、風が撫ぜていくばかりだった。
「今は歩き続けるわ。ずっと、ずっと」
あの時のように、立ち止まりはしない。もう、しないから。
失われて久しい温度を思い返しながら、蛇の女は歩いていく。
霧の狭間、流れる風に乗って。
可愛らしいあの子の声が、聞こえた気がした。
成功
🔵🔵🔴
アンジュ・グリィ
そうか。
ここは哀しみに暮れる場所なのか。
生憎、私には無意味だ。
悲哀は隣人。愛しき隣人。だから気分はいつもと同じ。
いや――いつもよりは沈んでいるかもしれないな。
ブレイズフレイムを使い、辺りの草木を焼く
焼いたら気分も少しは晴れるのではないかと。
千切れた舌で、炎の舌で。
静かに息を吹き込むとブレスのごとく炎を吐き出してしまおうな。
哀しみを吐き出してしまおうな。
悲哀は隣人、哀しみは愛おしい。
でも、そうな。そんな私でも楽しい事は好きだよ。
だから今日の所は毒の沼に溺れることなく
先に先に、前に前に進もうじゃないか。
そこで立ち止まるお前。
前を向くのも悪くはない。
オニバス・ビロウ
闇夜の力が強い世界か
俺がいた所とはまるで似ても似付かんな
もし我が妻がここに居たら盛大に嘆いただろう
恐らく「うち、こげんとこ好かん!風がぬりぃし、花も咲いちょらん!好かん!!」と叫ぶだろうな
…この瘴気めく沼を前にしてその感想のみで終わらせそうだな
我が妻よ
今ここで、君の事を思い出して苦しくなっていると言ったなら君は何と言うだろう?
歩みを止めてしまいそうになる俺を見て、叱咤するのだろうか
それとも全力で引っ叩くのだろうか
どちらにせよきっとお前は俺を【鼓舞】するのだろう
ここで止まるなと、倒れるのならば一歩でも前に進んで倒れろと
きっとどこかの世界にいる我が妻よ
必ず君を迎えに行くまで待っててほしい
「闇夜の力が強い世界、か」
酷く物憂げな印象を抱く、曇天の空の下。
オニバス・ビロウ(花冠・f19687)は、初めて訪れる世界の景色を見ながら、ぽつりと言葉を零していた。
数多に存在する世界の一つ。永きに和を重んじる国から訪れた青年にとって、この昏き世界は新鮮に映るものだった。自分がいた所とはまるで似ても似付かない場所だ、とオニバスは感慨深けな呟きを落とす。
同時に。思い浮かぶのは、何処へと姿を消してしまった最愛の妻の事。
もしも、彼女も此処へ共に訪れたならば。オニバスは、瞳を閉じてその様を夢想する。
『うち、こげんとこ好かん!』
きっと。開口一番、妻は人目も憚らずに叫ぶだろう。君の快活な声は、とても良く響く。
『風がぬりぃし、花もさいちょらん! 好かん!!』
彼女の好きだったものを思い返しながら、おそらくこうだろうと言う科白を想像する。兎にも角にも、苛烈な物言いの人であったから。このくらいは言ってのけてしまうだろう。
……この瘴気めく沼を前にして、彼女はその感想のみで終わらせてしまいそうだ。この重苦しい雰囲気に呑まれる事なく、いっそ跳ね退ける勢いで。妻は、そういう人であったから。
想像の中の君に、元気を貰えたような気がして。この先に待つ敵を討つべく、オニバスは一歩を踏み出していく。
――途端に襲い来るのは、嘆きの呪詛。話には聞いていた、おどろおどろしい其れら。直に頭へと流し込まれるかのような、不特定多数の悲哀と怨嗟の数々。
「――っ」
ぐっと、オニバスは奥歯を噛み締めてそれらに耐える。如何に修行に明け暮れた身と言えども、彼は呪術師ではなく武芸者だ。こういった、呪詛の類いを専門とはしていない。
耐える事は、出来る。しかし、その全てを払い除けれる程の力を、オニバスは持ち得ていなかった。
故に、沈む。ずぶりと、足場を“見誤された”右足が沈んでいく。
行き過ぎた他者の感情が、生者の精神を蝕んでいく。夥しい数の嘆きが、男の其れを誘発させようと襲い来る。
オニバスの胸に去来するのは――あの日、君を見失った時の事。未だ忘れるべくもない喪失感、瞬く間に色を失った寂寞の日々。
どうして、と。幾度思ったことだろうか。君の行方は知れず、浚った者の手掛かりすら得られずに。途方に暮れた夜が、無かったとは言い切れない。
思わずと言った風に男の口から溢れたのは、乾いた笑い声。やるせない自嘲の表れが、泥の中へと溶けていく。
嗚呼、我が妻よ。最愛の君よ。
「……今ここで、君の事を思い出して苦しくなっていると言ったなら」
――君は、何と言うだろう?
◆
時を同じくして。嘆きの沼を進む影が、もう一つ。
薄闇にぼうと浮かび上がる、しなやかな脚を動かして。アンジュ・グリィ(したきり・f19074)が、沼の泥を掻き分けて進んでいた。
脚を運ぶ、前に進む。その度に、彼女へと流れ込む“声”がある。
辛いのだと、苦しいのだと。痛くて、悲しくて。もう、進みたくないのだと。
だから――あなたも、ここで一緒に沈んでくれと。共に哀しんでくれとでも言うように、彼らの声は嘆き続けている。
そう絶えず紡がれる声を聞きながら、アンジュは「そうか」と小さく呟いた。
「ここは、哀しみに暮れる場所なのか」
耳にする声の、誰も彼もが哀しみを訴えている。この声に釣られて、幾人もがこの沼の底に沈んでいったのだと予知の者は言っていた。
この沼は、確かに深い場所もあるのだろう。しかし、大概の者はその深さ故ではなく――哀しみに呑まれて、沈んでいったのだと言う。
哀しみのあまりに、力が抜ける。生きようとする気力が損なわれていく。ここは、そういった嘆きに人々を連れ込む狩場だ。
「……生憎。私には、無意味だ」
ぽたり、ぽたり。体に纏わりついた泥を落としながら、アンジュは沼を進んでいく。
その動きは緩慢で、しかし不思議と立ち止まる気配は見受けられずに。ゆたりとした歩みで、アンジュは前へと進み行く。
雪崩れ込む嘆きが、何だと言うのだろう。彼女にとって、悲哀は隣人だった。いつもそこにある、愛しき隣人。だから、気分はいつもと同じ。
「いや――いつもよりは、沈んでいるかもしれないな」
一人で浸る哀しみと、周りをも呑み込まんとする哀しみと。少しは味が違うのかもしれないな、とアンジュは嘯いてみる。唯その表情は、少しも変わってはいなかったけれど。
ずぶりと、いっとうに深く脚が沈む。綺麗な白い脚が、沼の泥に塗れてしまっていた。
「――――、」
気が落ちてしまったなら、少しは晴らしてやらないと。
すぅと、アンジュは深く息を吸う。開かれた口の中、炎の舌がちろりと赤く揺らめいて――ぼぉぉおぉ、と。彼女の口から、炎の渦が吐き出されていく。
アンジュから放たれた、地獄の炎。それらが舐めるように泥の上を這って、近くの草木をも燃やしていく。
その昔。お喋りな舌はいらないと、お邪魔虫だと千切られた彼女の舌。今は地獄の炎となって燃えるその舌で、息を吐く。それだけで、この炎は燃えていく。
そうして、徐々に大きくなって燃える炎を見れば――少しは、気が晴れるかと思って。アンジュは、沼の草木を燃やしていた。深く深く、息を吐いて。炎を、哀しみを吐き出してしまおうと。
彼女の炎は、暗い色をした枯れ木へと絡みつく。ぐるりととぐろを巻いた火が、獲物を食んで嬉しそうに揺らめいていた。
悲哀は隣人、哀しみは愛おしい。それはアンジュにとっては当たり前の道理。もう痛みすら感じなくなったこの舌が、枯れ果てた翼が如実に教えてくれる事。
けれど。それが全てというわけでも、決してないのだから。
「でも、そうな。そんな私でも、楽しい事は好きだよ」
だから、今日の所は毒の沼に溺れるのではなく。
先に先に。前に前に、進んでみよう。
「なあ、お前。そこに止まる、お前」
前行く人の影を認めて、アンジュは静かに声を掛ける。
それは、哀しみに俯いて、足を止めているようだったから。
千切れた舌で、燃える舌で。アンジュは言葉を放つのだ。
「前を向くのも、悪くはない」
◆
ふと。己へと掛けられた声を聞き止めて、オニバスはそちらを見遣る。
静かな声の主は、ひととき交差した視線に満足したようで。そのまま、沼を渡るために歩みを進めていった。
……その時になって、ようやく。彼は、己が俯いていたのだと自覚した。哀しみに曇っていた藍の瞳に、意志が灯る。
再び思い描くのは、君の事。
君は、歩みを止めてしまいそうになる俺を見て、叱咤するのだろうか。それとも、全力で引っ叩くのだろうか。
「……どちらにしても、同じ事か」
腑甲斐無いと、存分に叱られる己の姿がありありと想像出来てしまって。男は、自然と苦笑を溢していた。
どんな形にせよ。きっとお前は、俺を鼓舞するのだろう。
こんな所で止まるなと。もし倒れるのならば、一歩でも多く前に進んで倒れろと。
きっと、どこかの世界にいる我が妻よ。
「必ず、君を迎えに行く。――待っていて欲しい」
君に再びまみえるその日まで。歩み続けることを、止めはしないから。
そうして。彼らは、この泥沼を進んでいく。
大事なものは、己の内にある。それを見失わずにいれば良い。
他者の嘆きを掻き分けて。悲哀に埋もれぬように、面を上げて。
前へ、前へ。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴
雨糸・咲
●◆
湿気を吸ったせいか、呪詛の為か
いつもより幾らか重さを感じる足を沼に踏み出す
【地形の利用】で足場を慎重に探し
ブーツの底で踏みしめて
漂う瘴気が一足ごとに身体を侵していく気がする
途中で一度歩みを止め、息を吐く
ふと上げた視線が捕らえる、沼の縁に立つ一本の木
――っ、
思わず息を詰めた
スカートを握る手が震えた
霧の中見え隠れするその木が、
嘗て庭にあった桜の木に見えて
その枝に…
人がぶら下がっているように、見えて
震える手で口元を覆い、何とか呼吸を整える
…違う、
あれは違う
あの木はもう、伐ってしまったもの
あのひとは、もう――
竦んではいけない
どうしようもなく圧し掛かる喪失感に
歯を食いしばりながら足を動かす
前へ、前へ
くらく、おもく。じめついた空気が、じんわりと身体に纏わりつく。
足が重い、身体が重い。自身をも呑み込まんとする呪詛の気配を感じながらも、雨糸・咲(希旻・f01982)は一歩、一歩、沼の中を進んでいた。
沼地の湿気を吸ったブーツが、いやに重く感じられて……けれど。この倦怠さは、きっとそのせいだけではないのだろう。
数多の人を呑み込んでしまったのだという、嘆きの沼。今、咲が何とか踏みしめているこの涅の底にも、きっと。哀しみに溺れて、生きることに絶望して――沈んでしまった人々が、いるのだろう。
それを思うだけで、咲の心には深い影が落ちる。いつもなら、夜半に浮かぶ月のように柔らかな光を湛えている彼女の瞳が、一足を進むごとに翳りを帯びていた。
だって、聞こえるのだ。悲しい、悲しいと。
亡き親を求めて、泣き止むすべを知らぬ子の声がした。誰かを助けられずに、無力に打ちひしがれる若者の声がした。信じたものに裏切られて、けれど憎む事も出来ずに伏せる女の声がした。
いくら頑張っても、いくら声を張り上げても届かぬもの。僅かな希望を求め続けて、すり減っていった者達の――嘆きの、声がした。
彼らの声が、耳へと流れ込むたびに。咲の心に、しんしんと嘆きが降り積もる。彼女の心を、じわりと呪詛が絡め取っていく。沼に漂う瘴気は、優しき少女を着実に侵していた。
――それでも。少女は、進もうとする。
ひとの嘆く様を、これ以上見たくはなくて。けれどそれ以上に、このままこの嘆きの元を放って置くことを、彼女の心は良しとしなかったから。
蝕まれる心を抱えながら、咲は歩いていく。ぼぉっとする頭を、かぶりを振ることでどうにか醒ましながら前を見る。しっかりと足場を見極めなければ、自分も嘆きに溺れてしまいかねないのだから。
ゆっくりと、少しずつ。慎重に、けれど確実に、前へ。
やがて辿り着いたのは、草木の茂る足場だった。長く背を伸ばした木は、この沼の中でもしっかりと根を這っているのだろう。
まだ、向こうの岸は見えそうにない。一度呼吸を整えようと、咲はその木に手を添えながら息を吐いた。泥濘んだ沼は、ただでさえ体力を消耗する。首筋を流れ行く雫が、彼女の疲労を表しているかのようだった。
それでも、どうにか息を整えて。咲は、再び前に進むために力を入れ直す。はやく、この嘆きをおわらせなければ。
――ふと。
前を向こうと、顔を上げた矢先。咲の瞳に、ひとつの影が映り込む。
霧の狭間に現れるそれは、一本の木であった。今彼女が足場としているそれよりも半寸ほど離れた場所にある、ひょろりと大きな木であった。
その姿に、何とも言えぬ既視感を覚えて。咲は、瞳を細めて霧の向こうのそれを見る。
遠目にもしかりと立っているそれは、人が見上げるほどの大きさで。咲は、何処かであれを見たことが――。
「――っ、ぁ」
ひゅっと。短く吸い込んだ息が、掠れた音を立てる。咄嗟に握りしめたスカートが、いびつな皺を象っていた。
そうだ、咲はあの木を知っている。春に花咲く、あの桜の木を知っている。
綺麗な花弁を咲き誇らせる筈の、その枝に――だらりとぶら下がる、あの人影を。
「……ち、が」
違う。違うはずだ。あれが、あの木である筈がない。
だって、あの木が花咲かせる事は二度とない。あの桜を見上げて、笑みを綻ばせる人を見る事もないだろう。
だって。
あの木はもう、伐ってしまったもの。
あのひとは、もう――。
震える手で、口元を覆う。零れそうになる声を、溢れそうになる気持ちを押さえ込む。
彼の人を救いたいと、その願いを掬いたいと思って――ついぞ、叶えられなかったという虚ろな厭世が。どうしようもない喪失感となって、彼女の華奢な肩に圧し掛かってくる。
「……だめ、だめよ」
震える掌を、ぎゅっと握りしめて。かつて抱いた覚悟を噛みしめるように、ぐっと歯を食いしばって。咲は、桜の木から視線を外す。
哀しみが、後悔が薄れる事はないけれど。それでも、今ここで竦んでしまう事は赦されないから。人の嘆きを救わずに逃げることを、きっと自分自身が赦せないから。
呼吸を整える、一歩を踏み出す。
群青の髪を揺らして、少女は歩く。
前へ、前へ。ずっと、歩き続けていく。
――たとえ。その先に、あのひとがいなくても。
成功
🔵🔵🔴
ジャック・スペード
●*
「沈む」という感覚は余り好もしくないな
然しその先にオブリビオンが居るというのなら
此処で足を止めている訳にも行かないか
勇気を胸に抱き、ただただ前へと進んで行こう
1歩ごとに重い身体が沈む
こんな時、機械仕掛けの此の身を意識せざるを得ない
――そして次はこころが沈む
幾らヒトに憧れて其の真似をしても、所詮俺は異形の身
当たり前だがヒトに成る事など出来ない
それに未発達な此のこころでは
ヒトと分り合う事など一生出来ないかも知れない
そんな異物としての自身を顧みれば、どうしようもなく卑屈になる
――いや、こころを得た時から「覚悟」はしていた筈だ
報われずとも見返りは決して求めないと
俺はただヒトの役に立ちたいだけなんだ
加賀宮・識
●*
【SPD】
歎きの毒沼…言われている通り身体がいきなり重くなったな
哀しみが心に毒となって染み入り、蝕むと言うなら…
もう遅い
それを言うなら私の心は
すでに蝕まれ、もがき、苦しみ、今も抜け出せずにいる
幻影がこの想いを
凌駕することはない
本当に、今更、だ
少しは影響があるだろうが
止まるには至らない
共にきた仲間達に一声かけ
暗月鎖を構える
この重苦しい空気を
【なぎ払う】かの如く、降り下ろす
少しでも仲間達の助けになればいいのだが
風圧で垣間見えた足元を
確認しながら慎重に進む
この悪趣味を楽しんでいる敵を見つけたなら
ただではおかない
(アレンジ、共闘大歓迎です)
ぬかるんだ泥の中を、進み行く影がある。
それは、唯人より一回りも二回りも大きな影であった。夜闇に溶けるかのような黒い巨躯を持つ者、ジャック・スペード(J♠・f16475)が低い稼働音を響かせながら沼地を進んでいた。
鉄の身であるジャックにとって、この泥沼はあまり得意な場所ではない。如何に足場をサーチしながら進んでいるとは言え、人に比べて遥かに重い機体は、泥の奥深へと否応なく沈みかけてしまう。
この「沈む」と言う感覚を――彼は、余り好ましく思ってはいなかった。
身動きの取り辛い、暗闇の世界。確かな足場を得られず、抗うすべもなく漂う感覚。
それは遠い昔、昏き海へと流されたいつかを想起するに充分なものに思えたから。
――然し。
「……此処で、足を止めている訳にも行かないからな」
小さく落とされた声は、己への鼓舞を含めたものだろうか。一歩、また一歩とジャックは沼地を進んで行く。体に纏わりつく泥を落とし、ぬかるんだ土を掻き分けて。沈鬱に染まりかけるこころを、抱いた勇気で祓い乍ら。ただただ、前へと進んで行く。
此の地を脅かすと言う災厄、オブリビオンがその先に居るというのなら。ジャックが足を止める理由など、一つもないのだから。
……だが。機械仕掛けの身である彼にも、嘆きの呪詛はその手を伸ばしてくる。
沈む。沈む。鉄の身体が、沈んでいく。
沈みきらぬように、岩を掴む。なるべく確りとした足場を探していく。
それでも。重き此の機械の身が深く沈んでしまう度に。パーツの隙間に入り込んだ砂が、ガリガリと軋んだ音を立てる度に。ジャックは、どうしても意識せざるを得なかった。
――此の身は、ヒトならざる者に他ならないのだ、と。
幾らヒトに憧れて、其の真似事をしたとしても。所詮己は、異形の身でしかない。
ヒトに成る事など出来る筈もない、なんて――嗚呼、そんなこと。彼とて、当たり前のように分かっていた。分かっていて、それでも憧れてしまったのだ。あの優しさに触れて、あの輝きを目にして。どうしようもなく、焦がれてしまったのだ。
こんな欠陥だらけの己でも。あのようなモノに成れるのはないか、などと。
……あまりに、不相応な願いだった。
いくら真似事をしようとも、此の腕があの温もりを手にすることはなく。
此の身に宿りし「こころ」すら、彼らの輝きを前にしてはひどく小さなモノに思えてならず。
そんな未発達な己では、ヒトと分かり合う事など――例え一生を賭けても、叶わぬ事なのかもしれない、と。
ずぶり、と。鉄のカラダが、一層に沈んでいく。
立ち込める霧が、彼の双眼を曇らせて。徐々に、動きを緩慢にさせていく。
それがまた、己の異物さを誇示しているかのようだった。
しずむ、沈む。こころがある故に、こころを持ってしまったが故に。
この昏き泥沼の中。ジャックは呆然と立ち竦みかけて――。
――風が、鳴った。
「――!」
一閃の元、ジャックの周囲を覆っていた霧が払われる。曇っていた視界が、晴れていく。
何事だと振り返れば。そこには、一人の影があった。
短く整えた黒髪を揺らして、毅然と沼を進み来る一人の少女。加賀宮・識(焔術師・f10999)だ。
この昏き沼においても、瞳に灯す光を失わずに。華奢な少女は、その手に刃を携えながらジャックの方へと歩いていく。
「大丈夫でしたか? 少し、ぼうっとしているように見えたから」
気つけになればと思って霧を、この呪詛を祓ったのだと。そう告げる少女の言葉を受けて、ジャックはハッと先の風を思い返す。なるほど、あれはこの少女の斬撃によるものか。
「ああ――嗚呼。すまない、助かった。礼を言わねばな」
有難う、と。礼を述べるジャックに、少女はにこりと笑みを浮かべた。
「いえ、気にしないでください。お役に立てたなら良かった」
朗らかに返す少女、その手には黒き剣が握られている。闇夜の如き漆黒の刀身に、蒼の紋章。立派な意匠だ――華奢な少女が持つには、ややアンバランスに思える程に。
誰かから、譲り受けたものだろうか。少女が剣を握る事になった経緯を知り得ぬジャックは、少しだけ不思議に思う。決まった型番、決まった装備を与えられる事が常であった兵器にとって、他型用に誂えた装備を常用すると言うのは新鮮に思えたのかもしれなかった。
しかし、ジャックの疑問は形になる事もなく消えていく。あまり表情が豊かと言えぬ彼は、その双眼による視線も顕著なものではなく。よって、それを少女が感知する事も無かったから。少し見られてるかな、と首を傾げるくらいのものだ。
「それじゃあ、私は先に進んでみます。お気を付けて」
「……嗚呼、其方もな」
ひらりと手を振ってから、再び歩き始める少女。そのしっかりとした足取りは、実に頼もしく思えるものだった。
――嗚呼。
やはり、と。ジャックは己のこころを、求めるものを再認識する。
ヒトのこころは、ヒトの輝きは。己にとって、かけがえのないものであるのだと。
彼らのようになる事は、己には出来ないのかもしれない。嗚呼だが、それでも。
報われずとも見返りは求めない。求めるべくもない。己は既に、返しきれぬほどの恩を、暖かさを与えられている。
己は――俺は、ただ。ヒトの役にたちたいだけなんだ。
かつて抱いた己の覚悟を、再び胸に灯して。
ジャックもまた、大きな一歩を踏み出していった。
◆
識は、前を向いていた。この毒の沼において、俯向きもせず、顔を曇らせる事も無く。
毅然とした眼差しで、前を見据えて。揺れることなく、歩いていた。
――確かに。呪詛の影響だろう、降り掛かる嘆きに身体は重くなった。
哀しみが心に染み込んでいる、人の嘆きによって蝕まれていく。
雪崩れ込む声は、絶えず彼女に訴えてくる。悲しい。辛い。いたい。どうして、どうしてこんな目に。私だけが、何故――。
ああ、そんなものは。
「……今更だ、本当に」
小さく落とされた言葉に、感情は見えず。淡々と、識は数多の嘆きを掻き分けていく。
平穏を切り崩される悲劇ならば、既に見た。如何にしても拭い切れぬ悔恨など、既に得た。
識の心は、今も。蝕まれ、もがき、苦しみ――そこから、抜け出せずにいるのだから。
これ以上はないと言うほどに、かつての彼女は叩き落とされた。
絶望の穴の底へ。這い上がる事の出来ぬ、冷え切った其処へ。
そんな彼女の心に、これ以上どんな嘆きが降り積もったところで何だと言うのだろう。
識は既に、嘆きに呑まれているのだから。呑まれて尚、歩き続けるしかないと識っているのだから。
あの哀しみを忘れる事はない。其れが、彼女の原動力であるのだから。
あの痛みを忘れる事などない。其の戒めをもって、今も尚生きているのだから。
心を燃やし続ける炎は、あれらを燃やし尽くすまで鎮る事は決してない。
だから――今この瞳に映る、あの日の惨劇の幻影も。
足を止める理由には、決してなり得ない。
ぐっと、剣を握る手に力が籠る。漆黒の鉄塊剣は、彼女が師から受け継いだもの。
先程は、この剣を仲間の為に揮っていた。哀しみに呑まれんとしていた、一人の仲間に。
識は、嘆きが引き起こす痛みを身を以て知っているから。その痛みへと陥るものなど、一人でも少ない方が良い。
そうして揮った一閃が、鋭い風を巻き起こして立ち込める霧をなぎ払っていった。
彼女は再び、剣を握る。身体は相変わらずに重い。だが、それが何だ。
前を見据えて――振り下ろす。霧を、幻影を払い除ける為に。
彼女の放った一閃は、鋭く、重く。風圧で、視界を覆う白い靄が払われていく。あの日の光景ごと、消えていく。
「こんな悪趣味な事、早く止めないと」
泥濘んだ足元を確認しながら、識は慎重に進んでいく。
瞳には、この奥に潜んでいるであろうオブリビオンへの怒りを灯して。
「ただではおかない――絶対に、斬る」
そうして、少女は歩いていく。
嘆きの全てを呑み込んで、痛みに身体を蝕まれながらも。
決して揺らぐ事のない思いを胸に抱きながら――前へ。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴
エン・アウァールス
【●*】【SPD】
(悲惨な過去を、)
沈みゆく夕陽が目を焼いた。
鋸を振り下ろし、“外”に出た。
そこまでは憶えている。
それから何かを、“見て”。
一一 ぼくはどうしたんだったろう。
罵声も悲鳴も聞こえない。
ふと、素足に伝うものがある。
手に握った鋸から垂れた、赤い、
「…?」
二丈先。土に転がる塊がある。
夥しい血は、頭と上半身が離れたのが原因らしい。
塊はふたつ。片方は知らない。
もう片方は色褪せた着物を着て。
欠けた角に、
緑 の 髪 の 、
「おっと」
「一一 足を、踏み外してしまったね」
▼行動
【呪詛耐性】【毒耐性】を駆使。
「雪迎え」を沼の木々に【投擲】、綱渡りで移動。落下防止のため、足首に鋼糸を括り付けておく。
――しずむ、沈む。
沈んでいく。沈んでいく。
この、日の射さぬ昏き世界の中で。
沈みゆく“真っ赤な夕陽”が、エン・アウァールス(蟷螂・f04426)の目を焼いていた。
「……ここ、は」
此処はどこだろう、とエンは疑問を抱く。自分はさっきまで、真っ暗なところにいた筈なのに。真っ暗な――部屋の、中に。
そうだ、と。エンはすぐ様に思い当たる。自分はあの部屋を出てきたのだ、だから此処は“外”に相違ない。
扉を壊す為に使った鋸を抱えながら、エンは外へと一歩を踏み出した。ひどく赤い空の下、エンはきょろりと小さな瞳を巡らせる。爛と光る金のまなこは、誰かを探しているかのようだった。
――はやく。はやく、あの人を探さないと。
エンが外に出たのは、あの固く閉ざされた扉を開けようとしたのは。あの人の声を聞いたからだ。優しいあの人の、布裂くような悲鳴を聞いたから。何が起きているのかはわからなかったけど、それでも身体は勝手に動いていた。
だから、絶対に出るなと言われていた彼処からエンは出て来たのだ。あの人のところに、行く為に。
そうして頭を巡らせて、視線を向けた先。彼は“それ”を、見て、それで――。
……そこから先を、その鬼は覚えていなかった。
気付けば、女の悲鳴は消えていた。女へ向けていたらしき罵声も、聞こえなくなっていた。
エンは、ぼうっと立ち尽くしている。何が起こったか、全く分からないといった表情で。
――ぼくは、どうしたんだったろう。
ふと。手に握られていた鋸から、ぴちゃりと垂れ落ちるものがあった。
おもむろに視線を向ける。それは赤い、あかい――。
「……?」
赤い道筋を、金の瞳が追っていく。そうして、二丈ほど先に“それ”はあった。
ごろりと、無造作に地面に転がった塊ふたつ……いや、もうひとつ、あるだろうか。
大きな塊から少し離れて、ころっと転がった丸いものがある。よくよく見れば、それは目と口のようなものがあったから。きっと、ひとの顔だったのだろう。
身体と顔と、分かたれた一組み。切り離されたらしい首から流れ出た血が、湖のように広がっていた。
最初に見たそれは、知らないひとのものだった。エンはすぐに興味を失って、もう片方のものを見る。
それは、どこか見慣れた、色褪せた着物を纏っていて。
頭の角が、片方欠けている……みどりの、かみ、の……。
◆
「……、おっと」
くんっ、と。足首を引っ張られるような感覚を切掛に、エンは“目を醒ました”。
足元にはピンと張られた銀糸の道、足首に括り付けられた鋼糸、そしてバランスを崩しかけている己の体。
意識が戻ると同時、エンは直ぐ様に体勢を整えていた。それは彼が自身の状況を把握するよりも早く、反射故の行動で……奇しくも、先に見た過去の時と、同じように。
「――足を、踏み外してしまったね」
咄嗟に動いた反動か、ぐらぐらと揺れる銀糸の上。その振動が収まるのを待ちながら、エンは此処までの経緯を思い返していた。
そうだ。エンは仕事を受けていた。この日の射さぬ昏い世界へは、予知者からの依頼があったからこそに訪れたのだと思い出す。
眼下に広がる沼は、嘆きの呪詛を染み込ませた毒の沼なのだという。直に触れるとより影響が強いという話であったから、エンは己の“雪迎え“を使って足場をつくることにしたのだった。
丈夫な銀糸である“雪迎え“を、沼に点在する木々へと投擲する。それぞれの枝へ引っ掛けて
ある程度張りを調整してしまえば、あっという間に“足場“の完成だ。
呪詛も毒も、エンにとっては慣れ親しんでいたものだったから。あまり影響はないだろうと踏んでいたのだけれど、どうやらエンは過去の幻を見せられていたようだった。足を踏み外してしまったのは、それが原因だ。
念のための保険で、足首に鋼糸を結んでおいて正解だった。お陰で、呪詛の沼へ頭から浸かると云う事態は避けられたから。
「……そろそろ、大丈夫かな」
揺れが収まり始めた銀糸の上、エンはゆっくりと立ち上がる。
さっきは、不覚を取られてしまったようだったけれど。今度はちゃんと気を付けよう。
綱渡りの要領で、エンは静かに沼の上を歩んでいく。軽やかに、重さを感じさせぬ足取りで。
ひらりひらりと。
鬼の纏う衣の裾だけが、どこか哀しげに揺れていた。
成功
🔵🔵🔴
境・花世
●*
哀しいことなんてなんにもないよ
だいじょうぶ、沈みやしない
ひそやかな言葉は嘘か真実か
囁きと同時に発動させる“偽葬”は
この躰に力を与えるだろうか
どちらにしても暗闇見通す目は道を見つけるだろう
躊躇わずに踏み越えて先へ、先へ
ねえ、だって、ほんとうに哀しくないんだ
淋しいなんて思うはずもないんだ
……空っぽの心臓、伸ばせない腕、意味のない、
“化け物”
“お前の罪を、生きて償え”
霧の中にひびく言葉は聞き慣れているから
いちいち脚を止めるはずもない
知っているよとあえかに笑って闇のなか
駆けても駆けても、望む場所へは辿り着けないけれど
この先に敵がいるならば
それがわたしの仕事、わたしの罪科
まだ――立ち止まれない
――ゆらりと。赤が、揺らめいて。
昏い昏い空の下。幾多もの嘆きを呑み込んだその沼の前に、境・花世(*葬・f11024)は静かに降り立っていた。長く伸ばされた髪先が、薄紅の衣装が、沼地から流れてくる風を受けて揺れている。
風は、嘆きを連れていた。この沼の向こうの奥深くから、ずっとずっと嘆いている誰かの声。聞くだけで、心に重くのし掛かるような、胸を締め付けるような声だった。
そうして、数多もの人が。心を哀しみに絡め取られたまま、底へと沈んで行ったのだろう。
花世は、静かに瞳を閉じる。絶えず聞こえてくる声に、あえて耳を傾けるようにして。
かなしいのだと、つらいのだと。哭き続ける彼らの声を、受け止める。
「……哀しいことなんて、なんにもないよ」
小さく溢されたのは、魔法の言葉。
この沼を満たして、溢れされんとする悲哀の毒を耐える為の。
「だいじょうぶ、沈みやしない」
――それは、己に言い聞かせているかのような声だった。
ひそやかな女の囁きは、心からの想いを紡いだ言葉だろうか。
それとも――虚の響きが、含まれていたのだろうか。
真偽は彼女の内にしかなく……けれど。発動させた“偽葬”そのものが、きっと答えをくれていた。
花世は、再び瞳を開く。片目に映り込む景色は、相変わらずどんよりと澱めいて。呪詛に満ちる霧の世界は、見るだけで気も重くなる。
……それでも。彼女は先へ行く事を躊躇わない。細められた瞳は、嘆きによって痛みを齎されたのみではなく。この昏き沼を進み行くべく、確かな道を探す為のものだ。
やがて、花世は一歩を踏み出していく。行く先がどんな暗闇だろうとも、踏み越えていく為に。――先へ。
一歩、進む。泥を掻き分けて、花世はかろやかに駆けて行く。
そうして進むごとに、嘆きの呪詛は彼女へと雪崩れ込んでいた。それはまるで、道行く花世に縋るかのように。此方へ此方へと、底へ誘うかのように。
哀しい、哀しいね。もう、頑張って生きるのは疲れたね。だって、どこにいったて、居場所なんてないんだから。許されることなんて、ないんだから。さみしいね、かなしいね。もう、つかれたね。もう、いきを、とめたいね。
そんな言葉を耳にしながら――花世は、わらっていた。
わらって、いたのだろうか。口の端は確かに上がっていて、前見る片の瞳にも、ちゃんと光が灯っていて……それでも。彼女の纏う雰囲気は、どこか空々しくも感じられて。
「……哀しくないんだ、ほんとうに」
ぽつりと落とされる言葉は、どこか。自嘲の響きさえ滲ませているかのようだった。
ねぇ、だって、ほんとうに。自分でも不思議なくらい、哀しいと思えない。
ぽっかりと、穴が空いたみたいなわたしのこころ。淋しいだなんて、思うはずもない。
……空っぽの心臓と、伸ばせない腕と。全部、ぜんぶ、意味のない――。
“――――化け物”
ふと。耳に聞こえる声が、いつの間にか変調を来たしていた。
呪詛が、形を変えたのだろうか。より深く、進み行くものに嘆きをもたらす為に。
道行く獲物を、その歯牙に掛けようとするように。
“化け物。なんで、お前のようなものが”
“償え、お前の罪を。生きて、贖い続けろ”
それはきっと。花咲く女にとって聞き慣れた、あまりに身近な呪詛だった。女の首を絞めようとする、おぞましい言葉の雨だった。女の身体を引き裂こうとする、悪意を宿した牙だった。
けれども。それすら耳慣れてしまっているからと、花世は脚を止めようともせずに。「知っているよ」とだけ呟いて、あえかな笑みを浮かべたままに駆けていく。
先の見えない、真っ白なやみのなか。行き着く先はきっと、心から望む場所ではないけれど。それでも花世は駆け続ける――駆けなければと、己自身に課している。
だって。この先に斃すべき敵がいるのなら。
それに相対するのが、彼女の仕事。エージェントとしての為すべき標べ。
はっきりと示されている――わたしの、罪科。
「まだ――わたしは、立ち止まれないから」
はらりと落ちる花弁を、置き去りにして。
この地獄のような世界の中を、花世はひたむきに駆けていった。
……ごめんね、と。
小さく紡がれた言葉は、この昏き沼底へ置き去りにしてしまう彼らへの餞で。
共に嘆くことすら出来ぬ女の、精一杯の謝意だった。
成功
🔵🔵🔴
第2章 集団戦
『その地に縛り付けられた亡霊』
|
POW : 頭に鳴り響く止まない悲鳴
対象の攻撃を軽減する【霞のような身体が、呪いそのもの】に変身しつつ、【壁や床から突如現れ、取り憑くこと】で攻撃する。ただし、解除するまで毎秒寿命を削る。
SPD : 呪われた言葉と過去
【呪詛のような呟き声を聞き入ってしまった】【対象に、亡霊自らが体験した凄惨な過去を】【幻覚にて体験させる精神攻撃】を対象に放ち、命中した対象の攻撃力を減らす。全て命中するとユーベルコードを封じる。
WIZ : 繰り返される怨嗟
自身が戦闘で瀕死になると【姿が消え、再び同じ亡霊】が召喚される。それは高い戦闘力を持ち、自身と同じ攻撃手段で戦う。
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴
|
種別『集団戦』のルール
記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
大成功 | 🔵🔵🔵 |
成功 | 🔵🔵🔴 |
苦戦 | 🔵🔴🔴 |
失敗 | 🔴🔴🔴 |
大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
前へ進んだ。先へと進んだ。
其々に想いを抱きながら、溢れる悲哀を呑み込みながら。
彼らは、より深く歎きの満ちる場所へと進んでいった。
ぬかるんだ泥、重く湿った霧の中。
永遠に続くか思われたこの沼地にも、やがて果ては訪れる。
踏み締める地面が、仄かに硬くなっていく。
底の浅さにを感じ取って、誰かがほうと息を吐く。
ようやく、終わるのだと――そう、思った時だった。
『ぁぁああ゛あ゛ぁあぁあ゛ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛』
――耳劈く咆吼が、彼らの鼓膜を震わせる。
その叫喚は、これまでの呪詛とは比べ物にならぬ重さを伴って。
岸へと上がらんとする彼らを引き止めるように放たれる。
同時に。頭に流れ込む思念が、彼らの足をその場へと縫い留める。
泥濘みの沼から離れぬように。決して、其処から逃がさぬように。
やがて顕れるのは、黒き布纏いし亡霊たちの姿。
苦悶の顔を張り付けた……既に生を手放してしまった、死者の群れ。
――行かせはしない、生かしてはおけない。
我らは沈んだ、悲哀に沈んだ。抗い様も無く、誰の助けも得られずに。
それなのに、何故。お前たちは、生き行こうとしているのか。
認められぬ。生き行くお前たちを、我らは断じて認められぬ。
故に、此処で――沈んで、おくれ。
エン・アウァールス
【●*】
▼心情
やあ、はじめまして。
ええと…悲しいのかい?
あ、怒っているのかな?
…この中に。
同じ血族に迫害されたヒトはいる?もし居るなら、依頼を受けるよ。
ああ、でも 一一 報酬が払えないのなら話は別なのだけれど。
だから、ね。
エンの足から手を離してほしいのだけれど。…嫌?そっか。
それなら、仕方がないね。
足元を這い蹲っているなら。
頭を思い切り踏み抜かれたり、首を落とされたりしても、仕方がないね?
▼戦闘
【呪詛耐性】【激痛耐性】【地形の利用】を駆使。「肉剥」を【武器改造】で薙刀へ。【なぎ払い】で攻撃。敵からの攻撃は、木々の間に張った「雪迎え」を使いつつ、回避を試みる。
ボアネル・ゼブダイ
●*
死後もなお、止まない悲哀に苛まれ
悲しみと歎きがいつしか憎悪と変わったか…
せめて、聖者として、あの地獄の生き残りとして、務めを果たそう
かつての故郷で共に生きた人々でもあり、父母と同じように善良で優しかった領民達のなれの果てを見る
死後もなお炎に包まれもがき苦しみ
生者を呪い、怨嗟の言葉を吐く
なぜ、自分達がと
せめて、お前も道連れにと
亡霊たちを前に祈りを捧げ、自らの呪詛耐性を強化
コ・イ・ヌールを装着し、周囲を範囲攻撃で切り開いたらUCを発動する
彼らにかける言葉はない
ただ、苦しまず主の御許に行けるように光の精霊達による鎮魂歌を彼らに捧げる
…この先にいかなる苦難が待ち受けようとも
汝らの為に我が歌を捧げん
オニバス・ビロウ
愛しいものを守れなかったと、悪鬼に蹂躙を許してしまったと…悔恨に溢れる声だ
あの嘆きは我ら一族が抱える嘆きと同一のものだ
…その痛みも嘆きもわかる
だがその嘆きを看過し受け入れてしまえば、俺はかつての守護者と同じ末路を辿ってしまう
復讐に生きるだけの、悪しきも善きも殺す鬼へと変じてしまう…それだけは許されざるよ
故に、俺はお前たちを打ち倒そう
今のお前たちは自らが憎んだ悪鬼と化しているのだから
【呪詛耐性】と【狂気耐性】のお陰であの声に怯む事はない
いずれ己もああなるかも知れぬが、それでも生きる【覚悟】はある
このUCはその特性上、鬼となった守護者が使っていたと聞く
だが前に進むと決めた以上は使う事に躊躇いはない
顕われる。苦悶の顔を貼り付けて、おぞましい嘆きの声を放ちながら。
沼の底から這いずるようにして、亡霊達がその姿を顕わしていく。
それは、沼を渡りきろうとする者共を阻むように、共に嘆きの底へと沈ませんとするように。おぞましくも夥しい幽鬼の影が、猟兵達を囲んでいた。
「――まるで、悪鬼の様相だ」
ひそりと。小さく呟きを落としたのは、オニバス・ビロウ(花冠・f19687)だった。
怨嗟が形を成したような死霊の群れ。それらの歎きは精神を蝕む狂気を孕んでいるのだろう。絶えず聞こえる呪詛の囁きは、今もなおオニバスの耳に入り込んでいる。
しかし、それは歩みを止める理由にはなり得ない。前を向く藍の瞳には覚悟が灯され、打刀を握る手には力が籠められた。
「――――、」
鬼、という言葉を聞き止めて。傍で鋸を構えていたエン・アウァールス(蟷螂・f04426)は僅かに身を反応させた。すっと静かに瞳を滑らせて――それが自身と同じ陣営の者の言であると確認するや否や、すぐに興味を失ったように視線を外していた。エンの意識は、すぐに如何に獲物を狩るかという事に移っている。
目前で呻きを上げる奴等がいつ飛んできても良いように気を張りながら、エンは自身の手から伸びた銀糸を張り巡らせていく。木から木へ、この泥濘んだ沼地での軌道の要となるように。揺蕩う銀糸がピンと張って行き、僅かな振動を起こす事でエンに足場が出来た事を伝えていた。
各自が、得物を構えて前を見る。臨戦態勢、いつ襲い襲われるかも分からぬ状況下。
その中で一人、未だ武器を持たずにいる者がいた。
一歩。前へと出たボアネル・ゼブダイ(Livin' On A Prayer・f07146)は、その空いた掌を握り締める。いつかその手から零れ落ちていったもの達への想いを噛み締めるかの様に。
「死後もなお、止まない悲哀に苛まれ。悲しみと歎きがいつしか憎悪と変わったか……」
幽鬼と成り果てた彼等を見据える、その瞳は輝きを失わず。胸元に付けられた紅玉石の様な煌めきを灯している。
「せめて、聖者として……あの地獄の生き残りとして、務めを果たそう」
――主よ。
小さな祈りの言葉と共に手を掲げる――刹那、ボアネルの掌から眩いばかりの光が溢れていく。この霧深き闇の中、放出された光はやがて収束して行き……一振りの、剣となる。
彼の得物である光剣、コ・イ・ヌール。掌によく馴染むそれを構え、ボアネルはその切っ先を迷いなく亡霊達へと差し向けた。
それが、口火。
『あ゛あぁあぁああぁあ゛あ゛あ゛ぁあ゛あ゛!!!!』
自らとは最早相容れぬものとなってしまった光に、拒否を示したのだろうか。先に動いたのは、彼らを囲む様に漂っていた亡霊達であった。
悲鳴が響く、怨嗟の呪詛が放たれる。元から朧げであった霞の様な体が、それその物を呪いと変えて彼らを取り込まんと襲い来る。
眼前へ迫り来るその姿は、苦悶の叫びも相俟って肌の粟立つものだっただろう。しかし、オニバスは怯む事なくそれを見据える。目を細め、黒き靄に包まれたその本体を冷静に見極める。幽鬼に等しき存在といえど、過去の残滓として今生に残り続ける限りは、切れる。
己を捕らえようと、靄が迫る。一人でも多く生者を搦め捕ろうと伸びた――その腕を。オニバスの瞳は見逃さない。
握り締めた打刀を、振るう。一閃、靄に包まれた腕を落とし、続けざまに胴を切り払う。
確かな手応え、しかしそれで安堵する事はない。敵は、多くいるのだから。
『あ゛あ゛あぁぁぁぁあああぁぁぁあ!!!!』
鼓膜を震わせ、脳へと直接叩き込まれる呪詛。あまりの物量に、オニバスは思わずといった風に顔を顰めた。
此方を呪い殺さんとばかりに睨む、亡霊達の顔に――悪鬼が、重なっていく。
『何故、何故!!!!!!』
悪鬼と、成り果ててしまった。己と志を同じくしいたであろう者達の、かつての守護者達の影を。オニバスの瞳は映している。
『我らは為す術なく失った。己の命も、己以上に大切な者たちの命も!! なればこの世に意味はなく、全てを沈めねばこの痛みはおさまらぬ!!』
叫びが放たれる。歎きを内包した憤怒が――その身に降りかかった痛みを、全てに等しく与えんとして。
「……お前たちは、既に失った者たちか」
刀振るう手を止めぬまま、オニバスは小さく言葉を落とす。
愛しいものを守れずに、悪鬼に蹂躙を許してしまった悔恨の歎き。それはオニバスにとって身近なものであった――彼の一族にとっては、常に付き纏う痛みであった。
故に、分かると。オニバスは幽鬼達に理解を示す。その歎きと痛みを、他人事ならぬ物だと吞み下す。
――だが。
「俺は、その嘆きを看過出来ぬ。受け入れる事はならぬ……今は、未だ」
もし、その歎きを受け入れてしまえば。己もまた、先人達と同じ道を辿ることとなるのだろう。一族から排出された守護者達、かつての彼ら達と同じ末路へ。
復讐に生きるだけの、悪しきも喜きも殺してしまう――滅ぼすべき筈の、悪鬼へと。
「……それだけは許されざるよ。俺は、必ず迎えに行くと決めたのだから」
目前の敵に打刀を向けながら、オニバスは空いた手でそっと腰元の刀に触れる。彼の携えるもう一振り、『楓』の名を冠する脇差。かの最愛の人の名を冠した、誓いの刀。
――覚悟は既に、己の内に。
変わらずに頭へと響き渡る怨嗟の声。しかしオニバスがそれに怯むことはない。
呪詛をこの身に浴び、狂気の淵に立たされて尚。愛しき人と共に生きると、帰ると心に決めた男に立ち止まる道理はない。躊躇いにたたらを踏む筈もない。
それが例え、いずれの己の末路を示唆したものに相対したとしても。
打刀を構えたオニバスの身体を、青き闘気が包んでいく。淡く輝きを放つそれは、まるで誘蛾灯の様でもあり――幽鬼達が、彼の動きの変化を察して見る見る間に群がっていく。
何をしようと、何をされようと。所詮は力無き人ひとり。打刀の一振りで数多の幽鬼を捌ける訳も無い。
……無い、筈だった。
「…………、」
――鉄樹開花。
一太刀を、揮う。それだけで、鋭き太刀筋が“九つ”に分かたれる。
劈く悲鳴、搔き消える亡霊の群れ。無差別とも思われる斬撃の牙が、次々と亡霊達を切り裂いていく。
その一つが、戦場にいた一人の“鬼”へも差し迫り――。
「――、おっと」
ガギン、と。刃が阻まれる音が響き渡る。何事だ、と僅かに見開いたオニバスの瞳に映ったのは“片角の鬼”だった。
「……申し訳ない。制御の効かぬ技である故に」
「良いよ、別に。――それに、ちょうど良かった」
瞬間的に防いだ一太刀は、しかし僅かに身を斬ってもいたのだろう。鋸を構えるエンの腕から、たらりと一筋の血が流れていく。
しかし、これは言葉通りに“ちょうど良い”ものであった。少なくとも、エンにとっては。
血が、エンの持つ鋸にまで伝っていく。虚ろに光る黒曜の刃に、赤き鬼の血が浸透して――徐々に、その姿を変えていく。平たく広い刃が、その形状を細く、鋭くさせていき。持ち手であった柄が伸びていく。
鋸から、薙刀へ。彼の持つ肉剥ぎは、血を吸ってその姿を変えいく。
これ程に多く敵があるならば、薙刀のように揮う範囲が広がる得物の方が良いだろう。だから、ちょうど良かった。幸いにもエンは痛みに強い方であったら、筋さえ切れていなければこの程度の傷は得物を揮うに差し支えない。
その様子を見て、大事ないと見たのだろう。オニバスは、すぐに踵を返す。
再び発現させた闘気を纏いながら、溜りとなっている亡霊たちの群れの方へ。
一刻も早く、この場を切り開く為に。
◆
薙刀となった己の武器を構えて、エンは改めて亡霊の群れを見る。
「やあ、はじめまして。キミたちは……ええと、悲しいのかい?」
それとも、怒っているのだろうか。怨みを込めた呪詛、突き刺す様な眼差しをその身で感じながらも、エンはぼうっとした雰囲気のままに首を傾げている。
彼らの嘆き、怒る気持ちを、エンの欠けた心は理解しきれないけれど。でも、そういった感情が“仕事”を生み出すものだとは知っている。
「……もしキミたちが望むなら、依頼を受けるよ」
例えば、力無く虐げられた者だとか。
例えば、為す術なく蹂躙を受けた者だとか。
例えば――同じ血族に、迫害されたヒトだとか。
新たに依頼を受けてあげても良い。何故かは分からないけど、今のエンはそんな気分であったから。既に彼自身は覚えてもいない白昼夢の、光景は何一つ思い出せないけれど。肉を断つ感触だけは、馴染みがありすぎる程にこの手に染み付いている。
ああ、でも――。
「――報酬が払えないのなら、話は別なのだけど」
薙刀を、揮う。先に邂逅した同陣営の者は、既に場所を移している様だった。だから、存分に得物を振るっていく。
黒曜石の刃が、亡霊たちの胴体を薙ぎ払う。力のある一刀は霞の様な身体を霧散させ、群がる其れらを一網打尽に消していく。
嘆きに聞く耳を持たず、共感を覚える素振りも見せず。一片の感情も浮かばぬうつろな瞳のまま、ただただ敵と見て切り払って行くだけの様は――鬼、そのものにも思えて。
『あぁ、ああ……我らは、わたしは。ただ、いきたかっただけなのに』
切られたひとつ、幸いにも――不幸にも、傷が浅かったのだろう。揺蕩う力も無く、地に這いずるだけの、哀れな残滓。
地を這うそれが、弱々しくも手を伸ばす。靄に包まれた指先が――沼に立つエンの足を、力無く掴む。
――流れ込む。触れた指、嘆く声を通して。その者の記憶が、エンの中へと入り込んでくる。
それは、哀れな女の記憶だった。見目を理由に異端だと爪弾きにされ、どれだけ手を尽くしても受け入れられず。それでも生き抜こうと足掻いていた、女の生だった。
それでも、最後は心無き者に搾取され。蹂躙された挙句に呆気なく永久の帳を迎えた、哀れな女の死であった。
見せられた幻覚は、かつてあった過去のものなのだろう。エンは静かに目を瞑り、息を吐く。
「……そっか」
零した言葉は、それだけ。
くるりと回転させる薙刀。柄を上に、刃先を下へ。縋る様な亡霊の腕そのに――刃を振り下ろす。
『いあ゛あぁあ゛あ゛ぁあぁぁああ゛あ゛あ゛!!!!』
女の悲鳴を聞き流しながら、エンは解放された足を上げる。未だ叫び悶える女、地に転がるその姿を捉えれば――ぐしゃり、と。甲高い声を上げるその口ごと、踏み潰した。
「いつまでも、そこにいるからだよ」
いつまでも足元に這い蹲っているから。エンの仕事の邪魔を、しようとするから。
切り払われ踏み潰されても、仕方がないのだと。女の頭を踏み抜いたエンが思うのは、その程度のことだった。
「あとは――」
「背後だ、避けてくれ!」
凛とした声が響く。すぐ様エンが飛び退くと同時、そこには襲い掛からんとしていた亡霊の姿と、それを薙ぎ払う光剣の帯があった。
銀の髪を靡かせて、ボアネルが光の剣を振るっている。確固とした形を持たぬ光の刀身が、その長さを伸ばして討ち漏らした霊の身体を突き刺していた。
ふと、エンは翳りを感じる。咄嗟に上を見れば、亡霊たちが次々と集ってくる様が見えていた。
開けた沼地、足場も悪い。此処で戦闘を続けるのは面倒だな、とエンは小さく息を溢す。せめて、銀糸張り巡らせた木々の近くであったなら効率良く狩ってやるのに、と。
エンの視線から、その意図を悟ったのだろう。ボアネルが、剣を構えながら彼の前に出る。
「此処は俺が受け持とう。そちらは、あの木々の方へ」
曰く。此方から追いやるので、惑う亡霊たちを狩ってくれと。罠張り巡らせたあの場所で。
ボアネルの言に、エンはしばし動きを止める。霊の数は多い、どうしようかと少しばかり逡巡し――結果、効率の良い手を取った。
「……わかった」
頷きと共に、エンはその場を後にする。この開けた場ほど数が多い訳ではないが、既にあちらにも幾つかの獲物は姿を現していたから。
木々の間にうすらと光る銀の糸、雪迎えを足場にして。ひとつでも多くを屠る為に、片角の鬼は戦場を駆けていく――。
◆
光剣を構える男。躊躇わずに振るい続ける彼、ボアネルは――既に、亡霊の嘆きを見せられていた。
それは、かつての故郷であり。壮絶なる地獄の再演である。
『あぁ……あつい……くるしい……』
呻く声が、幻に囚われたボアネルの耳に入り込んでくる。いつか聞いた覚えのある、ひどく胸が痛む悲痛な声。
それは、彼の地の領民の声であった。ボアネルの父が治めていた辺境の古都、優しき父母が営み、慈しんでいた暖かな地の民達だ。
彼らは善良であった。平穏を愛する無辜の人々であった――故に、為す術なく殺された。
『ほのお、ほのおが……!』
『いやあぁああ!!』
『なぜ、どうしてわたしたちがこんな目に……っ!!』
全てが焼き払われたあの日。炎に飲み込まれ、もがき苦しむ彼らの姿。
死後もなお、囚われていたのか。
彼らの姿を前にして、ボアネルはひそりと息を吐く。彼らは呻きを上げている、呪いを吐いている。
何故、私たちは苦しく、惨たらしく、死んでいったと言うのに……我らを守る筈の≪お前/領主の息子≫は、未だ生きているのか、と。
死を逃れた生者を呪う、力無き聖者を呪う。やり場のない哀しみを、止むことのない苦しみを怨嗟へと変えて。彼らは、ボアネルへと呪詛の言葉を吐き続ける。
――せめて、お前を道連れにせねば。我らの痛みは癒される事はない、と。
「…………、」
放たれるまま、彼は一身に呪詛を受ける。ボアネルが告げる言葉は、ない。
かける言葉など、ある筈もない。あの誰もが死に落とされた地獄の中、己だけが生き返った。
死んでいった彼らの言葉であれば、甘んじて受ける他にない。ボアネルが出来るのは――祈りを捧げる事だけだ。苦しみながら生を終え、死してなお苦しむ彼らの苦しみを、少しでも取り除く為に。
――十字架の血に救いあれば、来たれ。十字架の血にて、清め給え。
静かに宣うは召喚の詠唱、光の加護持つ精霊達。
精霊の歌は、亡者達をも慰めるだろう。その魂を慈しみ、その魂を深き主の元へ運んでいく。
『あ……ぁ……』
『あつく、ない……あたたか、な……』
清らかな鎮魂歌は、霊の嘆きを呑み込んで。彼らに安らぎを与えていく。
やがて、彼の目前に広がっていた地獄の様相は姿を消していき――元の沼地が、そこにはあった。
「……この先にいかなる苦難が待ち受けようとも。汝らの為に、我が歌を捧げん」
剣を掲げ、再び祈る。確かな決意を瞳に灯した彼が、この地、この場で再び嘆きに呑まれる事はないだろう。
そうして彼は、視界に入った亡霊の姿――背後から味方の猟兵を襲わんとするその不届き者へと、剣先を向けたのだ。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴
コナミルク・トゥモロー
う…あ…
あ゛あぁあ゛ああああッッ!!!!
(真の姿を解放する。生身の体が根を張るように機械爪へと侵食して絡み合う)
(そしてUC発動。憤怒が可視化され身に纏われる)
い、い、っ、行くんだよ、い、ぃいっ、生きるんだよっ…!
(みんな殺された。私は腕を千切られた。運良く生き残った身体は知らない奴らに持って行かれ、右腕は冷徹なるものに置換された)
(許せなかった)
そ、そ、その、その為に…!
(だから私は、この爪に熱を持たせる。怒りで、そして根のように伸びたこの生身で。だからこれが、私の真の姿)
その為に!怒るんだよっっ!!
(虐殺の光景に抗うように、【捨て身の一撃】を放つ)
わ、わっ、わ私には、これしかない…!!
●◆
夥しい数の亡者の群れ。視界を遮り、進行を阻もうと呪詛を吐き出す過去の残滓達。
それらを前にして、コナミルク・トゥモロー(悲哀は憤怒のまがいもの・f18015)は――憤っていた。
怒っていた、ただひたすらに。その小さな身体に、溢れんばかりの憤怒を宿らせて。
全身で、憤っていた。
「う……あ……」
浅い呼吸を繰り返す。極度の興奮で、彼女の視界が赤く染まっていく。
狭まる視界、フラッシュバックするのは先程見た暖かな景色。光溢れた、あの。
「あ゛あぁあ゛ああああッ!!!!」
少女の咆哮と共に、その身体に変化が訪れる。
生身の体が、根を張る様に右腕へ、機械爪へと侵食していく。彼女の肉体が伸びて、絡み合うようにして。冷たい機械と融合していく。
其れは少女の真の姿。怒りを糧に、彼女は力を手に入れる。
「こ、こ、これが、わ、私の……い、い、いぃいっ、怒りだ……っ!」
唸るコナミルクの身に、赤黒い瘴気が纏わり付いて行く。それは彼女の言葉の通り、憤怒を称するに似合いの禍々しさを放っていた。
怒れ。怒れ。かの穏やかな日々を甘受する事なく、激しく怒れ。
燃ゆる火の如く、怒り続けろ――絶え逝く、光に向かって。
「い、い、っ、行くんだよっ」
ぎょろりと、少女の三白眼が亡霊達へと向けられる。
行かさぬと、生かさぬと呪詛を吐き続ける亡者達。彼らの悲哀もまた、憤怒と成り果てているのだろう。己が持たざる光を羨んで、持つ者達を引き摺り落とそうとして。
おぞましい形相で立ち塞がる彼らを前にして、けれどコナミルクは止まらない。
赤黒い靄に包まれた体が一歩、前に出る。纏わりつく泥を物ともせず、前を阻む全ての障害を壊さんとする為に。
「い、ぃいっ、生きるんだよっ……!!」
生きるのだ――だって今、少女はいきているのだから。
かつて。かつて。少女が未だその右の掌に暖かさを宿していた頃の過去。そして、失った昔。
彼女以外のみんなは、殺された。何一つ残らなかった。
少女は腕を千切られて、それでも辛うじて息をしていたけれど。運良く生き残ったところで、自由に動かぬ身体は知らない奴らに持っていかれた。
かつて誰かと繋いだ、繋げるはずだった右腕は。気付けば冷徹なるものに置換されていた。
――許せなかった。許せるはずが、あるものか。
亡霊にも引けを取らぬ圧を放ちながら、コナミルクは歩みを進める。
己は行くのだ、生きるのだ。変えられてしまった右腕で、其れでも尚、すくえるものがあるのだとしたら。自分は喜んで――決して好きではないけれど――戦いの場へ、赴こう。
「そ、そ、その、その為に……!!」
少女は、その冷たい右爪に熱を持たせる。怒りで、そして根のように伸びたこの生身で。
だからこれが、コナミルクの真の姿。こうあれと、こうであっただろうと。かつて失った熱を取り戻す、少女の姿。
少女は、駆ける。身を加速させ、行き先を阻む亡霊達の元へ。右腕の重さをも感じぬ軽やかさを身に宿しながら、コナミルクは駆けていく。
亡霊達の嘆きは、少女にかつての光景を見せるだろう。
一方的な虐殺、いとも容易く摘まれていく命の輝き。
耳に入る悲鳴が心を軋ませ、地に転がる肉片に足を取られる。その度に、悲哀とも呼ぶべき重しが心に降り積もる。ああ、かなしい、かなしいから……。
「その為にっ!! 怒るんだよっっ!!」
――彼女はやはり、怒るのだ。
少女は、亡霊へと爪を振り翳す。幻覚を見せるその過去達に抗うように、全力を持って振り下ろす。
それは、守りを一切排した捨て身の攻撃。無慈悲なまでの力で、彼女の爪は幽鬼の頭を掴み、砕いていく。
それでも彼女は止まらない。止まる筈もない。自らの身を省みることなく、彼女はこの沼地をただひたすらに駆けていく。
この向こうにいるとおぼしきオブリビオン、この地の嘆きの元凶を屠る為に。少しでも多くを、すくうために、怒りのままに駆けていく。
――全てを失って久しい少女には。其れしか、なかったから。
成功
🔵🔵🔴
穂結・神楽耶
●*
──……本当に?
あなたたちが望んでいるのは、ここに来た人を沈めることなのですか?
違うのではないでしょうか。
…ねぇ、だって。
羨むのは悔悟があるから。
いきたかったのなら、本当は。
「帰りたい」──のではないですか?
だから問答無用で片を付けるのは他の方々に任せます。
誰にも助けられなかった人たちを。
少しくらい、すくいあげたって。
【茜小路の帰り唄】。
本当は言えるはずだった「また明日」の夢を見て。
どうか静かに、おやすみ下さい。
後のことはご心配なく。
……ごめんなさい。助けられなくて。
飛梅・さより
●*
ああ楽しかった!
さよはこんなに楽しいのに、あなたたちは哀しそうね
そんなに哀しいなら逆にしてあげる
きっと沼の底から天国の果てに行けるはず!
処方箋のお薬をナイフにたっぷり塗って攻撃
「哀しい」は「楽しい」に、「呪い」は「祝福」に!
切ったところから滲みて効くでしょ 即効性【早業】なのよ
さよは昔のことほとんど覚えてないの
見るまぼろしはきっと亡霊さんが体験したことだわ
つらいまぼろしに飲み込まれそうなら、お薬を飲むの
さよのじゃないけど哀しくて苦しい過去はよくないから
しあわせだったことにしましょう
かんたん、かんたんよ
「ああ、楽しかった!」
悲哀と怨嗟に満ちる沼の中。軽快な声を響かせるのは、飛梅・さより(ROMANCE・f19766)だった。ぴょんぴょんと、纏わりつく泥も気にせず飛び跳ねながら。愛らしい笑い声と共に、彼女は前へと歩んでいる。
ああ、楽しい。きっとお薬のおかげね、さよはこんなに楽しくて楽しくて仕方がないのに――。
「――あなたたちは、哀しそうね?」
くるりと振り返った先。如何にも苦しそうな顔をして、此方を見つめる亡霊たちの姿がある。
何がそんなに哀しいのかは、さよりにはさっぱり分からないけれど。ただ、哀しいのは“良くない”と。そう思って、彼女は奮起する。その手には、きらきらの青い小瓶を携えて。
「そんなに哀しいなら、さよが逆にしてあげる!」
それは、先程彼女自身も摂取したおくすり。『哀しい』程に『楽しく』感じられる、魔法みたいな処方箋。
一口飲めばあら不思議。きっと沼のそこから、天国の果てだってに行けるはずだわ!
そう続けながら、さよりはきゅっと小瓶の蓋を捻る。とろりとしてた水薬を――いつの間に抜き取っていたのだろう。鋭利なナイフの、その刃先に垂らしている。
……ええ、だって。彼らは大人しくお薬を飲んでくれそうには見えないから。
だったら、こうして直接“塗り付けて”あげるしかないでしょう?
「ふふっ、待っててね。さよが、みんな楽しくしてあげるから」
『哀しい』を『楽しい』に。『呪い』は『祝福』に!
水色のお薬を、ナイフの刃先に塗り終わるや否や――少女は、軽やかに回転する。
近くにいた亡霊の、その纏う黒布を切り裂いて。鋭い切っ先が、そのままずっぷりと靄のような身体の中へ刺し込まれる。
『あ゛あぁぁああ゛あ゛ああぁあ゛あ゛あ゛!!!!』
叫喚。元の怨嗟に合わせて、新たな痛みを覚えた亡霊の叫びが、ビリビリと少女の鼓膜を震わせる。さよりは、可哀想なものを見る様に一瞬だけ眉を下げて。けれどもすぐに、にっこりと満面の笑みを浮かべていた。
「大丈夫、すぐに辛くなくなるわ。だってこのお薬、即効性なのよ」
――果たして。彼女の発言通り、苦悶の声を放っていた亡霊は徐々にその悲鳴を小さくさせていき。ぱたりと、最後には力無く地へと倒れていった。
それは確かに薬であって。同時に、毒に他ならぬ。
彼女が握るナイフは、次々と近付く亡霊たちを切り裂いて。より多くの悲鳴を、無き者へと変えていく。少女の振るうナイフは軽く、決して致命傷にはなり得ないけれど。小さな“切っ掛け”さえ出来たなら、あとはお薬が其処から滲んでいくだけだから。
『あぁぁああぁあ゛あ゛あ゛あぁぁあ゛ああ!!』
『沈め、お前も!!抗う事なく、哀しみの底に沈んでしまえ!!』
つよい、より強い怨嗟の呪詛が放たれる。
それは薬を振舞っていたさよりの頭へ、直接叩き込まれるような咆哮であった。
「――――、ぁ」
そうしてさよりは、現ではない過去を見せられる。
――それは、凄惨な光景であった。
嬲られ、蹂躙され、爪弾きにされ、果ては同胞にすら疎まれて。そうして命を枯らして行った者達の生を見せられた。大きな力に振り回されて、己を見失いながら消えていった命の灯火を見守っていた。
ああ、これはとても――。
「……つらいのね。哀しいのね」
きゅうと、心臓を鷲掴みにされるかのような感覚。囚われた暗闇の中、さよりは静かにうつ向いた。
頭に流れ込んでくる、自分のではない誰かの過去。誰かが抱いていた、重くて苦しい気持ち。それらに身を浸して、さよりの瞳からはまた透明な水が溢れていく。
――これは決して、さよの過去じゃないけれど。
でも、哀しくて苦しい過去は“よくない”わ。だから
「しあわせだったことに、しましょう?」
先程ナイフに塗りつけた、あの薬を取り出す。たくさんの悲鳴を呑み込ませた水薬を――さよりは、躊躇いなく呷っていく。
こくりこくりと、一口ごとに染み渡る檸檬の清涼な香り。
そうすれば、ほら。世界はきらきらと輝いて、楽しいことでいっぱいだって気付けるから。
見るにおぞましい顔を浮かべた彼らも、笑みを浮かべてお友達に。聞くに耐え難い怨嗟の声も、いつしか謡うように綺麗な声へと変わっていった。だから、さよりは大丈夫。これはとっても、かんたんなはなし。
身体はすっかり重さを感じなくなって、少女は軽やかに刃先を閃かせる。桃色がかった長い髪が、この昏い世界の下で舞っていた。
――ああ。唄が聞こえるわ。
◆
未だ生きている者共が、許せぬと。この沼を訪れてなお進み続ける者達を、認める事が出来ないのだと。
だから、自分達と同じ様に。底へ、此処へ――沈んでおくれ、と。怨嗟の呻きの中に、悲哀を滲ませて。彼らは叫ぶ、彼らは訴える。
生者を捉えんとする歎きの唄を、途絶える事なく紡ぎ続けている。
「――……本当に?」
その歎きに疑問を示したのは、穂結・神楽耶(思惟の刃・f15297)だった。
揺蕩う亡霊達の姿を見据えながら、彼女は手にしていた刀を――彼女自身とも言える太刀を、鞘に納めていた。カチャン、と小さく鍔鳴りの音が響く。
刀の柄からも手を離し、あまりに無防備な姿で神楽耶は亡霊達と相対する。果たしてこの少女は、亡霊達と共に底へ沈む事にしたのだろうかとさえ思う静けさを纏い――けれども。
前を向く神楽耶の瞳に自棄の色は見えず。そこには、意志の火が灯っている。
「……あなたたちが」
亡霊達の中を、進みいく。霞の如き身体となった亡霊が、格好の獲物である神楽耶へ取り付こうとその身を滑らせて――そのまま、彼女の中へと入り込んでいった。
意外な程にすんなりと、彼らは少女の内へと潜り込めた。
抵抗の一つもなく、あっさりと。“神楽耶は”嘆く彼らを、彼らの呪詛を受け入れた。
そうすれば、必然と言うべきか。彼女の身は、瞬く間に呪詛に侵食されていく。
彼らの嘆きが、神楽耶の身体の隅々へと浸透していって。彼らの感じた痛みが、苦しみが、彼女を搦め捕ろうと蝕んでいく。『かなしい』と『つらい』と『くるしい』と『いやだ』『もう楽に』『なぜ我らだけが』『許されぬ』『お前も』『お前たちも』『すべて、おなじように』『苦しむべきだ』――と。
染み渡る歎きの声に、たしかに痛む胸をおさえながら。しかし呻きの一つも上げずに、神楽耶は静かに息を吸う。己がすべきことを、なす為に。
己の内に入り込んだ、嘆き止まぬ彼らへ。問いを、投げ掛ける為に。
「あなたたちが本当に望んでいるのは――ここに来た人を、沈めることなのですか?」
――ピタリと。
彼女の内で喚き続けていた声が、唐突に止んだ。
突然の凪が、神楽耶の心に訪れる。彼らの呪詛が消えた? いいや、そうではない。彼らは未だ身の内にあると、蝕む痛みをもって神楽耶はちゃんと分かっている。
分かっている、からこそに。彼女の瞳は、柔らかく細められていた。
彼らの嘆きを聞いた時から、生き行く者たちへの怨みを聞いた時から。ずっと、思っていたのだ。
行かせてなるものかと、彼らは言う――自分たちは、なす術なく呑まれてしまったから。
生を掴む者達を認められぬのだと、彼らは言う――自分たちは既に、手放してしまったから。
それきっと、羨望の裏返し。
自分達が取り零したものが、あまりにも大きくて。あの時諦めてしまった事が、悔やんでも悔やみきれなくて――持ち続ける事が出来る人々が、うらやましくて。
「――違いますよね。嘆きに呑まれて変質してしまった願い。その本質は、きっと」
胸元をおさえながら、神楽耶は言葉を紡いでいく。
……ねぇ、だって。羨むのは、悔悟があったからなのでしょう。
死んでしまいたいとさえ思えるような悲哀に呑まれて、それでも最後には浮き出た願い。
歎きの底に沈んだ其れを――神楽耶は、そっと掬い上げる。
「『帰りたい』――のでは、ないですか?」
凛とした声が、沼に響く。とくりと、心の臓が優しく鳴っていた。
――そうだ、そうだった。
ひとりが、哀しみに呑まれて沈んでいった。
ひとりが、この世に絶望して沈んでいった。
沼に沈み行く身体は重く、心は悲鳴を上げていて。沈むのが当然だと思った、其処へ行くしか、ないのだと思い込んで。
一人では耐え切れなかったのだ――でも。
もしも。あの時、一人ではなかったなら。誰かに、手を伸ばして貰えたならば。
何かが、変わっていたのだろうか? 誰かに助けてもらえたら、誰かに掬いあげて貰ったなら。
否、そうではない。確かにあの時、自分達は――助けて欲しいと。誰かの元へ帰りたいと、そう、思ったのだ。
今となっては、もう何処へ届く筈もない願い。詮無き事として消え行くばかりであった其れを、彼女は掬い上げていく。
瞳に優しさを滲ませて、声に慈しみを籠めながら。願いを聞き遂げた宿神は、柔らかな笑みを浮かべていた。
人の願いを叶えることこそ、本懐である。
彼女は、そういうモノであったから。
――昏き沼に、唄が響く。
深く、深く息を吸い込んで。神楽耶はなつかしき唄を口に乗せていく。
本当は言えるはずだった「また明日」の夢を、見せてあげくて。嘆きに身を落とした彼らを、少しでも癒してあげられるように。眠りに落ちる前、こわいとぐする赤子をあやすかのように。
「――どうか静かに、おやすみ下さい。後のことはご心配なく」
内から消えていった彼等への餞として、言葉を紡ぐ。
全てをすくいあげることこそ、今の彼女には出来ないけれど。此の手が届く限りは、救う事を諦めたくはなかったから。
「…………、」
ぽつりと。誰に聞き留められる事もなく、小さな呟きが落とされる。
それは、懺悔の言葉であった。
分かっている、分かっていた。きっと本当の意味で、彼等を助けることは――叶わなかった。
ごめんなさいと、彼女は言う。
助けられなくて。間に合わなくて――ごめんなさい。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴
鏡島・嵐
判定:【WIZ】
おれにもっと力があれば、悲しみに沈んで力尽きたこの亡霊達を掬い上げることも出来たんかな。
……いや、出来ないことを考えてもしょうがねえ。先に進まねえとな。
どんなに、怖くてもさ。
……薄情な奴だって、責めてくれても構わないぜ。
亡霊達を《二十五番目の錫の兵隊》で足止めしながら、おれ自身は後ろから射撃攻撃。
他に仲間がいるんならそちらに〈援護射撃〉を飛ばしたり、〈フェイント〉〈目潰し〉で亡霊の動きを阻害したりして支援もする。
相手の攻撃は〈呪詛耐性〉〈オーラ防御〉で威力を弱めるなり、〈鼓舞〉で打ち消しを試みるなりして防いでいく。
数が多そうだから、とにかく数を減らすことに注力してえな。
狭筵・桜人
人のおかげで泳いで渡らずに済みましたって……
通せんぼです?執拗いですねえ。
ここまできて沼にドボンなんてリアクション芸人じゃあるまいしお断りです。
――比較。
まあそうですよね、悲惨な死を迎えた亡者が
暢々と生きてる生者を恨むのも道理です。
可能性の埒外に巻き込まれて無駄死になんて、災難でしたねえ。
いやぁ残念です。
理解は出来ますが怨み言を聴いてやる気も
一緒に死んでやるつもりも無いんですよ。
UC発動。血は指先の一滴で事足ります。
首ズバーっとか絶対ナイナイ。
『呪瘴』。【呪詛】を孕んで膨らむ血霧です。
人を呪わば穴二つ、なあんて。
つまり幽霊の自害ってことですねえ。ンッフフ!
二度も殺されるよりずっとマシでしょう?
矢来・夕立
●*
開けていて、敵固体の数が多く、味方からは広域攻撃が予測される。
《忍び足》が活きる局面ですね。
敵、味方、戦場内のオブジェクト。その影や死角に紛れます。
オレがするコト自体はは簡単でして。
運良く生き延びたヤツを確実に潰していきます。一撃必殺。【神業・否無】。
「何故生き行く」って…あなたがたが弱くて、オレが強いからです。
見ず知らずの人間に割いてやるほどオレの心は安くないんで。
もう一度死ぬくらいどうってことないですよ。
あなた方は骸の海へ送り返されるかもしれませんけど……
怨みさえ遺していってくれるなら、聞くだけは聞いてあげられます。
ウソですけど。
コレがまた影暗衣のリソースになるんですよね。得しました。
――唄が、聞こえていた。
やけに耳馴染むそれを聞きながら、矢来・夕立(影・f14904)はグッと乱雑に己の喉元を拭う。止めどなく流れていた血は既に乾き始め、彼の黒装束をより深い色に染めていた。
ひそやかに息を整えながら、夕立は視線を滑らせていく。硝子越しの赤い眸子が、既に戦場と化した其処を嘗める様に観察していた。
見晴らしの良い開た地に、夥しい数の亡霊達が漂っている。最中には同陣営の者の姿も見え、敵群に対し各々に対処を始めている様だった。
敵の数は多く、しかし次々と屠られる様を見るに、それほどの耐久性はないのだろう。より多くを屠らんと、威力よりも範囲を重要視して立ち回る輩が多くなる筈だ。
なれば、自身は其れを利用させて貰おう。
ふっ、と短く息を吐く。それが最後の痕跡だった。
音も無く、薄闇に溶けるようにして。一切の気配を、己自身を殺していく。そうして駆け行く一つの影を、最早気に留める者は無い。
各々に立ち回る猟兵達の間を抜けながら、夕立は仕事を為すべく戦場へと姿を晦ましていった。
◆
「あーあ。せっかく泳いで渡らずに済みましたって言うのに」
空を覆い尽くさんばかりに顕われた亡霊達の姿に、狭筵・桜人(不実の標・f15055)は深くため息を吐いていた。むすっと口を尖らせながら、桜人は幽鬼漂う空を仰ぎ見る。
「ここに来て通せんぼです? 執拗いですねぇ」
あと少しで、沼を渡りきるといった所であったのに。
ここまでやって来て、やっぱり沼へドボン――なんて。そんなリアクション芸人みたいな様はお断りだと、桜人はひとりごちる。そうでなくとも、先程だいぶ危ない橋を渡りかけたばかりだと言うのに。主にクリーニング方面で。
そんな同年代の少年の嘆く声を聞きながら、同じく沼を渡っていた鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)もまた、空を見ていた。
沼の毒はまだ抜け切らず。未だ震える手を握り締めながら、けれど嵐は目を逸らさずに敵を見る。
見るに悍ましい表情を貼り付けながら、こうして他者を引き込む化け物と化した者たち。
どうしようもなく嘆きに沈んで、力尽きていった亡霊達。
「おれにもっと力があれば、掬い上げる事も出来たんかな」
脳裏を過るのは、先に沼で体験した時のこと。
満ち溢れた哀しみに、思わず呑まれそうになって。気を抜けば諦めてしまいかねなかったあの感覚を。
もしも、あれに長時間身を浸していたならば。己は果たして、此の身を引っ張り上げる事が出来ていただろうか?
「……いや。出来ないことを考えてもしょうがねえ」
ぶんぶんと、嵐はかぶりを振る。今は、自分が出来る事を見極め、思考するべきだ。
歎きを溢す亡者達の数は、多く。立ち止まっている時間など、今の自分に与えられている筈もない。
握った拳は、未だ震えている。前を見る瞳も、新鮮な恐怖を前に揺れが治らない。
それでも、自分は。前に進むと、決めたのだから。
「先に進まねえとな――どんなに、怖くてもさ」
――胸に燃ゆるは熱き想い、腕に宿るは猛き力。
――その想いを盾に、その力を刃に。
「……頼んだ、《二十五番目の錫の兵隊》!」
嵐の詠唱と共に召喚されたのは、一人の武装兵だった。
片脚が義足である《二十五番目の錫の兵隊》。旅する少年の盾であり、刃となる銃剣士。
《二十五番目の錫の兵隊》は、召喚者である嵐を守護するように前に立ち――そのまま、揺蕩う亡霊達へと切り掛かって行く。
『あ゛ぁあ゛あぁああ゛あ゛あ゛あぁあああ゛!!!!』
対する彼らもまた、己を害する存在を前にして屠られる儘である筈もなく。
切り掛かってくる武装兵へ、その後ろに控える少年達へ。身の内から溢れ出る怨嗟の呪詛を放たんと、金切り声で彼らの鼓膜を震わせていく。
――曰く。生き行くお前らが、許せぬのだと。
この苦しみの底に沈ませなければ、我らの嘆きは癒されぬのだ、と。
「――まあ、そうですよね」
それは、あまりに八つ当たりに近い言い分であった。
だからこそ『理解は出来る』と。彼らに同意を示したのは、うすらと笑みを浮かべていた桜人だった。
――比較。人の抱える身近な業の一つ。悲惨な死を迎えた亡者達が、暢々と生きる生者を恨むのも道理というものだろう。
「オブリビオンだなんて可能性の埒外に巻き込まれて無駄死になんて、災難でしたねえ」
可哀想にと。にこにことした笑みを浮かべた儘に、桜人は言う。
沈んだ彼らと、沈まなかった自分達。そこにきっと、大きな違いはないのだろう。
あるとしたら、運の有る無しくらいだろうか。彼らは運に恵まれず、私達は運が良かった。きっと、それくらいだ。
「いやぁ、残念です。理解は出来ますが……っとぉ!」
今にも取り憑かんと襲いかかって来た亡霊を、身を屈ませる事で何とか避ける。
そのまま沼の中に浸かってしまわぬようにとだけ注意しながら、桜人はくるりと身を反転させた。――おっと、後ろからももう一体。
此方へ向かい来ると視認は出来たが、体勢があまり宜しくない。生者である自分を呪い殺さんと取り憑く技……まぁ、一体くらいの呪詛であれば耐え切れるだろうか。まだこの奥にもう一勢力の脅威が控えているのだから、あまり傷を負いたくは無かったのだがそれはそれ。
どこか呑気な思考のまま、迫り来る亡霊の顔を前にして桜人は僅かに眉を下げる。あーあ、随分と気分の下がる顔をして――。
「フェモテューヴェ! そっちだ!」
『――!!』
亡霊に呑まれんとしていた桜人の視界に、武装兵の姿が映る。
それは亡者と桜人の間に己の身体を滑り込ませ、迫り来る其れに向かって剣を振るっていた。
瞬間的に動きを止めた亡霊へ、トドメと言わんばかりに放たれた弾が命中する。それは、嵐お手製のスリングショットから放たれたものだ。
それだけで、亡霊は瞬く間に形を崩して霧散していく。どうも、物理攻撃にも耐性がないらしい。
「フフ、助かりました。危うくぱっくり呑み込まれる所でしたねえ」
「あ、ああ……間に合って良かった。大丈夫か?」
思いのほか平気そうな桜人の姿に戸惑いながらも、嵐は言葉を掛けていく。
心配そうな色を滲ませる嵐に、桜人はにっこりと笑って答えてみせた。
「お気遣いなく。この通りピンピンしてます」
「――そっか」
なら良かった、と。小さく呟いてから、嵐は再びぐるりと視線を巡らせる。
こちらを囲むようにして漂う亡霊の数は、未だ多く。《二十五番目の錫の兵隊》で引き付け、足止めに注力しているとは言え、先程のようにいつ死角から襲われるか分からない。
「出来る限りこっちでもカバーする。とにかく、数を減らしていかねぇと」
「そうですねえ……あっ」
小さく声を上げた桜人に、何事だろうと嵐はその琥珀の瞳を向けた。
自分よりも幾らか色の濃いその瞳を捉えながら、桜人はにこにこと笑みを浮かべたままに言葉を続けていく。
「いえ、ちょっとした考えがありまして。さっきのお礼と言うわけではないですか、お任せしてもらっても?」
ああ、只――と。桜人が考え得る“手”の内容をざっくりと伝えれば、嵐はしばしの間を置いて頷いた。乗った、との意思表示だ。
「それじゃあ、私は少し準備をしますので」
「おう。こっちは出来るだけ引き付けれねぇかやってみる」
手を振る桜人に踵を返して、嵐は再び亡霊達に会いたいする。
傍に立つ《二十五番目の錫の兵隊》は、いつも通り頼もしく其処にいてくれるけれど。
――やっぱり、怖い。
そして、同時に。歎く彼らを前にして、嵐は歯痒い気持ちも抱いていた。
怖いと言う気持ちは、完全に無くす事こそ出来ないけれど。それでも、逃げて後悔だけはしたくないから。己を鼓舞する事で、嵐は何とか立ち続ける事が出来る。立ち向かい続ける事が、出来ている。
――でも。嘆く彼らをすくうことは、きっと今の彼には叶わないから。
「……薄情な奴だって責めてくれても構わないぜ」
震える手を何とか抑えながら、彼はスリングショットの狙いを定める。セットしたのは癇癪玉、彼らの歎きに負けぬくらいの大きな音で、亡霊達を引きつける為の。
《二十五番目の錫の兵隊》を盾としながら、嵐はぐっとゴムを引く。群れ為すぼうれいたちの、より中央にいる個体。その額を目掛けて――放つ!
――パァンと、弾けた音。それが合図。
耳に入ったその音を聞いて、後方に控えた桜人が笑みを溢す。
次は己の手番であると、翳した指先――滴る、一雫の赤。
ふと彼の脳裏に過るのは、道中にも邂逅したどこぞの忍さん。術のトリガーは同じく自傷、ないし己の血液ではあるけれども。あの様に思いっきり首ズバーっとさせるのは……無い。絶対ナイなと、桜人は脳内で乾いた笑みを浮かべていた。
何せ。桜人の呪詛は、この一滴で事足りる。
――扨、と。頭を切り変えながら、桜人は突然の大音に動きを止めた亡者達の姿を見る。
彼らの歎きの根底、己の持たざるものへの羨望と怨みを理解こそすれ、桜人にとってはそこまでだ。怨み言を聴いてやる気も、ましてや一緒に死んでやるつもりなど毛頭無い。
お仕事故に、全て片付ける。それだけの事。
「それじゃあ、避けてくださいね」
――ぽたり。
垂れ落ちた血液。瞬く間に沼地の泥へと吸い込まれるかと思われたそれが――ぶわりと。煙の様な、赤い霧を発生させる。『呪瘴』と呼称される鏖殺の血霧、場の呪詛を孕んで膨らむ赤き呪い。
あかいあかい、血の霧が。呪いの元を呑み込まんと戦場を覆い尽くしていく。
『あぁぁあ゛ああ゛あぁぁぁぁあぁ゛あ゛ぁぁあ!!!!』
己の“手”であるこの術の概要は、既に味方へは提示してある。血霧の展開と共に避難した仕事仲間を視界の端に捉えながら、桜人は呪詛に呑まれ行く亡霊たちににこりと笑い掛けていた。この呪いに満ちた悍ましい場にそぐわぬ、春うららかな愛らしい笑みが亡霊たちの視界に映っている。
「人を呪わば穴二つ、なあんて。つまりは幽霊の自害ってことですねえ」
ンッフフ、と。独特な含み笑いを零しながら、桜人は可笑しそうに首を傾けた。
どうにかして血霧から逃れんと、惑い動くいくつかの個体達。
その行く末を思いながら「あーあ」と桜人は小さく呟きを漏らしていた。
「二度も殺されるよりは、ずっとマシでしょうに」
◆
どうして、何故。
己を呑み込まんとする血霧から逃げ惑う霊達は、疑問の渦の最中にあった。
最早呪いそのものとなった我らをして、悍ましさを感じ取らせた其れ。あの赤い霧は、この怨嗟も、悲哀さえも呑み込んでしまうのだと。既にそれしか持ち得ぬ彼らは察していた、それ故に。
僅かに残った己の証左を、なくしたくはないと。そう考える個体もいたのだろう。彼らは迫り来る霧に呑まれんと、ただ只管に逃げていた。
我らの、仲間の呪詛すらも呑み込んで。見る間に大きく広がっていく赤き霧。彼らにとっての死そのものである血霧の――その、向こうから。
霧を、空間を裂くように。
朱の一刀が、閃いて。
「――否応無く、死ね」
――一閃。
容赦のない一太刀が、逃げ惑う個体の一つを背後から切り裂いた。
鋭い一刀は、亡霊の首を獲るに十分なものである。すっぱりと落ちた首は、そのまま沼地へと落下して――水面に落ちる前に、跡形もなく霧散した。
「呆気ないものですね。想定以上に弱い」
すっと、足場となる木々の間に音もなく着地して。最早惑う事しか出来なくなっている亡霊達を横目で見ながら、夕立は嘆息交じりに呟きを吐いていた。
運良く生き延びた個体を、確実に潰していく。それが、この戦場で夕立が選んだ己の役割であった。
猟兵達の技には、多かれ少なかれトリガーがある。限定条件下では無類の強さを発揮しながらも、全くの討ち漏らしが無いとは言い切れない。
そうして何とか彼らから逃れたヤツを、屠る。只でさえ数の多い敵なのだ、逃してしまっては後の仕事に影響がないとも言い切れない。
しかし、と。やけに狼狽した様子で逃げ惑う彼らの様子を観察しながら、夕立は不可解なものだと小首を傾げていた。
既に一度死した者たちの成れの果て。もう一度死ぬくらい、どうってことないだろうにと。
「まあ、既に過去となったあなた方の場合は……骸の海へ、送り返されるのでしょうが」
呟きざまに、もう一刀。手にした脇差が、亡霊の背を切り裂いていく。
既に霊とも呼称される彼らにも、畏れがあるのだろうか。次々と数を減らしいく仲間たちの姿に、どうにも狼狽えているような様子であった。
――加害者となって永らくの時を過ごしていたせいか。狩り獲られる感覚は、久々のものであったのだろう。反応は生者とさして変わらないなと思いながら、夕立は一匹ずつ首を獲っていく。手応えが無さ過ぎるのが、違いといえば違いかもしれなかった。
そういえば、と。
逃げ行く者達を前にして、夕立は先程彼らが呪詛と共に放った言葉を思い返す。
「何故生き行く、でしたっけ。……至極簡単な話ですよ」
首を裂く、胸を穿つ。腹を掻っ捌いて、背に刃を突き立てる。
一連の動作を、呼吸の乱れぬままにやってのけながら。彼は、ついでとばかりに言葉を溢す
「あなたがたが弱くて、オレは強かった。それだけです」
断定。その声に驕りはなく、ただ事実を表すのみであった。
『あぁ……ぁ、あぁあ……』
ふと。力無く地に横たわる一体を目の端に捉え、夕立はその傍へと降り立った。
既に致命傷なり得る攻撃を受け、それでもなお逃げて来たのだろうか。何もかもを諦めて沈んだと言う割には、なかなかにしぶとい精神を持つ個体らしい。
それでも、消滅は免れぬだろう。息も絶え絶えといった様子で呻きを漏らす其れに、夕立はそっと近付いた。消えゆくまで幾許かといった其れを見下ろしながら、彼は徐に口を開く。
「……もし。怨みさえ遺していってくれるなら、聞くだけは聞いてあげますよ」
『ぁ、ぁあ――』
其れは、既に力の入らぬ腕を軋ませながら。
それでも力を振り絞り、顔を、あげようと、して――。
――ごとり。
「――まぁ、ウソですけど」
首が、落ちる。
其れが残滓となって消えゆく間際。
虚ろな二つの穴が、夕立の顔を見つめていた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
閂・綮
『正気の沙汰では、御座いますまい』
一の間にて、向かい合う影が二つ。
『朽ち錆び、幽鬼の一匹や二匹が潜んでいてもおかしくはない。あの在り様、羅生門の如しではありませぬか』
厚畳に座る男は険しい声を静かに聞いていた。薄い笑みは隠さず、困ったように眉尻を下げている。
一言一句、“間違いではない”。
けれど、同意する様子もない。
その姿に業を煮やしたか、忠告する男の眉間に深く皺が刻まれた。
凛とした眼差しで正面を睨む。
『剰え、その姿 一一』
否、正しくは。
眼前に居られる御前の“背後”に。
(薄暗い牢獄の中。手提灯を持った男が笑っている。)
(唇に指先を当て、)
「ないしょ、に」
(亡霊の背後に迫る鬼が、大口を開けていた。)
――ぼうと。薄明りの揺らぐ、座敷の間。
静謐に満たされた其の間にて、互いに向かい合う影ふたつ。
その一方。揺らめく灯りに照らされて、男が険しい表情を浮かべていた。
『――正気の沙汰では、御座いますまい』
低く、唸るような男の声は、相対する御方を咎める響きを多分に含み。
正面に座するモノへ、剣呑な眼差しを向けている。
『朽ち錆び、幽鬼の一匹や二匹が潜んでいてもおかしくはない。あの在り様、』
――羅生門の如しでは、ありませぬか。
苦々しげに放たれた言葉、震える声は隠し切れぬ怯えの色だろうか。
喉元から絞り出すような男の言葉を――その御方は、只静かに聞いていた。
厚畳に座した儘、その整ったかんばせに薄い笑みを貼り付けて。
まるで作り物の様なうつくしさを保ちながら、御方は柔らかな表情を浮かべていて。
困ったように眉尻を下げる、その動作だけが。どこかちぐはぐな人間味を感じさせていた。
嗚呼。成程、男の言葉は的を射ているのだろう。
一言一句、“間違いではない”と。御方が、彼の言葉を否定する様子はない。
――しかし。同意する素振りもまた、見せる事は無く。
判然とせぬその姿は、苛立つ男を逆撫でするに十分であった。
最早堪忍ならぬと、業を煮やした男の眉間に深い皺が刻まれる。
凛とした眼差しで、男は正面を睨みつけていた。
否、正しくは。
『剰え、その姿――』
――眼前に居られる御前の、“背後”を。
◆
其処は、牢獄であった。
『――否、先程まで。我らは確かにあの沼地に居た筈なのに。
薄暗い岩穴の中に、どうして我らは囚われている?
亡霊たちの呻きが、僅かに戸惑いの色を滲ませる。
何せ彼らは……死してから今までずっと、あの沼に捉われていたのだから。
カツン、と。牢に響く足音ひとつ。
何事だろうと視線を移せば――其処には、手提灯を携えた一人の男。見目にも華やかな瑠璃の羽根をなびかせて、閂・綮(心隠し・f04541)が立っていた。
提灯の薄明かりに照らされて、暗い石牢の中に綮の表情が浮かび上がる。
それは、薄らとした笑みを浮かべていた。今し方、男を呑まんと見せた沼の幻の、あの座敷に在った様な笑みであった。
ぞわりと、霊にしてはあるまじき悪寒が亡霊たちの背をなぞる。
ヒトの形をした目前のナニカに、彼らは戦慄きを示していた。
つと。流れる様な仕草で、綮は己の指を動かした。
軋む身体を動かして、綮は指先を唇へと当てる。
彼の形良い唇が、薄く、開かれて。
「――ないしょ、に」
――ぐわり、と。
亡霊達の背後、いつのまにか差し迫っていた鬼が。
大口を、開けていた。
大成功
🔵🔵🔵
雨糸・咲
●*
耳を打つ声に思わず片耳を押さえた
頭に響く哀しみと生あるものを恨む声は重く、痛い
うっすらと向こう側が見える姿は確かに人でないもの
でも、人であったもの
…そう、
自分が失くしたものを持っている人を見ると
ひどく惨めな気持ちになります
沼を行く最中見た幻影は、まだ脳裏にちらつく
薄紅の花吹雪の中、縄にぶら下がった主の亡骸
――笑って、欲しかったのに
でも、
だから、
哀しくて苦しくて圧し潰されそうだけれど
そんなものは、今までだってあった
これ以上、あなたたちと同じになってしまう人を
増やすわけにはいかないのです
泥濘から引き抜いて、踏み出す一歩
振り上げる杖で喚ぶのは眩い光の雨
哀しみ囚われた彼らに、空へ昇る道を示したい
加賀宮・識
【POW】
あまりに重い思念が自分を留める
お前は生きろ
思い出したくない『過去』が一瞬甦る
その言の葉は『過去』の自分を生かす
その言の葉は『今』の自分を切り裂く『刃』となる
あの時
逃げずに立ち向かえば救えたのではないか
あの時…
ああ…何度思った事だろう
目の前の亡霊達を見る
申し訳ないが
私は一緒には沈めない
この思いは
足を留める事を望んではいないのだから
周りの仲間達の動きと足場に注意し【ブレイズフレイム】を放つ
地に縛り付けられているというなら、ここから解き放たれるよう燃やし尽くすだけだ
反撃には【第六感】と暗月鎖で対応。細心の注意を払う
せめて、ここから解き放たれるよう祈っている
(アレンジ、共闘大歓迎です)
――生き行くお前らが、許せないのだと。
羨望を怨嗟に、悲哀を憤怒に変えながら叫ぶ亡霊達。
びりびりと鼓膜を震わせながら呪詛を流し込んでくるその声は、とても苦しく――そして、どうしようもなく哀しくて。
絶え間なく耳打つその叫声に、雨糸・咲(希旻・f01982)は思わず片耳を抑えていた。
生あるものを呪う声が、頭に響く。彼らの持つ哀しみが重く身体にのし掛かり、雪崩れ込む恨言が咲の心を突き刺して。じくじくと、その痛みを広げていた。
「……っ、」
痛みからか、薄く水膜を張り始めた瞳。揺らぐ胡桃のまなこは、それでも立ちはだかる者達の姿から目を逸らすまいと前を向いていた。
宙を揺蕩うその影達の姿は、うすらと向こうの見える不確かなもの。
それは既に人で無いものの証であり――けれども。
かつては、人であったものなのだと。彼らの歎きは訴えている。
ぐっと、握り締める掌に力が籠る。
目前に漂うのは、誰とも知れぬ者達であるとは言え。“人の死”を体現したような彼らを目の当たりにして、咲の心は悲鳴の様な軋みをあげていた。
脳裏にちらつくのは、沼を行く最中に見たあの幻影だ。
――息を呑むような、薄紅の花吹雪の中。ぶらんと、その枝に下がるものがある。
花散らす風に吹かれて、ゆらゆら搖れる。大切だった、大好きだった、唯一の主さまが揺れている。……どうしてだろう。優しくかの人の名を呼んでいた声は、ぐるりと喉巻く縄によって失われ。籠握る時はあんなに暖かだった掌が、氷のように冷たくなってしまっていた。
ひやりとした空気が、肺に満ちていく。苦しいのだと、苦しめと囁き続ける怨嗟の声が絶え間なく注がれて。きぃん、と耳の奥が鳴っていた。
思考が、鈍る。呪詛に塗り潰されていく頭の中で、ただ一つのおもいだけが残っていた。
「……私は、ただ」
あの人に――笑って、欲しかったのに。
……でも。だから。
震える足に、力を込める。
嘆き崩れそうになる心を叱咤して、俯向くことを許さずに前を見る。
哀しくて、苦しくて。この心は今にも圧し潰されてしまいそうだけれど。
そんなものは、今までだってあったのだ。
挫けそうになって、崩れそうになって。それでも、今の咲は生きているから。
「……そう、そうですね。あなたたちの気持ちも、少しは分かります」
人を羨み、恨む声。どうして自分ばかりがと。どうしてお前は、と。
其れらの怨嗟を身に受けながら、咲は共感の意を示す。
自分が失くしたものを持っている人を見ると……ひどく、惨めな気持ちになるのだと。
彼女は、彼女も。その心を、身を以て知っていたから。
――だからこそに。
「これ以上、あなたたちと同じになってしまう人を増やすわけにはいかないのです」
咲は、小さく名前を呼ぶ。それに呼応するように、彼女の傍には真白い姿の“雪霞”が一鳴と共に顕現した。“雪霞”は、憔悴を顔に滲ませる咲を心配そうに覗き込んでいたけれど。大丈夫、と言う風に、咲は花冠戴くその頭を優しく撫でる。そうすれば、もう一鳴した“雪霞”は、瞬く間に彼女の力――杖と、なってくれるから。
泥濘から引き抜いて、踏み出す一歩。
手にした杖を振り上げて、己の全力を込めた魔力を編んでいく。
彼女が喚ぶのは、この昏き沼を照らす光の雨。眩い其れは、まるで天覆う暗雲を晴らしたような光を帯びていて。
「哀しみ囚われた彼らに、道を――!」
光を辿って、空へ。沈んだ彼らが、今度こそは昇っていけますように。
◆
――お前は生きろ、と。
亡霊たちの怨嗟に呻く声に紛れて。確かに響いたその声に、加賀宮・識(焔術師・f10999)は小さく目を見張った。
それは呪詛であった。亡霊たちの嘆きが、耳に入る毎に識の精神を蝕んで。
今となってはあり得ざる、そしてかつては確かにあった過去の光景を、浮かび上がらせてくる。
「っ、……!」
一時動きを止めた識を、格好の獲物と見て。その身を霞と化した亡霊たちが襲い掛かる。
其れらは等身大の呪いであり、影響はこうして耳に雪崩れ込むものの比ではないだろう。ずきずきと痛む頭を自覚しながらも、識は何とか身を捻って応戦する。
漆黒の刃で靄を払い、泥濘みに足を取られぬ様気を付けながら――それでも、ふと気を抜いた瞬間に過ぎる声がある。
――お前は生きろ。
反芻する。思い出してしまう。
その声を聞くたびに、連鎖するように彼女の脳裏には『過去』が一瞬甦る。
身寄りなき自分を拾い、育ててくれた心優しき彼等の最期。残酷なまでの力で蹂躙され、止めること叶わなかった殺戮の日。
止めれなかった――否。私は、止めるようとすることをも、放棄したのだ。
――生きろ。
かつて。その言の葉は『過去』の自分を生かすものであった。
そして。その言の葉は『今』の自分を切り裂く『刃』である。
それは後悔が故に。
あの時、逃げずに立ち向かえば良かったのではないかと。識はどうしても考えてしまう。
声に従わずに、立ち止まれば。あそこで剣を取っていれば――救えたのではないか。
あの時、行動を変えていたなら。あの時、力があったなら。
――ああ……何度、思った事だろう。
「……そんな事。今更想起させられるまでもない」
ぎり、と。剣握る彼女の手に力が籠る。永劫抱き続けるであろうこの後悔は、我が身切り裂く刃であり――抗い続ける、力でもある。
識は、目前の亡霊達を見据える。毅然とした眼差しは、惑いの色を欠片も見せず。彼女の紫水晶はその内に炎を燻らせて、ひた向きに敵を見据えている。
「申し訳ないが、私は一緒には沈めない」
たん、と。軽やかに岩場の上に立ちながら、識は己の剣“暗月鎖”の刃先を握り込む。
軽く滑らせば、容易く出来る一筋の赤。滴る血液は、彼女に取って脱ぐい切れぬ半身の業を表すと共に――内なる熱を体現する、炎となる。
「この思いは、足を留める事を望んではいないのだから――!」
彼らが此の地に縛り付けられているというなら。ここから解き放たれるよう、燃やし尽くすだけだ。
身の内から燃え盛る炎は、彼女の意思によってうねりをあげる。嘆きに身を落とした彼らを全て、呑み込まんとするように。
「せめて、ここから解き放たれるよう……祈っている」
放たれた地獄の炎が。頭上から降り注ぐ光の雨が。
あまねく亡霊達を呑み込んで――その怨嗟をも、呑み込んで。
歎く彼らの魂を、解き放っていった。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴
シン・バントライン
聞こえる声はあの時、暗い穴に落ちて死んでいった仲間達。
あの時自分一人だけがダンピールだからと命を救われた。
何一つ報われることなく散っていった仲間は自分を怨んでいるだろうか。
UC発動
「この花を覚えているか」
上官は幼馴染の美しいヴァンパイア。
敵国の者に対してとてつもなく非情で苛烈な戦いぶりはやはりヴァンパイアなのだと思い知らされる。
でも仲間に対しては意外に優しかった。
そんな彼女欲しさにか、攻め込んでくる隣国は後を絶たず、仲間は彼女の為に次々と死んでいった。
紅牡丹は彼女の愛した花だ。
仲間を埋めたヴァンパイアの首は必ず獲る。
この花に誓って。
彼女の首もいつか獲らねばならないと、血のように舞う花弁に想う。
――声が、聞こえていた。
歎き叫ぶ声だった。心の底から、恐怖に震える声だった。
呪詛に囚われたシン・バントライン(逆光の愛・f04752)は、かの光景を見るだろう。
友と呼ぶべき者、苦楽を共にした仲間たち。彼らが、穴に落ち行くのをただ見る様を。
ぽっかりと大口開けた黒い其処に、一人、また一人と落ちていく。
何一つ為す事ができず、報われずに穴に呑み込まれる仲間の姿。時折ぐしゃりと響く音は、積み重ねられた業を示していた。
――声が、聞こえていた。
あの時。自分一人だけが落ちなかった。
“血が混じっている”と言う理由で、息をすることを許された。
そうして、只見続けていただけの自分を怨む――仲間たちの声が、耳の奥に響いていた。
果たして、これが本当に仲間たちのものであるのか。今のシンに其れを確認する術はない。
ただ、歎きによって見せられる幻覚は、彼の精神をじわじわと蝕んでいった。
『何故お前だけが』
『俺達だけが死なねばならなかったのか』
『どうして、助けてはくれなかったのか』
……嗚呼、このままではなるまいと。剣握る手に、力が込もる。
静かに刃を抜くシンが思うは、春。
――東風不爲吹愁去、春日偏能惹恨長。我が心を、春嵐と為す。
握る剣が、徐々にその形を崩し。はらはらと散る、赤い花弁となっていく。
其れは、赤い牡丹の花弁であった。血のように赤い……彼女の愛した、紅牡丹。
「――この花を、覚えているか」
問い掛けながら、シンは一輪の紅牡丹を思い出す。
その艶やかな髪に一差しの紅牡丹の花をあしらって。血の赤を好み、炎の赤を纏った紅の娘。
我らの上官であり、シンの幼馴染でもあった美しいヴァンパイア。
敵と見なした輩への非情さは群を抜いており、一切の容赦を見せずに戦さ場に舞う苛烈な女。赤纏う彼女の姿を見る度に、やはりヴァンパイアなのだと思い知ったものだった。
それでも。仲間に対しては、意外にも優しさを見せる女だったから。
心惹かれる者は、きっと多くいたのだろう。
絶えずに攻め込んでくる隣国は、きっと彼女を欲していた。
戦は日ごとに激しさを増していき、幾人もの仲間が死んでいく様を見た。
誰もが皆、彼女の為にと。その儚き命を、散らしていった。
「紅牡丹――彼女の愛した、花だ」
舞い散る花弁が、目前に幻を呑み込んでいく。
焼け落ちた故郷を、怨嗟の声を吐き続ける仲間達を。
全てを呑み込んで――今再び、散らしていく。
消えゆく彼らを、彼らを模した亡霊達の姿を見ながら、シンは心の中で誓う。
仲間を埋めたヴァンパイアの首は――必ず、獲ると。
何よりも、この花に誓って。一人生き延びたダンピールの青年は、誓いを捧げる。
「……彼女の首も、いつかは」
脳裏に浮かび上がる、紅の女。彼女と揃いの刀飾りを鳴らしながら、シンは歩き始める。
血のように舞う花弁の中を進みながら。彼女の首を獲らねばならぬ、その日を想って。
シンは、歎きの沼地を歩んでいった。
大成功
🔵🔵🔵
境・花世
●*
絡みつく亡者の腕と怨嗟の鎖
記憶消去銃を撃って逃れても
止まず響き続ける歎きの声
……どうして、哭くの
世界はこんなにも、残酷でかなしい場所なのに
痛くて、怖くて、ゆるされなくて
諦めて、捨てて、進むしかなくて
生を終えて、ようやく解き放たれたはずなのに
問うても問うても答えは返らないから
あとはもう、わたしに出来ることはひとつきり
翻す扇からはらりはらり散らす薄紅、
餞の花でかの海への路を彩ってあげよう
苦しみも、後悔も、かつて生きた歓びも、
全部忘れて融けてしまえばいい
どうか安らかに――沈んで、おいで
わたしもきっとそこにいくよ、と
ささやいて、また駆け出してゆく
いつかこの息が止まったら
枯れ果てることが、出来たなら
白い闇を駆けて、駆けて――駆け抜いて辿り着いた、其処。
ぶわりと、沼の底から這い出ずるように現れた黒い靄。先行かんとする者達を囲むようにして発生したそれを前にして、境・花世(*葬・f11024)は寸でにその足を止めていた。
直感的に、理解する。此の黒い靄の中――薄らと見える、辛うじて人の形を為した影達が。ずっと耳の奥に響いていた、啜り泣く声の主達であると。
黒い靄は、やがて個々に形が別たれて。より人に近い形となった亡霊達が、生者を引きずり込まんと襲い来る。
誰一人として逃さぬと、怨嗟の呪詛を囁き乍ら。歎きに搦め捕ろうと、手を、伸ばして来る。
「――、!」
目前にまで差し迫った腕を、花世は身を捻る事で紙一重に躱す。動いた拍子に、薄紅の花弁がはらりと落ちて――黒き靄の中へと、溶けていった。
その間にも、亡者はその数を見る間に増やしていく。十、二十といった亡者の群れ。それらの数だけ、対の腕が花世へと手を伸ばして来る。響き続ける怨嗟の声が、重い鎖となって彼女の身体を絡め取っていく。
咄嗟に引き抜いた忘却の銃。今にも花世を捕らえんとする腕に狙い定めて、引き金を引く。
『ぁあぁああ゛あ゛ぁああ゛あ゛あぁぁああああ!!!!』
――痛いと。叫んで、いるのだろうか。
一層に強まった叫喚が、花世の鼓膜を震わせる。緘黙せよと放たれた弾は、彼らの放つ呪詛の前に効力を打ち消され――悲哀の記憶を、消しさる事も叶わず。ただ、深い歎きに落ちていくばかり。
脳に直接叩き込まれるかのような呪詛の傷みに、僅かに眉を顰め乍ら。手にした銃を握り締めた儘、花世は薄く唇を開く。
「……どうして、」
どうして、哭くの。
哭いている、歎いている。
何故だろう。だって彼らは、死した彼らは漸く――解き放たれた、はずなのに。
だって、世界はこんなにも残酷で。どうしようもなく哀しくて。
――痛くて。怖くて。ゆるされなくて。
――諦めて。捨てて。進むしかなくて。
生を終えたと言うのなら、彼らはようやく解き放たれたのだろうと。
……解き放たれる事が、出来るのだろうと。そう、おもっていたのに。
花世が問い掛けに、答えるものは居らず。小さく溢れた声は、空に溶けて消えていく。
栓無きものと瞳を伏せて、花世は口を綴じた儘に銃をしまう。
代わりに取り出したるは淡い春。パッと開いた末広が、薄紅の花弁を散らせていく。
「――それでも、まだ。君たちが苦しいって言うのなら」
はらりはらりと、花弁が舞う。
柔らかな風を纏わせながら、薄紅が渦を起こして広がっていく。
「わたしに出来ることは、ひとつきりだ」
花を贈ろう、餞としよう。
其れは、優しい色をした道しるべ。須らく行き着く彼の海へ、彩りを与えよう。
歎きに落ちた彼らを呑み込んで、その哀しみごと攫ってしまおう。
苦しみも、後悔も。かつて生きた歓びも。全て、すべて、融かしてしまおう。
ぜんぶ忘れてしまったなら、ほら。きっと、穏やかな眠りにつけるから。
どうか、どうか安らかに――。
「――沈んで、おいで」
おやすみよ、おやすみよ。
少しだけ底で、其処で眠っていておくれ。
舞い散る花の渦が全てを呑み込んで。やがて姿を現したのは、花咲く女が一人だけ。
最早歎きは聞こえずに、残った怨嗟だけが沼の向こうから肌を粟立たせていた。
すっかりと静まり返ったそこを、一瞥してから。花世は、くるりと身を翻して駆けていく。
今は、まだ。止まる訳には、行かないから。
でも、いつか。もしもこの息が止まったら。枯れ果てる事が、出来たなら。
わたしもきっと――そこに、いくよ。
大成功
🔵🔵🔵
ジャック・スペード
●*
亡者の恨み言は何度聴いても
重い気分にさせられるものだな
お前たちはあの沼の犠牲者なのか
生憎だが立ち止まる事など出来ない
――助けてやれず、済まなかった
然し行く手を阻むと云うのなら、力尽くで通らせて貰おう
召喚するのは十字を模した長剣
光属性の斬撃とリボルバーから放つ光の弾丸で
此の地に縛り付けられた亡霊を浄化出来たらと
数が多ければ銃弾による範囲攻撃で数減らしを
彼等の中には、使い潰され棄てられた者や
誰からも必要とされなかった者も居るのだろうか
……其の口惜しさは少し理解出来る
彼等の気が晴れるならと、覚悟を抱いて呪詛を受け止め
其の悪しき幻影も勇気と剣技で振り払おう
此の身が朽ちる迄、俺は進み続けるんだ
恨み、歎きを絶え間なく叫び続ける亡霊の姿。
黒き靄と化した其れ等に囲まれながら、ジャック・スペード(J♠️・f16475)はつぶさに周囲を観察し、戦況を計っていた。
各猟兵達の奮闘により、亡者達の数は着実に減り続けているだろう。
しかし、その脅威が完全に収まった訳ではなく。彼らの呪詛を込めた響きは、直接触れずとも猟兵達の精神を蝕んでいく。
それは、機械の身であるジャックとて例外はなく。状況を把握しようと取得した視覚情報には不明瞭なノイズが発生し、甲高い叫声を浴び続けたせいか聴覚センサーも不調を起こし始めていた。
そうでなくとも、彼らの恨み言は十二分にこの身を重くさせるものだというのに。
何度聴いても慣れるものではない、とジャックは小さく言葉を溢す。明滅する双眼の光が、気落ちする彼の感情を表しているようだった。
そうしている間にも、声は聞こえ続けている。『何故』と疑問を呈す声が。『くるしい』と痛みを訴える声が。『哀しい』のだと、歎きに喘ぐ声が。黒い靄の中から、絶えず響き渡っている。
「……お前達は、あの沼の犠牲者なのか」
――其れは、呪詛であり。同時に、得られぬ救いを求め続ける響きを含んでいた。
ジャックの問い掛けに、しかし亡者達は応える素振りを見せず。ただひたすらに、持て余した感情の言葉を繰り返していた。
揺蕩う靄は、次第に形を為してその姿を変えていく。黒い靄が凝縮されて行き――痩せ細ったヒトの姿を模って。手近な者を引き摺り込もうと、その枯れ枝の様に細い腕を伸ばしてくる。
迫り来る腕。物理的には脅威を感じられない其れにを前にして、しかしジャックのシステム内には警鐘が鳴り響く。アレは、不味いものだと。幾度かの場数を重ねた彼の経験が、けたたましく告げていた。
「――――!」
咄嗟の判断で後方に下がる。泥濘んだ泥は機動性を妨げたが、幸い亡者の動きも其れ程速いものではなく。空を切る腕を確認しながら、ジャックは己の武器を召喚する。
「如何に犠牲者と言えど、行く手を阻むと云うのなら。力尽くで、通らせて貰おう」
科白と共に顕れる得物。ウォーマシンである彼の手にも馴染む大振りな十字剣を一振りし、ジャックは其の勢いのまま目前の亡霊を斬り払う。
素早い一閃は、ただの斬撃に非ず。淡く光を帯びた閃きが亡者たちを斬り裂き、その傷口から浄化の光を零していく。真逆の属性に不意を突かれたのだろう、戸惑う亡霊たちの隙を見逃さずに、ジャックは逆の手で愛銃を握る。すぐさま狙いを付けるリボルバー、銃口から放たれた光弾は亡霊たちを瞬きの間に呑み込んでいた。
片には剣を、片には銃を。斬り払い、狙い撃ち、時に散弾をばら撒きながら。
黒き鉄の機体は、英雄の如き奮迅で亡者たちを斃していき――。
「――――っ、なっ!?」
――ふと。踏み締めた筈の片脚が、沈む。
足場を見誤ったかと、咄嗟に視線を下ろした先……ぽかりと穴の空いた眼孔ふたつ。
彼の脚に絡みつくようにして、亡霊の一体がジャックを沼に引き摺り込んでいた。
離せ、と。ジャックは纏わりつく亡霊を振り払わんとして――其れよりも、早く。窪んだ眼孔に、吸い込まれるような感覚に襲われる。
視界に走るノイズ、明滅するエラー表示。彼らの呪詛が、凄惨な過去を呼び起こす呪いが、ジャックの五感をハッキングするかのようにして呑み込んでいき――。
====ブラックアウト====
『ど、どうして……私、私はまだやれます!! 頑張れますから!!』
『あああいや、嫌だ……廃棄送りだけはやめてくれ……!!』
『うっ、が、ァ……い、やだ……まだ、しにたく、な……』
『お願いします、お願いします!何でもしますから、どうか捨てないで……!!』
『こんな、なにも……わた、し……いき、た……』
『まだ。いきた、かった、のに』
流れ込む。映像が、音声が。志半ばで果てた者の姿が。強者に搾取され、使い潰されて棄てられた哀れな者たちの声が。ジャックの中に、流れ込んでいる。
死に逝く数多もの命を前にして……ジャックは、燻るこころを自学した。
嗚呼。彼らの口惜しさは、理解出来る。出来るとも。棄てられる感覚と言うのを、ジャックは身をもって知っている。
だからこそに。既に手を伸ばしても届く事なく、無残に命を散らしていく彼等を前にして。
口惜しさを覚え、憤りを覚え……歯痒さを、覚えるのだろう。
「――助けてやれず、済まなかった」
救いを求める彼らは皆、既に過去に果てたもの。今を生きるジャックには、その手を取る事は叶わない。
己が出来るのは。せめて彼らの姿を見届け、受け止める事のみ。
これが彼らの呪詛だというのなら。己は甘んじて受け入れよう。彼等の気が、少しでも晴れるなら。
その上で――進んで見せる。得物を握る手に込められた力は、彼の覚悟の顕れだろう。
一度は廃棄され、それでも掬い上げられた此のいのち。
此の身が朽ちる迄、己は――俺は、進み続けよう。
剣を握る。双眼に灯る金の光が、より一層に輝きを増していく。
この悪しき幻影を屠り、この沼地を覆う歎きの全てを祓う為。
振るわれた鋭い光の一閃が――沼地の瘴気を、斬り払っていた。
成功
🔵🔵🔴
第3章 ボス戦
『呪詛天使の残滓』
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POW : 呪詛ノ紅剣ハ命ヲ喰ウ
【自身の身体の崩壊】を代償に自身の装備武器の封印を解いて【呪詛を纏う紅い剣】に変化させ、殺傷力を増す。
SPD : 我ガ
自身が装備する【剣】をレベル×1個複製し、念力で全てばらばらに操作する。
WIZ : 黒キ薔薇ハ世界を蝕ム
自身の装備武器を無数の【呪詛を纏った黒い薔薇】の花びらに変え、自身からレベルm半径内の指定した全ての対象を攻撃する。
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴
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種別『ボス戦』のルール
記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
大成功 | 🔵🔵🔵 |
成功 | 🔵🔵🔴 |
苦戦 | 🔵🔴🔴 |
失敗 | 🔴🔴🔴 |
大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※このボスの宿敵主は
「アンナ・フランツウェイ」です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
誰かが剣を取った、誰かが銃を握った。
誰かが刃を閃かせ、誰かが声を張り上げた。
渾身の力を揮い、内なる呪力を編み上げて。
燃やして、降らして、散らせて、呑み込んで。
膨らみきった歎きの声を、静めていった。
やがて。彼らを覆う黒靄の全てが、掻き消えた頃。
沼はかつての静けさを取り戻し、周囲には再び白い霧が立ち込める。
程なくして、彼らは歩を進めるだろう。
足裏に感じる地面は硬く、背の低い草が辺り一面に生えている。
不気味なほどの静寂に満ちたその湿原に――少女は、居た。
影と見紛う、黒誂えの少女だった。
服も、髪も、羽も、その肌でさえも。
煤けたように黒く、闇に融けてしまいそうな天使の幼子。
其の身に呪詛の残滓を纏わせ乍ら、少女は来る彼らを見つめている。
「……みんな」
溢された声は小さく、か細く。
其れを耳にした誰かは気付くだろう。
沼地へ訪れた際に、進む際に。延々とすすり泣いていた声の一つが、彼女のものである事を。
「みんな、いなくなってしまったわ」
深い、藍の双眸が此方を見遣る。
其の漆髪を彩る青紫の薔薇が、はらはらと花弁を落としていった。
「みんな泣いているの、哭いていたの。だから私がそれを拾い上げて、集めていてあげたのよ」
哀しんでいたひとを集めたの。
恨みを抱えたひとを集めたの。
みんなみんな集めて、ひとつにして沈ませて――大きな呪いを、作ったのよ。
「全部、全部ね。しずんでしまえばいいと思うでしょう? こんなに苦しくて辛くて、不条理な世界なんて」
――其は、少女の呪詛であった。
かつて強大な力持つ駒を造る為に、数多の実験を受けたツギハギの躯。
全てを奪われた儘に死に絶えて。空っぽになった心を満たしたのは――『怨嗟』だった。
膨れ上がった怨嗟は、最早死因となった者達へ向けるに留まらず。少女と言う存在を産み落とした、此の世界全てへと向けられている。
それは、彼女の前へ立つ猟兵たちへも例外なく。
ふわりと、少女の躯が浮かびか上がる。
擦りきれた翼を羽ばたかせ、手には深紅の剣を握って。
いつしか呪詛そのものと成り果てた少女。骸の海より出でし残滓が、猟兵たちへとその凶刃を向けていた。
――あなたたちも、しずめてあげる。
ボアネル・ゼブダイ
貴様が拾い上げた悲哀と怨嗟に満ちた魂は全て此世から解き放たれた
…骸の海に帰る時が来たぞ
呪詛に塗れ、憎悪のままに堕ちた天使よ
黒剣グルーラングを装備
斬撃に生命力吸収を乗せて敵を弱体化させながら攻撃
敵の攻撃には見切りとカウンターで対処する
世界を呪い、人々を呪い
そして最後は自分自身すらも、その呪いに捧げるつもりか
敵UCが発動したらこちらもUC発動
薔薇の花びらを無数の槍で吹き飛ばしつつ
描いた天国の門の上に立ち自身の攻撃力を高め
天使達との一斉攻撃を叩き込む
世界が苦難に満ちていることなど、私とて厭というほど知っている
…だからこそ、その苦難を取り除き、守らなければならんのだ
この世界のためにな
アドリブ連携OK
リーヴァルディ・カーライル
…ん。見つけたわ。
お前がこの沼地を生み出した元凶ね…。
お前がどんな存在で、どんな過去があったとしても…。
お前が辿るべき運命は一つだけよ。
※元凶に対して怒り心頭
“血の翼”を維持して空中戦を行う敵の頭上を取り、
吸血鬼化した生命力を吸収して【血の教義】を二重発動(2回攻撃)
両掌に魔力を溜めて周囲の呪詛を取り込み、
常以上の殺気と気合いを込めて両手を繋ぎ“闇の結晶”剣を召喚
…さぁ、覚悟は良い?
その呪いごと、お前の存在を闇に還してあげるわ。
第六感を頼りに敵の動きを見切り、
敵の攻撃と術の反動を呪詛耐性のオーラで防御して、
怪力任せに結晶剣をなぎ払い“闇の奔流”を放つ闇属性攻撃を行うわ。
…消えなさい、永遠に。
しずめてあげると口遊び、剣を手に浮かぶ黒灰の少女。
温度を失って久しくあろう其の深い藍の双眸を、艶めく一対の赤が見つめていた。
展開していた五つの光爪を収め、ボアネル・ゼブダイ(Livin' On A Prayer・f07146)はその手に剣を握る。薄闇の中、黒剣に巻き付いた蛇の意匠が、持ち主と似た色を持つ珠玉の双眼を光らせていた。
「貴様が拾い上げた、か」
黒剣の柄を握りしめ、ボアネルはその剣先を煤けた天使へと向ける。呪詛に塗れた過去の遺物を『グルーラング』へ食わせる為に。
「悲哀と怨嗟に満ちた魂は全て此世から解き放たれた……さぁ、骸の海に帰る時が来たぞ」
凛と響くボアネルの言葉を受けて、煤けた少女はすぅと目を細める。
「そうね、せっかく集めたあの人たち。みんないなくなってしまったわ」
少女の口から、小さく呟きが落とされる。声には寂寞の色が滲み、その瞳が彼の者たちを悼むかのように伏せられた。
それはただのか弱き少女の様な姿でもあり――しかし、其れは見目によるまやかしであろうと猟兵達は知っている。少女の身から溢れ出でる禍々しい呪詛を、ボアネルもまた感知していた。あれは、呪いに満ちている。
その証拠に。かの少女の周りを渦巻く黒い靄、次第に薔薇の花弁を模っていく其れは、この世に在る全てを害さんとするが込められている。
「いなくなってしまったけれど……なら、また集めなおせばいい。そうでしょう?」
――だって、世界はこんなに痛みで満ちているのだもの。
少女の言葉と共に、渦巻く薔薇の花びらが猟兵たちへと降り注ぐ。
怨嗟を溶かし込んだ黒い花弁は鋭い刃となって空を裂き、前に立つ者共をも裂かんと襲い来る。――それに相対するようにして、ボアネルは一歩前へ出た。
剣を構え、前を見る。渦巻く花弁の嵐へ、その奥へ佇む少女へと毅然とした眼差しを向けて。
「世界を呪い、人々を呪い。そして最後は自分自身すらも、その呪いに捧げるつもりか」
舞い散る花弁の狭間に、擦り切れた少女の姿を捉える。あれもまた、虐げられし者の成れの果てなのだろう。世界は辛く苦しいのだと訴える彼女達の声に、思わぬ心が無い訳ではない。
なればこそ。己が為すべき事を、青年は心得ている。
「――髑髏の丘の磔刑の、聖なる傷から生まれし槍よ」
声が響き渡ると同時、陰鬱な霧に包まれた湿原に“あか”が顕れる。
其れは、降り注ぐ黒薔薇を穿つ“あか”であった。地から這うようにして顕れた血濡れの荊が、降り掛かる花弁を遮らんと蠢いて。その中からさらに、無数の古びた槍が突出する。
あかく――血濡れた槍は、その鋭さを持って振り落ちる花弁を弾き飛ばす盾となる。
力のぶつかり合いによる衝撃波に煽られて、彼の銀糸が霧の中に揺らめいた。それでも仕留め損ねた幾つかの花刃が、ボアネルの頰を引き裂いていく。
しかし、彼は怯まない。自らに課した務めを果たさんと、その形良い唇は傷を負ってなお詠唱を続けている。
「――その聖血を以て、救いの門を開き給え」
続いて戦場に顕現するは、門であった。青年が天国の門と呼ぶ其の中から、天使と呼ばれる者達が姿を現していく。
途端に、ボアネルは自身の内に力が溢れていくのを感じていた。武装した彼等は神罰を与えし力であり、同時に善き者へ祝福を与える天使達だ。
剣を握り直す。槍が撃ち漏らした花弁を薙ぎ払いながら、ボアネルは勢いよく前へと駆け出ていった。ドレインの力を付与した黒剣を振り翳し、狙うは敵の本体――黒灰の少女だ。
「呪詛に塗れ、憎悪のままに堕ちた天使よ。在るべき場所へと還るが良い!」
「――っ!」
我が身を切り裂かんとする黒刃を、少女は手にした紅剣で辛うじて防ぐ。刹那の鍔迫り合い、その間に削られた自身の“力”を自覚して、少女はすぐさま後方へと距離を取った。
その隙を、黒衣纏し彼女――リーヴァルディ・カーライル(ダンピールの黒騎士・f01841)は見逃さない。
「……ん。見つけたわ――限定解放。逃がさないわよ」
後方へと飛び退った少女の背後に、その影は現れた。本来ならば静かな紫を湛えた瞳を、左のみ赤く染めた少女。吸血鬼としての己を一時的に解放したリーヴァルディは、血翼を羽ばたかせながら己の掌に“武器”を生成する。
体内に渦巻く吸血鬼のオドと、精霊から齎されるマナ。発生源の異なる二つの魔力を、リーヴァルディは両掌の中で混ぜ合わせ、収束させていく。
「……さぁ、覚悟は良い?」
――その呪いごと、お前の存在を闇に還してあげるわ。
湧き出る殺意を隠すことなく、心に溢れる怒りの儘に。天使の少女が纏う呪詛すらも糧として、リーヴァルディは“剣”を作る。繋ぎ合わせた両手の中に生み出した“闇の結晶”剣を握りしめ、リーヴァルディは迷い無く少女の背へとその剣先を振り下ろした。
「っ!」
背を裂かれる痛みに呻きを上げる。しかし、痛みに浸る間を少女は与えては貰えない。
咄嗟に反転した少女の瞳に映ったのは、怪しく光る血のような赤のまなこ。ゆるく波打つ銀の髪を揺らしながら、リーヴァルディは間髪入れずに剣を振るう。
その切っ先を何とか避けながら、呪詛天使の少女はこてりと小さく首を傾げてみせる。随分と余裕のないリーヴァルディの様子を、わけがわからないとでも言うように。
「あなたも哭いているのかしら。哀しいのかしら。……憎んでいるのかしら」
そう呟きながら、少女もまた剣を生成する。宙を漂う紅の剣、少女の手にあるものを複製した其れがリーヴァルディへと襲い掛かっていく。
前方から飛んでくる剣を薙ぎ払い、頭上に回った剣先をオーラを集中させて事で弾く。『血の教義』によっていつ暴走するとも知れぬ力を体内に抑え込みながら、リーヴァルディは険しい眼差しを少女へと向けた。
「憎んでいるか、なんて……お前がこの沼地を生み出した元凶でしょう」
「呪いを作った、という意味ならそうかしら。――でも、あなた。怒っているのは、それだけじゃあないでしょう」
飛来する剣を弾き落とし、再び接近する。血の翼を羽ばたかせ、リーヴァルディは少女の喉元へ切っ先を向ける。その様を見ながら、少女は至極不思議そうな顔を向けていた。
「あなたが何を見たのかは、分からないけれど。わたしはお手伝いをしただけよ。哀しみの元になるものを、見たのでしょう?」
ぴくりと、少女の言葉に反応してか剣握るリーヴァルディの腕に力が込められる。剣を向ける先こそ変わらずに、しかし必要以上に注がれた力は只でさえ難航する“闇属性”の制御を揺らがすには十分なものだった。大きな振りに合わせて、呪詛天使の少女はひらりと身を躱す。
「そうして恨むべきは、世界ではないかしら。この世界は、いずれあなたも哀しみにしずめるわ」
その前に、全部しずめてしまえばいい。ただ自らが沈められてしまうくらいなら、全てを巻き込んで沈める側に。全てを引き摺り落としてやらねば気がすまないのだと、かつてただ蹂躙されるのみであった少女は言う。
リーヴァルディその言葉を聞いて――表情を“落とした”。
「……そう。そうしてお前は、彼らを沈めたのね」
音が消える。己の潮騒のみが内側で響き、リーヴァルディは怒りが頂点を突き抜けた事を自覚する。
脳裏をよぎるのは、先の沼地で垣間見た亡霊達の姿。「未だ怒りを持っているか」と問えば、最期の力を振り絞って頷いた数多の亡者達。リーヴァルディの怒りに同調した彼らは、聖痕を介して彼女に力を与えている。
己の前に立ちふさがった彼らもまた、被害者であった。望まぬものを見せられて、強制的な悲哀に引きずり込まれて。この地に縛られる限り、どうしたって鎮むことのない魂達。彼らの思いもまた、彼女は剣に乗せていく。
「お前がどんな存在で、どんな過去があったとしても……お前が辿るべき運命は、一つだけよ」
そも。この天使の少女は既に、リーヴァルディの逆鱗に触れている。愛しい人の有り得ざる姿を彼女のまなこに映り込ませた、その一点でリーヴァルディは元凶を屠ると定めていた。
故に。少女のたわ言など、耳を貸すはずもない。
渦巻く呪詛、怨念とも言えるそれをリーヴァルディは完全に制御する。冷め切った表情の下に、燃え盛る怒りを潜ませて。“闇の結晶”から生み出される奔流を押し込めて、押し込めて、押し込めて――。
「……消えなさい、永遠に」
――放つ。
瞬間。溢れんばかりの闇”が、羽根つきの少女を呑み込んだ。
濁流に呑み込まれ、嬲られて。それでも内部でもがきながら、弾き出されたようにして少女は外に出る。
しかし。息を吐く間も無く、少女の眼前にはまた別の切っ先が現れていた。
「っ!」
身を仰け反り、紅剣で剣先を弾く。しかし、その脇からまた別の刃先が少女を狙って差し込まれていた。
其れは、ボアネルと彼が召喚した天使達であった。数多の得物が、少女の首を狙って揮われる。少女は、残った複製の剣を操る事でそれを何とか防いでいた。
「先程、貴様は『世界は痛みに満ちている』と言っていたな」
「……ええ、そうね」
息を切らしながら剣を捌く少女に、ボアネルは語りかける。もちろん、それで攻撃の手を緩める事はなく。構えた剣先は、少女の操る紅剣を弾きながら常に隙を伺っている。
「その言葉を否定はしない。世界が苦難に満ちていることなど、私とて厭というほど知っている」
迫り来る飛翔剣を弾き、少女の持つ紅剣を叩き落として。青年の黒剣は、彼女を守りを掻い潜る。
瞠目する青の瞳を捉えながら――ボアネルは、彼女の懐でその一閃を放った。
「……だからこそ。私たちはその苦難を取り除き、守らなければならんのだ」
この世界のために。世界に生きいく無辜の人々の為に。
ぱくりと裂けた少女の傷から残滓が漏れ出していく様を、青年は静かに見つめていた。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴
矢来・夕立
●*
さて…さっきの方々、呪ってくださっているでしょうか。
でないとちょっと自害のし甲斐も薄れてしまうんですが。
【神業・影暗衣】。
花弁は刀で弾く。
剣は捕まえられそうなら捕まえて、式紙で縛る。
一本でも減らしときましょう。
ぶっちゃけ沼地ですから、長時間《忍び足》で隠れるのは難しいです。
『幸守』『禍喰』『幅滝』の全部を足場にして、一気に近づきます。
気づかれる前に《暗殺》。
別段彼女にも、彼女がしたコトに思うトコもありませんけれど、教えてあげます。
あなたがこの沼に沈めた――鎮めたつもりですか?
…まあ、殺したひとたちを連れてきました。
オレの呪いのどっかしらに混じってると思いますよ。
ちゃんと挨拶しましょうね。
エン・アウァールス
【●*】
へえ。
悲しみを知ると、キミみたいになるのかい?それは少し、興味があるね。
世界を呪うって、どんな感覚なんだろう。
エンはね、今いる世界に満足しているよ。
助けてくれたカミサマがいた。
必要としてくれる、特別な猟兵がいた。
…その何方とも巡り会えなかったなら。エンも、キミみたいになっていたのかなあ。
まあ、つまり、キミは。
ただ運が悪かっただけ。
それだけなんだ。
ところで 一一
キミは亡霊と違って、斬り応えがありそうだね?ふふ。
▼戦闘
先の戦闘を踏まえつつ、積極的に攻撃する。【見切り】【激痛耐性】【呪詛耐性】【罠使い】【傷口をえぐる】を駆使。「雪迎え」を蜘蛛の巣のように張り巡らせ、機動力を削ぐ。
穂結・神楽耶
●*
思いませんよ。
沈んでしまえ、なんて。
飛翔する相手に当てに行くとしたら【神遊銀朱】ですね。
が、当たるとも思っていません。
これらは牽制であり、妨害であり。
敵の機動を削ぎ、味方の猟兵様方の攻撃が当たるよう誘導するためのもの。
そして嘆きと呪詛を引き受けるための盾です。
これ以上、彼女の呪詛がほかの悲しみを引き込まないように。
あなたの嘆きが正当であっても。
無関係の被害者を出した時点で加害者です。
だからもうお眠りください。
せめて骸の海で見る夢が、幸福なものでありますように。
狭筵・桜人
●*
どいつもこいつも不幸ヅラしてんじゃないですよ。
呪詛を撒き散らすにしたって、もう少し場所を選んで欲しかったですね。
クリーニング代分。きっちり払って貰いますからね。
『名もなき異形』。
UDCに繰り返し攻撃させます。つきまといってやつです。
目的は行動阻害。使い捨ての化物に武功なんて期待はしてません。
私自身は【見切り】で回避行動に集中。
敵の注意の惹き付けと、少女の躯の崩壊を待つための【時間稼ぎ】をします。
要するに。
勝手に死んでどうぞってことですねえ。
ま、そう上手くは行かないでしょうし。
決定打なりトドメなりの手柄は人に譲りまーす。
だってそんなことしたら、
哀れな少女を私が殺したみたいでしょう?
閂・綮
【●*】
よくも、あんな酷いことを、と?
あたかも、自分達が一等『憐れ』だと。
そう憚らず喚いていたものだから、灸を据えたまでのこと。
何より。仮にも神の名を頂く存在の、柔い部分を覗き見ておいて。
一一 無事で済むとでも?
悲しみにくれている者共をひとつにするなど。
お前の所業こそ、残酷だと思うがな。
他者と分け合えど軽くなどならん。
…より、重い枷となるだけだ。
黒泥の娘よ。
お前とともには沈んでやれん。
ただ 一一 その姿に成り果てる前に
見つけてやれなんだこと。
…それだけは、我らの咎だ。
◼️戦闘
【破魔】【オーラ防御】を駆使、猟兵の守護を優先する。沼に足を取られる・悲しみに囚われた場合は【救助活動】【鼓舞】する。
「ひどい、ひどいのね。あなたたち」
裂かれた傷口から、靄のような残滓を漏れ出しながら。羽つきの少女は、相対する者達に非難の眼差しを向けていた。
その視線を受けて、閂・綮(心隠し・f04541)はすぅと目を細める。朧げな形の少女、かつて少女であったソレを見定めるようにして。
先程に、煤けた少女は謳っていた。せっかく集めたみんな、いなくなってしまったと。
そこには、何故という疑問の響きがあった。自らの所業を是とする少女にとって、猟兵達の行いは不可解なものと映っていたのだろう。
どうして、どうして――。
「……よくも、あんな酷いことを、と?」
続いたであろう少女の言葉を、綮は静かに口にする。
細まった瞳は一見にして穏やかで、しかしどこまでも冷たい無機質な橙硝子の様であった。
綮の脳裏に過るのは、先に邂逅した亡者の群れ。誰も彼もが、自分が一等に『憐れ』だと憚らずに喚いていたものだから――少しだけ、彼は灸を据えてやったのだ。
嗚呼、何より。仮にも神の名を頂く存在の、柔い部分を覗き見ておきながら。
――無事に済む筈も、ないだろうに。
「酷い、と言うならば。お前の所業こそ、残酷だと思うがな。悲しみにくれている者共を、ひとつにするなどと」
「……どうして?」
虚ろな瞳で首を傾げる少女。どうして、なんでと問い掛ける仕草はまるでいたいけな子どもの其れであり。事実、彼女は幼いままにその生を終えたのだろう。
「悲哀を他者と分け合えど、軽くなどならん。……より重い枷となるだけだ」
答を返す綮の声もまた、至って平穏な響きを持ち。其れは、さながら老師と幼な子のやり取りの様であった。
「……ええ、そうね」
けれど。其れも、少女が再び言葉を紡ぐ迄の事。
「そう。みんなでいっしょに泣いたとして、哀しい気持ちがなくなりはしないわ。あなたの言う通り――ええ、そう。だからこそなのよ」
白い霧の立ち込める草はらに、少女の愛らしい声が響く。
「集めたみんな、誰も彼もね。『どうして自分だけが』って、泣いていたのよ」
どうして自分だけが、こんな哀しみに沈まねばならないのか。やり切れぬ最期、追い詰められた彼らが帳の間際に抱いた歪な願い。少女が自ら掻き集め、聞き届けた其れらを彼女は口にする。ただそこにあった事実として、唄うように口遊む。
「どうせなら全部、同じようになってしまえって。世界の全て沈んでしまえばって――」
「思いませんよ」
凛と。少女の言葉を遮って、穂結・神楽耶(思惟の刃・f15297)の声が響く。
結ノ太刀を握り締め、神楽耶は双眸を少女に向ける。熾烈を内に秘めた鋭い眼差しが、黒灰の少女を射抜いていた。
「沈んでしまえ、なんて。思いません、幾ら哀しみの淵にあろうとも」
自らが哀しいからと、辛いからと。それで守るべき者達の不幸を希うなど、本末転倒だ。特に神楽耶にとって、その選択だけは有り得ない。
そして同時に。今尚多くの人々を悲歎に沈めようとするこの少女を止めねばならないと、神楽耶は自らの刃を抜く。
「あなたの嘆きが正当であっても。それで無関係の方々を巻き込むと言うならば、容赦いたしません――まだ掬える方々を、あなたへ渡すわけには参りませんから」
その切っ先を迷い無く少女へと向ける神楽耶の、その瞳の裏は炎がある。
既に救えなかった数多の命、愛しきを呑み込んだ炎の光景はきっと消える事はないだろう。だからこそに、彼女は手を伸ばし続ける。この身が人々にとって救いになればと、そして彼らを害するものへの刃とならんと。
どこまでも“ひとの為”。そう在らんとする神楽耶の姿を見て――矢張り、理解出来ないと。
彼女の後方に位置した、矢来・夕立(影・f14904)は幾度めかの所感を持つ。
しかしそれで何を言うでも無く、彼の視線もまたすぐに敵へと定められる。思考するのは、アレを如何に殺すかと言う事。死への算段など、夕立にとっては息をするのと同等なものであった。少なくとも、不毛な感慨に耽るよりも余程楽な作業だと。
掌に馴染んで久しい脇差を構え、赤の眸子が前を見据える。懐からそっと羽搏いていった式紙は、此度もよく働いてくれる事だろう。
「さて……さっきの方々、ちゃんと呪ってくださっているでしょうか」
――でないと、ちょっと自害のし甲斐も薄れてしまうんですが。
物騒な単語をぽつりと溢しながら、夕立は静かに刃先を向ける。やたら色の薄い自らの肌、幾度と傷を重ね、今もまだ乾いたばかりの血液がこびり付いた其処――即ち、“自らの喉元”に。
いやに手慣れた彼の仕草を目に留めて、「わぁ」と小さく呟いたのは狭筵・桜人(不実の標・f15055)だった。その声を聞き止めて、夕立はちらりとそちらを横目で見遣る。
「どうかしましたか、狭筵さん」
「いえまぁ。またズバーっとコースかと思っただけでして」
やるのはどうぞご自由に、と続けながら桜人はそそくさと距離を取る。服についた血の濯ぎ方は存じているが、まぁ労力は少ないに越した方が良いだろうと言う判断だった。現状、ただでさえ泥汚れが大変そうだと言うのに。
そそっと後ろへ下がる桜人と入れ替わるようにして、エン・アウァールス(蟷螂・f04426)が夕立の位置する横へ並び立った。彼の手にした『肉剥』は既に元の鋸へと形を戻し、次の獲物の血を今か今かと待ち構えている。
「あの子なら、亡霊と違って斬り応えがありそうだね?」
ふふ、と小さく笑みを溢す彼自身もまた、血の匂いを纏わせていた。嗅ぎ慣れたにおいが鼻孔をついて、夕立は視線を向ける事もなく把握する。なるほど、此方はお仲間の模様だ。
互いに己の血をもって術を為す。自らの喉元へ刃を向ける夕立の様子に、エンも特に驚くこともなく。至極当たり前のように、彼も先程に傷付いた腕へと『肉剥』の刃を当てていた。
各々の患部に刃先を当てる影二つ。姿勢を正し、指先に力を籠めて。
ふと、振り返った綮がその様子を見留めて。並ぶ彼らへと、声を掛ける。
「――お前たち。加護は、いるか?」
「「いいや/いいえ」」
――引き抜く。
ひと息に。鮮やかに。
綺麗に咲いた赤の華。舞い散る花弁が地に落ちるよりも、はやく。
二つの影は、飛び出していった。
◆
一つは迷いなく敵前へ、一つはそれと分散するようにして側面へ。
前者であるエンは、相対した少女へ届くと判断するや否やすぐ様に鋸を振るっていた。
活性化した肉体が揮う刃は、脅威となって少女へと容赦なく牙を剥く。
「――エンはね、キミに少し興味があるんだ」
黒曜石の鋸を揮いながら、エンは少女へと言葉を向ける。薙ぎ払った一閃を飛び退る事で避けた少女は、男の科白に小首を傾げた。
「きょうみ?」
「うん。キミは、“悲しみ”を知ってるんだろう?」
悲しみを知ると、この少女のようになるのだろうか。世界を呪うほどの、強い感情。
怒りとか、悲しいとか。そういった感情が己の中から欠落してしまっているとエンは自覚する。人がそう主張する様を目にする度に、己の持ち得ぬそれらを不可思議に思ってきた。この少女もまた、過去の残滓でありながらエンの持たぬ『感情』を所持しているのだと言う。
「どんな感覚なんだろうね、それは」
淡々と紡がれる言葉に、疑問はあれど悪意はなく。しかし、それは怨嗟に塗れた少女の逆鱗を逆撫でするに十分なものだった。
矜持を傷付けられたと言っても過言ではないのだろう。それまで虚ろであった少女の瞳がきゅっと細められ、紅剣の鋭さが心なし増していく。
「かなしいがわからない、なんて。ふざけているのかしら、あなた」
「……そう言うつもりでは、ないけれど」
激しさを増した剣戟に、しかしエンは血濡れの鋸で難なく応戦する。我が身を削るような鋭い剣閃は、鋸で受ける度にビリビリとこの手を痺れさせてくるけれど。鬼の力を宿した身ならば、もうしばし持つだろう。
何より、エンは守りより攻め手の方が得意だ。少女がこれ以上力を乗せてくる前に、一手でも多く、斬り込まねば。
「エンはね、今いる世界に満足しているよ」
かつて。自分を助けてくれたカミサマがいて。必要としてくれる、特別な猟兵がいてくれたから。
彼らの事は、すぐ脳裏に思い浮かぶ。それより昔のことは、あんまり思い出せないけれど。
それでも彼らがエンの存在を“是”としてくれたのだから、今のエンにとってはそれで充分だ。
――ただ、もしその何方とも巡り会う事が出来なかったなら。そういった未来を想像して、エンは少しだけ少女の言葉を理解する。
そうしたら、エンもキミみたいになっていたのかなぁ、と。
「……まあ、つまり、キミは」
――ただ運が悪かっただけ。それだけなんだ。
片角の男と紅剣を揮う少女が切り結ぶ様を遠目に見ながら、桜人はふぅ短く息を溢す。
あっという間に飛び出していった彼らは、いやはや何とも――。
「二人とも勢いがまぁ……もっと我が身を大事にしてもバチは当たらないと思うんですけどねえ」
「……全くです、ええ」
桜人のつぶやきに同意を示したのは神楽耶だった。
生き急ぐように駆けて行った彼らへ、思うところは無きにしも非ず。人の身であるのだからもう少し大人しくしても良いのでは、と先の感傷もあって神楽耶は思わずにいられない。
「とは言っても、それで止まるような方々でもないでしょうから。……わたくし達も、続きましょう」
チャキ、と神楽耶は刀を構える。今一度剣先を向けるは、かの少女へ。狙いは既に定まっている。
「偽りなれど、彼の色は真となりて――」
小さく唱えた彼女の言に合わせて、ひとつふたつと細い影が現れる。
それは白銀の刃であった。彼女自身である刀の複製が空中に顕現していく。空へと浮かぶすべをもった少女を捉えるには、此方も宙を舞う刃を振おうではないか。
「――参ります」
「ハイハイ、お仕事ですね」
一方で、桜人は一見適当とも思えるぼやきを零しながら『ハコ』を取り出していた。呪詛で固めた小さな檻、掌の上で飼える程度の――化け物。
所属する組織からは「扱いに気を付けろ」と口酸っぱく言われているであろうUDCを、桜人はおもちゃでも扱うように放り出して。
にこやかな笑みを貼り付けたまま、告げる。
「――起きろ、化け物。餌の時間だ」
――現れる。おぞましくもありふれた、名も与えられぬ異形の姿。
鹵獲され、ただ使役され酷使される運命となったそのUDCへ、桜人は指示を出す。
攻撃を開始せよ。ただひたすらに、敵を食い尽くすまで。
『――――!!!!』
声ともつかぬ唸りを上げながら、UDCは羽つきの少女へと突進していく。幸いにして、彼女の纏う呪詛の馨りが良い撒き餌となっているようだった。
桜人の放ったUDCは、少女と切り結ぶエンごとその存在を食おうとして――しかし、ひょいと咄嗟に身を屈める事でエンは其れを回避する。
「おっと」
「きゃあっ!」
突然に現われた化け物に目を向けたのは一瞬で。エンには目もくれずに少女へと顎門を開くUDCに、あれは味方の“得物”なのだろうとエンは即座に判断した。
「これは、なに? ばけもの――?」
『――――!!!!』
少女へと付き纏う化け物に、それほどの破壊力は見受けられず。しかし瞬発力だけはあるようで、ひたすらに少女へと付き纏う枷となっている。
それに続くようにして、飛来する刃があった。宙を舞いながら少女へと切り掛かる日本刀もまた、味方の術によるものなのだろう。刀と化け物、二つが少女の動きを阻害し、牽制の効果を生み出している。
であるなら、己もまた立ち回りを考える余裕が出来た。エンは鋸を構えたまま、指先に繋がった銀糸を操作する。
数少ない草木の位置を見極めて、たおやかな銀糸を巧妙に張っていく。獲物を捕らえる蜘蛛の巣を、構築していく。
獲物を確実に仕留めるまでが、エンの仕事。羽の一つまで、逃がしてやるものかと。
貪欲を自称する鬼は、少女を囲うべく罠を張り巡らせていく――。
「しつこい、しつこいのね」
一方で、化け物の追撃と飛翔する刀による阻害を受けた少女は苛立ちの声をあげていた。
それもそうだろうな、と桜人は笑みを浮かべたままに思考する。彼の下した命令は、命続く限りに繰り返し攻撃するように、すなわちとことん付き纏えというものだった。
しかし攻撃回数のみに集中させすぎて、肝心のダメージは与えられていないのではないか? ――いいや、そんな事は百も承知。使い捨ての化物に、武勲などハナから期待してはいない。
刻々と崩れゆく少女の躰。桜人の狙いは、最初から彼女の自滅にあるのだから。
「見るにその真っ赤な剣、使うには相当の体力を消耗するんでしょう? いやぁ、いつまで持つんでしょうね――っとお」
言い終わる前に、桜人目掛けて紅剣が飛ばされる。彼女もまた複製した得物を操る術を心得ているようだった。
しかし彼女自身が化け物と刀に追われている以上、複製の軌道はどうしてもおざなりになる。飛ばされた剣を難なく躱す桜人に、少女はむすりと口を尖らせた。
「このばけもの、あなたのでしょう? だったら――」
「先に私を倒してしまえ、って? ンッフフ、良いですよ。これでも鬼ごっこは得意でして」
さぁさ鬼さん、手のなる方へ。ふざけ半分に宣う桜人に、少女は再びいくつか剣を飛ばしていく。そこにはまた、ありったけの呪詛を乗せて。
ああ、また哀しいだの何だのと抜かすタイプかと。放たれた呪詛の名残を嗅ぎ取って、桜人は軽く鼻を鳴らして見せた。
「まったく。どいつもこいつも不幸ヅラしてんじゃないですよ」
加えてだ。呪詛を撒き散らすにしたって、もう少し場所を選んで欲しかった。
いくら沈めるのに適した場所があったとはいえ、仕事を受ける身にもなってほしい。お陰で頭からどっぷりとは行かずとも泥だらけ、制服はもれなくクリーニング行きだろう。血液が付着していない分、業者に丸投げしても大丈夫そうなのが唯一の救いだろうか。
「クリーニング代分、きっちり払って貰いますからね!」
頭上に飛んできた剣を屈んで避け、次いで右の振り抜きを身を捻って躱していく。こうして己が注意を惹きつけている間にも、少女の身体は崩壊していくのだ。全くもって掌の上、勝手に死んでくれるなら越した事もない。
次は左から、もう一度右に――と。
「あ」
ぐらりと、足を取られる。ここは沼地ほど泥濘んでいなかった地面で、つまりこれは単にたたらを踏んでしまったという事で。
慣れぬ沼地の横断、先の亡者との集団戦。いち学生の彼の体力を奪うには、充分な要素が既に揃っていた。
やってしまった、と。目前に迫る剣先を眺めながら、桜人は次の手を思考しようとして――。
――ひらりと、黒い“こうもり”が目前を過ぎる。
それは飛来する紅剣にぶつかって。束の間、その勢いを落としていた。
僅かな、間。それで充分だった。次の『刀』が桜人の元に辿り着くには。
刹那――姿勢を崩した桜人の目前に、白銀の壁が作られる。
「ご無事ですか!?」
それは全てが刀身であり、先程に傍らで少女がの生成した太刀の束であった。
瞬時にそれを判断して、桜人は「ええ」と神楽耶へ笑みを向ける。一瞬浮かんだ焦りは跡形もなく消え去って、いつもどおりの春色がそこにあった。
「どうもどうも。いやぁ、持つべきものは頼りになる味方ですよね」
「お気を付けてくださいね。いざと慣れば盾となる心積りではありますが」
操る刀群で飛来する紅剣を弾き落とし続けながら、神楽耶は桜人の礼に半ば反射で言葉を返す。彼女もまた、先程一瞬見えた“こうもり”を捉えていた。
剣戟や化け物の攻撃に紛れて、見えなくなった影一つ。いつものように、きっと何処かに潜んでいるのだろう――ならば、派手に立ち回るのが己の役割だ。
刀に、意識を集中させる。飛来する紅剣を打ち落とし、前衛で暴れる化け物と鬼の彼の邪魔にならぬよう、しかい少女の動きを確実に阻害する。
集中する。ひとに害が及ばぬように。集中する。少女の呪詛が、これ以上広がらぬように――。
「――っ!」
複数の刀を同時に操る集中力は、凄まじい疲労を生むだろう。それに伴って、のし掛かる呪詛の重圧が神楽耶の精神を蝕んでいく。
瞼を落としてはならぬと、神楽耶は歯を食いしばって呪詛に耐えようとする。チカチカと明滅する瞳の奥。ああ、ああ、また、あの炎が――。
「――少し、落ち着くといい」
穏やかな、声。
それが味方のものであると神楽耶が気付いたのは、自身を包む暖かな光を認識してからだった。
「これは……」
「破魔の光だ。多少は、楽になるだろう」
呆然と呟く神楽耶の表情は、ある種見目相応の少女のようであり。白糸を揺らしたカミサマ――綮は、くつりと喉を鳴らしていた。
神楽耶の回復をその目で確認してから、綮はすっと瞳を滑らせる。視線の先は、かの少女へ。
「黒泥の娘よ。我らは、お前とともに沈んでやれん」
猟兵たちを守護する破魔の光を指先に宿しながら、綮は穏やかな声音のままに言葉を紡ぐ。
「ただ――その姿に成り果てる前に見つけてやれなんだこと」
ふと、その瞳がわずかに翳る。時を早くにまみえたならば、きっと少女は“守護される”べきか弱き者であっただろうから。
「……それだけは、我らの咎だ」
小さく落とされた綮の言葉を、近くにいたもうひとつの『かみさま』が聞き止める。彼女もまた、彼と同じように人に願われて在る『守護者』であったが故に。少女へと抱く気持ちは、どこか通ずるものがあるように思えた。
人々を傷付ける加害者となった者を、神たる二柱は赦しはしないだろう。けれども、同時にただ罰をもって切り捨てるだけの非情さを――二人は、持てないでいたから。
「――せめて。あなたが骸の海で見る夢が、幸福なものでありますように」
そう祈っているのだと、神楽耶は口にする。己の言葉として放つことが、大切なのだと教わったから。
神楽耶は、ぐっと刀を握り直す。じんわりと染み渡る光の暖かさが、彼女に再び力を与えていた。
◆
飛翔させる剣は弾かれ、自身の揮うそれもまた、目前の鬼と化け物に阻まれる。
一向に感じられぬ手応えに、少女は憤慨していた。そもそもこの人達は何故、こんなにも己の邪魔をしてくるのか。少女には、そこからして分からない。
「おとなしく、しずんでしまえばいいのに――!」
そうだ。化け物も何もかも、一斉に沈めてしまえ。
力一杯に紅の剣を薙ぎ払って、少女は一度距離を取る。宙へ浮く高度を上げて、あの片角の鬼も、化け物も届かぬ高さへ逃げなければ。
「っ!」
飛翔を阻む銀糸をも無理矢理に振り切って、少女は宙に逃げていく。力任せに抜け出したからだろう、銀糸が触れていた箇所はすっぱりと裂けていて、痛みも熱も酷いけれど――それでも、抜け出してさえしまえば大丈夫なはずだからと自分に言い聞かせて。
やがて、充分な高さへ飛翔してから、少女はくるりと皆の方に向き直る。
化け物と片角の青年。化け物の飼い主に刀操る娘、そしていやな光を持った男のひと。
「ぜんぶ、ぜんぶ。まとめて呑み込んであげる――!」
巻き起こるは花の嵐。呪詛を栄養として育った黒薔薇が、その花弁を凶器として猟兵たちに襲い掛かる。
「――!」
少女の動きにいち早く反応したのは、支援に徹していた綮だった。
破魔の光を守護の力へと変え、すぐさまに前方へ護りの気を展開させる。
鋭い花弁が彼らを傷つけぬよう広がった光。それに瞠目したのはエンだった。
――ああ、居たんだ。と。慣れ親しんだ気配に、ほんのりと口角が上がる。
すぐ様に叩き付けられる花弁の嵐は、しかし辛うじて彼らの身体を傷付けるには能わず。
防御を一身に担う綮の補助に入る為、神楽耶も続けて太刀の複製で再び盾を作る。そうすれば、護りはより強固なものとなる。
それでも尚、花嵐は止まず。嵐の狭間に見える少女の姿は、どこか意固地になっているようにも見えて。
あーあ、と。桜人は嘆息する。その顔には変わらず笑みを貼り付けて、けれどまあ「かわいそうに」と形式ばかりに呟いて。
長らく化け物や片角の彼と、紅剣で打ち合っていたせいだろう。ただでさえ擦り切れた印象のあった少女の身体はボロボロで、飛び続ける事も辛いのか徐々に高度が下がってきている。
それでもまあ、こうして桜人たちを花嵐で足止めしている以上は降りてきても平気なのだろう――今この場に、自分たちしかいないのであれば。
「ほら。あんまり集中しすぎてると――」
この場を満たす花弁を弾いて、進む影がある。“気付かれなかった”お陰で的にならず、ただ進行に邪魔なものだけを刃で除けながら。音もなく駆ける黒がある。
密かに戦場に散らばせていた式紙を呼び集め、宙へ浮く少女への足掛かりとして。
『幸守』『禍喰』『幅滝』全てが足場となって、彼の刃を少女へと届かせる。
一歩、二歩。ほら、もうすぐそこに。己が獲るべき、格好の“獲物”がある。
「こわーい鬼さんがやってきても、気づけませんよ?」
――ずぶりと。少女の胸から、朱混じりの黒刃が生えていた。
「……、え?」
「どうも、こんにちは」
かふりと。その小さな口から赤の滲む残滓を漏れ出す少女の後ろから、夕立が声を掛ける。道端ですれ違い様に挨拶をするように、気心知れた知人に会釈でもするように。
至って平坦な声音のまま、夕立は“突き刺した”脇差を抜き取った。
「っあ、」
「ああ、そうだ。挨拶、したいの――オレだけじゃ、ないと。思うんで」
もう少し付き合ってください、と。どこか不自然な区切りをつけながら、夕立は言葉を続ける。抜いたばかりの刃を、今度は少女の喉元へ当てるようにして。
未だ状況が把握できず、おそるおそると言った風に少女が顔だけ動かして振り返った先。
其処には、喉から夥しい血を流す黒尽くめ少年の姿があった。
ひゅう、と。どこぞから漏れ出す息の音が、いやに耳朶を打っている。
「あなたが、この沼に沈めた――鎮めたつもり、ですか?」
少女の瞳に、黒が映る。見慣れた靄が、黒い少年の背後に漂っている。
「……まあ、殺したひとたち。連れて、きました」
顔が映る。どれも苦悶の顔を浮かべて、非難の色を浮かべて。
「オレの呪いの、どっかしらに混じってると……思いますよ」
こちらを、みている。
「――ちゃんと挨拶、しましょうね」
再びに、赤い華が咲く。
首を掻き切られた哀れな少女が、花弁と共に地へと墜ちていった。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴
コナミルク・トゥモロー
(UC発動。生身の体は更に根を張り、血が巡るように機械の爪は熱を持つ)
し、し、っ…し、沈む、だけなら…誰でもできる…!
ほ、ほ、放っておいても、か、かっ、勝手に沈む…!
ま、まっ、前に、進むと決めたんだ!!前に進むと決めたんだ!!!
よ、よ、よっ、よ、余計な、お世話だ!!!
(全速力【ダッシュ】からの【捨て身の一撃】。私にはこれしかない)
わ、わ、私には、怒り(これ)しかない……!
わ、わぁっ、私には、感情(これ)しかない!!
こ、これがっ、これが私だ!
(機械の爪を大きく振るう)
これが私だ……!!
(納得なんかしていない、これが私だなどと思いたくない)
(そう思う心が、私だと叫ぶ)
●◆
黒灰の少女の前に、もう一人。小さなおんなのこが立っていた。
血の気を失った真白の肌に、整えきれぬざんばらの髪。コナミルク・トゥモロー(悲哀は憤怒のまがいもの・f18015)は、羽根つきの少女と相対するように立っている。
身体に纏わりつく霧は湿り気を帯びていて、やけに冷たい空気が肺に染み渡っていく――ああ、けれども。
失われて久しい右腕が、こんなにも、熱い。
怒りを燃やせ。否、既に燃やし続けている。
身体の内側から燃やし尽くせ、いつか全てが灰になるのだとしても。
今の己に出来る事、それに手を伸ばすことを諦めたくないと。その幼さ故にひたむきな心が訴えているから。
彼女の鉄の右腕に、更に多くの白い根が絡み付いていく。生々しくもあたたかな彼女自身の肉体が、すげ替えられた右腕を取り込むように覆っていく。
どくりと、血が巡っていくかのように。冷たい機械である鉄の爪が、熱を持つ。
「く、っう……わ、わたし、わたしは……っ」
怒りと、痛みと。全身を巡る膨大な熱に耐えるように、白い少女は唸りを上げる。
それは苦しみにもがく亡者たちの姿とも、どこか似通っているように思えて。
だからだろうか。黒灰の少女はコナミルクに視線を移す。その瞳に、どこか憐憫の色を滲ませて。
「ああ、あなた。あなたも苦しんでいるのかしら。かなしいことが、あったのかしら」
――だったら、あなたも早くしずめてあげる。
黒の少女は、その頭上に剣を掲げる。巻き起こるのは花の嵐。呪詛を乗せた黒薔薇の花弁が、小さな白を飲み込もうと蜷局を巻いていた。
そんな少女の呟きに――コナミルクは、異を唱える。
「し、し、っ……し、沈む、だけなら……誰でもできる……!」
沈むことを選ぶのなら、きっと最初からそうしていた。
泥濘みに足を取られ、呆気なく飲み込まれた泥の中。思い出したあたたかさと、かつて抱いたのであろう“かなしみ”の最中に。
「ほ、ほ、放っておいても、か、かっ、勝手に――」
勝手に、沈む。そう、何せこの躰は“重い”。見るからに痩せ細った小柄な体躯は、しかしその異様な存在感を放つ鉄の右腕にどうしても引き摺られる。
それでも、少女は……コナミルクは、決めたから。
――前に、進むのだと。
「き、きっ、決めたんだ!! ま、前に!! 前に進むと、決めたんだ!!!!」
叫ぶ言葉は決意の証。
渦巻く嵐に向かって、その奥にいる少女に向かって、コナミルクは叫ぶ。
おさまらぬ悲哀は、すべて憤怒の紛い物。湧き続ける怒りが、彼女の原動力となる。
「――そう。せっかく、しずめてあげようとおもったのに」
「よ、よ、よっ、よ、余計な、お世話だ!!」
言うや否や、白い小躯の少女が――駆ける。
全速力の一斉加速、小さな体躯すべてを弾丸と化して。赤黒い瘴気で身体を覆ったコナミルクが、一直線に駆けていく。
突撃した花嵐の中。黒い花弁が、次々とその白肌を傷つけていく。
けれど彼女は止まらない。止まるべくもない。だって、コナミルクは“これ/直進”しかしらない。
身体が傷付けられるごとに怒りが燃えて、ドス黒い血のような瘴気がその大きさを増していく。命の灯火を摘み取ろうとする花に、希望のひかりを覆い尽くそうとする呪詛に――怒りを、燃やせ。
――私には、怒り(これ)しかない。
――私には、感情(これ)しかない。
視界一面が、赤黒く染まっていく。
裂かれた頰が熱を持って、酷使され続けた脚が熱を持って。
造りものであるはずの右腕が、とても、熱くて。
「こ、これがっ、これが私だっ!」
駆けて、駆けて、駆け抜けた先。ぱっと開かれた視界に、黒い少女が立っている。
驚きに見開かれた藍の瞳が、ぎょろりと大きなコナミルクのそれと交錯する。
「これが、私だ……っ!!」
爪を、振りかぶる。軋みを上げる機械の腕が、全力で黒の少女へと振り下ろされる。
――本当は。これが私だ、なんて。
ひしゃげた心が、悲鳴をあげて。
悲哀を司る少女を、のみこんでいった。
成功
🔵🔵🔴
鏡島・嵐
判定:【WIZ】 ●*
悲しみを集めて、大きな呪いにした、か。……そんなんで悲しい奴、苦しんでる奴を救える(掬える)んなら、猟兵なんて要らねえよ。
正直怖くて堪らねえけど……ここまで来たからには後には退けねえ。
悪い夢は、ここで終わりだ。
……笑い飛ばせ、《笛吹き男の凱歌》!
味方の能力を増幅しながら、〈援護射撃〉や〈鼓舞〉も併用して他の仲間をサポート。
あとは〈目潰し〉〈武器落とし〉〈フェイント〉で向こうの攻撃を妨害して、少しでも被害を減らす。
それでも攻撃を止められねえなら〈見切り〉でタイミングよく躱すか〈オーラ防御〉を展開してダメージを抑えるかする。
ジャック・スペード
●*
全部しずんでしまえ、か
……考えたことも無かったな、そんな事
お前にも世界を怨むだけの事情が有るのだろうが
無辜の者を巻き込むならば見逃せない
――全力で抵抗させて貰おう
怪力とグラップルで敵を捕らえ、機械竜に変化させた片腕で攻撃
今こそ本領を発揮する時だ、暴食のハインリヒ
彼女が抱く怨嗟の念ごと、喰らい尽くして仕舞え
剣を複製されるのは厄介だが……幸い当機は鋼鉄製だ
襲い来る剣の雨は此の身で受け止めて仲間をかばう
余裕有ればリボルバーで範囲攻撃し幾つか撃ち落としたい
損傷は激痛耐性で堪えるとしよう
お前もかつては、虐げられたひとりの人間だったのだろうか
もしそうだったとしたら――
此の手が届かなかったことが悔しいな
オニバス・ビロウ
●*
貴様が厭い、憂えた世を良しとせずに再び浮かせようとする者がいるのだ
この世界を変えたいと願う者がある限り、その企みは必ず挫く
これより始めるは妄執の果てにある幽鬼の退治に他ならぬ
故に、覚悟せよ
俺の側には『楓』が常にある…呪詛や霊障の類は緩和されよう【呪詛耐性・狂気耐性】
…しかし剣をバラバラに操作するとは聞いていたが、それでは何も届きはしない
【見切り】やすい太刀筋なぞ、刀を振って打ち落として【カウンター】としよう
こちらから攻撃へと転じる際は、鞘に収めていた楓を抜こう
楓と共にある鬼蓮ならば【2回攻撃】も出来ようというもの
この身は鬼の名を冠しているが、救いの花たる蓮の名も戴いている
安らかに眠るが良い
シン・バントライン
今まで聞こえていた嘆きの声の正体を知り悲しくなる。
幼い頃、火葬で焼かれた死者の骨を拾うのを手伝った事がある。
一部が美しく変色した骨が目に留まり、隣に居た母にこれは壺に入れないのかと尋ねた。
これは入れなくていいのだと、もう苦しまなくていいのだからと、そんな母の返答を今でも覚えている。
後になってその変色はその人が生前に患った病気によるものだと知った。
「哀しみも恨みも、辛いことはもう集めなくていい…もう苦しまなくていいんです」
UC
第六感で花弁を掻い潜り二体別方向から攻撃。
舞い散る呪詛には耐性で対抗を。
随分な矛盾だと、こうして死霊を拾い集める自分の業の深さを思う。
もうとっくに沈んでいるのかもしれない。
今までに聞こえてきた嘆きの声は、かつて哀しみに呑まれた人々の魂を掻き集めたものなのだと云う。
それを聞いて、シン・バントライン(逆光の愛・f04752)は黒布の下にある瞳をふっと翳らせた。あらゆるところから集められた歎きと怨み。この昏き空を同じくする世界の中で聞こえたあの声達は、矢張り幻覚ではなく――。
ぐっと、シンは剣の柄を握りこむ。心に降り積もる悲しみに、けれど今ばかりは呑まれてしまわないように。
――そうして亡者に思いを馳せるのは、一人に非ず。
「全部しずんでしまえ、か」
軍帽を目深にかぶり、ジャック・スペード(J♠️・f16475)は黒灰の少女の言を復唱する。
あの歎きと呪詛に塗れた泥の中、縋るように伸ばされた亡者の腕。
此方を引き摺り込もうとしていた彼らの意図を聞き、ジャックは先の光景を今一度反芻する。棄てられた彼らの声、その無念にこそ共感を覚えた――しかし。
「……考えたことも無かったな、そんな事」
それはきっと、彼が新たに触れた『感情/こころ』だったのだろう。人の持つ心の、その弱さ。
それを目の当たりにして、彼が何を思ったのかは分からない。ただ、軍帽の下に覗く金のアイセンサーが、わずかに明滅している様が印象的であった。
「悲しみを集めて、大きな呪いにした……か」
ぽつりと、暗い声音で溢したのは鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)だ。
一見にして普通の少年に見える彼もまた、あの沼地を渡りきって来た者である。見せられた幻と夥しい亡霊の群れは、確かに呪いといって差し支えないものだった。
そうして、少女は人々を沈めるのだと言う。それによって、彼らの嘆きが報われるのだとでも言う口振りで。
「そんなんで悲しい奴、苦しんでる奴を救えるんなら。猟兵なんて要らねぇよ」
世界はそんなに単純なもので出来ていないと、幾度かの戦場に立った嵐は知っている。この手に掬えるものは、然程多くない。
今だって、そんな大きな呪いを前にして恐怖がないわけじゃない。――でも。どれだけ怖くても、逃げたくはない。それが例え、矜恃とも言えぬ虚仮なのだとしても。
震える手を握りしめる少年の姿を横目で捉えながら、オニバス・ビロウ(花冠・f19687)も刃を構えていた。張り詰めた気は、いつ仕掛けられても反応できるようにと常に少女の様子を伺っている。
「貴様が厭い、憂えた世を良しとせずに。再び浮かせようとする者がいるのだ」
視線を滑らし、再び視界に入れた少女の姿。一見にしてか弱い幼な子にも見えるこの少女は、あの亡者共を集めた元凶なのだと云う。何とも恐ろしい――鬼、だろうか。
「これより始めるは、妄執の果てにある幽鬼の退治に他ならぬ」
己の名を冠する打刀を構える。その鋭い切っ先を『鬼』へと向け、オニバスは低く宣誓した。
「……故に、覚悟せよ」
――刹那。集まった影の幾つかが、一斉に駆け出した。
◆
「そう、あなた。あなたたちも、簡単にしずませてはくれないのね」
擦り切れた少女は、先の戦闘の傷も癒えず。しかし向かってくる刃があるのならと、彼女は再び剣を取る。此方へと駆ける影の姿を捉え、狙いを定めて。
巻き起こるは一点集中の花の嵐。勢いを強めた花弁の渦が、前に出たオニバスの眼前で吹き荒れる。
「――――!」
突如として発生した超常現象に目を見張る。しかし、それも僅か一息の間だけ。
短く息を吐き、オニバスが選ぶのは――変わらずの前進。
花弁の殺傷能力は然程なく、警戒すべきは匂い立つその呪詛ぐらいだろうか。
黒く禍々しい花弁が纏う呪詛は、あの沼地に漂っていた瘴気と似通っている。
人を哀しみに落とし、生き行く希望を摘み取る呪い。かの少女の怨嗟を詰め込まれた黒薔薇の悲歎。一枚一枚の威力は少なくとも、あの嵐の中にあれば只ではすまないだろう。
――だが。己の傍には『楓』がある。
次の瞬間、オニバスの姿が花嵐に呑まれる。
しかし、止まらない。最低限の花弁を打刀で払いながら、オニバスは前へと突き進む。
蝕む呪詛が、果たして何だというのか。彼に誓いがある限り、その強靭な精神が侵されることはない。
花嵐の中にあっても勢いを止めぬその姿を捉え、ぐっと少女は歯噛みした。つい先程も、我が身の安全を厭わず特攻してくる影があった――猟兵というのは、どうも度し難い生き物が多いらしい。
花でも止まらないなら、更に深く傷つける雨を降らすしかないだろう。少女は、瞬時に花の嵐から紅剣の生成へと力を切り替える。
宙に浮かぶ複数の紅剣、傷付ける事に特化した剣の雨。全部ぜんぶ、切り裂いてしまえ。
そう、少女が溢した刹那――剣の雨が、猟兵たちへと降り注ぐ。
「――っ!」
「うわっ!」
その凶刃は前に出たオニバスだけでなく、援護に徹していた嵐や術を成そうとしていたシンにも向けられた。
その様子を捉え、ジャックは即座に前へ出る。
ダン、と地を踏みしめて。ジャックは降り注ぐ雨の前にその鉄の巨軀を晒す。
この鋼鉄製の体。この沼地に来てからずっと苛み続けてきた機械の身は、今更変わる事もないけれど。
それでも、だからこそに出来る事があるはずだ。
握りしめたリボルバー。光るアイセンサーが、凶器そのものである雨粒を捉えていく。
「お前にも世界を怨むだけの事情があるのだろうが、無辜の者を巻き込むなら見逃せない」
凶刃を、捉える。ヒトを害そうとする雨を弾丸が撃ち払い、空いた左の手で飛来する剣を直に掴む。其れでも逃した幾つかが此の身へと突き刺さり、損傷箇所からバチバチと火花が上がっていた。
だが、それだけだ。この程度の傷、救えぬモノをまざまざと見せつけられる、あの軋みに比べれば。
かつて虐げられた人々、その亡霊――もしかすると、あの少女も。彼らに届かなかった此の手の遣る瀬無さ、あの悔しさがリフレインする。あの苦々しい感覚を、きっと己は忘れない。
「わりぃ、助かった!」
咄嗟に己を盾としたジャックへ、嵐は剣戟の音に負けぬよう大きく礼を述べた。
同時に、降り注ぐ剣雨が束の間に止む――否、雨はまだ降り続いている。ただ、ジャックの体に薄いオーラの膜が張り、それが剣先を弾いているようだった。
恐らくは、今の声の主が掛けてくれた術だろう。大きな黒の巨体、その頭部が掛けられた声の方へと向けられる。
「――無事か」
「ああ。……まぁ、正直怖くて堪らねぇけど、さ」
ここまで来たからには、後には退けないのだと。嵐は、震える指先を自覚しながらも口にする。
戦いは、いつまで経っても苦手だ。こわい。命のやりとりは、どうしても死を想起させてしまう――見ないように、考えないようにしてきた、大切な人たちのそれも。
それでも、嵐は前を見る。逃げて後悔することだけは、絶対にイヤだから。
「悪い夢はここで終わりだ。……終わらせて、やらなきゃな」
すぅと、深く息をする。気休めの深呼吸ではあるけれど、何にしてもやらないより絶対に良い。汗と湿気で張り付く前髪を払いのけ、外套の裾を握りしめながら。嵐は、そのよく通る声で詠唱を口にする。
――魔笛の導き、鼠の行軍、それは常闇への巡礼なり。
「耳、塞ぐなよ――笑い飛ばせ、≪笛吹き男の凱旋≫!!」
詠唱が終わる。同時に、不思議な音が辺りを包むのを皆が聞いた。
其れは道化師の演奏。その旋律に聞き入る者を鼓舞し、強化するパラードだ。
身体に蔓延る恐怖を、全て笑い飛ばすかのような明るいアップテンポ。相変わらずな演奏だと思う嵐の顔もまた、仄かに口角が上がっている様に見えた。
そして、曲の恩恵はもれなく味方へも現れる。
――音の羅列が、こうも“こころ”を高揚させるものだとは。
体に漲る力を感じながら、ジャックもまた視線をあげる。
その鉄の身に突き刺さった紅剣を抜き取って。刃を片手で掴み――バキリと、そのまま砕いてみせた。
「――全力で、抵抗させて貰おう」
◆
降り注ぐ剣の雨のなか。ふと、シンの脳裏を過ぎるものがあった。
幼い頃のこと、火葬で焼かれた死者の骨を見たことがある。
その骨を拾うのを、手伝っていた事がある。
ふと。一部が美しく変色した骨が目に留まり、幼いシンは隣にいた母に尋ねたのだ。
これは壺に入れなくていいのか、と。
母は、幼きシンに告げていた。「これは入れなくて良い」と。「もう苦しまなくていいのだから」と。そう言った時の母の様子を、シンは今でも覚えている。
――その骨の変色が、彼の人が生前に患った病気による後遺症だったのだと。知ったのは、随分と後のことだった。
「哀しみも、恨みも。辛いことはもう集めなくて良い」
いつかの母の言をなぞるかのように、シンはその言葉を口にする。
掌を前へ、彼が為すべきは召喚の儀。
死霊を操る己の術、其々に召喚される『騎士』と『蛇竜』は彼の手足となるだろう。
「……もう、苦しまなくていいんです」
口にする。同時に、シンは己に対する随分な矛盾を覚えてはいた。
死霊を拾い集めて、使役する。己の業の深さは、もしかするとあの少女よりも――。
とっくに沈みきっているのかもしれないと、どこか冷静な己が頭で告げていた。
――それでも。あの少女を、この地に縛られた亡霊たちを見逃す理由にはならない事もまた、理解していたから。
「頼みますしたよ……どうか、彼女に帳を」
シンが告げた号令と共に、死霊の『騎士』と『蛇竜』が少女の元へと駆けていく。
「――!!」
蔓延る呪詛を払い除け、飛来する刃を見切りながら振り上げられた死霊の得物。小さな少女を挟み込むようにして掲げられた其れに、少女は咄嗟に飛翔させていた剣を引き戻す。ガキン、と湿原に響いた音は、少女が紅剣を盾にしたが為。
それと同時に、雨が止む。降り注いだ剣の雨が、彼女の元に戻っていく――なら、猟兵たちが為すべきは一つだ。
あの雨の中、回避に専念していたオニバスがその隙を見逃すはずもない。
急に動きを鈍らせた剣筋に、彼は咄嗟に状況を判断する。甘い太刀筋を見切り、刀を振って打ち落す。そうして力を失った紅剣の一つを掴み――少女へと、投げ付ける。
「――、っきゃあ!」
其れは、死霊二体を相手取っていた少女の意識を掻い潜り。ずぶりと、その腹へと突き刺さった。
痛みで、少女の動きが鈍る。盾としていた飛翔の剣も力を失い、残る武器は彼女自身が手にしている本体の紅剣のみ。
それでも、そのまま斃れてしまえるほどの怨嗟なら可愛いものだったであろう。痛みに耐えながらも、少女は死霊二体を薙ぎ払う。崩れ行く己の体を自覚しながら、少女はそれでも止まらない。
「わたし、わたしはきめたの。全部、しずめてあげるって――!」
「……させねぇよ。そんな、悲しいこと」
――カキン、と。
嵐の声が、弾が、少女の言葉を遮る。
引き絞ったスリングショット。放たれた弾は、少女の唯一の武器であった紅剣を弾き落とす。
咄嗟の事に動きを止めた少女の、その頭上に。黒く大きな影が、迫っている。
腕を掴まれた、と少女は感覚と共に自覚する。気づいたが最後、もう逃げられない。
「――喰らい尽くして仕舞え、ハインリヒ」
銀色に煌めく機械竜≪ハインリヒ≫。ジャックの片腕が変化したそれが、餌を喰らうべく顎門を開く。
呑み込まれる黒翼、千切れる片腕。それでもなお、ハインリヒの飢えは治らない。もっと、もっと寄越せと竜は唸る。彼女の根幹たる怨嗟の念ごと飲み干してやろうと、暴食の銀竜が腹を鳴らしている。
「――っ、いやよ。まだ、おわらないもの……!」
己を食いつくさんとする銀の竜から、少女はどうにか逃れようと藻搔いていた。
千切れた翼を置き去りにして、捥がれた片腕を放り投げて。あの銀竜が、自身の身体“だったもの”を咀嚼する音を聞きながら、少女は逃げる。
ああ、けれど――鍛えられた武家者を前にして、背を晒し無事で済むあろうはずもない。
――閃く、二刀。
『鬼蓮』と『楓』を手にしたオニバスが、その背を躊躇いなく斬り付ける。
冠する蓮は、救いの花。この身に頂いた名が、せめてその魂に救いを齎さんことを。
「――安らかに、眠るが良い」
ぱきりと。
地に落ちた紅の剣に、罅が入り始めていた。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴
アンジュ・グリィ
沈める事が出来るのなら底の其処まで沈めてほしいさ。
沈める事が出来るのならな…。
私は沈まないよ。
救うこともしない。
もう、随分と底の其処で皆を傍観しているのだからね。
底まで行っても苦しさも侘しさも変わりやしないんだ。
よく知っているだろ。
ちろりと燃える舌を覗かせて、お喋りはこの辺にしておこうか。
さあ、合図だ。
救えぬ魂を還そう。
私の役回りではないけど、今回ばかりは燃やす以外の選択肢が思い付かない。
お前は綺麗に燃えてくれるのか?
哀しみは全部全部、燃やしてやろう。
君たちが本当に前を向いて歩めるように。
底の其処は私だけで良いさ。
千切れた腕から、掻き切られた喉から。切り裂かれた身体中の、至るところから赤が流れている。捥がれた片翼は既にその機能を失い、崩れゆく指先が辛うじて剣を握っていた。
それでも、いいや、だからこそ。しずめたいと希う少女の思いは変わらない。
罅割れた紅剣を杖代わりとして立ち上がる少女の前に、ひそりと佇む影がある。
曇天に覆われた昏い空の下、少女の前に立つアンジュ・グリィ(したきり・f19074)は憂いを含ませた息を吐く。熱を持った気吹が湿原に融けて、消えていった。
擦り切れた少女の瞳に映るその女は、ひどく物憂げなようでいて。
――だから、少女は問うたのだ。
「……あなた。あなたも、かなしんでいるのかしら」
だったら沈めてあげないと。しずめて、あげないと。
問うた少女に、アンジュは表情を動かさぬまま視線を向ける。黒の瞳が、擦り切れた少女を捉えていた。
「……そうだな」
哀しいさ、哀しいよ。
あまりに近しい悲哀は、永く共に在りすぎて。
最早、愛おしいと思えるほどに――哀しいよ。
「沈める事が出来るのなら、底の其処まで沈めてほしいさ」
「――、そう」
吐息に紛れて紡がれた声を、黒灰の少女が聞きとめた。
少しだけ、ほんの少しだけ少女の声が高くなる。ならばと紅剣を握り直して、その切っ先を女へと向けて。
「じゃあ、あなたも――」
「……いいや、私は沈まないよ」
ふるりと震える黒の目睫。感情を映さぬかんばせは、けれど明確な意を示す。
アンジュは謳う、千切れた舌を踊らせて。全てを沈ませたいと望む少女へ、異を示す。
「沈まないさ。救うことも、しない」
淡々と、女の声が落とされる。
昏い女の瞳に映るのは――悲歎か、諦観か。残滓と成り果てた少女には分からない。
「……もう、随分と底の其処で皆を傍観しているのだからね」
ちょきんと切られた彼女の舌、要らないと捨てられたお邪魔虫。浮かぶ為の羽は枯れ果てて、あれからずっとそこに居る。
底まで行っても、其処まで行っても。この身を侵す苦しさも、心に蔓延る侘しさも変わりやしない。
女はそれを知っていた。居るからこそに知っていた。
だから、きっと。
「――よく、知っているだろ」
少女を射抜く。昏い哀しみのそこから、女の眼差しが少女を射抜く。
息呑む少女の双眸に、ゆらめく炎が映り込む。薄く開いた口の中、ちろりと覗く女の舌が燃えている。――いいや、ずっと燃えていた。
はっ、と。少女が我に返った時にはもう遅い。
熱風が少女の頬を撫で、炎が周囲の草はらを包み込む。ぱちりと火の粉を散らす紅蓮の大蛇が、少女を一飲みにしようと顎門を開いていた。
「こういったものは、私の役回りではないけれど。今回ばかりは、他に選択肢も思いつかなくてね」
女の炎が、少女の足を絡め取る。きゃあ、と上がった小さな悲鳴は、じゅうじゅうと肌焼ける音に呑まれていった。
救えぬ魂を還してやろう。骸の海に、過去が或るべき場所に。
お前は果たして、綺麗に燃えてくれるだろうか。
「哀しみは全部全部、燃やしてやろう。君たちが本当に、前を向いて歩めるように」
紅く燃え盛る蜷局の中。ぼう、と女のしなやかな脚だけが白く浮いている。
肚の底から湧き出でる炎を吐き出して、アンジュは細く息を吐く。臓腑に染み付いた哀しみは、これしきで全て無くなるわけではないけれど。
燃ゆる炎の中、紅蓮に呑まれる少女の姿。彼女の一部は灰となって、やがて空へと昇り行くのだろう。
それで良い。それが良い。
歎く少女、呻く亡者の影たちも全て。哀しみに暮れる毒の沼ごと、全部焼き払ってしまおうな。
――底の其処は、私だけで良いさ。
成功
🔵🔵🔴
飛梅・さより
●*
さよ、あの子が言ってることよくわからないわ
世界を変えるより自分が変わるほうがずうっと簡単よ?
だからね、あの子が沈むといいの
そしたらこの沼も普通になって、あの子ももう哀しくないわ
赤色、桃色、透明
お薬をそれぞれ一瓶ずつ飲みほしたら準備〈ドーピング〉は完了
体も軽くなったし怪我したところも痛くないわ、元気いっぱいよ!
副作用が出てしまう前にいっぱい戦うわ
速く〈先制攻撃〉早く〈早業〉ね
かわいそうな子、深く沈んで眠るといいわ
亡霊さんみたいにさよがお薬あげる
哀しいなら哀しいだけ、楽しい夢が見られるはずよ
加賀宮・識
見つけた…
如何なる理由があろうと
全てを怨みたくなるほどの想いがあろうと
人の命を道連れにすることは
許されない
POW
仲間の動きを確認しながら
一気にいく
【ブレイズフレイム】を掌から出し、暗月鎖と共に組み合わせ【2回攻撃】【早業】で連打
一撃を避けられても、二撃目で必ず撃つ
反撃には【第六感】【野性の感】【なぎ払い】で対応
…怨嗟…か
道を間違えれば
師の教えがなければ私も…
そこまで捕らわれてしまえば
何も声は届かないだろう
どうかもう苦しまず
焔と共に天へ
(アドリブ、共闘大歓迎です)
熱を伴った風が、頰を打つ。涼やかに整えられた黒の髪を靡かせて、加賀宮・識(焔術師・f10999)は湿原を駆けていた。
あの亡霊巣食う沼を渡りきり、背の低い草はらを駆け抜けた先。識の瞳が、ひとつの影を見留めて瞬いた。
「見つけた……あの子が、この沼の」
――元凶。
斃すべき敵の姿を捉えて、識はひたりと足を止める。ふっと息を整え、漆黒の剣を構え直して。常ならば明るい光を映すであろう紫水晶の瞳は、過去の残滓たる少女を前にして剣呑な色を滲ませていた。
自らの無念を歎くこの少女は、その遠き昔。確かに悲劇を抱えていたのだろう。
刻み付けられた赤い傷、崩れかけていた身体。想像するに容易いものだ。……しかし。
如何なる理由があろうとも。全てを怨みたくなるほどの、強い想いがあろうとも。
「――人の命を道連れにすることは、許されない」
師から受け継いだ剣の、その夜の刃先をひと撫でする。過去たる少女を前に、識が行う事はたった一つだ。
少女の姿を、今一度瞳に捉え。識は、静かに地を蹴っていた。
◆
――既に人としての形は崩れ始め、至る所から残滓を漏らしながら。それでも剣を取るのを止めぬ少女の姿。
そんな少女の姿を捉える物がもう一人。軽やかな足取りで湿原へと訪れていた飛梅・さより(ROMANCE・f19766)が、その愛らしい瞳をぱちくりと瞬かせている。
「さよ、あの子が言ってたことよくわからないわ」
甘い薄茶の髪を揺らして、こてりと首を傾げるさより。全てを沈ませたいのだと謳う少女の言葉を反芻しながら、ううん、とさよりは口元に指を当てている。
「だって。世界を変えるより自分が変わるほうが、ずうっと簡単よ?」
ねぇ? と誰にともなく紡がれた問い掛けは空に放たれて。この昏い世界において、彼女のきらきらとした瞳だけが輝いているようだった。
かちゃりと、瓶を探る音がする。取り出したる水薬は三色のお味。
「……だからね、さよ思ったの」
まずは一つ。喉ごしさっぱりのリンゴ味、体力不足のあなたへ贈る『赤』。
ふるりと振って、こくこくり。そうすればほら、あっという間に力が湧いて行くる。
「どうせ沈むなら、きっと。そう」
次に一つ。こっくり濃厚なピーチ味。痛みに弱いあなたへ贈る『桃』。
ゆるゆる振って、こくこくり。抱いていた痛いも哀しいも、全部何処かへ飛んでって。
「――あなたが沈むと、いいんだわ」
最後に一つ。あっさり爽やか無味無臭。早さを手に入れたいあなたへ贈る『透明』。
さらりと振って、こくこくり。そうして仕舞えばあら不思議、すぅっと頭も軽くなる。
「ふふ、ふふふっ。ほら、ねぇ。かんたんなことでしょう?」
どくりどくりと、身体の中を鼓動を駆け巡る。ばくばくと耳の奥で鳴り響く潮騒は、きっとさよりが生きているという証。
怪我をしていた場所も、すっかり痛くなくなって。元気いっぱいだとさよりは笑う。
甲高い声を響かせて、擦り切れた天使の前で笑っている。
果たして天使は、少女は何を思っただろうか。
躊躇いなく薬を煽って行くその姿、数多もの実験を強制させられていた少女は思う。嗚呼、なんて“正気とは思えない”。
「あなた、それ。その薬――」
こくこくと飲み干される其れ等に眉を顰めて、思わずといった風に声を上げて――けれども。
もう、さよりに少女の声は届かない。
「ふふっ。沈みましょう、そうしましょう? そしたらこの沼も普通になって、もう誰も哀しくないわ」
そうよ、きっとそれが良い! と、さよりは楽しそうに手を打っていた。その異様な光景に少女が何かを口にする、前に。
「――っ!」
閃くナイフ、一瞬で目前に迫る刃先。
およそ人のそれとは思えぬ速度で繰り出された凶刃が、少女の頬を斬り付ける。
「ふふ、あははっ! ねぇ、待って。逃げないでも大丈夫よ?」
風に靡く甘い髪も、きらきらと輝く紫の瞳も。間違いなく先ほどまで相対していた少女のもの。
けれど、その動きは常人のもとは思えない。禍々しいナイフを操るその手も、耳につく笑い声も、何もかも。
これは異常だ、と。少女の頭に警鐘が鳴り響く。
一閃する凶刃が再び彼女の肌を斬りつけて、堪らず少女が距離を取ろうとした、ところで。
――視界の端に、焔が踊る。
先にも自身を焼いた≪地獄の炎≫が、そこにある。
「――っ!?」
咄嗟に飛び退って、己を呑まんとする炎を回避する。
けれど、それを炎は、焔の主である識は許さない。
「逃がさない……!」
片の掌から生み出した焔を放出すると同時、利き手で構えた暗月鎖を振るう。
後の手の斬撃、二撃目で必ず撃つと言う鋭い殺意。
炎に気を取られた少女は、その一閃を避けるすべがない。
「――っ、ああ!!」
焼かれる痛み、裂かれる痛み。いつまで経っても慣れぬ其れに苦悶の声を漏らしながら、それでも咄嗟に揮った紅の剣。ああ、けれど。
――パキン、と。
少女の足掻きも虚しく、振るわれた紅剣は漆黒の鉄塊剣にその太刀筋を捕えられ。
罅割れた箇所が広がって、少女の唯一の矛は瞬く間に砕かれてしまう。
はらはらと砕き散る紅の欠片。瞳を見開いて呆然と其れに見入る少女の姿は、ひどく弱々しく見えて――識は、そこにもしもの自分を垣間見る。
怨嗟という呪詛に囚われた少女。それは、もしかしたら有り得たかもしれぬ自分の顛末。
優しき人々を屠られ、己だけが生き延びた彼の日。行き場のない怒りに支配され、自身の業火に焼き尽くされる未来も在ったのだろう――もしも、師の教えがなかったならば。
識が道を違えなかったのは、師の言葉があったからだ。あの少女との違いは、きっとそこにある。
「……そこまで捕らわれてしまえば、何も声は届かないだろう」
寄る辺もなく、救いもなく。たった一人で悲哀の最中に落とされて、歎きのままに沈んでしまった少女。既に過去の遺物となってしまった彼女に、おそらく識の言葉は届かない。
だから、識は焔を贈ろう。全てを燃やす地獄の炎で、その怨嗟ごと燃やし尽くせたならと。
「どうかもう苦しまず――焔と共に、天へ」
◆
瞬く間に、炎に呑まれていく少女。
そんな少女の様子を眺めながら、さよりは思うのだ――かわいそうな子、と。
さよりは痛みに呻く少女の前に立つ。カチャリと、一つの瓶を取り出しながら。
「深く沈んで眠るといいわ。亡霊さんたちみたいに、さよがお薬あげるから」
携えたナイフ、たっぷりと塗りつけるのは桃色のお薬。
痛いのも、苦しいのも。きっとすぐに無くなるから。大丈夫、大丈夫よ。
「哀しいなら哀しいだけ、楽しい夢が見れるはずよ――かんたん、かんたんよ」
ゆっくりと、少女へ近づいて行く。燃え盛る炎の中、焼かれる我が身を気にも止めずに。
そうしてさよりは――焼けゆく少女の胸に、その刃を突き刺した。
成功
🔵🔵🔵🔵🔴🔴
雨糸・咲
あぁ、
――あなたも、哭いていたの
黒い少女の姿が、声が、哀しくて
誰に聞かせるでもなく小さく零した
…そう、そうね
理不尽なことが多くて、嫌になる
そんな時自分が「壊れてしまえ」と望むのは
いつも、周りではなく自分自身だけれど
それでも、彼女の気持ちを否定する気にはなれず
…寧ろ、どこか惹かれた
私は、今は一緒には行けないけれど
いつかこの身が朽ちたら、
遠い海で会えるかも知れません
黒薔薇に苛まれるのを避けることなく
真っ直ぐに彼女を見つめて、杖を掲げる
全力魔法で降らせる雪白華
――どうか、それまで
白い花弁が、降りしきる黒と一緒に
彼女の胸に満ちる悲憤を濯ぐことを願って
――この世界は、とても辛くて、苦しくて。
不条理で溢れた、残酷なものなのだと。
少女は歎いていた。絶える事なく訴えていた。ずっと、ずっと――。
「――あなたも、哭いていたの」
あぁ、と。漏れゆく吐息と共に、小さく零された言の葉。
黒い少女の姿が、その声が――哀哭が、雨糸・咲(希旻・f01982)の心を打っていた。
この少女が、果たして生前にどのような仕打ちを受けたのか。その全貌は分からない。
けれども、彼女の言わんとする事は分かる。世界を嘆きたくなる、その気持ちも。
「……そう、そうね」
――世界はいつだって、理不尽に満ちていた。
駆け巡る思い出は、きらきらと輝くモノもたくさんある。人々と紡いだ縁は、どれも掛け替えのない大切な記憶だ――嗚呼、けれど。
そっと瞳を綴じれば、瞼の裏にあの桜が蘇る。狂い咲く薄紅の中、儚くも果てた主の姿。
あの人が終ぞ報われずにいた、この世界が。優しいだなんて、咲には到底思えない。
一層のこと“壊れてしまえ”と。そう、望んだ事もある。
それは、あの少女のように世界へと放たれたものではなく。咲が、咲自身へと向けた自刃の念だったけれど。
自分を以外の全てと、自分自身の全て。壊したいと願うベクトルは真反対で……けれど、咲は少女の気持ちを否定しようとは思えなかった。
いいや、寧ろ――その在り方に、どこか惹かれていた。
瞼を、開く。琥珀の瞳に映り込む世界は、昏く。どうしたって覆せぬそれが、咲の心に重くのし掛かる。
けれど、今の咲にはすべき事があるから。
「……私は、今は一緒には行けないけれど」
まだ、と。言わず付けられた言葉を、少女が汲み取ったかは分からない。
既に果て掛けとなった少女は、最早いつ朽ちるとも知れず。それでも、彼女は自身を満たす怨嗟に――心に従って、最後まで抗おうとしているようだった。
操る剣は全て折れ、頼みの本体も砕け散り。残滓たる少女に残されたのは、黒花の嵐。
渦巻く黒薔薇の吹雪が降り注ぎ、相対する咲の頬を、腕を切り裂いて――しかし。咲は、その場から動かない。嵐から、少女から目を逸らさずに。真正面に見据えたまま、己の魔力を研ぎ澄まさせていく。
「いつかこの身が朽ちたら、遠い海で会えるかもしれません」
手に握るのは精霊の杖。朧げな少女を真っ直ぐに見つめながら、咲は真白の其れを空へと掲げる。
ふわりと、辺り一面に漂う清めの花香。巻き起こるは白い花嵐。柔らかな雪白の欠片が、黒い少女の放つ花弁を包み込むように舞っていく。
「――どうか、それまで、」
“ ”
音もなく紡がれた言葉は、空へと消えて。放たれた白菊の花弁が、全てを包み込んでいく。
どうか、この花弁が。
あなたの胸に満ちる悲憤を、すこしでも灌げますように。
◆
――斯くして。
しんしんと降り積もる白い花弁の、全てが消えたころ。
黒薔薇の花も、あの黒い少女の姿もかき消えて。
湿原に、沼地に、シンとした静寂が訪れた。
囚われた嘆きは解き放たれて、沈みゆく者もなくなるだろう。
ほうと吐かれた誰かの気吹が、空へと昇る。
彼らの手によって、この地の哀哭は鎮められた。
啜り泣く声は――もう、聞こえない。
成功
🔵🔵🔴