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凍星がとけるとき

#サムライエンパイア #ノベル #猟兵達のクリスマス2025

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鞍馬・景正



サクヤ・ユヅキ




 昨日から降り続いていた雪がやみ、澄んだ冬の空を凍てついた雲が薄っすらと覆っていた。
 夏は豊かな緑を茂らせて日ざしを和らげ、秋は鮮やかに萌えて人目を惹いてきた里山の麓の雪原も、今は雪化粧をまとい静かに息をひそめている。
 冷えた空気が、白磁の頬を刺すように撫でてゆく。若い栗毛の馬がぎこちなく雪道を慣らしながら歩むたび、鞍上で手綱を握るサクヤ・ユヅキの身体がわずかに揺れた。
 サクヤはふうと白い息を吐きながら、前を往く青年の背を眺める。彼の愛馬――夙夜は冬の悪路も苦にしないようだ。
 真っ白な雪景色に映える青毛の馬体が、白い大地を踏みしめて悠然と歩む。その背に騎乗した鞍馬・景正の姿勢も背筋が伸びて美しく、堂々たるものだ。
 彼の頼もしい雄姿は、幾度となく己の予知に耳を傾け、また戦場で共に太刀を取り戦ってきた時に見た姿と重なるものがあった。
 しかし、今はそこへ溶ける日常の自然体が、サクヤの双眸にはどこか新鮮に映る。
 雪景色に馬の蹄跡が点々と残る。サクヤは少し馬を走らせ、彼の隣に並んだ。夙夜も乗り手である景正を信頼しているのか、ゆったりと楽しげに雪道を歩んでいるように見える。

「流石の手綱捌きね、景正。私も馬を連れてきたけれど、こればかりは素直に敵わないと感じるわ」
「貴殿から御褒めの言葉を与るとは恐縮です。なれど、勝負は馬術ではなく戦果にて。どちらがより大物を仕留めるか此度も競争と参りましょう」
「ええ、私達はやはり競い合う事で互いに磨かれ、より輝くでしょうね。受けて立つわ。……貴男のこと、当然、酒も嗜むのよね」
「はは、御見通しでしたか。この地域には旨い地酒がありましてな、是非サクヤ殿にも御賞味いただきたくお誘い申し上げた次第」
「それはより気合いが入るわね。この時期なら鴨がいいのではないかしら」
「鴨! 酒の肴には至適にございましょう。いやはや、愉しみです」

 謹厳実直。平時は慎み深く誠実に、戦とあらば苛烈な覚悟を秘めた武者として。
 忠実なる幕臣として日々武芸に励む景正が、無邪気な童のように顔を綻ばせるのは決まって酒の話をする時だ。自然と頬が緩むのを自覚したのか、景正はぴしゃりと己の面を叩き、気を引きしめた。
 冬の空気に晒された肌はすっかり冷えているが、心は静かに高揚していた。
 雪見酒に酔うも無論佳きものだ。だが景正をそのような心地にさせるのは、戦場という死地で背を預け、信を寄せあい、絆を育んできた戦友――サクヤとこのような平穏を分かち合いながら、純粋に武芸の腕を競いあえることへの快然たる喜びであろう。
「失礼、些か気が逸り過ぎました。では、いざ尋常に」
「ええ、この雪景色に戦の華を咲かせましょう」
 冬は狩猟の季節だ。共に武の頂を目指さんとする剣豪、その気高き志と秘めたる闘志は、命を散らしあう狩場でこそ凛然と花開く。

 未来予知の橋渡しを通して、異なる時代、世界の文化を見聞きしてきた。
 この日ノ本、侍の世では知られていない華やかな冬の催しが数あることも知った。
 だがふたりにとってはなお、狩りこそが華。何より待ちわびた冬の宴であったかもしれない。
 常日頃闘いの中で鋭く、美しく磨き上げてきた刃。
 それをほんのひととき日常へと傾け、また来たる戦いの日々への糧とする。

 静寂の中、さらさらと水の流れる音が耳に届き始める。
 目指す先の水場は川幅がゆったりと横に広がっており、夜間の冷えでもそのすべてが凍ることはない。日の傾き具合を見るに、岸辺に薄く張った氷もちょうど溶けてしまう頃合いだった。
 遠方を見ていたサクヤがふいに馬を止め、手綱をゆるめる。景正が夙夜の歩みを止めさせたのもほぼ同時だった。
 サクヤの瞳からは先までの穏やかな雰囲気が消え、夕映色の中に燃えるような意思を感じさせる強さが宿っている。
 視線の炎を向けられた景正もまた、まっすぐな瑠璃紺の双眸の奥深くで、秘めたる羅刹の気性を人知れず昂らせる。
 勝負開始の言葉もいらず、ただ視線を交わし合ったのみ。
 刹那、二頭の馬が雪を蹴って駆けだした。
 サクヤと景正の目がとらえたのは、川の中ほどで身を寄せ合っている鴨の群れだ。まだこちらの気配には気づかず、水の中で餌を探しながら、流れに身を任せるように浮かんでいる様子が見える。
 此度の勝負には超能力を用いず、ただ純粋な騎射の腕前のみを競いあう。
 ゆえにふたりは手綱を放し、落馬しないよう馬上でうまく体勢を整えながら、素早く弓矢を構えた。
 サクヤが弓袋から取り出した朱漆塗の梓弓は、以前景正から贈られた『緋針』と銘打たれた品だ。その贈り主とこうして弓の腕を競いあう機会が来ようとは、武人としてまたとない喜びだ。
 一方、景正の持つ弓は『虎落笛』と銘打たれたもの。常人では引くことすらも困難なほどの剛弓だが、景正の腕はそれをたやすく引き絞った。しなやかな筋肉に薄く覆われただけの腕の下で、鬼気迫るような闘争の血がひそやかに煮えている。
 夙夜は主人と息を合わせ、獲物に近づきすぎないよう、また馬上での姿勢が安定するようわずかに減速する。手本のような弓返りとともに、鞍上の景正から第一矢が放たれた。
 ひゅう、と弦を打つ音が真冬に吹く凄風のごとく耳に響くとき、傍らにいる者はその弓の名の由来を知ることだろう。

 だが、今のふたりはただ一途に武芸を極めんとする求道者だ。
 サクヤの耳に虎落笛の音は遠く聴こえ、また景正がサクヤの弓に言及することもない。

 無言だ。彼らの視線は景正が放った矢のゆくえに向けられ、身体は馬上で弓矢を構えながら、体幹を支えることのみに専念している。
 真冬の澄んだ風が肌に触れ、いっさいの乱れがなくなった意識が、冴え冴えと研ぎ澄まされてゆく感覚がある。無心の集中が辺り一帯の雪景色ととけあって、真っ白な世界がどこまでも広がってゆくように思われた。
 景正の矢は、瑠璃の矢羽根が描く青い残像をかすかに残しながら風を切って飛び、一羽の鴨を見事にとらえた。その矢は一撃で正確に急所を貫いており、獲物は何が起きたのかを知る暇さえなかったろう。
 奇襲を察知した周囲の鴨たちがいっせいに水面を飛びたとうとした。完全に離れてしまう前にと、サクヤは踵で馬の腹を軽く叩き、景正とは逆にもっと速く走るよう促す。
 栗毛の若馬ははじめこそ雪に怯んではいたものの、なかなか賢く素直な馬らしく、すぐにサクヤの意図を理解したようだ。
 ぐんと速度が上がり、一瞬身体が後ろへもっていかれそうになるのを、両脚全体で馬体をぐっと締め力をこめて耐える。サクヤの栗色の髪が風に流れて乱れ、椿の髪飾りが舞った。一面の銀世界に椿の紅が揺れ、鮮烈に映える。
 戦の道具である景正の弓に比べ、もとは祭礼用の神具であった緋針は、狩りにおいては少しばかり不利だろう。だからこそ燃えるのだとサクヤは心に火を灯し、水場から離れようとする鴨の一羽――わずかに反応が遅かったものへと狙いを定める。
 多数の鴨の羽ばたきが水上を乱す。動く標的を馬上から捉えるは至難、だがこのような場面でこそ、命あるものの情念を繊細に感じとる巫女の心眼が活きる。
 瞬きひとつののち、あの鴨はどこへどのように動いているか。
 その情景がかすかに過ぎり、描いたまま弓をひく。放たれた矢はこちらも見事命中し、空中で鴨を仕留めた。
 遠くへ飛び去ってゆく鴨の群れを眺めながら、ふたりは弓を降ろした。片手で手綱をひきつつ、ゆっくりと川辺へ馬を歩ませる。

「景正の騎射、見事だったわ。雪原を斬るような風の音、静謐にして雄健。貴男の剣技を重ね見てしまうわね」
「サクヤ殿も流石の御活眼にござりました。その『緋針』も貴殿のような使い手に恵まれ、弓冥利に尽きるかと。尾を引く焔が我が目にも映るようでしたぞ」
「更に腕を磨かないといけないわね。私も気に入っているわ、有難う景正」

 改めて送り主に礼を述べると、サクヤは狩った獲物を引き揚げようと川へ入ろうとする。
「待たれよサクヤ殿、解体は私に御任せくだされ。この時期の入水はひどく冷えますし、手指も荒れましょう」
「気を遣わなくても良いのだけれど……そうね。厚意には感謝して、受け取ることとしましょうか」
 戦場では共に高め合う戦友同士とはいえ、ひとたび日常へ戻れば話は別。景正は当たり前の気遣いだと考えたのだろう。
 彼の誠実で実直な人柄は、こういった場面でも自然と滲み出る。彼の頼もしく、また好ましい点のひとつだ。
「紳士のふるまい、ね」
「痛み入ります。紳士とは、これまた大層な」
「後の世では、礼節や慎みを弁えた男性へ贈る賛辞として用いられるそうよ」
「成程。仁義礼智信、礼に始まり礼に終わる……武士道と通ずる所がありますな。私は戦と酒にはつい気が逸りがちゆえ、少々面映ゆくもありますが」
 己のどうしても譲れぬ我欲や、不器用な面も自覚する景正は、それも過ぎたる評価だと謙遜する。
 景正がむしった羽根を川に流し、短刀で手際よく鴨を解体している間に、サクヤは夙夜と自分の馬を川辺の木に繋いで休ませた。かき集めた枯草を敷き、馬たちも冷えないようにと。
 少々冷え込みはするが、こうして野趣を味わうのもまた狩りの後の愉しみというもの。薄っすら曇っていた空も晴れ、今夜は美しい星が見られそうだ。
 乾いた流木や枯葉を集めて重ね、石で囲いを組み焚き火を起こす。そうしてささやかな祝杯の準備をするうちに、だんだんと日が暮れてきた。こうなれば日が落ちるのも早い。
「鴨と一緒に煮込む野草も集めてきたわ」
「おお、芹と野蒜ですか。風流ですね!」
 鴨肉を捌き、洗い終えた景正の声が明らかに弾んでいる。戦場とは別人のような柔らかい表情を浮かべ、長身を丸めて焚き火に手をかざす彼の姿は、やはりどこか純朴な童のようで微笑ましい。
 サクヤもつい常の近寄りがたい程の鋭さを崩して、穏やかな笑みを浮かべながら、ぱちぱちと木が爆ぜる心地よい音に暫し耳を傾ける。
 持参した鍋に鴨と野草、醬油と塩に酒少々を放り込んで煮込み、一部は串に刺して炙り焼きにする。肉から旨味の乗った脂が染み出し、食欲をそそる香りが漂ってきた。
 景正のお勧めだという地酒は竹筒に注ぎ、これも炙って熱燗にした。酒杯に注いだ酒を軽く掲げて、互いの武への敬意をもって目礼する。
 注がれた酒からたちのぼる白い湯気が火に照らされ、すっかり暗くなった夜空へ吸いこまれるように浮かんでいく。ふうと息を吹きかければ、そこに自らの吐息が混じり、白がより深くなった。
 まずは串焼きをかじり、獲りたての鴨の濃厚な旨味を味わう。
 そして熱い酒を一気に喉へと流し込めば、鴨の脂の味が広がる口中に豪快な鋭さと熱さが割りこんで、喉から腹へとすとんと流れ落ちる。
 冷えた身体が芯からほかほかと温まってきて、景正は思わずくぅと息をもらした。
「堪りませんな。五臓六腑に染み渡ります」
「貴男、本当に酒が好きなのね」
 その姿を見たサクヤが、愉しそうにくすりと微笑む姿も火に照らされて闇に浮かぶ。
 戦場では、美しくも近づくことすら躊躇われる孤高の龍姫として君臨する彼女。
 こんなにも他者に心を許し、ひとりの人間としてふるまえているのは、きっと初めてなのかもしれない。
 景正もサクヤが寛いでいるさまを見るや、ますます上機嫌になりながら追加の酒を注いだ。
「この酒は冬の今頃にしか出回らぬ希少品だそうです。私は好きなのですが、サクヤ殿の御口には合いましたでしょうか」
「ええ。鴨にも合うし、この荒々しさが好ましいわ」
「誠にございますか! ではまた共に酒杯を傾けましょう」
 鴨鍋も各々の器によそい、口へ運ぶ。新鮮な鴨肉は煮込んでも力強い歯応えを残しており、噛みしめると越冬のために蓄えられた脂が風味豊かに口の中を満たす。
 野草が鴨の臭みを消し、しゃきしゃきと軽快な食感を加える。野山の滋味が広がり、至福のひとときに舌鼓を打つ。
「温まるわね。もう少し塩味を足してみても美味しいかもしれないわよ」
「ほう、確かに……時にサクヤ殿、馬達も労ってやりませぬか。この戦果も夙夜らの働きあってのことです」
「私もそう考えていたところだわ。野草の残りも少しあるから持っていきましょう」
 よく働いた馬達にも草を与えてやると、喜んでむしゃむしゃと食べ始めた。ねぎらうように夙夜を撫でる景正を眺めて、私も馬を持とうかしらとサクヤがふと呟く。
 さすれば、馬達もまた主を真似て競い合うのでしょうな――そんな触れ合いや、他愛のないやり取りも、穏やかな時間として心に残る。

 焚き火の傍に戻ると、サクヤの酒杯に注がれた酒はほどよく冷めていた。その中に天上の星が映りこんで、せせらぎの音が耳に落ちる。まるで掌の中に世界が流れているようだ。
 骸の海――世界を包むというそれが、ふとサクヤの頭を過ぎる。
「星の巡りは限りなくとも、この時間には限りがあるのでしょうね……」
 ふたりきりの時間は限りがあるのか。
 それとも、戦いのなか穏やかな時間も限りがあるのかと。
 彼女の曖昧な問いは、どこか儚い憂いと艶を帯びて響いた。
 酔いも手伝っているのだろうか。いつまでもこのひとときが続いてほしいと、暗に願っているかのような――寒夜の静寂で、ふと零れた本音を聞いたのは景正ただひとりだ。
 問うているのか否かも曖昧な独り言には、常に人を、己を疑い、凄絶に戦場を舞ってきた巫女の揺らぎが滲んでいる。
 この時間が心地良いと確かに感じていて、けれどその心すらも信じて口にしていいものかと、戸惑いながらも詠嘆する。
 誰より実直で誠実な彼ならば或いはと、内に秘めた脆さを託すような言葉だ。
 焚き火を挟んで正面に坐った景正は、炎を受けてゆらめくサクヤの眸をまっすぐに見つめて、微笑みながら応える。
「いかに美しき可惜夜も、いずれは明けるもの。しかし時間が過ぎ去るとも、その先に広がる碧霄も、また次の夜も、いずれも掛け替えのないものです」
 この夜が明けてしまうのは惜しいけれど、時間はまた作ればよいのだと。
 ふたりきりで見る朝焼けもまた、美しいものだろうと。
 穏やかな時間が去ってしまうならば、共に戦い再び手にするのが私達であろうと。
 そしてどんな景色も佳きものだろうと、彼女の揺らぎを嘘偽りなき誠意でもって受け止める。
「――それに、この杯の味は忘れる事はありませんよ」
 景正は最後にそう言うと、どこか照れを隠すように酒杯をあおった。
 それを受けたサクヤもまた彼を見つめ返すと、同じように酒杯を傾けた。

 言葉にせずとも、時が過ぎても、このひとときは冬の可惜夜として心に残り続けるだろう。
 そして、願わくばその先に広がる碧霄まで、共に駆けてゆきたいと願う。
 戦友であれ、遊び相手であれ、今はまだ思ってもみない形であれ――この快い関係が永久に続けば、と。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2026年02月10日


挿絵イラスト