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三回唱えて

#封神武侠界 #ノベル #猟兵達のハロウィン2025

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柳・依月



雨倉・桜木




 運というものがこの世にあるのなら、今の私はツキに見放された状態なのだろう。結婚まで考えていた男には二股を掛けられていた挙句に数日前に振られ、ヤケ酒のひとつやふたつ決めてやろうと軽くはしご酒をしていたら、鞄に入っていたはずの財布は無くなっていて。
「厄日が過ぎる……」
 どう支払いをしようか、ツケなんて到底通りそうにないのがこの九龍城砦。身ぐるみはがれて捨てられるくらいならまだいいが、何処かに売り払われて二度と日の目を拝めないなんてことだってザラだ。
 きっと私は死にそうな顔をしていたのだろう、隣にいた男が心配そうな顔をして覗き込んでくる。
「どうしたんだ、あんた。吐きそうなのか?」
「あ、違くて、その……財布が、無くなってて」
 財布? という顔をした男がすぐに合点がいった顔をして、唇の端を持ち上げて笑う。
「落としたのか?」
「わかんない……私、今ちょっと運勢最悪で」
 ここまで最悪な状況になったことがない、と自分がヤケ酒をしている原因を――そう、愚痴をつらつらと零していれば、男は気の毒そうな顔をして。
「そりゃツイてないな、あんた」
「そうでしょ、そうなの。もう路頭に迷うしかないんだわ……」
 深刻な声でそう言うと、男は小さく噴き出すように笑う。
「ふ、悪い。それなら、運が上がるまじないを教えてやろうか」
「そんなのあるの?」
「ある、俺の知り合いがやってる店がそういう店なんだ」
「でも私、お金ないわよ」
 財布が無いんだもの、と女が言えば、男は立ち上がってさっさと支払いを済ます。
「え、いいの?」
「これも何かの縁ってやつだ、ここは俺が奢ろう。で、あんたはどうする」
 どうする、と問われて女は少し迷ったあと、礼と共に男の誘いに乗ることにした。これ以上悪くなることなんて、ないと思ったからだ。
「俺は依月」
「私は紅花、|紅花《ホンファ》よ」
 店を出て、依月に付いて歩き出す。仄かに薄暗く、阿片の匂いがする九龍城砦の中でも足を踏み入れたことのない区画へ向かって進んでいく依月に、本当に付いてきてしまってよかったのだろうか? という気持ちになりかけた頃に、依月が足を止めた。
「ここだ」
「ここ……香店?」
 店先の看板には『香』の一文字、扉の奥から漂うのは阿片とは違うお香の薫り。依月が扉を開けると、芳しい香気がふわりと紅花を包み込む。
「桜木、客だ」
 依月が店の奥へと声を投げかければ、気だるそうな声が返ってくる。
「依月くんがお客さん連れて来るなんて珍しいね?」
「ちょっとした縁でな」
 そんなやり取りを聞きながら店に足を踏み入れれば、大小様々な鳥籠が吊り下げられているのが見えた。中には小さな明かりが灯っていて、ランプ代わりにでもしているのだろうと紅花は思う。
「縁ね、縁は大事だよね。いらっしゃい、お嬢さん。ぼくは店主の桜木、お嬢さんは何をお求めだい?」
 かけていたサングラスを外して、桜木が笑みを浮かべる。優しそうなその笑顔に、紅花は僅かにあった警戒心を解いて名を名乗ると、望みを口にした。
「えっと……運が上がるおまじないを教えてもらえるって、聞いて」
「おや、込み入ったご事情がおありのようだ。依月くん、お茶淹れてくれる?」
 そう言いながら、桜木は紅花に椅子をすすめ、依月が持ってきたお茶を振る舞い、まるでカウンセリングでもするかのように話を聞く。
「へえ、そりゃヤケ酒もしちゃうよね。えーっと、じゃあ……」
 ごそごそと数多ある棚の引き出しを開け、桜木が持ってきたのは薄紅色のお香。
「寝る前に、このお香を焚いて願いを三回唱えてごらん」
「三回?」
「おまじないさ。運気を上げてほしいなら、そう願えばいいよ」
 なんとも簡単なおまじないだと、紅花は思う。まるで子供だましのような、けれどおまじないという可愛らしいものならば、こんなものなのかもしれないと納得し、桜木からお香を受け取った。
「あ、お代」
「今回は特別サービスさ。でもね、あんまり使いすぎちゃダメだよ。悪夢を見るようになるからね」
「悪夢?」
「対価さ、少しばかり運気を上げる程度なら大したことにならないから安心していいよ」
 くれぐれも、使い過ぎないように――そう念を押され、紅花はまるで狐につままれたような気分のまま、自分の部屋へと帰った。
「えっと、お香を焚いて願いを三回唱える、だっけ」
 まるで流れ星に願うかのようだと思いつつ、寝る支度を整えた紅花はお香に火を点けて――運が良くなりますように、と三回唱え――香の薫りにつつまれて眠りについたのである。
 翌朝、目が覚めた時にほんの少し嫌な夢を見たような気がしたけれど、気にするようなものでもないと紅花は仕事に出向き、そこで失くしたはずの財布が届けられていたことに目を瞬く。
「え、誰が?」
「さあ、中を見たらうちの連絡先が書いてあったからってさ」
 見知らぬ女だった、と言われて紅花は財布を受け取る。中身が無くなっているといったこともなく、職場の同僚は運が良かったねと笑った。
「……本当に、運が良くなってる?」
 半信半疑のおまじない、それがこんなに効果があるなんてと紅花は機嫌よく仕事を終わらせ、友人と夕食を共にすることにした。
「紅花、聞いた?」
「え? 何が?」
「あんたの彼氏」
「元彼ね、あいつ二股かけてたんだから!」
「そ、その元彼さぁ……死んだらしいよ」
「え?」
 お箸で掴んでいた肉団子がポロリとお皿の上に落ちて、飛沫が小さく飛んだ。
「え、うそ、どうして?」
「なんかさ、めちゃくちゃ借金があったみたいで、取り立てから逃げて……って話。借金の取り立て、もうひとりの彼女にも及んでるらしいよ~?」
「へぇ……別れて正解だったってことだね、私」
「本当だよね、付き合ったままだったら紅花にも取り立てがきてたかもしれないもんね」
 九龍城砦じゃ珍しくもない話、だけど、と紅花は思う。
 ねぇ、もしかして被害にあう前に別れた私って、運が良いんじゃない? じゃあ、やっぱりあのおまじないって、本物なのだ、と。部屋に帰り、お香を手にして紅花は次は何を願おうかと笑みを浮かべる。そう、桜木の忠告など覚えていないかのように――。
 一か月後、紅花は再び桜木の店へと訪れる為に九龍城砦の奥へと足を踏み入れた。変わらずに薫る香、数多ある鳥籠の中で明滅する光、そして。
「いらっしゃい、お嬢さん」
「また来たのか、あんた」
 サングラスを片手に笑う桜木と、煙管をふかしていた依月が紅花を出迎えた。
「ねえ! あのお香、もう一度売って欲しいの!」
 焦ったような女の声に、桜木がおやおやと笑い、依月は煙管盆に灰をとん、と落とす。
「あのおまじない、本当にすごいの。でもお香がなくなったらおまじないができなくて、前より運が悪くなって!」
 そう、最初は良かったのだ。何もかもがうまくいって、最高の人生だと思ったのに。おまじないが出来なくなったら、途端に不運に見舞われたのだ。
「お金ならあるわ、だから!」
「でもね、これ以上は悪夢に苛まれるよ? ぼくは止めといた方が良いと思うけどね」
「そんなのどうだっていい! 悪夢なんか大したことない!」
 紅花の剣幕に桜木は依月と視線を交わし、香を紅花へと手渡した。
「お代はこれだけ、払えるか?」
 依月の言葉に頷いて、紅花は支払いを済ませると挨拶もそこそこに店を飛び出していく。
「いい具合に育ってると思わないかい? 依月」
「そうだな、もう少しってところか」
 くすくすと笑いながら、二人はもう一度女が来ることを確信していた。そして――十日もしないうちに、彼女は再びこの店を訪れたのだ。
「確かに運は良くなったけど、悪夢が酷いの、ねえ、どうにかして!」
 眼窩は落ち窪み、肌色もよくない。悪夢のせいでロクに眠れないのだと紅花が叫ぶ。
「だから言ったじゃないか、使いすぎは良くないって」
「こんな、こんな酷いことになるなんて思ってなかった! ねぇ、どうすればいいの、もう悪夢なんて見たくないのに!」
 まじないをやめても、悪夢を見るのだと紅花が爪を噛む。
「仕方ないね、依月」
 名を呼ばれた依月が桜木に頷き、香を取り出して戻ってくる。
「じゃあ、特別だよ? この香を焚いてごらん。君の悩みがすべて解決するはずだからね」
「本当に……?」
「ああ、悪夢を見なくなる」
「ありがとう、ありがとう……!」
 ぽたぽたと涙を零しながら、紅花が店をあとにして部屋へと帰ると早速お香に火を点けた。
「これで、悪夢を見なくて済む……」
 寝台に倒れこむと、紅花は深い眠りへと誘われ――。
「……どこ、ここ? 真っ暗で……夢の中、なの?」
「そうさ、夢の中だよ」
「貴方たち……!」
 真っ暗な世界に浮かび上がるようにして現れた桜木と依月に、紅花はこれは現実だろうかと一瞬考えたけれど、確かに夢の中だと思い直す。
「もう悪夢を見なくて済むように、君の悩みを全て解決してあげる」
 楽しそうな笑みを浮かべた桜木の後ろで、依月が鳥籠を紅花へと向けた。
「もう悪夢を見ないで済むな」
 願い通りだと依月が唇の端を持ち上げると、桜木が紅花の頭を掴む。
「や、何するの!」
「悩みを解決してあげるんだよ」
 桜木の声が低く響いて、紅花は自分の意識が溶けていくのを感じながら――もう何にも悩まなくていいのだと目を閉じた。
「ふふ、またコレクションがひとつ増えたね」
 鳥籠の中で静かに明滅する光を眺め、桜木が良い魂が手に入ったと依月に笑う。
「悪夢に魘される感情も最高だったな」
「やっぱり女の子はいいね、感情もだけど魂の光も柔らかくて」
 店の中のどこに飾ろうかと桜木が少し悩んで、ここにしようと言うと依月が手を伸ばして吊るす。
「次も女か?」
「任せるよ。でも、今度はもう少し長く楽しみたいな」
 だから、次の獲物を見つけてきてよ、と桜木が依月に向かって綺麗に笑い、依月は桜木の望みを叶える為に再び店の外へ足を向けるのであった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年11月23日


挿絵イラスト