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甘き爛熟に殉教す

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ラファエラ・エヴァンジェリスタ




 美とは支配だ。力によらぬ征服だ。そうでなければ僕は、今、一枚の絵の前で今すぐに膝を折り指を組みたいこの衝動をどう形容して良いか解らない。
 堕ちた聖性。暗がりの女神。そんな言葉の似合いそうな麗しい彼女たちは、祈りを捧げたところで何ひとつ叶えてくれる気はしなかった。だからこの祈りはきっと何かを希うものでなく、彼女たちの美への僕の崇敬そのものだ。言葉で表し尽くせない感銘を祈る指先に託すだなんて、文字を書くものとしてどうかと言う気がしてしまうのに、謗られてでもそうして居たい。清廉な没薬や乳香なんかより、むせ返る様な薔薇の薫りと白粉の匂いがしそうな女神たちを前にしながらこれこそ自然なことに思えてしまうのだから酷く不思議だ。
 一呼吸、と言うには長い時間をおいて、僕はようやく少しの平静を取り戻してその絵を眺めることが能う。慈しむ様な優美な曲線に満ちた筆致に、清冽な朝の陽の下で描き出したかの如き清らかな色使い。真っ先に思い浮かべたのはアールヌーヴォーの代名詞みたいなとある画家の作品でありながら、描かれている女性二人はどう見ても、彼が好む類の『女神』ではない。むしろ対照的な世紀末デカダンスの匂い立つ、いかにもなファム・ファタールたちでありながら、それでもその美と造形ゆえに、僕は彼女らに神性を見出さずには居られなかった。片や国を傾けた寵姫、片やその母なのだと言う彼女らは、きっと人類に恵みや豊さを齎す類の女神ではないのだと、何処までも冷静に頭では理解していても。
 傾国の寵姫は此方に背を向けながら、振り向く様にして視線を後ろへ向けていた。たとえば満月と三日月の、色の異なる月光を撚ったかの様な金銀混じりの豊かに波打つ長い髪、派手な美貌に濃い化粧。その鮮やかさに一切のひけを取らない彩の紫水晶の瞳。そうして華奢と豊満を両立している肢体は奇跡とも言うべきかもしれない、それを誰より自覚している当人はあまりにも見せ方もよく心得ている。そんな、解り易すぎる程に露骨に華美なひとだ。でも、だからこそ、絶対に手には負えないと、身を滅ぼすと解りながらでも、目の前で微笑まれたらきっと僕は抗えないと思う。
 他方で寵姫の母親、一族の女主人だと言う銀髪の女性は瞳を伏せて此方を見もしない。寵姫と変わらぬ年頃に思えるうら若き容色は、寵姫よりもやや慎ましく思うのだけど、それは決して美しさで引けを取ると言う意味ではない。何故だろう、いっそ寵姫よりも幼く少女らしい可憐さを帯びている。そのくせ、その年の乙女が持つべくもない気品と威厳が、装飾的な曲線で描かれた髪のひとすじの先まで満ち満ちていた。自分が今如何にこの場にあるべきかを心得、そう在ろうとする存在。それを、彼女の決意の様なもの含めて、絵師の筆があまりにも克明に描き出している。でも、伏した瞳は何を見つめて居るのだろう? 何処か険しい表情は何かの覚悟を帯びながら、きっとその胸中が安らかなものではないことを——彼女の意図は別にして——やけに雄弁に物語るから、ほんの少しだけ、胸が痛い。
 背景や装飾も、とても象徴的なものだと思う。この場を支配するかの様に四方に蔓延る茨に、夜の色で咲き誇る黒薔薇のデフォルメをした額装。総じてみれば、何もかも、夜薔薇の血統の結実と言わんばかりのこの華やぎ。そのくせ隅の鏡に走る黒い罅が、忍び寄る終わりをそっと告げている。
 絢爛ゆえの頽廃。すべて、花々は爛漫の末に散り、果実は爛熟の果てに朽ちてゆく。
 だが、薔薇は凋落の間際がなにより美しく、果実は朽ちる直前にひと際甘く薫り立つ。華美のおわりの滅びの匂いと言うものは、どうしてこうも人類を狂わせてやまぬものだろう?
 でもそれも仕方のないことだよね。この女主人が斯くも沈んだ顔をするのなら、世界だってその悲しみの慰みに、道連れになるべきだ。この短い時間でそう思うほど、いつのまにやら僕はもうずっと彼女の虜で信徒でいるらしい。
 返す返す、美とは支配で、征服だ。絡みつく様な馥郁の香によるそれを、甘受する以外の術をなにひとつ、幾百年を生きた今でも僕は持ち得ない。
 強いて言葉にするならば——これほどまでの美を前にするのなら、それは殉教で、恭悦だから。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年11月05日


挿絵イラスト