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Reef of Arcana

#グリードオーシャン #ノベル #猟兵達の夏休み2025

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#猟兵達の夏休み2025


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ロラン・ヒュッテンブレナー



ハロ・シエラ




●START
 この島が|異質《﹅﹅》であることは、上陸した瞬間に判った。過去が二人を身構えさせる。
 先刻まで遊んでいた海ではなくなったのだ。
 ジャングルのようだが、白砂が続いている。枯れた珊瑚が崩れ落ちたようだと思ったのは、そこここに白くなった珊瑚があったから。海中にあるはずの珊瑚礁が|陸《おか》に広がっている――まるで珊瑚の墓場だった。
 そして、もっとも異質だったのは、二人の纏う服が瞬く間に変容してしまったことだ。
 咄嗟に過ったのは、敵襲。
 オブリビオンが支配する結界に踏み入れてしまったか――精神を支配するユーベルコードを掛けられたか――そもそも、見つけた島自体がユーベルコードだった――若しくはオブリビオン本体――巡る思考は、ロラン・ヒュッテンブレナーの真骨頂。膨大な知識に裏付けされる推測が何本も組み上がる。
 せっかくのデートだったのに――その恨み言は胸に沈めた。
 すぐさま力を解放させられるように魔力を練り上げるロランの、その凄まじい集中を目の当たりにして、ハロ・シエラは無意識のうちに笑んだ。
 倣うように抜き放ったレイピアに、自信を灯す。
 見えない脅威に対して並び立つ――友として。なにより尊敬する魔術の師の技を見れるのだ。昂奮するだろう。
 ただひとつ懸念があるとすれば、いつの間にか着せ替えさせられたのが水着だということだ。まるで戦闘に向いていない。それはロランも同じで、幾通りものパターンを思案して想定して備える。
 激しく強い日差しがじりじりと肌を焼くだけの時間――ロランは二度瞬きをした。
「…なにも、来ない…かな?」
「なにも、起こりませんね…」
 肯いたハロは警戒を少し緩め、レイピアの切っ先を下げた。ロランもまた練った術式を霧散させる。
 急襲はなかった。血気盛んなオブリビオンではないということか。考えるほどに迷いそうで、ひとまずそろりと息をつく。
「そういえば、どうして着替えてしまっているんでしょう…」
 どんな力が働けば、当人に気づかれることなく着替えが完了するというのか――否、それがオブリビオンか。無理やり納得する。
「ハロちゃんの水着、可愛いの」
 白い水着姿だ。脇腹が大胆に見える大きなスリットを赤い紐で編み綴じている。白い肌に赤はよく映えた。デコルテを華やかに照らす白のフリルも眩しい。
「ハロちゃん、赤とか黒も似合うけど、白も似合うの。あと、そのリボンも可愛くてよく似合ってるの」
 片方の肩が抜けていて幾許か心配だが、それにしても可憐だ。凛とした雰囲気が白で軽やかに華やぐ。可愛い。なのに格好良い。似合っている。本当に可愛い――拍手を交えハロを褒めた。
「ロランさんも、可愛いですよ?」
 彼のまっすぐな言葉に擽ったさを感じながらも、頷いた。
 全身に入るボディペイントは異国の民族風で、アシンメトリーな装いの不安定さが彼のギャップを際立たせる。
 大きな瞳に映る自身の恰好は、実に野性的であった。
「…まるで、ターザンなの…」
「それは…否定できませんけど、似合っています」
「…ハロちゃん、本気で言ってるの?」
「もちろん?」
 ハロは紅い目に真剣さを足してロランを見つめた。嘘ではない。似合っている。彼の獣の混じる四肢が、ワイルドさに拍車をかけていた。
 似合ってるかな…なんてぽそりと呟きつつも、せっかく褒め言葉を素直に受け取った。
 こうして話をしている間にも敵襲はなかった。
「…あれは、なんでしょうか」
 言下、海に背を向けて砂浜を歩く。彼を追って、ハロもまた|それ《﹅﹅》を覗き込んだ。

 ――ようこそ アルカナ・リーフへ
 眼前に広がるは ただの島に非ず
 欲すれば与えられる 欲さざれば降りかかる
 恐怖は牙を剥き 歓喜は海底から這い上がる
 進め
 一歩のたび あなたの記憶が島に刻まれる
 進まざれば 島はあなたを抱き締める
 成すべきはひとつ 最後まで征け
 私はあなたを歓迎しよう――

「信じますか?」
 訊かれ、ロランはふむ…と唸る。
 |玄奥の礁《アルカナ・リーフ》――というのが、ここの名か。ここは岩礁か――生態系がしっかり息吹いていて、もはや島か。
 降り立っただけの状態で、判明していることは限られている。眼前の立て看板の情報が全てだ。それ以外は、経験を元に推測するしかできない。
「普通ではないということは分かったの…」
「『成すべきはひとつ』とありますし…」
 明示された成すべきことが良明でない。最後まで征けとは、どこへ。
 そのルールの看板の奥に潜むように、もう一枚の看板が立っていた。

 ――囁く砂
 踏まれた砂は 足跡を愛する
 踏まれた砂は 歓喜する
 歓喜は 牙を剥いて執着する
 妄執はすぐ後ろ
 進め あるいは沈め
 返るな 勇猛に征け――

 看板の先に広がっているのは、一本道のような白砂の道。
 進め、最後まで征け――目の前に伸びる道を征けと言われているようだが、何が待ち構えているのやら。
「ここから|征く《﹅﹅》ってことですか」
「そうみたいなの…砂についた足跡が、襲ってくるとも読めるの…」
「返らず、進む…もしくは沈む?」
「沈む…ということは、奈落になってる……とかかな」
 ハロは拾った枝を投げてみた。僅かな音も砂が吸い込んで、静かにそこにある。なにも起こらない。
「足跡を愛する、ですか…衝撃でなにかが起こるわけではないのですか」
 足音を模してみればどうなるだろう――ロランは小石を徐々に遠くへと投げていく。果たして砂は泰然と沈黙したままだった。
 二人は顔を見合わせ、言外に覚悟する。
 行くしかない。
 警戒しながら歩き始める。さくっ、さくっと砂を踏み締める音がした。前進している限り、なにも起こらない。ただの砂の一本道だ。
「…ここで返れば、沈むのでしょうか」
「そうかもしれないし、単純に敵襲があるのかもしれないの」
 あの看板に書かれてあること以外のことをすれば、どうなるかを試してみたい気持ちもあるが、その結果危険を呼び寄せてしまうことは本意でない。
 道半ばで木々がざわり揺れた。波のように葉擦れの音が俄かに喧しくなって――突風が奔る。悪戯な風に翻弄されたハロの帽子は背後に落ちた。
 拾い上げるには――|返る《﹅﹅》必要がある。いつまた風が吹いて真っ白の帽子が飛ばされてしまうか分からない。早く拾い上げなければ。ハロは蹲んで、後ろ手に帽子を探す。
「あったの? ハロちゃん?」
「ええ…と…――ない、です……こっちかな……あっ」
 ハロの指先が何かに触れた。それが帽子だという確証はあった。まず触れた感触に覚えがあったのだ。風に流されないようにしっかりと指に力を入れる。掴めた――けれど、なぜか重い。先刻までの帽子の重さではない。
「っ!?」
「ハロちゃん!」
 この重みはなんだ――帽子を引き寄せた拍子に、思わず視線が背後を撫でてしまった。
 二人の足跡から這い出て伸びる赤黒い手が無数に生えて、軌跡を埋めていた――一等新しい足跡からぬるりと出てきた手が、ハロの帽子を掴み、ハロの髪を撫でようと伸びてくる。一瞬反応が遅れた。しかし、ロランの厳とした声が迸って、手首を掴まれたかと思えば、強く引っ張られた。
「走るの!」
「っ、はい!」
 撫でられる寸でのところで、距離を保つ。空を切った手を確認したのを最後に、『返るな』の文言を守ることに徹した。
「返るな、は振り返るなってこと? もしかしたら、思い出話とかも含まれるかもしれないから、過去を語るのは、少しナシなの!」
「わかりました…!」
 肯いたハロだった。
 せっかく可愛い帽子だったのに。黒い手に奪われてしまった。けれど、それがもしハロ自身だったなら――ロランだったなら。
 立て看板の言葉には従わなければ、いけない――よく判った。

●SWEET
 立て看板は、楽しむように二人を試した。
 『反響の回廊』を抜け、『声なき案内人』に追い立てられ、『逆さ雨』に打たれた。
 水着で良かったと思えども、濡れたことに変わりはない。篠突く雨が、|逆さに降って《﹅﹅﹅﹅﹅﹅》、激しい雨音を聞かされ、感情は荒れ狂った。悪天候と同調して、雨に打たれた心は|逆さ《﹅﹅》になった。
 これに気づいたとき、慌てて口を閉ざした。トラップだと判っていても、心にない言葉を口走ってしまうことが恐ろしかった。
 その後の『かがみの潮だまり』でも疲弊した。
 あまりに抽象的な指令は、疑心暗鬼に陥らせる。誤謬は互いを危険に晒す。怪我人を抱え、いつ終わるとも判らない迷宮を進むのは、殊更骨が折れるだろう。
 看板の指令は、的を射ているようで曖昧だ。指令に背き切れば、どういう結末になるだろう。それを試してみたいとは思わなかった。
 成すべきことはひとつ。
 一等最初の看板に書かれていた――最後まで征け。その通りに進んでいる。一本道であるから、迷わせる意図はないのだろう。堂々巡りをさせられている可能性は、まだ否定できない。
 なにが目的なのだろう。
 これが埒外の仕業であることは、もはや疑う余地もない。ならばせめて、埒外なりの理由を知ってみたいと思った。オブリビオンにも志を持つ者はいた。この状況を引き起こしている者がそうとは限らないけれど。
「……大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ロランさんは?」
「ぼくも平気なの。あと、どれくらいあるのかな…」
「…少しだけですけど、楽しくありませんか?」
「え?」
「さっきの、回廊とか?」
「あのくちゃくちゃに平衡感覚歪まされたところの? ハロちゃんの気分が悪くならなくて良かったの……」
 とにかくいろんなものが反響して、まっすぐ歩くだけで辛かった。あのトラップもまた、返るなと添えられていたから、前を向いて進むのみだったのだが――とにかく、ぐわんぐわんだったから、前に進んでいるという確証すら怪しかった。
「割と平気でした」
 ハロは言って微笑んだ。
 そう――平気だった。ロランが先を歩いてくれたから。彼の後ろを迷わず歩むだけだった。気分は最悪に掻き混ぜられていたが、彼の背がそこにあった。
 ハロを先導する。護る。共に征く。言外に語られる言葉は温かかった。まったくもって、擽ったい。
 彼の優しさは純粋に嬉しく思う。護らせてほしいと甘えられているようで、そのくせ護りたいと甘やかそうとしているようで。
 今まで一人で全てを片づけてきたハロだけど、こればかりは慣れたくない――新鮮な喜びを浴び続けたい――というのは、我儘か。
「ハロちゃん、またあったの」

 ――連理の橋
 孤独は落ちる 落ちればひとつ 腹の中
 ふたりであれ ひとつであれ
 鎖に喰われ
 足並みを揃えよ
 いざ歩め――

 看板にかかっていたのは、手錠のような形の拘束具――鎖。
「足並みを揃える…鎖に喰われる…鎖に繋がれてってことでしょうか」
 それ以外の解釈あるだろうかと思考を巡らせるが、思いつかなかった。
「二人三脚で、……渡るってことなの?」
「そう書かれていますし」
 ハロは鎖を手に取って、まずは自分の足首に巻いて、ガチリと金具を留める。反対側の拘束はロランの足首に巻き付ける――しっかりと掴まれたことを確認して立ち上がった。
 これはなかなかに歩き辛いが、渋っていては終わらない。吊り橋を渡るだけでいいのだから、易いものだろう。
「行きましょう」
「……そう、だね」
 身長差があるからハロは彼の腰に手を回した。これで歩き易くなるだろう、なんて安直に思った。そして、ロランの喉がひゅっと鳴ったことに気づいた。
「ロランさん?」
 ハロの赤い眸の中に自身が映っていることに、心臓が高鳴った。想い人にまっすぐに見つめられて、どぎまぎするなという方が難しい。
 その小さな変化に、ハロもまた息をのんだ。ペイントのせいで気づくのが遅れた。ロランの頬が赤く染まっている。揺れた紫紺の双眼が、ハロを見つめて離さない。
「い、きましょ…?」
「うん、そうだね……」
 彼女は、イベントをクリアしようとしているだけだ。そんなことは判っているけれど、するりと近寄った体温に緊張が走った。
 ロランが先日、彼女に心を打ち明けていることを露ほども気にしていないのだろうか――思わず、じっと見つめてしまった。
 一呼吸分の沈黙。彼の逡巡に気づけない距離ではない。割れ物を触るような優しさを零す手がハロの肩を抱いた。
 じわっと広がる熱に、今更ながら状況を飲み込んだ。
 この吊り橋を渡りきれば、またいつもの距離に戻れる。どうして今、密着しなければいけないのか。心臓、口から出てくるかもしれない。息が上手にできていない気がする。ハロを置いていかないように歩調を合わせて、それでも速く渡り終えたくて。
「……――」
 ハロは口を噤んだ。返事は保留にしている。彼の想いは知っているから――ああ、困った。あつい。
 彼の緊張が伝播したから。ハロはこっそり細く弱く息を吐いた。
 息を止めてしまっていたことに気づく頃には、苦しくて。
 あついのは、強すぎる日差しのせいで、高すぎる気温のせいだ。互いの体温を意識してしまえば、苦しさはいや増した。
 足並みを乱してはいけない。吊り橋から落ちてしまうかもしれないから――ロランの腰に回った手も、ハロの肩に回した手も、そのどちらもが熱かった。
 歩幅を揃えて歩くから、二人の視線は落ちる。目の端に映る白い肌は、今のロランにとって毒だった。
 ふええ…困るの…――目をぎゅっと瞑ってみたところで、瞼の裏に蘇ってくるし、掌にはハロの体温が広がって、腰に回った彼女の手がなにより厄介だった。
「ロランさん、あと半分です。大丈夫ですか? 高いところは苦手でしたか?」
「大丈夫、……ぜんぜん、平気なの」
 上目遣いで様子を窺ってくるハロの可愛さにくらりと眩暈を感じる。やめてほしい、いややめないでほしい。困った。ロランは騒がしい心臓をなんとか宥めながら、決して彼女との歩幅を乱すことなく、吊り橋を渡り切った。
 同時に、二人の足首に噛みついていた鎖は、白い砂となって崩れ落ちてしまった。

●BITTER
 多腕の屍の群れに襲われた――全部斃した。
 異形の蜘蛛の怪物の群れに襲われた――全部斃した。
 二人の連携を崩すことは難しいだろうに。監視者の居場所は今も判然とはしないが、トラップは続いた。
 準備運動は完了している。
 胸の高鳴りは、戦闘の興奮のせいか、偶発的な触れ合いのせいか――前者であると思い込む。

 ――繭の王
 征き着く先の慟哭 恐怖 憐憫
 抱く|腕《かいな》の温み 包む繭の痛み
 喰う牙の鋭さに 絶えず耐えず
 生きたくば 抗え
 逝きたくば 捧げろ
 王の腕は すべてを許す
 いざ征かん――

 読み上げて、ぞくりと背筋に悪寒が走る。看板を読むまでは感じなかった気配が突如として現れ、不快な音をギリギリと甲高く発し続ける。
 黒い巨躯。でっぷりと膨れ上がった腹には、凄惨に叫ぶニンゲンの貌のような模様がびっしりと入っている。異形たらしめる最たる要因は、脚の全てが赤黒い手であるということだ。
「あの手、最初に見たの」
「ええ。最初の……足跡から生えた手です」
「じゃあ、これが本体かな」
 ロランの言下、ハロはレイピアを抜き放つ。
 血色の複眼に二人は映された一瞬後、異形の蜘蛛は、けたたましく哄笑する。まるでニンゲンのような嗤い声は違和感だ。
「あっ!」
 奪われたハロの白い帽子を被っているではないか。十中八九、この蜘蛛が本体――斃せば冒険は終わるだろう確信を得る。
 先手必勝。ハロは駆ける。スピードに乗って、距離を詰める。背後から目を光らせるロランの魔力が中空を侵食していった。
 不愉快な哄笑を続ける蜘蛛は黒い腕を広げ抱擁の構えになる。虫唾が走る。やわい砂に足を取られるが怯みはしない。背にあるロランの気配がそうさせた。この安心は一朝一夕で積めるものではない。
 抱き締められる前にその掌――不自然に長い前腕を巻いていなし、鋒を突き刺す。次なる攻撃が来る前に、すぱんと斬り落とし、一足のうちに跳び退さった。
 哄笑は瞬時に慟哭へと変じた。
 ハロを援護する電脳魔術を展開していく。慟哭は耳を劈く、吐き出される蜘蛛の糸が明確な意志を持って二人を抱きすくめる。斬っても払っても勢いの衰えない糸の束に襲われた。
「ハロちゃん……!」
 眉を顰め、彼女は身に纏わりつく糸を払う。その僅かな隙。蜘蛛の手はまだ無数にある。拘束された今、あの腕に掴まれてしまうことだけは回避したい。
 最初の看板から、二人に執着する気配が見えていた。
 愛する、絶望は美味、落ちれば腹の中――食い物としてみられているのなら反吐が出る。愛しい食い物と判断されたのか。
 ロランの魔力が吹き荒れる。蜘蛛を圧倒する。詠唱に力が伝播し、あっという間に制圧の結界が砂浜に拡がった。
 糸は弱まった――弾け飛ぶ糸端を蹴散らして、レイピアを構え直すハロの横っ面目掛けて赤黒い塊が飛んでくる。
 それが何かを認識する前に、ハロは引き倒された。
 蜘蛛の攻撃からハロを庇った。
 咄嗟に押し倒してしまったが、彼女になにかあってからでは遅い――急拵えの結界は俄かに破られ、鈍重な拳がロランに迫って、背を強かに打ち据えられる。
「……くぅっ」
 苦悶の表情のロランの向こうに迫る次撃。ハロは血が冷えていくのを自覚した。
「甘いですね」
 庇ってくれたロランの背を抱くように手を回す。彼を抱きとめる瞬間、彼の身体に隠されたハロの指先から魔炎が噴き上がった。
 最高潮に練り上げられた魔力の奔流が蜘蛛へと注ぎ込まれ、束になる糸を焼いて、激しく延焼する。
 轟然たる炎に捲かれ、藻掻き苦しむ巨躯が暴れ狂った。
「さすがなの」
 言って、ロランも洗練された術式を編む。隅々まで行き渡らせる聖炎が蜘蛛の総身を焼き締めた。
「大切なひとを傷つけられて黙っているほど、ぼくの心は広くないの……」
 起き上がりざまに膨れ上がる魔力の全部が、明確な形を成して牙を剥き、蜘蛛へと爪を突き立てる。
 異形の蜘蛛が、低く轟く咆哮を上げて、礁を震撼させた。
 歴戦の二人の、阿吽の呼吸をまざまざと見せつける。
 これまでのトラップの悉くを越えた二人にとって、この程度の敵――|子供騙し《﹅﹅﹅﹅》だ。
 ハロの手を引いて起こせば、彼女は弾かれたように驀地に駆ける。炎に捲かれ怯んでいる今この瞬間が絶好のチャンスなのだから。
 抜いたレイピアは冷酷な鈍色に光る。放つ魔炎の輝きを切り裂いて、切っ先は異形へと深々と突き刺さった。
 耳を劈く悲鳴が上がる――その音はどこから発せられているのだろう――なんて、いやに冷静に、聞くに堪えない断末魔を聞きながら考えた。
 二人に敵うものはない。
 付き合いが長くなった分だけの信頼と、手の内を知り尽くしたからこそなせる攻撃に、蜘蛛は呆気なく散った。
 さらさらと砂塵となって、風に吹かれ散っていった。
 あとに残ったのは、ハロの帽子と、抉れた砂浜、その中にあった立て看板――そこに、文字がじわりと浮かんでくる。

 ――ここが征き止まり
 楽しかったかい?――

●FIN
 礁の消失がじわりと始まる――オブリビオンが骸の海へと堕ちていったと考えて問題ないだろう。
 拾い上げた白い帽子をハロに被せてあげて、髪の代わりに白いリボンを撫でた。
 そのロランの眼差しがあまりに甘く優しくて、ハロは慌てて目を逸らす――まるで消失を楽しむように、岩砂へと視線をやる。
「完走が、条件だったのでしょうか?」
「そうなのかも――……ハロちゃん、大丈夫だったの?」
「はい、大丈夫です。でも、ロランさん?」
「なに?」
「なかなか、楽しかったですね?」
「うん、ドキドキしたの!」
 魔術の師たる厳然とした背は、大きく見えたけれど――今の彼の笑顔は、よく知った無邪気なそれだった。
 沈み始めた太陽の赤に照らされて、二人は笑みを交わした。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年11月04日


挿絵イラスト