朽‐|左腕《ベスティア・クローヴェル》
「私、は」
口が強張っている。上手く舌が回らない。言葉を覚えたばかりの子供になったみたいだ。
もしかすると、その頃の方がマシだったかもしれない。
少なくとも、『終わり』の訪れを間近に感じることなんてなかった。
左手を、開いて、閉じる。また開いて、閉じる。
繰り返すたび、チラチラと蒼い炎が揺らめく。
何かを遠くへ放るように振りかぶれば、彗星の尾を思わす蒼白い光が長くたなびくだろう。面倒な確認作業は、いちいちやらないけれど。
私の左腕は、蒼い炎で出来ている。
生まれつきじゃない。最初は本当に、普通に生身で、骨と肉で構成された腕だった。
右腕は今でも生身。だからもしも左腕が生身だったら、長さは右腕と同じくらいで、形も似通っているんだろうなと想像することがある。
その度に、くだらない、と笑ってしまう。
無意味なことを考えたって、しょうがないのに。
私は人狼。
未来を照らす太陽のような生を望み、神様から力を借り受けた仮初の太陽。
私よりも長く生きられるヒトの明日を照らそうと、懸命に力を揮い続けた。
そうやって過ごしていたある日、左手の指先に違和感を覚えた。
棘でも刺さったのかもしれないと確認して――絶句した。
指先が、ボールをぶつけられたガラスみたいに、ひび割れていた。
驚いた私は、蜘蛛の巣そっくりな亀裂に触ってしまった。途端、皮膚が、爪が、肉が、骨が、ボロボロと崩れ始めた。
『身体って、崩れるんだ』
現実味がなさ過ぎて、そんなことを言った気がする。
けどすぐに事の異常さと重大さに気付いた。|無駄吠えはし《叫ば》なかったよ。叫べなかったんだ。呼吸もままならなかったんじゃないかな。
血の気が引くっていうのは、きっとああいうことを言うんだろうね。
顔は青褪めていたと思う。でも、無くなった指の痕から噴き出した炎の方が、もっともっと蒼かった。
意味が解らなかった。けどあれ以来、蒼い炎が私の指になったんだ。
左手は、少しずつ少しずつ、蒼い炎へと置き換わっている。今も、多分、これからも。どんどん代わっていくんじゃないかな。
始まりは指先。
それから手の平。手の平から、手首。手首から腕へ。
蒼い炎は私を浸食している。蝕んでいる。
最前線に立っていた時より、変化は緩やかになって来ているけど。それでも確実に、私は蒼い炎に成り代わられ続けている。
生身の部分はひび割れて、崩れ、朽ちてゆく。
「私、は。いつまで」
込み上げた熱が、喉を灼く。
私は狼。
元々、そんなに長くは生きられない。
だからかな。
左腕が朽ちていく様は、そんな私の寿命を可視化しているように見えてしまうんだ。
いつ死んでもいい、なんて思っていた時もある。
生死を両天秤にかけた、獣みたいな生き方をしていた。でも今の私はそうじゃない。
そのせいで、なんて言わないけれど。知らなかった怖さを――不安を自覚してしまったのは、本当。
あと何日、生きられるのか。
蒼い炎の指を折って、数えてしまう。
あまり考えないようにしているけれど。崩れる瞬間を目の当たりにすると、どうしても、どうしても。
償いの為、大切な人達の為に太陽で在ろうとして、躊躇なく命を焼べ続けて来て。一番照らしていたかった人こそを、日陰にしてしまっていることに気付かされた、あの日から。
「私はいつまで、生きられるのかな」
ようやく強張りが解けた唇から、熱い息が零れた。
私はまだ、蒼に|呑まれ《逝き》たくない。
やりたいことは沢山ある。
だからどうか、一日でも長く生きられますように。
神様。
私には――ベスティア・クローヴェルには、あとどれくらい時間が残されていますか?
成功
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