瑠璃に満ちた空の下、どこまでも続く砂色にひとつ燦めく青はまるで、紗を飾る一等の宝石のようだった。
陽はとうに暮れたというのに、高台から見下ろした街の抱く水辺がこれほどにも鮮明に|彩《いろ》づいて見えるのは、赤や黄、オレンジ、中には月めく色まで、とりどりの|洋燈《ランプ》が溢れるほどに灯っているから。
その燦めきに惹かれるまま近づけば、心地良い夜風にのって届くのは様々な音色。笛や弦、管楽器、鍵盤楽器――店先に並べられた数多の楽器を試奏する人々は思い思いの調べを紡いでいるというのに、夜の微睡みに溶けたそれは不思議とひとつの音楽となって、夜市全体を包んでいる。
そう、今宵このオアシスを賑わわせるのは|音彩《ねいろ》夜市。
秋の夜に集う、楽器の祭典。
柔らかに夜を縫い、砂地に無数の星を咲かせる彩色硝子の洋燈やランタンたち。それらを縁に吊り下げた天幕の群れを過る夜気には、ほんのりと甘くエキゾチックな香油の香りと、音を楽しむ人々の笑み声が混じって、じんと五感を潤してゆく。
「音と光のあふれるバザール……とても賑やかだな」
ぽつりと毀れたガスパールの声に、肩に乗った相棒――ミミズクの|Adel《アデル》も愉しげに鳴いた。褪せた誰かの記憶のように、僅かに色を抱く青年の灰色の髪も眼も、今日ばかりは鮮やかなひかりを浴びて万彩に染まっていた。洋燈を映して燦めく眸で、左右に並ぶ数えきれぬほどの楽器を眺めながら往く。
ここならば、あの楽器にもふたたび巡り逢えるかもしれない。
以前見かけた、なにやらたくさんの筒が縦に並んだ不思議な笛。見目の格好良さは勿論、客が試し吹いていたどこか山の層を思わせるふくよかな音色は今でも鮮明に記憶を彩っていた。それを辿るように口にすれば、傍らから漏れたちいさな声。どこか忠告しているようなそれに眉尻を下げると、ガスパールは柔く笑う。
「……大丈夫。大きすぎると荷物になってしまうからな。見るだけだよ」
躰をふうわりと包み込む、光と音。ゆっくりと漫ろ歩きながら、楽器の海を渡る。ラバーブ、カリンバ、ニッケルハルパ――どれも見たことのないかたちをしていて、ひとつとして同じ音を持たない。
「……あ、」
心の向くままに歩みを進めていれば、不意に見つけたお目当ての姿。世界中の笛を集めたのだと得意気に笑う店主の傍らにある、大小さまざまな木管を束ねた楽器へと視線を止める。パンフルート。サンポーニャ。あるいはもっと古い民族の名残かもしれぬと、店主が添えた。
「やっぱり、カッコ良い……」
近くで眺めれば一層、素朴な作りながら丁寧な職人の技が見て取れる。素材は葦や竹だろうか。自然に在るものだからこそ、風合いもそれぞれで見ていて飽きない。管を繋ぐ部品へ施された装飾は美術品のように繊細で、思わず暫し見入ってしまっていればまた、隣で囁くちいさな声。
「……分かってる、アデル。見ていただけだから」
じっと自分を見つめるつぶらな眸へと苦笑を漏らすと、嗚呼と独りごちながら、クルースニクの青年は半身を起こしてぐるりと視線を巡らせた。どうしたのか、と問いかけるようなアデルへと、一度視線を向ける。
「そういえば、鳥の鳴き声みたいな音がする笛もあると、どこかで聞いたのを思い出したんだ」
「なんだ兄ちゃん、鳥笛をお探しかい? それなら、このあたりが全部そうだよ」
「これ、全部……?」
「そうともさ! ほれ、そこの小瓶を一吹きすりゃ浄化魔法が掛かるから、気になる笛に吹きかけて試奏してみるといい」
闊達な笑みを浮かべる店主に倣って視線を移せば、ちいさな籐の籠のなかに香水瓶のようなそれが在った。液体に浄化の魔法を付与したのか、と裡で得心しながら、ガスパールは手近な一品へと吹き付けた。壊さぬように慎重に持ち、試しにそうっと息を吹き込めば、その控えめな心を映した音色が夜に毀れる。
「おお、スゴイな……本当に鳥の声に聞こえる」
「だろう? 気に入ったのがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう。――え? いや、アデルとお喋りでもできたらなと思って」
つん、と頬をつつく姉貴分へとそう答えると、アデルがこてりと首を傾げる。
「……いつもしている? それはそうなんだが。偶には……いつもと違った雰囲気も楽しめそうじゃないか」
くすりと星影のような笑みをひとつ浮かべて、青年は別の笛を手に取った。「ひとつ買っていってしまおうか」と愉しげに、幾つかの音色を試してゆく。
「アデルはどの音色が気に入った?」
眦を細めて問えば、羽毛の縁がひらりと揺れる。
言葉はなくとも、それで十分だった。
音の海からすくった一匙を、そっと裡へと仕舞ったらまた、ふたりきりの散歩へと出る。
洋燈のひかり。仄かな香油。艶めくほどの数多の音色たち。
ゆるり彩られた夜の随に、ふたつ並んだ影が柔らかに溶けていった。
成功
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