姉弟たちのバレンタイン、二人だけの一日
●バレンタイン数日前のUDCアース:五辻・葵の場合
吐き出した息が白く残るようになると、思い出すのは決まって姉のことだ。
もっとも、春でも夏でも秋でも想うことは変わらないのだが、冬は少し違う。会いたい、という気持ちが強くなる。寒くなると人肌恋しくなるのは、宿り神だって同じだ。
いつもならとっくに偶然を装って会いに行ってる頃だが、今年は正月を境に会っていない――これといった理由があるわけではない。ただ一月末に会いに行こうとしたタイミングが運悪く合わなくて、それだけ。姉は全く気にしてないふうだった。
少し、拗ねてしまう。
葵は姉を――鈴佳を愛している。家族として、半身として、女性として。
叶わぬ想いであることは重々承知の上。人ならざる身でもそのカタチと在り方は人に限りなく近く、そもそも姉にそんな気持ちが欠片もないのだから、叶えようがない。
少し生意気で、大事な――血の繋がらない――唯一の家族。それでいい。この身が滅びて朽ち果てるその瞬間まで、そう在り続けることを納得して決めている。
だからといって、全てを仕方ないと受け入れられるわけでもないのだが。
会いに行こうと思っても、すぐに行けない理由はもう一つあった。
「――……バレンタインか」
街角を歩いていた途中、ふとコンビニのガラスに貼られた広告が目に入る。2/14、クリスマスや正月同様、きょうだいが集まる定期的なイベントの一つ。
提案したのは勿論、葵だ。理由は言わずもがな。であるからして、最初は彼がチョコレートを渡す側だった。姉が渡してくれるようになったのは、いつからだったろうか?
「今年はどんなのにしようかな」
一番の目的は姉と同じ時間を過ごすことだが、贈り物を渡すからには妥協はしない。あいにく葵自身は姉ですら呆れるほどの辛党なので、甘い物に関しては市井の評判が頼りだ。
早速、コンビニに足を踏み入れる。本棚を物色して、雑誌をいくつか見繕った。
「これください」
「しゃっせー」
大学生ぐらいのバイトが気怠げにレジ応対する。雑誌はどれも表紙に「スイーツ特集」とか「バレンタインのオススメ」だとか、そういう文言が踊っていた。どれもこんな時でなければ読もうとはしない。葵はレジの液晶に表示された金額に少し顔を顰めた。
(「4246円か……まあ、仕方ない」)
タッチパネルを操作し、電子マネーで手早く支払う。
「ありやしたー」
「どうも」
雑誌を受け取り、バッグの中へ。
店を後にすると、すぐ傍の公園でベンチに腰掛け、雑誌をぱらぱらとめくる。
「……はぁ」
ため息は白い靄に変わり、乾いた風に拐われる。姉のために自腹を切るのは苦ではないが、懐まで寒くなるのが憂鬱なのは当然のこと。おまけに、雑誌で勧められるのはいいお値段がする品ばかりだ。葵自身、その方が妥当だとも思うが……。
「目星つけたら、次は実地調査だな」
思い立ったら即行動だ。バレンタイン当日まで迷い続けることになるのだから、候補はあればあるほどいいのである。
●バレンタイン数日前のサイバーザナドゥ:五辻・鈴佳の場合
まず最初に|閃光《マズルフラッシュ》があり、次に銃弾、最後に|銃声《BLAMN!》。
認識した瞬間には、鈴佳の身体はもう動いている。銃声の残響に甲高い金属音がいくつか重なり、パチパチと火花が瞬いた。
「ア?」
|拳銃《チャカ》を構えたサイバーヤクザは訝しんだ。撃ったはずの女は一歩も動いてないのに無傷で、おまけに振り返ってこちらを見ている。
その姿が霞んで消えた。顔面に埋め込まれた|強化眼球《ミラーグラス》ですら、辛うじてブレた残像しか捉えられない。
|銃声《BLAMN!》。思考より先に肉体が人差し指を動かし、トリガを引いた結果。弾丸はスプレーで壁に殴り描きされた|落書き《グラフィティ》に命中し、無意味な弾痕を穿った。
ヤクザがその結果を見ることはなかった。
「ぐへッ」
間抜けな呻き声を漏らし、どさりと倒れ込む。瞬時に懐へ潜り込んで鳩尾にいいのを入れた鈴佳は、いましがた打ち倒したヤクザを、次にその仲間をつまらなさそうに見渡した。
「こっちだ!」
バタバタと騒がしい足音。数は5……いや、6か。路地裏に雪崩込んできたのは、同じような見た目のサイバーヤクザだ。大口を叩いていた割に、ちゃっかり仲間を呼んでいたらしい。
「このアマぁ、よくも!」
リーダー格らしいヤクザが叫び、左右に並んだ舎弟と一緒に銃を構える。鈴佳の腰に佩いた黒魔剣が、カタカタと震えた。添えた手に力を籠め、魔剣の唸りを御する。容易く抜けば、血と魂を喰らう魔剣は暴走の危険を孕む。契約者だからといって安心出来るものではない。
「破鏡――」
「やっちまえ!」
不揃いの銃声が、廃液で汚れた薄暗い路地裏を満たす。テレビでよく見る記者会見の当事者はこんな気分なのだろうかと、マズルフラッシュの中で思った。
「再び、照らさず」
閃光はスパンコールのように乱反射し、ネオンの明かりさえ届かぬ路地裏をさやかにした。
「うおッ!?」
サイバーヤクザの一人が目を押さえ苦しむ。サイバーアイの感度を高くしていたことが災いし、予想外の激しい光に視覚が麻痺してしまったらしい。
サイバーアイは即座に|再起動《リブート》し、白く灼けた視覚を自動調整する。サイバーヤクザは片腕を突き出すように盲撃ちを繰り返した。薬莢がキリ、キリとアスファルトの上を跳ねる音がいやに響く――彼はそこでようやく、辺りが全き静寂に包まれていることに気付いた。
「兄貴?」
返事はない。薬莢の転がる音だけが虚しく響く。サイバーヤクザは何か恐ろしい予感に全身を震わせた。ピー、という主観的電子音が鳴り響き、サイバーアイの視覚再起動の終了を知らせる。目元から片手を離し、周りを見渡す。誰も居ない。影も形もない。女も、仲間も。
「兄――」
ヤクザは奇妙な心細さによろめくように足踏みした。つま先に柔らかい何かが当たった。視線を落とす。
兄貴分と仲間たちはそこにいた。
「ひ……!」
「静かに」
喉元にひやりと冷たく硬い感触。声はそれ以上に冷たい。足元に散乱するモノたちはぴくりとも動かない。血の海が広がっていく。震えながら両手を挙げると、拳銃がカラカラと音を立てて地面に転がった。
「私、昔は強い相手を好んで自分から戦ってたけどさ。最近は控えめにしてるの」
「わ……分かった、降参する。もう手は出さない、だから……!」
「そうね。それがいい。私も面倒は嫌だから。弱い相手じゃ得るものもないし」
気配が消えると、ヤクザはその場に崩れ落ちた。そこでようやく、薬莢だけでなく何枚もの鏡の破片が散らばっていることに気付く。マズルフラッシュを乱反射させたのはこれだったのか。だが、いつ? そもそもあの女はどうやって弾幕の中を生き延びたのだ?
ヤクザは考えるのをやめた。今考えるべきは、この不始末を背負わされる自分の進退についてだろう。
「はぁ」
ちょうど弟と似たようなため息をついていることなど、彼女は知る由もない。
旅の途中に立ち寄った世界で、色々な掛け違いの結果こうなった。が、もうトラブルは去ったと考えてよさそうだ。
「疲れたわねー。甘いものでも食べた――」
無意識に呟いて、はたと気付く。
ネオンライト煌めくストリート、ホログラムの大時計を見やる。半透明の数字は2月上旬の終わりを示していた。
「そっか。バレンタインか」
気晴らしがしたい。鈴佳はそう思った。なら、これはちょうどいいタイミングだ。
「今年は、手作りでもしてみようかしら」
いわば気まぐれ。これこれこうで、と説明したらまた弟は心配するだろうから、事情はさておく。野蛮な思考を切り替えて、まずは材料調達へ。量販店を目指す足取りは軽く、鉄火場を潜り抜けたばかりとはまるで思えなかった。
●バレンタイン当日のサムライエンパイア:きょうだいの場合
安らぎ亭という旅館がある。
その部屋の一つが、二人が落ち合う仮住まいだ。故郷とどちらを使うかはその時の気分に依る。
「姉さん、何かあった?」
「え? ……別に、何も?」
聡い弟は眉根を寄せる。やはり分かるものか。鈴佳は少しバツが悪い気分を味わった。
「まあいいや。今日はバレンタインだしね」
面倒な話は後で、とばかりに切り替えた葵は、丁寧にラッピングされた小箱を取り出した。一目で名店の品と分かる。鈴佳はブランドに詳しくないが、間違いない。
「これ、今年のチョコレート。喜んでもらえればいいんだけど……」
「いつもありがとね。これ高かったんじゃない?」
受け取り、箱の包装を眺めて言う。
「姉さんが気にすることないよ。俺がやりたくてやってるんだし」
「大人ぶっちゃって」
姉の微笑を見るだけで、冬の寒さに凍えた心がじんわりと暖かくなる。
言うまでもなく、選んだ品は結構いい値段がした。
(「姉さんの喜びそうなもの、難しいな――」)
店を梯子して、最後に選んだ品だ。アソートになっていて色々な味を楽しめるし、鈴佳の苦手な洋酒も入っていない。それに見た目が綺麗で、彼女に相応しいと思った。
交通代やら試食のための購入やらで、だいぶ手痛い出費にはなったが。
「わ。かわいい!」
箱を開けた途端の声に、口元が綻ぶ。
(「喜んでくれてよかった。けど……」)
本当に言いたいことは別にある――また一緒に旅をしよう。たったその一言は喉元までせり上がって、しかし決して外には出ない。復讐の代価は未だ彼女を蝕んでいるし、その虚のような欠落を埋めることが出来るのは、自分ではなく別の仲間たちなのだ。今はただ、姉の贈り物を楽しみにしよう。そう心のなかで独りごちて――。
「……え?」
机の上にぽんと置かれたものを見て、葵は目を丸くした。
既製品ではない。ラッピングもされていてそれは決して雑ではないのだが、手作業で包んだのだというのが雰囲気で分かる。これは、唯一の家族ゆえの言語化しがたい感覚だ。
つまりそれは、鈴佳が手ずから作ったチョコレートだという証拠。
「いやぁ、ちょっと色々あって挑戦してみたんだけど、だいぶ苦戦したわ」
少し照れ臭そうに目を逸らし、頬を搔きながら言う姿も愛おしい。
「なにせ初めてでしょ? おまけに材料を買い込んでから、「ここじゃない」って気付いたのよ」
「ここじゃない?」
「なんて言えばいいのかしらね……」
鈴佳は説明に迷った。
サイバーザナドゥで必要なものを買い込み、キッチンを借りて挑戦したまではいい。
いつも和食ばかりの鈴佳が、洋風のしかもスイーツを作るとなれば失敗もする――問題は、サイバーザナドゥであるということだ。
(「げっ。なによこのチョコ、食べたら具合悪くなりそうな色じゃない……」)
紫やら緑やら、原色ギトギトのチョコレートばかり出来るものだから、結局場所を移してもう一度チャレンジするハメになったのである。
ともあれ、そんな無駄な工程を挟んだおかげか、出来栄えは満足できるものになった。
「いつも通り甘さ控えめ、見た目もそこそこ形になったと思うわ。どう?」
「……」
葵は驚いた顔のまま、大切にリボンを解く。比較すれば既製品には敵わない、よくも悪くも普通の手作りチョコレート。だが、たった一つの、最愛の姉が自分のために作ってくれたチョコレートだ。
「…………ありがとう。すげー、嬉しいよ」
「ふふ。動揺してるみたいだけど?」
「っ」
顔が赤くなり、鈴佳を見ていられなくなる。いつもなら隠し通せるはずの本音を覗き込まれた気がした。弟のそんな滅多にない様子に、鈴佳は思わず頭を撫でてしまう。
「まったく……いくつになっても、可愛い弟なんだから」
「……」
"子供扱いすんな"なんて言葉は、楽しそうな表情の前ではあっさり消えてしまう。冬の朝、吐き出した白い息のように。
「もったいなくて食べれなくなりそうだよ」
「こーら。お菓子作りは楽しかったけど、それじゃ意味ないでしょ?」
「分かってる」
二人は微笑みを、この幸せな一時の喜びを視線に乗せて交わした。
「「いただきます」」
声を揃えて舌鼓を打つ――今年も、バレンタインの一日は穏やかに過ぎていった。
成功
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