雨蛙の初陣~動乱期を過ぎても
聖ヒルデガルト修道騎士団領士官学校。
北方沿海部諸国の中でも知られた学府であるが、この学校も新たなる新入生を迎えることになった。彼女たちは熱烈に、時に厳しく迎えられ、徐々にこの学校の風景となっていく。
それとともに、オブリビオン絡みの事件を乗り切った記憶は少し遠くなり、同時にひとつのラベルを貼られて畏敬の念を払われることとなった。
すなわち「動乱期」である。
「……というわけで。君たちにはこれからの戦闘訓練の先駆けとして、2対2の模擬戦を行ってもらいたい。何か質問は?」
教官が、そう言ってこの場にいる生徒たちを見渡した。
ここはブリーフィングルーム。作戦前の情報共有のために用いられる部屋だ。
とは言え、ここは教育の場だ。
実質的には教室として用いられ、本来の用途で用いられることは稀であった。
故に、臨席する少女たちは皆緊張していたが……。
意を決して、長い黒髪の少女が手を上げて立ち上がった。
名を、ユースティア・フォン・ワレンシュタインという。
見た目は非常に細身であるが、視線はまっすぐ教官を向き、恐れることなく意見を述べている様には、どこか頼もしさのようなものすら感じさせる。
「2対2も何も、この場には生徒は私を含めて3人しかいませんが……」
ユースティアの言葉に、他の2人の生徒たちがざっと部屋の中に視線を向ける。
確かに、生徒は自分たちを含めて3人。教官を含めても4人だ。
「教官が、どちらかの穴埋めに入ってくださるのですか?」
「残念ながら違う。すぐに……いや、今分かるか。
入っていいぞ!」
教官の言葉とともに、部屋の扉ががらりと開いた。
そこに見える人影に、部屋中の注目が向けられる。
(随分小さな子ですね……)
ユースティアが最初に感じたのはそれだった。
その人影……少女の身長は120cmを下回る程度。顔立ちも幼さを感じさせる。
その一方で、胸元と腹部、脚は丸出しと、露出が多い。
背丈は平均的な子供並みで、この学校に同様の身長のものはいない。
……というか、普通は入学時の身体検査で弾かれるはずだ。
(となると……学外の人間でしょうか)
そうユースティアが思案しているうち、少女はてくてくと円卓の側に歩み寄った。
そして、流れる動作で敬礼を行なうが、その仕草はどこか古めかしい。
「ノナ・レフティ(雨蛙・f45543)。猟兵です。
どうかよろしくお願い致します」
その短い挨拶に、生徒たちに戦慄が走った。
「猟兵!? この女の子が?」
「へえ、動乱期の話はいっぱい聞いてたけどね」
「……そうだったのですね。ということは、教官が彼女を呼んだのは」
教官は頷いた。猟兵の少女、ノナに視線を向ける。
「そうだ。2対2の最後の一人は彼女だ。
アルファ、ブラボー、どちらかの分隊には彼女を組み込んでもらう」
少女たちは顔を見合わせた。戸惑いが感じられる。
これが一つ上以上の学年であれば、彼女たちは即決で頷いただろうが、彼女たちは超常の存在である猟兵の働きを、直接見てはいない学年だった。
「一つ、質問いい? あ、アタシは陳・銀玲っすよ」
緑髪の少女、銀玲は立ち上がると値踏みするような視線を向けた。
縁の厚い眼鏡がぎらりと光る。
一方、ノナはまっすぐにその視線を受け止めていた。
「はい、なんでしょうか?」
「単刀直入に聞くけどさ。キミ、何ができるん?」
「ちょっと銀の字。言い過ぎだよ」
横に座っていた金髪褐色の肌の娘がたしなめるが、緑髪の少女・銀玲は止まらない。
一方でノナも臆しない。銀玲をまっすぐ見ながら答える。
「私は、局地専用レプリカントです。パイロットとしての機能はありません。
ですが、歩兵として戦うことができます。戦力に不足はありません」
「……事実だ。彼女の戦力評価はキャバリアにも劣らない。それは保証する」
教官が、ノナの言葉を補足する。
どうやら、事前に戦力の査定は行われていたようだ。
「なるほどね、教官のお墨付きってわけだ。
でも、キャバリアとはサイズ差あるよね? その差は直接戦力差に繋がってしまう。
学校で教えられたキャバリア主兵論の論旨っすよ。
つまり、キミを迎え入れるのはハンデを背負うことになるけど。違う?」
「それは……」
言葉に詰まるノナ。
彼女は、今の銀玲の詰問に答えられる論拠を持っていない。
その姿は、ユースティアにとっては、見た目以上に小さく見えた。
「あのっ……」
その姿に耐えかねて彼女が言葉を発しようとした時。
「……銀の字、教科書を振り回すのはやめときな。仮にも猟兵を舐めると痛い目見るよ」
鋭い視線で、金髪褐色肌の少女が銀玲を睨みつけた。
銀玲は肩をすくめ、元の席へと座った。
「……以上です。ネイトさんにはかなわんなぁ」
「うちの同輩が、迷惑かけたね。心から謝るよ。オレはネイト・コーディ。
戦友になるか、敵となるかはわからんが、よろしく頼むよ」
人好きのする笑みを浮かべながら、ネイトはノナに握手を求める。
ノナはそれに答え、その小さな手を握らせた。
「オレは学校の地元の出身でね。猟兵が星を落とす瞬間とかも見てきた。
だから、あんたがすごい力を持ってるだろうこと、それは認める」
にこりとノナに向けて微笑むネイト。
その手をノナから離しながら、彼女に視線を合わせるべくかがみ込む。
「それでも、オレらは学生だ。学んでないことをやるには覚悟が、納得がいるんだ。
だから、あんたの相棒は、オレらの納得ずくで決めさせて欲しい。
……な、ユースティア?」
突然ネイトから話題を振られたユースティアは少し慌てた。
「わ、私ですか!?」
「さっき、声を上げかけてたよな? お前は、この子をどうしたいんだ?」
屈んだままのネイトの視線が、今度はユースティアに突き刺さる。
先に声を上げかけたのは、ノナのことを見ていられないからだった。
きっと誇りが、自負があるのに、それを認められないことが苦しかった。
(でも、今は?)
改めて自分の心に問い直す。
ノナの緑色の瞳を真っ直ぐ見る。自分の答えを手繰り寄せる。
「私は……この子と組みたいです。組ませてください。
キャバリア主兵論なんて知りません。このペアで戦い抜いてみせます!」
そのはっきりした言葉を聞き、ノナは頷いた。
「私の意見も具申します。この方とのペアをお願いします」
ノナとユースティアの言葉を受け、教官は大きく頷いた。
「話は決まったようだな。
では猟兵ノナと、ユースティアは二人一組のアルファ分隊とする。
そして、ネイトと銀玲はブラボー分隊だ。
この2分隊をもって模擬戦を行う!
使用するのは模擬弾および弱装ビーム! 速やかに設定と補充を行うこと。
以上、解散! 各分隊は先程告知した待機場所に、速やかに向かうように!」
生徒や猟兵が、次々とブリーフィングルームを出ていく。
最後に出ていこうとしたネイトに、教官は声をかけた。
「すまんな。損な役回りをさせた」
「いえいえ。オレ自身も猟兵と戦ってみたかったんで、願ったり叶ったりですよ」
二人だけのブリーフィングルームで、教官と学生は敬礼を交わした。
「私、まだ実戦経験ないんです」
初期配置の場所へ向かうトラックの中。
ユースティアの前に座ったノナは、そうぽつりとひとりごちた。
荷台に設えられた腰掛けに座る彼女の姿は、やはり小さい。
どこか心配になるぐらいに。
そんなノナに、ユースティアは首を傾げながら視線を向ける。
「え、そうなんですか?」
「それは、事実なので。
相手がキャバリアでも私の戦闘能力が劣るとする理由はないですから」
きっぱりと答えるノナ。物怖じをしない、いや冷静なのか。
だが、それでもと彼女は続けた。
「味方のキャバリアと連携して敵と戦うこと、これからたくさんあると思うので、訓練しておきたくて」
「……そうですね。この世界で戦うならキャバリアとの協働は避けられない。
ノナさんの判断は正しいと思います」
それはキャバリア主兵論が罷り通るクロムキャバリアでの現実であった。
「でも、大丈夫なんですか? その……今回の訓練では模擬弾と弱装ビームとは言え、間違っても当たったら痛いでは済まない気がしますけど」
それを聞いて、ノナは薄い胸を張り、どんと叩いた。
自信がある、ということなのだろうか。
「私の身体、有機パーツは少ないしフレームも頑丈ですから、多少撃たれても大丈夫です。遠慮なくどうぞ」
「……あ、そうか、レプリカント」
存在自体は知っていたが、ユースティアが出会うのはこれが初めてだった。
だが、一方で引っかかりも少しあった。
ノナの瞳をじっと見つめる。
「本当ですか? 本当に大丈夫ですか?」
「……とは言いましたが、撃たれて痛いのは嫌ですし、当たらないように避けます」
ほんの少し、しゅんとするノナ。
それを見て、ユースティアは微笑んだ。得心したと言ってもいい。
「やっぱり。なら、私と同じですね」
「え? キャバリアに乗っているなら……」
ユースティアの言葉にぽかんとするノナ。
ノナは、戦闘に必要な基本知識は概ね刷り込まれている。
しかし、他人の実感についてはゼロ、普通の人間と変わらない。
だが、だからこそ、ノナは。
「……いえ、教えてください」
知りたかった。
この戦いの相棒が何を考え、どう感じているのかを。
促され、ユースティアは頷くと語り始めた。
「本物に乗るのは今日が初めてですけど、シミュレーターでも被弾すればコクピット内部にぶつけて痛い思いをすることはあります。まして機体の損傷のある実戦なら、何が起きるかはわかりません。それから……」
それからしばらく、ユースティアの「士官学校の痛い話」が続いた。
知りたいことばかりではなかったが……ノナに目線を合わせ、向き合っているという実感は、彼女に奇妙な安息感をもたらしていた。
同時に、この瞬間にノナにとって、ユースティアは特別な存在となったのだ。
「……ともかく、戦いで痛い思いをするのは、私もノナさんも同じなんです。
お互い、そのつもりで戦いましょう?」
「……はい、ユースティア『お姉様』!」
その呼び名に、ユースティアは固まった。
確かに、この学校には絆を結んだ上級生と下級生がそう呼び合う伝統はあるけれど、まさか最下級生の自分がそう呼ばれることになるなんて思わなかったのだ。
その態度に、ノナが不安そうにユースティアの顔を見上げる。
「……私、間違えちゃいましたか? この学校では、そういう呼び方をすると聞いたのですけど。 すいません、人の機微に疎くて」
「いいえ、そういうわけじゃないの! 大丈夫。
じゃあ、私は……ノナって呼ぶわ。敬語もやめる。
それでいい? 私の『妹』」
その呼び名には、対等に扱ってもらえてないのでは、という疑問が少しある。
けれど、それ以上にユースティアの親愛が込められているのは分かった。
だから、
「はい、よろしくお願いします。お姉様」
初めてできた誰かとの温かい関係に、ノナは微笑むのだった。
「アルファ分隊のキャバリア、確認ー。 猟兵の姿はなしっすね」
「周囲の瓦礫から攻撃をする可能性があるな。銀の字は警戒しつつ援護を頼む。
フォワードはオレだ!」
演習区画は、崩壊した都市を模したバトルフィールドだ。
周囲にはボロボロのビルが立ち並び、所々は崩壊もしている。
いかに索敵をし、応戦するかが肝心となる戦場だと言えた。
その中において、ブラボー分隊は前面にネイトを立て、少し離れた角から銀玲に援護射撃をさせ、火力でアルファ分隊を押し潰そうとしていた。
「キャバリアで戦線を維持しつつ、猟兵が戦場をかき回す算段だろうが。
その前に押し潰してしまえば終わりだ」
ネイトのキャバリアに装備されたマシンガンが火を吹く。
走り回るユースティア機を追うように弾丸が突き刺さった。
「そう簡単にはやられませんよ!」
駆け込んだ後、∪ターンして前方の別の街路へと向かいながら、ユースティアはマシンガンの発射地点へとビームライフルを斉射。
弱装化されたビームが寸分違わず発射地点を貫く。
「防戦一方の割にはよくやる」
「こちら銀玲っす。目標の進行方向に回り込めそう」
「よし、挟み撃ちにする。キャバリアを確認し次第発砲」
「りょーかい」
ユースティアが入り込んだのは、比較的建物が無事な通りであった。
その多くはキャバリアよりも高い背丈であり、見通しは効きにくい。
そして、通りの両端にはネイト機と銀玲機がそれぞれ待機している。
この2機の火力を集中させ、ユースティア機をすり潰すのが、ネイトの作戦であった。
ネイト機と銀玲機のカメラアイが、同時にユースティア機を捉える。
だが。
「ノナ。敵が罠にかかったよ。フォーメーションB、お願い!」
「了解です、お姉様。背を向けたキャバリアに攻撃開始です」
「えっ!? 攻撃!?」
機体に流れるアラートに、一瞬銀玲は対処できなかった。
廃墟の中から発射された、弱装化されたビームが背中に突き刺さったのだ。
見る間に、ディスプレイに投影された機体状態が真っ赤に染まっていく。
「まさか、猟兵がこの廃墟の中から!?」
「その通りです」
その言葉とともに、ノナが廃墟の中から飛び出した。
肩に携行火器の荷電粒子砲を背負い、背面腰部に装備された小型ブースタを吹かしながらの跳躍が、銀玲機の視界の隅をかすめて一瞬で消える。
「カエルみたいにぴょこぴょこと跳ねて!」
銀玲は手にしたビームライフルを放とうとした。
しかし。
「くっそ、速すぎて照準がロックオンしないし!」
機体の照準アシストが追いつかない。
それどころか、本来ありえない急旋回で廃墟の向こうに消える、ということまであった。銀玲は知る由もなかったが、これは推力偏向フィールドの所業である。
そして、その間にも荷電粒子砲は次々と放たれる。
廃墟の窓から、出入口から、特にはキャバリアの足元から。
射点は変幻自在に移り変わり、銀玲の照準に捉えられることを拒絶している。
もはや、ユースティア機に対する優位性は失われていた。
それどころか。
「上方、取りました」
ついにノナの跳躍は銀玲機の真上に達していた。
荷電粒子砲の砲口の向こうにあるのは、無防備なキャバリアの頭。
「やっぱ、座学や研究だけじゃダメか……」
次の瞬間、銀玲機は破壊判定となり、機体は停止した。
「ごめん、ノナ。やられちゃった……」
戦友の力ない声の通信を聞き、ノナは後ろを振り返った。
ユースティアは、ブラボー分隊長であるネイトと戦っていたはずだが……。
そこに立つのはマシンガンとビームサーベルを構えるネイト機と、破壊判定を受け、停止したユースティアのキャバリアであった。
「すまん、銀の字。機会を活かしきれなかった。オレのミスだ」
「仕方ないっすよ。でも、これで一対一っす」
ため息を付くネイトと、気楽そうに返す銀玲。
そのやり取りには、どこか自信のようなものが滲んでいる。
「ノナ、ここは退いて。ヒット&アウェイに徹して。それなら……」
「それをさせると思うか?」
ユースティアの台詞を、ネイトが遮った。
「猟兵ノナ・レフティの本領は、その三次元跳躍をもって遮蔽を渡り歩き、携行火器をこちらの死角から見舞うことにあるのは、銀の字が身を以て示してくれた。
ならば、この辺りの廃墟を全て倒壊させたなら?」
「それは……!」
そうなれば、危険度は段違いに増してしまう。
そして、ネイト機が持つのはマシンガン。
装填されているのが模擬弾とは言え、廃墟を崩すのは造作もない。
「ならば、オレが勝つ目もある。悪いが勝ちは譲ってもらうぞ」
絶体絶命。あの機体は容赦なく勝ちにくる。負ける。
背中に冷たいものが走ったその時。
かちり、と。
何かが繋がった音がした気がした。
「今のは……。ううん、今は突っ込むだけです。
まだ、負けません!」
これまでとは比べ物にならない速度で、ノナが弾丸のように飛び出した。
いや、それは尋常の物体の機動ではない。
右に、左に、上に、下に。
急激な方向転換を繰り返しながら、ネイト機に迫る……!
ノナは未だ認識していなかったが、これこそがユーベルコードの力だった。
「くっ、これが星を落とした猟兵の力……!」
ネイトはロックオンを待たずにマシンガンを乱射した。弾幕を張ったのだ。
だが、その中をノナは縫いながら駆けてくる。全てを躱す。
そして。
コクピットに押し付けられた荷電粒子砲が、戦闘の終わりを告げた。
「私、ちゃんとできていませんでしたか?」
ノナとユースティアは、廃墟の中で座りながらそう語り合っていた。
機体の搬出等で時間がぽっかり空いたため、時間を潰すことにしたのだ。
「ううん、そんなことないよ。最後の、すごかったじゃない」
「あ、ありがとうございますお姉様……。
でも、あれは私にもどうしたか分からなくて」
少し狼狽えたノナの顔を覗き込んで、ユースティアはくすりと笑った。
瞑目して、その手をそっと握る。
「でも、あれはあなたの力だと思う。だから、自信を持っていいんだよ」
「……はい!
もっと速く、強くなってみせます。……次は、ちゃんとできるように」
「そう、その意気。期待してるからね?」
即席の姉妹は、もう一度顔を見合わせて微笑んだ。
成功
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