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テロリスト排除終了間際

#クロムキャバリア #ノベル #猟兵達の夏休み2025 #人喰いキャバリア #日乃和 #ワイルド・ウォードッグ

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カシム・ディーン




●私刑
 日乃和海軍装甲空母──大鳳。
 大鳳級の一番艦として建造されたその巨艦は、バーラント南方軍が誇るアイゼンブラッド艦隊に対抗すべく、国力を傾けて造り上げられたものだった。

 設計思想の重点に据えられたのは、ただ一つ。キャバリアを如何に戦場へと送り込むかである。
 従来の空母、赤城や加賀と比べても船体は圧倒的に巨大で、その格納庫には倍以上の機体を抱え込むことができた。発艦を一瞬でこなすリニアカタパルト、複数の部隊を同時に統制する自動化管制。一隻で軍を成すかの如く、戦場を制し、戦線を維持する力を与えられていた。

 船体の大部分を覆う装甲は戦艦に並ぶ厚さで、幾重もの火線に晒されてもなお、キャバリアを戦場に押し出す拠点であり続ける。故に大鳳は、一隻にして戦局を変える存在とまで謳われた。

 だが、長所の裏には短所がある。調達費用は従来の数倍、建造に要する歳月もまた同じ。結局、同型艦が現れるのは白鳳の就役を待たねばならず、大鳳は悪い意味で孤高の存在であった。中規模以上の艦隊との連携を前提としない在り方は、大規模戦に向かないと評されもした。

 実戦では、戦艦三笠らと小艦隊を組み、遊撃や特殊任務へと投入されることが多かった。

 そういった性格上、大津貿易港に潜むテロリストの排除任務に大鳳が投入されたのは、必然とも言えた。
 バーラント機械教皇庁も絡む、極めて高度な政治的背景を抱えた当任務に、大鳳は葵結城大佐の指揮の元、後暗い役割を果たすこととなった。

 テロリストの身柄確保を終え、潜水空母から発艦した無人機を殲滅すれば任務は完了となる頃、カシム・ディーン(小さな竜眼・f12217)は大鳳の艦内通路を息を切らせて走っていた。
「さっさとしないと、警察に引き渡されちまう!」
 急ぐ先は営倉。捕縛したテロリストは任務完了までの一時的措置として、大鳳の営倉に収容されている。任務が終わり次第、全員の身柄は香龍警察に引き渡される取り決めとなっていた。
 その後は法廷が開かれるまで勾留所にでも送られるのだろう。そうなれば猟兵は手出しできない。カシムにはテロリストの身柄が警察の手に渡る前にやりたいことがあった。
 外では既に戦闘は終結しており、あとは大鳳が大津貿易港に接舷するのを待つだけである。時間の猶予は少ない。恐らくテロリストに接触できる機会はこれが最初で最後だ。
「艦内広すぎじゃねぇかおい!?」
 共に戦った時は頼もしく思えた巨大な船体が、一分一秒でも惜しい今は嫌がらせも同然だ。カシムはとにかく走った。やっと営倉に辿り着いた時には、すっかり全身汗だくになっていた。

 通路にできた人集りを割って、先客の猟兵の前を通り、扉が開かれた営倉内を覗き込む。そこには、大津貿易港に終結していたテロリストのリーダー格であり、キラー・イェーガーのパイロットだった、金髪白人系の大男が拘束されていた。
「時既に遅しか?」
 カシムは肩を落とした。リーダー格の男の顔が見るも無惨に腫れ上がっていたからだ。
「あ?」
 見上げるほどの高身長の女性が、不機嫌そうな声と赤い眼差しを寄越した。灰狼中隊の隊長、尼崎伊尾奈中尉だった。手には拳銃が逆さまに握られている。グリップの部分に赤黒い血液が付着していることから、リーダー格の男の顔面を破壊した凶器であることが推し量れる。
「いやな、復讐を代行してやろうかと思ってな」
「たった今済ませたとこでね」
 伊尾奈は素っ気なく鼻を鳴らす。カシムは営倉の中に足を踏み入れ、改めてリーダー格の男の様子を伺った。
「へ……またクソイェーガーか……」
 顔面は悲惨なことになっているが、息も意識もまだしっかりある。悪態を付ける程度には元気らしい。まだ懲らしめる猶予は残っている。カシムは振り返った。
「灰狼中隊に聞きたいことがある」
「そいつを整形してやったのはアタシだけど?」
 訊くまでもないだろうと伊尾奈は拳銃を見せつけてきた。
「これで本当に気が済んだのか?」
 カシムは尖った視線が自身に集中するのを感じた。困惑、猜疑、怒気、様々な感情が、血の匂いがする営倉の空気をひりつかせた。
「もっと惨たらしい復讐をしたいんじゃないのか?」
 言葉を重ねると、意図を察したらしい伊尾奈が溜息を吐き捨てた。
「日乃和じゃ死刑囚も執行までの安全は保障され、死刑も人道的に苦痛なく行われるんだろ?」
 殆ど勘だった。日乃和はUDCアースの日本とよく似た文化形態を持つ。統治機関も議会制民主主義の政府が握っている法治国家だ。ならば司法の仕組みも同じなのではないかと考えた。少なくともエルネイジェのようにキャバリア裂きの刑が一般的な処刑方法ではあるまい。
「さあね? アタシゃ首を吊ったことなんざないから知らないよ」
 伊尾奈が絞首刑を指して言っているのであれば、カシムの勘はおおよそ当たっている。
「だが……僕なら奴らのやったとおりに尊厳を破壊し……やった事をそれこそ“死ぬ程”後悔させてやれるぜ?」
「猟兵って生き物はみんなアンタみたいに悪趣味なのかい?」
 伊尾奈のみならず観衆からも侮蔑を籠めた視線を送られたが、カシムは鼻を鳴らして受け流した。
「どーだろーな? で? 乗るか?」
「それでアンタがどう得するんだろうね? 今夜のマスカキのネタにでもなるのかい?」
「そっちの趣味はねーよ。勿論慈善事業じゃねぇから報酬は要求するがな」
「そいつはアタシらじゃなくて葵艦長殿とでも相談するんだね」
「あー、金なら心配すんな。これでも懐は暖かくってな?」
「じゃあなんだい。頭でも撫でろって?」
「そいつも悪くないが……おめーらは美人だよな?」
 カシムは伊尾奈の身体を視線で舐め回した。つま先から頭まで。パイロットスーツに包み隠された肢体は、とても30歳を過ぎた女性とは思えない。肉厚であるにも関わらず弛みとは無縁。屈強で美しい女体の芸術。重力に引かれた胸の膨らみは、これを好きにできたらと想像するだけで心が踊る。灰色狼を想起させる傷んだ髪から覗く瞳も扇状的だった。同時に肉食獣の危険性を感じる。それが尚更に伊尾奈の魅力を引き立ていた。
 伊尾奈だけではない。灰狼中隊の隊員の多くが美女揃いだった。しかもこの場には白羽井小隊もいる。よりどりみどり……カシムは己の欲求に嘘は付けない。目論見を率直に言う。
「身体で払ってもらおうか?」
 さきほどよりも軽蔑の目が一層強くなった。営倉内には敵意すら充満してきたが、カシムに躊躇うつもりなどなかった。
「因みに頓智をきかせるつもりはねぇ。普通にエロい意味でだ。ま、おめーらにその覚悟があるなら、な」
 不意にテロリストのリーダー格の男が嗤った。
「やめとけ。日乃和のバカメスの穴の具合は、クソイェーガーには勿体ねぇよ」
 カシムは脊髄反射で顔面を蹴り上げたくなったが、一瞥して視線を伊尾奈に戻した。
「カシム様! 尼崎中尉は!」
 那琴が叱責の声を荒げる。だがすぐに口を閉ざした。
「アンタもテロ屋とおんなじ趣味とはね」
 伊尾奈の纏う空気が変わった。瞳の奥から発せられるのは、殺気同然のプレッシャー。後ろ髪が揺らめいているようにさえ感じるプレッシャーに、那琴はおろか栞奈までもが口を挟むのを躊躇した。灰狼、白羽井両隊の中には後ずさる者もいる。
 そして漸くカシムは察するに至った。自分は伊尾奈の地雷を踏み抜いたのだと。しかも超大型の地雷である。
「マジになるなよ。覚悟を聞いたまでだ」
「頓智をきかせるつもりはないだって?」
「そうも睨まれちゃ気も変わるぜ」
 地雷からそっと足を離す。伊尾奈がだめなら他の隊員でもと思っていたのだが、その発想は丸めて捨てた。恐らくこの大型地雷は他の地雷とも連動している。テロリストのリーダー格の男はそれに気付かず、地雷を踏みに踏みつけてしまったのだ。
 灰色狼の群れのボスは、群れの誰かが傷付けられたら必ず報復する。勉強になったとカシムは己を納得させた。

「バカメス一匹もファックできねえ腰抜けが」
 リーダー格の男に嘲られた瞬間、カシムの鬱憤は全てそちらへと注がれた。
「よぉ……これからぶち殺されるのに、随分余裕ぶっこいてるじゃねぇか?」
 男の前でしゃがみ込み、破壊された顔面を伺う。
「殺れるのかよ? 腰抜けのくせに。殺ったら死ぬまで組織に追い回されるぜ?」
「そいつはこえーな? じゃ、ほどほどにしておくか」
 冗談ではなかった。殺すわけにはいかない。テロリスト達には、白羽井小隊と灰狼中隊の罪……首相官邸占拠事件の濡れ衣を被ってもらうという重要な役割がある。特にリーダーの身柄については死なないように慎重に扱わなければならない。生きた上で、かつ心が壊れていない状態で法廷に立たせなければならないのだ。心神喪失、責任能力喪失による無罪判決など言い渡されてしまえば、感情の問題を抜きにしても那琴たちの立場が極めて危うい状況に陥ってしまう。
「せっかく捕まえたんだ。此処から楽しい尋問タイムといこうじゃないか」
 カシムは懐から嘴が大きいプライヤーを取り出した。盗賊道具のそれで、男の手の爪を挟む。
「ああ? やってみろよ。組織に血祭りにされるのが怖くねえなら――」
 全てを言い終えるより先に、カシムがプライヤーを振り上げた。壁に血が飛び散り、床に爪が落ちる。営倉の中で男の悲鳴が反響した。
「時間がねーから手間をかけさせるなよ? お前らの雇い主は誰だ?」
「アホが! んなもんいねぇよ!」
 二枚目の爪を剥がした。男は腕に嵌められた枷から逃れようと身を捩るも、金属がこすれる音を立てるだけだった。
「雇われてるんじゃねえ! オレたちの組織はワイルド・ウォードッグだ! まさか知らずに仕掛けたのか? だったらとんだ間抜けだな!」
「ああ、だからそんなキャンキャン吠えるのか……それで? どこから来た?」
「中央カメリアに決まってんだろうが」
「日乃和に来た目的は? 女か?」
「そいつはクルーガーの腰抜け野郎に聞きやがれよ」
「僕はてめーに聞いてるんだがな?」
 三枚目の爪を剥がした。男が吠えている間にも大鳳は着実に港入りの準備を進めている。カシムには“たまぬき”を使ってしまいたい焦りがあったが、後の事を考えればそれは禁じ手であった。記憶を直接解析するには手っ取り早いが、元に戻せる保障がない。抜け殻になった身体を法廷に立たせても意味がないのだ。
「ワイルド・ウォードッグ第1小隊隊長のクルーガーだ! 奴はもういねぇ! とっくの前にトンズラ決めやがった!」
「クルーガー……? あのクルーガーですの?」
 背後で那琴が声をあげた。
「ん? 知ってるのか?」
 カシムが尋ねると那琴は躊躇いがちに頷いた。
「以前、わたくしと栞奈、それから防人少佐が演習をしていた際に、所属不明の部隊に襲撃されたことがありましたのよ。その時、防人少佐が敵のパイロットを、ワイルド・ウォードッグのクルーガーと呼んでいましたわ」
「そいつだ……! オレはその腰抜け野郎に連れられて来ただけだ……!」
 男は息を切らせて言う。
「ならクルーガーはどうして日乃和に来た?」
「タクヤ・サキモリとかいう男が目当てだったらしい」
 男の口から出てきたのは、よく見知った猟兵の名前だった。カシムは眉宇を動かす。
「クルーガーは拓也にどういう用事があったんだ?」
「詳しくは知らねぇ……だが、目の敵にしてやがった。因縁でもあったんだろ。ま……遥々こんなクソみてぇな島国にまで来ても結局仕留め損なってんだから、クルーガーの奴もヤキが回ったな」
「今はどこにいる?」
「さてな……とっくにカメリアにトンズラ決めてる頃だろうよ」
「拓也を仕留め損なったのにか?」
「そいつのせいだよ」
 男は顎をしゃくった。カシムがそちらへと振り返ると、冷たい眼差しを送る伊尾奈が立っていた。
「灰色狼に追い回されたからだ。タクヤって奴に構ってるどころじゃなくなってな……オレたちを囮にして、我が身可愛さにトンズラしやがった。あのチキン野郎が……!」
「伊尾奈、こいつが言ってる事は当たってるのか?」
 カシムの問いに、伊尾奈は肩をあげて答える。
「追い回したところまではね。野垂れ死んだと思ったけど、お家に逃げ帰ってやがったのかい」
 裏打ちはある。カシムは男に向き直った。
「質問を変える。バーラントとはどういう関係だ?」
「知らねぇな」
 四枚目の爪が床に落ちた。片手の爪は残すところ一枚となった。
「オレが聞きてぇぐらいだ! アイゼンブラッドとかいう艦隊がサクールの連中とつるんでるらしいが、後は知らねぇよ!」
「じゃあ、まずはアイゼンブラッドから教えてもらおうか?」
「南バーラントの艦隊だ……! グラーフ・ツェッペリンとかいうバケモノ戦艦を持ってやがる……! バーラントはてめぇらの方が詳しいんじゃねぇのか? アーレス大陸のど真ん中の国だぞ?」
「サクールってのは?」
「サクール帝国だ。近々カメリアと派手にドンパチおっぱじめるらしい。アイゼンブラッドとつるんでるのは、武器が欲しいからだろうさ。ワイルド・ウォードッグも武器を卸してるから、そうに違いねぇ」
 カシムの中に、アイゼンブラッド艦隊が武器商人の像を持って浮かんでくる。
「てめーらワイルド・ウォードッグも武器商人なのか?」
「そうだ。武器の売り買いだけなんてケチくせぇ組織じゃなく、戦争屋だがな」
「日乃和でも武器を売ってたのか? どうもそれだけじゃないみてーだがな?」
 男の背中が笑い出す。
「言っただろ? オレたちは戦争屋だ。それも、名前だけで国がビビるほどのな。オレたちに逆らう連中は国だろうが何だろうが関係ねぇ。ぶっ壊して、ぶっ潰して、ぶっ殺す。このクソみてぇな島国だっておんなじだ。火の海にしてやるはずだった」
 笑い声が静まり、次第に身体が震え始める。表情を伺うことはできないが、激昂に煮沸している気配があった。
「なのに……なんだぁ? |ウリ《売春》にヤクの取引、人攫い……はぁ? ふざけんじゃねぇ! オレたちはチンピラじゃねぇんだぞ! 日乃和のクソポリ公どもが! クソオオカミどもが! クソクルーガーが! 血塗られた死神だぁ? クソまみれの腰抜けクソ死神じゃねぇか! 逃げ回りやがった挙げ句にトンズラかましやがって! ファック! 日乃和のクソバカメスの穴を使うだけじゃ落とし前が付かねぇんだよ! 連中から取り出したくっせぇクソ脳みそも、バラしたクソ手足も、クソみてぇな値打ちだろうが! しまいにはクソイェーガーときた! どいつもこいつもクソクソク――」
 男は突然口を閉ざした。カシムの蹴り上げを顔面に食らって、身体が吹き飛んで壁に叩き付けられたのだ。
「口を開けばクソばっかり垂れ流しやがって、きたねーな」
 カシムの顔は、道端に転がる汚物を見下ろすかの如く嫌悪に冷めきっていた。
 視界に入れるのも汚らわしい。生かしておいてもなんの価値もない。排泄物は速やかに処理されるべきだ。こんなものが灰狼中隊のいたいけな美少女に手を出したと考えるだけで、頭の中が呆れを通り越した虚無な殺意で満杯になってしまう。しかし殺すわけにはいかない。理解してしまっている前頭葉が、惜しくも男の息の根を止めさせなかった。
「なあ、伊尾奈。本当にいいのか?」
 念を押して尋ねる。何が? と言いたげな顔が無言と共に返ってきた。
「ここで復讐しておかないと、一生後悔することになるぜ?」
「そりゃそうさね」
 呆気なく肯定された。だがカシムは続く言葉を待つ。やはり暫しの間を置いて伊尾奈が口を開いた。
「アタシはね、アタシに酷いことをした奴は全員殺すことにしてるんだ」
「今回は例外かよ?」
 伊尾奈は重たい溜息を吐いて深く両肩を落とす。
「アタシ一人ならとっくにブサイクな顔面に穴を開けてやってたんだがね」
「……那琴たちか?」
「後藤大佐からの預かりもんだ。アタシは後藤大佐にでかい借りがあってね。まだ返せてないんだよ」
 カシムは曇った面持ちを俯ける那琴の姿を見逃さなかった。
 那琴だけではない。栞奈も耳が痛そうに顔をしかめている。白羽井小隊と灰狼中隊の全員も、それぞれに伊尾奈の心境を慮ってか、後藤への罪悪感か、表情に暗い影を落としていた。

 香龍で起こった首相官邸占拠事件。
 その事件の実行犯は、他でもない白羽井小隊と灰狼中隊である。
 だが、真相は書き換えられた。後藤宗隆元大佐を生贄として。
 後藤が率いた国外のテロ集団が実行犯であり、白羽井と灰狼の両隊は、猟兵と共に事件解決に大きな貢献を果たした英雄として祭り上げられた。
 彼女たちは、宗隆の躯を踏み締めて立っている。
 全ての罪を背負って裁かれた、後藤宗隆という大きな躯。
 後藤がそうするに至った理由を知ることは既に叶わない。
 彼女たちが生かされ、残された確かな事実から推し量る他に、意味を探る手段はなかった。
 だから隠された罪を背負い、進み続ける……それが彼女たちに課せられた義務と責任だ。
 カシムには呪縛に思えてならなかった。生臭い政治的な事情も少なからず絡んでいるのだろう。
 けれど、真相が明かされれば、後藤の犠牲は無意味になってしまう。
 全ての犠牲は意味を持っていければならない。持っているはずなのだ。
 なぜなら、誰もが犠牲者の躯の上に立っているのだから。 
 カシムも己とてその一人だと沈黙の内に決着を付けた。

「やろうと思えば、ユーベルコードでどうにでもできるんだけどな?」
 準備も揃えてきたのだが……承諾はしないだろう。
 伊尾奈も、那琴も、栞奈も、誰であっても。
 喋らなくなった男を見下ろす。
 この人の形をした排泄物には、むしろ日乃和の法廷での裁きが最も屈辱的に思えてきた。
 中央カメリアから遥々海を渡って辿り着いた先で、犯罪者として裁かれ、刑に処される。
 日乃和の法廷ではワイルド・ウォードッグの立場など、なんの威力も持たない。
 バーラント機械教皇庁の偽の恫喝文書など、なんの意味も持たない。
 出来ることと言えば、ただの一人の犯罪者として、粛々と進められる裁判の中、審判を待つだけ。
 途端に、男の姿がとてつもなく惨めで、哀れで、矮小に見えてくる。
 同時にこんなものに理不尽に奪われた命があると思うと、改めて冷たい怒りが込み上げてきた。
「泣けるぜ」
 最大限の皮肉を口走った時、大鳳の船体が動きを止めた。
 艦内放送が告げる。任務は終わったと。

●あの日から
 カシムはカフェテラスの椅子に背中を預け、行き交う人々をぼんやりと眺めていた。
「二年も経ってんのか……なんかすげー昔のことに思えるな……」
 イーストガード海軍基地の上空には夏の気候が居座り、爽やかな青に反して強烈な日射を注いでいる。テーブルの中央から生えた日除けのパラソルがなければ、焼け死んでいたかも知れない。
「カシムが昔をなつカシム……なんちゃって」
 隣席の栞奈はケミカルな青のソーダを啜っている。
「暑いのに寒いんだぞ☆」
 幼女の姿に化けたメルクリウス――メルシーもテーブルを囲んでジュースに口を付けていた。
「カメリア戦争の際にワイルド・ウォードッグは消滅。クルーガーは依然として消息不明……ですか。締まらない話ですわね」
 神妙な面持ちの那琴がグラスの中に視線を落とす。
「んで、連中の裁判はまだ継続中だって? やっぱあん時殺っちまった方がよかったんじゃねーか?」
 カシムは向かい側に座る伊尾奈にそう投げ掛けた。
「いつ首を吊るかだけの問題だけどね」
 他人事のように言ってのける伊尾奈は相変わらず人相が悪い。
「正直後悔してるだろ?」
「別に」
 素っ気なく突き放されたカシムは嘆息を吐いた。
「人生なんていつも後悔だらけ。それの何が悪いって?」
「僕には分からねー人生観だな」
 人の心は謎だ。胸中の呟きを、グラスの中身で一気に飲み下した。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年10月02日


挿絵イラスト