大学とは自由なる学びの場である。
殊に都内にキャンパスを構えるとなると学生の年代にも大いにばらつきがあるもので、そのうえ出入りは学生に留まらない。申し訳程度の警備員らもいちいち来訪者の顔を覚えているわけでもなく、年齢から人種に至るまで多種多様の人々が比較的自由に行き来することとなる。
故に忘れられるほど長きにわたり人通りの少ない、片隅の使われていない空き教室にたむろしている者があったとしても、誰も気に留めもしない。
「依月ー、思ったんだけどさ、なんで祠って神社みたいにでっかくしないんだろうな?」
ヴァン・スピネルバトン(別物ヒーローズ・f38625)の問い掛けはだしぬけのものであった。
冷房の程よく掛かった室内は灼熱のアスファルトの熱気を遮断してくれる。それでも窓際は暑いからと幾分離れたところで、三人の男は常のように取り留めもない会話をしていた。
刻武館大学オカルト研究会――などと言っているが、正式にサークルとして申請されているわけではない。その部長にして正しくこの大学の学生である柳・依月(ただのオカルト好きの大学生・f43523)は、待っていましたとばかりに声を上げた。
「一口に祠って言っても建てられた年代によって違うから、一概には言えないな。最近のは大抵は場所がないとかがメインの理由になってる。私有地とか会社の敷地とか――そんな大きいもん置けないだろ?」
「確かにそれはそうだねえ。昔のは違うのかい?」
いつものオカルト語りに相槌を打つのは雨倉・桜木(花残華・f35324)だ。一つ伸びをした彼の桜色の髪が揺れる。彼の問い掛けにいよいよ依月が胸を張った。
「昔のは敢えて祀り直すってことをしてないのもある。土着信仰とかはその土地の人たちが自前で建ててたりするし、神仏習合の歴史上、仏像が祀られてるのもあるぜ。共通してるのは、どんな状況でも神を祀ろうとする人の思いの現れってことだな」
「ふうん――つか、祠ってそもそも何? 祀るってなんだ?」
他方のヴァンの疑問は尽きない。その出自から民俗学を専攻するほどに愛する依月に比すれば、彼のそちらへの知識は多いとはいえなかった。元を糺せば同じ|新しい妖怪《・・・・・》でも、二つの間にある出生の隔ては大きい。
さりとて面々が抱くのは隔意ではなく親近感だ。部屋の隅にいつも置かれているマスコット――刻武丸と名付けられた人形の横で、彼はますます勢いづく依月の声を聞く。
「そもそも祠ってのは|ほくら《・・・》――漢字だと神の庫とか宝の倉って書くんだが――それの訛りが転じたものって言われてて――」
講釈は暫し続いた。
大学に放課後らしい放課後はない。しかし一日の講義が終わる頃には長い日であっても斜陽に傾くものである。めいめいキャンパスを後にする人々の足取りを見下ろしながら、桜木が笑う。
「色々あるものなんだねえ。都会じゃあ祠なんて滅多に見ないから、依月くんからそういう話を聞くのは新鮮な気がするよ」
「あー、そうかも。俺達もよく見たことないな。ここの近くのビルんとこにある奴とかはチラ見することもあるけど。なー、刻武丸」
|長閑《のんびり》とした声音にヴァンが頷く。今日の話の流れがなければ興味も持たず、ここに来るたびに一瞥をくれるだけだったろう。
ちょうど二人の興味を惹いたらしいことを悟り――。
依月は会心の笑みを刷いて窓の外を指した。
「じゃ、実物でも見に行くか?」
◆
夜を待つのは苦ではなかった。
三人に話題は尽きぬし、教授らが残っている間は全館冷房が切られる心配もない。やがて電気が落とされ、人々の気配が消えたキャンパスにあっても、寧ろ|闇《くらがり》に近しいものである三人にとってはさしたる問題はない。
アスファルトは未だ昼の日差しを孕んで燃え立つように熱を持っていたが、山に差し掛かれば清澄な空気と木々の呼吸が涼しさを運んでくれる。舗装された山道を外れ、木々に沈む獣道を辿る間も、依月は嬉々としてこの周辺に伝わる伝承を語っていた。
「この山も例に漏れず信仰されてたみたいだな。この獣道も元は人が踏み固めてたはずだ。でなきゃ祠なんか作らないのもそうだが、さっき麓に小さい木製の看板があっただろ?」
「ああ、あれかい。何が書いてあるかてんで読めなかった奴だね」
「依月は読めたのか?」
「掠れてたが変体仮名だったぜ! あれによれば、この祠に祀られてたのは狩猟の神様だったらしい」
元より山は豊穣の象徴だと語る声は明るい。虫すらも息を潜める夏山の神域には似つかわしくない声音であるが、依月にとっては斯様なことは関係がない。
今から向かうのはとうに主と信仰を失った場所だ。れっきとした心霊スポットである。インターネットを使い文字として伝播し拡大し続けるネットロア、それも出自としては旧き伝承を題材としている彼としてこれほど心の踊ることはないだろう。
「――で」
辿り着いた先の祠に目を遣った三人は、殆ど同時に同じような顔をした。
信仰は失われて久しいようだが、未だ人の手が加えられた形跡は消えていない。切り拓かれた木々の作り出す小さな広場のような神域には、確かに祠が一つ、寂しげに立っている。その屋根が。
――ものの見事に殴り壊されていた。
近付いた桜木の枝の如き色をした指先が哀れな建造物を撫でた。労わるような動きには同情めいた感情が窺える。
「見事に壊されてるねえ。酷いことを」
「あー、肝試しに来る奴も多そうだしなー。だとしたらこういうこともあるか」
他方のヴァンの声には得心の色が濃い。幾度か頷くさまには依月も同意するところだ。
「最近はマナーのなってない奴が多いんだよな。肝試しは良いが器物損壊はやりすぎだろ」
オカルトに関わろうという心意気そのものは否定しない。どのような思いから生まれている行動だとしても、好奇心を以て怪異の存在の一端に手を伸ばすこと自体は悪いものだとは思わなかった。そも彼自身がそうした人間の心――恐怖を求めて安穏とした生活の中に怪異を見出し語る欲求から生まれたようなものだ。
しかし面白半分で彼らの領域を無遠慮に侵犯したうえに、斯様に破壊せしめるのは如何なものか。いかに旧く朽ちかけた木造の祠であるとしても、人の力だけでここまで派手に破壊することは難しいはずだ。おおよそ噂話を聞きつけて、度胸試しのつもりで武器を持ち込んだ人間たちが、好き勝手にそれらを振り下ろしたのだろう。
首を横に振る依月の眼差しがふと開いた。傷口を撫でるようにしていた桜木も、その横でしげしげと大穴を見詰めていたヴァンも、反射的にその場から後退する。
刹那――。
穴の中に広がっていた|闇《くらがり》から、腕が生えた。
まず生白い肌が現れた。五指を揺らがせる奥からは、無秩序に動物の脚を模したものが無数に近しく現れる。今しがた己の近くにいたはずの誰かを探す手が痺れを切らしたように這い出した。窮屈そうに穴を押し広げ、玉の如き|体《・》が幽かな月光の中に現れる。
蜘蛛――というのが近しいか。
無数の腕、もしくは脚に当たる部位が生えた黒い球体である。その中央に巨大な眼がぎょろついていた。声なき怒りを湛えるそれが排除すべき敵を見付けたのは、悍ましい冷気と共に降り立った瞬間であった。
三人に目掛け突撃して来る|それ《・・》の前にヴァンが立ちはだかった。赤く煌めく偽剣が一度ひらめいて――。
それきりである。
見事に吹き飛んだ怪異が転がった。楽しげな依月が早速呼び出していた烏に突かれてすっかりと縮こまる姿は哀れっぽくも映る。悲鳴どころか驚きもせぬ三人の姿に怯えたらしい、蜘蛛と動物の狭間のような、或いは集合霊とでも言うべき怪異に、三人は顔を見合わせた。
戦意喪失したらしい怪異に何があったかと問えば、概ね三人の想定した通りの返答があった。
どうやら|それ《・・》は神域の跡に住み着いた代物であるらしい。といっても姿は元から斯様に怪異らしいものではなかった。最初のうちは小さな毛玉のようなもので、大した力も持ちえなかったという。
それ以前からここは心霊スポットとして地元で有名だったようだ。夜な夜な現れる人間を追い払うために、僅かといえども超常の存在らしい力を振るっているうちに、噂話には様々な尾鰭がついていった。結果的に育ち切った|口伝《ロア》はかの如く語る――。
その朽ちかけた祠には、動物たちの無念が渦巻いている。というのも嘗ては狩猟を願われる神がおり、神が山に遺される動物たちの魂を導いていた。しかしやがては信仰は失われ、神は山を去ってしまったために、死んだ彼らを弔う者も、導くものもなくなってしまった。
そして凝った動物の無念は、とある人間がこの神域を訪れ、この付近で縊死したことで確たる形を持つ。無数の動物をかき集めたような|それ《・・》は、人間の声で語るのだそうだ。
この山から永劫に去れ、私たちをもう見付けるな――と。
かくして怪異は生まれた。しかし元は小さく臆病で慎重なそれは、人々の狼藉を咎めることも出来ず、破壊されていく住処の中で縮こまっていたのだという。
「それは大変だったねえ」
「確かに家みたいなもんだろうしな。壊されたら嫌だろ」
桜木の同情にヴァンの同調が重なった。たとえ詮無い噂上のものにすぎぬとしても、集合体の身の上には共感するところも多い。依月もまた、同じ民俗学的伝承を下地としたものには親近感が湧いた。
「どうにかして人間が立ち寄らねえようにしてやりたいな」
「でも君だって力を失いたくはないわけだろ? 塩梅が難しいな、塩梅が」
忘れ去られたくない――妖怪、ひいては神にあっても同じくする心である。人々に存在を忘れられていくことは、彼らにとって何より悲しむべきことだ。
二人が頭を悩ませる横で、桜木は一つ容赦のない提案をした。
彼は人間文化を好むが人間そのものは好きでない。故に手心を加える気もなく、斯様な狼藉を働く人間たちにオカルトに対する関心を維持させるつもりもなかった。即ち――。
「人間を傷付けず、しかしあまりに怖い体験をさせれば、誰も寄り付かないのではないかい? 格も保てるし、語り草にもなるだろう」
「お! ナイスアイデア」
ほとほと懲りさせれば良いのだ。眼前でめそつく怪異が悍ましい見目を得るに至ったように、勝手に膨らんでいく恐ろしい噂は人々を遠ざけていくことだろう。そのうちに自力で追い払えるほどになるやも分からぬし――。
「ぼく個人的には懲らしめたいけれど、殺しちゃあ意味がないからね。協力しよう」
桜木の声に頷いた二人と一つが望んだ通り、恥知らずの人間は間を置かず再び神域に踏み入れる。
◆
「や、やめとこうよ」
「ビビってんじゃねえよ今更」
絵に描いたような不良グループの中に取り込まれた少年は、心霊スポットに踏み入れて祠を壊すなぞという罰当たりな行為に賛同は出来ず、しかし彼らがバットを持って山を登っていくのを止めることも出来なかった。
翌日になって武勇伝のように嬉々として語った彼らは、祠を修理した方が良いのではないか――か細く告げる彼を一頻りせせら笑った後、彼らは少年に告げた。
じゃあお前が直して来いよ。
リーダー格の一人がついて来たのは、少年が逃げ出さぬよう見張る意味合いが大きい。殊に体格の良い彼に逆らうことは出来まい。それに、己たちの破壊の痕跡を自慢して、ついでに本気で壊しきってやるつもりだった。
小さく俯く少年と裏腹に、リーダーは意気揚々と進む。夜の山道の歩きづらさなど懐中電灯一本で覆せるものだ。祠に繋がる道は注視していれば夜でも見失うことはない。まして一度は通ったのだから当然である。
じきに神域だ。真っ直ぐに懐中電灯の人工的な光を向けた先には、彼が先日に壊した祠があるはずである。
「あ?」
――壊れていない。
確かにバットを振り下ろしたはずだ。小気味よい木材の破断音も聞いた。それが何らもなかったかのように、木製の建築物は静かに佇んでいる。
「おい、お前あれどう見えて――」
後方の少年の姿を探るべく後ろ手に腕を伸ばした。
いない。
さては逃げたか。大きく舌打ちをした。のろのろとしていて進まぬから前に出たが、後ろから見張っていなくてはならなかったか。それにしても足音も気配もついて来ていたはずだが――それら冷静な思考を瞬間的な怒りが全て呑み込んだ。
振り返る。
喉が鋭い音を立てた。
そこに――。
|人の形《・・・》が立っている。
「何――」
茫然と声が零れるより先に、懐中電灯の光に照らされてなお真黒に揺らめく影が腕らしきものを伸ばした。しかと掴まれた腕に伝わるのは零下の温度だ。振り払おうとめちゃくちゃに暴れ回れどびくともしない。夏の夜の温度を全て吸い取るような冷気を纏い、|それ《・・》はそこに立っている。
ふいに木立が大きく揺れた。風はないはずだ。降り注ぐ木の葉が作り出す影のせいか、小さな人型が無数に走り回っているような幻覚が見える。
声も出ない。唸るような呻きが喉から勝手に零れ出る。荒くなる息を押し殺すことも出来ず、この場から逃げ出すことだけを考えていた彼の目に、ふと恐ろしいほどに美しい紅色が過ぎった。
散っていた葉が知らぬ間に色を変えている。
血のように赤い――八重桜。
後方の祠からふいに大きな音がした。反射的に振り向いた彼の視界には確かに映っている。
綺麗になった祠の扉を開いて。
懐中電灯の光さえも吸い上げるような|闇《くらがり》の中から伸びる――。
|生白い腕《・・・・》。
巨大な目が真っ直ぐにリーダーを見る。無数の動物の脚を無秩序に携えた蜘蛛が現れる。痙攣するような呼吸を繰り返す彼の腕を、影がふいに離した。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
振り返りもせずに転がるように山を下っていく後ろ背を――。
影から人の形に戻った依月と、|俺達《・・》をしまったヴァンと、木の上から降りて来た桜木と。
祠の主が、静かに見送っていた。
成功
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