畦道にほのかに匂ふは、秋の月の兆し
●サムライエンパイア
鬱蒼と茂る木々が覆い隠すは、人知れぬ羅刹と人間とが共生する里。
木々が茂るということは影もまた色濃ゆいということでもある。
羅刹は元より、この地に生きる者たち。
土着の、と言えばよいだろう。彼らの生活はほそぼそとしたものであったが、独自のものでもあった。
生命の営みは常に交わることで変化していく。
変化を拒んだ所で、それを止める手立てはない。
何一つ変わらないものがあるように、変えようとする力は、変えまいとする力を軽々と凌駕するものであった。
人間の世には争いが満ちている。
羅刹からすれば、それは力弱き者であるが故の争いに思えたかもしれない。羅刹は元より強い。強い故に外敵というものを知らなかった。
しかしながら、外よりの変化に抗うことができるものではなかった。
争いに敗れ、落ち延びた人間の武者たち。
住み着くことを許可したのは、人間が羅刹よりも弱々しい生き物だからだ。
だが、弱々しいからと言って交わることがないのかと言われたら、それは否である。
人間は弱い。
だが、情がある。
羅刹にも、だ。
情と情とを持つものが出会ったのならば、交わるまで時間はそう要するものではなかっただろう。
例え、峠を挟んで人間と羅刹とに別れてもだ。
物理的な距離は意味をなさない。
どちらもが互いに補い合って、助け合って活きていくという情を持つのならば、交流は放っておいても発生する。
交流が生まれれば、それは老いも若きも関係がない。
そうして羅刹と人間たちは相互扶助によって成り立ち、婚姻もまた共有するところであった。
子供が少なくとも、隣のよしみ、ということで面倒を見る。
それもまた相互扶助の一つであり一環でもあった。
鹿村。
それが人間の村と峠を挟んでいた土着の羅刹の郷の名の一つである。
その鹿村の入口をまたぐのは、鹿村・トーゴ(鄙の伏鳥・f14519)だった。
鄙びた忍びの里であることは、彼の知るところである。
彼の性もまた、この村の出身であるということを示す以外のものではなかった。里の頭領であるとか、長の家系、ということではない。
元より彼は貧しい村の農民の出でしかない。
ただ名乗る際に面倒だという理由程度で、鹿村の性を名乗っている。
「久しぶりだなー」
季節は夏。
猟兵という稼業と言うには、あまりにも事件の規模が大きな戦いばかりが頻発する生活の中にあって、夏休みというものが存在している。
いや、オブリビオンの起こす事件に必ず参じなければならない、という縛りがあるわけではない。
ないが、しかし、まとまった休みというものは誰しもが求めるものでった。
そういうわけでトーゴは、この鹿村へと帰郷していたのだ。
そんな彼が村の入口を跨いで真っ先に向かたのは、小さい娘小屋であった。
幼馴染の『カナ』の小屋である。
馴染であるのは、やはり羅刹と人間の村、それぞれの子供達、年代の近いものたちが皆顔見知りであるからだ。
トーゴが『ミサキ』を失った流行り病。
『カナ』もまた恋仲であった『彦太』を亡くし、それから数年経って、当然の成り行きとばかりに余り者同士充てがわれたというわけだ。
口約束ではあるが、世帯を持つことになっている。
「ああ、戻ったんだ?」
小屋の扉を開けると、久方ぶりではあるが『カナ』は特別驚いた様子もなく黒髪を揺らし、金茶の目をトーゴに向けた。
こめかみから覗く小さい黒曜石の角が戸口から入る日差しを受けて輝いていた。
「ああ、うん。夏休みってやつだなー」
「なにそれ、夏休みって、とってつけたみたいなの」
そう可愛らしい声で笑う彼女。
『カナ』は里でも見目の綺麗な娘である。
はっきり言って、成り行きな上に余り者同士という事があっても、地黒で少し背が高いというだけの己には不釣り合いな美人だとトーゴは思う。
「『ユキエ』もお久しぶり」
手を伸ばすことはなかったが、『カナ』がトーゴの肩に止まった『黄芭旦のユキエ』に声を掛けると、ぷい、と首をふる仕草に微かに笑った。
「いつもどおりってことね」
「まあ、そういうことだなー」
彼女の小屋を訪れたのは、里の慣習だ。
夫婦になる約束をした小屋に寄って泊まる。
それだけのことだ。
「少し痩せた?」
「いや、そんなことはないけどなー」
トーゴは首を傾げる。
『カナ』から見れば、そう見えるのかも知れない。指先が触れる所作は、彼女もまた忍びであることを証明していた。
彼女は賢い。
所作と言葉だけで本音や弱音を巧みに引き出してしまう。間諜にはうってつけで、さらに閨房術というのならば得意分野だ。
そんな彼女の所作に僅かにトーゴは怯む。
「なに怯んでるの」
「いや、『カナ』ってば、美人だなーって思って」
「その美人に誘われてもアンタ、そんなにノってこないでしょ」
「えー? そんなことないよ」
「あるでしょ。ほら、いつまでもぼうっとしていないで上がりなさいよ」
そう言われて板間に上がる。
「いや、本当に。『カナ』みたいな賢くて床上手できれいな子に誘われてホイホイ乗らないヤツなんてさァ」
「アンタじゃん」
「いや、オレは」
「いーから、ほら、食べなさいよ。後で甘やかしてあげるから」
用意された食事に手を付けながら、注がれた濁り酒をちびりとトーゴは含む。
「……骨抜きにされそ」
なんだか視線を感じるな、と思えばユキエだった。オウムとは言え雌だ。賢いオウムはヤキモチだって焼く。
それを見やり『カナ』は笑って、真桑瓜を一切れユキエに差し出す。
「ほら、ユキエ、瓜だ。甘いよ」
容易く気を取られたユキエは、ぽりぽりとかじりだしていた。
その仕草は、なんていうか幼い子供らを世話する姿のように思えてならなかった。
そういう具体的な想像ができるようになったのは、心に余白ができたからか。
それとも、己が大人になれたからか。
よくわからない。
わからないけれど、それが良いことなのか悪いことなのか、どっちなのだろうと考えられる程度には、今のトーゴは緩んでいたのは確かなのだった――。
●明くる日
あいさつ回り、というは面倒なことでもある。
まずは頭領に諸々の報告。
次に師匠に。
そして両親に。
傷心からの出奔。それによって途切れていたつながりというものを紡ぎ直すというのは、なんとも気恥ずかしいものが先に立つような気がしてならなかった。
両親たちは、孫ができたら教えてほしいと言った。
もう長兄の子がいるのだ。
そんなに気にすることか、と思わないでもなかった。
「そんな顔しないでくれよ。それに、まだちい兄のとこも……」
「……」
両親の顔を見て悟る。
そうか、とも思った。
次兄――ちい兄は、幼い頃他村に養子に出されて以来疎遠なままなのだ。
両親の口から名が上がるから覚えているが、次兄の顔はトーゴも朧気である。
血の繋がりも、疎遠になればこの程度のなのかな、とトーゴは己の薄情さめいたものを自嘲する。
両親たちと一頻り会話を終えれば、村外へのあいさつ回りだ。
「と、その前に、と」
トーゴは集落の裏手に足を向ける。
そこは共有の墓地だ。
村はずれの高台。
そこからは菜の花畑が一望できる。墓石の数が多いのは、流行り病で村人が多く死んだからだ。
仕方ない、と割り切れるほどではないが、飲み込むことはできている。
もっとも、トーゴの喉に支えているのは、流行り病のことではない。
己が。
『ミサキ』を殺した菜の花畑が一望できるからだ。
仕方ない、と言われたことは覚えている。
彼女はオブリビオンに憑かれていた。
流行り病は『ミサキ』が依代になっていた。
落ち武者の怨霊。
その力を『ミサキ』ごと殺すことでしか解決ができなかったのだ。
もしも、と考える。
己がもっと早く猟兵に覚醒していたのならば、結果は違ったのか、と。
どうにもならない。
わかっている。
過去は変わらない。
そういうものだ。だからこそ、業が深い存在だとトーゴは猟兵というものを思う。
考えても仕方ない。
そう思っても、想像してしまう。
猟兵に覚醒しなければ、ただの下っ端の忍びとして半農のままいられただろうか。
猟兵とオブリビオンの戦いは、時折、そうした思いをほじくり返すものがある。
その度に、己と『ミサキ』の年齢差は広がっていく。
思い出の中の彼女は、ずっと変わらないままだ。
「……そうだよなァ」
変わらないのだ。
変わらないものを思って涙が頬を伝ってこぼれおち、供えた花を濡らす。
何も変えられない。
だから、涙がでてしまう。
「あら」
震える世中に声が投げかけられる。
涙を拭って肩越しに見やれば、『カナ』がいた。
彼女もまた墓に花を供えに来たのだろう。
「これもお供えしなさいよ」
「……何?」
「いちじく。ここに来るまで坂のなってたでそ。もう熟してる匂いもしていた。ほら、これあんたのぶん」
「あんがと」
小さく言葉にする。
言葉身近だったのは、声が震えているのを隠すためだった。
「なーに、思い出に浸って泣いてたの」
頷いた。
否定はできないし、するつもりもなかった。
「盆だから墓にはいないけど……アレ? でも、ミサキ、神社の子だ。神社でも盆てあるかね?」
はたと気がつく。
前まで、そんな事を気にする余裕もなかった。
『カナ』は薄皮を向いたいちじくをかじって首を傾げた。まるで気に留めてもいないようだった。
「似たようなことはしてるでしょ」
その言葉にトーゴは掌煮ころがしたいちじくを見やる。
よく熟している。
柔らかくて潰しかねない。いや、なんとも難儀である。仕方ないので、ユキエに差し出すと、勢いよく食べ散らかしている。
ふ、と息が漏れる。
堰を切ったように、また涙が溢れた。
何気ないことなのに。
何も、思わないで良いはずなのに。それでも、涙が出てくる。
「トーゴ」
「うん、ちょっとね。ヒトって死んだ人のことを思い出すと泣けちゃうモンなんだよなー」
一人だと、とトーゴは息を吐き出すように呟くと、またポロリと涙がこぼれる。
止めようと思っても止められないものなのだ。
「今はユキエもいるし、私もいる」
「うん」
「彦太もミサキも、もう還って来ないけど。私とあんたはとりあえず明日からも暮らしていかなきゃだし。あんたもさあ」
彼女は言葉を切った。
「お役目ならともかくほっつき歩いてないで、そこそこ還ってきなさいよね。あっ、それともどっかに隠し妻でもいる?」
ためらったのかもしれない。
でも、彼女は賢い。
ここで黙っても何も意味がないことを知っている。賢い上に強い。敵わない、とトーゴは思ったかも知れない。
わざと茶化した。
「居ないよー、そんなにモテないでしょオレ」
「私と違って、ね」
「ふふ、カナって高嶺の花だもん」
「徒花の間違いでしょ」
そういった彼女をトーゴは真正面から立ち上がって見やる。
「そーお? きれいだし賢いのに」
「やっぱり身分? まあアンタも居るから良いけどね」
「さあ?」
どっちだろ、とトーゴは誤魔化しながら、花を墓前に供えた。
吹っ切れたわけでもない。
割り切ったわけでもない。
飲みきったわけでもない。
けど、それでも。
「じゃーね、またな」
そう言える。
見上げえれば、青くけむる遠くの山、白い鷹と雲。
下り坂をゆけば、畦道。
田圃を見やれば、たにしやタガメがいる。さらに流れる用水路にはフナやあめんぼ。
多くの生命が在る。
いろんな世界を見てきた。
けれど、それでもトーゴの心は、此処にあるように思えた。
思い出したくないこともあるい。
なのに、捨てられない。それが愛着というのか執着というのかはわからないけれど。
「アンタいつ頃までいるの?」
「そだねェ、あと二日ほどかなー」
「忙しないわね」
「ま、ちょっとお役目ね」
またそれ、と『カナ』は嘆息する。ああ、彼女に愛想を尽かされないようにしないと、とトーゴは慌てて付け足す。
「正月には戻りたいとは思ってるんだよー」
「秋にも戻ってきなさいよ。十五夜とかあるでしょ」
「早くない?」
気が、とトーゴは首を傾げる。
けれど、『カナ』はそんな彼の尻を叩いた。
痛い、と視線を向けたけれど、彼女はまた尻を叩く。
「こうして偶には叩いてあげないと腰を上げないでしょ」
「そうかもだけどー」
まあ、いいか、とトーゴは久方ぶりの帰郷に笑むのだった――。
成功
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