バースデーは裏表も一つ
●バースデー
生きるものにとって、誕生とは因果なものである。
生まれたという結果があるのならば、同時に死したという結果もまた確定している。
生とは死を得る過程である。
ならば、死の先とは因果を越えたものであると仮定することができる。
そこから先。
終わりが如何なるものか、誰もわからない。
そして、そうした者がいるのだとして。
馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)の誕生日というものは、即ち、彼らが死した日でもある。
「ぷきゅっ!?」
『陰海月』は8月25日を迎えて気がついた。
彼らの誕生した日というのは、彼らにとって苦い記憶だ。
何故なら、彼らの故郷が壊滅した日なのだ。
守れなかったこと。
死ししたこと。
多くの悔恨が想起される日でもある。
だが、『陰海月』たちは、彼らに何かを贈りたいと思っていた。
この日以外に口実があるとするのならば、あとはクリスマスか。はたまた敬老の日か。
それくらいなのだ。
彼らへの感謝は言葉で、数で現せるものではない。
常日頃から感謝の意を示してはいるが、足りるということはない。
「ぷきゅ!」
おじーちゃんたちの誕生日を祝おう!
はい! 集合! と彼は屋敷にいる義透たち以外の全てを招集した。
『霹靂』に『玉福』、『夏夢』である。
四人集まれば、なんとかなるだろうと思ったのだ。
まずは、軍資金。
これは去年までのお年玉が残っている。
材料調達はすでに終えている。
砂糖と小豆餡。
作るのは、羊羹である。
『夏夢』がすることは羊羹に合うお茶の選定である。
「お茶にはやはり濃いお茶がよいでしょう! なんでか知っているのですけど……まあいいか!」
細かいことは気にしない。
「ぷきゅっ」
おじーちゃんたちは、羊羹が好きだ。
ああいう顔をしていて、甘党なのだろう。
だがしかし、屋敷で共同生活をしている以上、台所を専有することはできない。
そこで『霹靂』の出番である。
「クエッ!」
かまって、とばかりに義透を阿蘇ぢおめするのだ。
加えて『玉福』は周囲の猫たちに箝口令をしくのだ。
どこから情報が義透たちに入るかわからない。それは時として、屋敷の周囲にいる猫たちから漏れるかもしれない。
であれば。
「にゃー!」
いいか、おまえらー! とばかりに『玉福』が一鳴きすれば、猫たちは敬礼でもせんばかりの勢いでニャンやん大合唱である。
そうしてまでサプライズ誕生日手作り羊羹の計画は秘密裏に、しかして大胆に行われていた。
けれど、義透たちに誕生日だから、とは言わない。
この日は彼らにとってつらい記憶でもある。
なら、と何も言わずに祝うべきなのだ。
「ぷきゅー♪」
「おや、羊羹。どうしたのですか?」
「きゅ!」
「二人で作りました。よかったらお茶も」
『夏夢』と二人で作ったのだという彼らの言葉に義透は頷く。
一口運べば自然と笑みがこぼれる。
優しい味わいであっただろう。
彼らとて気がついていないわけがない。これが『陰海月』たちなりの気遣いなのだろうと。
であればこそ、気が付かぬふりをするのもまた、その心に応えることであった。
彼らが何の変哲もない夏の日を、というのならば、それもまた良し。
密かに祝うことに成功した三匹と一人は、緩やかな息を吐き出す義透の姿を認めて、声小さく互いに手を打ち合うようにして成功したことに喜ぶ。
誰かを思うことは尊いことだ。
時として、それは他者を傷つけることにもなるかもしれない。
けれど、そこに思いあればこそ気がつくことができる。
喜んでほしいというささやかさ。
その心こそが、傷跡を慰めるのだと――。
成功
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