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青き夏のエヴギル・ウースラード

#クロムキャバリア #ノベル #猟兵達の夏休み2025 #レイテナ #人喰いキャバリア

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露木・鬼燈




 東アーレス半島に夏が訪れた。
 照りつける太陽が、真上から容赦なく光を注いでいる。
 空はどこまでも澄み渡り、吸い込まれそうになるほど深く青い。
 水平線の境目から昇る入道雲が、時間の経過と共にゆっくりと流されてゆく。
 紺碧の海原は、走り抜ける風に波をうねらせる。
 波はやがて崩れて砂浜に打ち寄せると、白い飛沫を広げた。

「海だー!」
 広大な海を前に、雪月栞奈は全身を広げて歓声をあげた。
 スポーティーなクロスデザインの水着が、健康的に引き締まった肉体美を惜しげもなくさらけだしている。それは陽射しに負けないほどの笑顔によってさらに際立っていた。活発で溌剌。肌に吹き出る汗の粒が、栞奈をより輝かせる。

「今年の夏もイーストガードで過ごす事になってしまいましたわね……」
 はしゃぐ栞奈と比較して、東雲那琴の表情は少しばかりやるせなかった。去年に続いて今年の夏季休暇も日乃和に帰る事が叶わなかったからである。
 だが肢体の美しさは決して栞奈に劣るものではない。
 背丈は同等ながらも、女性としての肉付きは栞奈より明らかに分厚い。上品なデザインのバンドゥビキニに包みこまれた肢体は、誰彼も魅了して止まないほどに端正なバランスが取れている。

「アタシはどこだって構わないんだがね」
 那琴と栞奈以外にも、白羽井灰狼両隊員の中には感嘆するべき肉体美を持つ者は少なくない。
 しかし、存在感においては、灰色狼の群れのリーダーである尼崎伊尾奈が突き抜けて圧倒的だった。
 まず身長180に届く男顔負けの背丈が、立っているだけでただならない存在感を放っていた。那琴と栞奈が見下される目線の高さである。
 その高身長を支えるのは、太い骨格に纏う筋肉。筋肉を覆い隠す肌は女性的な丸みや弾力感をしっかりと帯びている。ボリュームを持ちながら見た目の筋肉量は剛健すぎないという奇跡の黄金律を持つ肉体だ。
 そして何よりも砂浜中の視線を集めているのが二つの山である。
 重力に負けて釣り鐘状になったそれは、栞奈は兎も角として那琴の主張を食ってしまうほどに大きい。モノキニに支えられてはいるが収まりきっていない。少し動いたら溢れてしまうのではないかと不安を誘うほどだ。

「うお、でっか……」
 露木・鬼燈(竜喰・f01316)は堪らず感嘆の呟きを漏らした。
 夏の陽射しと渚に彩られた素晴らしき肉体芸術。暫し見惚れていると、白い眼差しが突き刺さった。
「まーたずっきーが尼崎中尉のおっぱいガン見してる」
 嫌味をたっぷり籠めた栞奈の声に、鬼燈の意識は谷間の深淵から引き上げられた。
「またってそんな見てないのですよ」
「去年もそうやってガン見してたでしょ?」
「そうだっけ?」
「そうだよこのおっぱい星人! そーゆーのセクハラだよ? セークーハーラー!」
「いやあ……男たるもの仕方ないのですよ。栞奈ちゃんのだって健康的なお手頃サイズで僕は好きだけどね」
「それ褒めてるつもりぃ? だからセクハラだって言ってるでしょーが!」
「見せ付けてくるほうがいけないのですよ」
「はぁ~!? あっそ! じゃあもうおっぱい揉ませてあーげない!」
「ごめんっぽい」
 眉間を険しくする栞奈。
 口角を苦く引きつらせて微笑する栞奈。
 構う素振りすら見せない無表情な伊尾奈。
 海辺の主役3人を前に、鬼燈は眼で幸福を噛み締めていた。

「あ、そーいやさ、テレサちゃんは? ずっきー知らない?」
「ん?」
 急に切り出した栞奈に鬼燈は不意を突かれた。
「去年はご一緒していましたけれど、今年は御姿を見かけませんでしたわね。お誘いしたかったのですけれど」
 那琴の言う通り、去年の夏はテレサも交えて海を満喫していた事は鬼燈の記憶にも残っている。
「んーとね、テレサちゃんはゼラフィウムにいるんじゃないかな?」
 恐らくは……だが。
 鬼燈はゼラフィウムへ向かう輸送車両の護衛依頼を終えてからテレサと会っていない。スワロウ小隊と親しくしていた栞奈達が見掛けていないという事は、テレサ達はまだゼラフィウムに居残っているのだろう。
「ほーん? まだこっち帰ってこれてないんだ? かわいそーに」
「テレサちゃんは忙しそうにしてたからね。栞奈ちゃんと違って」
「あたしだって暇じゃないんですー。暇だったらとっくに日乃和に帰ってますー」
「栞奈ちゃんはいつになったら日乃和に帰れるっぽい?」
「さあ? 東アーレス半島の掃除が終わったら帰れると思ってたけど、そーでもないみたいだし」
 現在の東アーレス半島から、人喰いキャバリアは殆ど掃討済みであった。
 だから白羽井小隊を含む第六独立機動艦隊はお役御免となる訳でもなかったらしい。鬼燈はイーストガード海軍基地のある方角へと視線を向ける。そこにはまだ大和武命の巨大すぎる船体が錨泊したままだった。
「元々は鯨の歌作戦の応援で来てたっぽい?」
「そーなんだけどねー、今もこーしてズルズルダラダラ居残っちゃってるんだよねー」
「仕方ありませんわ。わたくし達は懲罰部隊ですもの」
 那琴が俯けた面持ちに力ない笑みを浮かべた。
「ま、実際やらかしてるし? これ実質国外追放処分なんじゃ? って思うわけよ」
 鬼燈の脳裏に香龍での戦いの記憶が蘇る。
 もう何年も昔の遠い掠れた記憶に思えた。
 こうして那琴、栞奈、伊尾奈と顔を合わせていると、現実味も薄くなってくる。
 公の記録上では、白羽井小隊の首相官邸占拠事件は存在しないことになっている。
 犯人はテロリストにすげ替えられ、逆に白羽井小隊は事件解決に貢献した国民的英雄に祭り上げられていた。
 あっけらかんとしている栞奈はともかくとして、那琴は今も引き摺っているのだろうか?
 鬼燈は今更聞いてみる気にはなれなかった。
 聞く必要もないからだ。

「栞奈ちゃんは日乃和に帰りたいっぽい?」
 少しの間、栞奈は顔をあげて「んー……」と呻っていた。
「わかんない。お婆ちゃん残してきてるから心配と言えば心配だけどさ、でもナコをほっぽり出してでも帰りたいかって聞かれたら……ねぇ?」
 栞奈から視線を流された那琴は眼を泳がせる。
「わたくしは……人喰いキャバリアから日乃和とそこに住む民を守らなければなりませんので。それが、死なせてしまった者達への贖罪でもありますもの」
 死なせてしまった者達――その中には愛宕連山で戦死した仲間達も含まれている事を、鬼燈は言外に察した。

 愛宕連山補給基地から始まった戦いは、まだ終わっていない。
 那琴達にとっても、鬼燈自身にとっても。
 あそこから続く因果の道はどこへ至る?
 終末点はきっとゼロハート・プラントにあるのだろう。
 着実に近付いて来ている。
 血みどろの道を進み、積み重なる骸を踏み締めて。

「尼崎中尉は~? 日乃和に残してきたカレシとかいないんですか~?」
 期待を籠めて訊く栞奈に、伊尾奈は「さあね」とぶっきらぼうに答えた。
「アタシは一匹でも多くの人喰いキャバリアを殺すために戦ってる。また日乃和が陥落でもするなら、すぐにでも帰るけどね」
「じゃあ全部終わったら?」

 鬼燈はふと思った。
 人喰いキャバリアがいなくなったら、彼女達はどうするのだろう?
 自分は?
 恐らく日乃和と……或いはアーレス大陸との縁が切れるかも知れない。
 ここを訪れているのは依頼があるからだ。
 オブリビオンマシンがいなくなれば、依頼もなくなる。
 依頼がなくなれば、ここを訪れる理由もなくなる。
 やがて日乃和とレイテナの記憶は薄れ、栞奈達の事も忘れて行くのだろう。
 かといって胸に寂寥が到来するでもなかった。
 人との繋がりとはそういうものだ。
 彼女達との出会いも、人生の中では瞬きの間に過ぎない。

「続きをやるのもいいかもね」
 尼崎の言う続きが復讐を示している事は、鬼燈もすぐに気付いた。
「続きって? 香龍の?」
「だけじゃない。大津港のテロ屋どももね。アタシはアタシにひどい事をした奴は全員殺すことにしてるんだ」
 鬼燈もそのテロリストとの交戦経験はまだ憶えている。
 大津貿易港から海外脱出を図っていたテロリスト集団は、灰狼中隊の隊員に凄惨な仕打ちを行ったらしい。
 構成員は逮捕されたが、大元となっている組織は遥か遠く離れた別の大陸に根城を敷いていると小耳に挟んだ気がする。
 鬼燈には伊尾奈の復讐もテロリストの事も興味が湧くものではなかったが、本気で復讐を遂げるつもりなら、過酷な道のりになりそうだなと他人事として思った。

「あー、あたしもあいつらはぶっ殺しときたいなぁ……ねぇずっきー、代わりにぶっ殺してきて?」
「へ? いやあ、僕は無理なのですよ」
「なんで? あのー……なんだっけ? グリモグラ?」
「グリモア?」
「たぶんそれ。猟兵ってグリモアさえあれば世界のどこでもひとっ飛びなんでしょ?」
「僕は持ってないのですよ。それに、そこまで便利なものじゃないっぽい」
「えー?」
「本当に世界のどこにでもいけたら、とっくにゼロハート・プラントに飛んでいってるだろうしね」
「ああ、そりゃそっか。ったく、ずっきーってば肝心な時に役に立たないんだから……」
「そんな言い草は酷いっぽい。あとズッキーニみたいに呼ばないでほしいのですよ」
「嫌なの? いいでしょ? 呼びやすいじゃん。ずっきーって」
「呼びやすいかなぁ?」
「絶対呼びやすいって。だからずっきーで決まり!」
「はぁ、もう好きにしたらいいのですよ」
 これ以上栞奈に抗議したところで無駄だと鬼燈は諦めた。
 思い返せば栞奈のこの馴れ馴れしさはどこから始まったのだろうか。何か切欠があったような記憶もない。かといってある日突然始まった訳でもないような気がする。いつの間にか肉体関係まで持ってしまった。
 相手の知らず知らずの内に距離を詰めてくる栞奈のコミュニケーション能力に、鬼燈は少しばかり末恐ろしさを感じないでもなかった。

 砂浜に打ち寄せる波の音色が、ゆるやかに時間を解かしていく。
 海の匂いと陽射しの熱気。時折吹き抜ける潮風は、火照った肌に一瞬の涼を与えた。
「ほらほら、ずっきー見てよ! カニー!」
 栞奈があどけなくはしゃぐ。手にはそこそこ立派な大きさの蟹が囚われていた。石の色をした甲殻の表面はすべすべとしている。輪郭に角は無く、全体的に丸い。
「これは……スベスベマンジュウガニっぽい?」
「すべまんって……ずっきー、いきなりの下ネタは普通に引くよ?」
「蟹の名前ですよ。スベスベして饅頭みたいに丸いからスベスベマンジュウガニ」
「ほーん? おいしそーな名前じゃん。食べる?」
「とんでもない。食べたらあの世行きの猛毒っぽい」
「うっそ? マジ? 丸っこくてかわいい見た目してるのに?」
 しゃがみ込んだ栞奈は「あたしのおかーさんによろしくねー」と蟹を手放した。横歩きで波打ち際から遠ざかってゆくそれを見送り、立ち上がって背中を逸らす。美しい曲線が描かれた。
「あーあ、この海見てるとさ、どーしても思い出しちゃうんだよねぇ」
「思い出すって?」
「おかーさんのこと」
「ああ……確か青葉の艦長さんだったっけ?」
「そそ」
 日乃和西州全域を奪還する作戦、暁作戦で、栞奈の母親は東アーレスの海で戦死した。
 栞奈が母の死の報せを受けたのは、西州の奪還を進めている真っ最中だった。
 あの時、鬼燈は初めて栞奈の泣いた顔を見た。
 それ以来、栞奈が泣いたところを見ていない。
「まだ悲しいっぽい?」
「そりゃそうでしょ」
 答えは呆気なく返ってきた。
「もしかしてずっきー、戦いに出たら死ぬのは当然だーとか、覚悟は決めてて当たり前だーとか言っちゃうタイプ?」
「いやあ、僕は好きに生きて好きに死にたいタイプだからね。他の人のことは興味ないっぽい」
「そう? んじゃあたしが死んでも何とも思わないんだ?」
「んー……顔見知りは別かなぁ?」
「でもずっきーって人が死んでものほほんとしてるタイプでしょ?」
「そう見える?」
「見える」
「僕にだってちゃんと感情はあるのですよ」
「じゃあ、あたしが死んだら泣いてくれる?」
「栞奈ちゃんが死んだら僕よりもナコちゃん隊長達が悲しむっぽい」
「んで? ずっきーは?」
「手を合わせるくらいはするかもね」
「あっそ……ま、ずっきーだしね」
 栞奈は横顔を向けた。
 眼差しは水平線の先を見ている。
「あたしはずっきーが死んだら泣いてあげるよ」
「栞奈ちゃんが?」
「……それどういう意味?」
「栞奈ちゃんが泣いたところ一回しか見てないっぽい」
「あたしだって泣く時は泣きますー。花粉症になった時はどんだけダバダバ泣いたか知らないでしょ?」
「そういう意味の泣くじゃないのですよ」
「仲間がやられた度に泣いてるんだよ? あたしこう見えて泣き虫だし?」
「自慢するところなのかなぁ? あとイメージ湧かないっぽい」
「どーせ能天気女とか思ってるんでしょ?」
「ぽい」
「バカ!」
 鬼燈は後頭部を平手打ちされた。
 目が覚める衝撃と音だった。
「ずっきーのそういうデリカシーのないとこ、良くないよ」
「そうかな?」
「そう!」
「でもそんなこと言われても……」
「直しなさい!」
「えー?」
「えー? じゃない!」
「っぽい」
「はぁ、もういいや」
 肩を深く落として項垂れる栞奈に少し申し訳なくなったが、鬼は一朝一夕で変われるほど器用な生き物ではないから仕方がない。

 さざなみの音が、二人の間に長い沈黙を置いた。
 水平線の先に広がるのは、ただの海ではない。かつて幾多の命を飲み込んだ、骸の海だ。
 泣けない彼らの代わりに、渚が泣き続けている。

「引き摺ってたって仕方ないけど、さ!」
 栞奈が砂を蹴り上げる。飛び散った砂粒が陽光を弾いて煌めいた。
 ふと、足に何かが触れる感触があった。
 視線を落とす。
 砂浜を撫でる白い波が、どこからか一枚の貝殻を運んできた。
 けれど海に引き返す波が連れ去ってしまう。
 後には痕跡さえも残らない。
 人の生き死にも、時間の潮流に撫でられ、こうして消えてしまうのだろう。
 やがて流れて消える命なら、せめて尽きる瞬間まで楽しみたい。鬼燈は絶えず運び続ける潮の果てを見た。
「……もっと遊ぼ? どうせ死んだら遊べなくなるし」
 栞奈の言葉に答えを返す代わりに、手を引いた。
 この握った手の感触も、いつしか消され、忘れてしまう。
 それがいつになるのかなど、鬼燈には想像も及ばなかった。
 ただ、今の時間の中では、刹那的な享楽に流されていたい。
 好きに飲んで、遊んで、戦って、いつか理不尽に死ぬ。
 誰の記憶からも、時間にさえ忘れ去られても構わない。
 何かを残す側でなければ、何かに残される側でもないのだから。
 しかし……できることなら、こうして触れ合っている栞奈の肌だけは、暫く感じていたかった。
 そう思ってしまうのは、夏の熱気にあてられたからだろうか?

 エヴギル・ウースラード。
 終わり無き季節が巡る。
 命の瞬きは、その中の一瞬でしかない。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年08月24日


挿絵イラスト