ハンドアウト・ハンドプリント
●プロレス
プロレスほど多面体な競技はない。
一般的に定義するのならば、興行として行われるレスリングと言える。
だが、そのうちにあるのは格闘技でありスポーツであり、ショーであり、エンターテイメントである。
即ち、観る者を魅了して止まぬ力を肉体に宿す者。
それがプロレスラーである。
恐らく十分にこれを語ることのできる者は存在し得ないだろう。
それほどまでにプロレスは多種多様なコンセプトを内在させる器として昇華されたと言ってもいい。
あの日、と蒋・飛燕(武蔵境駅前商店街ご当地ヒーロー『緋天娘娘』・f43981)は己がした約束を思い出していた。
反芻されるのは躍動する肉体美と戦火。
クロムキャバリアにおいて現れたファーストヒーロー『ザ・スター』。
そして、大いなる戦い『帝都櫻大戰』においてエンシャント・レイス『イザナミ』が現れ、冥府の蛆獣たちによって取り込まれたオブリビオンマシンに襲われた『グリプ5』を猟兵たちと共に戦ったのは、プロレス・フォーミュラ『デスリング総統』であった。
「それはそうと…もし元の世界に無事に戻れたらサイン…頼んでも良いアル? 約束ヨ!」
『デスリング総統』は、この戦いを切り抜けられたのならば、と語っていた。
しかし、飛燕はあれ以来、どうにも行動に移せずにいた。
確かに戦いは終わり、『デスリング総統』は元の世界、アスリートアースへと帰還を果たした。
あれから大分経っている。
サインを貰う条件は整っている。
後は行動あるのみ。
だがしかし。
「あ~もう! 完全にこれではただのミーハーある! にわかと思われたくない! でもサインは欲しいアル!」
もだもだと彼女はベッドの上でのたうち回る。
かれこれずっと飛燕は毎夜こうして思い悩んでいた。
わかっている。
行動しなければ、何も得られないことくらい。
あちらから都合よくやってくる、なんてことはない。それにサイコロは振らねば出目すらわからないのだ。
今の彼女は賽の目を気にして振ることもできない。
「……こんなことしていても意味ないアル!」
そう言って彼女は立ち上がる。
恐れているなんて自分らしくない。それに何より、行動しないままでは何も得られない。だったら、当たって砕けろ! なのだ。
そして、彼女がずんずか歩んでいった先はアスリートアース……『天空要塞デスリング』――ではなかった。
飛燕が見上げているのは『物怪プロレスリング』の看板であった。
「おんや、どうしたんだべ?」
彼女を見つけたのは、夏の日差しに煌めく玉の汗を額に浮かべた八洲・百重(唸れ、ぽんぽこ殺法!・f39688)であった。
もしかして道場破り? と彼女は思ったようだ。
しかし、飛燕は、キッ! と眉を釣り上げた。
「『ヤッシマー魔魅』さん!!!」
「ひゃあっ!? な、なんだべ!? 道場破りなら、リングの上に上がるんだべ!?」
「『デスリング総統』にサインを貰うために協力して欲しいアル!!」
「サイン……?『デスリング総統』?」
「そうアル! なんとか口実が欲しいアル! 至極真っ当で、至極自然に、至極当然にサインがもらえる口実が!!」
急に来て何言ってるんだべ、この娘、と百重は思った。
「『ヤッシマー魔魅』さん……いやさ、百重さん! 一生のお願いアル!!」
その言葉に彼女は胸を打たれた。
頼られたら断れない。
それが彼女の良いところでもあり、悪いところでもあった。
安請け合いなんてするものじゃあない。そんなことわかっている。
だが、こうして彼女が頼ってきてくれたのだ。何か役立ちたい。
「……任せるべ!」
いつの間にかそう返事をしていた。
この時、彼女は具体的にどうするかなんて考えてもいなかった――。
●天空要塞デスリング
「おっしゃおらぁ!」
「モウ一丁こい!」
「グロロロロ! 踏み込むのであーる! 限界を超えるのであーる!」
「オラアアアアッ!!!」
凄まじい熱気と気迫である。
強烈な肉体と肉体とがぶつかり合う音がリングの上に響き、衝撃となってリングサイドにすら及んでいる。
その中心にプロレス・フォーミュラ『デスリング総統』がいた。
あまたのダークリーガーたちの猛攻をすべて正面から受け止めるのみならず、四方八方から受け止めていた。
本番さながらの気迫で行われるスパーリング。
その苛烈さに百重はビビり散らかしていた。
しかし、ビビってはいられない。
季節は夏。
プロレスにとってはイベントシーズンである。
つまり、興行である。
今回、百重の所属する『物怪プロレスリング』と『デスリング総統』が率いるダークリーガーたちがエキシビジョンマッチを行うことが予定されていた。
その挨拶参り役を百重は任されていたのだ。
飛燕の来訪は渡りに船だったのだ。
「グロロロロ! 挨拶ご苦労であーる!」
額の汗を拭って『デスリング総統』っはリングの上から跳躍して飛燕たちの前に降り立つ。
ずずん、と重たい音を立て彼は膝のクッションすら使わずに降り立っていた。
「あばばば、んだば! 今回の興行よろしくお願いしますだ! これ、つまらねぇもんですけども!」
「挨拶ご苦労である! こうしてご足労結構なことである、グロロロロ!」
そんな二人のやり取りを見やり、天山・睦実(ナニワのドン勝バトロワシューター・f38207)は、はえー、と二人のやり取りを見ていた。
それだけではない。
「あ、壊滅狼デスウルブ! それにあっちは、毒霧蛇ボアレックス!? はえー、ヒール役のよりどりみどりや……!」
『天空要塞デスリング』にて練習に打ち込むダークリーガーたちを見やり、まるで少年漫画に出てくるキャラクターを観るようにはしゃいでいる。
そんなはしゃぐ睦実を百重は肘で小突く。
あ、そうやった、と彼女は思い直す。
そう、彼女が同伴しているのは、ただの物見遊山ではない。
飛燕である。
彼女が『デスリング総統』からサインを貰うためにやってきているのだ。
「飛燕はん、ほら」
「う……」
「ん? 貴様はいつぞやの猟兵ではないか! グロロロロ! こうしてワガハイの『天空要塞デスリング』まで足を向けるとは……今ここで貴様との因縁に決着をつけるであるか!」
四つ腕を唸らせて『デスリング総統』は飛燕を圧する。
それはもしかしたら、と百重と睦実は思っただろう。
飛燕が萎縮しているのを解きほぐすつもりで、いつものヒール役に徹したのではないか、と。いや、そうだと二人は気がついた。
「そうやで! 飛燕はん! 決着や!」
「んだ! 一発かますべ!」
「え、え、アル!?」
「グロロロ! 受けろ、ワガハイの四次元殺法!」
掴みかかろうとする『デスリング総統』に飛燕はとっさにサイン色紙を突き出していた。
ギラリ、と輝く瞳。
いつのまにか彼の掌には朱肉の赤がしっかりと塗られていた。
放たれた張り手は飛燕の手にしたサイン色紙へと叩き込まれ、その手形を刻み込まれていたのだ。
「グロロロロ! ワガハイの一撃を見事受け止めるとは! やるな、猟兵! 否、武蔵境駅前商店街ご当地ヒーロー『緋天娘娘』!」
「わ、ワタシの名前……!」
覚えて、と飛燕は目を見開く。
それはリップサービスではない真の言葉。
そして、サインという名の手形。
普通にサインされるよりも、嬉しい。
そして何よりも『デスリング総統』らしいファンサービスだった――!
成功
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