罪蝕の杯は、月を見上げない
●憐憫の代価
自罰と内罰。
いずれも罪に対する贖いであるところは自らを罰し、内なる罰に耐える者に対しては言うまでもないことであっただろう。
それが鋼鉄の咎。
グレイル・カーディア(穢れた聖杯・f45475)はかつて人類に憐憫を抱いた。
聖なる決闘に参加することのできぬ人間族。
確かに彼らは未熟だった。
だがしかし、百獣族と同じように生きている。
生命があり、知性宿すのならば、聖なる決闘に参加することもまたできるはずだ。
故に人造竜騎の鍛造に手を貸した。
多くの妖精族は人の情を信じた。
何も彼らが不憫だったからだけではない。
垣間見せる善性というものを信じたのだ。だがしかし、妖精族は知らなかったのだ。
人の善性の裏側には必ず悪性が存在していることを。
光あれば影あり。
影あれば光ある。
その理と同じように人間には悪性と善性とが存在している。
揺れる天秤のように不安定なそれ。
人を激情に駆り立てる二つの相反する性質は、いずれもが劇薬そのものであったことだろう。
「それが私の過ち」
呟く言葉は真実だ。
暗闇の中に確かに一筋の光を見た。
それが人の善性であったというのならば、己は光の周囲にある闇をこそ見なければなら勝ったのだ。
悪性という闇。
その闇が己の体を覆っていく。
己が持つ聖杯はすでに数多の百獣族の無念と苦悶とに塗れた。
憎悪と悲哀とに摩耗した。
如何に憐憫の情を解するのだとしても、それが聖杯そのものを穢している。
「それが私の罪」
かつての美しい姿は、もうどこにもない。
泥に塗れるように。
穢に犯されるように。
グレイルの五体のどこにもかつての名残はない。
あるのは罪の人型のみ。
黒く染まった姿が、罰であり罪なのだ。
「この子だけはどうか、どうか……!」
「駄目だ」
「なぜっ、あなたにも子を持つ親の気持ちがわかるはずです!」
「駄目だ」
「……っ!」
言葉は通じない。
あるのは激情のみ。
上に立つ者は、下にある者を踏みつける。
それは当然の権利であり、結果でしかない。他者が存在する限り、上下が生まれる。立場が生まれる。
それはバハムートキャバリアにおいても同様だ。
しかし、百獣族が聖なる決闘によって王を決定したのは、彼らの精神性が優れていたからだ。
遺恨なく全てを決定する。
その裁定者としての王。
聖なる決闘を聖なる決闘足らしめていたのは、百獣族の正しき知性故である。
人間族には、それが欠けていた。
「ああっ!」
悲鳴が聞こえる。
怒号が聞こえる。
明暗が別れている。
血と闇が広がっていく。どこまでも広がっていく。
大地の全てを塗りつぶすような虐殺は、百獣族の全てを殺し尽くすまで留まらなかった。
草の根をかき分けてまでも、というのは比喩だ。
だが、その比喩を比喩ではなく真にした時、人間族はようやくにして止まることができた。
そして、グレイルもまた同様だった。
もはや、恨み言の一つも聞こえない。
静寂だけがグレイルの胸中を満たしていた。
だが、同時に彼女の静寂なる胸の内は、空虚と同義であった。
「罪は消えない。罰は終わらない。奪った生命は回帰しない」
グレイルは夜毎、目を覚ます。
悪夢にうなされ、眠れないのだ。
目の下のくますらわからぬ黒い肌。視界が滲む。
今更だ。
あの時、どうして己は死せる百獣族のために涙一つ流すことができなかったのだろうか。
もしも涙流すことができていたのならば、人間族の激情を一欠片とて止めることができたのではないだろうか。
そう思ってならない。
「……ごめんなさい」
呟く。
謝罪の言葉に意味はない。
結局のところ、これは己の心を慰める言葉でしかないからだ。
だからこそグレイルはふらつく足取りのままに、かつての百獣族の里であった場所へと足を踏み入れる。
在りし栄華などない。
そこにあったのは、ただささやかな日常だけだった。
そのささやかさすら、虐殺の赤と黒とが塗りつぶした荒野に変えられてしまった。
「変えられてしまった、ではないの」
自らもまた手助けしたのだ。
誰かのせいになんてできない。
虐殺の一端を担ったことは間違いないのだ。言い逃れもできないし、するつもりもない。
供えた花は、きっとまた散らされるだろう。
その光景にグレイルは胸を痛める。
「けれど、この胸の痛みすらも、私にとっては」
救いである。
痛みを感じることができるということは、過ちを忘れていないということだ。
己の存在はなんのためにあるのか。
どうして生きているのか。
言うまでもない。
オブリビオンとして蘇った百獣族に贖うためだ。
彼らこそ、この世界の正統者。
だが、今を生きる人間たちには罪はない。
なら、どうするか。
「鋼の咎在りきは、私」
怨恨全てを引き受ける。
それが己の罰。
鋼鉄の咎は、全て己に向けられるべきだと今日も彼女は震える足で災禍の前に立つ――。
成功
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