フリュゲル・デス・ヴァンピールス
●ゴッドゲームオンライン
高く聳え立つ石造りの塔。
白い稲光が明滅する空に星の光はない。
あるのは、影が生み出す城の輪郭。
轟々と響く嵐の音。
そんな切り裂くような雷鳴をよそに城内の豪奢なる一室にて黄昏れているのは、銀髪の絶世の美女であった。
切れ長の瞳は左右で色が異なる。
妖しい眼差しはどこか憂いを帯びていた。
その傍らにあるのは、執事然とした美丈夫であった。
彼は美女の手元に白磁のソーサーに置かれたティーカップを音も立てずに置いた。
主である彼女の思索を僅かでも邪魔立てすることがないようにとの配慮であったことだろう。
彼はゆっくりと湯気立つ紅茶をカップに注ぎ、ようやく彼の主人である女性が視線をゆっくりと己に向けたことを知ると敬愛と慈愛を浮かべる瞳を細めて笑む。
「どうしたものか」
美女――ノックス・シュヴァルツ(ゲームプレイヤーの聖剣士(グラファイトフェンサー)・f43787)は大仰に、けれど気怠さすら感じさせる吐息と共に言葉を漏らした。
主人の懊悩の深さを執事の美丈夫『アイン』は窺うことしかできない。
どんな言葉を尽くしても、主人の悩みには届かない。
「御主人様の御心のままに」
「であるか」
また一つ吐息が漏れた。
ノックスは悩んでいた。
具体的な数字にすれば一ヶ月は悩んでいたように思える。
彼女の悩みは深い。
海よりも深い。
彼女が今眼の前にて立ちふさがる問題を解決するのは難しいことだった。
いや、思い切ることができたのならば、即座に解決できるたぐいの問題であったことは語ることはない。
しかしだ。
ノックスは悩む。
己に問いかける。
――己は何だ?
己は古から君臨し続ける高貴なる吸血鬼である。
その美しさは天上の美。
おいそれ視界に入れることのできない美しさを誇る。
しかして、その本質は残酷かつ無慈悲。
己の名は恐怖の象徴。
夜の女王。
銀の月。
血染めの薔薇。
そう評され、名を呟くことすら人の心を縛り上げる存在。
そんな彼女が今悩んでいる。
悩ませている。
目下のところ、解決策というのは地道な事柄の積み重ねでしかないことを承知の上で敢えて言う。
「――水着が決まらないです……ッッッ!!!」
思わず素が出た。
その美貌からは想像できないほどのびっくりするくら幼い声色。
しかし、隣に控える執事――|霊鬼《グリム》『アイン』は聞かぬふりをして、直立不動であった。
そう、彼女は、ノックスはアバターである。
ここはゴッドゲームオンライン。
空想仮想のゲーム世界。
ゲームプレイヤーであるノックスは、銀髪の美しい女吸血鬼というアバターを纏う。
巷では水着コンテストが催される。
彼女にとってアバターはこだわりを詰め込んだ珠玉の作品であると同時に、己のなりたい自分でもあったのだ。
憧れを投影する。
それを大人は笑うかもしれない。
けれど、自分ではない自分を思わなかった大人などいない。
大人もまたかつては子供だったのだ。
それを幼さで一蹴されたくはない。
そして、このゴッドゲームオンラインであれば、そんな大人はいない。
彼女にとって、この世界はかけがえのないものなのだ。
灰色の現実とは違う虹色の世界。
そんな世界に生きるのならば、理想の己に偽る必要なんてない。
だから、彼女は悩んでいた。
だからこそ、とも言えただろう。
「アイテムストレージが全部埋まるほど水着アイテムを手に入れたのに……水着が決まりませんッッッ」
もう一度彼女は言って項垂れた。
ぱ、と立ち上がりノックスは身を翻す。
するとアバターの衣装が常なるゴシックドレスから大きく布面積を変化させる。
それは所謂水着姿であった。
ワンピースタイプ。
フリルが揺れて可愛らしさを前面に押し出すようであった。
さらに変わるのは競泳水着。
ぴたりとした流線型。その美しさは機能美としなやなか体の美しさを両立さえるものであった。
だがしかし、いずれもノックスにはしっくり来なかった。
「どちらもお似合いです。御主人様」
『アイン』は恭しく一礼する。
杓子定規であったが、その言葉に偽りがないことをノックスは知っていた。
「ええ、ありがとう。でも、違うの……これではない。我が求めるはこれではないのだ」
「ストレージの水着は一通りお試しになられたかと」
「どれも今ひとつ」
そう、こだわらねばならない。
これは一つも譲れないところだった。
だからこそ、ノックスは悩みに悩んでいたのだ。
「……差し出がましいこととは思いますが」
『アイン』は、ストレージに一つアイテムを追加する。
それを見たノックスは瞳を見開く。
それは黒い水着。
夜の闇を思わせる漆黒のレース。
真赤な薔薇の色をもわせる色味。
「愛しき我が眷属が選んだのであれば」
それが最も良いものであろうな、と彼女は『アイン』の細い顎を撫で、褒美を取らせるように笑むのだった――。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴