|出奔《カドワラデル》と|継承《アンブロシウス》
●騎士道
騎士道。
それは人間族が創出した精神である。
人間の凶暴性は抑え込まねばならない。
過去の過ちは消えず、さりとて贖うことはもはやできない。
そう教わる。
己の中にある悪性を律することこそが、己たちの残虐性の犠牲となった|百獣族《バルバ》たちへの弔いである。
祖先の非道は、言葉にしがたいものだった。
今を生きる人間族にはどうしようもないことだ。過去の祖先の過ちを今生きる己たちも背負わねばならないのだろうか?
そう思うこともまたあるだろう。
しかし、それほどまでのことをしたのだ。
悔いること。
恥じること。
それは全て過ちを認識することができればこそである。
故に人間族は騎士道を創出し、戴かぬ王の代わりに平和を護り続けるのだ。
だが、とイウェイン・レオデグランス(狂飆の騎士・f44938)は思う。
「果たして、これは本当に騎士道なのか」
己の思う騎士道。
他者の思う騎士道。
言葉は同じでも異なる。
己はもともと正規の騎士の家の出ではない。
それは騎士の家……連なる家系を背負った者たちからすれば、下に見ることはある種の必然だった。
律する物があれば、序列が生まれ、序列が生まれれば格というものが生まれる。
当然だ。
必然だ。
なぜなら、人間は他者がいなければ自己を認識することすらできぬ生き物だからだ。
故に、上下を区別として認識したがる。
そういうものなのだ。仕方ない。
だが、仕方ないと飲み込んでも喉に支えるものがあることをイウェインは自覚していた。
正直な所を言えば、情も恩もあるのだ。
城主は、己を見込んでくれた。
期待に応えることは喜びに満ちていたし、やり甲斐というもの覚えたものだ。
己の剣が誰かを救う、護ることになるのだということに誇りすら覚えた。
けれど、人と人と同じ場所に暮らす以上、摩擦は生まれるし、軋轢だって生まれる。
かつては見下ろしていたものを見上げることになる感情の名をイウェインとて知らぬものではない。
そうした視線は、痛いほどに己の背中に刺さる。
「……レオデグランス卿!」
「これは」
イウェインは背中から投げかけられた声に振り返り、片膝をついて頭を垂れた。
臣下として城主……新たなる城主となったアスルイス・ダヌイン(神喰の末裔・f45405)に礼を示したのだ。
それを見たアスルイスは慌てて頭を振った。
そんなつもりはなかったのだと。
「レオデグランス卿、そうかしこまらないで欲しい。私にとって貴殿は、師なのだから」
「いつまでも従騎士のように扱うのは示しがつかないでしょう。殿下……いえ、陛下」
あくまでうやうやしい態度を崩さないイウェインにアスルイスは苦笑いを浮かべるほかなかった。
彼との間柄は、師と弟子の関係であった。
であった、と過去形になるのは、アスルイスがバハムートキャバリアの一地方、エルロンド地方にある湖畔に建つ白亜の城の主となったからである。
アストラト城。
その主が今まさにイウェインが膝突くアスルイスなのだ。
だが、彼は構わずイウェインに一歩近づく。
生真面目な男であることをイウェインは理解している。
真っ当な男だ。
それは評価している。
幼少期から知る騎士であるし、恩義ある者の息子である。
「かつてのように、|坊《ぼん》と呼んで欲しい」
そう呼んでいたことは懐かしい。
あの頃は良かったな、とイウェインは気楽さを思い出すようだった。しかし、昔日は過ぎ去り戻ることはない。
どうやっても、戻っては来ないのだ。
新たなアストラト城の城主となった彼は、かつての『坊主』ではないのだ。
一人森に残されてべそをかいていた子供でもなければ、騎士の鍛錬に励み、額に汗していた青年でもない。
一人の君主として一人で立つ男なのだ。
ならばこそ、イウェインは、いつまでも過去のようにはいられないことを自覚していた。
アスルイスにだって、その自覚はあるだろう。
だが、どこか甘えがあるように思える。
そんな彼を支えることもまた恩義に報いることなのだろうとは思う。
だが、本当にそうだろうか。
「陛下、それは」
「駄目だと申すのだろう? 分かっている。だが貴殿を兄と慕ったことは確かなんだ。それはこれからも変わらない。だから」
アスルイスは純粋にそう思っている。
こんな己を兄と慕うこと。それは事実だろう。紛れもないことだ。
その気持自体は嬉しい。
弟がいたのならば、きっとこんな具合なのだろうと共に過ごす日々だった。
しかし、状況は変わっていく。
時は逆巻くことはないし、停滞は許されない。
否応なく、時間と共に変わっていく。
不変などないのだ。
だからこそ、イウェインは言葉を飲み込んだ。
言ってはならないことだ。ここで己が彼を甘やかせば、己以外との間に要らぬ軋轢と摩擦を生み出す。
人と人とが関わる以上、それは避け得ぬことだ。
わかっている。
だが、不要なものだってあるのだ。
なければないほうがいい。
人の感情は、その奥底に激情を秘めている。
全てが一辺倒で同じであったのならば、御しやすいものかもしれないが、人それぞれ異なる。
故に、人は嫉妬や憎悪と言った激情に狂う。
「ですが、ご自重ください。陛下」
その言葉にアスルイスは僅かにショックを受けているようだった。
だが、それでも恩義があるからこそ、突き放さねばならない。
彼のためにならない。
故にイウェインは立ち上がる。
「……わかった。イウェイン兄、いや、レオデグランス卿」
「痛み入ります」
交わした言葉は無味無臭だった。
けれど、これでいい。
互いに理解するところだった。
立場は、人を縛り付ける。
そして、また変えてもいくのだ。ならば、その変化を拒むことも、受け入れることも、人の変化の証なのだ。
時にそれは成長とも呼ぶだろう。
これでいいのだと互いに理解したのならば、きっと何一つ間違ってはいないのだろう――。
●在りし日
「坊! そんなに早駆けしたところで間に合わないぞ!」
イウェインは、あのやんちゃ坊主! と内心毒づいていた。
やんちゃ坊主ことアスルイスは笑って駆る馬と共にイウェインの前に躍り出ていた。
「ハハハ、そうは言っても! 急がなければ父上に叱られてしまう! イウェイン兄も連帯責任で叱られるのは嫌だろう!?」
早朝。
イウェインはアスルイスに強請られて狩りに出ていた。
と言っても、獲物を得たわけではない。
なんと言えば良いのか。
狩りは口実みたいなものだった。
単純にアスルイスは、その立場上、親しくできる者が限られていた。
そうした中で、イウェインの気安さというものが、一種の救いにも癒やしにもなっていたことは言うまでもない。
ただ一緒に何かしたかっただけなのだ。
とは言え、城を無断で抜け出してのこと。
城主である父に知られれば、面倒なことになるのは言うまでもないことだった。
本来ならば断るべきである。
しかし、イウェインは彼がこれから父親の跡を継いでアストラト城の城主となるのならば、硬さ、というのは強みになる一方で弱みにもつながることを理解していた。
少なくとも、かつての百獣族との大戦跡に建てられた城においては、ことさらに、だ。
百獣族たちは過去より蘇る。
それは過去の人間族の過ちを糾弾するものだ。
とは言え、それを受け入れることはできない。
例え、祖先が犯した過ちが、謗られるものであったとしても、だ。
今を生きる者が贖罪として滅びを受け入れることはできない。
だからこそ、己たちは正々堂々たる戦いをもってこれを打ち破らねばならないのだ。
加えて言うのならば、アストラト城は人間にとっては勝利と繁栄の象徴であっても、百獣族にとっては同胞の屍の上に咲く腐生花でしかないのだ。
だからこそ、硬さだけでは救えぬものがある。
時には柔らかくも受け皿として備えねばならない。
そういうもなのだ。
立場が人を形作るというのならば、きっとそうなのだ。
だからこそ、彼――アスルイスは城主として立たねばならない未来がある。
それはその身を雁字搦めに縛るものであったかもしれない。
宿命と呼ぶにはあまりにも過酷な道程であるかもしれない。
さりとて、避けることはできない。
であれば、己ができることはなんだろうかとイウェインは思う。
「叱られるのは嫌ですがね、下手すりゃこれは打首ですぜ」
「はははっ、そんなことを父上がするわけがない。せいぜい、懲罰房くらいなものではないか?」
「それもできれば避けたいんですがねぇ」
「差し入れは何がいい!」
「もう懲罰房は確定なんですね。やってられないんだが?」
「そう言うな。これも誘いに乗ったイウェイン兄と、誘った俺も悪い!」
が、立場が罰を軽くする。
どうしようもないことだ。
それをうすうすと彼も理解している。
「なら、俺だけでも間に合わせますかね!」
「あ、ずるい!」
それはまるで羽撃くような一騎懸けだった。
風のように速く、軽やかで、鳥よりもずっと伸びやかに走るイウェインの背中をアスルイスは見ただろう。
あのように自由にどこまででも走っていけたのならば、どんなに良いだろうか。
そう思わずにはいられない。
自分にはできないことだ。
アストラト城は確かに象徴だ。
平和であり、繁栄もしている。
豊かさというのならば、その通りなのだろうとさえ思える城下町の光景を知っている。
だが、同時に重石なのだ。
アスルイスにとっても、イウェインにとっても、だ。
だからこそ、羨ましく思える。
時に全てを打ち捨ててでも羽撃くことのできる彼の自由さが。
眩しくもある。
羨むこともある。
けれど、それがそれ以上にねじ曲がることがない。
アスルイスは知っている。
これは結局のところ、憧憬でしかないのだ、と。
己には己の。
彼には彼の。
宿命というものがあって、天命というものがある。
なら、とアスルイスは早駆けする師であり兄と思う彼の足枷になってはならないと思ったのだ――。
●出奔
「征くのか、レオデグランス卿」
その言葉に振り返った。
後ろ髪引かれる、ということはないような晴れやかな顔をしている。
イウェインは頷いた。
なら、とアスルイスは引き止めないことも知っていただろう。
彼の出自は、アストラト城に有る古参の騎士たちにとっては面白くないものであった。
先代城主であるアスルイスの父親が目をかけた騎士。
それがイウェインだ。
立場は人を形作る。
それはどうしようもないものだった。立場とは即ち、他者の視線だ。
その視線が輪郭を作り、いつかは人を縛るものになる。
このアストラト城ではイウェインは窮屈そうだった。
別に彼を物理的に縛ることはできない。
彼を縛ることができるのは、やはりいつだって人の恩義と思惑とであった。
「ですが陛下、よかったんですかね」
「何がだ」
「いや、これですよ、これ」
イウェインは肩をすくめて、己の隣に立つ人造竜騎を指差す。
グリフォンキャバリア。
騎士の中においても卓越した技量を持つ者にしか扱えぬ人造竜騎。
その中でも『|狂飆《きょうひょう》の|獣竜《グリフォン》』と呼ばれた『カドワラデル』は殊更に扱いの難しい人造竜騎であった。
さらに言えば、二つ名を持つ人造竜騎。
アストラト城においても特別視される機体であるところは、アスルイスも知るところであった。
これをイウェインは下賜されたのだ。
そのことで、城内は騒然としたことは記憶に新しい。
古参でもない、新参。
それも騎士家系でもない者への下賜。
波紋が広がるのは火を見るよりも明らかであったことだろう。
だが、新たに城主となったアスルイスは構うことなくイウェインへと『カドワラデル』を与えた。
しかも、これから出奔しようという騎士に対して、だ。
「諸国を巡る旅に出る騎士に、何も与えぬというのは城主としてどうかとは思わないか?」
「いやでも」
もっと別の騎体でもよかったのではないかとイウェインは思った。
「どのみち、貴公ほどの騎士でなければ扱えぬ騎体だ。持て余すより、活用させた方がよい、とは思わないか?」
「それって、体の良い厄介払いというやつではないですかね?」
「ははは」
イウェインは、半眼になってアスルイスの笑い声を聞いた。
冗談とも本気とも取られるような物言いは、頑固一辺倒ではないことを知らしめるようだった。
よく柔軟な思考ができている、とイウェインは出奔する身ながら、そう思ったかもしれない。
「師がよかったのでな」
「似てほしくないところまで似てしまったのは、失策だったと言われかねない物言いはよくないですな」
「違いない。だが、これも私だ。貴公という師を得て、形作られた私という者だ。師の薫陶というのは、思いの外、影響を大きく及ぼすものだ」
「そうかもしれませんがね。あ、俺に全部責任押し付けようとしていませんか?」
「手柄は全部私のものだがね」
「言うようになったじゃあないですか」
こんな物言いは、と一瞬イウェインは思ったが、もう出奔する身だ。
気にする必要もないのかも知れない。
朝日を受けて輝く人造竜騎。
それを見て、イウェインは共に城を抜け出して出かけた日のことを思い出した。
あの時は、アスルイスの我儘だった。
けれど、此度のことは己の我儘だ。
思い出に浸るのは僅かな時間。
呼気が一つ漏れる程度の時間でしかないが、万感の思いが込み上げてくるのを止めることはできなかった。
もう決めたことだ。
「それでは、陛下。暇を頂きます」
「許す」
短いやり取り。
そもそも、出奔する騎士を見送る君主がいるだろうか。
いないだろう。
けれど、それはここまでだ。
城主と騎士。
その間柄は、今終わりを告げた。
そして、残されたのは僅かな師であり兄である者への手向け。
「そんな顔をするなよ、坊」
イウェインは、笑ってアスルイスの頭に手をおいた。
くしゃくしゃと髪を乱すように撫でて、イウェインは、やはり笑ったのだ。
「イウェイン兄……」
「別に死に別れるわけではない。今生の別れというわけでもない。お前さんはこれからもちゃんとやっていける」
できないわけがない。
イウェインはそう思う。
先代城主の血筋なのだ。
血が全てだとは思わない。けれど、血脈が紡がれてきたように、きっとその精神もまた受け継がれているのだと思う。
アスルイスはまだ若い。
若いが、それでも城主として立つには遅い速いはない。
いつだって、男は立つ時こそが独り立ちの時なのだ。
ならばこそ、イウェインは己という支えは不要であると思ったのだ。
まあ、己が出奔する理由はそれだけではない。
己の存在が彼の政治に影響を及ぼすのはしのびない。
此処が離れ時なのだ。
「では、これにて」
イウェインは『カドワラデル』の手に乗り、コクピットに収まる。
見上げるアスルイスの瞳を見た。
そこに不安はなかった。
あったのは、旅立つ己の背中を見送る騎士としての返礼のみ。
「ふ……」
気取ったことを、とイウェインは思った。
そんなにかしこまることをしなくても良いのに、と。
どこまでも硬いのだな、と。
それは彼のたくましさだったのかもしれない。もしかしたら、弱さというものだったのかもしれない。
けれど、それも今日で終いだ。
これからの日々を彼は生きて行く。
己とは異なる道を歩んでいく。
それは寂しさではなくて、誇らしさだ。
またいつか、と思える日がある。
それだけで別れには十分だった――。
●風はどこまでも征く
飛び立つ『カドワラデル』の背を見やる。
あの人造竜騎は風のように、もうその機影を遠くした。
風がアスルイスの頬を撫でた。
「……」
己の手で頬を叩く。
じんじんとした痛みが走るが、涙は引いた。
これでよかったのだ。
己の立場はあまりにも重たい。
そして、その重たさは周囲にある者に足枷をするものだった。
だからこそ、イウェインは囚われてはならないと思った。
あの風のように自由に、気高い精神は、この城だけに留めておくには、あまりにも酷だった。
広く、広く誰かを助けるためにあるべきだと思ったのだ。
表向きは出奔である。
それは彼が望んだものであったし、それに周囲の騎士たちが納得しないだろう。
所謂硬い、と目される重鎮たちにおいては余計に、だ。
そうした軋轢を嫌うのもわからないでもない。
だが、それとこれとは話は別であると思うのだ。
正しき行いには、正しい報いを。悪しき行いには、悪しき報いを。
そうであるべきだと思うのだ。
それが正しい世のあり方だ、と。
故に、だ。
アスルイスとしては、諸国巡礼の、と名分をと思ったが、それも拒否されては仕方ない。
臣下たちには、そういい含めてはいるが、やはり出奔として捉えられるだろう。
それは彼の名に傷がつくことだった。
「だが、当人がまるで気にもしていないのだから、仕方ないな」
そう、イウェインはまるで気に留めていない。
むしろ、誇らしげに己が傷を示すだろう。
勲章だと言うように、だ。
それだけの自由さ、豪胆さが羨ましくもある。
「だが、私もやらねばならない」
彼が己の立場故に、自身の立場をおもんばかったのならば、それに応えねばならない。
踏み出さなければ、安寧の中にいることもできただろう。
だが、それを振り切ってでも飛び出していく気高さがあった。
報いるためには、己はこの重石のような立場に押しつぶされないようにしなければならないのだ。
先祖が犯したのが大罪ならば、先祖が成した平和と繁栄もまた抱えねばならないのだ。
きっと己の子々孫々もまた同様だろう。
だからこそ、なさねばならない。
弱音は吐かない。
それは師であるイウェインから教わったことなのだ。
「……神喰の白竜『アンブロシウス』……最古の人造キャバリアの一騎」
継承せしもの。
これからだ。
見上げる騎体にアスルイスは誓う。
その様をイウェインが見れば、また生真面目に肩がこわばっている、と茶化したかもしれない。
懐かしくも思ってしまう。
もうそんなことはないけれど。
それでも風に思う。
あの風は自分を置き去りにしたのではない。
己の背中を推してくれたのだ。
であれば、応えよう。
それが君主というものだ。
青い瞳は、朝焼けに染まる。
流れる金色の髪は風になびいて、けれど、どこにも往かない。
己の戦場は此処である。
一歩も動くことがない不動なれど、それでも過去より蘇りし百獣族たちと今を賭けて決闘に挑む騎士。
その生き方を教わったのだ。
「征こう――」
成功
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