夏色スプラッシュ・バケーション
●夏!
季節は巡る。
いつだって時の流れというのは人の都合というものを一切考えてくれない。
むしろ、そうであるべきだとも思えるけれど。
黒影・兵庫(不惑の尖兵・f17150)は、あれ? これ前にも似たようなことを考えたな、と思い至る。
あれはいつだっただろうか。
それとも季節が巡る度に同じことを考えているのかもしれない。
であれば、それは少しばかり苦笑いするものであった。
たいてい、こうしたことを考える時は……と考えていると、自分の隣に影が落ちる。
見上げれば、そこには播州・クロリア(踊る蟲・f23522)がいた。
自分も成人男性の平均身長はあろう体躯を持っているが、それよりもさらに大きなクロリアは、この夏の日差しを受けて大きく自身に影を落としていた。
ここは故郷の島。
秘匿された絶海の孤島である。
季節は夏。
しかし、彼らがやってきていた海岸の人影はなかった。
夏休みシーズンであるというのに、少しも人がいないのだ。これもまた秘匿された場所であるという証明であろう。
そういう意味では、プライベートビーチ、と言っても差し支えないのではないかと兵庫は思う。
頭の中で教導虫が「そうかしら?」と首を傾げているが、似たようなものだと思う。
けれど、彼女がそういうのならば、まあ、間違いなのだろう兵庫は思った。
そんな思考とは裏腹に、兵庫の視線は眼の前の海岸に釘付けだった。
「はぁ~やっぱり何度来てもこの景色は溜息が出る程綺麗だなぁ」
まるで絵画である。
積乱雲が高くモクモクと立ち上がっている白。
どこまでも広がる青。
海の青との境界線に滲む色合いと白浜の美しさが、まるで絵の具で描いたようだった。それほどまでに兵庫はこの景色が綺麗だと思ったのだ。
人の手が入っていないせいもあるのだろう。
手つかずの自然はいつだって、人知を超えた美しさを人の瞳に示すものだ。
「あにさん、感動しているところ悪いとも思っていないのですが、早くビーチテントの設営、手伝って下さい」
クロリアの言葉で一気に現実に引き戻される兵庫。
あのさぁ、と一つ文句でも言いたくなった。
けれど、兵庫はクロリアの言葉に首を傾げた。
「ビーチパラソルじゃなくて?」
そう、浜辺と暮ればビーチパラソルである。
あとビーチチェア。
そういうものだという固定観念が兵庫の中にはあった。テント、というのはどうにも結びつかないのだ。
「はぁ~……」
でっけぇ溜息である。
クロリアは兵庫をハート型のサングラス越しに見下ろす。いつのまにそんなお洒落でパリピな雰囲気のサングラスを購入していたのだろうか。
「あにさん。いいですか。時代はビーチテントです。ラグジュアリーでポップな雰囲気を楽しむために必須アイテムですよ。浜辺の」
「いやいや、嘘だぁ。だって、テントなんて中に熱がこもっちゃうし……」
「見て下さい。これを」
クロリアが示したのは、通常のテントとは異なる形ものだった。
普通、テントと言えば、ピラミッド型のような形が一般的である。
しかし、クロリアが示したビーチテントはドーム状だった。
そして、砂浜に接する面は僅かに隙間ができているし、吹き抜けのように風の通り道ができているのだ。
「あれ? 風通しがいいんだ?」
「そうなんです。これなら日陰も作られますし、パラソルみたいに風に煽られて飛んでいく心配もないのです」
むふん、と胸を張るクロリア。
だが兵庫は懐疑的だった。
「本当に大丈夫かなぁ……まあ、いいけど。しっかし、今や砂浜でえもテントを張る時代なんだなぁ」
しみじみと時代の流れというものを兵庫は感じる。
彼も今年で24歳になる。
まだまだ現役そのものである。しかし、自分よりも年若い者を相手にしていると、どうしてか自分がひどく年を取ったように思えてしまうのだ。
そういう年代なのだと言われたら、それまでである。
ちょっと背伸びしたいと思っていた青年期から、実際に大人にカテゴライズされると、どうしても青年自体から乖離したように思えてならないのだろう。
それを世代差、ギャップとして感じてしまうのだ。
しかし、そんな兵庫にクロリアは構わず告げる。
「何をおじさんめいたことを。今やレジャーにテントは必要不可欠な存在ですよ」
「う”……いや」
「でましたよ。すぐに言い訳を見つけようとするんです」
「だって」
いや、だって。
着いて出てくる言葉はいつだって、そういう言葉だ。
クロリアの言う通りだった。
どうしてだか、言い訳を探してしまう。
自分と他者との違いというものにたいして、理解依りさきに言い訳が着いてでてしまう。
「猟兵やってると戦闘ばかりでどうしてもね?」
「私も猟兵ですよ、あにさん」
「それはそうだけどさ」
遊びたい盛のクロリアといっしょにされては叶わないとばかりにビーチテントの骨組みを組み立てながら兵庫は息を吐き出す。
猟兵と言えど、休みは必要である。
そもそも、猟兵は自らの意志で事件に介入する。
そういう意味では、毎日が戦いばかりだということもないのである。そういう所をクロリアに突かれると兵庫はどうしても弱くなってしまう。
「なので、しっかり遊びを身につけて行きましょう。素敵な大人っていうのは、遊びもこなしてこそ、と言っていました」
誰がそんなことを言っているんだろうと兵庫は思ったが、ここで反論したってしかたないことは、これまでの経験則で理解している。
骨組みを組み立てて、ビーチテントを設営する。
これだけでなんだかとっても疲れた気分になる。
「はぁ……まあ、ほどほどにね?」
「えぇ、ほどほどに。設営も完了しました。じゃあ遊ぶぞー!」
クロリアは一つ伸びをして、パーカーを投げ捨てた。
下には水着を身に着けていたのだ。
気が早い。
というか、準備万端すぎる。けれど、兵庫はクロリアの手を掴んだ。
「ちょっと待った。クロリア、日焼け止め塗っておかないと!」
そう、今年の夏も猛暑らしい。
日光の強烈さは言うまでもない。
熱中症対策として、日焼け止めっていうのは大切なものだ。たかだか日焼けと馬鹿にもできない。
言ってしまえば、肌の火傷みたいなものだ。
見栄えの問題ではないのだ。
「夏の日差しに負けるような柔な肌ではありませんよ!」
「いや、そういう問題じゃあないんだって」
「まぁあにさんおお心遣いを無下にするわけにもいかないので、はいどーぞ」
クロリアは兵庫の前で背中を向けた。
流れるような仕草だった。
さっきまで日焼け止めを否定していたとは思えないほどにスムースにクロリアは兵庫に背中を向けていた。
白い肌。
これがこんがりと焼けることを防ぐための日焼け止めだということは理解している。
けれど、あまりにも速い変わり身である。
こういう甘え上手なところがクロリアの強みなのかもしれないな、と兵庫はまた一つ嘆息して、日焼け止めオイルを手に取る。
「ちょっと待って。オイルを温めるから」
溜息をつきながらも兵庫はなんだかんだでクロリアに甘いのである。
手に取ったオイルを掌にて馴染ませながら体温で僅かに温める。
「はい、背中丸めておいて」
「は~い……ひゃん!」
「あれ、冷たかった? 十分温めたつもりだったんだけど」
「せ、せめて合図くらい欲しかったんですけど?」
「甘え上手とは言え、そこまでは甘えすぎ」
「でもでも、甘やかしてくれる素敵なあにさんですよ?」
調子いいこと言って、と兵庫は息を吐き出して、クロリアの背中にオイルを塗り込んでいく。
滑るような感触。
肌と筋肉、そして骨格。
クロリアの背中にしっかりと塗り込んだ後は、兵庫はオイルをクロリアに手渡す。
「前は自分で塗りなね。さて、俺は……っと!?」
クーラーボックスから飲み物を、と立ち上がろうとした兵庫はクロリアに手を掴まれてマットの上にうつ伏せに倒されてしまう。
「おわっ……危ないじゃないか、何……」
するんだ、という言葉はクロリアの笑みに消えた。
「え、なに……? ほんとに何!?」
「はい、今度は私が塗る番ですよ」
にこりとした笑み。
兵庫は頭を振った。
「いや、俺はいいよ」
なんか怖い。
「あにさんが言ったんです。日焼けを舐めるなって」
「言ってない! 塗らないと、とは言ったけど!」
「それにあにさんが日焼け止めを塗らないと、私一人で海で遊ぶことになります。一人ぼっちです。さびしんぼうです。まさか、女児一人で海で遊ばせるおつもりですか? 子供は静かに溺れるんですよ? 保護監督責任放棄ですか?」
「つらつら出てくる」
そういうわけです、とクロリアはオイルを手に取る。
とりすぎである。
明らかに両手が粘液で覆われているほどに大量にクロリアはオイルまみれなっていた。
「多い! いや、オイルは自分で塗る……」
「これは私の全身で塗れば一気に塗れて時短なのでは?」
「わ、ばかっ! やめろ! うひゃひゃひゃ! くすぐったい!? ちょやめ!」
問答無用であった。
クロリアの体躯と兵庫の体躯。
抑え込もうとうすれば、容易いものである。
背中にのしかかられて両手と体を使ってのオイル攻撃に兵庫はマットの上で暴れる。
しかし、その暴れる手足も簡単に抑えられてしまう。
まるでくすぐり地獄である。
「あひゃ、はあ、ひゃっ!? マジでくすぐったうははははっ!?」
「あにさんは柔肌なので丹念に」
「ばかやめ! ほんとにくすぐったくて息できないっ!」
「はい、もう少しですからね~」
「あはははははっ!!!?」
もう笑いすぎて苦しい。
オイルの感触だとかなんとかではない。
くすぐったくて、悶えるように兵庫はマットの上でしっかりと丹念に塗り込まれて、ぜぇぜぇ息を切らす。
「ふぅ、これで終わりです。しかし、あにさん」
クロリアはしっかりとオイルを塗り終わった兵庫を見下ろして満足げである。
「こういったやりとりは何度目ですか。私に何かしたらそっくりそのまま返される。いい加減覚えるべきかと」
「はひ……どう考えても倍返しどころじゃない感じでやられてるんだけど……」
「そうですか? 私は大真面目なので」
ふんす。
クロリアは胸を張る。
そういうところだけ大真面目でも困るんだけどなぁ、と兵庫は思わずにはいられなかった。
「覚えて未然に防ぐのってあり?」
「なしです。なしなしのなしです」
「そこまで!?」
「そういう小賢しいのはあにさんには似合いません。なので、いつまでも私にやり返されて下さい。そういうものです、兄とは」
「えぇ……」
兵庫は困惑するしかない。
毎度のやりとりとは言え、クロリアのこういうところには手を焼かされている。
妹として、と彼女は言うが実際の兄妹ってこんなものなのだろうかと思わずにはいられない。
そんな兵庫の悩みを見透かすようにクロリアはまた胸を張って兵庫の手を取って立ち上がらせた。
「兄は妹を可愛がるもの。逆も然り。これは世の定めであり、抗うことは不可能なのです」
「不可能なのか」
「そういうものです。さ、オイルは塗り終わりましたので……」
ひょい、と兵庫の体をクロリアは抱えた。
一瞬であった。
あまりにも軽々と持ち上げるものだから、兵庫はまたオイルを塗られた時のくすぐりを警戒して見を固くしてしまった。
けれど、不意に視界が太陽の光に照らされて白く染まる。
「うっ……」
「海だー!!」
兵庫を抱えたまま飛び出したクロリアは砂浜を蹴って海へと一直線に走る。
踏みしめた砂が飛ぶ度に揺れて、波打ち際が迫る。
ばしゃん、と波を蹴る音がして、クロリアが大きく跳躍する。
「抱きかかえたまま連れて行かないで! 歩ける!」
「一緒に海にダイブするので聞けません! うぉー! ざっぶーん!!」
勢いよくクロリアは兵庫ごと海へと飛び込む。
盛大な水しぶき……ならぬ水柱が海面に立ち上る。
兵庫の悲鳴が僅かに消えたが、海面に吸い込まれてしまった。
「ぶはっ!」
海面から顔を出して立ち上がる。
まだ足が付く場所でよかった、と兵庫は心底思った。
海水を僅かに飲み込んでしまったため、吐き出しながら兵庫はクロリアを、きっと睨めつける。
「冷たいし、海水飲んじゃったし、にゃろぉー! もう怒ったぞ! うりゃ! うりゃ!」
掌いっぱいに海水を掬って、クロリアへとかける。
その一撃を受けてクロリアは笑っていた。
嬉しそうに笑って水しぶきを避けようとするが、逃げられるものではない。
「ぶわははは!」
水しぶきを受けながら、クロリアは盛大に笑い胸を張る。
「あにさんの水掛けなど、この私には通用しません! いいですか、あにさん! みずかけとは!」
クロリアは僅かに身を掲げて海面へと両手を差し込むようにして沈ませ、まるでちゃぶ台をひっくり返すように海水を兵庫の頭上から降り注がせるのだ。
兵庫の手とはまるで違う水かけ。
もはや、水しぶきではなく、水塊である。
それが兵庫の頭上に注げば、前進ずぶ濡れである。いや、海に飛び込んだ時点でもうずぶ濡れなので厭う必要なんてないが。
「うぼぉぁ!? なんつー水量!」
たまらないとばかりに兵庫は海中へと飛び込む。
海中ならば水かけなど問題ではない。彼女の足元まで接近して引きずり倒してやろうというのだ。それにここは海だ。倒れ込んでも怪我の心配はない。
「足元っ!? うひゃあっ!?」
クロリアの体が背中から仰向けに倒れ込み、飛沫が飛ぶ。
「どうだ! 兄に勝てる妹などいないんだよ! わはははっ、ぶばっ!?」
高笑いする兵庫の顔面にとんでもない水圧の水鉄砲が炸裂する。
クロリアが両手を合わせて海水を発射したのだ。
その圧力は兵庫もまた仰向けに倒れ込ませるほど圧力だったのだ。
そんな風にして二人は遊び疲れて、浜辺に倒れ込む。
この海岸はあまりというか、ほとんどゴミがない。
綺麗に掃除しているものがいるとも思えないが、クロリア曰く、特殊な海流のせいで海洋ごみがあまり漂着しないのだという。
小学校で習ったでしょ、という言葉を兵庫は聞かないふりをして、きれいな巻き貝を手にとって誤魔化した。
これもまた兄の処世術というやつである。多分違うけど。
「それにしても、遊んだなぁ」
「夕焼けが綺麗ですもんねぇ。焚き火も許してもらえるなんてありがたい話です」
二人は焚き火を囲んで夕日を眺めていた。
棒に刺した魚が焼けていく匂いが、遊び疲れた胃袋を刺激してやまない。
「それにしても魚、どこで買ってきたの?」
釣り竿もなかったし、釣りをしている様子もなかった。
「素手で」
「えぇ……」
嘘でしょ、と兵庫は戦慄しながら、焼き上がった魚を加えて、夜の帳の落ちた空を見上げる。
そこには満天の星空。
プラネタリウムよりも贅沢な夜空に一条の光が流れ落ちていく様に二人は声を上げる。
それはきっと夏休みを満喫した証明であった――。
成功
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