1
サーマ・ヴェーダは恋慕を星空に

#クロムキャバリア #ノベル #エルネイジェ王国

タグの編集

 現在は作者のみ編集可能です。
 🔒公式タグは編集できません。

🔒
#クロムキャバリア
🔒
#ノベル
#エルネイジェ王国


0



メルヴィナ・エルネイジェ
メルヴィナが改めて婚約破棄しに行き、嫁ぎ先の男に襲われ、ルウェインが助けに来るも時既に遅く、純血を悲劇的に散らしてしまうノベルをお願いします。

●第二皇女

メルヴィナが正式な王族となってもう数年。
持つ影響力は政治的にも、軍事的にも、日を増すにつれて大きくなってきました。
実質的には第一皇女以上だという声も上がるほどです。

●婚約問題

そんな矢先に議会での議題に挙がったのは、メルヴィナの婚約問題でした。
本来なら戴冠式を経た後、隣国の有力者(プラントを多数保有しているなどのレベル)と正式に婚姻を結ぶ筈でした。
しかしメルヴィナが一方的に婚約を破棄して戻ってきてしまったため、問題は宙に浮いたままになっていました。
しかし婚約破棄は正式には承認されておらず、依然有効なままです。

●エルネイジェ王国政府の思惑

王国政府はメルヴィナを嫁がせる事を代価として、隣国のプラントの運営権を含めた様々な利権を得る筈でした。
これは国全体の利益のためでもあり、国民生活にも影響を及ぼすほどの政策です。

●相手国の思惑

相手国も同様に、メルヴィナを娶る事でエルネイジェとの関係をより密にする狙いがありました。
海洋利権を得て、雇用と経済に大きな効果をもたらす事も期待していました。

●絶対無理

しかしメルヴィナは心に決めていました。

「私は嫁がないのだわ」

メルヴィナは自分が婚約を拒否できるだけの力を持つ事を自覚しています。

「そもそも彼は私を愛していなかったのだわ」

●重要政策

ですが政府はメルヴィナに嫁ぐ事を強く求めました。
王国を発展させるための重要な政策だからです。
マスコミ各社の報道も加熱していきます。
王室側とアイディール家などの一部政治派閥は、メルヴィナを擁護していました。
しかし、市民はメルヴィナに王族としての役割と責任を果たすべきという世論に傾向していきました。

●決心

耐え兼ねたメルヴィナは決心しました。

「今度こそ婚約破棄をしっかり突き付けるのだわ」

そしてまだ少女だったあの時と同じように、嫁ぎ先の元へと連れられていきました。

「もうあの時の私じゃないのだわ」

●見送る事しかできない

メルヴィナは嫁ぎ先に行く前にルウェインに言いました。

「あの日終わらせられなかった事を終わらせて帰って来るのだわ」

そしてこの時、ルウェインは初めての感情を抱きました。

「この悔しさは……俺は傲慢で恥知らずにも、メルヴィナ殿下を誰にも取られたくないと思ってしまった……」

メルヴィナを乗せた車を、ルウェインはただ見送る事しかできませんでした。

●嫁ぎ先

久々に見た夫になる筈だった相手は、あの日の頃と比べて随分と大きくなっていました。
冷ややかな対応も一変し、メルヴィナを手厚く歓迎します。
ですがメルヴィナは無言で歓待を受けました。
そして心の中で決意を固めました。

「今夜はっきりと婚約を破棄するのだわ。政治とか、外交とか、そんなのは知らないのだわ。無理なものは無理なのだわ」

●悲劇の夜

祝宴の中、メルヴィナがずっと無言を貫いていました。
その夜、寝室で婚約者と二人きりになったタイミングを見計らい、メルヴィナは切り出しました。

「私はあなたと結婚するつもりなんて無いのだわ。抱かれるつもりもないのだわ。今日私が来たのは、あなたとの婚約を破棄するためなのだわ」

すると婚約者はメルヴィナをベッドに押し倒しました。
メルヴィナは抵抗するも逃れられません。
婚約者の力は想像よりもずっと強かったのです。

そして婚約者は言いました。

お前と結婚するのは愛しているからではない。
政治の取り決めだ。
両国間で結ばれた契約通りに運命を受け入れろ。
そして俺は力を付けて、この国で高みへ登る。
既成事実を作ってしまえば、お前の拒絶も無意味になる。

服を引き裂かれたメルヴィナは、彼の名前を呼んで助けを求めました。

●ルウェイン緊急出動

その頃、ルウェインは眠れない夜を過ごしていました。
そしてそれは突如起こりました。
海竜の大剣がひとりでに暴れ始めたのです。

「これは……まさかメルヴィナ殿下の身に何か!?」

すると海竜の大剣は刃で矢印を示しました。
その矢印に従って海竜教会の神殿へと向かうと、大変な騒ぎになっていました。
リヴァイアサンが怒り狂ったかのように暴れていたのです。
シスター達に事情を聞くと、つい先程から突然こうなったと告げられました。

「大海の竜帝よ! どうか静まりたまえ!」

ルウェインは落ち着けようとします。
するとリヴァイアサンは急に動きを止めました。
そしてコクピットを開きました。

「搭乗せよという思し召しなのか? やはりメルヴィナ殿下の御身に……しかしそこは……」

リヴァイアサンのコクピットはメルヴィナだけに座る事が許された聖域です。
ルウェインが躊躇っていると、リヴァイアサンは急かすような怒りの咆哮を上げました。
ルウェインはメルヴィナに危機が迫っている事を悟り、リヴァイアサンに乗り込みます。
すぐにリヴァイアサンは凄まじい勢いで泳ぎ始めました。

●強襲揚陸

隣国の砂浜に乗り上げたリヴァイアサンは、コクピットからルウェインを吐き出しました。
ルウェインは海竜の大剣が示す矢印の先に向かって全力疾走します。
すると大きな屋敷の前に辿り着きました。

「メルヴィナ・エルネイジェ第二皇女にお目通り願う!」

ですが守衛に止められてしまいます。
そこで突然、海竜の大剣から水が溢れ出し、守衛を押し流してしまいました。
ルウェインには、もうメルヴィナ以外の事を考えている余裕などありません。
門を叩き切り、扉を蹴り破り、屋敷の中へ猛然と突入しました。
進む道は海竜の大剣が示してくれました。

●時既に遅し

「メルヴィナ殿下!」

とある部屋の扉を開いたその時です。
目の前の光景に、ルウェインの頭の中は真っ白になりました。
そこには、組み敷かれているメルヴィナと、それに覆いかぶさる男の姿があったからです。

「ルウェイン……助けて……」

メルヴィナが腕を伸ばし、か細い声でルウェインの名前を呼びました。
シーツからは、赤い液体が滴り落ちていました。
ルウェインは全身の血が沸騰し、頭の中が火山のように爆発しました。

「よくもメルヴィナ姫をォォォーッ!」

ルウェインは阿修羅の形相で剣を振りかざしました。

「殺しちゃだめなのだわ!」

メルヴィナの上げた声に、ルウェインの動きが止まりました。
その時、駆け付けた守衛達がルウェインの背後から襲い掛かりました。

「ルウェイン!?」

後頭部を殴られたルウェインは気を失ってしまいます。
そして婚約者がどこかに閉じ込めておけと命令すると、守衛達はルウェインを連れ去ってしまいました。
邪魔者が居なくなった婚約者は、改めて婚姻の既成事実化をしようとします。

「……ルウェインを傷付けたのだわ?」

メルヴィナの中で暗い怒りが噴き上がってきました。
すると、身体に変化が起こり始めます。
頭には角が伸び、下半身は鱗に覆われて太く長くなり、大きなヒレが生えました。
その姿は人魚というよりも海竜でした。
長く大きくなったメルヴィナの身体が、部屋を埋め尽くします。

「彼は、この姿を綺麗だって言っていたのだわ。あなたはどうなのだわ?」

メルヴィナは婚約者を海竜の下半身で締め上げます。

「どうしたのだわ? 続きはしないのだわ?」

婚約者は失神してしまいました。
身体を締め上げる力は骨を軋ませるほどに強く、メルヴィナの姿はとても恐ろしかったのです。

「初めからこうすればよかったのだわ……」

メルヴィナは婚約者をその場に捨て置き、ルウェインを探しに向かいました。

●脱出

メルヴィナは屋敷の中を壊しながら進んでいると、遂にルウェインが捕らわれている部屋を発見しました。

「メルヴィナ殿下……申し訳ありません……」

ルウェインは酷い暴行を受けていました。

「いいから、もう帰るのだわ」

メルヴィナは普段では考えられないほどの力で、ルウェインの手足を縛るロープを引き千切ります。
そして海竜の身体に乗せました。

「お待ちください! 大剣が奴らに奪われて……!」

「そんなのはいいのだわ!」

と言っていると、部屋に水と共に海竜の大剣が流れ込んできました。

「ルウェイン、ちゃんと捕まっているのだわ」

「お助けに参ったというのに、逆に助けられてしまうとは……情けない限りです……」

「あなたがリヴァイアサンを近くまで連れてきたから、この姿になれたのだわ」

こうしてメルヴィナはルウェインを背負い、屋敷を脱出しました。

●帰路

暗い海を行くリヴァイアサン。
そのコクピットの中では、メルヴィナの嗚咽が響いていました。

「どうして……もっと早く来てくれなかったのだわ……?」

通常の姿に戻ったメルヴィナは、ルウェインの胸に顔を埋めて泣いていました。

「申し訳ありません……」

ルウェインはメルヴィナを抱き寄せる他にありませんでした。

「ルウェインはいつだってそうなのだわ! 現れるのが遅すぎるのだわ!」

メルヴィナの手がルウェインの胸を叩きます。

「あんなのに初めてを奪われるくらいなら……いっそあなたに……!」

またしても心に深い傷を負ってしまったメルヴィナに、ルウェインは掛ける言葉が見つかりませんでした。

「でも……助けにきてくれて……よかったのだわ……」

「それはリヴァイアサンのお導きがあっての事です。俺はお救いできなかった……」

「それでも、ルウェインが来てくれて、嬉しかったのだわ……」

「自分は……悔いるばかりです」

その後、二人は海竜教会に着くまで一言も発しませんでした。

●慰め

海竜教会に戻った二人を出迎えたのは、大勢のシスターや司祭達でした。
皆はメルヴィナの身に何が起きたのかをおおよそ察しました。
怒りの声や悲しみの声を背に、メルヴィナはルウェインに抱きかかえられ、部屋まで送られました。

「メルヴィナ殿下、今回の件、これより直ちにソフィア殿下へ直訴しに参ります。ソフィア殿下だけではありません。マリア陛下にも謁見を賜り、かくなる上はグレイグ陛下にも……! 処断はその後に必ずや受ける覚悟であります」

ルウェインは握った拳を悔しさと怒りで震わせていました。

「やめるのだわ。あなたも傷付いているのだわ」

メルヴィナは首を横に振り、ルウェインの震える拳を手に取りました。
ルウェインもまた、自分を助けられなかった事で深く傷付いている事を悟っていたのです。

「一番苦しんで傷付いているのは殿下でしょうに!」

「だから……今は独りになりたくないのだわ……」

メルヴィナはルウェインの手を引きます。

「つまり……その……慰めるくらいして欲しいのだわ……」

「メルヴィナ殿下……?」

「今はメルヴィナと呼ぶのだわ」

ルウェインは吸い込まれるようにしてメルヴィナの部屋に入っていきます。
部屋の扉は、次の日になるまで開かれることはありませんでした。

だいたいこんな感じでお願いします。


ルウェイン・グレーデ
メルヴィナとの合わせになります。
内容はメルヴィナと同文です。

アレンジその他諸々全てお任せします。



●巫女
 機械神の巫女の在り方は、それほど変わっていない。
 いや、変えようがないというのが正しいだろう。
 これは憶測ではない。
 厳然たる事実である。
 つまるところ、機械神とは力だ。
 意志を持つのだとしても、その力の在り方は人の営みに介在してこそ発揮されるものである。
 少なくとも機械神と呼ばれる『リヴァイアサン』の齎す力は、国家の基盤そのものであるとも言えただろう。
 小国家『エルネイジェ王国』においても、だ。
 海獣とは海寄りの恵み。
 豊穣と平和との象徴であるとも言える。
「ですから、第二皇女であるメルヴィナ殿下に目下の問題が集約されているのです」
 政府議会は紛糾していた。
 それは隣国の有力者とのメルヴィナの婚約についてだ。
 彼女が一方的に婚約を破棄して『エルネイジェ王国』に出戻りしてきたことは、国民も知るところである。

『出戻り皇女』などと揶揄され、ゴシップ誌に面白おかしく取り上げられることもあった。
 それ自体にメルヴィナ・エルネイジェ(海竜皇女・f40259)は頓着していなかった。
 元より事実であるからだ。
 それに誂いにも似たゴシップ誌の見出しに彼女の心は揺れることはなかった。
 しかし、問題はある。
 彼女の婚約破棄は一方的であったのだ。
 正式に破棄が受け入れられたわけではない。
 当然と言えば当然だ。

 隣国は多数のプラントを有している。
 議会政府としては、政略結婚にて第二皇女であるメルヴィナを嫁がせることで、プラントより得られる資源を含め、その運営権や様々利権を得る算段だったのだ。
「御覧ください。この我が国のプラントの運用状況を。ほとんどがキャバリア生産に傾けられている。軍国主義、列強主義、結構。ですが、そのために民の生活を圧迫することは本末転倒であることは明白でしょう!」
「王族方には、その責務を果たしていただかねばなりません。そうでなければ、戴く我らは軍拡の足音に踏み潰されてしまいかねない。王族の足は巨人の足と同じ。民草は踏みつけられて然るべきとおっしゃられるおつもりか!」
「これらの政策を支えるのは、メルヴィナ皇女殿下の双肩にかかっておられるのです。それを、ただ癇癪一つでひっくり返されては!」
 そんな言葉が飛び交う。
 避難一色であると言えるだろう。
 無論、隣国の思惑もある。

 問題であるのは、『エルネイジェ王国』が擁する領海問題である。
 海洋には大陸のように境目がない。
 大陸の山脈や地形のように明確な領域を示す指標がないからだ。
 無論、海域の存在する島の周囲をもって基準とすることもできるだろう。だが、あくまでそれは小国家の主権を主張するためのものでしかない。
 実質的な支配ともなれば、なおさら隣接し合う小国家同士であれば殊更主張は互いに食い違う。
 他より多くをと願う人間ならではの習性であるとも言えた。
 故に、隣国の思惑の通り、海洋を支配する機械神である『リヴァイアサン』――そして、その巫女であるメルヴィナの政略結婚は双方において多くの利益を齎すものであった。
 つまり、一人の人間が人身御供となれば、多数が救われる。
 これはそういう話だ。

「雇用問題もあります。経済を回すためには、金や資源だけではない。人も必要なのです。その人の、民草の生命がかかっておられるのですぞ」
「このまま婚約の件が宙に浮いた状態であるのは、双方において不健全であると言えるでしょう。であれば――」
「私は嫁がないのだわ」
 議会の渦中にありしメルヴィナは、ハッキリと言葉にした。
 これまで沈黙を守っていたのは、議会政府の不満を受け止めるためではなかった。
 受け流していただけだった。
 何をどう言われようとも、メルヴィナは頑なであった。
 確かに議会政府の要人たちが語るところの言葉も頷けるところがある。
 国益とはすなわち、国を豊かにするものだ。
 であれば、己の身一つで数百、数千、数万という人々が豊かになるのならば、それが王族として生まれた身の責務である、と以前のメルヴィナであれば諦念と共に頷いたかも知れない。

 しかし、今の彼女は違う。
 彼女は自らが持ち得る強権というものを自覚した。
 多くを望んでいるわけではない。
 たった一つを望んでいるだけなのだ。
 王族であるのならば、というのならば、その前に一個の人間である。
 婚姻というものは、彼女にとって特別なものだ。
 両親を見ていたからこそ、特にそう思うものであった。
 幸せになりたい。
 そう思うのと同じくらいに幸せにしたいと思う。
 そうでなければ、結婚は立ち行かない。
 契約という側面もあるだろうが、それは感情の話であるとメルヴィナは思っていた。だからこそ、一度裏切られた心の傷はなかったことにはならない。
 だからこそ、拒否したのだ。

 議会政府の声が上がる前にメルヴィナは鋭い瞳で言い放った。
 それはにべにもない拒絶。
「そもそも彼は私を愛していなかったのだわ」
 メルヴィナの発言は、議会の議事録にも記録される所になっただろう。
 当然、そうなればマスコミ各社の報道は過熱を帯びるようになった。
 国民からの非難は当然と言えば当然である。
 しかし、人の感情を理解する者たちであれば、それもまた無理なからぬことであると、誰か個人の幸せを保証するべきであるとも考えただろう。
 誰もが彼女を否定することはなかった。

 王室、アイディール家派閥など一部の政治派閥はメルヴィナの言葉を擁護するものだった。
「責務を果たさずして何が王族か。王冠を戴いていれば、それで王族だというのならば他の誰でも王族になり得るだろう。そうではない。他の誰にでもできることではないのだ。他ならぬ王族だからこそできうることなのだ。そのために我らは血税と忠誠とを捧げているのだ。だというのに、事欠いて個人の感情を主張するなど、言語道断である」
 その言葉が誰より発せられた者であるかは定かではない。
 だが、その言葉が強烈な意志を持っていたことは言うまでもないだろう。
 メルヴィナに同情的であった国民達の感情は、戦乱続くクロムキャバリアによってささくれていた。 
 そのささくれに、その言葉は劇薬だった。
 いや、塩そのものであったとも言えるだろう。
 そう、王族と己達。何が違う?
 言葉に寄る翻弄は、人の心をかき乱すものだ。
 どうしたって、人は他者と自己を比べる。差異でしか己の認識を満たすことのできない生き物であるからだ。
 愚かである。
 しかし、正しくもある。
 差異を見出すことこそが、気づきを得る切欠なのだ。
 切欠に過ぎないのだとしても、そこから社会性が生まれたのならば、その社会性を殺すのもまた同じものなのだ。
 皮肉ではあるが、それが事実というものである。

 ただの言葉のみで世論はメルヴィナに王族としての役割と責任を果たすべしという論調に変わっていく。
 その言葉にルウェイン・グレーデ(メルヴィナの騎士・f42374)は心を痛める。
 心無い言葉は、どれだけメルヴィナを傷つけるものであったことだろう。
 そう思えば、心が散り散りになりそうだった。
 けれど、己の胸が痛む以上にメルヴィナの心痛は慮ることもできないほどのものであろうことは言うまでもない。
「俺は……なんと無力なのか」
 歯がゆい。
 己に力があったのならば、メルヴィナを護る事もできただろう。
 だが、今はまだ騎士でしかない。
 貴族階級も底辺である。
 議会に掛け合う力もない。武功を上げれば、と思えど、それはあまりにも時間がかかりすぎる。
 意志を貫き通すための心あれど、力が圧倒的に足りないのだ。
 立場も、何もかも、だ。

 そんな打ちひしがれるルウェインの姿にメルヴィナは何を思っただろうか。
 言葉にすることはなかった。
 だが、彼女は立った。
 誰かに介添えしてもらう必要なんてない。
 己はもう少女ではない。
「今度こそ婚約破棄をしっかり突きつけてくるのだわ」
「ですが、それは!」
「もう決めたことなのだわ、ルウェイン。もうあのときの私じゃないのだわ」
 ルウェインは頭を振ることさえできなかった。
 ただの騎士である己に王族を前にして首を横にふる権利はない。
 行くな、と言えない。
 言えるわけがない。言ったとして、どうなるというのだろうか。
 何かが変わるだろうか?
 変わらない。
 ただ、己と彼女との立場を突きつけられるだけだ。それがどんなに苦しいことなのかをルウェインは実を持って知っている。

 だからこそ、なのかもしれない。
 メルヴィナにとっては、まさしくその通りであった。
「あの日終わらせられなかった事を終わらせて帰ってくるのだわ」
 そう晴れやかに言うメルヴィナの美しい顔にルウェインは何も言えなかった。
 口惜しい。
 ただそればかりだった。
 もしも、このまま彼女をいかせてしまったのならば、と悪い想像ばかりが頭に溢れ出す。
 予感とも言えばいいのだろうか。
 これはきっと初めてのことだ。
「行っちゃったわね~。でもま、ああ見えてメルヴィナ殿下も以前のままではないでしょうし?」
「最近は強かになられておられるわ。エルネイジェの女はそうでなくてはならないのよ! このわたくしのようにね!」
「はぁ~?」
「あ~?」
 聖竜騎士団の二人が仲良く喧嘩を始めるのをルウェインは、気に留めることはできなかった。
 元より仲裁できるものではなかったが。
 それ以上に今のルウェインは己が胸に渦巻く感情を如何に処理すべきかを決めあぐねていた。

「この悔しさは……俺は傲慢で恥知らずにも、メルヴィナ殿下を誰にも取られたくないと思ってしまった……」
 呟く。
 それは心情の吐露であった。
 同仕様もないことだということは分かっている。
 けれど、見送ることしかできないのだ。
 眼の前の送迎用の車のドアが閉じる。
 メルヴィナの横顔を己は見送ることしかできないのだ。そもそも、引き止めるにしたってなんと言えばいいのだろうか。
 行くな、と?
 それこそ傲慢極まりない。
 メルヴィナは自らの意思で決定して行動できる強い女性だ。
 それに見合った力も持ち得ている。
 立場もある。
 己にないものを全て彼女は持ち得ていると言っていい。
 我が身とあまりにも違いすぎる。
 その力強くも美しい姿はルウェインの劣等感を強めるばかりであった。
「恥知らずめ……この俺が何ができるというのだ。この俺が……!」
 握りしめた拳からは血が滲んでいた。
 その痛みも己の罰にはなり得ないだろう。結局、ルウェインにできることは見送ることだけなのだ。
 それが一層ルウェインを惨めにさせた――。

●悲劇
 隣国へと向かう道中、メルヴィナが考えていたことは多くなかった。
 ただ一つ。
 婚約の破棄。 
 その正式な手続きと勧告である。
 ただそれだけを彼女は考えていた。如何なる応対をされようとも今更揺らぐことはなかった。
 己を冷遇した者たちに情をかけることができるほどに、彼女の激情は安くはない。
 あの死んでしまいたいとすら思った日々を思えば、当然のことである。
 恨みには報いが必要なのだ。
 取り繕った所で、己の心は動かない。

 通された屋敷に懐かしさすら感じなかったのだ。
「メルヴィナ皇女殿下、こちらに。長旅、お疲れになったことでしょう。主が今……」
 執事めいた者も、以前は小娘程度にしか扱うことはしなかった。
 だが今は違う。
 態度がこんなにも違うものかとメルヴィナは俗なものを見るような冷ややかな視線で、そのものを見た。
 その視線に身をすくめる姿は、いっそ滑稽に思えたのならばよかっただろう。
 だが、今は憐れにしか思えなかった。
「構わないのだわ。どうせすぐにお暇することになるのだわ」
「しかし」
 食い下がる気概があったのは、これが国益を兼ねたものであるからだろう。 
 賓客として扱いながら、しかし、その実、己に取り入ろうとする魂胆というものが見え透いている。
 メルヴィナにとって、それは以前ならば受け入れられるものであった。
 けれど、今は嫌悪しか湧いてこない。

 どの口が、とメルヴィナは飲み込む。
「これは遠路遥々、我が花嫁におかれてはご機嫌麗しく」
「……」
 眼の前に現れたのは、久方ぶりに見る夫となるはずだった男だった。
 あの頃と比べ頑強なる肉体を得たようである。
 だが、メルヴィナはどうとも思うことはなかった。
 だから何だというのだ、と言わんばかりに彼女は口をつぐむ。
 言葉を発するつもりはなかった。
 もうとうに心は決まっている。

 全ては今夜だ。
 はっきりと今夜婚約を破棄するのだと告げるつもりなのだ。
 政治であるとか、外交であるとか知ったことではない。無理なものは無理なのだ。
 己はもう知っている。
 己の意志を貫く方法も、力も。
 ならば、己は無言で夫となるはずだった者を圧する。
 その態度に彼はたじろいだようだった。陰気な女は好まない。その趣旨に変わりはないし、変えるつもりはない。
 だが、彼女の鋭い眼光に射抜かれ、歓待の言葉に礼一つよこさないメルヴィナの印象に気圧されていた。
 当然である。
 以前の彼女はどこかおどおどしていた。
 陰がある、と言えばまだ言葉が良いとさえ思えるほどであった。
 取るに足らない小娘でしかなかったメルヴィナは、今や牙を備えたなにか別のものへと変貌していた。
「しゅ、祝宴を用意してある。今宵は盛大に、と準備も、な。だから」
「……」
「まずは屋敷へ。賓客をもてなさず帰したとあれば、それこそ我が家名に傷が付く。であれば」
「……」
 どんな言葉を並べられても、今のメルヴィナには言い訳にも劣る言葉にしか聞こえなかった。

 無理なものは無理。
 そう顔に書いている。それすら読めないのならば、とメルヴィナは一歩を踏み出す。
 今この場でハッキリと物を言うのは避けた。
 それは彼女の憐憫の情であった。
 情けない男と吹聴されるのは、その言葉の刃の鋭さというものをメルヴィナが知っているからだった。
「……」
「こちらへ」
 震える手で示されて、メルヴィナは頷く。
 ただ、冷ややかな態度は変えない。変えてなるものかという心が、そこには気高く咲き誇るようだった。

 祝宴は確かに盛大に、という言葉に偽りなかった。
 豪勢であったし、己の財力というものを見せつけるという意味合いを持っていたのだろう。
 わからないでもない。 
 人は権威になびくものだ。
 なら、己もそうだと見積もられたのだろう。
 それは侮辱というものだ。

 だが、今は飲み込む。
 かつては婚約者だったのだ。ならば、とまだ情が欠片とて残っていた。
「さあ、寝室へ。我が花嫁」
 甘ったるい言葉は、甘ったれた性根の現れであった。
 この男は、己が抱けば、それで女が喜ぶと思っているのだ。事実、これまで彼が屋敷に連れ込んだ女たちというのは、そうしたたぐいの者たちだったのだろう。
 だが、真に心通わぬ情交に意味があるのか。
 ただ快楽を得るためだけだというのならば、そこに立場も役割も必要ないではないか。
 
 だからこそ、メルヴィナは寝室に案内されて初めて言葉を発した。
 彼の面子というものを慮ってのことだった。
「私はあなたと結婚するつもりなんてないのだわ」
「何故だい? こうして再び君は戻ってきた。ということは、だ。君は君の役割を果たそうとしたのだろう? なら」
 固い掌がメルヴィナの肩を掴むようにして触れた。
 優しくない。
 熱すら感じない。
「あなたに抱かれるつもりもないのだわ。今日私が来たのは、あなたとの婚約を破棄するためなのだわ」
 冷ややかな視線と言葉。
 散々に女をただ、快楽の手段としてしか見てこなかった婚約者からすれば、それはあまりにも侮辱的な言葉だった。
 己が婚約破棄を突きつけるならば、いざ知らず。
 何故、己が破棄される側にならねばならないのだと言わんばかりの顔だった。
「理解できないな」
 肩を振り払おうとしてメルヴィナは、己が失策をようやく理解した。

 慮る必要などなかったのだ。
 眼の前の男は、ただの獣だ。いや、畜生以下である。
 掴んだメルヴィナの体を寝室のベッドに押し倒す腕力は、彼女が知るものではなかった。
 この屋敷にいた時は、指一本すら触れようとしなかったのに、今は粘りつくようにして己の肌に張り付いている。
 ぞわりと怖気が身に走る。
「いやっ! いやなのだわ! 何をっ!」
「決まっているだろう。夫婦になるのならば、ちぎらねばならない。簡単なことだ。何、お前が抵抗しなければすぐに済むんだ」
「……!? こんなことをしても、あなたを愛することなんてないのだわ!」
「愛? 何を言っているんだい? 俺はお前を愛しているから結婚するのではないし、結婚したから愛しているのでもない」
 告げる獣の言葉にメルヴィナは己の心胆が凍えるような感覚を覚えた。
 力では敵わない。
 ベッドの上で身を捩っても、清潔なシーツが擦れる音を立てるばかりだった。

 眼の前の獣は己を愛していないと言った。
 愛なき行為であっても、そこに人の情があるのならば、愛も芽生えるだろう。だが、そんなメルヴィナの思いすらも踏みにじるように、手が伸ばされる。
「誰かっ! 誰か、いないのだわっ!?」
「人払いは済ませているってわからないのか? それとも、君のあられもない嬌声を聞かせたいとでも? とんだ良い趣味をしているじゃあないか」
 口角が歪に釣り上がった獣の言葉をメルヴィナは理解していた。
 誰も助けに来ない。
 誰も、だ。
 このために、と謀を理解した。

「これは政治の取り決めというやつなんだよ。『エルネイジェ王国』と我が国との間に結ばれた契約なんだ。運命というやつなんだよ」
 おぞましい。
 眼の前にいるのは、やはりただの獣だ。男ですらない。
「そして、俺は力をつけて、この国で高みに登るんだ。君は機械神の巫女なんだろう? その力も有効的に使ってやるよ」
「こんなことをしても、無駄なのだわ!『リヴァイアサン』は!」
「君の言うことしか聞かないって? ハハッ、伴侶として認められればいいのだろう? なら!」
 伸びた手が勢いよくメルヴィナのドレスの胸元を縦に引き裂く。
 顕になる肌と胸元。
 引き裂かれた腹部と身を彩るレースの色合いに、獣は下劣な笑みを浮かべていた。
 確かに、好みの女ではない。
 が、拒絶する女を組み敷いて我が物にするのは、大好物だった。
 無駄な抵抗をして、弱ったところを喰らう。
 その愉悦に下腹部に濁った熱が集約されていくのを感じる。

 抵抗しても無駄とは言ったが、抵抗してくれてよかったとも思った。
「これなら愉しめそうだ」
「……い、いやっ! いやなのだわっ!」
「唆る悲鳴じゃあないか。それに、既成事実を作ってしまえば、お前の拒絶も無意味になる。だから」
 乱暴な指先が白い肌に赤い痕を刻む。
 もう戻ることのできない不可逆な道にメルヴィナを引きずり込むように。
 その指にメルヴィナは抗う術を持たなかった。

「あっ! ああっ! る、ルウェイン! いやっ、ああっ、ルウェイン――!!」
 悲鳴が上がる。
 助けを求めるように、焦がれるように、その名を呼んだ――。

●激情と激流とが
 夜の鍛錬を終えて尚、身より立ち上る熱は白煙となっていた。
 滴る汗を拭っても、落ち着かない。
 ルウェインは、夜毎起き出しては眠れぬ己の不甲斐なさを噛みしめるしかなかった。
 メルヴィナはああ言ってはいたが、不安ばかりが募るし、よくない想像ばかりが頭の中を駆け巡っていた。
 嫌な予感ばかりが反芻される。
 それでどうなるわけでもない。
 だから、こうして体を動かして不安を発散させようとしていたのだが、今のルウェインには逆効果だった。
「……どうして俺はこんなにも、弱いのだろうか」
 力があれば、と何度思っただろうか。
 だが、同時にこうも思うのだ。
 力があれば、と思うだけのものに何が守れるのか、と。その自ら言葉に自身が切りつけられる。
「自嘲というのだろうな、これは……ん?」
 立てかけていた海竜の剣が振動している。
 いや、違う。 
 鳴動しているのだ。

 一歩踏み出した瞬間、海竜の剣が跳ね上がり、地面に落ちる。そればかりではない。大きく暴れ始めたのだ。
 如何なる力でと考える暇もなくルウェインは大剣を手にした。
「これは……まさか!」
 刃がひとりでに動き、脈動するように光が集約され、矢印を描く。 
 その方角が向く先は、ただ一つ。 
 メルヴィナが向かった隣国だった。
「メルヴィナ殿下の身に何かが起こったに違いない! これは!」
 聖竜騎士団の宿舎からルウェインは駆け出す。
 無論、無断外出。
 規則破りである。だが、構わなかった。

 剣の示す矢印の向くままにルウェインは走った。走って、走って、走った。
 向かう先は、一つ。
 海竜教会であった。近づくにつれて、騒ぎがおきていることをルウェインは理解しただろう。
 海竜教会は、その立地から海に面している。
『リヴァイアサン』のドッグを兼ねているため、当然と言えば当然である。
 その海面が嵐のように荒れ狂っていたのだ。
「これは……!」
「グレーデ卿……!」
「如何なることです。説明を頂きたい!」
「り、『リヴァイアサン』様が、お怒りに……! つい、先程から突然……!」
 海竜教会の修道女たちの動揺にルウェインは頷く。
 事態を収めなければならない。
 まずはドッグに向かわねばと彼は教会の地下へと駆けていくが、荒れ狂う『リヴァイアサン』の動きは海竜教会すら崩落せしめんとするほどの激烈さであった。
 明らかにおかしい。
 異常事態だとルウェインは理解する。

 ドッグに飛び出したルウェインは飛沫散る中、『リヴァイアサン』の赤い眼光が照らすドッグ内にて見上げる。
「大海の竜帝よ! どうか静まり給え! 如何なることで……!」
「――」
 赤いアイセンサーがルウェインを認識した瞬間、先程までの嵐が嘘のように静まり、コクピットハッチが開くのだ。
「これは……搭乗せよ、と? そう思し召しであるのか? やはり……!」
 メルヴィナの身に何かがあったのだ。
 しかし、とルウェインは躊躇う。
 力のない己を思い出したからだ。意気地がない己を思い出した。うだつの上がらぬ底辺貴族であることを思い出した。武功すら挙げられずに助けられてばかりの己を思い出したのだ。

 忸怩たる思いが込み上げてくる。
 何を思い違いをしているのだ。
「――!!」
 咆哮が轟く。
 ルウェインの滲む視界に『リヴァイアサン』は怒りを持って咆哮したのだ。
 何を躊躇うのか、と。
 何を卑下するのか、と。
 お前の感情は無意味ではないが、お前の懊悩は無意味だと言わんばかりに、その聖域は開かれていた。
 他ならぬ己が認めた男。
 臆する男には、と叱咤激励する咆哮にルウェインはついに覚悟を決めて『リヴァイアサン』に乗り込んだ。
 瞬間、すでにもう『リヴァイアサン』は海中にあった。
 凄まじい速度。
 それは汎ゆる海中用のキャバリアを凌駕する速度だった。

 海を裂く。
 正しく『リヴァイアサン』は海中を飛翔するように隣国の砂浜へと乗り上げ、地鳴りを響かせながらルウェインをコクピットから吐き出す。
「大海の竜帝よ、感謝を……!」
「――!!」
 良いから行け、と言わんばかりの咆哮が轟く最中、ルウェインは走った。
 走って、走って、走り続けた。
 海竜の剣が示す先へと一心不乱に走り続けた。
「そこのお前! 何者だ! ここが……」
「罷り通る! 退け!!」
 矢印が示すのは、大きな屋敷だった。あそこだ、とルウェインには確信があった。
 当然、『リヴァイアサン』の強襲は、隣国にとっては寝耳に水であったことだろう。だが、関係ない。
 むしろ、好都合だとすらルウェインは思っていた。
 高揚よりも不安が今は勝っていた。
 立ちふさがる守衛の尽くをルウェインは殴打でもって叩き伏せた。

「ぐうっ!?」
「こ、こいつ……! 構えろ! 抵抗するなら、射殺を……!」
「退けと言った! 我が名はルウェイン・グレーデ! メルヴィナ・エルネイジェ第二皇女の騎士! お目通り願わぬというのならば!」
 押し通る。
 その言葉通りに彼が手にした海竜の剣からは大量の海水が溢れ出し、激流のごとく守衛を押し流す。
 しかし、屋敷の門は固く閉ざされている。
 海水であっても押し破れなかった。
「だったらなんだというのだ! メルヴィナ殿下!」
 手にした大剣が振るわれ、門は一閃の元に切り裂かれる。蹴破るようにルウェインは屋敷の庭園へと踏み出す。
 海水に浸されれば、庭園もボロボロになるだろう。 
 咎めを受けるだろうか。
 だが、そんなことはどうでもよかった。
 今のルウェインの頭にあったのは、メルヴィナのことだけだった。それ以外は考える余裕などない。
 隣国への強襲。
 れっきとした不法侵入である。

「わ、わかっているのか! こ、これは国交問題にも影響を……!」
「知ったことか! 押し通ると言った!」
 その勢いは猛然としたものだった。
 一直線にルウェインは走る。
 守衛などものともしない。拳が痛みを訴えても、砕けても関係ない。
 ただ、己の身はメルヴィナのためだけにあるのだ。
 彼女を傷つける者全てを排除しなければならない。それが騎士としての己なのだ。ならばこそ、彼女の窮地は一国を秤にかけても傾くことはない。
「メルヴィナ殿下!」
 しかし、いつだってそうだ。
 力及ばぬ者の正義など正義ではない。偽善でもない。
 それすらにも劣る愚かしさの証明でしかない。
 よく知っていたはずだ。

 あの日、母が己と家とを捨てて言ったことを思い出していた。
 いつだって、己には力がなかった。
 親子の絆すら、母をつなぎとめるりゆうにならなかったのだ。
 母は、血よりも情を取ったのだ。
 全ては、力がないからだ。
 力がないから、望むものも得られない。それをよく知っていたはずだ。思い知らされていた。
 だが、ここまでのことなのか?
 ルウェインは、剣が示す先にあった扉を蹴破り、見た。見てしまった。

 そこには無惨にも破り捨てられたメルヴィナのドレスが打ち捨てられ、寝室の中央に備えられたベッドにて男に組み敷かれている己が守らねばならぬ者の涙する顔があった。
 思考が白く染まる。
 怒りに赤く染まるのだとばかり思っていた。
 だが、そうではなかった。
 眼の前の光景を否定したいという思考が、己の視界から全ての彩りを奪っていくのだ。
 メルヴィナに覆いかぶさる男。
 見たくもない。
 知りたくもない。
「ルウェイン……」
 己を呼ぶ声が、ルウェインを現実に引き戻していた。
 これが現実なのだと突きつけていた。

「助けて……」
 しゃがれた声だった。かすれている。泣き叫んでいたのだ。
 それは、彼女に覆いかぶさる男によって引き起こされたことだ。
 彼女の押さえつけられたベッドのシーツの白に朱が落ちている。
 己は何をしている?
 メルヴィナは手を伸ばしている。
 己の名を呼んでいる。
 ならば、今、この刹那において、他の全てをかなぐり捨ててでも踏み出さねばならない。
 そう、己の懊悩など無意味だ。
 意味在るのは己の感情のみだ。
 全身から巡る血潮がルウェインを走らせていた。火山のように猛り狂う怒りという怒りが爆発的な力を持って咆哮させる。

「よくも、メルヴィナ姫を、ォォォォ――ッ!!」
「な、なんだ!? お前はっ! 此処が一体なんなのか、寝室なのはわかっているだ――うっ!?」
 瞬時にルウェインはメルヴィナから男を引き剥がしていた。
 首を掴み上げ、音を立てるほどに腕に力が込められる。
 もがくように己の腕に爪を立てる男の青ざめていく顔色を眺めながらルウェインは、己の怒りのままに縊り殺そうとして、しかし、メルヴィナの声に我に返る。
「殺しちゃだめなのだわ!」
「――……メルヴィナ姫」
 その一瞬にルウェインの背後から追いついてきた守衛たちが襲いかかる。
 後頭部への一撃にルウェインの意識は刈り取られるようにして倒れ伏す姿にメルヴィナは駆け出すも、その腕を掴む者がいた。

「げほっ、ごほっ……! 一体全体どこのどいつだ……くっ、この俺の首を……クソッ、おい! そいつは殺すな! 後で徹底的に痛めつけてやる!」
 己を襲った男。
 婚約者であった男は、メルヴィナの手をつかみながら、守衛たちに告げる。
「まったく、とんだ邪魔が入ったが……今度こそ最後まで」
「……ルウェインを傷つけたのだわ?」
「……あ? 何を言っている。傷つけられたのは、俺の方で……」
「あなた、ルウェインを傷つけたのだわ」
 音が響く。 
 それは人体から響いてはならない音だった。
 骨格がゆがむような音でもあったし、その肌から打ち鳴らすようにして何かが生え揃う音でもあった。
 男は、己が掴んでいるメルヴィナをまだか弱い小娘だと思っていた。
 現にメルヴィナは容易く組み敷くことができたし、彼女の純潔を奪うこともできた。後は、仕上げを行うだけだったのだ。

 泣き叫ぶ女というものは、かくも唆るのかと暗い情炎に身が焦がれる思いだった。
 あと一息で、と言う所で邪魔が入ったが、あの男を肴にしてやれば、殊更メルヴィナは味わい深くなるだろうとさえ思っていたのだ。
 だが、それがあまりにも浅はかな思考であることにきがつかなかった。
「な、な、なんだ……その姿は、いったい、ヒッ!?」
「傷つけたのだわ?」
 有無を言わさぬ語気にひるんだが、後退りすらできなかった。
 なぜなら、メルヴィナの下半身が変容した尾めいた体躯が巻き付いていたからだ。確かに己が掴んでいたはずだ。支配していたはずだ。
 なのに、今は己が囚われている。
 身にかかる圧に恐怖がこみ上げる。
 喉から悲鳴が溢れても、止まることはない。

 額から伸びた角の切っ先が額に傷を刻むほどの距離にメルヴィナの顔があった。
 その眼に浮かぶのは暗い怒りの激情であった。
 すでに部屋にはメルヴィナの下半身がうずまき、人魚というよりは海竜の如き姿で埋め尽くされていたのだ。
「彼は、ルウェインは、この姿を綺麗だって言っていたのだわ。あなたはどうなのだわ?」
「ば、化け物……!」
「聞こえないのだわ」
 締め上げる度に男の悲鳴はかすれていく。
 骨が軋む音が響く。
「どうしたのだわ? 続きはしないのだわ」
「あ、がっ、あが、ぐ……あっが、がが、ごぼっ!」
 あまりの恐怖に男は心まで砕かれたように、気を失っていた。
 その姿を認めて、メルヴィナは興が削がれたように男を投げ捨てた。その恐るべき光景に、誰もが口をつぐんだだろう。
 正しく化け物であったからだ。
 ああ、とメルヴィナの声が吐息のように漏れる。
「はじめからこうすればよかったのだわ……」

 己には力がある。
 だから、壊すこともできるし、護ることもできる。
 壊される前に壊せばよかった。
 メルヴィナの下半身が寝室の床を一度叩けば、崩落するようにして抜け落ち、彼女の体が落ちる。
 目指す先は決まっている。
 ルウェインだ。
 彼が連れて行かれた場所は、その方角はなんとなくわかる。 
 額に生えた角が告げている。

「ルウェイン!」
「メルヴィナ殿下……申し訳ありません……」
 そこには守衛たちに打ちのめされたルウェインがいた。頬を赤く腫らし、その身には打ち付けられた後が惨たらしくミミズ腫れのように刻まれていた。
 ひどい、といえるものだった。
 それでもルウェインは己の不甲斐なさを恥じ入るようだった。
 合わせる顔がない、とでもいいたげだった。その物言いにメルヴィナは頭を振った。
「いいから、帰るのだわ」
「し、しかし……!」
 メルヴィナはルウェインを捕らえていた拘束を一息で引きちぎり、彼を解放するのだ。
 抱えるようにしてルウェインを海竜へと変じた体で抱える。
「ここにはもう二度と来ないのだわ」
「お、お待ち下さい! 海竜の剣が奴らに奪われて……!」
「そんなのはいいのだわ!」
 そう、どうだっていい。
 今はルウェインの傷を癒やさねばならない。剣がどうなるのだとしてもどうだっていい。本音であった。
 だが、その激情に導かれるようにルウェインを捕らえていた地下に海水と共に剣が流れ込んできたのだ。

「解決したのだわ。もう何も言わないで」
 その言葉には有無を言わさない迫力があった。
 しかし、ルウェインは言わずにはいられなかった。
「お助けに参ったというのに、逆に助けられてしまうとは……情けない限りです。俺は、あまりにも、無力……」
「……あなたが『リヴァイアサン』を近くまで連れてきてくれたから、この姿になれたのだわ。だから」
 ルウェインが助けてくれたのだ、と言葉にはしなかった。 
 それはきっと余計にルウェインを傷つけてしまうと理解していたからだ。

 海竜の姿のままメルヴィナはルウェインと共に砂浜に乗り上げた『リヴァイアサン』のコクピットに乗り込む。
 それまでのメルヴィナは気丈であった。
 純潔を奪われても、果敢であった。
 ルウェインはそう思っていた。
 だが、それは間違いだったのだ。

 嗚咽がコクピットに響く。
 その鎮痛なる声はルウェインの胸をえぐるばかりだった。
 普段ならば無礼であると己を律するルウェインには、元の姿に戻ったメルヴィナが己の胸に顔を埋めて泣く姿に何も言えなかった。
 唯一言えたのは。
「申し訳ありません……」
 それだけだった。
 そして、抱き寄せることだけが己に許されたことだと思ったのだ。
「ルウェインはいつだってそうなのだわ! 現れるのがいつだって遅すぎるのだわ!」
 その言葉に申し開きはできない。
 そう、己は無能である。
 その無能さが、メルヴィナを傷つけている。
「あんなのに初めてを奪われるぐらいなら……いっそあなたに……!」
 打ち付けるメルヴィナの手は、弱々しいものだった。
 だが、物理的な痛みなど今のルウェインにはどうでもよいことだった。掛ける言葉が見つからない。
 己の無能さ故に彼女の心にまた傷を与えてしまったのだ。

「……」
「でも……助けに来てくれて……よかったのだわ」
 濡れた頬がルウェインの傷に触れて痛む。 
 これはきっと罰なのだ。己の無力さという罪に対する。ならば、その涙滲む傷の痛みを己は忘れてはならないのだ。
「それは『リヴァイアサン』のお導きがあってのことです。俺は、お救いできなかった……」
「それでも」
 メルヴィナの見上げる瞳の美しさにルウェインは、ひどく悔恨ばかりが募る。
「それでも、ルウェインが来てくれて、嬉しかったのだわ……」
 その言葉が身をえぐり続ける。
 もう何も言えなかった――。

●慰撫
 海竜教会に戻った二人を出迎えたのは、海竜教の修道女や司祭であった。
 おおよその事情、そのあらましを事細かく伝えることはなかったが、全てを察しているようだった。
 怒りと悲しみの声が連鎖している。
「グレーデ卿……」
「わかっております。ですが」
「殿下の御身をどうかお頼み申し上げます」
「ご配慮、痛み入る」
 ルウェインはメルヴィナを抱えて、部屋まで送り届ける。
 此度は、それで終いだ。
 だが、これだけは言わねばならない。

「メルヴィナ殿下。我が身の無能を棚上げにして具申することをお許しください。此度の件、これより直ちにソフィア殿下並びにマリア陛下に直訴を。拝謁賜ることができずとも構いません。私の身命一つにて通るものではないにせよ、グレイグ陛下に対しても……! 如何なる処断も受ける覚悟であります」
 膝を折り、メルヴィナの部屋の前でルウェインは頭を垂れた。
 怒りと悔しさで彼の内側は荒れ狂っていた。
 けれど、メルヴィナの手がルウェインの頬を包んだ。

 視線を合わせるように膝折るルウェインの前にメルヴィナはかがみ込んでいた。
「やめるのだわ。あなたも傷ついているのだわ」
「一番苦しんでいるのは、傷ついておられるのは、殿下……! あなたでしょうに!」
「だから」
 吐息のようにメルヴィナはルウェインの逸らす視線を己に向けさせた。
 天の星空のような瞳がルウェインを見つめている。
 有無を言わさない。
 もう侮れられ、軽んぜられていた少女の姿はない。

 生まれ変わった強く気高く、汚されようとも汚しきれぬ美しさと高潔さを持った女性の姿があった。
 ルウェインは思い出した。
 傷ついても傷ついても、それでも美しく生きる人、メルヴィナのその姿に己は心打たれ、心酔し、己が全てを捧げようと思ったのだ。
「今は、独りに、なりたくないのだわ……」
 熱が伝播する。
 頬を包んでいた掌の熱ではない。するりと、彼女の手がルウェインの手を取る。
 いや、引き寄せた。
「メルヴィナ殿下……? あの」
「つまり……その……慰めるくらいしてほしいのだわ……」
 それは彼女の精一杯だったのかもしれない。
 いじらしいと言えば、そうなのだろうが今のルウェインには、思い至らなかった。
 そんな鈍さを咎めるようにメルヴィナの手が思いがけず力強くルウェインの身を引き寄せた。

「メルヴィナ殿下」
「今はメルヴィナと呼ぶのだわ」
 それが今宵最後の、誰かに聞かれる可能性のあった会話だった。
 引き込まれた部屋の中での密やかな言葉は他の誰にも及ぶことはなかった。
 他の誰も。
 そして、部屋の扉が次の日に開かれるまでは――。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年06月08日


挿絵イラスト