悩ましさと喜びの天秤
●誕生日
2021/02/22――数字にしてみれば、羅列である。
しかし、そこに意味を持たせようとするのならば、きっと特別なものになるだろう。
そう、それは『陰海月』と馬県・義透(死天山彷徨う四悪霊・f28057)たちとがであった日である。
ただの日付ではないか、と言うのならばきっとそうなのだろう。
けれど、そこに意味を見出すのが人というものである。
何故、そんなことをと思うであろう。
悪霊と言えど人の心は残されている。
そして、孫のようにかわいがっているものがいる。
であれば、考えることは簡単であったし、単純なことであった。
そう、誕生日プレゼントを孫に送りたくない爺婆など存在しないのである。それが喜びってもんである。
「しかしなぁ。生まれた日というものを覚えていることなぞ、そうないじゃろう」
「そうですねー私達でさえ曖昧ですし」
「一々記録している、というのは我らの時代では稀であったし」
「それにそうした習慣もなかった」
彼らは四者四様に深くため息と共に頷いた。
だがしかし、それでも贈りたいものは贈りたい。
であれば、どうするか。
簡単な話である。
覚えていないなら、思い出せばいい、ではない。
ないのなら作ってしまえの心意気は、すでに『陰海月』の趣味とも言うべき、あみぐるみなどを見ていればわかるところであった。
そう、誕生日がないのなら、この日、と決めてしまえばいいのだ。
それが、2月22日。
毎年、その日が『陰海月』の誕生日となったのだ。
「しかし、例年通りというわけにもいきませんよねー」
「お菓子ばかりであったからな」
「飽きられてしまいそうですし」
「趣向を凝らす、といってもな」
なんとも苦手である。
どうしたものか。
孫に飽きられる事は避けたい。本当に避けたい。であれば、どうしようか。
「そう言えば、アスリートアースからこちら、ずっとあやつは、模型にハマっておったな?」
「ほう、であれば」
「なにか模型趣味に役立つものを贈るのはどうでしょー?」
「それがいいな。作る度にお店の道具を借り受ける、というのも遠慮が出るというもの」
であれば、と四者の動きは速かった。
リサーチ、とも言うべきかも知れない。
『陰海月』が制作ブースのある模型店に行く度に好んで使う工具のメーカーをあれこれ定員に尋ねたりもしたし、またその工具を収める工具箱も必要だった。
そうした入念なリサーチを受けて選ばれた精鋭たる工具達。
それを一纏めにしたプレゼントを『陰海月』に送れば。
「ぷっきゅー!」
喜びの声が上がるのも必然であった。
「きゅきゅきゅ!」
家でも自由にプラモデルを造りたい、と彼は思っていたようだった。
このドンピシャなタイミングに四者は内心ガッツポーズであったが、爺婆の威厳を保つために、あえて厳かな雰囲気で頷くばかりであった。
やったー! ありがとう! おじいちゃん、と鳴く声に、そうした厳かな顔立ちはすぐに相好を崩すものであった。
「いやはや、気にってくれたようだですねー」
「ああ、何よりだ」
だが、と四者は思う。
来年はどうする、と。
それは悩ましさの種であったかもしれないが、同時に喜ばしいことでもあった。
来年もまた、と思えるからだ。
思い悩むことはネガティヴなことかもしれないが、取りようよってはポジティヴな意味合いにもなる。
それは未来が保証されていないからこそ、待ち遠しいものであったことだろう。
「まあ、それは来年また考えることにしよう」
それがきっとまた心に湧き上がる喜びとなるであろうから――。
成功
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