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花の誓い

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泉宮・瑠碧



陽向・理玖




「瑠碧、どこか良いところあったか?」
 リビングの青いソファに座る愛おしい後ろ姿へと理玖が声をかけると、瑠碧が柔く振り向いた。
「素敵だなぁってって思うところはあるんですが……数が多くて」
「あー……そうだよな。――とりあえず、飲む?」
「ありがとう、理玖」
 両の手に持った揃いのカップ――流麗に描かれた一本の蔓草柄を合わせるとハート形に見えるそのひとつを差し出しながら、その隣へと腰を下ろす。自然と同時に口をつけた紅茶は、ふたりで暮らすようになってから常備するようになった瑠碧のお気に入りのひとつだ。
 娘の膝のうえには、1冊のウェディング雑誌が広げられていた。挙式をするならば、と参考に買ったのだけれど、式場の情報だけではなく、ドレスの種類や食事、そもそもの式の形態についてまで、その1冊だけでもかなりの情報が詰まっている。
「まずは、形式から決めないとですよね……。洋風っぽいのは見たこともありますが、和風は更に分からないです……」
「俺は瑠碧のウェディングドレス姿が絶対見たいし……教会式でいいんじゃね?」
「教会……宗教観とか、気にしなくて良いんでしょうか?」
「国にもよると思うけど、少なくとも日本はそのへん緩いかな。無宗教でも教会で式挙げるのなんてよくあるし」
 そう言って理玖は瑠碧へと肩を寄せると、雑誌のちょうど開かれていた紙面を指さした。陽だまりに緑燦めくなか、幸せそうに微笑む男女の写真に、そう遠くはない自分たちの姿を重ね見る。
「こういう、森の中の教会とか……ガーデンウェディングとか。なんか緑が多い場所がいいよな?」
「はい。緑に囲まれた式場とか、見たことがありますし……そういう感じが良いですね」
「じゃあ、教会式で決まりな! って言っても、それでもたくさん式場あるな……」
 ご機嫌な様子でゆっくりと頁を繰る、男らしい大きな手。出逢ったころは弟分のような幼ささえあったのに、いつの間にこんなにも大人になっていたのだろう。
 あのときはまだ、知らなかった。
 可愛らしさの残る少年と、こんなにも親しくなって。互いに想いを寄せて、告げて、共に幾つもの季節を巡って――未来を誓い合うようになるなんて。
(……5年前の私にそう言っても、信じてもらえないかもしれない)
 華やかな香りとともに紅茶を一口味わいながら、昔の記憶を辿る。
 巫女として、贄として、名も持たぬまま鳥籠に幽閉されていた。けれどそれも森が焼けてすべてを喪い、ほんとうの独りになってしまった。目的もなく、当て所なく、ただ命を繋ぐためだけに姉を模倣して、冒険者にもなったけれど、猟兵となってからは技術だけではなく精神も強くなければと思い知らされることが多くて、ついに姉の模倣すらできなくなってしまった。
 そうして結局、空虚な存在に戻ってしまった私は、もう森の奥で密やかに還るばかりだと思っていた。誰の記憶にも残らず、静かに、そっと。
 けれど、理玖と巡り逢えた。
 すこしずつ、笑顔が増えいった。色々な感情を知った。見たい景色が増えた。理玖のことをもっと知りたくて、声を聞きたくて――笑っていてほしいと、願うようになった。

『ステンドグラス、すっげぇ綺麗だな。こういうとこで式挙げたら映えそうだ』
『瑠碧が絶対もっと綺麗に見える、森の小さな教会とかいいかなって思ってるんだけどな?』

「……理玖、もしかして……前言ったこと、覚えてたり……?」
 ふと過ぎった景色と声に、瑠碧は浮かんだ疑問を口にしていた。確か、あれは冬の終わり。ダークセイヴァーの教会で、マシュマロ入りのチョコレートドリンクを一緒に味わったときのこと。

『去年はまだ付き合ってもなかったのに、今はそんなことまで考えるようになったなんて……ちょっと不思議だな』
『いつでも結婚出来るぜ?』

 まだ成人もしていなかった理玖に不意打ちでそんなことを言われたものだから、一瞬思考が止まってしまって。光や雰囲気が綺麗ですからね、なんて誤魔化すので精一杯だったのが、なんだか懐かしい。
「え? ああ、バレンタインのときの? 勿論、忘れるわけねぇって」
 特別な日も、なんでもない日も、出逢ってから今日までの瑠碧の姿は、記憶だけじゃなく心に刻まれている。
 微笑みも、涙も。小動物のようにちいさな口で食べる様子も、好きなものなら尚更眸を燦めかせるのも。驚くと変な声が出たり、自分にだけ無防備な顔を見せてくれたり。怒ったときすらも可愛らしさが拭えなくて、どんな表情も愛おしくてたまらない。
 なんの変哲もない日常を、瑠碧の笑顔が彩ってくれる。
 一緒に食事をすると、一層美味しいのだと教えてくれる。
 すごく幸せで、くすぐったくて。幼いころからなにもかもを奪われ、失くし続けた自分が一生涯識ることも得ることもないと思っていた愛をくれた唯一のひとを想うと、それだけでどうしようもなく胸が苦しくなった。切なさで息が詰まって、感情の昂ぶりで喉が焼けるようなその感覚は、今でも失われることはない。
(師匠……)
 この命は、幸せは、師匠の犠牲と引き換えに得たものだ。それがなければ、猟兵にもならず、瑠碧と出逢うこともなかったかもしれない。
 逆を言えば、自分さえいなければ――あの爆発に巻き込まれて消息を絶つようなことがなければ、師匠はあのころと同じように人好きのする笑顔を湛えてくれていたかもしれない。住宅兼事務所の庭なんてほったらかしで、好きな機械いじりを続けていられたかもしれない。
 けれど、そんな迷いはこれまでに数え切れないほど繰り返してきた。誰よりも自分が、なにもかもを痛いほど分かっている。――腹はもう、とうに括った。
(なにかと引き換えに、とかじゃねぇ……今の俺が、どうしたいかだ。……そうだろ? 師匠)
 瑠碧と巡り逢えた偶然を大切にしながら、共に生きていく。
 そうしてこのふたりの幸せを、この先も重ねていきたい。
「……なぁ、瑠碧……。会場、この近くだと嬉しい……かも」
 ぽつりと零してから、はっと気づいて狼狽する。
「あっ、でも、できるだけ緑の多い、精霊さんの多そうな会場にしようぜ?」
(瑠碧も姉さんに見てもらいたかったって絶対思ってるの分かってるのに、わがまま言ってるし……会場見て回るの、瑠碧、きついかもだけど……)
 こういうところが、瑠碧に“可愛い”と言われてしまうのだろうか。甘えだとは思っていても、つい彼女の前では本音が零れてしまう。
「理玖……」
 語尾に滲んだ微かな淋しさの|気配《けわい》に、瑠碧はそっと瞼を伏せた。師匠に見てほしいと思っていることは、容易に知れた。そして、自分のことを気遣ってくれていることも。
「……何となく、ですが、姉様は見守ってくれている気がします、ので……私は、どの世界でも大丈夫です」
 結婚式――優しかった姉は、婚約者自らの手で命を奪われてしまった。
 それでも不思議と、今でも近くにいてくれるような気がする。仰ぎ見た先に舞う、精霊たちの気配のなかに。いつだって、一歩踏み出す勇気をくれるかのように。
 ふと、チェストの上にある、2枚の新造銀貨の収まった額へと視線を遣る。
 相変わらず、人が多くいる場所は辛いけれど、理玖もそばにいてくれる。
 ――だから大丈夫。
 今なら確かに、そう思えた。

 ✧   ✧   ✧

「あ……理玖……」
 着付けが終わり、ブライズルームからおずおずと顔を出せば、瑠碧の視界に柔らかなオレンジが躍った。
 真白なタキシードはいつもの彼の服とは全く違うけれど、スラリとした長身でそれを着こなす様はいつも以上に凜々しく見えて、思わず言葉も忘れて見入ってしまう。
「瑠碧……! すげぇ綺麗……!!」
 片や、愛しい人に名を呼ばれて弾けるように振り返った理玖もまた、感極まった眸で声を震わせた。

『白のプリンセスラインも絶対似合うけど……ああ、いや。楽しみは取っておくのもありかな』
『花嫁は白い衣装でしたか……はい、いつかの日まで、保留です』

「やっぱり愉しみに取っておいて良かった……!!! もう最高!! 女神!!! 奇跡!!! 俺の嫁さんが綺麗すぎる……!!!!」
「え……?」
 これまで「白はまだ駄目」と言われてきたから、自分には似合わないのではと、今朝からずっと芽生えていた不安が一気に吹き飛んだ。
 綺麗なドレスはそれだけで心が浮き足立つものの、肌の露出の多さや、そもそも着飾ることに不慣れな瑠碧にとっては、恥ずかしさのほうが勝っていたのに、そのどこか居住まいの悪い気持ちも忽ち嬉しさと喜びに変わってゆく。
 そうして、幸せ心地にほんのりと色落とすのは、純粋な恥じらい。
「あ、あの……流石に恥ずかしい、です……」
「そんな瑠碧もめっちゃ可愛い」
 縮こまって顔を赤らめる姿はもう、胸が詰まりそうなほどに愛おしいから。
 花綵の燦めくその手をそっと掬うように手に取って、己が左腕へと乗せて破顔する。
「――行くか、俺の可愛い花嫁さん」
「……はい……!」

 白いチャペルへとふたり、静かに一歩踏み出した。
 淡く美しい木目の床に長く伸びるのは、春のひだまりのように優しいバージンロード。“森の大聖堂”の呼び名に相応しく、四方を囲む大きな硝子窓の向こうには庭の緑が溢れ、穏やかな陽と風に燦めいている。

 ――出逢ったころは、頼れる姉のような存在だった。
 けれど、一緒に過ごしていくうちに臆病な一面もあることを知った。そのくせに強がりで、頑張り屋で。自分のために動いてくれる健気さや、自分にだけ希に大胆で。そうした色々な瑠碧を知るたびに惹かれていって、可愛くて愛おしくて、いつしかずっとそばで護りたいと願うようになった。

 ――恋は、辛いものだと思っていた。
 けれど、傍にいるだけで、その笑顔を見ているだけで、嬉しくて、幸せで。満たされているのに、どこか胸が締めつけられるような、それでいて不思議と穏やかな心地良さがある。
 思いやり深く、気遣い屋で、誰にでも丁寧に接する理玖。そんなところが良いのだけれど、「理玖は私のです」と、たまに主張したくなってしまうほどに、今はなによりもかけがえのない、唯一の居場所。

 歩調を揃えて、ゆっくりと歩む。
 ふたりのこれからを始めるために、ふたりのこれまでを辿ってゆく。

『瑠碧姉さんは? 何かいいシーグラス、見つけた? ……なら、これも一緒にしといて』
『ハート……? 何だか、胸が痛い、ような……あれ? ……あ、ありがとう……?』

『近くで顔見たかったと言うか……えと、似合ってるし可愛いし……俺の瑠碧を見せびらかしたかったというか……』
『……俺のって……瑠碧って………理玖だけが、可愛いと、思ってくれたら……それで良いので……』

『あー瑠碧が可愛すぎてどうしよ。……そうだ、今すぐ俺たちも結婚すれば! 丁度良くね?』
『けっこん、理玖のねんれい、まだれしゅ……』

 強く抱えた祈りがあった。
 固く誓った想いがあった。

 ――私より、ずっと短い命……いつか、また……大切と別離して、遺されるなら……永い時間は……要らないのに。
 ――置いて、逝かないで。

 ――側に居る。……側に居たい。色んな事一緒にしてみたい。共有したい。この先もっとずっと、未来も。
 ――たとえこの先、この人を追い抜いて……置いて行くことになるって分かってても。……それが、俺のエゴでも。――これからも、一緒に居たい。

 重なる願いが、決意になって。
 ふたりを一層、強くした。

 ――一秒でも長く、理玖と居られますように。
 ――願いはもう叶ってる。大切な人の側に在れること。でも、喜びも楽しいことも、二度と奪われることなく、できるだけ長く側に。……ふたりで、幸せを掴みたい。

 ――弱いことを知ってる。だから強くなる。いいねぇ……けど、あんただけじゃない。
 ――俺の後ろには瑠碧がいる。だから負けらんねぇ。瑠碧も仲間も……俺自身も、絶対負けねぇ。

 ――生と死は繋がせねぇ。あんたも俺自身も越えて、この先も瑠碧と生きるから。
 ――理玖の真の姿……どう変化しても理玖で、私の好きな人、です。……大丈夫。

 ――俺の瑠碧。もう決して悲しませない。俺に愛を教えてくれた、一番大切な人。瑠碧やみんなを守る、そんな新しい力が欲しい。
 ――私が生きようと思った唯一つの理由……理玖。彼を愛し、彼の寿命まで共に生き……精霊たちも想いのままに居られるよう、力を貸してください……。

 ――自分のどこかに、何かを壊してぇって気持ちがあるのも、もう知ってる。それでも、瑠碧を……みんなを守りたい。
 ――……死にたい気持ちは、分かります。絶望の末なら、尚更。……でも。

 聖壇へと至ったふたりへと、司式者が静かに問いかける。
「健やかなる時も、病める時も。喜びの時も、悲しみの時も。富める時も、貧しい時も。――あなたはこれを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか」

『来年もこうやって、初めてのこともそうじゃないことも、色んなことふたりで共有していこうな』
『……はい。日々の他愛ないことも、理玖と一緒なら、穏やかで……幸せです』

『おっ、指輪だ。――まぁ、1年と言わずずっとだけど』
『変わらぬ愛なら……この先もずっと、添い遂げます』
『……ああ。この先も、だ』

 これまでに交してきた心と言葉の向こう側に、今は失き大切なひとを想いながら。

 ――姉様……私、一緒に生きたい人ができました。
 ――方法はきっと違うけど、あんたの分も彼女を慈しみ守る。側で、幸せにする。

『側に居るって約束しただろ……瑠碧』
『……約、束』

 真剣な面持ちで「はい」と頷く理玖の隣、瑠碧も穏やかで満ち足りた顔で真っ直ぐな視線で同じように答えた。
 自分がいなければ、姉も死なず、森も里も変わらぬ日々が続いていたのだろう。ともすれば、この命が宿ったこと自体が、悪しきことだったとも言えよう。
 この幸福は、犠牲のうえに成り立っている。それを知ったうえで尚、生きることを選んだ。命の終わりを迎えるのならば、それは理玖がこの世を旅立ったあとの話だ。
 ――だから。
(私の命は、貴方と共に……)
 幸せにいっぱいにはにかむ理玖へと、瑠碧も歓びに満ちた笑顔を返すのだった。

 ✧   ✧   ✧

 花が舞う。
 ひかりが舞う。
 雪解けの水のように澄んだ青空へと、祝福の鐘と声が響いてゆく。
「瑠碧、しっかり掴まってろよ!」
「はい? ――ひゃっ」
 緑に囲まれた庭園の中央で、理玖が瑠碧を横抱きする。一層空が近くなったようで、瑠碧はふわりといつものように綻んだ。それに釣られるように、理玖も知らず緊張していた心を解して笑う。
「なぁ、瑠碧。覚えてるか? アングレカムの花言葉」
「ふふ……勿論ですよ、理玖」

 ――いつまでも、あなたと一緒。
 その祈りは誓いとなって、この裡でいつまでも咲き続ける。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2025年05月29日


挿絵イラスト